三浦俊彦の時空-電子掲示板(過去ログ 2011年7~12月)

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Re: ペテルブルクのゲームに関して
投稿者:φ メール 投稿日:2011年12月31日(土)23時18分5秒
> No.3448[元記事へ]

TTTさんへのお返事です。

>
>期待値が無限大である根拠を「このゲームを無限回やれば、
>賞金が無限大になる場合が必ず1度は起きるから」
>と説明していますが、これは間違いです。
>『論理パラドクス』のサンクトペテルブルクのゲームの取り決めは
>「コインを投げ続けて、n回目にはじめて裏が出たならば賞金として2^(n-1)円もらえる」
>だけなので、「無限回表が出続けた場合、賞金は無限大である」
>というのはφさんの恣意的な解釈です。
>

「コインを投げ続けて、n回目にはじめて裏が出たならば賞金として2^(n-1)円もらえる」
と、『論理パラドクス』のどこに書いてありますか?
 私が76頁に書いたルール説明は、
「表が出た回数がnだったら、あなたは2のn乗円の賞金をもらえることになっている」
 のはずです。

 ちゃんと原文を読んでいただきたいですね。
 「恣意的」というような批判をされると、書き込みを見る人に悪影響を与えますから、
批判するときには趣旨を勝手に変えずに、私の原文を正しく引用するようにお願いします。

 学会発表ではなく、たかが掲示板とはいえ、議論はちゃんとやってください。

 ともあれ、
 『論理パラドクス』のサンクトペテルブルクのルールでは、
 「無限回表が出続けた」場合は、賞金は無限大です。

>
>「既にコインを無限回投げ終えていて、全て表だった場合」
>も同様にあり得ると考えるのが妥当です。
>

 そのときは当然、賞金は無限大ですね。
 そのとき賞金ゼロなどという恣意的な設定は認められません。

 なお、「コインを投げ終えていて、無限回表が出ている」ような場合というのは、「トムソンのランプ」のような状況以外では不可能ですね。
 この掲示板では、サンクトペテルブルクの賞金先決め設定は、2封筒問題との類比を成立させるために持ち出されたのだから(つまり、「2封筒問題はサンクトペテルクとは違う。あえて言えば、サンクトペテルブルクのオリジナル版の賞金後決め設定ではなく、賞金先決め設定に2封筒問題は相当する」というふうに導入されたのだから)、いくら数学バージョンといっても、「既にコインを無限回投げ終える」ことが可能という設定は、アナロジーの目的に反していて、的外れです。

 もし、「トムソンのランプ」的可能性にどうしてもこだわるのなら、賞金先決め設定の条件として次のように付け加えればよいだけです。
 「1回投げるのにすべて等しい有限時間かかるコイン投げコンピュータが試行するものとする」
あるいは、
 「表が出た回数+1=mの数字をコンピュータは書き込む。賞金は、2^(m-1)円とする」

 さて、『論理パラドクス』で私が出した設定には反しますが、TTTさんがこだわるのであれば、
「無限回表が出続けるときは賞金0円」としてみましょう。
 その設定をBとし、もとの設定(無限回表が出続けるときは賞金無限大)を設定Aとします。

 賞金先決め設定は、2封筒問題と構造を等しくして賞金無限大を排除するための設定でしたから、設定Bで代用することにしましょう(これは構造がちょっと違うが趣旨は保たれている)。

 設定Aと設定Bでは、合理的判断(はっきり「正しい確率判断」と言ってもよい)に決定的な違いが生ずる、というのが、私の相変わらずの主張です。
 それが間違っている、とTTTさんは思うわけですね?
 決定的な違いの明確な実例を出すことはできますから、出しましょう。


 ただしその前に、
 TTTさんの前々からの癖としてこちらの問いは無視するつもりのようですが、
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3437での私の問いに答えてもらわないと先へ進めません。
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3437での問いをもう一度繰り返します。↓

>
> 具体的には例えば、論理構造(コインやサイコロが先投げか後投げか)によって確率が異なる例として
>「射撃室のパラドクス」なるものをφさんは挙げていますが、これは誤りで、例や根拠になっていません。
> 「射撃室のパラドクス」の本当のタネは、設定[1]と[2]のどちらでも
> 「"あなた"がどの(何番目の)グループに入るのか、をどのように決めるのか(どんな確率分布か)」が不明であるのに
> φさんの[1]と[2]の考察では実は異なる確率分布を仮定している所です(具体的に考えれば簡単にわかります)。

 ↑ その確率分布を詳しく説明していただけますか?



Re: ペテルブルクのゲームに関して
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年12月30日(金)15時50分3秒
> No.3448[元記事へ]

TTTさんへのお返事です。

> また、これから金額が決まる場合は「コイン投げで、無限回表が出続ける事が(確率は0だが)あり得る」
> 既に金額が決まったが無知の場合は「コイン投げで、無限回表が出続けた事は(確率は0で)あり得えない」
> と考えているようですが、これもφさんの恣意的な解釈でしょう。
> 「既にコインを無限回投げ終えていて、全て表だった場合」も同様にあり得ると考えるのが妥当です。

えんえんと表が出続ける場合はあるが、
全体の中では確率0である。

そしてサンクトペテルブルクの問題では
無限回表が出る場合をオミットしている。

それでも期待値が∞になる。

φ> 「サンクトペテルブルクの問題は、
φ> 金額決定前は期待値は無限大に発散。
φ> 金額決定後は期待値は有限に収束」

全く同様の初歩的誤りを右のインド人氏も犯している。


期待値の定義
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年12月30日(金)15時37分55秒
> No.3451[元記事へ]

右のインド人さんへのお返事です。

> > > なんで無限回試行にこだわるのさ。
> > > 期待値の定義を知らないわけでもあるまいに。
> > あなたは期待値の定義を知らない。
> > ウソだというなら、定義を述べてごらん。
> > 即座にあなたの間違いを指摘しよう。
> 期待値とは確率と確率変数の積和です。いやはや。

確かに定義は間違っていない。
しかし、
「封筒を開けたときの額が有限だから期待値も有限だ」
という貴方の主張は、期待値の定義に反する。

No.3449で述べたように

 自分の封筒の中の金額について
 1円の確率が1/2
 2円の確率が1/4
 ・・・
 2^nの確率が1/2^(n+1)
 となっている場合には、その期待値は
  1*1/2+2*1/4+4*1/8+・・・
 =1/2+1/2+1/2+・・・
 =∞
 となる。

つまり、貴方は間違っているわけ。

> 全体的に、直下のTTTさんのを読むと、
> モンテカルトさんとφさんって
> 同じ勘違いしてるんじゃないかって思う。
> 何を勘違いしてるかは分からないけど。

モンテカル「ロ」だ。カジノで有名だろう。

φ氏と右のインド人氏は同じカン違いをしている。
「封筒を開けたときの金額の期待値は
 考えられない。だから考えなくていい。」
というカン違いだ。


Re: サンクトペテルブルク
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年12月30日(金)10時39分34秒
> No.3451[元記事へ]

右のインド人さんへのお返事です。

> > > サンクトペテルブルクはもう解決済み。
> > > 2封筒問題も解決済みなんだけどねぇ。
> > 上記の発言は全く意味不明。
>
> 言葉のとおりですが何か?

問題が無かったとして解決、ということですね。分かります。

> > 私は貴方の
> > 「無限回交換して、期待値も無限大なんてことはない。」
> > に対して、そもそも「無限回交換」というのが
> > 貴方の読み違いであることを指摘しただけである。
>
> それは承知しました。早合点でした。

なら、もう云うことはないですね。

> > 自分が封筒を開けたときの金額の期待値は
> > 金額分布によっては、有限とは限らない。
>
> あらためた封筒の金額の期待値を論ずることの
> 意味はあまりなかろうと思うのですが。

試行は封筒を改めた後だ、と早合点したのが貴方の誤解。

これで二つ目。早合点が一つで済むと思う無かれ。

> 未開封バージョンのことをおっしゃっているのなら、それも的外れです。
> 「この封筒にはお金が入っています。さて、何円入っているでしょう」
> なんて問題を数学を使えばわかるとでも思ってるんでしょうか。

もちろん、封筒の金額の確率分布が与えられていないならば、
分かるわけがありません。

しかし
「自分の封筒の金額が明らかになった後の
 事後確率による計算で、交換によって得をする。」
「交換による利益の率は、金額によらず一定である。」
という条件と矛盾しない確率分布は限定されます。

そして、そのような確率分布においては、
自分の封筒をあけた際の金額の期待値は
無限になるということです。
そして、その場合

> 数学はそこまで万能じゃありませんよ。
> よって、未開封バージョンで期待値を考えるのは無駄であり、
> 未開封バージョンは、そもそも数学が適用できない問題なのです。

あなたの知る数学では分からないというだけで、
今あなた以外の人によって知られた数学では
分かるのです。

> > > サンクトペテルブルクは期待値が実数に収まらないから、標本を使うわけだけど、
> > 標本の意味が不明。素人はわけもわからず言葉を用いるから間違う。
> あれ?中心極限定理を使うから標本って言葉が出てくるのは意外じゃないと思いますが。
> 俺もフェラーの議論の概略を覚えてるだけだから、何とも言えないけど。

知ったかぶりでわけもわからずに
言葉を持ち出すのは素人の悪い癖です。

> > > 2封筒は中身をあらためる以上、期待値は実数に収まるわけだから、
> > >標本を使う必要性がないよ。
> > 中身をあらためたところで、期待値は実数に収まる、とはいえない。
> なんで?
> 片方の封筒に1000円入ってたら、もう片方の封筒の期待値は1250円なのですが。
> まさか封筒に無限の額が入ってるとか想定してるんですか?

標本以前に貴方は問題の設定を誤解しています。

封筒を開けた際の自分の金額の期待値です。


Re: サンクトペテルブルク
投稿者:右のインド人 投稿日:2011年12月29日(木)14時37分22秒
> No.3449[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

> > サンクトペテルブルクはもう解決済み。
> > 2封筒問題も解決済みなんだけどねぇ。
> 上記の発言は全く意味不明。

言葉のとおりですが何か?

> 私は貴方の
> 「無限回交換して、期待値も無限大なんてことはない。」
> に対して、そもそも「無限回交換」というのが
> 貴方の読み違いであることを指摘しただけである。

それは承知しました。早合点でした。

> 残念ながら、貴方はまた間違った。
> 自分が封筒を開けたときの金額の期待値は
> 金額分布によっては、有限とは限らない。

あらためた封筒の金額の期待値を論ずることの意味はあまりなかろうと思うのですが。

未開封バージョンのことをおっしゃっているのなら、それも的外れです。
「この封筒にはお金が入っています。さて、何円入っているでしょう」なんて問題を
数学を使えばわかるとでも思ってるんでしょうか。
数学はそこまで万能じゃありませんよ。
よって、未開封バージョンで期待値を考えるのは無駄であり、
未開封バージョンは、そもそも数学が適用できない問題なのです。


> > サンクトペテルブルクは期待値が実数に収まらないから、標本を使うわけだけど、
> 標本の意味が不明。素人はわけもわからず言葉を用いるから間違う。
あれ?中心極限定理を使うから標本って言葉が出てくるのは意外じゃないと思いますが。
俺もフェラーの議論の概略を覚えてるだけだから、何とも言えないけど。

> > 2封筒は中身をあらためる以上、期待値は実数に収まるわけだから、
> >標本を使う必要性がないよ。
> 中身をあらためたところで、期待値は実数に収まる、とはいえない。
なんで?
片方の封筒に1000円入ってたら、もう片方の封筒の期待値は1250円なのですが。
まさか封筒に無限の額が入ってるとか想定してるんですか?

> > なんで無限回試行にこだわるのさ。期待値の定義を知らないわけでもあるまいに。
> あなたは期待値の定義を知らない。
> ウソだというなら、定義を述べてごらん。
> 即座にあなたの間違いを指摘しよう。
それさ、「無限回試行の平均額である期待値」って言っちゃったあなたが・・・。
いえ、なんでもありません。
期待値とは確率と確率変数の積和です。いやはや。

全体的に、直下のTTTさんのを読むと、
モンテカルトさんとφさんって同じ勘違いしてるんじゃないかって思う。
何を勘違いしてるかは分からないけど。


Re: ネクタイのパラドクスの二封筒問題化
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年12月29日(木)06時06分10秒
> No.3445[元記事へ]

φ さんへのお返事です。

>  2封筒問題の場合は、ペアが先に決められていて、そのうちのどちらを取るかが後で決められました。よって、手もとにあるのが定額か高額かという「近い分岐の近い可能世界群」にアクセスしてから、ペア総額の異なる「遠い分岐の遠い可能世界群」にアクセスするという順序を辿らねばなりません

そう思ったのがφの間違い。

括弧付け替え計算はナンセンスではない。
期待値が有限でない場合において、
局所的な計算で、比率だけを見て
全体として増加とか減少とかいうのが
ナンセンスだというだけのことである。

自他の封筒の金額分布の同等性から
「どちらを選んでも差がない」
と考えるのは随意だが、その主張は
期待値の計算によって正当化される
ものではない。
(別に不当だといってるわけではない。)


Re: サンクトペテルブルク
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年12月29日(木)05時55分52秒
> No.3444[元記事へ]

右のインド人さんへのお返事です。

> サンクトペテルブルクはもう解決済み。
> 2封筒問題も解決済みなんだけどねぇ。

上記の発言は全く意味不明。

私は貴方の
「無限回交換して、期待値も無限大なんてことはない。」
に対して、そもそも「無限回交換」というのが
貴方の読み違いであることを指摘しただけである。

> 無限回試行が2封筒問題に関係するとは思えない。
> 期待値は有限に収まるから、サンクトペテルブルクとは違う。
> だから、交換って勘違いしたんだけど

残念ながら、貴方はまた間違った。
自分が封筒を開けたときの金額の期待値は
金額分布によっては、有限とは限らない。

> まさか「正の偶数は無限にあるんだから、期待値が出てこない」って発想?
> それとも「無限回やんないと期待値は出てこないだろ」って発想?

例えば、自分の封筒の中の金額について
1円の確率が1/2
2円の確率が1/4
・・・
2^nの確率が1/2^(n+1)
となっている場合には、その期待値は
 1*1/2+2*1/4+4*1/8+・・・
=1/2+1/2+1/2+・・・
=∞
となる。

任意回数の試行において、平均値は限りなく上昇する。

> サンクトペテルブルクは期待値が実数に収まらないから、標本を使うわけだけど、

標本の意味が不明。素人はわけもわからず言葉を用いるから間違う。

> 2封筒は中身をあらためる以上、期待値は実数に収まるわけだから、
>標本を使う必要性がないよ。

中身をあらためたところで、期待値は実数に収まる、とはいえない。

> なんで無限回試行にこだわるのさ。期待値の定義を知らないわけでもあるまいに。

あなたは期待値の定義を知らない。
ウソだというなら、定義を述べてごらん。
即座にあなたの間違いを指摘しよう。


ペテルブルクのゲームに関して
投稿者:TTT 投稿日:2011年12月29日(木)02時34分2秒
φ さんへのお返事です。

> チャルマーズ論文のように、「期待値は無限大」という言い方を採用して、E(x)、E(y)の存在を保証するとしたら

±∞も収束値域に含め、+∞に収束する場合に「期待値は無限大」と定義する等としても
(一般には)期待値の存在性は保証されません。そのような定義でも期待値が存在しない場合があります。
しかも大数の法則などの定理は、適用する為に期待値の有限性(よりも強い条件)が必要ですから
「期待値は無限大で存在する」という言い方を採用することによる利点は殆どないと思います
(期待値の存在性と有限性を区別して扱わなければならないので、むしろ面倒なだけです)。


> xとyの対称性が成り立つ場合(確率分布が同じである場合)
Xの確率分布とYの確率分布が同じで、かつE[X/Y],E[Y/X]が存在しても
E[X/Y]=E[Y/X]が成立しない場合もあります。


>  なお、サンクトペテルブルクについて言うと、
>  たしかに、賞金金額をこれから決める場合と既に決まったが無知である場合とでは、確率分布は同じなのでしょうが

確率や期待値は確率分布のみによって計算される(そのような定義だから)ので、
賞金金額をこれから決める場合と既に決まったが無知である場合のどちらも、期待値が存在しない(無限大に発散する)
ということはφさんも納得できたと考えてよいのですよね?

> サンクトペテルブルクでも、様相の考察が必要です
サンクトペテルブルクのゲームの確率や期待値を計算する為には、様相の考察は必要ありません。


> 決定的な違いがあり、それが合理的判断に影響しています。

φさんが「損得」や「合理的判断」等の語をどのような定義・意味で用いているのか
(φさんの勝手な思い付き・感覚を"合理的"と呼んでいるだけなのか、ちゃんとした定義があるのか)
よくわかりませんが、「決定的な違い」があるとは思いません。

φさんは「賞金が無限大であることが(確率は0だが)あり得る」と考え、また『論理パラドクス』では
期待値が無限大である根拠を「このゲームを無限回やれば、賞金が無限大になる場合が必ず1度は起きるから」
と説明していますが、これは間違いです。
『論理パラドクス』のサンクトペテルブルクのゲームの取り決めは
「コインを投げ続けて、n回目にはじめて裏が出たならば賞金として2^(n-1)円もらえる」
だけなので、「無限回表が出続けた場合、賞金は無限大である」というのはφさんの恣意的な解釈です。
『論理パラドクス』で、サンクトペテルブルクのゲームは「パスカルの賭けの数学的バージョン」
としていますが、数学的な設定にするなら
「賞金が"非実数"円であることがあり得る」というような意味不明な設定にすべきではありません。

仮に「無限回表が出続けた場合、賞金は0円とする」と取り決めたとしても
賞金が無限大であることはあり得えないが、期待値は存在しない(無限大に発散)ので
『論理パラドクス』の説明が誤りであることがわかります。


また、これから金額が決まる場合は「コイン投げで、無限回表が出続ける事が(確率は0だが)あり得る」
既に金額が決まったが無知の場合は「コイン投げで、無限回表が出続けた事は(確率は0で)あり得えない」
と考えているようですが、これもφさんの恣意的な解釈でしょう。
「既にコインを無限回投げ終えていて、全て表だった場合」も同様にあり得ると考えるのが妥当です。
サンクトペテルブルクの問題は(φさんのいうところの)自然種ではなく名目種の問題ですから、
「無限回のコイン投げを既に終えているのはオカシイ」等と考えるのはナンセンスです。


ちなみに(同様のことを既に何回も言いましたが)、金額の取り得る値の個数が無限個で、
金額がいくらでも大きくなり得るような設定で、金額の期待値が有限であるゲームもあります。例えば
「19/20^n の確率で賞金として2^n円貰える」というゲームは
賞金の期待値は存在して有限で、さらに大数の法則が適用できるので
多数回試行すると、賞金の平均は期待値に概収束かつ確率収束します
(大数の法則の"収束"とは概収束や確率収束のことであり、これは数列や関数の値の収束とは意味が異なります)。


φさんが好き勝手な判断方法考えるのは自由ですが、
期待値(存在性と値)は、そのような判断に依らずに決まります(そういう定義ですから)。
「サンクトペテルブルクの問題は、金額決定前は期待値は無限大に発散。金額決定後は期待値は有限に収束」
というような以前のφさんの発言は、そのような判断方法と期待値を求める方法とを混同してしまった
(そのような判断から期待値が判ると思い込んでしまった)ことによる誤りでしょう。


Re: ネクタイのパラドクスの二封筒問題化
投稿者:スターダスト 投稿日:2011年12月28日(水)14時54分18秒
> No.3445[元記事へ]

φさんへ

歴史的には
財布の問題( Maurice Kraitchik )→ネクタイの問題( Brown, Aaron )→封筒問題( Barry Nalebuff )
の順に提起された?ようですので、その理由をあれこれ考えてみたのでした。
特に、ゲーム理論の大家であるBarry Nalebuffによる、封筒問題の定式化にはどのような考えがもとになっているのだろうと。
あれこれ考えているうちに、「ネクタイの問題が難しいので、限定条件のついた封筒問題で考えてみよう」ということだったのではないかと思い至ったわけです。

(※また、私には唯一設定のクオリアが備わっていませんので手探りで)φさんがネクタイ問題で唯一設定をどのようにあつかっているのか気になったのでした。

===

●1 今、数直線上でひとつの点θ(0<θ)を与えられたときに、もうひとつ点τ(-∞<τ<∞)があると聞かされ、θとτとの大小関係を考えると、まぁ、大小の順はフィフティフィフティだろうと感じるわけです。以下、θとτが等しい場合は考えから除外します。

●2 上では、τに限定がなかった、限定を加えるとどうなるか?τ(0<τ<∞)であったとしたら?
ケース1 0<τ<θ
ケース2 θ<τ<∞
ケース1では有界区間であり、ケース2では、非有界区間。ならば、ケース2が起こるほうが妥当なのではないだろうか?でも、実際のところ本当なのだろうか?

このパラドキシカルな感触が、ネクタイ問題の本質だろうと思うのです。

●3 さて、事前に
0< θ < Ω 、 0< τ < Ω
が知識として与えられている時にはどうなのでしょう?
θとτの大小関係は、まぁ、とたんにフィフティフィフティの気がしてくるのです。有界区間vs有界区間の比較ですので。

●1●2●3 における、これらの感触の違いをキッチリと評価したいなぁと思うのです。

なお、Barry Nalebuffによる封筒問題は、上記●3のケースであり、●2ではないと考えます。
なんとならば、1:2の比で縛られているからです。両方とも有界区間にはいるとみなすべきだろうからです。

一方、ネクタイの問題の場合には、縛りがないため、●2 のケースではないかと思います。無情報分布を想定していますので、考えるべき区間が無限の広さをもってしまいます。

先に、私は、「あれこれ考えているうちに、「ネクタイの問題が難しいので、限定条件のついた封筒問題で考えてみよう」ということだったのではないかと思い至ったわけです。」と申しましたが、以上のような感触があったからです。




誤記訂正
投稿者:φ メール 投稿日:2011年12月27日(火)11時19分36秒
> No.3445[元記事へ]

↓後半、「低額」と書くべきところすべて「定額」と誤変換しています。趣旨は伝わっていたかと思いますが。


Re: ネクタイのパラドクスの二封筒問題化
投稿者:φ メール 投稿日:2011年12月27日(火)02時10分2秒
> No.3443[元記事へ]

スターダストさんへのお返事です。

 「ネクタイのパラドクス」は、2封筒問題の未開封バージョンといちおう構造が同じですよね。
 だから、賭けに応じても損得ナシです。(ちなみに、ネクタイのパラドクスのオリジナルバージョンは、交換ではなく、安い方が両方とももらえるという設定ですが、論理は2封筒問題と変わりません)

 なお、ネクタイをもらうのはクリスマスとか誕生日とかいう設定になっていますが、一生に一度のことかもしれないし、いずれにせよ「このネクタイ」をめぐる賭けは一度だけなので、当然、唯一設定です。何度もこの賭けをして、平均をとるわけではありません。

>
> 二封筒問題は、上の例の比が2倍だろうが10倍だろうが、問題の不可思議さの構造はかわりません。
> してみると、封筒問題の T についていろいろな可能世界を全部ひっくるめたものが、
> ネクタイのパラドックスになっているのでしょうか?
> ネクタイのパラドクスにおいて、唯一設定の場合、交換したほうが得ですか?
>

 ネクタイのパラドクスでは、当事者に値段がわかっていないので、賭けをしてもしなくても、損得ありませんね。2封筒問題未開封バージョンと同じです。
 むしろネクタイのパラドクス独特の性質のように見えるのは、2封筒問題と違って、Tが固定されていないことでしょうか。
 Tにはいろいろの可能性があります。これは、2封筒問題では、封筒ペアにはいろいろな可能性があることに相当します。つまり、2封筒問題では、封筒ペアを決めるときに同時に2倍差と限らず任意の倍率に定めるようにもできるので、Tが固定されているかさまざまな可能性を持つかは、2封筒問題とネクタイパラドクスの違いとして本質的ではないように思います。

 むしろ難しいのは、次の違いでしょう。

 2封筒問題の場合は、ペアが先に決められていて、そのうちのどちらを取るかが後で決められました。よって、手もとにあるのが定額か高額かという「近い分岐の近い可能世界群」にアクセスしてから、ペア総額の異なる「遠い分岐の遠い可能世界群」にアクセスするという順序を辿らねばなりません(可能世界の分岐の順序に従って、小規模分類でかりにペアを決めてから近い可能世界群の中での期待値を取り、それを大規模分類での遠い可能世界群ごとに合算するのでなければなりません)。
 ここを間違えると、括弧付け替え計算などというナンセンスに陥ることはhttp://8044.teacup.com/miurat/bbs/3427で述べたとおりです。

 他方、ネクタイのパラドクスでは、ペアの決定と定額高額どちらを取っているかという決定とが同時になされていますね。歴史が一挙に分岐するのです。ネクタイ交換ゲームの相手が決まった瞬間に初めて自分が高額か定額か、そしてTの値が何であるかが決まるので。
 したがって、手もとにあるのが定額か高額かという可能世界群と、Tのさまざまな値の可能世界群とが、現実世界から見て同じ近さに並んでいます。すると、手もとにあるのが定額か高額かという可能世界にアクセスしてからTのさまざまな値の可能世界にアクセスするという2封筒問題的な順序を辿るのではなく、一挙にすべての可能世界にアクセスした計算をせねばならない、ということになります。
 つまり、ネクタイのパラドクスの設定では、括弧付け替え計算が正しくなるのかもしれません。
 定額・高額、Tの値、すべてについてあらゆる可能世界に同時にアクセス可能なため、唯一設定と多数回設定とが区別できなくなる、という可能性があるからです!

 両問題のこの違いは、『論理パラドクシカ』を書いたときは考えませんでした。
 そこでは、ネクタイのパラドクスは2封筒問題の簡略版であり、容易なパラドクスである、とだけ述べましたが、
 上の違いを考慮に入れると、必ずしもネクタイのパラドクスが容易なパラドクスと言えるかどうか、怪しくなってきますね。
 自分のネクタイの値段は知っている、という設定も考えられるので、開封バージョンに対応する問題も作れるわけですし。

 スターダストさんが、ネクタイパラドクスを唯一設定で理解できるのかどうか危ぶむのは、以上のような理由でしょうか?
 (ただ、前述のようにTの多様性は直接関係なく、あらゆる選択が同時になされるという構造ゆえに「唯一設定」性が危ぶまれるのですが)

 ちょっと考えてみます。
 ネクタイのパラドクスの登場人物二人を対称的に考えたとしても、2封筒問題と同じことにはなりませんから(ペア総額=Tの値が先に決まって、各人にとって高額か定額かがあとから決まったとは言えないので)、このパラドクスは意外と難しい問題になるのかもしれません。
 スターダストさんから何か考えがあれば、教えていただければ幸いです。


Re: サンクトペテルブルク
投稿者:右のインド人 投稿日:2011年12月26日(月)18時12分51秒
> No.3442[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

サンクトペテルブルクはもう解決済み。

2封筒問題も解決済みなんだけどねぇ。

無限回試行が2封筒問題に関係するとは思えない。
期待値は有限に収まるから、サンクトペテルブルクとは違う。だから、交換って勘違いしたんだけど(「無限回交換したら、交換するたびに期待値が25%あがるんだから、無限になるんだが、これおかしくね」的な発想をしてるのかって思った)。

まさか「正の偶数は無限にあるんだから、期待値が出てこない」って発想?
それとも「無限回やんないと期待値は出てこないだろ」って発想?

サンクトペテルブルクは期待値が実数に収まらないから、標本を使うわけだけど、
2封筒は中身をあらためる以上、期待値は実数に収まるわけだから、標本を使う必要性がないよ。

なんで無限回試行にこだわるのさ。期待値の定義を知らないわけでもあるまいに。


ネクタイのパラドクスの二封筒問題化
投稿者:スターダスト 投稿日:2011年12月26日(月)14時05分25秒
φさんへ。

ネクタイのパラドックスにおいて、第三者が、双方のネクタイの金額をあらかじめ知り、小さいほうの金額と大きなほうの金額の比が、1:2であることを知り、(余計なことかもしれませんが、さらに紙に書き付け、ネクタイを持つ両者にみえないように裏に返してテーブルに貼り付け…)たときには、ネクタイのパラドクスは二封筒問題と、構造が非常によく似てくるのではありませんか?第三者は言います「やぁおふたりさん、高いほうのネクタイの価値は安いほうの二倍だね。」

φさんは、ネクタイのパラドクスにも「唯一設定」のケースを考えるのでしょうか? 御著書の「論理パラドクシカ」では触れられていないようですが…

また、上の第三者が調べたときに、金額比が、1:T(ただし T>1)となっていて、第三者がふたりに「やぁ、T倍だったよ、交換したほうがよくないか? Tの具体的な値は教えないけどね。ふたりとも二封筒問題について知ってるかい?それはだね・・・」と残る二人に知らせたらどうなるでしょう?

二封筒問題は、上の例の比が2倍だろうが10倍だろうが、問題の不可思議さの構造はかわりません。してみると、封筒問題の T についていろいろな可能世界を全部ひっくるめたものが、ネクタイのパラドックスになっているのでしょうか?

ネクタイのパラドクスにおいて、唯一設定の場合、交換したほうが得ですか?
φさんに お伺いしたいと存じます。 よろしくお願いいたします。


サンクトペテルブルク
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年12月24日(土)20時21分51秒
> No.3437[元記事へ]

φ さんへのお返事です。

>  なお、サンクトペテルブルクについて言うと、
>  たしかに、賞金金額をこれから決める場合と既に決まったが無知である場合とでは、
> 確率分布は同じなのでしょうが、決定的な違いがあり、それが合理的判断に影響しています。

影響しない。なぜなら賞金が無限大となることがなくとも、
期待値は無限大となるからである。

>  これから決める場合は、賞金が無限大である確率はゼロですが、不可能ではありません。
>  すでに決まった場合は、賞金が無限大である確率はゼロであり、かつ、不可能です。

確率ゼロの事象が起きるか否かは、期待値が無限大か否かとは無関係である。
つまり、賞金が必ず有限額となるからといって、
期待値が有限になるとはいえないからである。

>  確率ゼロというのは、その事象が存在しないという意味ではありません。
> ましてや、不可能という意味ではありません。
>  ところが、賞金がすでに決まった場合は、
> 賞金が無限大である確率は不可能だと決定し、
>「賞金額は必ず有限である」というデータが加わったのです。
> 賞金額より大きな数が必ず存在するのです。

一回一回の試行における賞金額が有限だからといって、
無限回試行の賞金額の平均が有限になるとはいえない。

なお、平均額を計算するのに無限回やりきる必要もない。
回数の増大によって、平均額が限りなく増大すれば
平均額が「無限」となる。これが数学。

>  これから決める場合には、そういうデータはありません。
> 賞金額より大きな数が存在することは保証されていません。

無意味。

そもそも、永遠に賞金額が決まらないなら、試行の失敗としてオミットされる。

>  このように、サンクトペテルブルクでも、様相の考察が必要です。

必要ない。無限回試行の平均額である期待値の計算に何の影響も与えないからだ。


Re: (無題)
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年12月24日(土)20時10分45秒
右のインド人さんへのお返事です。

> 無限回交換して、期待値も無限大なんてことはない。

「外国人」は日本語が読めないから
無限回試行を、無限回交換と読み違える。

試行とは、封筒を配って中身を見る行為であって、交換ではない。



(無題)
投稿者:右のインド人 投稿日:2011年12月24日(土)10時19分40秒
数学の問題に何か神秘的なものがあるんだろうと思って、
哲学者があーだこーだ考えるのは歴史の常でして。
(まぁ確率と様相論理には何かしらの関係がありそうだという予想は正しいと思う)

封筒問題は単に「期待値は人間の判断のモデルとしては不正確」というお話であって、
もっといえば、期待効用理論の反証になるだけ。

封筒を片方選んで、その額を確認してしまえば、もう片方の未開封の封筒を選んだほうが期待値はあがる。
確認して、x円だとわかれば、未開封封筒の期待値は(5/4)*x円。

確認する前だと、どっちを選ぼうが同じ。
無限回交換して、期待値も無限大なんてことはない。

ぶっちゃけここには哲学的な問題はなく、「期待値で動く人なんてあんまりいない」というだけの話になる。
だけど、期待値と合理性、人間の行動モデルのお話に発展する。それに確率と可能世界の関係がわかれば、ひょっとしたらコルモゴロフとバイバイするかもしれないし、確率の教育に寄与するかもしれない。

正直に言えば、確率論はコルモゴロフの公理から脱却せんといけないと思ってるけど、僕にはそんな大それたことはできない。できることは、せいぜいベイジアンを気取るくらいだ。


 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年12月23日(金)11時32分36秒
> No.3437[元記事へ]

φ さんへのお返事です。

> > 数学の確率論、特に期待値の存在性は、
> > "可能世界"等の概念や様相論理とは関係なく定義されるので
> > "可能世界"や"様相論理"等をいくら持ち出しても、
> > 期待値の存在性やその他の確率・期待値に関する主張の根拠にはなりません。
>
>  それは早計でしょう。
>  http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3427 に粗描したように、
>  「2封筒問題では、ゲーム開始時にアクセス可能な可能世界としては、封筒内金額が二つである可能世界しか存在しない」
>  ということを忘れると、唯一試行と多数試行の区別がつかなくなり、期待値計算を誤ることがあるからです。

それはφの誤解に過ぎない。

>  2封筒問題ゲーム開始時には、アクセス可能な可能世界は、封筒内金額が二つである可能世界だけです(ペアの種類は無限にあるが)。

ここで意味がある言葉は「ペアの種類は無限にあるが」だけ。

「封筒内金額が二つ」というのが
「1つのペアに注目すれば、自分の封筒の金額の可能性は2つしかない」
という意味なら、まったくそのとおりで、わざわざ言うまでもない。

>  手もとに選んだ封筒を開封すると、今度は、アクセス可能な可能世界が、封筒内金額が二つである可能世界のうち二つだけになります(ペアの種類は二つだけ)。

ここで終わりなら、φは肝心なことを見過ごしている

ペアの種類が2つに限られるだけでなく、どちらのペアにおいても
2つあったはずの可能性の1つが失われている。

>  この区別ができないと、未開封バージョンにおいて、手もとにA円、あちらには2A円かA/2円、それで平均をとって……、というような混乱した期待値計算が始まってしまいます。

混乱しているのはφ。

どちらのペアにおいても、ペア内の2つの可能性のうちの1つが失われているから
金額がA円だと明らかになった後では、
「手もとにA円、あちらには2A円かA/2円、それで平均をとって……」
という計算のみが正しく、それ以外の計算は間違っている。

>  無数の封筒内金額が共存する多数試行であれば括弧付け替え計算が無制限に許されますが、唯一試行の場合は、アクセス可能な可能世界に共存しない(つまり互いに不可能な)金額を勝手に組み合わせては、正しい期待値計算ができません。

「唯一試行の場合は」というのが無意味であり間違っている。

そもそも、試行は唯一でない。したがって自分の金額として
いかなる場合にもアクセス可能である。
したがって組み合わせることが可能であり期待値計算は正しい。
計算が収束しないなら、期待値は存在しないということなのだ。

>  確率の判断には、様相的判断が必須だと思われます。

φは様相の判断を間違った。


TTT氏へ
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年12月23日(金)11時06分41秒
> No.3435[元記事へ]

TTTさんへのお返事です。

> ・・・φさんは確率の根本的・基本的な部分に関して無知、
> あるいは誤解しているようですね。
> φさんは術語や理論を、本来の定義や論理を読まず(読む気もなく)、
> 自然言語で説明された文章だけ読んで、理解した気になってるのでしょう。
> だからこそその説明文を、本来の定義や論理を無視して
> (本人はそもそも本来の定義に関して無知or軽視しているので
> 無視した自覚はなく、指摘されても瑣末な事だとしか思わないのでしょうが)
> 独自に解釈し直すことで、間違った推論・主張するのだと思います。

φは、そもそも数学の定義は根本的に間違ってると思ってるんだろう。
その昔「俺がルールブックだ」といった審判がいたが、
φも「俺が確率だ」と思ってるんだろう。


Re: y/x の期待値でx, y の二択の比較優位がわかるのだろうか
投稿者:φ メール 投稿日:2011年12月22日(木)02時51分10秒
> No.3436[元記事へ]

スターダストさんへのお返事です。

>
> φ さんのおっしゃるところの「(1)は真と言えるのではないでしょうか。」
> に相当することを私もまた先日まで真であると思っておりましたが、
> どうやら要検討であるらしい、そのような気持ちで、このたび、
> 『y/x の期待値でx, y の二択の比較優位がわかるのだろうか』を投稿させて頂きました。
>

 そうでしたか。
 ろくに考えもせずに反射的にレスをしてしまったことは否めません。
 TTTさんの出した反例からわかるように、
 E(x/y)=E(y/x)ならば、交換による期待値変化はない(したがって、交換による損得ナシ)。
 というのは撤回いたします。
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3434 は、「制限」が不足していました。

 E(x/y)=E(y/x)を、xとyの対称性が成立している場合の典型として挙げたつもりでしたが、非対称でもE(x/y)=E(y/x)は成り立ちうるのでした。
 (シンプソンのパラドクスの一例と言えるでしょう)

 2封筒問題のように、xとyの対称性が成り立つ場合(確率分布が同じである場合)は、
 E(x/y)=E(y/x) などと条件づけなくとも、確率分布が等しいというそのことだけで、
 「交換による期待値変化はない」と言えますね。

 ちなみに、xとyを、存在論的な選択肢と捉えると、2封筒問題でも、封筒内の金額は必ず異なるわけですから、xとyには大小関係があり、交換によって損得が必ず生じています。
 しかるに、2封筒問題のような「識別できない」設定では、認識論的な選択肢と捉えざるをえず、大小関係の可能性は対称的ですから、交換によって損得は生じません(期待値変化はありません)。

 認識論的に識別できないものどうしの間での交換は、主観確率での期待値計算による損得はありえない、と言えるのではないでしょうか。

>
> ネットや文献を渉猟しまするに、二封筒問題に最初に出会う多くの人々は、
>「確率変数の比の期待値について調べ、そして考える」ことと思います。
> 2倍と1/2倍との平均をとる操作を問題文によって誘導されますし、
> まさしくそれは、「確率変数の比の期待値について調べ、そして考えてみよ、
> 矛盾を感じないだろうか?」という誘導にもなっているのではありますまいか、
>

 たしかに、{x,2x}のうちxをとっていれば交換で2倍になり、2xをとっていれば交換で半分になる、その平均をとれば5/4、という発想は誤りですよね。2倍、1/2という比率のもととなる数字が異なるので。
 よって、比ではなく差をとって、{x,2x}のうちxをとっていれば交換で+x、2xをとっていれば交換で-x、その平均をとればゼロ、というのが正解になりますね。

 ただし、開封バージョンの場合は、「5/4の得」という判断は、比の期待値をとっているわけではなく、純粋に和の平均をとって正しく計算した結果、「交換が5/4の得」、ということだと思われます。

 ……………………
 以下はTTTさんへ

 簡明な反例をありがとうございます。
 さて、

>
> 数学の確率論、特に期待値の存在性は、
> "可能世界"等の概念や様相論理とは関係なく定義されるので
> "可能世界"や"様相論理"等をいくら持ち出しても、
> 期待値の存在性やその他の確率・期待値に関する主張の根拠にはなりません。
>

 それは早計でしょう。
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3427 に粗描したように、
 「2封筒問題では、ゲーム開始時にアクセス可能な可能世界としては、封筒内金額が二つである可能世界しか存在しない」
 ということを忘れると、唯一試行と多数試行の区別がつかなくなり、期待値計算を誤ることがあるからです。
 2封筒問題ゲーム開始時には、アクセス可能な可能世界は、封筒内金額が二つである可能世界だけです(ペアの種類は無限にあるが)。
 手もとに選んだ封筒を開封すると、今度は、アクセス可能な可能世界が、封筒内金額が二つである可能世界のうち二つだけになります(ペアの種類は二つだけ)。
 この区別ができないと、未開封バージョンにおいて、手もとにA円、あちらには2A円かA/2円、それで平均をとって……、というような混乱した期待値計算が始まってしまいます。

 無数の封筒内金額が共存する多数試行であれば括弧付け替え計算が無制限に許されますが、唯一試行の場合は、アクセス可能な可能世界に共存しない(つまり互いに不可能な)金額を勝手に組み合わせては、正しい期待値計算ができません。

 確率の判断には、様相的判断が必須だと思われます。


>
> 具体的には例えば、論理構造(コインやサイコロが先投げか後投げか)によって確率が異なる例として
>「射撃室のパラドクス」なるものをφさんは挙げていますが、これは誤りで、例や根拠になっていません。
> 「射撃室のパラドクス」の本当のタネは、設定[1]と[2]のどちらでも
> 「"あなた"がどの(何番目の)グループに入るのか、をどのように決めるのか(どんな確率分布か)」が不明であるのに
> φさんの[1]と[2]の考察では実は異なる確率分布を仮定している所です(具体的に考えれば簡単にわかります)。

 ↑ その確率分布を詳しく説明していただけますか?

 なお、サンクトペテルブルクについて言うと、
 たしかに、賞金金額をこれから決める場合と既に決まったが無知である場合とでは、確率分布は同じなのでしょうが、決定的な違いがあり、それが合理的判断に影響しています。
 これから決める場合は、賞金が無限大である確率はゼロですが、不可能ではありません。
 すでに決まった場合は、賞金が無限大である確率はゼロであり、かつ、不可能です。

 確率ゼロというのは、その事象が存在しないという意味ではありません。ましてや、不可能という意味ではありません。
 ところが、賞金がすでに決まった場合は、賞金が無限大である確率は不可能だと決定し、「賞金額は必ず有限である」というデータが加わったのです。賞金額より大きな数が必ず存在するのです。
 これから決める場合には、そういうデータはありません。賞金額より大きな数が存在することは保証されていません。

 このように、サンクトペテルブルクでも、様相の考察が必要です。


Re: y/x の期待値でx, y の二択の比較優位がわかるのだろうか
投稿者:スターダスト 投稿日:2011年12月21日(水)10時55分52秒
> No.3434[元記事へ]

φ さんへのお返事です。

> スターダストさんへのお返事です。
>
> >
> > 確率変数の比の期待値【だけ】で論議すると、穴に落ちる可能性があります。
> >
>
>  {x,y}のいずれを取るのが得であるかについて、ある制限のもとでは、確率変数の比の期待値【だけ】で決めることができるのではないでしょうか。
>
>  たとえば、
>
>  E(x/y)=E(y/x)ならば、交換による期待値変化はない(したがって、交換による損得ナシ)。   …………(1)
>
>  ↑(1)は真と言えるのではないでしょうか。
>  2封筒問題の場合は、これに該当すると思われます。

これについてはTTTさんの[3435]のご投稿における例示について、セッションをしてくださいますと、私としては助かります。 申し訳ありません。φ さんのおっしゃるところの「(1)は真と言えるのではないでしょうか。」に相当することを私もまた先日まで真であると思っておりましたが、どうやら要検討であるらしい、そのような気持ちで、このたび、『y/x の期待値でx, y の二択の比較優位がわかるのだろうか』を投稿させて頂きました。少なくとも、「二封筒問題」においては、なんらかの条件が働いていて、たまさか、(1)が真になる、そのへんを立証すべきと考え続けたのですが、私には良いアイデアが浮かびませんでした。今後の皆様による論議を期待させていただいております。

ネットや文献を渉猟しまするに、二封筒問題に最初に出会う多くの人々は、「確率変数の比の期待値について調べ、そして考える」ことと思います。2倍と1/2倍との平均をとる操作を問題文によって誘導されますし、まさしくそれは、「確率変数の比の期待値について調べ、そして考えてみよ、矛盾を感じないだろうか?」という誘導にもなっているのではありますまいか、私にはそのように思われるのでございます。そして、これは罠であると。

以上です。よろしくお願いいたします。



Re: y/x の期待値でx, y の二択の比較優位がわかるのだろうか
投稿者:TTT 投稿日:2011年12月21日(水)06時08分0秒
> No.3434[元記事へ]

φ さんへのお返事です。

>「E(x/y)=E(y/x)ならば、E(x)=E(y)」

こんなものは当然成り立ちませんよ。
例えば
1/2の確率で、封筒Xに1円,封筒Yに2円入れる
1/2の確率で、封筒Xに20000円,封筒Yに10000円入れる
という場合を考えると
確率変数X/Yの確率分布と、確率変数Y/Xの確率分布は同一(2である確率1/2, 1/2である確率1/2)
なので、E[X/Y]=E[Y/X]=5/4ですが、明らかにE[X]≠E[Y]です。

また、例えば
E[X/Y]>E[Y/X] ( E[X/(X+Y)]>E[Y/(X+Y)] )かつE[X]<E[Y]
が成立するようなX,Yの確率分布なんかも簡単に見付けられます。


お久しぶりです。
論理パラドクシカ、心理パラドクス、論理サバイバル、論理パラドクス
の確率の節と、この掲示板のφさんの書き込みも読みなおしました。

やはりφさんは確率の根本的・基本的な部分に関して無知、あるいは誤解しているようですね。
φさんは術語や理論を、本来の定義や論理を読まず(読む気もなく)、
自然言語で説明された文章だけ読んで、理解した気になってるのでしょう。
だからこそその説明文を、本来の定義や論理を無視して
(本人はそもそも本来の定義に関して無知or軽視しているので
無視した自覚はなく、指摘されても瑣末な事だとしか思わないのでしょうが)
独自に解釈し直すことで、間違った推論・主張するのだと思います。

原文を読まず訳だけ読んで、その訳を言い換えても(言い換えたつもりでも)、
それが正しい(原文の意味と合う)とは限りません。


φさんの主張する論理構造や様相論理に基づく独自理論や
>「E(x/y)=E(y/x)ならば、E(x)=E(y)」
等その他諸々は、確率論に従わない or 反してしいるので、その正しさが保証されていません。
つまり、φさんの単なる思い付きでしかありません。

直観的(特に素人の直観による)解答など当てになりません。
また、『論理パラドクス』のモンティホールの項に出てくる仮説Pのように
たまたま正解の数値と一致する答えを導いても、理由・根拠が正しくなければ
(変形問題を考える等で)問題を一般化すると正しい答えが導けなくなります。

数学の確率論、特に期待値の存在性は、"可能世界"等の概念や様相論理とは関係なく定義されるので
"可能世界"や"様相論理"等をいくら持ち出しても、期待値の存在性やその他の確率・期待値に関する主張の根拠
にはなりません。φさんの独自理論も、たまたま正しい答えを導くこともあったのかもしれませんが、
このような正しくない理由付けをしているので、間違った(アドホックな)理論です。


具体的には例えば、論理構造(コインやサイコロが先投げか後投げか)によって確率が異なる例として
「射撃室のパラドクス」なるものをφさんは挙げていますが、これは誤りで、例や根拠になっていません。
「射撃室のパラドクス」の本当のタネは、設定[1]と[2]のどちらでも
「"あなた"がどの(何番目の)グループに入るのか、をどのように決めるのか(どんな確率分布か)」が不明であるのに
φさんの[1]と[2]の考察では実は異なる確率分布を仮定している所です(具体的に考えれば簡単にわかります)。

また、サンクトペテルブルクの問題で
「コインを表が出るまでに投げた回数nに対して、賞金金額を(2^n)円とする」
という決め方で、賞金金額をこれから決める場合と既に決まったが何に決まったか無知である場合
金額が既に決まったのか否かすら無知である場合
のいずれの場合でも、期待値は存在しません(確率と確率変数の積の総和となる級数は発散します)。
期待値の存在性は確率分布のみによって決まり、どちらの場合も確率分布が同じだからです。


そして「期待値変化」「損得」といった語の定義・意味が相変わらず不明ですね。
「期待値変化」の定義(?)・説明(?)は、コロコロ変わりますが

>「交換による期待値変化はない」というのは、
>「x、yの期待値が存在するならば、その間に差異がない」
>x、yの期待値が存在しない場合は、この条件文は真です(トリビアルな意味で、交換による期待値変化はない)

だとするなら、例えば、
xの期待値,yの期待値が共に存在しないが、常に(確率1で)x>yが成立する場合や
xの期待値,yの期待値が共に存在しないが、(x-y)の期待値は存在して0でない場合
でも、「交換による期待値変化はない」となりますね。
しかしこれはこれまでのφさんの主旨に反する(一貫性がない)ように思います。



Re: y/x の期待値でx, y の二択の比較優位がわかるのだろうか
投稿者:φ メール 投稿日:2011年12月21日(水)00時37分34秒
> No.3433[元記事へ]

スターダストさんへのお返事です。

>
> 確率変数の比の期待値【だけ】で論議すると、穴に落ちる可能性があります。
>

 {x,y}のいずれを取るのが得であるかについて、ある制限のもとでは、確率変数の比の期待値【だけ】で決めることができるのではないでしょうか。

 たとえば、

 E(x/y)=E(y/x)ならば、交換による期待値変化はない(したがって、交換による損得ナシ)。   …………(1)

 ↑(1)は真と言えるのではないでしょうか。
 2封筒問題の場合は、これに該当すると思われます。

 ここで「交換による期待値変化はない」というのは、
 「x、yの期待値が存在するならば、その間に差異がない」という意味です。
 x、yの期待値が存在しない場合は、この条件文は真です(トリビアルな意味で、交換による期待値変化はない)。
  あるいは、「交換による期待値変化はない」というのは、
  単に「x、yの期待値の間に差異がない」という意味に解することもできます。
 そうすると、x、yの期待値が存在するにせよ存在しないにせよ、この条件文はトリビアルでない実質的な意味で真です(非存在どうしの間に差異があるはずはないので)。

 さらには、
 チャルマーズ論文のように、「期待値は無限大」という言い方を採用して、E(x)、E(y)の存在を保証するとしたら、

 「E(x/y)=E(y/x)ならば、E(x)=E(y)」    …………(2)

 という、(1)よりも強い命題が成り立つと言えるのではないか。
 この場合、交換による期待値変化がないことは言うまでもありません。

 いずれにしても、
 「交換による期待値変化はない」によって、「交換による損得ナシ」を意味することができます。


Re: y/x の期待値でx, y の二択の比較優位がわかるのだろうか
投稿者:スターダスト 投稿日:2011年12月19日(月)13時28分46秒
> No.3430[元記事へ]

φ さんへのお返事です。

> スターダストさんへのお返事です。
>
> 例1は面白いですね。
>  確かに、「獲得金額の比」で損得を論ずることはできないことがよくわかりました。
> 他方、例2は意味がわかりませんでしたが、何かの勘違い?

勘違いのようです。 申し訳ありません。


>
>  さて、
>  「E(y/x) = E(x/y) = 1.25 であるというモデル」
>  というのは、もちろんだいたいわかりますが、
>  正確に逐一書くとどういうものでしたっけ?
>

モデルとした問題は『二封筒問題へのコメント 投稿者:スターダスト 投稿日:2011年10月25日(火)14時02分33秒』に、舌足らずですが書いてあります。
積分計算は、省略しました。 掲示板の特性上、非常に難しかったので。(収束が確認できる級数も登場しますし、なんらかの方法を考え付かないとこちらに投稿できませんでした)

===
●例2は間違いでした
===
●例3
εを微小な正数とします。

A={1, 2, 3}
B={0にかなり近い 3ε, 4, 8}

Aからxとしてひとつ選択のときのxの期待値は、2 。
Bからyとしてひとつ選択のときのyの期待値は、4+ε 。

xよりもyを選択したほうが得のはず。

===

一方、比についてついて考えると…
x/y の期待値 E_1 は、
E_1 = { 1/3ε + 2/3ε + 3/3ε + 1/4 + 2/4 + 3/4 + 1/8 + 2/8 + 3/8 } / 9
→ かなり大きな数。εを調整すれば任意の数Mよりも大きくすることができます

逆にy/x の期待値 E_2 は、計算結果は書きませんが、まぁ、あらかじめ定めた上限Nで抑えることが可能です。

εを調整すれば、余裕で
E_1 > E_2
とすることができることを意味しています。

このことをもって、「x/y の期待値がすごく大きな数なので、yよりもxを選択したほうが得なはず」という結論にもっていくことが正当化されるでしょうか? 事実は逆です。

確率変数の比の期待値【だけ】で論議すると、穴に落ちる可能性があります。


Re: 2封筒問題について
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年12月14日(水)07時36分30秒
> No.3427[元記事へ]

φ さんへのお返事です。

> a 「特定の金額ペアについて交換を一度だけ行なうゲーム」を無限回試行によってシミュレーションし、期待値を求める場合
> b 「いろいろな金額ペアで交換を無限回行なうルールのゲーム」の期待値を求める場合(bをシミュレーションするとしたら、無限回試行を無限箇所で並行して行なうことになる)
>
>  2封筒問題は、aで考えねばならず、bは2封筒問題ではないということです。

aは無意味である。

無限回試行する、といった瞬間に期待値の算出は一通りに定まる。
並行しようがしまいが同じである。このことがφには理解できない
というより、自分の考えに固執したいがために理解したがらない。

>  封筒内金額の一方をxとして、次の3通りの期待値変化の計算(交換したときに期待値がどれだけ変わるかの計算)を考えてください。
>  (正確には、1/2と各ペアの確率とが係数としてかかるが、ここではa、b、cの違いにのみ注目するので、表記簡略化のため省略)
>
>  Σ((2x-x)+(x-2x))=Σ0=0   ……a
>
>  Σ((x/2-x)+(2x-x))=Σx/2    ……b
>
>  Σ((x-x/2)+(x-2x))=-Σx/2    ……c
>
>  2封筒問題では、試行は「一度だけ」ですから、
> 交換による期待値変化を求めるシミュレーションとしては、
>  aの計算が正しく、b、cは正しくありません。
>  なぜなら、b、cは、Σの各項の中に異なるペアを共在させた
> シミュレーションになっているからです。
> 一度限りの試行では、ペアは一つしか実在せず、
> 各可能世界でシミュレーション試行を何度繰り返しても、
> 2xとx/2とが共在する可能世界はありません。

φは自分の主張を正当化するためだけに、可能世界の考えを悪用している。

そ・も・そ・も、確率の考え方は同時に起きないことを足し合わせて考えている。
サイコロで1~6の各々の目が出る場合は相互排他的であることは明らかである。
そして、目の期待値3.5は、これらの相互排他的状態の目と確率を掛け合わせた
ものを足しているのである。

φの考え方では、期待値の考えそのものが根本的に否定される。

>  ① 2封筒問題では成り立たず、無限回実際交換の変則2封筒問題にのみ成り立つ「括弧付け替え計算」に固執していた。(シミュレーションの失敗)
>  ② 変則2封筒問題に話を限定したとしても、一般解を拒絶し、特殊な場合にのみ期待値が存在しなくなることをもって正解は「無意味」と断じていた。(問題の趣旨の誤解)
>
>  付言すると、期待値が存在しない特殊な場合でも、交換による期待値変化が存在しないとは限らない(たとえば、{2^x,2^x+10}における交換では、期待値変化はゼロ)ため、厳密な証明を欠いた氏の誤りは三重とも言えますね。

最後のコメントは、φが私の発言を誤解したためのもので無意味。

私は「交換による損益の期待値が存在しない場合」といった。
{2^x,2^x+10}における交換ではxの分布が与えられるなら
損益の期待値は存在する。つまり私の発言に対する反例にはならない。

もっとも、{2^x,2^x+10}なら、
「2^xのとき交換し、2^x+10なら交換しない」
という戦略が実行できるから意味ないがw


二封筒問題ではy/x の期待値は全く計算していない
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年12月14日(水)07時21分52秒
> No.3428[元記事へ]

スターダストさんへのお返事です。

> 確率変数 x, y があるとき、その比である y/x の期待値を求めることによって、x を取得したほうが得なのか y を取得したほうが得なのか、そうした問いに答えることが可能であるかどうかについて考えてみます。

無駄なことを考えたね。

なぜなら二封筒問題ではy/xの期待値を全く計算していない。

> 2封筒問題において、y/x の期待値1.25などに依存した解釈には、もう少し考えるべきところがあると存じますがいかがでしょうか?y/x の期待値を計算すれば損得がわかるという証明がなされていません。

1.25という数字から「y/x の期待値が計算された!」と
スターダスト氏が早合点しただけかと思う。



Re: y/x の期待値でx, y の二択の比較優位がわかるのだろうか
投稿者:φ メール 投稿日:2011年12月14日(水)00時19分59秒
> No.3429[元記事へ]

スターダストさんへのお返事です。

例1は面白いですね。
 確かに、「獲得金額の比」で損得を論ずることはできないことがよくわかりました。
他方、例2は意味がわかりませんでしたが、何かの勘違い?

>
> (ホストの負担は有限であるがその値をゲストは知らない、有限負担の中で小切手の額は一様分布)
> を持ち込んで
> E(y/x) = E(x/y) = 1.25 であるというモデルを示したことがあります。
>
> E(y/x)は、損得を示さないとすれば、このモデルは矛盾を内在しているとは言えません。
>
> 2封筒問題のパラドキシカルな印象は、y/x の期待値に過度な期待してしまったからではないでしょうか?
>

 未開封バージョンですね。

 さて、
 「E(y/x) = E(x/y) = 1.25 であるというモデル」
 というのは、もちろんだいたいわかりますが、
 正確に逐一書くとどういうものでしたっけ?

