電子掲示板(過去ログ 2018年 1-6月分)
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Re: 原文は大丈夫のようです Re: シェリルの誕生日 投稿者:φ 投稿日:2018年 6月30日(土)02時59分57秒 返信・引用
> No.5150[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
> の両箇所の「だけ」について、
> 英文のほうにそれに類する言葉がないので、
> また、2文字ということから、怪しいと思っております。
> ただ、結果が変わるのかというところが説明できません…
>
そうですね。第一の「だけ」を削除すれば(ふたつめの「だけ」は放置でもOK)、7月16日に正解が限定されます。
代替戦略としては、
ある動詞を一ヶ所、別の動詞に置き換える、というのでもOK。
動詞は「教える」「わかる」「知る」しかありませんから絞られていますね。
そう、tellを「告げる」or「語る」と訳せば、やはり7月16日に正解が限定されます。
どっちか一方の戦略で十分です。(「だけ」の削除の方が「正しい訳」も確保できてベターですが)
Re: 原文は大丈夫のようです Re: シェリルの誕生日 投稿者:Ted 投稿日:2018年 6月29日(金)23時51分18秒 返信・引用
> No.5149[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> その後シェリルは、アルバートには何月かを、バーナードには何日かだけを、別々に
> こっそり教えます。
> アルバート:「僕はシェリルの誕生日がいつかわらかないんだけど、君もしらないって
> ことだけはわかる」
の両箇所の「だけ」について、
英文のほうにそれに類する言葉がないので、
また、2文字ということから、怪しいと思っております。
ただ、結果が変わるのかというところが説明できません…
どういうロジックになるのでしょうか…
Re: 原文は大丈夫のようです Re: シェリルの誕生日 投稿者:φ 投稿日:2018年 6月27日(水)02時34分56秒 返信・引用
> No.5148[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
> アルバート自身は候補が3つあるので、わからない。
> バーナード自身としては、16日が与えられているので、確かにわからない。
> ただ、アルバートの推測として、
> バーナードが19日を得ている可能性があるということは否定できないと、一見しては、
> 思えます。
> アルバートは
> 「バーナードが仮に19日であっても、バーナードは日付を特定できないはず」
> と妥当な推論と思えたのか、考えているんですが、現状、わかりません。
>
> それとも、例えばシェリルからの通達部分で既に、おかしいのか…
> 後は、感覚になりますが、「だけ」という用語が何かおかしいような気もするが…
その調子だと、私と同じ推論にまもなく辿り着くのではないかと思います。
いずれにしても、忠実な訳になっていないところを探して、
五月十六日が排除できないということを考え併せれば、
すぐに合流しそうですね!
Re: 原文は大丈夫のようです Re: シェリルの誕生日 投稿者:Ted 投稿日:2018年 6月26日(火)15時52分20秒 返信・引用
> No.5142[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 英語原文では、正解は「7月16日」で唯一に決まりますね。
> 翻訳に問題ありでした。
> (しかしわかりやすく訳そうとしたらああなるのも無理ないのだが・・・・・・)
>
> というわけで、英文和訳の問題になってしまいました!
なるほどですね。
5月16日が通るとすると、
> 5月15日、5月16日、5月19日
> 6月17日、6月18日
> 7月14日、7月16日
> 8月14日、8月15日、8月17日
>
> その後シェリルは、アルバートには何月かを、バーナードには何日かだけを、別々に
> こっそり教えます。
この時点で、
アルバート→5月
バーナード→16日 を知っているとなる。
>
> アルバート:「僕はシェリルの誕生日がいつかわらかないんだけど、君もしらないって
> ことだけはわかる」
アルバート自身は候補が3つあるので、わからない。
バーナード自身としては、16日が与えられているので、確かにわからない。
ただ、アルバートの推測として、
バーナードが19日を得ている可能性があるということは否定できないと、一見しては、
思えます。
アルバートは
「バーナードが仮に19日であっても、バーナードは日付を特定できないはず」
と妥当な推論と思えたのか、考えているんですが、現状、わかりません。
それとも、例えばシェリルからの通達部分で既に、おかしいのか…
後は、感覚になりますが、「だけ」という用語が何かおかしいような気もするが…
現状、このような途中経過です。
Re: 原文は大丈夫のようです Re: シェリルの誕生日 投稿者:φ 投稿日:2018年 6月24日(日)15時26分41秒 返信・引用
> No.5146[元記事へ]
KOTAさんへのお返事です。
>
> この問題では、二人の会話からアルバートもバーナードもシェリルに出された問題が解けたという前提があるので逆に
> ・シェリルがアルバートに「月」だけを教えたことをバーナードは知っている。
> ・シェリルがバーナードに「日付」だけを教えたことをアルバートは知っている。
> という大前提も導けるということですね。
> ありがとうございました。
>
そういうことですね。
五十組の夫婦の村の問題でも、
「そこでこの村はどうなるか」
という問いではなく、
「50日目に、50人の妻はそれぞれの夫を殺した。なぜだろうか」
という問いであれば、
解答者は「問題文には明記されていないが、「村の女はみな、『村の女はみな、自分の夫以外の男が不貞をはたらけば、即座にそれがわかる。』ということを知っている」んだな」と推測できるし、推測せねばならないわけです。
で、誕生日の問題ですが、
そのような推測は解答者にまかせる、ということ自体は欠陥ではなく、
別の欠陥がある、と私は言いたいわけです。
ただし、英語原文にはその欠陥はありません。
日本語訳で「7月16日」を唯一の正解とするには、次の2つの措置のいずれかが必要です。
(一方だけで十分)
1 2文字削除。(誤訳訂正)
2 ある動詞を別の動詞に置き換える。(正しい訳語の再選択)
Re: 原文は大丈夫のようです Re: シェリルの誕生日 投稿者:KOTA 投稿日:2018年 6月24日(日)06時41分50秒 返信・引用
> No.5145[元記事へ]
φさんへのお返事です。
この問題では、二人の会話からアルバートもバーナードもシェリルに出された問題が解けたという前提があるので逆に
・シェリルがアルバートに「月」だけを教えたことをバーナードは知っている。
・シェリルがバーナードに「日付」だけを教えたことをアルバートは知っている。
という大前提も導けるということですね。
ありがとうございました。
Re: 原文は大丈夫のようです Re: シェリルの誕生日 投稿者:φ 投稿日:2018年 6月24日(日)00時54分21秒 返信・引用
> No.5144[元記事へ]
KOTAさんへのお返事です。
> φさんへのお返事です。
>
>
> お世話になります。
> 以前、「50組の夫婦が住む村」という問題では、問題文に条件が不足していると教えていただきました。
> 今回の問題では問題文から演繹できる(暗黙知)とのこと。
> では、「50組の夫婦が住む村」では、何故暗黙知が認められないのでしょうか?
> 心理的動機では足りませんか?
>
事情は全然違います。
「50組の夫婦が住む村」では、「これからどうなるか」が問われています。
心理的動機がどうであるか、特定される記述がないと答えようがありません。
https://8044.teacup.com/miurat/bbs/4777
↑問題文だけの条件だと、
「初めからわかっていたことを宣言されただけだから、何も起こらずに終わる」が正解でありえます。
今回の誕生日の問題は、「これからどうなるか」という問題ではなく、
「どうなったか」が記述されているので、心理的動機が絞られ、書かれていない設定が推測できるようになっています。
ですから、全然違います。
Re: 原文は大丈夫のようです Re: シェリルの誕生日 投稿者:KOTA 投稿日:2018年 6月23日(土)20時57分16秒 返信・引用
> No.5143[元記事へ]
φさんへのお返事です。
お世話になります。
以前、「50組の夫婦が住む村」という問題では、問題文に条件が不足していると教えていただきました。
今回の問題では問題文から演繹できる(暗黙知)とのこと。
では、「50組の夫婦が住む村」では、何故暗黙知が認められないのでしょうか?
心理的動機では足りませんか?
Re: 原文は大丈夫のようです Re: シェリルの誕生日 投稿者:φ 投稿日:2018年 6月23日(土)12時39分51秒 返信・引用
> No.5142[元記事へ]
φさんへのお返事です。
>
> この種の問題の常として、
> アルバートとバーナードはシェリルが二人に何を教えたかは認識している
> と想定すべきでしょう。
> そのことは文面に明示されていませんが、私が「不備」というのはそのことではありません。
> (そこまで突っ込むのは酷なので)
>
ちょっと言葉足らずだったので補足しますが、
「この種の問題の常として、アルバートとバーナードはシェリルが二人に何を教えたかは認識していると想定すべき」
であるのは、もし認識していないとすると、
アルバートもバーナードもあのような一連のセリフを発する心理的動機がなくなってしまうからです。
セリフの存在そのものが、暗黙に、アルバートとバーナードの知識を含意しているわけです。
原文は大丈夫のようです Re: シェリルの誕生日 投稿者:φ 投稿日:2018年 6月23日(土)12時20分30秒 返信・引用
> No.5141[元記事へ]
KOTAさんへ
この種の問題の常として、
アルバートとバーナードはシェリルが二人に何を教えたかは認識している
と想定すべきでしょう。
そのことは文面に明示されていませんが、私が「不備」というのはそのことではありません。
(そこまで突っ込むのは酷なので)
Tedさんへ
>
> φさんの想定されている不備ですが、その英文原本でも発生していますでしょうか?
>
英語原文では、正解は「7月16日」で唯一に決まりますね。
翻訳に問題ありでした。
(しかしわかりやすく訳そうとしたらああなるのも無理ないのだが・・・・・・)
というわけで、英文和訳の問題になってしまいました!
Re: シェリルの誕生日 投稿者:KOTA 投稿日:2018年 6月23日(土)10時52分15秒 返信・引用
> No.5140[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
こんにちは
横入りですみませんがちょっと教えてください。
この問題の前提ですが、
・シェリルがアルバートに「月」だけを教えたことをバーナードは知らない。
・シェリルがバーナードに「日付」だけを教えたことをアルバートは知らない。
ということでよいのでしょうか?
Re: シェリルの誕生日 投稿者:Ted 投稿日:2018年 6月23日(土)10時39分44秒 返信・引用
> No.5139[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 論理的に「7月16日」を唯一の正解とし、【もう一つの正解】を否定するには、問題文を書き換えなければなりませんね。
> さて、その書き換えとは?
> (ヒント1: 問題文の中の2文字を削除するだけで、必要な書き換えは完了します!)
> (ヒント2: 書き換えなかった場合、【正解】は、5月16日または7月16日となります)
なるほど!
正解は7月16日と紹介されているサイトが多いですね(私もそうかと思っています)
不備については、考えてみます。
一点、補足として、
もしかすると私のコピペミスがあったり、
元にしたサイトの選択がいけなかったのかもしれません。
(転記されているサイトによって微妙に言葉尻が違いましたので…)
もともとの英文の問題は以下のようで、
https://www.theguardian.com/science/alexs-adventures-in-numberland/2015/
それを最初にとりあげた日本語サイトがこれのようです。
https://www.gizmodo.jp/2015/04/post_16949.html
φさんの想定されている不備ですが、その英文原本でも発生していますでしょうか?
(ここにきて、この件でも、
また外国語解釈の問題になってしまうのかもしれませんが…)
Re: シェリルの誕生日 投稿者:φ 投稿日:2018年 6月23日(土)02時24分44秒 返信・引用
> No.5138[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
> 5月15日、5月16日、5月19日
> 6月17日、6月18日
> 7月14日、7月16日
> 8月14日、8月15日、8月17日
>
> その後シェリルは、アルバートには何月かを、バーナードには何日かだけを、別々に
> こっそり教えます。
>
> アルバート:「僕はシェリルの誕生日がいつかわらかないんだけど、君もしらないって
> ことだけはわかる」
>
> バーナード:「僕、最初はシェリルの誕生日がいつかわからなかったんだけど、今ので
> もうわかったよ」
>
> アルバート:「あ、じゃあ、僕もわかったよ」
>
この問題、不備だと思いますが・・・・・・
このままだと、正解が2つ存在するのでは?と思います。
とくに子どもは問題文を素直に読みますから、文字通りにとった場合、この問題には唯一の正解は存在しないのでは・・・・・・?
正解をただ一つだけにするには、問題文の中のある部分を書き換えなければなりません!
ちなみに、「その書き換え」をこっそり行なったうえで、その条件のもとで解答してみましょう。
・・・・・・・・・・・・
バーナードがもし18日と言われたか、19日と言われたならば、月日が一つに決まってしまい、わかってしまう。アルバートはそのように推測できる。よって、アルバートが「バーナードには誕生日がわからない」とわかったということは、18日か19日が言われる可能性のない7月か8月がアルバートに教えられた月であるはずだ。
しかもそう告げられた瞬間、バーナードには誕生日がわかったので、7月8月の中に複数候補の残っている14日がバーナードの教えられた日であるはずはない。
よって、7月16日、8月15日、8月17日に絞られる。そのことがアルバートにはわかった。
そしてアルバートにとっても月日を一つだけに絞ることができたということは、候補が一つだけ残っている7月とアルバートは言われていたはずである。
結論、誕生日は、7月16日。
・・・・・・・・・・・・
↑多分これが「正解」なんでしょうね。
しかし子どもに対して、この推論を求めるのは理不尽でしょう。いや、大人に対しても。
論理的に「7月16日」を唯一の正解とし、【もう一つの正解】を否定するには、問題文を書き換えなければなりませんね。
さて、その書き換えとは?
(ヒント1: 問題文の中の2文字を削除するだけで、必要な書き換えは完了します!)
(ヒント2: 書き換えなかった場合、【正解】は、5月16日または7月16日となります)
ただし、私が勘違いしている可能性もあります。
この問題がこのままの文面でOKかどうか、もう少し考えてみます。
Re: シェリルの誕生日 投稿者:Ted 投稿日:2018年 6月22日(金)02時36分31秒 返信・引用
> No.5137[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
問題文がこっちのほうが流れとして分かりやすかったので、
張りなおします。※内容は同じですが…
ーーー
アルバートとバーナードは、シェリルと友達になったばかりです。
シェリルの誕生日を2人は聞きましたが、彼女は10の日にちを候補としてあげました。
5月15日、5月16日、5月19日
6月17日、6月18日
7月14日、7月16日
8月14日、8月15日、8月17日
その後シェリルは、アルバートには何月かを、バーナードには何日かだけを、別々に
こっそり教えます。
アルバート:「僕はシェリルの誕生日がいつかわらかないんだけど、君もしらないって
ことだけはわかる」
バーナード:「僕、最初はシェリルの誕生日がいつかわからなかったんだけど、今ので
もうわかったよ」
アルバート:「あ、じゃあ、僕もわかったよ」
さて、シェリルの誕生日はいつでしょう?
ーーー
シェリルの誕生日 投稿者:Ted 投稿日:2018年 6月22日(金)02時21分31秒 返信・引用
こんにちは。
不勉強ながら、つい最近知ったのですが、
「シンガポール&アジアの数学オリンピック(SASMO)により14-15歳向け出題」
にあったらしい下記問題が、一時期話題になっていたそうです。
※すでにご存じかも、あるいは、書籍にとりあげられているかもですが…
ーーー
アルバートとバーナードは、シェリルと友達になったばかりです。シェリルの誕生日を2人は聞きましたが、彼女は10の日にちを候補としてあげました。
5月15日、5月16日、5月19日
6月17日、6月18日
7月14日、7月16日
8月14日、8月15日、8月17日
それから、シェリルは、アルバートに「月」だけを、バーナードに「日付」だけをそれぞれ教えました。
アルバート「僕はシェリルの誕生日を知らないけど、バーナードも知らないよ」
バーナード「僕はシェリルの誕生日を知らなかったけど、今は知っているよ」
アルバート「それなら僕もいつだか知っているよ」
シェリルの誕生日はいつでしょうか?
ーーー
という問題です。※検索するとすぐに答えも出てきます。
こういう問題ですと、数学の用語定義を知っている/知っていないではなく、
論理的に考えていく感じですね…
Re: ハルヒEEの感想 投稿者:mtosy 投稿日:2018年 6月18日(月)11時13分1秒 返信・引用
> No.5127[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> mtosyさんへのお返事です。
>
> マンガより、原作小説がお薦めですが、お読みになったでしょうか。
未だです。
(昨日スマホから丁寧に2回レスしたつもりが反映されていませんでした。
そのため、詳細は略します。)
Re: ハルヒEEの感想 投稿者:mtosy 投稿日:2018年 6月18日(月)11時11分8秒 返信・引用
φさんへのお返事です。
> >
> > 朝比奈未来なるキャラクターは知りませんでした。
> > ご教示ありがとうございます。
>
> 調べたところ、正しくは
> 「朝日奈みらい」のようですね。
原典あたらないとだめですね。
お手数おかけしました。
公式サイト:
『魔法つかいプリキュア!』
「朝日奈みらい(キュアミラクル)」
http://lineup.toei-anim.co.jp/ja/tv/mahotsukai_precure/character/
Wikipedia:
https://ja.wikipedia.org/wiki/
Re: エルザ・フォン・フライターク=ローリングホーフェン 投稿者:国語 投稿日:2018年 6月18日(月)07時06分10秒 返信・引用
> No.5133[元記事へ]
> 作者認定も。
作者は、便器工場の人ですものね。了解。さすがですね。それでは。
Re: エルザ・フォン・フライターク=ローリングホーフェン 投稿者:φ 投稿日:2018年 6月18日(月)04時37分32秒 返信・引用
> No.5132[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
変わらないでしょう。評価だけでなく、作者認定も。
エルザ・フォン・フライターク=ローリングホーフェン 投稿者:国語 投稿日:2018年 6月17日(日)08時11分45秒 返信・引用
…だとしたら、評価変わりますか?変わりませんか?
ちょっと知りたい。
Re: エンドレスエイトの驚愕@ゲンロンカフェ 投稿者:φ 投稿日:2018年 6月17日(日)04時04分9秒 返信・引用
> No.5129[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
英語では、たとえば 15と26について「どちらも素数ではないが互いに素数」という言い方をするわけですから(日本語だと「互いに素」と言い分けるが)、「素数」の相対的発想が出やすいと思われます。
けっこう数学の発想力も、母国語が影響するのではないでしょうか。
>
> 「終末論法」が偽であるなら、上記の「UN++」思考実験も偽になってしまいますよね?
> 終末論法に比べ、より能動的に人間原理を使っているなとは思い、SF的考え方としては結構好きですが、
> 設定からフィクション感が高いとは思います…
>
「UN++」と同じ思考実験で、「アダムとイブ」もありましたね。
獲物が捕まえられないかったらその場合に限りセックスして子どもを増やそう、というやつです。
それによって、獲物が捕まえられる確率が上がる、と。
この思考実験については『論理サバイバル』問103で論じました。
そこに書いたことを補足すると、
「膨大な人々の祖先となる」という低確率の性質は、ランダムに選ばれた性質ではないため、
「UN++」も「アダムとイブ」も、出来事の確率にいささかも影響を与えることはできないと考えられます。
現場で当人が決意して実現を選ぶ性質ですからね。
対して、終末論法における出生順という性質は、推論者当人が決める性質ではないので、いちおうランダムな性質として議論されていると言えるでしょう。
Re: エンドレスエイトの驚愕@ゲンロンカフェ 投稿者:Ted 投稿日:2018年 6月16日(土)11時03分35秒 返信・引用
> No.5129[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
> また、
> これが真であれば、終末論法に対する対抗策として、現時点でも国連や中国、アメリカやグーグルが、
> 「2100年までにスペースコロニーを大量建造し、総人口を10兆人まで増やす」という計画を立てれば、それだけで、
> 人類滅亡の事後確率を下げられることになるように思いますが…
自己訂正です。すみません、
上記個所は、人類滅亡への事後確率を下げていることにはならないですね。
(逆に今生きている事実から、
そのスペースコロニー計画は現実化しない確率が高いとなってしまいますね…)
Re: エンドレスエイトの驚愕@ゲンロンカフェ 投稿者:Ted 投稿日:2018年 6月16日(土)09時50分58秒 返信・引用
> No.5119[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 日本語では「素数」「互いに素」などと言葉を分けてますが、
> 英語だと名詞も関係語もprimeですね。つまり日本語におけるより「素数」概念を一般化しやすいのではないでしょうか。
>
> メタ言語によって対象言語が影響され、概念の運用が異なってくる、という事情は、結構ばかにならない波及効果があるような気がします。
ご返事ありがとうございます。確かにですね…
少し話が変わってしまいますが、
もうすぐ、「スーパーインテリジェンス」の朝日カルチャー講座ですね。
著者ボストロムの「ANTHROPIC BIAS」について、かなり端折りながら、
目を通しておりました。
邦訳が無く、英語ということもあり、理解が危うい箇所もあると思いますが、
「THE UN++」と言うパラドックスサンプルについて、私的には印象深かったように思いました。
ほぼグーグル翻訳のままですが、
ーーー
それは2100年A.D.です。技術進歩は形成を可能にしました
国連++による全面的かつ非常に安定した世界政府の行動を決めることは確実である。
悪いニュースフラッシュ:兆候が検出された一連のn
暴力的なガンマ線の破裂は、不快に近いところで起こりそうです
人間の居住地を傷つける(しかし、完全には破壊しない)ことを脅かしている。
この一連の仮説的なガンマ線バーストごとに、天文学
観察は90%の確率で起こります。 UN ++は
次の解決策に合格する:それは仮想のリストを作成する
ガンマ線バーストであり、このリストの各エントリについては、バーストが発生した場合、
より多くのスペースコロニーを構築して、これまでにm人で住んでいた人間の総数を増加させると判断する。
これまでの思考実験に類似した議論によって、UN ++は、mがnと比べて十分に大きい場合、
ガンマ線バーストは起こらないと確信することができる。
ーーー
(ニック・ボストロム 「ANTHROPIC BIAS」より、翻訳引用)
この話の理解としては、
例えば、「今後総人口が緩やかに増えていき、2100年の総人口が100億人の時に、
ガンマ線バーストAが90パーセントの確率で大被害を及ぼし、
人口が1億人になってしまう可能性が高いということが分かった」
としたときに、
「対抗計画Aとして、ガンマ線バーストの想定が現実のものとなって、1億人に人口が減ってしまったら、
スペースコロニーを大量建造し、総人口を10兆人まで増やすということを設定し、実行する」
と決めておきさえすれば、
(もちろん、技術的な裏付けが確実に取れ、且つ、UN++の計画実行能力は100パーセントあるとして)
その計画立案時に生きている人の思考としては、
「もし、未来においてガンマ線バーストAが起こっていれば、
対抗計画Aが実施され、人口は10兆人に増えているはずだ。
仮にこれまで人類が2000億人累積で生まれていたとしても、
対抗計画Aが発動・実行されていた後の世界のほうが、圧倒的に人類の数が多くなるので、
私はそちら側(計画A実行以降)に生まれているほうが平凡(普通)なはずだ。
現実として、私は計画A実行前に生きている。
よって、ガンマ線バーストAの被害はない可能性のほうが圧倒的に高いはずだ。
対抗計画Aを立てていなかったり、内容が「総人口を元の100憶人に戻す」という内容であったりしたときに
比べ、計画Aを立てたおかげで、事前確率90%が激減した!」となる。
という風にとらえました。(もしかすると、読みとして誤っているかもしれませんが…)
「終末論法」が偽であるなら、上記の「UN++」思考実験も偽になってしまいますよね?
終末論法に比べ、より能動的に人間原理を使っているなとは思い、SF的考え方としては結構好きですが、
設定からフィクション感が高いとは思います…
また、
これが真であれば、終末論法に対する対抗策として、現時点でも国連や中国、アメリカやグーグルが、
「2100年までにスペースコロニーを大量建造し、総人口を10兆人まで増やす」という計画を立てれば、それだけで、
人類滅亡の事後確率を下げられることになるように思いますが…
Re: ハルヒEEの感想 投稿者:φ 投稿日:2018年 6月16日(土)06時21分31秒 返信・引用
> No.5127[元記事へ]
>
> 朝比奈未来なるキャラクターは知りませんでした。
> ご教示ありがとうございます。
調べたところ、正しくは
「朝日奈みらい」のようですね。
Re: ハルヒEEの感想 投稿者:φ 投稿日:2018年 6月16日(土)05時55分18秒 返信・引用
> No.5126[元記事へ]
mtosyさんへのお返事です。
マンガより、原作小説がお薦めですが、お読みになったでしょうか。
朝比奈未来なるキャラクターは知りませんでした。
ご教示ありがとうございます。
Re: ハルヒEEの感想 投稿者:mtosy 投稿日:2018年 6月15日(金)09時38分16秒 返信・引用
> No.5123[元記事へ]
mtosyさんへのお返事です。
> mtosyさんへのお返事です。
>
> 補足です。
ここから、さらに補足です。
1.マンガを途中まで読んでから、アニメのEEのIを視聴しましたが、
主人公ハルヒの声はまったく違和感がなかったです。
※個人の感想です。
2.クレジット(?)をみると、団長代理と団長補佐があるみたいですね。
制作会社でもそういう関係?
3.終わりの音楽はたまに頭の中で回ってしまいました。
これだけ繰り返されると自然と・・・。
とりあえず、ここまで。
Re: ハルヒEEの感想 投稿者:mtosy 投稿日:2018年 6月15日(金)09時36分17秒 返信・引用
φさんへのお返事です。
> mtosyさんへのお返事です。
> これにちなんで、一つ問題を。
> 情報の行き来に関して。
>
> エンドレスエイトの8月17日以降、朝比奈みくるが未来と連絡とれなくなったのはなぜだろうか?
> ↑ 簡単なようで、そう簡単ではない重要な問題です。
> この問を枕に、ハルヒエッセイ書きます。(春秋社のwebマガジン「はるとあき」に)
>
> はるとあき ↓
> https://haruaki.shunjusha.co.jp/
アニメを最後まで観て考えてみます。
また、エッセイのURLに辿り着けないので、またあらためて書いていただけると幸いです。
Re: ハルヒEEの感想 投稿者:φ 投稿日:2018年 6月15日(金)01時12分8秒 返信・引用
> No.5123[元記事へ]
mtosyさんへのお返事です。
>
> 情報処理屋さん的観点から:
> ・「8月31日24時」ってどこの時間なのでしょう。
>
これにちなんで、一つ問題を。
情報の行き来に関して。
エンドレスエイトの8月17日以降、朝比奈みくるが未来と連絡とれなくなったのはなぜだろうか?
↑ 簡単なようで、そう簡単ではない重要な問題です。
この問を枕に、ハルヒエッセイ書きます。(春秋社のwebマガジン「はるとあき」に)
はるとあき ↓
https://haruaki.shunjusha.co.jp/
Re: ハルヒEEの感想 投稿者:mtosy 投稿日:2018年 6月14日(木)17時18分1秒 返信・引用
> No.5122[元記事へ]
mtosyさんへのお返事です。
補足です。
> 涼宮ハルヒのエンドレスエイト(EE)を観ましたので、
> 気になった点の感想を備忘録的に記します。
情報処理屋さん的観点から:
・「8月31日24時」ってどこの時間なのでしょう。
ハルヒEEの感想 投稿者:mtosy 投稿日:2018年 6月14日(木)16時41分24秒 返信・引用
涼宮ハルヒのエンドレスエイト(EE)を観ましたので、
気になった点の感想を備忘録的に記します。
(2009年版のEEI~IIIです。
残りはGAYOで16日まで無料配信しているようなので、それまでに観てみます。
なお、著書については部分的に読み終えて、
現在本格的に読解しようとしているところです。)
サラリーマン的観点から:
・ハルヒが「ごくろうさま」、「おつかれさま」と言っている。
これは、団長だから「上から」言っているのか、仲間同士として、
使い分けて言っているのか。
画像屋さんの観点から:
・一箇所、画面に大きな雑音(ノイズ)が入っていた。
これは、どの段階で入ったのか。
原画、原画像、演出、放送メディアなど。
・MPEG雑音も入っていたようだが、これは背景を動かしたものによるのかどうか不明。
(別の場面では、背景を動かしているところがあった。)
お父さん的観点から:
・『魔法使いプリキュア』に、「朝比奈未来」というキャラがいるが、
EEに由来している??
おまけ:
・都道府県に関する言及(高校野球のシーン)がありましたね。
キョン達がどこにいるのか?
(少し計算すれば、確率で求まりますかね。)
・CDの場合、出典・引用に「mm分ss秒」と書けますが、
アニメの場合難しいですね。それに再放送とか。さらにEEだとどこをみたか、
忘れてしまいます。。見直さないと。!
追伸 投稿者:国語 投稿日:2018年 6月14日(木)08時34分50秒 返信・引用
Tedさんへ。
返信無用です。
「例えば」に驚いて大げさに受け取っていやな思いをさせていたら(させていますよね)、どうもすみませんでした。
Tedさんの賢さに、私はここで確かに助けていただきました。
そのことは忘れません。
ありがとうございました。どうぞお元気で。さようなら。
それでは。 投稿者:国語 投稿日:2018年 6月14日(木)03時43分45秒 返信・引用
> No.5118[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 国語さんへのお返事です。
>
> > 5歳の女の子が亡くなりましたね。
> > その事件についてのあるお笑い芸人のコメントが最低で頭に来ています。
> >
>
> そのコメント、誰かほかに腹立てている人っているんでしょうか。
ほかに腹立てている人がいないということをどのように証明しますか。
そしてそれを測れたとしてどうだというのでしょう。
皆が頭がおかしくなっているときはおかしくなっていないものが脳病院に入るのだ、ということならよくよく理解していますよ。
どうぞご心配なく。
> >
> > 小さいことですが、私は鉄道会社の年若い車掌さんとかに「昨日はジンシン事故の影響で電車が遅延し、誠に申し訳ありませんでした」っていうアナウンスを聞いて「人ひとり亡くなってんだから迷惑っていうのは…『ジンシン』は取ってもらえないか」ってお願いしましたよ
> >
>
> 人身事故のときは人身って言ってもらわないと、ただ「事故」だけじゃ正確な情報が伝わらないのでは?
> 情報を伝えなくてよいというのは、愚民政策につながります。
> トラックがぶつかったのか、人が飛び込んだのかは、事故の復旧の見込みを知るうえで重要な情報ですから、人身事故は人身事故と言ってもらわないと困りますよ。あやふやな情報で済まされるのは大迷惑です。大切な用事で乗車している人も大勢いるわけですから。
>
> 「人身事故」も、自殺を図って飛び込んだのか、酔って接触したのか、駆け込み乗車の失敗か、無理な踏切横断か、故意に突き落としたのか、いろいろありますから、まだ大雑把すぎるくらいです。
「昨日の遅延」を述べるのには必要ない、と私はおもいましたので、お願いしてみたまでです。
朝の通勤時でしたし、ほぼ固定客で皆知っている情報です。知らない人も「今」の事態ではないので私は省いてもよいのではないかと思いました。
鉄道会社としては「手前どもの不手際では決してないのですが」という意味で言いたい気持ちもよくよくわかります。また、その通りですしね。
…以上にて失礼いたします。
返信ありがとうございました。
あとは、見た方が考える一助になれば、というだけです。
私はこのことはここに書いた以外は誰にも言っていないし、電車のお願いもそれなりにコストを払って(1本乗り換えを遅らせて)ほかの人がいなくなったわずかの間にそっと手短に伝えたつもり、です。
私は子どものころから「みんな」という言葉は信用していませんし、それでも生きていくために考えることが必要だと思っています。
そして、これから「みんな」をまた考え直して再構築できないか出来る範囲でそっとやってみようとおもっています。
それでは、皆さんお元気で。お互い良い人生を自分で考えて、人は必ず死にますからそれまでなるたけ誰のことも傷つけずにさりとて被害者にもならず、なんとか無事に、なるたけ楽しく生きましょう。
さようなら。
Re: エンドレスエイトの驚愕@ゲンロンカフェ 投稿者:φ 投稿日:2018年 6月14日(木)02時10分40秒 返信・引用
> No.5116[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
日本語では「素数」「互いに素」などと言葉を分けてますが、
英語だと名詞も関係語もprimeですね。つまり日本語におけるより「素数」概念を一般化しやすいのではないでしょうか。
メタ言語によって対象言語が影響され、概念の運用が異なってくる、という事情は、結構ばかにならない波及効果があるような気がします。
Re: 末法思想から目を覚ませ 投稿者:φ 投稿日:2018年 6月14日(木)02時07分16秒 返信・引用
> No.5117[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
> 5歳の女の子が亡くなりましたね。
> その事件についてのあるお笑い芸人のコメントが最低で頭に来ています。
>
そのコメント、誰かほかに腹立てている人っているんでしょうか。
>
> 小さいことですが、私は鉄道会社の年若い車掌さんとかに「昨日はジンシン事故の影響で電車が遅延し、誠に申し訳ありませんでした」っていうアナウンスを聞いて「人ひとり亡くなってんだから迷惑っていうのは…『ジンシン』は取ってもらえないか」ってお願いしましたよ
>
人身事故のときは人身って言ってもらわないと、ただ「事故」だけじゃ正確な情報が伝わらないのでは?
情報を伝えなくてよいというのは、愚民政策につながります。
トラックがぶつかったのか、人が飛び込んだのかは、事故の復旧の見込みを知るうえで重要な情報ですから、人身事故は人身事故と言ってもらわないと困りますよ。あやふやな情報で済まされるのは大迷惑です。大切な用事で乗車している人も大勢いるわけですから。
「人身事故」も、自殺を図って飛び込んだのか、酔って接触したのか、駆け込み乗車の失敗か、無理な踏切横断か、故意に突き落としたのか、いろいろありますから、まだ大雑把すぎるくらいです。
末法思想から目を覚ませ 投稿者:国語 投稿日:2018年 6月13日(水)01時19分40秒 返信・引用
5歳の女の子が亡くなりましたね。
その事件についてのあるお笑い芸人のコメントが最低で頭に来ています。
輪廻転生は、(私にとっては)自分の困難を自分に耐えさせるための思想であって、他人の困難を見て見ぬふりをするための思想ではない、と、私は思います。
いわゆる「霊能力者」よりも本当に本当に最低なコメントでした。
そんなことが許されるなら某宗教団体がしたこともすべて許されてしまいますね。
他人の困難にいい人ぶって同情した「ふり」だけする…そんな「末法思想」からは今すぐ目を覚まして「は?なに言ってんですか?そんなあるかないかのもんを振りかざして終わり?じゃあ、今不幸な人はすぐさま死んだほうがましで、あんたのかわいい子供だけは『俺の子で俺がかわいがっとるから長生きしたほうがええ』てか?」…鬼子母神の発想だ。
いつからこんな奴が幅聞かせたんですかね。
少なくとも「浜田」だったらこんなことを神様気取りでぬけぬけとは言わないんじゃないか?
(沈黙だって、言語ですよ?)
私は、その程度には浜田が好きですね。
今、末法思想にみんな脳をやられていて、もう「大仏建立」は各自でやる、それが「考え終わる」ことではないか。私も3年前考え終わって40年以上かかっていますから大きなことは言えませんが、考え終わった今も、あくまで自分の「輪廻転生」しか何も語るべきではない、と、強く思います。
末法思想から目を覚まさないとまずい、そう教えてくれた、という意味では腹立たしいコメントした人にも感謝すべき…かもしれませんが、口にしていいことと悪いことがありますね。
私は暗澹たる気持ちです。
あなたはどんなにひどい目にあっても「早くもっといいところに生まれ変わったら?」という冷ややかな「共感ゼロ」の世界が好きですか?
渡辺先生はそんなために研究されてきたのではなく、…そういえば次の先生の御本はなぜか「コミュ障」本だとか。…ちょっと、頭冷やして考えてみましょう。
小さいことですが、私は鉄道会社の年若い車掌さんとかに「昨日はジンシン事故の影響で電車が遅延し、誠に申し訳ありませんでした」っていうアナウンスを聞いて「人ひとり亡くなってんだから迷惑っていうのは…『ジンシン』は取ってもらえないか」ってお願いしましたよ。「会社で決まってるとは思うけど乗客でそんな風に言ってきたのがいた、って言ってみてください。忙しいところすいませんでした」って。あの車掌さんはどう思ってたかな。ただの迷惑な客だったかもしれませんが、「言わないといけない」と、思ったから言ってしまったけど。
それでは。
Re: エンドレスエイトの驚愕@ゲンロンカフェ 投稿者:Ted 投稿日:2018年 6月11日(月)13時37分9秒 返信・引用
> No.5111[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 一問目もおそらく正解なのでしょう。
> 数学のよく出来る人に検証してもらうのが望ましいですが。
> Tedさんのその方針は、複素数へ拡張するよりも、a+b√c (a、bは任意の、cは特定の自然数)
> といった形の実数で考えた方が簡単な気がしますが、どうでしょうね。
一応、今回は、問題に「素数」とありましたので、
ある程度の合意のある中で「素数」の拡張を探し、
(自然数上の素数では素因数分解の一意性に反すると思え、難しいと考えましたので…)
ガウス整数・ガウス素数となりました。
Wikipediaベースですが、ガウス整数の項目にて、
「ガウス素数
ノルムが 2 であるもの。すなわち、±(1 + i), ±(1 - i) の4つ。」
とありましたので、使用しました。
(他の数学系のサイトでも、
この4つは(ガウス)素数として扱われておりましたこともあり)
WIKIのページ内にも他にも素因数分解のケースパターンはありそう、また、
「同伴」や「イデアル」のような概念も関係しそうでしたが、
うまく理解できていない可能性も高いので、
私からの回答案は、余計なことは書かずに、
ーーー
【Q】
a×b=c×d
a、b、c、dは素数
a≠c、a≠d
以上の3条件を満たすa、b、c、dが存在する。具体例を挙げよ。
【A】
(1+i)、(1-i)、-(1+i)、-(1-i)は(ガウス)素数。
a=(1+i)
b=(1-i)
c=-(1+i)
d=-(1-i)
とすると、
(1+i)×(1-i)=-(1+i)×-(1-i)=2
ーーー
とだけにしておきます。
Re: http://green.ap.teacup.com/miurat/5485.html 投稿者:φ 投稿日:2018年 6月10日(日)04時11分39秒 返信・引用
> No.5114[元記事へ]
トビウオさんへのお返事です。
>
> φさんのあげた例は、確かに素数的な性質は持っているので「正しい」とは思います。それを素数と呼ぶかどうかは定義の問題ですね。曖昧な知識で投稿してしまいすいません。私も少し調べてみます。
>
「素数」であれ何であれ、原義とされる概念を一般化したり転用したりして、異なる外延に当てはめることが、どれほど許されるのか、学問分野によって異なるでしょうね。
数学は、正確性・厳密性の側面から見ると、概念の転用については最も厳格で不寛容のような印象がある反面、
一般化・抽象化という側面から数学を見ると、「構造的理由」さえあれば概念の転用は最も寛容になされそうな気もしますが・・・・・・
Re: http://green.ap.teacup.com/miurat/5485.html 投稿者:トビウオ 投稿日:2018年 6月 9日(土)22時28分1秒 返信・引用
> No.5113[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 1. 素数は「環についてのみ」定義される概念なのでしょうか。wikiで「環」を見ると、「各元は加法逆元をもち、」となっています。ふつう、自然数について素数が定義されると思いますが、自然数の集合には加法逆元は存在しないのでは?
すみません。私の言い方がよくなかったですね。素数は環に対して定義される、ではなく素元は環に対して定義されるというべきでした。素元とは素数の概念を一般化したものです。素数は「環についてのみ」定義される概念なのかどうかは正直よくわかりません。はじめは環についてのみ定義されると思っていたのですが、よく考えて見れば自然数はそもそも環ではなかったですね。失礼しました。
しかし、初等整数論における「素数」を拡張した概念として「素数」という言葉を使う場合は通常環の上で定義されると思います。
> 2. 同じくwikiを見る限り、注1として、環は「乗法単位元の存在を要求しないこともある」と述べられています。
確かに作用素環論などの一部の分野では環の定義に乗法的単位元の存在を仮定しないこともありますが、代数学や整数論の分野では乗法的単位元の存在を仮定するのが一般的だと思います。
φさんのあげた例は、確かに素数的な性質は持っているので「正しい」とは思います。それを素数と呼ぶかどうかは定義の問題ですね。曖昧な知識で投稿してしまいすいません。私も少し調べてみます。
Re: http://green.ap.teacup.com/miurat/5485.html 投稿者:φ 投稿日:2018年 6月 9日(土)20時09分34秒 返信・引用
> No.5112[元記事へ]
トビウオさんへのお返事です。
>
> 5485の問題に関してですが,φさんの「自然数を偶数に制限する」やり方は少しマズイと思います。素数は環に対して定義される概念だったと思うのですが,偶数全体の集合は環になりません(積に関する単位元が存在しないので)。
>
これは詳しい人に教えてもらわねばなりません。
1. 素数は「環についてのみ」定義される概念なのでしょうか。wikiで「環」を見ると、「各元は加法逆元をもち、」となっています。ふつう、自然数について素数が定義されると思いますが、自然数の集合には加法逆元は存在しないのでは?
2. 同じくwikiを見る限り、注1として、環は「乗法単位元の存在を要求しないこともある」と述べられています。
というわけで、「偶数の集合」や「3の倍数の集合」も、素数を持つことができると思う次第ですが、いかがでしょうか。
http://green.ap.teacup.com/miurat/5485.html 投稿者:トビウオ 投稿日:2018年 6月 8日(金)14時01分15秒 返信・引用
横から失礼します。
5485の問題に関してですが,φさんの「自然数を偶数に制限する」やり方は少しマズイと思います。素数は環に対して定義される概念だったと思うのですが,偶数全体の集合は環になりません(積に関する単位元が存在しないので)。
Re: エンドレスエイトの驚愕@ゲンロンカフェ 投稿者:φ 投稿日:2018年 6月 8日(金)01時33分23秒 返信・引用
> No.5110[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
二問めは正解です!
階乗の記号「!」はいつ習うんでしたっけね。中学二年くらい?
一問目もおそらく正解なのでしょう。
数学のよく出来る人に検証してもらうのが望ましいですが。
Tedさんのその方針は、複素数へ拡張するよりも、a+b√c (a、bは任意の、cは特定の自然数)
といった形の実数で考えた方が簡単な気がしますが、どうでしょうね。
いずれにせよ第一問で私が考えていた正解は、Tedさんの方針とは正反対のものでした。
私が用意していた正解は、集合を自然数から広げるのではなく、逆に自然数の真部分集合へ狭めるもので、
たとえば自然数のうち「偶数の集合」に限定するもの。
一例として、a、b、c、dをそれぞれ6、6、2、18とすれば、すべて素数で、
かつ、a×b=c×d=36 となります。
任意の自然数の倍数でこの方針は使えるでしょう。
自然数のうち3の倍数に限定すれば、たとえば
3×30=15×6=90 3、30、15、6はすべて素数
といった具合です。
いまwikiで「素数」を見ると、
「一般の環で、任意の元は既約元の積に分解され、しかもその表示は一意であるとい
う性質は稀有である」
と書いてあります。
考えてみれば、当たり前のように考えていた「素因数分解の一意性」は、
全然自明のことではなかったわけですね。
Re: エンドレスエイトの驚愕@ゲンロンカフェ 投稿者:Ted 投稿日:2018年 6月 7日(木)20時04分52秒 返信・引用
> No.5109[元記事へ]
何度も失礼いたします。もう一点、補足がございました。
(1+i)、(1-i)、-(1+i)、-(1-i)
をそのまま、順番に各変数に代入しても、。
a=(1+i)
b=(1-i)
c=-(1+i)
d=-(1-i)
(1+i)×(1-i)=-(1+i)×-(1-i)=2
となり、題意は満たせました。
このほうが、自然な回答かと思います。
Re: エンドレスエイトの驚愕@ゲンロンカフェ 投稿者:Ted 投稿日:2018年 6月 7日(木)14時12分8秒 返信・引用
> No.5108[元記事へ]
下記、一か所訂正です。
誤: (1+i)、(1-i)、(1+i)、-(1-i)は同伴の組み合わせも含んでいるので、
↓
正: (1+i)、(1-i)、-(1+i)、-(1-i)は同伴の組み合わせも含んでいるので、
Re: エンドレスエイトの驚愕@ゲンロンカフェ 投稿者:Ted 投稿日:2018年 6月 7日(木)11時56分26秒 返信・引用
> No.5107[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> ところで、
> http://green.ap.teacup.com/miurat/5485.html
> に、数学問題をふたつ提示してみました。
> 以前の
> http://green.ap.teacup.com/miurat/5369.html
> に比べると道具立てが初歩的ではありますが、
> 文理の正答率の差がむしろいっそう大きいような気がします。
> ここを覗いておられる数学系の人にとっては、5485の二題はひとめでお見通しかな?
私なりの回答となりますが、
【一つ目の問い】
ーーー
a×b=c×d
a、b、c、dは素数
a≠c、a≠d
以上の3条件を満たすa、b、c、dが存在する。具体例を挙げよ。
ーーー
WIKIPEDIAにて、「ガウス整数」辺りを参考とし、また、関連する
際ともいくつか参照しました結果、
整数・素数をガウス整数・ガウス素数まで拡張すると、
2は素数ではなくなり、
2=(1+i)(1-i)
のように素因数分解できるようになります。
よって、(1+i)や(1-i)は(ガウス)素数となります。
また、(1+i)や(1-i)に-をつけたものも(ガウス)素数となるようです。
その場合の素因数分解は、
2=-(1+i)×-(1-i)となります。
※素因数分解の一意性に反しているようですが、
wikepdiaの説明から、
「任意のガウス整数は積の順序・同伴による違いを除いて
ガウス素数の積で一意に表すことができる」ということで良いらしく、
(1+i)、(1-i)、(1+i)、-(1-i)は同伴の組み合わせも含んでいるので、
その面で、一意性は守られているようです。
ただ、wikiを読み進めていきますと、複素数が絡むと
完全に一意性が守られないケースも出てくるみたいで、その場合は、
「イデアル」というものを使うようです…
これらの(ガウス)素数から
例えば、
a=1-i
b=1-i
c=-(1-i)=i-1
d=-(1-i)=i-1
とすれば、
(1-i)(1-i) = (i-1)(i-1) = -2i
となり、題意はすべて満たせると思います。
ーーー
先生「4+8÷4=x。xはいくら?」子ども「3!」先生「正解です!」どうして
正解なのだろうか?
ーーー
3!=1×2×3=6
4+8÷4=6
3!は3の階乗と考えます。
以上、私なりの回答とさせていただきました。
Re: エンドレスエイトの驚愕@ゲンロンカフェ 投稿者:φ 投稿日:2018年 6月 3日(日)16時08分25秒 返信・引用
> No.5106[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> 人文系の個別事象を突き詰めることで、
> 世界のあり方や原則に至る というようなニュアンスのことも
> 仰られておられたように思い、それも、上記と合わせて、
> 感銘がありました!
>
ダーウィニズムが環境科学の地位向上(普遍的科学の探究における)をもたらして物理学帝国主義を切り崩したのに対して、人間原理は人文科学の地位向上、さらには個別経験の地位向上に理論的支柱をもたらしたと私は考えます。
>
> 「ハルヒ好き」という参照クラスから
> 選択された一団なので、仕方ないのかもしれませんね…
>
ハルヒは基本、ハーレム設定ですからね。女性にはもやもやするものがあるのかもしれません。
ハルヒをめぐる逆ハーレム設定はそらぞらしいし、古キョンのBL風味も味付け程度なので、やはりラノベの通例に洩れず、男子向けコンテンツと言えるんでしょうかね。
ところで、
http://green.ap.teacup.com/miurat/5485.html
に、数学問題をふたつ提示してみました。
以前の
http://green.ap.teacup.com/miurat/5369.html
に比べると道具立てが初歩的ではありますが、
文理の正答率の差がむしろいっそう大きいような気がします。
ここを覗いておられる数学系の人にとっては、5485の二題はひとめでお見通しかな?
Re: エンドレスエイトの驚愕@ゲンロンカフェ 投稿者:Ted 投稿日:2018年 6月 3日(日)10時34分17秒 返信・引用
> No.5104[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> そうですね、人間原理のところは、スライドによらずにただ語るだけになってしまいましたからね。
> しかしあの場で語る中で、「個別作品を詳細に研究すること(ただし意識高い系作品)が、芸術の普遍的傾向の解明に寄与する」という、観測選択効果による宇宙の解明に似たコンセプトを固めることができました。
人文系の個別事象を突き詰めることで、
世界のあり方や原則に至る というようなニュアンスのことも
仰られておられたように思い、それも、上記と合わせて、
感銘がありました!
> フロアからの数々の質問にも感謝しております。
>
> (しかしやはり男ばかりでしたねぇ。女性はぽつりぽつり、4人くらいだったか?)
「ハルヒ好き」という参照クラスから
選択された一団なので、仕方ないのかもしれませんね…
おまけ 投稿者:国語 投稿日:2018年 5月31日(木)06時43分38秒 返信・引用
私が人生振り返って遭遇したヤバめの人は20代の初めに出会ったA先輩でした。村上春樹をよくわかんねえな、と思いながら友達のまねっこして読んでいた私に「それはやめてヴォネガットにしな」と言って手帳にびっしりハヤカワ文庫のタイトルをを書いてくれました。
簡単に言うと先輩からは薬物を勧められました「いっしょにどお?」って(たぶん乾燥大麻)。「外で待ってるんでどうぞ」って言って断ったけどね。
(先輩は当時から高樹沙耶みたいなことを熱っぽく語っておられた。)
よ~く思い出してみるとその先輩は「椎名誠ファン」だったのです。
…私って、本当にどこまでも運のいいやつだな、と今回改めて思いました。
くわばらくわばら。
φ先生はじめ、この掲示板の皆さんの運がますますよくなりますように。
それでは。
Re: エンドレスエイトの驚愕@ゲンロンカフェ 投稿者:φ 投稿日:2018年 5月31日(木)04時51分2秒 返信・引用
> No.5102[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> 個人的には、
> スライドで一瞬SSAやSIAが見えたのですが、そのあたりの部分も聞きたかったですが…
>
そうですね、人間原理のところは、スライドによらずにただ語るだけになってしまいましたからね。
しかしあの場で語る中で、「個別作品を詳細に研究すること(ただし意識高い系作品)が、芸術の普遍的傾向の解明に寄与する」という、観測選択効果による宇宙の解明に似たコンセプトを固めることができました。
フロアからの数々の質問にも感謝しております。
(しかしやはり男ばかりでしたねぇ。女性はぽつりぽつり、4人くらいだったか?)
Re: なぜ輪廻転生を考えるか 投稿者:国語 投稿日:2018年 5月31日(木)04時40分11秒 返信・引用
> No.5101[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
> 国語さんへのお返事です。
>
> なるほどですね。了解です。合う合わない、もちろんありますので。
> それではです!
いや、「合う合わない」の問題ではないですよ。ここでその言葉で済ませるのは大したものだなあ、と感心していますよ。
今回私は心底びっくりして「青山」という人物を洗い、おおよその予想はついていますよ。
で、結論としては暫定的ではありますが
「椎名誠はやっぱし時代のヒーローだったんだな」
というものです。
自分は野田知佑派で(カヌーは最高の乗り物)読んでなかったんですが。
そして椎名氏が「車ピカピカ族は嫌いだ」と書いているのを目にして「洗車くらいさせてやれよ」と狭量に思って手を出さなかったのですが…。今回某事件の犯人が洗車好きだったようで「男の熱心な洗車」には男にはピンとくるやばさがあったんかな、と思い直しました。
勘もさえてる、椎名誠。
本当は野田さんみたいにのんびりカヌーに乗ってるのが最高。
でも、柔道はできないが「合う合わない」で済まされちゃたまんないんでこっちもいっちょ頑張りますか。
本物の男がいねえんじゃ、しょうがないね。
本物の男ってのは鬼畜な欲望をダダ漏れして恥じんような輩では断じてないですよ。
筒井康隆読むと書き方全然違うでしょう。
あの人死んじゃったらどうすんだ?
…そこでφ先生登場かな?
期待してるんで、頼みますよ。それでは。
追伸・Tedさんは泥んこ遊びや木登りを子供の頃したかな?魚取りやカヌーはどうですか。外で遊んでみてください。実は楽しいよ。それではお元気で。
エンドレスエイトの驚愕@ゲンロンカフェ 投稿者:Ted 投稿日:2018年 5月30日(水)21時42分57秒 返信・引用
ゲンロンカフェ参加させていただきました!
はやりハルヒ好きな方が多く、
込み入った内容のところは、アニメを少し見ただけで、
小説もアニメも全部見たことがない人間としては、
議論に参加できませんでしたが、興味深かったです!
φさんが、数あるループものやタイムスリップ、並行世界もので、
ハルヒのみ特別視している理由が正直分かっていない部分もあったのですが、
昨日で、書籍にも書いてあったことですが、
ハルヒの球場での体験「私は平凡な存在なんだ」という気付きが、
まさにコペルニクスの原理的な気付きであった、
という部分で、
確かに物語でわざわざ主人公にこういう気付きを与えるのはあまりなく、
ハルヒが作者・制作陣が意図した/意図せざるにかかわらず、人間原理的なバックボーンが
隠されているんだ!すごい!と思えました。
個人的には、
スライドで一瞬SSAやSIAが見えたのですが、そのあたりの部分も聞きたかったですが…
Re: なぜ輪廻転生を考えるか 投稿者:Ted 投稿日:2018年 5月30日(水)21時23分54秒 返信・引用
> No.5100[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
> ごめんなさい。
> 図書館リサイクルにあったので拾ってきたのですが1行目から全く読めず、最後のこの部分だけはきれいでした(微分はわからないけど)。今日リサイクルに返してきます。
> たぶんTedさんなどは私が同じく図書館リサイクルで入手して深く感動した『三太郎の日記』などが「読めない」のではないかとおもいます(違ったらごめんなさい)。
> 舞城王太郎という人の文体は私には書き出しから「言語明瞭意味不明」という感じです。
> 周波数が違う音波みたいです。
>
> それではさようなら。
なるほどですね。了解です。合う合わない、もちろんありますので。
それではです!
