三浦俊彦 - エッセイ索引

三浦俊彦「ドラッグ時代のフェアプレイ」

* 出典:『すばる』1994年7月号,pp.284-285.


 今年(1994年)の全日本柔道選手権(四月二九日)は、本命・小川直也の六連覇が阻まれ、エキサイティングな展開となった。小川を止めたのはバルセロナ五輪78キロ級金メダルの吉田秀彦。中量級が重量級王者を破った準決勝はここ数年で最も観衆の沸いた試合だった。僕はテレビで見ていて、攻勢点は吉田、有効打は小川で結局小川勝ちと思ったが、副審の旗が赤白分れたあと主審の手は吉田に上がった。試合後小川は「マジかよ」と不服を述べ、吉田は「負けたと思った」と言ってたらしい。国際試合のように審判三人同時に旗を上げる方式だったら、もしかして小川が勝ったかもしれない。後から主審が手を上げる方法は、副審の一人に気兼ねして主審判定が左右されがちなので国際試合ではやめになっている。あの試合も微妙だっただけに、同時判定方式なら主審は無難をとって小川勝ちとしたが、副審の旗が分れたのを見て安心して吉田に手を上げた、ということはなかったろうか。山下泰裕の九連覇を追う小川の記録も楽しみだが、それ以上に何といっても、小さな吉田が勝つ方が大会が盛り上がるに決まっているのだから。
 国際ルールとの絡みで問題なのはその後の決勝戦である。小川に勝った以上吉田には優勝してほしかったが、開始から吉田は技をかけ続け、こりゃあいいぞと見ていたら二分過ぎ、金野にかにぱさみの奇襲が出て、吉田は尻もちをつく。その後も吉田は技を続けたが、七分頃に金野のわき固め、吉田はふりほどいたが場外でしぱらくうずくまる負傷。だが根性で続行し、結局両者ポイントなし、技数で優る吉田と有効打の金野、副審の旗は二本揃って金野だった。わき固めのダメージが本来なら試合棄権でもおかしくないほどだったので、判定はまあ妥当である。過去二度決勝に進出しながら二度とも小川に敗れ「もう二位はごめんです、反則以外どんな手を使っても勝ちたかった」という金野の執念の勝利だろう。
 で何が問題かというと、金野の出したただ二つの技、かにぱさみとわき固めだ。どちらも確かに反則ではないが、かにばさみは負傷を生じやすい危険技なので国際試合ではだいぶ前に禁止となっている。わき固めは体勢次第で反則を取られるこれまた微妙な技。つまりどちらも、世界の舞台では通用しがたい技なのだ。吉田が内またや背負い投げという正統的な技で戦ったのに対し、大きな金野が国際試合で使えぬ奇襲に頼ったというのは、見ていてなんというか、勝ちたい気持ちはわかるがもっと重量級の誇りを見せてほしかったというか、青い言葉でいえぱフェアプレイですね、それを見せてほしかった。世界選手権やオリンピックで使える技でなければ日本一になっても発展性は乏しいと思うのだし。
 フェアプレイといえば確か今年の全日本柔道は、初めてドーピング検査が行なわれた大会と聞いた。ドラッグか。スポーツ以外ではどうなのだろう。将棋や囲碁のタイトル戦で、頭脳を明断にするために覚醒剤を使ったらもちろんタイトル以前に違法ということになるだろうが、アルコールやラッシュや昇圧剤なら禁止されてないはずだ。名人戦でドーピング検査なんて聞いたことないし。
 いや、もっと自由なのは文芸やアートの世界ですね。ウィリアム・バロウズがLSDを使って傑作を書こうが、ロックミュージシャンがマリファナ吸って素晴らしいメロディを奏でようが、彼らの作品を発禁とか、そういうのはあまり聞いたことがない。百メートル一位が筋肉増強剤使用と判明すれば金メダル剥奪だけど、幻覚剤使用が判明したからといってノーベル文学賞剥奪、とはならないだろう。いや聖俗清濁の極みを登り詰めたノーベル文学賞なんかはともかく、少なくとも新人はピュアでなけれぱならないから、今年から芥川賞選考にドーピング検査導入。悪食による悪夢から不当なヒントを得たりしてもいけないから執筆レース中は就寝前のアルコールとニコチンは厳禁。なんてことも、今後社会がいかに衛生的になっていこうが、絶対起こらないだろうな。芸術やるには、どんな手段を使っても、人殺し体験を題材にしてすら、作品としては認められるのだ。
 科学だってそうだな。相対性理論発見がコカイン吸飲の成果だったと歴史家が考証したとしても、アインシュタイン氏の功績は揺るぎようがないだろう。
 スポーツ競技ではドラッグは禁じられるが、芸術や科学の評価では問題にならない。これはなぜか。教室で学生に質問してみたことがある。これには一応合理的な答えがある(読者の皆さん考えてみて下さい)。でも絶対合理的という答えはないと思うのだ。女子体操選手などの骨格擦り削る幼少からのハードトレーニング、陸上競技の専用シューズ開発競争など見れば、スポーツはナチュラルに、健康的に、フェアになんて幻想はもはや誰も信じていないことは明らかだ。健康、公正といった価値観を超えているのは学芸だけではない。優れたものが勝つ。スポーツの掟も本来そうあるべきだろう。筋肉増強剤だって、大量に飲みさえすれば比例して速く走れるというわけじゃあるまい。医師とトレーナーと本人の息の合った計算が必要だ。つまりドラッグも、さまざまなトレーニング装置や減量テクニックと同じく、高度な調整技術の一環なのだ。違反であるにもかかわらず検査に引っ掛らない方法(自己血液注入法など)がいくつもある現状、もうスッキリ決めちゃった方がどれほどせいせいすることか。何を飲もうが注射を何本打とうがとにかく速く走った奴、重いものを持ち上げた奴が勝ちと。
 なのに全日本を見ていてフェアプレイなんて言葉が気になってしまったのは、やっぱり僕が打ち込んだことのある唯一のスポーツだからだろうな、柔道が。