 忘れてしまったので、すみません、もう一度示していただけますか?


y/x の期待値でx, y の二択の比較優位がわかるのだろうか
投稿者:スターダスト 投稿日:2011年12月12日(月)17時25分8秒
> No.3428[元記事へ]

さて、実際に私は、こちらの掲示板の過去の投稿において、
2封筒問題のひとつの解釈
(ホストの負担は有限であるがその値をゲストは知らない、有限負担の中で小切手の額は一様分布)
を持ち込んで
E(y/x) = E(x/y) = 1.25 であるというモデルを示したことがあります。

E(y/x)は、損得を示さないとすれば、このモデルは矛盾を内在しているとは言えません。

2封筒問題のパラドキシカルな印象は、y/x の期待値に過度な期待してしまったからではないでしょうか?


y/x の期待値でx, y の二択の比較優位がわかるのだろうか
投稿者:スターダスト 投稿日:2011年12月12日(月)17時16分48秒

確率変数 x, y があるとき、その比である y/x の期待値を求めることによって、x を取得したほうが得なのか y を取得したほうが得なのか、そうした問いに答えることが可能であるかどうかについて考えてみます。

私が得たい結論は、y/x の期待値は、「x を取得したほうが得か y を取得したほうが得か」の問いに対して参考になる情報を得られない、というものです。

一般の場合に考えることは難しいので、いくつかの例をサンプルにします。

■例1

xは{1, 2, 3} から、yは{1, 2, 3}から得ることとします。 xとyがたまたま等しくても構いません。
u = y/x の期待値E(z)は、以下のように求められることでしょう。

E(u) = 1/9 * {1/1 + 2/1 + 3/1 + 1/2 + 2/2 + 3/2 + 1/3 + 2/3 + 3/3}
= 1/9 * {6/6 + 12/6 + 18/6 + 3/6 + 6/6 + 9/6 + 2/6 + 4/6 + 6/6}
= 1/9 * 1/6 * {36 + 18 + 12}
= 11/9
∴ E(u) > 1

ここから、次のように言明することは誤りです。すなわち、
E(y/x) > 1 なのであるから、y を取得したほうが、x を取得するよりも得である。
上の誤りは自明であることと思われます。

念のため、u の逆数である、v = x/y についての期待値を求めれば、
E(v) = 11/9 > 1
です。
y/x についても x/y についてもその期待値は1より大となります。
y/x の期待値から、x, y のどちらが得かは得られません。

■例2
xは{1, 2, 3} から、yは{1, 1, 1}から得ることとします。
u = y/x の期待値を求めてみましょう。

E(u) = 1/9 * { 1/1 + 1/2 + 1/3 + 2/1 + 2/2 + 2/3 + 3/1 + 3/2 + 3/3 }
= 1/9 * { 6/6 + 3/6 + 2/6 + 12/6 + 6/6 + 4/6 + 18/6 + 9/6 + 6/6 }
= 1/9 * 1/6 * { 11 + 22 + 33 }
= 1/9 * 1/6 + {66}
= 11/9

このことから、以下のように言明することは誤っています。すなわち
u = y/x の期待値が1より大なので、y を取得したほうが x を取得するよりも得である。

間違いである理由は自明です。なんとなれば
xは{1, 2, 3} から、yは{1, 1, 1}から得るので
xから取得したほうが得であるからです。

■例3
x のどれかが 0 であるとy/xの期待値は計算不能
自明。

===
以上のように、y/x についての期待値は、一般には役に立ちません。

2封筒問題において、y/x の期待値1.25などに依存した解釈には、もう少し考えるべきところがあると存じますがいかがでしょうか?y/x の期待値を計算すれば損得がわかるという証明がなされていません。


Re: 2封筒問題について
投稿者:φ メール 投稿日:2011年12月 9日(金)01時05分2秒
> No.3412[元記事へ]

eggmanさんへのお返事です。


 一回試行と多数試行を分けたeggmanさんのコメントのおかげで、
 モンテカルロ氏がどうしてずっと間違い続けてきたのか、はっきりわかりました。

 つまり、↓a、bを混同すると、モンテカルロ氏のような泥沼にはまるということです。

a 「特定の金額ペアについて交換を一度だけ行なうゲーム」を無限回試行によってシミュレーションし、期待値を求める場合
b 「いろいろな金額ペアで交換を無限回行なうルールのゲーム」の期待値を求める場合(bをシミュレーションするとしたら、無限回試行を無限箇所で並行して行なうことになる)

 2封筒問題は、aで考えねばならず、bは2封筒問題ではないということです。

 2封筒問題のゲームは、何度も何度も挑戦するというルールではありません。
 「この一回」において交換するとどうなるか、という問題です。
 他の封筒ペアではなく、ここに与えられた「この封筒ペア」について、交換がどれだけ得か損か、という問題です。

 モンテカルロ氏は、bの「さまざまな封筒内金額について実際に無限回試行するというルールによる交換ゲーム」について考えていたのだ、と今回気づきました。
eggmanさんには感謝します。

 aは、「封筒ペアの片方の金額が(たとえば)100万円と判明」というデータ(開封バージョン)あるいは「封筒ペアの総額が未知ながらただ一通りに確定」(未開封バージョン)というデータに条件付けられています。
 その条件を満たした試行に限って、無限回をシミュレーションします。(正確に言うと、それぞれの試行は別々の可能世界で行なわれます。かりに現実世界で何度もやってみるとしても、各試行は独立した「一回試行」のシミュレーションなので、諸結果は相互排他的であり、それぞれの試行は別の可能世界にあると見なされます)。
 bは、本当に無限回試行をするという経験的実行のルールに則ったゲームで、そのつど金額が判明したり(開封バージョン)、ペア総額が未知ながら確定したり(未開封バージョン)するが、その判明ぶりや確定ぶりはそのつど異なります。(各試行は同一の可能世界で行なわれ、諸結果は相互排他的ではありません)。

 2封筒問題の開封バージョンについては、期待値は発散しないことがすでに明らかでしょうから、今度は話を未開封バージョンに限定して考えましょう。

 封筒内金額の一方をxとして、次の3通りの期待値変化の計算(交換したときに期待値がどれだけ変わるかの計算)を考えてください。
 (正確には、1/2と各ペアの確率とが係数としてかかるが、ここではa、b、cの違いにのみ注目するので、表記簡略化のため省略)

 Σ((2x-x)+(x-2x))=Σ0=0   ……a

 Σ((x/2-x)+(2x-x))=Σx/2    ……b

 Σ((x-x/2)+(x-2x))=-Σx/2    ……c

 2封筒問題では、試行は「一度だけ」ですから、交換による期待値変化を求めるシミュレーションとしては、
 aの計算が正しく、b、cは正しくありません。
 なぜなら、b、cは、Σの各項の中に異なるペアを共在させたシミュレーションになっているからです。一度限りの試行では、ペアは一つしか実在せず、各可能世界でシミュレーション試行を何度繰り返しても、2xとx/2とが共在する可能世界はありません。
 (むろん、封筒内を見ていないので、いかなるペアが実在するかは決まっていない。よってxは可能世界ごとにさまざまに変化するが、各項の組み合わせとしての2xとx/2の共存は起こりえない。共存できるのは相対的に(互いから見て)実在するものどうしだけ。換言すれば、同一の可能世界に共在するものだけ。つまり、{x、2x}に限られる。2xとx/2とは、互いに相対的に非実在である)。

 2封筒問題にはa、b、cの計算がともに当てはまるから交換による期待値変化は存在しない(無意味)とするモンテカルロ氏は、2封筒問題と無限回実際交換ゲームとをすっかり混同していたわけです。

 b、cのように、異なるペアを同一世界に実在化させることが許されるのは、いろいろな封筒ペアが実際に選ばれて、無限回実際に試行するという場合です。つまり、「無限回試行する、というのがゲームのルールになっている場合」です。2封筒問題はそのルールではありません。

 一試行(Σの各項)において共存できる封筒内金額xと2xどうしを組み合わせて、それをあらゆるxの可能性につき確率の重み付きで足し合わせる、これが2封筒問題(ただ1回の試行)のための正しいシミュレーションです。

 Σ計算の各項に「金額ペアが共在する可能世界」をインデックスとして付けて考えるとわかりやすいでしょう。
 可能世界をWxという表示にして、@Wxは「Wxに存在するような」という形容詞として考えましょう。
 Wxは、aでは、少額の方がxである特定の可能世界を表わし、b、cでは、それぞれ封筒内金額としてxが存在する特定の可能世界を表わします。

a Σ((2x@Wx-x@Wx)+(x@Wx-2x@Wx))=Σ0@Wx=0

b Σ((x/2@Wx-x@Wx)+(2x@Wx-x@Wx))=Σx/2@Wx

c Σ((x@Wx-x/2@Wx)+(x@Wx-2x@Wx))=-Σx/2@Wx

 別々の可能世界に存在する金額を足したり引いたりしては、同一ゲームのシミュレーションになりません。(そもそも、別々の可能世界に存在する金額の和や差は、生身のプレイヤーの利害(効用)にとって何の意味も持ちません。確率の重みづけを付けたうえで足し引きすれば初めて期待値として現われることのできる、理念的な値です。ちなみに、期待値は実際の効用の目安(期待効用)であって具体的効用に対応するわけではありませんから、別々の可能世界における金額(それぞれは具体的効用である)を基本単位として計算することができます)。

 x、yを金額、w、vを可能世界、※を「実在のプレイヤーにとっての効用として意味を持つ」という文演算子として、
 ∀w∀v∀x∀y(※((x@w+y@v)=(x@w+y@v)∧(x@w-y@v)=(x@w-y@v))⊃(w=v)) ……d

 期待値が、意味ある効用に確率をかけて求められる平均値でなければならないとすれば(期待値計算の基本単位が意味ある効用でなければならないとすれば)、
 dにより、ペアの総額が一つに確定していて、一つの可能世界ごとに{x、2x}だけが登場するaこそが2封筒問題のシミュレーションであり、
 b、cは、一つの可能世界に複数のペア総額が存在できる、つまり{2x、x、x/2}が共在できるゲーム(つまり実際に多数試行するルールのゲーム)を描写していることがわかります。
 2封筒問題でもいろいろな可能世界を考え、可能世界Wxが変わるごとにxが変化するのですが、{x、2x}は同じWxに実在できても、{2x、x/2}はどのWxにも実在できません。つまりxと2xは互いに足し引きして意味ある効用を表わすが、2xとx/2は互いに足し引きしても意味ある効用を表わしません。よって、期待値計算の成分となりません。
 b、cではその原則が破られています。むろん現実に多数回試行する場合は、それでよいのですが、2封筒問題はペア一種類で行なわれるので、b、cは的外れです。机上のコトバ遊びにすぎません。

 実際には一度だけ交換する2封筒問題では、多種類の封筒内金額の存在はあくまで観念的なものであり、実在する交換はただ一つのペア(2種類の金額、つまり一つの総額)をめぐってのみ為されます。一つの可能世界には二つの金額だけが存在します。それを無数の可能世界についてシミュレーションして期待値(および交換による期待値変化)を求めるわけです。
 よって、2封筒問題では、封筒内金額を各項2種類に限定したaの計算だけが許されます。
 (これは、おかめ石氏が一貫して強調してきたことでした。)

 いちおう、無限回実際に試行するゲームの場合のことも考えておきましょう。(すでにさんざん述べたことですが)

 無限回実際試行ゲームでは、a、b、cすべての計算が成り立ちますが、
 a、b、cの結果が異なると確実に言えるのは、各ペアが選ばれる確率が一様分布の場合、もしくはそれに準ずる特殊な場合だけです。

 一様分布でない任意の確率分布の場合、bとcは期待値変化が発散する保証がありません。
 他方、aの計算、つまり任意の確率分布の場合に通用する計算によると、「交換による期待値変化はゼロ」というのが正解となります。aには一般的妥当性があります。

 2封筒問題は、封筒ペアの確率分布については何も述べられていないため、
「任意の確率分布について成り立つ解を求めよ」という句が省略されていると考えるべきです。
 特殊な確率分布でしか成り立たない解は、要求されていないのです。(普遍的な解が成り立たない場合があれば別だが、実際にはaの計算が妥当しない場合は存在しない)

 そう考えると、aの計算だけが普遍性を持ちうるので(獲得金額の期待値が発散しようがしまいが成り立つので)、2封筒問題だけでなく、「無限回交換するというルールの変則2封筒問題」の正解も、「交換による期待値変化はゼロ」ということになります。

 つまり、モ氏の誤りは、二重でした。

 ① 2封筒問題では成り立たず、無限回実際交換の変則2封筒問題にのみ成り立つ「括弧付け替え計算」に固執していた。(シミュレーションの失敗)
 ② 変則2封筒問題に話を限定したとしても、一般解を拒絶し、特殊な場合にのみ期待値が存在しなくなることをもって正解は「無意味」と断じていた。(問題の趣旨の誤解)

 付言すると、期待値が存在しない特殊な場合でも、交換による期待値変化が存在しないとは限らない(たとえば、{2^x,2^x+10}における交換では、期待値変化はゼロ)ため、厳密な証明を欠いた氏の誤りは三重とも言えますね。


任意の金額で交換する場合
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年12月 7日(水)22時08分27秒

A円が来た場合、B円が来た場合、C円が来た場合、・・・
と金額別に分類して集計すれば、どの場合においても
25%の得になる。

しかし、このような場合、そもそも交換しない場合に
手元に来る金額の期待値が∞になる。

もし、上記の期待値が∞にならないような分布にしてしまったら
今度は「金額の如何によらず25%の得」とはならない。
金額が高いところでは、交換によって損するようにならざるを得ない。

つまり
・手元に来る金額の期待値が有限
・交換により金額に依存せずに得をする
という2つの条件を両立させることはできない。


Re: ぶっちゃけ
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年12月 7日(水)21時59分34秒
> No.3424[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

> 実行可能だから、実行すれば損得の平均値が求まる。これが、期待値。

「平均が存在する場合には」の但し書きが必要。


Re: ぶっちゃけ
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年12月 7日(水)21時45分47秒
> No.3423[元記事へ]

φ さんへのお返事です。

> > φが何の説明もなく□(様相演算子)を持ち出した時点で・・・
>
> 「プレイヤーの想像可能な世界」が論議領域だ、と書いたので、
> それが十分な説明になっているかと思いますが。
> 必然様相の論理構造はいかなる解釈でも一定なので。

φは議論領域という言葉を漫然と用いているが、
おそらく論理学を全く誤解していると思われる。

> > 期待値は「公開は無限回実行可能」「封筒のペアは無限にある」
> >「他の金額が手元にある可能性は全く否定されない」という前提
> > の上でのみ考えられるからだ。
>
>  あくまで「無限回実行可能」であればよいのであり、
> 実際に無限実行されている必要などありません。

実行可能だから、実行すれば損得の平均値が求まる。これが、期待値。

>  ただ1回実行される試行の期待値は、立派に計算できます。

φの期待値の計算は、数学として間違っている。

>  そもそも、われわれが期待値を云々する場合は、
>同種の試行は一度もなされておらず、つまりゼロ回しか為されておらず、
>これから初めてその種の試行が為される場合がほとんどです。
>あるいは、結局一度も為されないかもしれません。
>  実行するのは多数回どころか、ゼロ回でも1回でもよいのです。

数学で定義された期待値との違いを確認されたくないようだね。

>  たとえば「宇宙定数の期待値」は、
> 多宇宙説の正しさを前提しなくても
> 論ずることができます。

「論ずる」=「口からデマカセをいう」という意味なら正しい。

>  封筒をまだ一度も交換していない段階でも、
> 交換の期待値を求めることができます。

「求める」=「口からデマカセをいう」という意味なら正しい。

>  実行可能性と実際の実行とを混同していたのでは、2封筒問題は解けません。

実際の実行を避けて、「ばれないウソ」をつくのは、問題の解決ではない。

> >「一度限りの試行における期待値」というものは無い。
> > 期待値とは無限回実行される試行の「平均値」だからだ。
>
>  eggmanさんがhttp://8044.teacup.com/miurat/bbs/3404で「1回だけの交換」と「無限回交換」とを分けて考えていた以上、そのそれぞれの期待値を分けて応答するのは当然です。

その分け方が間違ってる。間違った問いに答えても意味がない。

>  そして実際、
> 「一回だけ行なうというルールの試行」と
> 「無限回行なうというルールの試行全体」とは
> まったく異なります。

無限回行わない、というのはφの勝手な都合でしかない。

>  「一回だけ行なうというルールの試行」の期待値を求めるとき、
> 「無限回の実行」を実際に実行する必要などありません。
> そもそも無限回実行は実現不可能です。
> 単に期待値の定義に出てくる概念にすぎません。

期待値の定義を否定したものを「期待値」と呼ぶことはできない。
語りたいのなら、別の言葉を用いるしかないだろう。

>  「無限回」を実行可能な「多数回」で置き換えても、その実行は不必要です。

期待値という言葉を用いる限り定義に従う必要がある。
実行しないなら期待値という言葉を一切用いてはならない。

>  同種の試行を多数回実行する可能性さえあれば期待値を求めるのに十分であり、
> 同種の試行が実際に多数回実行されてその平均値が求められていることは
> 必須ではありません。

可能性だけで満足し、実行しないのなら期待値を求めたことにならない。
実際に多数回実行し平均値を求めることは必須だ。それが期待値の定義だからだ。

>  前述のように、期待値を求めるべき試行は、多数回どころか一度もなされていない場合が大半です。

φが述べたことは全く誤っている。

>  実際に実行した多数回の平均と、実行回数がまだゼロ回の一試行の期待値とを混同してはいけません。厳密に区別すべきです。

「実行回数がまだゼロ回の一試行の期待値」は存在しない。
定義に反する言葉の用法は、絶対に否定されるべき大罪である。

>  試行のルールが〈一度だけ実行するというルール〉なのか、
>〈多数回実行するというルール〉なのかは、
> 全く異なるゲームを生み出すのです。

多数回実行を否定したいのなら、期待値という言葉を用いてはならない。

あなたが期待値にとって代わる概念によって期待値を否定したいならそうすればいい。

期待値という言葉を用いることで、自分が数学に基づいていると
他人に思わせたいということなら、φの行為は立派な詐欺だ。

>  なお、モンテカルロ氏は積み残しが多すぎるうえ、
> 冷静な議論ができない(するつもりもない)状態のようですから、
> 私は今後、氏に直接にレスをする気はありません。

φは数学を理解せず、しかも数学を学ぶつもりもなく
幼稚な計算で、自分が正しい期待値を求めたと誤解する
あさはかさを露呈している。

φが私の指摘に不快感を示すばかりで自分の誤りに気付こうともしないのは
φの自由であるが、それで損をするのはφである。

>  ただ、eggmanさんはじめ他の人に宛てた投稿の中で
> モンテカルロ説への感想や批判を適宜述べますから、
> たとえば私の次回(明日あたり)の投稿をご覧ください。

明日、何を書くのも自由だが、何を書いても、今の調子では、後悔するだろう。


Re: ぶっちゃけ
投稿者:φ メール 投稿日:2011年12月 7日(水)18時20分7秒
> No.3419[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。


 まず始めにモンテカルロ氏に言いますが、
 今後、拡大文字その他の変則的なフォントを使用された場合は、ただちに削除しますのでご了承ください。ああいうことをされると過去ログに保存するのも一苦労なので。

>
> φが何の説明もなく□(様相演算子)を持ち出した時点で
>「ああ、煙に巻いて逃げるつもりだな」と
>

「プレイヤーの想像可能な世界」が論議領域だ、と書いたので、それが十分な説明になっているかと思いますが。必然様相の論理構造はいかなる解釈でも一定なので。
 だいたい「煙に巻く」ことができるほど複雑な式は書いてないし。

>
> 期待値は「公開は無限回実行可能」「封筒のペアは無限にある」
>「他の金額が手元にある可能性は全く否定されない」という前提
> の上でのみ考えられるからだ。
>

 あくまで「無限回実行可能」であればよいのであり、実際に無限実行されている必要などありません。
 ただ1回実行される試行の期待値は、立派に計算できます。
 そもそも、われわれが期待値を云々する場合は、同種の試行は一度もなされておらず、つまりゼロ回しか為されておらず、これから初めてその種の試行が為される場合がほとんどです。あるいは、結局一度も為されないかもしれません。
 実行するのは多数回どころか、ゼロ回でも1回でもよいのです。
 たとえば「宇宙定数の期待値」は、多宇宙説の正しさを前提しなくても論ずることができます。
 封筒をまだ一度も交換していない段階でも、交換の期待値を求めることができます。
 実行可能性と実際の実行とを混同していたのでは、2封筒問題は解けません。

>
>「一度限りの試行における期待値」というものは無い。
> 期待値とは無限回実行される試行の「平均値」だからだ。
>

 eggmanさんがhttp://8044.teacup.com/miurat/bbs/3404で「1回だけの交換」と「無限回交換」とを分けて考えていた以上、そのそれぞれの期待値を分けて応答するのは当然です。
 そして実際、
 「一回だけ行なうというルールの試行」と「無限回行なうというルールの試行全体」とはまったく異なります。
 「一回だけ行なうというルールの試行」の期待値を求めるとき、「無限回の実行」を実際に実行する必要などありません。そもそも無限回実行は実現不可能です。単に期待値の定義に出てくる概念にすぎません。
 「無限回」を実行可能な「多数回」で置き換えても、その実行は不必要です。
 同種の試行を多数回実行する可能性さえあれば期待値を求めるのに十分であり、同種の試行が実際に多数回実行されてその平均値が求められていることは必須ではありません。
 前述のように、期待値を求めるべき試行は、多数回どころか一度もなされていない場合が大半です。
 実際に実行した多数回の平均と、実行回数がまだゼロ回の一試行の期待値とを混同してはいけません。厳密に区別すべきです。
 試行のルールが〈一度だけ実行するというルール〉なのか、〈多数回実行するというルール〉なのかは、全く異なるゲームを生み出すのです。

 なお、モンテカルロ氏は積み残しが多すぎるうえ、冷静な議論ができない(するつもりもない)状態のようですから、私は今後、氏に直接にレスをする気はありません。
 ただ、eggmanさんはじめ他の人に宛てた投稿の中でモンテカルロ説への感想や批判を適宜述べますから、たとえば私の次回(明日あたり)の投稿をご覧ください。


Re: 睡眠中の量子自殺類似実験
投稿者:φ メール 投稿日:2011年12月 7日(水)18時12分41秒
> No.3421[元記事へ]

BTXさんへのお返事です。

>
> 全時間&全空間&全多世界中の全ての主観は同一であって、
> 同時に全てを体験しており時間発展というものはなく、
> 舐める海馬のパターンというか過去の記憶が個々に違っていて
> それが自己に感じられるだけ、という世界観です。
> よくある話だと思うのですがなんていうのでしょうかこれ。
>

 渡辺恒夫『輪廻転生を考える』にある「遍在転生観」に相当しますかね。
 矛盾のない考えではありますが、あえてそう考えねばならない必然性はないように思います。

>
> 「致命傷ゆっくり・量子自殺」が変わります。
>
> このまま「量子目覚まし」=(2) を考えると、
> 「眠の選択」が取られ、午前2時に約数分程度の時間目を覚ます機会を奪われたとしても、
> 朝6時に起きてから「ああ、起の選択、にはならなかったなぁ…」と
> 起の選択の失敗の海馬を舐める自己がその後50年間分くらい居ることになるので、その差はほんの少し。
> 50.0000001 % くらい「起の選択」の主観的確率が上がるだけかなぁと思います。
> どうでしょう。
>

 「量子覚醒」と「量子死」とが同じ論理に従うかどうか、がポイントかもしれませんね。
 全く同じ論理に従うためには、遍在転生観が必要かもしれません。

 ただし、遍在転生観のためには、物理的身体と主観的意識との分離が必要になりますが、これはちょっと考えにくい心身観です。
 分離しているにしても、もっと集合論的に統一された分離であるはずで、「全時間&全空間&全多世界中の全ての主観は同一」という、完全な分離(身体的単位と意識単位との相互独立)は考えにくいように思います。

 あるいは、遍在転生観が正しいとした場合、
 経験時間の客観的長さではなく、主観的長さを考えるとどうなるか。
 本来、観測者の本質は内的意識にあるとすれば、主観的時間の量で観測選択確率が決まるとするのが妥当でしょう。

 すると、客観的な単位時間あたり多くの情報処理が為されている意識、つまり明晰な意識、高IQの意識に「現在の私」が相当する確率が高くなります。

 つまり、「なぜ私は他の人々よりも知能が高いのだろう?」という、ここに来ている人みなが感じる疑問(?)の答えは、「それは観測選択効果の確率的結果だからだ」ということになります。

 ↑これは、『多宇宙と輪廻転生』で述べた「グルジエフの原理」です。
 「今の私」は、寿命の長い個体に属している確率が高いというよりも、知能の高いあるいは自意識の強い個体に属している確率が高い、ということになるでしょう。
 したがって、量子自殺や量子覚醒の成功頻度は、当然、覚醒時の明晰度によって大幅に変わるでしょうね。


Re: 睡眠中の量子自殺類似実験
投稿者:BTX 投稿日:2011年12月 7日(水)00時31分4秒
> No.3420[元記事へ]

φ さんへのお返事です。

>  BTXさんのお考えを聞かせていただけると幸いです。

私の場合は「自己」の世界観がちょっと違うのでしょうか。
全時間&全空間&全多世界中の全ての主観は同一であって、
同時に全てを体験しており時間発展というものはなく、
舐める海馬のパターンというか過去の記憶が個々に違っていて
それが自己に感じられるだけ、という世界観です。
よくある話だと思うのですがなんていうのでしょうかこれ。

その世界観の中では
「量子銃を撃つ前であるこの私は、撃った後にはどうなるのか、損するのか、得するのか」
という主観的問いは、
「『○×△男という名前を持ち、何分何秒にどこどこに居て、量子銃を撃ったことがある』
という記憶のパターンXを過去として保持しているような海馬を舐められるような
多世界解釈上の全ての未来の自己は、その何割ぐらいが現在後悔しているだろうか」
という問いになります。

これだと、「瞬間的・有意識・量子自殺」、「瞬間的・睡眠中・量子自殺」=(1) は
先生と同じく確率1で生き残りに成功します。

「致命傷ゆっくり・量子自殺」が変わります。
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3410
>分岐してしまってからは、長い寿命の方へジャンプは出来ません。後の祭りです。
ここですね。これが違ってて、
「分岐してしまっても長い寿命の方へ移ることができる」という考え方です。
移ることができる、というよりは、常にどの分岐にも移り変わっていて、
しかも滞在先の余白も時間方向に長いので
「生き延びてよかったなぁ」と思っていることがほとんど、というわけです。

このまま「量子目覚まし」=(2) を考えると、
「眠の選択」が取られ、午前2時に約数分程度の時間目を覚ます機会を奪われたとしても、
朝6時に起きてから「ああ、起の選択、にはならなかったなぁ…」と
起の選択の失敗の海馬を舐める自己がその後50年間分くらい居ることになるので、その差はほんの少し。
50.0000001 % くらい「起の選択」の主観的確率が上がるだけかなぁと思います。
どうでしょう。


Re: 睡眠中の量子自殺類似実験
投稿者:φ メール 投稿日:2011年12月 5日(月)02時13分3秒
> No.3413[元記事へ]

BTXさんへのお返事です。

 まことに面白い設定ですね。
 じっくり考える意義がありそうです。

>
> (1)
> 量子自殺の実験を睡眠中に量子銃を撃つとどうなるでしょうか。
> 土曜日の22時に就寝し眠っている日曜日の朝2時に量子銃の引き金が引かれます。
> 1/2 の確率で「死の選択」が選ばれ、そこで爆発するなりなんなりして一瞬で命が奪われます。
> のこりの確率で「生の選択」が選ばれたときは、朝6時に目覚ましが鳴って普通に起こされます。
>

「量子失神」のとき述べたことと同様、生きている脳は必ず「意識モドキ」を持つと仮定するなら、確率1で主観は翌朝目覚めるということになりますが……、
 しかしこれは、どうもアドホックな仮説のような気もしますね。
 ノンレム睡眠中に量子自殺をした場合は(あるいは量子殺人をされた場合は)、死の確率に従って、主観的に目覚めない場合が生ずるということになるのでしょうか。
 最も穏当な考えは、
 意識喪失中は、主観がないので、主観の分岐が起こらない。
 意識回復時に、主観の分岐が起こり、観測選択効果により、確率1で、目覚めることができる。
 というものではないでしょうか。

 こう考えると、睡眠中の突然死というのは、量子効果が関わっていて確率1未満で生じた場合は、第三者にとってのみ観察され、本人自身は常に翌朝目覚めている、ということになるでしょう。

>
> (2)
> もしくは穏やかに、「量子目覚まし」というのはいかがでしょう。
> 土曜日の22時から就寝して眠っていると日曜日の朝2時に量子銃の引き金が引かれます。
> 1/2 の確率で「起の選択」が選ばれその朝2時の時点で起こされますが、またすぐ睡眠を促されます。
> 残りの確率で「眠の選択」が選ばれ、朝6時に通常の定時目覚ましが鳴って普通に起こされます。
> 主観的に 100% 「起の選択」が選ばれるでしょうか。
>

 これは難しいですね!
 すぐには回答が見つかりません。
 BTXさんのお考えを聞かせていただけると幸いです。

 しばらく考えてみます。


ぶっちゃけ
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年12月 4日(日)17時09分8秒

φが何の説明もなく□(様相演算子)を持ち出した時点で

「ああ、煙に巻いて逃げるつもりだな」

と思った。どういう様相か説明も出来んのだから。


Re: 2封筒問題について
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年12月 4日(日)17時03分41秒

eggmanさんへのお返事です。

> >a■唯一試行の期待値を求めるための(期待値の定義としての)多数回シミュレーションによって得られる期待値
> >b■実際に多数試行するルールになっているゲームの期待値
>
> >aは、データに条件付けられたシミュレーションとして、手もとにA円が見出されたような試行に限って多数回考えるわけです。すると、期待値変化は25パーセントプラスです。
>
> 何となくわかったようなわからないような。でもそうなんでしょうね。


「東大卒の大学の先生は神!
 だから云うことは皆正しい筈。」

と思い込む人がいるから困る。

自分に自信を持て。

> 手もとにA円を見いだしたa氏
> 手もとにB円を見いだしたb氏
> 手もとにC円を見いだしたc氏
> ・・・・・・・・・・・・
> 手もとにΩ円を見いだしたω氏
> ・・・・・・・・・・・・
>
> のように多数の人がそれぞれ2封筒問題に独立に参加した(参加って表現は変かも)。
> a氏b氏c氏・・ω氏・・
> のいずれも、交換により手元の金額が25%プラスになることを期待できる。
> 参加者がどれだけ増えても同じである。
>
> ここで、各人の手元の金額を合計したX円(A+B+C+・・・+Ω+・・・)と
> 交換により各人の手元に来た金額を合計したZ円を考える。
> 参加者が無限に増えていくと
> Z/Xは1.25(25%プラス)に収束していく・・・・ことはない。
>
> 一人一人は常に25%プラスなのに、全体ではそうはならない。

ほら、あなたも分かってるじゃんw

> 結局
>
> φさん説:Z/Xは1に収束する。
> モンテカルロさん説:Z/Xは発散(0~+∞)する。
>
> でしょうか。

その場合、発散というよりそもそも不明といったほうがいい。
シミュレーションすれば正負に激しく振動する。要するに確定しようが無い。


Re: 2封筒問題について
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年12月 4日(日)16時57分11秒
> No.3411[元記事へ]

φ さんへのお返事です。

> 未開封バージョンについても、「交換による期待値変化を云々することは無意味」と言い張る人がいるので困るのですよ。

本当に困るのは、東大出たくらいで、専門外のことまで
「オレ様が正しい。オレ様が神だからだ」
と自惚れる奴。

まるでナベツネだw

> a■唯一試行の期待値を求めるための(期待値の定義としての)多数回シミュレーションによって得られる期待値
> b■実際に多数試行するルールになっているゲームの期待値
>
>  ↑この二つは全く別物です。

そもそもa■は意味不明。

期待値とは無限回試行の結果の平均値だからだ。

>  「〈この試行〉のとき、交換するのが得か損か」
>という決断を求められるのが2封筒問題であることを思い出してください。

そもそも「得か損か損得0かのいずれかだ」
という決め付けが間違ってるのだから、
その前提に立った上での判断も無意味。

>  無限回実際に行なうというルールのゲームで、
>「全回交換すべきか、全回非交換にすべきか」
>という決断を求められているわけではありません。

まったくの脱線だな。
そもそも、平均が存在しないのだから無意味だといっている。
「そんなことはない!損得は決まってるはずだ!」
と突っ張るのは無意味。東大出ても数痴はやっぱり数痴か。

>  あくまで、「ただ1回の試行のときの交換の損得」を
>シミュレーションするために、同じ種類の決断を
>多数回繰り返した場合を考えるだけです。

φは、シミュレーションすら正しく実行できていない。
実際には損得0に収束しない。損得0に収束できるなら
期待値を求める級数が収束するからである。
しかし、収束しないのだから、シミュレーションの結果も
収束しない。数学が分かっていれば自明だ。

>  eggmanさんがパラドクス性を見出すという開封バージョンで、
> 違いをハッキリさせましょう。
>  たとえば、封筒内にA円を見出したとします。
>  aは、「A円を見出した唯一試行で、交換した場合の期待値」を求めます。
> この場合、「A円を見出した」というデータによって条件付けられています。
> このデータを無視してはいけません。

ここでいうaは、φが○○のごとく絶叫する「一回のみ」とは全く無関係に
単に無限回試行から「A円の場合」を抜き出すだけのこと。
そしてその場合は、実際に25%得をする。

>  bは、単に、胴元がそのつど選ぶさまざまな封筒によって多数回試行し、
> そのすべてで交換するゲームで、どのくらいの損得があったかの期待値を求めます。

bは、「A円の場合」とかいう条件の抜き出しなしの、無限回試行
そしてその場合には、結果は収束しない。

つまり、任意の「A円」を抜き出して、全て25%得、となるからといって
全体でも25%得、とは言えないわけだ。

なぜなら、交換する場合でも交換しない場合でも
全体では儲けの平均値は無限になってしまうから
比が意味をもたなくなってしまうのである。

こういうことが数痴にはいつまでも理解できない。
個々の場合で25%得といえるなら、全体でもいえる
と狂いまくるのである。

>  2封筒問題の解決は、結局、aとbを区別することに尽きるのです。

残念だが違う。区別すべきは、個々のA円の場合と、全体の場合。


Re: 2封筒問題について
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年12月 4日(日)16時38分40秒
> No.3409[元記事へ]

eggmanさんへのお返事です。

> > 2封筒問題は、もともと、「一回だけの交換」という設定です。
>
> そうでしたっけ?

もちろん、違う。

> シミュレーションと実際の多数試行を区別する意味があるのでしょうか?

もちろん、無い。

> > あえて言えば、「開封」「未開封」で期待値変化を分類すべきでしょう。
>
> 未開封には何らパラドックスはありませんね。
>
> 封筒を開けて中の金額を見たときにパラドックスが生じるのではありませんか?
>
> 1.封筒の中の金額をみた後、同じ金額を賭けてコイン投げ(裏表を賭ける)を行う。当たったら倍になり、はずれたら半分になるという。
>  この場合の期待値は25%プラスです。
>  そして、多数回試行すれば得る金額は、25%プラスに収束していきます。
>
> 2.2封筒問題の場合も、期待値は全く同じ25%プラス。
>  しかし、多数回試行しても・・・
>
> これがパラドックスなのではありませんか?

最後の「しかし、多数回試行しても・・・」が誤り。

それぞれの金額でみれば得る金額は、25%プラスに収束していく。

しかし、ここから「全体でも得る金額は、25%プラス」とはいえない。
なぜなら、無限については有限と同様の計算はできないからだ。



Re: 2封筒問題について
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年12月 4日(日)16時32分1秒
φ さんへのお返事です。

> > ・φさんとモンテカルロさんの議論(結論)の相違点
> > 無限回交換すると、
> > φさん→交換による期待値(的な得)はゼロに収束する。
> > モンテカルロさん→交換による期待値は発散する(-∞~+∞)。
> >
>
>  ↑eggmanさんの「一回だけの交換」「無限回の交換」
> と分けたまとめ方はよくわかりませんね。

そもそもφは↓のごとく問題を誤解しているのだからわかりようがない。

>  2封筒問題は、もともと、「一回だけの交換」という設定です。
>  封筒ペアは一種類しかありません。
>  いろんな封筒で何度も繰り返すという設定ではないのです。
>  とくに、開封バージョンでは、金額を見てしまっているので、
>  他の金額が手もとにある可能性は消えています。
>  そのうえで、期待値を求めるのです。

そもそも、「交換は一回だけ」「封筒のペアは一種類」
「他の金額が手元にある可能性は無い!」と云った瞬間
「期待値」もまた雲散霧消する。

期待値は「公開は無限回実行可能」「封筒のペアは無限にある」
「他の金額が手元にある可能性は全く否定されない」という前提
の上でのみ考えられるからだ。

>  「無限回の交換」というか、ともかく多数回行なうというのは、
> 期待値の定義に従って、一度限りの試行における期待値を求めるため
> のシミュレーションにすぎません。

「一度限りの試行における期待値」というものは無い。
期待値とは無限回実行される試行の「平均値」だからだ。

>  ■実際に■多数試行をするというのは、
> 2封筒問題とは別の設定になってしまいます。

要するにφは、期待値の計算結果が受け入れられないので
期待値ごと否定したいために、「一度限り」と言い張るわけだ。

>  したがって、
>  「一回だけの交換」「無限回の交換」と分けて期待値変化を分類するのは、
>  2封筒問題とは別のことを考えておられるようですね。
>  あえて言えば、「開封」「未開封」で期待値変化を分類すべきでしょう。

問題の設定を決めるのは、φではない。
東大出ただけで
自分が神だと自惚れるな。


(無題)
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年12月 4日(日)16時20分44秒
>φさんとモンテカルロさんの激論も終わったようなので、

φが黙ったのだから、もういいだろう。


睡眠中の量子自殺類似実験
投稿者:BTX 投稿日:2011年12月 3日(土)23時54分39秒

φさんレスありがとうございます。

量子自殺の瞬間の様子がその後の主観に影響を与える説のようで、
私はまだそれには違和感を感じるのですが、
うまい反論が思い浮かばないので少し類似の思考実験を考えてみました。

(1)
量子自殺の実験を睡眠中に量子銃を撃つとどうなるでしょうか。
土曜日の22時に就寝し眠っている日曜日の朝2時に量子銃の引き金が引かれます。
1/2 の確率で「死の選択」が選ばれ、そこで爆発するなりなんなりして一瞬で命が奪われます。
のこりの確率で「生の選択」が選ばれたときは、朝6時に目覚ましが鳴って普通に起こされます。

被験者が睡眠中で意識がないことを除くと死に至る方法などは同じですが、この場合どうなるでしょうか。
主観的に確率1で「生の選択」が選ばれるでしょうか。

(2)
もしくは穏やかに、「量子目覚まし」というのはいかがでしょう。
土曜日の22時から就寝して眠っていると日曜日の朝2時に量子銃の引き金が引かれます。
1/2 の確率で「起の選択」が選ばれその朝2時の時点で起こされますが、またすぐ睡眠を促されます。
残りの確率で「眠の選択」が選ばれ、朝6時に通常の定時目覚ましが鳴って普通に起こされます。
主観的に 100% 「起の選択」が選ばれるでしょうか。

(3)
また、(2) の設定だと何度も実験することが可能です。
各選択の確率は 1/2 からずれたりするでしょうか。


Re: 2封筒問題について
投稿者:eggman 投稿日:2011年12月 3日(土)10時53分54秒
> No.3411[元記事へ]

φ さんへのお返事です。

>> シミュレーションと実際の多数試行を区別する意味があるのでしょうか?

>両者は全く違います。

>a■唯一試行の期待値を求めるための(期待値の定義としての)多数回シミュレーションによって得られる期待値
>b■実際に多数試行するルールになっているゲームの期待値

>2封筒問題の解決は、結局、aとbを区別することに尽きるのです。

>aは、データに条件付けられたシミュレーションとして、手もとにA円が見出されたような試行に限って多数回考えるわけです。すると、期待値変化は25パーセントプラスです。


何となくわかったようなわからないような。でもそうなんでしょうね。

手もとにA円を見いだしたa氏
手もとにB円を見いだしたb氏
手もとにC円を見いだしたc氏
・・・・・・・・・・・・
手もとにΩ円を見いだしたω氏
・・・・・・・・・・・・

のように多数の人がそれぞれ2封筒問題に独立に参加した(参加って表現は変かも)。
a氏b氏c氏・・ω氏・・
のいずれも、交換により手元の金額が25%プラスになることを期待できる。
参加者がどれだけ増えても同じである。

ここで、各人の手元の金額を合計したX円(A+B+C+・・・+Ω+・・・)と
交換により各人の手元に来た金額を合計したZ円を考える。
参加者が無限に増えていくと
Z/Xは1.25(25%プラス)に収束していく・・・・ことはない。

一人一人は常に25%プラスなのに、全体ではそうはならない。

結局

φさん説:Z/Xは1に収束する。
モンテカルロさん説:Z/Xは発散(0~+∞)する。

でしょうか。


Re: 2封筒問題について
投稿者:φ メール 投稿日:2011年12月 1日(木)02時37分47秒
> No.3409[元記事へ]

eggmanさんへのお返事です。

>
> 未開封には何らパラドックスはありませんね。
>

対称的ですからね。
しかし、未開封バージョンについても、「交換による期待値変化を云々することは無意味」と言い張る人がいるので困るのですよ。

>
> シミュレーションと実際の多数試行を区別する意味があるのでしょうか?
>

両者は全く違います。

a■唯一試行の期待値を求めるための(期待値の定義としての)多数回シミュレーションによって得られる期待値
b■実際に多数試行するルールになっているゲームの期待値

 ↑この二つは全く別物です。
 「〈この試行〉のとき、交換するのが得か損か」という決断を求められるのが2封筒問題であることを思い出してください。
 無限回実際に行なうというルールのゲームで、「全回交換すべきか、全回非交換にすべきか」という決断を求められているわけではありません。
 あくまで、「ただ1回の試行のときの交換の損得」をシミュレーションするために、同じ種類の決断を多数回繰り返した場合を考えるだけです。

 eggmanさんがパラドクス性を見出すという開封バージョンで、違いをハッキリさせましょう。
 たとえば、封筒内にA円を見出したとします。
 aは、「A円を見出した唯一試行で、交換した場合の期待値」を求めます。この場合、「A円を見出した」というデータによって条件付けられています。このデータを無視してはいけません。
 bは、単に、胴元がそのつど選ぶさまざまな封筒によって多数回試行し、そのすべてで交換するゲームで、どのくらいの損得があったかの期待値を求めます。

 aの多数試行は、データによって制約されたシミュレーションです(開封バージョンの場合は封筒内金額というデータによって制約され、未開封バージョンの場合はひと組のペアしか実在しないというデータによって制約される)。
 bの多数試行は、ルールとして実行される経験的な多数試行です。

 aは、データに条件付けられたシミュレーションとして、手もとにA円が見出されたような試行に限って多数回考えるわけです。すると、期待値変化は25パーセントプラスです。
 bは、実際にゲームをするわけですから、多数回において、A円だけでなく、いろんな金額が手もとに来ます。すべてで交換した場合、{少額、高額}のうちはじめに少額が来たときに得し、高額が来たときに損するわけなので、すべてを総合すると、初期の運不運と交換後の運不運が相殺して、期待値変化はプラスマイナスゼロです。

 ちなみにaで、相手方は、たとえば2Aを見出しています。この場合の交換の期待値は、手もとに2A円が見出された試行に限った多数回試行でシミュレーションします。交換が25パーセントプラスです。このゲームをa’とすると、
 aとa’とbはそれぞれ別のゲームなので、期待値変化(交換による損得)が互いに食い違っても、矛盾ではありません。

 2封筒問題の解決は、結局、aとbを区別することに尽きるのです。


Re: 人間原理の能力
投稿者:φ メール 投稿日:2011年12月 1日(木)02時20分57秒
BTXさんへのお返事です。

>
> 量子自殺に瞬時性は本当に必要なのでしょうか?
>

 瞬時に死なないと、確率1で死へ向かうルートに入ってしまいかねません。

>
> 例えば確率99%のハズレ分岐の方にて中途半端な致命傷を負い
> 完全な死に10秒かかったとしても、
> アタリ分岐の方にてその後50年生きることが出来たなら、
> もしくは一番小さく見積もって 1000 秒以上生きることができたなら
> 実験後の主観としては、アタリ分岐が観測選択される気がしましたが。
>

両方の分岐で意識が続くなら、観測選択効果は両者を区別できず、たまたま寿命の短い方へ「私」が移動してしまうかもしれません。
 分岐してしまってからは、長い寿命の方へジャンプは出来ません。後の祭りです。

>
> (逆に言うと、死に瞬時性が必要だとするとどれくらいの速さでしょう。
>  必要な速さが定義できなくないでしょうか?
>

意識に捉えられる最短時間は、どのくらいなんでしょうね。
 十分の1秒くらいと聞いたことはありますが。
 それより短い時間で脳が完全破壊されれば、量子自殺は成功するでしょうね。

 

Re: 2封筒問題について
投稿者:eggman 投稿日:2011年11月30日(水)07時52分54秒
> No.3407[元記事へ]

φ さんへのお返事です。

>eggmanさんの「一回だけの交換」「無限回の交換」と分けたまとめ方はよくわかりませんね。
> 2封筒問題は、もともと、「一回だけの交換」という設定です。

そうでしたっけ?

> 「無限回の交換」というか、ともかく多数回行なうというのは、期待値の定義に従って、一度限りの試行における期待値を求めるためのシミュレーションにすぎません。
> ■実際に■多数試行をするというのは、2封筒問題とは別の設定になってしまいます。

シミュレーションと実際の多数試行を区別する意味があるのでしょうか?


> あえて言えば、「開封」「未開封」で期待値変化を分類すべきでしょう。

未開封には何らパラドックスはありませんね。

封筒を開けて中の金額を見たときにパラドックスが生じるのではありませんか?

1.封筒の中の金額をみた後、同じ金額を賭けてコイン投げ(裏表を賭ける)を行う。当たったら倍になり、はずれたら半分になるという。
 この場合の期待値は25%プラスです。
 そして、多数回試行すれば得る金額は、25%プラスに収束していきます。

2.2封筒問題の場合も、期待値は全く同じ25%プラス。
 しかし、多数回試行しても・・・

これがパラドックスなのではありませんか?


Re: 人間原理の能力
投稿者:BTX 投稿日:2011年11月30日(水)01時12分7秒
> No.3406[元記事へ]

φ さんへのお返事です。

ちょっと前から気になっていたのですが、
量子自殺に瞬時性は本当に必要なのでしょうか?

例えば確率99%のハズレ分岐の方にて中途半端な致命傷を負い
完全な死に10秒かかったとしても、
アタリ分岐の方にてその後50年生きることが出来たなら、
もしくは一番小さく見積もって 1000 秒以上生きることができたなら
実験後の主観としては、アタリ分岐が観測選択される気がしましたが。

(逆に言うと、死に瞬時性が必要だとするとどれくらいの速さでしょう。
 必要な速さが定義できなくないでしょうか?
 どれだけ速さても 0 秒より大きければ死にならないでしょうか。
 たとえ1ナノ秒でも1ピコ秒でも)


Re: 2封筒問題について
投稿者:φ メール 投稿日:2011年11月28日(月)04時00分31秒
> No.3404[元記事へ]

eggmanさんへのお返事です。

>
> ・φさんとモンテカルロさんの議論(結論)の一致点
> 1回だけの交換により期待値的に25%得をする。
>
> ・φさんとモンテカルロさんの議論(結論)の相違点
> 無限回交換すると、
> φさん→交換による期待値(的な得)はゼロに収束する。
> モンテカルロさん→交換による期待値は発散する(-∞~+∞)。
>

 ↑eggmanさんの「一回だけの交換」「無限回の交換」と分けたまとめ方はよくわかりませんね。

 2封筒問題は、もともと、「一回だけの交換」という設定です。
 封筒ペアは一種類しかありません。
 いろんな封筒で何度も繰り返すという設定ではないのです。
 とくに、開封バージョンでは、金額を見てしまっているので、他の金額が手もとにある可能性は消えています。
 そのうえで、期待値を求めるのです。

 「無限回の交換」というか、ともかく多数回行なうというのは、期待値の定義に従って、一度限りの試行における期待値を求めるためのシミュレーションにすぎません。
 ■実際に■多数試行をするというのは、2封筒問題とは別の設定になってしまいます。

 したがって、
 「一回だけの交換」「無限回の交換」と分けて期待値変化を分類するのは、2封筒問題とは別のことを考えておられるようですね。
 あえて言えば、「開封」「未開封」で期待値変化を分類すべきでしょう。


Re: 人間原理の能力
投稿者:φ メール 投稿日:2011年11月28日(月)03時49分9秒
> No.3405[元記事へ]

BTXさんへのお返事です。

>
> 爆発というのはなかなか物騒ですね…(汗)
> 特に「死」である必要性はなくて記憶喪失とかでも大丈夫ですね。
> 要は失敗の記憶が残らないようにすると。
> 睡眠と目覚まし時計くらいを使って穏やかにやれないものでしょうか。
>

 なるほど、
完全かつ即時の意識喪失を保証する「量子失神」が実現できれば、何も実際に死ぬ必要はありませんね。
 量子失神の可能性については、以前、研究会でも指摘を受けたのでしたが、
 そのとき私は、次のように答えました。
 「生きながら完全かつ即時の意識喪失というのは不可能であり、それを経験したと思っている人も、実は記憶の中で経験した感じを抱いているだけで、現場では完全かつ即時ではないのではないか」……。

 しかしこの「理想的失神不可能仮説」はアドホックでしょうかね。

 私は、完全かつ即時の意識喪失をした経験はないのですが、
 もし、そういう「理想的失神」が現実に起こりうるのであれば、量子自殺は否定されます。
 なぜならば、一人称的に(主観的に)理想的失神を体験できるとすれば、主観的な「死」も体験できるはずで、自殺の瞬間、死の分岐へ進んでしまうことがありうるからです。

 多世界解釈が正しければ、量子自殺が可能であり、理想的失神の瞬間、必ず、失神しない分岐へと主観的に進むはずなので、理想的失神を体験した人というのは皆無であるはずなのです。

 多世界解釈を検証するには、
 「失神の現象学」が必要になってきますね。


Re: 人間原理の能力
投稿者:BTX 投稿日:2011年11月27日(日)01時45分31秒
> No.3399[元記事へ]

φ さんへのお返事です。

>  量子自殺を間主観的に行なう「量子心中」はいかがでしょうか。
> (以下略)
なるほど。
意外にあっさりと出てきて感動しました。
ありがとうございます。

>ただし、この量子心中のマジックが成功するためには、次の二つの条件が必要です
>  ■サイコロの出目に量子効果が働くこと。(どの目についても、それが出る諸世界の分岐が物理的に存在する(さいころを振る前の現時点から続いている)こと。)
>  ■爆発は、瞬時にして会場内の人々の命を奪うこと。(即死でなければならない。意識を保ったまま重傷を負うような分岐があってはならない。)

量子効果はがんばればできそうですが、
爆発というのはなかなか物騒ですね…(汗)
特に「死」である必要性はなくて記憶喪失とかでも大丈夫ですね。
要は失敗の記憶が残らないようにすると。
睡眠と目覚まし時計くらいを使って穏やかにやれないものでしょうか。
実際に実験をしてみたいんですよ。
また考えてみます。


2封筒問題について
投稿者:eggman 投稿日:2011年11月20日(日)21時20分3秒

φさんとモンテカルロさんの激論も終わったようなので、
2封筒問題へ話を振った者の責任として最後に一言だけ。


・φさんとモンテカルロさんの議論(結論)の一致点
1回だけの交換により期待値的に25%得をする。

・φさんとモンテカルロさんの議論(結論)の相違点
無限回交換すると、
φさん→交換による期待値(的な得)はゼロに収束する。
モンテカルロさん→交換による期待値は発散する(-∞~+∞)。

ということでしょうか。
ちなみに私個人は、モンテカルロさんの結論のように期待値は発散してしまうのではないかと考えています。


Re: 量子心中
投稿者:φ メール 投稿日:2011年11月18日(金)02時14分41秒
> No.3402[元記事へ]

クリスティアンさんへのお返事です。


>
> ところで、家族や友人を全部含めた心中なら4は理屈の上では解決できそうですが、
> 実際には(自分一人だけが自殺するよりも)もっと嫌な気がするのですが…
>

 それはやはり、多世界解釈を信じていないということかもしれませんね。少なくとも無視できぬ疑いが残っていると。
 多世界解釈が正しくないなら、死んでしまったらそれっきりですからね。

 観測選択効果については、ヒュー・エベレットの述べたとおりの多世界解釈が正しければ、信用してよいはずです。量子ロシアンルーレットで、多世界全体からすれば測度ゼロに等しいほどの小分岐でしか私は生き残らないとしても、主観的には「私」は観測者としてしか分岐できないため、私は必ず生き延びます。
 指を切断し、手足を切断し、耳を削ぎ……、と体をバラバラにしていっても、私はそのつど必ず、脳のある場所に分岐する、というのと理屈は同じです。

 ただし、「不死」は不可能です。
 いずれは、即死ではなく量子効果も働かない衰弱状態あるいは事故に遭遇することになるので、確率1で死の分岐へと至る(すべての私が死ぬ)ことになるでしょう。


Re:量子心中
投稿者:クリスティアン 投稿日:2011年11月17日(木)08時57分43秒

まとめてくださりありがとうございます。
私は1と2の可能性が残っているような気がして多世界解釈を信じきれていないように思います。
ところで、家族や友人を全部含めた心中なら4は理屈の上では解決できそうですが、実際には(自分一人だけが自殺するよりも)もっと嫌な気がするのですが…


Re: 量子心中
投稿者:φ メール 投稿日:2011年11月17日(木)02時20分4秒
> No.3400[元記事へ]

クリスティアンさんへのお返事です。

>
> 大変凄い設定です。私は多世界解釈はかなり信憑性があると思っているのですが、
> 量子心中をやってみろといわれたら絶対に嫌です。これは矛盾した態度でしょうか?
>

 その態度の原因として、いくつか考えられますね。

 1.クリスティアンさんは、本当は多世界解釈を確信できていない。

 2.クリスティアンさんは、多世界解釈を確信しているものの、観測選択効果の論理を信用していない。

 3.クリスティアンさんは、多世界解釈も観測選択効果も信じているものの、量子効果と即死をともに保証するような装置設定が実際上むずかしいと思っている。

 4.クリスティアンさんは、多世界解釈にも観測選択効果にも量子効果and即死を保証する装置にも信を置いているが、後に残される家族や友人(生き延びる自分と同じ分岐にすすむのは少数派なので)の分岐束との別れのことを考えると(とくにクリスティアンに死なれた彼らの悲しみを考えると)いたたまれない。

 5.1~4のどれも該当しないものの、なんとなく気持ちが悪いだけ。

 他にも可能性はあるでしょうが、ざっとこんなところでしょうか。
 5.について言うと、送信機に入ってオリジナルは分解され受信機に瓜二つの分子集合体が現われるという、つまり一旦物理的不連続性が生ずる「人間ファックス」よりは量子自殺は気持ち悪くないはずだと思いますが。

 ちなみに私は、クリアしている(該当しない)のは2.5.で、3.4.については、いくらか当てはまっているような気がします。
 1.は?
 自分では確信できているつもりですが、様相実在論へのコミットメントを後で撤回した前歴があるので、それを考えると多世界も……、

>
> φ先生は量子心中を自分で実行する気がありますか?
>

サンクトペテルブルクパラドクスの設定で、回ごとにどんどん賞金が高くなってゆくロシアンルーレットを量子銃でやらせてくれるゲームがあれば、参加する気はあります。
 私のほとんどの分岐は死んでしまいますが、主観的な私は間違いなく好きなだけ引き金を引き続けて、財産無制限の大金持ちになっていくでしょう。
 (回にかかわらず一定の賞金であってもやる価値はありますね)


量子心中
投稿者:クリスティアン 投稿日:2011年11月16日(水)23時19分55秒

大変凄い設定です。私は多世界解釈はかなり信憑性があると思っているのですが、量子心中をやってみろといわれたら絶対に嫌です。これは矛盾した態度でしょうか?

φ先生は量子心中を自分で実行する気がありますか?


Re: 人間原理の能力
投稿者:φ メール 投稿日:2011年11月15日(火)01時07分23秒
> No.3398[元記事へ]

BTXさんへのお返事です。

>
> 人間原理、もしくは観測選択効果を使って、なにか周りが驚くような超能力的な技をすることはできないでしょうか?
>

 量子自殺を間主観的に行なう「量子心中」はいかがでしょうか。

 サイコロを振る前に、マジシャンが出目を予言して当てるというワザです。(他に、ロシアンルーレットでもなんでも)
 フェアなサイコロを客に振らせます。
 マジシャンの予言は常に当たります。何度やっても、どんな目でも当ててしまいます。
 なぜかというと、予言とは違う目が出た場合、ただちに室内の爆弾が作動して全員が爆死する仕掛けになっているから。
  (その仕掛けは、あくまでサイコロの目をモニターする起爆装置の仕掛けであり、出目を偏らせるようなサイコロのイカサマ的仕掛けではない)
 多世界解釈が正しければ、現状況と両立するあらゆる物理的可能性にまたがって存在している会場内の人々は、次の瞬間、観測選択効果により、常に、生き延びる分岐へと進むはず、つまり爆発が起こらない分岐へとつねに進むはずで、従って予言は常に当たるのです。
 会場にいない人々(の圧倒的多数)にとっては、予言はいずれ外れ、会場は爆発して中の人々は死んでしまいます。が、会場内の人々にとっては、予言は的中し続け、爆発はいつまでも起こりません。

 ただし、この量子心中のマジックが成功するためには、次の二つの条件が必要です。

 ■サイコロの出目に量子効果が働くこと。(どの目についても、それが出る諸世界の分岐が物理的に存在する(さいころを振る前の現時点から続いている)こと。)
 ■爆発は、瞬時にして会場内の人々の命を奪うこと。(即死でなければならない。意識を保ったまま重傷を負うような分岐があってはならない。)

 ついこのあいだ(11月6日)、科学基礎論学会の例会で、この「量子自殺」を発表したところ、
 「爆発が起こらない確率が低いのであれば、「本当の私」は測度が大きい方へ分岐する確率が高く、したがってかりに多世界解釈が正しくても、量子自殺は不可能ではないか」
 という反応(丹治信治氏)がありました。

 多世界解釈に忠実に従えば、量子自殺は可能だし、量子心中による超マジックも可能です。


人間原理の能力
投稿者:BTX 投稿日:2011年11月13日(日)20時37分45秒

お久しぶりに投稿いたします。
人間原理、もしくは観測選択効果を使って、なにか周りが驚くような超能力的な技をすることはできないでしょうか?
ユリゲラーが壊れた時計をテレビ経由で直す系のマジックなど、そういう雰囲気の現象など。
その他、ナノテクを使うのも面白いかもです。


Re: 発散の意味を変えるべからず
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年11月12日(土)17時38分39秒
> No.3390[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  先に賞金を決める場合は、
>  後で決める場合(もともとのサンクトペテルブルクパラドクス)に比べ、
>(賞金をFとして)
>  □∃y∀x(Fx⊃(y>x))
>  が成り立つという点で、賞金の期待値が発散するとは言えません。

□が様相だとしてもやっぱ意味が取れんな。

Fが賞金だというが、Fってxを引数とする述語になってるじゃん。

まず日本語で書いてみてごらん。
論理式に書き直してあげますから。

ちなみに、
「期待値が発散する」=「有限額に成らない場合がある」
とおもってるんなら、マチガッテル。

あんたが、期待値の意味を誤解してるの。
だから数学の教科書で、定義を確認しろって。
読まずに、ウソ定義デッチあげるなよ。


Re: □って何?
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年11月12日(土)17時28分27秒
> No.3394[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> > □って何?
> >
>
> □ はいうまでもなく □ ですけど?
>
> 換言すれば ~◇~ ですが?

様相演算子、ってことですか。

で、なぜ様相演算子が出てくる必要があるのかい?



Re: 2封筒問題―参考:変形バージョン
投稿者:おかめ石 投稿日:2011年11月12日(土)00時09分43秒

φさんへのお返事です。

「小切手に書いた金額」2種類に「複雑な計算式」を適用して計算し、それぞれの「計算結果」をそれぞれの封筒の表に書いておく、という事ですね。
「計算結果」は見えてるし「計算式」も示されてるから、プレイヤーが逆算すれば「小切手の金額」は分かる、但し複雑すぎて時間がかかる、と。~ちょっと公開鍵暗号を連想しました。~

これなら手元の金額を見る設問にも対応できてますね。他方の封筒が多額の方なのか少額の方か、その場ですぐには判断つかないので。

※※※※※※
ペア毎に考えるという点を明確にする為に、「y=2x」と「x=2y、つまりy=x/2」は両立しない事を納得しやすい形で示すのが私の提案の目的でした。
或いはもっと簡明な形にして、3枚のカードに同額を記入して、一方の封筒には1枚のカードを入れ、他方の封筒には2枚のカードを入れる、という形だと更に分かり易いでしょう。

 手元   交換すると
┏$100→$100×2
┃ ̄ ̄ ̄ ̄
┗$100×2→$100

┌$50→$50×2

└$50×2→$50
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「ペア毎に異なる額面紙幣を使う」という様なやり方で、上図では$50紙幣、$100紙幣の例を挙げました。
この方式では開封しただけで多額の方か少額の方か分かってしまう欠点が有りますけど、
同じ$100でも実は、「$50紙幣2枚の$100」と「$100紙幣1枚の$100」は違うペアに属してる、というのは納得し易く成るか、と。




Re: 2封筒問題―参考:変形バージョン
投稿者:φメール 投稿日:2011年11月 8日(火)02時14分37秒
> No.3392[元記事へ]

おかめ石さんへのお返事です。

>
> 金額の決定は最後に行います。最初に胴元は2枚のカードを用意し、それぞれに「x」と「y」と書きます。
> それが終ったら、カードの裏に書く式を「y=2x」又は「x=2y」のどちらか一方に決めます。
> 式を決めたら、両方のカードの裏にそれを記入し、その裏書の上にビニルテープを貼って読めなくします。
> 2枚のカードを別々の封筒に入れます。
>
>
> プレイヤーがどちらの封筒を取るか最終的に決めた後で、胴元はxの金額を決めます。最後にテープをはがしてゲーム終了です。
>

「最後にテープをはがしてゲーム終了」、それで
 「「y=2x」と「x=2y」は両立しない事がより鮮明に」というわけですね。

 これは、次のようにすればもっと鮮明になりませんか。

 金額を封筒に隠すのではなく、小切手の金額に複雑な計算式を適用して、その答えを封筒に書いておく。
 つまり、金額は露出しているのだが、小切手上の金額そのものではなく、計算結果だけが封筒に書いてある。
 プレイヤーには、計算式は知らされている。
 プレイヤーは計算式も計算結果も暗記するほど見ている。
 しかし、計算式があまりに複雑なので、人間の力では一週間くらいかけないと封筒内の小切手の金額を割り出せない。

 そのような二つの封筒(計算結果として別々の数字が書いてある)から、プレイヤーは片方を選ぶ。

 こういう設定なら、主観確率すら入り込む余地はありません。
 どちらの小切手の金額の方が大きいかは数学的必然性により確率1で決まっています。主観的にはわからないといっても、きちんと計算すればわかるのであり、計算式も計算結果も封筒に書かれていてプレイヤーは暗記するほど見ているので、BでなくAを選んだとき、A=2BかB=2Aかは、客観的に両立せず、主観確率の出番はありません。人間の主観が数学の計算結果を変えることはできないので。


 …………………………
 以下はモンテカルロさんへ

>
> □って何?
>

□ はいうまでもなく □ ですけど?

換言すれば ~◇~ ですが?

 なお、
 □、◇ の量化の範囲にある「世界」は(つまり論議領域は)、「プレイヤーの想像可能性の世界」としておけば、主観確率的に確率ゼロでない世界で様相を考えていることがわかりやすくなります。

 賞金先決め設定で
 ∃y□∀x(Fx⊃(y>x))
 が成り立たないのは、
 先決め設定における「プレイヤーの想像可能性の世界」を「可能世界」に読み替えると、
 まさに後決め設定が得られるから、
 ということでしょう。

 ただし、yの値としてx+100のような変数も許容してよいとすれば、
 賞金先決め設定で ∃y□∀x(Fx⊃(y>x)) も成り立つことになり、
 賞金先決め設定は、いかなる意味でも「期待値は発散しない」と言うことができそうです。


□って何?
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年11月 6日(日)16時53分52秒
> No.3391[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  ∃y□∀x(Fx⊃(y>x)) や
>  ∃y∀x□(Fx⊃(y>x)) や
>  ∃y∀x(Fx⊃□(y>x)) が成り立つかどうかはともかく、
>
>  □∃y∀x(Fx⊃(y>x))
>  が成り立つという点で、賞金の期待値が発散するとは言えません。
>  (「発散する」とかりに強弁するとしても、発散の意味がサンクトペテルブルクパラドクスの意味とは全く異なります。つまり、元の意味では発散しません。)

□って何?


2封筒問題―参考:変形バージョン
投稿者:おかめ石 投稿日:2011年11月 6日(日)01時06分19秒

3週間ぶりですね。9月29日以降、特に変更点は有りませんけど、一昨日、2封筒問題で開封時の状況を分かり易くするアイデアを思い付いたので記しておきます。

金額の決定は最後に行います。最初に胴元は2枚のカードを用意し、それぞれに「x」と「y」と書きます。
それが終ったら、カードの裏に書く式を「y=2x」又は「x=2y」のどちらか一方に決めます。
式を決めたら、両方のカードの裏にそれを記入し、その裏書の上にビニルテープを貼って読めなくします。
2枚のカードを別々の封筒に入れます。

    未開封時
┏━━━━┓┏━━━━┓
┃ ?  ┃┃ ?  ┃
┗━━━━┛┗━━━━┛

    開封時
┏━━━━┓┏━━━━┓
┃ x  ┃┃ y  ┃
┗━━━━┛┗━━━━┛
    裏書き
┌────┐┌────┐
│y=2x││y=2x│
└────┘└────┘
     又は
┌────┐┌────┐
│x=2y││x=2y│
└────┘└────┘

開封すると「x」又は「y」という事は分かっても、裏書は読めないので手元が少額の方かそれとも多額の方なのかは、まだ分かりません。

プレイヤーがどちらの封筒を取るか最終的に決めた後で、胴元はxの金額を決めます。最後にテープをはがしてゲーム終了です。

上記の形に変えてみると、「y=2x」と「x=2y」は両立しない事がより鮮明に成りました。


Re: 発散の意味を変えるべからず
投稿者:φメール 投稿日:2011年11月 4日(金)21時19分38秒
> No.3390[元記事へ]

 申し訳ない。
 記号をうっかり書き間違えました。

 ……………………

■誤■
>
>  ∃y□∀x(Fx∧(y>x)) や
>  ∃y∀x□(Fx∧(y>x)) や
>  ∃y∀x(Fx∧□(y>x)) が成り立つかどうかはともかく、
>
>  □∃y∀x(Fx∧(y>x))
>  が成り立つという点で、賞金の期待値が発散するとは言えません。
>  (「発散する」とかりに強弁するとしても、発散の意味がサンクトペテルブルクパラドクスの意味とは全く異なります。つまり、元の意味では発散しません。)

       ↓

■正■

 ∃y□∀x(Fx⊃(y>x)) や
 ∃y∀x□(Fx⊃(y>x)) や
 ∃y∀x(Fx⊃□(y>x)) が成り立つかどうかはともかく、

 □∃y∀x(Fx⊃(y>x))
 が成り立つという点で、賞金の期待値が発散するとは言えません。
 (「発散する」とかりに強弁するとしても、発散の意味がサンクトペテルブルクパラドクスの意味とは全く異なります。つまり、元の意味では発散しません。)

 ……………………

  以下は前投稿と同じです。

 *なお、いま改めて考えると、賞金先決め設定では
 ∃y□∀x(Fx⊃(y>x)) 以外のすべてが成り立つのではないかと思われます。

 賞金後決め設定では四つとも成り立たないわけですから、ますます違いは大きいということになります。同じ「発散」の語で指し示すのは混乱のもとでしょう。


発散の意味を変えるべからず
投稿者:φメール 投稿日:2011年11月 4日(金)03時09分38秒
> No.3389[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

 先に賞金を決める場合は、
 後で決める場合(もともとのサンクトペテルブルクパラドクス)に比べ、 (賞金をFとして)

 ∃y□∀x(Fx∧(y>x)) や
 ∃y∀x□(Fx∧(y>x)) や
 ∃y∀x(Fx∧□(y>x)) が成り立つかどうかはともかく、

 □∃y∀x(Fx∧(y>x))
 が成り立つという点で、賞金の期待値が発散するとは言えません。
 (「発散する」とかりに強弁するとしても、発散の意味がサンクトペテルブルクパラドクスの意味とは全く異なります。つまり、元の意味では発散しません。)

賞金の決め方を、コイン投げで、2^nの金額の確率が1/(2^n)とします。(nは自然数だが、場合によってはコイン投げでなく、金額の下限をなくす設定にすることもできる)
参加費の決め方は任意とします。(賞金の決め方と同じコイン投げも含む)
単位は便宜的に「円」と書くが、現実の円である必要はないものとします。

●A 参加費を払ってから賞金を決める場合
●B 賞金が決まっていてこれから参加費を決める場合
●C 参加費も賞金も決まっている場合

 A、B、Cは互いに論理構造がまったく異なります。

 プレイヤーから見て、
 ●A 参加費がいくらに決まろうが、賞金の期待値は無限大であり、ゲーム参加が「理論的には得」となる。
 ●B 賞金がいくらに決まろうが、参加費の期待値は無限大であり、ゲーム参加が「理論的には損」となる。
 ●C 賞金だけを知った場合、ゲーム参加は損のように一見思われ、参加費だけを知った場合、ゲーム参加は得のように一見思われ、両方とも知らない場合、損か得かは1/2である。ただし実は、賞金だけ知った場合、参加費だけ知った場合も、損か得かは1/2であり、理屈は2封筒問題と同じ(金額の下限をなくす設定も可能なので、2封筒問題同様、具体的金額から損得の推測ができないようにできる)。多数回このゲームをやってみれば、賞金だけ知った場合・参加費だけ知った場合も、損か得かは1/2であり、期待値は胴元とプレイヤーとで全く同じであることが判明する。

 ●A 胴元とプレイヤーが非対称的である。期待値から見ると、プレイヤーがつねに有利である。
 ●B 胴元とプレイヤーが非対称的である。期待値から見ると、胴元がつねに有利である。
 ●C 胴元とプレイヤーが対称的である。期待値から見ると、胴元が有利な設定、プレイヤーが有利な設定を作ることはできない。

これらの違いは、A、Bでは期待値が発散するのに、Cでは発散しないからである。
 A、Bで発散しCで発散しない理由は、A、Bでそれぞれ別様に働いている「観測選択効果」(ゲーム成立に関するバイアス)の両方ともがCで働いているからである。


φ、期待値の定義を勝手に改竄
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年11月 2日(水)07時49分7秒
> No.3388[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> サンクトペテルブルクでは、特定の賞金額があらかじめ決まると問題が成り立ちません(「プレイヤーは有限の金額であれば参加費いくら払っても得」という論理が成り立ちません)。

成り立ちます。

>  どんな形であれ、もし特定の賞金額が「決まった」としたら、有限の値であると決定し、期待値は発散せず、もはやサンクトペテルブルクパラドクスの論理構造を保っていません。

決定したところで、プレイヤーには分かりません。

サイコロを振ったら目は決まるでしょうが、
それが明らかになるまでは確率論で考えます。
期待値も、確率分布に従って考えるのであって
「なんだかわからないが未知の決定された額が期待値」
というのは、数学とは無関係の、φ独自の期待値です。


Re: 二封筒問題へのコメント
投稿者:φメール 投稿日:2011年10月30日(日)04時20分19秒
> No.3387[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。


 2封筒問題では、特定の金額があらかじめ決まらないと問題が成り立ちません(ゲームが始まりません)。

 逆にサンクトペテルブルクでは、特定の賞金額があらかじめ決まると問題が成り立ちません(「プレイヤーは有限の金額であれば参加費いくら払っても得」という論理が成り立ちません)。
 どんな形であれ、もし特定の賞金額が「決まった」としたら、有限の値であると決定し、期待値は発散せず、もはやサンクトペテルブルクパラドクスの論理構造を保っていません。

 コイン(サイコロ)投げをゲーム開始前にしておく場合と、ゲーム開始後にする場合とでは、ゲームの論理構造は一般的に異なります。根本的に異なる典型としては、「射撃室のパラドクス」(『論理サバイバル』097)が知られています。


Re: 二封筒問題へのコメント
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月29日(土)23時13分58秒
> No.3386[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  さて、
>  ここで私の一番始めの立場に戻ってみますが、
>  ゲーム開始後、「いつまでも勝ち続けることが可能」という形で
> 本当に期待値が発散するサンクト・ペテルブルクの場合と違って、
> ゲームの開始時に封筒内金額が現実に選ばれていなければならない
> 2封筒問題では、期待値が発散する場合は考えなくてよい
> というのが私の本音なのです。

サンクト・ペテルブルクも、開始時に賞金が決まる形にできる。
つまり「いつまでも勝ち続ける場合」はないとしてよい。

その場合、期待値が発散する場合は考えなくてよいのか?

