三浦俊彦による書評

★ 高橋源一郎『文学なんかこわくない』

* 出典:『一冊の本』1998年10月号掲載

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 見なければやり過ごせたのに、視力に恵まれたばかりにもどかしく、苛立ち、果てはこわくて仕方なくなってくる。たとえば大多数の人にとって文学なんて空気みたいなもの。どうでもいい。せいぜいが面白けりゃいい。だけど、文学のツボを一度でも押さえた者にとって、文学畑は地雷原だ。「こわくない!」と大声で唱えながらでないと一歩も前へ進めない。だから「文学なんかこわくない」というタイトルは、読者を宥め諭し導こうとするフレーズではないだろう。言語文化に潜むさまざまな罠が見えてしまったがために金縛りに遭いそうになっている一人の文学者が、懸命に己れを鼓舞している掛け声なのである。
 というふうに読むと、タカハシさんがなぜ田中康夫『ペログリ日記』のポルノグラフィー性に共感するのかよくわかる。永井荷風? ドリュウ・ラ・ロシェル? 勘弁してよ。日記でしょう。独り言くらい文学ボンデージほどいて悠々やってちょうだいな。自由芸術に見えてそのじつ制度の強迫観念に酸化されやすいデリケートな文学でしょ。これ以上文学文学内面内面て一様に引きずらないでよ。
 反動化しがちな文学の脅威を解毒する抜け穴・空気穴・アンチテーゼとしてこうしてポルノが蠢き輝くことになるが、そのポルノまでが、性の定型と先入観に凝り固っていくとしたら恐ろしいことだ。だからタカハシさんは、渡辺淳一『失楽園』のステレオタイプ的ポルノ描写に大いに苛立ち、セックスの約束事を無効化して観賞者を精神分裂症へいざなうバクシーシ山下や村西とおるのアダルトヴィデオには逆に爽快な衝撃を受けるのだ。
 気かがりは文学だけじゃない。オウム真理教の書物や説法が、いかに言葉を功利的に平板化していることか。非現世的宗教の見かけのもとに世俗の惰性言語を追認強化するとは何とも許し難い。『教科書が教えない歴史』が、歴史教育への批判反省の衣を纏いつつ実は「日本」なる概念のW杯的頽落形態を無批判に繰り返しているのも問題だ。言語を細らせ人知を固定化する罠がかくもいたるところに仕掛けられている現状に、文学探偵タカハシさんは心底戦慄するのである。
 タカハシさんはこうして、文学とか真理とかの大理念に守られて無反省に流されるたぐいの人生を最も忌み嫌う。だからこそ金井美恵子の『恋愛太平記』の中に、ただ「生きる」ことの虚しさと「生き直す」ことの希望を再発見して初めて気を取り直すことができるのだ。あやふやな生活を文学が「生き直す」。文学はメタ生活なり。とすれば、文学に怯えてしまったタカハシさんにとっては、疑わしき文学を生活の方が「書き直す」ことがバランス上重要になってくる。生きることがメタ文学だと。こうして、評論という日常生活(?)の中で自作『ゴーストバスターズ』を自己言及的に捉え直さざるをえなくなるわけだ。二つの空虚な中心、語り手と作者との相互公転関係についてフィクション仕立てで。生活と創作との相互対象化作用をこうして再三活写できるのは、文学をはらはら見守りつつ自ら担う文学探偵ならではだろう。
 ただ、一つ疑問を抱かせられる。文学とは、書くにせよ読むにせよ、それほどまでに自意識的でなければならないか?
 文学ってそんな大それたもの? 分析であれ再演であれ自己対象化の言語を重ねていって洗練されようとすること、これ一つのステレオタイプ化ではないの? 実際、最後の「文学の向う側」では、それまで飛び跳ねる魅力を湛えてきた高橋流文体が減速して、なんというか、ありがちな言語論、文化論、政治論などなど業界用語のクリシェに重くもたれかかっているような。「安心してないぞ」って姿勢を反復持続することについ安堵しかけているような。
 タカハシさんはうすうすこの逆説に気がついている。だからこそ、武者小路実篤の極度に「非自覚的な」「こだわらない」文章を、今どきあえて疑問視しつつも超文学的な疑似前衛として黙認しようとしたのだろう。「懐かしい」と共感しようとさえしたのだろう。やっぱり絶えざる自己洗練だけが文学ではないのだと。
 でもそれならば。同じ非自覚的な惰性言語でも、どうしてオウムや渡辺淳一の文学殺しは告発されて、実篤のは半ば慈しみをもって遇されるんだろな? どこに違いがあるのか? 天然ボケは可愛いから許そう、てな単純なことじゃなさそうだし……。これは、本書では未完の「文学の向う側」続編において明らかにされることかもしれない。いや違うか、全て言語化して明らかに、というイデオロギー自体、文学を毒する言葉-意味一対一対応論かもしれなかったんだってば。文学および文学論の中で全て自給自足しようとしたら、必ずや文学の祟りがあろう。それほどに文学は繊細で、「文学はこわい」ものだということを、「文学の向う側」をひとまず未完に放置することで示しているのかもしれないな、タカハシさんはきっと。