Re: なぜ輪廻転生を考えるか 投稿者:国語 投稿日:2018年 5月29日(火)04時42分36秒 返信・引用
> No.5098[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
> 国語さんへのお返事です。
>
> > だからとりあえず僕は今、この一瞬を永遠のものにしてみせる。僕は神の集中力をもってして終わりまでの時間を微分する。その一瞬の永遠の中で、僕というアキレスは先を行く亀に追いつけない。
>
> 九十九十九、いいですよね。
ごめんなさい。
図書館リサイクルにあったので拾ってきたのですが1行目から全く読めず、最後のこの部分だけはきれいでした(微分はわからないけど)。今日リサイクルに返してきます。
たぶんTedさんなどは私が同じく図書館リサイクルで入手して深く感動した『三太郎の日記』などが「読めない」のではないかとおもいます(違ったらごめんなさい)。
舞城王太郎という人の文体は私には書き出しから「言語明瞭意味不明」という感じです。
周波数が違う音波みたいです。
それではさようなら。
Re: エンドレスエイトの驚愕@ゲンロンカフェ 投稿者:Ted 投稿日:2018年 5月29日(火)01時55分41秒 返信・引用
> No.5096[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 「今」の定義も、物理学的には難しいらしいですからね……
> 「今」が定義できるとしても、「生まれた瞬間」より「自分を意識している瞬間」とした方がよいように思います。
なるほど、
「今」と「私」は謎なのですが、哲学的思考の基点でもありますね。
永井さんも何かの本で「私=今」みたいなようなことも書かれていたように思います。
> 少なくとも言えることは、
> 「その瞬間のあなたは、自我を持つ知的生命すべての中で、情報処理量と内省度において、上位に位置する」ということです。
> 観測選択確率を独占するような、人間をはるかに上回る超知性は、存在しない可能性が高いでしょうね。
>
数量だけでなく、重みも考えないといかんのですね…
「終末論法」の否定は、
> 「人類の歴史の中で」というのは、総人口が決まっていませんよね。
> 「人類が一番多人数いる時期の可能性が一番高い」というとき、まず自分が「人類」として生まれることが必要で、
> その必要条件については、「人類」の総人口が多ければ多いほど、「他の知的生命の種族」としてでなく「人類」として生まれる確率が高まります。
> 次に、「人類」の中に話を限ると、確かに、「人類が一番多人数いる時期の可能性が一番高い」というのは真です。
> 以上の前半と後半とで、互いに相殺して、
> 「人類が一番多人数いる時期の可能性が一番高い」の確率は、「何とも言えない」でしょう。
でしっくりきました。「論理パラドックス」でも拝見しておりました。
ご説明ありがとうございました!
明日、エンドレスエイト@ゲンロンカフェ、ですね!
良い時間を!
Re: なぜ輪廻転生を考えるか 投稿者:Ted 投稿日:2018年 5月29日(火)01時29分54秒 返信・引用
> No.5097[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
> だからとりあえず僕は今、この一瞬を永遠のものにしてみせる。僕は神の集中力をもってして終わりまでの時間を微分する。その一瞬の永遠の中で、僕というアキレスは先を行く亀に追いつけない。
九十九十九、いいですよね。
「苦しさを感じるなら、僕なんて愛さなくていいんだ」。
作品的には、九十九十九のほか、ディスコ探偵水曜日が好きです。
なぜ輪廻転生を考えるか 投稿者:国語 投稿日:2018年 5月28日(月)06時23分30秒 返信・引用
私は、子供のころから輪廻転生について考え続けて、或るとき考え終わっています。
それは或る新聞記事を見た時です。
そこには私にそっくりな人が映っていました。
国も性別も年齢も違ったけれど家族も全員「そっくりだ」と言いました。
その人は過酷な状況を必死で生きていて、多分その記事の後亡くなったと思います。
私は睡眠についてもずっと考え続けていて、或るとき考え終わています。
結局、私より若い人のために(稲葉振一郎さんの講座に参加できるということはTedさんも若いと思う)結論を一つ言うと
「運命は変えられないけれど、認識は自由」
ということです。
基本は例え偽善者と言われても理不尽に耐え抜き、耐えられなければ場を変えて自分を鍛え(絶対に悪い人ばっかりじゃないですよ)他人を攻撃しないことです。
組織をよ~く見ると9割9分の人は保身で動きます。それは仕方のないことです。私もそうしたことはあります。
でも、そんな中でも覚醒していることはできます。
「植木鉢を被る(精神的に)」という覚醒の仕方もあるのですよ。
ちょっと何言ってるかわからなかったらごめんなさい。
男か女かなんて、右手か左手かの違いだけですよ。
どうやったらいい拍手ができるかということを考えていればおのずと片割れが見つかります。
そして楽しいときは手をたたいて、なるべく楽しい時を増やして死んでいくことをずっとやって行けばいいんですよ。
少なくとも、輪廻転生について考え終わった結論はそのようなものでした。
ちなみに、私は「恋愛」というものは「平等」と矛盾するので認めていません。
でも、ガンジーの息子とかは可哀想なので人に強要する気は一切ありません。
だからとりあえず僕は今、この一瞬を永遠のものにしてみせる。僕は神の集中力をもってして終わりまでの時間を微分する。その一瞬の永遠の中で、僕というアキレスは先を行く亀に追いつけない。
人格を認められなくて構わぬものは他人のそれも認めねばよい。Q.E.D.
Re: エンドレスエイトの驚愕@ゲンロンカフェ 投稿者:φ 投稿日:2018年 5月28日(月)05時08分29秒 返信・引用
> No.5093[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> 少なくともいえることは
> 「あなたは今、生まれました。あなたが生まれたその時は、
> 全知的生命体の歴史の中で、知的生命体が一番多数いる時期の可能性が
> 一番高いはずです」
> ※知的生命体は永遠に存続しないとする
> ※知的生命体の定義は様々かと思いますが、
> ここでは「あなたが生まれる可能性が少しでもあるもの」ぐらい
> としておきます。
> が真ということかと思います。
> よって、
> 「あなたが生まれた翌日のある瞬間は、あなたが生まれた瞬間より
> 知的生命体が一番多数いる時期ではない可能性が高い」
> ということまでは言えますが、
>
「今」の定義も、物理学的には難しいらしいですからね……
「今」が定義できるとしても、「生まれた瞬間」より「自分を意識している瞬間」とした方がよいように思います。
少なくとも言えることは、
「その瞬間のあなたは、自我を持つ知的生命すべての中で、情報処理量と内省度において、上位に位置する」ということです。
観測選択確率を独占するような、人間をはるかに上回る超知性は、存在しない可能性が高いでしょうね。
>
> 元々、同性愛を認めない形をとっておられましたが、最近の時流か認めざるを得ない
> 方向になってきていると思います。その時に、結構恣意的に解釈してしまえるんだな
> と思いました。
>
次はイスラム教の番ですね。
>
> ロリコン、ネクロフィリア、アンピュテーション(切断)趣向者…
> あたりも、「神があなたをそのようにつくった」でOKなのか、どこかに、
> 認められないラインがあるのか、あたりも気になりました。
>
法律に触れるかどうかなのですかね。
1970年代くらいまでの百科事典を見ると、フェラ○○とかクンニ○○も「異常性欲」に入っていて、楽しいですよ。
補足 投稿者:国語 投稿日:2018年 5月27日(日)17時09分52秒 返信・引用
> No.5094[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
> Tedさんへのお返事です。
>
> >
> > また、
> > 例えば、
> > ロリコン、ネクロフィリア、アンピュテーション(切断)趣向者…
> > あたりも、「神があなたをそのようにつくった」でOKなのか、どこかに、
> > 認められないラインがあるのか、あたりも気になりました。
> …これはね、階層の問題です。
> その手の本を見ればわかりますが、金銭の所持量の圧倒的な格差の前には何でもありです。
> それはもうずっと大昔からそうです。
> そこをひっくり返したい場合は暴力。もっといえば戦争です。
> それも、ずっと大昔からそうです。
>
ちょっと補足です。
「認められないライン」というのは「人権の制限」と直結しています。
宗教は歴史的に信仰しないものは人間とみなさない側面がありますから、「これらは、〝人間〟と生物学的には同様ですが玩具として製造されていますから〝人間〟ではありませんよ」という理屈で「ライン」はなくなるでしょうね。
人権がない物に人格はないわけですから。
あれ、どこかで聞いた話ですね。
人格がなければ好み通りの属性に思うがままに細工して飽きるまで用いることが可能なわけです。
それを人権も人格もある生身の人間に対して暴力的に実現してしまうのが今のところは「犯罪」。
スコット兄弟の『ナンバーズ』も見てびっくり。そんな話ばっかりです。なぜだろう。
私は素朴な有性生殖のほうが動物っぽくっていいな、と思うけど、みんなもはやそうじゃないのかな。
そういえば、鹿島茂さんもそんなことをおっしゃっていましたっけね。アブラムシみたいに繁殖形態が変わらざるを得ないのでしょうか。
結局数学もできないし、頭がパンクするといけないのでもう考えないようにしなくっちゃ。
以上補足でした。それでは。
Re: エンドレスエイトの驚愕@ゲンロンカフェ 投稿者:国語 投稿日:2018年 5月27日(日)16時13分34秒 返信・引用
> No.5093[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
すみません、たびたび横から。返信無用です。
この掲示板の過去ログを見て笑い死にそうになったのですが…「田中さん」!
いやあ。田中さん、好きだな。
田中さんを田中さんのままでいさせてくれるφ先生もすごいな、と改めて思いました。
ま、私も分類すると「田中さん」の一種なんで気にしないでくださいね。
> 元々、同性愛を認めない形をとっておられましたが、最近の時流か認めざるを得ない
> 方向になってきていると思います。その時に、結構恣意的に解釈してしまえるんだな
> と思いました。
なんで認めなかったかというと「繁殖原理主義」ですよね。
宗教には信者というものが必要で、多ければ多いほどいいわけです。
念のため。
さらに言うと、冷静に考えるとこの発言は「信者工場」が完成近い(もしくは完成した)ということを示唆しており、繁殖には異性愛が不要になったことの暗示かもしれません。もっと言ってしまうと「ポリティカルコレクトネス」という煙幕に隠して女性という性が生殖から追放されるという或るレズビアンフェミシズトの予想が現実になった、ということかも。
>
> また、
> 例えば、
> ロリコン、ネクロフィリア、アンピュテーション(切断)趣向者…
> あたりも、「神があなたをそのようにつくった」でOKなのか、どこかに、
> 認められないラインがあるのか、あたりも気になりました。
…これはね、階層の問題です。
その手の本を見ればわかりますが、金銭の所持量の圧倒的な格差の前には何でもありです。
それはもうずっと大昔からそうです。
そこをひっくり返したい場合は暴力。もっといえば戦争です。
それも、ずっと大昔からそうです。
経済学にもミクロ経済学とマクロ経済学がありますよね。
何かを考えるときマクロで考えるかミクロで考えるかということです。
「自分の欲望を実現するには?」
「社会の大多数がどのような倫理観であれば暮らしやすいか?」
この二段備えですよね。
二段が矛盾している度合いが少なければお花畑のなかで笑って暮らせる可能性が高いわけです。
勝手ながら、Tedさんにはお世話になったのでTedさんが苦しんでいないといいな、と思いました。
横からお邪魔いたしました。
読んでくださってありがとうございました。
それでは。
Re: エンドレスエイトの驚愕@ゲンロンカフェ 投稿者:Ted 投稿日:2018年 5月27日(日)10時15分7秒 返信・引用
> No.5091[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 第一問の、「中国人の可能性がいちばん高い」は、もちろん真ですね。たしか『論理学入門』で提示した問題です。
> 総人口がわかっていて、相対的に最大多数の国民が「中国人」と同定されていますからね。
>
> 第二問の、「人類が一番多人数いる時期の可能性が一番高い」は、偽です。
> 「人類の歴史の中で」というのは、総人口が決まっていませんよね。
> 「人類が一番多人数いる時期の可能性が一番高い」というとき、まず自分が「人類」として生まれることが必要で、
> その必要条件については、「人類」の総人口が多ければ多いほど、「他の知的生命の種族」としてでなく「人類」として生まれる確率が高まります。
> 次に、「人類」の中に話を限ると、確かに、「人類が一番多人数いる時期の可能性が一番高い」というのは真です。
> 以上の前半と後半とで、互いに相殺して、
> 「人類が一番多人数いる時期の可能性が一番高い」の確率は、「何とも言えない」でしょう。
>
> 「自分が生きるこの時代は人類が一番多人数いる時期である」言い換えれば
> 「自分が生きるこの時代でない他の時代の人口は少なめである」という仮説(総人口少なめ仮説)は、
> 「自分が生きるこの時代でない他の時代の人口は多い」(総人口多い仮説)に比べて、
> 事前確率が低い、というところがポイントです。
> 「人類」の中ではもちろん「一番多人数いる時期の可能性が一番高い」わけですが、
> それによって事前確率をベイズ改訂すると、上方修正され、結局、人口について何も考慮しない段階での確率に戻ってしまいます。
>
> ただ、以上の推論は、こっそりマルチバースを密輸入している可能性があります。
> 単一宇宙でも、知的生命が多種類いれば、上記の推論が成り立つかどうかは、検討の余地ありですね。
ご返事、ご説明ありがとうございました!
少なくともいえることは
「あなたは今、生まれました。あなたが生まれたその時は、
全知的生命体の歴史の中で、知的生命体が一番多数いる時期の可能性が
一番高いはずです」
※知的生命体は永遠に存続しないとする
※知的生命体の定義は様々かと思いますが、
ここでは「あなたが生まれる可能性が少しでもあるもの」ぐらい
としておきます。
が真ということかと思います。
よって、
「あなたが生まれた翌日のある瞬間は、あなたが生まれた瞬間より
知的生命体が一番多数いる時期ではない可能性が高い」
ということまでは言えますが、
「終末論法」自体は、「最近の人類の人口爆発」に依拠した理論なので、
知的生命体全体の総数や動向(人口爆発しているのか?等)は、未知のため、
何とも言えないということになるのかなと理解しました。
(微妙に勘違いしている可能性もありますが…)
> > 追伸...
> > CNNのニュースにて、少し気になった言い回しがありました。
> >
> > https://www.cnn.co.jp/world/35119558.html
> > ローマ法王、同性愛男性に「神があなたをそのようにつくった」
> >
>
> どこが気になったのでしょう?
元々、同性愛を認めない形をとっておられましたが、最近の時流か認めざるを得ない
方向になってきていると思います。その時に、結構恣意的に解釈してしまえるんだな
と思いました。
5分前世界創造仮説はさすがに支持されないでしょうが…
また、
例えば、
ロリコン、ネクロフィリア、アンピュテーション(切断)趣向者…
あたりも、「神があなたをそのようにつくった」でOKなのか、どこかに、
認められないラインがあるのか、あたりも気になりました。
Re: エンドレスエイトの驚愕@ゲンロンカフェ 投稿者:国語 投稿日:2018年 5月26日(土)06時45分30秒 返信・引用
> No.5090[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
横から失礼いたします。
>
> https://www.cnn.co.jp/world/35119558.html
> ローマ法王、同性愛男性に「神があなたをそのようにつくった」
>
> なるほど… Q.E.D.
仰天情報ありがとうございます。
「神」とは「ゼウス」のことで、アリストパネスと現法王は同意見ってことですかね。
や~びっくりしました。
たしか、ローマ法王の事だったと思うのですが、イタリアに住んでる友達が(こんな風に書くとすごく友達がいそうだがほぼ唯一の友達がイタリア人と結婚してしまったという痛恨。ふらっと遊びに行けない)「大変素晴らしい人で大人気」と言っていましたよ。
それでは。
Re: エンドレスエイトの驚愕@ゲンロンカフェ 投稿者:φ 投稿日:2018年 5月26日(土)06時01分45秒 返信・引用
> No.5090[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> 「終末論法」について、少し確認なのですが、
> 例えば、
> 「あなたは今、記憶喪失で目覚めました。世界の総人口、及び、各国の人口だけ、
> なぜか覚えています。あなたは中国人の可能性が一番高いはずです」
> という内容は正しいでしょうか?
> また、これを空間ではなく、時間軸に限定した
> 「あなたは今、記憶喪失で目覚めました。あなたが目覚めたその時は、
> 人類の歴史の中で、人類が一番多人数いる時期の可能性が一番高いはずです」
> ※マルチバースではなく、単一の宇宙とする
> ※人類は永遠に存続しないとする
> は、正しいでしょうか?
>
第一問の、「中国人の可能性がいちばん高い」は、もちろん真ですね。たしか『論理学入門』で提示した問題です。
総人口がわかっていて、相対的に最大多数の国民が「中国人」と同定されていますからね。
第二問の、「人類が一番多人数いる時期の可能性が一番高い」は、偽です。
「人類の歴史の中で」というのは、総人口が決まっていませんよね。
「人類が一番多人数いる時期の可能性が一番高い」というとき、まず自分が「人類」として生まれることが必要で、
その必要条件については、「人類」の総人口が多ければ多いほど、「他の知的生命の種族」としてでなく「人類」として生まれる確率が高まります。
次に、「人類」の中に話を限ると、確かに、「人類が一番多人数いる時期の可能性が一番高い」というのは真です。
以上の前半と後半とで、互いに相殺して、
「人類が一番多人数いる時期の可能性が一番高い」の確率は、「何とも言えない」でしょう。
「自分が生きるこの時代は人類が一番多人数いる時期である」言い換えれば
「自分が生きるこの時代でない他の時代の人口は少なめである」という仮説(総人口少なめ仮説)は、
「自分が生きるこの時代でない他の時代の人口は多い」(総人口多い仮説)に比べて、
事前確率が低い、というところがポイントです。
「人類」の中ではもちろん「一番多人数いる時期の可能性が一番高い」わけですが、
それによって事前確率をベイズ改訂すると、上方修正され、結局、人口について何も考慮しない段階での確率に戻ってしまいます。
ただ、以上の推論は、こっそりマルチバースを密輸入している可能性があります。
単一宇宙でも、知的生命が多種類いれば、上記の推論が成り立つかどうかは、検討の余地ありですね。
>
> 追伸...
> CNNのニュースにて、少し気になった言い回しがありました。
>
> https://www.cnn.co.jp/world/35119558.html
> ローマ法王、同性愛男性に「神があなたをそのようにつくった」
>
どこが気になったのでしょう?
Re: エンドレスエイトの驚愕@ゲンロンカフェ 投稿者:Ted 投稿日:2018年 5月24日(木)19時58分55秒 返信・引用
> No.5088[元記事へ]
φさんへのお返事です。
ご返事ありがとうございます!
> ところで、ハルヒについてはこんな感じで↓
> http://green.ap.teacup.com/miurat/5466.html
> 5/29当日まで微差を伴いつつ8回続ける予定です。
> 裏でとはいえ回数を始めから宣言したのでは単なるポプテピピックでしかなく、エンドレスエイトを演じたことにはならないのですが。
http://green.ap.teacup.com/miurat/html/2018s.pdf
ブログにて公開されていた、上記資料も拝見しております!
「『エンドレスエイトの驚愕』で用いた科学概念」辺りを読んでいて、
(今、レスリーの「世界の終焉」を読んでいるところでもありますが…)
「終末論法」は、観測選択効果+マルチバースのように、
「科学概念」としては利用しにくそうだなと思ったりしています。
φさん的には、偽だと思われおられると思いますが、SF的には面白い考え方で、
もっとエンタメに使われてもいいのかなともおもったりしています。
「終末論法」について、少し確認なのですが、
例えば、
「あなたは今、記憶喪失で目覚めました。世界の総人口、及び、各国の人口だけ、
なぜか覚えています。あなたは中国人の可能性が一番高いはずです」
という内容は正しいでしょうか?
また、これを空間ではなく、時間軸に限定した
「あなたは今、記憶喪失で目覚めました。あなたが目覚めたその時は、
人類の歴史の中で、人類が一番多人数いる時期の可能性が一番高いはずです」
※マルチバースではなく、単一の宇宙とする
※人類は永遠に存続しないとする
は、正しいでしょうか?
これが正しいなら、この理論から「終末論法」へ至るどこかの思考ポイントで間違いが
生じるとは思いますが...
追伸...
CNNのニュースにて、少し気になった言い回しがありました。
https://www.cnn.co.jp/world/35119558.html
ローマ法王、同性愛男性に「神があなたをそのようにつくった」
なるほど… Q.E.D.
安房さん的女性とは 投稿者:国語 投稿日:2018年 5月24日(木)15時44分10秒 返信・引用
調査結果です。
安房さん的女性、っていうのは、私がご本人の写真を見た印象…おとなしそう。かげにかくれていそう。絶対に人前に出ていかなそう。でも芯は強そう。
…という意味でした。
ネット探偵したところ
峰岸明さん(夫)
「家内は人前で話すことを最も不得手とし、日頃それを嫌っていました。まして、人に教えることなどのできる性格ではまったくなかったのです。(弟子はいたかという質問に答えて)」
小西正保さん(評論家)
「戦後の女性にしては珍しいくらい、怖ろしくナイーブな方でした。結婚しているなんて思えなかった(或る賞の授賞式で初めて会った時の感想として)」
…ということです。講演などもお嫌いでほぼなさらなかったようです。
で、ここでいきなりトンデモ話ですが、興味がある人は「アワ性とサヌキ性」でネット検索してみてください。
超古代文明まで話が行っちゃって面白い、っちゃあ面白いですよ。
私は父がトンデモ趣味だったんでしょっちゅう「あいつはサヌキ性が強すぎる。もう少しアワ性をもたないと」…とかえたいの知れない話を聞かされて育ちました(これは「育ちがいい」のかな?)。だから「安房さん」でちょっと思い出しちゃったんですよね。
「淡路島」を通ると「阿波の国」があって隣に「讃岐の国」があって。「阿波の国」から黒潮に乗ると「安房の国」に着いて『南総里見八犬伝』か。
このトンデモ趣味も「物理学者」が絡んでいるみたい。調べたらもう「学会」誌(いつも家にあった)も発行していないみたいで忘れられちゃいそうだからなんとなく宣伝しておきましょう。
物理学って何だ?…なんだか面白いですね。
父は男が「サヌキ」で女が「アワ」なのに!っていつもぷんぷんしていたけれど。そして四国に行くと本当に「讃岐男に阿波女」という言葉がまだあったけれど。
一体何なんでしょうね~。
それでは。
エンドレスエイトの驚愕@ゲンロンカフェ 投稿者:φ 投稿日:2018年 5月23日(水)10時26分54秒 返信・引用
> No.5087[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
タイトル更新しました笑
>
> 先日、ある大学の物理学/宇宙論の准教授さんの講演的なイベントに行ってきて、
> 「先生は多世界解釈はどう思われますか」とお聞きしたのですが、コペンハーゲン解釈よりも絶対優位な解釈とは思われていないようでした。
> (あまり、お聞きできなかったので、明確な個別の解釈への支持があるかはわかりませんでしたが...)
>
コペンハーゲン解釈という名は誤解を招くもので、あれは「解釈」ではないというのは大多数の物理学者が今や認めていると思うのですけれどね・・・・・・。
あれには存在論的モデルがありませんから。
計算のつじつまを合わせているだけで、そもそも量子力学の理論に含まれていない「収縮」を認めている点で、観測に合わせて「周転円」を無際限にくっつけてつじつま合わせに終始した天動説と同じことになっています。
というか、存在論的モデルがはっきりしていた天動説よりずっと悪いと言えると思います。
「解釈」の名に値するモデルが描けず、「黙って計算しろ」だけでは、哲学者だけでなく現場の誰もが納得していないと思いますが・・・
>
> http://yu-no.jp/
> 「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO 」
>
> 元々は、セガサターンとかPC98とかで出てたゲームなのですが、パラレルワールドに意味を持たせたかなり初期(元祖?)のゲームで、
> 最近、リメイク版がPS4で出ました。
> http://yu-no.jp/system/
> にもありますように、
> 並行世界全体がダンジョンマップのように分岐が見えて、この世界でこうしないと、別の世界で行き詰るみたいな部分が、
> 視覚的に見えて面白かった記憶があります。
>
なるほどいろいろあるものですね。
ゲームはいくつかやりましたが楽しいと思えず、
ハルヒのゲームも買ったっきり放置です。
PS3以外はゲーム機一つも持ってませんし。
ところで、ハルヒについてはこんな感じで↓
http://green.ap.teacup.com/miurat/5466.html
5/29当日まで微差を伴いつつ8回続ける予定です。
裏でとはいえ回数を始めから宣言したのでは単なるポプテピピックでしかなく、エンドレスエイトを演じたことにはならないのですが。
Re: エンドレスエイトの驚愕@トカナ 投稿者:Ted 投稿日:2018年 5月22日(火)19時54分36秒 返信・引用
> No.5083[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 物理法則、定数は、ほとんどすべてが生命発生に関わるので、人間原理による説明を受け付けてしまいますけれどね。
> ローカルな揺らぎについては(人間の片手の指がなぜ6本でないのかとか)人間原理は出番がありませんね。
>
> 未知の物理定数について、ファインチューニングの範囲内であることが予測され、かつ、ウルトラファインチューニングされている確率は低い、
> とも予測される。人間原理あるいはマルチバースは予測力がないと言い張る人がいますが、それは真っ赤なウソで、
> 人間原理ほど未知の物理定数の絞り込みに有効な方法はありません。フレッド・ホイルの炭素原子核エネルギー準位の予測が有名ですが、
> その他にも多数あるはずです(物理学者は後ろめたく感じてあまり宣伝したがらないようですが)
なるほどですね。
弱い人間原理的の範囲内においての「人間原理」ぐらいだと、物理学者にも抵抗は少ないのかもしれないですね...
多宇宙を認めるかのところに抵抗線があるのかもしれません。
先日、ある大学の物理学/宇宙論の准教授さんの講演的なイベントに行ってきて、
「先生は多世界解釈はどう思われますか」とお聞きしたのですが、コペンハーゲン解釈よりも絶対優位な解釈とは思われていないようでした。
(あまり、お聞きできなかったので、明確な個別の解釈への支持があるかはわかりませんでしたが...)
> > 美少女系の紙芝居ゲームは、その中でもビュジュアルノベルとも呼ばれて、もはや、絵と音声・音楽のあるノベル(時々選択肢あり)
> > みたいなのになってますからね…
> > 紙芝居ゲームは、ビジュアルノベルと言うほうがより正確な表現かなとはおもいます。
> >
>
> 選択肢も、有機的に相互作用して「正解」「不正解」がはっきりするようなものであれば「ゲーム」の名に値するんですけれどね……
http://yu-no.jp/
「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO 」
元々は、セガサターンとかPC98とかで出てたゲームなのですが、パラレルワールドに意味を持たせたかなり初期(元祖?)のゲームで、
最近、リメイク版がPS4で出ました。
http://yu-no.jp/system/
にもありますように、
並行世界全体がダンジョンマップのように分岐が見えて、この世界でこうしないと、別の世界で行き詰るみたいな部分が、
視覚的に見えて面白かった記憶があります。
果たして「ゲーム」というところまで、有機的な相互作用はないとも思いますが、単にシナリオのみで進めるよりは
面白かったように思いました。
Re: 勇者ヨシヒコの冒険 投稿者:国語 投稿日:2018年 5月18日(金)07時14分13秒 返信・引用
> No.5085[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 国語さんへのお返事です。
お返事ありがとうございます。
> フィーリングが合いすぎるのも考えものですね。抵抗感がなくて物足りないというか。
本当にそうですね。
ついつい合う人を探してしまいがちですが会う人に合わせていく…映画でいうと『カメレオンマン』みたいなほうが「のぞき」をする人間の処世としては有効でしょうね(映画は目立ちすぎですけどね)。
それでは、ありがとうございました。
チャイム。
Re: 勇者ヨシヒコの冒険 投稿者:φ 投稿日:2018年 5月18日(金)02時58分33秒 返信・引用
> No.5084[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
『勇者ヨシヒコの冒険』は最初の方だけ、ちょっと前にAmazonプライムで観たばかりでした。
面白いとは思ったものの、なんだかわかりすぎて、私にとって驚きがないことがわかってきたので、ストップ。
妻子を連れた父親と出会うあたりだったかな。止めたのは。
フィーリングが合いすぎるのも考えものですね。抵抗感がなくて物足りないというか。
仇討の女は、あの女優知りませんでしたが、きわめてタイプでした。
豚っ鼻が似合うあたりがポイントです。
気が向いたらそのうち続きを観ることにします。
勇者ヨシヒコの冒険 投稿者:国語 投稿日:2018年 5月17日(木)14時34分23秒 返信・引用
休憩時間。
国語流スカトロがよいこのみんなにお勧めするのは『勇者ヨシヒコの冒険』です。
「むらさきはおこりんぼうのたいらむね」
と、歌まで歌われてからかわれるたいらむねの木南晴香さんも出演しているよ。
とくに、最初にヨシヒコが剣を抜いて「勇者」になるシーンが最高。
次点は「馬」に乗って村を旅立つシーンかな。
「ダブルウンコマン」との戦いもいいよ。
それでは。
Re: エンドレスエイトの驚愕@トカナ 投稿者:φ 投稿日:2018年 5月15日(火)04時15分23秒 返信・引用
> No.5082[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> 例えば、「人間の耳あかが乾燥したタイプ(乾型)になるか、それとも湿ったタイプ(湿型)になるか」という問題で、
> その割合が統計的に決まっている(乾:20%、湿:80%等)というようなことがもしあったら、
> その割合というのは、「知的生命の発生のための必要条件あるいはその不随効果ではないような揺らぎ」とは違うので、
> 人間原理(マルチバース)からは説明できないという感じでしょうか。
>
物理法則、定数は、ほとんどすべてが生命発生に関わるので、人間原理による説明を受け付けてしまいますけれどね。
ローカルな揺らぎについては(人間の片手の指がなぜ6本でないのかとか)人間原理は出番がありませんね。
未知の物理定数について、ファインチューニングの範囲内であることが予測され、かつ、ウルトラファインチューニングされている確率は低い、とも予測される。人間原理あるいはマルチバースは予測力がないと言い張る人がいますが、それは真っ赤なウソで、人間原理ほど未知の物理定数の絞り込みに有効な方法はありません。フレッド・ホイルの炭素原子核エネルギー準位の予測が有名ですが、その他にも多数あるはずです(物理学者は後ろめたく感じてあまり宣伝したがらないようですが)
>
> 美少女系の紙芝居ゲームは、その中でもビュジュアルノベルとも呼ばれて、もはや、絵と音声・音楽のあるノベル(時々選択肢あり)
> みたいなのになってますからね…
> 紙芝居ゲームは、ビジュアルノベルと言うほうがより正確な表現かなとはおもいます。
>
選択肢も、有機的に相互作用して「正解」「不正解」がはっきりするようなものであれば「ゲーム」の名に値するんですけれどね……
Re: エンドレスエイトの驚愕@トカナ 投稿者:Ted 投稿日:2018年 5月14日(月)20時44分22秒 返信・引用
> No.5079[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> そうでもないところが人間原理の強みです。
> つまり、「知的生命の発生のための必要条件あるいはその不随効果ではないような揺らぎ」については、
> 人間原理(マルチバース)は説明力を持ちません。
> そこが、すべてに適用できるがゆえに説明力ゼロとなってしまっている「神仮説」と異なります。
ご返事ありがとうございます。
なるほどですね。
例えば、「人間の耳あかが乾燥したタイプ(乾型)になるか、それとも湿ったタイプ(湿型)になるか」という問題で、
その割合が統計的に決まっている(乾:20%、湿:80%等)というようなことがもしあったら、
その割合というのは、「知的生命の発生のための必要条件あるいはその不随効果ではないような揺らぎ」とは違うので、
人間原理(マルチバース)からは説明できないという感じでしょうか。
(「私自身」がなぜ、乾燥したタイプなのか? となるとまた、問題は異なってきますが…)
> インフィニティシリーズの、どれだったか忘れましたが(EVER17だったかもしれません)
> 最後までやりましたよ。何十時間もかけて。
> 「多世界解釈」の解説なんぞも出てきて「なるほどね」と思いましたが、
> いわゆるゲームではないですよね。競争的な頭の使い方皆無で、ただの紙芝居でした。
> どうして「ゲーム」って呼ばれるんですかね?
>
> 囲碁や将棋の方が、機械の人工知能性を体感できてはるかにはるかに興奮すると思いますが……
もともとは、選択肢を複雑に選んで進むというようなゲーム性もあって、アドベンチャーゲームという
ジャンルですが、
美少女系の紙芝居ゲームは、その中でもビュジュアルノベルとも呼ばれて、もはや、絵と音声・音楽のあるノベル(時々選択肢あり)
みたいなのになってますからね…
紙芝居ゲームは、ビジュアルノベルと言うほうがより正確な表現かなとはおもいます。
Re: 訂正 投稿者:国語 投稿日:2018年 5月14日(月)16時05分24秒 返信・引用
> No.5080[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 藤田紘一郎、井口昇とのスカトロ談義は楽しかったっけなあ。
藤田紘一郎先生はかつて見に行きました。
「サナダムシをおなかで飼いたい人は私の研究室に電話ください!!」
って言って、電話番号を板書されました。即書き留めて、翌日電話してみたところ、秘書らしき女の人がものすご~く困った声で
「サクラマスを1000匹さばいてもサナダムシは見つからない、くらい、いなくなっておりまして…」
とのこと。
先生、話し盛ってたんだな~。
でも、そんな藤田先生はかなり面白かったです。スカトロに流派があるとしたら私は藤田系国語流ですかね。
それでは。
訂正 投稿者:φ 投稿日:2018年 5月14日(月)15時13分34秒 返信・引用
> No.5078[元記事へ]
>
> 鼎談はまだ経験ないのですよ。
>
というのは間違いでした。
考えてみたら『サイゾー』その他でさんざんやってました。
藤田紘一郎、井口昇とのスカトロ談義は楽しかったっけなあ。
ジェイド社長、峰なゆかとコラボという夢もかなえてもらいましたし……。
Re: エンドレスエイトの驚愕@トカナ 投稿者:φ 投稿日:2018年 5月14日(月)04時31分1秒 返信・引用
> No.5077[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> 「人間原理」で考えると、これを言うと身も蓋もないかもしれませんが、どの段階の学問(素粒子論~芸術・社会学等)であっても、
> 多世界から説明できるので、
>
そうでもないところが人間原理の強みです。
つまり、「知的生命の発生のための必要条件あるいはその不随効果ではないような揺らぎ」については、
人間原理(マルチバース)は説明力を持ちません。
そこが、すべてに適用できるがゆえに説明力ゼロとなってしまっている「神仮説」と異なります。
>
> 他の歴史に残る炎上案件は、関係者の放漫な行動が招いたり、
> 作画やその他のクォリティが残念なことになったり、
> 原作改変や作品風土に合わない悲劇的なストーリーなどが多く、エンドレスエイトは
> 特異かとは思いました。
>
エンドレスエイトは純然たる「確信犯」でしたね。
世間でよく誤用される意味での「確信犯」ではなく、辞書的意味での確信犯。
>
> 数十時間にわたって、何回も何回も「共通ルート」を繰り返した後に、
> 「それまでの共通ルート・個別ルートはこのためにあったんだ」
> というような上手いトゥルーエンドがあると、
> すんなりストーリーが進むより、長時間の手間がかかっている分、感動が大きい場合があります(例:EVER17等の作品)
>
インフィニティシリーズの、どれだったか忘れましたが(EVER17だったかもしれません)
最後までやりましたよ。何十時間もかけて。
「多世界解釈」の解説なんぞも出てきて「なるほどね」と思いましたが、
いわゆるゲームではないですよね。競争的な頭の使い方皆無で、ただの紙芝居でした。
どうして「ゲーム」って呼ばれるんですかね?
囲碁や将棋の方が、機械の人工知能性を体感できてはるかにはるかに興奮すると思いますが……
Re: リクエスト 投稿者:φ 投稿日:2018年 5月14日(月)04時20分8秒 返信・引用
> No.5076[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
小松美彦先生とは今年から同僚となりました。(教授会が一緒なだけですが)
鼎談はまだ経験ないのですよ。
対談は何度もありますけどね。
学会のシンポジウムはたいてい三人が順に登壇して、最後にフロアから全員が質問を受けるのですが、
それは鼎談ではありませんしね。
というか、
今回・5月29日のも、「鼎談」となるのかどうか不明です。
ネタには事欠かないのでどんな形式でも対応できるかとは思いますが。
Re: エンドレスエイトの驚愕@トカナ 投稿者:Ted 投稿日:2018年 5月13日(日)18時02分11秒 返信・引用
> No.5074[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> そうですね。主観になってしまいます。
> ただ、相対的に考えて、
> 「エンドレスエイト」は、あれが起こる前は誰も実現するなどとは本気で考えなかった
> (事実は小説よりも奇なる)出来事でしたが、
> あれより極端な試みはいくらでも考えられるわけです。
> そういうことがなされなかったのは不幸中の幸いというか、
> ファインチューニング中のノンウルトラファインチューニングである、
> というイメージはほぼ正しいのではないでしょうか。
>
> 美術でもそれは起こりました。音楽でも。
> しかし小説や映画では起きていません。
> あるジャンルで起きなかったレベルのことが別のジャンルで起きてしまったという事実、
> これはそれなりに驚くべきであり、かつ、「上には上がある」という直観も正しいと思われるのです
> 自意識覚醒誘発度の違いは、ある程度、客観的に測れるのではないかと思います。
> 「完全使いまわしで残り17回放送枠全部埋める」が実行されたら、さすがに、よってたかって研究されているでしょうね。1年以内に、経済学的・社会学的な研究書が5、6冊は出ていたでしょう。
> あの八回程度の逸脱が起こる芸術史が最も数が多く、ほどほどに自意識を刺激して、
> 今のところたった一冊、9年も経ってから『エンドレスエイトの驚愕:ハルヒ@人間原理を考える』が出版されているというわけです。
ご返事ありがとうございます。
少し飛躍してしまうかもしれませんが、
この世の事象は素粒子論に還元できるかということで、例えば、水素粒子数個の相互干渉であれば、素粒子論(量子力学含む)などで論じれます。
また、それ以上の理論は特に必要ないと考えます。
ニュートン力学は量子力学や素粒子論などの上に乗っかっており、巨視的な面では間違っていません。
が、究極の素粒子論が、それを含んだ形になっているので、煩雑にはなるかもしれませんが、素粒子論から原理的には説明できるはずです。
同様に、生物学、脳科学、哲学、文学・芸術、社会学、経済学 等なども、
めちゃくちゃ複雑だけど、
素粒子論で原理的には説明できるはずという論もあるかとは思います。
究極的なものとして、
文学や社会学などを素粒子論から説明すると考える気が遠くなってしまいますが、
上記でいただいた内容からなんとなく思ったことは、
「人間原理」で考えると、これを言うと身も蓋もないかもしれませんが、どの段階の学問(素粒子論~芸術・社会学等)であっても、
多世界から説明できるので、
逆に、それぞれの分野はそれぞれの分野での結論を持って考えていけばいいのかと思いました。
(下手に、素粒子論から導き出せなければ…みたいなことは考えすぎなくてもよいように思いました)
> 我々の芸術史がそういうものである確率は低い。
> 「動揺した暴走」がなされてギリギリ自意識を覚醒させるような、「例外中の平凡」である芸術史にわれわれがいる見込み大です。
> いずれにしても、ハイアートではなく娯楽ポップカルチャーで「エンドレスエイト」のあの演出がなされたこと、その暴走度はデュシャンの比ではありませんね。
> 「エンドレスエイト」は、高級芸術における芸術クラスタのマスターベーションとはわけが違います。
> 「完全使いまわしで残り17回放送枠全部埋める」ほどの超暴走ではありませんでしたが。
>
> とりあえず今からでもみんなもっと驚かねばならない、と思います。
「エンドレスエイト」の「ほぼ同じループ」については、
①アニメ史の中で、炎上案件としてチェックすると
参考:
http://mylife.2chblog.jp/archives/29994678.html
のようなところを見ても、
他の歴史に残る炎上案件は、関係者の放漫な行動が招いたり、
作画やその他のクォリティが残念なことになったり、
原作改変や作品風土に合わない悲劇的なストーリーなどが多く、エンドレスエイトは
特異かとは思いました。
②「ほぼ同じループ」について
アニメではないのですが、ビジュアルノベル・ノベルゲーは、
その性質上、
「共通ルート」「キャラ毎の分岐ルート」という構成となっていて、全ルートを見た後、
真のトゥルーエンドのストーリーが始まるというような場合があります。
数十時間にわたって、何回も何回も「共通ルート」を繰り返した後に、
「それまでの共通ルート・個別ルートはこのためにあったんだ」
というような上手いトゥルーエンドがあると、
すんなりストーリーが進むより、長時間の手間がかかっている分、感動が大きい場合があります(例:EVER17等の作品)
ただ、これらは、商業アニメに比べればマイナーな存在、且つ、そもそもの構成によるものなので、
オタクならだれでも知っているというようなレベルではなく、また、トゥルーエンドもきちんと構成されているので、
エンドレスエイトのように、「これで終わり?」感も少ないのではないかと思います。
エンドレスエイトは、
アニメサイドからすると、「エンドレスエイト? 炎上したけど、あんなん、特に珍しくもないし。ゲームや近代芸術じゃよくあるよ」というような
意見もありえると思いますが、
確かにご指摘の通り、多額のお金が動いている娯楽ポップカルチャーにて、
こういう実験的なことをやってしまったということは、確かに、
客観的に比較してみると、過去に中々にあり得ないが、突き抜けてもいないという微妙なラインに乗っているのかなと思いました。
リクエスト 投稿者:国語 投稿日:2018年 5月12日(土)07時15分6秒 返信・引用
φ先生は間違いないので、かねてよりファンだったが見たことはない渡辺恒夫先生となんだかんだで見に行けてない、且つ、かなり重要なことをたった一人で言っておられる感がある小松美彦先生の鼎談があったら見に行きたいですね(派閥が違ってありえない話かもしれませんが。あくまで田舎の一読者の希望)。小松先生は煙草臭いかも知れないから(適当なこと言ってます。ごめんなさい)間に渡辺先生に座っていただいて。
テーマは「幻想としての自我と自己決定~死生学からの賜物~」とか(適当)。
こりゃすごいな。この3枚のカードだったら多少無理しても買いますね。
…万一現実世界で実現したらたぶん私が聴衆に紛れ込んでいるとおもいます。
そのときは、よろしく。
それでは。
Re: 訂正です 投稿者:国語 投稿日:2018年 5月11日(金)06時20分39秒 返信・引用
> No.5073[元記事へ]
φさんへのお返事です。
御指摘ありがとうございます。
> 「身分が高い」という言い方は微かに違和感がありました。
おっしゃる通りですね。そして、大変に重要な「違和感」であったとおもいます。
さすがですね。ありがとうごさいました。
それでは。
Re: エンドレスエイトの驚愕@トカナ 投稿者:φ 投稿日:2018年 5月11日(金)04時51分9秒 返信・引用
> No.5072[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> 芸術や文学の話にこの論法を持ってきた場合、
> ウルトラファインチューニング状態の定義が、例えば今回の場合だと、
> 「完全使いまわしで残り17回放送枠全部埋める」
> という、数式で表せない、ある種感覚的と感じる状態なので、
>
> 例えば、現状のままのエンドレスエイトであっても、
> 「悪評が多いながらも比較的話題になった。一般人の目からすると、これはこれで奇跡」
> よって、この世界のエンドレスエイトはUFT状態である。
> みたいな論もありえないかなと思ってしまうこともあります。
>
そうですね。主観になってしまいます。
ただ、相対的に考えて、
「エンドレスエイト」は、あれが起こる前は誰も実現するなどとは本気で考えなかった
(事実は小説よりも奇なる)出来事でしたが、
あれより極端な試みはいくらでも考えられるわけです。
そういうことがなされなかったのは不幸中の幸いというか、
ファインチューニング中のノンウルトラファインチューニングである、
というイメージはほぼ正しいのではないでしょうか。
美術でもそれは起こりました。音楽でも。
しかし小説や映画では起きていません。
あるジャンルで起きなかったレベルのことが別のジャンルで起きてしまったという事実、
これはそれなりに驚くべきであり、かつ、「上には上がある」という直観も正しいと思われるのです。
>
> 例えば「曲率0」と同じようなイメージで、
> 「完全使いまわしで残り17回放送枠全部埋める」のほうが、UFTで、
> 現在のエンドレスエイトが単なるFTだという、証明?するようなことは
> できないのでしょうか。
>
自意識覚醒誘発度の違いは、ある程度、客観的に測れるのではないかと思います。
「完全使いまわしで残り17回放送枠全部埋める」が実行されたら、さすがに、よってたかって研究されているでしょうね。1年以内に、経済学的・社会学的な研究書が5、6冊は出ていたでしょう。
あの八回程度の逸脱が起こる芸術史が最も数が多く、ほどほどに自意識を刺激して、
今のところたった一冊、9年も経ってから『エンドレスエイトの驚愕:ハルヒ@人間原理を考える』が出版されているというわけです。
Re: 訂正です 投稿者:φ 投稿日:2018年 5月11日(金)04時39分25秒 返信・引用
> No.5071[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
> 広瀬さんは正しくは「中佐」です。調べたところ「中佐」のほうが身分が高いです。
> 「広瀬中佐の歌」まであったそうで、ちょっと歌っていただいたりもしたのに、思いっきり間違ってしまいました。
>
「身分が高い」という言い方は微かに違和感がありました。
「階級が高い」「位が高い」はわかるのですが。
誤用ではないでしょうけれどね。
辞書によっては、「身分」は固定的な属性に使うと書いてあるのもあります。
Re: エンドレスエイトの驚愕@トカナ 投稿者:Ted 投稿日:2018年 5月10日(木)17時52分9秒 返信・引用
> No.5069[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> E◇→B ですね。
> p.349のcは偽で、芸術史の必然的法則はおそらくありませんが、
> 「芸術史」でなく「我々のいる芸術史」に限定すれば、必ず何かが暴走しているはず。
> それは「エンドレスエイト」とは限らず、別の作品だったかもしれません。
> 「涼宮ハルヒの消失」が何か想像もつかないとんでもない演出で提示されていたり。
> ただし、
> この芸術史における「エンドレスエイト」をはるかにしのぐ非常識な暴走がなされている芸術史は希少でしょうから、
> 我々の芸術史がそういうものである確率は低い。
> 「動揺した暴走」がなされてギリギリ自意識を覚醒させるような、「例外中の平凡」である芸術史にわれわれがいる見込み大です。
> いずれにしても、ハイアートではなく娯楽ポップカルチャーで「エンドレスエイト」のあの演出がなされたこと、その暴走度はデュシャンの比ではありませんね。
> 「エンドレスエイト」は、高級芸術における芸術クラスタのマスターベーションとはわけが違います。
> 「完全使いまわしで残り17回放送枠全部埋める」ほどの超暴走ではありませんでしたが。
>
> とりあえず今からでもみんなもっと驚かねばならない、と思います。
例えば、宇宙の曲率が0であったと判明した場合、
0近辺になることは、観測選択効果で多宇宙説を指示しますが、
実数の集合の中からぴったり0になるということが分かれば、
それは、多宇宙からの要請だけではなく、
神かIDか未知の物理法則がある説もあるかと思います。
このような物理的な話だと、ウルトラファインチューニング状態が「曲率0」と
理解しやすい=数式や確率でそのありえ無さが理解できる
のですが、
芸術や文学の話にこの論法を持ってきた場合、
ウルトラファインチューニング状態の定義が、例えば今回の場合だと、
「完全使いまわしで残り17回放送枠全部埋める」
という、数式で表せない、ある種感覚的と感じる状態なので、
例えば、現状のままのエンドレスエイトであっても、
「悪評が多いながらも比較的話題になった。一般人の目からすると、これはこれで奇跡」
よって、この世界のエンドレスエイトはUFT状態である。
みたいな論もありえないかなと思ってしまうこともあります。
例えば「曲率0」と同じようなイメージで、
「完全使いまわしで残り17回放送枠全部埋める」のほうが、UFTで、
現在のエンドレスエイトが単なるFTだという、証明?するようなことは
できないのでしょうか。
訂正です 投稿者:国語 投稿日:2018年 5月10日(木)17時34分59秒 返信・引用
> No.5070[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
> 「広瀬中尉」とか「孝女白菊」とか
ごめんなさい!
広瀬さんは正しくは「中佐」です。調べたところ「中佐」のほうが身分が高いです。
「広瀬中佐の歌」まであったそうで、ちょっと歌っていただいたりもしたのに、思いっきり間違ってしまいました。
これは故人に甚だ申し訳ない誤りでした。ここに深くお詫びして訂正いたします。重ねてごめんなさい。「広瀬中佐」です。
それでは。
世代間交流 投稿者:国語 投稿日:2018年 5月10日(木)08時04分33秒 返信・引用
> No.5067[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 国語さんへのお返事です。
お返事ありがとうございます。もう数学の時間ですから返信無用ですよ。
>
> 数学は、学校で「数の計算」ばっかりやらされるからみんな嫌いになるんじゃないですかね。
> 数はなるべく使わず、早い時期から文字式で、量の計算ぬきで構造の変形だけに集中させれば、数学嫌いは激減しそうですね。
> 数量の計算なんて、数学者ですら嫌気がさすと思います。
「みんな」って。
先生は頭いいんですからそんなに裾野のことまで考えてあげなくていいんですよ。
裾野は裾野担当がいるから。
どこまで親切なんですかね。先生のお母さんのほうが見てみたいですね。きっと親切な方でしょう。
> ところで、お知らせです。
>
> blogにはすでに告知しましたが↓
>
> ゲンロンカフェ
> 2018/05/29 (火)19:00~
> 「『エンドレスエイトの驚愕』の驚愕」↓
> https://genroncafe20180529.peatix.com/
>
…これは、ちょっとした世代間交流ですね。
私は今、90近い人とか90超の人、若くても80超の人と可能な限り話をしています。
敗戦時の年齢がかなり認識に差を生むのでこの年代の人と話せるのははっきり言って今だけ。
「広瀬中尉」とか「孝女白菊」とかカルチャーが全く違ってめちゃくちゃ面白い。暗記している文を言ってもらってPC検索掛けるとだいたいわかります。
煙草農家で育った子供時代の家内制手工業の話。村芝居がやってきた時の事。明治生まれのお姑さんの思い出。エトセトラ。
結婚のいきさつなんかも面白いね。
「親同士が電車で乗り合わせて『復員してきた息子がいる』『年頃の娘がいる』てな会話で決まっちゃって。」と言って、60年以上仲睦まじく暮らしている人とか。やっぱりびっくりするほど性格がいい!
私も年寄りになったら若い人ともいろんな話ができる人になっているといいな(生きてたらね)。
きっと若い人も先生と話ができて喜んでいることでしょう。
御盛会を祈念致します。
それでは。
Re: エンドレスエイトの驚愕@トカナ 投稿者:φ 投稿日:2018年 5月10日(木)03時14分31秒 返信・引用
> No.5068[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> エンドレスエイトの驚愕、、
> p349のc「エンドレスエイト」が「暴走」したのは、必然的法則。
> という部分が真なら、それはそれで面白なと少し思いました。
>
p.350のロジック2の最後で、p.349のcは偽である、と判明するわけですけれどね。
>
> 「エンドレスエイト」なら「暴走」かもしれない。(E◇→B)
> なのかもしれませんが…
>
E◇→B ですね。
p.349のcは偽で、芸術史の必然的法則はおそらくありませんが、
「芸術史」でなく「我々のいる芸術史」に限定すれば、必ず何かが暴走しているはず。
それは「エンドレスエイト」とは限らず、別の作品だったかもしれません。
「涼宮ハルヒの消失」が何か想像もつかないとんでもない演出で提示されていたり。
ただし、
この芸術史における「エンドレスエイト」をはるかにしのぐ非常識な暴走がなされている芸術史は希少でしょうから、
我々の芸術史がそういうものである確率は低い。
「動揺した暴走」がなされてギリギリ自意識を覚醒させるような、「例外中の平凡」である芸術史にわれわれがいる見込み大です。
いずれにしても、ハイアートではなく娯楽ポップカルチャーで「エンドレスエイト」のあの演出がなされたこと、その暴走度はデュシャンの比ではありませんね。
「エンドレスエイト」は、高級芸術における芸術クラスタのマスターベーションとはわけが違います。
「完全使いまわしで残り17回放送枠全部埋める」ほどの超暴走ではありませんでしたが。
とりあえず今からでもみんなもっと驚かねばならない、と思います。
Re: エンドレスエイトの驚愕@トカナ 投稿者:Ted 投稿日:2018年 5月 9日(水)07時39分11秒 返信・引用
> No.5065[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> Tedさんへのお返事です。
ご返事ありがとうございます。
>
> 3月の段階で聞いたデータですが、
> 『エンドレスエイトの驚愕』の売れ行きがよかったジュンク堂/丸善では、
> 購入者はすべて男性で、女性はひとりもいなかったということです。
> そして、サブカルの棚ではあまり売れず、ほとんど哲学の棚で売れているのだとか。
>
> それに対して、Twitterやブログでの『エンドレスエイトの驚愕』への言及は、
> ほとんどすべてがアニメ関連であり、哲学のトピックとして取り上げられていることは皆無に近いそうです。
>
> リアル書店とネットでは傾向が真逆という、
> ちょっと考えさせられる話ではあります。……
なるほど!やっぱり、哲学サイドの人が買ってるんですね。
> 人間原理は、内容ではなく態度を批判される方が多いですよね。
> 「そういう説明の仕方は直接の因果的説明を放棄している」と。
> 人間原理も立派な因果的説明なのですが、まあ一度まとわりついたイメージは払拭するのが難しそうではありますね。
エンドレスエイトの驚愕、、
p349のc「エンドレスエイト」が「暴走」したのは、必然的法則。
という部分が真なら、それはそれで面白なと少し思いました。
つまり、
「エンドレスエイト」なら「暴走」であるはずだ。(E□→B)
≡「エンドレスエイト」が成り立っている諸可能世界のうち、
現実世界に最も類似した諸世界をとれば、そのすべての世界において、
「暴走」が成り立っている。
という想定の分析もうまく進めれば興味深そうな気がしました。
「エンドレスエイト」なら「暴走」かもしれない。(E◇→B)
なのかもしれませんが…
おしらせ 投稿者:φ 投稿日:2018年 5月 8日(火)05時31分37秒 返信・引用
> No.5066[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
数学は、学校で「数の計算」ばっかりやらされるからみんな嫌いになるんじゃないですかね。
数はなるべく使わず、早い時期から文字式で、量の計算ぬきで構造の変形だけに集中させれば、数学嫌いは激減しそうですね。
数量の計算なんて、数学者ですら嫌気がさすと思います。
ところで、お知らせです。
blogにはすでに告知しましたが↓
ゲンロンカフェ
2018/05/29 (火)19:00~
「『エンドレスエイトの驚愕』の驚愕」↓
https://genroncafe20180529.peatix.com/
Re: BTXさんへ 投稿者:国語 投稿日:2018年 5月 7日(月)15時39分15秒 返信・引用
> No.5064[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 国語さんへのお返事です。
お返事ありがとうございます。
>
> >
> > 私は基本的に男女差よりも個人差という考えです
> >
>
> そりゃそうですよ。身長だって寿命だって筋力だって、男女差よりも個人差ですから。
…そうですよね。
意見を覆すわけではないのですが、連休中友人宅に遊びに行ったら『鬼平犯科帳』ばっかりやっているチャンネルがあり、子供時代以来久しぶりに見たのです。
「池波志乃」とか。
…もう存在が男女全然違うんですよね。だって、恰好が違うもんね。色彩も職業も全く違います。
変な話ですが、これからは「現実的には」中世に戻るので私の意見の「個人差」のところを「身分差」にしてもらったほうがより正確だったな、と思い直しました。
どうやら勉強しないと生き残れないな、ということでこちらの掲示板で初めて目にした「モンテカルロシミュレーション」や「確率密度関数」とか、せめて子供の世代はできるようにならないかな、とスコット兄弟の『ナンバーズ』など遅ればせながら仕入れてみました。
考えてみると、表立ってあまり言われませんが数Ⅲまでできる人が身内に一人もいない人って結構いるとおもいます。実は「主要5教科」の中で「数学」だけ世界言語だったんですよね。あーあ、気が付かなかったよ。
数学、ものすごく大事ですね。「アイハムナシイ」とか言っている場合じゃないです。大変だ!