そんなことはないだろうw

サンクト・ペテルブルクの場合、
2^nの賞金の確率が1/(2^n)
とするだけで期待値は発散する。

いっとくが∞の賞金の確率は1/∞、つまり0だ。


Re: 二封筒問題へのコメント
投稿者:φメール 投稿日:2011年10月27日(木)02時40分26秒
> No.3383[元記事へ]

スターダストさんへのお返事です。


>
> lim[m→∞] Eu_m = 5/4
> lim[m→∞] Ev_m = 5/4
> lim[m→∞] Ex_m/Ey_m = 1
> lim[m→∞] Ex_m/Ey_m = 1
>
> 以上の4本の式をもって、上限Mをもたない一般の二封筒問題についての
> ひとつの解釈とすることはできますまいか? と考えているところです。
>

 上限のない場合について、スターダストさんの四本の式は妥当すると思われます。
 ただ、言われるように、「Eu も Ev も1であるかもしれない」という不安はつきまといますね。
 いずれにしても、四本の式は、2封筒問題の正解が、設定B2の場合以外は「交換による期待値変化ゼロ」であるゆえんを説明するものと思われます。
 たとえば、
 無限÷無限は任意の値だから意味がない、というmeasure problem は、インフレーション宇宙論のような「実無限」を扱う文脈では深刻な問題となるようですが(ブライアン・グリーン『隠れていた宇宙』第7、10章参照)、
 極限をとるような可能無限の場合は、そこへゆくまでの具体的なプロセスにおいて一定の比率が保たれているのであれば、(実無限には到達できない以上)極限においても同じ比率が保たれるとせねばならず、measure problemは生じません。
 (宇宙論のmeasure problemをめぐる素人議論の一例については、
かなりもたついた議論ではありますがから行けるhttp://russell-j.com1/sigehisa-tosio.pdfをご覧ください。)

 さて、
 ここで私の一番始めの立場に戻ってみますが、
 ゲーム開始後、「いつまでも勝ち続けることが可能」という形で本当に期待値が発散するサンクト・ペテルブルクの場合と違って、ゲームの開始時に封筒内金額が現実に選ばれていなければならない2封筒問題では、期待値が発散する場合は考えなくてよいというのが私の本音なのです。
 その本音がもし正しいと確信できれば、
 「未知の上限」までの一様分布を考えればよく、スターダストさんの 5/4という値の使用にも異論ありません。

 さて、コインの問題は、面白いですね。

>
> 1: 何回投げても常に 表の出る確率は 0 < p < 1/2  (コインが歪むなどの劣化が無い)
> 2:前回投げた結果によらずに表裏が出る。(試行ごとの独立)
>

 普通のコインでは表、裏が1/2と考えるわけですが、あくまで主観確率なので、客観的に1/2を確保するためには、[表裏]と [裏表]だけ採用する、というそのルールによって、かなり近似できそうですね。
(ただし、普通のコインで、条件1、2が厳密に成り立つとは言えないので、あくまで近似ですが)

 ともあれ一般に、
 本当にフェアなコイン投げをしようと思ったら、ただ一度投げるのではなく(無知に任せるのではなく)、[表裏]と [裏表]だけ採用というルールにすればよい。これ、いろいろ他の場面にも応用できそうです。
 ありがとうございます。


雑談:アンフェアなコイン
投稿者:スターダスト 投稿日:2011年10月25日(火)15時48分50秒

つい先日知ったことです。
φさんがお使いになることがある「フェアなコイン」から派生する話題です。

1枚のコインを投げるにあたって、以下のことがわかっているものとします。
1: 何回投げても常に 表の出る確率は 0 < p < 1/2  (コインが歪むなどの劣化が無い)
2:前回投げた結果によらずに表裏が出る。(試行ごとの独立)

上記のようなコインを投げて、確率1/2を測りだすという問題です。アンフェアなコインを使って完全にフェアなコイン相当のことをしたいわけです。

知人に教えてもらった方法は以下のようなものでした。
コインを2回投げます。
このとき、[表表][裏裏]であったら、結果を捨てて最初からやりなおします。
[表裏]のとき、場合A, [裏表]なら場合B とします。 場合Aおよび場合Bの発生確率は1/2です。
なんとならば、p(1-p)=(1-p)p だからです。

工学的な応用を目的として、実際にはもっと効率の良い方法が理論的に研究されたことがあるらしいです。


Re: 二封筒問題へのコメント
投稿者:スターダスト 投稿日:2011年10月25日(火)15時32分31秒
> No.3383[元記事へ]

追伸。
φさんは、おそらく、M の分布を気になさるかもしれません。 その他の面も含めて次のように考えて見ます。

地球上の正の資産をもつ人類すべてからランダムにひとりを選び、その人物の全財産の1/3を小切手に書き、次に残りの資産をもう一枚の小切手に書く。
全ての個人の資産の分布によって、封筒問題の本質が変わるだろうか? よく知られているように、小数の人間が資産の多くを握っている。 すなわち、M の分布は非常に偏っているではないのか?

ところが、先にみたように、有限なるM を導入した封筒問題において得られた以下の結果は、M に無関係でした。
Eu = Ev = 5/4 および Ey/Ex = Ex/Ey = 1
よって、偏っているかもしれないMの分布によらず、ひとりの人間を任意につれてきてホストにすれば上記については同じ結果が得られるということです。

この設定においては、M については、その分布について、全く情報を知らなくても良いということになります。

また、ひとりホストを固定したときに、(つまりMを固定したときに)
小切手の額面についてゲストプレイヤーがMを知らなければ、こちらもまた無情報になりますし、念のため、問題の設定においては、0 < θ ≦ M の範囲で一様な分布を保障しながらの額面の小さなほうの小切手の設定をほどこしたのでした。

ようするに、情報がない分布について、ひとつのモデルを提供したことになろうかと思われます。



Re: 二封筒問題へのコメント
投稿者:スターダスト 投稿日:2011年10月25日(火)15時16分24秒

> 宣言に反することになりますが、自分の間違いについて放置しておくこと、とても厭なものでして、投稿をさせてください。

と書きましたが、自分の間違いとは、おおむね、以下のようなものです。さきの有限なるMをもつ問題についてなのですが、これを、無限大までもっていっても同じことだろうと。

・Eu も Ev も1であるかもしれない、そうではないかもしれない、という不安
・Eu = 5/4 ならば Ev = 4/5 かもしれないという不安
・Eu = 5/4 ならば封筒を交換したほうが得? でも一般によくある理解ではEv = 5/4 なので矛盾?二人プレイヤーなら双方ともに封筒を交換するのが良い?
・Ey/Ex = 1 らしいが、Eu = 5/4 との整合性を持つためにはどうしたらよいのだ?

先の投稿にお示ししたように、額面の小さなほうの小切手の金額が有限なるMを上限とした一様な分布を有する場合には、個人的には以下の2点のように考えざるを得ません。

・Eu ないし Ev はともに、5/4 であるが、封筒を交換する・交換しない、については、これらのうち片方の 5/4 に惑わされてはいけない。両方ともに 5/4 であることを意識するべき。
・Ey/Ex Ex/Ey は ともに1である。 このことは、封筒の交換にさいして考えておくべき。
・Eu = 5/4 と Ey/Ex = 1 とは整合性が取れていないという感じは幻。はなから整合性などない。ここにパラドックスはない。

以上の3点について思い至っていませんでしたので、過去における本掲示板での私の投稿には随分と考え違いが含まれていたことと思います。

===

さて、一般に流布されている二封筒問題においては、上限Mを特に考えていない設定です。これをどのように処理したらよいのでしょう? Mの取りうる値として、自然数全体の集合の中から取って m とし、先の投稿において計算したのと同様に考え、添え字つきで、各期待値を、 Ey_m Ex_m Eu_m Ev_m とします。 m を無限大にもっていくと Ex_m および Ey_m は発散しますが、Ex_m/Ey_m は発散しないことでしょう。

lim[m→∞] Eu_m = 5/4
lim[m→∞] Ev_m = 5/4
lim[m→∞] Ex_m/Ey_m = 1
lim[m→∞] Ex_m/Ey_m = 1

以上の4本の式をもって、上限Mをもたない一般の二封筒問題についてのひとつの解釈とすることはできますまいか? と考えているところです。

1回きりの試行であろうとなかろうと、確率計算は同じですので、ゲストプレイヤーの行動にあたっては、最初に選んだ封筒の中の小切手を、もうかたほうのそれと交換してもしなくても得られる期待値は同じと考えられると思われてなりません。

===

おそらく、帝国版封筒問題についても、同様な論議ができるはずなのですが、まだ、計算しきっていません。

===


二封筒問題へのコメント
投稿者:スターダスト 投稿日:2011年10月25日(火)14時02分33秒

過去にこちらの掲示板で二封筒問題に関してまとまらないコメントを繰り返しました。その上、二封筒問題について(そして眠り姫についても)コメントを投稿するのをヤメルとも宣言しました。私の頭の中に何も結論が湧いてきそうになかったからです。
今も相変わらずです。
宣言に反することになりますが、自分の間違いについて放置しておくこと、とても厭なものでして、投稿をさせてください。
===
■帝国版二封筒問題について
φさん宛て、対称と非対称について色々と書きましたが、すべて撤回いたします。私の考えが間違っていると気がついたからです。間違った考えが間違っている理由を書くと実に混乱した理解不能な文章になりますので、割愛させていただきたく存じます。 φさんにお願いです。あの方面では泥沼になりますから、私が掲げたテーマを棄却してくださいますようお願い申し上げます。
※帝国版二封筒問題そのものは面白いと個人的に感じましたのでこれからも密やかに自分の中でテーマにしたいと思っております。

===

■二封筒問題について

以下の条件を付加した上でしばらく考えておりました。
・ホストが作る二枚の小切手の額面はおのおの正かつ有限である。金額は実数値をとる。
・ゲストプレイヤーはホストが設定した2枚の小切手の額面のそれぞれの上限M、2Mの値を知らない。
・ホストは、額面の小さな方の小切手の金額Θを、0 < Θ ≦ M の中から一様に選択する。

すると、二つの封筒のうちランダムにひとつを選んだ際の封筒の中の小切手の額面についての確率密度関数の設定は比較的容易でした。これに基づいて期待値の定義に基づいて積分し以下のような計算結果を得ました。なお、システムの対称性を陽に利用した計算ではありません。

選択した封筒の小切手の額面についての確率変数を x とし、選択しなかった方の小切手の額面についての確率変数を y とします。 また、 u = y/x 、 v = x/y とします。それぞれの期待値をEx, Ey, Eu, Ev と略記します。

1) Eu = 5/4
2) Ev = 5/4
3) Ex/Ey = Ey/Ex = 1

上記結果にはMが登場しておりませんので、任意の正なる実数Mについて、普遍的に言えることだと思われます。ホストがビル・ゲイツのような人でも、私でも。



「両方とも確率1/2なら同じ回数」はマチガッテル
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月22日(土)10時08分13秒
> No.3364[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  各項がランダムに出現するときに信頼できるのは、
>  「確率が等しい事象は(極限では)同頻度で実現するはず」
>  という大数の法則だけです。
>  つまり、ランダムな封筒ペア出現において確実なことはただひとつ、
>  大数の法則により(期待値の定義における多数回試行の極限において)、
>  いかなるxについても(2^x,2^(x+1))と(2^(x+1),2^x)とが
>  同じ回数現われる、ということだけです。

大数の法則の数学的定式化については

http://ja.wikipedia.org/wiki/大数の法則

を見ていただくとして。

φ氏の主張は

「自然数nを引数として1もしくは-1を値とする関数sigについて、
 もし、その値1と-1の現れる確率が1/2であるなら、
 全てのnについて足し合わせたΣsig(n)は、0になる」

と等しいと思われる。

しかし、大数の法則はそんなことは主張していない。

例えば、
1が1回、-1が3回、1が5回、-1が7回、・・・
と、符号が交替するごとに、2づつ増加した奇数回あらわれる
ような無限列を考えたとしよう。

頭から順に有限部分について、1と-1の現れる割合を見ていくと
回数が増えていくごとに、1/2に近づく。

しかし、無限列の有限和をもとめていくと、
回数が増えていくごとに、正負の振動が大きくなることがわかる。
そしてその振動の幅は回数nに対しておより√nとなる。

つまり
「1と-1の割合が1/2づつ」から
「1と-1の列の総和が0」という結論
は導けない。

1と-1のランダム列を考えた場合にも、
試行回数nに対して、1の個数の平均はn/2
そして標準偏差は√(n/4)となる。

nが∞に近づけば、√nも∞に発散するのであるから
個数のズレが0になる、とはいえない。


Re: 手元額x固定の問題点, etc.
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月18日(火)06時51分41秒
> No.3379[元記事へ]

おかめ石さんへのお返事です。

> 手元の金額が二封筒の中で多額の方を選んでいた場合と
> 少額の方であった場合のそれぞれで、固定的にxと表した図
>
>  少    多      ∥
>    ┌─2x(他ペア) ∥ 【少】   多
>  x━┷x/2(ペア内) ∥  x━┯━2x(ペア内)
> 【多】   少      ∥    └x/2(他ペア)
>              ∥  多    少
(中略)
>
> 固定的にxと表すと問題が起こるのは、二封筒の中で
> 多額の方を選んでいた場合と少額の方だった場合のそれぞれで、
> ◆別々のペアの多額と少額を指しているように見える
> (実際は同じペア)◆という点です。

(実際は同じペア)という言い方は間違っている。

「実際は、2つのペアのうちいずれか」というなら正しいが。

情報の開示の仕方によって、
・同じペア内の、両方の可能性が消滅もしくは維持される場合
・同じペア内の、一方の可能性が消えもう一方の可能性が残る場合
のいずれもありえる。

自分の金額の開示、相手の金額の開示は
いずれも後者の可能性である。

> 同じ事を、手元の金額も相対的に表して、
> 多額の方であった場合は2a、少額の方であった場合はaとした図
>
>  少   多      ∥
>    ┌4a(他ペア) ∥ 【少】  多
> 2a━┷━a(ペア内) ∥  a┯━2a(ペア内)
> 【多】  少      ∥   └a/2(他ペア)
>             ∥  多   少
>
> こちらでは、二つの場合が容易に見分けられるので、そういう錯覚は免れます。

残念ながら、
「自分の金額の開示」
という性質を否定している。

開示されてしまったら、もはや”相対化”は不可能である。

> ※※※※※
> http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3372 (10月15日(土)08時52分)
>
> ┌m=0┐ ┌─m=1─┐
> 12 24 48  816 2^xの指数が偶数(常に自分側)
> ↓× ×↓ ↓×  × ↓
> 21 42 84 16 8 2^xの指数が奇数(常に相手側)
> 倍   半 倍     半
>
> (1,2)ペアで1を2倍して2に成り、
>(2,4)ペアで4を1/2倍して2に成ろうとも、
>逆理性は有りませんけどね。

最後の三行、なにもいえてないね。

例えば自分の金額が1だった場合。

1/2と交換すれば1/2減る。
2と交換すれば1増える。

1/2*1/2+1*1/2=3/4

で、相手の金額が2だった場合

1と交換すれば相手が1減る。
4と交換すれば相手が2増える。

つまり、お互いに自分の金額が分かった場合
やっぱり交換によって自分が増えるという
結果になる。

これがまったく逆理性がない、という人は鈍い。

> そもそも「対称性」とは、2封筒内の高額・低額2種類の
>「プレイヤーによる対等な‘引き当て可能性’」の謂いですよ。

そう。だから私のいうゲームは対称性が成り立たない。

> ですから、「対称性がない状況」とか言うのを説明するのに
>「二組みのペア」を引き合いに出しても、無駄骨ご苦労様でした
>としか言い様がありません。

対称性がなくとも、パラドックスは起きる。そのことを示しましたよ。
お互いに相手のほうが得だと思えるわけですからね。

そしてこの場合には、φやおかめ石のいう「対称性」によって
損得ゼロを示すことはできない。対称ではないのだからw

2つの封筒の元々の版で、対称性に固執する姑息な態度を見せるから
頼みの綱の対称性をブチ切ってあげたのですよ。

対称性こそ、無駄骨ご苦労様でした、ってこと。

> ※※※※※
> http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3373 (10月15日(土)09時40分)
> > 封筒を開けて$100の金額を見た後では、もはや
> > 「自分の金額に$200が現れる場合」
> > など無い。
>
> 「事後」のパタンが一つに絞られてない、ということが重要。
>「封筒を開けて金額を見た」と「封筒を開けて$100の金額を見た」の違い。
>設問の表現は前者。

無意味。

一回一回の試行では、当然金額は明示される。
その金額によって、事後確率による期待値計算を
実行することができる。

そしてその期待値を、自分が見るであろう金額の
全ての可能性毎に、その確率を乗じて足し合わせる
ことで、全期待値が計算できる。

> ※※※※※
> http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3376 (10月16日(日)09時01分)
> > 級数Σg(n)は絶対収束するから、順序をどうとっても同じだが。
>
> 全確率の総和が1に収束するのが前提であり、
>  lim[n→∞] Σg(n) = 1
> カッコの無い場合は、
>  S_2k = Σ[r=1→k] (g(k) + g(k)/4) = 5/4 Σ[r=1→k]g(k)
>  S_2k+1 = S_2k + g(k+1)
>   ∴S = lim[k→∞] S_2k = lim[k→∞] S_2k+1 = 5/4
> またカッコの有る場合も、
>  S_n = Σ[r=1→n] (g(n) + g(n)/4) = 5/4 Σ[r=1→n]g(n)
>   ∴S = lim[n→∞] S_n = 5/4
>  カッコの有無に関わらずどちらでも 5/4 に収束しますけど、
> モンテカルロさんの式展開での定数部分の扱いを見るに、
> カッコの有る場合の方ではないかという事です。

同じ値になると、おかめ石は認めた。

この件にかんして、おかめ石はもはや私に
いいがかりをつけることはできないはずだが。


手元額x固定の問題点, etc.
投稿者:おかめ石 投稿日:2011年10月17日(月)23時47分37秒

手元の金額が二封筒の中で多額の方を選んでいた場合と少額の方であった場合のそれぞれで、固定的にxと表した図

 少    多      ∥
   ┌─2x(他ペア) ∥ 【少】   多
 x━┷x/2(ペア内) ∥  x━┯━2x(ペア内)
【多】   少      ∥    └x/2(他ペア)
             ∥  多    少

これは、一方の金額が開示されても、◆それ(x)が多額の方なのか少額の方なのかは、依然として不明◆である事を示して居ます。

固定的にxと表すと問題が起こるのは、二封筒の中で多額の方を選んでいた場合と少額の方だった場合のそれぞれで、◆別々のペアの多額と少額を指しているように見える(実際は同じペア)◆という点です。

同じ事を、手元の金額も相対的に表して、多額の方であった場合は2a、少額の方であった場合はaとした図

 少   多      ∥
   ┌4a(他ペア) ∥ 【少】  多
2a━┷━a(ペア内) ∥  a┯━2a(ペア内)
【多】  少      ∥   └a/2(他ペア)
            ∥  多   少

こちらでは、二つの場合が容易に見分けられるので、そういう錯覚は免れます。

※※※※※
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3372 (10月15日(土)08時52分)

┌m=0┐ ┌─m=1─┐
12 24 48  816 2^xの指数が偶数(常に自分側)
↓× ×↓ ↓×  × ↓
21 42 84 16 8 2^xの指数が奇数(常に相手側)
倍   半 倍     半

(1,2)ペアで1を2倍して2に成り、(2,4)ペアで4を1/2倍して2に成ろうとも、逆理性は有りませんけどね。

そもそも「対称性」とは、2封筒内の高額・低額2種類の「プレイヤーによる対等な‘引き当て可能性’」の謂いですよ。プレイヤーが2封筒を目の前にしてどちらの封筒にしようか逡巡してる様子そのものから窺われるでしょう?まさに今、彼の脳内では多数回試行してるんでしょうね。――高額の封筒を引き当てる可能性と低額の封筒を引き当てる可能性、これら2つの間の対称性。

ですから、「対称性がない状況」とか言うのを説明するのに「二組みのペア」を引き合いに出しても、無駄骨ご苦労様でしたとしか言い様がありません。

※※※※※
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3373 (10月15日(土)09時40分)
> 封筒を開けて$100の金額を見た後では、もはや
> 「自分の金額に$200が現れる場合」
> など無い。

「事後」のパタンが一つに絞られてない、ということが重要。「封筒を開けて金額を見た」と「封筒を開けて$100の金額を見た」の違い。設問の表現は前者。

※※※※※
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3376 (10月16日(日)09時01分)
> 級数Σg(n)は絶対収束するから、順序をどうとっても同じだが。

全確率の総和が1に収束するのが前提であり、
 lim[n→∞] Σg(n) = 1
カッコの無い場合は、
 S_2k = Σ[r=1→k] (g(k) + g(k)/4) = 5/4 Σ[r=1→k]g(k)
 S_2k+1 = S_2k + g(k+1)
  ∴S = lim[k→∞] S_2k = lim[k→∞] S_2k+1 = 5/4
またカッコの有る場合も、
 S_n = Σ[r=1→n] (g(n) + g(n)/4) = 5/4 Σ[r=1→n]g(n)
  ∴S = lim[n→∞] S_n = 5/4

カッコの有無に関わらずどちらでも 5/4 に収束しますけど、モンテカルロさんの式展開での定数部分の扱いを見るに、カッコの有る場合の方ではないかという事です。


φのナイーブな主張
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月16日(日)14時26分40秒

★交換の損益の期待値について、
 「1と-1、2と-2、4と-4、・・・と
  正負反対のものが等確率で出てくるから、
  無限回試行をやりきったら
  ”きっちり同数”で打ち消しあう」
 のナイーブぶり。

そもそも大数の法則は”きっちり同数”なんてことは全く言ってない。
φが定理の文章もろくに読まず、自分の好き勝手に想像してるだけ。

”きっちり同数”が一対一対応を指すとして、
無限回試行の各回数毎に正負の一対一対応を
つけていく場合にも同確率=同数とはいえない。

なぜなら、同確率になるには
lim(試行回数→∞)未対応の回数/試行回数 = 0
となればいいが、その場合、未対応の回数が0でなくてもいい。
例えば
lim(n→∞)(√n)/n=0
であるが、n→∞のとき√n→∞である。


φ、事後確率を理解できず!
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月16日(日)10時06分16秒
φさんへのお返事です。

> ■http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3373
> >
> > 封筒を開けて$100の金額を見た後では、もはや
> > 「自分の金額に$200が現れる場合」
> > など無い。
> > つまり無限にある選択肢の中から、ただ2つを残して
> > 後の可能性が無くなったのである。
> >
>
>  とんでもない誤り。
>  他の可能性が無くなるのはB2設定。そしてB2設定では期待値は発散しない。
>  期待値が発散するB1設定では、封筒を開けて$100の金額を見た後でも、
> 「自分の金額に$200が現れる場合」をはじめ、
> すべての場合が可能性として残っている。

φこそ、トンデモない誤りw

B1設定でも、1回1回の試行では
それぞれ2つ以外の可能性が無くなっている。

そしてB1設定では、まず、自分が見る金額の全ての場合に対して
2つの可能性だけになった場合の事後確率による期待値を求め
それらを、自分が見る各金額の各確率を掛けてさらに足し合わせる。

φは、数学に対する無知と嫌悪から、上記の面倒な手続きを省き
「どうせB1の計算もD1の計算とおなじだろー」
と多寡をくくったから間違った。

>  モンテカルロ氏は、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3367でB2を回避するからこういう間違いからいつまでも抜け出せない。

逆に、φはB2などというものをもちだしてB1の計算手続きを省くからこういう間違いからいつまでも抜け出せない。

> ■http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3373
> モンテカルロ氏、「交換による期待値変化ゼロ」の意味を、「シーソーゲームの獲得金額差がゼロに収束」と誤解。
>  後者は前者の必要条件ではない。

それは、数学による期待値の定義の否定である。
つまり
数学の否定
である。

数学を否定するならするで結構。
はじめから、私は数学を否定します、といえばいい。

>  「交換による期待値変化ゼロ」とは、「交換戦略と非交換戦略との間に〈期待値の相違〉がなく、しかもどの試行をとっても獲得金額差の期待値はゼロ」ということである。

「交換による期待値変化ゼロ」のφ様の定義で
「獲得金額差の期待値はゼロ」が出てきたが
どうせ「獲得金額差の期待値がゼロ」は
「獲得金額差がゼロに収束」ではないと
目を剥いて口から泡吹いて絶叫するのだろう。

その前に、具体的にどうやってゼロという数値を出すのか・・・
示せ!。さあ、示せ!!

>  いかなる高額で損をしようとも(得をしようとも)
>その同じペアで必ず逆方向の交換が同回数起きることが
>大数の法則により保証されているがゆえに、
>交換戦略と非交換戦略は差がない。
>ゆえに交換による期待値変化ゼロ。

「同回数」が大誤解

まず、無限回試行の各回数において、同回数起きるなんてことはいえない。

さらに、「無限回試行が終わった場合」ということなら、そもそも
確率が同じであろうがなかろうが、2つの事象が、それぞれ無限回
おきているなら、それぞれの間に1対1対応がつけられる。

しかも始末の悪いことに、ある事象がおきた無限回の試行の中の
一部分をなす無限回試行とも1対1対応がつけられちゃったりする。

つまり、ある対応では相殺できたとしても、別の対応ではできなかったりする。
だから、「同回数」というナイーブな考えに頼ると、全てが瓦解する。
例えていえば、藁で家を建てたら、台風でものの見事に吹っ飛ばされたみたいなもん。

> 「シーソーゲームの獲得金額差がゼロに収束」などという
> 誰も言ってない主張を批判して悦に入るのは、典型的なわら人形論法。

数学に無知なφがいってないだけで
数学を知っている人は皆、期待値といえば
「収束」という意味で云っている。

率直にいえば、φが語れば語るほど、
無限に関するナイーブな(しかし間違った)態度が
明らかになるのは実に面白い。

> ■http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3372
> ↑この投稿に意義ありと考えているとしたらモンテカルロ氏、対称性の論理を理解できておらず。

対称性は論理に非ず

>  対称性は交換による期待値変化ゼロであるための十分条件である。必要条件ではない。

対称性だけでは損益はゼロに収束しない。

収束の意味でない、とするならどういう意味なのか?
無限回試行が終わった後か?

で、そんなものをどうやって実現するのか?

> 「自分に渡される金額は常に2^xのxが偶数の方」という非対称ゲームで、
> 交換による期待値変化がゼロという理屈が成立しようがしまいが、
> そのことは「ゲームが対称的ならば交換による期待値変化はゼロ」の正否に
> 何の影響もない。

同回数で相殺する、というのが、同確率でなくとも
ただ無限回おきるというだけで通用するというのが、
無限ホテルの論法で示された後では、対称性に固執
しただけのφの屁理屈などクソ同然である。

> ■http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3367
> モンテカルロ氏、期待値の存在と、期待値変化の存在を混同。
> 期待値が存在しない(期待値が無限大である)ゲームにおいても、
> 交換によって期待値変化が有限の値になったり、ゼロになったりしうることは
> http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3263その他でとっくに確認済み。

正確にはXとYの金額差X-Yの絶対値の期待値が存在しないという意味。

したがって何の問題もない。

> ■http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3366
> ■http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3367
> ■http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3362
> ■http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3360
> >>
> φ>>  期待値が発散する場合を考えたいのでしょうから、
> φ>> 「一様分布だと前提した場合」を持ち出しても無意味でしょうに。
> >
> > 文章がつながらない。
> >「期待値が発散する場合」の一例として「一様分布」がある。
> >
>
> ↑「つながらない」とは笑える。無意味なものは無意味。

φが意味を理解できないだけ。

> 「もともとの期待値が発散する確率分布であればどれでも、括弧付け替え計算で期待値を発散させられる」という懸案の命題が証明できないものだから苦し紛れに「一様分布」を連呼……。

φ、どうでもいい問題を苦し紛れに「懸案」と連呼・・・。

>  いったい、排反事象(各ペア)の事前確率の合計をいくつにするつもりなのか?

事前確率の合計は1。

いっとくが、ある事象において
「事前確率と事後確率が一致しなければならない」
と思ってるなら、そいつは何も考えてないといっていい。

> ■まだまだ多数。面倒なので以下省略。

φの
「対称だから正負同回数で相殺できてゼロ」
という、
小学生なみの軽率な考え
は、無限ホテルの論法で木端微塵に粉砕してやったw。


Re: 疑問点への回答
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月16日(日)09時01分18秒
> No.3374[元記事へ]

おかめ石さんへのお返事です。

> > X/Yの期待値は、各場合の確率g(n)*1/2に、
> > 対応する比X/Yをかけて全部足し合わせるだけ。
>
> モンテカルロさんの「問1」への回答では
>  E(X/Y) = { 4/2 *g(1)/2 + 2/4 *g(1)/2 } + { 8/4 *g(2)/2 + 4/8 *g(2)/2 } + …
>   + { (2^n *2) /2^n *g(n)/2 + 2^n /(2^n *2) *g(n)/2) } + …     n=1,2,3,…
>      一般項は更に簡略化して{ g(n) + g(n)/4 }
> という様に、カッコの有る式、つまり金額ペアを一つの項と見なしてますね。
>
> 「ペアnの確率分布g(n)に関わらず」とありますからそうかなとは思いますけど、念の為。
> もしそうでなく「カッコは無い」とすると、部分和が S_1 = g(1), S_2 = 5/4 *g(1) 等と成り、定数5/4がΣの外へ括り出されてる事と整合性が取れませんから。

級数Σg(n)は絶対収束するから、順序をどうとっても同じだが。

おかめ石は数学が分かってない。



Re: おかめ石、事後確率を理解できず!
投稿者:φメール 投稿日:2011年10月16日(日)05時09分12秒
> No.3373[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3373
>
> 封筒を開けて$100の金額を見た後では、もはや
> 「自分の金額に$200が現れる場合」
> など無い。
> つまり無限にある選択肢の中から、ただ2つを残して
> 後の可能性が無くなったのである。
>

 とんでもない誤り。
 他の可能性が無くなるのはB2設定。そしてB2設定では期待値は発散しない。
 期待値が発散するB1設定では、封筒を開けて$100の金額を見た後でも、「自分の金額に$200が現れる場合」をはじめ、すべての場合が可能性として残っている。
 モンテカルロ氏は、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3367でB2を回避するからこういう間違いからいつまでも抜け出せない。

 なお、おかめ石さんのパラダイムは、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3209で私が「■B1のもう一つのバージョン」と呼んだものに相当するのかもしれません。
 その場合は、「期待値は発散せず、しかも交換による期待値変化はゼロ」というユニークなバージョンとなります。

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3373
モンテカルロ氏、「交換による期待値変化ゼロ」の意味を、「シーソーゲームの獲得金額差がゼロに収束」と誤解。
 後者は前者の必要条件ではない。
 「交換による期待値変化ゼロ」とは、「交換戦略と非交換戦略との間に〈期待値の相違〉がなく、しかもどの試行をとっても獲得金額差の期待値はゼロ」ということである。
 いかなる高額で損をしようとも(得をしようとも)その同じペアで必ず逆方向の交換が同回数起きることが大数の法則により保証されているがゆえに、交換戦略と非交換戦略は差がない。ゆえに交換による期待値変化ゼロ。
「シーソーゲームの獲得金額差がゼロに収束」などという誰も言ってない主張を批判して悦に入るのは、典型的なわら人形論法。

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3372
↑この投稿に意義ありと考えているとしたらモンテカルロ氏、対称性の論理を理解できておらず。
 対称性は交換による期待値変化ゼロであるための十分条件である。必要条件ではない。
「自分に渡される金額は常に2^xのxが偶数の方」という非対称ゲームで、交換による期待値変化がゼロという理屈が成立しようがしまいが、そのことは「ゲームが対称的ならば交換による期待値変化はゼロ」の正否に何の影響もない。

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3367
モンテカルロ氏、期待値の存在と、期待値変化の存在を混同。
期待値が存在しない(期待値が無限大である)ゲームにおいても、交換によって期待値変化が有限の値になったり、ゼロになったりしうることは
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3263その他でとっくに確認済み。

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3348
>
>上記のバージョンは、実はペアが明示される場合と同じである。
>

 同じではない。交換が必ず得であるゲームと交換での損得1/2ずつのゲームとでは論理構造が全く異なる。

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3366
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3367
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3362
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3360
>>
φ>>  期待値が発散する場合を考えたいのでしょうから、
φ>> 「一様分布だと前提した場合」を持ち出しても無意味でしょうに。
>
> 文章がつながらない。
>「期待値が発散する場合」の一例として「一様分布」がある。
>

↑「つながらない」とは笑える。無意味なものは無意味。
「もともとの期待値が発散する確率分布であればどれでも、括弧付け替え計算で期待値を発散させられる」という懸案の命題が証明できないものだから苦し紛れに「一様分布」を連呼……。
 いったい、排反事象(各ペア)の事前確率の合計をいくつにするつもりなのか?

■まだまだ多数。面倒なので以下省略。



Re: 疑問点への回答
投稿者:おかめ石 投稿日:2011年10月15日(土)23時18分0秒

モンテカルロさんへのお返事です。
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3371 (10月14日(金)07時15分)
> ペアnが選ばれる場合全体の確率を1と置きなおす

他のペアの可能性を消す為の改定でしたか。

> X/Yの期待値は、各場合の確率g(n)*1/2に、
> 対応する比X/Yをかけて全部足し合わせるだけ。

モンテカルロさんの「問1」への回答では
 E(X/Y) = { 4/2 *g(1)/2 + 2/4 *g(1)/2 } + { 8/4 *g(2)/2 + 4/8 *g(2)/2 } + …
  + { (2^n *2) /2^n *g(n)/2 + 2^n /(2^n *2) *g(n)/2) } + …     n=1,2,3,…
     一般項は更に簡略化して{ g(n) + g(n)/4 }
という様に、カッコの有る式、つまり金額ペアを一つの項と見なしてますね。

「ペアnの確率分布g(n)に関わらず」とありますからそうかなとは思いますけど、念の為。
もしそうでなく「カッコは無い」とすると、部分和が S_1 = g(1), S_2 = 5/4 *g(1) 等と成り、定数5/4がΣの外へ括り出されてる事と整合性が取れませんから。

* 「無限回試行」については、また別の時に。


おかめ石、事後確率を理解できず!
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月15日(土)09時40分52秒

おかめ石さんへのお返事です。

> ※※※※※
> ここは微妙な箇所ですので、再掲載して強調しておきたいと思います。

何度書いても誤りは誤り。

> http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3330 (10月 4日(火)23時18分)
> > 設問は、「見た金額は具体的にいくらいくら($100とか)であった」という内容には成って居ません。
> > 単に「一方の封筒の金額を見た時」という設問の内容から、aと2aの両方に出現の可能性がある、という方向で捉えるべきだと考えます。

「aと2aの両方に出現の可能性がある」というのは「おかめ石語」

ペアの金額の表示を何の断りもなく(a,2a)と決めつけるのが「おかめ石語」
人類であれば必ず
「ペアの金額を(a,2a)と表わすことにする」
と断る

主語を省くのも「おかめ石語」
人類であれば必ず
「自分が見た金額が
aである場合、および2aである場合、
どちらの可能性もある」
というだろう。

上記のように「おかめ石語」を日本語に翻訳した場合、
誰も、おかめ石のいうことに反していない。

おかめ石はいったい誰と戦っているのか?w

> 「自分の金額が明らかになる場合」と言う点に関して、
> 「例えば手元に$100が現れた時には、他方に…」と
> 設定する仕方そのものに不十分さがあって、
> 本当は、ペア内で少額の方と多額の方、両方の出現の場合を考えないといけません。
> 設問では、両方の出現可能性を排除してない訳ですから。

$100の金額がペアの少額であれば、相手の金額は$200であるし
$100の金額がペアの多額であれば、相手の金額は$50である。

みな両方の場合を考えている。誰も排除していない。

おかめ石はいったい誰と戦っているのか?w

> 具体的に(100,200)ペアで言うと、
>  ~実際には、個々の具体的な金額を避けて変数a,2aを用います。~
> 「$100が現れる時」と「$200が現れる時」は
> 等確率で起こる可能性が有ります。
>ここが、いわゆる対称性(シンメトリー)の源ですね。

おかめ石は事後確率が全然理解できていない。

封筒を開けて$100の金額を見た後では、もはや
「自分の金額に$200が現れる場合」
など無い。

つまり無限にある選択肢の中から、ただ2つを残して
後の可能性が無くなったのである。

2つの可能性A、Bが互いに排他事象である場合
その事後確率P'A、P'Bは、2つの可能性のそれぞれの
事前確率をPA、PBとすると、以下のように表わせる。

P'A=PA/(PA+PB)
P'B=PB/(PA+PB)

つまり、確率(PA+PB)の場合が実現されてしまったのだから
元の確率PA、PBの比を維持しつつ、Aの確率とBの確率の和が
1となるように計算するわけである。

こんなことは事後確率を議論する上での常識であり
知らずに議論することなど不可能である。
自分の思いつきで、好き勝手なことをいうのは
議論でもなんでもない。

> 開封した時
>  ┣$100現れる場合→交換で$200と成る  a→2a
>  ┗$200現れる場合→交換で$100と成る  2a→a
>
> この点を見過ごして、(ペア内で両方ある可能性の)
>片方だけの検討で十分だと思ってしまい勝ちですけど、
>ここが開封後の問題を理解する最も重要な所ではないかと思います。

封筒の中に$100が現れた後においては、
封筒の中に$200が現れる場合など、もはや存在しない。

もはや相手の封筒に、$50が現れるか$200が現れるかしかない。
同じペアの少額か多額か、ではない。
$100が少額のペアか、$100が多額のペアか、である。
そして、それゆえ、ペアの確率分布が必要になるし、
その分布設定によっては、「パラドックス」と思われる状況がおきる。

そしてなぜパラドックスと思われるかといえば、
期待値の計算が収束しない場合にまで
期待値としての性質を期待するからであって
パラドックスを回避するには、無駄な期待は諦める
のが一番だということである。

> 要は、判明した具体額よりも、a→2aと2a→aの交換の方に注目、という事ですね。

φもおかめ石も、事後確率の何がどう「間違っている」のか
全然指摘できていない。

たしかに自分の額が$100だと明らかになれば、
「実際配布されたペアの、もう一方の額である場合」
が無くなるのであるから、対称性は無くなる。

しかし、実際の配布は
結局どちらか一方が少額でもう一方が多額
になるしかないのだから、対称性など無い。

対称性というのは、あくまで何も分からない場合
にのみ成り立っている、いわば架空の性質である。

また、無限回試行が全て終わった場合に
「a→2aの場合と、2a→aの場合が
 キッチリ同数表れて、打ち消しあう」
というのは、ただの思い込みに過ぎない。

そもそも全て終わらせることなど不可能である。
結局回数を増やしていった場合に、収束するかどうか?
しか分からないのである。

収束しない場合に
「今は勝ったり負けたりするが
 最後にはゼロになる!」
なんていくら大声で絶叫しても
「それはあんたが勝手に
 そう思いたがってるだけだろ」
といわれたら何の反論もできないのである。


対称性がない場合
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月15日(土)08時52分58秒

φは**の一つ覚えの如く
「対称性!タイショウセイ!」
と吠え続けるので、ここでは
単純な対称性がない状況
を考える。

通常の2封筒の問題では、「一方の金額が他方の金額の2倍」となる金額のペアにおいて、
自分が選んだ金額が低位側か高位側か、はどのペアにおいても1/2づつとなっている。

ここでは、
2^n、2^(n+1)(n∈Z Zは整数の集合)
のペアにおいて、自分に渡される金額は常に2^xのxが偶数の方、つまり
・n=2m(m∈Z)なら低位側
・n=2m+1(m∈Z)なら高位側
とする。

この状況で、渡されない方と交換した場合、得か損かそれとも損得0か。

自分に渡された金額の可能性を列挙すれば
・・・1/16、1/4、1、4、16、・・・
であり、渡されなかった金額の可能性を列挙すれば、
・・・・・1/8、1/2、2、8、・・・
であるから、もはや「交換により不変」という対称性は成立しない。

この場合においても、パラドキシカルであるのは
・・・1/16、1/4、1、4、16、・・・
を2倍しても、1/2倍しても
・・・・・1/8、1/2、2、8、・・・
となる点である。


疑問点への回答
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月14日(金)07時15分13秒
> No.3370[元記事へ]

おかめ石さんへのお返事です。

> ※※※※※
> ここで少々、疑問点など。
> http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3358 (10月 9日(日)08時46分)
> > =Σg(n)*(2*1/2+1/2*1/2)
>
> [比 2/1 = 2 に当る] 例えば $200/$100 と [1/2 に当る] $100/$200 の、
> それぞれの分子・分母双方に確率を掛けるならともかく、
> 比に g(n)/2 を掛ける意味が不可解。
> これでは実質的に自分の額にだけ確率を掛けてる事に成りませんかね。

おかめ石は
E(X/Y)
が読めなかったので、省略したらしい。

まるで読めない漢字をすっとばす
某民放の女子アナみたいだなw

E(X/Y)は比E/Yの期待値のことだ。
X/Yの期待値は、各場合の確率g(n)*1/2に、
対応する比X/Yをかけて全部足し合わせるだけ。

実に簡単。むしろ
「それぞれの分子・分母双方に確率を掛けるならともかく」
のほうが、意味がワカラン。
何も考えずにただ闇雲に計算しても無意味。

> また、
> > =(g(n)/g(n))*(2*2^n*1/2+1/2*2^(n+1)*1/2)
>
> の 1/g(n) で g(n) を取り払ってしまうのも不可解。

おかめ石は
E(X|ペアn)
が読めなかったので、省略したらしい。

E(X|ペアn)は、ペアn(=2^nと2^(n+1)のペア)が
選ばれた場合の、Xの期待値のこと

ベイズの事後確率の計算を一度でもやったことがあるなら
ペアnが選ばれる場合全体の確率を1と置きなおすために
ペアnの各場合の確率を、ペアnが選ばれる場合全体の確率g(n)
で割ることは、常識として知っているはずである。

ベイズの計算を一度もしたことがなく、
計算方法も知らないモグリはそもそも
この議論に参加していない。
(参加しているつもりでも、まったく
無意味なことを叫ぶだけ)

私にいわせれば、ベイズどころか期待値の計算も
まったく勉強しないおかめ石は、議論を破壊する
テロリスト
である。


Re: ()内は1つの項
投稿者:おかめ石 投稿日:2011年10月13日(木)23時16分21秒

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3368 (10月13日(木)00時11分)
> > {(a,a/2)、(a、2a)}
> ここではaを定数と捉えている様ですけど、

定数と言うより、判明した或る金額(二つの可能性の内の一つだけ)を元に、“(出現確率の異なる)別のペア”二つを併記してしまってる、とでも言った方が適切でしたね。


├┬4a → 2a
:└2a → 4a
┝┳2a →  a
:┗a  → 2a
├┬a  →a/2
:└a/2→  a


※※※※※
ここは微妙な箇所ですので、再掲載して強調しておきたいと思います。

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3330 (10月 4日(火)23時18分)
> 設問は、「見た金額は具体的にいくらいくら($100とか)であった」という内容には成って居ません。

> 単に「一方の封筒の金額を見た時」という設問の内容から、aと2aの両方に出現の可能性がある、という方向で捉えるべきだと考えます。

(モンテカルロ氏の言葉を借りれば)「自分の金額が明らかになる場合」と言う点に関して、
「例えば手元に$100が現れた時には、他方に…」と設定する仕方そのものに不十分さがあって、
本当は、ペア内で少額の方と多額の方、両方の出現の場合を考えないといけません。設問では、両方の出現可能性を排除してない訳ですから。

具体的に(100,200)ペアで言うと、
 ~実際には、個々の具体的な金額を避けて変数a,2aを用います。~
「$100が現れる時」と「$200が現れる時」は等確率で起こる可能性が有ります。ここが、いわゆる対称性(シンメトリー)の源ですね。

開封した時
 ┣$100現れる場合→交換で$200と成る  a→2a
 ┗$200現れる場合→交換で$100と成る  2a→a

この点を見過ごして、(ペア内で両方ある可能性の)片方だけの検討で十分だと思ってしまい勝ちですけど、ここが開封後の問題を理解する最も重要な所ではないかと思います。

要は、判明した具体額よりも、a→2aと2a→aの交換の方に注目、という事ですね。

※※※※※
ここで少々、疑問点など。
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3358 (10月 9日(日)08時46分)
> =Σg(n)*(2*1/2+1/2*1/2)

[比 2/1 = 2 に当る] 例えば $200/$100 と [1/2 に当る] $100/$200 の、それぞれの分子・分母双方に確率を掛けるならともかく、比に g(n)/2 を掛ける意味が不可解。これでは実質的に自分の額にだけ確率を掛けてる事に成りませんかね。

また、
> =(g(n)/g(n))*(2*2^n*1/2+1/2*2^(n+1)*1/2)

の 1/g(n) で g(n) を取り払ってしまうのも不可解。

※ ちなみにペア表現には (2^n, 2^n *2) を推奨したいですね。2^(n+1) が混じらぬ事で、確率 g(n) との対応が、より鮮明に成り、別々のペアの混同も避けられます。


Re: ()内は1つの項
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月13日(木)07時15分51秒
> No.3368[元記事へ]

おかめ石さんへのお返事です。

> > 確率が等しいのはペア内で組み合わさった金額だけ。
> > それ以外の条件を勝手に付け加えるのは誤謬です。
>
> 「確率が等しいのはペア内で組み合わさった金額だけ」というのは、
> モンテカルロさんも・・・当然、認めるでしょうね。

そもそも「それ以外の条件を勝手に付け加える」の意味が不明である。
「確率が等しいのはペア内で組み合わさった金額だけ」を強調するのは無意味。

> > > (自分の金額、相手の金額)という表示において
> > > ・自分の金額がaだと明らかになる場合に、想定される中身の可能性は
> > > {(a,a/2)、(a、2a)}
>
> ここではaを定数と捉えている様ですけど、私はaを変数として使ってます。

誤り。

「自分の金額がaだと明らかになる場合」と書いている。

何の情報もない場合には、もちろん、想定される中身の可能性は
無限にあるから、外延として表わすのであればいちいち書く必要がある。

内包として表わすのであれば、例えば
{(n、2n)|n∈N}∪{(2m、m)|m∈N}
と表わすだろう。

> その上で、自分の金額を中心に相手だけを2種類に見なす行き方でなく、
>自分をも相対的に捉える必要が有る、と考えます。

無意味。

>少額の方a(2,4,8,…)にも成り得ているし、
>それに対応した多額の方2a(4,8,16,…)にも成り得ていると。

無意味。

>だからこその対照性な訳で。
>  ┬(a,2a)
>  └(2a,a)

対称性が、φやおかめ石を
トンデモ
にしたわけだ。

> 金額の判明というのは、具体的な数値であるだけに、
> 何か“決定的な意味を持っている”かのような、
> 一種の「錯覚」を起こさせる効果を発揮する
> のではないでしょうか。

単に、金額の判明による事後確率の計算を行っているだけである。
別に「決定的な意味」など主張していない。
計算方法によって値が異なるのはなぜか、と尋ねるから、
そもそも、いかなる級数もそのような「好都合な性質」
をもっているわけではない、といったまで。

素人は、不都合な困難をあくまで否定しようと
狂う
からこまる。


Re: ()内は1つの項
投稿者:おかめ石 投稿日:2011年10月13日(木)00時11分14秒

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3364 (10月12日(水)05時52分)
φさんへのお返事です。

>  ↑確率が等しいのはペア内で組み合わさった金額だけ。それ以外の条件を勝手に付け加えるのは誤謬です。

「確率が等しいのはペア内で組み合わさった金額だけ」というのは、モンテカルロさんも
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3127 (9月 3日(土)00時48分)で
> 確率の比は、金額によらず、
> (2^(n-1)*10000,2^n*10000):(2^n*10000,2^(n+1)*10000)=1:p
> となっている。
とご自分で論証してますから、当然、認めるでしょうね。

> > (自分の金額、相手の金額)という表示において
> > ・自分の金額がaだと明らかになる場合に、想定される中身の可能性は
> > {(a,a/2)、(a、2a)}

ここではaを定数と捉えている様ですけど、私はaを変数として使ってます。交換の担い手であるプレイヤー目線では、種々の金額を載せられる器(私の図式のA)である必要が有りますから。(勿論、いわゆる「神の視点」では定数ですね。)

その上で、自分の金額を中心に相手だけを2種類に見なす行き方でなく、自分をも相対的に捉える必要が有る、と考えます。少額の方a(2,4,8,…)にも成り得ているし、それに対応した多額の方2a(4,8,16,…)にも成り得ていると。だからこその対照性な訳で。
 ┬(a,2a)
 └(2a,a)

金額の判明というのは、具体的な数値であるだけに、何か“決定的な意味を持っている”かのような、一種の「錯覚」を起こさせる効果を発揮するのではないでしょうか。
しかし、よくよく考えてみると、“一方の”金額が判明しただけでは、この相対的位置がどちらなのかは、金額不明の時と同様、依然として不明のままで、交換に於けるaと2aの対照性(私の図式の、BかB’かは等確率という点)は失われていない訳です。失われたのは選択肢の無限性だけで。

******
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3363 (10月11日(火)22時53分)
>  = 2 * g(n)/2 + (-2) * g(n)/2
>  = g(n) - g(n)

失礼しました。これは、カッコの有る数列の初項(カッコの無い数列の和では初項と第2項に当る)の事ですね。
ここでは一般項の話だったので、正しくは
 = 2^n * g(n)/2 - 2^n * g(n)/2   ←カッコの無い場合はここまで
 = 2^n * (g(n)/2 - g(n)/2)
とでもすべきでした。
ちなみに 2^(n-1) * (g(n) - g(n)) とするのは、nとn-1というペアの異なるものの同居する表現に成ってしまうので、そこまで簡略化する必要は無いと思います。


Re: ()内は1つの項
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月12日(水)21時29分47秒

φさんへのお返事です。

> > 自分の金額が確定してしまえば、あるいは
> > 相手の金額が確定してしまえば、そこで
> > {(a,2a),(2a,a)}
> > だと主張することは、もうできない。
>
>  その「主張すること」は必要ありません。
>  単に、交換による期待値変化が
> 設定A=設定B1=設定D1
> であることが示されれば十分です。
>
>  論証しましょう。

やってごらん

>  まず、最近ここを見始めた人のために、各設定の内容を書いておきましょう。
>
>  ………
>  A ペアのうち一つを選び、封筒内を見ない場合の交換
>  B ペアのうち一つを選び、封筒内を見た場合の交換
>   B1 「どんな金額でも交換」という解釈(目にした封筒内金額というデータを無視)
>  D1 ペアのうち一つを選び、ペアの総額だけが教えられた場合の交換
>  ………

その通り。
(注:B2は邪魔なだけなので削除した)

>  さて、2封筒ゲームが始まったとき、プレイヤー1は、
> 封筒を選んだあと、A、B1、D1をそれぞれ行なう
> 自分を想定する。
>  そして、実際に各々の戦略を順々にとってみて、
> 「獲得した金額-失った金額」を記録しておく。

好きにすれば?w

> ●① 唯一試行における交換の期待値(交換-非交換の期待金額)
> を調べるためには、期待値の定義により、多数試行で毎回交換した場合を、
> 毎回非交換である場合と比べるシミュレーションを行なう。
> つまり、A、B1、D1では「全交換」という戦略がとられる。
>  よって、封筒の動きは、A、B1、D1で同じ。
>
> ●② 同一のゲームで、各戦略において封筒の移動状況が全く同じである場合、
> とりわけ全交換と決まっている場合、各戦略における交換の期待値変化は
> 互いに同一である。
>
> ●③ 交換による期待値変化は、A=B1=D1である。(①、②による)

さて、ここまででいえるのは

「もし、Aの期待値が存在するのなら
 Aの計算値=B1の計算値=D1の計算値」

ということ。

しかし、肝心の
「Aの期待値が存在する」
という論証ができていない。

> ●④ D1の期待値変化を求める計算は、
>  g(1)(1-1)+g(2)(2-2)+g(3)(4-4)+g(4)(8-8)……=0
>  である。
>
>  以上で十分なのですが、

この瞬間、φはトンデモの奈落に落ちていった。

どこがどうトンデモか示してやろう。

まず、Aの期待値の計算は
 g(1)・1-g(1)・1+g(2)・2-g(2)・2+g(3)・4-g(3)・4+g(4)・8-g(1)・8…
でも
-g(1)・1+g(1)・1-g(2)・2+g(2)・2-g(3)・4+g(3)・4-g(4)・8+g(1)・8…
でも
 g(1)・1-g(1)・1-g(2)・2+g(2)・2+g(3)・4-g(3)・4-g(4)・8+g(1)・8…
でも
-g(1)・1+g(1)・1+g(2)・2-g(2)・2-g(3)・4+g(3)・4+g(4)・8-g(1)・8…
でもよい。
(もちろん、どの場合も頭から順々に計算する)

 この場合、例えばg(n)がどのnでも等しい一様分布だとした場合には

 第1の場合では計算値は正の値と0との間を振動する。
 第2の場合では計算値は負の値と0との間を振動する。
 第3の場合では計算値は正の値、0、負の値、0、正の値・・・と振動する。
 第4の場合では計算値は負の値、0、正の値、0、負の値・・・と振動する。

 どの場合も0に収束しない。

 いっておくが、Aの計算においては
 g(1)、g(2)、g(3)、g(4)、・・・
 という順序すら変えてよい。
 当たり前のことだが、項の順番など決まっていないのだから。

 またB1の計算は
 g(1)・1+(-g(1)・1+g(2)・2)+(-g(2)・2+g(3)・4)+(-g(3)・4+g(4)・8)+(-g(1)・8+…
 となるが、これもgが一様分布だとした場合には正の方向に発散し0に収束しない。

 さらに
「 B ペアのうち一つを選び、封筒内を見た場合の交換」
 の他に
「 C ペアのうち一つを選び、選ばなかったほうの封筒内を見た場合の交換」
 で
「C1 「どんな金額でも交換」という解釈(目にした封筒内金額というデータを無視)」
 という場合を設けると(当然期待値が存在する場合にはA=B1=C1=D1だが)
 C1の計算は
-g(1)・1+(g(1)・1-g(2)・2)+(g(2)・2-g(3)・4)+(g(3)・4-g(4)・8)+(g(1)・8-…
 となるが、これもgが一様分布だとした場合には負の方向に発散し0に収束しない。

 gの分布によっては、Aの級数はどう計算しても同じ値をとり、
 B1、C1、D1の計算値もAと一致し、その場合は0になる。

 しかし、A、B1、C1においては、任意の分布で0となるわけではない。
 そして、そうならない場合というのは、そもそも期待値が存在しないのであるから
 A=B1=C1=D1という主張自体が意味を持たなくなる。

 さて

>A=B1=D1となる理由をもう少し説明いたしましょう。

トンデモφの悪あがきにつきあおうか。

> ●⑤ Aは、ΣD1である。
> つまり、D1で、どの総額が判明しようとも、それをD1の場合として登録して、
> それらを全部合わせたものである。結果として、
>「どんな総額であれ、とにかく総額が決まった場合」となり、
>「ある総額を持つペアについて」となり、設定Aとなる。
>  ここで、各D1をすべての総額について合成してもよい理由は、
> D1が両プレイヤーにとって対称的なゲームだからである。

まったく、何の論理もない。

対称性とやらは、計算方法をD1に限定する理由にはならない。

> ●⑥ Aについては、⑤の合成と同じような合成は成り立たない。(略)

無意味なB2に関する説明を除くと何もなくなったw

> ●⑦ (略)

そもそも無意味なB2に関する言明なので何もなくなったw

> ●⑧ B1で交換による期待値変化ゼロである理由は、換言すると、
> 「自分の金額/相手の金額=2 の場合と
>  自分の金額/相手の金額=1/2 の場合では、
>  自分の金額は同じでなく、前者の自分の金額は後者の自分の金額の2倍」
> が体系的に成り立つからである。

換言後の文章は、期待値変化ゼロを全く説明していない。

論理もヘッタクレもない。

> こうして、対称的なA=B1=D1ではD1の計算どおり交換による期待値変化ゼロ、
>
> 以上の論理に対して、モンテカルロさんはまだ答えていません。

残念だが、φの「論理」には

・任意の分布gにおいて、Aの期待値が存在する証明
・任意の分布gにおいて、A、B1、D1の各計算値が一致し0になるという証明

が全く欠如している。

ちなみに通常の数学においては

・Aの期待値が存在しない分布gがある。
・B1、D1の各計算値が一致しない場合、Aの期待値も存在しない。

がいえる。

>  http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3305で挙げた①②③④も答えられていないし、積み残し多すぎです。

φはそもそも私が薦めてやった
ハイラーとヴァンナーの「解析教程」
も読めていない。
結局数学については何も積む気がないことは明らかである

>  同じことの繰り返し投稿に対しては、最近忙しいこともあり、
> 必ずしも素早いレスはできかねますので、ご了承ください。

レスは一切しなくて結構である。

φが間違っていることは、
数学を学んだ者にとっては
疑いの余地がない。

φが数学を学んだ上で、心密かに自分の誤りに気付いて
二度とこのような詰らぬ誤りを口にしなくなればよいだけである。

なお、対称性の原理とやらは何の意味もないから、
さっさと忘れちまったほうが身のためである。


Re: ()内は1つの項
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月12日(水)07時36分44秒
> No.3364[元記事へ]

φさんへのお返事です。

要点のみ

>  各項がランダムに出現するときに信頼できるのは、
>  「確率が等しい事象は(極限では)同頻度で実現するはず」
>  という大数の法則だけです。
>  つまり、ランダムな封筒ペア出現において確実なことはただひとつ、
>  大数の法則により(期待値の定義における多数回試行の極限において)、
>  いかなるxについても(2^x,2^(x+1))と(2^(x+1),2^x)とが同じ回数現われる、
>  ということだけです。

同じ「回数」という言い方は誤りである。

つまり、
「同じ「回数」だから打ち消しあって0になる。」
といいたいのであれば
「無限個の場合、そんな保証はどこにもない」
というのがミソである。

>   ∀x(P((2^x,2^(x+1)))=(P((2^(x+1),2^x,)))
>
>  ↑確率が等しいのはペア内で組み合わさった金額だけ。
> それ以外の条件を勝手に付け加えるのは誤謬です。
>
>  したがって、Σ(2^x-2^x)だけが正しい計算となります。
>  数学の人がどうしてこんな簡単な理屈を理解できないのか、全くもって謎です。

それはφが「大数の法則」を誤解しているから
数学でもなんでもないものを、数学だと思い込んだから。

φのいう数学は、
非数学
いや
反数学

>  出現頻度の異なる項を好都合に継ぎ足したのでは、
> ランダムに現われる封筒ペア間の交換結果の
> 極限を意味することはできません。
>  したがって、↓↓はどうしようもないナンセンスです。
>
> > 1,2,4,・・・などの順序も変えてしまえば
> > もっと奇妙奇天烈な振動の仕方も実現できよう。
>
>  封筒交換の意味論を無視したとんでもないナンセンスですね。

φがデッチあげた身勝手な「意味論」は間違ってる。

それが答え。

期待値は、どういう順序で計算しても同じ値になる場合にのみ意味をもつ。
順序に依存するのであれば、意味を持たない。

なぜなら実際の試行においてはいかなる順序でも現れうるのであるから。
現れた順序のままに計算した値が、期待値に収束するのであって
そうならない場合には、もはや期待値ではないのである。

> > (自分の金額、相手の金額)という表示において
> > ・自分の金額がaだと明らかになる場合に、想定される中身の可能性は
> > {(a,a/2)、(a、2a)}
> > ・相手の金額がaだと明らかになる場合に、想定される中身の可能性は
> > {(2a,a)、(a/2,a)}
> > ・多い額と少ない額の差がaだと明らかになる場合に、想定される中身の可能性は
> > {(2a,a),(a,2a)}
> > それぞれ異なる。
> >
>
>  ↑これはべつに異論ありません。
>aという同じ文字で複数の数を表わしてはマズイですからね。

なら、φの
負け
である。

>  しかし単純な問1~問4は、ただペアだけが差し出されて、
> 何もわかっていない状態です。
> その場合は{(a,2a),(2a,a)}だと言っているのです。

