三浦俊彦による書評

★ ジェームズ・レイチェルズ『現実をみつめる道徳哲学』(晃洋書房)

* 出典:『読売新聞』2003年8月17日掲載

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 クローン、脳死、安楽死、戦争、宗教、差別、経済援助など、テクノロジーと国際化が相まって倫理的判断が巨大化・複雑化した現在、いったい机上の道徳哲学が役に立つのだろうか。
 本書を読むと、「断然役に立つ! 勉強しなきゃ!」と痛感されるはずだ。理由は二つ。
 第一に、豊富な実例から説き起こされていること。無脳症の生きた赤ん坊から臓器を取り出して病気の子らに与えたいという親の希望に医師はどう応ずるべきか。幸福な将来の見込みの薄い障害児に延命手術を施すべきか。脳性麻痺で苦悶の日々を送る十二才の少女を殺した親は正しいことをしたのか。微妙に異なる三つの事例に対し、米国とカナダの裁判所はどんな判断を示したか。そしてその根拠は。タイトルどおり実践的な対応を、一貫した原則のもとに編み出すためのバリバリの思考訓練。いかにも即戦力になりそうな細かい分節が読みやすい。
 第二には、有力な倫理学説を網羅的に、驚くべき体系性で論じてくれていること。とくに、功利主義、カント主義、社会契約説、徳の倫理説という四学説が重点的に取り上げられ、手際よく下位区分され、各々の利点と欠点、そもそも学説が求められる根本理由に至るまで、とことん明晰に、ごまかしなしに論じ抜く。
 何々主義というレッテルが続々出てきたかと思うと相互関係が魔法のように整理されてゆくありさまを眺めているだけでも快感だが、目新しかったのは、「男性的な非人格的倫理」に対する「女性的な気づかいの倫理」の可能性が論じられるフェミニズムの章だ。気づかいの倫理は結局、徳の倫理説に吸収され、さらに普遍的な学説への還元が目指されていく。
 美学科の学生だった頃、隣接分野の倫理学にはパワフルな説がいっぱいあっていいなあ、と羨ましかったものだが、本書でひさびさに近年の動向に触れてみると、どうもますます水をあけられているようだ。

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