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三浦俊彦による書評

★ 俵万智、立松和平『新・おくのほそ道』(河出書房新社刊)

* 出典:『文藝』 2002年春号(1月)掲載


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 「おくのほそ道」の一句一句に挑んで詠まれた俵万智の一首一首。まえがきによると始めはそういう構想だったというが、「芭蕉に勝負を挑む」気負いをいったん捨てたところに、真に芭蕉的な軽みが宿った。
 「芭蕉の句と万智さんの歌の間に隙間を見つけるようにして文章を綴って」いったのは立松和平。陽明門のうぐいす笛売りや、釜を祀った塩竃神社や、芭蕉の訪れから百五十年後の大地震で海の風景が失われた象潟や、吉崎御坊の嫁威肉付面などなどに触れながら、作家本人の私的懐古もまじえつつ「言葉の中にしかない風景」を確認してゆく。
 言葉の中にしかない風景、の裏面には必ず、言葉にならない風景、が潜んでいるだろう。そこで動員されるのが視覚である。左頁すべて、そしてしばしば見開きが現地の美麗カラー写真。全体として句集であり歌集でありエッセイ集であり写真集、分類不能の美術書というべきかリラクセーション・アイテムというべきか。「おくのほそ道刊行300年記念企画」にふさわしい贅沢本だ。
 句と歌の響応はきびきび知的であるとともに、しみじみ情緒的である。

  むざむやな甲の下のきりぎりす
  兵の夢の名残の甲ありただコオロギの鳴くにまかせて

  石山の石より白し秋の風
  石山の石より白く古松の松より青く吹く秋の風


 このように端正に対応したものだけではない。対応する句のないところで

  千年の生命を生きる言葉あり苔むす石の碑に刻まれて(壺碑)

 といった歌が溢れ出たりもしている。位相を微妙にズラしながらリズムを反復する句と歌のピッチカートに、エッセイの通奏ドローンがかぶさる言葉の環境音楽。気持ちよく漂っていったら、(……アレ?)唐突に「あとがき」が。おかしいな、まだページが残ってるのに、とよく見ると、最後の40頁弱は「付録『おくのほそ道』原文」なのだった。
 付録はない方が洗練されていてよかったかな、とも感じた。原文併載によってこの本が綺麗に自己完結しすぎて、彼方へ自在に開いた「旅」の理念を薄めてしまったような。
 むろん、大古典とはいえ「おくのほそ道」を読んだことのない読者が多いであろう情報過多社会の現状に照らせば、この付録は適切な読者サービスである。杜甫や仏典を当然の予備知識として前提できた芭蕉の頃とは違うのだ。「ここに描かれた風景はほとんどすべて失われている」というあとがきの立松の言葉通り、文学的共通了解の風景の方も、芭蕉の時代に二度と戻ることはないのだろう。

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