だから、φのその認識が
誤り
である。

>  封筒の位置を彼我交換したら中の金額が変化してしまうような
>{(a,a/2)、(a、2a)}や{(2a,a)、(a/2,a)}が
>ダメなことはわかりきっています。


封筒の位置を交換した場合
自分の封筒は、他人の封筒に
他人の封筒は、自分の封筒に
なる。

つまり、自分と他人の関係は、交換によって変化する。

AとBの二人がいて、Aの封筒を開けた場合
Aにとっては自分の封筒、Bにとっては他人の封筒
である。

そしてその場合の計算では交換の行為は
Aにとって得、Bにとっては損
に見える。
(※分布は一様分布とする)

交換した場合、
Aにとっては他人の封筒、Bにとっては自分の封筒
であるから、再交換は
Aにとって損、Bにとっては得
に見える。

そういうことである。
ここで「得(損)に見える」といったのは、
「実際は得(損)ではない」という意味ではない。
そもそもそんなことはわかりようがない、という意味である。

>  つまり、何も情報のないA設定は、
>{(2a,a),(a,2a)}です。

その一点において、φは
マチガッテル。


Re: ()内は1つの項
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月12日(水)07時17分24秒
> No.3363[元記事へ]

おかめ石さんへのお返事です。

要点のみ

>(等確率での)「交換」に関しては、
> 例えば胴元によりペア(2, 4)が提示されていれば
> 交換は(2, 4)内で行われ、胴元に選ばれなかった
> 他のペアには出て来る幕が有りません。

しかし、胴元はペアを提示していない。

胴元にもペアが分からないように
ゲームを実行することは可能である。

そして自分の金額だけが明示される場合、
ペアは明示されない。

おかめ石はここで粉々に粉砕された。


Re: ()内は1つの項
投稿者:φメール 投稿日:2011年10月12日(水)05時52分19秒
> No.3363[元記事へ]

おかめ石さんとモンテカルロさんへのお返事です。

 括弧は無視できないどころか、致命的に重要ですよね。
 括弧付け替えの制限は単なるマナーではありません。

 「無限級数の括弧付け替えにパラドクスの源がある」とモンテカルロさんが言って、「括弧付け替えOKというのは錯覚だからパラドクスは解ける」と言うのであれば、われわれも同意できるわけです。
 並べ替えのトリックで、「自然数より偶数の方が多い」と「証明」するのが間違いであるのと同じようにですね。

 ところがモンテカルロさんは
 「無限級数の括弧付け替えにパラドクスの源がある、そして括弧付け替え計算は正しい、よって交換は得とも損とも言えない」とパラドクス温存に走ったところが駄目なわけですね。

 注意深く調整した括弧付け替えが許されるというモンテカルロさんの思い込みは、金額(およびペア)がランダムに(あるいは気まぐれに)現われるという事実の単純な見落としから来ています。
 ランダムに現われるときにどういう期待値変化へ収束しそうかを考えねばならないのに、発散するように工夫したチューニングをするのは八百長ですから。

 もう何遍も言ったので面倒臭くなってきましたが、
 ペアがランダムに出現する場合は、秩序正しい括弧付け替え計算は成り立ちません。
 各項がランダムに出現するときに信頼できるのは、
 「確率が等しい事象は(極限では)同頻度で実現するはず」
 という大数の法則だけです。
 つまり、ランダムな封筒ペア出現において確実なことはただひとつ、
 大数の法則により(期待値の定義における多数回試行の極限において)、
 いかなるxについても(2^x,2^(x+1))と(2^(x+1),2^x)とが同じ回数現われる、
 ということだけです。
  ∀x(P((2^x,2^(x+1)))=(P((2^(x+1),2^x,)))

 ↑確率が等しいのはペア内で組み合わさった金額だけ。それ以外の条件を勝手に付け加えるのは誤謬です。

 したがって、Σ(2^x-2^x)だけが正しい計算となります。
 数学の人がどうしてこんな簡単な理屈を理解できないのか、全くもって謎です。

 出現頻度の異なる項を好都合に継ぎ足したのでは、ランダムに現われる封筒ペア間の交換結果の極限を意味することはできません。
 したがって、↓↓はどうしようもないナンセンスです。

>
> 1,2,4,・・・などの順序も変えてしまえば
> もっと奇妙奇天烈な振動の仕方も実現できよう。
>

 封筒交換の意味論を無視したとんでもないナンセンスですね。

 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3362 は突っ込みどころが多すぎて、まともに批判する気も失せてしまいます。たとえば

>
> 「期待値が発散する場合」の一例として「一様分布」がある。
>

 ↑この件については、TTTさんにお任せしましょう。
 TTTさんは是非何か言ってください。
 TTTさんがこの件を黙認したまま、またも下らない言葉狩りに専念するようなら、申し訳ありませんが私からのレスは省略させていただきますので、TTTさんは重々ご了承ください。

>
> (自分の金額、相手の金額)という表示において
> ・自分の金額がaだと明らかになる場合に、想定される中身の可能性は
> {(a,a/2)、(a、2a)}
> ・相手の金額がaだと明らかになる場合に、想定される中身の可能性は
> {(2a,a)、(a/2,a)}
> ・多い額と少ない額の差がaだと明らかになる場合に、想定される中身の可能性は
> {(2a,a),(a,2a)}
> それぞれ異なる。
>

 ↑これはべつに異論ありません。aという同じ文字で複数の数を表わしてはマズイですからね。
 しかし単純な問1~問4は、ただペアだけが差し出されて、何もわかっていない状態です。その場合は{(a,2a),(2a,a)}だと言っているのです。
 封筒の位置を彼我交換したら中の金額が変化してしまうような{(a,a/2)、(a、2a)}や{(2a,a)、(a/2,a)}がダメなことはわかりきっています。

 つまり、何も情報のないA設定は、{(2a,a),(a,2a)}です。

>
> 自分の金額が確定してしまえば、あるいは
> 相手の金額が確定してしまえば、そこで
> {(a,2a),(2a,a)}
> だと主張することは、もうできない。
>

 その「主張すること」は必要ありません。
 単に、交換による期待値変化が 設定A=設定B1=設定D1 であることが示されれば十分です。

 論証しましょう。
 まず、モンテカルロさんは、設定D1では、(1-1)+(2-2)+(4-4)+(8-8)・・・ だけが正しいことには同意しているようですから、そこから出発して、
 B2以外の場合について、(1-1)+(2-2)+(4-4)+(8-8)・・・の計算結果だけがあてはまることを論証します。
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3299 で述べたことのおさらいです)

 ちなみに、最近ここを見始めた人のために、各設定の内容を書いておきましょう。


 ………
 A ペアのうち一つを選び、封筒内を見ない場合の交換
 B ペアのうち一つを選び、封筒内を見た場合の交換
  B1 「どんな金額でも交換」という解釈(目にした封筒内金額というデータを無視)
  B2 「その金額だから交換」という解釈(目にした封筒内金額というデータを尊重)
 D1 ペアのうち一つを選び、ペアの総額だけが教えられた場合の交換
 ………

 さて、2封筒ゲームが始まったとき、プレイヤー1は、封筒を選んだあと、A、B1、B2、D1をそれぞれ行なう自分を想定する。
 そして、実際に各々の戦略を順々にとってみて、「獲得した金額-失った金額」を記録しておく)。

●① 唯一試行における交換の期待値(交換-非交換の期待金額)を調べるためには、期待値の定義により、多数試行で毎回交換した場合を、毎回非交換である場合と比べるシミュレーションを行なう。つまり、A、B1、D1では「全交換」という戦略がとられる。
 対してB2では、「実際に来た額たとえば32についてのみ交換、他の金額の場合は非交換」という戦略。
 よって、封筒の動きは、A、B1、D1で同じ。B2だけ異なる。

●② 同一のゲームで、各戦略において封筒の移動状況が全く同じである場合、とりわけ全交換と決まっている場合、各戦略における交換の期待値変化は互いに同一である。

●③ 交換による期待値変化は、A=B1=D1である。(①、②による)

●④ D1の期待値変化を求める計算は、
 g(1)(1-1)+g(2)(2-2)+g(3)(4-4)+g(4)(8-8)……=0
 である。

 以上で十分なのですが、A=B1=D1となる理由をもう少し説明いたしましょう。

●⑤ Aは、ΣD1である。つまり、D1で、どの総額が判明しようとも、それをD1の場合として登録して、それらを全部合わせたものである。結果として、「どんな総額であれ、とにかく総額が決まった場合」となり、「ある総額を持つペアについて」となり、設定Aとなる。
 ここで、各D1をすべての総額について合成してもよい理由は、D1が両プレイヤーにとって対称的なゲームだからである。

●⑥ B2とAについては、⑤の合成と同じような合成は成り立たない。B2は、D1と違って非対称的なゲームであるためである。たとえば
 ●プレイヤー1の戦略
「32がくれば確率1で交換、他の場合は確率1で非交換」
 ●プレイヤー2の戦略(プレイヤー1の選択の従属変数たることを余儀なくされる)
「16がくれば確率g(16)/(g(8)+g(16))で交換、64がくれば確率g(32)/(g(32)+g(64))で交換、他の場合は確率1で非交換」
という両プレイヤー間の非対称性である。

●⑦ B2を「どの金額についても」実行して合成できると考え、B2=B1とするのは、合成の誤謬。
 なぜなら、合成してしまうと、 プレイヤー1の戦略のうち「他の場合は確率1で非交換」という部分に違反することになり、各金額についてのB2の定義が満たされなくなる。これが「合成の誤謬」(『心理パラドクス』問072)。

●⑧ B1で交換による期待値変化ゼロである理由は、換言すると、「自分の金額/相手の金額=2 の場合と  自分の金額/相手の金額=1/2 の場合では、自分の金額は同じでなく、前者の自分の金額は後者の自分の金額の2倍」が体系的に成り立つからである。

こうして、対称的なA=B1=D1ではD1の計算どおり交換による期待値変化ゼロ、
非対称的なB2では交換による期待値変化は(ペアの事前確率分布によるが)、おおむねプレイヤー1に有利、となります。

 以上の論理に対して、モンテカルロさんはまだ答えていません。
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3305で挙げた①②③④も答えられていないし、積み残し多すぎです。
 同じことの繰り返し投稿に対しては、最近忙しいこともあり、必ずしも素早いレスはできかねますので、ご了承ください。

 なお、「対称性の原理」がきわめて重要であることについては、くどいようですが、おかめ石さん推薦の
http://soler7.com/IFAQ/two_envelope_paradox_solution.htm
からの諸論文をお読みください。「期待値が発散するから」という理由で「期待値変化は無意味」としている論文はありません。「事前確率分布が不明であれば期待値変化を論ずることはできない」と結論しているのが一編ありますが、その趣旨は期待値の発散とは関係ありません。


()内は1つの項
投稿者:おかめ石 投稿日:2011年10月11日(火)22時53分54秒

いわゆる「カッコのくくりり替え」の可否についての話ですけど、これは解析学の教科書の無限級数の章の扱いと言うより高校数学での話なので、学習参考書をちょっと見てみましょう。

下村晶一著『難関大理・医系入試の完全攻略 数列と極限』の「Summary 無限級数」によれば、カッコの取り扱いは慎重に、とのこと。

また『高校数学解法事典』では、一見、振動するような無限数列の和の計算法を、カッコの有無で明確に変えています。~詳しくは「問2588」を参照。精選された3例が載ってます。~

当然ですけど、例えば2-4+4-8と(2-4)+(4-8)は異なります。前者は項数4の数列の和であり、後者は項数2ですね。

この事は無限数列の和Sを求める時にも適用されて、
カッコの無い、例えば2-2+4-4+8-8+…では、
第2k項までの部分和 ~例えばS_2*2は第4項-4までの和。kである点に注目~
 S_2k = Σ[r=1→k] (2^r - 2^r) = 0
と、第2k+1項までの部分和
 S_2k+1 = S_2k + 2^(k+1)
   ∴ lim[k→∞] S_2k = 0, lim[k→∞] S_2k+1 → ∞
の二つの場合 ~従って、与式によっては答えが二つに分かれる~ を求めるのに対して、

カッコのある(2-2)+(4-4)+(8-8)+…では、
第n項(カッコ単位で数えた項)までの部分和 ~例えば S_2 は第2項(4-4)までの和。nである点に注目~
 S_n = Σ[r=1→n] (2^r - 2^r) = 0
   ∴ S = lim[n→∞] S_n = 0
だけを求めます。
「(」が出てきたら、「)」で閉じるまでが一つの項という事ですからね。
こちらは S_n の一つだけを求める訳なので答えも二つに分かれることは有りません。

※※※※※
ですから数学的により正確に言うと、モンテカルロさんが「カッコの付け替えにより発散する」等と言っていたのは、実は、カッコの有無を争っていた事に成る様ですね。「元々カッコは無い」と。

これに対してφさんや私は「カッコは有る」と考えて居るという事に成ります。

※※※※※
モンテカルロさんのいわゆる(2)式は、本来、一般項が次の式で表される無限数列の和という事に成ります。
 (2^(n+1) - 2^n) * g(n)/2 + (2^n - 2^(n+1)) * g(n)/2

更に簡略化すれば
 = 2 * g(n)/2 + (-2) * g(n)/2
 = g(n) - g(n)
と単純な式に成ってしまいますね。

それはさておき、具体的には
 (4-2) * g(1)/2 + (2-4) * g(1)/2 + (8-4) * g(2)/2 + (4-8) * g(2)/2 + …
という事です。
初項は「ペア(2, 4)で2→4交換」を意味し、第2項は「ペア(2, 4)で4→2交換」を意味してます。

(2)式では、第2項と第3項にそれぞれ g(1)+g(2) / g(1)+g(2) = 1を掛けて一つの項にくくる、等々の操作を加えて居た訳です。

※※※※※
この確率 g(1) と g(2) は、それぞれ(2, 4)か(4, 8)かという、胴元による金額ペア「選択」を表しています。
そして、「/2」の所にちらっと顔を覗かせている(等確率での)「交換」に関しては、
例えば胴元によりペア(2, 4)が提示されていれば交換は(2, 4)内で行われ、胴元に選ばれなかった他のペアには出て来る幕が有りません。
~このゲームのハイライトは、正しくこの「交換」という一事に在る訳ですから、ペアの違いは最重要です。~

この様に g(1) と g(2) は別の ~私の図式では、どちらか一方が提示されたときAとA’に分かれる事に成る~ 事象の確率であり、
数列の和の計算では、カッコを付けてそれらを区別する必要があると考えます。


Re: 問3、問4の解
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月10日(月)09時27分46秒
> No.3361[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> > >  ▲単純な問3:
> >
> > 仮に事前確率分布が一様分布だと前提した場合、存在しない。
> >
> > >  ▲単純な問4:
> >
> > 仮に事前確率分布が一様分布だと前提した場合、存在しない。
> >
>
>  期待値が発散する場合を考えたいのでしょうから、
> 「一様分布だと前提した場合」を持ち出しても無意味でしょうに。

文章がつながらない。

「期待値が発散する場合」の一例として「一様分布」がある。

>このことは何遍も言いました。

「期待値は発散する場合」には「期待値が存在しない」
このことも何度も云った。

>  どうやらモンテカルロさんは、
> http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3123
>  http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3121
>  の地点から全然進歩していないようですね。やれやれ……

φのいう「進歩」は間違ってるから拒否する。

私はφのようにトンデモの奈落の底に落ちたくはない。

>  瑣事に口やかましいTTTさんが、
> モンテカルロさんの長期にわたるこの大ボケを
> 黙認しているのが不思議です。
> 瑣事専門で、真理の追求には興味ないというなら別ですが。

TTTは私と全く同様のことをいうだろう。
そもそも、期待値が発散する場合には、期待値が存在しないと、
強調したのはTTT。

> > 残念だが、私はφのように
> > 「自分の金額/相手の金額=2 の場合でも
> >  自分の金額/相手の金額=1/2 の場合でも
> >  自分の金額は同じ!」
> > といったナイーブな思い込みにひっかかったりはしない。
>
>  設定Aの場合にそのナイーブな思い込みに囚われるから
> 擬似パラドクスが発生する、という件は、
> 私がとっくに「ネクタイのパラドクス」
>(『論理パラドクシカ』018)で指摘したことです。

φにとってのパラドックスの発生原因は
そういう軽率なものだろうが、より慎重な
人であっても、やはりパラドックスになる。

>  そんな当たり前のことはふまえて私は発言しているのですが、
> どうにもこの低レベルのままでは困りましたね……。

低レベルなφがこのセリフを吐いても何の重みもないな。

>  ともあれ、
> 「自分の金額/相手の金額=2 の場合と
>  自分の金額/相手の金額=1/2 の場合では、
>  自分の金額は同じでなく、前者の自分の金額は後者の自分の金額の2倍」
> ということがモンテカルロさんに認められたのは朗報です。

φは肝心な前提を省略する悪癖がある。
「同じペアの場合には」という前提は省略できない。

そして、自分の金額が明らかになる場合には、
そもそも、想定される2つの可能性が、
異なるペアであるのだから、期待値計算で
「同じペア」に固執するφはマチガッテル
というわけだ。

>  2封筒の中身は{(2a,a),(a,2a)}に他ならない、ということですね。

φがそう前提したのであって、
いかなる状況でも、その可能性しか考えられない
ということではない。

(自分の金額、相手の金額)という表示において
・自分の金額がaだと明らかになる場合に、想定される中身の可能性は
{(a,a/2)、(a、2a)}
・相手の金額がaだと明らかになる場合に、想定される中身の可能性は
{(2a,a)、(a/2,a)}
・多い額と少ない額の差がaだと明らかになる場合に、想定される中身の可能性は
{(2a,a),(a,2a)}
それぞれ異なる。

>  当然のことです。

φが
「自分の金額が明らかな場合にも
 他人の金額が明らかな場合にも
 想定される2封筒の中身は
 {(2a,a),(a,2a)}
 に他ならない」
と吠えるのであれば、皆は口をそろえてこういうだろう。
「気が違ったか?」

当然だろう、2つの想定で、自分の金額も相手の金額も違ってるのだから。

>  ちなみに、「ペア確定後の」などとモンテカルロさんは
> いかにも場合分け風に言っていますが
> (そのせいでモンテカルロ式「解説」が支離滅裂になっているのですが)

φは、私の説明が、自分の前提と矛盾するので
「支離滅裂」だと感じるのであろうが、
私にいわせれば、φの
「2封筒の中身は{(2a,a),(a,2a)}に他ならない」
という高らかな咆哮こそ、
・自分の金額が明らかになる場合に想定される2封筒の中身
・他人の金額が明らかになる場合に想定される2封筒の中身
と、完全に矛盾するので、支離滅裂であるし、
そのことに気付きもしないφはこの時点で
発狂
したと思うわけである。

>  べつに確定せずとも、ペアの総額がわからぬまま
> ただ2封筒が提示されているだけで十分です。

いっておくが
「自分の金額/相手の金額は、2か1/2かに他ならない」
ということと
「2封筒の中身は{(2a,a),(a,2a)}に他ならない」
ということとは別である。

なぜなら、
「2封筒の中身は{(a,a/2)、(a、2a)}である」
「2封筒の中身は{(2a,a)、(a/2,a)}である」
としても
「自分の金額/相手の金額は、2か1/2かに他ならない」
とは矛盾しないが、
「2封筒の中身は{(2a,a),(a,2a)}に他ならない」
とな矛盾するからである。

「自分の金額/相手の金額は、2か1/2かに他ならない」
というのは、
「2封筒の中身は{(2a,a),(b,2b)}に他ならない」
と同じであって、その場合に、aとbをどう置くかは任意である。

>  2封筒問題で、交換と非交換のそれぞれの場合の
> 出現頻度の単位として適格なのは「ペア」だけです。

その決め付けが間違ってる。

> 自分の金額も相手の金額も交換によって変わるが、
> 自分が関わったペアは決して変わらないからです。

それは何の理由にもならない。

>  そして、ペアの中には金額は2種類しかありません。
>  つまり、ペアがひとつしか提示されないのだから、
> 封筒内金額を表す定項はaと2aの2種類だけにすべきです。
> 始めから自他非対称なa、2a、a/2を同時に使ってはいけません。

全く誤りである。

まず
自分の金額が明らかになる場合、
他人の金額が明らかになる場合
において想定されるペアは
1つではなく、2つである。

次に
ペアが1つに限定されるのは、例えば、
・金額の総和が明らかになる場合
・金額の差が明らかになる場合
である。

最後に
何の情報もない場合には、そもそも
ペアを1つに限定できない。

したがって、
何の情報もない場合に、対称性、すなわち
「総和もしくは金額差が交換において不変」
という特性だけにしがみ付いて、
ペアが1つの場合の計算を正当化
するのは間違っている。

ベルトランの逆理において、
「測度がユークリッド幾何の合同変換において不変」
という対称性を重視した上で、答えが1/2だとするのは
「合同変換において不変」という対称性が必要だという
認識があった上でのことである。

しかし、今回の2封筒問題において、
ベルトランの逆理と同様の認識はない。

>  さて、そうするとおかしいですね。

何が?

>  自分でも認めたこの当たり前のことをモンテカルロさんは、
> 「単純な問3、問4」ではなぜ否定するのでしょうね?

私は認めていないが。

>  「単純な問3、問4」では、プレイヤー1、2の獲得金額の組み合わせを
>{(a,a/2),(a,2a)}として計算してよいと言ってますね。

云っていないが。

> 括弧でくくる各項(交換による差額)を{(-x+x/2)+(-x+2x)} として計算しないかぎり、
> 1-1+2-2+4-4+8-8・・・
> が収束しない、
> などと言えないはずですから。


アタマから順に計算してごらん。収束しないからw

1=1
1-1=0
1-1+2=2
1-1+2-2=0
・・・

つまり0と2^nの間で振動しつづけるから、収束しない。

>  (ちなみに、一般的には下限も撤去して考えますから、
> 括弧を省略すると収束しないかどうかわかりません)

()内は何いってんだか不明。
ちなみに項の順序は任意だから、例えば

1-1-2+2+4-4・・・

とペアごとで+-の順序を互い違いにしてみると

1=1
1-1=0
1-1-2=-2
1-1-2+2=0
1-1-2+2+4=4
1-1-2+2+4-4=0
・・・
となって

1、0、-2、0、4,0、
と正負に激しく振動する。

1,2,4,・・・などの順序も変えてしまえば
もっと奇妙奇天烈な振動の仕方も実現できよう。

>  しかも、それぞれの金額に確率(一様分布ではありえない!)が
> 係数として付くから、「収束しない」が正しいかどうかすら
> 定かでないことは飽きるほど指摘済み。


もちろん、分布によっては収束する場合もあるよ。
そんなことはいわずもがなだろう。

>  2つの封筒の中身の可能性は、試行のつど
>{(a,2a),(2a,a)}としか表現できないがゆえに、
> (1-1)+(2-2)+(4-4)+(8-8)・・・
>  という計算だけが正しいのです。

それが
トンデモ
だといっている。

上記の計算が、交換によって変動しない、というのは確かである。
しかし、
「交換によって変動しない」
という性質を満足する必要はない。

例えば、自分の金額が明らかになる状況で交換を行った場合
「相手の金額が明らかになった状況」
になるわけだ。

「自分の金額が明らかになった状況」と
「相手の金額が明らかになった状況」では
明らかに違うわけだ。
つまり交換によって不変でないわけだ。

異なるやり方で計算した結果が同じになるというなら結構だ。
しかし、そうならないからといって、交換によって不変なやり方を
ただ「交換によって不変だから」という理由で強制するのは
まったく何の論理もない間違った考え方だ、といっているのだよ。

φの云っていることは、
「結果が交換によって不変なはずだから、
 計算法も交換によって不変にしてしまえばいい」
という感情論でしかない。

φの感情など、φ以外の人間にとっては
全く何の根拠にもならない。

>  主観的な非対称性を裏付ける観察データのない
> 設定Aにおいてこのことを否定するのは、
> 言っておきますが、学界的同意の現状から見ても、
> 希望ゼロですよ。

損得0への収束が見られない限り、φのいう「損得0」の主張が
数学界で同意を得る可能性もゼロだな。

対称性だけで損得ゼロはいえない。

無限試行においては、全てが終わった終着点が存在しない。
したがって、正当化のためには値の収束を示すしかない。
しかし値が収束しない。それでは正当化はできない。

>  いずれにせよダブルスタンダードはいけません。
>  あるときは{(a,2a),(2a,a)}とすべきだと主張し、
>  別のときは{(a,a/2),(a,2a)}という見方が許されると主張する。
>  ↑この態度の正当化には、よっぽどの理由が必要です。

まず、私の立場はダブルスタンダードではない。

次に、都合の悪い場合を考えないことで、
ダブルスタンダードを避けたと言い張る
φのやり方は、論理の否定である。

自分の金額が確定してしまえば、あるいは
相手の金額が確定してしまえば、そこで
{(a,2a),(2a,a)}
だと主張することは、もうできない。

>  頭ごなしの「期待値が発散するから」では理由になりません。

頭ごなしの「交換で不変だから」も理由にはならない。

>  そもそも発散といっても、実無限回の試行が想定されているのではなく、
>「ペア選択のいかなる上限においても……」といった一般化でしかないわけですから、
>すべての有限の場合に成り立つ計算でなければなりません。

上限がある限り、上限のところで大損をするという状況を無視できない。
上限を撤廃しない限り、パラドックスにはなりえない。

> 少なくとも、出現頻度の単位としてペアをとる正当性(これは常に成り立つ)
> に比べて、自分の金額を固定して相手の金額を2通りに分裂させた
> 各々の括りが計算の単位として同じくらい正当である、ということが
> そろそろいくらなんでも証明されねばなりませんね。

「交換によって不変」とか、(その系としての)
「いかなる分布でも値が0」とかいうのは
何の正当性も示していない。

そもそも「自分の金額が明らか」というのは交換によって
「相手の金額が明らか」という、異なる状況に変化する
つまり状況は交換によって不変ではない。
さらに、各々の状況での事後確率での計算は当然ながら
確率分布に依存する。
最後に、実際にシミュレーションすれば1回あたりの
損得の金額すら0に収束せず、激しく上下動する。
このような状況では、損得ゼロというのが何の意味もない
ことは明白である。

>  モンテカルロさんは、ダブルスタンダードを
> 正当化する証明をしてください。

ダブルスタンダードではない。

学者なら、ウソをつくのはやめていただきたい。
それとも、φは、ただの
トンデモ
なのか?


Re: 問3、問4の解
投稿者:φメール 投稿日:2011年10月10日(月)04時35分54秒
> No.3360[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。


> >  ▲単純な問3:
>
> 仮に事前確率分布が一様分布だと前提した場合、存在しない。
>
> >  ▲単純な問4:
>
> 仮に事前確率分布が一様分布だと前提した場合、存在しない。
>

 期待値が発散する場合を考えたいのでしょうから、「一様分布だと前提した場合」を持ち出しても無意味でしょうに。このことは何遍も言いました。
 どうやらモンテカルロさんは、
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3123
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3121
 の地点から全然進歩していないようですね。やれやれ……

 瑣事に口やかましいTTTさんが、モンテカルロさんの長期にわたるこの大ボケを黙認しているのが不思議です。
瑣事専門で、真理の追求には興味ないというなら別ですが。

>
> 残念だが、私はφのように
> 「自分の金額/相手の金額=2 の場合でも
>  自分の金額/相手の金額=1/2 の場合でも
>  自分の金額は同じ!」
> といったナイーブな思い込みにひっかかったりはしない。
>

 設定Aの場合にそのナイーブな思い込みに囚われるから擬似パラドクスが発生する、という件は、私がとっくに「ネクタイのパラドクス」(『論理パラドクシカ』018)で指摘したことです。
 そんな当たり前のことはふまえて私は発言しているのですが、どうにもこの低レベルのままでは困りましたね……。
 ともあれ、
 「自分の金額/相手の金額=2 の場合と  自分の金額/相手の金額=1/2 の場合では、自分の金額は同じでなく、前者の自分の金額は後者の自分の金額の2倍」ということがモンテカルロさんに認められたのは朗報です。
 2封筒の中身は{(2a,a),(a,2a)}に他ならない、ということですね。
 当然のことです。
 ちなみに、「ペア確定後の」などとモンテカルロさんはいかにも場合分け風に言っていますが(そのせいでモンテカルロ式「解説」が支離滅裂になっているのですが)、
 べつに確定せずとも、ペアの総額がわからぬままただ2封筒が提示されているだけで十分です。
 2封筒問題で、交換と非交換のそれぞれの場合の出現頻度の単位として適格なのは「ペア」だけです。自分の金額も相手の金額も交換によって変わるが、自分が関わったペアは決して変わらないからです。
 そして、ペアの中には金額は2種類しかありません。
 つまり、
 ペアがひとつしか提示されないのだから、封筒内金額を表す定項はaと2aの2種類だけにすべきです。始めから自他非対称なa、2a、a/2を同時に使ってはいけません。

 さて、
 そうするとおかしいですね。
 自分でも認めたこの当たり前のことをモンテカルロさんは、「単純な問3、問4」ではなぜ否定するのでしょうね?
 「単純な問3、問4」では、プレイヤー1、2の獲得金額の組み合わせを{(a,a/2),(a,2a)}として計算してよいと言ってますね。

括弧でくくる各項(交換による差額)を{(-x+x/2)+(-x+2x)} として計算しないかぎり、
1-1+2-2+4-4+8-8・・・
が収束しない、
などと言えないはずですから。
 (ちなみに、一般的には下限も撤去して考えますから、括弧を省略すると収束しないかどうかわかりません)
 しかも、それぞれの金額に確率(一様分布ではありえない!)が係数として付くから、「収束しない」が正しいかどうかすら定かでないことは飽きるほど指摘済み。

 2つの封筒の中身の可能性は、試行のつど{(a,2a),(2a,a)}としか表現できないがゆえに、
(1-1)+(2-2)+(4-4)+(8-8)・・・
 という計算だけが正しいのです。
 主観的な非対称性を裏付ける観察データのない設定Aにおいてこのことを否定するのは、言っておきますが、学界的同意の現状から見ても、希望ゼロですよ。
 詳しくは、以前おかめ石さんが紹介していた
http://soler7.com/IFAQ/two_envelope_paradox_solution.htm
 からリンクづけられている諸論文をご覧ください。

 いずれにせよダブルスタンダードはいけません。
 あるときは{(a,2a),(2a,a)}とすべきだと主張し、
 別のときは{(a,a/2),(a,2a)}という見方が許されると主張する。
 ↑この態度の正当化には、よっぽどの理由が必要です。
 頭ごなしの「期待値が発散するから」では理由になりません。
 そもそも発散といっても、実無限回の試行が想定されているのではなく、「ペア選択のいかなる上限においても……」といった一般化でしかないわけですから、すべての有限の場合に成り立つ計算でなければなりません。
少なくとも、出現頻度の単位としてペアをとる正当性(これは常に成り立つ)に比べて、自分の金額を固定して相手の金額を2通りに分裂させた各々の括りが計算の単位として同じくらい正当である、ということがそろそろいくらなんでも証明されねばなりませんね。

 モンテカルロさんは、ダブルスタンダードを正当化する証明をしてください。


問3、問4の解
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月 9日(日)09時04分40秒

>  ▲単純な問3:
>  2封筒問題の設定(ペアの事前確率分布は全く不明、2封筒内の金額の比は1:2)で、見分けのつかない封筒2つが二人のプレイヤーに提示されました。
>  プレイヤー1が左の封筒を、プレイヤー2が右の封筒をとりました。二人とも、中を見ることはできません。
>  ここで、「プレイヤー1の獲得金額-プレイヤー2の獲得金額」の期待値(1と2の獲得金額差の期待値)は、いくらでしょうか。

事前確率分布に依存する。

仮に事前確率分布が一様分布だと前提した場合、存在しない。

なぜなら

1-1+2-2+4-4+8-8・・・

が収束しないから。

>  ▲単純な問4:
> 問1において、いま、プレイヤー1とプレイヤー2が封筒を交換しました。
>  二人とも、中を見ることはできません。
>  ここで、「プレイヤー1の獲得金額-プレイヤー2の獲得金額」の期待値(1と2の獲得金額差の期待値)は、いくらでしょうか。

前問と同様、事前確率分布に依存する。

仮に事前確率分布が一様分布だと前提した場合、存在しない。

なぜなら

-1+1-2+2-4+4-8+8・・・

が収束しないから。

------------------------

なお、ここでは問3の答えにでてくる級数を
 1-1+2-2+4-4+8-8・・・
とし、交換後の問4の答えにでてくる級数を
-1+1-2+2-4+4-8+8・・・
としたが、これを逆としてもよい。

 つまり、正負の順はどう考えてもいいわけであり、
重要なのは「収束しない」ということである。


アタマわりぃな Ⅱ
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月 9日(日)08時54分59秒
φさんへのお返事です。

さて、φの初歩的な計算の誤りを修正すると以下のようになる

>  ……………………http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3315
> (略)
>  つまり、 (2^n+2^n+1)×1/2=3・2^n/2 が、各試行におけるプレイヤー1の獲得金額の期待値であり、
> これは、交換後も変わらない。
>  つまり、交換と非交換の差額は、3・2^n/2-3・2^n/2=0
>  よって、交換によって、期待値変化はない。損得ナシ。
>  ……………………

>  「交換前は、プレイヤー1の金額/プレイヤー2の金額=5/4」
>  「交換後も、プレイヤー1の金額/プレイヤー2の金額=5/4」
>  というお二人の計算結果をそのまま馬鹿正直に続けると、
> 完全に対称的になってしまうでしょ、試行をどこまで続けても同じでしょ、
> という話です。
> だから交換でも非交換でも損得ナシに決まっていると。

それは、ペアを固定して計算した場合の話。

自分の金額、相手の金額を固定した場合には、
g(n)によってはそうならない場合がある。

そしてなぜそうならないかといえば、
そのような場合においては、
自分の金額の期待値 E(X)
相手の金額の期待値 E(Y)
が存在しないからである。

「対称性」云々の話がいかに無意味かわかろうってもんだ。



アタマわりぃな Ⅰ
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月 9日(日)08時46分59秒
φさんへのお返事です。

>  さて、
>  以下の私の計算が単に「間違いである」と指摘されるだけで、
> TTTさんもモンテカルロさんもその間違いたる根拠を明示していません。

ほんと、アタマわりぃな

>  ……………………http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3315
> プレイヤー1にとって、各試行において、自分は相手の5/4を持っていると期待される。
> つまり、各試行において、ペア総額の5/9が自分の獲得金額(その試行における)の期待値である。
> (素直な計算によれば1/2だが、彼我の比の計算によるかぎり5/9であると)
 (略)
>  ……………………

1行目から2行目は導けない、と指摘した。

まず1行目のE(X/Y)の計算では
ペアnの確率分布g(n)に関わらず

E(X/Y)
=Σg(n)*(2*1/2+1/2*1/2)
=(2*1/2+1/2*1/2)Σg(n)
=(2*1/2+1/2*1/2)
=5/4

となる。

次にペア確定後の自分の獲得金額の期待値の計算は

 E(X|ペアn)
=(g(n)/g(n))*(2*2^n*1/2+1/2*2^(n+1)*1/2)
=(2^(n+1)*1/2+2^n*1/2)
=3*2^n*1/2

となる。

当然のことだが、ペアを確定した場合
「自分の金額/相手の金額=2 の場合と
 自分の金額/相手の金額=1/2 の場合では
 自分の金額が異なる。
 前者の自分の金額は後者の自分の金額の2倍」
となる。

φは、
「自分の金額/相手の金額=2 の場合でも
 自分の金額/相手の金額=1/2 の場合でも
 自分の金額は同じ!」
と思い込んで間違った。

>  はっきりさせておきますが、
>  問題視される「つまり」は、但し書き
>「(素直な計算によれば1/2だが、彼我の比の計算によるかぎり5/9であると)」
>が示すように、私の主張としてではなく、お二人の計算によればそうなりはしませんか、
>と言っているにすぎません。

残念だが、私はφのように
「自分の金額/相手の金額=2 の場合でも
 自分の金額/相手の金額=1/2 の場合でも
 自分の金額は同じ!」
といったナイーブな思い込みにひっかかったりはしない。

つまりあくまでφ一人の計算である。

>  ですから、そのどこが間違いなのか、対称性がどこで破れるのか、
> を示してくれと言っているのです。

ワカランチンのために
懇切丁寧に示してやった。
これでもまだワカランなら
マジで、アタマわりぃぞ

>  「私の主張」であるかのように「間違い」をあげつらわれても対応のしようがありません。

「自分の金額/相手の金額=2 の場合でも
 自分の金額/相手の金額=1/2 の場合でも
 自分の金額は同じ!」

は、私もTTTも主張していない。
φ一人が主張していることである。

φ一人がその軽率さを自覚すればいい。


些細な修正
投稿者:φメール 投稿日:2011年10月 9日(日)04時57分43秒
> No.3356[元記事へ]

φさんへのお返事です。

「確率の値3/2」という誤記がありました。
 さしものTTTさんもそんなところで難癖は付けないでしょうが、まあ、たまたま気づいたので「確率の値2/3」に訂正しておきます。抽象的な例なのでどうでもいいのですが。


Re: 応答の価値
投稿者:φメール 投稿日:2011年10月 9日(日)03時39分21秒
> No.3353[元記事へ]

TTTさんへのお返事です。

 確率変数×確率の総和を期待値と呼びますね。

サイコロだったら、
 1×1/6+2×1/6×3×1/6+4×1/6+5×1/6+6×1/6が期待値であり、確率変数の値は{1,2,3,4,5,6}でしょう。
 出目が偶数であることがわかれば、確率変数の値は{2,4,6}となるでしょう。
 このとき、「2,4,6が確率変数である」という言い方は、数学者の書いたものにも普通に見受けられます。
 1等、2等、3等……は確率変数ではなく、賞金の1万円、5千円、2千円……が確率変数である、等々。

封筒内に2^nを見出したとき、もう一つの封筒内の金額を指示する確率変数のうち、有限の確率を与えられるのは2^(n-1),2^(n+1)に絞られたわけですが、それをもって「確率変数が二つになった」という言い方のどこが非難に値するほど悪いのか、さっぱりわかりませんね。
 むろん、「確率変数のうち、値が二つだけ残った」とか、いろいろ言い方があるでしょうが、その2つ(2^(n-1),2^(n+1))が、確率変数から成る集合のメンバーであることに変わりないでしょう。

 もしそうせよというなら、私が今まで「確率変数」と呼んできた具体的値(2^(n-1),2^(n+1)など)を、「確率変数の値」と呼び直しましょう。
 「の値」の2文字を体系的に抜かしているがゆえにおまえの言ってることはすべて無意味だ、と言われても苦笑するしかありません。
 ちょうど、「マリリン・モンローという人間」「徳川家康という人間」という言い方はナンセンスで、「マリリン・モンローという人間のメンバー」「徳川家康という人間の一員」と呼べ、さもないとおまえの言い方は無意味だ、と決めつけるようなものです。

 たとえば、いままで確率1/2とか、3/2とかいう言い方をずっとしてきたはずです。
 それだって、厳密には「確率の値1/2」、「確率の値3/2」とか言うべきでしょう。しかし、いちいち「の値」を付けるのは煩雑です。
ともあれ、2^(n-1),2^(n+1)が確率変数でないとあくまで言われるならば、すべての「確率変数」のあとに「の値」を付けて読み直してください。

 「確率変数」を「確率変数の値」に体系的に直すだけで修正される程度の「誤り」だとすれば、そんなものを長々とあげつらうことにどういう意義があるのかわかりません。
 とにかく、そんな言いがかりは、議論を停滞させるだけであり、どうしても気になるなら、代案を隠したまま延々と質問し続けるより、「その言い回しは誤解を招くから、◎◎という言い方に変えては?」と一言提案すればすむことです。(誤解すら招かないと思いますが)

 とにかく、2^(n-1),2^n,2^(n+1)は、(全事象上で定義される)関数ではないから、それらを「確率変数」と呼ぶのは間違っている、と責めるのは、
 マリリン・モンローは動物種ではないから、マリリン・モンローを人間と呼ぶのは間違っている、という言いがかりと同レベルでしょう。

 マリリン・モンローは人間の一員であるがゆえに「人間」と呼べるのと同じく、2^(n-1),2^n,2^(n+1)は、確率変数の値であるがゆえに、「その確率変数」とか「あの確率変数」「個々の確率変数」「三つの確率変数」などと呼ぶことが許されるはずです。
 厳密にはその言い回しがどうしても誤りであると言うならば(たしかに杜撰な言い方ではありますから)、その言い回しを使った命題の主旨を理解した上で、「◎◎のような言い回しにしようではないか」と言えば済むことです。

 たとえば、TTTさんは
 「語の意味を曖昧なまま用いていては、論理的な主張・議論などできません」と述べていますね。
 これだって、「意味が曖昧とはナンセンスですね!」と延々と追及され、最後に「曖昧でありうるのは意味ではない、語もしくは表現だ」と落とされても、有意義な議論をしたとは感じないでしょう。
 正しくは「語を曖昧なまま用いていては、論理的な主張・議論などできません」「語の意味を指し示す表現を曖昧なまま用いていては、論理的な主張・議論などできません」などと言うべきです。
 TTTさんの投稿に、そのような「厳密にとれば無意味になってしまう文」はたくさん見受けられます。2封筒問題は、数学の問題である以前に、言語の問題であるので、そういう杜撰な表現は(原理的には)弾劾されねばなりません。しかし、そんなものをいちいちあげつらっていては一歩も進めないので、私はそんな弾劾にかかずらう気はありません。
 TTTさんが「確率変数(の値)」についてあれこれ言っていることは、そのレベルなのです。

ともあれ、
 「確率変数」の語法をめぐる逸脱から本筋に戻すと、
 「設定B2と設定Sとは確率分布が同じ」というTTTさんの思い込みは間違いであったことを、TTTさんは認めたということでよろしいですね。

 さて、
 以下の私の計算が単に「間違いである」と指摘されるだけで、TTTさんもモンテカルロさんもその間違いたる根拠を明示していません。

 ……………………http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3315
プレイヤー1にとって、各試行において、自分は相手の5/4を持っていると期待される。つまり、各試行において、ペア総額の5/9が自分の獲得金額(その試行における)の期待値である。(素直な計算によれば1/2だが、彼我の比の計算によるかぎり5/9であると)
 つまり、 (2^n+2^n+1)×5/9=5・2^n/3 が、各試行におけるプレイヤー1の獲得金額の期待値であり、これは、交換後も変わらない。
 つまり、交換と非交換の差額は、5・2^n/3-5・2^n/3=0
 よって、交換によって、期待値変化はない。損得ナシ。
 ……………………

 はっきりさせておきますが、
 問題視される「つまり」は、但し書き「(素直な計算によれば1/2だが、彼我の比の計算によるかぎり5/9であると)」が示すように、私の主張としてではなく、お二人の計算によればそうなりはしませんか、と言っているにすぎません。
 ですから、そのどこが間違いなのか、対称性がどこで破れるのか、を示してくれと言っているのです。
 「私の主張」であるかのように「間違い」をあげつらわれても対応のしようがありません。
 「交換前は、プレイヤー1の金額/プレイヤー2の金額=5/4」
 「交換後も、プレイヤー1の金額/プレイヤー2の金額=5/4」
 というお二人の計算結果をそのまま馬鹿正直に続けると、完全に対称的になってしまうでしょ、試行をどこまで続けても同じでしょ、という話です。だから交換でも非交換でも損得ナシに決まっていると。

 しかるに、

>
>φさんの言う「対称性」や「交換による期待値変化」とは何かはわかりません。
>

 とのことなので、
 さしあたり、
 「単純な問1」「単純な問2」において、
 封筒を交換してもしなくても、とにかく手もとにある金額は反対側の金額の5/4である、という例の計算結果の意味で、「対称性」を理解していただきたいわけです。
 換言すれば、プレイヤー1から見ても、プレイヤー2から見ても、「自分は相手の金額の5/4を持っている」という見込みが同じであり、自分が今このプレイをしているとき、自分がプレイヤー1か2かは区別がつかない、というのが対称性です。
 この対称性から、「私」がプレイするとき、交換による損得なし、と結論されるということです。

 「対称性」の意味があくまで「わからない」で突っぱねて、議論をやめたいと言うならば、これ以上追及するのは私としてもやめにします。
 が、もし続ける気がおありならば、改めて、次の質問にお答えいただければ幸いです。
 単純な問1、単純な問2と同じく、設定Aですね。

 ▲単純な問3:
 2封筒問題の設定(ペアの事前確率分布は全く不明、2封筒内の金額の比は1:2)で、見分けのつかない封筒2つが二人のプレイヤーに提示されました。
 プレイヤー1が左の封筒を、プレイヤー2が右の封筒をとりました。二人とも、中を見ることはできません。
 ここで、「プレイヤー1の獲得金額-プレイヤー2の獲得金額」の期待値(1と2の獲得金額差の期待値)は、いくらでしょうか。

 ▲単純な問4:
問1において、いま、プレイヤー1とプレイヤー2が封筒を交換しました。
 二人とも、中を見ることはできません。
 ここで、「プレイヤー1の獲得金額-プレイヤー2の獲得金額」の期待値(1と2の獲得金額差の期待値)は、いくらでしょうか。



ユリーカ!
投稿者:スターダスト 投稿日:2011年10月 8日(土)13時55分49秒

TTTさんによる No.3353(2011年10月 8日(土)02時52分52秒 ) のご投稿を拝見して、「ユリーカ」と心の中で叫びました。 もやもやとしたものが明確になりました。

私がこちらの掲示板で封筒問題や眠り姫問題について自発的に何か発言することは控えます。

個人的にきわめて有意義でした。ありがとうございます。




TTT氏へ
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月 8日(土)10時40分10秒
> No.3353[元記事へ]

TTTさんへのお返事です。

> 語の意味を曖昧なまま用いていては、
> 論理的な主張・議論などできません。
> 数学で定義され用いられる学術用語・専門用語を、
> 全く別の自分勝手な意味で(しかも無断で)用いるのは
> 非常識です。

まあ、φ氏が、自分で定義した自分語を用いて
自分の論理を展開するのは「論理的」なんだろうが
要は、その論理(というよりも前提)を
皆が容認するか否か、なんだけどな。

> φさんの言う「対称性」や「交換による期待値変化」とは何かはわかりません。
> φさんは
> (「対称性」や「交換による期待値変化」の定義(一定の意味)など決めずに)
> 「対称性がある。故に、交換による期待値変化はゼロである」
> が正しいという前提(決め付け)がまずあって
> そこから(結論ありき・後付けで)、それが正しくなるような
> 「対称性」や「交換による期待値変化」の
> 定義(一定の意味)を決めようとしています。

φ氏の頭ん中を想像するに
・「一方が儲かれば、もう一方が損する」
・「どちらかに一方に偏る特別な理由がない」(対称性)
⇒「損得ゼロ」
というナイーブな「論理」しかないんでしょう。

この思考には、ある重要な前提が欠如している。それは
「損得の最終的な結果が存在する」
というもの。

φ氏は最終結果の存在を疑い得ないようだが、
私にいわせればそもそもそんなものがあるかどうか
すら疑わしい。

期待値というのは、最終結果そのものではなく
そこに向かって収束するであろうといういわば
「目標」に過ぎない。

収束しないのであれば、目標もクソもない。

> 「対称性」や「交換による期待値変化」の
> 定義(意味)が定まっていないならば
> 「対称性」や「交換による期待値変化」に関する
> 論理的な主張・議論・反論など出来ません。

私が思うに、対称性には大した意味がない。

「期待値変化」以前に、φ氏の「期待値」の
認識がナイーブなので、マチガッテルと思う。


Re: 応答の価値
投稿者:TTT 投稿日:2011年10月 8日(土)02時52分52秒
> No.3315[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> そんなことも察していただけないようでは、正直、コミュニケーションが取りづらいですね。
> 学術誌の査読でもあるまいし、常識でわかるところはクリアしていただかないと、先が思いやられます……。

語の意味を曖昧なまま用いていては、論理的な主張・議論などできません。
数学で定義され用いられる学術用語・専門用語を、全く別の自分勝手な意味で(しかも無断で)用いるのは非常識です。

積極的に察してくれる人は、(もし居るとするなら)φさんの信者や賛同者だけで
φさんはその人たちと馴れ合いたいだけというなら、現行のままで結構ですが、
それ以外の人にも「自分の論が正しい」と主張・議論したいならば、論理的であるべきです。
(「察しろ」で済むなら論理なんか要りません)

推察されなければ分からない(明記されていない)主張・意図が、うまく伝わらない
(意味不明とされる・本来の意図とは異なった解釈(誤解)をされる)のは、そのように書いた書き手の責任です。
それを読み手の読解力に責任転嫁するなど、論理的な態度ではありません。
「察しろ」等と言うφさんは、論理的な主張・議論を放棄しています。

貴重な時間を無駄にせず、円滑に思考・情報を伝達したいならば、なおのこと論理的であるべきでしょう。
・根拠,前提,結論,定義,意図等はできるだけ明記する。
 明記してない(し忘れた)ことに対して質問されたなら答える。
等を心掛ければ、無駄な問答などせずに済みます。


> B2設定と同じ確率分布を持つためにSが限定されるべき三つの確率変数とは、2^(n-1),2^n,2^(n+1)です。
> 2^nを封筒内に見出したB2設定では、確率変数は2^(n-1),2^(n+1)の2つしかありません。
> (B2設定では2^nはもはや確率変数ではなく、判明したパラメータであり、
>  2封筒問題にとって本質的な条件になっているので)。

あれほど言ったのに未だに"確率変数"という学術用語・専門用語を、数学に反する恣意的な意味で用いています。
私が何度か言ったように、そして定義を調べれば一目瞭然なように
確率変数とは、(全事象上で定義される)関数です。
2^(n-1),2^n,2^(n+1)は、(全事象上で定義される)関数ではありません。
故に確率変数ではありません。


> プレイヤー1にとって、各試行において、自分は相手の5/4を持っていると期待される。
> つまり、各試行において、ペア総額の5/9が自分の獲得金額(その試行における)の期待値である。
> (素直な計算によれば1/2だが、彼我の比の計算によるかぎり5/9であると)
> つまり、 (2^n+2^n+1)×5/9=5・2^n/3 が、各試行におけるプレイヤー1の獲得金額の期待値であり、
> これは、交換後も変わらない。

1つ目の「つまり」で、φさんが何故(どのような推論で)
> つまり、各試行において、ペア総額の5/9が自分の獲得金額(その試行における)の期待値である
と言いだしたのか不明ですが、
プレイヤー1にとって、(交換前の)
[自分の金額/相手の金額]の期待値:E[X/Y]=5/4
から
[自分の金額/ペアの総額]の期待値:E[X/(X+Y)]=5/9
は導かれません。

察するに、(封筒問題から離れて)一般の場合に
[自分の金額]+[相手の金額]=[総額] で
[自分の金額]/[相手の金額]=5/4 である時に
[自分の金額]/[総額]=5/(4+5)=5/9 となる事(これは正しい)、またはこれに類する事と同じと考えて
「[自分の金額/相手の金額]の期待値が 5/4 ならば
 [自分の金額/ペアの総額]の期待値は 5/9 である」としてしまったのでしょうが
期待値ではそのような計算はできません。

また2つ目の「つまり」で、金額比の期待値に金額2^n 等を掛ける計算も意味不明。
比の期待値に金額を掛ける等しても、金額の期待値になるとは限りません。
特に、▲単純な問1,2は封筒の中を見ない場合だったので、私が書いた期待値は、
組が{1,2}の場合,{2,4}の場合,{4,8}の場合,…等の全ての組(事象)の場合を合わせた期待値(平均)です。
このような期待値(平均)に対して
1つの組{2^n, 2^(n+1)}における金額を掛ける等してもナンセンスです。
数学の記号・式の意味がわかってない故の誤りでしょう。

E[X/Y]の値からE[X]を求めることはできません。
それをやろうとしたのが、そもそもの間違いです。


> モンテカルロさんもTTTさんも、
> 今回の私の問1、問2への答えにおいて、プレイヤー1とプレイヤー2の間の完全な対称性に同意しました。
> それでもなおかつ、「交換による期待値変化はゼロ」を否定し続けるのでしょう、たぶん。

φさんの言う「対称性」や「交換による期待値変化」とは何かはわかりません。

> 対称性が成り立つ場合は、交換による期待値変化がゼロであるというのは、
> (この板では延々と議論し続けてきましたが、)
> 単に論理的真理なので、結論は「正しい」と決まっていると思われます。
> あとは、それをどう納得しやすいように説明できるか、という議論のテクニックの問題になるのではないでしょうか。

等の発言から察するに、φさんは
(「対称性」や「交換による期待値変化」の定義(一定の意味)など決めずに)
「対称性がある。故に、交換による期待値変化はゼロである」が正しいという前提(決め付け)がまずあって
そこから(結論ありき・後付けで)、それが正しくなるような
「対称性」や「交換による期待値変化」の定義(一定の意味)を決めようとしています。

「対称性」や「交換による期待値変化」の定義(意味)が定まっていないならば
「対称性」や「交換による期待値変化」に関する論理的な主張・議論・反論など出来ません。
しかもφさんの判断(結論ありき・後付け)で、どのような定義(意味)が相応しいか決めるというなら
「対称性がある」や「交換による期待値変化はゼロ」に、同意するのか否定するのかなど、
それこそ本当に意味のない、無駄な問答・議論です。

一方、「対称性」や「交換による期待値変化」の定義(意味)などとは関係なく
定義・計算できる(または、存在しないと導ける)各確率や期待値に関しては
論理的に主張・議論・反論することができます。
特に確率変数X,Yの従う分布が対称でも
(すなわちX,Yの同時分布で常にP(=)=P(=)が成立する場合でも)
差の期待値E[Y-X]や比の期待値E[Y/X]が存在するとは限らず、特にE[Y/X]は存在しても1とは限らない事
事象や確率変数を加味したX,Yの事後分布は、一般には対称ではなくなってしまう事
等は、確率論の初歩的な事実です。


Re: φさんへ::対称なのに対称じゃない事例
投稿者:スターダスト 投稿日:2011年10月 7日(金)13時40分53秒
> No.3350[元記事へ]

φさんへのお返事です。
>
> 「森の射手」についてのみは、一定の理解をしていることと自分では思っています。
>

一定の理解をしていないと気がつきましたので、訂正いたします。 ともあれ、どうやら私の頭は常にφさんのおっしゃるところの反復設定モードのようです。


Re: スターダスト氏へ
投稿者:スターダスト 投稿日:2011年10月 7日(金)13時38分22秒
> No.3349[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。
>
> 私の解。
> 1.これは5人を含む森である可能性が100倍高いと思います。
> 2.こっちは可能性が一緒です。
>
ともうしましたが、実のところ、わかっているとは言えませんでした。
昔書いた日記を読んで、「森の射手わかんねー云々」と書いてある部分を反芻して、あらためて。




Re: φさんへ::対称なのに対称じゃない事例
投稿者:スターダスト 投稿日:2011年10月 7日(金)12時34分52秒
> No.3346[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> スターダストさんへのお返事です。
>
> 眠り姫と2封筒パラドクスを包含する大きな枠組みで考えたいとのことですが、
> 私もこの二つのパラドクスについては漠然と気になっておりまして、
>
> 『多宇宙と輪廻転生』を改めてパラパラめくると、p.247の注9で、二つのパラドクスの関連にほんの少し言及しています。
> ただし、スターダストさんが意義を認めない意識の明晰度をめぐってですが。

はい。このページの欄外の注を読んで掲示板で質問しようと訪問したところ、逆に、φさんから明晰な私の話題を提供されていることをみつけて少々驚きました。

>
> スターダストさんの問題を考えるのはちょっと時間がかかりそうですが、
> まず、
> 2封筒問題と眠り姫問題との関連で興味深い点として、
>
> 「唯一設定と反復設定とで、論理構造が異なってしまう」可能性があるということです。
>
>  唯一設定においては、目覚めたときに「場合A(目覚めは一度だけ)である確率は、1/2」とするべきだ、という考えが学界で比較的賛同を得られているようなのですが(スターダストさんは同意できないとのことですが)、
>
> ■眠り姫問題
>  唯一設定……1/2説が妥当
>  反復設定……1/3説が妥当
>
> ■2封筒問題(開封バージョン)
>  唯一設定……B2が妥当
>  反復設定……B1が妥当(計算結果はA、D1と一致)
>
>  ↑この対応は、眠り姫と2封筒が意外と深く繋がっていることを暗示しています。


詳しいことは私の理解の範疇を超えているようです。 しかしながら、以下については言うことが出来ます。

先ごろから話題にさせていただいているバイト代つき二人ゲーム版眠り姫問題においては、確実に、森は二つとも作られた(森の射手問題を引いたアナロジー)設定であるといえます。この意味において名前をつけるときに、「反復設定」とおっしゃっているのであるならば、同意いたします。



>  唯一設定と反復設定で論理構造が異なってしまう例としては、他にも、『論理サバイバル』で論じた問101「森の射手」や問102「多世界説の経験的証拠」がありますね。

「森の射手」についてのみは、一定の理解をしていることと自分では思っています。




>
>  眠り姫と2封筒で考えると、
>
>  2封筒問題において、唯一設定ではB2設定が妥当して、交換による期待値変化あり、通常の反復設定(封筒内金額を固定しないB1設定)では交換の期待値変化ゼロという区別は確実ですが、
>  眠り姫問題では(明晰・茫漠シナリオの違いを脇に置くとしても)、唯一設定では1/2説、反復設定では1/3説、という区別は、2封筒問題の場合ほどハッキリ断定できないような気がします。
>
>  眠り姫問題は、ここしばらく考えていなかったこともあり、ポイントを思い出すのに時間がかかりそうですが、ともあれ、考え始めてみます。

このあたり、述語の意味や、問題の意味、Φさんの解析手法の意図を読み違えている可能性が大ですので、今のところ応答できません。 申し訳ないことです。


>
>  ところで、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3342における
>  「帝国版に関するφさんの応答をみるにつけ、複数の異なる条件付確率や条件付期待値の間で無原則に四則演算しているように、私には思えてきました」というのは、たとえば、どのようなことからでしょうか?

No.3344の拙ポストにおいて、せいいっぱいの説明を試みました。 よろしくお願い申し上げます。




Re: スターダスト氏へ
投稿者:スターダスト 投稿日:2011年10月 7日(金)11時49分37秒
> No.3347[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

私は、反復設定と唯一設定との違いを詳細に論じるφさんの御主張のうちいくつかについては、過去、理解できたためしはありません。どこが?と問われるとあいまいですが。

しかしながら、φさんが反復設定と唯一設定の違いについて説明するために【ひとつの】事例を出した、以下の森の射手問題については、私なりに答えを持っています。

===
■森の射手問題
神が森を創り、そこに人間を創造した。あなたは今、森で目覚め、神に創られた人間であることがわかっている。さらに、神の声によって次のことが教えられた。

1)「私は、二つの森のうちどちらか一方を作ろうと思った。どちらの森にも天使が一人住んでおり、人間を見つけると、ただ1人を、ただ1回だけ、弓矢で射る。さて、一つの森は、その天使のほかに、5人の人間を含んでいる。もう一つの森は、天使のほかに、500人の人間を含んでいる。人間たちは互いに出会うことはない。この二つの森の構想を抱いて私はサイコロを振り、どちらを創るかを決めた。そうして一方だけを創り、その結果、おまえとこの森は誕生したのだ」

 神の声が消えてからしばらくして、木々のむこうから矢が飛んできて、あなたの肩に突き刺さった。ここで神の声がした。

 「天使の矢に射られたな……。さて推測せよ、私はどちらの森を創ったのだと思うか? 5人を含む森か、500人を含む森か」



2)あなたが目覚めた状況は 1)と同じだが、神の声は次のように言った。

 「私は、二つの森を作った。どちらの森にも天使が一人住んでおり、人間を見つけると、ただ1人を、ただ1回だけ、弓矢で射る。さて、一つの森は、その天使のほかに、5人の人間だけを含んでいる。もう一つの森は、天使のほかに、500人の人間を含んでいる。人間たちは互いに出会うことはない。この二つの森を創り、この森はそのうちの一つなのだ」

 神の声が消えてからしばらくして、木々のむこうから矢が飛んできて、あなたの肩に突き刺さった。ここで神の声がした。

 「天使の矢に射られたな……。さて推測せよ、おまえのいるこの森はどちらの森か?

 5人を含む森か、500人を含む森か」

===

 「どちらか」可能性の高い方を答えるわけだが、1)と2)は、同じ答えになるだろうか、それとも違う答えになるだろうか。理由をつけて答えてください。

===

私の解。
1.これは5人を含む森である可能性が100倍高いと思います。
2.こっちは可能性が一緒です。

このことと、反復設定と唯一設定の違いに関してのいろいろに関する私なりの理解は、連動していません。


3つの封筒問題w
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月 7日(金)07時48分9秒

さて、2つの封筒問題では
A.封筒を開けない
B.自分が選択した封筒を開ける
C.選択しなかった封筒を開ける
などのパターンがありえるが、
さらにここでもう一つD.を追加したい。

封筒は3つ用意する。2つは白で1つは黒
それぞれに同じ金額の小切手を入れる。
さらに白の2つの封筒にはそれぞれ赤および青のカード
黒には赤か青のカードのいずれかを入れる。

プレイヤーは白の封筒のいずれかを選ぶ。
胴元は黒の封筒を開け、金額と中の色のカードを示し
「もし、あなたの選んだ封筒の中のカードの色が
 このカードの色と一致した場合、あなたの選んだ
 封筒の金額に加え、この封筒の金額もゲットできます。
 今から、一回だけ封筒の交換ができます。交換しますか?」
と尋ねる。

上記のバージョンは、実はペアが明示される場合と同じである。


スターダスト氏へ
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月 7日(金)07時36分48秒

>■2封筒問題(開封バージョン)
> 唯一設定……B2が妥当
> 反復設定……B1が妥当(計算結果はA、D1と一致)

↑上記は
φ氏が勝手にいってるだけ
であって、スターダスト氏がこの主張が正しいというなら、φ氏同様
トンデモ
である。

正しくは
唯一設定でも反復設定でも同じ
であるし、ベイズの理論に従った計算では
B1とD1は異なる
わけで、しかもAがどちらに等しい、とかいうことはできない。


Re: φさんへ::対称なのに対称じゃない事例
投稿者:φメール 投稿日:2011年10月 7日(金)02時24分13秒
> No.3345[元記事へ]

スターダストさんへのお返事です。

眠り姫と2封筒パラドクスを包含する大きな枠組みで考えたいとのことですが、
私もこの二つのパラドクスについては漠然と気になっておりまして、

『多宇宙と輪廻転生』を改めてパラパラめくると、p.247の注9で、二つのパラドクスの関連にほんの少し言及しています。
ただし、スターダストさんが意義を認めない意識の明晰度をめぐってですが。

スターダストさんの問題を考えるのはちょっと時間がかかりそうですが、
まず、
2封筒問題と眠り姫問題との関連で興味深い点として、

「唯一設定と反復設定とで、論理構造が異なってしまう」可能性があるということです。

 唯一設定においては、目覚めたときに「場合A(目覚めは一度だけ)である確率は、1/2」とするべきだ、という考えが学界で比較的賛同を得られているようなのですが(スターダストさんは同意できないとのことですが)、

■眠り姫問題
 唯一設定……1/2説が妥当
 反復設定……1/3説が妥当

■2封筒問題(開封バージョン)
 唯一設定……B2が妥当
 反復設定……B1が妥当(計算結果はA、D1と一致)

 ↑この対応は、眠り姫と2封筒が意外と深く繋がっていることを暗示しています。

 唯一設定と反復設定で論理構造が異なってしまう例としては、他にも、『論理サバイバル』で論じた問101「森の射手」や問102「多世界説の経験的証拠」がありますね。

 眠り姫と2封筒で考えると、

 2封筒問題において、唯一設定ではB2設定が妥当して、交換による期待値変化あり、通常の反復設定(封筒内金額を固定しないB1設定)では交換の期待値変化ゼロという区別は確実ですが、
 眠り姫問題では(明晰・茫漠シナリオの違いを脇に置くとしても)、唯一設定では1/2説、反復設定では1/3説、という区別は、2封筒問題の場合ほどハッキリ断定できないような気がします。

 眠り姫問題は、ここしばらく考えていなかったこともあり、ポイントを思い出すのに時間がかかりそうですが、ともあれ、考え始めてみます。

 ところで、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3342における
 「帝国版に関するφさんの応答をみるにつけ、複数の異なる条件付確率や条件付期待値の間で無原則に四則演算しているように、私には思えてきました」というのは、たとえば、どのようなことからでしょうか?

