三浦俊彦による書評

★ サイモン・クリッチリー『ヨーロッパ大陸の哲学』(岩波書店)

* 出典:『読売新聞』2004年9月12日掲載


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 オックスフォード大学出版局の「ごく短い入門書」の一巻。「〈一冊でわかる〉シリーズ」という邦訳名のとおり初学者向けの入門書かと思ったら、ちょっと濃い目だった。どちらかというと、すでに特定の哲学観を持っている人への再考促進剤といった趣だ。
 哲学は全く異質の二種類に大別される。そう言われると、東洋哲学と西洋哲学、と思いたくなるが、ワールドスタンダードでは、残念ながら東洋哲学の出番はない。英語圏の分析哲学と、ヨーロッパ大陸の哲学、この両者間の深淵があまりに深すぎて、本来なら東西で生ずるべき対立が、すべて西洋内部でまかなえているからだ。
 イギリス経験論と大陸合理論という区分は、高校の社会科で学習する西洋思想史の基本。十九世紀初頭までは、この両者の間に有意義な相互影響が存在していた。だが十九世紀末に分裂は決定的になる。数学・物理学の革命と併走した英米哲学は「言語論的転回」を果たし、大陸哲学は「ニヒリズムの自覚」による社会的実践を目指し始める。政治にも哲学史にも無関心で世事に疎い分析哲学者と、記号論理学のイロハも知らない大陸哲学者との間には、生産的な対話が一切成り立たなくなったのだ。
 「これではいけない」という危惧感のもとに決然と書かれた本書。両陣営の誤解の例を跡づけつつ、英語圏の哲学徒に向けて「大陸哲学もなかなか良いよ、中庸の道を探ろうよ」と説くわけだが、長所を照らし出す過程で影の部分も強調しているのが興味深い。制度の批判そして解放を目指したはずの大陸哲学が、予断に屈してしばしば反動化・保守化した一方、堅苦しい科学的方法に固執する分析哲学がときに改革的だった、そんな逆説がいくつか語られる。
 プロ向けの口調とはいえ、「西洋哲学って一つの伝統じゃないんだ」と実感させる筋立ては入門者の心構えにも最適。野家啓一による巻末の要約兼解説が光っている。佐藤透訳。

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