この掲示板の皆さんは数学ができてすごいとおもいます。
それでは。
Re: エンドレスエイトの驚愕@トカナ 投稿者:φ 投稿日:2018年 5月 5日(土)05時57分9秒 返信・引用
> No.5061[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> あと、一つ思うのが、
> 「観測選択効果、人間原理、マルチバース」の説得性・説明性が強力過ぎて、
> その説に対して、
> 「それは違う!」とかの反論が出しにくいところはあるのかなと。
>
人間原理は、内容ではなく態度を批判される方が多いですよね。
「そういう説明の仕方は直接の因果的説明を放棄している」と。
人間原理も立派な因果的説明なのですが、まあ一度まとわりついたイメージは払拭するのが難しそうではありますね。
>
> トカナのインタビューにて、
> 上記にありましたが、
> ざっとネットも見ていますが、分析哲学・科学哲学側からも議論や言及はあまりないですね...
>
3月の段階で聞いたデータですが、
『エンドレスエイトの驚愕』の売れ行きがよかったジュンク堂/丸善では、
購入者はすべて男性で、女性はひとりもいなかったということです。
そして、サブカルの棚ではあまり売れず、ほとんど哲学の棚で売れているのだとか。
それに対して、Twitterやブログでの『エンドレスエイトの驚愕』への言及は、
ほとんどすべてがアニメ関連であり、哲学のトピックとして取り上げられていることは皆無に近いそうです。
リアル書店とネットでは傾向が真逆という、
ちょっと考えさせられる話ではあります。……
Re: BTXさんへ 投稿者:φ 投稿日:2018年 5月 5日(土)05時47分14秒 返信・引用
> No.5062[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
>
> 私は基本的に男女差よりも個人差という考えです
>
そりゃそうですよ。身長だって寿命だって筋力だって、男女差よりも個人差ですから。
>
> 自宅でピアノを教えている近所の女性に
> 「本当は数学がものすごく好きだったけど女の子が数学では結婚相手が見つからないから
> 音大なら進学させるが数学だったらさせないと言われてしぶしぶ」
> という話を聞いてびっくりしたことがあります。
>
そういう話は信じない方がいいと思いますけどね。
音楽より数学の方がずっと金がかからなくて、親としてはありがたいはず。結婚相手も、男は女の職業なんて気にしませんしね。
自分が数学に自信なかったのを、親のせいにしてるんだと思いますよ。
>
> 私はどちらかというと女性には安房さんの雰囲気を求めてしまう傾向があるので(自分はさておき)、今は安房さん的な女性が絶滅危惧種なのかな、なんて思ったりしました。
>
安房直子の朗読パフォーマンスは何度も見に行きました。
学生時代からの友人で、前任校の非常勤講師もしている秋元紀子さんというのが、原宿でたびたびやってるんです。
Re: キャメロン・クロウのメッセージ 投稿者:国語 投稿日:2018年 5月 4日(金)16時34分46秒 返信・引用
> No.5059[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 国語さんへのお返事です。
お返事ありがとうございます。
> 『シングルス』は検索すると日本のテレビドラマの方が先に出てきて、
> なんだかそっちの方が興味惹かれました。
…これは「女の業」商売で著名な作家の原作のようですね。
このように、日本のメディアの定石は「都合の悪い作品は同タイトルで上書き」なのです。
『モンスター』という映画が最近では顕著な例でしょう。
「上書き商売」をやっている作家は「そういう担当なのだな」と見ておけば間違いないでしょう。
メディアの世界も分岐点が常にあり、どっちをつぶすかでそこそこ民心は操れるとおもいます。
ラノベ界だと『リュカオーン』と『スレイヤーズ』がひとつの分岐点。
少年漫画界だと(これは掟ポルシェのコラムで見かけた説ですが)『ミスター味っ子』と『BOYS BE』が分岐点かと思われます。
ついでに私は往年の映画をちょっと追っかけてしまい『結婚の条件』まで見てしまいました。
「いや~、そんなに無理してピーターパン辞めなくてよかったんじゃない?」
っていうのが感想。ジョン・ヒューズも死んじゃったなあ。
あとは私は基本的にハッピーエンドの作品(『ダンサーインザダーク』のようなデッドエンド且つハッピーエンドという作品は除く)しか見ないのですが、『トゥルーロマンス』という映画はひどく気に入っていたのです。
今調べるとタランティーノともめてまでトニー・スコットはハッピーエンドに持ち込んだようです。
そのトニーが死んでしまうアメリカはどうなっているのかな。
そんな風に思ってちょっと心配です。
でも、心配しても無駄なのかな。…という啓示をこちらで得たので気にしない気にしない、と。
それでは。
BTXさんへ 投稿者:国語 投稿日:2018年 5月 4日(金)06時48分22秒 返信・引用
やっぱり気になるので。
あの、以前の書き込みについてです。
この掲示板で性別を言ってもあんまり意味ない…というか、むしろめんどくさい、ということはなんとなくわかっていたので、「返信無用」にしたのです。
明かして益のない事を明かさせてはいけないので。
私は基本的に男女差よりも個人差という考えです(私は田舎に住んでいます。自宅でピアノを教えている近所の女性に「本当は数学がものすごく好きだったけど女の子が数学では結婚相手が見つからないから音大なら進学させるが数学だったらさせないと言われてしぶしぶ」という話を聞いてびっくりしたことがあります。その人は今は社会人になった息子さん二人を数Ⅲまで自分で教えていました)。だから、この掲示板に書き込んでおられるφ先生以外の方すべてが女性である可能性もある、と思っています。
そういうことで、もし気に障ったら、気にしないでください。
やや関係ありますが安房直子さんと工藤直子さんって調べれば調べるほど全然違います。ともに男の子一人を育てたようですが、工藤さんの息子は「松本大洋」という漫画家だそうです(この人の漫画は未見)。
安房さんは大学教授婦人という立場で学者のご主人の傍らで静かに創作すべき創作をして還って行かれたのでしょう。
工藤さんと安房さんは同じ性別ですが全然違います。
私はどちらかというと女性には安房さんの雰囲気を求めてしまう傾向があるので(自分はさておき)、今は安房さん的な女性が絶滅危惧種なのかな、なんて思ったりしました。
またも、わけのわからない書き込みだったらごめんなさい。
いろいろありがとうございました。
それでは。
Re: エンドレスエイトの驚愕@トカナ 投稿者:Ted 投稿日:2018年 5月 3日(木)22時21分54秒 返信・引用
> No.5060[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> やはり見た方が賢明なのでしょうね。
> 「見ない方が賢明」ということを知ることができるがゆえに。
> ここには「賢明」の階層差に依存した疑似パラドクスが発生していますが。
確かに…
賢明ではない前提にしつつ改めて見てみましょうか。
期待しないで見る分、「思ったよりひどくない、なかなか面白いな!」
となったりするかも…
> さて、
> 東大のその紛失したかもしれない絵は、私の研究室から空間的に近いところで発生した「事件」でもあり、
> いずれ論じなければならなくなりそうですね。
> 「紛失する」こと自体をアートとして捉えなおす可能性ををも射程に入れて。
東大生協さん側のコメントとか続報はまだあまりないようですね。
> 紛失という事件のアート視は、
> 「エンドレスエイト」をコンセプチュアルアート視するよりも意外と簡単にできるかもしれません。
> 或る見方によればコンセプチュアルアートは「言葉」「レディメイド」「介入」「ドキュメンテーション」の4要素から成るそうですが、「紛失」(「破損」)という要因も登録する必要があるかもしれません。
> メタ・コンセプチュアルアートになってしまいそうですが。
当たり前といえば当たり前なのですが、
「失われたという事実」「失われ方」のほうが価値を持っている主題って
御座いますよね。
タイタニック号が氷山にぶつからなかったら映画にならなかっただろうし…
あと、引き続き、エンドレスエイトの驚愕につきまして…
φさんが、ニコニコのトカナの記事のコメントにて、
「実質的な考察を導くのはやはり難しそうな模様ですね」と言われていることについて、
少し思うところとしまして、
ニコニコのコメントの論調でもありましたように、
書籍やインタビュー本文すら読まずに書き込んでいる人 は、
自分なりの「ハルヒは...エンドレスエイトは結局ね...」みたいな論を持っていて、
なかなか内容の理解まで進めないみたいですね…
あと、一つ思うのが、
「観測選択効果、人間原理、マルチバース」の説得性・説明性が強力過ぎて、
その説に対して、
「それは違う!」とかの反論が出しにくいところはあるのかなと。
また、ボストロムのシミュレーション仮設なんかもそうですが、
人間原理系の話を「悪ふざけ」としてしかとらないという人もいるように思います。
よって、読み進めてループ説の部分を理解できた人も、
「なるほど、確かに」というところまでは分かりやすい論旨なので行くとは思いますが、
その後の一般読者の反応としては、
「まじめな、悪ふざけか…」や「なるほどこういう説はすごいです…」以後に発する言葉が中々無くなってしまうように思います。
2封筒問題の事前確率の話や、眠り姫問題の1/2説と1/3説のように、
数学者からの反論や意見の不一致みたいなものが、あれば、賛否両論や
「私はこう思う」みたいなのがあるので、議論になるのですが、
今回テーマがアニメ作品ということで、もともとフィクションであったため、声高に反論ということも
おこりにくいのかなとも思ったりしました。
――――
――この本を特に誰に読んでほしいですか。
三浦 まずは『ハルヒ』好き、そしてEEをバッシングしていた人にこそ読んでほしいですね。
また、本書はアニメと実写の違いを本質的な部分で切り取れているはずなので、
「アニメとは何か」を考え直すにはいい入門書だと思います。あとは哲学者かな。
――三浦先生の同業者ですか。
三浦 英米系の科学・数学に密着した分析哲学者って、あまり個別の事例を研究しないんです。
「普遍的な真理」に行きがちで、時事的な問題には疎い。
だけど、ほんらい哲学は「方法の学問」なので、アニメだろうがゲームだろうが、どんなテーマでも扱えるはず。
その哲学的分析の模範演技として本書があるんです。
――――
トカナのインタビューにて、
上記にありましたが、
ざっとネットも見ていますが、分析哲学・科学哲学側からも議論や言及はあまりないですね...
ここは私見且つ、あまり私が知らないだけかもしれないのですが、
日本の分析哲学/科学哲学系の人って、可能世界や可能世界意味論の話はバンバンしますが、
「様相実在論」のようなリアルに世界がたくさん論は、基本否定的な論調ですよね。
φさんも「様相実在論」は否定されているのですが、
それは、テグマークの数学的宇宙を否定されているように、一種の「測度」問題が出てしまうため、
何でもアリはおかしいよねということで、もちろん多世界そのものは否定されていない。
「言語哲学大全2 意味と様相(上)」も読みましたが、飯田さんにしろ、
「世界の複数性について」の訳者の方々にしろ、様相実在論の強力性はみとめつつ、
「実際に世界がたくさん」という
部分は何か生理的に拒否反応が起きているように思います。
そういうこともあり、
ボストロムとか、レスリーみたいなマルチバース前提の論は、
日本ではφさん以外からはあまり見ないように思いますね…
そういうこともあって、なかなか論じにくいのかなとも思ってみたり…
Re: エンドレスエイトの驚愕@トカナ 投稿者:φ 投稿日:2018年 4月29日(日)17時53分43秒 返信・引用
> No.5058[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> あと、
> http://blog.nicovideo.jp/niconews/71712.html
> ニコニコで、ハルヒがGW限定で無料配信になっているようです。
> エンドレスエイトもあるみたいですね。
> 果たして、見たほうがいいのか、それとも、あえて「見ない」ほうがいいのか…
>
やはり見た方が賢明なのでしょうね。
「見ない方が賢明」ということを知ることができるがゆえに。
ここには「賢明」の階層差に依存した疑似パラドクスが発生していますが。
さて、
東大のその紛失したかもしれない絵は、私の研究室から空間的に近いところで発生した「事件」でもあり、
いずれ論じなければならなくなりそうですね。
「紛失する」こと自体をアートとして捉えなおす可能性ををも射程に入れて。
紛失という事件のアート視は、
「エンドレスエイト」をコンセプチュアルアート視するよりも意外と簡単にできるかもしれません。
或る見方によればコンセプチュアルアートは「言葉」「レディメイド」「介入」「ドキュメンテーション」の4要素から成るそうですが、「紛失」(「破損」)という要因も登録する必要があるかもしれません。
メタ・コンセプチュアルアートになってしまいそうですが。
Re: キャメロン・クロウのメッセージ 投稿者:φ 投稿日:2018年 4月29日(日)17時42分43秒 返信・引用
> No.5057[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
『シングルス』は検索すると日本のテレビドラマの方が先に出てきて、
なんだかそっちの方が興味惹かれました。
映画も観てみますけどね。
Re: エンドレスエイトの驚愕@トカナ 投稿者:Ted 投稿日:2018年 4月28日(土)20時30分19秒 返信・引用
> No.5050[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> そうではないですね。
> 言語というのは(画像や音声も)個人の意図を超えたシステムですから、制作者が関知しない様々な意味を帯びてしまうというのはまさに(Tedさんの比喩に乗っかると)物理的事実であり、さらにはほとんど論理的真実です。
> 「作者が自作の意味を全部わかっているとは限らない」なんてことは当たり前だと(周知だと)思っていると、ときどき「ガクッ」となることがあります。
>
> 作者の意図が権威を持つのは、
> 「この作品は演劇ではなく音楽である」
> 「この作品は彫刻ではなく絵画だからこちらの正面から鑑賞していただきたい」
> といった「カテゴリに関する意図」だけで、
> 作品がそのカテゴリと相対的にどんな意味を持つか、具体的に何を表わすかということは、概して、作者よりも批評家の方が深く理解できていたりします。
少し間が空きました。ご返事ありがとうございます。
なるほどですね。
芸術作品などの
「批評」という行為が無意味とかいう論調もある場合もありますしね…
ここ最近のニュースですが、
https://www.asahi.com/articles/ASL4X3GRGL4XUCVL001.html
東大の食堂に飾られていた絵が廃棄処分になった可能性があるので、
話題になっていますね。
作品が「廃棄」されちゃった宇佐美圭司さんの著書のひとつに
「デュシャン」があるのもあって、「廃棄」されたということも何だか
アート活動の一環とも思えなくもあったり…
あと、
http://blog.nicovideo.jp/niconews/71712.html
ニコニコで、ハルヒがGW限定で無料配信になっているようです。
エンドレスエイトもあるみたいですね。
果たして、見たほうがいいのか、それとも、あえて「見ない」ほうがいいのか…
キャメロン・クロウのメッセージ 投稿者:国語 投稿日:2018年 4月28日(土)17時39分10秒 返信・引用
『シングルス』というワーナーの古い映画をご紹介します。
この映画に出てくるブリジット・フォンダという女優を追っかけていたことがあって、この映画も一時所有していました。
弟に見せてやったら「姉ちゃん、これはすごくいい映画だ」ってあんまり何回も言って、ものすごく気に入ってたから呉れてやった。
何で「ブリジット・フォンダ」だったかというと、婚活のためここらで「女装」にトップギアで突っ込むかなという局面で、仲のいい先輩に「今、誰が綺麗ですかね」と尋ねたところ「ブリジット・フォンダ」と即答でした。私は自己認識としては「女形」なので常にお手本が必要です。写真集を購入し髪型から服装、痩せ具合、めちゃくちゃ研究しましたね(もとが芋だから客観的には似やしなかったけどね。気持ちの問題。目標設定はあくまで高く)。
で、今、『シングルス』を検索すると監督はキャメロン・クロウという人で『ハロルドとモード』が大好きだ、って書いてある。
この映画は私は今現在持っているんです。
すごい内容です。
これはね、「属性じゃなくて人格」を全編通して訴えているような作品です。
もちろんコンプレックス…というか「欠落」を扱ってもいます。
日本でこういう映画が果たして撮れるかな?
撮れないんじゃないかな?
アメリカ、いいな、と、素直に思える作品です。
φ先生も、本当は『シングルス』の整形外科医みたいなことをおっしゃりたいだけじゃないかと思います。「属性に関するコンプレックスは意味ないよ」って。
私はキャメロン・クロウとはきっと友達になれるんじゃないか。そんな風に思っています。
気が向いた人は見てみてくださいね。じゃ。
Re: 属性と人格 投稿者:国語 投稿日:2018年 4月26日(木)06時20分20秒 返信・引用
> No.5055[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 国語さんへのお返事です。
>
> ところでわずかに関係する話ですが、
> 最近、偶然に、尼神インター誠子の胸のネット画像が目に飛び込んできたのですが、
> いやぁ素晴らしいですね。
> テレビレス環境に20年いますが、ああいう造形を適宜伝えるテレビっていいメディアだなあと思いました。
へー、誠子ですか。
なかなかいい御趣味ですね。自分もひとつ探しに行ってみますかね。まだあるかな~。
情報、ありがとうございます。
じゃ、お達者で。
Re: 属性と人格 投稿者:φ 投稿日:2018年 4月26日(木)04時44分20秒 返信・引用
> No.5054[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
ところでわずかに関係する話ですが、
最近、偶然に、尼神インター誠子の胸のネット画像が目に飛び込んできたのですが、
いやぁ素晴らしいですね。
テレビレス環境に20年いますが、ああいう造形を適宜伝えるテレビっていいメディアだなあと思いました。
属性と人格 投稿者:国語 投稿日:2018年 4月25日(水)08時56分27秒 返信・引用
> No.5052[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 国語さんへのお返事です。
お返事ありがとうございます。
もう、パソコンって昔話の魔法使いが持っていた水晶玉みたい。
何でも見られるから楽しくって。楽しくって。
で、もののはずみで『ヒロミ』っていう歌を再聴したのです。
ヒロミのヒの字は ひばりのヒ
と、本人は言うけれど
ぼくに言わりゃ ひらめのヒ
むねはペチャンコ 干物のヒ
ごめん!ヒロミ!本気じゃないんだよ
LoveYou!ヒロミ!きげんをなおしてよ
好きだよと言ってみたいのに
言えなくてだからふざけるの
ヒロミ!ヒロミ!ぼくのヒーロー!
ヒロミ!ヒロミ!ぼくのヒロミ!
…これ、二番の歌詞ですけどね。
ま、だから、そういうことなんですよね。
この子は「ヒロミ」ちゃんが好きなわけであって、それは人格でしょ。
「むねはペチャンコ(だいたい子供なんだからペチャンコに決まっている)」という属性が好きなんじゃない。
…なんか、もう、ここらでいろいろ考え直してみるってのも、いいんじゃないですかね。
私が言うのもなんだかなあ、ですけど。
周りの人も内心そう思ってんだけど、「言いようもないな」っておもってるだけなんじゃない?
みんな先生のことが好きだから言えないんですよ。きっと。
そんな気がするけどなあ。違うかなあ。
> 女の属性はどんなものであれ一定規模以上の愛好家がいますが、男の属性はそうはいかないのでしょう。
「ごめんなさい。ハゲてない人はどうしてもいやなの」
「毛深くない人は男として見られません。さようなら」
とか?…変なの。
属性でベルトコンベアーで仕分け…みたいな視線だけで逃げ出すような人もこの世にはいると思いますよ。
そのような用心深い臆病者はあとくされありの面倒な物件だ、というのもアリですが、そうすると、過酷なくらい計算高い強烈な物件しか当然残らないでしょうね。
それはそれで怖いもの見たさ…というかものすご~く面白そうな気もしますね。
あと、上記の『ヒロミ』っていう歌、変ですよね。
なんで「ぼくのヒーロー」なの?
いいかげんにしろよ!
おまえみたいな女々しい(これは男にしか使わないんじゃない?)やつ知らねえよ!と、蹴っ飛ばしたくなりますね。
以上、ヒロイックファンタジーが最近心底気持ち悪いヒーロー好きの意見でした。ドン・キホーテ上等!
…冗談ですからね。怒っちゃだめですよ。
さ、一世風靡を探さなくっちゃ。外は土砂降りだから今日はいないかな?
それでは。
Re: 28日まで 投稿者:国語 投稿日:2018年 4月24日(火)07時06分44秒 返信・引用
> No.5052[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 国語さんへのお返事です。
>
> >
> > 『おっさんずラブ』というドラマの起爆力がすごい!
> >
>
> コメディのようですね。
> いずれ観てみます。
>
はい、脇が甘い。
φ先生周辺の男子学生の皆さん。くれぐれも勘違いしないようにね。
この先生は気さくで面白くて人格者ですけどね、そういうの、無理ですからね。
「アフォリズム日記」5966あたりからよ~くおさらいして、地雷を無駄に踏まぬよう、指導教官の性癖は叩き込んでおきましょうね。
私は一切責任取りませんから、気を付けてくださいよ。
以上、おばさんの処世術講座でした。
Re: 28日まで 投稿者:φ 投稿日:2018年 4月24日(火)05時02分45秒 返信・引用
> No.5051[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
>
> 『おっさんずラブ』というドラマの起爆力がすごい!
>
コメディのようですね。
いずれ観てみます。
>
> …これね。私、気が付きませんでしたけど、よく考えるとちょっと変だよね。
> 「巨根」は聞くけど「貧根」って言いますか?
>
それに相当する侮蔑語はいくつかあります。
すぐ出てくるのは3つ。
どれもポピュラーな俗語ですが、育ちのいい国語さんは知らないのかな。
コメディドラマで思い出しましたが
『トリック』は貧乳と巨根のコンビでしたね。
どちらもコンプレックスという設定。
ちなみに、「貧乳」と指示対象が同じで「微乳」という誉め言葉もあります。(「貧乳」もアダルト業界では賛辞なのですが)
♂のあれに対しては誉め言葉は無いようです。
女の属性はどんなものであれ一定規模以上の愛好家がいますが、男の属性はそうはいかないのでしょう。
28日まで 投稿者:国語 投稿日:2018年 4月23日(月)22時18分45秒 返信・引用
> No.5020[元記事へ]
第一話に配信期日があるそうなので迷ったけどお知らせ致します(ステマじゃないよ)。
『おっさんずラブ』というドラマの起爆力がすごい!
> 「貧乳」が悪でないのに「巨乳崇拝」がなくならないのと同じ理由でしょう。
…これね。私、気が付きませんでしたけど、よく考えるとちょっと変だよね。
「巨根」は聞くけど「貧根」って言いますか?
「雄々しい」と「女々しい」みたいに微妙なバイアスを感じるよね。
このことに気づかせてくれたのがドラマ『おっさんずラブ』。
もしかするとこれ(BLだかOLだか)も私は全く思いつかなかった人類滅亡の平和(?)シナリオかも。
もはや純愛ドラマに女はいらない…のかな?
わー。大変だ。知らなかったな。
気が向いた人は、見てみて下さい。国語家は全員このドラマの虜、です。
それでは。
Re: エンドレスエイトの驚愕@トカナ 投稿者:φ 投稿日:2018年 4月20日(金)04時03分48秒 返信・引用
> No.5049[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
どうもありがとうございます。
> 記事内容で、印象深かった部分としましては、本論から少し外れましたが、
> 「作者が意図しなかった意味を作品が持つというのは、すぐれた芸術作品の常です。」
> という個所でした。
>
> 物理法則もそれぞれの原子や分子がその意味を理解して、動いているわけではなく、
> 外部から観察した人が意味を見出す、ということに少し関連もありそうかなとも
> 思いました。
>
そこのコメント欄にも見られますが、
作者が意図していなかったことを作品の中に見出すのは、間違っている、という考えが強固なようですね。
「作者の意図」を絶対視するという傾向は、学生にも広く見られます。
現代国語の問題を、原作者自身が正解できなかった、といったエピソードの場合、
「原作者の理解不足というのはありえないから、問題がおかしい」
と考えてしまいがちです。
そうではないですね。
言語というのは(画像や音声も)個人の意図を超えたシステムですから、制作者が関知しない様々な意味を帯びてしまうというのはまさに(Tedさんの比喩に乗っかると)物理的事実であり、さらにはほとんど論理的真実です。
「作者が自作の意味を全部わかっているとは限らない」なんてことは当たり前だと(周知だと)思っていると、ときどき「ガクッ」となることがあります。
作者の意図が権威を持つのは、
「この作品は演劇ではなく音楽である」
「この作品は彫刻ではなく絵画だからこちらの正面から鑑賞していただきたい」
といった「カテゴリに関する意図」だけで、
作品がそのカテゴリと相対的にどんな意味を持つか、具体的に何を表わすかということは、概して、作者よりも批評家の方が深く理解できていたりします。
Re: エンドレスエイトの驚愕@トカナ 投稿者:Ted 投稿日:2018年 4月19日(木)09時05分2秒 返信・引用
> No.5048[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 「トカナ」の連続記事
> 『エンドレスエイトの驚愕』 著者インタビュー(1)(2)(3)
> 完結いたしました。
> http://tocana.jp/2018/04/post_16508_entry.html
> http://tocana.jp/2018/04/post_16522_entry.html
> http://tocana.jp/2018/04/post_16547_entry.html
>
> 他のサイトにも同時に出ており、
> ニコニコニュースの同記事第1回ではコメント欄が結構にぎわったようです↓
> http://news.nicovideo.jp/watch/nw3438881
> ↑ただし(拙著はもちろんのこと)インタビュー本文すら読まずに書き込んでいる人が多そう笑?
> 2ch等ではスレ立ての導入に【のみ】使われたりしているとか。・・・・・・
> 実質的な考察を導くのはやはり難しそうな模様ですね――
記事読ませていただきました。
https://twitter.com/search?f=tweets&vertical=default&q=
TWITTERの検索でもそこそこリツイートされているようです。
(「すべてのツイート」参照)
記事内容で、印象深かった部分としましては、本論から少し外れましたが、
「作者が意図しなかった意味を作品が持つというのは、すぐれた芸術作品の常です。」
という個所でした。
物理法則もそれぞれの原子や分子がその意味を理解して、動いているわけではなく、
外部から観察した人が意味を見出す、ということに少し関連もありそうかなとも
思いました。
もう少し、周辺情報含め再読中です。
Re: エンドレスエイトの驚愕@トカナ 投稿者:φ 投稿日:2018年 4月19日(木)01時05分46秒 返信・引用
> No.5047[元記事へ]
「トカナ」の連続記事
『エンドレスエイトの驚愕』 著者インタビュー(1)(2)(3)
完結いたしました。
http://tocana.jp/2018/04/post_16508_entry.html
http://tocana.jp/2018/04/post_16522_entry.html
http://tocana.jp/2018/04/post_16547_entry.html
他のサイトにも同時に出ており、
ニコニコニュースの同記事第1回ではコメント欄が結構にぎわったようです↓
http://news.nicovideo.jp/watch/nw3438881
↑ただし(拙著はもちろんのこと)インタビュー本文すら読まずに書き込んでいる人が多そう笑?
2ch等ではスレ立ての導入に【のみ】使われたりしているとか。・・・・・・
実質的な考察を導くのはやはり難しそうな模様ですね――
エンドレスエイトの驚愕@トカナ 投稿者:φ 投稿日:2018年 4月16日(月)19時24分7秒 返信・引用
> No.5046[元記事へ]
前投稿で予告した「トカナ」の記事はここに配信されました!
★『エンドレスエイトの驚愕』 著者インタビュー(1)★
(知的好奇心の扉「トカナ」)
http://tocana.jp/2018/04/post_16508_entry.html
全3回。(2)(3)は17日18時、18日18時に配信予定です!
Re: エンドレスエイトの驚愕 投稿者:φ 投稿日:2018年 4月15日(日)04時56分32秒 返信・引用
> No.5045[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> 多分、原作者やアニメの制作陣も、気が付いていなかった
> 壮大なループ構造を見出しておられ、
> 「エンドレスエイト」も浮かばれているように思います。
>
壮大な天然ボケをかました「エンドレスエイト」は、まさに
「ツッコミ不在の恐怖」に長らく置かれていましたからね・・・
>
> 特にパラループは、
> なるほど、情報統合思念体の感知の及ぶところが単一宇宙であれば、
> 作品中のセリフやループ回数にも嘘はなく、不自然な違いも吸収できるなと感じました。
>
「エンドレスエイト」には数の謎が二つあって、
ひとつはキョンがシークエンス日数を15日と言うべきところ14日と言っているところ。
そのせいで年数の計算が狂っています。
もうひとつは長門がシークエンス数とアルバイト回数との矛盾をやらかしているところ。
この二つの「数的錯誤」がなぜ生じたのか、それに解答を与えたのが
『エンドレスエイトの驚愕』の自慢です。
(前者については間接的にしか述べませんでしたが、まもなく「トカナ」に出る著者インタビューでは、そこを明確に語っておきました)
>
> もう少し、読み込んでみようかとも思っておりますが、
> 取り急ぎ、現状、思ったことなど、記載させていただきました!
>
ありがとうございます。
「エンドレスエイト」や「ハルヒ」についての言説をふと検索したりするにつけ、
『エンドレスエイトの驚愕』で提示した我が諸解釈がいまだ全く反映されていないことに失望を覚えていたところなのです・・・・・・
人間原理を正しく理解して『ハルヒ』を読み解くこと、そんなに難しいことではないし、きわめて知的興奮に満ちた世界が広がっているんですけれどね。
エンドレスエイトの驚愕 投稿者:Ted 投稿日:2018年 4月15日(日)00時47分18秒 返信・引用
「エンドレスエイトの驚愕」ですが、遅ればせながら、
総合的に面白く読ませていただきました!
多分、原作者やアニメの制作陣も、気が付いていなかった
壮大なループ構造を見出しておられ、
「エンドレスエイト」も浮かばれているように思います。
※「エンドレスエイト」が「動揺」しなかった宇宙では、多分、
この本も書かれることは無いと思いますので、ある意味、
この本が読める宇宙にいて良かったと思います…
個人的にしっくり来たのは、
元々そういう説が好きなのもあり、テラループと、パラループでした。
特にパラループは、
なるほど、情報統合思念体の感知の及ぶところが単一宇宙であれば、
作品中のセリフやループ回数にも嘘はなく、不自然な違いも吸収できるなと感じました。
ちなみに、
パラループ説の下りで、「ハルヒ」「エンドレスエイト」の存在(中途半端性)が、
多世界・多様性の実在を示す論拠になっている可能性についての部分が、
フィクションの存在がリアルの多宇宙存在、及び、地球外文明を導き出すということなって、
「なるほど」と興味深かったです。
このあたりは、例えば、目の構造は、生命科学的には奇跡的にあり得ないものだが、
盲点の存在など、無駄なことも多い。
よって、神(ID)が作ったという存在よりも、進化論のほうが適当。※神が作ったものならもっと完璧なはず。
また、多宇宙がある可能性も高めている、
というようなケースと同じ考え方と感じました。
もう少し、読み込んでみようかとも思っておりますが、
取り急ぎ、現状、思ったことなど、記載させていただきました!
数学について 投稿者:国語 投稿日:2018年 4月12日(木)16時35分24秒 返信・引用
数学について、って、おこがましいんですけど。
おかげさまで、自分の思考の癖みたいのはここでよくわかった感じがします。
高校に入って数学で最初に黒板に書かれたのが「虚数」でした。で、先生が
「虚数。…アイ。アイハムナシイネ~」って言って虚空をうっとり見つめたんですよね。
その瞬間頭の中でガラガラガラッとシャッターが降りる感じがして「あ、もうわかんないや」って思ったことだけ覚えています。
学校の先生になる人が万一いるかもしれないんで学校の先生って結構責任大きいよ、とだけ。
物理の先生は開口一番「先生、ガンなんだ。みんなが卒業するまで生きてるかわかんないんだけど。」って、にこにこしながら。それからはその先生の顔見ると「…その後ガンはどうなんだ?」しか頭になくなっちゃってさっぱり。
…ま、単純に私がバカだ、ってことなんだろうけどね。
ただ、国語の先生はこれが東大出だったんです。「東大出て県立高校の先生なんて納得いかないって言われて彼女には振られちゃいました。でも、私は旅行行きたいし、いいんです」ってな感じの方で。板書も理論的で色分けにも根拠があり、輝いてましたね。今も定年退職されたけれど国語の参考書とか執筆されているみたいですからやっぱりあの先生に教われたのはかなり運がよかったのでしょう。
あと、分数のわからない小学生に教えたことがあって、「分数は分子が1だったら分母が大きくなるほど小さい数なんだよ」ってことを教えるのに黒板にえんえんピザの絵を描き続けて「はい、ピザを二つに分けたら」「五つに分けたら」「はい、どっちが大きい?」ってやるんですね。で、掛け算もこの流れで行けます。が、分数の割り算はどうするか。
これがコツがあって、これは自分が通ってた塾の先生に教わったんですが「÷っていうのは『逆数を掛けろ』っていう意味だぞ、って教えろ」。多分ほんとにそうなんですけどね。…で、このように教えると、できます。
だから、視覚と理論とここでギアチェンジだぜ、って教えてやるとできる。
以上、低レベルで申し訳ありませんがご参考まで。
それでは。
わたしは「哀川翔」になりたい 投稿者:国語 投稿日:2018年 4月12日(木)09時34分44秒 返信・引用
昨日古書店で(ほぼ古書店とスーパーにしか行かない)、哀川翔の『継続』を購入。
今パラパラ見てすぐさま感激したので書き残します。
はっきりいって、「やらかしたかな」という後悔がなくはなかったのですが、翔様の熱いメッセージに接して「影の声は俺にはないね。」ってことでもういいかな、と。
最後に。
『昆虫探偵』はおもしろいですよ~。一話だけでも見る価値あり。
浮気者のカブトムシ亭主が超絶笑えます。
わたしはこれから「哀川翔」になる方法を考えてどっかに一世風靡が踊ってないかなんとなく探しながら生活し、加入できそうだったら加入して踊ったりしたいとおもいます。
いろいろありがとうございました。
それでは。
Re: 実数の定義 投稿者:スターダスト 投稿日:2018年 4月11日(水)14時16分1秒 返信・引用
> No.5041[元記事へ]
トビウオさんへのお返事です。
この掲示板で切断に出会うとは、の気持ちから…ついつい余談をば。
普通の集合論の上でいくつかの御膳立てをしてから「有理数体の完備化」を目的としてなかば公理的に<切断>の定義を導入し、もって実数を把握していくための第一歩としていくのと同様に、
量子集合論の上でいくつかの御膳立てをしてから公理的に《*切断*》の定義をもって<量子的>実数を作っていく、そのようなお仕事が数学基礎論の世界では終わっていますね。
Heisenbergの不等式を修正する「 小澤の不等式」を発表し、その後に実験でその正しさが確認された、小澤正直先生が開拓したルートの道筋に、さきの量子的実数が燦然と輝いています。
量子集合論の実数は、量子物理量と対応していますので、極めて面白いことになります。
実数の定義 投稿者:トビウオ 投稿日:2018年 4月11日(水)01時52分22秒 返信・引用
φさんへのお返事です。
実数を定義する方法としては、有理数の極限として定義する方法の他にデデキントの切断を用いる方法がよく知られています。(ここでよく知られているというのは数学者にとってという意味ですが)以下、デデキントの切断による実数の定義を述べます。興味のある方は読んでください。
定義:有理数の部分集合Lが、次の条件(1)-(3)を満たすとき、Lはデデキントの切断であると言う。
(1)Lは空でない、有理数の真部分集合である。
(2)xがLに属しており、yがx以下ならば、yはLに属している。
(3)xがLに属しているならば、xより大きいLの元yが存在する。
このデデキントの切断を実数と定義します。デデキントの切断の例としては、
任意の有理数rに対してL(r)={xは有理数;x
デデキントの切断の直感的な理解の仕方としては、数直線上に有理数が並んでいるのをイメージして、その線をある一点で切断した時の切断面を実数と呼ぶことにしましょう、と考えるわけです。
上で例に挙げたL(r)はちょうど有理数に対応しており、有理数rと切断L(r)を同一視することで、有理数を実数の部分集合だとみなすのです。ちなみに、無理数に対応する切断は例えば、
L={xは有理数;x
です。これはルート2に対応する切断になります。(証明は面倒ですが)
とまあ、実数の定義を書いてみた訳ですがきっと多くの人にとっては訳わからんものだったと思います。恐らく小数で表せるものが実数であるというのが、一番わかりやすい考え方なのでしょうね。
Re: RE:RE:RE正解例 投稿者:φ 投稿日:2018年 4月10日(火)23時45分14秒 返信・引用
> No.5039[元記事へ]
トビウオさんへのお返事です。
>
> 友人数人と議論した結果、任意の実数が十進小数展開できるという事実は高校生、および一般の人にとっては常識であると考えられるので、φさんのシンプルな証明も十分厳密なのかなと納得するに至りました。
>
有理数はともかく、実数の定義は正式にはどういうものなんでしょうね。
「数理数列の極限値」というのがメジャーのようですが、
だとすれば、小数(整数部と小数点と小数部で表示される数)こそが実数の必要十分条件であり、
任意の実数が十進小数展開できるという事実は「一般人の常識」というより、規約的真理ということになりますね。
つまり証明不要ということでしょう。
学校ではどう習ったのだったか……
忘れましたが、
平方根を習って無理数が出てきたとき、無理数は循環しない無限小数であり、有理数と合わせて「実数」と呼ぶ、というふうだったんですかね。
いずれにせよ、小数以外の形で実数を習った記憶はありません。
RE:RE:RE正解例 投稿者:トビウオ 投稿日:2018年 4月10日(火)13時32分44秒 返信・引用
φさんへのお返事です。
任意の実数が十進小数展開できることは実数の連続性から従うことなので、私はその部分の証明もするべきなのではと感じました。しかし、友人数人と議論した結果、任意の実数が十進小数展開できるという事実は高校生、および一般の人にとっては常識であると考えられるので、φさんのシンプルな証明も十分厳密なのかなと納得するに至りました。
しかし、解析学の本をいくつか見てみると有理数の稠密性を十進小数展開使って証明しているものはありませんでした。(そういう本があったら教えてください。)これはなぜなんでしょうか?
Re: RE:正解例 投稿者:φ 投稿日:2018年 4月10日(火)03時25分5秒 返信・引用
> No.5036[元記事へ]
トビウオさんへのお返事です。
>
> いかなる2つの無理数の間にも有理数が存在することのシンプルな証明に関してですが、任意の実数が十進小数展開(十進でなくても良いですが)ができる事を認めているのは少しずるいのでは、と感じました。
>
小数展開できない無理数が存在する、という意味ですか・・・?
「循環しない無限小数である」というのは、無理数の本質と言えると思いますが・・・?
任意の実数が小数展開できるという事実は、対角線論法でも前提されていますよね。
Re: RE:正解例 投稿者:国語 投稿日:2018年 4月10日(火)02時02分25秒 返信・引用
> No.5036[元記事へ]
トビウオさんへのお返事です。
横から失礼いたします。
なるほどな~、と、興味深く拝見しました。
…というのは、言語の世界で見ても、φ先生の論理は「ふーん。そうくるか。でもそれはこの言語の内包する一側面だけを故意に抽出しただけ、であってまったく不完全だな」と思うところはあるのです。
(例えば「立ちんぼ」と「ボクシング」は全然違うのですが~金銭授受、肉体資本への負荷、密室性その他諸々~そこは敢えて触れず「強制されることは反対」「悪でない」だけに論点をスライドさせていますね。)
言語の世界では「故意に」というところに発信者の意図を読み取って「ふーん。ここが隠したい宝のありかか。ま、今回はつつかないでおこう」と、様子見をするわけです。
わたしがトビウオさんくらい数学の力があるとものすごく面白いだろうな。
なんて、ご投稿を拝見して思いました(ちょっといじわるかな)。
それはトビウオさんのご投稿がないとわたしにはさっぱりわからないことだったのです。
これからも楽しみに拝見しますね。ありがとうございました。
RE:正解例 投稿者:トビウオ 投稿日:2018年 4月 9日(月)23時18分9秒 返信・引用
φさんへのお返事です。
いかなる2つの無理数の間にも有理数が存在することのシンプルな証明に関してですが、任意の実数が十進小数展開(十進でなくても良いですが)ができる事を認めているのは少しずるいのでは、と感じました。
個人的には、実数における有理数の稠密性をより精密にしたものが実数の十進小数展開だと思います。つまり、いかなる実数のどんな近くにも有理数が存在するので、実数を有理数(十進小数)で近似できるというのが自然な論理の流れだと思います。ただ、実数の十進小数展開を導くためには有理数の稠密性を仮定する必要はないので、φさんの証明が明確にずるをしているとは言えないんですよね。しかし、十進小数展開できることが自明だとは私には思えませんでした。
φさんは、厳密な証明もあげておられるので、シンプルな証明の方はそこまでの厳密さを求めず、わかりやすさに重点を置かれたのかもしれませんが。
Re: 赤点と青点:正解例 投稿者:φ 投稿日:2018年 4月 9日(月)15時24分24秒 返信・引用
> No.5033[元記事へ]
φさんへのお返事です。
すみません、もう一つ誤記がありました。
自然数→整数
誤
なぜなら、
もしα<n/N<β となる整数nが存在しないとすると、
αより小なる最大の m/Nなる自然数mについて、
m/N<α<β<m+1/N となるが、
正
なぜなら、
もしα<n/N<β となる整数nが存在しないとすると、
αより小なる最大の m/Nなる整数mについて、
m/N<α<β<m+1/N となるが、
(Nは「自然数」のままでいいでしょう)
・・・・・・・・・・
全文再録
ネットでいくつか見た限りでは、
「いかなる二つの無理数の間にも有理数がある」
の証明は飛躍があるか、まわりくどすぎるかどちらかなので、
私にとってより厳密と思われる証明と、よりシンプルな証明とを書いておきます。
どこか間違ってますかね?
★
●厳密な証明(私が見た限り、以下の「なぜなら」以降をきちんと書いてる証明はありませんでした)
α<βなる無理数について、
N>1/(β-α) であるような自然数Nが存在する。(自然数に上限はないので)。
つまり 1/N<β-α ……①
数直線を0から両側へ1/Nごとに区切ってゆくと、
α<n/N<β となる有理数n/Nが存在する。
なぜなら、
もしα<n/N<β となる整数nが存在しないとすると、
αより小なる最大の m/Nなる整数mについて、
m/N<α<β<m+1/N となるが、
そうすると (m+1/N)-(m/N)>β-α
つまり 1/N>β-α
これは①に反する。
つまり①を満たすNが存在しないということであり、自然数に上限があるという意味なので、矛盾する。
したがって、
α<n/N<β なる有理数n/Nは必ず存在する。
★
●シンプルな証明(私が見た限り、こういう証明はありませんでした。こんな簡単にやってしまってはダメなんですかね?)
αとβを小数で一桁ずつ表記していき(進法は問わない)、対応する数字が初めて食い違った桁につき、それぞれの数字をa、bとする。
α=……a……
β=……b……
ここで、βのbより後の数字をすべて0に変える(切り捨てる)。
そうして出来た数は有理数であり、αより大であり、かつβより小である。
よって、α<q<βを満たす有理数 q は存在する。
Re: 赤点と青点:正解例 投稿者:φ 投稿日:2018年 4月 9日(月)13時56分19秒 返信・引用
> No.5033[元記事へ]
↓誤記を訂正します。
誤
>
> ネットでいくつか見た限りでは、
> 「いかなる二つの無理数の間にも無理数がある」
> の証明は飛躍があるか、まわりくどすぎるかどちらかなので、
>
正
・・・・・・・・・・限りでは、
「いかなる二つの無理数の間にも有理数がある」
の証明は・・・・・
Re: 赤点と青点:正解例 投稿者:φ 投稿日:2018年 4月 9日(月)02時20分36秒 返信・引用
> No.5028[元記事へ]
ネットでいくつか見た限りでは、
「いかなる二つの無理数の間にも無理数がある」
の証明は飛躍があるか、まわりくどすぎるかどちらかなので、
私にとってより厳密と思われる証明と、よりシンプルな証明とを書いておきます。
どこか間違ってますかね?
★
●厳密な証明(私が見た限り、以下の「なぜなら」以降をきちんと書いてる証明はありませんでした)
α<βなる無理数について、
N>1/(β-α) であるような自然数Nが存在する。(自然数に上限はないので)。
つまり 1/N<β-α ……①
数直線を0から両側へ1/Nごとに区切ってゆくと、
α<n/N<β となる有理数n/Nが存在する。
なぜなら、
もしα<n/N<β となる整数nが存在しないとすると、
αより小なる最大の m/Nなる自然数mについて、
m/N<α<β<m+1/N となるが、
そうすると (m+1/N)-(m/N)>β-α
つまり 1/N>β-α
これは①に反する。
つまり①を満たすNが存在しないということであり、自然数に上限があるという意味なので、矛盾する。
したがって、
α<n/N<β なる有理数n/Nは必ず存在する。
★
●シンプルな証明(私が見た限り、こういう証明はありませんでした。こんな簡単にやってしまってはダメなんですかね?)
αとβを小数で一桁ずつ表記していき(進法は問わない)、対応する数字が初めて食い違った桁につき、それぞれの数字をa、bとする。
α=……a……
β=……b……
ここで、βのbより後の数字をすべて0に変える(切り捨てる)。
そうして出来た数は有理数であり、αより大であり、かつβより小である。
よって、α<q<βを満たす有理数 q は存在する。
Re: AIの脅威について 投稿者:国語 投稿日:2018年 4月 8日(日)11時16分22秒 返信・引用
> No.5026[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
お返事ありがとうございます。
>
> 真空の崩壊
> https://ja.wikipedia.org/wiki/%
>
> のような現象が起きても、人類は感知できないまま、
> 地球がその瞬間崩壊するというようなことは理論的には考えられるみたいです。
> (最近のニュートンでも特集されていたように思います)
2018年3月号みたいですね。
Tedさんの教えてくださることは、多分私が長年知りたかったことなんです。
でも、その「知りたい」っていうのは、実は洗脳だったんじゃないかな、という考えも持ってしまったので、ちょっと考えたいとおもいます。
「考えたいことに追いつかなくて頭がパンクしちゃう」から「数学をやらなきゃ」って思ったけど、それってどうだったのかな。
普通に生きていてすっとその道に行ける賢さのある考えるべき人が考えればいいのであって、「考えたい」っていうこと自体が勘違いだったんじゃないかな…という。
あんまり考えすぎると立っている地面が怪しくなってしまう。
例えば、わたしはいま夫と子供と暮らしています。
しかし、よく考えると強制異性恋愛社会で生活するためにその真意は「繁殖原理主義」であろうと解析して
最小の投資で離脱し、かつ排除されず生きる方法を考えてそうしているわけです。
で、深海で潜水服が必要なようにそれを入手してさらに何のため潜ったかを考えるとTedさんの教えてくれるあたりを掘ればいいな、とは思うのですが…。
ちょっと疲れちゃった。
ミイラ取りがミイラになって、浦島太郎は二度と村に帰らず海の御殿で幸せに暮らしましたとさ、でも、いいんじゃないかな。つまり、もうこの辺で本は捨てちゃって、「お料理上手なおばあちゃん」みたいな方向でいいんじゃないかな。
…そんな風に思う現状です。
いろいろありがとうございました。それでは。
Re: 赤点と青点:正解例 投稿者:国語 投稿日:2018年 4月 8日(日)04時53分29秒 返信・引用
> No.5029[元記事へ]
φさんへのお返事です。
お返事ありがとうございます。
ちなみに自分も、息子に「何?」っていわれて、「そうだよね、なんだろうね。ママもわかんないんだ」と言ったら立ち去ってしまった、というのがより正確です。
わかんないので自分も
> > ・・・・・・・・・・・・
> > たくさんの赤点と青点が、一列に並んでいます。始点と終点にはともに青点があります。どの二つの
>赤点を選んでも、その中間に少なくとも一つは青点があります。さらにこの列の中には、赤点の方が青点よりたくさんあるそうです。以上のことが成り立つのは、どのような場合でしょう?
> > ・・・・・・・・・・・・
…と直して考えていました。
すると、「たくさんの赤点と青点が」では3Dでイメージして赤点や青点は炭酸水の泡みたいな、惑星が散らばっているような感じのイメージですが、「一列に並んで」で「なんだ、そういうことだったのか~」「一列に並んでたんだってよ」と、わらわら集まって来てビーズ細工が始まるみたいに整列してしまうのです。
すると「赤いビーズ同士が隣り合うことがあり得ないんだったら青しか増やせないじゃん。わかんない」となり、おしまい。
「一列に並んで」で、「紐を通す」というイメージとなり、どうせ紐を通すんだから間を縮めてもいいじゃん。それに一列なんだから紐一本だな、…と、発想して1次元になってしまうわけです。
わからない人の考え順は、そんな感じです。ご参考まで。
Re: 赤点と青点:正解例 投稿者:φ 投稿日:2018年 4月 8日(日)01時35分41秒 返信・引用
> No.5029[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
数学5はダテではありませんね。
「列」を疑問視したのはさすがと言うべきです。
今思い出したのですが、「列」という語は、数学の正しい語法では、可算個の項の集まりについてしか言えない、と聞いたことがあります。
「実数の列」という言い方はよく出てくるのですが、
「列」という語を正確に使うならば、実数の一部はともかく、すべての実数を列に並べることはできないのだ、と。
だとすると、「一列」「列」という書き方をしたのは間違いだったかもしれません。
ただ、数学の装いを剥ぎ取っているところに問題文の本質があり、
日常言語の問題文を数論の概念に変換するところに正解が得られる、と考えれば、
問題文の「列」は非可算無限個の実数の織り成す「数直線の一部」に相当する、
・・・・・・ということで問題ないかもしれません。
Re: 赤点と青点:正解例 投稿者:国語 投稿日:2018年 4月 7日(土)21時00分5秒 返信・引用
> No.5028[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> ・・・・・・・・・・・・
> 赤点と青点がたくさん、一列に並んでいます。始点と終点にはともに青点があります。どの二つの赤点を選んでも、その中間に少なくとも一つは青点があります。さらにこの列の中には、赤点の方が青点よりたくさんあるそうです。以上のことが成り立つのは、どのような場合でしょう?
> ・・・・・・・・・・・・
横からすみません。
この問題、わたしは一次元でしか考えられなかったんですけど、ちょっと確認してもいいですか?
この問題の最初のところ、
「たくさんの赤点と青点が、一列に並んでいます」にすると違っちゃいますか?
ちなみに中学を卒業した数学は田舎の中学では5の息子は「『たくさん、一列』って、何?」と言って立ち去ってしまいました。ご参考まで。
ま、答えを見てもわたしはさっぱりわからないんでそもそも参加する資格がないんですが、Tedさんの「こんにゃくのようにねっとり」という謎の記述を見ると「なにそれ?面白そうだな」という気がしたので聞いてみました。
赤点と青点:正解例 投稿者:φ 投稿日:2018年 4月 7日(土)16時04分38秒 返信・引用
> No.5027[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
Tedさんもトビウオさんも正解がおわかりですが、
BLOGコメントに来られたcicadaさんのように、「無限に点が存在する場合で少し考えてみたのですが、一つの青点に複数の赤点を対応させる方法を思いつけませんでした…」という人もおられます。(阿呆理詰日記6046)
つまり、この問題は、直観ではわからない問題であるがゆえに、
トビウオさんが仄めかしたように、〈単に知識の問題〉とも思われます。
直観派からの正解ニアミスのような面白い投稿を期待しても時間が過ぎるだけかもしれません。
・・・・・・・・・・・・
赤点と青点がたくさん、一列に並んでいます。始点と終点にはともに青点があります。どの二つの赤点を選んでも、その中間に少なくとも一つは青点があります。さらにこの列の中には、赤点の方が青点よりたくさんあるそうです。以上のことが成り立つのは、どのような場合でしょう?