 そういえば、
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3249 あたりで思いつきを述べたまま、宙ぶらりんになっているのでした。
 選択と問題設定の知識獲得のタイミングの違いというのは、非対称性の導入要因であり、眠り姫問題におけるコイン投げのタイミングに相当するかもしれません。

 なにやら、同型性の暗示ばかりが頭をよぎって、確たる思考が展開できてはおりませんが……。


φさんへ::対称なのに対称じゃない事例
投稿者:スターダスト 投稿日:2011年10月 6日(木)19時54分35秒
φさんへ

確率のハナシではないのですが、対称なのに対称じゃない事例をば。禅問答ではありません。

特殊相対論では、ふたつの慣性系があったときに、個々の慣性系にとって物理学の法則は同じであり(共変)互いに対称的ですが、甲の慣性系から観測した乙の慣性系の物理量と、乙の慣性系から観測した乙の慣性系の物理量とは、一般に異なりますし、逆に、乙の慣性系から観測した甲の慣性系の物理量と、甲の慣性系から観測した甲の慣性系の物理量とは、また、一般的に異なります。

例えば、お互いに「相手の慣性系の上にある時計の進み方はこちらの慣性系の上にある時計の進み方よりも遅い」と観測するのです。

対称なのに対称じゃない事例ですね。

そういうこともあるので、2人ゲーム版の眠り姫問題で、互いに、「俺のほうが目覚める回数が多い確率は高いはずだ」と考えてもいいですし、バイド代についても、「俺のほうがバイド代期待値が多いはずだ」と考えてもいいです。

過度の一般化はトンデモにつながりますが、この特殊相対論のハナシが、ついつい、頭をよぎってしまいます。




Re: 明晰シナリオ
投稿者:スターダスト 投稿日:2011年10月 6日(木)19時39分47秒
> No.3343[元記事へ]

φさんへ。
訂正させてください。

以下の部分に記述の誤りがありました。

>
> 被験者甲と被験者乙は、深い眠りにはいり、強制的に目覚めさせられるが、その際に、甲と乙とのどちらかは、よりクリアに目覚めさせられ、もうひとかたの目覚めに比べて明晰度は2倍である。但し、自分が他方に比べて、より明晰であるかどうかは自覚できない。 実験者は、明晰度が優れている被験者に、バイト代を2倍、つまり600円支払い、明晰度において劣る被験者には300円を支給する。(優秀な従業員には給与単価が高いというオハナシの寓意です。)重要な変更点をもうひとつ。場合Aであっても場合Bであっても、つまりフェアなコインの表裏がどちらであっても、眠り姫たる被験者は、それぞれ等しく一度しか目覚めさせられないものとする。
>
> 「被験者たる目覚めた私」は、コインの裏表どちらかに対応しているものの、そのいずれにおいて何回目覚めるという違いは、場合A場合Bとも等しく1回ずつに固定されているので、もはや「私」の身元を決める確率は等しいこととなります。
>
> さて、甲(わたし)は目覚めた、「あなたのバイト代の期待値は?」と問われれば、私なら、450円と即座に答えます。 ほとんど自明でしょう、おそらく。
> この変形問題においては、甲乙両者の目覚める回数が等しいので、このことだけが重要であり、目覚めの明晰度は寄与していません。
>
> 私のバイト代金が450円、というのは、この変形問題の場合、システムが対象であること、つまり、甲にとっても乙にとっても、自分が目覚めたことによる情報の価値が対照的であること、から出てくると思います。
>
> さきの投稿における表記を使えば、一般には成立しない
>
> E催 = E甲 + E乙
>
> が成立するようにあらかじめ問題を作っておいたのでした。
>
===
訂正前「システムが対象であること、つまり、甲にとっても乙にとっても、自分が目覚めたことによる情報の価値が対照的であること、」と書きました。

訂正後は以下のようになります。

「システムが対象であること、かててくわえて、甲にとっても乙にとっても、自分が目覚めたことによる情報の価値が対照的であること、」

=== ===

さらに訂正があります。

訂正前
> E催 = E甲 + E乙
は、
訂正後として

・E催 = E[ 乙のバイト代 + 甲のバイト代 | 催視点]
・E甲 = E[ 甲のバイト代 | 【目覚めた甲】視点]
・E乙 = E[ 乙のバイト代 | 【目覚めた乙】視点]

と略記すれば

E催 = E甲 + E乙

すなわち、
E[ 乙のバイト代 + 甲のバイト代 | 催視点] =  E[ 甲のバイト代 | 【目覚めた甲】視点]
                       + E[ 乙のバイト代 | 【目覚めた乙】視点]

となるように、あらかじめ問題を作ったのでした。

ここで、ふりかえってみれば、明晰な私とボーバクな私を導入する【前には】
E[ 乙のバイト代 + 甲のバイト代 | 催視点] = 900 は良いものとして
E[ 乙のバイト代 + 甲のバイト代 | 【目覚めた甲】視点] = 900
E[ 乙のバイト代 + 甲のバイト代 | 【目覚めた乙】視点] = 900
上の3式は成立しますが、
E[ 乙のバイト代 + 甲のバイト代 | 催視点] と
E[ 甲のバイト代 | 【目覚めた甲】視点] + E[ 乙のバイト代 | 【目覚めた乙】視点]
とは、一致しませんでした。
視点が違う、すなわち、所与としてつけられた条件がことなるのですから、条件付き期待値をむやみに足したり引いたりできないだろうという、一般的なオハナシになっていると思われます。
E[ なにか|【目覚めた甲】視点 ] と
E[ なにか|【目覚めた乙】視点 ] とは 異なる算出根拠にて発生しているのですから、
形式は一致していても内容は≪非対称≫です。
自分と相手がインタビューをうける回数が異なる以上、【目覚めた】自分が場合Aである可能性と相手が場合Aである可能性は等しくありません。

一方、このたびのように特別にあつらえた明晰な私とボーバクな私を導入した後においては
E[ なにか|【目覚めた甲】視点 ] と
E[ なにか|【目覚めた乙】視点 ] とは≪対称≫です。なんとなれば、目覚める回数が一緒だからです。自分と相手がインタビューをうける回数が一緒である以上、自分が場合Aである可能性と相手が場合Aである可能性は等しいです。

この特別にあつらえた対称性によってタマタマ
E催 = E甲 + E乙
となっていたのです。一般にはこの式は成立しません。

===
以上で訂正を終わります。


***********

余談ですが、『多宇宙と輪廻転生』における明晰な私とボーバクな私の説明は、私にとっては、理解が非常に困難です。 つたないながらも疑問点を書いておきましょう。

二回目覚めるはずの私が、1回に同時に覚醒することによる、明晰度が2倍の私が、眠り姫問題にどのように影響するのだろうか? 私には明晰度が2倍であると単純に理解することに問題があると思われる。
なぜなら、2回目覚めるボーバクな私は、眠りに落ちるつど、それまでの記憶をなくしてしまう。
明晰な私は、2回分の覚醒で1回目覚める趣向だが、ここで、肝心なことが欠落してしまう。記憶をなくす体験が1回消えてしまう。
φさんが譬えで利用した「分離脳」を考えてみよう。「左脳」だけ2回目覚めるボーバクな私と、「左脳」と「右脳」が同時に1回目覚める明晰な私を考える。明晰な私は統合された「脳」を使うし、情報処理装置や記憶装置を兼用しており、それらの演算結果は統合されている。左と右とで2重人格というわけではなさそうだ。明晰な私なのだから。
ここで興味深い事実がある。明晰なる右脳の私と左脳の私は、記憶を喪失した経験をもたなくてよい。記憶装置を共有しているから不可能である。
一方、「左脳」だけ2回目覚めるボーバクな私は記憶を失う。深い眠りがゆえに。
記憶を失わないという特質がある私は、記憶喪失なボーバクな私に比べて、明晰度が2倍であると単純に理解することに問題があると思われる、記憶分だけ儲けているじゃないか。
この記憶を失わない明晰な私というのを、眠り姫問題にもちこむことに疑問を感じる。

以上は、φさんのお考えとは異なる理解の方法だ。

余談終わり。

***********


>
> >  こう考えると、スターダストさんの問題は、「相手プレイヤー」を想定する設定なので、プレイヤーは「自分は相手プレイヤーではなく、私だ」と明晰シナリオに従うことになるでしょう。
> >  すると、1/2説が当てはまってしまい、スターダストさんの問題そのものが成り立たなくなります。
> >
> >  いかがでしょうか?
>
> 1/2説があてはまることはなかろう、従って私の立てた問題はまだ有効であろう、
> ということになろうかと思います。
>
>

Re: 明晰シナリオ
投稿者:スターダスト 投稿日:2011年10月 6日(木)10時32分49秒
> No.3338[元記事へ]

φさんへのお返事です。

私は『多宇宙と輪廻転生』の読者(それも年に何回か気になるつどついつい紐解くタイプ)であることは、以前、こちらの掲示板でも書きました通りです。 しかし、良い読者とはいえないと自覚しています。

> スターダストさんへのお返事です。
>
>  「おかしな証明」が本当におかしいかどうかは、いま少し考えさせていただくことにして――――

はい、この部分が、私の最大の強調点ですので。


>  ……
>  前回、
> 「内容よりも述べ方」と言いましたが、内容のほうで "あること" を思い出しました。
>
>  眠り姫問題はしばらく考えていなかったのでツイ忘れていたのですが、
>  『多宇宙と輪廻転生』でも確認したように、
>  唯一回設定では1/2説、
>  多数回設定では1/3説があてはまる、
>  という事情があったのでした。

はい。帝国版を考えながら、φさんはどのようにお考えになるだろうかと手がかりを求めまして、『多宇宙と輪廻転生』をあらためて読み返しておりました。

※ 今回の問答とは別個な話なのですが、「数学セミナー」10月号を読みしましたところ、眠り姫問題についてかなりの行数を裂いて言及していました。1/2説の弁護を詳細に述べていまして、しかもそのことが記事の著者の本意であるかどうか隠しているという趣向です。また、最近一部で注目をあびた「火曜日生まれの男の子の問題」についても。いずれも「逆確率の不用意な適用」によるパラドックスがテーマのようです。 面白かったのは、「火曜日生まれの男の子の問題」をちょっと変更して「※曜日生まれの男の子の問題(※は聞き取れなかった)」とした問題と比較して論議している部分でした。 私にとってフロリダ問題とも関連があるのかなーという感想も持ちました。
閑話休題。

>  スターダストさんはそもそも、
>
>  唯一回設定または明晰シナリオでは1/2説があてはまり、
>  多数回設定の茫漠シナリオでは1/3説があてはまる
>
>   という考えについては賛成でしょうか?
>  (当初のモチーフからは外れてしまいますが)

議論の冒頭から恐縮ですが、白状しますと…以下に述べます。

■「唯一回設定では1/2説」
賛成しません。

■多数回設定では1/3説があてはまる
賛成します。正確に言えば、唯一回設定でも多数回設定でも1/3説です、私の立場では。


===


>  また、多数回設定であっても、
>  明晰シナリオ(自分を他の被験者(プレイヤー)から区別する明瞭な基準を持っている)では1/2説、
>  茫漠シナリオ(自分はランダムな一実験(1ゲーム)に属しているという意識しかない)では1/3説があてはまる、
>  ということになります。
>  明晰シナリオでは、すでに生まれて自己同一性を備えている「私」は、コインの裏表どちらかに対応しているのであり、そのいずれにおいて何回目覚めるという違いは、もはや「私」の身元を決める確率とは無関係です。
> 茫漠シナリオでは、私は誰でもありうるので、目覚めの機会(観測者切片)のすべてに同確率で関わることになります。よって、目覚めの機会の多い方が自分である確率が高くなります。

『多宇宙と輪廻転生』という山の難所のひとつと考えられます。なにせ、グルジエフ版眠り姫のくだりを理解するための布石ですので。
では、私なりに、明晰な私と茫漠な私とを、「バイト代つき2人ゲーム眠り姫」を変形して再定義させてください。

『多宇宙と輪廻転生』の読者にしかわからない表現でありますが、恐縮です。

被験者甲と被験者乙は、深い眠りにはいり、強制的に目覚めさせられるが、その際に、甲と乙とのどちらかは、よりクリアに目覚めさせられ、もうひとかたの目覚めに比べて明晰度は2倍である。但し、自分が他方に比べて、より明晰であるかどうかは自覚できない。 実験者は、明晰度が優れている被験者に、バイト代を2倍、つまり600円支払い、明晰度において劣る被験者には300円を支給する。(優秀な従業員には給与単価が高いというオハナシの寓意です。)重要な変更点をもうひとつ。場合Aであっても場合Bであっても、つまりフェアなコインの表裏がどちらであっても、眠り姫たる被験者は、それぞれ等しく一度しか目覚めさせられないものとする。

「被験者たる目覚めた私」は、コインの裏表どちらかに対応しているものの、そのいずれにおいて何回目覚めるという違いは、場合A場合Bとも等しく1回ずつに固定されているので、もはや「私」の身元を決める確率は等しいこととなります。

さて、甲(わたし)は目覚めた、「あなたのバイト代の期待値は?」と問われれば、私なら、450円と即座に答えます。 ほとんど自明でしょう、おそらく。
この変形問題においては、甲乙両者の目覚める回数が等しいので、このことだけが重要であり、目覚めの明晰度は寄与していません。

私のバイト代金が450円、というのは、この変形問題の場合、システムが対象であること、つまり、甲にとっても乙にとっても、自分が目覚めたことによる情報の価値が対照的であること、から出てくると思います。

さきの投稿における表記を使えば、一般には成立しない

E催 = E甲 + E乙

が成立するようにあらかじめ問題を作っておいたのでした。


===


次に、φさんによる用語定義に添ってお答えしたく思いますが、


>  また、多数回設定であっても、
>  明晰シナリオ(自分を他の被験者(プレイヤー)から区別する明瞭な基準を持っている)では1/2説、
>  茫漠シナリオ(自分はランダムな一実験(1ゲーム)に属しているという意識しかない)では1/3説があてはまる、
>  ということになります。

■明晰シナリオと茫漠シナリオに差異が出るケースがあるのかどうか、同意できません。
どのようなシナリオでも、1/3説をとっています。


>  こう考えると、スターダストさんの問題は、「相手プレイヤー」を想定する設定なので、プレイヤーは「自分は相手プレイヤーではなく、私だ」と明晰シナリオに従うことになるでしょう。
>  すると、1/2説が当てはまってしまい、スターダストさんの問題そのものが成り立たなくなります。
>
>  いかがでしょうか?

1/2説があてはまることはなかろう、従って私の立てた問題はまだ有効であろう、
ということになろうかと思います。



Re: スターダストへ
投稿者:スターダスト 投稿日:2011年10月 6日(木)09時46分0秒
モンテカルロさんへのお返事です。

>
> 貴方が勝手に「意味があるはず」と思ってるだけだろう。
>

はい。「意味があるはず」と思っていたことがありました。今は違います。モンテカルロさんからのご指摘を受けましたので。
>
> >その内容に、「モンテカルロさんの見方はこうなのでは?」
> >とφさん向けに書いたのでしたね。
> >その内容が間違っているということでしょうから、
> >そのことは了解しました。
>

私が、理解もせずに、「モンテカルロさんの見方はこうなのでは?」と発言した内容を撤回させて頂きたく思います。 管理人φさんも、私の今回の投稿をお読みでしょうから、この場で訂正させてください。「モンテカルロさんの見方はこうなのでは?」というかつての文言は、撤回です。現段階において私の意見ではありませんし、モンテカルロさんからもそのようなご指摘を受けておりますゆえ。

> 求めているのは了解ではなく沈黙だ。
>
> 内容が間違ってるとかいう以前に
> こじつけという行為が間違っている。
>
> 議論を無関係な方向に捻じ曲げるな。

私の誤解から発生した分岐ではありますが、封筒問題からはひとたび離れまして、「眠り姫問題」関連にて、私はφさんと問答を続けたく存じます。
φさんは、一般的な枠組において、ある種の論理の組み立て、ないし、手法を既に構築済みですし、その反映として封筒問題のφさんによる解が出てきています。しかしながら今は封筒問題には拘泥せずに、そもそもの、φさんによる【一般的な枠組において、ある種の論理の組み立て、ないし、手法】を「眠り姫問題」に適用したときにどうなっているのだろうか、このテーマに私の関心が移っています。この眠り姫問題においてφさんがどのように私の疑問に応答していただけるかによって、φさんによる一般的な手法が封筒問題の解決にあたって何をどのように処理しているのかを、私なりに理解したいのです。


> 貴方の行為は
> 甚だ不愉快
> だ。

肝に銘じております。

> 帝国版云々がいいアイデアだっただけに
> 今度の眠り姫云々のダメダメぶりが際立つ。
>
> 眠り姫など持ち出さず、帝国版で押すべきだろう。

帝国版に関するφさんの応答をみるにつけ、複数の異なる条件付確率や条件付期待値の間で無原則に四則演算しているように、私には思えてきました。 これが誤解であるかどうか、知っておきたいのです。 あるいは、私が間違っていたとするならば、そのことを理解できれば、私にとって喜ばしいことです。 我侭、利己的だとは思うのですが、理解したいという本能が…強すぎるのです。
万一、帝国版(後に知ったのですが比較的著名らしいシーゲルのパラドクスとも関連があるかもですが)に関して、なにか私が提案できる時が来たならば、その際には…


そもそも
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月 6日(木)06時50分59秒

「自分の金額が明らかになった場合に
 交換による損益の期待値のベイズによる計算法」は
「自分の金額と他人の金額の比の期待値」とはことなる。

前者は、比の期待値を求めているわけではない。


Re: スターダストへ
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月 6日(木)06時47分26秒
> No.3327[元記事へ]

スターダストさんへのお返事です。

> > 私は、眠り姫問題など扱っていない。
> > こんな喩え話は無意味だから
> > 一切していただきたくない。
>
> ううむ。φさん宛のポストをしました。

誰にあてたものであろうと、
私の名前をだした時点で
私の主張を捻じ曲げている。

>  眠り姫問題での対称性と非対称性の出現は、
> モンテカルロさんには無意味であっても、
> φさんには意味があるはずですので、φさん宛に。

貴方が勝手に「意味があるはず」と思ってるだけだろう。

帝国版云々がいいアイデアだっただけに
今度の眠り姫云々のダメダメぶりが際立つ。

眠り姫など持ち出さず、帝国版で押すべきだろう。

>その内容に、「モンテカルロさんの見方はこうなのでは?」
>とφさん向けに書いたのでしたね。
>その内容が間違っているということでしょうから、
>そのことは了解しました。

求めているのは了解ではなく沈黙だ。

内容が間違ってるとかいう以前に
こじつけという行為が間違っている。

議論を無関係な方向に捻じ曲げるな。

貴方の行為は
甚だ不愉快
だ。


Re: 問1、問2
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月 6日(木)06時37分54秒
> No.3337[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  残念ながら、モンテカルロさんは
>  議論放棄モードに入ってしまいましたね。
>  もともと議論はあまりお好きでなかったようだが。

φは自分では議論しているつもりらしいが
実際にやっているのは
「オレサマの主張は正しい。
 オレサマに全面的に従え。」
という宣伝活動。

>  モンテカルロさんの計算
>  3×1.25/(1+1.25)=5/3=1.666・・・は、
>  私の計算 (2^n+2^n+1)×5/9=5・2^n/3 の
> 単なる一例(n=0)ですから、モンテカルロさん自身の計算が
> まだプレイヤー1の期待値に「関連付け」られていないということですね。

なぜ、誤りを自分ではなく相手に押し付ける?。
「自分は決して誤らない」と思ってるのか?

>  ならば、
>  御自身の計算結果1.666・・・を
> プレイヤー1の期待値1.5とどう関連付けるというのですか?

なぜ、比の期待値E(X/Y)、E(Y/X)と、
自分や相手の金額の期待値E(X)、E(Y)を
関連付ける必要があるのか?

そのような必要はない。

>  説明してください。

そもそも、φの無理矢理な関連づけが間違っているのであるから
ただそれを諦めさえすればいい。私が関連付けを行う必要はない。

E(Y/X)やE(X/Y)の値は、
XやYの金額分布に依存しない。

一方、E(X)やE(Y)の値は
XやYの金額分布に依存する。

つまりE(Y/X)やE(X/Y)の値だけでは
E(X)やE(Y)は決まらない。

>  結局、
>  期待値がいくつと計算されるにせよ、
>  「単純な問1」と「単純な問2」で同じ数値を正解とした以上、
>  「設定Aでの交換の期待値変化は設定D1と同じであり、ゼロ」
>  を否定した御主張を、潔く撤回すべきでしょうね。
>  そうしないと先へ進めないと思いますが、いかがですか。

φは二言目には「先に進めない」とわめきちらすが、
そもそも、φは間違っているのであって、
φのいう先は、存在しない。

つまりφは断崖絶壁の前で
「先にいかせろっ!」
とわめく●人であり、私やTTTは
「この先は崖だっ!
 貴様死にたいのかっ!」
といってとめている、というのが正しい。


明晰シナリオ
投稿者:φメール 投稿日:2011年10月 6日(木)04時07分34秒
> No.3336[元記事へ]

スターダストさんへのお返事です。

 「おかしな証明」が本当におかしいかどうかは、いま少し考えさせていただくことにして――――

 ……
 前回、
「内容よりも述べ方」と言いましたが、内容のほうで "あること" を思い出しました。

 眠り姫問題はしばらく考えていなかったのでツイ忘れていたのですが、
 『多宇宙と輪廻転生』でも確認したように、
 唯一回設定では1/2説、
 多数回設定では1/3説があてはまる、
 という事情があったのでした。

 また、多数回設定であっても、
 明晰シナリオ(自分を他の被験者(プレイヤー)から区別する明瞭な基準を持っている)では1/2説、
 茫漠シナリオ(自分はランダムな一実験(1ゲーム)に属しているという意識しかない)では1/3説があてはまる、
 ということになります。
 明晰シナリオでは、すでに生まれて自己同一性を備えている「私」は、コインの裏表どちらかに対応しているのであり、そのいずれにおいて何回目覚めるという違いは、もはや「私」の身元を決める確率とは無関係です。
茫漠シナリオでは、私は誰でもありうるので、目覚めの機会(観測者切片)のすべてに同確率で関わることになります。よって、目覚めの機会の多い方が自分である確率が高くなります。

 こう考えると、スターダストさんの問題は、「相手プレイヤー」を想定する設定なので、プレイヤーは「自分は相手プレイヤーではなく、私だ」と明晰シナリオに従うことになるでしょう。
 すると、1/2説が当てはまってしまい、スターダストさんの問題そのものが成り立たなくなります。

 いかがでしょうか?

 ただ、そのように考えることはちょっと面白みがありませんね……。
 対称性と期待値の関係が脇へ押しやられてしまうので。

 スターダストさんはそもそも、

 唯一回設定または明晰シナリオでは1/2説があてはまり、
 多数回設定の茫漠シナリオでは1/3説があてはまる

  という考えについては賛成でしょうか?
 (当初のモチーフからは外れてしまいますが)


Re: 問1、問2
投稿者:φメール 投稿日:2011年10月 6日(木)03時42分44秒

モンテカルロさんへのお返事です。

 残念ながら、モンテカルロさんは議論放棄モードに入ってしまいましたね。
 もともと議論はあまりお好きでなかったようだが。
 それでもいちおう、私から少しだけ述べさせていただきます。

 モンテカルロさんの計算
 3×1.25/(1+1.25)=5/3=1.666・・・は、
 私の計算 (2^n+2^n+1)×5/9=5・2^n/3 の単なる一例(n=0)ですから、モンテカルロさん自身の計算がまだプレイヤー1の期待値に「関連付け」られていないということですね。
 ならば、
 御自身の計算結果1.666・・・をプレイヤー1の期待値1.5とどう関連付けるというのですか?

 説明してください。

 結局、
 期待値がいくつと計算されるにせよ、
 「単純な問1」と「単純な問2」で同じ数値を正解とした以上、
 「設定Aでの交換の期待値変化は設定D1と同じであり、ゼロ」を否定した御主張を、潔く撤回すべきでしょうね。
 そうしないと先へ進めないと思いますが、いかがですか。


Re: 交換の価値
投稿者:スターダスト 投稿日:2011年10月 5日(水)13時59分10秒
> No.3328[元記事へ]

φ > φさんへのお返事です。
φ > 眠り姫問題の対称性については、もう少し考えさせてください。
φ > 論証の内容というより、述べ方にポイントがあるような気がしますが―――) 。

はい、お待ちしております。

===

ス > 簡単に言うと、目覚めたプレイヤー1にとっての確率や期待値と、プレイヤー1が忖度するところの【目覚めたプレイヤー2にとっての確率や期待値】を、同じ土俵で足したり引いたりできないだろう、なぜなら階層が異なるから…というのが、私の暫定的な結論です。

上のように私が前回述べたことを、別の視点から再度記したいと思います。

以下に期待値をいくつか書いてみます。
プレイヤー1を甲、プレイヤー2を乙、主催者を催と略記します。

・E催 = E[ 乙のバイト代 + 甲のバイト代 | 催視点]
・E甲 = E[ 甲のバイト代 | 【目覚めた甲】視点]
・E乙 = E[ 乙のバイト代 | 【目覚めた乙】視点]

次に、私が主張するところの、「おかしな証明」を記します。

1) 明らかに、E催 = E甲 + E乙 が成立する

2) ところが、甲乙について、実験系は対称であるから、
  E甲 = E乙
  が成立する。

3) ゆえに、
  E催 = E甲 + E乙 = E甲 + E甲 = 2E甲
  E催 = E甲 + E乙 = E乙 + E乙 = 2E乙
  が成立する。

4) 従ってE甲 = E乙 = ( 1/2 ) * E催
  が帰結される。つまり、E乙もE甲も、ともに450円である。
  なお、実験系が対照的であるからこの結論は当初より自明である。

◆◆◆「おかしな証明」終わり。


次に、私が主張するところの、考え方を記します。

上記の「おかしな証明」には不備がある。なんとならば、そもそも
 1) 明らかに、E催 = E甲 + E乙 が成立する
が成立していないからだ。おかしな前提からなら、おかしな結論が出てきてもやむを得ない。

以下、確認しておいたい。
E催 = E甲 + E乙 の左辺および、右辺をマジメに書くと、

左辺 = E[ 乙のバイト代 + 甲のバイト代 | 催視点]
右辺 = E[ 甲のバイト代 | 【目覚めた甲】視点] + E[ 乙のバイト代 | 【目覚めた乙】視点]

であるが、右辺の加算には全く意味がない。ことなる環境でベイズ推定をして算出した値を無原則に加算しているので、左辺と等号で結べるわけがない。

◆◆◆ 考え方終わり。

さて、上記を踏まえてですが

φ > > しかしどうなんでしょう、プレイヤー2も全く同じ推論をすることをプレイヤー1は知っていますから(対称性が成り立つというのはそういうことですから)、その場合、交換でプレイヤー1が100得するという結論になります。
φ > >  100の損と100の得。それで相殺して、交換の期待値変化はゼロになる。


とφさんがおっしゃったことは、実質的に、上記「おかしな証明」にかなり近い操作を行っているのではないかと存じます。ことなる環境でベイズ推定をして算出した値を足したり引いたりしていいものでしょうか?

2人の【目覚めた】プレイヤーにとって、互いの観測選択効果による確率が相矛盾していても、いっこうに構いません。そういうものだということを訴えたいのです。互いの観測選択効果による期待値を、足したり引いたりすることも、おかしな操作だと思われます。

以上が、現時点での私の暫定的な結論です。




Re: φさんへ:::封筒の中の金額xが一様ってなんでしょう・・・
投稿者:スターダスト 投稿日:2011年10月 5日(水)13時19分23秒
> No.3332[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> スターダストさんへのお返事です。
>
> >
> > ■φさんに再度お訊ねいたします。
> >
> > 【1回目の選択で得られる、開封した封筒の中の小切手に書かれている x は、φさんにとって一様分布なのでしょうか?】
> >
> > おそらくNOという回答を頂けるものと考えておりますが、いかがでしょうか?
> >
>
>  たしかに一様ではありませんよね。
>

私の考え違いでないことがわかってよかったです。φさんのおっしゃっていることが理解できないこともありますので(これは私の側の問題なのです)、念には念をいれての質問でした。 瑣末な拙速な質問にお手間をかけていただき、ご回答いただきましてありがとうございました。

===


>  やはり、ゲストにMの値がわからない以上、Mが一様分布になると思います。主観確率的に。
>  客観的にはMは固定されているとしても、ゲストの主観確率で考えると、Mは動かざるをえないでしょう。
>
>  「0 < θ ≦ M で θ が一様分布なので、θがMを超えて不適格という表現がわかりません」とのことですが、
>  Mが小さければ小さいほど、封筒内に見出すxは大きくなれませんよね。
>  Mが大きくなればなるほど、封筒内に見出すxは大きくなれるが、小さい値は可能性として残り続けますね。
>
>  ということで、小さい金額である確率が高くなる(金額と確率は反比例する)とゲストは予想すべきである、というわけですが。
>
>  そして、胴元がMを選ぶのも、誰かが(ゲストが)封筒内の数xを予想するのも、ともにランダムということで差別はないと考えると、
>  ゲストが予想した数よりもxは小さい数である確率が高い、と。
>  しかし、一様分布なので、いったんxがわかったあとは、もはや低額の方が確率が高いということはなくなって、他方の封筒内が2xかx/2かは五分五分である、と、そういうわけですが。
>
>  どうもスターダストさんの質問の的を射ていなかったかもしれませんが、私の考えはこんなところです。

このあたり、いろいろ考えたいことがあります。よく読ませていただいてから適宜ご質問させていただくこともあろうかと思います。 その節にはよろしくお願いいたします。


>  眠り姫問題の対称性については、もう少し考えさせてください。
>  (論証の内容というより、述べ方にポイントがあるような気がしますが―――)

これについてはひとまず別記させてください。




Re: 問1、問2
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月 5日(水)07時32分24秒
> No.3331[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> > 「つまり」の前から、「つまり」の後は言えない。
>
>  趣旨が掴めませんが?

頭が悪い

>  議論放棄ですか?

頭が悪い奴との議論は不可能

> モンテカルロさんの言いたいことは、
>  (1,2)と(2,1)の場合、正しい期待値は3/2なのだから、
> 期待値5/3となる私の計算は間違いだと?

「期待値」だけでは無意味。

"自分が得る金額の"期待値と書け。

>  正しい期待値は「ペア総額の1/2」なのだから、
> 「ペア総額の5/9」とした私の計算は間違いだと?

然り。

>  しかし「単純な問1・問2」へのTTT・モンテカルロ解答での
>比の期待値5/4から計算してそうなっただけなのだから、

計算の仕方が間違ってる。
なぜ自分の計算は正しいと思い込めるのか?

「ボクちゃんは
 東大卒
 だから正しいもん!」
ってことですか?

>ただ「正しい期待値3/2」と5/3との食い違いを持ってきても無意味ですね。

比の期待値と、自分の獲得金額の期待値の関連付けが間違ってる。

>  なお、
>  φはベイズのベの字も知らないとのことですが、
>  ベイズ式をわざわざ書き下ろさねばならぬほど面倒な議論は、
> 2封筒問題をめぐってここでは出てこなかったと思いますが。

ベイズ式を書かないから、φは間違った。
ベイズ式は全然面倒じゃない。平方根すらでてこない。
ただの分数式である。

>  面倒な議論については、拙著(中略)で、
> ベイズ計算をいちいち書いて論じましたから、
> 御参照のうえ御批判いただければ幸いです。

φの本を買って読むつもりは毛頭ない。
φが「自分が正しい」といいたいのなら、
それをここで書けばいい。
書けないなら「負けた」ということ。

東大卒だから神の如く無謬だというなら
「東大卒のトンデモなんか掃いて捨てるほどいる」
と言い返すまでである。


Re: 問1、問2
投稿者:φメール 投稿日:2011年10月 5日(水)05時19分16秒
> No.3331[元記事へ]

φさんへのお返事です。

元記事の中の、
次の文がわかりづらかったかもしれないので、修正します。


■旧 「単純な問1・問2」においてプレイヤー1とプレイヤー2の比の期待値が各試行で同じであるかぎり、交換による期待値変化はゼロってことです。

■新 「単純な問1」への回答と「単純な問2」への回答が一致するかぎり、その回答者は交換による期待値変化はゼロと認めているってことです。


 ………………
 あと、モンテカルロさんは、
>
> 「つまり」の前から、「つまり」の後は言えない。
>
 の理由を説明してください。


Re: φさんへ:::封筒の中の金額xが一様ってなんでしょう・・・
投稿者:φメール 投稿日:2011年10月 5日(水)04時48分40秒
> No.3329[元記事へ]

スターダストさんへのお返事です。

>
> ■φさんに再度お訊ねいたします。
>
> 【1回目の選択で得られる、開封した封筒の中の小切手に書かれている x は、φさんにとって一様分布なのでしょうか?】
>
> おそらくNOという回答を頂けるものと考えておりますが、いかがでしょうか?
>

 たしかに一様ではありませんよね。

 やはり、ゲストにMの値がわからない以上、Mが一様分布になると思います。主観確率的に。
 客観的にはMは固定されているとしても、ゲストの主観確率で考えると、Mは動かざるをえないでしょう。

 「0 < θ ≦ M で θ が一様分布なので、θがMを超えて不適格という表現がわかりません」とのことですが、
 Mが小さければ小さいほど、封筒内に見出すxは大きくなれませんよね。
 Mが大きくなればなるほど、封筒内に見出すxは大きくなれるが、小さい値は可能性として残り続けますね。

 ということで、小さい金額である確率が高くなる(金額と確率は反比例する)とゲストは予想すべきである、というわけですが。

 そして、胴元がMを選ぶのも、誰かが(ゲストが)封筒内の数xを予想するのも、ともにランダムということで差別はないと考えると、
 ゲストが予想した数よりもxは小さい数である確率が高い、と。
 しかし、一様分布なので、いったんxがわかったあとは、もはや低額の方が確率が高いということはなくなって、他方の封筒内が2xかx/2かは五分五分である、と、そういうわけですが。

 どうもスターダストさんの質問の的を射ていなかったかもしれませんが、私の考えはこんなところです。

 眠り姫問題の対称性については、もう少し考えさせてください。
 (論証の内容というより、述べ方にポイントがあるような気がしますが―――)


Re: 問1、問2
投稿者:φメール 投稿日:2011年10月 5日(水)04時30分52秒
> No.3324[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

φ> (中略)
φ> >  具体的には、
φ> >  プレイヤー1にとって、各試行において、自分は相手の5/4を持っていると期待される。
φ> > つまり、各試行において、ペア総額の5/9が自分の獲得金額(その試行における)の期待値である。
>
> 誤り。
>
> 「つまり」の前から、「つまり」の後は言えない。
>



 趣旨が掴めませんが?
 議論放棄ですか?

 3×1.25/(1+1.25)=5/3=1.666・・・は、
 私の(2^n+2^n+1)×5/9=5・2^n/3 の一例ですから、私の計算は合ってるってことですね。
てことはモンテカルロさんの言いたいことは、
 (1,2)と(2,1)の場合、正しい期待値は3/2なのだから、期待値5/3となる私の計算は間違いだと?
 正しい期待値は「ペア総額の1/2」なのだから、「ペア総額の5/9」とした私の計算は間違いだと?

 しかし「単純な問1・問2」へのTTT・モンテカルロ解答での比の期待値5/4から計算してそうなっただけなのだから、ただ「正しい期待値3/2」と5/3との食い違いを持ってきても無意味ですね。

 期待値は3/2に決まってるのだから、自分の計算から帰結する期待値5/3は間違いだった、と訂正するならそれはそれでよいですよ。「単純な問1・問2」にはまだお答えいただいてないことになりますが。
 「ベルトランのパラドクス」ふうにどんな多種多様な期待値を持ってきても理屈は同じです。

 「単純な問1・問2」においてプレイヤー1とプレイヤー2の比の期待値が各試行で同じであるかぎり、交換による期待値変化はゼロってことです。

 なお、
 φはベイズのベの字も知らないとのことですが、
 ベイズ式をわざわざ書き下ろさねばならぬほど面倒な議論は、2封筒問題をめぐってここでは出てこなかったと思いますが。

 面倒な議論については、拙著『ゼロからの論証』step5や、『多宇宙と輪廻転生』第5章、第10章などで、ベイズ計算をいちいち書いて論じましたから、御参照のうえ御批判いただければ幸いです。


Re: 金額ペアの選択、封筒の交換
投稿者:おかめ石 投稿日:2011年10月 4日(火)23時18分4秒

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3321

胴元の提示した金額ペアが(a,2a)である時、
aが現れた場合に(2/a,a)ペアの可能性を想定したり、
2aが現れた場合に(2a,4a)ペアの可能性を想定したりしては成りません。
あくまでも交換は(a,2a)ペアの中で行われるものです。
――今夜は、この事をもう少し詳しく説明したいと思います。

設問は、「見た金額は具体的にいくらいくら($100とか)であった」という内容には成って居ません。従って、「他方には$200と$50の可能性がある」という下図
 ┬(■→□□)
 └(■→△)
の様な構図と捉えず、

単に「一方の封筒の金額を見た時」という設問の内容から、aと2aの両方に出現の可能性がある、という方向で捉えるべきだと考えます。
 ┳(■→□□)
 ┗(■■→□)
つまり、少額の方が現れた場合(a→2a交換で2a-aの増加)と多額の方が現れた場合(2a→a交換でa-2aの減少)とが等確率で起こり、そして、この増減が確率変数として扱わる、と。

  ┌(□,△)
 ┳┷(■→□□)
 ┗┯(■■→□)
  └(□□,□□□□)
この時、手元にaが現れたからと言って(a/2,a)ペアのa/2が他方に入っている可能性は無く、また、2aが現れたからと言って(2a,4a)ペアの4aが他方に入っている可能性も有りません。

こうして、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3309 (10月 1日(土)23時06分)の最後に記した計算により、aと2aが現れた二つの場合の、金額の増加・減少が互いに打ち消し合って、交換した時の増減額の期待値は±0と成ります。


Re: φさんへ:::封筒の中の金額xが一様ってなんでしょう・・・
投稿者:スターダスト 投稿日:2011年10月 4日(火)13時31分17秒
> No.3322[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> スターダストさんへのお返事です。
>
> >
> > ★φさんへ。★
> >
> > 私がお伺いしたかったのは、以下に引用どおり、本質問の書き込みにもありますように、M を固定する場合でした。
> >
> > ===
> > ホストが持つ資産のうち、N = 3M を、自ら主催する2封筒問題の環境設定のためにホストが供与することとし、M を固定する。
> > ===
> >
> > 1回目の選択で得られる、開封した封筒の中の小切手に書かれている x は、φさんにとって一様分布なのでしょうか?
> >
> > さきにお答えいただいている部分の引用を拝見いたしますと、φさんは、Mを固定せず、
> > 「>  Mを小さくしていくと、高い金額がどんどん脱落してゆくので。」
> > という側面からお答いただいているようです。
> >
>
>  Mが固定されているとしても、問題の定義では、Mがいくらであるかゲストは知らないわけですね。
>  しかもこれは、「1回目の選択、2回目の交換の決断」というワンセットをただ一度だけやるのであり、何度もやってMを「いくつ以上である」というふうに推測することは不可能という設定ですよね。

はい。そのとおりです。

>
>  そういう設定なら、私の答えは、ほぼ http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3316 のままです。(後述のように、ちょっと修正しますが)
>  たとえ固定してあっても、Mはゲストにとって未知なので、Mの額の確率分布は一様分布であり、

Mの額の確率分布はいったん置いておいてくださいませ。実はMについては一様でなくてもいいようだ、というのが私の最終目標ですので。※※Mを3固定した中で、Θを一様に走らせるイメージです。

>  M以下であるθは、大きければ大きいほどMを超えてしまって不適格となる確率が高いので、θの確率は金額に反比例するだろうと思います。2θも同じ。

0 < θ ≦ M で θ が一様分布なので、θがMを超えて不適格という表現がわかりません。うーん。


>  封筒の中の小切手に書かれた x は、θであれ2θであれ、誰かがランダムに予想した数値X(ゲストには未知)よりも小である確率の方が大である確率より高い、と言ってよいと思います。

「ランダムに予想した数値X」という思考が出てくるのは、これはMを無限大まで走らせているからですよね?

うーん。このあたり、Mを動かせるようになってからジックリ考えてみます。

===

>  ただし、前回から修正する点として、
>  「交換した場合、損する確率と、得したときの金額とが相殺して、期待値変化プラスマイナスゼロという非パラドクス的状況にもなるでしょう。」というのは撤回いたします。

はい。うけたまわりました。

>  0 < θ ≦ M で一様分布なのでしたよね。
>  ということは、封筒内にxが見出された場合、もう一方の封筒に2xがあるかx/2があるかは1/2ずつということになるので、交換で1/4の得になりますね。(ただ一度だけの試行なので、B2設定が当てはまる)
>  すでにxが 0 < θ ≦ M なるθ または 0 < 2θ ≦ 2M なる2θだとわかっているわけなので、前者の場合 他方の封筒内には2θ ≦ 2M があり、後者の場合は θ ≦ M があるだけ。つまり、他方の封筒内にあるのが金額が低い方である確率の方が逆である確率よりも高い、ということはないでしょう。確率は同じです。
>  なので、xは、絶対値としては、ランダムな予想よりも小さい確率が高いが(ランダムなMよりも小さいため)、 他方の封筒内の金額は、2xかx/2かは五分五分です。

0 < θ ≦ M なる一様分布でのθを用いることで、面倒な積分計算をせずに結論が出てくることかと存じます。

■φさんに再度お訊ねいたします。

【1回目の選択で得られる、開封した封筒の中の小切手に書かれている x は、φさんにとって一様分布なのでしょうか?】

おそらくNOという回答を頂けるものと考えておりますが、いかがでしょうか?

>
> >
> > 私は慎重にオリジナルの2封筒問題を特殊化する試みをパターンをかえて繰り返しております。掲示板には書き込みませんけれども、試行錯誤は惜しみません。そのなかでも、「これはどのように考えたらよいかな」という疑問が出ますので、φさんにもご意見を伺いたいのです。まずは、Mを固定化してのオハナシについて、私なりに一定のメドをつけたく存じます。なにとぞご高配を賜りたく、よろしくお願い申し上げます。
> >
>
>  面白そうですね。
>  適宜、御公示いただけると有難いです。

なかなかモノになりそうなものは…出来上がればそうしたいと思います。


交換の価値
投稿者:スターダスト 投稿日:2011年10月 4日(火)12時19分30秒
φさんへのお返事です。

> スターダストさんへのお返事です。

ありがとうございます。

>
> >
> > 別なゲームを作成すると、プレイヤー1とプレイヤー2の間の完全な対称性に同意しつつ、「交換による期待値変化は【ゼロではない】」ということもありえることかと思われますので、以下、書いてみます。間違っていなければ良いのですが…
> >
> >
> > まずプレイヤー1の立場になります。オリジナルの眠り姫問題同様、「さぁ、あなたは目覚めた。場合Aである確率は?」の問いには、1/3と考えざるを得ません。同様に、場合Bである確率は2/3です。 場合Aのバイト代は300円、場合Bでは600円ですから、 バイト代期待値は、
> > 300*(1/3) + (600*2/3) = 500
> > となります。
> > ===
> >
>
>  ↑ここから、プレイヤー1の推測では、プレイヤー2のバイト代について、
>  900-500=400
>  あるいは 600*(1/3) + 300*(2/3) = 400
> という計算をするわけですね。
>
>  交換すると損になる、と。

プレイヤーが「目覚めてしまった」からには、プレイヤーにとって、自身のバイト代の期待値は500円、これは間違いのないところと。さもなければ1/2派のボストロム氏が大喜びでしょうか…わかりませんが。

> しかしどうなんでしょう、プレイヤー2も全く同じ推論をすることをプレイヤー1は知っていますから(対称性が成り立つというのはそういうことですから)、その場合、交換でプレイヤー1が100得するという結論になります。
>  100の損と100の得。それで相殺して、交換の期待値変化はゼロになる。
>
>  ↑なんだか我ながら不器用な解決ですが、どうでしょう?
>  対称性の乱用のような気もしますが、今日は以上のアイディアを提示するにとどめます。

眠り姫実験の主催者にとっては最初から、ひとりあたり平均のバイト代は450円ですね。主催者にとっては交換の期待値変化は、ないことと思います。主催者にとっては対称性がいつでも(プレイヤーが目覚めようと目覚めていなかろうと)成り立つからです。ここまではφさんと私は同じ認識のはずです。

一方、目覚めてしまったプレイヤーにとっては、実験系は既に対称ではないハズ、ここが私の強調するところです。対称でないがゆえに、自身のバイト代を500円とみつもるわけです。私は今「目覚めている」ことが、確率や期待値の改訂につながっているのでした。

さて、プレイヤー1は、自分の目覚めと、プレイヤー2の目覚めを、対称的だと思うかというと、そうではありませんよね。 実験系は対称でも、目覚めたプレイヤーにとっては、自分が2回目覚めるであろう確率のほうが、相方のプレイヤーが2回目覚める確率よりも高い、これが、φさんの従来からのご主張に添うはずです。 目覚めてしまったんだからしかたがありません。 ここに、【目覚めた】プレイヤーにとっての確率や期待値についての改訂の第一の論拠があるのであって、これ以外にはこれにまさる論拠がありません。ここまでも、φさんと私は同じ認識のはずです。

再掲しますが、φさんはこうおっしゃいました。
> しかしどうなんでしょう、プレイヤー2も全く同じ推論をすることをプレイヤー1は知っていますから(対称性が成り立つというのはそういうことですから)、その場合、交換でプレイヤー1が100得するという結論になります。

これに類したことについては、私も1年以上前だったでしょうか、昔「眠り姫問題」をこちらの掲示板で質問させていただいた時期に、考えまして、個人的な結論として、どうやら「偽」でありそうだ、と考えるに至りました。
確かにプレイヤー2も全く同じ推論をすることをプレイヤー1は知っています。しかしこれは、他己言及になっていますね。こう考えているはずです。プレイヤー1が考えるに「プレイヤー2はこう考える。すなわち、プレイヤー1のバイト代の期待値は400円であると。」ざっと見てみると、プレイヤー1がプレイヤー2に関して述べる他己言及の中で、階層がことなるプレイヤー2の視点からのプレイヤー1への他己言及を行っているために、結局のところプレイヤー1にとって階層が異なる遠まわしな自己言及になっているわけです。

そして、この階層が異なる遠まわしな自己言及(プレイヤー2が考えるところでは私のバイト代は400円)と、当初の分析「私は考える。私のバイト代の期待値は500円であると。」が一致しないので、困惑することも、まま、あることでしょう。

自己言及によって必ずパラドックスが起きるというわけではありませんが、今回の改造版2人ゲームでの眠り姫実験での場合には、自己言及によるパラドックスが生じているのではあるまいか、そのように、私には思えたものです。

ですので、以下のφさんのご主張、
> しかしどうなんでしょう、プレイヤー2も全く同じ推論をすることをプレイヤー1は知っていますから(対称性が成り立つというのはそういうことですから)、その場合、交換でプレイヤー1が100得するという結論になります。

には、ストレートには首肯できるとは思いがたい所です。

簡単に言うと、目覚めたプレイヤー1にとっての確率や期待値と、プレイヤー1が忖度するところの【目覚めたプレイヤー2にとっての確率や期待値】を、同じ土俵で足したり引いたりできないだろう、なぜなら階層が異なるから…というのが、私の暫定的な結論です。

>  もうちょっとエレガントな解決が思いついたら、書き込むことにします。
>

楽しみにしております。

>  なお、
>  対称性が成り立つ場合は、交換による期待値変化がゼロであるというのは、
>  (この板では延々と議論し続けてきましたが、)
>  単に論理的真理なので、結論は「正しい」と決まっていると思われます。

眠り姫実験系では、主催者にとってシステムは対称です。主催者にとって交換による期待値変化がゼロ。単に論理的真理なので、結論は「正しい」…
しかし【目覚めた】プレイヤー1にとっては、私が強調するところでは、システムは非対称です。交換による期待値変化がゼロとは言えないと思います。

2人の【目覚めた】プレイヤーにとって、互いの主観確率が相矛盾していても、いっこうに構いません。そういうものだという諦観ですね。


Re: スターダストへ
投稿者:スターダスト 投稿日:2011年10月 4日(火)09時44分8秒

モンテカルロさんへのお返事です。

>
> 私は、眠り姫問題など扱っていない。
> こんな喩え話は無意味だから
> 一切していただきたくない。

ううむ。φさん宛のポストをしました。
眠り姫問題での対称性と非対称性の出現は、モンテカルロさんには無意味であっても、φさんには意味があるはずですので、φさん宛に。 その内容に、「モンテカルロさんの見方はこうなのでは?」とφさん向けに書いたのでしたね。 その内容が間違っているということでしょうから、そのことは了解しました。

>
> E(Y/X)だといっているのだから、
> まず比だけをもとめて、それを計算すればいい。
>

先日行ったシミュレーションではその方法をとりました。はい。なにか間違いがあるといけないので、手を入れつつあります。





スターダストへ
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月 4日(火)07時21分31秒
> No.3320[元記事へ]

慇懃無礼な物言いがいちいち不愉快。
言葉だけ丁寧なら文句ないだろといわんがばかりの
間違いまくりの態度が気に入らない。
そういうふざけた態度は、今後一切私の前では取るな。

さんづけは無用。ですますも一切用いるな。
すべて自分が正しいという確信のもとに書け。

私は、他者としての貴様には全く興味がない。
貴様が生きようと死のうと私にはどうでもいい。
いい加減、あまったれた態度をとるな。

さて、本題に入る。

私は、眠り姫問題など扱っていない。
こんな喩え話は無意味だから
一切していただきたくない。

E(Y/X)だといっているのだから、
まず比だけをもとめて、それを計算すればいい。

謝罪の言葉は不要だ。
そういう念仏は、自分で心密かに唱えればいい。
他人に聞かせるものじゃない。いわれて喜ぶのは
バカ
だけだ。


φは、ベイズのベの字も知らず
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月 4日(火)07時05分57秒
> No.3315[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  ちなみに、モンテカルロさんは前回
>「gは、いかなる確率分布であるかが全く明確な述語定項です。
> つまり、g(n-1),g(n)は始めから具体的な値が与えられています」
>と言っていますが、
>gは主観的に変項だったのであり、
>その客観的な性質が封筒内を見てパラメータとして判明した
>と私は言ったのです。

φのその認識が間違ってる。

・gは変項ではない。
・封筒の開封は「gの部分情報開示」ではない。

この2点を指摘した。

φの認識では、単に
「可能性がなくなった選択肢mについてg(m)が0」
となるだけで、
「可能性のある選択肢nについてのg(n)」
については、不可知となる。

しかし、ベイズ理論では、gが分かっているとして
選択肢が狭まった場合、狭まった選択肢全体の確率を
1と見なした場合の、各選択肢の確率の計算の公式を
示している。

φは、この計算の公式を全く用いていない。
おそらく、数学が苦手なφは、公式の意味が理解できず
自分勝手な仕方で誤解したのだろう。

>  それに、「始めから具体的な値が与えられています」もおかしい。
> 具体的な値なんかなく、胴元が偶然選んだ結果だけがあって、
> そこから遡及してgが考えられるということもあるでしょう。

推定する場合にも闇雲にやっているわけではない。
理論に基づいて推定しているのであって、
φのようなやり方はしていない。

>  いずれにせよ、瑣末な議論に脱線することで自らの失敗を揉み消そうとしても無駄です。

φは、ベイズ理論の話を「脱線」というが、要するに、
「ベイズ理論を一度も真面目に勉強したことがない」
と白状したわけだ。

数学が嫌いなら勉強せんでもいいが、
それならそれで一切数学には関わらんほうが
幸せというもんだw。


問1、問2
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月 4日(火)06時54分24秒
> No.3315[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  「単純な問1」「単純な問2」の答えは、
>  TTTさんもモンテカルロさんも5/4ということですね。
(中略)
>  TTT・モンテカルロ説の5/4を採用して、どうなるか見てみましょう。
(中略)
>  具体的には、
>  プレイヤー1にとって、各試行において、自分は相手の5/4を持っていると期待される。
> つまり、各試行において、ペア総額の5/9が自分の獲得金額(その試行における)の期待値である。

誤り。

「つまり」の前から、「つまり」の後は言えない。

簡単のためペアを固定する。
固定しても比の期待値は1.25となるので。

(1,2)と(2,1)の場合、
前者の得る金額は1、後者の得る金額は2である。
平均すれば1.5である。

しかし比では、前者は2、後者は1/2である。
平均すれば1.25である。
3×1.25/(1+1.25)=5/3=1.666・・・
である。

したがって、φの計算の仕方が間違ってる。

>  モンテカルロさんもTTTさんも、
>  今回の私の問1、問2への答えにおいて、プレイヤー1とプレイヤー2の間の完全な対称性に同意しました。(!当たり前ですが)
>  それでもなおかつ、「交換による期待値変化はゼロ」を否定し続けるのでしょう、たぶん。
>  だとすれば、以上の私の計算に誤りが指摘できるはずですね。それを改めて伺いたいものです。
>  よろしくお願いします。

間違いは指摘した。

φが数学が苦手なのはわかっていたが、
ここまで酷いとは思わなかった。
彼に確率を論じるのは無理だろう。
高校の数学からやり直せ。


Re: 応答の価値
投稿者:φメール 投稿日:2011年10月 4日(火)03時52分27秒
> No.3319[元記事へ]

スターダストさんへのお返事です。

>
> 別なゲームを作成すると、プレイヤー1とプレイヤー2の間の完全な対称性に同意しつつ、「交換による期待値変化は【ゼロではない】」ということもありえることかと思われますので、以下、書いてみます。間違っていなければ良いのですが…
>
>
> まずプレイヤー1の立場になります。オリジナルの眠り姫問題同様、「さぁ、あなたは目覚めた。場合Aである確率は?」の問いには、1/3と考えざるを得ません。同様に、場合Bである確率は2/3です。 場合Aのバイト代は300円、場合Bでは600円ですから、 バイト代期待値は、
> 300*(1/3) + (600*2/3) = 500
> となります。
> ===
>

 ↑ここから、プレイヤーの推測では、プレイヤー2のバイト代について、
 900-500=400
 あるいは 600*(1/3) + 300*(2/3) = 400
という計算をするわけですね。

 交換すると損になる、と。

しかしどうなんでしょう、プレイヤー2も全く同じ推論をすることをプレイヤー1は知っていますから(対称性が成り立つというのはそういうことですから)、その場合、交換でプレイヤー1が100得するという結論になります。

 100の損と100の得。それで相殺して、交換の期待値変化はゼロになる。

 ↑なんだか我ながら不器用な解決ですが、どうでしょう?
 対称性の乱用のような気もしますが、今日は以上のアイディアを提示するにとどめます。
 もうちょっとエレガントな解決が思いついたら、書き込むことにします。

 なお、
 対称性が成り立つ場合は、交換による期待値変化がゼロであるというのは、
 (この板では延々と議論し続けてきましたが、)
 単に論理的真理なので、結論は「正しい」と決まっていると思われます。
 あとは、それをどう納得しやすいように説明できるか、という議論のテクニックの問題になるのではないでしょうか。

 それとも、「完全に対称的だが交換による期待値変化がある」という例が見つかりますか?


Re: φさんへ:::封筒の中の金額xが一様ってなんでしょう・・・
投稿者:φメール 投稿日:2011年10月 4日(火)03時28分6秒
> No.3317[元記事へ]

スターダストさんへのお返事です。

>
> ★φさんへ。★
>
> 私がお伺いしたかったのは、以下に引用どおり、本質問の書き込みにもありますように、M を固定する場合でした。
>
> ===
> ホストが持つ資産のうち、N = 3M を、自ら主催する2封筒問題の環境設定のためにホストが供与することとし、M を固定する。
> ===
>
> 1回目の選択で得られる、開封した封筒の中の小切手に書かれている x は、φさんにとって一様分布なのでしょうか?
>
> さきにお答えいただいている部分の引用を拝見いたしますと、φさんは、Mを固定せず、
> 「>  Mを小さくしていくと、高い金額がどんどん脱落してゆくので。」
> という側面からお答いただいているようです。
>

 Mが固定されているとしても、問題の定義では、Mがいくらであるかゲストは知らないわけですね。
 しかもこれは、「1回目の選択、2回目の交換の決断」というワンセットをただ一度だけやるのであり、何度もやってMを「いくつ以上である」というふうに推測することは不可能という設定ですよね。

 そういう設定なら、私の答えは、ほぼ http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3316 のままです。(後述のように、ちょっと修正しますが)
 たとえ固定してあっても、Mはゲストにとって未知なので、Mの額の確率分布は一様分布であり、
 M以下であるθは、大きければ大きいほどMを超えてしまって不適格となる確率が高いので、θの確率は金額に反比例するだろうと思います。2θも同じ。
 封筒の中の小切手に書かれた x は、θであれ2θであれ、誰かがランダムに予想した数値X(ゲストには未知)よりも小である確率の方が大である確率より高い、と言ってよいと思います。

 ただし、前回から修正する点として、
 「交換した場合、損する確率と、得したときの金額とが相殺して、期待値変化プラスマイナスゼロという非パラドクス的状況にもなるでしょう。」というのは撤回いたします。
 0 < θ ≦ M で一様分布なのでしたよね。
 ということは、封筒内にxが見出された場合、もう一方の封筒に2xがあるかx/2があるかは1/2ずつということになるので、交換で1/4の得になりますね。(ただ一度だけの試行なので、B2設定が当てはまる)

 すでにxが 0 < θ ≦ M なるθ または 0 < 2θ ≦ 2M なる2θだとわかっているわけなので、前者の場合 他方の封筒内には2θ ≦ 2M があり、後者の場合は θ ≦ M があるだけ。つまり、他方の封筒内にあるのが金額が低い方である確率の方が逆である確率よりも高い、ということはないでしょう。確率は同じです。

 なので、xは、絶対値としては、ランダムな予想よりも小さい確率が高いが(ランダムなMよりも小さいため)、 他方の封筒内の金額は、2xかx/2かは五分五分です。

>
> 私は慎重にオリジナルの2封筒問題を特殊化する試みをパターンをかえて繰り返しております。掲示板には書き込みませんけれども、試行錯誤は惜しみません。そのなかでも、「これはどのように考えたらよいかな」という疑問が出ますので、φさんにもご意見を伺いたいのです。まずは、Mを固定化してのオハナシについて、私なりに一定のメドをつけたく存じます。なにとぞご高配を賜りたく、よろしくお願い申し上げます。
>

 面白そうですね。
 適宜、御公示いただけると有難いです。


Re: 金額ペアの選択、封筒の交換
投稿者:おかめ石 投稿日:2011年10月 3日(月)23時38分32秒

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3309 (10月 1日(土)23時06分)

開封後(その二)について補足説明します。
~なお、開封後への参入は9月30日以降なので、まだ十分に詰められてない部分もあると思います。その積もりでお読み下さい。~

胴元が行うのは、どれか一つの金額ペア(a, 2a)の選定だけで、プレイヤーの前に提示された時点では、
少額の方(a)と多額の方(2a)のどちらが先にプレイヤーに取られるか未確定です。

とりあえず現在分かって居る三つの原則を列記します。
1.交換によってa/2や4aが現れる事は無い。
2.aが現れる場合と2aが現れる場合が等確率で起こる。
3.現れた金額がaなのか2aなのか当人には分からない。

aが現れた場合は、交換して2aと成り、
2aが現れた場合は、交換してaと成ります。

あくまでも、具体額が明示してある訳ではない、単に「手元の封筒の金額を見た時に」という設定なので、
それぞれの場合が相殺し合うことに成り、交換による金額増減の期待値が±0と成る、とこう言った所です。

******
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3315 (10月 3日(月)04時52分)
> おかめ石さんの考えは比率の期待値1ということでしょうか? あるいは以下に私が記すのと同趣旨か

同趣旨です。交換による金額増減の期待値は±0、つまり損得無しという事です。


問題の所在(was: 応答の価値)
投稿者:スターダスト 投稿日:2011年10月 3日(月)14時49分15秒
> No.3319[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> φさんへのお返事です。
>
> ===
> >  さて、
> >  「単純な問1」「単純な問2」の答えは、
> >  TTTさんもモンテカルロさんも5/4ということですね。

私の中での交通整理は以下のようなものです。

まず、φさんは、オリジナルの眠り姫問題において
◇問1「今は日曜日、実験開始の直前である。場合Aである確率は?」
に相当する問いを発しています。

ところが、TTTさんもモンテカルロさんも
◇問2「さぁ、あなたは目覚めた。場合Aである確率は?」
に対応する回答をなさいました。

したがって、φさんは、◇問1と◇問2との問題文の意味の違いをTTTさんとモンテカルロさんとに告知すべきであって、◇問1の答えが1/2であるという理由をせつせつと語ってもいたしかたがないのではと存じます。
一方、TTTさんもモンテカルロさんも、「単純な問1」「単純な問2」への答えに際してE(X/Y)について論じています。E(X/Y)に含まれるXもYも、(φさんのお立場を推察するに)、封筒を開く前、未開封の封筒において意味がありません。

TTTさんもモンテカルロさんも、封筒を開く前だろうと、開いた後であろうと、「封筒を開いたときのXのサンプルからX/Yの期待値は計算可能だ。」ということ、すなわち、未開封でもXとYとの比率について数学的に計算可能である、そのように御主張なさっていることと存じます。

===
なまいきもうしました。 φさん、TTTさん、モンテカルロさんの御主張を私が理解できていない可能性がかなり高いのですが、申し訳ありません。お許しください。
以上が、私の中での交通整理でした。




Re: 応答の価値
投稿者:スターダスト 投稿日:2011年10月 3日(月)14時00分56秒
φさんへのお返事です。

===
>  さて、
>  「単純な問1」「単純な問2」の答えは、
>  TTTさんもモンテカルロさんも5/4ということですね。
>  おかめ石さんにはまた別個に議論を展開していただくことにして(おかめ石さんの考えは比率の期待値1ということでしょうか? あるいは以下に私が記すのと同趣旨か)、
>  TTT・モンテカルロ説の5/4を採用して、どうなるか見てみましょう。

(snip)

>  モンテカルロさんもTTTさんも、
>  今回の私の問1、問2への答えにおいて、プレイヤー1とプレイヤー2の間の完全な対称性に同意しました。(!当たり前ですが)
>  それでもなおかつ、「交換による期待値変化はゼロ」を否定し続けるのでしょう、たぶん。
>  だとすれば、以上の私の計算に誤りが指摘できるはずですね。それを改めて伺いたいものです。
>  よろしくお願いします。
>
>  今回は設定Aで計算しましたが、

(snip)
===

上記部分が私には非常に理解が難しいです。プレイヤー1とプレイヤー2の間の完全な対称性に同意しつつ、「交換による期待値変化はゼロ」を否定すること、どこかおかしいのでしょうか?

