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(書きたいテーマ・出したい本)
三浦俊彦「哲学者の機知と怒り」
『出版ニュース』1996年9月中旬号、p.30


 四方田犬彦の『空想旅行の修辞学』(七月堂)が各紙誌で評判だ。ガリヴァー旅行記の底抜けの哄笑と深い人間洞察の二重価値性を明るみに出した意欲作。この本、四方田氏が修士論文を一八年間寝かせたたあと、ほぼ原文のまま上梓したものだという。
 実は四方田氏は僕の先輩で、僕も同じ東大比較文学比較文化大学院に11年前修士論文を提出している。だから四方田論文の好評には突き動かされるものを感じた。僕の論文は『哲学者の機知と怒り−バートランド・ラッセルと世界−』だった英文要旨。分量は四方田論文とほぼ同じ六百数十枚。大英帝国とアイルランドヘの愛憎に揺れたスウィフトとは対照的にラッセルは生粋のイギリス貴族、いわゆる辺境的アンビバレンツと無縁の一本気ヒューマニストと思われがちな偉人である。しかしこれが全然違う。スウィフト的な厭世観の陰翳はないが、論理と情念、機知と怒り、栄誉と反逆、愛国と普遍主義といった諸矛盾が絡まりあって、ラッセルという現象を、二〇世紀西欧の強烈かつ逆説的な自己批判の実例たらしめているのだ。そのラッセルが大正一〇年に来日したときの騒動、第一次・第二次世界大戦への反応、反核運動におけるめまぐるしい変節などを記述する上で、僕はラッセルを二〇世紀のドン・キホーテ及びファウストとして捉えた。無私の聖人騎士と利己的な吸血鬼博士とは、ともに自己と世界の関係に過剰反応する道化、しかも正反対の道化の二大類型なのだ。
 ラッセル道化説は、決してかの哲学者を嘲笑する説ではない。むしろ偉大なる思想家を道化たらしめたこの核時代の論理構造を痛烈に批判するものとなるはずである。冷戦が昔話となった今だからこそ、核時代の聖人道化の評伝が大きな意味を持ってくるのではないだろうか。七年以内にはなんとか出版にこぎつけて、スウィフトとラッセルという相異なる風刺精神の比較など、あわよくば四方田論文と並べ評されるようになればなあ、と空想している。