三浦俊彦による書評

★ 加藤尚武『戦争倫理学』(ちくま新書)

* 出典:『読売新聞』2003年3月30日掲載


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 どうも不思議だ。不可解だ。
 このそっけない、遊び心一つない本、たいへん面白いのである。
 もちろん、これだけ基本論点がコンパクトに詰まっていれば、戦争の歴史を超特急でおさらいできた快感に浸れるのも当然といえば当然だろう。「戦争=祝祭」論、カントの永久平和論、ロールズの原爆投下批判、東京裁判、パリ不戦条約、国連憲章、日本国憲法九条、消極的平和と積極的平和……ありとあらゆる戦争関連トピックが、九・一一直後に著者が発した反戦メイルを織り込みつつ論じられる。とくに、戦争倫理学の枠組みとされる「戦争目的規制と戦争経過規制の区別」など、聞いたことのない人が大半だろう。だから本書の読者が、教養特有の滋養により充実感を得るのは当然である。
 しかし、何か違う。なにやら倒錯したパワーが供給されている。どこから? おそらくは、現実の戦争から。そもそも戦争が本当に「教養」に過ぎないものとなるのはいつの日なのだろうか。これだけ多くの真剣な戦争論が紡がれてきた人類史でありながら、いざ超大国がその気になりさえすればすべてチャラ、新戦争への新考察が未来の「戦争倫理学」の一章に付け加わるのみだろう、といった達観が、逆説的な感動として読後に混入してきてしまうのだ。
 事実、本書に登場する歴代の戦争論や国際法が、他の戦争論の成果とは独立に、そのつど芸術作品なみに新規作成されてきたかのような目眩に襲われる。これは、本書が緊密な構成を持たない評論集であるための印象ばかりとも言えまい。たえず更新される現実を映し出す、文化財としての新型戦争、最も切実な思索の糧となりうる現在進行形の戦争を、文化的知性こそが常に暗に要求しているのではないか、そんな疑いが濃く兆すのだ。これはもちろん、教養書としてはともかく、反戦の書としての本書の趣旨からすると全く皮肉な効果なのだけれども。

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