・・・・・・・・・・・・
正解例は、
赤点は無理数、青点は有理数
題意の列は、数直線上の(たとえば)0以上1以下の線分
↑ 「無理数の方が有理数よりも多い」ことは、対角線論法のおかげでよく知られていますが、
「任意の2つの無理数の間に必ず有理数がある」
の方は、案外知られていないかもしれません。
そしてこの命題を意識すると、
「だったら有理数の方が無理数より少ないというのは不可能では?」
とわれわれの直観は強く感じてしまいます。
「無限どうしの間に階層がある」ことにはなんとか納得できた気がしても、
「どんなに近い無理数のペアをとっても、その中間から有理数を締め出すことはできないほどに、有理数は数直線のいたるところに密に存在する」のであれば、少なくとも有理数は無理数と同程度以上には多く存在するはずだ、と言いたくなります。
「数直線上のどんな微小な幅をとっても有理数が存在するのに、ランダムに1点をとれば有理数が選ばれる確率はゼロ(無理数である確率が1)」というわけですから、常識的にはそんな無茶な話はなく、常識人の直観がとうてい満足できるはずがありません。
数学のこういった暴虐性が、数学徒にはたまらない魅力なのでしょう。一般人にとっては嫌悪や恐怖の源でしかないわけですが。
ところで、
「どの2つの無理数の間にも有理数がある」ことの証明は、大学入試にも出題されているとTedさんにお教えいただきました。ありがとうございます。
それでいくつかサイトを覗いてみたのですが、どの証明も雑に見えますねえ!
高校数学ではそれで許されるのかもしれませんが(「論理学」は高校の科目に無いわけだし)、
それにしても飛躍がありすぎて、直観的にのみならず論理的にも納得しがたい解答になっているようです。
たとえば、2つの実数をα<βとして、0<q<β-αなる有理数qがあることを示せば十分、などと頭ごなしに話をすり替えていたり(その十分性こそ証明を要することなのに)。
そこで私、自前の証明を2種類書き出してみました。
ネットで拾えたどの証明よりも、ひとつは、厳密であり、もう一つは、シンプルです。(のつもりです)
それは次のときここに投稿しますが、
厄介なのは、
A「無理数の方が有理数よりも多い」
B「任意の2つの無理数の間に有理数が存在する」
この2つの命題の「直観的矛盾」をあいかわらず解消できはしない、てことなんですね・・・・・・
A、B、一方だけならギリOKですが、両方合わせるととたんに・・・・・・
優れた啓蒙家なら、A&Bが真なることを【直観的にすっきり】飲み込ませてくれるんでしょうか?
Re: 赤点と青点 投稿者:Ted 投稿日:2018年 4月 7日(土)12時27分8秒 返信・引用
> No.5017[元記事へ]
φさん、トビウオさんへお返事です。
> > 私は、「直感的にわかる」というのは「経験に基づいてわかる」ということとほぼ同義であると思っています。なぜなら、直感とは経験によって形成されるものだと考えられるからです。ある人がそれまで経験してきたことと反するように思われる事実に出くわした場合、それは直感に反する事実であるということです。
> >
>
> 直観は本能に基づいているので、進化論的に獲得されてきたもの。
> つまり経験による自然選択の賜物ですね。
>
> 哲学は、人の心は自然選択のなすがままではいないという決意の表れかもしれません。
> 「哲学とは、論理と直観を一致させる努力だ」というのは二つ意味があって、
>
> 1.直観でわかる事柄(わかると思い込む事柄も含め)の理由を論理的に説明する努力。
> 2.論理で証明できる事柄を直観的に納得できる形で説明する努力。
>
> 難しいのは2の方ですね。
> 1はもろもろの錯覚の説明など、ほとんどの事例は「科学」のレベルでどうにかなりますが、2は直観の再教育が含まれますから、まだ体系化されない前科学的テクニックが必要になるように思われます。
> 赤点青点問題も、知性はすんなり納得させられても、直観を説得しようとするとなかなか大変です。(永久に無理かもしれません・・・・・・)
私見ではありますが、今回のように「無限」が絡む問題の場合の時に、
各点をビジュアライズして考えてしまうと、逆に混乱してしまうように思います。
本来は、直観的に把握するにはビジュアライズは役に立つのですが、今回のような問題は、線分を引いて、点をひとつひとつ打っていく手法では、
正解はたどり着きにくいのかなと思いました…
今回の場合、青点や赤点を
「無限」「連続」といった概念として、もっとねっとりこんにゃくみたいにビジュアライズして考えて…とも思いましたが、
それも難しそうですね…
Re: AIの脅威について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 4月 7日(土)12時06分24秒 返信・引用
> No.5019[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
> ちょっと考えてみたのですが、キーワードは「平等」のような気がします。
> 「気が付かないうちに滅亡」っていうのは「(誰も)気が付かないうちに滅亡」ですよね。
> そこで、「あ、それじゃあ滅亡について考えても仕方ないじゃん。なーんだ」って思ってすっきりしちゃったんです。
> そもそも、人類最後の一人っていう考えじたいが大江健三郎の読み過ぎだな、とは思っていたんですが、どうしても逃れられなかったんです。つまり、自分がその立場になってしまったらどうするか、という心配だったかもしれません。
>
> でも、誰も気が付かないんだったらわたしは自由だったわけです。
ご返事ありがとうございます。
真空の崩壊
https://ja.wikipedia.org/wiki/%
のような現象が起きても、人類は感知できないまま、
地球がその瞬間崩壊するというようなことは理論的には考えられるみたいです。
(最近のニュートンでも特集されていたように思います)
人間の尺度でどうしても考えがちなので、その場合は、
「何らかの兆候があるはずだ」「その瞬間を覚悟して迎える」「最後まで抗える」
みたいな、
フィクション・エンタメ的な終焉イメージがどうしてもありますよね。
ただ、自然は、たまたま人間にとってドラマチック感を感じる、ハリウッド的な、
時間尺度で迫りくる終焉を都合よく用意してくれなく、
気が付かない瞬間のあっという間の絶滅のような場合も、
多々あり得るのかなと思いますね。
リボンのついた女子高生のアニメとは何か 投稿者:国語 投稿日:2018年 4月 6日(金)16時13分6秒 返信・引用
過去ログを確認していただけたらわかると思いますが、わたしは「女子高生のアニメ」としか書かなかったのに「リボンのついた」が加わったんですよね。
なぜだろう。
たぶん、重要なのでしょう。
さて、長らくこちらにお邪魔してやっぱり浮かび上がってくるのは「女性蔑視」ですね。
「女性蔑視の強い50代の独身男性がリボンのついた女子高生のアニメについて語ってしまう現象」については引き続きうっすら考えていきたいとおもいます。
アニメの1回目を見た感想は、『古見さんはコミュ障です』という漫画にちょっと似ているかな、というのと「女子高生を容姿によってランク付けするさまがあからさま」で、そこはバクシーシ山下の『わたしを女優にしてください』という本っぽいな、っていうことです。
つまり、その辺が「女性蔑視」な感受性ににフィットするんじゃないかな。
本のほうは異様に既視感のある文体でびっくり。
これは、中学時代みんなで夢中で読んだコバルト文庫藤本ひとみの『漫画家マリナシリーズ』だ。
これはね、たぶんこのシリーズは完結しない。
根拠は『マリナシリーズ』が完結していないから。
あと、話の感じとしては同じくコバルト文庫の眉村卓にも似ている。
『侵入を阻止せよ』と比較したけれど、冒頭、主人公と友人男子の会話が「学食の話題」と「女生徒の話題」という違いがある。さらに、主人公はともに男子だが「文芸部部長」と「文芸部部員」という違いがある。
それから「リボンのついた」っていうのは、リボンは子供のつけるものだから、「子供っぽい」ことの象徴ではないかとおもいます。
女子高生というとある時代からJKなんていわれて印象が性的なものになりましたが「リボンのついた」ことによって「性的でなく子供っぽい女子高生のアニメ」っていうことになって、「女性蔑視」でありながら「純粋性」を女性に求める、という二重基準が感じられます。
二重基準はまあ満たすことは現実には困難ですから独身なのではないか。
さらに、ものすごく理想が高く、自分は年齢が上がっても永遠に女子高生に萌えられる(使い方合ってんのかな)一昔前の言い方で言えば「ピーターパンシンドローム」かな?と、思いました。
でも、それはいいんじゃないかな。
「女性蔑視」だけだときついな~と思うけれど、「純粋性」を希求しているということはご本人は純粋なわけですから、好ましいのではないでしょうか。
あと、結局自分の中でくすぶっている『超時空要塞マクロス問題』とも関連がある気がします。
簡単に言うと「自分が男だったらリンミンメイじゃないと戦えない」ってことです。
これはもしかすると、『風と共に去りぬ問題』とも同じかもしれない。
つまり、スカーレットには最終的に相手がいないのです。
でも、自分が男だったらスカーレットにいきたいですね。で、ちょっと変なんですがスカーレットが来たら逃げ出すんです。なんだろ。多分がっつり組む勇気がないんじゃないかな。
だから、実力を考えると絶対に自分からは来ないメラニータイプの中山忍がいいんだよなあ。
結局、恋愛は「ふーん。あーなってこーなるんだ。なるほど」って眺めているのがちょうどいいので、よくわからないですけどね。
ハルヒシリーズはまだ『消失』が途中ですが(で、全部読めるかわかりませんが)、もし自分で結末つけられるならハルヒと有希でカップルにしちゃうかもしれない。
多分、ハルヒが一番好きなのは長門有希だからです。
あ、ここも『風と共に去りぬ』と同じですね。
考え事は趣味なのでゆっくり考えてみます。とりあえず途中経過でした。
それでは。
Re: 浜松から来た手紙 投稿者:国語 投稿日:2018年 4月 6日(金)09時50分38秒 返信・引用
> No.5020[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 国語さんへのお返事です。
お返事ありがとうございます。もう一息。
> 立ちんぼはヤリマンよりはるかに賢明ですね。資源をちゃんと金に換えて、セックスの大切さがわかってることを証明している。
> 立ちんぼは風俗嬢よりはるかに賢明ですね。相手をちゃんと選り好みして、セックスの大切さがわかってることを証明している。
つまり、これを翻訳すると
資源をちゃんと金に換えて相手をちゃんと選り好みしてさらに相手をじぶんの虜にして性病対策も万全で可能なら人間の再生産もできる。魅力的な妻が最強…ということですね。
なんか、うちの夫がちょっと気の毒になってきました。
倹約もほどほどにして白髪染めでもしようかな。
意外なところで家庭生活反省しました。ご指導、ありがとうございます。
Re: 浜松から来た手紙 投稿者:国語 投稿日:2018年 4月 6日(金)06時55分33秒 返信・引用
> No.5020[元記事へ]
φさんへのお返事です。
ちょっとだけがんばってみっかな。
> 「貧乳」が悪でないのに「巨乳崇拝」がなくならないのと同じ理由でしょう。
>
これ、どんな理由ですか?
わかんないなあ。
だって、日本人の純情な男って昔っから貧乳好きでしょ?
太宰治の『かちかち山』とか見っと、ヴィーナス型とアルテミス型っていう言い方だけどね。
これ書くとまずいかもしれないけど、「乳房の肉の大きさは脳味噌の量と反比例する」みたいなことはまことしやかについこの間まで言われてませんでした?
自分なんて30過ぎてからママ友達で奇形?ってくらい乳房が大きい人と知り合ったんだけど会ったとたんに「わたし京大卒なの」って学歴マウンティングされてはじめて「ああ、言い伝えは嘘であった」って思ったくらいなんだけど。
昔は「ナイン」とか「ペチャパイ」とかいう語でしたね。
小学生男子がスカートめくりを「好きな子」にやる、みたいな感じで、いじめっ子気質の男が気に入った女の子をそうからかって「もーやだー」とか「○○君のエッチ!もう知らない!」とか言って顔を赤らめてむくれたりあるいはしょげたりする様子を鑑賞して楽しむ、っと。ま、しかしこれは言われてるほうもよーくわかってリアクションしているわけで「恋愛」というゲームの初期段階の一様式ですよね。
そんなこたあ、社会的には常識じゃないかな。
「貧乳」は善でも悪でもないし「巨乳崇拝」は万人にあるわけではない。
そうであるならば
「立ちんぼ」は善でも悪でもないし、「処女崇拝」は万人にあるわけではない。
…てなところが共通見解でしょうか。
つまり、何も導けなかった。
いかがでしょ。
Re: AIの脅威について 投稿者:国語 投稿日:2018年 4月 6日(金)05時23分41秒 返信・引用
> No.5019[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
あの、これ質問ですけど答えは求めません。
通常のコミニュケーションで聞いていい範囲を逸脱しているからです。
Tedさんは、もしや最初の質問でわたしの「こだわり」を見抜いて、「理想の滅亡」を聞いたのにあえて「避けたい滅亡」という箱を用意してわたしの「こだわり」をあらかじめ治癒してくれたのではないですか?
なんとなくそんな気がしたので。
勘違いかもしれませんけど。
Tedさんって、すごなあ…。本当にありがとうございました。
Re: 浜松から来た手紙 投稿者:国語 投稿日:2018年 4月 6日(金)05時17分37秒 返信・引用
> No.5020[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 国語さんへのお返事です。
>
> >
> > 先生、ひとつ質問ですが「立ちんぼ」が悪でないならなぜ「処女崇拝」がなくならないんですか?
> >
> > 全ての女子は通過儀礼として「立ちんぼ」を義務付ける、としたら賛成ですか?反対ですか?
> > 反対だとしたらなぜですか?
> >
>
> 「貧乳」が悪でないのに「巨乳崇拝」がなくならないのと同じ理由でしょう。
>
> すべての女子は一年間ボクシングに専念すべし、という義務付けに私は反対します。
> べつにボクシングが悪だとは思いませんけれどね。
>
> 立ちんぼはヤリマンよりはるかに賢明ですね。資源をちゃんと金に換えて、セックスの大切さがわかってることを証明している。
> 立ちんぼは風俗嬢よりはるかに賢明ですね。相手をちゃんと選り好みして、セックスの大切さがわかってることを証明している。
うーん。
もうちょい頑張ってもいいんですけど、降参、ってことで。
つまり、わたしでは不可能、ってことです。胆力がなくってごめんなさい。
お立会いの中で貧乳で絶世の美女で超絶頭がよくってφ先生と直接会ってもいいひと!
先生のスコトーマ外しはやりがいがあるよ~!!
来たれ、つわもの!
面白いぞ~。
Re: 浜松から来た手紙 投稿者:φ 投稿日:2018年 4月 6日(金)03時57分39秒 返信・引用
> No.5018[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
>
> 先生、ひとつ質問ですが「立ちんぼ」が悪でないならなぜ「処女崇拝」がなくならないんですか?
>
> 全ての女子は通過儀礼として「立ちんぼ」を義務付ける、としたら賛成ですか?反対ですか?
> 反対だとしたらなぜですか?
>
「貧乳」が悪でないのに「巨乳崇拝」がなくならないのと同じ理由でしょう。
すべての女子は一年間ボクシングに専念すべし、という義務付けに私は反対します。
べつにボクシングが悪だとは思いませんけれどね。
立ちんぼはヤリマンよりはるかに賢明ですね。資源をちゃんと金に換えて、セックスの大切さがわかってることを証明している。
立ちんぼは風俗嬢よりはるかに賢明ですね。相手をちゃんと選り好みして、セックスの大切さがわかってることを証明している。
Re: AIの脅威について 投稿者:国語 投稿日:2018年 4月 6日(金)01時53分31秒 返信・引用
> No.5005[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
先にはお返事ありがとうございました。
> >
> > 避けたいのは、「気が付かないうちに滅亡」かとは思います。
> >
> > 例えば、小さなブラックホールが誰にも知られないで、地球にぶつかって、
> > 全人類、認識しないうちに絶滅とかは、避けたいですね。
>
> や~、さすがTedさんだなあ。聞いてみてよかったな、と感心しています。
> でも、やっぱり考えは正反対で、わたしはこれは全く思いつかない滅亡だったのですが
> 「これならいいな」
> と、即座に思ってしまったのです。
> …なぜだろう。
ちょっと考えてみたのですが、キーワードは「平等」のような気がします。
「気が付かないうちに滅亡」っていうのは「(誰も)気が付かないうちに滅亡」ですよね。
そこで、「あ、それじゃあ滅亡について考えても仕方ないじゃん。なーんだ」って思ってすっきりしちゃったんです。
わたしは苫米地英人の本が結構好きなんですが、彼の言葉だと「スコトーマ外し」っていうんだったかな。
こだわりがとれた。
紐の結び目がほどけた、って感じ。
そもそも、人類最後の一人っていう考えじたいが大江健三郎の読み過ぎだな、とは思っていたんですが、どうしても逃れられなかったんです。つまり、自分がその立場になってしまったらどうするか、という心配だったかもしれません。
でも、誰も気が付かないんだったらわたしは自由だったわけです。
だから、Tedさんはわたしという孫悟空を石から出してくれた三蔵法師みたいな感じです。
ありがとうございました。
また、もう少し考えられたら書き込むかもしれません。
とりあえず経過報告とお礼でした。
Re: 浜松から来た手紙 投稿者:国語 投稿日:2018年 4月 6日(金)00時38分56秒 返信・引用
> No.5016[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 国語さんへのお返事です。
> 立ちんぼそのものは悪ではありませんよね。
> もちろん、違法とされたとたんに警察が助けてくれなくなってヤクザ屋さんが入り込んでくるからホントの悪になってしまいますけれどね。
> 余計な法律によるマッチポンプで生まれる「悪」が多すぎるかもしれません。
「私以外の出演者は吉本賛歌でメロメロでしたよ。
吉本に影響されたのは同時代の男子学生。
自分の根っこにあるものを誰かがうまく言語表現をしてくれると影響をうけるのよね。
対幻想は男のもの。女が乗ってあげた。
「俺は恋愛ってゲームができる新しい男だぜ」「ゲームができる女はどこだ」
「わたしです」…青踏の女たち。
男のゲームに女が乗った。
あのとき、性と愛はセットだったけど今切れた。それでどうなったか。」(上野千鶴子発言採録文責国語)
先生、ひとつ質問ですが「立ちんぼ」が悪でないならなぜ「処女崇拝」がなくならないんですか?
全ての女子は通過儀礼として「立ちんぼ」を義務付ける、としたら賛成ですか?反対ですか?
反対だとしたらなぜですか?
Re: RE:RE:赤点と青点 投稿者:φ 投稿日:2018年 4月 5日(木)23時42分25秒 返信・引用
> No.5015[元記事へ]
トビウオさんへのお返事です。
>
> 私は、「直感的にわかる」というのは「経験に基づいてわかる」ということとほぼ同義であると思っています。なぜなら、直感とは経験によって形成されるものだと考えられるからです。ある人がそれまで経験してきたことと反するように思われる事実に出くわした場合、それは直感に反する事実であるということです。
>
直観は本能に基づいているので、進化論的に獲得されてきたもの。
つまり経験による自然選択の賜物ですね。
哲学は、人の心は自然選択のなすがままではいないという決意の表れかもしれません。
「哲学とは、論理と直観を一致させる努力だ」というのは二つ意味があって、
1.直観でわかる事柄(わかると思い込む事柄も含め)の理由を論理的に説明する努力。
2.論理で証明できる事柄を直観的に納得できる形で説明する努力。
難しいのは2の方ですね。
1はもろもろの錯覚の説明など、ほとんどの事例は「科学」のレベルでどうにかなりますが、2は直観の再教育が含まれますから、まだ体系化されない前科学的テクニックが必要になるように思われます。
赤点青点問題も、知性はすんなり納得させられても、直観を説得しようとするとなかなか大変です。(永久に無理かもしれません・・・・・・)
Re: 浜松から来た手紙 投稿者:φ 投稿日:2018年 4月 5日(木)23時39分9秒 返信・引用
> No.5014[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
>
> 女の子は気が付いたら実行です。まずは慣れです。万引きをしたり立ちんぼをしたりして悪への度胸を付けました。
>
立ちんぼそのものは悪ではありませんよね。
もちろん、違法とされたとたんに警察が助けてくれなくなってヤクザ屋さんが入り込んでくるからホントの悪になってしまいますけれどね。
余計な法律によるマッチポンプで生まれる「悪」が多すぎるかもしれません。
RE:RE:赤点と青点 投稿者:トビウオ 投稿日:2018年 4月 5日(木)17時08分55秒 返信・引用
φさんへのお返事です。
確かに「説明」するのは難しそうですね。
私は、自分の答えが(おそらく)正しいことを論理的に証明することはできますが、
その証明を直感的には理解できないし説明もできません。
私は、「直感的にわかる」というのは「経験に基づいてわかる」ということとほぼ同義であると思っています。なぜなら、直感とは経験によって形成されるものだと考えられるからです。ある人がそれまで経験してきたことと反するように思われる事実に出くわした場合、それは直感に反する事実であるということです。
経験から普遍的真理を発見して、それを論理の力で証明するのが数学という学問だと思います。探求のはじめのうちは、直感的に明らか(だと思われる)事実を証明して行くのですが色々な定理を証明していくうちに、直感だけでは到達できない深い真理に到達できるのだと思います。だから、私は直感は大切だけれど直感と論理は相反するものだと思っていました。このような観点から考えると、φさんの「哲学とは、論理と直感を一致させる努力だ、と言ってもいいかもしれない」という発言はとても興味深いと思いました。
ただ、偉大な数学者の中にはどうしてこんなことが成り立つとわかるのか、というような予想を生み出す人がいます。(ラマヌジャンは有名ですね)そして、のちに予想が正しいことが証明されることがあります。このような例をみると、直感とは単に経験によって形成されるものであるとは言えないのかもしれません。
ラマヌジャンのような人に赤点と青点の問題を出したら、どのような解答をするのでしょうね。
浜松から来た手紙 投稿者:国語 投稿日:2018年 4月 5日(木)15時13分32秒 返信・引用
迷ったけど、一応書き残しておきます。
今日、浜松の友人から手紙が届きました。
浜松に関しては公共下水道の件でものすごく心配していました。
下水道が民営化され、それをフランスの企業が落札したからです。
これはどういうことか?
書かなくてもお判りでしょう。
ほんの少しむかーしむかし。
サンキストのやりくちです。
牛肉・オレンジ自由化の時、瀬戸内海でレモン農家が1個50円で国産レモンを栽培していましたとさ。それなのに、サンキストは「1個10円でレモンをお売りいたしましょう。」と持ち掛け、農業保護より経済競争を優先して政府は農家に補助金を支払い「レモン栽培やめてね」って因果を含めて市場を開放しました。すると、サンキストはよ~く国産レモンの絶えたのを見計らって「ごめんなさいね。今日からレモンは100円ですのよ。ほほほほ」とやった。
嘘つき!とののしっても後の祭り。あーららーこらら。
フランスは日本の官僚機構の研究をものすごくやっているんですって。
いろいろな国が日本人と言う巣箱からミツバチがためた蜜を吸いに来る時期に頭のいいはずの男の人たちは国内のアホな女を牛や馬みたいにとっ捕まえていかに「若さと美しさ」という蜜を収奪しつくすか夢中だったんですって。わあ、大変。
国を亡ぼすにゃ兵器はいらぬ。バカな男女がいればよい。あー大変だ。
あるところにひとりの女の子がいました。その子はたいそう頭がよかったのですが田舎者で因習を憎んでいました。よーし、わたしがひとつ勉強して目にもの言わせてやる!
しかし、女の子には資本が頭脳しかありませんでした。
ちょっと待てよ。わたしは背が低い。それに色白で割とほっそりしている。
そうそう、この身体が資本になるじゃないの。
女の子は気が付いたら実行です。まずは慣れです。万引きをしたり立ちんぼをしたりして悪への度胸を付けました。万引きは窃盗で完全にアウトなのですが、その辺は女の子はマヒしてしまいました。だって、貧乏な小売人なんて相手にしてないから搾取してもいいのです。なんてとんでもない考えでしょう!しかし、「貧乏なバカ女なんて肉便器に洗脳して捨て去って構わない」という勢力に対抗するためにはそのくらい鈍くならないと無理なのだ、と自分に言い聞かせました。
男女。男女がいけないの。この世から幸せな男女がいなくなればいいや。
そのためには既婚者を崩して未婚者は色情狂にすればいいや。え?もてない未婚の男?オナニーしながら死ねばいいわ。
つまり男が女を肉便器にするから女は男を財布にしてやる!女の子はどんどん勉強しておっさんを転がす技を身に着けていきました。
ある日「やえこ」というめちゃくちゃ頭がよく長生きだった女の人の孫の「みちこちゃん」がやって来て「あんたたち、おかしいんじゃない」と言いました。
うるさいんだよ。いい家に生まれた女は貴族なんだから黙っとけよ。女の子は内心舌打ちしました。こういう時には天然の「みつちゃん」が手駒にあるから対抗させとこう。
でも、女の子も実は貴族の娘を利用していました。お城の西の大学で偉くなっているお嬢様です。
女の子は「母性保護」が大っ嫌いでしたのでデンマークという国からフレデリカブレーメルという人が唱えた「クォーター制」を導入することが悲願だったのです。でも、内紛が起こって偉かったはずのお嬢様は地位をはく奪されてしまいました。ちぇ、なんてこった。
女の子は「自由恋愛」を餌に「クォーター制」までたどり着くために必死にやってきました。
でも、定年を迎え、結局「おひとり様」を増加させた一生だったなあ、と振り返ります。でも、若い後継者がいる。「みんなお母さんが売春婦で大変なんだから保育園を義務教育化しろよ」ってがんばってくれている。弁護士の世界も女が増えたから「クォーター制」が言われるようになってきた。「おひとり様」が増えすぎてまともな社会運動の担い手なんかいなくなっちゃってそれどころか国自体がなくなっちゃいそうだけど、もう知らない。この国の男が弱い者いじめばっかりしていたからこうなったんだよ。ざまあみろ。
女の子はどんなふうに雄々しく死んでいくことでしょう。
それは、これからのお楽しみです。
そのときまで国があるかしら?それも、その時のお楽しみです。
知ってる?
イディッシュ語はノーベル文学賞とって滅びたんだよ。
その内容はね、みんながどれくらい愚かで大変なことになっちゃったか書かれていたの。
いちばん頭がいいはずの長老が「おれたちみんなわかんないからいいのさ」って言ってみんなしてきゃはは、って大笑いするような話だったんだよ。
民がバカだ言葉が滅びる言葉が滅びりゃ国がなくなる。
女けっとばしゃ女は子供をけっとばす間が悪きゃこども殺しちゃう。
あー大変だ、大変だ。
大変じゃねえよ関係ねえよそういう大人のおつむがいちばん大変だ。きゃははは。
はい、小噺でした。
Re: 赤点と青点 投稿者:φ 投稿日:2018年 4月 5日(木)03時48分50秒 返信・引用
> No.5012[元記事へ]
トビウオさんへのお返事です。
トビウオさんもすぐわかったようですね。
たしかに知識があれば一発かもしれませんが・・・・・・
しかしこれを直観的に納得させるような「説明」が果たして可能かどうか・・・・・・
人間の直観は論理を反映するようにはできていないようです。
哲学とは、論理と直観を一致させる努力だ、と言ってもいいかもしれません。
赤点と青点 投稿者:トビウオ 投稿日:2018年 4月 5日(木)01時59分44秒 返信・引用
φさんの投稿読ませていただきました。
非常に面白い問ですね。
自分は余計な知識がある分素直に問題を考察できなかったのですが・・・。
哲学的な問題として捉えるとどういう結論になるのでしょうか?
私も直感派からの回答がどのようなものになるか非常に興味があります。
私も今後の掲示板の投稿を観察したいと思います。
Re: 赤点と青点 投稿者:φ 投稿日:2018年 4月 5日(木)01時09分24秒 返信・引用
> No.5010[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
Tedさん(さすがですね)にとっては簡単すぎる問題だったようですが・・・・・・
問題は「正確な説明」をどうやるかですね。
↓前回提示した問題文にとって不要な第三文を削除しました↓
・・・・・・・・・・・・
赤点と青点がたくさん、一列に並んでいます。始点と終点にはともに青点があります。どの二つの赤点を選んでも、その中間に少なくとも一つは青点があります。さらにこの列の中には、赤点の方が青点よりたくさんあるそうです。以上のことが成り立つのは、どのような場合でしょう?
・・・・・・・・・・・・
赤点と青点 投稿者:Ted 投稿日:2018年 4月 4日(水)23時42分42秒 返信・引用
> No.5009[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> ところで、直観といえば、我々の直感がまるで使い物にならない例として、
> 私のお気に入りの事例をアレンジしてBLOGに提示したところ、
> おひとり悩んでくれた人がいるようです。
> この掲示板にBLOGコメント欄から再録しましょう。
>
> ・・・・・・・・・・・・
> 赤点と青点がたくさん、一列に並んでいます。始点と終点にはともに青点があります。同じ位置に複数の赤点や青点があることはありません。そして、どの二つの赤点を選んでも、その中間に少なくとも一つは青点があります。さらにこの列の中には、赤点の方が青点よりたくさんあるそうです。以上のことが成り立つのは、どのような場合でしょう?
> ・・・・・・・・・・・・
>
> ここに来る方々はこの種の問題は1秒で解決でしょうかね……。
> 「こんなの簡単じゃないか」という人は、すみませんがとりあえず書き込みをご遠慮いただいて(少なくとも正解の書き込みをご遠慮いただいて)、直観派から回答が寄せられるかどうか、様子を観させてください。
ご返事ありがとうございます。
なかなか面白い問題ですね。そういう場合はあるのか…ですね…
Re: AIの脅威について 投稿者:φ 投稿日:2018年 4月 1日(日)06時21分8秒 返信・引用
> No.5008[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> ブロック宇宙論とかも同じような考え方かなと思いますが、
> 視点を無時制で見ると、ひとりの人間の世界線全体として、それは永遠に存在している
> という考え方になるのでしょうか。
>
> その世界線の全体が一つのムービーファイル(ビデオテープ)だとすると、
> 一人称としては、それを「再生する」という行為になり、
> 自然とオートループしているような感じと受け取れました。
永遠主義は直観では捉えにくいところがありますよね。
「死」も、単に「自分が消えてなくなる」と捉えれば直観的にわかりやすい気がしますが、実はその捉え方は根本的に間違っているかもしれないという……
ところで、直観といえば、我々の直感がまるで使い物にならない例として、
私のお気に入りの事例をアレンジしてBLOGに提示したところ、
おひとり悩んでくれた人がいるようです。
この掲示板にBLOGコメント欄から再録しましょう。
・・・・・・・・・・・・
赤点と青点がたくさん、一列に並んでいます。始点と終点にはともに青点があります。同じ位置に複数の赤点や青点があることはありません。そして、どの二つの赤点を選んでも、その中間に少なくとも一つは青点があります。さらにこの列の中には、赤点の方が青点よりたくさんあるそうです。以上のことが成り立つのは、どのような場合でしょう?
・・・・・・・・・・・・
ここに来る方々はこの種の問題は1秒で解決でしょうかね……。
「こんなの簡単じゃないか」という人は、すみませんがとりあえず書き込みをご遠慮いただいて(少なくとも正解の書き込みをご遠慮いただいて)、直観派から回答が寄せられるかどうか、様子を観させてください。
Re: AIの脅威について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 3月28日(水)22時38分13秒 返信・引用
> No.5007[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 現在主義を前提すれば、「実時間がどれだけ経っていようが」といったことを気にせざるをえませんが、
> 永遠主義に基づけば、実時間の流れが諸存在の実在性を変えることはないので、私は、死ねば自動的にまた振り出しに戻って同じ人生を生き直すことになるでしょう。
> たとえマルチバースがなくて、唯一の宇宙の中に一つしか「この私」である個体がいなくても、「この私」の主観は無限回経験されることになります。私の主観的経験は常在するので、「一人称の死」はありえないわけです。
>
> 死生学では「一人称の死」が尊ばれる傾向にありますが、人称を言語レベルにとどめず存在論的シリアスに捉えるなら、「三人称の死」しかありえないことになりますね。我々は一人称的には絶対死なないのだから。
ご返事ありがとうございます。
なるほど、永遠主義で考えると、そうなるのですね。
ブロック宇宙論とかも同じような考え方かなと思いますが、
視点を無時制で見ると、ひとりの人間の世界線全体として、それは永遠に存在している
という考え方になるのでしょうか。
その世界線の全体が一つのムービーファイル(ビデオテープ)だとすると、
一人称としては、それを「再生する」という行為になり、
自然とオートループしているような感じと受け取れました。
Re: AIの脅威について 投稿者:φ 投稿日:2018年 3月25日(日)04時53分29秒 返信・引用
> No.5004[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> よって、その場合は、実時間がどんだけ立ってようが、
> 意識主観時間的には、死んだ瞬間、目覚めるということになるので、
> 量子不死ではないですが、一種の不死になるようにも思いました。
>
現在主義を前提すれば、「実時間がどれだけ経っていようが」といったことを気にせざるをえませんが、
永遠主義に基づけば、実時間の流れが諸存在の実在性を変えることはないので、私は、死ねば自動的にまた振り出しに戻って同じ人生を生き直すことになるでしょう。
たとえマルチバースがなくて、唯一の宇宙の中に一つしか「この私」である個体がいなくても、「この私」の主観は無限回経験されることになります。私の主観的経験は常在するので、「一人称の死」はありえないわけです。
死生学では「一人称の死」が尊ばれる傾向にありますが、人称を言語レベルにとどめず存在論的シリアスに捉えるなら、「三人称の死」しかありえないことになりますね。我々は一人称的には絶対死なないのだから。
Re: AIの脅威について 投稿者:国語 投稿日:2018年 3月22日(木)09時24分21秒 返信・引用
> No.5003[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
> 国語さんへのお返事です。
> ご質問ありがとうございます。
こちらこそ、御返事ありがとうございます。
>
> 避けたいのは、「気が付かないうちに滅亡」かとは思います。
>
> 例えば、小さなブラックホールが誰にも知られないで、地球にぶつかって、
> 全人類、認識しないうちに絶滅とかは、避けたいですね。
や~、さすがTedさんだなあ。聞いてみてよかったな、と感心しています。
でも、やっぱり考えは正反対で、わたしはこれは全く思いつかない滅亡だったのですが
「これならいいな」
と、即座に思ってしまったのです。
…なぜだろう。
また、考えがまとまったり、「いいな」と思ったのはとんでもない誤りだったりしたら書き込むかもしれません。
とりあえず、自分では全く思いつかないすごいことが聞けたな、と感動しています。
ありがとうございました。
Tedさんってすごいとおもいます。
それでは。
Re: AIの脅威について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 3月21日(水)17時45分3秒 返信・引用
> No.5002[元記事へ]
φさんへのお返事です。
ご返事ありがとうございます。
> > この問題にも絡みますが、最近、ボストロム初の邦訳
> > 「スーパーインテリジェンス 超絶AIと人類の命運」を読みました。
> >
>
> その本については、稲葉振一郎さんの講座にいちど参加することになっています。
宇宙倫理学の方ですね。
面白そうなので、参加してようかと思っております!
情報ありがとうございます。
> 偏りのないコインを投げて、100回続けてすべて表が出たら殺されるが、それ以外の場合には1億円もらえる。
> この設定では、ハイエクは「このギャンブルはやめた方がいい」と忠告するんでしょうかね?
> 「死」は、現在の人生に条件づけたとき、無限大の危害でしょうから。
>
> ハイエクは飛行機で日本に来たんでしょうか。
> だとすれば、100回コインの賭けよりもはるかに危険な賭けに自らの命を晒したことになります。
> それを踏まえると、「効用が無限大であれば、確率がどんなに低くてもその選択肢を選ぶのが理にかなっている」という言葉は空虚に聞こえます。
>
> 二重に空虚かもしれません。
> 無限大の危害を避けるために飛行機に乗るのをやめて自宅に閉じこもっていたとしても、
> 星新一のショートショートにあったように、自宅に飛行機が墜落するかもしれないわけです。
> いかなる選択も無限大の危害の可能性がゼロではないので、結局は通常の期待値に従って選択するしかないことになります。
「人類全体の危機」と「個人(主観的主体)の死」を分けてしまっているのかもですね。
ご指摘の通り、
個人としては、何もできなくなってしまう
(何もしないことも危険なら、何もしないこともできなくなってしまう)
ため、確かに、説得力には欠ける、と思えました。
ボストロム関連でもあり、
下記の国語さんへの文章を書いていて、ふと思ったことですが、
以前、量子不死は難しく、確率1で死へ向かうという流れがありましたが、
シミュレーション仮説や、
「ゼロからの論証」でも取り上げられおられた
ティプラーのオメガポイント仮説について、
マルチバース+シミュレーション仮説やオメガポイント仮説を考えると、
ある人の死後以降に分岐した宇宙の中で、ビッグクランチを迎え、
オメガポイント内で、再生復活してくれる世界もある可能性はあるのかなと思いました。
(ビッグクランチがすべての宇宙で基本的に成り立たなければ厳しいですが)
また、
オメガポイント仮説まで行かなくても、シミュレーション仮説で、
奇特な存在が、余剰のコンピュータ資産で、
過去の死者の記憶/意識を再生してくれる場合も、
可能性としてはあるのではないかと思います。
よって、その場合は、実時間がどんだけ立ってようが、
意識主観時間的には、死んだ瞬間、目覚めるということになるので、
量子不死ではないですが、一種の不死になるようにも思いました。
Re: AIの脅威について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 3月21日(水)16時48分47秒 返信・引用
> No.5001[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
>Tedさんは人類が滅亡することは避けられないと仮定して、
>どのような滅亡が理想だと考えていらっしゃるかお聞かせいただけないでしょうか。
> ちなみに自分は茶道の運び手前の終わりが最上のイメージで最後の一人が
>「おしまいにさせていただきます」と言って礼をして去る、みたいな感じです。
>現実にはシェーカー教徒の終了が近い感じ。
> 子孫がいますので、「熱い痛い」は避けたいな、と思っているのですが。
ご質問ありがとうございます。
避けたいのは、「気が付かないうちに滅亡」かとは思います。
例えば、小さなブラックホールが誰にも知られないで、地球にぶつかって、
全人類、認識しないうちに絶滅とかは、避けたいですね。
そのケース以外の「気が付いて滅亡」は、
何らかの予兆や原因を取り除くように一部の人間が努力したりするので、
個々人によって、受け取り方が違ってくるようには思います。
散財する人、山にこもる人、何とか回避策を練る人…などなど(映画でもよくありますよね)
個々人レベルに話を落とすと、
目前の滅亡に対して、ありきたりですが、
悔いや後悔は残さないほうがいいのかも知れません。
悔いや後悔がほぼ無いと仮定すると、
「死を受け入れる人・自殺してしまう人」系や、
それでも、
「何らか、滅亡を逃れえる為に努力する人」がいると思いますが、
このあたりは、個人の選択かなと思います。
いよいよ最後が近づいたとき、発狂や耄碌していなければ、
ラスト1秒以下のタイムスケジュールで意識あったりしたら、
多分、半端なく意識集中がなされていると思いますので、
かなりスローモーション的に死へ突入して行くのかと思います。
総合して、悔いなく、ある程度、滅亡に対して足掻けて、
明確な意識をもって、という感じが、現状は良いように思います。
Re: AIの脅威について 投稿者:φ 投稿日:2018年 3月18日(日)02時08分18秒 返信・引用
> No.5000[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> この問題にも絡みますが、最近、ボストロム初の邦訳
> 「スーパーインテリジェンス 超絶AIと人類の命運」を読みました。
>
その本については、稲葉振一郎さんの講座にいちど参加することになっています。https://www.asahiculture.jp/shinjuku/course/1eb1c568-0a36-da3e-df9b-5a57375b2fec
>
> 「ある選択肢の効用が無限大であれば、確率がどんなに低くてもその選択肢を選ぶのが理にかなっていると述べます
> (無限大の危害であれば、確率が低くてもその選択肢を避けることが理にかなっている、ということです)。」
>
>
> サンクトペテルブルグのパラドックスの、無限の利益の逆版で、
> 「無限の被害」という概念も何か考えると奥が深そうとも思いました。
偏りのないコインを投げて、100回続けてすべて表が出たら殺されるが、それ以外の場合には1億円もらえる。
この設定では、ハイエクは「このギャンブルはやめた方がいい」と忠告するんでしょうかね?
「死」は、現在の人生に条件づけたとき、無限大の危害でしょうから。
ハイエクは飛行機で日本に来たんでしょうか。
だとすれば、100回コインの賭けよりもはるかに危険な賭けに自らの命を晒したことになります。
それを踏まえると、「効用が無限大であれば、確率がどんなに低くてもその選択肢を選ぶのが理にかなっている」という言葉は空虚に聞こえます。
二重に空虚かもしれません。
無限大の危害を避けるために飛行機に乗るのをやめて自宅に閉じこもっていたとしても、
星新一のショートショートにあったように、自宅に飛行機が墜落するかもしれないわけです。
いかなる選択も無限大の危害の可能性がゼロではないので、結局は通常の期待値に従って選択するしかないことになります。
Re: AIの脅威について 投稿者:国語 投稿日:2018年 3月17日(土)06時40分54秒 返信・引用
> No.5000[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
こんにちは。
いつも助けていただいてありがとうございました。
横から質問して申し訳ありません。
> 「ある選択肢の効用が無限大であれば、確率がどんなに低くてもその選択肢を選ぶのが理にかなっていると述べます
> (無限大の危害であれば、確率が低くてもその選択肢を避けることが理にかなっている、ということです)。」
> 「現実には無限大の効用、あるいは無限大の危害はおそらくないでしょう。
> しかし、たとえば人類に破滅的な影響を及ぼすことがらはどうでしょうか?
私は東日本大震災と原子力発電所の事故を思いました。
> このような効用(危害)の非常に大きなことがらについては、
> 「低い確率だから無視してよい」という考え方が成り立たないことを示して、話を締めくくられました。」
>
> サンクトペテルブルグのパラドックスの、無限の利益の逆版で、
> 「無限の被害」という概念も何か考えると奥が深そうとも思いました。
奥が深い、というか、まずいですよね(ま、単に人類にとってまずいだけで人類がいなくなればよいこともあるかもしれませんけどね)。
Tedさんは多分、理科系ですよね?
私は『阿修羅ガール』一行目(たしか「減るもんじゃないといわれたけどやっぱり減った私の自尊心」とかなんとか)でほっぽりだしている文系ですから趣味は合わないとは思うのですが、もしよかったら、Tedさんは人類が滅亡することは避けられないと仮定して、どのような滅亡が理想だと考えていらっしゃるかお聞かせいただけないでしょうか。
ちなみに自分は茶道の運び手前の終わりが最上のイメージで最後の一人が「おしまいにさせていただきます」と言って礼をして去る、みたいな感じです。現実にはシェーカー教徒の終了が近い感じ。
子孫がいますので、「熱い痛い」は避けたいな、と思っているのですが。
袖すりあうも他生の縁と申します。
もし気が向いたらお聞かせください。気が向かなかったら結構です。
御邪魔いたしました。
AIの脅威について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 3月17日(土)03時48分6秒 返信・引用
> No.4998[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> ちょっと前に、次のように書きましたが
> http://8044.teacup.com/miurat/bbs/4985
>
> 問いが「あなたという人間が、コイン表の状況にいる確率は?」と明確化・固定されれば、
> 目覚めに条件づけたときの表の確率は1/2、
> 月曜日の目覚めに条件づけたときの表の確率は2/3
> となるのではないでしょうか。
>
> 他方、「そのときの観測者切片がコイン表の状況にいる確率は?」と明確化・固定されれば、
> これもベイズの定理が使えて、1/3説が正しい、ということになりそうです。
>
> ↑そう簡単でもなさそうな気がしてきました。
>
> とはいえ、二封筒問題に比べると、パラドクスの焦点がぼやけた「多義性の問題」にすぎないような気がしないでもありません。
> 二封筒問題は、単に開封するだけという最小限の動作によって合理的な行動が劇的に変わるという、
> 記憶喪失だの準拠集団だのの設定を要しないシンプルな良問と言えます。
>
> パラドクスのクオリティというものが漠然とあって、
> それについては、「私はこの問題は苦手だ」というような形で、しばしば表明してきました。
> (たとえば、ゼノンの動くブロックのパラドクスや、マクタガートのパラドクスなどは、自明でない多くの前提に依存しているぶん、純度が劣るでしょう……)
なるほどです。
ただ、眠り姫問題の理解は個人的に深まりました。
この問題にも絡みますが、最近、ボストロム初の邦訳
「スーパーインテリジェンス 超絶AIと人類の命運」を読みました。
※本のエッセンスとしては、TEDの講演での発表もありました。
https://www.ted.com/talks/nick_bostrom_what_happens
書き起こし:http://logmi.jp/67684
なかなか興味深かったです。
昨今、イーロン・マスクとかビル・ゲイツとかがAI脅威論を唱えていて、
なんでこんな考えに至ったのだろうと思っていたのですが、
ボストロムのこの本の影響もあるみたいですね。
「人類を超えた知」がどういうもので、どういう脅威なのか、
なんて、通常、理論的に考えにくいのですが、
そこは、選択観測効果や終末理論みたいに、考えが難しいことを、ちょっとの引っ掛かりから、
徹底的に考えるという、ボストロムの本領発揮みたいな感じで面白かったです。
結構、英米の物理学者や哲学者って、「人類滅亡」に対して
http://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=42435?site=nli
みたいに、
時々レポートが出たりして、これも面白い傾向だなとおもっていましたが、
http://costep.open-ed.hokudai.ac.jp/costep/contents/article/1684/
で、面白い意見があり、なるほどと思いました。
「ある選択肢の効用が無限大であれば、確率がどんなに低くてもその選択肢を選ぶのが理にかなっていると述べます
(無限大の危害であれば、確率が低くてもその選択肢を避けることが理にかなっている、ということです)。」
「現実には無限大の効用、あるいは無限大の危害はおそらくないでしょう。
しかし、たとえば人類に破滅的な影響を及ぼすことがらはどうでしょうか?
地球温暖化のシナリオに、極めて低い確率でも、そのような破滅的な予測が含まれていたらどうでしょうか?…
このような効用(危害)の非常に大きなことがらについては、
「低い確率だから無視してよい」という考え方が成り立たないことを示して、話を締めくくられました。」
サンクトペテルブルグのパラドックスの、無限の利益の逆版で、
「無限の被害」という概念も何か考えると奥が深そうとも思いました。
さてどうしようかな 投稿者:国語 投稿日:2018年 3月16日(金)09時08分41秒 返信・引用
先生、お返事ありがとうございました。
でも、もう、他人のこしらえたフィクションはおなか一杯かな、と思います。
確かに自分は洗脳されていたかもしれないけどおかげで防御力も高かったのでわりかしみんなが落ちがちな穴も巧みに避けられたのではないか、そんな風に総括しておきましょう。
今日は「未病サポーター講座」と「稲作初心者講座」に行ってきます!
昨年御局様との抗争に敗れ(確信犯でサンドバッグになってたから別にいいんだけどね)パートもクビになっちゃったので何か探さないといけません。
これからはやっぱりお金!
それと、自分の近くの人と仲良くなる能力を磨いていきたいとおもいます。
遠くの人は一緒に農作業できないし、「損だな」と思うやいなや引っ越したり付き合いを断ってきたりするので近寄っても意味ないと思います。
学生さんだったら、やっぱりリアルの世界を大切に、どう生きていくか考えてくれたらうれしいです。
もう、「焼け畑農業」思考は通用しない…というか土地は有限で人生も有限なんだから、「ここじゃないどこか」「こいつじゃないだれか」はぶん投げて「いまここ、と、このひと」をどうにかしていく。
それがカッコいい…ような気がします。
ご指導ご鞭撻ありがとうございました。敬礼!
Re: 二封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2018年 3月12日(月)14時37分8秒 返信・引用
> No.4993[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
ちょっと前に、次のように書きましたが
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/4985
問いが「あなたという人間が、コイン表の状況にいる確率は?」と明確化・固定されれば、
目覚めに条件づけたときの表の確率は1/2、
月曜日の目覚めに条件づけたときの表の確率は2/3
となるのではないでしょうか。
他方、「そのときの観測者切片がコイン表の状況にいる確率は?」と明確化・固定されれば、
これもベイズの定理が使えて、1/3説が正しい、ということになりそうです。
↑そう簡単でもなさそうな気がしてきました。
とはいえ、二封筒問題に比べると、パラドクスの焦点がぼやけた「多義性の問題」にすぎないような気がしないでもありません。
二封筒問題は、単に開封するだけという最小限の動作によって合理的な行動が劇的に変わるという、
記憶喪失だの準拠集団だのの設定を要しないシンプルな良問と言えます。
パラドクスのクオリティというものが漠然とあって、
それについては、「私はこの問題は苦手だ」というような形で、しばしば表明してきました。
(たとえば、ゼノンの動くブロックのパラドクスや、マクタガートのパラドクスなどは、自明でない多くの前提に依存しているぶん、純度が劣るでしょう……)
Re: メディアの見方 投稿者:φ 投稿日:2018年 3月12日(月)14時26分21秒 返信・引用
> No.4996[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
『クロコダイル・ダンディ』はサマリーを見て「ありがちだな」ってことでまずは保留。
良い判断ではないんですけどね。
「ありがち」でスルーするとしたら、
『メランコリア』も『遊星からの物体X』も『オテサーネク』も『ひなぎく』も、『涼宮ハルヒの憂鬱』も、愚かにもスルーされてしまいそう。
そもそも「ありがち」でない作品とは何か?
ストーリーがないものも「シュール」といったようなカテゴリに入れられてしまうし。
それでも
『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』とか『ファイトクラブ』とか『パフューム ある人殺しの物語』とか、
概要聞いたとき「ありがち感」に襲われなさそうな傑作もあるにはありますが。
Re: メディアの見方 投稿者:国語 投稿日:2018年 3月11日(日)08時21分7秒 返信・引用
> No.4957[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
ネット検索していたら、去年の秋、先生に会ったという方の「オタク」と「体育会系」についての考察を発見しました。
どなたかはわからなかったのですが好きなまんがとして『青春改札口』というのを挙げており、「自分が今でもジムで筋トレしてしまうのは闘うロボットアニメばっかり見ていたからじゃないか」と考え「空手を習った」のも同じ理由ではないか、と書いていました。更に女の子だったら『花の子ルンルン』とかを見ているわけだから、全く違う刷り込みになったのではないか、とも。
私は子どものころテレビに噛り付いていてあらゆるアニメを見ていました。
今でもYouTubeでロボットアニメの主題歌とかうっとり聞いていると子どもに「ママ、同じ歌ばっかり何回聞いたら気が済むの」と言われ「や、同じじゃないよ」というのですが「さっきもその前も地球の絵から始まってたじゃん」と言われてハッとしたり。
…つまり、私が重症の中二病になってしまったのは私自身がメディアに洗脳されていたのではないか、という結論です。わー怖い。
とりあえず、『青春改札口』でも探して読んでみて考えようかな。それともこれを機に本なんて読まないことにして100円おかずの研究とかに血道を上げる方向に舵を切ろうかな…とか新学期になるし考えてみます。
…でも、世のなかには難しいことを考える人がいないと本当にまずいと思うんです。
先生、皆さん、頼みましたよ。それでは、さようなら。
Re: 伊賀野カバ丸偏愛 投稿者:国語 投稿日:2018年 3月10日(土)07時50分5秒 返信・引用
> No.4994[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
カバ丸についてちょっと考えました。
『クロコダイルダンディー』という映画が好きな人はカバ丸を気に入る可能性が高いとおもいます。
ちなみに『クロコダイルダンディー』はアボリジニのドリーミング思想というものに通底しており、「ドリーミング思想」で検索かけると「プロセス志向心理学」というのが引っかかって、これの創始者のミンデルという人は物理学を学んだ人みたいですね。
安房直子さんもカバ丸も陰陽の差だけで同じなんです。私から見ると。
体調によって濃さを変えるだけ…みたいな。
先生の本はつまんないから買わなかったわけじゃなくって、パラパラっと見て、「ガンダムよりマジンガーZのほうが好き」みたいなことが書いてあったところしかわかんなかったんです(私もガンダムから嫌になっちゃったんで。歌が嫌だね。「燃え上がれ」って何?さんざん地球防衛のために火消しをしてきたのに燃やしてどうすんの?っていう拒否反応。勘違いともいうかもしれないけど)。多分、私の知能では理解できない内容なんだとおもいます。
あと、解剖型の知性と標本型の知性があって、例えば後者としてロランバルトなんかはものすごい好きなんですが「解剖型」だと「何を解剖しているか」でそもそも「知らないものだな」となってしまう可能性はあるとおもいます。…で、とりあえず先にハルヒシリーズ見てますけど…。見終わったら、また考えます。
ではでは。
Re: 伊賀野カバ丸偏愛 投稿者:国語 投稿日:2018年 3月 9日(金)06時07分34秒 返信・引用
> No.4991[元記事へ]
φさんへのお返事です。
創作物って霧のようにたくさんあるでしょう。
だから、自分はフックがほしいんですが、保証はできないですよ。
『さんかくはぁと』っていうドラマなんて自分はすっごい面白くって、「もう一回見たいんだよね~」なんて言ったらドラマ好きの友達が「あんたに言われてちょうど再放送してたから全話録画して楽しみに見たけど、も~、つまんなくってつまんなくってかすりもしないからこれあげる」って、ビデオテープもらったことあるからね(おかげで今でも全話見られるから最高なんだけど)。
…つまんなくっても責任取りませんから「お金は大切にね」ってことでよろしくお願いいいたします。
Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 3月 8日(木)16時10分24秒 返信・引用
> No.4989[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> Tedさんへのお返事です。
>
> 眠り姫問題の場合は、1/2説、1/3説それぞれが辻褄が合っていて、
> 適用範囲を混同するところにパラドクス的な見かけが生ずるだけという
> それなりの解釈で解決できるのに対し、
>
> 2封筒問題はそんな簡単ではありませんね。
> 未開封では交換で損得なし、というのは期待値計算で一般の根拠が得られるのに対し、
> 開封すると「交換で損得なし」という期待値計算は不可能になってしまいます。
> このバラドクスは、ちょっとやそっとでは解決できません。
> 結局は、
> 「未開封では交換で期待値無変化、開封しただけで交換で期待値アップ」
> という計算上の結論を素直に飲み込むことだけが合理的となるのでしょう。
ご返信ありがとうございます。
2封筒問題は、
未開封状態:いろんな数値組み合わせの可能世界(マルチバースでも代用OK)がたくさん
開封状態 :最初の封筒が1万円という条件の世界に世界の幅が狭まる
という様式の説明が一番しっくり来ています。
また、可能世界や量子論多世界に話が戻ってしまうのですが、
2封筒問題などに、
可能世界を説明の一環で使うと、「でも、可能世界って空想の産物だよね」いう方もおられると思うのですが、
そこに対して、
「いやいや、局面によっては、量子力学的多世界(マルチバース)でも説明できるんだよね。
可能世界(様相実在論)とちがって、こっちは、物理的裏付けも(ある程度)あるんだよね」
と使えると思っています。
世界がたくさんという理解は、
数理パズルや物理学、哲学、形而上学、倫理学(トロリー問題など)等等に応用が利くものと思っています。
この件について、最近、φさんの書き込みなどを見て、少し思うところがありました。
単純な多宇宙確率想定
ーーー
マクロ物質のサイコロがあります。(可能な限り確認したがフェアなサイコロです)
ある人がある場所である時間(ある時空点の1点で)それを振ります。
6種類の結果が出る世界群が、等しい確率(頻度)(1/6づつ)でその時空点から分岐存在します。
ーーー
と簡単に考えていましたが、
よく考えたら、φさんが量子不死/量子自殺のあたりで言われていたように、
ある時空点の一点からの分岐は、その手の振り、転がる場所の状況、空調、等等の条件が、同じであるため、
マクロレベルでは100%1が出るしかありえないこともあるように思えました。
※量子力学的ミクロ世界視点では、
1が出た世界群自体は実数的に無限あると思いますが、そのすべてで1が出ているケース。
よって、量子自殺はマクロ事象でやると失敗と思われる(100%死か、機器不備で障害を持って生き残る)
また、マクロ事象に関わる量子不死もない可能性が高い。
つまり、かんたんに、「世界が6種類に等確率で分岐します」みたいな表現は使えないのではないか、と思いました。
※もちろん厳密な量子サイコロなら1/6づつに分岐すると思いますが…
ただ、今一度考えてみますと、
量子自殺のような形で自己主観が絡むという場合以外の思考実験としては、
「ざっくりこの部屋ぐらいの広さの範囲で、あなたが、今日一日中ぐらいの範囲で、
フェアと思われる状況で、フェアと思われるサイコロを振りました」
というぐらいの緩い指定の多世界群であれば、様々な状況が含まれる可能性があるので、
少なくとも厳密に時間場所を指定した次の一手、よりは、
6種類の結果が出る世界群が、等しい頻度(1/6づつ)で存在する可能性が高いと
言えるのではないかとも思いました。
よって、思考実験で使うと仮定した場合レベルだと、これぐらいの緩い考え方で
量子論多世界をとらえたほうが便利に思いました。
Re: 伊賀野カバ丸偏愛 投稿者:国語 投稿日:2018年 3月 8日(木)05時38分6秒 返信・引用
> No.4991[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 国語さんへのお返事です。
>
> そのマンガは初耳。
> 女性漫画家でスカトロと聞いては手にとって見ないわけにはいきませんが、
> 売り場に行くとバージョンがいっぱいあってわかりません。全三巻完結だの全四巻完結だの……
マーガレットコミックス1~12巻の1巻です。
> この種のわけわからなさで買い控えたままのDVDもたくさんあることを思い出しました。
どんなのですか?
