三浦俊彦による書評

阿部和重『インディヴィジュアル・プロジェクション』

* 出典:『論座』1997年11月号,pp.248-249.
* *戦略的仕掛けに満ちた純文学最前線


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 各紙誌で近年まれにみる注目を浴びた小説である。作者が目下売出し中の二十代の作家ということもあり、辛口で鳴らす批評家たちがこぞって、手放しとも言える賛辞で十重二十重にがっちりガードし、文壇の保守的潮流に対抗している、そんな趣さえ感じられる。二月に「新潮」誌初出の本作だが、その余韻はまださめていない。
 渋谷の映画館で映写技師をしているオヌマの日記形式。オヌマはかつてスパイ養成の私塾で訓練を受けた経験があるのだが、私塾をいっしょに脱退したメンバーが四人も一度に事故死したのをきっかけに、オヌマの身辺に謀略の影がちらつき始める。訓練の一環として暴力団から奪ったプルトニウム爆弾の在りかをめぐって、当の暴力団や、私塾に残留したメンバーとの戦いが始まるのだ。しかし、殺人にまで到った「戦い」は、大半がオヌマの一人相撲らしいことが徐々に明らかになる。プルトニウムなどはじめから存在しなかったと判明し、私塾時代の同志や友人が実は妄想の中のオヌマ自身らしいと疑われ……。
 つまり、日記を書いている当人のアタマが、どうやら正常でないらしいのである。と、こう言うと、スパイだのヤクザだのプルトニウムだのB級アクションのドタバタにさんざんつきあわされたあげくみんな嘘、かよ、ばかばかしいと白ける向きもあるかもしれない。たしかに、同志イノウエが実在しないという件りまできて、生理的に感情移入を放棄せざるをえなくなる体質の読者も多いだろう。でも読み続けてほしい。ここがいわゆる「通俗小説」と「純文学」とを分ける分岐点なのだから。
 「純文学」たるこの小説の面白さは、事件展開だけではない。まず第一に、軽快に流れる文章の悦楽。阿部和重はこれまで、蓮實重彦の影響のもとに曲がりくねった長文を駆使してきたが、本家の徹底的洗練ぶりにはどうしても見劣りしていた。が、今回は一転して自前の簡潔流麗な単文群。奔流に乗ってぐんぐん読めてしまう。
 第二には、ウソだろうがホントだろうが、日記に書かれた情報量と事件のおびただしさ。職業の描写あり(映写技師は阿部自身の経歴と重なる)、土俗性あり、風俗あり、他の芸術や歴史的事件の引用あり、純愛あり。暴力描写も、従来の阿部作品のぎくしゃく感を脱し、ここでは日記という装置がうまく働いて、どんな荒唐無稽もナチュラルに迫ってくる。こうした多彩な内容の上に、「信頼できない語り手」の二転三転する自己問答が、文学理論定番の「視点の問題」を「自我の問題」込みでかぶせてしまう。ほとほとよく出来ている。素朴曖昧な「感性」を口実にしたナルシスティックな散文のいまだはびこるこの国の風土にあって、まれな知的アートとしての小説がここに屹立しているではないか。
 第三は、最後のどんでん返し(推理小説ではないから結末を明かしてもかまうまい)。映画館が焼失して、予兆を孕みつつすべてが終わったと見えたあとに、ポツンと、日記全体に対する奇妙な「感想」が付いているのである。どうやらここまでのは全部、スパイ養成私塾の紙上演習として、塾長に提出されたレポートだったらしいのだ。
この「感想」を見て、読者はもう一段白けてしまうだろうか。しょせん何も起こっていなかったのだと……。しかしオヌマはいま私塾で訓練を受けている最中であり、事件は終わったどころかこれから始まることになるわけで、より現実的な迫力が感じられもするだろう。(ちなみに「感想」は、精神科医のコメントとも読めるのが面白い。本当にそう読むと面白くないが。)
 かように、この小説は再読三読に値する仕掛けに満ちた傑作である。ただ、これが、批評界との蜜月を達成する以上の悦ばしいノイズをどれほど帯びた小説でありうるか、多少疑問には思うのだ。たしかに従来の阿部作品に比べ、現代フランス思想的トレンドへの追従は薄らいでいる。弁解がましかった作中の自己批評的言辞も、本作では「感想」という必然的仕掛けの形で設置されている。驚嘆すべき洗練度であり、こうまで露骨に批評を意識して真っ向挑んだ作者の勤直ぶりには、すがすがしい好感を禁じえない。でも、やはり逆ではないのか? どんなに戦略的にであれ、批評枠組の既成の語彙に順応せんとするよりも、枠組を訝しがらせ沈黙させつつ侵食を目論む傍若無人こそが、「純文学」の気概ではなかったか? 文学塾に優のレポートを出そうとする、これ非芸術的な停滞なのでは?
 つまるところ本作は、「批評家のための通俗小説」なのかもしれない。理論家が労せずして解釈ポイントを読み解き、饒舌を拡大再生産できるようにするための、業界の模範装置。みかけの革新性と保守的な本音との齟齬が、後戻りできない「全体主義」への道を舗装しはしないか? 私が塾長だったら、このレポート小説にそういう「感想」を与えるだろう。いや、しかしそんなことは業界の外の読者には関係ないことだ。これは一般読者にとっては第一級の「純文学」であることに間違いない。純文学最前線をスピーディーに楽しみたいという忙しい読者に、百パーセントお薦めする。
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