別なゲームを作成すると、プレイヤー1とプレイヤー2の間の完全な対称性に同意しつつ、「交換による期待値変化は【ゼロではない】」ということもありえることかと思われますので、以下、書いてみます。間違っていなければ良いのですが…


===
眠り姫問題を2人ゲーム化します。
※掲示板読者のために、ここでいうオリジナルの眠り姫問題の文面を、以下のサイトにてご確認いただけるようにいたします。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CC%B2%A4%EA%C9%B1%CC%E4%C2%EA

上記オリジナル問題と同様に、フェアなコインが【1回だけ】投げられ、プレイヤー1は、場合A■表が出た場合と、およびに、場合B■裏が出た場合、とに書かれている実験をうけます。プレイヤー2は、さきほど投げられ済みのコインの表裏が反対であったときの実験を【プレイヤー1と同時に】うけます。さらに、問題に金額の要素を付加するため、プレイヤー1もプレイヤー2もインタビューを受ける都度300円のバイト代を稼ぐこととなります。実験後ホストは総額900円支払うこととなり、プレイヤー1とプレイヤー2が稼ぐこととなったバイド代の組み合わせは(300円、600円)もしくは、(600円、300円)のどちらかとします。
各々へのインタビューの質問内容は以下のようなものです。
「さぁ、あなたは目覚めた。場合Aである確率を計算しつつ、最終的にあなたが稼ぐことになるバイド代の金額の期待値を計算せよ。その上で、もうひとかたのプレイヤーの稼ぐバイト代と交換したいかしたくないかを答えよ。つまり、「交換による期待値変化」について考えるのだ。」

考え方1/3派
プレイヤー1もプレイヤー2も、インタビューの都度、「自分のバイト代期待値は500円」と計算し、「したがって、ホストが支払う合計900円から自分のバイド代期待値500円を差し引いて…もうひとりのバイド代期待値は400円」と計算し、「交換による期待値変化がゼロでない」と考えることでしょう。

考え型1/2派
それとも、【プレイヤー1とプレイヤー2の間の完全な対称性に同意】することにより、インタビューへの回答は「自分のバイト代期待値は450円、相手も同じ、交換による期待値変化がゼロ」なのでしょうか?

===

私は1/3派ですので、【プレイヤー1とプレイヤー2の間の完全な対称性に同意】しつつも、「自分のバイト代の期待値は500円」と言い張ります。私なら。

===
以下、私の計算を略記します。

まずプレイヤー1の立場になります。オリジナルの眠り姫問題同様、「さぁ、あなたは目覚めた。場合Aである確率は?」の問いには、1/3と考えざるを得ません。同様に、場合Bである確率は2/3です。 場合Aのバイト代は300円、場合Bでは600円ですから、 バイト代期待値は、
300*(1/3) + (600*2/3) = 500
となります。
===

以上、プレイヤー1とプレイヤー2の間の完全な対称性に同意しつつ、「交換による期待値変化は【ゼロではない】」という別なゲームを作成することができました。

さて、φさんが課題とした「単純な問1」「単純な問2」は、改造版の二人プレイヤーの眠り姫問題と、どこが同じでどこが異なるのでしょう?
なにか論拠があるはずです。
さきほど、私は以下のように書きました。

「上記部分が私には非常に理解が難しいです。プレイヤー1とプレイヤー2の間の完全な対称性に同意しつつ、「交換による期待値変化はゼロ」を否定すること、どこかおかしいのでしょうか?」

===
なお、オリジナルの眠り姫問題への考え方として、
「さぁ、あなたは目覚めた。場合Aである確率は?」
に対して、1/2 とお考えになられる人には、今回の私のポストは、全く用をなしません。 もうしわけありませんが、眠り姫問題そのものの難解さをクリアにしなければならないでしょう。ちにみに、私はモンテカルロ法で、シミュレートして、1/2と答えることには無理があると、確認しておます。


Re: φさんへ:::封筒の中の金額xが一様ってなんでしょう・・・
投稿者:スターダスト 投稿日:2011年10月 3日(月)13時07分41秒
> No.3316[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  そういう見当もつかない多様な可能性を全部含めて、「まったくわからない」という状態で封筒を選び、中の金額Aを見た場合、
>  もう一つの封筒が2AかA/2かは、まあ1/2ずつ、ということになるのではないでしょうか?
>
>  しかしそれはあくまで主観確率的な暫定的推測で事後確率をそう見積もるだけであって、客観的には、事前確率は一様分布以外の何らかの分布である可能性が高いでしょう。
>  でも、わからないから事後確率は、あえて計算する場合は、一様分布(というか、1/2ずつ)とせざるをえないでしょう。

===

上記のご回答を拝見して再考してみました。ひょっとして、私のM固定の設定の問題において、以下の言明をなさったということなのでしょうか……………

『客観的には、開いた封筒の金額は一様分布以外の何らかの分布である可能性が高いでしょう。
でも、わからないから、事後に開いた封筒の金額は、あえて計算する場合は、一様分布(というか、1/2ずつ)とせざるをえないでしょう』

上のように読んでみた場合…M固定前提ですが、θの分布を一様とせずにいかなる恣意的な分布を作ったとしても、
開いた封筒の金額の分布は一様にはなりようがない、そのように思っております。そうした例を私は作成できません。


Re: φさんへ:::封筒の中の金額xが一様ってなんでしょう・・・
投稿者:スターダスト 投稿日:2011年10月 3日(月)11時52分33秒
> No.3316[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> スターダストさんへのお返事です。
>
> >
> > ホストは、θを、以下の範囲で一様な分布の中からひとつ選択する。
> >
> > 0 < θ ≦ M
> >
>
>  ↑この設定であるとわかっているなら、
>  封筒内金額の確率は、金額に反比例するのではないでしょうか。
>  つまり、金額が低ければ低いほど、確率が高い、と。
>  Mを小さくしていくと、高い金額がどんどん脱落してゆくので。
>  プレイヤーはMの値を知らないため、Mの可能性が実数上に一様分布していると考えざるをえない……なら、プレイヤーは「θの金額と確率は反比例する」と考えるべきだと思われます。
>  交換した場合、損する確率と、得したときの金額とが相殺して、期待値変化プラスマイナスゼロという非パラドクス的状況にもなるでしょう。

★φさんへ。★

私がお伺いしたかったのは、以下に引用どおり、本質問の書き込みにもありますように、M を固定する場合でした。

===
ホストが持つ資産のうち、N = 3M を、自ら主催する2封筒問題の環境設定のためにホストが供与することとし、M を固定する。
===

1回目の選択で得られる、開封した封筒の中の小切手に書かれている x は、φさんにとって一様分布なのでしょうか?

さきにお答えいただいている部分の引用を拝見いたしますと、φさんは、Mを固定せず、
「>  Mを小さくしていくと、高い金額がどんどん脱落してゆくので。」
という側面からお答いただいているようです。

再度ご質問させて頂きたく存じます。 瑣末な質問のようですが、φさんのお考えを私なりに理解させていただきたく、なにとぞよろしくお願いいたします。
M を固定する場合に、1回目の選択で得られる、開封した封筒の中の小切手に書かれている x は、
φさんにとって一様分布なのでしょうか?

===

以下、関連して、φさんから頂いたコメントにたいしての私なりの理解を書かせていただきます。

>
>  ただし、0 < θ ≦ Mという確率分布の設定は、オリジナルにはない設定ですよね。
>
>   0 < θ ≦ M ではなく、100< θ ≦ Mかもしれないし、17の倍数だけがθかもしれないし、とにかく確率分布はいろんなものがあって、低い金額を優遇するとは限りませんね。むしろ下限に近づかないように、低額を避けたり。
>  そういう見当もつかない多様な可能性を全部含めて、「まったくわからない」という状態で封筒を選び、中の金額Aを見た場合、

「見当もつかない多様な可能性を全部含めて」の結論を私は今すぐには出せません。ですから、ひとまずMを固定し、なおかつ、封筒の中の金額は正であるはずだ、という限定を付与します。そのうえ、2封筒のうち、ホストは最初に額面の小さいほうを先に作り後からその2倍の金額の封筒を作り、2封筒をまぜこぜにしてゲストには識別不可能にしました。オリジナルの2封筒問題の特別バージョンになっていますが、どこに特別な部分があるかというと、Mを固定したところ、1枚目の小切手の額面は一様分布、この2点のみであると認識しております。

> 0 < θ ≦ M ではなく、100< θ ≦ Mかもしれないし

> むしろ下限に近づかないように、低額を避けたり。

確かに100< θ ≦ M での一様分布という特殊設定もありえますね、しかし、オリジナルの2封筒問題では、小切手の金額に下限はないはずですから、このような設定は、私の立場では、とりあえず排除して考えておきたいのです。これ以上特殊設定を増やすと考えにくくなりますので…

とある金持ちのホストがゲームを主催してMを固定化して遊ぶことは、十分に考えられますし、そのホストが、1枚目の小切手の作り方において、額面金額を一様分布にする、そして、作り方からみて二枚目の小切手の額面金額をも自動的に一様分布になる、これもまた、ありえる設定でしょう、こうした場合に、ゲストが開いたひとつめの封筒内の小切手の額面金額については、一様にはなっていないだろう、これが、私のスタート地点なのです。
一様になっていないものを基準に、もうかたほうが2倍だ半分だ、と単純に考えることはちょっと私にはできかねますので、どうしたらよいのか模索中です。

私は慎重にオリジナルの2封筒問題を特殊化する試みをパターンをかえて繰り返しております。掲示板には書き込みませんけれども、試行錯誤は惜しみません。そのなかでも、「これはどのように考えたらよいかな」という疑問が出ますので、φさんにもご意見を伺いたいのです。まずは、Mを固定化してのオハナシについて、私なりに一定のメドをつけたく存じます。なにとぞご高配を賜りたく、よろしくお願い申し上げます。

===

>  もう一つの封筒が2AかA/2かは、まあ1/2ずつ、ということになるのではないでしょうか?
>
>  しかしそれはあくまで主観確率的な暫定的推測で事後確率をそう見積もるだけであって、客観的には、事前確率は一様分布以外の何らかの分布である可能性が高いでしょう。
>  でも、わからないから事後確率は、あえて計算する場合は、一様分布(というか、1/2ずつ)とせざるをえないでしょう。

こちらに関しては、いまだ、私なりの結論をみていません。考えが足りません。私の能力不足なのでしょう。

===

**** 追記 ****
今回作ったM固定の問題は、確率密度関数をきちんと定義できるようにしたいという欲求から生まれました。
その上で、E(Y/X)を求め、それが、Mに依存しないであろう、ということをもくろんでおります。ひとたびMに依存しないことが突き止められれば、そののちに、Mについて、ありとあらゆる設定を付与しても結論が変わらないことを確かめたく思っています。道は遠いですが。





Re: φさんへ:::封筒の中の金額xが一様ってなんでしょう・・・
投稿者:φメール 投稿日:2011年10月 3日(月)04時54分6秒

スターダストさんへのお返事です。

>
> ホストは、θを、以下の範囲で一様な分布の中からひとつ選択する。
>
> 0 < θ ≦ M
>

 ↑この設定であるとわかっているなら、
 封筒内金額の確率は、金額に反比例するのではないでしょうか。
 つまり、金額が低ければ低いほど、確率が高い、と。
 Mを小さくしていくと、高い金額がどんどん脱落してゆくので。
 プレイヤーはMの値を知らないため、Mの可能性が実数上に一様分布していると考えざるをえない……なら、プレイヤーは「θの金額と確率は反比例する」と考えるべきだと思われます。
 交換した場合、損する確率と、得したときの金額とが相殺して、期待値変化プラスマイナスゼロという非パラドクス的状況にもなるでしょう。

 ただし、0 < θ ≦ Mという確率分布の設定は、オリジナルにはない設定ですよね。

  0 < θ ≦ M ではなく、100< θ ≦ Mかもしれないし、17の倍数だけがθかもしれないし、とにかく確率分布はいろんなものがあって、低い金額を優遇するとは限りませんね。むしろ下限に近づかないように、低額を避けたり。
 そういう見当もつかない多様な可能性を全部含めて、「まったくわからない」という状態で封筒を選び、中の金額Aを見た場合、
 もう一つの封筒が2AかA/2かは、まあ1/2ずつ、ということになるのではないでしょうか?

 しかしそれはあくまで主観確率的な暫定的推測で事後確率をそう見積もるだけであって、客観的には、事前確率は一様分布以外の何らかの分布である可能性が高いでしょう。
 でも、わからないから事後確率は、あえて計算する場合は、一様分布(というか、1/2ずつ)とせざるをえないでしょう。



Re: 応答の価値
投稿者:φメール 投稿日:2011年10月 3日(月)04時52分52秒

TTT、モンテカルロ、おかめ石さんへのお返事です。

>
> >>  最もパラドクシカルなB2は、Sに似ているというのがTTTさんの思い込みだったが、
> >>  ごらんの通り、B2とSとが一致するのは、h(n)=1、つまりSの確率変数が三つに限られて、
> >>  しかもg(n-1)=g(n)である場合に限られる。まさに大違いである。
> >
> > 意味不明。特に、φさんのいずれの計算の式にも確率変数らしきモノが見当たらないのですが
> > 「Sの確率変数が三つに限られて」とは、何を意味するのか全くわかりません。
>
> と書きました。返事がないというのはφさんの誤解で
> 「Sの確率変数が三つに限られて」とは何か、を説明すれば話はできます。
>

そんなことも察していただけないようでは、正直、コミュニケーションが取りづらいですね。学術誌の査読でもあるまいし、常識でわかるところはクリアしていただかないと、先が思いやられます……。
 B2設定と同じ確率分布を持つためにSが限定されるべき三つの確率変数とは、2^(n-1),2^n,2^(n+1)です。
 2^nを封筒内に見出したB2設定では、確率変数は2^(n-1),2^(n+1)の2つしかありません。(B2設定では2^nはもはや確率変数ではなく、判明したパラメータであり、2封筒問題にとって本質的な条件になっているので)。

 つまり、プレイヤーは必ず2^nを見出すものとし(他の場合はゲーム無効)、交換か非交換を選択する、というB2と同じ確率分布をSが持つためには、
 「胴元が必ず金額2^nを選んでプレイヤーに渡し、次に確率1/2で2^(n-1)か2^(n+1)か決まる金額と交換するかどうか、プレイヤーに選択を迫る」という設定が必要です。

 つまり、「h(n)=1、つまりSの確率変数が三つに限られて、しかもg(n-1)=g(n+1)=1/2である場合」です。

 胴元が金額を選ぶ確率分布h(x)の確率変数が2^nひとつだけ、そしてプレイヤーが選ぶ選択肢が「2^n」か「2^(n-1)または2^(n+1)」かということになり、
 2^nはhの確率変数、2^(n-1)と2^(n+1)は胴元によるコイン投げの確率変数ということになります。

そのような制限のない一般的なSは、B2と同じ確率分布にはなりませんが、交換の期待値変化はほぼ同じになります。(ほぼ同じというのは、B2のふたつのペアの確率が等しいとは限らないため)
 そして、B1もそのような制限がないわけですが、B1の場合はB2と違って、交換の期待値変化はA、D1と同様ゼロになります。
 Sは、そのような制限をしようがしまいが、交換の期待値変化はプラス1/4となります。

 TTTさんは、B1とB2の区別をせず、B設定をいっしょくたにして、金額を見たからにはプレイヤーの選択肢の確率分布がSと同じ、と考えたようですが、そもそも確率変数の数が異なっているのです(確率分布も異なっているし)。B2では確率変数が二つしかないのだから、それに合わせるには、Sの確率変数を三つに絞らねばなりませんし、B2の二つのペアの選択確率を1/2ずつに調整しなければなりません。

>
> 「g(n-1),g(n)をあてがわれた確率変数」が意味不明です。
> φさんが無視した http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3243 で既に指摘したように、
> 確率論における確率変数とは、簡単に言えば、全事象上に定義された実数値関数で、
> もう少し砕けて言えば、試行(の結果等)を実数に対応させる対応です
> (事象の確率や確率分布は、確率変数ではありません)。
>

 何でも意味不明なんですね。
 よほど読解力に問題があるか、あるいは本質的な議論を避ける習性があるのかな?
 g(n-1)をあてがわれたのはペア {2^(n-1), 2^n}であり、g(n)をあてがわれたのはペア{2^n, 2^(n+1)}です。そう定義したのだから。そしてそれぞれ、小さな方の数で定義(表示)できるので、確率変数でしょう。全事象は可能なすべてのペアです。
 私の文章は、プレイヤーが2^nを見たことで {2^(n-1), 2^n}{2^n, 2^(n+1)}以外のペアの可能性は消えた、ということ以外、何も意味しようがない。一目瞭然でしょう。
 私がTTTさんのコメントにいちいち答える気がしない理由がおわかりでしょうか。
 ほんとヒマじゃないので。
 本気で、日本語を読む練習をしてください。

>
> > ペアの二つの可能性の事前確率を事後確率へと解釈しなおして、
> > 交換すると64か256かどちらでありそうかを推測し、特別な事前分布が尤もらしくない限り、
> > 交換が得、と判断されますね。
> > (とくに、まったく手掛かりがない場合は事後確率分布は一様分布で代用せざるをえず、1/4の得と判断されます)
>
> φさんに誤読だと指摘された私のhttp://8044.teacup.com/miurat/bbs/3243 以前だと
> http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3225
> > 目撃した封筒内金額をデータとして生かす解釈も可能で、それを私はB2と名づけた。
> > B2では、封筒内に可能な金額は3通りだけなので、無限級数を使ったシミュレーションは不可能であり、
> > 交換による期待値変化は1/4増。
>

 何遍も言ってるとおり、私が一様分布というのは、暫定的なしぶしぶの主観確率のうえでですよ。
 1/4増というのは、ハナシの単純化です。私よりもむしろモンテカルロさんの方が頻繁に「1/4増」という言い方を使ってます。
 のみならずモンテカルロさんは、一様分布を客観確率にまで昇格させて、無限級数の括弧付け替え計算の括弧ごとに一様の確率を係数にして発散させてしまったんですからね。
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3123
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3121
 ↑これはTTTさんから見てもムゴいでしょう? どうぞそっちを先に批判してください。

 ちなみに、モンテカルロさんは前回「gは、いかなる確率分布であるかが全く明確な述語定項です。つまり、g(n-1),g(n)は始めから具体的な値が与えられています」と言っていますが、gは主観的に変項だったのであり、その客観的な性質が封筒内を見てパラメータとして判明したと私は言ったのです。
 それに、「始めから具体的な値が与えられています」もおかしい。具体的な値なんかなく、胴元が偶然選んだ結果だけがあって、そこから遡及してgが考えられるということもあるでしょう。
 いずれにせよ、瑣末な議論に脱線することで自らの失敗を揉み消そうとしても無駄です。

 さて、
 「単純な問1」「単純な問2」の答えは、
 TTTさんもモンテカルロさんも5/4ということですね。
 おかめ石さんにはまた別個に議論を展開していただくことにして(おかめ石さんの考えは比率の期待値1ということでしょうか? あるいは以下に私が記すのと同趣旨か)、
 TTT・モンテカルロ説の5/4を採用して、どうなるか見てみましょう。

 プレイヤー1から見てもプレイヤー2から見ても、自分の金額は「相手の5/4倍」であるというふうに、「比の期待値」が見込まれると。
 両者にとってこの期待値が同じ、つまり互いに立場(封筒)を交換してもしなくても「比の期待値」は同じ、という点を確認できれば十分です。

 具体的には、
 プレイヤー1にとって、各試行において、自分は相手の5/4を持っていると期待される。つまり、各試行において、ペア総額の5/9が自分の獲得金額(その試行における)の期待値である。(素直な計算によれば1/2だが、彼我の比の計算によるかぎり5/9であると)
 つまり、 (2^n+2^n+1)×5/9=5・2^n/3 が、各試行におけるプレイヤー1の獲得金額の期待値であり、これは、交換後も変わらない。
 つまり、交換と非交換の差額は、5・2^n/3-5・2^n/3=0

 よって、交換によって、期待値変化はない。損得ナシ。

 比をとって考えましたが、差で考えたときはもちろん直接に損得ナシがわかりますね。

封筒が配られたとき(各自が封筒を取ったとき)、
「プレイヤー1の獲得金額-プレイヤー2の獲得金額」の期待値は、各試行においてゼロである。
 (2a-a)/2+(a-2a)/2=0

 こうして、設定Aでは、差を取っても比をとっても、交換による期待値変化はゼロであるという当たり前のことが確認できます。

 モンテカルロさんもTTTさんも、
 今回の私の問1、問2への答えにおいて、プレイヤー1とプレイヤー2の間の完全な対称性に同意しました。(!当たり前ですが)
 それでもなおかつ、「交換による期待値変化はゼロ」を否定し続けるのでしょう、たぶん。
 だとすれば、以上の私の計算に誤りが指摘できるはずですね。それを改めて伺いたいものです。
 よろしくお願いします。

 今回は設定Aで計算しましたが、
 先述のとおり、AとB1とD1においては封筒の移動パターンが厳密に同一ですから、Aで期待値変化の決着がついていれば、B1、D1も同じことです。
 封筒の移動パターンが、各プレイヤーの獲得金額を一義的に決定するからです。
 封筒の移動パターンが同じであるとプレイヤーが認識できるかぎり、AとB1とD1において交換の期待値変化はまったく同じです。



Re: 金額ペアの選択、封筒の交換
投稿者:おかめ石 投稿日:2011年10月 2日(日)22時57分30秒

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3309 (10月 1日(土)23時06分)
> まず胴元によりひと組みの金額ペアの選択・提示が行われ、次いでプレイヤーによって封筒交換による金額増減がなされる

これは、P(A∩B) = P(A)*P(B | A) という式の展開に反映されて居ます。無限大がP(A)の内部に入ってしまう事で、交換の期待値計算が可能と成ります。
ところが、もしもいわゆる「一般の設定」の様に、交換の在り方を決めた条件のもとで金額ペアを決めて、AをBやB'の従属事象の扱いとした、P(A∩B) = P(B)*P(A | B) や P(A∩B') = P(B')*P(A | B') という式の展開にしますと、途端に、A'∩B や A'∩B' の無限大を直接に取り扱う羽目に陥ります。

ここでついでに記しますと、「手順3」のp(n)は“(a, 2a)ペアの「a→2a交換」の確率”であり、q(n-1)は“(a/2, a)ペアの「a/2←a交換」の確率”という事に成り、
それぞれ A∩B と A'∩B' に属する事象の確率に相当します。
こうして、昨夜記した様に、「開封後(その一)」の「二つのペア」に関する問題点第二が付随して来ます。

※※※※※
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3300 (9月29日(木)07時52分)
> 「(1,2)と(2,1)は必ず同数含む」
> というような厳密な対称性は保たれない

胴元の提示できるのはペア(1,2)までであって、交換の方向性(1→2か2→1か)を決定するのは、いつにかかってプレイヤーにあることは、既に論じておきました。
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3287 (9月27日(火)01時44分)参照。

※※※※※
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3305 (10月 1日(土)01時29分)「単純な問1」「単純な問2」への私の答

▲問1
(プレイヤー1:プレイヤー2)の
交換前の比率が(1:2)の場合→非交換後の比率も(1:2)であり、
交換前の比率が(2:1)の場合→非交換後の比率も(2:1)であるから、

E = (1/2 - 1/2)*g(n) + (2/1 - 2/1)*g(n)
= g(n) * (1/2 - 1/2 + 2/1 - 2/1)
= g(n) * 0
= 0

▲問2
交換前の比率が(1:2)の場合→交換後の比率は(2:1)と成り、
交換前の比率が(2:1)の場合→交換後の比率は(1:2)と成るから、

E = (2/1 - 1/2)*g(n) + (1/2 - 2/1)*g(n)
= g(n) * (2/1 - 1/2 + 1/2 - 2/1)
= g(n) * 0
= 0

非交換・交換どちらも期待値は±0だと考えます。


φさんへ:::封筒の中の金額xが一様ってなんでしょう・・・
投稿者:スターダスト 投稿日:2011年10月 2日(日)16時15分55秒

φさんへご質問させてください。

===
ホストが持つ資産のうち、N = 3M を、自ら主催する2封筒問題の環境設定のためにホストが供与することとし、M を固定する。

ホストは、θを、以下の範囲で一様な分布の中からひとつ選択する。

0 < θ ≦ M

※たとえば、宝くじのナンバーを決める際のように、フェアな円盤をぐるぐる回して矢で射る、というように、一様な分布から選択することは可能であると了解しておく。

ホストは、1枚目の小切手に 額面 θを、2枚目の小切手に額面 2θを記載し、それぞれ別の封筒に入れて封じる。

こうして作った両封筒は互いに見分けがつかないものとする。

ゲストは以下の情報について知らない。
M, θの具体的な値。

ゲストは以下の情報について知っている。
M, θを未知とするものの、それに基づいて封筒がどのようなルールで作成されたかを知っている。すなわち、上記で示した方法。

ここでさらにホストはゲストにゲームのルールの説明をする。
ゲストは両封筒からひとつ、1回目の選択を行い、開封し、小切手の額面 x を知ることができる。ゲストはxの具体的な値を知った上で、2回目の選択が可能である。すわなち、x を知った封筒を交換せずにそのまま選択するか、もしくは、未知の額面 y がはいっているであろう封筒に交換することとなる。
ホストはゲストに対し、2回目に選択した封筒の中身の小切手を与えるという。
以上でルールの説明を終えた。

ここまでで環境の設定が終了。以下、ゲームの始まり。

===

ゲストは、1回目の選択として、2つの封筒のうちひとつを選択し、開封し、額面xを具体的に知った。
ゲストの2回目の選択は、どのように行うべきか?
ただし、ゲストは自分の利益が大きくなるように行動するものとし、その利益は、額面に比例するものとする。(経済学でよく使われるところの効用関数=x)

===

φさんへ 質問させてください。 上記のようにゲームを行うものとします。 1回目の選択で得られる、開封した封筒の中の小切手に書かれている x は、

φさんにとって一様分布なのでしょうか?

そのようには考えられていないこととは存じますが、念のためにお伺いしておきたく存じます。


TTT氏の誤読以前に、φ氏に誤解あり
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月 2日(日)15時23分43秒
> No.3310[元記事へ]

TTTさんへのお返事です。

>>> 「事後分布を一様分布と仮定する」という不自然な仮定をする
>>>(故に不自然な結論が導かれる)点が間違いです。
>>>
>>
>>  ↑典型的な誤読。該当部分の私の原文は↓
> (略)
>>「g(n-1)=g(n)(=事後確率1/2)のとき……」というのは、単なる例です。
>> 1/4というよく出てくる数値の根拠を示すための具体例ですね。
>> 「事後確率1/2であり、したがって」と書いたのなら
>> TTTさんの「「(無知だから)1/2」とするのは駄目」
>> という批判も当てはまりますが、私はそんなことは書いていないのですから。
>> 人の計算を出鱈目呼ばわりするなら、日本語文法を理解してから出直してください。
>
> 本当に私の誤読なんでしょうか。文脈やφさんの他のコメントを見るかぎり
> 私の日本語理解力では、φさんの文章は
> 「B2は、一例では1/4の得になる」と言っているのではなく
> 「B2では1/4の得になる」というようなことを言っているとしか
> 読み取れません。
> φさんと私のどちらが正しいか
>(どちらの日本語能力が乏しいか、どちらが嘘吐きか)
> の判断は他の人に任せますが、

私が読んだ限りでは、そもそもφ氏の計算がおかしいので、論理が辿れません。
したがってTTT氏が
「どうせφ氏は分からないから一様分布だと決め付けてるんだろう」
と解釈したとしても、φ氏が反駁することはできないと考えます。

φ氏は
「b21 交換しない場合
  2^n
 b22 交換する場合
  g(n-1)2^(n-1)+g(n)2^(n+1)
 交換による期待値変化(b22-b21)
 g(n-1)=g(n)(=事後確率1/2)のとき、
 (2^(n-2)+2^n)-2^n=2^(n-2)=2^n/4      1/4の得」
と書いてますが、そもそもb22の計算が間違ってます。

正しくは

 g(n-1)/(g(n-1)+ g(n))*2^(n-1)+g(n)/(g(n-1)+ g(n))*2^(n+1)

です。

いっておきますが

gは、いかなる確率分布であるかが全く明確な述語定項です。
つまり、g(n-1),g(n)は始めから具体的な値が与えられています。
したがって、g(n-1),g(n)をあてがわれた確率変数以外の可能性が消えた時点で、
 事後確率g’(n-1)、g’(n)を
 g’(n-1)=g(n-1)/(g(n-1)+g(n))
 g’(n)=g(n)/(g(n-1)+g(n))
(g’(n-1)+g’(n)=1)
 と計算すればいいだけのことです。

ぶっちゃけていえば、

「φ氏は、ベイズの事後確率の計算法も知らずに、
 ただ勝手なことをわめいてる数痴」

ってことです。


おかめ石、トンデモ街道、驀進中!
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月 2日(日)14時51分5秒
> No.3309[元記事へ]

おかめ石さんへのお返事です。


>「二つのペアを想定することは、
> 胴元が一つのペアしか選ばないことに
> 反している」ということです。


コトコトうるさいw。

上記のおかめ石の発言は
確率を根本から否定している。

例えば
「サイコロの目の可能性を
 6つ想定するのは
 サイコロの目が1つしか
 でないという事実に反する」
といったら、まっとうな人は
「アホか?」
というだろうw。

> 二つのペアに当てはめず、あくまでも開封前と同じく、
> 「一つのペア」という視点で一貫させるべきでした。

ん?
いくつだかワカラン相手の数を勝手にきめつけ
しかも、その数が自分の金額だという可能性まで
想定すると?

まっとうな人は
「●が違ったか?」
というだろうw。


Re: 応答の価値
投稿者:TTT 投稿日:2011年10月 2日(日)01時40分39秒
> No.3306[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> とりわけ、前回私が否定的コメントに応じて説明した設定B2と設定Sの確率分布の違いを、
> TTTさんが了解したのかどうか、返事がないままなので、それ以上話を進められませんでした。

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3209 に対しては
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3243

>>  最もパラドクシカルなB2は、Sに似ているというのがTTTさんの思い込みだったが、
>>  ごらんの通り、B2とSとが一致するのは、h(n)=1、つまりSの確率変数が三つに限られて、
>>  しかもg(n-1)=g(n)である場合に限られる。まさに大違いである。
>
> 意味不明。特に、φさんのいずれの計算の式にも確率変数らしきモノが見当たらないのですが
> 「Sの確率変数が三つに限られて」とは、何を意味するのか全くわかりません。

と書きました。返事がないというのはφさんの誤解で
「Sの確率変数が三つに限られて」とは何か、を説明すれば話はできます。


>> B1の計算では
>> 得られた情報「確認した金額(交換前/非交換)が2^nである」を無視している
>>
>
> B1とはそういう設定としてB2と対照させているのだから仕方ない。
> 判明したパラメータであるべきデータを確率変数として扱い続けてしまうB1の類似物はいくらでもある。
> たとえば『多宇宙と輪廻転生』で論じた終末論法がそうです。
> 「本年(人類のランダムな要素である「私」が今これを考えているランダムな時点)は1974年である、
> したがって、人口効果を考えると……人類は◎◎年くらいに滅びる」という議論に対して、
> 「本年は1974年ではなく、2011年である。
> したがって、人口効果を考えても……人類が滅びるのは△△年くらいである」(△△は◎◎よりもだいぶ後)
> というふうに推論を改訂することができます。そのような改訂を許すならば、
> 「1974年」というデータは、データとして一旦は使われはしたものの、
> 実質的には無視されており、終末論法を考える機会ごとにデータが改訂されていきます。
>  これは、B1的な推論の例です。

それはB1の例にはなっていません。
(終末論法の是非はともかくとして)その例では
「本年は1974年ではなく、2011年である」を加味した改訂後の確率・期待値は、
情報「本年は2011年である」に依存しています。
「本年は西暦x年である」のxに応じて、「人類が滅びるのはy年くらいである」のyが決まる
(関数fを用いてy=f(x)となっている。ただし関数fが単純な式(例えば一つの多項式)であるとは限らない)
というのは、1つの事象を情報とするのではなく、確率変数を情報として捉える
ということで、別に珍しいことではありません。

しかしφさんのB1は、この例に合わせるなら、
(情報「本年は西暦x年である」を加味した人類滅亡年の期待値をE[Y|X=x]とすると)
「本年は西暦2011年である」が明らかになった時の人類滅亡年の期待値を求める計算で、

 「本年は西暦2011年である」が真であるのは偶然であるので、
 情報「本年は西暦2011年である」は無視してよい。

  :
 E[Y|X=1974]に、「私」にとって「本年は西暦1974年である」が真である確率 を掛けた数
 E[Y|X=1975]に、「私」にとって「本年は西暦1975年である」が真である確率 を掛けた数
  :
 E[Y|X=2011]に、「私」にとって「本年は西暦2011年である」が真である確率 を掛けた数
  :
 の総和が、求める期待値である。

となっています。この計算は、
「私」にとって「本年は西暦何年であるか」が未知である時の人類滅亡年の期待値
を意味するかも知れない(し、そうでないかも知れない)ですが、考えるべき
「本年は西暦2011年である」が明らかになった時の人類滅亡年の期待値
を求める計算ではありません。
「本年は西暦2011年である」が明らかになったのに、それを無視した誤りです。


> gは、いかなる確率分布であるかが全く不明の述語変項です。
> つまり、g(n-1),g(n)は始めから具体的な値が与えられていません。
> したがって、g(n-1),g(n)をあてがわれた確率変数以外の可能性が消えた時点で、
> g(n-1)+g(n)=1と判明しただけのことです。g(n-1),g(n)は最初から最後まで同じものを指しています。
> 事前確率の表記と事後確率の表記をあくまで区別せよ、などという瑣末な指令に従う必要は認められません。

これこそφさんが、
各確率・期待値を区別できていないこと、数学の確率論や客観確率,主観確率を理解していないこと、
数学的な部分と非数学的な部分を区別できていないこと、前提と結論,それら繋がり(論理)が理解できていないこと
をよく表した一例であり、根元でもありますね。


「g(n-1),g(n)をあてがわれた確率変数」が意味不明です。
φさんが無視した http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3243 で既に指摘したように、
確率論における確率変数とは、簡単に言えば、全事象上に定義された実数値関数で、
もう少し砕けて言えば、試行(の結果等)を実数に対応させる対応です
(事象の確率や確率分布は、確率変数ではありません)。

例えば「交換前の金額を意味する確率変数X」という類の表現を私は用いていますが
各試行に応じて、「交換前の金額」は(プレイヤーに未知であっても)1つの実数(自然数)に定まるので
各試行に「交換前の金額」を対応させる写像は、確率変数です。
確率論的には、(交換前後の金額の値にだけ着目する場合)
各試行(根元事象)は交換前後の金額の対<x,y>を用いて{<x,y>}と表せるので
関数Xを、各試行(根元事象){<x,y>}に対して X(<x,y>)=xと定義すれば
Xは全事象上で定義された実数値関数なので、Xは確率変数です。

「g(n-1),g(n)をあてがわれた確率変数」が、確率論における確率変数であるならば
全事象は何で、どんな実数値関数なのか定義・説明して下さい。
「g(n-1),g(n)をあてがわれた確率変数」が、確率論における確率変数でないならば
(例えば万一、未知なる確率の値を未知数・変数でおいたものを"確率変数"などと呼んでいるなら)
既存の語を全く別のアドホックな意味で用いるという、悪戯に読者を混乱させる文章を書いたこと
「答えるに値しない」と嘘を書いたことを反省し、訂正して下さい。
確率論的に適切な定義・説明もできず、訂正もしないなら
トンデモと見なす(やっぱりトンデモだったのかと確認する)しかありません。


> TTTさんは、以前にも、御自分で束縛変項の表示を省略した量化式を書いておきながら、
> 私が同じ省略記法を使うと、「束縛変数を省略されると意味がわからない」と苦情を言っていましたね。
> 自分には甘く、人にはやたら入試答案の採点のような基準を当てはめる悪癖はやめていただきたい。
> そういうトリビアルな注文にはいちいち付き合っていられません。
> 議論の本筋が覆い隠され、言葉遣いや表記のあら探しに堕してしまいます。

私は、φさんの主張の本筋に関わると思う部分で、表現が不適な場合や意味がわからない場合
(数学等の定義とは異なり、φさん独自のアドホックな意味で用いられた場合)に、
(私を含む)読者が混乱するのを防ぎ、客観的事実(形式的or論理的真理)を正しく理解する為に
役立つように(生産的に)、指摘したり質問しているだけですよ。
私からすれば、
φさんの方こそ自分には甘く、他の人(特に数学を考慮する意見)に対しては厳しい、
本筋でない話に脱線したり、既に言葉遣いや表記のあら探しに堕しいっているように感じます。
自分の主張というのはは、自分にはよく分かり、他人にも分かり易いつもりでも
実際に他人から見たら分かり難いものですよ。

だからこそ、客観的に説明する為に数学や論理を用いるのは有効ですが
数学や論理の術語をφさん独自の意味で用いる(故にその正しさがφさんの匙加減で決まる)なら、
意味がない(むしろ数学的・論理的に見せかけているぶん悪質)ですね。



> できれば、本筋に関わる
> http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3305
> の末尾、「単純な問1」「単純な問2」に答えていただければ幸いです。

答えるに値しない問ですが、答えられない問でもないし、一応答えましょう。
問1,2で求める期待値
「プレイヤー1の獲得金額÷プレイヤー2の獲得金額」の期待値
は、それぞれE[X/Y],E[Y/X]と表せて
E[X/Y]=E[Y/X]=1.25だから
どちらも1.25が答え。

このことは、私の2011年 9月 6日(火)04時25分21秒投稿
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3151
> ところで、封筒を開ける前の期待値に関して
> 交換する場合の金額の周辺分布と、交換しない場合の金額の周辺分布が等しいならば
> 「交換する場合の金額の期待値」に対する「交換しない場合の金額の期待値」の比率は
> (もし期待値が存在するならば)1ですが
> 交換する場合の金額 に対する 交換しない場合の金額 の比率の期待値
> 交換しない場合の金額 に対する 交換する場合の金額 の比率の期待値
> は必ず存在して、ともに1.25となります。

と既に書いているし(既に書いたことは前回も書きました)

2011年 9月10日(土)23時35分31秒投稿
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3167
> 他方の金額と自分の金額の差の期待値は、(Y-X)の期待値
> 等と表せ、同様にして
(略)
> 自分の額と他方の額の比率Y/X、 他方の額と自分の額の比率X/Y、 自分の金額の効用 log(X)
> のそれぞれの期待値を考えることができます。

> 一般に
> 自分の金額の効用の期待値 と 自分の金額期待値の効用
> 金額の積XYの期待値 と Xの期待値とYの期待値の積
> 等はそれぞれ異なる値になります
等と、多くのヒントも既に与えています。


> ↑これの根拠をもっと詳しく述べていただけますか。

2封筒問題の設定,試行と確率分布,確率変数の対応は、詳しく書いたつもり
(例えばhttp://8044.teacup.com/miurat/bbs/3195)なので、定義通り計算すれば
E[Y/X]=1.25と同様にE[(Y-X)/X]=1/4 も簡単に計算できます。

むしろ、φさんはE[(Y-X)/X]をどう計算するか
φさん自身が「単純な問1」「単純な問2」にどう答えるか、
詳しくわかった方が、簡単に詳しい説明ができるかもしれないので、
そっちを先に答えてもらいたいですね。


>> 「事後分布を一様分布と仮定する」という不自然な仮定をする
>>(故に不自然な結論が導かれる)点が間違いです。
>>
>
>  ↑典型的な誤読。該当部分の私の原文は↓
(略)
>「g(n-1)=g(n)(=事後確率1/2)のとき……」というのは、単なる例です。
> 1/4というよく出てくる数値の根拠を示すための具体例ですね。
> 「事後確率1/2であり、したがって」と書いたのならTTTさんの「「(無知だから)1/2」とするのは駄目」
> という批判も当てはまりますが、私はそんなことは書いていないのですから。
> 人の計算を出鱈目呼ばわりするなら、日本語文法を理解してから出直してください。

本当に私の誤読なんでしょうか。文脈やφさんの他のコメントを見るかぎり
私の日本語理解力では、φさんの文章は「B2は、一例では1/4の得になる」と言っているのではなく
「B2では1/4の得になる」というようなことを言っているとしか読み取れません。
φさんと私のどちらが正しいか(どちらの日本語能力が乏しいか、どちらが嘘吐きか)の判断は
他の人に任せますが、φさんのコメントを2例ほど引用しておきます。

最近だと
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3277
> 表面的にパラドクシカルなのはB2の場合なので、B2でなぜ交換が得になってしまうのか、
> をまず説明する必要があります。
(略)
> ペアの二つの可能性の事前確率を事後確率へと解釈しなおして、
> 交換すると64か256かどちらでありそうかを推測し、特別な事前分布が尤もらしくない限り、
> 交換が得、と判断されますね。
> (とくに、まったく手掛かりがない場合は事後確率分布は一様分布で代用せざるをえず、1/4の得と判断されます)

φさんに誤読だと指摘された私の http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3243 以前だと
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3225/
> 目撃した封筒内金額をデータとして生かす解釈も可能で、それを私はB2と名づけた。
> B2では、封筒内に可能な金額は3通りだけなので、無限級数を使ったシミュレーションは不可能であり、
> 交換による期待値変化は1/4増。


Re: 金額ペアの選択、封筒の交換
投稿者:おかめ石 投稿日:2011年10月 1日(土)23時06分57秒

まずは、前提となる事実の再確認から。

1.金額は、正の有理数。従って可算無限であり、離散型確率変数という事になる。
2.胴元が関与できるのはひと組みの金額ペアの選択・提示まで。少額の方から多額の方に交換されるか、或いはその逆に成るかは、ひとえにプレイヤーの交換にかかっている。(しかし、どちらに成るのかを当人は知らずに)
従って、まず胴元によりひと組みの金額ペアの選択・提示が行われ、次いでプレイヤーによって封筒交換による金額増減がなされる、という様に、二つの事象の間には時間的前後関係がある。

詳しくは、
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3287 (9月27日(火)01時44分)参照。


*******
二つの事象A,B
 A :胴元による(a,2a)ペアの選択
 A’:他のペアの選択  (Aの余事象)
 B :プレイヤーによる少額の方から多額の方への交換
 B’:多額の方から少額の方への交換  (Bの余事象)
に対して、四つの積集合を考える。
◆「場合の数」も付記する。◆

開封前
  │  B │  B’ │
──┼────┼─────┼──
A │ A∩B│ A∩B’│
  │  1 │  1  │2
──┼────┼─────┼──
A’│A’∩B│A’∩B’│
  │  ∞ │  ∞  │∞
──┼────┼─────┼──
  │  ∞ │  ∞  │∞

期待値の計算については、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3301 (9月29日(木)23時44分)参照。


※※※※※※※
開封後(その一)
見た金額(a)から二つのペアの可能性を想定

 A :(a,2a)
 A’:(a/2,a)
  │  B │  B’ │
──┼────┼─────┼──
A │ A∩B│ A∩B’│
  │  1 │  0  │1
──┼────┼─────┼──
A’│A’∩B│A’∩B’│
  │  0 │  1  │1
──┼────┼─────┼──
  │  1 │  1  │2

E = (2a-a)*{P(A)*(1/1)} + (a/2-a)*{P(A')*(1/1)}
= a*P(A) + (-a/2)*P(A')
= a*{P(A) - P(A')/2}
ここで、もし、P(A) = P(A') = 1/2 ならば
= a*{(1/2) - (1/2)/2}
= a*{(1/2) - (1/4)}
= a*{(2-1)/4}
= a/4
となり、交換の期待値は、見た金額aよりも1/4つまり25%の増加ということに成ります。


※※※※※※※
ところが、ここに二つの問題点が指摘できます。

第一は、P(A)とP(A')が等しいかどうかが保証の限りではないことです。
そして第二の決定的な問題点が、「二つのペアを想定することは、胴元が一つのペアしか選ばないことに反している」ということです。

ここは誰もが陥りがちなところだと思います。それで、「見ただけで、交換の期待値が増える」と逆理的に感じられるわけです。
(実は私も、昨夜「その一」を検討していて気づくまで、「二つのペアの可能性がある」という点に、一度も疑いを抱きませんでした。)

二つのペアに当てはめず、あくまでも開封前と同じく、「一つのペア」という視点で一貫させるべきでした。
具体的に明らかになった金額を「少額の方(a)」と捉えるのは「A∩B」、「多額の方(2a)」と捉えるのは「A∩B’」、ということに成ります。


※※※※※※※
開封後(その二)
 A,A’は開封前と同じ内容。

  │  B │  B’ │
──┼────┼─────┼──
A │ A∩B│ A∩B’│
  │  1 │  1  │2
──┼────┼─────┼──
A’│A’∩B│A’∩B’│
  │  0 │  0  │0
──┼────┼─────┼──
  │  1 │  1  │2

P(A)+P(A’)=1
P(A)=1, P(A’)=0

一方の金額が判明して変化したのは、A’の確率がゼロとなり、Aの確率が1となったことです。けれども、それは期待値の算出に大きく影響するものではありません。開封前の式にP(A)=1を代入したものとなります。
E = (2a-a)*{1*(1/2)} + (a-2a)*{1*(1/2)}
= (1/2) * (2a-a+a-2a)
= (1/2) * 0
= 0
増減なし。


Re: 応答の価値
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月 1日(土)09時45分44秒

φさんへのお返事です。

>  たとえば『多宇宙と輪廻転生』で論じた終末論法がそうです。
>「本年(人類のランダムな要素である「私」が今これを考えているランダムな時点)は
>1974年である、したがって、人口効果を考えると……人類は◎◎年くらいに滅びる」
>という議論に対して、
>「本年は1974年ではなく、2011年である。
>したがって、人口効果を考えても……人類が滅びるのは△△年くらいである」
>(△△は◎◎よりもだいぶ後)というふうに推論を改訂することができます。
>そのような改訂を許すならば、「1974年」というデータは、
>データとして一旦は使われはしたものの、実質的には無視されており、
>終末論法を考える機会ごとにデータが改訂されていきます。
>  これは、B1的な推論の例です。

間違っている。

「人口効果を考えても」のところが、具体的に何をやっているのか不明だが
単純に、本年からある一定の年数を足すだけの操作だと考えているのならば
足し算の値が改訂されるだけだろうが、B1はそのような馬鹿げたものではない。

B1は、自分の金額が分かった場合に、金額別にベイズの方法で計算して
その値を足し合わせるだけ。
D1で、ペアがわかった場合に、ペア別にベイズの方法で計算して
その値を足し合わせるのと同じ。

Aの場合に、無意識にD1を想定してベイズを用いてるのが問題。
AはD1とは等しくない。

(B2について)
>  gは、いかなる確率分布であるかが全く不明の述語変項です。
> つまり、g(n-1),g(n)は始めから具体的な値が与えられていません。
>  したがって、g(n-1),g(n)をあてがわれた確率変数以外の
> 可能性が消えた時点で、g(n-1)+g(n)=1と判明しただけのことです。
> g(n-1),g(n)は最初から最後まで同じものを指しています。

φ氏は「確率」という考え方が間違ってると思ってるらしいw。

全ての情報が判明すればあるg(n)だけが1となる。
つまり、φ氏は

「そもそも全ての物事は本当は0(起こらない)か1(起こる)かの
 どちらかに決まっている。1/2とか1/6とかいうのは
 結局のところ方便であり端的に云えば嘘である」

と思ってるらしいw

もっともサイコロの目の確率について

「本当は、どれか1つの目の確率が1に決まっているんだが
 今はそれが分からないから”方便”として1/6にしとく」

なんて考えるのはオカシナ人であって、
マットウな人は単純に1/6と考えるわけだし
仮に1の目が出たからといって
「ああ、今回の試行においては、
 確率分布は1の目が1で、他の目は0だった」
なんてバカなことはいわないw

>  事前確率の表記と事後確率の表記をあくまで区別せよ、
> などという瑣末な指令に従う必要は認められません。
> 読んで意味がわかるのだから。

φ氏が語れば語るほど、その言葉の使い方から
φ氏が確率のもつ不確定性を心の底から嫌っていて
確率をこの世から抹殺したくて仕方がないという
心情が実にハッキリクッキリと見えてしまう。

でも、普通の人からは途方もなく隔絶した考え方。
普通の人は、別に不確定性なんて嫌わない。

TTT氏の文章は、読みにくい気もするが、
いってることは、数学を知ってる人からみれば
特におかしなことはいっていない。


Re: 交換による期待値変化
投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年10月 1日(土)09時08分34秒
> No.3305[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  モンテカルロさんは、とくに論証もなく、否定の繰り返しですか。

φ氏は論証しているつもりだろうが、
残念ながら原理が間違っているので無意味。

>  物理的に全く同じパターンにしかなりえない
> A、B1、D1が完全に同じ期待値変化を
> 示さねばならないことは、自明です。

期待値は物理的存在ではない。
無限回の試行を完了させることは不可能。

>  B1計算(括弧付け替え)とD1計算(ペア内相殺)とで
> 結果が異なるなら、いずれかが間違っているだけのことです。

φ氏は実にナイーブである。
いつぞや、名目種と自然種の区別を滔々と語っておられたが
当のご自身が、名目種の話を、自然種だと誤解している。

存在しない結果について論じている点では、
B1もD1も同程度にナンセンスであるw

しかしながら、級数が収束する場合には、
それなりにもっともらしい結果をもたらす。

残念ながら、級数が収束しない場合には
振る舞いが安定しないというだけのことである。

>  そして、D1計算がAの対称性を完全に保存しているのに対し、

φ氏が対称性に固執するのは勝手だが
それが最も重要な条件だ、とはいえない。

> B1計算なるものは、次の弱点を抱えています。
>
> ■① B1計算により、「交換は比率kの得」という結果が出たとして、
> 実際に2封筒問題を行なってみれば(封筒内金額の出現がランダムという
> 圧倒的多数の状況において)、シーソーゲームになるだけであり、
> 交換に伴いkの得が持続する現象など統計的にまず起こらない
> という経験的反証が示せる。(B1計算は実在に一致しない)

シーソーゲームは対称性の喪失であるから
厳密に0になるというD1計算とも一致しない。

つまりシーソーゲームは
「損得ナシの状況が持続する」
とするD1計算の反証でもある。

> ■② B1設定は、B2設定と異なり、
> データ(実際に見た金額)を尊重せず、
> どんなデータであってもよいとする。
> この態度は、データによる対称性の破れを阻止し、
> ベイズ的な事後確率の計算を不可能にし、
> Aの「かりに定数を設定」した場合と変わらない。
> ベイズ計算は、データが価値を認められる
> B2設定にのみ適用可能である。

φ氏がベイズの考え方を理解しないだけである。

データの任意性は、ベイズの事後確率計算を無意味化するものではない。
それぞれのデータにおいて、ベイズの事後確率計算を実施したうえで
データ毎の足し合わせを行えばよい。それが出来ないという理由はない。

「対称性」に固執する感情論は、ベイズの事後確率計算を
否定する根拠にはなりえない。

> ■③ ペア選択の未知の確率分布が、プレイヤーの獲得金額の期待値を
> かりに発散させると仮定しても、交換による期待値変化(「括弧付け替え計算」
> による)を発散させるかどうかがそもそも明らかでない。
> のみならず、適格な確率分布すべての中で「計算結果がゼロ以外」となる
> 確率分布は測度ゼロである、という可能性すら排除できない。

まったく無意味な言い掛かりである。

交換による期待値変化が意味を持つのは、
プレイヤーの獲得金額の期待値が
収束する場合に限られる。
(正しくは絶対収束だから、このゲームでは
 獲得金額は常に正の値であるから、同じである)

プレイヤーの獲得金額の期待値が発散する場合には
幸運にも2種類の計算法の結果が一致したとしても
その結果が意味をもつとはいえない。

「測度ゼロ」云々については、証明するのは
いいだしっぺのφ氏であって、私ではない。

測度ゼロだという可能性が排除できないというが、
測度ゼロでない、という可能性も排除できない。

そもそも、確率分布全体が為す空間において
適切な測度が定義できるか否かすら明らかではない。

> ■④ かりに交換による期待値変化が発散するとしても、
> その「括弧付け替え計算」が妥当である理由は
>「B2計算をすべての金額に当てはめることができるはず」
>という思い込み以外には求められない。
>その思い込みからB1計算を正当化することは
>「合成の誤謬」にあたり、推論として妥当でない。

「合成の誤謬」は、期待値そのものを否定する。
期待値は、合成そのものだからであるw

D1計算もまた合成である。
「合成の誤謬」は、φ氏の主張の正当性も失わせる。

>  以上、①②③④に見るように、モンテカルロさんの立場は
> 少なくとも四重に正当化を必要としています。
> なのにこれまでのところ、①②③④について、
> モンテカルロさんは絶叫するばかりで
> いっこうに論理的反駁をする意欲をみせていません。

φ氏の立場も①②③④の4点における正当化を必要とする。

まず①についていえばシーソーゲームと「損得ゼロ」の
不一致を説明せねばならない。
一回ごとの損得の額が0に近づくならともかく、
一回ごとの損得の額が増幅するシーソーゲームは
損得ゼロとは全く異なる。

つぎに②についていえばD1計算も
ベイズの事後計算確率によるのであるから
その考え方を完全否定するのであれば、
φ氏も、代わりとなる屁理屈が必要になる。

さらに③についていえば、φ氏は正当性を誤解しているのであり
期待値の議論が正当化されるのは
「いかなる計算方法によっても期待値の計算値が一致する確率分布」
であって、φ氏のいう
「いかなる確率分布によっても期待値の計算値が一致する計算方法」
は、何ら意味を持たない。
また確率分布全体における、期待値が収束する確率分布の割合が
いかほどであるかは、期待値の議論の正当化とは無関係である。

最後に④については、そもそも合成を否定するなら
期待値そのものが否定されるのであるから、
φ氏も、代わりとなる屁理屈が必要になる。

さらに、φ氏は以下の⑤⑥の2点の正当性も必要とする。

⑤φ氏は、「まずペアが決定される」としてペアによる計算に固執するが
この場合、自分の金額が10000円だと分かった場合に、
仮に相手の金額が5000円であるなら、それとは異なる
20000円かも知れないと想定すること自体が誤りであり
また、自分の金額とは明らかに異なる5000円が
自分の金額である可能性を想定することが正しいと
主張することになる。
これは一般人にとっては、●違いじみたものである。

⑥φ氏は、正しい結果は「損得ゼロ」とするが、そもそも損得ゼロが
いついかなる時点で成立するものであるかが全く明らかでない。
実際にシミュレーションすれば、損得の額はゼロには近づかず、
むしろ損得の幅が増幅されて振幅する。

ところで、突然だが、φ氏は以下の質問にどう答えられるか?