私はとりあえず可能な限り必ず見に行くので良さそうなのがあったら教えてください(先生は未見でいいので)。あ、AVは結構です。
> サブタイトルだけ違ってるから別の映画だと思ったら実は同じだったというような痛い目に幾度か遭っているので。
…そのくらいだと痛くない、というかめげないんで。
『冬の旅』という映画なんて長年血道をあげて探してて『さすらう女』に題変えられてたけど見つけ出したし(あ、これは逆の話ですね。でも、そういうことはありがちです)。
> スカトロって、単に言葉(単語、会話)がスカトロなだけじゃないですよね?
う~ん。そういわれると、『まことちゃん』のほうがいいかもね。
それでは。
Re: 伊賀野カバ丸偏愛 投稿者:φ 投稿日:2018年 3月 8日(木)02時10分49秒 返信・引用
> No.4990[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
そのマンガは初耳。
女性漫画家でスカトロと聞いては手にとって見ないわけにはいきませんが、
売り場に行くとバージョンがいっぱいあってわかりません。全三巻完結だの全四巻完結だの……
この種のわけわからなさで買い控えたままのDVDもたくさんあることを思い出しました。
サブタイトルだけ違ってるから別の映画だと思ったら実は同じだったというような痛い目に幾度か遭っているので。
スカトロって、単に言葉(単語、会話)がスカトロなだけじゃないですよね?
伊賀野カバ丸偏愛 投稿者:国語 投稿日:2018年 3月 7日(水)21時42分46秒 返信・引用
衝撃の事実が判明したので。
私は小学校時代から大切に取っておいてある漫画が1つだけあって(これ以外は全て買い直し)、ま、それが『伊賀野カバ丸』なんです。1~12巻と外伝2巻ね。
今、なぜか炬燵で二人のすっかり大きくなった子供が『カバ丸』を出してきて再読して笑い転げているので、亜月裕なにしてんのかな?と検索したところ…この人、東大卒だったんだね。驚愕。
やはり、東大にはスカトロの伝統が!?…わからない人は1巻だけでも読んでね。ひっくりするほど面白いし、今こういう面白さはさっぱりなくって寂しい限りです。
亜月裕天才!それでは。
追伸・フィンランドでは『銀牙』(当然私の家にもあります。夫の推薦で『レース鳩0777』まであるからね)が大人気なんだって。ちょっと面白いですね。
Re: 二封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2018年 3月 6日(火)03時16分19秒 返信・引用
> No.4988[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
眠り姫問題の場合は、1/2説、1/3説それぞれが辻褄が合っていて、
適用範囲を混同するところにパラドクス的な見かけが生ずるだけという
それなりの解釈で解決できるのに対し、
2封筒問題はそんな簡単ではありませんね。
未開封では交換で損得なし、というのは期待値計算で一般の根拠が得られるのに対し、
開封すると「交換で損得なし」という期待値計算は不可能になってしまいます。
このバラドクスは、ちょっとやそっとでは解決できません。
結局は、
「未開封では交換で期待値無変化、開封しただけで交換で期待値アップ」
という計算上の結論を素直に飲み込むことだけが合理的となるのでしょう。
Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 3月 3日(土)11時46分14秒 返信・引用
> No.4987[元記事へ]
追記、補足です。
> 問いが
> 「コインが表であった場合は、あなたという人間に1回限り、水曜日に起こして500円あげます。
> (あげる金額は総額500円のみです)
> また、あなたという人間が、今、水曜日にいると想像してください。
> あなたという人間が、水曜日時点の立場に立てば、水曜日に500円を手にしている確率は?」
> だったら、
>
> 問い2の状況の時:1/2
> 問い3の状況(今、月曜日です)であっても1/2になりそうな気がします。
> ※実験終了後の立場を想定して想像しろなので、いつ聞いても同じ質問に
> 質問自体が変化しているので、当たり前とも思ってはいますが…
>
> 問いが
> 「コインが表であった場合は、あなたという人間に1回限り、水曜日に起こして500円あげます。
> (あげる金額は総額500円のみです)
> 今、あなたは目覚めました、「今、目覚めた」という情報を元に、
> あなたという人間が、今の立場で、水曜日に500円を手にしている確率は?」
> であれば、
> 問い2の状況の時:1/2
> 問い3の状況(今、月曜日です)の場合、2/3となるように思いました。
の後者のほうの問いが、
いわゆる1/2説かと思い、「2018年 3月 2日(金)02時23分58秒」に書いた意見は、
一部、間違っていたと思います。
ここまで考えると、
> 問いが「あなたという人間が、コイン表の状況にいる確率は?」と明確化・固定されれば、
> 目覚めに条件づけたときの表の確率は1/2、
> 月曜日の目覚めに条件づけたときの表の確率は2/3
> となるのではないでしょうか。
>
> 他方、「そのときの観測者切片がコイン表の状況にいる確率は?」と明確化・固定されれば、
> これもベイズの定理が使えて、1/3説が正しい、ということになりそうです。
は納得行きました。
ご指摘ありがとうございます。
Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 3月 3日(土)11時22分54秒 返信・引用
> No.4985[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> ということにはならないでしょう。ベイズの定理が使えるので。
> 問いが「あなたという人間が、コイン表の状況にいる確率は?」と明確化・固定されれば、
> 目覚めに条件づけたときの表の確率は1/2、
> 月曜日の目覚めに条件づけたときの表の確率は2/3
> となるのではないでしょうか。
>
> 他方、「そのときの観測者切片がコイン表の状況にいる確率は?」と明確化・固定されれば、
> これもベイズの定理が使えて、1/3説が正しい、ということになりそうです。
>
> 2封筒問題の場合は、眠り姫問題のような曖昧さはないと思われますが・・・・・・。
なるほど。
問いが
「コインが表であった場合は、あなたという人間に1回限り、水曜日に起こして500円あげます。
(あげる金額は総額500円のみです)
また、あなたという人間が、今、水曜日にいると想像してください。
あなたという人間が、水曜日時点の立場に立てば、水曜日に500円を手にしている確率は?」
だったら、
問い2の状況の時:1/2
問い3の状況(今、月曜日です)であっても1/2になりそうな気がします。
※実験終了後の立場を想定して想像しろなので、いつ聞いても同じ質問に
質問自体が変化しているので、当たり前とも思ってはいますが…
問いが
「コインが表であった場合は、あなたという人間に1回限り、水曜日に起こして500円あげます。
(あげる金額は総額500円のみです)
今、あなたは目覚めました、「今、目覚めた」という情報を元に、
あなたという人間が、今の立場で、水曜日に500円を手にしている確率は?」
であれば、
問い2の状況の時:1/2
問い3の状況(今、月曜日です)の場合、2/3となるように思いました。
BTXさんへ 投稿者:国語 投稿日:2018年 3月 3日(土)07時52分54秒 返信・引用
返信無用です。
二月の終わり、古書店で安房直子さんの『銀のくじゃく』という文庫本を買いました。
多分、BTXさんに教えていただかなかったら手に取らなかったとおもいます。
その本には工藤直子さんの解説がありそこには
安房さんの描く物語を読みすすむうちに、「もうひとつの国」は、子どもひとりひとりの中にあり、それは、深いところで地続きになっているのだ、と確信しはじめる。
(そうだ。たしかにそうなのだ。そこでは、「子どもの心」が自由に行き交い、結ばれあっているのだ。安房さんの物語が、なつかしさと、くつろぎを与えてくれるのは、この、万人の中にある「もうひとつの国」を、生き生きと描きだしているからなのだ。)
と、書いてありました。
これは、生きている人間の国ではないかもしれないけれど、ついこの間まで生きている人間ではなかった子どものそばにいる人には忘れてほしくない国(だって、いずれ早晩帰るわけですし)だな、と思いました。
こんなに優しいお母さんで息子さんは無事大きくなったのかな、とまた余計な心配をしましたが無事大きくなってお母さんのファンの方たちの集いなどにも参加したりしているようで安心しました。
私には最近なぜか
「わたしたちずっと一緒の学校じゃなかった?」
と、記憶違いをしてしまうくらい親しい友人ができました。「直子さん」という名前で「なおちゃん」と呼んでいます。
私はなんとなくBTXさんも女の人で「直子さん」だったりしてね~、なんて思って楽しくなっているのです。
ちょっと書いていることが支離滅裂ですが、私はこれからおばさんからおばあさんになるので、いよいよ長年避けていた「乙女ちっく」街道に、なおちゃんと出かけて行こうかな、なんておもいます。
その時は『銀のくじゃく』を鞄に入れてなおちゃんにも見せてあげよう。
「これはある掲示板でね…」
とBTXさんのことも話すかもしれません。
とりあえず、良いご紹介をありがとうございました。
それでは。
Re: 二封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2018年 3月 3日(土)02時27分30秒 返信・引用
> No.4983[元記事へ]
スターダストさんへのお返事です。
>
> ◇引用 括弧はスターダストによる強調
>
> 4.眠り姫問題の論点
> 眠り姫問題は,意志決定理論の【自己位置づけ】問題として出発したが,それ以外の科学哲学の様々な問題の試合場でもある.人間原理,終末論法,コペルニクスの原理,自意識の問題,独我論,確率の解釈問題,ファイン・チューニング,情報とは何か,ベイズ改訂とはなど多岐にわたる. それらの問題はそれぞれ幾つかの要
>
>
> ※引用者注。
> ベイズ改訂ではなく確率空間の乗り換えを推奨します。
>
「確率空間の乗り換え」とは、問題設定によって「有意義な問いがそのつど変わる」というプラグマティックな考慮でしょうか。
ただ、いかなる確率空間を選ぶのが有意義であるか、を決めるメタレベルでの正当化がなければなりませんね。
ベイズの定理を使えるように、確率空間を問題文によって固定しておく、ということはできると思います。
解釈の揺れをなくすのです。
それをしないのは「問題の不備」ということになります。
眠り姫問題では、それがなされずに、何を問うているかが曖昧な表現のまま進んでいるのでしょう。
なので、言葉の意味をはっきりさせさえすれば、
Tedさんの言う
>
>「あなたという人間が、コイン表の状況にいる確率は?」という問いであれば、
>「今は月曜日です」情報が加わっても、
>1/2のままのような気します。
>
ということにはならないでしょう。ベイズの定理が使えるので。
問いが「あなたという人間が、コイン表の状況にいる確率は?」と明確化・固定されれば、
目覚めに条件づけたときの表の確率は1/2、
月曜日の目覚めに条件づけたときの表の確率は2/3
となるのではないでしょうか。
他方、「そのときの観測者切片がコイン表の状況にいる確率は?」と明確化・固定されれば、
これもベイズの定理が使えて、1/3説が正しい、ということになりそうです。
2封筒問題の場合は、眠り姫問題のような曖昧さはないと思われますが・・・・・・。
Re: 二封筒問題について 投稿者:スターダスト 投稿日:2018年 3月 2日(金)23時43分39秒 返信・引用
> No.4983[元記事へ]
self_location
は、動的に変移する、《私はどの確率空間にいるのか》
の意味において、難解ですが面白そうな課題ですね。
森の射手問題を調べなければなりません。これから百万年考えます。
Re: 二封筒問題について 投稿者:スターダスト 投稿日:2018年 3月 2日(金)23時34分20秒 返信・引用
> No.4982[元記事へ]
■眠り姫問題 信念の度合い或いは主観確率を - 静岡理工科大学
( http://www.sist.ac.jp/~shinba/self_location.pdf )
URLが"self_location"を含んでいます。
◇引用 括弧はスターダストによる強調
4.眠り姫問題の論点
眠り姫問題は,意志決定理論の【自己位置づけ】問題として出発したが,それ以外の科学哲学の様々な問題の試合場でもある.人間原理,終末論法,コペルニクスの原理,自意識の問題,独我論,確率の解釈問題,ファイン・チューニング,情報とは何か,ベイズ改訂とはなど多岐にわたる. それらの問題はそれぞれ幾つかの要
※引用者注。
ベイズ改訂ではなく確率空間の乗り換えを推奨します。
Re: 二封筒問題について 投稿者:スターダスト 投稿日:2018年 3月 2日(金)12時10分42秒 返信・引用
> No.4981[元記事へ]
… 二封筒問題に話を引き戻しますけれども
実のところ、二封筒問題の系においても、眠り姫同様に、
【確率空間がふたつある】
と見なすほうがスッキリするのではないかと思っています。
未開封バージョンと開封済みバージョンとでは、確率空間が異なる、適宜確率空間を乗り換えるべし、という気持ちです。
眠り姫において問1の確率の値と問2の確率の値が無関係であるように(空間が違うから…「同様に確からしい」が違うから)
二封筒問題にても、《未開封と開封済みとで、共通の確率空間を使用しなければならない》といった暗黙の了解は不要、との見解です。
むろん、これだけを言い放つだけでは、考察の放棄、知的後退に繋がるのですけれども。
確率空間の重複といったテーマはなかなかに難しいのですよね。
二封筒における「衣装」を見いだすことがなかなか困難で道半ばです。
Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 3月 2日(金)03時00分42秒 返信・引用
> No.4980[元記事へ]
訂正
実験自体が3000回行われたら、月表が1000回、月裏が1000回、火裏1000回づつ実施されるのは
↓
実験自体が2000回行われたら、月表が1000回、月裏が1000回、火裏1000回づつ実施されるのは
Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 3月 2日(金)02時23分58秒 返信・引用
> No.4979[元記事へ]
φさん、スターダストさんへのお返事です。
今回少し、やりとりさせていただいて把握できたことも踏まえますと、
数学的な説明ではないのですが、以下の理解です。
感覚的な言葉も多いのですが…
眠り姫問題を
A.「今のあなたが、コイン表の状況にいる確率は?」
B.「あなたという人間が、コイン表の状況にいる確率は?」
と
とらえている人がいそうです。
Aは各覚醒を1単位としており、Bは人を単位としています。
Aの中でも、
A 1/3派とA 1/2派がいます。
それぞれ、問い2と問い3(今、月曜)の答えは、
A 1/3派は、1/3,1/2
A 1/2派は、1/2,2/3
B 派は、1/2,1/2
となりそうです。
「A 1/3派」は頻度主義、繰り返し実験派、
実験自体が3000回行われたら、月表が1000回、月裏が1000回、火裏1000回づつ実施されるのは
確かなので、各覚醒の割合で見ると、1/3になるという根拠。
「A 1/2派」は、実験一回派、一回限りの実験が「順を追って進む」と考える人たち。
まず、コインが投げられ、裏表が出る。ここは1/2。
次に月曜がやってくる、表の覚醒だったら、1/2。ということは裏は1/2。
裏の覚醒は月曜と火曜に2回あるから、
それぞれ、1/2÷2=1/4づつのはずだ。(よって、月曜裏,火曜裏はそれぞれ1/4)
※繰り返さないので、頻度主義のように、カウント合計から
1/3とならないように考えられる。順々にステップする1回限りなので。
B 派は「A 1/2派」と同じ、問い2に1/2と答えるが、覚醒単位で考えていないので、
考え方が違う。よって、問い3であっても1/2のまま。
「A 1/3派」と「A 1/2派」の違いは、前者は各覚醒を平たく並べて
一括処理みたいにしているので、確率が均等になるイメージ。
一覚醒一覚醒を独立させて平等に扱っているイメージ。
後者は、まず、裏表1/2で処理をし、次ステップとして、裏を分割しているイメージ。
あくまで「表覚醒1/2」と「裏覚醒1/2」を分け、「裏覚醒」をさらに月覚醒と火覚醒に
分けているため、それらは1/4づつとなる。
※この両派は、覚醒数で言うと、1実験で見ると覚醒する可能性のある回数は、
3回と同じ。ただ主観としての「私」が憑依(観測)するそれぞれの覚醒への
確率、手順が前者は平等、後者は2段階との差があるために違いが発生していると推測。
裏表に賭けるギャンブルは、
1覚醒を1人格とみなして、覚醒単位(「観測者切片」と表現)
にお金を払うか、あくまで人単位に払うかによる。
ふつうは人単位に払うので、
「B派」のような考え方になる(「観測者」と表現)
よって、普通のコイン裏表ギャンブルと変わらない確率ゲームになる。
※1覚醒1人格の場合は、「A 1/3派」と「A 1/2派」のどちらの主義かによって、
主観確率は変わると推測。
こんなイメージとなりました。
Re: 二封筒問題について 投稿者:スターダスト 投稿日:2018年 3月 1日(木)15時15分43秒 返信・引用
> No.4978[元記事へ]
φさん、Tedさんへのお返事です。
ひとつの系において互いに相異なる2つの確率空間が絡み合いながら存在している、このような問題設定は、およそ学校教育では習わなかったですよね。我々は不馴れなわけです。
確率について論じるときに、私たちは暗黙の了解で、確率空間を【ひとつだけ】想定して、そのもとで〈同様に確からしい〉根元事象を設定し、さまざまな法則を利用して課題となる事象の確率を求めています。
眠り姫問題はかかる仕方では解決できない、というのが私からの提案です。
確率空間を【ふたつ】想定して、各々そのもとで〈同様に確からしい〉【二通りの】根元事象を設定し、さまざまな法則を利用して課題となる事象の確率を求めるべきと存じます。
この提案に説得性を持たせるために、私は、衣装を用意した次第です。
問1の根元事象は、コインの{表,裏}でして、そのことを頻度主義者にわかりやすいように、ツナギの裏地の色が{赤,青}を用意しました。多数回設定ですが、数万人規模の眠り姫が着ていたツナギについて洗濯屋は、裏地が赤と青とのツナギを、ほぼ同数、洗うことになるでしょう。
φさん、Tedさん、おふたりが仰るところの、〈観測者〉の言葉を使えば、赤い裏地のツナギを着た〈観測者〉と青い裏地のツナギを着た〈観測者〉とは、同様に確からしく存在するわけです。
私はこのことに依拠して、問1については、以下のように答えます。
◇問1「今は日曜日、実験開始の直前である。場合Aである確率は?」
根元事象としては、コインの{表、裏}を採用し、各根元事象は同様に確からしく発生する。
場合Aである確率は1/2
さて、ここからが大事です。
問2の根元事象は、コインの{表,裏}と、曜日の{月曜、火曜}とを組み合わせた、
{表月曜,裏月曜,裏火曜}
でして、そのことを頻度主義者にわかりやすいように、チョーカーの色が{金,銀,銅}を用意しました。多数回設定ですが、数万人規模の眠り姫が着ていたツナギについて洗濯屋は、金、銀、銅の色のチョーカーをほぼ同数、洗うことになるでしょう。特に銀と銅のチョーカーの数は同数です。
φさん、Tedさん、おふたりが仰るところの、〈観測者切片〉の言葉を使えば、金のチョーカーをつけた〈観測者切片〉と銀のチョーカーをつけた〈観測者切片〉と、銅のチョーカーをつけた〈観測者切片〉とは、同様に確からしく存在するわけです。
私はこのことに依拠して、問2については、以下のように答えます。
◇問2
「さぁ、あなたは目覚めた。場合Aである確率は?」
◆答2
問2チョーカーについての答えに同じ。観測者切片についての問いなので。
◇問2チョーカー
「さぁ、あなたは目覚めた。チョーカーが金色である確率は?」
◆答2チョーカー
根元事象としては、{表月曜,裏月曜,裏火曜}を採用します。各根元事象は同様に確からしく発生します。チョーカーが金色である事象は、表月曜に対応しますから、確率は1/3です。
===
さて、問1についての答え、1/2と、 問2についての答え、1/3のあいだには、
【ベイズの定理によっての関連は絶無】です。
問1と問2とでは、よってたつ確率空間として異なるものを採用したからです。(ベイズの定理が使えるのは同一の確率空間どうしでです。
)
こうして、
問1についての答え、1/2と、 問2についての答え、1/3は矛盾していません。
要は、鵺のような確率空間の正体が実はお馴染みの鴉と鶏との重ね合わせであったことに気がつくわけです。
確率空間の乗り換えを適宜行うことをおおいに推奨したいところです。
なお、被験者と実権者とのあいだで各設問についての賭博をさせれば、なにが公正な賭け率になるか、モンテカルロで決定出来ます。
問2問3では、実験者と観測者切片とのあいだの賭博になるので、確率空間としては、チョーカー基準がふさわしいです。
問1ではツナギ基準が公正です。実験者と観測者とのあいだの賭博になるからです。
Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 3月 1日(木)13時48分21秒 返信・引用
> No.4977[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> > なるほど。
> > 「私」を「観測者切片」として見ると、1/3、
> > 「観測者」として見ると、1/2のような気もしてきました…
> >
>
> 「今のあなたが、コイン表の状況にいる確率は?」 …… 正解1/3
> 「あなたという人間が、コイン表の状況にいる確率は?」 …… 正解 1/2
>
> 「人間としてのあなた」が利害の主体となることが圧倒的に多いので、なんとなく1/2説が有利のような気がします。
> 今さらながら。
>
> 記憶喪失ということで「今のあなた」に判断主体を制限しようとしても、ちょっと苦しそうです。……
なるほどです。厳密には眠り姫問題とは違ってくるとも思いますが、
「あなたという人間が、コイン表の状況にいる確率は?」という問いであれば、
「今は月曜日です」情報が加わっても、
1/2のままのような気します。
ボストロムの意見(質問2も3も1/2)も、
この問いであれば、理解できなくもないかとも思ったり...
Re: 二封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2018年 3月 1日(木)02時31分42秒 返信・引用
> No.4976[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
>
> なるほど。
> 「私」を「観測者切片」として見ると、1/3、
> 「観測者」として見ると、1/2のような気もしてきました…
>
「今のあなたが、コイン表の状況にいる確率は?」 …… 正解1/3
「あなたという人間が、コイン表の状況にいる確率は?」 …… 正解 1/2
「人間としてのあなた」が利害の主体となることが圧倒的に多いので、なんとなく1/2説が有利のような気がします。
今さらながら。
記憶喪失ということで「今のあなた」に判断主体を制限しようとしても、ちょっと苦しそうです。……
Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 2月28日(水)20時57分6秒 返信・引用
> No.4975[元記事へ]
スターダストさんへのお返事です。
> 裏地が赤/青の二択と
> チョーカーの金色・銀色・銅色の三択とは、
> 同一の実験系で、二つの確率空間を構成します。
>
> 早い話が、二通りの「同様に確からしい」があるので……
なるほど。
ご説明ありがとうございます!
頻度主義で考えたとしても、意識覚醒は1/3、裏表自体は1/2と併存できるのですね。
ごちゃっとなっていたので整理できました。
φさんへのお返事です。
> 眠り姫問題は、確率の問題というより、質問の曖昧さに依存した言語パズルではないか、という疑いも兆してきますね。
> 多数回試行、
> 「あなたが表にあたっている確率は?」と問われれば、正解は1/2に決まってますし、
> 「いま表と答えて正解である確率は?」と問われれば、正解は1/3となるでしょう。
>
> 単に「さて、表が出ている確率は?」という問いは、曖昧なわけですね。
>
> ツナギやチョーカーを想定すると、眠りごとに取り換えるのかどうかという設定の仕方によって自ずと質問の曖昧さが除去されます。
> ただし、要は、「私」にとってどの質問が意義深いか、ということに帰着します。
> コイン表にあたる人数は、全体の半数です。「私」はその中のランダムな一人。
> すると、多数回試行だろうがマルチバースだろうが茫漠シナリオだろうが、1/2説が説得的であるようにも思えてくるわけです。……
スターダストさんへの返信に横入りすみません。
なるほど。
「私」を「観測者切片」として見ると、1/3、
「観測者」として見ると、1/2のような気もしてきました…
Re: 二封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2018年 2月28日(水)14時32分37秒 返信・引用
> No.4974[元記事へ]
スターダストさんへのお返事です。
>
> ※洗濯屋は1/2や1/3を頻度主義で観測します。
> 従って、実験直前のあなたや、目覚めたあなたは、二つの確率空間のうち、どちらを使うべきかについて、問1や問2シリーズ、問3シリーズについて適切に選ばなければなりません。
>
>
眠り姫問題は、確率の問題というより、質問の曖昧さに依存した言語パズルではないか、という疑いも兆してきますね。
多数回試行、
「あなたが表にあたっている確率は?」と問われれば、正解は1/2に決まってますし、
「いま表と答えて正解である確率は?」と問われれば、正解は1/3となるでしょう。
単に「さて、表が出ている確率は?」という問いは、曖昧なわけですね。
ツナギやチョーカーを想定すると、眠りごとに取り換えるのかどうかという設定の仕方によって自ずと質問の曖昧さが除去されます。
ただし、要は、「私」にとってどの質問が意義深いか、ということに帰着します。
コイン表にあたる人数は、全体の半数です。「私」はその中のランダムな一人。
すると、多数回試行だろうがマルチバースだろうが茫漠シナリオだろうが、1/2説が説得的であるようにも思えてくるわけです。……
Re: 二封筒問題について 投稿者:スターダスト 投稿日:2018年 2月28日(水)01時21分39秒 返信・引用
> No.4973[元記事へ]
裏地が赤/青の二択と
チョーカーの金色・銀色・銅色の三択とは、
同一の実験系で、二つの確率空間を構成します。
早い話が、二通りの「同様に確からしい」があるので……
※洗濯屋は1/2や1/3を頻度主義で観測します。
従って、実験直前のあなたや、目覚めたあなたは、二つの確率空間のうち、どちらを使うべきかについて、問1や問2シリーズ、問3シリーズについて適切に選ばなければなりません。
Re: 二封筒問題について 投稿者:スターダスト 投稿日:2018年 2月28日(水)01時09分1秒 返信・引用
> No.4972[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
割り込みすみません。
○衣装つき眠り姫問題
日曜日に、ある実験が始められる。まず、あなたは眠らされる。そのあとフェアなコインが投げられ、表か裏かによって、次の二つの措置が選ばれる。
場合A■表が出た場合
あなたは白いツナギを着せられる。裏地は【赤】だがあなたには確認のすべがない。また、あなたは首に金色のチョーカーをつけられるがあなたには確認のすべがない。
あなたは月曜日に一度起こされ、インタビューされ、また眠らされ、ずっと眠り続ける。
場合B■裏が出た場合
あなたは白いツナギを着せられる。裏地は【青】だがあなたには確認のすべがない。また、あなたは首に銀色のチョーカーをつけられるがあなたには確認のすべがない。
あなたは月曜日に一度起こされ、インタビューされ、また眠らされ、火曜日に一度起こされ、インタビューされ、また眠らされ、ずっと眠り続ける。但し、月曜に眠らされた後にチョーカーは銅の色のものに変えられる。眠りは記憶を消すほど深いので、目覚めたときに月曜か火曜かはわからない。
いずれの場合もあなたは、実験の手続きについてはすべてわかっているものとする。目覚めたときに自分が月曜にいるか火曜にいるか、そしてコインは表だったのか裏だったのかがわからないだけである。
ちなみに、コイン投げがなされるタイミングについては融通が利く。コイン投げは、あなたが最初に起こされる前でも、月曜にあなたが目覚めた後でも、問題の構造は変化しない。
さて、あなたへのインタビューは次のようなものである。
◇問1「今は日曜日、実験開始の直前である。場合Aである確率は?」
◇問2
「さぁ、あなたは目覚めた。場合Aである確率は?」
◇問2服
「さぁ、あなたは目覚めた。裏地が赤である確率は?」
◇問2チョーカー
「さぁ、あなたは目覚めた。チョーカーが金色である確率は?」
◇問3「さぁ、あなたは目覚めた。今は月曜日である。場合Aである確率は?」
◇問3服「さぁ、あなたは目覚めた。今は月曜日である。裏地が赤である確率は?」
◇問3チョーカー「さぁ、あなたは目覚めた。今は月曜日である。チョーカーが金色である確率は?」
問1の正解が1/2であることに異を唱える人はいないだろう。これからコインを投げて表になる確率は1/2なので、場合Aである確率は当然1/2である。
===
保守的に。頻度主義で考えてみます。多数回設定ですね。今回は唯一設定は使いません。
ツナギやチョーカーを全回収して洗濯屋に出し、各色の頻度を数えるわけです。
◇解2服
「さぁ、あなたは目覚めた。裏地が赤である確率は?」
1/3
洗濯屋が観測する、裏地が赤のツナギの個数は全体の半分ほどになりますね。
◇解2チョーカー
「さぁ、あなたは目覚めた。チョーカーが金色である確率は?」
1/3
洗濯屋が観測する、金色のチョーカーの個数は全体の1/3ほどになりますね。
◇解3チョーカー「さぁ、あなたは目覚めた。今は月曜日である。チョーカーが金色である確率は?」
1/2
洗濯屋が観測する、金色のチョーカーの個数は全体の1/3ほどになりますね。
◇解3服「さぁ、あなたは目覚めた。今は月曜日である。裏地が赤である確率は?」
1/2
洗濯屋が観測する、裏地が赤のツナギの個数は全体の半分ほどになりますね。
===
服の裏地の色についてと、チョーカーの色については頻度主義で解決できます。
賭けをするならば頻度主義でなすべきことと思われますが如何でしょうか?
Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 2月27日(火)20時56分30秒 返信・引用
> No.4970[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> まさにそういうことです。
> 収縮というのは、天動説と同じですね。
> 量子力学からすれば物理的世界に収縮なんて起こらない。収縮するのは観測者の意識だけ。
> 主観的に、太陽が回っているように【見える】だけで、実際には地球が回っている結果の【見え】にすぎない。
> 主観的に、物理的世界が収縮したように【見える】だけで、実際には観測者の居場所が減ってゆく結果の【見え】にすぎない。
> 減ってゆくといっても、特定の観測がなされる身体がそれ以前の身体の一部分へ分割されてゆくだけで、全体としては何も減ってはいないんですけどね。相容れない知覚内容の種類が増えてゆくだけで。
ご返事ありがとうございます。
なるほどですね。
地球が丸い→太陽を回っている(多惑星)→銀河の外がある(多銀河)の系譜で、マルチバースにつながりますね。
> ――明日の夜から、御茶ノ水に二泊です……
> 年末特有のこの公務、疲れます……
御茶ノ水での公務、無事終了されましたでしょうか。
そろそろ年度末、バタバタすることも増えてきそうですね…
マルチバースと主観が絡む思考実験の話で、
少し前のBTXさんの書き込みとも少し関係があるかもしれませんが、
仕掛けのないコインがあり、裏が出たら900円あげると胴元が言ったとしたら、
少しでも裏が出る確率をあげる戦略として、
「眠り姫問題の実験をかけてほしい」というのはどうでしょうか?
覚醒の都度、期待値を出すとし、また、マルチバースが真という条件ですれば、
各覚醒は1/3となるので、
裏が出る確率(=900円もらえる確率)は、2覚醒分あるので、2/3となり、
期待値は、900円×2/3で600円になりませんでしょうか。
そのままだと、期待値は450円になると思いますので、戦略として、
「眠り姫実験をかけてほしい」は使えるのかなと思いました。
ただ、
> これも解釈次第なんですね。
> どこで答え合わせをするかによりますから。
> 月曜に「表」と答えたとします。
> 実験終了して水曜日に目覚めてから、さて自分は果たして正解しただろうか、と確認するために、
> 月曜の「表」が正解かどうか調べれば、
> 1/2の場合に正解になっているはずです。
> つまり、「結局正解率がどのくらいと判明するか」という問いならば、マルチバースのもとでも1/2ですね。
>
> 目覚めるたびに答え合わせをすれば、1/3の場合に正解になっているでしょう。マルチバースのもとでは。
>
> 水曜日に目覚めることなく、火曜日に眠りについたあと永遠に眠り続けるならば、
> 「目覚めるたびの答え合わせ」だけがあることになるので、正解1/3ということで問題なさそうですが。
以前いただいていた上記からすると、
目覚めるたびには期待値が600円なのに、水曜日に振り返って考えたら、期待値はやっぱり450円でしたのような気もし、
単に「やった900円GETだ!」と喜べる回数の期待値が0.5回ではなく、0.6666...回になっただけのような気もしますが...
人相と経験則 投稿者:国語 投稿日:2018年 2月25日(日)08時08分47秒 返信・引用
返信無用です。
よ~く考えてみたんですが、もしかすると、「人相と経験則」ということはあるかもしれません。
たとえば、中山忍様に瓜二つな人に何回か人生の中で遭遇しており、経験上中山忍様タイプの女性は不思議と自分を一目で気に入ってしまい、熱を上げてくると相場が決まっていた。
であるならば、現実に中山忍様本人に出くわしても多分同じなのではないかと推測できる。
従って、手っ取り早く交渉に入っても何ら問題ない。時間を短縮しただけ。
…でも、この考えは、孔子の時代の考え方です。
孔子が亡くなったとき、弟子は孔子に似た人を探し回ったとか。なぜなら、その当時は「似た姿の人には似た考えが宿る」と信じられていたからです。
私自身は、孔子の時代の考えを全く切り捨ててはいません。
だから、「整形手術」をされてしまうといろいろわからなくなって困るな、と思っていますし、立派なことを書いている人はなるべく可能な限りそーっと観に行きます。
見ると、いろいろなことがわかるからです。
実際、ある作家がかなり好きでしたがサイン会に行って失望して本をすべて手放したこともあります。
生きている人間はそのくらい、見たらわかります。
映像では足りないとおもいます。
…そんなところですかね。
また、とんちんかんなことを書いていたらごめんなさい。
先生は文章も人物も立派です。「高潔」って感じですかね。そんな人は本当にあんまりいません。
それでは。
Re: 二封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2018年 2月24日(土)03時41分21秒 返信・引用
> No.4969[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> 「癌発生原因が生じた宇宙」と「生じない宇宙」は、太郎の主観を考えなければ、すでにミクロ的な相互干渉が出来ない、
> (所謂波動関数の収縮後の)別の世界となっていると思います。
>
> ただ、太郎自体はC経験を経ていないため、イメージですが、
> 両方の宇宙群に観測者切片(正確にはこの場合は切片ではなく観測者ですが)として散らばっている(貫世界同一性が保たれている)
> 太郎という認識です。
>
> ここでC経験をした太郎のうち一人が、別に波動関数が収縮するとかそういう話ではなく、
> 「癌発生原因が生じた宇宙」に俺はいるんだと、主観意識を持ってしまうということで、共存している宇宙群の中から一つに同定されてしまい、
> 世界が主観的に「分岐」したとなる理解です。
>
まさにそういうことです。
収縮というのは、天動説と同じですね。
量子力学からすれば物理的世界に収縮なんて起こらない。収縮するのは観測者の意識だけ。
主観的に、太陽が回っているように【見える】だけで、実際には地球が回っている結果の【見え】にすぎない。
主観的に、物理的世界が収縮したように【見える】だけで、実際には観測者の居場所が減ってゆく結果の【見え】にすぎない。
減ってゆくといっても、特定の観測がなされる身体がそれ以前の身体の一部分へ分割されてゆくだけで、全体としては何も減ってはいないんですけどね。相容れない知覚内容の種類が増えてゆくだけで。
――明日の夜から、御茶ノ水に二泊です……
年末特有のこの公務、疲れます……
Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 2月23日(金)19時26分54秒 返信・引用
> No.4966[元記事へ]
φさんへのお返事です。
ご返事ありがとうございます。
> 分岐は観測者の知覚に違いが生じた瞬間に生じますから、
> 癌の原因発生の瞬間には、おそらくまだ分岐していませんね。癌発生原因が生じた宇宙と生じない宇宙が無数に共存しているだけで。
> 癌の原因が他の細胞群と相互作用して、太郎の知覚に反映されたとき、太郎Aと太郎Bに分かれ、特定の主観的主体が後戻りできない分岐に入ったことになります。
なるほど。知覚が分岐のトリガーであるということは、腑に落ちました。
量子力学の文脈で「意識」「知覚」という表現が出たら、
「フォン・ノイマン=ウィグナー解釈(意識が波動関数の崩壊を起こす)」みたいな、
マルチバース以前の理論をイメージしてしまう印象がありましたが、
今回のは、もちろん、そういう話ではなく、
「癌発生原因が生じた宇宙」と「生じない宇宙」は、太郎の主観を考えなければ、すでにミクロ的な相互干渉が出来ない、
(所謂波動関数の収縮後の)別の世界となっていると思います。
ただ、太郎自体はC経験を経ていないため、イメージですが、
両方の宇宙群に観測者切片(正確にはこの場合は切片ではなく観測者ですが)として散らばっている(貫世界同一性が保たれている)
太郎という認識です。
ここでC経験をした太郎のうち一人が、別に波動関数が収縮するとかそういう話ではなく、
「癌発生原因が生じた宇宙」に俺はいるんだと、主観意識を持ってしまうということで、共存している宇宙群の中から一つに同定されてしまい、
世界が主観的に「分岐」したとなる理解です。
うまく説明できていないかもしれませんが…
Re: Re:国語さん,φさんへ 投稿者:国語 投稿日:2018年 2月22日(木)07時31分34秒 返信・引用
> No.4962[元記事へ]
トビウオさんへのお返事です。
> 国語さんへのお返事です.
> お久しぶりです.投稿は久しくしていませんが定期的に掲示板は見ております.従って,国語さんのお返事もきちんと読ませて頂きました.
お返事ありがとうございます。
ちょっと、トビウオさんがせっかく書いてくださった内容と自分が書いていることが整合性がとれていないのでどうしたものかな、と、気にはなっていたのです。
> 以前の投稿では結構偉そうなことを書きましたが,私自身実は某大学の修士課程に在籍しており,実際に指導教官と議論する際はプレッシャーを感じます.それでも(議論の場では)対等に向き合うべきという理想を書いたのがあの投稿です.
いや、全然偉そうではなかったですよ。理想は大切。全く同感です。
ただ、現実にはいろんな人がいるので…「無限に層がある」のでね。おばさんの処世術的には「先生って呼ばれたい人かどうかよ~く見てね」と思ったりもしますが、トビウオさんなら大丈夫でしょう。
>
> 物理学者だった故坂田昌一先生は学生に自分のことを「さん」付けで呼ばせ,「先生」と呼ばれることを嫌ったと言います.自分は坂田先生のこの考え方に感銘を受けたので,以前の投稿のような考えを持つに至った次第です.
>
坂田昌一さんって全く知りませんでした。
でも、すごい人だったんですね。
素人考えでは「無限」といいつつ「ループ」しているのではないか、なんて思いますけど。
そういえば、ハルヒシリーズはうちのバカ息子などは
「あー、こういうのって、頭いい人か馬鹿かしか読まないんだよね。真ん中は読まないんだよ」
って言ってて、面白いな~って思いました。
頭いい人とバカな人がつながってしまう…みたいな。
真ん中はどうなるのかな。
理数系では古いものはすぐに更新されて見向きもされなくなるようなイメージがありましたが、トビウオさんの坂田昌一先生みたいにちゃんと継承されるものなのですね。
私の父は農学系の研究者でした。エキセントリックで振り回されましたけど、面白いことも言ってたんですよ。そのひとつが、研究者は論文という名の踏み石を置くのが仕事。後から来た人間の役に立つようになるべくいいやつを置きたいんだ…みたいな。
父は石造り職人。わたしの中では。
> それでは.
>
> P.S.
> この掲示板でのやりとりは面白くて,世のなかにはこんなことを考えている人がいるのかと毎回新鮮な驚きを感じています.国語さんの投稿も興味深く拝見させていただきました.
世のなかあほな人がいるもんだな、って、びっくりしたかな?
スーパーのレジとか駅の清掃とかで50歳くらいのおばさんが働いているでしょう。
そういう人がいたら「この人が国語さんかな?」って思ってみたりするのも一興かもしれません(そして本当に私かもしれませんよ)。それでは。
Re: AVについて 投稿者:国語 投稿日:2018年 2月22日(木)06時15分12秒 返信・引用
> No.4965[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 国語さんへのお返事です。
>
> 演者と鑑賞者という初期条件はすぐ了解済みになるはずですから、簡単ですね。
や、全く「簡単」ではないと思いますね。
演者は1名ですが、鑑賞者は不特定多数です。何が簡単なのか申し訳ありませんがさっぱりわからないですね。
> あんなことやこんなことをしてくれるよう、率直に頼む。その一手ですね。
なぜ、頼めるんですか?どんな理屈で?それも、申し訳ありませんがさっぱりわからないですね。
> 白井絢香さんなら朗らかに応じてくれるはず。
> (心霊ドキュメンタリーで、AVでは見せない「素」を垣間見せていて、癒されました)
ここは、「幻想がある」っていうことでしょうね。
それでは、白井絢香さんが「大変申し訳ありませんが確かに私はかつてお金のためにあのような仕事をいたしましたが、現実には配偶者としかいたしません。現在私は独身ですから、どなたともいたしません」
と言ったらどうしますか?結婚を申し込みますか?申し込みませんか?申し込むのなら「お見それしました」。申し込まないのならかなり問題があると言わざるを得ません。しかし、それは白井絢香さんの人生にとっての問題であって、私とは無関係なので関与するつもりは一切ありません。
> とはいっても、白井絢香のDVDはすべて持っていながら、まだ開封してないものがほとんどなのです。
> 観ずにいる方が想像力が膨らむので。
そうなんですよね。
それは全く同感ですね。
逆に、想像力がありすぎると現実に見てしまった暁には「なんだこんなもんか」となって、一人のほうが楽しいくらいですよね。
…また、掲示板の格調が下がりきってしまうのでこれにて失礼いたします。
お返事ありがとうございました。
Re: 二封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2018年 2月22日(木)03時20分52秒 返信・引用
> No.4963[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> 太郎Bは、79歳のあるきっかけで発生したがん細胞が増殖し、
> 80歳で末期がんで死亡とすると、
> 多分太郎Bを含んだ世界群は、
> 増殖するがん細胞によって、80歳が老衰と同じような行き止まり、
> になってしまうのではないでしょうか。
> (ちょっとやそっと回復する世界があっても、そもそも末期がんなので、
> 延命があまりできない)
>
> そうなると、太郎Bコースは太郎Aコースという真の老衰コースがありながら、
> 主観的にも、客観的にも生物学的限界まで生きない形にならないでしょうか?
>
> このケースであっても、太郎Bは「事故や自殺で断ち切られる」ことに該当
> しますでしょうか。
なるほど、
順を追って考えると、
分岐は観測者の知覚に違いが生じた瞬間に生じますから、
癌の原因発生の瞬間には、おそらくまだ分岐していませんね。癌発生原因が生じた宇宙と生じない宇宙が無数に共存しているだけで。
癌の原因が他の細胞群と相互作用して、太郎の知覚に反映されたとき、太郎Aと太郎Bに分かれ、特定の主観的主体が後戻りできない分岐に入ったことになります。
その知覚的内容をCとしましょう。
C経験の有無によっていったん分岐したら後戻りできないわけですから、
Cを経験した太郎はBコース決定ですね。
意識内容からは130歳不可能ということはわからなくても、
Cと環境的条件とを合わせると100%80歳で死、ということもありえますね。
やはり量子不死はほとんどありえないということになるでしょうか。
量子効果と突然死とが必要なようですか。
シュレーディンガーの猫なら、実験の終了までいくつもの関門を潜り抜けて主観的に生き延びますが、
段階的マクロな知覚経験によって小刻みな分岐を経験する主体は、130歳まで生き延びはしなさそうですね……
Re: AVについて 投稿者:φ 投稿日:2018年 2月22日(木)02時41分54秒 返信・引用
> No.4961[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
演者と鑑賞者という初期条件はすぐ了解済みになるはずですから、簡単ですね。
あんなことやこんなことをしてくれるよう、率直に頼む。その一手ですね。
白井絢香さんなら朗らかに応じてくれるはず。
(心霊ドキュメンタリーで、AVでは見せない「素」を垣間見せていて、癒されました)
とはいっても、白井絢香のDVDはすべて持っていながら、まだ開封してないものがほとんどなのです。
観ずにいる方が想像力が膨らむので。
スチル写真にはずいぶんお世話になりましたけれど。
デスクトップの壁紙も6年間白井絢香です。
Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 2月21日(水)21時29分10秒 返信・引用
> No.4963[元記事へ]
訂正箇所がありまました。
例えば、ある太郎さんを含む世界が、私が79歳の時に、
↓
例えば、ある太郎さんを含む世界が、その太郎さんが79歳の時に、
Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 2月21日(水)21時27分42秒 返信・引用
> No.4960[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> マクロ世界に生きざるをえない我々は、
> 徐々に老衰して、確率1で意識消滅するでしょう。
> ただし、ほとんどの人は、主観的に、130歳くらいまで生きるのではないでしょうか。事故や自殺で断ち切られない限りにおいてですが。
> 他者から見れば誰もが100年弱くらいのどこかで死に至るが、
> 主観的には、生物学的限界までは量子不死状態が続く、と思われるわけです。
ご返事ありがとうございます。
例えば、ある太郎さんを含む世界が、私が79歳の時に、
太郎Aを含む世界群と太郎Bを含む世界群に
それからの歴史が干渉不可になったとき(いわゆる分岐)、
太郎Aは130歳で老衰コースをたどり、そこで消滅。
太郎Bは、79歳のあるきっかけで発生したがん細胞が増殖し、
80歳で末期がんで死亡とすると、
多分太郎Bを含んだ世界群は、
増殖するがん細胞によって、80歳が老衰と同じような行き止まり、
になってしまうのではないでしょうか。
(ちょっとやそっと回復する世界があっても、そもそも末期がんなので、
延命があまりできない)
そうなると、太郎Bコースは太郎Aコースという真の老衰コースがありながら、
主観的にも、客観的にも生物学的限界まで生きない形にならないでしょうか?
このケースであっても、太郎Bは「事故や自殺で断ち切られる」ことに該当
しますでしょうか。
Re:Re:国語さん,φさんへ 投稿者:トビウオ 投稿日:2018年 2月21日(水)15時27分20秒 返信・引用
国語さんへのお返事です.
お久しぶりです.投稿は久しくしていませんが定期的に掲示板は見ております.従って,国語さんのお返事もきちんと読ませて頂きました.
以前の投稿では結構偉そうなことを書きましたが,私自身実は某大学の修士課程に在籍しており,実際に指導教官と議論する際はプレッシャーを感じます.それでも(議論の場では)対等に向き合うべきという理想を書いたのがあの投稿です.
物理学者だった故坂田昌一先生は学生に自分のことを「さん」付けで呼ばせ,「先生」と呼ばれることを嫌ったと言います.自分は坂田先生のこの考え方に感銘を受けたので,以前の投稿のような考えを持つに至った次第です.
それでは.
P.S.
この掲示板でのやりとりは面白くて,世のなかにはこんなことを考えている人がいるのかと毎回新鮮な驚きを感じています.国語さんの投稿も興味深く拝見させていただきました.
Re: AVについて 投稿者:国語 投稿日:2018年 2月21日(水)08時58分37秒 返信・引用
> No.4959[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 黒木香その他はさておき、私は断然白井絢香。
…じゃあ、白井絢香さんが目の前に現れたらどういうリアクションしますか、っていう話です。
卯月妙子さんの漫画を見ると、宅急便を持ってきた人などにも「俺はあんたを知っているよ」などと言われたそうです。
たとえば、私は塚地武雅(親しいという妄想から「さん」を付けたくない)という芸人が好きです。直接観たことはないんですが、好きすぎて
「やー、玄関開けて塚地が立ってて『一緒に行こう』とか言われたら蒸発しちゃうかもだわ」
とか発言して家族は白けています。「勝手にして」…みたいな。
つまり、私は塚地にかなり幻想を持っているというわけです。
白井絢香さんが目の前に現れたらどういうリアクションをするか。
これは、かなり重要だと思いますね。
また「全然重要じゃない。全くそういうことじゃない」としたら、なぜ「そういうことじゃない」のか。それでは、一体「どういうこと」なのかよ~く洗ってみるとか。
人間には顔があり普段は着衣の身体があり、建前があり、本音があり、理想がありますね。更には、来歴や能力もあります。
そんなところから、「本当に本当のところ、自分は何を求めているか」そして「そのために日々現実の中でどういうリアクションを取っているか」を点検してみる。
その回路がうまくつながってなるたけ太くして行けた時、エネルギーがうまく得られて「幸せ」に近づけるのかな?なんて思いますけど。
人間には性差がありますから、また、私は良く人から「単細胞」呼ばわりされていますから、見当違いのことを書いているかもしれませんが、少なくとも、わたしはそう信じていますし、そのようにしていきたいと考えています。
男だったら中山忍様になんて声かけようかな、とか妄想すると無害且つ楽しい時間つぶしにもなりますしね。
お返事ありがとうございました。それでは。
Re: 二封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2018年 2月21日(水)01時30分18秒 返信・引用
> No.4955[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> よって、かなり難しいが、「量子自殺」は不可能ではないが、
> 「量子不死」はほぼマクロな要件での適用パターンが多いのでほぼ不可能のようにおもいました。
>
でしょうね。
マクロ世界に生きざるをえない我々は、
徐々に老衰して、確率1で意識消滅するでしょう。
ただし、ほとんどの人は、主観的に、130歳くらいまで生きるのではないでしょうか。事故や自殺で断ち切られない限りにおいてですが。
他者から見れば誰もが100年弱くらいのどこかで死に至るが、
主観的には、生物学的限界までは量子不死状態が続く、と思われるわけです。
Re: AVについて 投稿者:φ 投稿日:2018年 2月21日(水)01時25分26秒 返信・引用
> No.4958[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
黒木香その他はさておき、私は断然白井絢香。
と言ってもピンとこないか。
心霊系のフェイクドキュメンタリーDVDに白井絢香が出てきた時はびっくりしました。そこではAV女優兼スカトログラビアモデルなんてことは視聴者にはまったく知らされず。映像論のネタになりそうな、かなり変わった役回りでしたけれどね。
そういえば卯月妙子とは、むかし何度か(環境音楽のプランナーだった旦那さんが存命の頃)、いろんな場所で長時間至近距離で過ごしましたっけ……
AVについて 投稿者:国語 投稿日:2018年 2月20日(火)19時17分39秒 返信・引用
書く必要があると思うので書きます。
まず、黒木香さん。
それから野坂なつみさん。
そして雨宮まみさん。
この3名を考えます。
次に菜摘ひかるさん
卯月妙子さん。
この2名。
最後に鈴木涼美さん。
同時に澁谷果歩さん。
この2名を考えています。
その結果、
…とりあえず、野村義男さんはすごい。
という1行しか言えません。いつか、野村義男さんのような方が大量発生した時、また考えがまとまるかもしれません。まとまらないかもしれません。
Re: メディアの見方 投稿者:国語 投稿日:2018年 2月20日(火)17時33分55秒 返信・引用
> No.4929[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
> ノーベル文学賞とは何か、もよく考えましょう。
>
> ラッセル受賞で「自由恋愛」といういかさま賭博がいきわたった結果の少子化です。
こんな風に書いてしまいましたが、『結婚論』だけでの受賞ではなかったようです。
迂闊なことを書いてしまい、申し訳ありませんでした。
辺見庸という作家の記述によるとチョムスキーの研究室にはバートランド・ラッセルの大きな肖像写真が貼ってあり、そこに記されたラッセルの言葉は
「愛への渇望、知識の探求、人類の苦悩への無限の同情……」
だそうです。
「まったき理念であるがゆえに、弱々しくもあるそれらの文言が、チョムスキーの部屋では筋金入りの信条にさえ思えたことである。」と、辺見庸は結びます。
「まったき理念であるがゆえに、弱々しくもある」って、どういうことでしょう。
それをわが身のこととして「筋金入りの信条」にしていくにはどうしたらいいのでしょう。
そもそも私は「愛への渇望」がよくわからないので、これから考えていくしかなさそうですが。
以上、ラッセルは遠くにそびえる山のように偉大です。ごめんなさい。
Re: 国語さん、φさんへ 投稿者:国語 投稿日:2018年 2月20日(火)16時38分29秒 返信・引用
> No.4863[元記事へ]
トビウオさんへのお返事です。
それと、私の質問とは関係ないのですが国語さんに伝えたいことがあります。
> 以前の国語さんの投稿で
>
> >す、数学を専攻!
