三浦俊彦による書評

★ 伏見憲明・監修『Hの革命-QUEERなSEX事典-』(太田出版)

* 出典:『論座』1998年6月号,pp.268-269.
* 「背徳意識という影の部分をどう生かすか,殺すか」


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 九十年代は、「何でもあり」の時代である。ただし、単に価値観の多様化とか、価値基準の喪失とかいう漠然とした雰囲気として納得しあっていたのは八十年代までの話。九十年代の特徴は、この「何でもあり」的風潮を自覚的なキーワードとして制度的に登録し、ひとつの理念として対象化する中から、新世紀への出発点を模索しようとしていることだろう。「何でもあり(バーリ・トゥード)」という言葉自体は、グレイシー柔術などのアルティメット系格闘技の世界から世間に流布し始めたものだが、いまやこのノリの理念があらゆるサブカルチャーで隆盛をきわめている。
 性の文化圏も例外ではない。ゲイやSMが文化的市民権を得、「変態」「性倒錯」が「クィア」というオシャレな言葉で呼び換えられ、入れ墨も「タトゥー」になり、従来は名のない奇怪なわだかまりであった現象に「セクハラ」「ストーカー」「フェチ」「援助交際」といった公式ラベルが付くというふうに、あらゆる性的逸脱がそれなりの場所を与えられ、解釈され、認知され、無毒化されてきた。これが喜ばしいことか嘆かわしいことかは一概に決められないにしても、こと当事者同士納得ずくのプレイに限るならば、プライベートな趣味を明るく謳歌する「創造するセックス」を否定する理由はないと言えるだろう。前戯に始まり膣内挿入・射精に終わる「模倣するセックス」からの脱却というわけである。
 監修者のほか、松沢呉一をはじめとする計十二名の執筆者が、さまざまな「クィア・セックス」の秘技・奥義を伝授する本書、近年流行の鬼畜系悪趣味ムックの類とはちょっと違う。変態趣味を誇示することも恥じることもなく、こんなセックスありますよ、やり方はこうですよ、こんなのもいかがですかと、淡々とマニュアル風の記述が五十音項目別に並べられているだけなのだ。ああ、セックスってのはつくづく娯楽だなあ、コミュニケーションだなあ、愛や人生を賭けた重々しいドラマだなんて考えなくていいんだなあ……異性(同性)関係で悩める心を晴れ晴れと軽くしてくれることは間違いない。
 いくつか本書に語ってもらおう。
 フェラチオ――「一刻も早く勃起させたいと両者が思っていて、立ちの悪いペニスは口での愛撫を蔑ろにされているのではないか。……萎えているからこそ舌で転がし、亀頭を飲み込んで、陰茎を喉で潰し、根元を歯でせせり上げる、自在に楽しいことが出来るのだ。……」
 フィスト・ファック――「誤解され易いのが、握り拳をそのまま挿入させるという勘違いです。指は伸ばして揃え、ドリル状に先を細く窄めます。……手首まで入ったら、内壁を傷つけぬ様に、ゆっくりと指を折り曲げます。握り拳が出来ましたら、無理しない程度に深く挿入し、腕を捩じってみましょう。……」
 顔面シャワー――「精液飛沫が目に飛び込むことにより、強烈な痛みを生ずる。殊にコンタクト・レンズ使用者の場合、蛋白質付着による洗浄の手間も馬鹿にならない。……射精する瞬間を目撃すべきか、飛沫侵入に備え、瞼を閉じるべきか……その双方を満たす為、発射方向の制御を是非とも体得し、視覚、嗅覚、触覚の三者を満喫させて頂きたいものである。……」
 レザー――「革製品は非常に高価。……代替品として、比較的お手軽に購入できるラバー素材をおすすめします。ゴムはムレにムレるうえべったりと皮膚にからみつくため夏場などは地獄となりますが、奴隷役にはかえってその点が好評。「女王様はレザー、下僕はラバー」と確信犯的に差をつけることでおたがいのポジションの色分けが明確になり、プレイそのものの味わいが増します。……」
 ざっとこんな感じ。だが、こう何でもかんでもあっけらかんと、明るくどうぞどうぞと勧められてしまうと、逆に落胆する読者もいるかもしれない。コスプレやフケ専やスカトロジーが「変態性欲」と忌み嫌われた古き良き時代のいかがわしい快楽が薄れてしまうではないか、と。そういう人には「ホモフォビア」の項を――
 「ゲイ雑誌の通信欄などでも、「オネエはお断り」「ホモっぽい人は駄目です」「ふつうっぽい人募集」など、無自覚にホモフォビアが顕われた表現がたくさん出てきます。これらは、自分自身の本当の姿を見たくないという自己否定的な感情が、相手に投影されたものと言えるでしょう。……ベッドの中で、「へへへ、このホモ野郎、これからたっぷり犯ってやるかな~」などと言われれば、ちょっとマゾの入ったゲイなら思わず「犯って犯って」と叫んでしまうことはあるでしょう。……差別構造の中で生じてくるホモフォビックなファンタジーでさえ、快楽に活用できるしたたかさがあってこそ、本物と言えます。……」
 例外者意識・背徳意識という影の部分をどう生かすか、殺すか。価値観・趣味の多様化が常識となった時代には、快楽ひとつ満足させるのも、一通りに簡単に決まる問題ではなくなっているようだ。軽い本だが、そんな重いことも考えさせられる。
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