「Aがあるエロ本を秘密の棚にかくしておいたところ
 Aの友人がその場所をみつけてしまい。そのエロ本をこっそり拝借した。
 さて、Aはエロ本がどこにあると思ってるか?」

普通の人は、「そりゃ秘密の棚だと思ってるだろ」と即答するが、
自閉症の人に尋ねると、「Aの友人のところ」と答えるらしい。
φ氏のペア云々の主張を聞くと、この話を思い出してしまう。

>  埒があかないので、
>  別の方面から確認させていただきましょう。
>  モンテカルロさんが「期待値」をどう捉えているかはハッキリしていますが、
> 「交換による期待値変化」をどう捉えているのか、
> このままではどうも不明だからです。

不明なのではなく、単に自分の考えと異なるという
事実を認めたくないんでしょうw

>  ▲単純な問1:
>  2封筒問題の設定(ペアの事前確率分布は全く不明、2封筒内の金額の比は1:2)で、見分けのつかない封筒2つが二人のプレイヤーに提示されました。
>  プレイヤー1が左の封筒を、プレイヤー2が右の封筒をとりました。二人とも、中を見ることはできません。
>  ここで、「プレイヤー1の獲得金額÷プレイヤー2の獲得金額」の期待値
>(1と2の獲得金額比の期待値)は、いくらでしょうか。

1.25

>  ▲単純な問2:
> 問1において、いま、プレイヤー1とプレイヤー2が封筒を交換しました。
>  二人とも、中を見ることはできません。
>  ここで、「プレイヤー1の獲得金額÷プレイヤー2の獲得金額」の期待値
>(1と2の獲得金額比の期待値)は、いくらでしょうか。

1.25

上記の結果はφ氏が固執するペア固定の場合にも成り立つw

(1,2)と(2、1)だけだとしよう。

前者なら
問1の期待値は、0.5×(1/2)+0.5×(2/1)=1.25
問2の期待値は、0.5×(2/1)+0.5×(1/2)=1.25

TTT氏が
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3303
で書いているように
E(X)/E(Y)ではなくE(X/Y)
E(Y)/E(X)ではなくE(Y/X)
であるから、そうなる。

ところで、ベイズの計算はE(X/Y)、E(Y/X)のそれとは異なる。


応答の価値
投稿者:φメール 投稿日:2011年10月 1日(土)01時40分26秒
> No.3303[元記事へ]

TTTさんへのお返事です。

TTTさんに答えずにいた理由は、正直のところ、とくに答えるに値しないと感じていたからです。
TTTさんの方も、私が投げたいくつもの質問に答えずにきましたから、お互いそんなものなのだろうと思っていましたし。
 とりわけ、前回私が否定的コメントに応じて説明した設定B2と設定Sの確率分布の違いを、TTTさんが了解したのかどうか、返事がないままなので、それ以上話を進められませんでした。
 今までのTTTさんの指摘なるものが、ことさら答えるに値しないという例を、以下にお示ししましょう。

 まず、

>
> Aの計算では、
> 得られていない情報「金額の組は{2^x, 2^(x+1)}である」を勝手に加味している
>

 意味不明。xは変数なので、「金額の組は{2^x, 2^(x+1)}である」とプレイヤーに知られているとしてもAの無知設定になんら支障はない。2封筒問題未開封バージョンの成立条件の一例を述べているだけである。

>
> B1の計算では
> 得られた情報「確認した金額(交換前/非交換)が2^nである」を無視している
>

 B1とはそういう設定としてB2と対照させているのだから仕方ない。
 判明したパラメータであるべきデータを確率変数として扱い続けてしまうB1の類似物はいくらでもある。
 たとえば『多宇宙と輪廻転生』で論じた終末論法がそうです。「本年(人類のランダムな要素である「私」が今これを考えているランダムな時点)は1974年である、したがって、人口効果を考えると……人類は◎◎年くらいに滅びる」という議論に対して、「本年は1974年ではなく、2011年である。したがって、人口効果を考えても……人類が滅びるのは△△年くらいである」(△△は◎◎よりもだいぶ後)というふうに推論を改訂することができます。そのような改訂を許すならば、「1974年」というデータは、データとして一旦は使われはしたものの、実質的には無視されており、終末論法を考える機会ごとにデータが改訂されていきます。
 これは、B1的な推論の例です。
それでもB1という設定を認めないなら、B2に従ってデータは「今見たその金額」のみに限定し、全試行においてペアは2つだけに限り、無限級数は諦めてもらうしかありません。

>
> B2の計算は、
> 「金額組が{2^(n-1), 2^n},{2^n, 2^(n+1)}以外となる主観確率(事後確率)が0と改訂される」を
> 「g(n-1),g(n)以外のg(x)の値が0となる」と誤解している
>

 gは、いかなる確率分布であるかが全く不明の述語変項です。つまり、g(n-1),g(n)は始めから具体的な値が与えられていません。
 したがって、g(n-1),g(n)をあてがわれた確率変数以外の可能性が消えた時点で、g(n-1)+g(n)=1と判明しただけのことです。g(n-1),g(n)は最初から最後まで同じものを指しています。
 事前確率の表記と事後確率の表記をあくまで区別せよ、などという瑣末な指令に従う必要は認められません。読んで意味がわかるのだから。
 TTTさんは、以前にも、御自分で束縛変項の表示を省略した量化式を書いておきながら、私が同じ省略記法を使うと、「束縛変数を省略されると意味がわからない」と苦情を言っていましたね。自分には甘く、人にはやたら入試答案の採点のような基準を当てはめる悪癖はやめていただきたい。そういうトリビアルな注文にはいちいち付き合っていられません。議論の本筋が覆い隠され、言葉遣いや表記のあら探しに堕してしまいます。
 TTTさんも、これまで「哲学主義」とかわけのわからない語をいくつか使っていますが、そんなことを私はとがめ立てする気はありませんよ。非生産的ですからね。

>
> 「事後分布を一様分布と仮定する」という不自然な仮定をする
>(故に不自然な結論が導かれる)点が間違いです。
>

 ↑典型的な誤読。該当部分の私の原文は↓

>
> ■B2 封筒内金額2^nを「このゲーム」にとって本質的・必然的とする。(見た金額は2^n以外の可能性なし。
> 2^nの必然化により金額間の対称性が破れたので、ペア内には二つの数しかないという「全体的証拠の原理」は、
> ペアに二つの可能性があるというベイズ的推測の必要性により解除される)
>  b21 交換しない場合
>   2^n
>  b22 交換する場合
>   g(n-1)2^(n-1)+g(n)2^(n+1)
>  交換による期待値変化(b22-b21)
> g(n-1)=g(n)(=事後確率1/2)のとき、
> (2^(n-2)+2^n)-2^n=2^(n-2)=2^n/4      1/4の得
>

 「g(n-1)=g(n)(=事後確率1/2)のとき……」というのは、単なる例です。
 1/4というよく出てくる数値の根拠を示すための具体例ですね。
 「事後確率1/2であり、したがって」と書いたのならTTTさんの「「(無知だから)1/2」とするのは駄目」という批判も当てはまりますが、私はそんなことは書いていないのですから。
 人の計算を出鱈目呼ばわりするなら、日本語文法を理解してから出直してください。

 ともあれ、これからも、
 明らかな誤読や曲解に基づいた瑣末なコメントには、いちいちお答えできませんのでご了承ください。そんなにヒマでもないので。
 もちろん、お答えするべき点にはきちんとお答えさせていただくつもりですが。

 で、こちらから瑣末でない質問をさせていただきますが、

>
> 封筒を開けない場合の非交換の金額の期待値E[X],交換の金額の期待値E[Y]
> が存在しなくとも、任意の分布g(n)で
> 封筒を開けない場合の「(交換の金額-非交換の金額)/(非交換の金額)」の期待値
> E[(Y-X)/X]は存在し、E[(Y-X)/X]=1/4 が成立し
> 任意のペアで、ペアごとの「(交換の金額-非交換の金額)/(非交換の金額)」の期待値
> E[(Y-X)/X|N]=1/4 が成立します。
>

 ↑これの根拠をもっと詳しく述べていただけますか。計算でも、日常言語でもよいので。

 それから、
 TTTさんは、これまで幾人かの人がしばしば提示してくれたクイズの類には一切参加していませんでしたが、
 できれば、本筋に関わる
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3305
の末尾、「単純な問1」「単純な問2」に答えていただければ幸いです。


交換による期待値変化
投稿者:φメール 投稿日:2011年10月 1日(土)01時29分3秒
> No.3300[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

以前からここを見ている人に対しては不要ですが、
ここを途中からご覧になっている人のために、ちょっとした注釈を。

 ここでの2封筒問題は、金額の上限、下限がない設定を考えています。(あるとしても、プレイヤーにはその具体的金額がわからないという設定です)
 つまり、金額を見ただけで「交換は損」「交換が得」とわかってしまうような場合がないことを前提しています。

 ときおり、{1,2}{2,4}{4,8}……などと「1が下限」であるかのような書き方が為されますが、実際は ……{1/2,1}{1,2} と下方にも続きます。
 下方に続ける金額設定の方法例については、以前スターダストさんが紹介していたhttp://www.yoshizoe-stat.jp/seminar/sinf1.pdfをご覧ください。

………
さて、
 モンテカルロさんは、とくに論証もなく、否定の繰り返しですか。
 物理的に全く同じパターンにしかなりえないA、B1、D1が完全に同じ期待値変化を示さねばならないことは、自明です。
 B1計算(括弧付け替え)とD1計算(ペア内相殺)とで結果が異なるなら、いずれかが間違っているだけのことです。
 そして、D1計算がAの対称性を完全に保存しているのに対し、B1計算なるものは、次の弱点を抱えています。

■① B1計算により、「交換は比率kの得」という結果が出たとして、実際に2封筒問題を行なってみれば(封筒内金額の出現がランダムという圧倒的多数の状況において)、シーソーゲームになるだけであり、交換に伴いkの得が持続する現象など統計的にまず起こらないという経験的反証が示せる。(B1計算は実在に一致しない)

■② B1設定は、B2設定と異なり、データ(実際に見た金額)を尊重せず、どんなデータであってもよいとする。この態度は、データによる対称性の破れを阻止し、ベイズ的な事後確率の計算を不可能にし、Aの「かりに定数を設定」した場合と変わらない。ベイズ計算は、データが価値を認められるB2設定にのみ適用可能である。

■③ ペア選択の未知の確率分布が、プレイヤーの獲得金額の期待値をかりに発散させると仮定しても、交換による期待値変化(「括弧付け替え計算」による)を発散させるかどうかがそもそも明らかでない。のみならず、適格な確率分布すべての中で「計算結果がゼロ以外」となる確率分布は測度ゼロである、という可能性すら排除できない。

■④ かりに交換による期待値変化が発散するとしても、その「括弧付け替え計算」が妥当である理由は「B2計算をすべての金額に当てはめることができるはず」という思い込み以外には求められない。その思い込みからB1計算を正当化することは「合成の誤謬」にあたり、推論として妥当でない。

 以上、①②③④に見るように、モンテカルロさんの立場は少なくとも四重に正当化を必要としています。なのにこれまでのところ、①②③④について、モンテカルロさんは絶叫するばかりでいっこうに論理的反駁をする意欲をみせていません。

 埒があかないので、
 別の方面から確認させていただきましょう。
 モンテカルロさんが「期待値」をどう捉えているかはハッキリしていますが、「交換による期待値変化」をどう捉えているのか、このままではどうも不明だからです。

 ▲単純な問1:
 2封筒問題の設定(ペアの事前確率分布は全く不明、2封筒内の金額の比は1:2)で、見分けのつかない封筒2つが二人のプレイヤーに提示されました。
 プレイヤー1が左の封筒を、プレイヤー2が右の封筒をとりました。二人とも、中を見ることはできません。
 ここで、「プレイヤー1の獲得金額÷プレイヤー2の獲得金額」の期待値(1と2の獲得金額比の期待値)は、いくらでしょうか。

 ▲単純な問2:
問1において、いま、プレイヤー1とプレイヤー2が封筒を交換しました。
 二人とも、中を見ることはできません。
 ここで、「プレイヤー1の獲得金額÷プレイヤー2の獲得金額」の期待値(1と2の獲得金額比の期待値)は、いくらでしょうか。

 ↑ご面倒ですが、この二つの問いに答えてください。
 よろしくお願いします。


Re: シーゲルのパラドックス
投稿者:φメール 投稿日:2011年10月 1日(土)01時22分7秒
> No.3298[元記事へ]

スターダストさんへのお返事です。

雑事がふたつ片づいたので、シーゲルの論文、読んでみようと思います。

面白そうですね。
経済のハナシには疎いので正確に理解できるかどうかわかりませんが。



φさんの誤謬
投稿者:TTT 投稿日:2011年 9月30日(金)01時39分28秒

老眼で見えないのか、逃げているのか知りませんが
私の2011年 9月21日(水)04時頃の投稿
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3242
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3243
に対するφさんからの返事が未だにないので、繰り返し説明します。
φさんのB1とB2の区別や、A,B1,B2の計算は出鱈目です。

金額の組が{2^x, 2^(x+1)}である確率(頻度、傾向、信念の度合etc.)をg(x)とおく前提の下で
(後々「一方の金額だけ確認する」という状況を考える為には必要な条件)
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3209 のφさん計算の
Aの計算では、
得られていない情報「金額の組は{2^x, 2^(x+1)}である」を勝手に加味している点
B1の計算では
得られた情報「確認した金額(交換前/非交換)が2^nである」を無視している点で
主観確率的に間違いであり、これはφさんが遵守したがっている
全体的証拠の原理:得られた(全ての)情報から、関連のある(全ての)情報を加味すべし
とやらにも反しています。

B2の計算は、
「金額組が{2^(n-1), 2^n},{2^n, 2^(n+1)}以外となる主観確率(事後確率)が0と改訂される」を
「g(n-1),g(n)以外のg(x)の値が0となる」と誤解している点と
「事後分布を一様分布と仮定する」という不自然な仮定をする(故に不自然な結論が導かれる)点が間違いです。
後者に関して、通常のモンティホール問題の設定で、司会が選らんだドアがハズレであるとわかった時に
「自分が選んだドアと(司会が選ばなかった)残りのドア
 のどちらかがアタリだから、どちらがアタリである確率も1/2だ」
と事後分布に一様分布を仮定するのが間違いであることと同等です。

B1とB2の区別(得られた情報が本質的・必然的か、偶然的かの区別)も主観確率的には無意味
(封筒問題の設定ではB1,B2のどちらでも、確率・期待値はそれぞれ同じになる)です。
封筒の選び方を複雑にして、モンティホール問題のような設定を考えれば、
その設定と、単に金額を確認するだけの設定Bとでは
「確認した金額が2^nである」という情報を加味した場合の確率・期待値が異なる
ということもあるかもしれませんが、そのような設定は2封筒問題の趣旨から外れるでしょう。
ちなみにモンティホール問題で、設定によっては、残りのドアがアタリである確率が
2/3となる場合や1/2となる場合がありますが、2/3なのか1/2なのかは
得られた情報「司会が選らんだドアがハズレ」が本質的・必然的なのか、偶然的なのかで決まる
と(もし万一)考えているならば、それは誤解です。


> 「自分が知らないだけで、ペアは決まっているのだ」というのは事実なので仕方がないですね。
> 2封筒問題の設定では、未開封だろうが片方開封後だろうが、
> 「自分が知らないだけで、ペアは決まっている」のです。
> それは客観的事実であり、無視することはできません。

一般に「既に決まっている」という情報を得ても、
その情報だけでは改訂で確率の値が変わることはありません。

サイコロを1回投げる時の各目が出る確率(頻度、傾向、信念の度合etc.)と
サイコロを1回投げた時の各目が出た確率(頻度、傾向、信念の度合etc.)は、
哲学的な意味は異なるかもしれませんが、同じ値です。
「サイコロの出目が決定したか否か」と「サイコロの出る/出た目」は独立な確率変数となります。
独立な事象・確率変数を情報として加味した場合の確率・期待値は、
その否定を加味した場合や、加味する前(加味しない場合)の確率・期待値と同じです。

2封筒問題の設定でも
「封筒の金額の組は決まっているか否か」を表す確率変数と
「交換前(非交換)の金額」「交換後の金額」を表す確率変数(それぞれX,Yとする)
や、その2つに依り決まる確率変数(例えば、「封筒の金額の組は何であるか」を表す確率変数)
とは独立なので
「封筒の金額の組は決まっている」という情報を加味した場合(■設定A)の
交換する場合の期待値、交換しない場合の期待値は
封筒の金額の組は決まっていない(これから封筒に金額を入れる)場合の期待値E[X],E[Y]と同じです。
すなわち、
1・{p(0)} + 2・{q(0)+p(1)} + 4・{q(2)+p(3)} + … + (2^n)・{q(n-1)+p(n)} + …
 φさんの仮定(p(n)=q(n)=g(n)/2かつp(0)=q(0)=0)では
2・{g(1)}/2 + 4・{g(1)+g(2)}/2 + 8・{g(2)+g(3)}/2 + … + (2^n)・{g(n-1)+g(n)}/2 + …
が(絶対)収束する場合はその値がE[X]となり、発散する場合はE[X]は存在しません。


> 求められているのは試行ごとの期待値に関わる④です。
> ペアごと(設定A、B1)、金額ごと(設定B2、C)の区別はありますが、
> ともかく試行ごとの期待値に関わる④が求められているものです。

設定Aで、φさんの計算(http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3209)で
「交換前(非交換)の金額の期待値」a1をペアごとでの期待値E[X|N=n]と
しているのは、φさんが(通常の主観確率の理論,全体的証拠の原理に反して)勝手な条件を加味したからであって
設定Aが、ペアごとでの期待値を計算する設定にはなっていません。

(差であれ何であれ)金額の対<X,Y>により決まる確率変数G=G(X,Y)の期待値に関して
「試行ごとの期待値」は、「ペアごとの期待値E[G|N]」か「金額ごとの期待値E[G|X]」である
ということはありません。一般に確率変数Hを用いることで「Hごとの期待値E[G|H]」を考えることもでき、
設定Aでは、E[G|全事象]=E[G]が(いわば全体の期待値が)「試行ごとの期待値」です。

ペアごとの期待値にそのペアが選ばれる確率を掛け、(全てのペアで)総和をとったものは
「ペアごとの期待値の期待値」となり、E[E[G|N]]と書けます。
一般に、E[G]が存在し、Hごとの期待値E[G|H]が必ず存在するとき
Hごとの期待値の期待値E[E[G|H]]も存在して、E[E[G|H]]=E[G]が成立し、
E[E[G|H]]を意味する級数は、E[G]を意味する級数の括弧を付け替えたものになります。

Gの期待値E[G]が存在しない場合、
「Gの期待値=0である」とか「Gの期待値≠0である」とかいった主張は
間違いであり、「Gの期待値が=0なのか≠0なのか」を考えることは無意味です。



> もともと2封筒問題では、
> 「交換すべきかどうか」「交換が得ではなかろうか」という問いになっており、
> その根拠として期待値計算が用いられているだけです。
> つまり、2封筒問題は、期待値を求める数学の問題ではなく、損得判断(合理性の判断)についての問題です。
> このことは私が前々から言ってきたことです。

損得と期待値の分別ができていないのはφさんの方です。
損得の判断として、期待値が役に立つとは限らないことはφさんも認めたはず。
例えば1回しか試行できないならば期待値よりも、利益がプラスになる/利益がより大きくなる確率
を重視した判断の方が良いと考えても不合理ではないでしょう(試行回数に依存して決めるのは統計的に合理的です)。
また、利益がプラスになる/利益がより大きくなる確率よりも、破産しない確率を重視した方が良い場合も
あるかもしれません。確率や期待値を参考にする場合、
無数にある確率や期待値の中からどれを参考にすべきかを決めなくてはなりません。
これを統一的・一般的(非限定的)に決めるのは困難だと私は思いますよ。

しかし、確率や期待値が損得判断の根拠に成ろうが成るまいが、
損(or 得 or 損得なし)だと判断するのが合理的だろうが否が(合理的だと思おうが否が)、
各確率や期待値は数学の確率論で定義され、計算することができて、客観確率や主観確率の理論により意味付けできます。
交換と非交換の差の期待値の存在/非存在や存在する場合の値は、これらの理論から導かれるので
「交換・非交換で損得は変わらない(と思う)」ことは、交換と非交換の差の期待値が0である根拠にはなりません。
交換と非交換の差の期待値の存在や、存在する場合の正負以外の理由から、
交換・非交換の損得が明らかであると思えるような場合、損得の判断(得だと思うか否か等)は
交換と非交換の差の期待値の存在や、値を求める為の役には立ちません。

φさんはこれが理解できておらず、数学の確率論や主観確率の理論に反する間違った計算をしているので
パラドクスを考える以前の問題だと私は以前から言っています。


ちなみに、期待値の定義から導かれる事実として、任意の確率空間とその確率変数Gで
Gの期待値E[G]が存在することと、Gの絶対値の期待値E[|G|]が存在すること
は同値なので、
プラスもあればマイナスもあるであろう金額差に対して、その絶対値の期待値を考えて
存在/非存在が示せれば、金額差の期待値の存在/非存在も示されます。

2封筒に金額が入っていて
金額の組が必ず{2^x,2^x+100}になる場合や必ず{2^x,2^x}になる場合は
一方の金額の期待値E[X],他方の金額の期待値E[Y]が存在しない時でも
金額差の絶対値|Y-X|はそれぞれ必ず(確率1で)100,0になり、E[|Y-X|]=100,0で存在するので、
金額差の期待値E[Y-X]も存在します。

今考えている2封筒問題では、金額の組が必ず{2^n, 2^(n+1)}で
|Y-X|=2^n であり、その確率がg(n)なので、
E[X],E[Y]が存在しない任意の分布g(n)で
E[|Y-X|]は存在しません。故に、差の期待値E[Y-X]も存在しません。


> 「どの金額に設定しても……交換で得だ」からといって、
> 「どの金額でも交換するというのが得だ」なんてのは、とんでもない論理誤謬ですよ。

「どの金額組であっても、差の期待値は存在して、0である」から
「試行ごとの差の期待値は存在して、0である」を導くのも論理誤謬です。
差の期待値と損得を勝手に直結させて考えるのも誤りで、
そもそも期待値や損得といった語を勝手な意味で用いたり、複数の意味で用いている
のも論理誤謬です。


> Aの無知による対称性が破れていないのです。

交換前の金額Xと交換後の金額Yに関して、ある種の対称性があるからといって
設定Aにおける差の期待値E[Y-X]は対称性が保たれて0になる
等の考えは幻想です。
E[X],E[Y]が存在する場合はE[Y-X]=E[X-Y]=0となりますが
E[X],E[Y]が存在しない場合は、(|Y-X|=c (c:定数)のような関係でない限り)
E[Y-X],E[X-Y]も存在しません。
「E[Y-X]もE[X-Y]も存在しない」という形で対称性は保たれている
と考えることもできるので、
「X,Yに対称性があってもE[Y-X]=0でない」を
「これでは対称性が破れている。対称性が破れていない設定の筈だからオカシイ」と考えるのは間違いです。


ところで
> ④「一試行において、交換しないときに比べ、交換したときにどれほどの獲得金額アップが見込まれるか、
>   金額差(あるいは金額比)の期待値」

だそうですが、差(Y-X)ではなく、比(Y/X)の期待値を考えると
E[X],E[Y]が存在しない場合でも
E[Y/X]は存在しますが、値は1にはなりません
(以前少し言及しましたが、φさんは無視しました)。

封筒を開けない場合の非交換の金額の期待値E[X],交換の金額の期待値E[Y]
が存在しなくとも、任意の分布g(n)で
封筒を開けない場合の「(交換の金額-非交換の金額)/(非交換の金額)」の期待値
E[(Y-X)/X]は存在し、E[(Y-X)/X]=1/4 が成立し
任意のペアで、ペアごとの「(交換の金額-非交換の金額)/(非交換の金額)」の期待値
E[(Y-X)/X|N]=1/4 が成立します。

Re: 金額ペアの選択、封筒の交換 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 9月30日(金)00時12分13秒

> g(1)/2+…+(g(n)*(-2^n)+g(n+1)*2^(n+1))/2+…
すいません。初項の「×2」が落ちてました。

(g(1)/2)2+…+(g(n)*(-2^n)+g(n+1)*2^(n+1))/2+…

ついでに、折角なのでちょっと整えておきます。

   │  B │  B’
 ──┼────┼─────
 A │ A∩B│ A∩B’
 ──┼────┼─────
 A’│A’∩B│A’∩B’



金額ペアの選択、封筒の交換 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 9月29日(木)23時44分26秒

二つの事象A,B
 A :胴元による(a,2a)ペアの選択
 A’:他のペアの選択  (Aの余事象)
 B :プレイヤーによる少額の方から多額の方への交換
 B’:多額の方から少額の方への交換  (Bの余事象)
に対して、四つの積集合を考える。

   │  B │  B’
 ──┼────┼─────
  A│ A∩B│ A∩B’
 ──┼────┼─────
 A’│A’∩B│A’∩B’

確率の乗法公式により
P(A∩B)=P(A)×P(B|A)
P(A∩B’)=P(A)×P(B’|A)

P(A)+P(A’)=1
0<P(A)<1

条件付き確率
P(B|A)=(A∩Bの場合の数)/{(A∩Bの場合の数)+(A∩B’の場合の数)}
 =1/(1+1)=1/2
同様に
P(B’|A)=1/2

以上より、交換の期待値は
E = (2a-a)*{P(A)*(1/2)} + (a-2a)*{P(A)*(1/2)}
= {P(A)/2} * (2a-a+a-2a)
= {P(A)/2} * 0
= 0

******
ここで話は替わります。モンテカルロ氏の(2)式
g(1)/2+…+(g(n)*(-2^n)+g(n+1)*2^(n+1))/2+…
は更に簡単に
g(1)/2+…+g(n)*{-2^(n-1)}+g(n+1)*2^n+…
と出来、また次の様に一般化できますね。

Σ{2^(n-1)*g(n) - 2^(n-1)*g(n)}  n=1,2,3,…

= Σ{2^(n-1)*g(n)} - Σ{2^(n-1)*g(n)}
= 0
と一応、成ります。二つに分けず、{ }の中を先に計算しても同じです。


以上は、新着順121番目から140番目までの記事です。



φ氏の無限理解のナイーブぶりを暴露! 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月29日(木)07時52分31秒

φさんへのお返事です。

> > A :何の情報もない交換
> > B1:自分の金額が明らかな場合の交換
> > D1:ペアの金額が明らかな場合の交換
> >
> > 私の主張
> > B1とD1は等しくない。
> > Aが、B1とD1のどちらに等しいか
> > 決定する根拠は、数学の中にはない。
> >
>
>  確認させてもらいますよ。
> 「B1とD1は等しくない」って、何が等しくないのでしょう?

計算結果。

>  どちらも、必ず封筒を交換するので、
> つまりいかなる金額だと判明しようと(B1)、
> いかなる総額だと判明しようと(D1)
> 交換することに決まっているので、
> Aと同じであるのみならず、
> 互いに同じであることは自明です。
> 封筒の移動が物理的に同じなのですから。

おやおや、決め付けによる感情論の次は
結果から逆算した
結果論
ですか。

しかし、そもそも結果でないものを
結果だと思い込んでる点で
パラノイア
ですね。

いっときますが、
金額が明らかになる場合と
ペアが明らかになる場合では
ベイズの理論にもとづく計算の
括弧のくくり方が変わります。
そして、確率分布によっては
結果が変わります。

結果が変わる場合には、
もともとの金額の期待値が
発散し存在しません。

>封筒の移動がすべて同一である限り、
>プレイヤーがモンテカルロさんのような勘違いをしていない限りは、
>どの戦略でもまったく同じ期待値計算が妥当します。

「計算が妥当する?」日本語としても数学としても間違ってますな。

級数によっては、計算方法の違いで結果が異なります。
これが数学です。φ氏は数学を否定しました。つまり
トンデモ
になりました。

「結果」といわれますが、現実には無限回の試行を実行することはできません。
つまり、実際の結果などというものは存在しません。

いかなる計算でも0に収束する場合には、たしかに0に近づくでしょう。
しかし、そうでない場合にはそのようなことは期待できません。

>A、D1においてハッキリしているように(プレイヤー自身にもわかるように)、A=B1=D1のゲームは、封筒の移動パターンによって為される定義からして、両プレイヤーにとって対称的なゲームなのです。

大嘘
ですな。

ゲームは対称性を破っている。
端的にいえば、対称性を破る行為がゲームである。

任意の回数の試行において、
φ氏がナイーブに期待するような
対称的な金額の配置などというものは
維持されない。

したがって、勝ち負けは0になるとはいえない
勝ち負けの振幅は限りなく大きくなる。

このような状況を損得ゼロというのは間違っている。

>  B1計算がD1計算に道を譲るべきである理由は、
> ひとえに、B1ではゲームの対称性が保存されているからです。
>  「どんな場合にも交換する」わけですから、
> Aの無知による対称性が破れていないのです。

2つの封筒の中にいかなる金額が入るかについては
全く対称性は保たれない。一回ごとに対称性が破壊される。
したがって、何回試行してもφ氏が期待する、例えば
「(1,2)と(2,1)は必ず同数含む」
というような厳密な対称性は保たれないし、
上記の厳密性を有しないなら、φ氏が期待する
「勝ち負け0」という結論にはたどり着かない。

>  思うに、モンテカルロさんの錯覚は次のようにして形成されたのでしょう。
>  解説させていただきます。

下記はそのまま
「私φが数学、とくに無限について、いかなる誤解をしているか
 解説させていただきます」
と解釈できる。

>  B2の計算によれば、特定の金額について、交換による非交換からの期待値変化は、プラスである。
>  そして、B2で封筒内金額をどの金額に設定しても、同じ論法で「交換による期待値変化はプラス」が成り立つはずだ。2について成り立つし、4について成り立つし、……2^nについて成り立ち、nは任意だ。
>  そうやって列挙された任意の金額が登場する場合を網羅すれば、2封筒問題のすべての場合を覆うことができる。つまり、「特定の金額」というのを本当に一つに絞る必要はなく、すべての金額を代わる代わるその金額と見なしていってかまわないのだ。
>  こうして、すべての場合について、交換がプラスの期待値変化をもたらす。よって、2封筒ゲームそのものに対して、どの金額でも交換するという交換戦略により期待値変化が発散する、というB1計算が正しいことになる。
>  しかし他方では、対称性によるペアごとの計算という、期待値変化ゼロを強要するD1計算もあることは否めない。
>  これは矛盾だから(ともに正しいとされるべきB1計算とD1計算が一致しないのだから)、結論、「数学は無力なのだ」。

無限に関しては、余計な性質は一切追加できない。
つまり
(1,2)
(2,1)、(2,4)
(4,2)、(4、8)
・・・
という列挙と、
(1,2)、(2,1)
(2,4)、(4,2)
・・・
という列挙で
「前者と後者は一致しない。
 どちらかが一個余る」
などというような馬鹿げたことはいえないし、
また、等しいとしても、
「後者の列挙が正しく、前者の列挙が間違ってる」
というようなこともいえない。

したがって、列挙の仕方で結果が変わる場合に
「列挙の仕方を制限する」という屁理屈の根拠を
今の数学の中に求めることはできない。

>  笑える結論ですが、あいにく、ウケ狙いでは真実に到達できません。

なぜ笑える?

数学を知らない人に限って、
「数学は完全だ!なんでも回答できる!」
と思い込む悪い癖がある。

もちろん、そんなことはない。
数学もまた人の営みである以上
完全性などはいささかも期待できないし
実際完全ではない。

>  ↑の推論の誤謬は、次の「よって」のステップにあります。
>  「B2で封筒内金額をどの金額に設定しても、同じ論法で「交換による期待値変化はプラス」が成り立つはずだ。……よって、2封筒ゲームそのものに対して、どの金額でも交換するという交換戦略により期待値変化が発散する、というB1計算が正しいことになる。」
>
>  これは、個々のサブシステムにおいて命題Pが成り立てば、サブシステムすべてから成る全体システムについて命題Pが成り立つはずだ、という思い込みに基づいています。
>  しかし、論理的にはそんな保証はないのです。

残念だが、あなたが数学の論理を知らないだけ。

サブシステムがどうこう、とかいうナイーブことをいってるから理解できない。
単に()内の足し算をやってから、それぞれを足してるだけ。
そして、そのような計算を否定するような制約は、数学の中には存在しない。

>  その保証があると考えるのは、「合成の誤謬」と呼ばれます。

保証の有無を考えるのがナイーブ。

ベイズの理論による計算の仕方を実践しているまで。
φ氏は、ベイズの理論を否定したいようだが、
残念ながら、φ氏のナイーブな思い込みだけで
ベイズの理論を否定することはできない。

>  「どの金額に設定しても……交換で得だ」からといって、
> 「どの金額でも交換するというのが得だ」なんてのは、
> とんでもない論理誤謬ですよ。

φ氏は正しく文章を読めないらしい

「得だ」と読むのが誤り。
そう読むから狂う。狂いまくる。

単に
「ベイズの理論に基づく計算では得だという結果が得られる。」
と読むのが正しい。

しかし、同じベイズの理論に基づいても、
明らかになる情報がペアの場合には
異なる結果が得られる。

そして、そのような場合には期待値が発散している。

これはベイズの理論が間違ってるから、と解釈するより
本来期待値が存在する場合に限定されるベイズ理論を
期待値が存在しない場合にも適用したために起きた問題
と解釈するのが適切だ。

それだけの話である。

>  B2は、「特定の金額において交換すればP」とは言っていません。
>  「特定の金額においてのみ交換すればP」と言っているのです。

誤り。

「のみ」は必要ない。

>  B2計算の「のみ」を落としてB1計算に広げてしまってはいけませんね。

存在しない「のみ」をデッチあげてはいかんね。

>  B1計算は、
> 「2においてのみ交換する」「4においてのみ交換する」「8においてのみ交換する」「16においてのみ交換する」……という、
>  互いに矛盾したB2計算をすべて単一のゲーム内で成立させたつもりの、勘違いもいいところのトンデモ計算なのです。

「のみ」はついてないから、矛盾はしない。

φ氏の屁理屈では
「自然数から偶数への一対一対応は存在しない」
ということにもなる。

つまり偶数に対応する自然数を全部除いても
除いた数と同じ数だけ残りがある、という
話になってしまう。

こういう屁理屈は、今の数学では
リッパなトンデモ
である。


モンテカルロ流論理誤謬の丁寧な解説 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月29日(木)06時25分25秒

> No.3296[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

>
> A :何の情報もない交換
> B1:自分の金額が明らかな場合の交換
> D1:ペアの金額が明らかな場合の交換
>
> φ氏の主張
> A=B1=D1
> 計算はD1で行う。
>
> 私の主張
> B1とD1は等しくない。
> Aが、B1とD1のどちらに等しいか
> 決定する根拠は、数学の中にはない。
>

 確認させてもらいますよ。


「B1とD1は等しくない」って、何が等しくないのでしょう?
 どちらも、必ず封筒を交換するので、つまりいかなる金額だと判明しようと(B1)、いかなる総額だと判明しようと(D1)交換することに決まっているので、Aと同じであるのみならず、互いに同じであることは自明です。
 封筒の移動が物理的に同じなのですから。

 たしかに、プレイヤーのアタマの中で起きていることは A≠B1≠D1でしょうね。
 しかしそれは客観的な期待値変化とは関係ありません。封筒の移動がすべて同一である限り、プレイヤーがモンテカルロさんのような勘違いをしていない限りは、どの戦略でもまったく同じ期待値計算が妥当します。

 ゲームは、封筒の移動パターンによって定義されます。

 だから、
 B1の計算を、括弧付け替え計算で行なうべきだというのは幻想なのです。
 括弧付け替え計算は、対称性を破っています。
 しかし、A、D1においてハッキリしているように(プレイヤー自身にもわかるように)、A=B1=D1のゲームは、封筒の移動パターンによって為される定義からして、両プレイヤーにとって対称的なゲームなのです。

 B1計算がD1計算に道を譲るべきである理由は、ひとえに、B1ではゲームの対称性が保存されているからです。
 「どんな場合にも交換する」わけですから、Aの無知による対称性が破れていないのです。

 思うに、モンテカルロさんの錯覚は次のようにして形成されたのでしょう。
 解説させていただきます。

 B2の計算によれば、特定の金額について、交換による非交換からの期待値変化は、プラスである。
 そして、B2で封筒内金額をどの金額に設定しても、同じ論法で「交換による期待値変化はプラス」が成り立つはずだ。2について成り立つし、4について成り立つし、……2^nについて成り立ち、nは任意だ。
 そうやって列挙された任意の金額が登場する場合を網羅すれば、2封筒問題のすべての場合を覆うことができる。つまり、「特定の金額」というのを本当に一つに絞る必要はなく、すべての金額を代わる代わるその金額と見なしていってかまわないのだ。
 こうして、すべての場合について、交換がプラスの期待値変化をもたらす。よって、2封筒ゲームそのものに対して、どの金額でも交換するという交換戦略により期待値変化が発散する、というB1計算が正しいことになる。
 しかし他方では、対称性によるペアごとの計算という、期待値変化ゼロを強要するD1計算もあることは否めない。
 これは矛盾だから(ともに正しいとされるべきB1計算とD1計算が一致しないのだから)、結論、「数学は無力なのだ」。

 笑える結論ですが、あいにく、ウケ狙いでは真実に到達できません。

 ↑の推論の誤謬は、次の「よって」のステップにあります。
 「B2で封筒内金額をどの金額に設定しても、同じ論法で「交換による期待値変化はプラス」が成り立つはずだ。……よって、2封筒ゲームそのものに対して、どの金額でも交換するという交換戦略により期待値変化が発散する、というB1計算が正しいことになる。」

 これは、個々のサブシステムにおいて命題Pが成り立てば、サブシステムすべてから成る全体システムについて命題Pが成り立つはずだ、という思い込みに基づいています。
 しかし、論理的にはそんな保証はないのです。
 その保証があると考えるのは、「合成の誤謬」と呼ばれます。
 「どの金額に設定しても……交換で得だ」からといって、「どの金額でも交換するというのが得だ」なんてのは、とんでもない論理誤謬ですよ。

 x……封筒内に見出す金額
 F……違う封筒内金額と交換する
 G……交換による得を成立させる条件(「x以外では交換しない」という条件)
 P……全体で得になる(交換によるプラスの期待値変化がある)

  ① ∀x(Fx&Gx→P)     ……B2設定で交換が得、の意



 から
  ② ∀xFx→P          ……B1設定で交換が得、の意


    は導けないのです。
 これは当然です。②から「&Gx」が削除されてしまっているのですから。
 B2計算①は、「これこれの金額で交換すると」とだけ言うのではなく、「他の金額では交換しない場合に」と付け加えています。なのに、B1計算②ではその条件を破っているのです。
 B設定で他の金額でもすべて交換してしまったら、Aの対称性が復活してしまうのだから、ダメに決まっています。

 ①から②が導けると錯覚したモンテカルロさんの間違いは、

  ∀x(Fx→P) から  ② が導けるという正しい論理法則に引きずられたものと思われます。

 注意すべきは、
2封筒問題において  ①は真だが  ∀x(Fx→P) は偽だということです。
 B2は、「特定の金額において交換すればP」とは言っていません。
 「特定の金額においてのみ交換すればP」と言っているのです。
 B2計算の「のみ」を落としてB1計算に広げてしまってはいけませんね。

 B1計算は、
「2においてのみ交換する」「4においてのみ交換する」「8においてのみ交換する」「16においてのみ交換する」……という、
 互いに矛盾したB2計算をすべて単一のゲーム内で成立させたつもりの、勘違いもいいところのトンデモ計算なのです。


Re: シーゲルのパラドックス 投稿者:スターダスト 投稿日:2011年 9月28日(水)09時28分27秒

φさんへのお返事です。

> スターダストさんへのお返事です。
>
> シーゲルのパラドクス、面白いですね。
>
>  現在のレートがどうであろうと、(50+200)/2=125の計算をあてにして円でドルを買う、(ドルで円を買う)ということにすると、
>  私の言うB1となり、損得なくなる、ということではないでしょうか。
>
>  B2だったら実際に得をするわけですから、
>  特定のレートのときに限り、ドルを買うことに決めれば、対称性が破れて、得をするのかもしれませんが。
>
>  これはちょっと考えてみます。

===
ご参考までに、火元のシーゲルによる論文はこちらのようです。
https://issues.apache.org/jira/secure/attachment/12417047/siegel.pdf
この論文は多く引用され、さまざまな分析がなされているようです。
===

私見では、さきの例では、円からドルへのレートとドルから円へのレートは互いに逆数の関連にあるので、こちらをよく整理しておかないとパラドキシカルな印象をうけることになるのではと存じます。
円から見たドルの価値が2倍になったり1/2になったりする、ということが、題意のように、一種の一様分布として捉えられると単純化したときに、(つまり1.25倍になるので儲かるネタですが)ドルからみた円の価値は、一様分布にはなりません。 一様分布でなければ、単純な相加平均の操作(つまり、こちらでも1.25倍になるので儲かるという操作)は間違っていることになるのでしょう、おそらく。
互いに逆数関係にある変数の、かたほうの分布を一様としたときに、もうひとかたの分布が一様となっていませんので、期待値を与える計算式は元の鏡像になりません。

===
>  私の言うB1となり、損得なくなる、ということではないでしょうか。

上記に書きましたことを踏まえますと、真の意味でB1になっているかどうか、私にはよくわかりません。





ランダムは対称性を要請しない 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月28日(水)07時31分15秒

「ランダムだから対称だ!」という思い込みで
いかなる性質についても対称性が成り立つとすると
ベルトランの逆理をもたらす。

φ氏がやっているのは、例えばベルトランの逆理において
ある特定の対称性のみを「優先」させるような行為であるが、
その理由づけがいかに身勝手かつ幼稚でツマラナイので
哲学の地盤沈下ぶりを如実にしめす好例と成り果てている。


Re: 現状 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月28日(水)07時23分28秒

φさんへのお返事です。

>  任意の確率分布でゼロ以外にできることは示されていないと思いますが?

その必要はないが。

逆に「任意の確率分布でゼロにできる」というのは無意味だが。

B1とD1の計算が食い違えば、無意味。それだけのこと

>  2封筒問題では事前分布がわかっていないことが本質的なので、
>(期待値を発散させるような)任意の確率分布において、
>金額ごとの事後確率の計算が発散することを示してもらいたい

意味がない。

B1とD1の食い違う場合には、期待値が存在しない、といってるだけ。

幸運にしてB1とD1の計算が一致する場合もあるだろう。
しかし、だからといって、期待値が存在する、とはいえない。
たまたまB1とD1では食い違わないだけかもしれん。

>  B1では、初期金額が異なってもよいのだから、
> 書き換えれば(左を初期金額、右を交換後の金額として)
> 2^n→2^(n+1)の交換と2^(n+1)→2^nの交換が同回数起こるということです。

「同回数起こる」は、数学を知らぬφ氏の勝手な決めつけ。

条件として提示されているのは、同確率であって同回数ではない。

> > >  2^n→2^(n+1)の交換と2^n→2^(n-1)の交換は
> > >同回数ずつ起こるとは限りませんよ。
> >
> > それぞれの項にg(n)がかかっているのが見えないのか?
>
>  応答が支離滅裂ですね。

支離滅裂なのはφ氏。
そもそも「同回数」といってるのが間違いの始まり。
誰もいってないことを自分勝手に要請する
パラノイア
の典型的症状。

> g(n)がかかっているからこそ、必ずしも同回数にならないと言ったのです。

()をつけかえるのに、同回数どころか同確率である必要すらない。
計算を見ろ!みろ!ミロ!

> 回数の異なるものどうしの組み合わせ(括弧括り)は、
> 意味論的に実在的対応物が見つけにくく、不自然だということです。
> 回数が等しいペアごとの括りの自然さに比べて。

φ氏の意味論が間違ってる。
実在的対応物にこじつける意味の理論は
パラノイア
の典型的症状。

φ氏の主張は聞けば聞くほど
「相対論の時間は、ニュートン力学の絶対時間に比べて不自然」
とか
「平行線が2本ある双曲幾何は、平行線が1本のユークリッド幾何に比べて不自然」
とかわめきちらすトンデモと同様の
パラノイア
ぶりを示している。

>  B1ゲームで、最初の1万回をとってみましょう。
>  交換戦略をとる者と、非交換戦略をとる者との間で、
> 獲得金額1/4の差がつく期間なんて、一瞬たりと持続しないでしょう。

差が持続しない、というのは全くの誤り。
差は逆転されるまでは持続する。
いつ逆転されるかはまったく明らかでない。

>  モンテカルロさんは1/4差がどこかで持続すると思うんですか?

そもそも1/4差の状態が定常的だ、とは、私はいっていない。

φ氏が勝手に発言をデッチあげている。まさに
パラノイア
の典型的症状。

おたがいに1/4分儲かるというのがおかしいというのはその通り。
しかし、相手が変われば可能性の想定範囲は変わるのだから意味がない。
可能性の想定範囲が一致する場合、一方が勝つ、という状況では、他方は負ける。
そして、それぞれの範囲内では、確かにそうなっている。

> 金額はランダムな順序で出てきますが、ランダム性は、ある種の対称性なので、

そこが間違っている。

そもそも対称性なんてどこでも要請していない。
φ氏が勝手にそういう強い条件を持ち出してるだけ。

数学ができない奴は、定義されていないことを勝手に前提する。だから間違う。

>  【金額が何であっても】交換するというB1は、対称性が破れているようでいて、
> 実は対称性を保っているのです。D1も同じ。

残念だが、B1が対称性を保っている、という決め付けが間違っている。

>  A=B1=D1 と私の主張をまとめたモンテカルロさんの観察は、的確です。

そして、φ氏のその思い込みが、対称性に固執した
パラノイア
の典型的症状。


Re: シーゲルのパラドックス 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月28日(水)03時01分45秒

スターダストさんへのお返事です。

シーゲルのパラドクス、面白いですね。

 現在のレートがどうであろうと、(50+200)/2=125の計算をあてにして円でドルを買う、(ドルで円を買う)ということにすると、
 私の言うB1となり、損得なくなる、ということではないでしょうか。

 B2だったら実際に得をするわけですから、
 特定のレートのときに限り、ドルを買うことに決めれば、対称性が破れて、得をするのかもしれませんが。

 これはちょっと考えてみます。


Re: 現状 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月28日(水)02時56分44秒

> No.3291[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

>
> 1+(-1+2)+(-2+4)+・・・
>
> が0にならないことは示した。
>

 任意の確率分布でゼロ以外にできることは示されていないと思いますが?

 一様分布や、他の特殊な確率分布では確かに発散しましたが、
 2封筒問題では事前分布がわかっていないことが本質的なので、(期待値を発散させるような)任意の確率分布において、金額ごとの事後確率の計算が発散することを示してもらいたいと前々から言ってるんですけれどね。


そうでないとペアごとの計算と同列の資格を持ちえないだろうと。

>
> そもそも、白、赤の例は、
> 「必ず白が来る」
> ということで、ペアのどちらがくるか
> という不確定要素を否定したから無意味。
>

 計算そのものの正当性を確認するための例示ですから、無意味ではありません。

>
> つまり、φ氏の反例は、皆、なにがしかの不確定要素を否定する
>姑息なものである。
>

 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3244後半で、A設定(未開封バージョン)という紛れもない不確定的例を提示しました。

>
φ> >  括弧付け替え計算の結果の発散を保証するようなgはごく例外だと思われます。
φ> > 発散させる確率分布は、ありうる全確率分布の中で、
φ> > ひょっとして、確率ゼロだったりするんじゃないでしょうか?
>
> 意味不明。
>
> そもそも「全確率分布の中で」というのが無意味。
> すでに「全体金額の期待値が発散する確率分布」といっている。
>

 以前、期待値計算から確率変数が抜けているとタップ君さんに「指摘」されて、「簡単に読みとれることを尋ねるのは間違っています」と言ったのはモンテカルロさん自身。
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3201



全体金額の期待値を発散させるようなありとあらゆる確率分布のうち、交換による期待値変化を意味する括弧付け替え計算の結果が発散することを保証するgはごく例外であり、ひょっとしたら測度ゼロなんてこともあるのではないか、という意味です。

 ↑これについては、御存じの方がいましたら、教えていただけると有難いですが。

>
φ> >  多数回試行では、2^n→2^(n+1)の交換と2^n←2^(n+1)の交換が
φ> > 同回数ずつ起こるのだから、ペア内部で相殺するペアごとの計算が自然です。
>
> 金額が2^nと分かっているのに
> 「自分の金額2^(n+1)を2^nに交換する」
> という場合を想定するのは、
> パラノイアだけである。
>

 B1では、初期金額が異なってもよいのだから、書き換えれば(左を初期金額、右を交換後の金額として)2^n→2^(n+1)の交換と2^(n+1)→2^nの交換が同回数起こるということです。

>
> >  2^n→2^(n+1)の交換と2^n→2^(n-1)の交換は同回数ずつ起こるとは限りませんよ。
>
> それぞれの項にg(n)がかかっているのが見えないのか?
>

 応答が支離滅裂ですね。


g(n)がかかっているからこそ、必ずしも同回数にならないと言ったのです。


回数の異なるものどうしの組み合わせ(括弧括り)は、意味論的に実在的対応物が見つけにくく、不自然だということです。回数が等しいペアごとの括りの自然さに比べて。

>
> もちろん、両者が得をするという展開もないだろう。
> 大抵一方がジャン勝ち、もう一方がジャン負けである。
> そして、その差がどんどんエスカレートする。
> ただし、勝ち負けはしょっちゅうひっくり返る。
> そういう激しく不安定な状況がつづくだけである。
>

 ↑シーソーゲームは、交換戦略と非交換戦略のどちらが究極的に得だとも言えないのだから、交換による期待値変化(非交換戦略を交換戦略に変えたときの変化)はゼロでしょう。
 前にも言いましたが、交換戦略でも非交換戦略でも、シーソーのどちら側を受け持つかなんて予想できないし、そもそも区別がないわけですから。
 交換による損得ゼロというのは以上のようにいちおう理屈が付くとして、
 ではモンテカルロさんにお聞きしますが、モンテカルロさんの言うプラス1/4はいつ、どこに出てくるのですか?(1/4得は一様分布のときの計算でしたが、ここでは便宜的に記号としてその数を使っておきましょう)
 勝ったり負けたりのどこに1/4得が現われるのか?

 B1ゲームで、最初の1万回をとってみましょう。
 交換戦略をとる者と、非交換戦略をとる者との間で、獲得金額1/4の差がつく期間なんて、一瞬たりと持続しないでしょう。
 モンテカルロさんは1/4差がどこかで持続すると思うんですか?

シーソーゲームはまさに、(1-1)+(2-2)+(4-4)・・・の対称性で近似できています。
 1+(-1+2)+(-2+4)+・・・という発散型でないことは確かです。



金額はランダムな順序で出てきますが、ランダム性は、ある種の対称性なので、(1-1)+(2-2)+(4-4)・・・という対称的な式で近似できるのです。1+(-1+2)+(-2+4)+・・・という非対称型ではなく。

 【金額が何であっても】交換するというB1は、対称性が破れているようでいて、実は対称性を保っているのです。D1も同じ。
 A=B1=D1 と私の主張をまとめたモンテカルロさんの観察は、的確です。


Re: シーゲルのパラドックス 投稿者:スターダスト 投稿日:2011年 9月27日(火)16時27分16秒

> No.3292[元記事へ]

> シーゲルのパラドックスというのがあるのですね。
>
> このとき、円の投資家はドルを買うことによって、平均的には利益を期待することができる。50円と200円が同じ可能性で実現すると考えるのなら、その平均は(50+200)/2=125円だからだ。
>

言い方が多少変かもしれませんが、上記同様に「ドルの投資家は円を買うことによって、平均的には利益を期待することができる」
とすると、かなり怪しげなことになってしまいます。


シーゲルのパラドックス 投稿者:スターダスト 投稿日:2011年 9月27日(火)16時23分14秒

シーゲルのパラドックスというのがあるのですね。

以下、 http://d.hatena.ne.jp/equilibrista/20090617/p1 から引用です。
===
外貨への投資には利益が期待できるという、非常に不思議な話。

現在の為替レートが、1ドル=100円であるとしよう。で、来年にドルの価値が半分になってしまう可能性と、円の価値が半分になってしまう可能性は、同じだと考える。

これは、それほど素っ頓狂な想定ではない。なぜなら、どちらかが一方的に危ういと市場参加者が考えているのなら、それは既に現在のレートに反映されているはずだ。

で、つまり今後1ドル=50円になる可能性と、1ドル=200円になる可能性が、同じだと考える。

このとき、円の投資家はドルを買うことによって、平均的には利益を期待することができる。50円と200円が同じ可能性で実現すると考えるのなら、その平均は(50+200)/2=125円だからだ。

===
引用終わり。

帝国版2封筒問題と似ているところが多々あります。


現状 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月27日(火)07時50分41秒

A :何の情報もない交換
B1:自分の金額が明らかな場合の交換
D1:ペアの金額が明らかな場合の交換

φ氏の主張
A=B1=D1
計算はD1で行う。

私の主張
B1とD1は等しくない。
Aが、B1とD1のどちらに等しいか
決定する根拠は、数学の中にはない。


Re: どこが論理? 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月27日(火)07時42分40秒

> No.3289[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  モンテカルロさんの括弧付け替え計算では、
> ゼロ以外になることが全然示せてないんですよ。

肝心な言葉を省略して

をつく詐欺はやめていただきたい。

1+(-1+2)+(-2+4)+・・・

が0にならないことは示した。

> (白、赤)=(2^x,2^(x+1))
>  (白、赤)=(2^x,3×2^x)
>  (白、赤)=(2^x,2^x+100)
>  (白、赤)=(2^x,2^2x)
>  では④の級数が「無意味」になってないし、

そもそも、白、赤の例は、
「必ず白が来る」
ということで、ペアのどちらがくるか
という不確定要素を否定したから無意味。

> (白、赤)=(2^x,2^x)
>  では④の級数が確かにゼロになっている。

そもそも、金額が同一の場合は
「金額に変化がない」
ということで、ペアのどちらがくるかで
金額が変わるという不確定要素を否定したから
無意味。

つまり、φ氏の反例は、皆、なにがしかの不確定要素を否定する
姑息
なものである。

>  本日のおかめ石さんから引用すると
>  「一般に(n,2n)ペアを選択する確率をg(n)とする。
> 無限の選択肢から一つのペアを選択する確率に関して、
> g(1)=g(2)等々が言えないならば、これらを別の値として扱う事とする。」

「別の値として扱う」の意味が不明。
なぜならおかめ石氏は、どう扱うか示せていないからだ。

どうせ何も考えておらず、考える気もなく、
ただ排除したいだけなんだろう。

>  私が以前書いたのでは{2^n,2^(n+1)}の確率をg(n)とする、としましたが。
>  ともかく、人間が選ぶ以上、gというのは、単純な括弧付け替え計算を可能にするような(しかも計算結果を確かに発散させるような)きれいな確率分布ではないでしょう。

自分では計算一つせずに

をつく詐欺はやめていただきたい。

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3181
において、任意の確率分布g(n)について

(g(1)/2)2
+((g(1)+g(2))/2)*(g(1)*(-2)+g(2)*4)/(g(1)+g(2))
+((g(2)+g(3))/2)*(g(2)*(-4)+g(3)*8)/(g(2)+g(3))
+…
+((g(n)+g(n+1))/2)*(g(n)*(-2^n)+g(n+1)*2^(n+1))/(g(n)+g(n+1))
+…

=(g(1)/2)2
+(g(1)*(-2)+g(2)*4)/2
+(g(2)*(-4)+g(3)*8)/2
+…
+(g(n)*(-2^n)+g(n+1)*2^(n+1))/2
+…                      …(2)

が、以下の式の括弧の付け替えとなることを示した。

g(1)((2-2)/2)+g(2)((4-4)/2)+g(3)((8-8)/2)+…+g(n)((2^n-2^n)/2)+…=0 …(1)

φ氏はこの結果を理解せずに否定したことになる。
つまり
トンデモ
になったということだ。

>  括弧付け替え計算の結果の発散を保証するようなgはごく例外だと思われます。
> 発散させる確率分布は、ありうる全確率分布の中で、
> ひょっとして、確率ゼロだったりするんじゃないでしょうか?

意味不明。

そもそも「全確率分布の中で」というのが無意味。
すでに「全体金額の期待値が発散する確率分布」といっている。

私が考えるに、φ氏が思いつくような姑息な例以外には反例があるとは思えない。
つまり、φ氏のいう例外こそ、確率ゼロとなる可能性が高い。

>  ともかく、何遍も言ってますが、
>  モンテカルロさんが「交換を意味する括弧付け替え計算」で一般的に結果を発散させてみせない限り、④の級数は「交換を意味する計算」においては(ペアごとのくくりで各々の確率をかけた項を足し合わせれば)0なので、対立候補となる計算が不在である以上、「交換を意味する計算」の結果は0です。

何遍いっても無駄だ。

特殊な設定で、ある計算が、いかなる確率分布でも0になるからといって
それが級数の値を代表する、とはいえない。
計算方法の違いによって値が違う状況がある限り、期待値は意味を成さない。

>  任意の順序入れ換え計算は不適格です。許されるのは括弧括りをズラすことだけです。任意の入れ換えを含めればゼロ以外にできるでしょうが、交換を意味できる計算でないとダメです。その計算は、ペアごとか金額ごとかいずれかの括りで為されねばなりません。

そもそも、括弧のくくり方の違いは交換によるものではない。

交換は級数の各項を決定するだけである。
括弧は、何が情報として明らかになったかで決まる。
ペアが明らかになった場合と、自分の金額が明らかになった場合で
括弧のくくり方が違うということ。

>  封筒内金額を見た場合は、B1(金額がそのつど変わってもよい場合)であっても、
> 金額ごとの計算でないとダメだとモンテカルロさんは思っているようですが、
> その固執の根拠がさっぱりわかりませんね。

わからないのは、ベイズの理論を理解していないからだろう。
ベイズの理論を理解せずに否定してよいのなら、簡単だ。

>  多数回試行では、2^n→2^(n+1)の交換と2^n←2^(n+1)の交換が
> 同回数ずつ起こるのだから、ペア内部で相殺するペアごとの計算が自然です。

金額が2^nと分かっているのに
「自分の金額2^(n+1)を2^nに交換する」
という場合を想定するのは、
パラノイア
だけである。

>  2^n→2^(n+1)の交換と2^n→2^(n-1)の交換は同回数ずつ起こるとは限りませんよ。

それぞれの項にg(n)がかかっているのが見えないのか?

>  金額ごとの括りでなければならないのは、所与の金額が非対称的であるB2の場合のみ。(Sもそうですが)。そして何遍も言いますがB2では無限級数は現われません。ペア2つだけです。

φ氏、ベイズ理論を全否定

要するに理解もしないし、気に入らないから否定するわけだ。

> > たとえ準拠集団とやらを
> >  {(1,2)、(2,4)、(4,8)……}
> > としたところで、金額が明らかになる場合のベイズの計算法に従うなら
> > やはり1/4の得となる。
> >
> >
> > B1設定とやらであっても、金額を見てしまうのであるから
> > ペア毎にくくることはできない。金額毎にくくるしかない。
> > したがって、φ氏の計算は否定され私の計算のみが認められる。
> >
> > そもそもA設定で、φ氏の計算が正しいとする理由がない。
> >
>
> ↑今さらながらびっくりしました。
>  文字通りに理解すると、モンテカルロさんは、
> A設定(金額を見ないで交換する)、
> B1設定(金額を見るが、いくらであっても交換する)で、
> 交換が1/4の得となるというのですか?

まずB1設定にそって計算する場合、
「交換が1/4の得となる」
と解釈される結果が出るのは確かである。

しかしそれはD1設定(ペアが明らかになる)という設定の計算
「損得なし」
と解釈される結果と相違する。

そしてこの場合「相違する結果が出るから無意味」となる。
つまりA設定では「交換による損得は数学では求まらない」となる。

AがB1とD1のどちらの結果をとるべきか、とは考えない。

>  念を押しておきますが、B1設定とは、現に封筒内に見たその金額の場合だけでなく、どの金額を見たとしても交換するつもりでゲームに臨むという設定です。それで多数試行を考えてみてください。

「どの金額を見ても交換する」といったところで、
「金額毎にくくらなくてよい」とはならない。
多数試行だとしても同様である。

むしろ「先にペアを選んでいる」という思い込みを否定せよ。
そういう思い込みが人間を

にしてしまう。

>  B2(いま見た特定の金額の場合のみ交換。他の場合は交換セズ、またはゲーム不成立)ではなく、AとB1の場合ですよ?

A=B1ではない。B1では金額毎で括弧をくくる。
間違っているのはφ氏。

>  AとB1は無限級数で、B2は二つのペアごとの計算で期待値変化を求めるわけですが、
>  ここは確認させてください。
>  モンテカルロさんは、A設定とB1設定でも、プレイヤーは、交換戦略(常に交換する
戦略)をとると、とらない場合に比べ、1/4の得をするというのですか?

なぜ「A設定とB1設定」といっしょくたにするのか?

AとB1は異なる。

Aの解釈として、B1(金額明示)もあればD1(ペア明示)もある。
そして、B1とD1が異なる結果を出す場合がある。
その場合、Aとして、B1よりもD1を選ぶ理由はない。

これだけのこと。

φ氏は勝手に
「A設定はD1設定だ!。B1設定もD1設定だ!」
と決め付けているが、実際は三者は全く異なる、ということ。

>  (たとえば現実的に、試行を一万回繰り返したと想定してください)
>   それとも、計算上1/4の得となるだけであって、それを「パラドクス」と呼んでいるだけですか?

試行を何万回繰り返そうと、φ氏が期待する
「損得ナシ」
の状況はおそらく実現しない。

もちろん、両者が得をするという展開もないだろう。
大抵一方がジャン勝ち、もう一方がジャン負けである。
そして、その差がどんどんエスカレートする。
ただし、勝ち負けはしょっちゅうひっくり返る。
そういう激しく不安定な状況がつづくだけである。

したがって、B1もD1も現実とは相違しない。

>  上記引用は、Aについては曖昧だが、B1ではハッキリ交換戦略の方が非交換戦略より獲得金額が大きくなる、だからφでなく自分の括弧付け替え計算のみが正しい、と読めるのですが、どうなのでしょう??

私がいっているのは
「ベイズ理論では括弧付け替え計算になる」
ということのみ。
「ベイズ理論が現実的に正しい」
とはいっていない。

しかし
「φ氏の主張が正しい」
とも考えていない。
「現実は、どちらとも異なる」
それが私の見方である。


Re: どこが論理? 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月27日(火)05時28分18秒

> No.3280[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

準拠集団は、
{(64,128)を与えられたプレイヤー、(128,256)を与えられたプレイヤー}
などとなります。(封筒内に128を見たプレイヤーで、B2の場合)
 プレイヤー自身は、自分を2種類の人間の重ね合わせと見なすわけですね。

A、B1だと、プレイヤーは無数の人間の重ね合わせになります。

Sの場合は、
……{128を与えられ、64に変えるプレイヤー、128を与えられ、256に変えるプレイヤー}……となるでしょう。
 左右の……は、128以外の金額の場合も含むという意味です。ここがB2と異なります。

>
φ>  試行ごとに、交換による獲得金額変化は有限値であり確かに存在する
φ>(プラスマイナスゼロの場合も含めて)ので、それ全体の平均が
φ>「無意味」などということは、「①が発散するから無意味、②が発散するから無意味」
φ>ということからは全く導かれない、ということです。
>
> φ氏が示せたのは、④の級数が”ある計算方法”で0になるというだけであって
> ”任意の計算方法で”0になるというものではない。したがって無意味。
>

 またハナシが戻ってますが、
 モンテカルロさんの括弧付け替え計算では、ゼロ以外になることが全然示せてないんですよ。



(白、赤)=(2^x,2^(x+1))
 (白、赤)=(2^x,3×2^x)
 (白、赤)=(2^x,2^x+100)
 (白、赤)=(2^x,2^2x)
 では④の級数が「無意味」になってないし、


(白、赤)=(2^x,2^x)
 では④の級数が確かにゼロになっている。

 本日のおかめ石さんから引用すると
 「一般に(n,2n)ペアを選択する確率をg(n)とする。
無限の選択肢から一つのペアを選択する確率に関して、g(1)=g(2)等々が言えないならば、これらを別の値として扱う事とする。」

 私が以前書いたのでは{2^n,2^(n+1)}の確率をg(n)とする、としましたが。
 ともかく、人間が選ぶ以上、gというのは、単純な括弧付け替え計算を可能にするような(しかも計算結果を確かに発散させるような)きれいな確率分布ではないでしょう。
 括弧付け替え計算の結果の発散を保証するようなgはごく例外だと思われます。発散させる確率分布は、ありうる全確率分布の中で、ひょっとして、確率ゼロだったりするんじゃないでしょうか?

 ともかく、何遍も言ってますが、
 モンテカルロさんが「交換を意味する括弧付け替え計算」で一般的に結果を発散させてみせない限り、④の級数は「交換を意味する計算」においては(ペアごとのくくりで各々の確率をかけた項を足し合わせれば)0なので、対立候補となる計算が不在である以上、「交換を意味する計算」の結果は0です。
 任意の順序入れ換え計算は不適格です。許されるのは括弧括りをズラすことだけです。任意の入れ換えを含めればゼロ以外にできるでしょうが、交換を意味できる計算でないとダメです。その計算は、ペアごとか金額ごとかいずれかの括りで為されねばなりません。

 封筒内金額を見た場合は、B1(金額がそのつど変わってもよい場合)であっても、金額ごとの計算でないとダメだとモンテカルロさんは思っているようですが、その固執の根拠がさっぱりわかりませんね。
 多数回試行では、2^n→2^(n+1)の交換と2^n←2^(n+1)の交換が同回数ずつ起こるのだから、ペア内部で相殺するペアごとの計算が自然です。
 2^n→2^(n+1)の交換と2^n→2^(n-1)の交換は同回数ずつ起こるとは限りませんよ。
 金額ごとの括りでなければならないのは、所与の金額が非対称的であるB2の場合のみ。(Sもそうですが)。そして何遍も言いますがB2では無限級数は現われません。ペア2つだけです。

>
> たとえ準拠集団とやらを
>  {(1,2)、(2,4)、(4,8)……}
> としたところで、金額が明らかになる場合のベイズの計算法に従うなら
> やはり1/4の得となる。
>
>
> B1設定とやらであっても、金額を見てしまうのであるから
> ペア毎にくくることはできない。金額毎にくくるしかない。
> したがって、φ氏の計算は否定され私の計算のみが認められる。
>
> そもそもA設定で、φ氏の計算が正しいとする理由がない。
>

↑今さらながらびっくりしました。
 文字通りに理解すると、モンテカルロさんは、A設定(金額を見ないで交換する)、B1設定(金額を見るが、いくらであっても交換する)で、交換が1/4の得となるというのですか?

 念を押しておきますが、B1設定とは、現に封筒内に見たその金額の場合だけでなく、どの金額を見たとしても交換するつもりでゲームに臨むという設定です。それで多数試行を考えてみてください。

 B2(いま見た特定の金額の場合のみ交換。他の場合は交換セズ、またはゲーム不成立)ではなく、AとB1の場合ですよ?

 AとB1は無限級数で、B2は二つのペアごとの計算で期待値変化を求めるわけですが、
 ここは確認させてください。
 モンテカルロさんは、A設定とB1設定でも、プレイヤーは、交換戦略(常に交換する戦略)をとると、とらない場合に比べ、1/4の得をするというのですか?
 (たとえば現実的に、試行を一万回繰り返したと想定してください)
  それとも、計算上1/4の得となるだけであって、それを「パラドクス」と呼んでいるだけですか?

 上記引用は、Aについては曖昧だが、B1ではハッキリ交換戦略の方が非交換戦略より獲得金額が大きくなる、だからφでなく自分の括弧付け替え計算のみが正しい、と読めるのですが、どうなのでしょう??


Re: Expectation is Zero 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 9月27日(火)01時58分41秒

すいません、訂正です。

> プレイヤーが1→2交換と2→1交換を等確率でまとめられるのとは事情が異なります。

「プレイヤーの1→2交換と2→1交換を等確率でまとめられる」のとは事情が異なります。

> E = …+{(2-1)*p(1) + (1-2)*p(1)}+…+{(4-2)*p(2) + (2-4)*p(2)}+…+{(2n-n)*p(n) + (n-2n)*p(n)}+…
> = …+0*p(1)+…+0*p(2)+…+0*p(n)+…
> = …+0+…+0+…+0+…
> = 0

E = …+{(2-1)*g(1)/2 + (1-2)*g(1)/2}+…+{(4-2)*g(2)/2 + (2-4)*g(2)/2}+…+{(2n-n)*g(n)/2 + (n-2n)*g(n)/2}+…
= …+0*g(1)/2+…+0*g(2)/2+…+0*g(n)/2+…
= …+0+…+0+…+0+…
= 0



Re: Expectation is Zero 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 9月27日(火)01時44分10秒

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3273

胴元が(1,2)ペアを<左1,右2>と置こうが<左2,右1>と置こうが、配置は関係ないんですね。
 1→2と2←1は同じ事象、
 1←2と2→1も同じ事象。
つまり、1→2と成るか2→1と成るかは胴元は関与できない事、いつにプレイヤーの交換にかかって居ます。
従って、(当然ですけど)◆先に少額の方を取るか多額の方を取るかは、実は胴元の選択段階では決定されて居ない◆、と言えます。
「まず胴元のペア選択が有って決定したペアの提示が行われ、そのペアに基づいてプレイヤーの交換が行われる」という順序は崩れませんね。

*****
(TTTさんの「一般の設定」の「手順3」で扱われる様な)一方の金額が明らかで他方に2つの可能性の考えられる場合の事例、例えば◆(2,_)の例◆を私流に解釈すればこう成ります。

↓胴元が選択   ↓プレイヤーが交換

├(1,2)───┬1→2
: 確率g(1) └2→1 確率1/2

├(2,4)───┬2→4 確率1/2
: 確率g(2) └4→2

├(n,2n)──┬n→2n
: 確率g(n) └2n→n


胴元が(1,2)ペアを選択する確率をg(1)、(2,4)ペアを選択する確率をg(2)、一般に(n,2n)ペアを選択する確率をg(n)とする。
無限の選択肢から一つのペアを選択する確率に関して、g(1)=g(2)等々が言えないならば、これらを別の値として扱う事とする。

これに対して、選択肢2つに限定される1→2交換と2→1交換をプレイヤーが選び取る確率等々は等しい、と見なす。ラプラスの等可能性の原理、或いはケインズの無差別の原理に依り、2つの選択肢は等確率と。

依って、胴元が(1,2)ペアを選択し、更にプレイヤーが◆2→1交換◆をする確率をg(1)/2とし、
胴元が(2,4)ペアを選択し、更にプレイヤーが◆2→4交換◆をする確率をg(2)/2とする。
g(1)とg(2)の部分で、これらは異なった確率と成り、プレイヤーが1→2交換と2→1交換を等確率でまとめられるのとは事情が異なります。

*****
以上の事から、交換による損得の平均値は◆確率の異なるペア毎に小計されて◆ゼロと成り、総和もゼロと成る。

E = …+{(2-1)*p(1) + (1-2)*p(1)}+…+{(4-2)*p(2) + (2-4)*p(2)}+…+{(2n-n)*p(n) + (n-2n)*p(n)}+…
= …+0*p(1)+…+0*p(2)+…+0*p(n)+…
= …+0+…+0+…+0+…
= 0

*****
ところで、ここからは現在、私の検討して居る事に触れてみたいと思います。
それは、2封筒問題は「結合確率変数」なのではないか、と言う事です。
~参照URL:http://ocw.tsukuba.ac.jp/25a0ii-2-56fd969b7dcf54085b66985e/7d718a0879d15b66-1/8b1b7fa93-2

「胴元の選択」が1つ目の確率変数、「プレイヤーの交換」が2つ目の確率変数。
これはみなさんも「g(1)/2」等と言う書き方を用いて居られたと思いますけど、その時、何気なくこの考え方をして居たのではないかと思われます。つまり、胴元の無限の選択肢からの(1,2)ペア選択の確率はg(1)であり、プレイヤーの1→2又は1←2交換がそれぞれ1/2の確率であると。

*****
それから、2^(n-1), 2^n, 2^(n+1)等の「偶数(と1)」だけでなく、「Nの本当にとり得る値」について考えた事をここで書いておきますね。

胴元が(N,2N)ペアを先ず選択する。この時、Nに成るのは正の有理数とします。√2等の無理数はお金にするのが困難ですからね。有理数にすると、循環小数の処理の問題が生じますけど、例えば1/3などの処理は、「日割り計算で初日に全額支払う」とすれば解決されます。ですので、Nのとり得る値(変域)は正の有理数とします。
有理数と言う事にすると、これは高々可算(at most countable)無限個ですので、連続確率の扱いでなく、離散型の確率変数の扱いに成ります。

プレイヤーの交換は勿論、離散型です。
そういう訳で、2つとも離散型から成る結合確率変数であると言う事に成ります。

~ちなみに以前から気に成って居た事で、一様分布と言う呼び方は一応、連続型の分布の1タイプに固有の名称として用いる約束の様ですので、離散型の「一様な」分布に対しても使うと混乱を招くのでは、と思って居りました。無理数も変域として許されなら連続型の一様分布と言うのも有りかなと言う事で今まで触れませんでしたけど、無理数が排除されると成ると、この呼び名にも問題が有るだろうと。~



Re: 美添論文について 投稿者:スターダスト 投稿日:2011年 9月26日(月)14時28分43秒

> No.3285[元記事へ]

スターダストさんへのお返事です。

以下、たわごとでした。お捨て置きくださいませ、もうしわけありませんでした。

> モンテカルロさんへのお返事です。
> ===
> 以上とは別に、
> 美添論文の最後にMが出てくる分布があるのですが、
>
> 3M = N とおきますと、
>
> fn(x) = 1/N ( 0<x<N )
> fn(x) = 0 ( N≦x<無限 )
>
> は積分値が 1 となりますね。
> こうしたfnについて考えておいて、あとで n → 無限 としてしまう考え方を今、してみようと思っております。通常の関数の意味では収束しませんが。リーマンさんが泣いてしまいますし。
> でも、あわよくばφさんのお眼鏡にかなうかもしれません。
>



Re: 美添論文について 投稿者:スターダスト 投稿日:2011年 9月26日(月)14時03分50秒

> No.3257[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。
>
> ちなみに、論文にもあるとおり、
> 連続分布で上記の条件つき確率が1/2になるような分布は、
> 金額xに対して反比例するようなものとなるが、
> 一様分布にしても、金額xに反比例する分布にしても
> 0<x<∞全体における積分値が1となるようには
> できない「散漫な分布」である。
>

ご趣旨を昨晩理解いたしました。 頭悪すぎですね>私

===
以上とは別に、
美添論文の最後にMが出てくる分布があるのですが、

3M = N とおきますと、

fn(x) = 1/N ( 0<x<N )
fn(x) = 0 ( N≦x<無限 )

は積分値が 1 となりますね。
こうしたfnについて考えておいて、あとで n → 無限 としてしまう考え方を今、してみようと思っております。通常の関数の意味では収束しませんが。リーマンさんが泣いてしまいますし。
でも、あわよくばφさんのお眼鏡にかなうかもしれません。




Re: 幕間 投稿者:スターダスト 投稿日:2011年 9月26日(月)12時46分26秒

> No.3278[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> スターダストさんへのお返事です。
>  ただ、2封筒問題のような「ランダムな選択」は、
>  「人間の手では書けない莫大な未知の上限」までの間の一様分布(あるいはほぼ一様な分布)とするのが、私としてはいちばん納得いくのですが。

何回か同論文を読み直してみたのですが、φさんのおっしゃられるところの「納得する」であろう解決策のひとつは
同論文中の(10)式を「人間の手では書けない莫大な未知の上限」までの間の一様分布に適用した、(11)式で与えられることと思います。
あるいは、6ページの末尾からの展開のほうも、参考になろうかと存じます。
いかがでしょうか。


Re: 幕間 投稿者:スターダスト 投稿日:2011年 9月26日(月)10時15分5秒

φさんへのお返事です。

>  効用関数をu = x 以外にしてしまうと、やはり2封筒問題は趣旨を失うように思います。

同意いたします。また、効用関数をu = x 以外にしたときにどうなってしまうのか、こちらについても知っておくと別の趣旨で面白かろう、とも感じております。(後述・余談)

私が、さきにご案内させて頂いた論文の後半部分では、【効用関数をu = xに固定】した上で、さまざまな分析を行っておりますので、むしろそちらのほうが、面白いと考えておりますが、いかがでしょうか?

