三浦俊彦による書評

★ レイモンド・スマリヤン『シャーロック・ホームズのチェスミステリー』(毎日コミュニケーションズ・野崎昭弘訳)

* 出典:『論座』1998年9月号,pp.266-267
* シャーロッキアンも哲学ファンも楽しめる奇書


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 チェスに「逆向き解析」という珍妙なパズルがあることを御存知だろうか。私はこの本で初めて知った。
 私のコンピューターにはチェスのソフトが入っているので、仕事に疲れたときなど、対局して楽しみながらも、「日本の将棋に比べると単純で、物足りないな……」と感じていた。だが、チェスには将棋にはない、とてつもない広がりがあったのだ。その一つが、この本で紹介されている「逆向き解析」なのである。
 「逆向き解析」とは何か。簡単にいえば、詰め将棋の逆だと思ってもらえばよい。詰め将棋は、ある局面が与えられたとき、相手の王様をどうやって追いつめるべきか、という「未来の方針決定」に関わるパズルである。それに対し逆向き解析は、与えられた局面から、過去の局面を推測するというパズルなのである。
 たとえば、与えられた局面の直前の手は何だったか? そのまた一つ前の手は? 白のクイーンはどこで取られたか? 過去に一度でも「昇格」が起こったか? キングは「入城」する権利をまだ失っていないだろうか? 等々……(意味の分からない言葉がある方は、本書巻末の「チェスのルールについて」をご覧ください。ルールは極めて簡単なので、すぐに覚えられます)。
 同様に「現在を推測」するパズルも可能となる。盤上の一つの駒の位置が曖昧にずれてしまった場合、その本当の位置を当てる問題。一つの駒の色がわからなくなっていて、その色を当てる問題。あるます目に駒の代わりにコインが置かれていて、それが何の駒かを当てる問題。等々……。
 その種の問題が次々に提示され、ただ一つしかありえない解答を理詰めで、数学の証明さながら突きとめてゆく。「単純な」ゲームであるチェスならではの複雑な遊びであると言えるだろう。駒の動きが多彩で、取った駒が使えたりもする日本の将棋では、一局面からただ一通りの過去を割り出すなどという芸当はほとんど不可能だ。未来だけでなく過去に向かう対称的な演繹推理をものにするチェスは、将棋よりも論理的に洗練されたゲームなのかもしれない、などと考え始めてしまった。
 過去を推測するといえば、犯罪捜査の犯人割り出しが思い起こされるだろう。とすれば、逆向き解析の適任者はあの人をおいておるまい。そう、世界一の名探偵シャーロック・ホームズと、ワトスン。「現代のルイス・キャロル」レイモンド・スマリヤンが、この名コンビをフィーチャーして、めくるめく盤上の推理劇へわれわれを巻き込むのである。(もちろん、ホームズの宿敵モリアーティ教授も登場する。)
 ただし、スマリヤンの描くホームズは、いたずら好きのチェス愛好家の罠にはまって解答に窮し、種明かしを聞いて「ずるい!」と悔しがったりするような、かなりアメリカナイズされた好人物である。コナン・ドイルのホームズのファンは、多少違和感を感じるところもあるだろう。しかし、ワトスンの勘違いをくすくす笑いながら指摘しつつぽつりと「過去を知るには、まず未来を知らなくちゃならない」といった警句を吐く姿は、基本的には百年前とちっとも変わっていない。
 この本のこたえられない醍醐味はもう一つある。生粋の論理学者であり、哲学者である著者スマリヤンが、深遠な「哲学的パズル」をさりげなく挿入しているのである。こんなパズルだ。「キングも入城する側のルークもまだ一回も動いていない場合にのみ、キングは入城できる、というルールがある。さて、今、白のポーンが、一度も動いていない黒のルークを取って、自らは黒のルークに昇格したとする。ここで、黒のキングはそちら側に入城できるだろうか?」
 駒を物質的な対象と考えれば、ルークは動いたことになり、キングは入城できないだろう。理念的記号と考えれば、ルークは一度も動いていないことになり、キングは入城できるだろう。「駒」とは何か。これは唯名論対プラトン主義という大きな哲学的議論に繋がる、超難問なのである!
 それにしても、自分の駒をあえて敵の駒へと変え、敵の戦力を増やして敵を利するようなことをするプレイヤーがいるとは思えないではないか。ポーンが敵の駒に成るなど、実戦ではありえないパズル専用の人工的設定に過ぎないのではないか? しかしチェス史上実際に、自分のポーンを敵のナイトに昇格させることによって勝った、という試合が起こったのだという。そしてそれ以来、昇格のルールが改正されたのだそうだ。「ポーンは……同じ色の駒に昇格する」と。そのあたりの経緯も本文で説明されている(95ページ参照)。ああ、やはり勝負の世界に、哲学的曖昧さが混入することは許されなかったのだ。ちょっと淋しい気がするが、知的ゲームとはまさに人生の縮図なり、と痛感させられるではないか。
 本書の珍奇なパズルとその論証を追ってゆくのは幾分骨が折れるかもしれないが、苦労したぶん報われることは間違いない。チェス愛好家も将棋愛好家も、シャーロッキアンもパズルマニアも哲学ファンも等しく楽しめる、天下の奇書である。
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