> >釈迦に説法、失礼いたしました。
>
> とありましたが、全然そんなことないです。数学を専攻していましたが、このように普通に間違えます。(ほんとは間違ってはいけないと思うのですが)国語さんがどのような思いでこう述べたのかは計りかねますが、もしご自分のことを卑下しているのであればそれは違うと思います。
>
> 私は、少なくとも学問的な議論をするときにはどの人も対等な立場であるべきだと思っています(たとえ教授と学生であっても)。実際にはその事柄に詳しい人と議論するときは萎縮してしまいがちですが、それは良くないことだと考えます。
>
> ですから、私と国語さんも対等な関係です。そもそもこの問題に関しては国語さんと私の知識の差はないと思います。もしかしたら国語さんの方が私より詳しいかもしれません。
>
> 長々と蛇足を書いてしまいましたが、ご容赦ください。失礼します。
もういらっしゃらないかもしれませんが、もし見ていらしたら。
トビウオさんのおっしゃることはとってもよくわかります。そして、ありがとうございました。
「対等」か。
実は、私はφ先生とは以前ほんの少し面識があり、その際かなり恩を受けています。
だから、どうしても「先生」なのです。それをお伝えできなくてごめんなさい。
学問って、何のためにするんでしょうね。
人よリ得をするため?抜きんでるため?幸せになるため?
正解は各人違うとおもいます。
ただ、私はセルゲイパラジャーノフというアルジェリアの映画監督が撮った『アシクケリブ』という映画をいつも思い出します。
「全ての人が本を読めるわけではない。読めない人の分も読め」
というようなセリフがそのなかにあります。
韓国のドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』にも
「書物は人を選びません」
と言って、主人公に貴重な本を貸してくれる男性が出てきます。
「読めない人の分」って、一体どうしたら、どんな心持になれば読めるのでしょうね。
そんなことを、たぶんこれからもずっと、死ぬまで考えていくとおもいます。
「対等」って、本当にいい言葉ですね。なんか、嬉しかったです。励まされました。
数学も、少しずつでも根気よくやり直してみます。
それでは、お元気で。
Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 2月20日(火)11時06分4秒 返信・引用
> No.4954[元記事へ]
スターダストさんへのお返事です。
> 表が出る確率pが70パーセントとします。
>
> 二回コインを投げて表表、裏裏となった場合は捨ててやりなおし、表裏、裏表となるケースだけを勝負に使うとよいです。
>
> 表裏になる確率はp(1-p)、
> 裏表になる確率は(1-p)p、
> ですから、等しいです。
>
> Aは表裏に賭け、Bは裏表に賭ければ、フィフティフィフティで公正です。
フォローありがとうございました!
テクニカルな裏付け、なるほどです。
φさんへのお返事です。
> ただ、コインの表裏の偏りを補正するだけならそれでよいのですが、
> 環境による偏りは、そのつど、表を有利にしたり裏を有利にしたりするわけです。
> (分岐が起こらず、100%表、100%裏、という場合もあるでしょう)
> なので、実際に行なったタイミングにおいては、表裏の方が圧倒的に有利、ということがありうるわけです。
>
> (もちろん、別々の環境下の試行をすべて合わせれば、表裏と裏表の数は等しくなるでしょうが)
>
> 相手が「これが最後」と明言している賭けに、自分が全財産を「表裏」に賭けて勝負に出る、なんてことをすると、「もちろん生き延びたが装置が故障していてボロ負け」という恐れが十分あると思われます。
>
> したがって、量子自殺としては、コインのようなマクロ物体ではなく、偏りがないとわかっている素粒子の振舞などを利用する本物の量子自殺装置を使うべきでしょうね。
> 量子自殺とは、気軽に日常的に使える手法ではなさそうです。……
なるほどです。
様々弄しましたが、「その回」が、完全ランダムかというところの保証は難しそうですね…
概念・理想的な思考実験上では、「偏りのないコイン」という言で、「完全なランダム」は表せて、
量子自殺や量子不死などが絡まない限りは有効と思いますが、
実際に量子自殺をやるとした場合は、リアルに自意識が消滅してしまうので、
最大限であっても「ほぼランダム」しか作り得ない
マクロ物体だと、難しく、かなり綿密に調整したリアルシュレディンガーの猫状況をシビアに運用しないと量子自殺にはならなさそうですね。
よって、かなり難しいが、「量子自殺」は不可能ではないが、
「量子不死」はほぼマクロな要件での適用パターンが多いのでほぼ不可能のようにおもいました。
Re: 二封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2018年 2月20日(火)03時30分38秒 返信・引用
> No.4953[元記事へ]
スターダストさんへのお返事です。
Tedさんへのお返事です。
>
> 二回コインを投げて表表、裏裏となった場合は捨ててやりなおし、表裏、裏表となるケースだけを勝負に使うとよいです。
>
> 表裏になる確率はp(1-p)、
> 裏表になる確率は(1-p)p、
> ですから、等しいです。
>
> Aは表裏に賭け、Bは裏表に賭ければ、フィフティフィフティで公正です。
>
なるほど、うまいやり方ですね。
ただ、コインの表裏の偏りを補正するだけならそれでよいのですが、
環境による偏りは、そのつど、表を有利にしたり裏を有利にしたりするわけです。
(分岐が起こらず、100%表、100%裏、という場合もあるでしょう)
なので、実際に行なったタイミングにおいては、表裏の方が圧倒的に有利、ということがありうるわけです。
(もちろん、別々の環境下の試行をすべて合わせれば、表裏と裏表の数は等しくなるでしょうが)
相手が「これが最後」と明言している賭けに、自分が全財産を「表裏」に賭けて勝負に出る、なんてことをすると、「もちろん生き延びたが装置が故障していてボロ負け」という恐れが十分あると思われます。
したがって、量子自殺としては、コインのようなマクロ物体ではなく、偏りがないとわかっている素粒子の振舞などを利用する本物の量子自殺装置を使うべきでしょうね。
量子自殺とは、気軽に日常的に使える手法ではなさそうです。……
Re: 二封筒問題について 投稿者:スターダスト 投稿日:2018年 2月19日(月)18時56分25秒 返信・引用
> No.4952[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
割り込みを失礼いたします。
テクニカルなことの説明だけを。
表が出る確率pが70パーセントとします。
二回コインを投げて表表、裏裏となった場合は捨ててやりなおし、表裏、裏表となるケースだけを勝負に使うとよいです。
表裏になる確率はp(1-p)、
裏表になる確率は(1-p)p、
ですから、等しいです。
Aは表裏に賭け、Bは裏表に賭ければ、フィフティフィフティで公正です。
(表が出る確率pが70パーセントとしましたが、上の計算に使っていませんでした。)
Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 2月19日(月)16時37分28秒 返信・引用
> No.4951[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> なるほど。
> しかし、結果を見てからこれがギャンブルだったかどうか決める、というのは「ズル」と言われても仕方ないのでは?
> たしかに勝ち負けそのものを確認するわけではありませんが(サイコロやコインは賭けの手段であって目的ではないので)、賭けに参加するかどうかは手段の転び方で決める、というのは、限りなく怪しいですよね。
> それとも、ギャンブルのマナーとして、そういうのもありなんですかね。
ご指摘ありがとうございます。
確かにそうですね。
ただ、例えば、徒競走で、一レーンだけ下り坂になっていたことがレース後判明した場合は、無効試合になるかもしれません。
フェアを感じなければ「降りる」ということはありかなと思います。
(今回の件の本質からは外れる内容とは思いますが…)
> もうひとつは、頻度が五分五分に近ければ分岐が実在しており、偏っていれば分岐は実在しない、と言ってよいかどうか。
> 五分五分に近くなるような具合に分岐がすでに決定されているだけかもしれません。
> 分岐は一つのコインに起こるのであって、別々のコイン同士の間に起こるのではないので。
>
> というわけで、頻度と、分岐の実在如何とは、相互に独立だと思われますが。
これは確かにそう思います。
どんなに精緻そのコイン以外のコインが同条件であることを調べたとしても「そのコイン」が偏っているかどうかは確かにわからないと想えます。
その上で、例えば、
「表が出たら賭けに勝ち、裏が出たら賭けに負け、確実に即死させる」であれば、環境等により、
どっちかに出る偏りがある可能性も捨てきれないのであれば、
「胴元により、裏表のうちどちらかが出れば、勝ち、負けが設定されている。ただし、ギャンブラーは、どちらが出れば勝ち負けか知らない状況で、
表が出るか裏が出るかにかけさせられる」
というように、どっちが出れば勝ち負けの認知が出来ない場合、彼から見た確率は五分五分にならないでしょうか?
「裏表のどちらかが70%で出る仕掛けられたコインがある、ただし、あなたはどちらが出やすいかを認知していない、
あなた自身にとって、賭けに勝つ(負ける)確率は?→50%」
の議論と同型にできないかというイメージです。
Re: 二封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2018年 2月19日(月)05時22分27秒 返信・引用
> No.4949[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> というように、検定をして、
> 世界が五分五分から外れたものになっていないと思われるときだけギャンブルするとすれば
> どうでしょうか?
>
なるほど。
しかし、結果を見てからこれがギャンブルだったかどうか決める、というのは「ズル」と言われても仕方ないのでは?
たしかに勝ち負けそのものを確認するわけではありませんが(サイコロやコインは賭けの手段であって目的ではないので)、賭けに参加するかどうかは手段の転び方で決める、というのは、限りなく怪しいですよね。
それとも、ギャンブルのマナーとして、そういうのもありなんですかね。
もうひとつは、頻度が五分五分に近ければ分岐が実在しており、偏っていれば分岐は実在しない、と言ってよいかどうか。
五分五分に近くなるような具合に分岐がすでに決定されているだけかもしれません。
分岐は一つのコインに起こるのであって、別々のコイン同士の間に起こるのではないので。
というわけで、頻度と、分岐の実在如何とは、相互に独立だと思われますが。
Re: ビットコイン暴騰目覚まし 投稿者:φ 投稿日:2018年 2月19日(月)05時14分22秒 返信・引用
> No.4948[元記事へ]
BTXさんへのお返事です。
>
> [2]の反論は結構難しいです。勝ちルートに入った意識体は煩悩によってより哲学的茫漠になるでしょうから、
> 哲学的探求をやめてしまうことによって明晰度が落ちて主観確率が下がりそうです。
> ひとつあるとすれば、「なんで儲からなかったんだろう…」と四畳半の部屋でカップラーメンをすすりながら哲学するよりは、莫大な資金を量子コインによって得られればそれによって設備を得てより効率的に哲学的探究が進んだ方が主観確率も上がる、という説に賭けることでしょうか。
>
[2]は難しいですね。
「私」は意識明晰度が高い観測者である確率が高い、とは『多宇宙と輪廻転生』で論じましたが、
それは物心ついた時には明晰性(というより情報処理速度)が意識に反映されているから――ですね。
成熟した大人の意識状態で分岐したときも、明晰度が確率に影響するはずですが、
有効なのは分岐直後の明晰度だけでしょうね。
つまり、いったん分岐した偶然の結果がどうであるかは、そのしばらくあとに明晰な意識を持とうが茫漠たる意識だろうが、関係ないわけです。すでに分岐しているので。
となると、ベルが鳴った瞬間の意識が分岐の確率を決めるでしょう。
鳴った瞬間は、「儲かった!」という有頂天状態のはずです。
分岐直後に「なぜ儲からなかったのか……」という意識であるのは、ベルが鳴らずに目覚めたときですから、時間的には、「儲かった!」の有頂天状態よりずっと後になるのでしょう。
すると私は、ほとんどいつもに「儲かった!」の分岐にさらわれていることになります。「なぜ儲からなかったのか……」になる頻度は非常に低い。
するとビットコイン冒頭目覚ましはうまい作戦だ、ということになります。
しかし……
観測選択効果を律儀に適用すると、目覚める場合と目覚めない場合が重ね合わせになっているなら、ほぼ必ず私は、目覚める分岐に入ることになるので……
毎晩、「私」は確率的にほぼ常に、寝入ったらすぐに目覚めているはずですね。
極度に睡眠時間の短い人間である確率が高い、と。
これは変ですよね。
観測選択効果、もしくはポストロムのSSA、には、律儀に適用できない制限が付いていることになりそうです。
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Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 2月18日(日)21時48分15秒 返信・引用
> No.4947[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 結果が出る直前までの歴史と両立する確率が、理論的には五分五分でも(コイン投げのように)、
> 実はものすごく偏っている、という場合はけっこうありそうですね。
> コインそのものは偏っていなくても、環境の偏り。
> ギャンブラーの知覚にすでに反映されている物理的環境の偏りがあって、その偏りは、すでに一方の分岐が他方の分岐の一億倍も多いようなマルチバースにギャンブラーが分岐してしまっていることを示しているかもしれません。
>
> そうなると、直観的には五分五分に見えても実は勝ちとなる確率が極小で、自殺装置の故障率を下回ってしまう、ということもありそうです。
装置を少し検討しました。
同時にコインを101個投げる装置とし、表裏多いほうが、有効とする。
ただし、例えばどちらかに80個以上が偏ったときは、環境などが偏っている可能性があるため、その回を無効とする
(偏りがない世界かどうかの検定をするイメージです)
あるいは、
同時に101個を投げて、どれか1枚を代表(例えばナンバー101のコイン)とし、そのコインの裏表で決める。
ただし、上と同じですが、
例えばどちらかに80個以上が偏ったときは、環境などが偏っている可能性があるため、その回を無効とする
というように、検定をして、
世界が五分五分から外れたものになっていないと思われるときだけギャンブルするとすれば
どうでしょうか?
ビットコイン暴騰目覚まし 投稿者:BTX 投稿日:2018年 2月18日(日)15時33分17秒 返信・引用
こんにちは。
「量子死刑」のお話、楽しく読ませていただいています。
死刑囚の主観がどのような経路を辿るかについては、
客観的には高い確率で死刑は失敗しないから大丈夫だろ、
と思ったのですが、「規範」のことを考え出すと
死刑囚になる前の人の行動を犯罪抑制する意味で必要になってきたりするんですね。
その辺が面白いと思いました。
自分のルートとは異なる多世界の事象を考えないといけない。パラドキシカルです。
別の話で、観測選択効果を何か実用的に運用できないかとずっと考えているのですが、
最近ビットコインにはまっていて、
これに量子自殺や眠り姫問題を応用したら無駄に幸福を生み出せるんじゃないかと思いました。
つまり、「自分の買っているビットコインが夜中に高騰したら起こされる目覚まし」です。
量子自殺と違って負けたときに確率×明晰度(=これなんて言うんでしたっけ)がゼロには
ならず、そこまで劇的な観測選択にはなりませんが、
起きている時間が長くなる分、明晰度は高いし、「やった!」と思うので、
若干明晰度は高くなると思うんですよね(笑)
主観平均的に+30%程度に特になったりしないでしょうか。
思いついた問題点は、
[1] ビットコインの値動きはマクロ事象なので、日が東から登るのと同じように、寝てる間に勝ち負け反転するような量子ルートは存在しない。
[2] 論理的にうまくいくと思ってやっているわけで、負けたときに「うまくいかなかった…!おかしい…!主観確率的に高いはずなのに…!これは研究対象では…?!」と、主観確率的に低いルートに入ってしまった意識体の明晰度が上がって結局中和される
[1]の1つめの反論としてはバタフライ効果によって実はビットコインの値動きは量子レベルの揺らぎがある説、
2つめの反論は量子的に値動きが起こるような Faircoin みたいな名の新興コインを作ればいい、というのがあります。
量子コインというより「量子カジノ」の方が素直かもしれません。
[2]の反論は結構難しいです。勝ちルートに入った意識体は煩悩によってより哲学的茫漠になるでしょうから、
哲学的探求をやめてしまうことによって明晰度が落ちて主観確率が下がりそうです。
ひとつあるとすれば、「なんで儲からなかったんだろう…」と四畳半の部屋でカップラーメンをすすりながら哲学するよりは、莫大な資金を量子コインによって得られればそれによって設備を得てより効率的に哲学的探究が進んだ方が主観確率も上がる、という説に賭けることでしょうか。
Re: 二封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2018年 2月16日(金)01時27分18秒 返信・引用
> No.4946[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> 量子自殺に関しては、例えば「厳密に確認したがAかBか五分五分、運しかない」となったときに、
> 自分の意志で、世界を選択できる、今のところ唯一の方式なので、お亡くなりになってほしくはないなぁと個人的には
> 思います…(かといって、実際にはやらなさそうですが…)
>
結果が出る直前までの歴史と両立する確率が、理論的には五分五分でも(コイン投げのように)、
実はものすごく偏っている、という場合はけっこうありそうですね。
コインそのものは偏っていなくても、環境の偏り。
ギャンブラーの知覚にすでに反映されている物理的環境の偏りがあって、その偏りは、すでに一方の分岐が他方の分岐の一億倍も多いようなマルチバースにギャンブラーが分岐してしまっていることを示しているかもしれません。
そうなると、直観的には五分五分に見えても実は勝ちとなる確率が極小で、自殺装置の故障率を下回ってしまう、ということもありそうです。
シュレーディンガーの猫のように、因果的に観測者と断絶した閉じた系の中で量子効果が拡大されるような設定が工夫されねなりませんね。
つまりは、まだマクロ環境と相互作用する前の量子状態を使わねばならない。
サイコロやコインは不適格かも、というわけです。
そもそも「量子自殺」ですから、文字通りそういうことですね。……
Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 2月15日(木)09時46分4秒 返信・引用
> No.4945[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> なるほど。この考えを一般化すると、
> 死刑は、即死させてはいけない、という原則が思い浮かんできますね。
> 即死の場合、量子不死の原理により、本人は主観的に、死刑失敗のルートに分岐しているでしょう。
> 絞首刑の綱が切れるなど、無傷で生還、という分岐なら、刑罰の意味がないし、
> 中途半端な失敗で苦悶するような分岐なら、非人道的ということになります。
>
> したがって、各段階確率ほぼ1で、徐々に意識を失っていき、生還不可能地点まで誘導する、という死刑執行法だけが正当ということになります。
>
> こう考えると、量子不死の形而上学は、死刑執行法にも影響を及ぼすきわめて実践的な考えということになります!
ご返事ありがとうございます。
なるほど。一般化するとそうなるんですね!
アメリカでやっている薬殺刑は(徐々に死んでいくイメージが正しいなら)、苦痛が少なくこともあり、正当な方法と推測できそうですね。
徐々に死んでいく死刑としては、石打ちや火あぶりもありますが、これらは、刑自体が非人道的なので、そちらの意味での正当性がないですね…
(釜茹での五右衛門や、磔刑(徐々に失血死?)のイエスは、非人道的ですが、徐々にのほうなので、生還は難しそうですね…
ただ、イエスのほうは、もしかすると、死刑は実は失敗していて、埋葬後、復活したという、死刑失敗パターンの宇宙の系統に
この世界があるのかもしれませんね…)
絞首刑や斬首は、死刑失敗のルートに乗るとは思いますが、往々にして
死刑はそれを実行する組織(国とか、部族とか)のルールやメンツがかかっているので、
「何度死刑にしても、死なない! 奇跡だ!」みたいな特殊な恩赦が出るか、
繰り返しているうちに、大地震やクーデーター、選挙敗退みたいなが起こって、
壁に穴が開いたりして物理的に脱出できるか、政治体系や組織が変わらないと、難しそうですね…
> ところで、量子自殺・量子不死そのものが実は成立しないのではないか、という疑惑に囚われ始めました。
>
> とりあえずベースとなるアイディアを述べると、
> 知的生命のいない混沌宇宙は、無理数(カオス~非循環小数)
> 知的生命のいる微調整宇宙は、有理数(秩序だっている~循環小数)
> に対応させることができる(大雑把ですが)。
> (あるいは、正規数とそれ以外の実数、とする方がよいかもしれませんが)
>
> 実数において有理数(循環小数):無理数(非循環小数)の比はゼロなので、
> 直観的に単に確率の低い日常的出来事(たとえば宝くじに当たる)と思われることが起こる宇宙は、実は混沌宇宙に対応しており、自殺装置が働かないかつ賭けに勝っている宇宙、なる分岐で目覚めることはない。
> 自殺装置が働かずかつ賭けに負けているという宇宙でしか目覚めることはない。
>
> というような、そういう「賭け」が大半である、のではないかと。
>
> 有理数の小数点以下の1文字を変えると、ドミノ倒し式に、確率1で、他の有理数ではなく無理数へとなだれ落ちてしまうだろう、といったイメージですが。
>
> これはまだ思いつきで、
> もっとゆっくり考えねばなりませんが。……
なるほど、上記の内容、あまり咀嚼できていないのですが、考えてみます。
量子自殺に関しては、例えば「厳密に確認したがAかBか五分五分、運しかない」となったときに、
自分の意志で、世界を選択できる、今のところ唯一の方式なので、お亡くなりになってほしくはないなぁと個人的には
思います…(かといって、実際にはやらなさそうですが…)
Re: 二封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2018年 2月13日(火)01時19分21秒 返信・引用
> No.4944[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> 量子自殺の適当な動機としても一点、思いついたことがあります。
> 論理パラドクス82、囚人のジレンマにて、「終身刑」ではなく「死刑」になるとしたら、
> 取調官に「仕掛けのない(量子)コインを投げて表が出たら私が、裏が出たら弟が真実を語ろう、ただし、裏表が決定した瞬間、私や彼にコインの結果が分からないうちに瞬時、確実に真実を語らない側を即死(死刑)させてほしい。」
> と持ち掛け、取調官がのってくれれば、2人ともが「釈放+1億」をとれるのかなと思えます。
> ただ、弟とは釈放後に祝杯は挙げれませんが…どこかの世界で弟も助かっていることは信じれるとは思います。
> (そもそも、弟側が同意しない場合もあるし、この取引を申し出るということ自体が自白しているに等しいとも思えもしますが…)
>
>
なるほど。この考えを一般化すると、
死刑は、即死させてはいけない、という原則が思い浮かんできますね。
即死の場合、量子不死の原理により、本人は主観的に、死刑失敗のルートに分岐しているでしょう。
絞首刑の綱が切れるなど、無傷で生還、という分岐なら、刑罰の意味がないし、
中途半端な失敗で苦悶するような分岐なら、非人道的ということになります。
したがって、各段階確率ほぼ1で、徐々に意識を失っていき、生還不可能地点まで誘導する、という死刑執行法だけが正当ということになります。
こう考えると、量子不死の形而上学は、死刑執行法にも影響を及ぼすきわめて実践的な考えということになります!
ところで、量子自殺・量子不死そのものが実は成立しないのではないか、という疑惑に囚われ始めました。
とりあえずベースとなるアイディアを述べると、
知的生命のいない混沌宇宙は、無理数(カオス~非循環小数)
知的生命のいる微調整宇宙は、有理数(秩序だっている~循環小数)
に対応させることができる(大雑把ですが)。
(あるいは、正規数とそれ以外の実数、とする方がよいかもしれませんが)
実数において有理数(循環小数):無理数(非循環小数)の比はゼロなので、
直観的に単に確率の低い日常的出来事(たとえば宝くじに当たる)と思われることが起こる宇宙は、実は混沌宇宙に対応しており、自殺装置が働かないかつ賭けに勝っている宇宙、なる分岐で目覚めることはない。
自殺装置が働かずかつ賭けに負けているという宇宙でしか目覚めることはない。
というような、そういう「賭け」が大半である、のではないかと。
有理数の小数点以下の1文字を変えると、ドミノ倒し式に、確率1で、他の有理数ではなく無理数へとなだれ落ちてしまうだろう、といったイメージですが。
これはまだ思いつきで、
もっとゆっくり考えねばなりませんが。……
Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 2月12日(月)12時07分36秒 返信・引用
> No.4943[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> > あとは、
> > 順次1万の場合は、同じ機械を1万回使うので、そのたびごとに機械が劣化し故障率が上がっていくとも思えますが、
> > 順次の試行毎に手間をとれれば、
> > 例えば、事前に故障率が10万回使ったら1回故障するとわかっている機械があったとして、
> > 使っていく毎に故障率が累積してしまいますが、
> > 1回試行するごとに、十分に機械メンテや部品交換(あるいは機械自体を交換)してしまって、故障率が累積で上がらないようにするというような
> >
>
> そこは抽象化するべきでしょう。
> 自殺装置は毎回新品に取り換えながら作動させるという設定に落として考えるべきだと思われます。
> 1万回のうち何回目に故障率のピークが来るかは一概に言えませんしね。初回がいちばん故障率が低くてだんだん上がってゆく、ということは現実の機械にもなさそうです。
>
> 理想の量子自殺装置というのはなかなか難しいのではないでしょうか。
> サイコロの目と連動させてどのように致死的装置を身体に作用させるか、
> 特許ものでしょうね。
>
> ところで、
> 誤作動や無作動があったとしても、
> 量子不死の原理により死のルートへ入ることはないという趣旨のことを述べましたが、
> 誤作動により中途半端な傷害を負わされることだけは気を付けねばなりません。
> 段階的に確率1で死に向かってしまうこともありうるし、そうでなくとも一生苦しむことになるので。
>
> そういった可能性を考えると、量子自殺はほとんどの人が尻込みするかもしれません。
> 単なる自殺なら、確実に即死できる方法を選ぶのは簡単だが、
> 量子自殺は実施方法が複雑かつ限定されるでしょうから、単なる自殺のようなわけには行かないでしょう。
> 量子自殺失敗で悲惨な余生を過ごす人々の映像が、「ドラッグ防止運動」的に「量子自殺防止キャンペーン」に使われるかもしれません。
ご返事ありがとうございます。
・「自殺装置は毎回新品に取り換えながら作動させる」
・「誤作動により中途半端な傷害を負わされる」ということを恐れない
という前提がのめるのであれば、順次一万のほうが一挙一万よりリスク軽減できるやり方のようですね。
ただ、量子自殺に関しては、胴元が、やらなければ殺すぐらいの状況を強要しているのでなければ、
なかなか踏ん切りは付きそうにないですが…
量子自殺の適当な動機としても一点、思いついたことがあります。
論理パラドクス82、囚人のジレンマにて、「終身刑」ではなく「死刑」になるとしたら、
取調官に「仕掛けのない(量子)コインを投げて表が出たら私が、裏が出たら弟が真実を語ろう、ただし、裏表が決定した瞬間、私や彼にコインの結果が分からないうちに瞬時、確実に真実を語らない側を即死(死刑)させてほしい。」
と持ち掛け、取調官がのってくれれば、2人ともが「釈放+1億」をとれるのかなと思えます。
ただ、弟とは釈放後に祝杯は挙げれませんが…どこかの世界で弟も助かっていることは信じれるとは思います。
(そもそも、弟側が同意しない場合もあるし、この取引を申し出るということ自体が自白しているに等しいとも思えもしますが…)
この状況設定なら、量子自殺にかけてもいいのかなと思いました。
Re: 二封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2018年 2月11日(日)05時05分12秒 返信・引用
> No.4942[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> あとは、
> 順次1万の場合は、同じ機械を1万回使うので、そのたびごとに機械が劣化し故障率が上がっていくとも思えますが、
> 順次の試行毎に手間をとれれば、
> 例えば、事前に故障率が10万回使ったら1回故障するとわかっている機械があったとして、
> 使っていく毎に故障率が累積してしまいますが、
> 1回試行するごとに、十分に機械メンテや部品交換(あるいは機械自体を交換)してしまって、故障率が累積で上がらないようにするというような
>
そこは抽象化するべきでしょう。
自殺装置は毎回新品に取り換えながら作動させるという設定に落として考えるべきだと思われます。
1万回のうち何回目に故障率のピークが来るかは一概に言えませんしね。初回がいちばん故障率が低くてだんだん上がってゆく、ということは現実の機械にもなさそうです。
理想の量子自殺装置というのはなかなか難しいのではないでしょうか。
サイコロの目と連動させてどのように致死的装置を身体に作用させるか、
特許ものでしょうね。
ところで、
誤作動や無作動があったとしても、
量子不死の原理により死のルートへ入ることはないという趣旨のことを述べましたが、
誤作動により中途半端な傷害を負わされることだけは気を付けねばなりません。
段階的に確率1で死に向かってしまうこともありうるし、そうでなくとも一生苦しむことになるので。
そういった可能性を考えると、量子自殺はほとんどの人が尻込みするかもしれません。
単なる自殺なら、確実に即死できる方法を選ぶのは簡単だが、
量子自殺は実施方法が複雑かつ限定されるでしょうから、単なる自殺のようなわけには行かないでしょう。
量子自殺失敗で悲惨な余生を過ごす人々の映像が、「ドラッグ防止運動」的に「量子自殺防止キャンペーン」に使われるかもしれません。
Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 2月10日(土)23時05分2秒 返信・引用
> No.4941[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> リスクを分散させる戦略は日常でも有効なわけですが、ハイリターンを諦めることになりそうです。
> 量子自殺の場合は、リスクを分散させるのは確実に賢明な方法だと思われます。
> ただ考えてみると、
> 自殺装置が故障しない確率の方が故障する確率よりも毎回高いことが保証されねばなりません。
> となると、一万回やっているうちのどこかで「勝ち」のルートから外れてしまう可能性が無視できなくなります。
> すなわち、結局は「一挙一万戦略」と「順次一万戦略」は、損得なしになるのかも?
> 正確な計算はどうやればいいですかね。
> あともう一つ考えねばならないことがありました。
> 自分が、多数派の方ではなく少数派の方に分岐する確率も考えねばならないので。
> つまり、かりに自殺装置が故障しない確率の方が高い時であっても(つまり狙い通りに作動する分岐にいる自分の方が多数派だとしても)、自殺装置作動の瞬間、少数派に(つまり誤作動した方のルートに)自分が分岐してしまう可能性も考えねばならないのです。
> そういった逸脱の可能性も考慮すると、
> 順次一万は一挙一万よりも「勝ち」を掴める見込みが薄い、ということにもなるのではないでしょうか?
ご返事ありがとうございます。
機械が故障しているか否かは、「稼働」したときがその判定基準になると思いますので、
稼働判定させる回数が少ないほうが(機械劣化的な意味でも)、実際に故障に直面する可能性は低いように思えます。
例えば1万回ではなく、3回とした場合、
一挙3だと、その組み合わせが216回(6の3乗)あり、自殺装置の稼働判定は216回、多世界にまたがって発生していると思います。
(機械自体の信頼度は、同じ機械が同じタイミングで分岐するので、故障率なんかは同じだと思います。)
順次3だと、第一回試行で、多世界にわたると6回稼働判定が行われていると思いますが、1以外の5回分は、その時点でそれ以上の稼働判定は
起こらないと思います(死亡で終了)、よって、第2回試行に行ける1世界だけが、第二回試行で6つに分裂、
この時点では、稼働判定数は第一回試行の6回+第二回試行の6回=12回、同様に第3回試行でも、6つに分裂し、同様に稼働判定数が6増えて、合計18回。
この考え方だと、多世界にまたがった
自殺機械の稼働判定の回数は順次1万のほうが、一挙1万よりはるかに少なくなるのかなと思えます。
あとは、
順次1万の場合は、同じ機械を1万回使うので、そのたびごとに機械が劣化し故障率が上がっていくとも思えますが、
順次の試行毎に手間をとれれば、
例えば、事前に故障率が10万回使ったら1回故障するとわかっている機械があったとして、
使っていく毎に故障率が累積してしまいますが、
1回試行するごとに、十分に機械メンテや部品交換(あるいは機械自体を交換)してしまって、故障率が累積で上がらないようにするというような
工夫はとれるかなと思います。(初期不良確認は、人を置かない形でやっていたほうがいいと思いますが…)
> これは始めの四、五回までではないでしょうか。
> 五回もクリアできれば、あとは余裕でこなせると思います。
> 「これだけクリアできたということは、やはりマルチバースと観測選択効果のロジックは正しいのだ」と帰納的確信が生まれているはずです。
なるほど。多世界ハイみたいな状況になって、かなりアドレナリンが出ていそうですw
Re: 二封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2018年 2月 9日(金)02時40分51秒 返信・引用
> No.4940[元記事へ]
φさんへのお返事です。
>
> ただ考えてみると、
> 自殺装置が故障しない確率の方が故障する確率よりも毎回高いことが保証されねばなりません。
>
あともう一つ考えねばならないことがありました。
自分が、多数派の方ではなく少数派の方に分岐する確率も考えねばならないので。
つまり、かりに自殺装置が故障しない確率の方が高い時であっても(つまり狙い通りに作動する分岐にいる自分の方が多数派だとしても)、自殺装置作動の瞬間、少数派に(つまり誤作動した方のルートに)自分が分岐してしまう可能性も考えねばならないのです。
そういった逸脱の可能性も考慮すると、
順次一万は一挙一万よりも「勝ち」を掴める見込みが薄い、ということにもなるのではないでしょうか?
Re: 二封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2018年 2月 9日(金)02時26分43秒 返信・引用
> No.4938[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> もし、胴元から、「一挙に一万の設定」タイプの賭けを持ちかけられたら、
> 戦略として、「確率は一緒でしょ」と説得して「多段階」パターンに組み替えると、必勝とできますねw
> 人生にそんな選択があればですが…
>
リスクを分散させる戦略は日常でも有効なわけですが、ハイリターンを諦めることになりそうです。
量子自殺の場合は、リスクを分散させるのは確実に賢明な方法だと思われます。
ただ考えてみると、
自殺装置が故障しない確率の方が故障する確率よりも毎回高いことが保証されねばなりません。
となると、一万回やっているうちのどこかで「勝ち」のルートから外れてしまう可能性が無視できなくなります。
すなわち、結局は「一挙一万戦略」と「順次一万戦略」は、損得なしになるのかも?
正確な計算はどうやればいいですかね。
>
> ただ、「量子自殺」の仕組みや、そのもとになっている「多世界解釈マルチバース」の実在を
> 雲一つなく疑いがなければ、ノーストレスで一万回の試行に耐えれると思いますが、
> すこしでも疑念があると、
> ロシアンルーレット的なことを何十回もやっているうちに発狂してしまいそうでもありますね…
>
これは始めの四、五回までではないでしょうか。
五回もクリアできれば、あとは余裕でこなせると思います。
「これだけクリアできたということは、やはりマルチバースと観測選択効果のロジックは正しいのだ」と帰納的確信が生まれているはずです。
ただし、自分が家族や友人に死にざまを晒してきたのだと想像することで多少ヤバイ心理状態になりうるかもしれませんが。
Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 2月 8日(木)12時12分22秒 返信・引用
> No.4938[元記事へ]
先の書き込み、1か所訂正です。
> 上記の例だと、
> 「一挙に一万の設定」でやったあと、「あれ、俺生きてる」となった場合、実はどれかに1が出ていて勝負には負けているが、
誤:実はどれかに1が出ていて
↓
正:実はどれかに1以外が出ていて
Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 2月 8日(木)09時20分33秒 返信・引用
> No.4937[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 確かにこの二つの状況では違いがありますね。
> 最終的に全クリアの確率が同じ(極小の値)だとしても、多数の段階に分ければ、勝ちを掴めます。
> いっぺんに全部の事象を起こそうとすると、勝ちは掴めないでしょう。
>
> なお、「全滅」についてですが、
> 「節度条件」は、生き残ってたしかに「価値」を掴むことができるための条件であって、「生き残るための条件」ではありません。
> どんなに小さい確率でも、生き残る可能性がある限り、「私」の視点からは私は必ず生き残るので。
> 「負け」の場合に自殺装置が働いて、「主観的に百%賭けに勝てる」ようにする条件が節度条件。
ご返事ありがとうございます。
節度条件は「負けたら確実に自殺する、勝った確実にしない」ことが担保できる条件なので、
上記の例だと、
「一挙に一万の設定」でやったあと、「あれ、俺生きてる」となった場合、実はどれかに1が出ていて勝負には負けているが、
機械不備で生きてしまっている可能性のほうが高くなってしまうというニュアンスになるのかなと、改めて認識しました。
> ともあれ、節度条件が満たされるのは連続一万の場合であり、一挙に一万の設定だと(おそらく)満たされない。それはTedさんの言うとおりです。
結果はあってましたね。
もし、胴元から、「一挙に一万の設定」タイプの賭けを持ちかけられたら、
戦略として、「確率は一緒でしょ」と説得して「多段階」パターンに組み替えると、必勝とできますねw
人生にそんな選択があればですが…
ただ、「量子自殺」の仕組みや、そのもとになっている「多世界解釈マルチバース」の実在を
雲一つなく疑いがなければ、ノーストレスで一万回の試行に耐えれると思いますが、
すこしでも疑念があると、
ロシアンルーレット的なことを何十回もやっているうちに発狂してしまいそうでもありますね…
Re: 二封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2018年 2月 7日(水)03時50分24秒 返信・引用
> No.4936[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> (量子)サイコロを振って、1が出たら、生。それ以外なら死というパターンで、
> 仮に1万回連続でそれをやったときに、
> 各々の回は1/6なので、十分にあり得ると思いますので、一万回やった後に生き残っていると思いますが、
> (量子)サイコロを1万個同時にふって、すべて1が出たら、生、それ以外なら死というパターンだと、
> 生き残れる確率は激減(ほぼ0)すると思われます。
>
> 単に確率だけを見ると、最終的に生き残れる確率は同じのようにも思えますが、
> 後者は、「思考実験リアルゲーム」で言うところの節度条件がクリアできていないから全滅する可能性大
> という考え方となりますでしょうか?
確かにこの二つの状況では違いがありますね。
最終的に全クリアの確率が同じ(極小の値)だとしても、多数の段階に分ければ、勝ちを掴めます。
いっぺんに全部の事象を起こそうとすると、勝ちは掴めないでしょう。
なお、「全滅」についてですが、
「節度条件」は、生き残ってたしかに「価値」を掴むことができるための条件であって、「生き残るための条件」ではありません。
どんなに小さい確率でも、生き残る可能性がある限り、「私」の視点からは私は必ず生き残るので。
「負け」の場合に自殺装置が働いて、「主観的に百%賭けに勝てる」ようにする条件が節度条件。
ともあれ、節度条件が満たされるのは連続一万の場合であり、一挙に一万の設定だと(おそらく)満たされない。それはTedさんの言うとおりです。
Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 2月 6日(火)09時38分19秒 返信・引用
> No.4935[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> まさにそのとおりです。……と言いたいところですが、
> これも解釈次第なんですね。
> どこで答え合わせをするかによりますから。
> 月曜に「表」と答えたとします。
> 実験終了して水曜日に目覚めてから、さて自分は果たして正解しただろうか、と確認するために、
> 月曜の「表」が正解かどうか調べれば、
> 1/2の場合に正解になっているはずです。
> つまり、「結局正解率がどのくらいと判明するか」という問いならば、マルチバースのもとでも1/2ですね。
>
> 目覚めるたびに答え合わせをすれば、1/3の場合に正解になっているでしょう。マルチバースのもとでは。
>
> 水曜日に目覚めることなく、火曜日に眠りについたあと永遠に眠り続けるならば、
> 「目覚めるたびの答え合わせ」だけがあることになるので、正解1/3ということで問題なさそうですが。
ご返事ありがとうございます。
「水曜日に判定」がある場合で、振り返ってみたケースだと、
裏表の判別が第一条件になっているので、確かに1/2が妥当かと思えます。
別のケース設定の
「永遠に眠り続ける」なら、やはり1/3が正しいということで認識どおりでした。
自我系の話の流れで、
「量子自殺」について、一点、思うところあります。
(量子)サイコロを振って、1が出たら、生。それ以外なら死というパターンで、
仮に1万回連続でそれをやったときに、
各々の回は1/6なので、十分にあり得ると思いますので、一万回やった後に生き残っていると思いますが、
(量子)サイコロを1万個同時にふって、すべて1が出たら、生、それ以外なら死というパターンだと、
生き残れる確率は激減(ほぼ0)すると思われます。
単に確率だけを見ると、最終的に生き残れる確率は同じのようにも思えますが、
後者は、「思考実験リアルゲーム」で言うところの節度条件がクリアできていないから全滅する可能性大
という考え方となりますでしょうか?
Re: 二封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2018年 2月 4日(日)19時10分21秒 返信・引用
> No.4934[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> マルチバースと論理パラドックスに関して、例えば、論理パラドクス・勝ち残り編の78設定の
> 「眠り姫問題」は、マルチバースが真であれば、
> 理論Bの1/3説が正しいと考えていますが、それであっていますでしょうか?
>
まさにそのとおりです。……と言いたいところですが、
これも解釈次第なんですね。
どこで答え合わせをするかによりますから。
月曜に「表」と答えたとします。
実験終了して水曜日に目覚めてから、さて自分は果たして正解しただろうか、と確認するために、
月曜の「表」が正解かどうか調べれば、
1/2の場合に正解になっているはずです。
つまり、「結局正解率がどのくらいと判明するか」という問いならば、マルチバースのもとでも1/2ですね。
目覚めるたびに答え合わせをすれば、1/3の場合に正解になっているでしょう。マルチバースのもとでは。
水曜日に目覚めることなく、火曜日に眠りについたあと永遠に眠り続けるならば、「目覚めるたびの答え合わせ」だけがあることになるので、正解1/3ということで問題なさそうですが。
Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 2月 4日(日)08時36分19秒 返信・引用
> No.4926[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> マルチバースでの貫世界同定は、自我に関して言えば、主観的に区別できない状態すべてが同一人物、ということになりますね。
> 身体は多数の場所に分離したまま、主観的内容で自我が束ねられる。
> 諸身体の周りの物理的環境の推移によって、次の瞬間には同一主観を宿す身体の数が激減しますね。
>
> 主観を持たない物理的対象の貫世界同定は、素粒子の配列ということでよいのではないでしょうか。
ご返事ありがとうございます。
なるほどですね。
自我とそれ以外で話は変わるのですね。
眠り姫問題にしろ、終末理論にしろ、量子自殺にしろ、「自我」が絡むといろいろ考えさせられますね。
(がゆえに、「自我」を起点に取りとめのない問題に楔を打つという戦略的に思考できて興味深いですね)
マルチバースと論理パラドックスに関して、例えば、論理パラドクス・勝ち残り編の78設定の
「眠り姫問題」は、マルチバースが真であれば、
理論Bの1/3説が正しいと考えていますが、それであっていますでしょうか?
Re: メディアの見方 投稿者:国語 投稿日:2018年 2月 3日(土)18時34分25秒 返信・引用
> No.4930[元記事へ]
φさんへのお返事です。
あのね、自分が書いたことはあくまで「無学なおばはんの見た世界」。
影響されんように。
ちょっと境界を越えたな。できたら削除してください。
「あほなやつはなんも知らんとたわごと言ってくるから付き合いきれねえな」と、思っとけばいいんだぞ。
私は一切責任とれませんから。私の書いたこと、全部記憶消去!よろしく。
もう見に来ないから皆さん何か数学っぽい質問をしてくださいね。お騒がせして本当に申し訳ありませんでした。
Re: メディアの見方 投稿者:国語 投稿日:2018年 2月 3日(土)18時08分46秒 返信・引用
> No.4930[元記事へ]
φさんへのお返事です。
RCの「ぼくのすきなせんせい」も追加。
名曲だよ!
Re: メディアの見方 投稿者:国語 投稿日:2018年 2月 3日(土)17時40分53秒 返信・引用
> No.4930[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 国語さんへのお返事です。
私は愛煙家です!
タバコが日本中に鉄道を張り巡らせ「ドラッグの鎖国」を成し遂げ、国の手厚い庇護のもとタバコ農家が日本の緑を守ったのです。
適当に肺がんで死んでおけば高齢化社会なんてなかったのさ。
更には石井苗子様が書いていますがタバコにはリラクゼーション効果がある、とな。
ドラッグ的には「ダウナー系」でイライラが鎮まるんですよ。
マリファナ決めて運転している人とタバコふかして運転している人、どっちが安全かな?
も~今、アヘン戦争末期ですよ。しっかりするんだ!φ先生!!
私は喫煙者ではありません。理由は「指が太くてメンソールのタバコが様にならないから」です。
さ、「赤いスイートピー」でもきこっと。本当にいい歌だな~。
怒ってたら、ごめんね。
Re: メディアの見方 投稿者:φ 投稿日:2018年 2月 3日(土)17時08分32秒 返信・引用
> No.4929[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
日本ではマリファナは禁止のままでいいから、はやいとこタバコも禁止してほしいですよ。
少なくとも路上喫煙は全面禁止とするか、ひと箱五千円くらいの贅沢品にしてほしいですね。
私は喫煙者はみな低知能だと確信していますが、理由の一部は、
我が家の玄関先にたばこの吸い殻が常に落ちているからです。ときには塀の内側にも。
喫煙者は全員ポイ捨て犯、という刷り込みがなされて久しいです。
昔から、どんな好ましい女性でも、喫煙者と分かった瞬間に萎えまくりました。
ラッセルは喫煙者でしたが、そこだけは私にとって大いなるマイナスポイントですね。
まあラッセルは哲学外での誤りが多いところが魅力でもあり、
たとえば結婚論において、「婚前セックスの経験なしで結婚することは望ましくない」と主張しますが、まあそれも大いなる錯誤ですね。
セックスの価値が下がったことが、非婚化・少子化の一因であることは間違いありません。
Re: メディアの見方 投稿者:国語 投稿日:2018年 2月 2日(金)06時55分5秒 返信・引用
> No.4928[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
思ったより早いかな、と思うので書いてしまいます。
伊藤比呂美さんのTwitterで今得た情報ですが、カリフォルニアは昨年マリファナが解禁されたそうです。
また、昨年11月までは「永住権所持者」は空港のパスポートチェックで米国人と同じ列だったのが、年が明けたら「非米国人」と同じ列に変えられていたそうです。
亡命できる人には関係のない話になりますが、私のように亡命するだけの財力、人脈共にない方は何かの参考にしてください。
ノーベル文学賞とは何か、もよく考えましょう。
ラッセル受賞で「自由恋愛」といういかさま賭博がいきわたった結果の少子化です。
カズオイシグロで「クローン切り替え」かな?
「非米国人」は簡単に「非人間」になるでしょうね。
川上未映子さんみたいに乗組員を増やそうと思ってくださる方が多いと、ひっくり返せるかもしれません。
私は二人子供がいますが二人目は自宅で産みました。重力利用で楽に出ますよ~♪
胎児はウンコ、ウンコは宝です。
他人様のウンコも女城主直虎よろしく大切に大切にして、何とか乗り切りましょう。
…これくらい電波感満載なら大丈夫かな?………それでは皆様、良い旅を。
Re: メディアの見方 投稿者:国語 投稿日:2018年 1月30日(火)06時16分13秒 返信・引用
> No.4927[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 映像で心動かされるのもいいが、いろんな視点からの作品を観るべきですね。
お返事ありがとうございます。これが本当に最後の書き込みです。
これは、掲示板に書くのはどうかな、という境界線上の話です。
「いろんな視点からの作品」
が封印されるとき、国は独裁に入ります。
以上です。もう返信できませんのでくれぐれもお元気で。それではありがとうございました。
Re: メディアの見方 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月29日(月)04時18分45秒 返信・引用
> No.4923[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
視点によって容易に感情移入先が変わるんですよね。
教室でBBCの『世界に衝撃を与えた日-4-~ヒロシマ~』というDVDを見せたあと、
原爆投下について学生にアンケートをとると、
事前には「原爆投下は正当化できない」という結果だったのが、
「原爆投下は必要悪だった」と変わるそうです。(実験哲学的手法で調べた水本正晴氏の談話による)
上記BBCのドキュメンタリーは、イギリスということもあり中立で、日米いずれにも肩入れしていませんが
(イギリスがアメリカに肩入れしないのは、原爆開発に協力しながら結果をすべて独占され、結局自力開発をやり直さなきゃならなかったわだかまりもあるでしょう)
原爆を積んだB29の搭乗員がいかに大変な思いをして広島上空に達したかを詳細に描いているので、
広島の地上の子どもたちの様子をも見せられながらも、アメリカ兵への感情移入が促されたものと思われます。
映像で心動かされるのもいいが、いろんな視点からの作品を観るべきですね。
Re: 二封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月29日(月)04時08分7秒 返信・引用
> No.4924[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> この流れで一点、
> マルチバース上にて、貫世界同定というのは、量子論的多世界だと、「同じ状態ベクトルだよね」という直観的な理解で、通るものでしょうか。
> 私見では、特に違和感などはないかなと思っています。
> ただ、永久インフレーション上の同じ「Aさん」や「私」は単に原子の配列がたまたま一致しただけということになりますので、
> これはなんとなく、ルイス様相実在論の対応者にあたるような気がします。
>
マルチバースでの貫世界同定は、自我に関して言えば、主観的に区別できない状態すべてが同一人物、ということになりますね。
身体は多数の場所に分離したまま、主観的内容で自我が束ねられる。
諸身体の周りの物理的環境の推移によって、次の瞬間には同一主観を宿す身体の数が激減しますね。
主観を持たない物理的対象の貫世界同定は、素粒子の配列ということでよいのではないでしょうか。
ところで「九十九十九」は噂は聞きますが読んでません。
舞城王太郎は、なんだったか三冊くらいに分かれた文庫本を以前読み始めましたが、本が行方不明になってストップしたまま、時間が経ってしまいました。見つけたらまた読み返してみようと思います。
Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 1月28日(日)21時35分42秒 返信・引用
> No.4917[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 数学を考えてみても、(正多面体の種類にせよ、n次方程式の解にせよ)論理そのものが(人間の感性から見て)完全に対称的というわけではありませんよね。
> 物理法則についてはなおさらです。
> 生起している出来事が完全に対称的であるかのように整えようとする「なんでもあり」の様相実在論やレベルⅣマルチバースは、まったく筋悪であると、私は感じております。
ご返事ありがとうございます。
可能世界を使ってものごとを理解する場合、かなりのケースでマルチバースで事足れりだとも思います。
例えば、2封筒問題未開封バージョンで多数の可能世界を想定、その後、開封バージョンに1万円を確認して以降した場合、未開封の可能世界から特定金額ペア以外が
脱落して世界が絞り込まれるとイメージすれば比較的すんなり理解できますし、「1回だけの事象に期待値は…」系の反論にもなるかなと思っています。
特段、「なんでもあり」は必要なさそうですと感じますね。
この流れで一点、
マルチバース上にて、貫世界同定というのは、量子論的多世界だと、「同じ状態ベクトルだよね」という直観的な理解で、通るものでしょうか。
私見では、特に違和感などはないかなと思っています。
ただ、永久インフレーション上の同じ「Aさん」や「私」は単に原子の配列がたまたま一致しただけということになりますので、
これはなんとなく、ルイス様相実在論の対応者にあたるような気がします。
(永久インフレーションマルチバースが、量子論マルチバースに吸収されるような理論が確立すれば別ですが)
追記
新刊の「ハルヒ本」、また改めて、読了しましたら。思うところなど提示できればと思っています!
「ループ」もので、小説作品として過去に1番「これはキテルな」と感じたのは、
現状古書か電子書籍しかなくなっていますが、
舞城王太郎の「九十九十九」という小説でした。何か機会がありましたら…
https://www.amazon.co.jp/dp/4062756242
東浩紀も
https://www.amazon.co.jp/dp/4061498835
にて、分析しているようです。
※私は特に東さんのファンではありませんが…
Re: メディアの見方 投稿者:国語 投稿日:2018年 1月28日(日)15時06分49秒 返信・引用
> No.4881[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
すみません。
ちょっと、すごいことが起きたのでせっかくですから最後に。
今、炬燵で夫とこどもがなぜか『Uボート』を見ています。
すると、こどもが
「なんかさ、チューリング(以前見た『イミテーションゲーム』のこと)見てんとドイツやだな、って思うけどさ、こっち見てんとドイツ、かわいそうになってくんね」
と言ったのです。
私は感激して涙が出そうになりました。
「子育てが終わったな」と思います。
あまり賢くもない或る一家の、子育てとメディア選びの実践がここを見た方に一縷でも参考になることを祈ります。読んでくださった方、ありがとうございました。
Re: 濃過ぎる 投稿者:国語 投稿日:2018年 1月27日(土)22時10分15秒 返信・引用
> No.4921[元記事へ]
φさんへのお返事です。
返信ありがとうございます。
> 「濃過ぎる」
> って誉め言葉でしょうかね? 私は逆。薄過ぎる。
褒め言葉かな?私は振り切れがちなんで気を付けてますから、褒め言葉ではないような気がしますね。
車のエアコンなど、一人の時は最大にして、「さむ」となってまた反対側に振り切って暖房かけちゃう…的な。他人がいるときははじめから適温になるように気を付けます。
思いっきり酸性なものに思いっきりアルカリ性なものを入れて中性にするんならはじめっから中性を狙う。
味噌汁の塩分なども薄すぎたほうが体にいいし、私のような凡人にはいいような気がしています。
いかに薄めるか知恵を絞る。(味噌代も倹約できますし。)
…そう考えると、先生はもとより凡人ではないのですからいくらでもお好きな濃度でよいのです。
素人考えで差し出がましい書き込みを致しまして申し訳ありませんでした。それでは。
Re: 濃過ぎる 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月27日(土)20時46分30秒 返信・引用
> No.4920[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
>
> もう、文字媒体だけで無理ですね。これは、会田誠展の18禁ののれんの向こう側では?
> こんなものうっかり見たくないです(面白くないとは言わない)。
>
いや、面白くないです。
「濃過ぎる」
って誉め言葉でしょうかね? 私は逆。薄過ぎる。
我々が小中学生の頃の方が受け狙いでもっと過激なことやってました(大小便を道具にして)。
ドキュメンタルは私は途中まで見てましたが、くだらなすぎて脱落しました。
あの路線なら、AVの方がとっくにいろんなパターン済ませてますしね。
笑えるAVというのはけっこうあって、
ドキュメンタルでもいずれ 脱糞 が見られることでしょうが、
そのときには少なくともジェイドの『醜態便所』シリーズ、せめてレイディックスの『ゲロもんじゃ』程度のことはやってくれないと。
いずれにしても、芸人である必要はありませんね。芸人めあての人にとっては芸が生きてなくても自動的に面白いんでしょうが。
濃過ぎる 投稿者:国語 投稿日:2018年 1月27日(土)09時54分36秒 返信・引用
『ドキュメンタル』。
検索してみたところ、「ドキュメンタル 春日」というフックがあったので飛んでみました(オードリー春日は大好き)。すると…。
もう、文字媒体だけで無理ですね。これは、会田誠展の18禁ののれんの向こう側では?
こんなものうっかり見たくないです(面白くないとは言わない)。
これは、光浦靖子様がTVBROSの山内マリコとの対談で「女芸人としての地位を切り開くためには宴会で裸になれと言われればなったし陰毛を燃やせと言われれば燃やしました」といった趣旨の驚愕発言をされていて(盛った話であってほしい!)「靖子!そんな辛いことをこのような媒体で語るな!!」と、おっさんに変身して抱き留めてに行きたい衝動にかられましたが(突き飛ばされて終わりかとは思いますが)、それに近いものがありますよ。
野崎先生の吐き出す宝石にうっとりしている層とのれんの向こうしか興味のない層…ともに「濃過ぎる」のではないでしょうか。
モンティパイソンの「バカ歩き」とか大好きですけど、また子供に見せますけど、やっぱり解説するもの。これは放送できない。なぜならこーこーこーいう理由だ、とね。
濃過ぎるものを解説なしに見せるのは毒。…じゃないのかな。活字媒体だとまた違うと思いますが。ちょっと考えてみます。それでは。
Re: すみません 投稿者:国語 投稿日:2018年 1月26日(金)22時36分25秒 返信・引用
> No.4918[元記事へ]
φさんへのお返事です。
どーも。
野崎歓先生見物に行ってきましたよ。
口からざらざら宝石が出ているみたいでしたよ。
真面目系の男性もなかなか冴えていますね。
『ハルヒ』は『マノンレスコー』系に分類できるかもしれませんね。
要するに男性の中には「何この女」みたいのに「そこそこ振り回されたい欲求」みたいのがあるんじゃないですか。
私の好みは女優で言うと中山忍様で、引いた感じの人が好きなので良さがさっぱりわかりませんけどね。
> といっても、松本人志の『ドキュメンタル』について、
> 「地上波で出来ない」を「限りなく低俗にする」としか思い描けないセンスが残念、と教室で盛んにグチったりした私なんですけどね。
で、松本人志もどこがいいかさっぱりわからないんですよ。
もう1ミリもわからないですね。
以前美容院で妙に波長が合う人間がいて、私が行くと勝手に
「今日これにしな」
とか言ってDVDを見せるんですが、あるとき松本人志でした。私が固まっているのを見て取りすぐさま『刑務所の中』に替えてくれる気の利きぶりで大笑いして帰らせてもらったことありますね。山崎努様は本当に素晴らしいですね。『銀嶺の果て』をあのお方主演でぜひ映画化してほしかったのですが生々しすぎて無理なのでしょうか。残念です。
あ、すみません。低俗な話題に終始してしまいました。失礼いたしました。
Re: すみません 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月26日(金)16時48分45秒 返信・引用
> No.4913[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
>
> 先生の御職業は世間からはある程度の「高貴さ」が求められるかと思います。
> 先の書き込み2件は可能であれば削除したほうがよいのではないでしょうか。
> 私のほうは全くかまいませんので適宜ご判断ください。
> 学問への夢を抱いた小学生が見ているやもしれませんので。
>
「高貴」という美的範疇は不思議と見かけませんね。倫理的範疇としてはどうなのかわかりませんが。
いずれにせよ、高貴-低俗のスペクトルに囚われていると、学問も芸術も停滞することは確かです。
といっても、松本人志の『ドキュメンタル』について、
「地上波で出来ない」を「限りなく低俗にする」としか思い描けないセンスが残念、と教室で盛んにグチったりした私なんですけどね。
Re: 二封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月26日(金)16時29分53秒 返信・引用
> No.4915[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> 少し趣が違うとも思えますが、ケプラー予想が、しらみつぶしのシミュレーションという少しトリッキーな
> 方向から証明されたように、
>
数学を考えてみても、(正多面体の種類にせよ、n次方程式の解にせよ)論理そのものが(人間の感性から見て)完全に対称的というわけではありませんよね。
物理法則についてはなおさらです。
生起している出来事が完全に対称的であるかのように整えようとする「なんでもあり」の様相実在論やレベルⅣマルチバースは、まったく筋悪であると、私は感じております。
ロゴス偏愛 投稿者:国語 投稿日:2018年 1月25日(木)17時18分59秒 返信・引用
ロゴスとパトスとミュトスというものがあります。
私はミュトスを学びましたがロゴスが本来は至上のものと考えています。偏愛しています。
しかしながら実際の世はパトスで動いています。
ロゴスをきちっと扱える人がいないと言語は滅びます。
そういう意味で先生にはものすごく期待しているし、ほかの方いるのかな、と心配しています。
女性は「ロゴスを扱えない」という根深い偏見がある、と、私は感じています。
最近はそうでもないのかもしれませんが、どうなのでしょうか。
私がこの世を見回すと、「哲学者」と言ってもいい人相と思想の女性はなぜか「料理研究家」という皮を着ていることが多いですね。
それが何を表しているかはおいおいわかることでしょう。
さて、スペイン映画で『アレクサンドリア』というものがあります。これは結婚を拒絶し、知力で生きようとした一人の女性が最後は裸に剥かれ、石で撃ち殺されるという内容でした。
女性は本当は大変にロゴスなのですが、国を問わず、それでは吊るされてしまうということなのかな、と思います。
だから、男性でロゴスが扱える人は本当に本当に大切なのです。なぜなら、実は男性もパトスが強いからです。そんな人ばっかりです。
先生は大変努力されているし、純粋な方だと思います。もちろん才能も有ります。絵画も素晴らしいですね。
どうぞ、日本語を見捨てないで、何卒よろしくお願いいたします。
長くお邪魔させていただき、ありがとうございました。
田舎住まいなので御本はなかなか見かけませんが、明日は少し大きい街に行くので書店で探してみます。
御活躍、心より祈念いたします。くれぐれもお元気で。それでは。
Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 1月25日(木)10時39分38秒 返信・引用
> No.4909[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> つまり、余りにも現実離れした物理現象を想定した場合、
> どの可能世界が現実世界に近いのかの判断ができず、反事実条件文も機能しないということでしょう。
> ありったけの前提を明示化した上でも反事実条件文の真偽が決めがたいような場合、
> その前件はマルチバースにおいて実現していない状況を表わしている確率が高いのではないでしょうか。
ご返事ありがとうございます。
なるほどです。反事実的条件の推測が物理側の推測にも役立てる可能性があるのですね。
測度問題や基数が多すぎる問題を躱せる可能性のある
「禁止されない」程度のゆるい規範のマルチバースという考え方は、結構強力と感じます。
物理側のマルチバースの測度問題も、上記の反事実的条件文が機能しないラインの推定によって、
可能世界(様相実在論)がどの辺まで物理的に実現している(であろう)かのイメージにも使え、
論理と物理、両方の処方箋として想像できますね。
(もちろん、厳密には論理物理両方とも細かく計算したら、細部には問題はいろいろ出てくるとも思えますが)
また、物理、論理両面から「なぜ、世界はこのようにあるのか」にも一応の回答案みたいなものだせますし。
可能世界については、様相実在論の説明性を上回る、物理的多世界を要請しない理論が多数考えられていますが、
少し趣が違うとも思えますが、ケプラー予想が、しらみつぶしのシミュレーションという少しトリッキーな
方向から証明されたように、
ゆるいマルチバースなどで、物理側からの証明等もうまく統合理論ができればですね…
哺乳類 投稿者:国語 投稿日:2018年 1月25日(木)08時45分9秒 返信・引用
哺乳類は雌が雄を選ぶ。
これは鉄則だと思います。拒絶できない雌は本能が弱いのではないでしょうか。
また、弱らせるために社会にはあの手この手で罠が張り巡らせてあると強く感じています。
この罠からどのように守っていくか。それは、親にしかできないのではないか、というのが現時点での感触です。
私は父親から強力な免疫を受けていて、それは具体的にはパール・バック『大地』です。
「俺が読んで面白かったのは『大地』と開口健だけだな」
との言を受け、中学に入ると『大地』を読みました。
そこには「美醜による女性の処世のありありとした違い」がはっきりと描かれていました。
私は足が大きいので纏足による美と奴隷女の足の大きさによる醜を描いた一節には衝撃を受けました。
「足の大きい醜い女は未使用であるくらいしか資本がないのだ」
…って、現代社会的には勘違いのような気もしますが、この小説世界では事実だったのです。
父は何も考えてなかったと思いますが、私が一切ダメージを受けず無事おばさんになれたのはこの本のおかげである、と感謝しています。
やはり、メディアの力は大きいし、選別がますます難しくなってきていると強く思います。
すみません 投稿者:国語 投稿日:2018年 1月25日(木)06時25分2秒 返信・引用
先生へ
私もうっかり引用してしまいましたがここは掲示板ですね。私は匿名ですが先生は実名でいらっしゃいます。
先生の御職業は世間からはある程度の「高貴さ」が求められるかと思います。
先の書き込み2件は可能であれば削除したほうがよいのではないでしょうか。
私のほうは全くかまいませんので適宜ご判断ください。
学問への夢を抱いた小学生が見ているやもしれませんので。
うかつに返信をしてしまい、申し訳ありませんでした。
Re: りぼんとなかよし 投稿者:国語 投稿日:2018年 1月25日(木)05時05分44秒 返信・引用
> No.4911[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 国語さんへのお返事です。
>
>
> BLが女子に人気な進化論的理由は、むかし読みましたが忘れました。
> 進化論的適応は普通考えればわかるのですが、BLが女子にとってなぜうれしいのか、さっぱりわかりません。
> 女子が当事者にならずに男子の愛を鑑賞できるから?
> とすれば、女子にとっていかに「恋愛」が重荷であるかがわかるというものですが。
> 愛があるならSEXは当然、という昨今の風潮が女子にはストレスに感じられるのか、ってことですね。
>
> ハルヒも、「恋愛は肉体関係を伴うからまっぴらごめんだ」ととれる発言をしており(『エンドレスエイトの驚愕』でも触れましたが)、あのハルヒですら「恋人になろうものなら拒めない」と思い込んでいる。
> 意外と世の風潮に従順。
> ほんとは男子にとってもSEXなんて面倒なことで、正直プレッシャーなわけですけどね。
> 「軽くイッた?」とコトのあとで確認したがる男が多いそうです。
> 女はもちろんイッたふり。あとで彼氏のその言葉をネタにして友人と大爆笑。
> 爆笑してる場合じゃないだろ、哀れなのはむしろおまえだよ、と。
> もう一つの決まり文句に「早く終われ」とか。……
> まあそんな、「イヤと言えない女子」(さらには「gum付けてと言えない女子」)の哀れな生態にやきもきして書いたのが『下半身の論理学』でしたが。
>
> BLでも「軽くいった?」とか言ってるんでしょうか。
> 言ってないだろうな。そのシンプルさもBL人気の理由の一つなんでしょう。
私は根本的には「婚前交渉女子に易なし」と考えていますので、居酒屋トーク的なことはわかりませんね。
斎藤綾子さんの『愛より速く』という本はそういうことがいろいろ書いてありますから、斎藤さんに聞くといいのではないでしょうか。
私はかつて「顔が見てみたいなー」と思ってイベントに行きましたが、普通の人でしたよ。女優で言うとオーロラ輝子みたいな感じですかね。
最近では藤沢和希という人の本を立ち読みして面白かったですよ。私は村上春樹が嫌いなのでちょっと溜飲が下がったといいますか(ラッセルとこの人と似てます?違います?)。
確か「東京の街全体がソープランドだ。無料のな」
とか、書いてあったような。
きっと、東京には斎藤綾子さんと藤沢和希さんが大勢いらっしゃるのでしょう。
BLに関してはよしながふみという方の対談本が面白かったですよ。
三浦しをんさん(この方も見に行きましたが大変に魅力的なお嬢さんでした。お父様も別のイベントで見ましたが素敵な方でした)との対談で「BLとは関係性萌え」みたいなことが書いてありましたかね。
要するに、鉄砲玉のような代替可能な裸プロレスなんてまっぴらごめんな女性が「お互いかけがえのない存在」と感じあっている繁殖目的ではない関係性にうっとりしているのかな~などと傍からは思います。
私が持っているマンガでは『トーマの心臓』『日出処の天子』などくらいしかないかな。
すみませんね。
BLに詳しい方がいらしたらどなたか教えて差し上げてください。
それでは失礼いたします。
Re: りぼんとなかよし 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月25日(木)04時13分34秒 返信・引用
> No.4910[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
BLが女子に人気な進化論的理由は、むかし読みましたが忘れました。
進化論的適応は普通考えればわかるのですが、BLが女子にとってなぜうれしいのか、さっぱりわかりません。
女子が当事者にならずに男子の愛を鑑賞できるから?
とすれば、女子にとっていかに「恋愛」が重荷であるかがわかるというものですが。
愛があるならSEXは当然、という昨今の風潮が女子にはストレスに感じられるのか、ってことですね。
ハルヒも、「恋愛は肉体関係を伴うからまっぴらごめんだ」ととれる発言をしており(『エンドレスエイトの驚愕』でも触れましたが)、あのハルヒですら「恋人になろうものなら拒めない」と思い込んでいる。
意外と世の風潮に従順。
ほんとは男子にとってもSEXなんて面倒なことで、正直プレッシャーなわけですけどね。
「軽くイッた?」とコトのあとで確認したがる男が多いそうです。
女はもちろんイッたふり。あとで彼氏のその言葉をネタにして友人と大爆笑。
爆笑してる場合じゃないだろ、哀れなのはむしろおまえだよ、と。
もう一つの決まり文句に「早く終われ」とか。……
まあそんな、「イヤと言えない女子」(さらには「gum付けてと言えない女子」)の哀れな生態にやきもきして書いたのが『下半身の論理学』でしたが。
BLでも「軽くいった?」とか言ってるんでしょうか。
言ってないだろうな。そのシンプルさもBL人気の理由の一つなんでしょう。
Re: りぼんとなかよし 投稿者:国語 投稿日:2018年 1月24日(水)08時20分32秒 返信・引用
> No.4905[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 国語さんへのお返事です。
>
> エンドレスエイト瞬間風速の直前にはこういう現象もあったようです。
> https://animeanime.jp/article/2018/01/12/36476.html
> 数あるワードの中から、短期間になぜハルヒから少なくとも二つが?
> しかも今になって?
> 「今になって」というのは私も人のこと言えませんが。
>
ふーん。
女の人もこのアニメが好きなんですね。
私、残念ながら腐女子じゃないんです。腐女子だったらもっともっと友達がいただろうに…。ただ、『なかよし』のエースだった「あさぎり夕」というマンガ家さんが後年思いっきりBLの人になってしまったのには驚愕しました。
『りぼん』がいけすかねえな、と思ったのは『ときめきトゥナイト』というマンガが原因。
真壁俊という男子を、主人公と神谷曜子というキャラが取り合う…というか神谷曜子は完全に余計ものなんですが…という構造で、私は「ここまで執着してんだから曜子に譲ってやれよ。ケチくせえ主人公だな」と思って嫌気がさしたのです(言うまでもなくこれでは物語が破綻)。
『なかよし』は同士愛ものが多く、「異性の取り合い」って、あんまり見かけなかったですね。
今もお気に入りの『不思議の国の千一夜』というマンガなんて、主人公が女から男になって奥さんと子供も得て国王になる、というびっくりマンガですからね。マケドニアの民話を元に描いたと最近知りました。すごいぞ、マケドニア。
故郷を訪ねるように数年前『なかよし』を買ってみましたが、往年の趣はすっかり様変わりして一抹のさみしさを感じました。その中で納得のいった唯一の作品、松本ひで吉先生の『さばげぶっ!』は今もこつこつ集めています。9巻の冒頭第48話「☆くやしいけど恋」はことのほかお気に入りでしたが、このたび「ハルヒシリーズ」を洗ってみると「豪徳寺かよ」とは「長門有希」の焼き直しなのかな、という気がします。
「ハルヒシリーズ」は「オタサーの姫マニュアル」って感じで、女子の皆さんにも参考になるんじゃないですか。私はかねてより最も忌避したいポジションが「オタサーの姫」なので(年齢にかかわらずありうるんだな、これが)どう読んでいいかちょっと掴みかねていますがね。
とりあえずもう少し考えがまとまったらまた書くかもしれません。
お返事ありがとうございました。それでは。
Re: 二封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月24日(水)02時40分21秒 返信・引用
> No.4908[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> φさんが「地球にそっくりな惑星が突如としてドラえもんの形に変化し、五秒間しゃべり続けたあと一瞬で地球の形に戻る」
> と以前に書かれたときに、
> 私の中では、物理現象で超天変地異が起こって「形」だけが戻ったイメージでした。
> よって、その事象の後で、たぶん人類はいないぐらいの大ダメージを地球が受けていると思いました。
>
つまり、余りにも現実離れした物理現象を想定した場合、
どの可能世界が現実世界に近いのかの判断ができず、反事実条件文も機能しないということでしょう。
ありったけの前提を明示化した上でも反事実条件文の真偽が決めがたいような場合、
その前件はマルチバースにおいて実現していない状況を表わしている確率が高いのではないでしょうか。
Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 1月23日(火)10時30分55秒 返信・引用
> No.4907[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> Tedさんへのお返事です。
>
> >
> > 論理的な謎「反事実条件文が使用・理解できるのはなぜか」の強力な解決法として、
> > 様相実在論だと思っていますが、
> >
>
> 「反事実条件文が理解できるのはなぜか」の解決法が「反事実的世界が物理的に実在するから」ということはないのでは?
> 単に「理解できるのはなぜか」というのが様相実在論を要請するとはルイスも言っていないと思います。
ご返事ありがとうございます。
「理解」と書いたのはご指摘通り間違っていました。
「反事実的条件文が使用でき、その真偽の判断が出来る」という事実のほうが起点で、
それゆえ、「可能世界がある(と信じられる)」ということになると思いました。
> これは順序が逆で、
> 反事実条件文が成り立つとわかるからこそ、そのような可能世界があると信じるようになるわけです。
> 可能世界がある(と信じられる)から、反事実条件文を理解できる、わけではないでしょう。
これも確かにご指摘通りと思います。
上記を元に書き換えますと、以下の認識となりました。
反事実条件文が使用できる
↓
A「オーストラリア大陸が日本の形に1秒間変化してすぐ元に戻るという現象があったならば、それは大きなニュースとなったであろう」
B「私がオーストラリアに昨日、旅行に行ったとしたら、コアラを見たであろう」
Aは物理的にあり得ないが、Bはあり得る。
論理的には両方とも使用でき、真偽の判断ができると思われる。
↓
物理的にそれが成り立っている可能世界は存在する(様相実在論ではAB両方とも可能世界として物理存在する)
↓
マルチバースだと、
A「オーストラリア大陸が日本の形に1秒間変化してすぐ元に戻るという現象があったならば、それは大きなニュースとなったであろう」は無理。
B「私がオーストラリアに昨日、旅行に行ったとしたら、コアラを見たであろう」は有り。
↓
様相実在論は論理学サイドから様々な攻撃にあっており、また、別路線の物理的に考えたとしても確かにAまで含んだ何でもありはNG。(測度問題も出てしまうので)
ただ、物理の観測や理論発展から
少なくとも様相実在論可能世界に含まれるであろうBのような物理的に可能なマルチバースは存在する(と信じられる)ため、
様相実在論可能世界のすべてが否定されるわけではない(と信じられる)
> ちなみに、非本質的な問題ですが
> 「オーストラリア大陸が日本の形に1秒間変化してすぐ元に戻るという現象があったならば・・・・・・」
> その1秒間、住民もみな日本人に変化するので、誰も死にはしない、というのが普通の連想じゃないでしょうか。
> オーストラリア大陸の範囲内が時空丸ごと日本列島的になることが想像されるので。
φさんが「地球にそっくりな惑星が突如としてドラえもんの形に変化し、五秒間しゃべり続けたあと一瞬で地球の形に戻る」
と以前に書かれたときに、
私の中では、物理現象で超天変地異が起こって「形」だけが戻ったイメージでした。
よって、その事象の後で、たぶん人類はいないぐらいの大ダメージを地球が受けていると思いました。
ただ、上記のオーストラリアの例でもそう想定していました。確かに、
「その1秒間、住民もみな日本人に変化する」のであれば、だれも死なないと感じますし、私の想定よりもより「物理的にあり得ない奇跡」ですねw
Re: 二封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月23日(火)04時15分25秒 返信・引用
> No.4906[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> 論理的な謎「反事実条件文が使用・理解できるのはなぜか」の強力な解決法として、
> 様相実在論だと思っていますが、
>
「反事実条件文が理解できるのはなぜか」の解決法が「反事実的世界が物理的に実在するから」ということはないのでは?
単に「理解できるのはなぜか」というのが様相実在論を要請するとはルイスも言っていないと思います。
>
> 反事実条件文が使用・理解できるのはなぜか
> ↓
> A「オーストラリア大陸が日本の形に1秒間変化してすぐ元に戻るという現象があったならば、オーストラリアで生活していた人の多くは死んだであろう」
> B「私がオーストラリアに昨日、旅行に行ったとしたら、コアラを見たであろう」
> Aは物理的にあり得ないが、Bはあり得る。
> 論理的には両方とも使用でき、理解できる。
> ↓
> なぜ、この言説が成り立つのか?
> ↓
> 物理的にそれが成り立っている可能世界があるから(様相実在論ではAB両方とも成り立っている)
>
これは順序が逆で、
反事実条件文が成り立つとわかるからこそ、そのような可能世界があると信じるようになるわけです。
可能世界がある(と信じられる)から、反事実条件文を理解できる、わけではないでしょう。
ちなみに、非本質的な問題ですが
「オーストラリア大陸が日本の形に1秒間変化してすぐ元に戻るという現象があったならば・・・・・・」
その1秒間、住民もみな日本人に変化するので、誰も死にはしない、というのが普通の連想じゃないでしょうか。
オーストラリア大陸の範囲内が時空丸ごと日本列島的になることが想像されるので。
Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 1月23日(火)01時15分35秒 返信・引用
> No.4899[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> ルイスは、測度問題については言及していなかったように思いますが、「基数の問題」として、可能世界の個数が定まらなくなってしまう不合理については問題視していました。
> マルチバースの場合は、様相実在論と違って、「本当に何でもかんでも」が物理的に実在していると認める必要性がありはしないため、不合理は生じないと前提して研究を進めることが出来るはずです。
> つまり、
>
> >
> > 論理学上の「可能世界」が物理学上の「マルチバース」で代替えできる
> >
>
> ということですね。
> ルイスが様相実在論を要請した動機のうちすべてをマルチバースがカバーするということは到底ありそうにないですが、
> カバーできないところはもともとカバーする必要がなかった、ということが逆に証明できてゆくようにも思っています。
ご返事ありがとうございました。
論理的な謎「反事実条件文が使用・理解できるのはなぜか」の強力な解決法として、
様相実在論だと思っていますが、
マルチバースをこの場合に適用した場合、以下の流れになるかと思えます。
(細かい問題はたくさん残るとは思いますが…)
反事実条件文が使用・理解できるのはなぜか
↓
A「オーストラリア大陸が日本の形に1秒間変化してすぐ元に戻るという現象があったならば、オーストラリアで生活していた人の多くは死んだであろう」
B「私がオーストラリアに昨日、旅行に行ったとしたら、コアラを見たであろう」
Aは物理的にあり得ないが、Bはあり得る。
論理的には両方とも使用でき、理解できる。
↓
なぜ、この言説が成り立つのか?
↓
物理的にそれが成り立っている可能世界があるから(様相実在論ではAB両方とも成り立っている)
↓
マルチバースだと、
A「オーストラリア大陸が日本の形に1秒間変化してすぐ元に戻るという現象があったならば、オーストラリアで生活していた人は死んだであろう」は無理。
B「私がオーストラリアに昨日、旅行に行ったとしたら、コアラを見たであろう」はOK
↓
元々の論理的謎「反事実条件文が使用・理解できるのはなぜか」の裏付けはBが物理的にマルチバースのどこかで成り立っているからそれで十分。
Re: りぼんとなかよし 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月22日(月)21時19分42秒 返信・引用
> No.4904[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
エンドレスエイト瞬間風速の直前にはこういう現象もあったようです。
https://animeanime.jp/article/2018/01/12/36476.html
数あるワードの中から、短期間になぜハルヒから少なくとも二つが?
しかも今になって?
「今になって」というのは私も人のこと言えませんが。
さて、「リボンを付けた女子高生のアニメ」ですが、
岡田もまどマギは喜んで観るようです。女子中学生だからでしょうか。
ハルヒが差別されるのは、たった2歳の差なんですかね。「萌え」の強調もあるでしょうが……
あとは、アニメオリジナルではないことか。
アニメファンは、原作付きに対しては冷たい傾向があるようなので。
(メディアへのこだわりはいつの時代にもありますが)
りぼんとなかよし 投稿者:国語 投稿日:2018年 1月22日(月)06時44分18秒 返信・引用
「ほめ殺し」じゃないですよ。
「なぜ人を殺してはいけないか」という入試問題に関するまとめサイトを見て、ここの先生しかいないんだな、と、思っています(あのまとめの後まともな人が出ているかもしれませんが)。
「リボンを付けた女子高生のアニメ」とは何なのか、は私が考えてみます。
と、いうのは、私自身が「リボンを付けた女子高生の映画」を300回くらい見ている人間だからです。
それは、『四月怪談』という映画です。
私は自殺できない事情があるため、厭世的になると薬のように繰り返し見て、自分に喝を入れる感じです。作品中に「夏山登」という人間が出てくるのですが、あれが私の理想の私ですね。
考えてみるとあの映画には「リボンを付けた男(幽霊ですけど)」も出ています。
今時リボンなんて頭につけないですね。私が高校生の頃はつけたりしましたかね。
少女漫画誌で『りぼん』と『なかよし』があって、『ちゃお』と『ひとみ』がやや弱い、という時代に大きくなりましたが、なんか『りぼん』っていけすかねえな、と思って母親の読んでいる(!)『なかよし』を私が傀儡で買いに行かされるので母の読了後愛読していました。
今ネットを見ると、『りぼん』を読んでいた子は社会でまともにやっていて、『なかよし』は腐女子になっている、と書いてあって爆笑してしまいました。
小児期のメディアは大切ですね。
それでは。
Re: 虚構世界の地理 投稿者:国語 投稿日:2018年 1月21日(日)16時26分46秒 返信・引用
> No.4902[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 国語さんへのお返事です。
>
> 素人の文章の方が売れる時代ですけどね。
> 俗っぽくいえば、現代国語の入試問題として適切なのがプロの文章。
>
> まあいずれ、『恋空』とか『リアル鬼ごっこ』といったレベルの文章が入試に出る時代になるやもしれませんが。
「入試」。そんなものはどうでもいいですね~。
「社会というものを隣近所とか職場とか広場といったような空間的なものととらえずに、過去や未来という時間軸の上に据えてみたらどうか。そうしてみると、現在世代の世論のことなど二の次となり、過去の優れた人物の意見や未来からかすかに聞こえてくる真実の声のほうがよほどに魅力的とわかる。要するに、まわりのものを気にしてキョトキョトしているのは人生を無駄に過ごすためのもっとも効果的な方法だということだ。人間が時間軸の上を移動するには、まず、想像あふれる会話、そして筋道のしっかりした会話がなければならない。そうした会話のためならば、勤労や余暇の時間を削ってもよいと人びとが考えるようになれば、そのとき、日本の文明も成熟の端緒をつかんだことになると私は思う。 西部邁」
私のためにお時間削ってくださってありがとうございました。
φ先生も、姿も声も文章も、立派ですよ。
それでは。
Re: 虚構世界の地理 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月21日(日)15時57分57秒 返信・引用
> No.4901[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
素人の文章の方が売れる時代ですけどね。
俗っぽくいえば、現代国語の入試問題として適切なのがプロの文章。
まあいずれ、『恋空』とか『リアル鬼ごっこ』といったレベルの文章が入試に出る時代になるやもしれませんが。
Re: 虚構世界の地理 投稿者:国語 投稿日:2018年 1月21日(日)15時04分13秒 返信・引用
> No.4900[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 『バトルロワイヤル』は私も雑誌上で絶賛したことがあります。
> ただし、そこにも書きましたが、『バトルロワイヤル』は素人の文章なんです。それであれだけ読者を引き込むところが、かえって凄いわけですが。
> 『涼宮ハルヒシリーズ』は、プロの仕事の見本ですね。アニメの方も完璧です。
> ただ、「エンドレスエイト」のせいでコンテンツに愛想を尽かし『消失』以前に脱落したファンが多いのは残念です……
> (岡田斗司夫が『消失』を見てないのはエンドレスエイトのせいではなく、単に岡田が萌え嫌いだからですが)
「素人の文章」。
私はそうは思わないですけどね。もし本当にプロがいるんなら「マスターベーション」ではないプロの力であれを凌駕する物語をバンバン書いているはずですね。
あの人には才能があるのです。戻ってきてあのクラスを数作書いてノーベル文学賞取ってほしいですね。
あの人なら、認める。
少なくとも私はそう思います。
岡田は全く興味ないです。
下半身の活発ぶりは人相と併せてファイリングさせていただいたのでそこは感謝していますがね。あ、音声も取れますからなおいいサンプルですね。(こそこそやってる人よりはずっといいですね。)それでは。
Re: 虚構世界の地理 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月21日(日)13時44分56秒 返信・引用
> No.4898[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
>
> すみません。バナナマンを知らないのでお答えのしようがありません。
> ただ、偏差値的に広い範囲の人が愛読しているとしたら何らかの聖典ではあるのでしょう。
> 私は『バトルロワイアル』を評価していますがそれも同じ理由です。
>
『バトルロワイヤル』は私も雑誌上で絶賛したことがあります。
ただし、そこにも書きましたが、『バトルロワイヤル』は素人の文章なんです。それであれだけ読者を引き込むところが、かえって凄いわけですが。
『涼宮ハルヒシリーズ』は、プロの仕事の見本ですね。アニメの方も完璧です。
ただ、「エンドレスエイト」のせいでコンテンツに愛想を尽かし『消失』以前に脱落したファンが多いのは残念です……
(岡田斗司夫が『消失』を見てないのはエンドレスエイトのせいではなく、単に岡田が萌え嫌いだからですが)
Re: 二封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月21日(日)13時39分10秒 返信・引用
> No.4897[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> ルイスの様相実在論は「可能世界」が物理的に存在すると説き、説得力が高いと思いますし、
> 論理学方面から「なぜ、このようにこの世界はあるのか」にもマルチバースと同じような構成で答えることができると思っています。
>
> φさんとしては、様相実在論そのものは偽と想定されていると思っていますし、
> 「様相実在論の可能世界」とマルチバースは同じものではないとお考えだとも思っています。
>
ルイスは、測度問題については言及していなかったように思いますが、「基数の問題」として、可能世界の個数が定まらなくなってしまう不合理については問題視していました。
マルチバースの場合は、様相実在論と違って、「本当に何でもかんでも」が物理的に実在していると認める必要性がありはしないため、不合理は生じないと前提して研究を進めることが出来るはずです。
つまり、
>
> 論理学上の「可能世界」が物理学上の「マルチバース」で代替えできる
>
ということですね。
ルイスが様相実在論を要請した動機のうちすべてをマルチバースがカバーするということは到底ありそうにないですが、
カバーできないところはもともとカバーする必要がなかった、ということが逆に証明できてゆくようにも思っています。
Re: 虚構世界の地理 投稿者:国語 投稿日:2018年 1月21日(日)06時39分6秒 返信・引用
> No.4896[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 国語さんへのお返事です。
>
> >
> > すみません。「エンドレスエイト」を知らないので。
> > ただ、浅羽通明さんとは面識が若干あるので、また彼の『富沢雅彦の生涯』という稿はものすごく重要だと思っているので、50代の独身の男の人が女子高生のアニメーションをを語ってしまう現象は何かな、とは考えていますね。
> >
>
> 浅羽さんの本は大いに役立ったので、四か所くらいで言及しました。
> 我が意を得たりという部分と、それは違うのでは、という部分。賛否両方ありました。
> 献本しようと思いましたが宛先がわからないので、春秋社に献本お願いしてあります。
>
> 50代の独身の男の人が女子高生のアニメーションを…… が「?」ということ自体が「?」ですが、
> あのオタキング岡田斗司夫ですら「五十過ぎのオッサンがハルヒ観ますか?」と偏見吐露してる動画があり、私は驚きました。(その動画にも二か所で言及しました)
> 岡田は『消失』を観ていないそうで、ちょっと心配になりました。まどマギや君の名はを見てる時間があったら消失を優先しなきゃダメでしょうね。
> エンドレスエイトに凝りて消失を見てない人は多いようですが、大損失です……
ふーん。
岡田は見てないんだ。厳密には「五十過ぎの独身のオッサン」ではないものね。子供がいるしね。
我ながら偏見っぽい自覚はあります。ただ、御本人の「女性観」まで合わせて観察できるのは稀なので、そこまで含めて発言しています。
浅羽さんは橋本治傘下でものすごい女性蔑視でしたよ。
だから今は接点有りません。富沢雅彦さんを紹介してくれたことには深く感謝しています。
>
> ともあれ『アリス』と『涼宮ハルヒの消失』は激オススメですよ。(ただし『消失』はバリバリのオハナシもので、TV版ハルヒを観ていることが前提です)
>
アリスは「大きいお友達向け」。会田誠の感受性に近い。男だったら気に入っていたかもしれないけれど私は多分「女のロリコン」なので受け付けないですね。
谷川流という人は非常に宗教的な美しい顔で興味をもちました。「楽しみたいし、楽しませたい」とはすばらしいと思います。いつか御本人を鑑賞に行くかもしれません。よさそうな人です。
> 話戻すと
> リボンを付けた女子高生のアニメを還暦近い男が見たらおかしい? 逆に「見まい」と敬遠したり自粛したりしたらその方が気持ち悪いですよね。
「リボンを付けた女子高生のアニメ」とは何なのか。
そこを定義しないと「気持ち悪くない」とは言い切れないですね。
> ただ、
> バナナマン設楽統も、「ハルヒはすげー面白いけどあれ見てたら変だと思われるかも」的なことを語ってましたねえ。(設楽のその言には注28で間接的に言及しときました)
すみません。バナナマンを知らないのでお答えのしようがありません。
ただ、偏差値的に広い範囲の人が愛読しているとしたら何らかの聖典ではあるのでしょう。
私は『バトルロワイアル』を評価していますがそれも同じ理由です。
お付き合いありがとうございました。それでは。
Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 1月21日(日)03時40分12秒 返信・引用
> No.4873[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 無限÷無限といえども、二つの事象が相関している場合は当然、有限の値を決められるはずですよね。
> マルチバース全体でサイコロが投げられる回数のうち6が出る回数はともに無限であるにしても、
> 6が出る確率は1/6以外ではありえないでしょうし。
> マルチバースにおいてファインチューニングが実現する確率だって、理論的には定まらないどころか、必ず有限値として定まると思うのですが。
>
> ただ、油断はできません。
> 2封筒問題にしても、未開封バージョンは
> 対称性の原理により交換の期待値は非交換の期待値と同じに決まっているのに、
> 「ともに期待値無限大だから大小は求められない」と本気で主張する人々がいるようですから。
> この掲示板でもかつて、数学専攻と思しき人々がその「無限大ゆえ何でもあり」論を唱えていました。
>
> ともあれ、科学界の進展を見守りましょう。
ご返事ありがとうございます。
自然数と偶数が1:1対応できる(同じ濃度である)ということで、
自然数の個数と偶数の個数が同じと数学上はなるとは思いますが、
実利上?は、0を除く自然数の個数は非負の偶数の2倍かなと感じてしまいます…
また、
上記の無限÷無限が発生してしまう「禁止されていないことはすべて無限回起こる」パターンの
永久インフレーションマルチバースは、
様相実在論の可能世界と類似性があるように感じています。(様相実在論もあらゆる事象が起こってしまうため…)
反事実条件法について、論理学の方向からある事象について、「傾向性」や「法則性」などを引き出せると思いますが、
ルイスの様相実在論は「可能世界」が物理的に存在すると説き、説得力が高いと思いますし、
論理学方面から「なぜ、このようにこの世界はあるのか」にもマルチバースと同じような構成で答えることができると思っています。
φさんとしては、様相実在論そのものは偽と想定されていると思っていますし、
「様相実在論の可能世界」とマルチバースは同じものではないとお考えだとも思っています。
ただ、「法則に矛盾することは起こらない」的なユルい規範マルチバースであれば、
「あらゆる事象が絶対起きる」ことを回避しつつ、「様相実在論の可能世界」の代替えとして、
実在がどういうあり方をしているかに答えるための用途としては、使えると考えてよいのでしょうか?
(答えは「多数の世界/宇宙があるから」となると思いますが)
使えるのであれば、少なくともこの用途においては、
論理学上の「可能世界」が物理学上の「マルチバース」で代替えできるため、興味深いです。
Re: 虚構世界の地理 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月21日(日)02時02分47秒 返信・引用
> No.4893[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
>
> すみません。「エンドレスエイト」を知らないので。
> ただ、浅羽通明さんとは面識が若干あるので、また彼の『富沢雅彦の生涯』という稿はものすごく重要だと思っているので、50代の独身の男の人が女子高生のアニメーションをを語ってしまう現象は何かな、とは考えていますね。
>
浅羽さんの本は大いに役立ったので、四か所くらいで言及しました。
我が意を得たりという部分と、それは違うのでは、という部分。賛否両方ありました。
献本しようと思いましたが宛先がわからないので、春秋社に献本お願いしてあります。
50代の独身の男の人が女子高生のアニメーションを…… が「?」ということ自体が「?」ですが、
あのオタキング岡田斗司夫ですら「五十過ぎのオッサンがハルヒ観ますか?」と偏見吐露してる動画があり、私は驚きました。(その動画にも二か所で言及しました)
岡田は『消失』を観ていないそうで、ちょっと心配になりました。まどマギや君の名はを見てる時間があったら消失を優先しなきゃダメでしょうね。
エンドレスエイトに凝りて消失を見てない人は多いようですが、大損失です……
ともあれ『アリス』と『涼宮ハルヒの消失』は激オススメですよ。(ただし『消失』はバリバリのオハナシもので、TV版ハルヒを観ていることが前提です)
話戻すと
リボンを付けた女子高生のアニメを還暦近い男が見たらおかしい? 逆に「見まい」と敬遠したり自粛したりしたらその方が気持ち悪いですよね。
ただ、
バナナマン設楽統も、「ハルヒはすげー面白いけどあれ見てたら変だと思われるかも」的なことを語ってましたねえ。(設楽のその言には注28で間接的に言及しときました)
ウゴウゴルーガ 投稿者:国語 投稿日:2018年 1月20日(土)18時34分5秒 返信・引用
ごめんなさい。
パオパオチャンネルと思いっきり勘違いしていました。
ウゴウゴルーガはもう見ていないですね多分。見てわかったかももはやわからない。
お詫びして訂正いたします。
アリス 投稿者:国語 投稿日:2018年 1月20日(土)07時15分0秒 返信・引用
予告編だけ見ました。
これは「大きいお友達」向けですね。
私はビスクドールがかなり好きなのでこの露骨な使われ方は軽くショックですね。
同じ少女の扱いでも大好きなピーターグリーナウェイ『数に溺れて』とかのほうが断然子供向き。
このような作品が存在する、と知れたのは意義深いことでした。ありがとうございました。
Re: 虚構世界の地理 投稿者:国語 投稿日:2018年 1月20日(土)06時42分7秒 返信・引用
> No.4891[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 国語さんへのお返事です。
>
> >
> > ポプテピピック、やばいですね。
> > 子供に見せたら
> > 「おはなしがないんだね」って言ってました。
> > 「アニメーションだから」「忙しいからなんか見ててくれたら」
> > で、与えられるのが「ポプテピピック」の世代と「ニルスの不思議な旅」の世代では全く違うでしょうね。
> > 自分が幼児から「ポプテピピック」だったら正気を保つ自信がないですね。
> >
>
> ただ、あれはあまり新しくないんですね。
> 四半世紀前の「ウゴウゴルーガ」と似たノリでしょうか。
「ウゴウゴルーガ」とは根本的に違うと思いますね。
あの番組も「ぴかぴかウォッシュ」など、今にして思えば「大きいお友達向け」の要素が入り込んでいましたがね。
> だから少なくとも現三十代以下であれば、「あ、このへんね」と心中の地図に「ポプテピピック」を位置付けて終わり、だと思います。
大人はそれで済みますが、子供はどうでしょう。
> それが話題になったのは「エンドレスエイト」のせいでしょう。
> エンドレスエイトで中核の装置となったまさに「デジャブ」が感じられたせいですね。
>
> 「ポプテピピック」のとばっちりで「エンドレスエイト」が蒸し返された、のではなく、
> 「エンドレスエイト」のおかげで「ポプテピピック」が話題になった、と言うべきかもしれません。
すみません。「エンドレスエイト」を知らないので。
ただ、浅羽通明さんとは面識が若干あるので、また彼の『富沢雅彦の生涯』という稿はものすごく重要だと思っているので、50代の独身の男の人が女子高生のアニメーションをを語ってしまう現象は何かな、とは考えていますね。
>
> 「おはなしがない」映像は、テレビコマーシャルの連鎖などで子どもは慣れていますから、
> むしろ「おはなしがあるようでない」「ないようである」「おはなしをどうするつもりかわからない」系の方が子どもにはインパクトあるのではないでしょうか。
> シュワンクマイエルの『アリス』とか。
『アリス』、ルイスキャロルしか知らないですね。
洗ってみます。ありがとうございます。
「おなはしがないんだね」については興味深いものがあって、私には10年位前までかなり賢い友人がいました。
彼と私の最後に印象に残っている会話が「世の中の最先端は実は『哲学』が担っているんだ。でも、あるとき『議論』がなくなったんだよ」「なんで?」「議論の論点自体に『そんなものないですよ』という連中が出てきたからなんだ」「そんなのおかしいでしょう」「でも、現実にそうなんだ。君も哲学の勉強をすればわかるからやってみて」「う~ん」…というものでした。
私は『意志と表象としての世界』一冊しか持ってません。
これでいいや、と思って他は見る気もしないんですけど、どうなっていたんでしょう。
「虚構世界」が何なのかもわからないで書いていますが、私の感じでは「おはなしのせかいから柱がなくなってきている。そしてそれは現実を喰いつくす」ような気がして、何とかして「そーっと新しい柱に取り換えて回れないかな」と考えています。
ちょっとわけがわからなかったらごめんなさい。お付き合いありがとうございました。
Re: 虚構世界の地理 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月20日(土)00時57分25秒 返信・引用
> No.4890[元記事へ]
BTXさんへのお返事です。
>
> せっかくなので新刊にリンク貼っときました。
> http://dic.nicovideo.jp/a/エンドレスエイトhttp://dic.nicovideo.jp/a/エンドレスエイト
>
>
リンク付けありがとうございます!
あの瞬間風速は、ちょうど『エンドレスエイトの驚愕』の書影がネット書店に出た日と同じだったので、拙著が少しは貢献したかと思いきや、それはなさそうですね。
〈発売:2018年1月23日 あと3日〉となってますが、実際はすでに昨日あたりから流通しているようです。
「エンドレスエイト」については、なぜかありきたりなことしか語られなかったのが不思議。
肝心の「なぜ15498→15532か」や「長門事情の真相(「消失」との関係)」など、論じられるべきことはごまんとあったのに……
とりあえず義務を果たした安堵感を感じてます。
http://green.ap.teacup.com/miurat/5302.html
Re: 虚構世界の地理 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月20日(土)00時38分30秒 返信・引用
> No.4889[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
>
> ポプテピピック、やばいですね。
> 子供に見せたら
> 「おはなしがないんだね」って言ってました。
> 「アニメーションだから」「忙しいからなんか見ててくれたら」
> で、与えられるのが「ポプテピピック」の世代と「ニルスの不思議な旅」の世代では全く違うでしょうね。
> 自分が幼児から「ポプテピピック」だったら正気を保つ自信がないですね。
>
ただ、あれはあまり新しくないんですね。
四半世紀前の「ウゴウゴルーガ」と似たノリでしょうか。
だから少なくとも現三十代以下であれば、「あ、このへんね」と心中の地図に「ポプテピピック」を位置付けて終わり、だと思います。
それが話題になったのは「エンドレスエイト」のせいでしょう。
エンドレスエイトで中核の装置となったまさに「デジャブ」が感じられたせいですね。
「ポプテピピック」のとばっちりで「エンドレスエイト」が蒸し返された、のではなく、
「エンドレスエイト」のおかげで「ポプテピピック」が話題になった、と言うべきかもしれません。
「おはなしがない」映像は、テレビコマーシャルの連鎖などで子どもは慣れていますから、
むしろ「おはなしがあるようでない」「ないようである」「おはなしをどうするつもりかわからない」系の方が子どもにはインパクトあるのではないでしょうか。
シュワンクマイエルの『アリス』とか。
Re: 虚構世界の地理 投稿者:BTX 投稿日:2018年 1月19日(金)20時55分28秒 返信・引用
> No.4888[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 今になってこういう現象が起きているようです↓ あくまで瞬間風速ですが。
> https://www.trendsmap.com/twitter/tweet/953117995718463488
ほとんど同じ内容の15分アニメ2連続を30分枠で流したので、
ニコニコ大百科で検索されたということですね。
せっかくなので新刊にリンク貼っときました。
http://dic.nicovideo.jp/a/エンドレスエイト
Re: 虚構世界の地理 投稿者:国語 投稿日:2018年 1月19日(金)18時23分46秒 返信・引用
> No.4888[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> φさんへのお返事です。
>
> どうでもいいことかもしれませんが、
> 今になってこういう現象が起きているようです↓ あくまで瞬間風速ですが。
> https://www.trendsmap.com/twitter/tweet/953117995718463488
ポプテピピック、やばいですね。
子供に見せたら
「おはなしがないんだね」って言ってました。
「アニメーションだから」「忙しいからなんか見ててくれたら」
で、与えられるのが「ポプテピピック」の世代と「ニルスの不思議な旅」の世代では全く違うでしょうね。
自分が幼児から「ポプテピピック」だったら正気を保つ自信がないですね。
さて、どうなりますかね。
Re: 虚構世界の地理 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月17日(水)13時25分1秒 返信・引用
> No.4887[元記事へ]
φさんへのお返事です。
どうでもいいことかもしれませんが、
今になってこういう現象が起きているようです↓ あくまで瞬間風速ですが。
https://www.trendsmap.com/twitter/tweet/953117995718463488
Re: 虚構世界の地理 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月16日(火)23時54分27秒 返信・引用
> No.4884[元記事へ]
BTXさんへのお返事です。
>
> こちらでしょうか。
> http://tarosoku.com/?p=46805
> (院入試っぽくないので違うような気もしますが。)
>
> 新刊楽しみにしています。
>
その問題文は、誰の何という本からの引用でしょうかね。
このたび『エンドレスエイトの驚愕 ハルヒ@人間原理を考える』を書くにあたって、ハルヒを論じた資料はいろいろあたったつもりですが、この文章には見覚えがありませんね……
「エンドレスエイト」の試みを肯定的に捉える著者のようですね。
私はといえば、あの試みは…… まあ拙著をご覧いただければ幸いですが。
ムーミンに関しては、あの作題はミスでしょう。
どうしてああいう不注意な出題をしたのかな……と疑問ですね。
アニメをはじめフィクションに不慣れな出題者の作問のキズを、チェッカーが見落としましたね。
まあ、出題の意図はわかるので、受験生に実質的な不利益や不公平があったとは思えませんが。
Re: 虚構世界の地理 投稿者:国語 投稿日:2018年 1月16日(火)08時00分7秒 返信・引用
> No.4885[元記事へ]
BTXさんへのお返事です。
お返事ありがとうございます。
>
> 安房直子さんの童話(「まほうをかけられた舌」など)は、子供の頃に読んで、大人になった今もずっと好きです。彼女の物語ではファンタジーの世界に突如迷い込んだ後、現実世界に帰ってくると魔法の力は消えて、二度と行けなくなってしまう。その代わりになにかしらの「生き方」を学んだ主人公は自分の力で人生を歩んでいく。そういう型の童話がたくさんあります。
そうですね。
ちょっとマニアックな話になりますが
『かいじゅうたちのいるところ』と『めっきらもっきらどおんどおん』
という2冊の絵本を比較して東西の感受性の差異を考えたことがあります。
「かいじゅうたち」は植民地の土人ですが「めっきらもっきら」の妖怪は「ともだち」です。
絵本の世界でさえ批判するにはカウンターを出して身を投じていくしかないということかもしれませんね。
安房直子さんが宿している世界観もきっと誰かが継承していると信じるしかないですね。
お付き合いいただいてありがとうございました。
Re: 虚構世界の地理 投稿者:BTX 投稿日:2018年 1月15日(月)23時35分52秒 返信・引用
> No.4880[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
出題意図は、言語が似ていることを取り上げていることからも、地理の知識として混同しやすい三ヶ国の違いを理解しているかを問いたかったのでしょうか。
ムーミンの遊園地まであるんですか。知りませんでした。ムーミンもビッケも、土地柄からか非常に独特な雰囲気を持っていて、海を越えて世界に翻訳されるコンテンツ力があるのかもしれませんね。
>ほかに何か古いもので「子供時代の支えになったなあ」と思い返されるような良いものがありましたら御教示ください。もうすぐ何も手に入らなくなりますので。
安房直子さんの童話(「まほうをかけられた舌」など)は、子供の頃に読んで、大人になった今もずっと好きです。彼女の物語ではファンタジーの世界に突如迷い込んだ後、現実世界に帰ってくると魔法の力は消えて、二度と行けなくなってしまう。その代わりになにかしらの「生き方」を学んだ主人公は自分の力で人生を歩んでいく。そういう型の童話がたくさんあります。
Re: 虚構世界の地理 投稿者:BTX 投稿日:2018年 1月15日(月)23時14分18秒 返信・引用
φさんへのお返事です。
> この問題、適切でしょうかね?
> いや、テーマゆえでなく、正答の決め方として。
> 原作者がフィンランド人ということから、舞台がフィンランドであるということは必ずしも導き出せないと思うので笑
はい。そうなんですよ。
ムーミンの舞台のムーミン谷は架空の谷なのでどこか分かりませんし、ビッケの舞台のフレーケという町も架空の町で1話で「スカンジナビアの港らへんの町」のようなぼかした表現がなされています。
「フィンランド/ノルウェーが舞台の物語はどちらか?」ではなく「フィンランド/ノルウェーの物語」「フィンランド/ノルウェー語の物語」とすればよいと思ったのですが、原作は両方スウェーデン語で書かれていて、ムーミンの原作者はスウェーデン系フィンランド人、ビッケの原作者はスウェーデン人。うまく問題が作れないので「舞台」として、「バイキング」からノルウェーを連想させたかったのでしょう。でも舞台であるかどうかはアニメを見てその内容で確たる証拠を見つけるしかありません。
今日になって、いろいろニュースで取り上げられてて、近々解答の根拠を問う意見書とかも出されるらしいです。
https://www.google.co.jp/search?q=ムーミン&tbm=nws
> まあ、アニメやマンガからは今後どんどん出題されるようになるでしょう。
> 私も「エンドレスエイト」を入試に出題したことがありますが(ただし大学院入試)、
こちらでしょうか。
http://tarosoku.com/?p=46805
(院入試っぽくないので違うような気もしますが。)
新刊楽しみにしています。
Re: 虚構世界の地理 投稿者:国語 投稿日:2018年 1月15日(月)16時13分53秒 返信・引用
常識人さんへのお返事です。
はじみまして。
> 国語さんへのお返事です。
9分9厘人違いじゃないかな、と思うのですが(はじめに書きこんだ方へ、だったらごめんなさい)、一応お返事させていただきます。
> センター試験ではムーミンの舞台はフィンランドであるとしたいようですが無理があるのではありませんか?
> フィンランドは原作者の故郷かつ国籍にすぎません。
> 原作にもアニメにもムーミンの舞台は「ムーミン谷」であってフィンランドであるとは一言もなかったように思います。
> そんな現実的な生々しい記載があったらそれこそムーミンの物語が台無しになってしまうような気もします。
> ですので、センター試験の問題そのものが誤りではないかと思います。
そうですか。そのような見方もあるかもしれませんね。
>
> 話は全く変わりますが、大阪大学の物理の入試問題についてネットではだいぶ揉めていますが、こちらは論理学上の議論ができそうです。(阪大の主張は論理的か否か)
> 私は、問4と問5の整合性を考えれば阪大の主張が一応成り立つように思います。
> (かなり無理がある主張であり、受験問題としては失格だとは思いますが)
そうなんですか。
申し訳ありませんが、物理はさっぱりわからないので全くお答えのしようがありません。こめんなさい。
お返事、ありがとうございました。人違いだったら、加えてごめんなさい。
Re: 虚構世界の地理 投稿者:常識人 投稿日:2018年 1月15日(月)11時43分46秒 返信・引用
> No.4880[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
センター試験ではムーミンの舞台はフィンランドであるとしたいようですが無理があるのではありませんか?
フィンランドは原作者の故郷かつ国籍にすぎません。
原作にもアニメにもムーミンの舞台は「ムーミン谷」であってフィンランドであるとは一言もなかったように思います。
そんな現実的な生々しい記載があったらそれこそムーミンの物語が台無しになってしまうような気もします。
ですので、センター試験の問題そのものが誤りではないかと思います。
話は全く変わりますが、大阪大学の物理の入試問題についてネットではだいぶ揉めていますが、こちらは論理学上の議論ができそうです。(阪大の主張は論理的か否か)
私は、問4と問5の整合性を考えれば阪大の主張が一応成り立つように思います。
(かなり無理がある主張であり、受験問題としては失格だとは思いますが)
メディアの見方 投稿者:国語 投稿日:2018年 1月15日(月)10時15分28秒 返信・引用
ちなみに、「小さなバイキングビッケ」「一休さん」「未来少年コナン」などを見せた私が一切見せなかったのは「ドラえもん」です。
理由は①ヨーロッパ圏では「依頼心の強い子供を作る」として見向きもされないと小耳に挟んだこと。②西鉄バスジャック事件の犯人の少年がこの漫画をガラスケースに大切に並べ「背表紙が日焼けするとその巻だけ買い直して並べていた」と雑誌で読んだため。
子供に与えるメディアを選別せよ、とは柳田国男が書き残しています。
みなさん賢く子育てされているかと思いますが老婆心ながら書き遺します。
できれば、『アンドロメダストーリーズ』というアニメを見せておくと、これから起きることの見通しがつくと思います。
ほかに何か古いもので「子供時代の支えになったなあ」と思い返されるような良いものがありましたら御教示ください。もうすぐ何も手に入らなくなりますので。
Re: 虚構世界の地理 投稿者:国語 投稿日:2018年 1月15日(月)08時16分0秒 返信・引用
> No.4878[元記事へ]
BTXさんへのお返事です。
はじめまして。
とっても面白い質問だな、と思ったので、私の感想を書きます。
> 1/13の大学入試センター試験で、「ムーミン」「小さなバイキングビッケ」の舞台がどこなのかを問う問題が地理Bで出題されて、話題になっています。
> https://resemom.jp/article/2018/01/13/42247.html
…これは全くの個人的な印象です。
出題者は現在氾濫しているアニメーションは「話にならない」と感じていて、たとえ非難にさらされようとも若い世代の人が
「ムーミン」って何かな?「小さなバイキングビッケ」ってどんな話だよ?
と、調べてくれることを願ったのではないか、というものです。
私はフィンランドに行ったことがありますが、「ムーミン」のテーマパークのようなところがあって「スナフキン」と写真を撮ったりしました。
「ムーミン」による文化の鎖国に成功している、と感じました。
日本では例えば松山城で「坊ちゃんとマドンナ」を見かけたりしました。が、手塚治虫ランドとか有りませんし、ジブリもちょっと違う。
つまり、コンテンツ力が弱いのではないかと思います。
また、「小さなバイキングビッケ」は、私はVHSで何とか数本入手して子供に繰り返し見せました。
ある時期から日本のアニメーションには「子供の成長」に必要な成分が全くなくなったと見ていたからです。
ビッケは子供の姿をしていますが村中の誰よりも知恵があって旅の詐欺師「ノーグッドさん」のいかさまをたったひとり見破って村人の財産を取り返し、笑顔で詐欺師を送りだします。争わずに勝っているのです。
>
> 日本史や世界史も「歴史」という学問であると考えると、
> 虚構世界の中の地理も、日本地理・世界地理の延長にある虚構地理という地理の一種で
> 舞台がどこであるかが問われるということでしょうか。
「虚構世界」はよくわかりません。多分物理の話かと思います。
私は物理は高校時代3点であきらめたので。
でも、心理学に興味があって本を読んでいくと、最終的には仏教の世界観など宗教の根源と先端物理学がつながっていく…というような話でした。
一つの真理があるかはわかりませんが、各々が自分の地図をつくる努力を続けて、たまに運よく話の出来そうな人に出くわしたらヒントをもらって交感していけば最終的には目指すところに行けるのではないかと思います。
うまくいえませんが、『マトリックス』という映画のイメージが私の考えに近くて(『未来世紀ブラジル』とかもかなりいいのですが)、無数に点はあるので、一つのものを他人と一緒に見ていると思うとその瞬間誤ってしまうような気がしています。
ちょっと、わけがわからなかったらごめんなさい。
面白い書き込みをしてくださって、ありがとうございました。
Re: 虚構世界の地理 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月13日(土)21時53分38秒 返信・引用
> No.4878[元記事へ]
BTXさんへのお返事です。
>
> 日本史や世界史も「歴史」という学問であると考えると、
> 虚構世界の中の地理も、日本地理・世界地理の延長にある虚構地理という地理の一種で
> 舞台がどこであるかが問われるということでしょうか。
この問題、適切でしょうかね?
いや、テーマゆえでなく、正答の決め方として。
原作者がフィンランド人ということから、舞台がフィンランドであるということは必ずしも導き出せないと思うので笑
まあ、アニメやマンガからは今後どんどん出題されるようになるでしょう。
私も「エンドレスエイト」を入試に出題したことがありますが(ただし大学院入試)、
マンガ、アニメだけでなく、アイドルやお笑いからも出題されるようになるとよいと思います。
中学生や高校生に、自分がふだん接しているポップカルチャーが学問の対象に十分なりうるという自覚を早くから持ってもらうのは大変よいことなので。
虚構世界の地理 投稿者:BTX 投稿日:2018年 1月13日(土)18時33分43秒 返信・引用
1/13の大学入試センター試験で、「ムーミン」「小さなバイキングビッケ」の舞台がどこなのかを問う問題が地理Bで出題されて、話題になっています。
https://resemom.jp/article/2018/01/13/42247.html
日本史や世界史も「歴史」という学問であると考えると、
虚構世界の中の地理も、日本地理・世界地理の延長にある虚構地理という地理の一種で
舞台がどこであるかが問われるということでしょうか。
Re: 論理パラドクスの問51 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月12日(金)02時33分35秒 返信・引用
> No.4876[元記事へ]
くまきちさんへのお返事です。
>
> この問の定義(1)では矛盾しているということが本質的なのかと思います。1つのものが複数の性質を持つのは当然であり、矛盾しない性質を満たすものが同時に同じ空間を占めることは普通の話なので、例として相応しくないのでは?と思いました。
>
矛盾していることが本質的である二つのものの共存のありかたは、
矛盾しない二つのものの共存のありかたと、基本的に同じであり、難しくない、ということです。
>
> 矛盾するとは、同時にその性質を満たすことが出来ないということでは無いのでしょうか。矛盾の定義次第ということですかね?
>
「同時に一つのものがその性質を満たすことが出来ない」ですね。
毛が1000本のネコと、毛が999本のネコは、別のネコです。同じ空間に共存はしていますが。
>
> 毛には猫から生えているという暗黙の条件が必要だと思いました。そうすると、すべての毛とセットにしたネコだけが存在する、ということになると思います。
>
ネコにとっては、実際に生えているすべての毛を生やしていることが必要ではありませんね。
ある瞬間に、一本の毛からネコの付属物という資格を剥奪しても、そのネコは依然としてネコであり続けますね。ただ、属性がもとの姿とは矛盾するので、その毛を付属物として持つネコとは別のネコですが。
Re: 論理パラドクスの問51 投稿者:くまきち 投稿日:2018年 1月11日(木)22時08分21秒 返信・引用
φさんへのお返事です。
回答ありがとうございます!
少しだけ気になった部分があったので、返信させて頂きました。
>互いに矛盾しないものが同じ空間にあるという〈よりわかりやすい事例〉で説明したつもりでした。
この問の定義(1)では矛盾しているということが本質的なのかと思います。1つのものが複数の性質を持つのは当然であり、矛盾しない性質を満たすものが同時に同じ空間を占めることは普通の話なので、例として相応しくないのでは?と思いました。
>「山田家に飼われていることを本質とする」「山田家に飼われていることを本質としない」という矛盾があるとは言えるのですが
矛盾するとは、同時にその性質を満たすことが出来ないということでは無いのでしょうか。矛盾の定義次第ということですかね?
>すべての毛とセットにしたネコだけが存在する、ということでしょうか。
毛には猫から生えているという暗黙の条件が必要だと思いました。そうすると、すべての毛とセットにしたネコだけが存在する、ということになると思います。
引き続き楽しく読ませて頂きます!
Re: 論理パラドクスの問51 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月11日(木)00時16分16秒 返信・引用
> No.4874[元記事へ]
くまきちさんへのお返事です。
>
> 答えで、"山田家の飼猫"と"ネズミの天敵"を(1)の例として挙げていますが、これらは矛盾した性質を持つとは言えないのではないでしょうか?
>
あるネコと、そこから一本の毛を除いたものとが、同じ空間を占めている、
という現象を説明するのに、それと類比的な例を出したわけです。
互いに矛盾したものが同じ空間にあるという事例を、
互いに矛盾しないものが同じ空間にあるという〈よりわかりやすい事例〉で説明したつもりでした。
ただ、
「山田家の飼猫」と「ネズミの天敵」という二つは、【普通の意味で】矛盾してはいないものの、
「山田家に飼われていることを本質とする」「山田家に飼われていることを本質としない」という矛盾があるとは言えるのですが、まあ普通はそこまで突っ込む人はいないので、一応わかりやすい「互いに矛盾しない別のものが同一空間に併存する例」として出しました。
同一空間での並存のありかたは、あるネコと、そこから一本の毛を除いたもの の場合も、全く同じということです。(互いに普通の意味で矛盾していようがいまいが、「別個のものが同一空間にある」という意味で)
>
> また、1001匹の猫も(1)の定義にある"同時に存在する"は満たさず、同時に存在するのは、あくまでもその中の一匹に過ぎないのでないでしょうか?
>
すべての毛とセットにしたネコだけが存在する、ということでしょうか。
でも、そのうちの何本かの毛は当のネコとは別個、と決めることもできますよね。
そのように決めると、すべての毛を備えたネコとは毛の数が異なり、その異なる毛以外の部分について同じ空間を占めることになります。
ただ、解答では、理由もないのに毛を仮想的にネコから分離することには実際的利点がない、としてあります。
利点がいないので、存在物とは認められない、と。
結論的に、くまきちさんの言われることと一致していると言えますね?
論理パラドクスの問51 投稿者:くまきち 投稿日:2018年 1月10日(水)21時13分7秒 返信・引用
答えで、"山田家の飼猫"と"ネズミの天敵"を(1)の例として挙げていますが、これらは矛盾した性質を持つとは言えないのではないでしょうか?
また、1001匹の猫も(1)の定義にある"同時に存在する"は満たさず、同時に存在するのは、あくまでもその中の一匹に過ぎないのでないでしょうか?
Re: 二封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月10日(水)02時41分44秒 返信・引用
> No.4872[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> なんとなくですが、「法則に矛盾しないことは実際にすべて起こる」ということを想定してるように読めます。
>
まあ、ひいきの理論によって不都合が起こりうる場合があればすべて前提したうえで当の理論を試練にさらす、
というのが科学的に健全な態度でしょうから、
「理論で許されることはすべて起こる」と想定する規範は理解できますね。
ただ、それは良心的な姿勢ではあっても、それゆえに前へ進めなくなってしまってはいけませんね。
物理学者の健闘を期待したいところです。
>
> この「無限÷無限」はテグマークさんも「数学的な宇宙」の11章で、永久インフレーションは、それがあるので破綻しているというような書き方をされており、
>
無限÷無限といえども、二つの事象が相関している場合は当然、有限の値を決められるはずですよね。
マルチバース全体でサイコロが投げられる回数のうち6が出る回数はともに無限であるにしても、
6が出る確率は1/6以外ではありえないでしょうし。
マルチバースにおいてファインチューニングが実現する確率だって、理論的には定まらないどころか、必ず有限値として定まると思うのですが。
ただ、油断はできません。
2封筒問題にしても、未開封バージョンは
対称性の原理により交換の期待値は非交換の期待値と同じに決まっているのに、
「ともに期待値無限大だから大小は求められない」と本気で主張する人々がいるようですから。
この掲示板でもかつて、数学専攻と思しき人々がその「無限大ゆえ何でもあり」論を唱えていました。
ともあれ、科学界の進展を見守りましょう。
Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 1月 9日(火)09時03分59秒 返信・引用
> No.4861[元記事へ]
φさんへのお返事です。
ご返事ありがとうございます。
> 「永久インフレーションでは、すべての事象が無限回起こってしまうため、計算が出来ない」
> といった宇宙物理学者の真意も気になるところですね。
> 理論物理学では、
> 「法則に矛盾しないことは実際にすべて起こる」と想定するキツい規範があるのかどうか。
> 「法則に矛盾することは起こらない」という想定だけでOK、とするユルい規範ではうまく計算できないんでしょうかね。
先の野村さんについて、日経サイエンス2017/9のインタビュー記事を読みますと、
文字面としては、
無限個の宇宙が存在すると、「どんなことでも」無限回起きる。何かが起こる確率はすべて「無限回÷無限回」となり、
計算できないとあります。
また、同じく野村さんの書籍「マルチバース宇宙論入門」のp.142-143あたりに、その想定例が列挙されているのですが、
「様々な宇宙が宇宙が作りだされ、この宇宙とちょっと違うものも含まれる」という趣旨の後、
同一人物の身長が少し違う、人間の性質が少し違うのような比較的穏当な表現が並んでいます。(どらえもん地球のような表現は無いように感じます)
なんとなくですが、「法則に矛盾しないことは実際にすべて起こる」ということを想定してるように読めます。
緩い規範であれば「無限回÷無限回」もユルく考えられそうな気もしますが、そういうことはなさそうなので…
その後の論旨としては、「無限回÷無限回」を回避したいから、永久インフレーションは、見える範囲(ライトコーンの内側)より外で起こっているものは、
事象の地平面より外で起こっていることで、我々からは存在しないと同義である。よって、永久インフレーションによる
「無限回÷無限回」は発生しない。
ただ、マルチバースは必要なので、それは量子力学的な「確率空間」に広がっている。
ミクロの多世界は、マクロの宇宙単位でも発生していて、見える範囲以上の宇宙は、「確率空間」に多世界として広がっているという理論のようです。
※私の読んだ認識では。
ヒルベルト空間に行ってしまえば、無限であっても「確率」の元、計算可能という流れになってるように思えます。
この「無限÷無限」はテグマークさんも「数学的な宇宙」の11章で、永久インフレーションは、それがあるので破綻しているというような書き方をされており、
また、野村さんとも少し違い、この問題(「測度問題」と表現されていますが)は、エバレット解釈多宇宙でも発生しえてしまうので、
最終的な解決とならないと述べられているように思えます。
テグマークさんの場合は「無限」「連続体」という存在はあくまでもリアルワールドの近似にすぎない便利な「ツール」なので、
上記の問題が起こっているというところまで行っているので、より根が深いように思えました。
無限に依拠しているため、「量子自殺」の実効性にも自ら疑問を呈されているようです…
論理学方面や論理パズル方面からは、この辺りは、先にφさんにご指摘してもらったように、
「法則に矛盾することは起こらない」ぐらいの想定の下、
「多数の可能世界かマルチバースが存在する」ぐらいの記述で十分に使えるなぁ、と感じました。
また、
それぞれの世界が生じる可能性(確率)は、物理学者のように厳密に悩まなくても、
「表が30%、裏が70%で出るコインがあります」
と用意するだけで、
多数の世界のうち、「30%と70%の世界は」と気楽に言えてしまうので、ありがたいなぁと思いつつ、
先端物理の多世界の着地点も追える範囲で見ていきたいと思っております。(論理学のほうに逆反映される可能性もありますし…)
> それと同時に、「数学的に定式化できる法則というものは実は存在せず、自然の強固な傾向に対する近似的記述ができるだけ」という可能性もありますね。
> ただしその場合、
> 「法則に矛盾することは起こらない」と想定する理由すら失われるわけですが。
人間の感覚器官や認識器官(目や耳、脳など)、言語獲得による分類能力などを通さない、実世界は、すべてが1度限りの事象が積み重なるだけの、
諸行無常の世界が広がっているとも思っていますが、
近似的記述ができるレベルで自然に傾向があるのもまた、事実なので、面白いと感じます。
何の傾向性もない、真の諸行無常の世界があるだけであれば(もちろん、観測する人間も発生しえない世界と思いますが)、そういうものかとも思えますが…
Re: 2封筒問題 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月 8日(月)04時13分6秒 返信・引用
> No.4870[元記事へ]
kotobさんへのお返事です。
>
> 何故、開封1万円の例で反論されるのか疑問です。そういった常識的な金額を特定すれば、交換期待値1.25となることには私は反論したことがありません。(ただ、今後反論の余地が出てくる可能性は感じていますが)
>
「常識的な金額」と「非常識な金額」はどうやって見分けるのでしょうか。定義は?
いかなる金額が見られても、その二倍は確率1/2で生じうる、というだけのことですが。
具体的に、いくらが目撃されたら、「この二倍はありそうにない」と考えるのが合理的になるのでしょうか。
また、「この半分はありそうにない」と考えるのが合理的である金額とは、いくらでしょうか。
(心理学や経済学ではなく数学の問題なので、前述のように、実数値、あるいは少なくとも有理数値をとる貴金属塊を考えてください)
>
> 何故自明なのでしょう。人間の入れられる金額に上限があるのは自然で、そうであれば
> ∀x(…) とは言えないのでは、という疑問なのですが。
>
人間観や金銭観は相対的ですから、問題解決には役立たないでしょう。
>
> > 開封したら1万円でした。
> > それが上限である確率と下限である確率は等しい(と考える以外ない)ので、
>
> そのケースで下限である確率は私の主張では0です。
>
どうしてでしょうか。
もちろん上限・下限はありえないというのは正しいのですが、
kotobさんは上限・下限ありで考えたいのですよね。
ならば、五千円は胴元にとってありえない金額(ゲーム成立には小さすぎる金額)と感じられた場合を考えるべきでしょう。そういう胴元だっていることでしょうから、確率ゼロとは到底言えません。
>
> >∃y(∀xFxy)
> >∀x(∃yFxy)
>
> 上記の読みと意味については理解しています。けれども、
> yは「交換する」という戦略に決定しているのですから
>
これはすでに何度も出てきた論点ですが、
単に「交換する」という戦略は、全交換戦略のことです。
yが全交換では、交換の期待値増はゼロです。
金額ごとに、「この金額を交換する」という戦略を考えてください。
他の金額を交換するのは、別の戦略となります。
よって、∃y(∀xFxy)は成り立たないが∀x(∃yFxy)は成り立つことになります。
実践的に、
金額を一つに決めてそれだけを交換するという戦略を使えるのが開封時、その戦略を使えないのが未開封時。
↑ 知識によるこの差が、「開封交換で得、未開封交換で得無し」という差を生ずるのです。
Re: 2封筒問題 投稿者:kotob 投稿日:2018年 1月 8日(月)01時34分29秒 返信・引用
> No.4869[元記事へ]
φさんへのお返事です。
例えばφさんのpdfファイルに
http://green.ap.teacup.com/miurat/html/20171011.
> 事象を(1万、2万)or(1万、5千)でなく、(高額、低額)or(低額、高額)
> とすべきではないか。全開封金額を通じた(高額、低額)の確率の期待値は、1/2 である。
とあります。私の言っているのは、そこで ∀x(…) と言えるのか、という疑問です。
何故、開封1万円の例で反論されるのか疑問です。そういった常識的な金額を特定すれば、交換期待値1.25となることには私は反論したことがありません。(ただ、今後反論の余地が出てくる可能性は感じていますが)
また
> (そんなものは決めようがないのは自明ではありますが、一応形式的に決めるとしましょう)
何故自明なのでしょう。人間の入れられる金額に上限があるのは自然で、そうであれば
∀x(…) とは言えないのでは、という疑問なのですが。
> 開封したら1万円でした。
> それが上限である確率と下限である確率は等しい(と考える以外ない)ので、
そのケースで下限である確率は私の主張では0です。
話変わります。同じpdfファイルで
>∃y(∀xFxy)
>∀x(∃yFxy)
上記の読みと意味については理解しています。けれども、
yは「交換する」という戦略に決定しているのですから
∀x(Fx) Fx は xを交換すると期待値1.25
ではないのでしょうか。これを 変数 y にすることで、∃y(∀xFxy)が真とは限らない とするのは、どうも釈然としないのですが。
Re: 2封筒問題 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月 7日(日)22時39分33秒 返信・引用
> No.4868[元記事へ]
kotobさんへのお返事です。
> 上限が何処にあるかを知ることができないから x を見ても、それが1/3を超えているかどうか判断できないということでしょうか?
はい、そういうことです。
ただしそれ以前に、
「上限」を持ち出すのは、二封筒問題に取って的外れでしょう。
プレイヤーは上限など知らないわけですし、胴元は高額の方がいくらか知っているに決まっています。
求めるのはプレイヤーにとっての期待値ですから、「上限はない」のです。
開封金額に条件づけられて初めて上限が決まります。未開封の場合は、特定金額の事前確率は意味をなしません。
「上限がある」とプレイヤーが決めるとしても、上限とは、二つの封筒のうち高額の方に入っている金額、ということしかわかりません。
つまり、上限があると決めたところで、意味がないのです。
今ここにある金額はともかくとして、
胴元が実際に金額を封入する前に選択肢としてありえた上限、というものをむりやり決めるとしましょうか。(そんなものは決めようがないのは自明ではありますが、一応形式的に決めるとしましょう)
上限をAとします。下限もあるでしょうから下限をBとします。
(余計なことを考えずに済むように、重量が実数値をとる金塊としておきましょう)
開封したら1万円でした。
それが上限である確率と下限である確率は等しい(と考える以外ない)ので、
「あちらが5千円である確率1」である確率=「あちらが2万円である確率が1」である確率
上限でも下限でもない場合は
「あちらが5千円である確率1/2、2万円である確率1/2」
すべてを合わせて、交換による期待値は25%増となりますね。
つまり、上限と下限を設定したところで、開封後の交換による期待値計算は全く変わらないのです。
Re: 2封筒問題 投稿者:kotob 投稿日:2018年 1月 7日(日)20時42分45秒 返信・引用
> No.4867[元記事へ]
上限が何処にあるかを知ることができないから x を見ても、それが1/3を超えているかどうか判断できないということでしょうか?
Re: 2封筒問題 投稿者:kotob 投稿日:2018年 1月 7日(日)20時35分52秒 返信・引用
> No.4845[元記事へ]
> 「高額の方でしかあり得ない金額」は存在しませんよ。
> いかなる金額を想定しようと、必ずそれの二倍の金額が封入されている可能性があります。
> 未開封の状態では、
> ∀x(こちらの封筒を開封してx→(P(むこうの封筒内はx/2)=P(むこうの封筒内は2x))
> が成り立っています。
封筒に入れる金額に上限がある場合、開封して確かめた x によっては、高額の方でしかあり得ない金額があるのは自明でしょう。従って、金額が無限に想定できる場合でなければ、開封して目撃した x によって「高額の方でしかあり得ない金額」の場合があるということなのですが、どうやって否定できるのでしょうか?
封筒に入れられる上限を世界中に存在する日本の貨幣としても、開封して確認した金額がその1/3を超えれば、相手側に2倍が入っていることは無いでしょう。
φさんが、そこまで明言されるということは、自分が何処かで勘違いしているのか、という可能性は考えますが、それがあるとすれば、上記の何処でしょうか?
先生へ 投稿者:国語 投稿日:2018年 1月 7日(日)06時08分4秒 返信・引用
「~」というのも記号だったんですね。
私は飲料の自動販売機の「あったか~い」に使用するために開発された「ー」のちょっとちがうやつ、と、たった今まで思っていましたよ。
…という調子で掲示板の水準が下がって見ている人が勉強にならなくなるので私のことはいないものとお考え下さい(たまに見に来て世の中わからないことが多いことを確認したいので)。
ご親切にありがとうございました。それでは。
Re: トビウオさん、国語さん 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月 7日(日)05時42分44秒 返信・引用
> No.4864[元記事へ]
論理学では通常は、対偶は一義的に決まるように習いますよね。
論理学では文が形式化され、
主演算子としての「ならば」が、何と何をつないでいるかが明示されているからです。
P→Q と書いてあれば、 ~Q→~P に対応する文表現だけが「対偶」として適格となります。
日常言語は形式化されていないために、主演算子としての「ならば」をどこに読み込むかが読者の自由なわけですね。
「太郎は苛々するとコーヒーを飲む」などと書かれると、主演算子が明示されず、とりわけ「ならば」の位置が明示されていないために、同一の文を自由に形式化できることになります。
「太郎は」と他の部分を対置させるか、「イライラすると」と他の部分を対置させるか、「コーヒーを」と他の部分を対置させるか・・・「は」「すると」「を」といった単語からは決定できませんからね。
ただし、
「太郎は苛々するならば、太郎はコーヒーを飲む」というように「ならば」が明記された場合は、日常言語といえども、対偶の書き方は一義的に決まるでしょうけれど。
(無題) 投稿者:国語 投稿日:2018年 1月 6日(土)20時40分27秒 返信・引用
お返事ありがとうございます。
卑下…というか(ま、高校時代本当に数学で0点を取っているので卑下しろよ、という気はしなくもありませんが)、「あ、大人の、しかも数学勉強した方だったんだ。あらら」という感じです。
トビウオさんが腰の低い感じに書き込みをされていたので(賢い方ってそうなんだな、と反省)「もしかして冬休み中の子かな?」と思いっきり勘違いしてうかうかと僭越にも書き込んでしまったというわけです。
その後トビウオさんの発想を見て、「あ、数学できる人は思考の飛翔度が断然ちがうな」と思った次第です。
私は長患いの中二病で、もう少し頭の性能を良くしないといよいよ考えたい内容に追いつかないのです。
今回の件でやっぱり数学的な技を取り入れる(記号による整理、いいですね~)のが適当と確信が持てました。ありがとうございます。
私の周りにはほとんど文系の人ばっかりなので大変勉強になりました。本当にありがとうございます。
φ先生、私にまでお返事ありがとうございました。
それでは、お邪魔いたしました。
国語さん、φさんへ 投稿者:トビウオ 投稿日:2018年 1月 6日(土)20時13分42秒 返信・引用
私の質問に関して、丁寧な解説をして頂きありがとうございます。自分もまだまだ勉強不足だと痛感した次第であります。
『論理パラドクス・勝ち残り編 議論力を鍛える88問』を読んで勉強しようと思います。
確かに私の解答と本にもともと載っていた解答は矛盾しませんね。私の解答では「太郎であるかどうか」に焦点が置かれ、本の解答では「太郎の行動」に焦点が置かれているのですね。
もともとの文をどのように言い換えるかで、対偶をとった後の文も違ってくる。しかし、対偶をとる前の文は互いに言い換え可能(同値な命題)であるから最終的に得られた文も(本質的に)同じ内容を持つ。
といったところでしょうか。
それと、私の質問とは関係ないのですが国語さんに伝えたいことがあります。
以前の国語さんの投稿で
>す、数学を専攻!
>釈迦に説法、失礼いたしました。
とありましたが、全然そんなことないです。数学を専攻していましたが、このように普通に間違えます。(ほんとは間違ってはいけないと思うのですが)国語さんがどのような思いでこう述べたのかは計りかねますが、もしご自分のことを卑下しているのであればそれは違うと思います。
私は、少なくとも学問的な議論をするときにはどの人も対等な立場であるべきだと思っています(たとえ教授と学生であっても)。実際にはその事柄に詳しい人と議論するときは萎縮してしまいがちですが、それは良くないことだと考えます。
ですから、私と国語さんも対等な関係です。そもそもこの問題に関しては国語さんと私の知識の差はないと思います。もしかしたら国語さんの方が私より詳しいかもしれません。
長々と蛇足を書いてしまいましたが、ご容赦ください。失礼します。
Re: (無題) 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月 6日(土)20時05分49秒 返信・引用
> No.4859[元記事へ]
国語さんへのお返事です。
「暗黙の了解」をどれほど尊重すべき素は、論理学において重要な問題ですよね。
「フランス国王は禿である」のラッセル流記述理論は、暗黙の了解に依拠することはせず、純粋に「現実に成立している事態かどうか」だけを分析の対象としました。
したがって、この文は偽である、と。
対して、ストローソン流の日常言語学派的分析では、暗黙の了解に依拠するわけですね。
「フランス国王は存在する」という前提の中で語られた文なのだから、「禿である」「禿でない」どちらも否で、真でも偽でもない、と。
「暗黙の了解」などというものは個人や文脈によって異なるので、
純粋に文がミニマルに意味していることだけに依拠するのが論理学の常道でしょう。
記述理論については、その後もドネラン、クリプキらの反論や再反論が続きますが、ストローソンではなくラッセルの原型をもとにして(前提にして!)議論が展開する傾向があります。
(論者自身は「議論の単純化のため」とか言って必ずしも親ラッセル派ではないことを明示したりするが)
ラッセル流の論理観・言語観が健全である証拠だと思われます。
Re: 二封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月 6日(土)19時55分52秒 返信・引用
> No.4860[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> なるほどです。
> 先の私の書き込みにて、「すべての事象が無限回起こる」という部分は、「少なくとも1回起こった事象は無限回」というほうが適切と思います。
>
「永久インフレーションでは、すべての事象が無限回起こってしまうため、計算が出来ない」
といった宇宙物理学者の真意も気になるところですね。
理論物理学では、
「法則に矛盾しないことは実際にすべて起こる」と想定するキツい規範があるのかどうか。
「法則に矛盾することは起こらない」という想定だけでOK、とするユルい規範ではうまく計算できないんでしょうかね。
>
> 一連の流れで、「法則として可能であること」=「どこかで必然的におこること」ではないということが理解でき、
> 眩暈から脱却できそうに思います。
>
それと同時に、「数学的に定式化できる法則というものは実は存在せず、自然の強固な傾向に対する近似的記述ができるだけ」という可能性もありますね。
ただしその場合、
「法則に矛盾することは起こらない」と想定する理由すら失われるわけですが。
Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 1月 6日(土)12時36分5秒 返信・引用
> No.4852[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> ある理論の枠内で出来事Aの確率がきわめて低いというのは、その理論をもっと洗練すれば、Aの確率はゼロになりうるということでしょう。(逆に確率が上がることもありうるが)
>
> つまり、「究極の確定的な法則」などというものはおそらく存在せず、法則とか理論というのは常に近似でしかないということ。
> ゆえに、暫定的な法則のもとでは許されるようになっていても、じつは起こりえない種類の出来事というのは無限種類あるということ。
> ――です。
>
> あるいは、かりに確定的な法則があるとしても、その法則に辿り着く前の段階では、いかなる暫定的法則によっても「何が不可能か」は予測できないはずです。
> 円周率の十進法での小数展開で、数字の並びは厳密な法則に従っているはずですが、
> 「7が10個続くという出来事が起こるかどうか」は予測できません。
> (直観主義と標準論理との論争の例として挙げられるのがこれですが、「7が10個続くことが起こらないことは可能である」ということでは直観主義者もアンチもともに同意します)
> 「ランダムな並び方で無限に続く以上、どんな数列でも生ずるはずだ。したがって7が10個続くという出来事は必然的に起こる」というのは暴論でしょう。
ご返事ありがとうございます。
なるほどです。
先の私の書き込みにて、「すべての事象が無限回起こる」という部分は、「少なくとも1回起こった事象は無限回」というほうが適切と思います。
「ランダムな並び方で無限に続く以上、どんな数列でも生ずるはずだ。したがって7が10個続くという出来事は必然的に起こる」ということが
真なら、
「シェイクスピアの戯曲を数字化したものが円周率に必然的に含まれる」、
「これまでに人類が残したすべての書籍内容を数値化したものも必然的に含まれる」、
「どこかで一兆桁0が続くことも必然的にある。しかも無限回」
のような議論が真になり、何かそれ以上の想像を逆に狭めてしまう眩暈のような感覚がありました。
一連の流れで、「法則として可能であること」=「どこかで必然的におこること」ではないということが理解でき、
眩暈から脱却できそうに思います。
(無題) 投稿者:国語 投稿日:2018年 1月 6日(土)09時42分8秒 返信・引用
やっぱりそうでしたか。
私も、書き込んだ後「合ってるような気がする」と思い直して戻ったのです。
私がやった作業は「上皿天秤が用意されていたら無意識に半分にちぎって乗せてしまう」ようなことで、ようするに「これはどのような作業ができるか問うている問題か」を「忖度」し、正答の中で多数の人間が答えそうな答えを拵えただけかな?という気がしたのです。
それが、トビウオさんの書いてくださった「暗黙の了解」です。
でも、そんなものはないといえばないわけです。
ここが「日本語しかできないと負けてしまう問題」の核心のような気がします。
あとは、「太郎は」と聞いた瞬間に「太郎についての物語が始まる」という回路しかなくなって、「太郎が太郎であるかどうか」なんて考えられなくなっているような気もします。これは「昔話」などを埋め込まれているかどうかによっても違うと思います。
トビウオさんの「不特定多数の太郎」というのも私には思いもよらなくて、でも、そういわれてみると今世界中で何人もの太郎がイライラしてコーヒーを飲んでいるようなイメージが広がってとっても面白かったです。
結論としては、私が結構得をしました。恥はかくものですね。ありがとうございました。
トビウオさんの答えも正解です・訂正 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月 6日(土)04時40分7秒 返信・引用
> No.4857[元記事へ]
先ほどの投稿、誤記を訂正します。
誤
結論から言うと、トビウオさんの「太郎はコーヒーを飲まないならばイライラしていない」も正解なのです。
↓
正
結論から言うと、トビウオさんの「イライラしているのにコーヒーを飲まないならば、太郎でない」も正解なのです。
> トビウオさんへのお返事です。
>
> 『論理パラドクス』問3については、以前、まったく同じ質問が寄せられました。
> あのときもトビウオさんだったのかな?
> それとも、独立に全く同じ疑問に思い至ったのか。
>
> そして、その質問については、
> 『論理パラドクス・勝ち残り編 議論力を鍛える88問』(二見文庫)で答えました。
> p.124(問43)をご覧いただければと思います。
> 結論から言うと、トビウオさんの「太郎はコーヒーを飲まないならばイライラしていない」も正解なのです。
>
> 国語さんが述べてくれたように、状況によってはトビウオさんの答えが正解になるので、
> 端的に正解を問われた場合、正解は複数あることになります。
>
> ちなみに、トビウオさんは、「命題Bは不特定多数の太郎に対する主張になっています」と言っていますが、そんなことはありません。
> 特定の太郎についての命題としてBを考えることはできます。
>
> ∀x(xは特定のあの太郎である → xはイライラするとコーヒーを飲む)
>
> これの対偶は、トビウオさんの答えになります。
>
> 正確に述べると、
> 世界中のすべてのものについて、
> (xはイライラするとコーヒーを飲む、のではない → xは特定のあの太郎ではない) が成り立つので、
> トビウオさんの答えのような文になるというわけです。
>
> ちなみに、『論理パラドクス・勝ち残り編 議論力を鍛える88問』の問44では、
> 「正解は上記2つ以外にも無数にある」ことを説明しています。
> 一例を挙げると(第3の正解ですね)、
>
> 太郎がイライラしても飲まないものは、コーヒーではない
>
> その他にまだまだ正解はたくさんあるのです。同書をご参照いただければ幸いです。
>
> 正解が無数にあることは、不可解ではありません。
> これらすべての正解は、互いに矛盾することを述べておらず、整合的だからです。
> つまり、強調点(話題の焦点)が異なるだけで、みな同じ命題(真理条件)を述べているわけですね。
トビウオさんの答えも正解です 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月 6日(土)01時14分22秒 返信・引用
> No.4853[元記事へ]
トビウオさんへのお返事です。
『論理パラドクス』問3については、以前、まったく同じ質問が寄せられました。
あのときもトビウオさんだったのかな?
それとも、独立に全く同じ疑問に思い至ったのか。
そして、その質問については、
『論理パラドクス・勝ち残り編 議論力を鍛える88問』(二見文庫)で答えました。
p.124(問43)をご覧いただければと思います。
結論から言うと、トビウオさんの「太郎はコーヒーを飲まないならばイライラしていない」も正解なのです。
国語さんが述べてくれたように、状況によってはトビウオさんの答えが正解になるので、
端的に正解を問われた場合、正解は複数あることになります。
ちなみに、トビウオさんは、「命題Bは不特定多数の太郎に対する主張になっています」と言っていますが、そんなことはありません。
特定の太郎についての命題としてBを考えることはできます。
∀x(xは特定のあの太郎である → xはイライラするとコーヒーを飲む)
これの対偶は、トビウオさんの答えになります。
正確に述べると、
世界中のすべてのものについて、
(xはイライラするとコーヒーを飲む、のではない → xは特定のあの太郎ではない) が成り立つので、
トビウオさんの答えのような文になるというわけです。
ちなみに、『論理パラドクス・勝ち残り編 議論力を鍛える88問』の問44では、
「正解は上記2つ以外にも無数にある」ことを説明しています。
一例を挙げると(第3の正解ですね)、
太郎がイライラしても飲まないものは、コーヒーではない
その他にまだまだ正解はたくさんあるのです。同書をご参照いただければ幸いです。
正解が無数にあることは、不可解ではありません。
これらすべての正解は、互いに矛盾することを述べておらず、整合的だからです。
つまり、強調点(話題の焦点)が異なるだけで、みな同じ命題(真理条件)を述べているわけですね。
トビウオさんへ 投稿者:国語 投稿日:2018年 1月 5日(金)19時09分26秒 返信・引用
す、数学を専攻!
釈迦に説法、失礼いたしました。
…確かに記号は美しいし便利ですね。実は私は数学をやり直したいという野望があるので、大変参考になりました。賢い方には「我以外皆我が師」ということもトビウオさんを見ていてよくわかりました。ありがとうございました。良い一年を祈念いたします。さようなら。
国語さんへ 投稿者:トビウオ 投稿日:2018年 1月 5日(金)17時54分19秒 返信・引用
私の質問に答えて頂きありがとうございます。国語さんの投稿を見て、それから自分でも今一度考え直してみたところ間違いの原因がわかりました。やはり私は問題の文章を間違って解釈していました。以下の2つの命題を見てください。
A:∃太郎[太郎がイライラしている→太郎はコーヒーを飲む]
B:∀太郎[太郎がイライラしている→太郎はコーヒーを飲む]
命題Aが問題で提示されていた文章が意味するものであり、命題Bが私が誤って解釈したものです。命題Bの対偶をとると私の解答と一致するはずです。国語さんがどのくらい命題論理について知っているのかわからないので、上の2つの命題をむりやり日本語にしたものを書いておきます。
A’:この世界に太郎という人が存在して(太郎という名前の人は複数いるかもしれないが、そのうちの特定の太郎)その太郎がイライラしているならば、太郎はコーヒーを飲む。
B':世界中の太郎について、太郎がイライラしているならば、太郎はコーヒーを飲む。
つまり、命題Aは特定の太郎に対する主張であるのに対し、命題Bは不特定多数の太郎に対する主張になっています。このように記号を使って書くとスッキリして意味の違いがわかりやすくまりますね。今回の問題の文では、太郎が誰か特定の太郎という名前の人を指すということが暗黙のうちに含まれているのですね。恐らく問題の文を読んだほとんどの人がAの意味に解釈したのだろうと思います。私も今になって考えてみるとその解釈が自然だと思います。だって、不特定多数の太郎に関する主張って変ですものね。
実は、私は大学で数学を専攻していて、命題論理の基本は学んでいたのですが今回のように数学的命題ではなく、通常の日本語表現について否定や待遇を考えることはあまりなかったです。そのため、与えられた文が何を意味しているかを正確に捉えるのに失敗してしまいました。これは今後の生活にも活かせる教訓だと思います。
助言をくれた国語さんには感謝しています。ありがとうございました。
トビウオさんへ 投稿者:国語 投稿日:2018年 1月 5日(金)14時38分44秒 返信・引用
はじめまして。
わたしは「国語、しかも現代文しかできません」というポンコツであることを最初にお断りいたします。
結論から言うと、本が正答です。
たとえば、「太郎」を「人」と差し替えてみるとおかしいのが感じられるかもしれません。
どこに着目するか、という話になってしまいますが、ここでは「太郎であること」は動かせないのです。
問題が少し違って
「指令・喫茶店の客のうち太郎はどれかな?太郎は今確実にイライラしている。太郎はイライラするとコーヒーを飲む」
…のような感じでしたらトビウオさんの答えで正答かな。
ネット上で「対偶」について調べると
「かわいい子には彼氏がいる」
というものがあります。対偶は「彼氏がいない子はかわいくない」。…で、この命題は偽であるとわかるわけです。
対偶は部分を抽出して安易に法則化する流れから踵を返すには便利だと個人的には感じています。で、日常生活でもものすごくよく用いています。
でも、トビウオさんの疑問を読んだら「あ、対偶って勘違いのもとにもなりうるな」と発見できました。ありがとうございます。
対偶の基本は「○ならば△」→「△でないならば○でない」。
この場合は「太郎であることも含めて○」だということではないでしょうか。
「コーヒーを飲まないならば太郎はイライラしていない」が、基本からそのまま抽出した文です。(真でしょうか、偽でしょうか。わたしは偽だと思いますけどね。さてどうかな。)
…納得できなかったらごめんなさい。ではでは。
対偶について 投稿者:トビウオ 投稿日:2018年 1月 5日(金)12時59分26秒 返信・引用
三浦先生の著書『論理パラドクス-検証力を磨く99問』の序章の3問目に次のような問題がありました。
-------------------------------------------------------
次の文の対偶を述べよ。
「太郎はイライラするとコーヒーを飲む。」
--------------------------------------------------------
この問題に関して質問があります。まず、私の考えた回答を述べます。
私はこの問題の文を次のように解釈しました。
「Aは太郎である」ならば
(「Aはイライラしている」ならば「Aはコーヒーを飲む」)
ここで、Aというのは任意の人を表します。また括弧で括られた部分が1つの命題です。この文の対偶をとると次のようになります。
(「Aはイライラしている」かつ「Aはコーヒーを飲まない」)
ならば「Aは太郎ではない」
これを自然な文にすると次のようになります。
「イライラしているのにコーヒーを飲まないならば、太郎でない。」
これが私の解答でした。しかし、模本解答を見ると私と違った答えが載っていました。それは、次のようなものでした。
「太郎はコーヒーを飲まないならばイライラしていない。」
解説を読んでこの答えが正しいことは納得できたのですが、なぜ私の答えと本の答えが異なってしまったのかが分かりません。つまり、私の答えと本の答えは両方とも正しいように思えるのです。対偶をとる操作は形式的な記号列の変形ですので間違ってはいないだろうと思います。したがって、最初の文の解釈に何か問題があるような気がするのですが、どうして問題があるのかが分かりません。どなたか教えていただけないでしょうか。
Re: 二封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月 5日(金)01時06分45秒 返信・引用
> No.4851[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> 1.地球という星のコピーがマルチバースのどこかに、他にある。(「この地球がある」は現時点で起きているので)
> 2.地球と少し違う「地球’」がマルチバースのどこかにある。(例えば、大陸の形が違うなど)
> 3.「地球がドラえもんの形になってまた戻る」がマルチバースのどこかで発生している。
>
> 上記の3例として、マルチバースが真なら、
> 1.は「この地球がある」という事実から確率1であり得る
> 2.は「この地球がある」という現状から比較的高確率であり得ると感じます
> 3.は「素粒子の振舞としては物理的に可能」だが、これまでに類似の物理現象が発生した事例もなく、
> それも踏まえて、現在の様々な知見、経験、観測結果などを考慮して考えると、
> このような恣意的な物質の遷移は
> 発生確率は非常に低いと推測される=確率はほぼ無限小(0に近い)。
> よって、起こらないに等しい。
>
> という理解であっていますでしょうか?
>
ある理論の枠内で出来事Aの確率がきわめて低いというのは、その理論をもっと洗練すれば、Aの確率はゼロになりうるということでしょう。(逆に確率が上がることもありうるが)
つまり、「究極の確定的な法則」などというものはおそらく存在せず、法則とか理論というのは常に近似でしかないということ。
ゆえに、暫定的な法則のもとでは許されるようになっていても、じつは起こりえない種類の出来事というのは無限種類あるということ。
――です。
あるいは、かりに確定的な法則があるとしても、その法則に辿り着く前の段階では、いかなる暫定的法則によっても「何が不可能か」は予測できないはずです。
円周率の十進法での小数展開で、数字の並びは厳密な法則に従っているはずですが、
「7が10個続くという出来事が起こるかどうか」は予測できません。
(直観主義と標準論理との論争の例として挙げられるのがこれですが、「7が10個続くことが起こらないことは可能である」ということでは直観主義者もアンチもともに同意します)
「ランダムな並び方で無限に続く以上、どんな数列でも生ずるはずだ。したがって7が10個続くという出来事は必然的に起こる」というのは暴論でしょう。
Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 1月 4日(木)11時55分48秒 返信・引用
> No.4850[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 「物理的に可能なことはすべて実際に起こる」のかどうか、ということですね。
> 地球がドラえもんの形になってまた戻る、ウルトラマンの形になってまた戻る、地球と火星が交互にそれを繰り返す、等々。
> それらは、素粒子の振舞として確率ゼロでない事柄に含まれるでしょうが、そういうすべてのことが必ずどこかで起こっていると言えるかどうか。
>
> 確実に言えることは、「一度起きたことは必ず無限回起こる」ですよね。
> しかし、「物理的に可能なことは必ず一度は起こる(したがって無限回起こる)」というのは……?
>
> 一度は起こるというのが「可能」の意味だと定義してしまえばそれまでですが、
> 物理学者が言う「可能」は、そのような形而上学的可能性ではなく、
> 理論的に許される(法則に矛盾しない)、という意味だと思われます。理論的可能性、ですね。
>
> マルチバースを律する物理法則のうえでは(その理論が発見されたとして)可能なはずだが、実際にはどこでも起こっていない、という出来事は、無数にあると思われます。
> 理論は一般化であって、個別の事象を枚挙したものではありません。よって、枚挙したならば入ってこないはずのものが、一般化の中では許されている、ということは十分ありうるでしょう。
> つまり、理論(法則)は、何が禁じられていないかを大まかに決めるだけであり、何が実際に起こるかをこまごまと指定するものではないということです。
>
> 理論的法則をどんなに詳細に仕立てても、一般化である限り、生起する出来事【だけ】を許すのがせいぜいであり、生起する出来事【すべてを】記述することはできないはず。(そんな記述をしたら、もはや法則ではなくなる)
> 要するに、物理法則は、
> 実際に起こる出来事が満たすべき必要条件の指定でしかなく、十分条件の指定ではない、
> というのが私の考えなのですが。
ご返事ありがとうございます。
上記、なるほどです。確かに禁止されていない=必然的に起こるではないですね。
例えば、
1.地球という星のコピーがマルチバースのどこかに、他にある。(「この地球がある」は現時点で起きているので)
2.地球と少し違う「地球’」がマルチバースのどこかにある。(例えば、大陸の形が違うなど)
3.「地球がドラえもんの形になってまた戻る」がマルチバースのどこかで発生している。
上記の3例として、マルチバースが真なら、
1.は「この地球がある」という事実から確率1であり得る
2.は「この地球がある」という現状から比較的高確率であり得ると感じます
3.は「素粒子の振舞としては物理的に可能」だが、これまでに類似の物理現象が発生した事例もなく、
それも踏まえて、現在の様々な知見、経験、観測結果などを考慮して考えると、
このような恣意的な物質の遷移は
発生確率は非常に低いと推測される=確率はほぼ無限小(0に近い)。
よって、起こらないに等しい。
という理解であっていますでしょうか?
Re: 二封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2018年 1月 3日(水)06時37分28秒 返信・引用
> No.4849[元記事へ]
Tedさんへのお返事です。
>
> こう考えると、「物理的に可能な多宇宙」を「広義の量子力学的マルチバース(その中に永久インフレーションも含む)」ととらえた場合、
> 上記で上げた例は、「物理的には不可」とはいえないように思えます。
>
> 私見では、そうは言っても、
> 論理的に可能=物理的に可能とは思えず、様相実在論は偽であると思ってはいます。
> ただ、上記のダビデ像形状やどらえもん地球程度の想定ぐらいでは、「物理的に不可能」と言い切れないのではないか、
> どのあたりまでが物理的に可能なのか、不可能なのかというラインが不明確な印象を持っております。
>
「物理的に可能なことはすべて実際に起こる」のかどうか、ということですね。
地球がドラえもんの形になってまた戻る、ウルトラマンの形になってまた戻る、地球と火星が交互にそれを繰り返す、等々。
それらは、素粒子の振舞として確率ゼロでない事柄に含まれるでしょうが、そういうすべてのことが必ずどこかで起こっていると言えるかどうか。
確実に言えることは、「一度起きたことは必ず無限回起こる」ですよね。
しかし、「物理的に可能なことは必ず一度は起こる(したがって無限回起こる)」というのは……?
一度は起こるというのが「可能」の意味だと定義してしまえばそれまでですが、
物理学者が言う「可能」は、そのような形而上学的可能性ではなく、
理論的に許される(法則に矛盾しない)、という意味だと思われます。理論的可能性、ですね。
マルチバースを律する物理法則のうえでは(その理論が発見されたとして)可能なはずだが、実際にはどこでも起こっていない、という出来事は、無数にあると思われます。
理論は一般化であって、個別の事象を枚挙したものではありません。よって、枚挙したならば入ってこないはずのものが、一般化の中では許されている、ということは十分ありうるでしょう。
つまり、理論(法則)は、何が禁じられていないかを大まかに決めるだけであり、何が実際に起こるかをこまごまと指定するものではないということです。
理論的法則をどんなに詳細に仕立てても、一般化である限り、生起する出来事【だけ】を許すのがせいぜいであり、生起する出来事【すべてを】記述することはできないはず。(そんな記述をしたら、もはや法則ではなくなる)
要するに、物理法則は、
実際に起こる出来事が満たすべき必要条件の指定でしかなく、十分条件の指定ではない、
というのが私の考えなのですが。
Re: 二封筒問題について 投稿者:Ted 投稿日:2018年 1月 2日(火)10時04分6秒 返信・引用
> No.4847[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> そうですね、さまざまな自然定数の変異や素粒子の増減を「量子力学のバリエーション」に含める限り、
> 広義の量子力学がマルチバース全体を支配していると言えるでしょうね。
> 量子力学というより、標準理論を超えた量子力学的枠組、というような抽象的構造になりますが。
> 「すべての事象が」……「すべての」は誤解を招くのでは?
> 地球にそっくりな惑星が突如としてドラえもんの形に変化し、五秒間しゃべり続けたあと一瞬で地球の形に戻る、という出来事も無限回起こるというのでしょうか。
> 永久インフレーションのもとでもそれは起こらないでしょう。
> 様相実在論では起こるでしょうが。
ご返事ありがとうございます。
事例で出していただいた
「地球にそっくりな惑星が突如としてドラえもんの形に変化し、五秒間しゃべり続けたあと一瞬で地球の形に戻る、という出来事」
ですが、論理的に可能ではあるが物理的に不可能(よって、永久インフレーションや多世界解釈でもおこらない)
と認識しております。若干論点がずれるかもしれませんが、下記のように思っています。
例えば、浜辺で風、波、地震などものすごい偶然が重なって、砂がミケランジェロのダビデ像とミリ単位で同じ造形になることも
すごく複雑ではあるが現象しては物理的に扱える(波動関数としては表せる?)と思います。
これも物理的にあり得るといえるように思えます。
あと、少し変則的な考え方ですが、
ある人が砂を原料とする精巧な3Dプリンターを開発して、同じ浜辺にもっていって、砂を投入し、
ダビデ像と全く同じ形のものを作ることも可能と思います。
この場合、その人や3Dプリンターを含めたそこの空間として考えると、これも同様に扱えると考えます。
例で言われた状況もこのダビデ像造形と同じように考えられないかとも思います。
①地震、風雨などの天候現象、地熱、絶妙な隕石衝突などが劇的なタイミングで起これば、
「地球にそっくりな惑星が突如としてドラえもんの形に変化し、五秒間しゃべり続けたあと一瞬で地球の形に戻る」
も起こる可能性は物理的に0ではないのではないかとも思います。
②上記の3Dプリンターのような例で、高度な技術を持つ宇宙人(あるいは恒星系をコントロールできるようになったレベルの未来人)
が「地球にそっくりな惑星が突如としてドラえもんの形に変化し、五秒間しゃべり続けたあと一瞬で地球の形に戻る」という現象を
作り出すことも物理的に0ではないのかとも思います。
こう考えると、「物理的に可能な多宇宙」を「広義の量子力学的マルチバース(その中に永久インフレーションも含む)」ととらえた場合、
上記で上げた例は、「物理的には不可」とはいえないように思えます。
私見では、そうは言っても、
論理的に可能=物理的に可能とは思えず、様相実在論は偽であると思ってはいます。
ただ、上記のダビデ像形状やどらえもん地球程度の想定ぐらいでは、「物理的に不可能」と言い切れないのではないか、
どのあたりまでが物理的に可能なのか、不可能なのかというラインが不明確な印象を持っております。
> マルチバースは「死」に対する態度を変化させるとは思います。
> 量子不死、量子自殺という形で日常生活にも影響するような。
> ただ、量子不死に賭けて自殺を選ぶ勇気を持てるかというと、人間の本性からして難しいでしょうけれども。
なるほど。
「私」という個の概念がマルチバースにまたがった貫世界的なものであるという信念が揺ぎ無ければ
怖くないと思いますが、それは難しいと思います…
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