■確率に関するパラドックス(その1)
http://www.yoshizoe-stat.jp/seminar/sinf1.pdf

上記論文の (7)式、およびに、ひきつづき定理2が登場するまでの、わずかな記述、こちらが、φさんのお考えになっている2封筒問題に肉薄しているはず、そのように考えております。


>  ただ、2封筒問題のような「ランダムな選択」は、
>  「人間の手では書けない莫大な未知の上限」までの間の一様分布(あるいはほぼ一様な分布)とするのが、私としてはいちばん納得いくのですが。

私が思うに、(8)式や(9)式の周辺にある「散漫な分布」が、φさんのお考えになっている事前分布に近いのではないかと存じます。論文中では、形式的に一様な分布をつっこんでいますね。


===

>  だから、(サンクトペテルブルクパラドクスでは期待値が本当に発散するのに対し)特定の有限値を提示しないことにはゲームが始まらない2封筒問題ではそもそも期待値は発散していない、というのが本当は正しいように思います。

ご趣旨を理解できるほどには、勉強が進んでおりません、申し訳ありません。 なにか気がつきましたらご相談させていただきたく、お願い申し上げます。

以上です。よろしくお願いいたします。

===
後述(余談)
1)効用関数をu = x以外、特に対数関数をもってきる特殊なケース
2)効用関数をu = x と固定し、θの事前分布をしかるべくとると封筒の交換に意味がなくなり、その際には計算式に対数が顔を出す
このふたつの関連性が個人的にとても気になりました。




Re: スターダスト氏へ 2 投稿者:スターダスト 投稿日:2011年 9月26日(月)09時51分27秒

モンテカルロさんへのお返事です。

> スターダストさんへのお返事です。
>
> > 何もかも知っている客観視点ではイッケンオカシクみえるけれども、
> > 封筒を開けた立場での主観では、交換するのが正しい、
> > このことをパラドックスと言うのであればおっしゃるとおりです。
>
> それではパラドックスの説明になっていない。
>
> >しかし客観的立場での確率計算と主観的立場での確率計算はおのずと異なりますから、
> >えられる結果が異なるのはいたしかたがなく、
> >それをパラドクスと呼ばない立場もあろうかと存じます。
>
> 客観、主観という言葉は無意味だから忘れてよい。
>
> 要はペアで考えるか、一方の側の金額で考えるかの違い。
>
> どちらで考えようが結果は一つになるはずだと考える。
> しかし、計算結果は両者で異なる。
> だから、パラドックスなのである。

本当に恐縮で、心底からお詫び申し上げなくてはいけません。 私の書いたものとモンテカルロさんからのお答えとが、私にとって噛み合っていません。 原因は、私のつたない文面にあろうかと存じます。

・『計算結果は両者で異なる。』、ここが面白いところ、と感じております。

> 客観、主観という言葉は無意味だから忘れてよい。

私はφさんからご紹介頂いた「眠り姫問題」を最初に見たときに、「客観、主観という言葉は無意味」という認識でおりました。 「さぁあなたは目覚めた、場合Aである確率は?」とインタビューされたときに、即座に、フェアなコインで場合Aと場合Bに私が投入されているのだから、「確率は1/2」と考えました。 私が言う客観は、この立場です。その後、簡単なスクリプトでプログラミングし、実際に、「さぁあなたは目覚めた、場合Aである確率は?」をモンテカルロ法で求めたところ、どうやら「確率は1/3」になっていることを見出し、たいそう驚いたものです。ここで、φさんがおっしゃられるところの主観的確率の意味合いをようやく理解したのでした。
私の脳の血の巡りが悪いことこの上ないことです、お恥ずかしい。
「さぁあなたは目覚めた」という、なにやら情報を与えられた環境=主観 にとって、確率の推定を改定しなければならない、この意味で主観的確率と呼ばせていただいております。

ひとつの系、(あえて客観と呼びます)に、二人の観測者をつっこんでおいて、その二人にはおのおの、別な情報を与える、すると、3通りの確率計算が行われる場合 *も* あろう、すると、ひとつの「いわば」客観的確率、ひとつの「いわば」人間甲にとっての主観的確率
、ひとつの「いわば」人間乙にとっての主観的確率、がベイズ推定にて計算されることはあるでしょう。

ならば「私に与えられた情報を用いた」ベイズ推定による確率と言えばいいのですが、主観確率という言葉を気に入っています。


===

ス> > 何もかも知っている客観視点ではイッケンオカシクみえるけれども、
ス> > 封筒を開けた立場での主観では、交換するのが正しい、
ス> > このことをパラドックスと言うのであればおっしゃるとおりです。

帝国版二封筒問題において、皇帝はすべての情報を知っているわけですから、いわば、客観視点です。 皇帝は、封筒1と封筒2のどちらの封筒に価値が高い小切手がはいっているのか知っています。価値の高いほうを封筒2とします。 皇帝の視点からは、甲乙二名が、ともに封筒2を選択したときに、ふたりの行動が合理的と感じるのかもしれません。
ところが、甲の選んだ封筒は、自分に当初与えられた封筒とは異なる封筒であった、そして、乙についても同様であった、これは、甲の主観的確率、と乙の主観的確率とが異なっているせいであって、モンテカルロさんがおっしゃる、『計算結果は両者で異なる。』ということになっています。

※皇帝がそのことを面白がりパラドックスと感じるのはそれはそれで当を得ていますし、そうでなければつまりません。 ですが、甲乙ともに相手の封筒のほうが価値が高いようにみえたとしても、それは、パラドックスではなかろう、甲乙ともに合理的な判断をしたのだろう、とも言えるのではないかと存じます。


Re: スターダスト氏へ 投稿者:スターダスト 投稿日:2011年 9月26日(月)09時18分7秒

> No.3274[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

> スターダストさんへのお返事です。
>
>
>
> > > スターダスト氏はわざわざ
> > > 「効用関数として u(x) = x を採ったとき」
> > > と書いているが、このことは特に重要でわけではない。
> > >
> >
> > では、u(x) = x が個人的に興味深かった理由を書かせていただきます。
> >
> > 論文の後半部分で効用関数として、u(x) = x を採って分析していることになります。
> > ここが私にはすこぶる面白いところでして。
> > というのは、この掲示板において、2封筒問題を考えている際に、
> > 暗黙下に効用関数として、u(x) = x を採っているからです。
> > このことが、u(x) = x が個人的に興味深かった理由のひとつです。
>
> そもそもスターダスト氏が効用関数を知らなかっただけだろう。

??確かに、効用関数を存じ上げませんでした。 私がこの掲示板での2封筒問題の論議を精査できていなかったせいで、失礼をしたかもしれません。* 個人的に * 興味深いのです。
【論文の後半部分で効用関数として、u(x) = x を採って分析している】と私は理解していますが、そうであるがゆえ、【論文の後半部分】における分析は、私にとって、この掲示板での論議を理解するための、大きな材料となっています。

>
> さて
>
> > 同論文では、【u(x) = x の効用関数を前提にした上で】、
> > θ円 と 2θ円の θの事前分布について論じています。
> >特殊なθの分布をいくつか考えているわけですが、
> >私が思うに、かなり一般的かつ汎用的な「期待値計算の公式」を導出しており、
> >しかも、それが、私が思っていたような、
> > 1/2*(θ/2+2θ)
> > とは 【違っていた】、ここにすこぶる興味があるわけです。
> >u(x) = x が個人的に興味深かった理由がここにもあります。
>
> 論文中の論理が全く辿れてない。
>
> 期待値計算の公式が
> 1/2*(θ/2+2θ)
> でない理由は、u(x) = xとは無関係。
> 連続関数を用いたからそうなった。

【論文の後半部分】における分析は、私にとって、この掲示板での(u(x) = x)な論議を理解するための、大きな材料となっています。元の二封筒問題を分析する際には、(u(x) = x)のもとでの、一般論において、1/2*(θ/2+2θ) では追跡しきれない部分があるのだ、 そのような理解でございます。θについての事前分布が与えられていない場合にですが。

どうも難しいのですが、φさんが、1/2*(θ/2+2θ) をどのように調理しているのか、まだまだよくわかっていない私なのです。

この掲示板において、2封筒問題を考えている際、1/2*(θ/2+2θ) に相当する文脈がかなりみうけられるような印象なのですけれども、私は掲示板全体をもっとよく読まなくてはいけません。

ご教示をありがとうございました。


Re: どこが論理? 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月26日(月)07時21分2秒

> No.3277[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  B2設定の解決には、事前確率分布に沿った級数が無限だろうが有限だろうが関係ない

B2ならね。しかしその場合、パラドックスにはならない。

なぜならB2(金額明示)とD2(ペア総額明示)では
準拠集団とやらが違うのだから、同じだとして
値が違うからパラドックスだということはできない。

B2の場合、明らかになった金額が2なら
{(2,1)、(2,4)}
D2の場合、明らかになった総額が3なら
{(1,2)、(2,1)}

明らかに違うゲームである。

しかし、B1とD1ならパラドックスになる。
そしてAの計算をB1でやるかD1でやるかは
明らかでない。そういうことだ。


Re: どこが論理? 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月26日(月)07時14分39秒

φさんへのお返事です。

> > φ氏のいう、③と④の違いは
> > 「金額が明らかになる前から考えるか、
> >  金額が明らかになった後から考えるか」
> > と思われるが、
>
>  そうではありません。
>
>  ③は、単に期待値でないもの(無限大)どうしの引き算のこと。
> ①-②=不定ということ。
>  ④は、一試行あたりの交換による期待値変化を全体にわたって平均したもの。
> 封筒内金額を見た場合も見ない場合もともに含める。

「全体にわたって平均」するのであれば、級数を用いることになるぞ。

> > 交換しようとしまいと、期待値が存在しないのだから、
> > 差をとりようがない。
>
> というモンテカルロさんの言はナンセンスでしょう、ということでした。
>  ①-②=不定 というようなアホな意味にしか理解できない、と。
> それを③と呼びました。

残念だが、上記の意味での④も、①、②が存在しない場合には、存在しない。

>  試行ごとに、交換による獲得金額変化は有限値であり確かに存在する(プラスマイナスゼロの場合も含めて)ので、それ全体の平均が「無意味」などということは、「①が発散するから無意味、②が発散するから無意味」ということからは全く導かれない、ということです。

φ氏が示せたのは、④の級数が”ある計算方法”で0になるというだけであって
”任意の計算方法で”0になるというものではない。したがって無意味。

>  (なお、「期待値が無意味」などと言うより、チャルマーズ論文のように「期待値が無限大」という言い方をした方がよいと思われます)

チャーマーズは「期待値が∞」なら「期待値は無意味」だと知ってるさ。
数学を学んでいたんだから。

>  無限-無限 は計算できず「差をとることができない」なんてツマランことを言うのはただの逃げの表明で、2封筒問題とは何の関係もない、と私は言ったわけです。

無限-無限という理解は粗雑。
実際には④の数列が絶対収束しない点が重要。

>  まあ、そんな逃げを責め立てても2封筒問題の考察には役立たないので、こだわるのはやめにしますけどね。
>モンテカルロさんが黙って反省してくれればすむことなので。

数学的に正しい主張のどこに罪がある、なぜ反省する必要がある。

数学のスの字も学ばず、せっかく買ったテキストもロクによまずに
あいかわらず初歩的な間違いを吠え続けるφ氏こそ、その不誠実ぶり
怠慢ぶりを反省すべきである。

ところでφ氏の準拠集団の説明は、
ぐだぐだ文章が続くだけで全然理解できない。

なぜ各場合について例を示さない。示せないのか?

たとえば

>  (1,2)(2,4)(4,8)……の可能性から
> 128 が封筒内に見出されたとすると、
>  (64,128)(128,256)だけが可能性として残り、
> 無限級数の上下部分は切り捨てられます。

この場合、準拠集団は
{(64,128)、(128,256)}
か?

>  ペアの二つの可能性の事前確率を事後確率へと解釈しなおして、交換すると64か256かどちらでありそうかを推測し、特別な事前分布が尤もらしくない限り、交換が得、と判断されますね。(とくに、まったく手掛かりがない場合は事後確率分布は一様分布で代用せざるをえず、1/4の得と判断されます)
>  その計算は期待値計算によって為されるので、2封筒問題は数学の範囲内に収まります。
> モンテカルロさんの言う「数学が無力」となるのは、ここまでではなく、この次の核心段階においてでしょう。
> つまり『論理パラドクシカ』でも未決っぽい書き方で暗示しておいた
> 「準拠集団をB1設定とすべきか、B2設定とすべきか」
> という問いにおいてです。

なぜ、例を示さない。

なぜ、
「準拠集団を
 {(1,2)、(2,4)、(4,8)……}
 とすべきか、それとも
 {(64,128)、(128,256)}
 とすべきか」
と書かない?

その上で・・・

たとえ準拠集団とやらを
 {(1,2)、(2,4)、(4,8)……}
としたところで、金額が明らかになる場合のベイズの計算法に従うなら
やはり1/4の得となる。

つまり、計算法によって異なるという結果になるのだ。

「いかなる計算法によっても同じ額がでる筈だ」
というナイーブな前提を置くなら、これはパラドックスだ。

しかし、無限級数の計算においてはもはやそのような
ナイーブな前提が成立しない。したがって、パラドックスではない。

>  「無限級数には期待値がないから」などという理由で
>「数学は無力」と言うのは気が早すぎると思われます。

早すぎない。理由は以下に述べる。

>  数学が無力なのは、
>「準拠集団をB1設定とすべきか、B2設定とすべきか」
>という本番段階においてです。

否。
計算法を、φ氏のいうペア毎のくくりに制限するか
それとも、私のいう金額毎のくくりも容認するか
の決定において、数学は無力なのだ。

>  (以前述べたようにB2の方が自然ではあるが、たとえば金額が見間違いだったときに新たに判明した金額へと修正してゲーム成立には影響ナシ、とする用意があるなら(これも自然だが)、B1設定で考えていることになります。ちょうど、未開封設定Aで、「自分の封筒内金額としてかりに定数をあてがってみた」場合と大差ありません。B2では、いったん判明したと思われた金額が変えられたらもうゲームは成り立ちません)

B1設定とやらであっても、金額を見てしまうのであるから
ペア毎にくくることはできない。金額毎にくくるしかない。
したがって、φ氏の計算は否定され私の計算のみが認められる。

そもそもA設定で、φ氏の計算が正しいとする理由がない。

D設定 ペアの総額もしくは差額が明らかになる場合

という設定を新たに立てるなら、そこではφ氏の計算は正しいだろう。
(B1、B2と同様に、DをD1、D2と分けるのは随意だが、そこは本質ではない)

>  これは合理性判断の問題であり、
>  この板で主として論じられてきた数学パート(以上で解決済み)よりも
> 微妙で捉えどころのない難しい問題だと思われます。

単に、φ氏が、
「損得はゼロになるはずだ」
という思い込みに支配されて
感情論を叩きつけてるだけ。

最後に

>  無限級数は関係ないと私は始めから言っています。
>  要らぬ無限級数で自縛し、自爆したのはモンテカルロさんですね。

無限級数は関係ない、といった時点で、パラドックスになりようがない。
無限級数は要らぬで、パラドックスを爆破し、φ氏自身も爆破。
こんな滑稽なことはない。




Re: 幕間 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月26日(月)04時20分20秒

スターダストさんへのお返事です。

>
> 同論文には効用関数 u = x の場合に、かなり一般的な事前分布(連続関数であればいい!)の場合に期待値計算の公式があげられており、その値が算出できれば、これこれの結果になる、そういうことであると私は理解しております。
> しかも、期待値計算の公式は、本掲示板でしばしば登場するものと形が異なります。このことは重要です。「事前分布は一切わからない」ときにはどうなのか、一般的な話を考える際に良いモデルとなりうると存じますが、いかがでしょうか。
>

 効用関数をu = x 以外にしてしまうと、やはり2封筒問題は趣旨を失うように思います。

 2封筒問題は、1度目の獲得金額を捨てて2度目に挑戦した方が常に得だ、というパラドクシカルな選択の一例、というのが通常の理解なのでしょう。
 何を最初に選んでも、期待値計算の上では必ず平均以下なのだから、当然ですよね。

 ただ、2封筒問題のような「ランダムな選択」は、
 「人間の手では書けない莫大な未知の上限」までの間の一様分布(あるいはほぼ一様な分布)とするのが、私としてはいちばん納得いくのですが。
 だから、(サンクトペテルブルクパラドクスでは期待値が本当に発散するのに対し)特定の有限値を提示しないことにはゲームが始まらない2封筒問題ではそもそも期待値は発散していない、というのが本当は正しいように思います。


R e: どこが論理? 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月26日(月)04時18分26秒

> No.3267[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。


>
> φ氏のいう、③と④の違いは
> 「金額が明らかになる前から考えるか、
>  金額が明らかになった後から考えるか」
> と思われるが、
>

 そうではありません。

 ③は、単に期待値でないもの(無限大)どうしの引き算のこと。①-②=不定ということ。
 ④は、一試行あたりの交換による期待値変化を全体にわたって平均したもの。封筒内金額を見た場合も見ない場合もともに含める。

全体の期待値が発散する白赤封筒ペアの無限列で、
 (白、赤)=(2^x,2^(x+1))
 (白、赤)=(2^x,3×2^x)
 (白、赤)=(2^x,2^x+100)
 (白、赤)=(2^x,2^2x)
等々、「差をとることができる(任意の金額に対し、交換の方が期待値いくらの増加であると言える)」事例はいくらでもあるので、

>
> 交換しようとしまいと、期待値が存在しないのだから、
> 差をとりようがない。
>



というモンテカルロさんの言はナンセンスでしょう、ということでした。
 ①-②=不定 というようなアホな意味にしか理解できない、と。それを③と呼びました。

 試行ごとに、交換による獲得金額変化は有限値であり確かに存在する(プラスマイナスゼロの場合も含めて)ので、それ全体の平均が「無意味」などということは、「①が発散するから無意味、②が発散するから無意味」ということからは全く導かれない、ということです。
 (なお、「期待値が無意味」などと言うより、チャルマーズ論文のように「期待値が無限大」という言い方をした方がよいと思われます)

 無限-無限 は計算できず「差をとることができない」なんてツマランことを言うのはただの逃げの表明で、2封筒問題とは何の関係もない、と私は言ったわけです。

 まあ、そんな逃げを責め立てても2封筒問題の考察には役立たないので、こだわるのはやめにしますけどね。モンテカルロさんが黙って反省してくれればすむことなので。

 ところで、
 「準拠集団」は聞いたことありませんか?
 外延的な「母集団」の内包版みたいなものですけれどね。
 数学でも、確率統計の応用問題では準拠集団の特定は欠かせないと思うのだが……、シンプソンのパラドクスとか。
 まあ、数学では別の言葉を使うのかもしれませんが。

 準拠集団の同定は、主観確率を考えるときにとくに重要で、
 2封筒問題の場合は、「プレイヤー自身が自分をいかなるゲームを行なう集団の一員と見なすか」を同定しないと、確率や期待値の計算ができません。
 目下自分がやっているゲームは、いかなる定義的特徴を持つか。
 換言すると、どのようなことが起きたら、「このゲーム」でなくなってしまうのか。

 ポール・エルデシュがモンティホール問題でしくじったのは、
 「司会者の知識と選択がどうであるときにゲーム成立の要件が満たされるのか」という、{司会者・プレイヤー}のペアの準拠集団を認識できていなかったことが原因と思われます。

 2封筒問題では、(以前の私の分類を使わせていただきますが)

 設定Aでは、自分の封筒内を見ていない場合にのみ、ゲーム成立。
 設定B1では、自分の封筒内を見て、そこにいくら入っていたとしても、ゲーム成立。
 設定B2では、自分の封筒内を見て、現に見た金額が入っていた場合のみ、ゲーム成立。
 設定Sでは、自分の封筒内を見ようが見まいが、コイン投げのタイミングがいつであろうが、コインがフェアである限り、ゲーム成立。
  各々の設定(解釈)における準拠集団は、
 以上のテストに合格したゲームを行なう仮想的プレイヤーの無限集合から構成され、当のプレイヤーはその準拠集団内のランダムな一員と見なされます。

 2封筒問題の開封バージョン(B)では、


胴元が封筒を渡してきたような場合は、B2が尤もらしい想定となります。
 封筒をランダムに選べた場合は、B1が尤もらしい想定となります。

 ただ、封筒をランダムに選べた場合であっても、封筒を開封して中の金額を確かめたことを「データ」として設定に組み込み、一回限りの「この試行での交換の得失」を考えるなら、準拠集団は設定B2のものに収縮します。

 一回限りなので、準拠集団をB1設定にするか、B2設定にするかは自由です。
 自由といってもそこには自ずと論理的妥当性の考察がなければならず、それがパラドクスの核心をなしています。
 とくに、「封筒の中身を確かに確認したのだが、具体的金額を忘れてしまった」
 「友人が封筒内を見て、その金額を書き付けて私の手に握らせた」
 などという境界事例を考えて、2封筒問題を複雑化させることもできます。(「ウィグナーの友人」の量子観念論仮説に似てきますが……)

 そういった核心にいたる前に、
 表面的にパラドクシカルなのはB2の場合なので、B2でなぜ交換が得になってしまうのか、をまず説明する必要があります。


B2では、↓でモンテカルロさん自身が認めているように

>
> ④が「金額確定後」なら、級数の出番はないわけで
> そもそも、上記の一般的証明とやらを求める理由が
> なくなるわけだが。
>

 無限級数は関係ないと私は始めから言っています。
 要らぬ無限級数で自縛し、自爆したのはモンテカルロさんですね。

 (1,2)(2,4)(4,8)……の可能性から 128 が封筒内に見出されたとすると、
 (64,128)(128,256)だけが可能性として残り、無限級数の上下部分は切り捨てられます。

 ペアの二つの可能性の事前確率を事後確率へと解釈しなおして、交換すると64か256かどちらでありそうかを推測し、特別な事前分布が尤もらしくない限り、交換が得、と判断されますね。(とくに、まったく手掛かりがない場合は事後確率分布は一様分布で代用せざるをえず、1/4の得と判断されます)
 その計算は期待値計算によって為されるので、2封筒問題は数学の範囲内に収まります。



モンテカルロさんの言う「数学が無力」となるのは、ここまでではなく、この次の核心段階においてでしょう。
つまり『論理パラドクシカ』でも未決っぽい書き方で暗示しておいた
「準拠集団をB1設定とすべきか、B2設定とすべきか」


という問いにおいてです。
 「無限級数には期待値がないから」などという理由で「数学は無力」と言うのは気が早すぎると思われます。
 数学が無力なのは、「準拠集団をB1設定とすべきか、B2設定とすべきか」という本番段階においてです。
 (以前述べたようにB2の方が自然ではあるが、たとえば金額が見間違いだったときに新たに判明した金額へと修正してゲーム成立には影響ナシ、とする用意があるなら(これも自然だが)、B1設定で考えていることになります。ちょうど、未開封設定Aで、「自分の封筒内金額としてかりに定数をあてがってみた」場合と大差ありません。B2では、いったん判明したと思われた金額が変えられたらもうゲームは成り立ちません)

 これは合理性判断の問題であり、
 この板で主として論じられてきた数学パート(以上で解決済み)よりも微妙で捉えどころのない難しい問題だと思われます。

 ところで、モンテカルロさんは、
 以前おかめ石さんが紹介したhttp://soler7.com/IFAQ/two_envelope_paradox_solution.htmを読みましたか?
 モンテカルロさんの「一発逆転論」を律儀に展開するとこうなるという見本ですが、
 B2設定の解決には、事前確率分布に沿った級数が無限だろうが有限だろうが関係ないことがよくわかります。
 つまり、2封筒問題を級数仕立てに見立てること自体が不必要だったということです。(問題をわかりやすくするためには有用かもしれないが)

 (ちなみに、http://soler7.com/IFAQ/two_envelope_paradox_solution.htmは、上限がわかっている場合の解決にはなっていますが、未知の上限があるという場合の解決にはなっていないようです)


スターダスト氏へ 2 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月25日(日)08時29分5秒

スターダストさんへのお返事です。

> 何もかも知っている客観視点ではイッケンオカシクみえるけれども、
> 封筒を開けた立場での主観では、交換するのが正しい、
> このことをパラドックスと言うのであればおっしゃるとおりです。

それではパラドックスの説明になっていない。

>しかし客観的立場での確率計算と主観的立場での確率計算はおのずと異なりますから、
>えられる結果が異なるのはいたしかたがなく、
>それをパラドクスと呼ばない立場もあろうかと存じます。

客観、主観という言葉は無意味だから忘れてよい。

要はペアで考えるか、一方の側の金額で考えるかの違い。

どちらで考えようが結果は一つになるはずだと考える。
しかし、計算結果は両者で異なる。
だから、パラドックスなのである。

数学では、計算結果が異なる場合、
「それは期待値を示さない」
といって逃げる。
逃げるしかないだろう。
突っ込んだらパラドックスの壁に
激突して即死だから。

ちなみに私の好きな言葉は
「君子危うきに近寄らず」
「君子豹変す」

------------------------------

ちなみに私が以前投稿した
「キョ■とハル●のパラドックス」
は黙殺されたようだが

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3231

ここの連中の目玉はそろいもそろってガラス玉だなw
あれこそ、φ氏が求めてやまぬ損得ゼロの合理化の一つなんだぞw


おかめ石氏へ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月25日(日)08時08分43秒

> No.3273[元記事へ]

おかめ石さんへのお返事です。

>この話題は一旦、休止してもよいかなと感じて居ます。

おかめ石氏は休んでよい。



スターダスト氏へ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月25日(日)08時03分43秒

> No.3271[元記事へ]

スターダストさんへのお返事です。



> > スターダスト氏はわざわざ
> > 「効用関数として u(x) = x を採ったとき」
> > と書いているが、このことは特に重要でわけではない。
> >
>
> では、u(x) = x が個人的に興味深かった理由を書かせていただきます。
>
> 論文の後半部分で効用関数として、u(x) = x を採って分析していることになります。
> ここが私にはすこぶる面白いところでして。
> というのは、この掲示板において、2封筒問題を考えている際に、
> 暗黙下に効用関数として、u(x) = x を採っているからです。
> このことが、u(x) = x が個人的に興味深かった理由のひとつです。

そもそもスターダスト氏が効用関数を知らなかっただけだろう。

さて

> 同論文では、【u(x) = x の効用関数を前提にした上で】、
> θ円 と 2θ円の θの事前分布について論じています。
>特殊なθの分布をいくつか考えているわけですが、
>私が思うに、かなり一般的かつ汎用的な「期待値計算の公式」を導出しており、
>しかも、それが、私が思っていたような、
> 1/2*(θ/2+2θ)
> とは 【違っていた】、ここにすこぶる興味があるわけです。
>u(x) = x が個人的に興味深かった理由がここにもあります。

論文中の論理が全く辿れてない。

期待値計算の公式が
1/2*(θ/2+2θ)
でない理由は、u(x) = xとは無関係。
連続関数を用いたからそうなった。

積分の計算を見ればわかる筈。


Re: Expectation is Zero 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 9月25日(日)01時33分3秒

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3264 (9月24日(土)03時10分)
φさんへのお返事です。

> ふまえるべき議論が多いですね……。他の雑事も多いので大変です……。

私も今は余りこちらに時間が割けません。~『たまたま』でヴォス・サヴァント女史が雑誌の担当コラムで論争終結宣言をした事が紹介されてましたけど、同じ様にこの話題は一旦、休止してもよいかなと感じて居ます。まあ、「沈黙による論証だ」とか言い出す方が居るかも知れませんけど、黙って読んで居られる方々へも、判断材料は粗方、出揃った様ですし。~

> http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3263 の ※注 で、おかめ石さんの意図を勝手に忖度しましたが、合ってるでしょうか……?

*****
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3263 (9月24日(土)03時06分49秒)
>  2封筒問題で求められているのは、正しくは、
>  ④「一試行において、交換しないときに比べ、交換したときにどれほどの獲得金額アップが見込まれるか、金額差(あるいは金額比)の期待値」
>  です。試行ごとにプラスもあればマイナスもあるであろう、一回ごとの差額の期待値です。2封筒問題の趣旨をもう一度思い返してください。
>  別々の試行(封筒内金額の異なる試行)における獲得金額を比べても大半は(たまたま同じペアだった場合を除いて)意味がないので、全試行をいっしょくたにする③は2封筒問題ではお呼びでありません(※注)。
>  求められているのは試行ごとの期待値に関わる④です。
>  ペアごと(設定A、B1)、金額ごと(設定B2、C)の区別はありますが、ともかく試行ごとの期待値に関わる④が求められているものです。

>  ※注
>  http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3241
>  におけるおかめ石さんの
> 「この時(2→1)交換と(16→32)交換は互いに排反事象ではありません」
>  は、このことを捉えたコメントであったと理解できます。

*****
同じ意味に成ると思います。

胴元が選択↓   ↓プレイヤーが交換
(1,2)┼───┬1→2
     :   └2→1
(2,4)┼───┬2→4
     :   └4→2
(4,8)┼───┬4→8
     :   └8→4

プレイヤーによる交換は、勿論、胴元による選択――(1,2)か(2,4)か等々――の上に成り立つものですけど、一旦、例えば(1,2)が〔確率g(1)で〕提示された段階では、存在する選択肢は1→2交換か2→1交換の2つ、という事ですね。
ノートン流に、胴元の(1,2)と(2,4)等々の選択の部分は、確率g(1)と確率g(2)等々の違いで区別されて居る、とすればハッキリしますね。
~交換の多数回試行も、「胴元が選択したペアでプレイヤーが多数回交換」と言うのを何度も繰り返す、という手順に成ると思います。~

但し、プレイヤーによる交換の段階の1→2と2→1のそれぞれの確率を、等しいと見るか、〔TTTさんのいわゆる「一般の設定」のように〕p(n)とq(n)と言う様に区別するか(又は区別した上で同じ値とするのか。~私は、区別を設ける事自体に疑問を感じるので検討中です。~)、の違いは起こって来ますけど。



Re: 幕間 投稿者:スターダスト 投稿日:2011年 9月24日(土)19時30分40秒

> No.3262[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> スターダストさんへのお返事です。
>
> 美添論文、モチーフはわかるのですが、
> この種の「これこれの事前分布が正しければ金額を見たことが判断改訂の理由になるのは当然」的な解法というのは、2封筒問題の趣旨から外れているように思われます。
>
>  特定の事前分布を仮定すれば、確かに計算問題となって、金額というデータから期待値が計算できるでしょう。
>  しかし、「事前分布は一切わからない」というところに2封筒問題の本質があるのではないか。
>
>  もちろん、無限列から一つ選ぶときに、人間にとって尤もらしい事前分布というものを考えるのは、それはそれで面白い課題だと思います。

適切な条件下で確かに計算問題となります。つまりサンプリングですね。サンプリングをすることによって、「事前分布は一切わからない」ときにはどうなのか考える材料となればと考えておりました。

>  しかしそのために2封筒問題の設定は必要ないでしょう。
>  必要ないどころか、ペアの間の比率のような余計なパラメータが入っているし、
>  事前分布の問題を考えるには、もっと直截の、「封筒の中身を推測する」とか、「封筒の中身について二つの候補を出して、仮説検定する」とか、そういう問題の方が適しているのではないでしょうか。
>
>  2封筒問題というのは、
>  「一般的な事前分布」を推測するというような経験的問題ではなく、論理の問題だと思うわけです。対称性、変項・定項の関係、準拠集団の同定などの。

同論文には効用関数 u = x の場合に、かなり一般的な事前分布(連続関数であればいい!)の場合に期待値計算の公式があげられており、その値が算出できれば、これこれの結果になる、そういうことであると私は理解しております。
しかも、期待値計算の公式は、本掲示板でしばしば登場するものと形が異なります。このことは重要です。「事前分布は一切わからない」ときにはどうなのか、一般的な話を考える際に良いモデルとなりうると存じますが、いかがでしょうか。




Re: 美添論文について 投稿者:スターダスト 投稿日:2011年 9月24日(土)19時21分31秒

> No.3257[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

> > 統計学者・経済学者である青山学院大学経済学部教授、
> >美添泰人氏(ヨシゾエ ヤスト)は、
> >"two envelopes problem" に関連して
> >ベイジアンの立場から論文を出されています。
> >
> > ■「効用についてのパラドックス―ベイズ統計からの解答―」
> > 1990/03 『立正大学経済学季報』(東洋経済) 第39巻
> >
> > この論文への言及を含めた"two envelopes problem"について
> >分析した資料を以下のURLにて読むことが出来ます。
> >
> > ■確率に関するパラドックス(その1)
> > http://www.yoshizoe-stat.jp/seminar/sinf1.pdf
>
> この論文なら、以前読んだ。
>
> スターダスト氏はわざわざ
> 「効用関数として u(x) = x を採ったとき」
> と書いているが、このことは特に重要でわけではない。
>

u(x) = x が個人的に興味深かった理由をのちほど書かせていただきます。

> むしろ、連続分布の利用のほうが、
> 論文での結論の導出においては、より重要だろう。
>
> スターダスト氏は、また
> 「連続分布を仮定することは不自然ではないだけではなく,
>  問題をより意味のあるものにしている」
> と書いている。
>
> 連続分布を用いるのは自然だと思うが
> それで問題の意味が増した、とは思わない。
>

ええと、美添氏が論文中で書いたことをハショッテ書いております。「問題の意味が増した」というのは、経済学者の立場から、と私は理解しております。


> 例えば、連続分布で考えた場合、一様分布における
> 「相手が二倍の額であるような条件つき確率」
> は1/2ではなく、2/3になるというのは、
> 確かにその通りであるが、その結果として
> パラドックスの解決に結びつくどころか
> むしろパラドックスの度合いを拡大して
> しまっている。
> (fried_turnip氏は連続分布の"効果"を見誤り
>  上記の条件つき確率が1/3になると
>  思ったようだが、実際には美添氏の計算が正しい)

何もかも知っている客観視点ではイッケンオカシクみえるけれども、封筒を開けた立場での主観では、交換するのが正しい、このことをパラドックスと言うのであればおっしゃるとおりです。美添氏が同論文で述べているところと同じであると存じます。しかし客観的立場での確率計算と主観的立場での確率計算はおのずと異なりますから、えられる結果が異なるのはいたしかたがなく、それをパラドクスと呼ばない立場もあろうかと存じます。

>
> ちなみに、論文にもあるとおり、
> 連続分布で上記の条件つき確率が1/2になるような分布は、
> 金額xに対して反比例するようなものとなるが、
> 一様分布にしても、金額xに反比例する分布にしても
> 0<x<∞全体における積分値が1となるようには
> できない「散漫な分布」である。
>

このへん、もう一度勉強したいです。ご指摘ありがとうございます。

> (追伸)
>
> ところで、有理数は稠密ではあるが"連続"ではない。
> このことは、デデキントの切断によって説明できる。
> 例えば、有理数を「ある数x以下のもの」と、
> 「xより大きいもの」で2つに分けた場合
> 例えばxが無理数(√2等)であれば、
> 前者には上限となる数がなく、
> 後者には下限となる数がない。
>
> 一方、連続であれば、上記の場合には
> 前者に上限となる数がなくてはならない。
>

全く同意です。

===

> スターダスト氏はわざわざ
> 「効用関数として u(x) = x を採ったとき」
> と書いているが、このことは特に重要でわけではない。
>

では、u(x) = x が個人的に興味深かった理由を書かせていただきます。
間違っていたらもうしわけありません。

美添氏の論文では、前半部分でいろいろな効用関数をあてはめて2封筒問題を分析しています。このこと自体も面白いのですが…
※たとえば、u=log x では、以前私がこちらに投稿した、私の友人による「相乗平均で解決すればいいじゃん」という不思議な解決方法が、この効用関数のもとでは、合理的です。 久しぶりに指数法則の公式をガチャガチャいじって確認しました。
また、u = log x の効用関数のもとでは、円で書いてある小切手と未知の通貨で書いてある小切手の取り扱いが、【全く等価であることが自明になる】ということも面白く感じました。
※ θ円 と 2θ円、ないし、θミッドガルドドルと 2θミッドガルドドル の差について考えることが同じになってしまいます。
脱線しすぎました。

論文の後半部分で効用関数として、u(x) = x を採って分析していることになります。ここが私にはすこぶる面白いところでして。
というのは、この掲示板において、2封筒問題を考えている際に、暗黙下に効用関数として、u(x) = x を採っているからです。
このことが、u(x) = x が個人的に興味深かった理由のひとつです。
ある知人が言っていたのですが、金持ちだったり貧乏人だったり、小心者だったり、蛮勇の持ち主だったり、といった日常的な要素を廃する効果がある、それが、効用関数の固定なのですね。そして、2封筒問題を解くにあたって、u(x) = x の効用関数をほとんどの論者が前提にしているらしい、そのように私には思えたのです。

同論文では、【u(x) = x の効用関数を前提にした上で】、
θ円 と 2θ円の θの事前分布について論じています。特殊なθの分布をいくつか考えているわけですが、私が思うに、かなり一般的かつ汎用的な「期待値計算の公式」を導出しており、しかも、それが、私が思っていたような、
1/2*(θ/2+2θ)
とは 【違っていた】、ここにすこぶる興味があるわけです。u(x) = x が個人的に興味深かった理由がここにもあります。

> むしろ、連続分布の利用のほうが、
> 論文での結論の導出においては、より重要だろう。

ある条件下では期待値の計算が可能だ、そのことが面白いですし、1/2*(θ/2+2θ)とは違うようだ、このことも強烈でした。

ながながとなってしまいました。




Re: 銀河帝国の2封筒問題 投稿者:スターダスト 投稿日:2011年 9月24日(土)18時44分49秒

> No.3253[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

> スターダストさんへのお返事です。
>
> > 甲設定:
> >「実は…甲の小切手の通貨αは、乙よ、
> > おまえが普段使っていた通貨【円】と同価値であり
> > 為替レートは1:1なのだ。1α=1円」
> > 乙設定:
> >「実は…乙よ、お前の小切手の通貨βは、
> > おまえが普段使っていた通貨【円】と同価値であり
> > 為替レートは1:1なのだ。1β=1円」
> > 皇帝設定:
> >「実は…乙よ、二人に与える小切手の金額の合計は、
> > おまえが普段使っていた通貨【円】で換算すると、丁度、3000円なのだ。
> > 皇帝ってケチだろう?ふふふ。」
>
> ついでにこんな設定も追加した。
>
> 宰相設定:
> 「実は…乙よ、二人に与える小切手の金額の合計は、
> おまえが普段使っていた通貨【円】で換算すると、丁度、1500円なのだ。
> 皇帝の侵略政策のお陰で、帝国の財政は逼迫しておるのだよ。トホホ。」
>
> 甲設定をα、乙設定をβ、皇帝設定をγ、宰相設定をδ
> とすると、以下のように表わせる
>
> α: αは円と同じ
> β: βは円と同じ
> γ: α、βのうち、低額側のほうが円になる。
> δ: α、βのうち、高額側のほうが円になる。
>
> スターダスト氏の計算の通り、交換の期待値は
>
> α (-500+1000)/2=250 得
> β (500-1000)/2=-250 損
> γ (-1000+1000)/2=0  損得無し
> δ (-500+500)/2=0   損得無し
>
> となる。
>
>
> γ、δで、損得無しとなるのは、
> 「円と等しくなる確率もα、βとも1/2」
> なり、"対称性"があるためと考えられる。
>
> 例えば、「」内の条件を保ったまま
>
> ε: 高額側、低額側とも円と等しくなる確率は1/2
>
> とした場合、交換の期待値は
>
> ε (-1000+1000-500+500)/4=0 損得無し
>
> となり、やはり損得無しとなる。
>

宰相設定と皇帝設定では、二人のもらう金額の総額が円の価値でももって固定されていること、に本質があるようですね。損得なし、に同意いたします。


> スターダスト氏のいう
> 観測選択効果
> なるものは、α、βの貨幣単位の不変性を
> 指すものと思われる。
>

うう、不変性? ここでは、甲や乙が単に【潜在的に】違うものを観測している、ということでは駄目でしょうか。その潜在性を明らかにするために、甲設定や乙設定や皇帝設定を付加すると答えが違ってきてしまう、そのように感じておりました。

> さて、
>
> >私の・・・理解では、モンテカルロさんのご示唆は
> >以下のようなものだったのではないでしょうか?
> > ・設定の付加されない帝国版2封筒問題には合理的な解がない。
>
> まず、私は、スターダスト氏のはじめの問題では
> 「円」についてまったく述べられていなかったので
> 「そもそも、貨幣単位の基準を完全に撤廃した」
> と考えていた。

なるほど。わかりました。私の誤解であったようですね。すみませんでした。

>
> 円なる貨幣単位の基準を持ち込む場合、
> 為替レートをいかような形にも設定できる
> とするなら
>
> ω: α、βと円との交換レートは、両者共通の確率分布で決まる
>
> という設定も可能であろうし、その場合の確率分布から
> 甲および乙が得る金額を円に換算した場合の期待値を
> 表わすはずの級数が発散する場合には、やはり
> 計算の仕方によって値が変わってしまうだろうと
> 考えられる。

これについては、そのものズバリをご説明いただいたと、大変に嬉しいです。手がかりが増えました。

2封筒問題において、θ円と2θ円の2封筒だったとき、そのθの分布の様子がいろいろある、そして、その分布のうちいくつかは、交換することが有利、交換しないことが有利、が帰結でき、そのいくつかを除く大部分は、交換の意思決定ができない、そのような感じがしてきました。
感じるだけでは駄目ですね…道は遠い…



Re: 銀河帝国の2封筒問題 投稿者:スターダスト 投稿日:2011年 9月24日(土)18時31分52秒

> No.3251[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> スターダストさんへのお返事です。
>
> 眠り姫問題はただでさえ難問なわけですが、
> そこに2封筒問題を絡めるととてつもない超難問になってしまいますね。
> ただし、その合成問題が、もとの問題を解く手掛かりになるかもしれませんね。
>
> 2封筒問題は、ほかに、チャルマーズ論文のようにサンクト・ペテルブルクパラドクスと絡められたり、
> http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3132で述べたように抜き打ち試験のパラドクスと絡んだり、
> 『論理パラドクシカ』で示唆したようにフロリダ問題と絡んだりと、
> 各方向への応用がありうるわけですが、
> 眠り姫問題とも確かに相性が良さそうですね。

うーむ。かなり戦線が広がるようで、時間がなかなか。私が眠り姫問題を改造したのは、観測選択効果を二種類ツッコム、そして、二人の観測者の行動が、客観の立場からすると不可思議に見える、そのことを例示したかったんですね。
帝国版2封筒問題においても二人の観測者の行動があり、乙設定や甲設定や皇帝設定や(皇帝設定とおそらく同じことですが)首相設定によって、(私の見地では)甲乙の行動が異なりました。 ここで注目したかったのは、*無設定* と皇帝設定とでは、甲乙二人の行動結果が異なるはずだ、そして、そのことは、私が改造した版の眠り姫問題との比較を通じて、どうやら、二人観測者がいることによる不可思議さを醸し出しているようだ、ということでした。
>
>  さて、以下の件ですが、
>
> >
> > φ>  封筒を選んだときに比べ、2封筒の中の金額が2:1だと知らされるタイミングが、先か後かによって、交換したくなるかどうかが決まる、と。
> >
> > φ>  スターダストさんの「感じ」はそれではないでしょうか。
> >
>
>  もうちょっと考えたいと思います。
>
>  2封筒相互の中身の倍率を知るタイミングというのは、
>  知る以前に封筒を選んだ場合には、選んだ封筒と他方の封筒との間に非対称性を作り出すと思われます。
>  しかしそれが、封筒の中身を知ることと同じ種類の非対称性かどうかは、一考の余地がありそうです。
>
>  また、期待値というのは損得と直接結びつかない場合がありますね。(サンクト・ペテルブルクはその好例)
>
>  http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3224
>  でおかめ石氏がリンク付けしてくれた記事には、期待値と損得とを切り離す原理(GUD)というのが論じられています。
>
>  期待値は損得の参考にはなっても、損得判断(合理的判断)を一義的に決定はしないということです。
>
>  当たり前のことではありますが、
>  ではどういう場合に期待値に従うべきなのか、従わざるべきなのか、そしてその理由は、というのはかなりの難問です。囚人のジレンマやニューカム問題の源がそれで、2封筒問題もその流れにあるのかもしれませんね。

かなり深遠な謎になってしまいますね。私に理解できる料理方法があるといいのですけれど。

>  ただ、私の感じでは、2封筒問題は、期待値計算と損得判断とは一致する問題ではないかと思われます。
>  しかし、「2封筒相互の中身の倍率を知るタイミング」が入ってくるとどうなるのか、合理的判断を期待値に直結させつづけられるのか、まだ茫漠としていますが、恐らく明晰化可能な興味深い問題です。

このタイミングの問題は、興味深いと存じます。
ありがとうございました。




二封筒問題の些細な一般化 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月24日(土)13時39分2秒

よくある二封筒問題では
「二つの封筒の一方の金額がxのとき他方は2xかx/2」
とあるが、別に2倍とか半分に限らず、
互いに逆関数であるような関数の組なら
なんでもいいだろう。

例えば、こんなのは如何?

「二つの封筒の一方の金額がxのとき他方は2^xかlog_2(x)」

金額の可能性は
 (自分の金額、他者の金額)
=(1、2)
or(2、1)
or(2、4)
or(4、2)
or(4、16)
or(16、4)
・・・
(2^^n、2^^(n-1))
(2^^n、2^^(n+1))
・・・
に限るとする。

(※ 2^^0=2^0=1
   2^^1=2^1=2、
   2^^2=2^2=4、
   2^^3=2^(2^2)=2^4=16)

φ氏の言い分だと、関数をどう変えても交換による損得はないことになる。

ところで、上記のゲームでたまたま引き当てた額は以下のものだった

65536 (2^^4)

この場合、他方の金額は16か2^65536である。
後者は概ね2.00*10^19728である。

さてあなたならどうする?

交換する?しない?


どこが論理? 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月24日(土)10時10分16秒

> No.3262[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  2封筒問題というのは、・・・論理の問題だと思うわけです。
> 対称性、変項・定項の関係、準拠集団の同定などの。

どこが論理?

まず、金額が明確化された時点で対称性はなくなっているので
対称性に固執した時点で、論理的に間違っています。

変項、定項の関係も、対称性の保持という意味でいっているなら
論理的に間違った要請です。

準拠集団の同定に至っては、何をいいたいのか全くワケがワカラン。
「準拠集団」がいかなる言葉かは調べたがね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/準拠集団

>  事前分布の問題を考えるには、もっと直截の、「封筒の中身を推測する」とか、
>「封筒の中身について二つの候補を出して、仮説検定する」とか、
>そういう問題の方が適しているのではないでしょうか。

数学に疎い人ほど数学の力を無闇に信じるのが面白い。


どこが論理? 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月24日(土)10時01分50秒

> No.3262[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  2封筒問題というのは、・・・論理の問題だと思うわけです。
> 対称性、変項・定項の関係、準拠集団の同定などの。


>  事前分布の問題を考えるには、もっと直截の、「封筒の中身を推測する」とか、「封筒の中身について二つの候補を出して、仮説検定する」とか、そういう問題の方が適しているのではないでしょうか。
>



φ氏、壮烈に自爆! 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月24日(土)09時56分11秒

φさんへのお返事です。

> またしても逃げですか……。
> しかし今回の逃げ方は凄いなあ。

毎度恒例の煽りですか?

>見苦しい拡大文字はそろそろやめにしませんか。
>心配しなくてもちゃんと全文読んでますから。

老眼になるとね、文字が見えにくくなるもんですよ。
だから重要なところは、ちゃんと拡大しているわけです。
これが50代の相手に対する労わりというもんですよ。

>  『解析教程』も、上下とも購入して今読んでますし。
>(御推薦ありがとうございます)

ええ、読み物としてもいい本ですよ。

さて

> > つまり、期待値を表わすはずの級数が、括弧付け替えの計算によって
> > 値が変化するのであれば、その級数はもはや期待値を表わさない、
> > つまり、期待値は存在しない、ということなのです。
> >
> > 交換しようとしまいと、期待値が存在しないのだから、
> > 差をとりようがない。
>
>  ↑なんともなりふりかまわぬ大味な逃げっぷり……。
>  まさか本当に勘違いしちゃいませんよね?

その「逃げ道」は、私ではなく、
φさん、あなたが通るものですよ。

つまり、「損得無し」という主張を、
「交換の期待値ゼロ」という数学の理屈で
根拠づけようとするφ氏に対して、
「ここは通れませんぜ。
 そもそも、ここを通る必要は
 ないんじゃないんですかいw」
とお教えしてあげたんでございますよ。

>  2封筒問題で求められているのは、
>  ①「交換しないときに得られる金額の期待値」や
>  ②「交換したときに得られる金額の期待値」では
> ありませんし、ましてや、
>  ③「交換したときに得られる金額の期待値-交換しないときに得られる金額の期待値」
>  でもありません。

勘違いしているのは、φさん、あなたですよ。

そもそも交換が級数の計算順序の変更でしかない以上
期待値が存在する場合には、級数の計算順序の変更で
値が変わるわけはないんですよ。

逆に、級数の計算順序の変更で値が変わるのであれば
それは期待値でもなんでもないのだから、期待値の話に
もっていくのは無意味ってことですよ。

>  でも、「差をとりようがない」の「差」って、どうみても③のことですよね?

違いますよ。期待値でないものを期待値というのが間違っているわけです。

級数が期待値を表わすとは限らない。そういうことです。

>  だから③は2封筒問題とは関係ないことは誰もが先刻承知ですって。

本当ですか?しかし、もし全く勘違いしていないのなら
そもそもパラドックスだと騒ぐ必要もなくなりますよ。

だって、計算には意味がない、ってことですから。

>  2封筒問題で求められているのは、正しくは、
>  ④「一試行において、交換しないときに比べ、交換したときにどれほどの獲得金額アップが見込まれるか、金額差(あるいは金額比)の期待値」
>  です。
> 試行ごとにプラスもあればマイナスもあるであろう、一回ごとの差額の期待値です。

「1回ごと」という言葉で何を意味するのか
今までの発言では全く明確化されていません。

例えば、
「金額が明確になってから後だけ考える。
 金額がバラバラなものについて
 全て足し合わせることは絶対しない。」
という意味ですか?

しかし、上記のように考えるのなら0にはなりませんよ。
また、φ氏の計算も使えません。
なぜなら、φ氏の計算は、ペアの金額が固定されている場合
に限られるからです。しかし金額が明確になった場合にも
ペアは2種類想定され、決して1つには固定されません。

>2封筒問題の趣旨をもう一度思い返してください。

それは、φさんご自身にいうべき言葉でしょうw。

>  別々の試行(封筒内金額の異なる試行)における獲得金額を比べても
> 大半は(たまたま同じペアだった場合を除いて)意味がないので、
> 全試行をいっしょくたにする③は2封筒問題ではお呼びでありません(※注)。
>  求められているのは試行ごとの期待値に関わる④です。
>  ペアごと(設定A、B1)、金額ごと(設定B2、C)の区別はありますが、
> ともかく試行ごとの期待値に関わる④が求められているものです。

まず、ペアごとは無意味です。ペアが1つに決まりませんから。
さらに、金額ごとであるなら、2つ考えられるペアのうち
・自分の金額が、総額が低いペアの低位側
・自分の金額が、総額が高いペアの高位側
という選択肢はなくなっているので、ペアの対称性は失われます。

>  まさか、私がhttp://8044.teacup.com/miurat/bbs/3244で「交換の期待値-非交換の期待値≠0」等々の書き方をしていたからてっきり③のことだと思った、なんて情けない弁明はモンテカルロさんはしないでしょうが、

φ氏のいう、③と④の違いは
「金額が明らかになる前から考えるか、
 金額が明らかになった後から考えるか」
と思われるが、④に固執すればするほど、
φ氏が主張したい結論である「損得ナシ」
には近づけないでしょうな。

>  ともかく語の本義を見ていただいて、

数学における専門用語の本義は
あなたが決めるのではありませんよ。

> 誤解を招く「交換の期待値-非交換の期待値」なる表現はやめにして、
>④を以下、便宜的に「交換-非交換の期待値」と書きましょう。あるいは単に④と。

その書き方は間違っていますね。
強調すべきことがまったく書かれていない点で。

「金額が明らかになった後での」

この言葉をなぜ書かないのですか?

いっておきますが、「一試行において」「一回ごとの」という言葉では
φ氏の云いたいことは伝わりません。そういうことです。

>  ①②③が値を持とうが持つまいが、④は値を持ちえます。
> (あるいは少なくとも、①②③が無意味であることから、
>  ④が無意味であることは論理的に導かれません)

で?

パラドックスだというには
「③が意味をもちその値が0である」
と考える必要があるのではありませんか?

もし、③に意味がないのなら、④の結論だけを受け入れればいい。

ラッセルのパラドックスは、内包公理を認めるから起きるのであって
そうしないのであれば、パラドックスにはなりようがない。
それと同じですよ。

>  現に、
> http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3168
> http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3169
> http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3177
> ↑を見てわかるとおり、モンテカルロさん自身が次のことを認めています。
>  「交換の期待値および非交換の期待値が発散する場合であっても、交換-非交換の期待値=0になることがある」
>    (「①②③が無意味でも、④=0は真でありうる」)

ん?オカシナ事を言い出したね。
それ、④じゃなく、③の計算でしょう。

>  http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3244の最後、
>  「ペアの金額が異なる場合での反例」(未開封バージョン)についても、モンテカルロさんは④=0(「交換-非交換の期待値=0」)を認めることでしょう。
>  ∀x(3x/2=3x/2)ですから。

この件については、そもそも交換したことにならない、
と私は考えていますがね。

>  いずれにせよ、モンテカルロさんは①②の期待値が発散する場合においても、
>④=0(交換-非交換の期待値=0)が意味を持つことは認めていますね。

いいえ。

どうみても③の計算でしょう。

> 今さら、
>「①②の期待値が存在しないのだから、③という差をとりようがない」
>などと寝惚けたことを言わないでください。

私の以前の発言が寝ぼけていたんでしょうw
しかし、いまや完全に目が覚めましたw
半分はTTT氏のお陰であり、もう半分は
数学的にはナイーブなことを飽きもせずに繰り返す
φ氏のお陰でしょう。
間違いも三度繰り返されればはっきり気付くもんですw

>  わざと議論を停滞させているとしたら悪質ですよ。

進むべきでない道ならば止まるのがオリコウさんというもんです。
崖から落っこちたら最悪死にますぜw

>  ③は現在の問題に関係ありません。

で、その場合パラドックスでなくなる、と。
単に「交換で損得ナシ」というφ氏の思い込みが
間違ってた、と。そういうことですな。

>  そのうえで、
> ↓の問題の場合、④=0という有意味な命題が偽であること
>(あるいは少なくとも未解決の対立仮説に過ぎないこと)
>を証明してくれ、と私は前々から言っているのです。

私の計算が、「金額確定前の全ての場合を考える」級数の計算である以上、
④ではなく③ということですな。

したがって、φ氏がアタマに血が上って、勝手に勘違いしてるだけでしょう。

>  期待値が有限であるような確率分布であれば、④=0であるから、
> プレイヤーは、交換しても損得ナシである。
>  期待値が発散するような確率分布だったら?

間違ってますよ。③=0なら分かりますが、
④が「金額確定後しか考えない」という意味なら
0にはなりませんよ。

>  そして、すでに任意の確率分布について④=0(交換-非交換の期待値=0)という有意味な回答が存在します。(2封筒問題の実践に忠実な、ペア内での交換を繰り返した計算、つまり括弧付け替えをしない自然な計算によって)

残念ながら、④が「金額確定後しか考えない」という意味なら
φ氏の計算は間違ってます。ペア内の交換じゃないですから。

>  モンテカルロさんがやるべきことは、「期待値を発散させる★任意の★確率分布」において、「交換-非交換の期待値=0」とは矛盾する計算結果が存在することを証明し、「交換-非交換の期待値=0」が唯一の正解であることを否定することです。

残念ながら、④が「金額確定後しか考えない」という意味なら
そもそも、0にはなりようがありませんし、0は正解でないと
認めればパラドックスでなくなります。

「0が正解のはず」というから、パラドックスになるわけでw。

>  (ちなみに、交換を意味するとは言えない計算で期待値変化を発散させても無駄であることは、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3175後半で確認済み)

③を否定するなら、(-1+1)がいくら自然でも間違ってます。
だって金額が確定してしまったらもうそうなりようがないんだからw

>  期待値が発散する場合は答えなくてよい、などという言い逃れは通用しません。

いや、そもそも④が「金額確定後」なら、
φ氏の計算が間違ってるだけだから。

φ氏の自爆ですよ。ジ・バ・ク。

>「交換-非交換の期待値=0」という「現に有る有意味な答え」を否定できる
>(あるいは少なくとも未解決の対立仮説へと転落させうる)、
>とモンテカルロさんは積極的に断定しているわけですから、答える責任があります。

残念ながら、φ氏が、自分の答えとやらを唯一正当化できそうにみえた③を否定し
自分の答えが明確に誤りになる④の立場に立った時点で、φ氏の自爆による敗北が
決定いたしましたwwwwwww。

さて、

>  ちなみに、
>  もともと2封筒問題では、
>  「交換すべきかどうか」「交換が得ではなかろうか」という問いになっており、
> その根拠として期待値計算が用いられているだけです。

で、実はその期待値とやらが存在しない場合には
根拠になりえんってことですよ。

で、φ氏のナイーブな期待とは逆に
「損得ナシ」の根拠がなくなるわけですが。

>  つまり、2封筒問題は、期待値を求める数学の問題ではなく、
> 損得判断(合理性の判断)についての問題です。

ええ、そうですよ。

すくなくとも、「損得ナシ」という主張は
今の数学とは、全く別に為す必要がある。

つまりφ氏は、④の計算が0でないことを認めた上で、
「金額確定前から考える場合には、無意味である」
ということを、全く数学とは別に(だって数学では
期待値が存在しないだから)論じるしかないってことですよ。

>  このことは私が前々から言ってきたことです。

でも、φ氏全然できてなかったけどね。

不得意な数学に首つっこんだりしてたしw

>  数学を無視しては解けない問題ですが、
> 杓子定規に数学を適用するとおかしなことになる、
> それを合理的に解決する問題です。

まず、今の数学では解けない問題です。
φ氏は、そこからして分かってなかったw。

数学であれなんであれ、出来上がったものは
杓子定規に適用するしかありません。

杓子定規でない、というのは、
新しい理論をつくる、ということです。

φ氏は自分が言っていることが、
本当はどういうことなのか、
全然分かってなかったってことですよ。

>  つまりは、本当は数学と矛盾しないのだという解説を行なうことです。
>  私はそれをやったつもりですけれどね。

だから間違ってるんですよw。

数学では面倒みられないところを、勝手に
「数学でそうなってる!」と思い込んだのが
間違いの始まりってもんです。

そうだなあ、内包公理を考えて矛盾が導かれたといったところで、カントールが
「ん?フレーゲが何をいったか知らんけど、
 オレはそんな軽率な公理立ててないから知らんよ」
といったら、二階に上ったはしごをはずされるようなもんです。

まあ、カントールの場合、
「じゃあ、なにが集合の公理なんだよ」
と尋ねられても、明確には答えられなかったでしょうが。

>  (モンテカルロさんが
>  「数学の概念は2封筒問題において全く無力である」
>  なんて敗北主義をとるとは意外ですね。真意でしょうか)。

私は数学バカではありませんので。

>  ちなみに、私は「サンクトペテルブルク」については、
>『論理パラドクス』で、「試行を無限回やれば、獲得金額の平均が
> たしかに無限大となるので、期待値計算に合致している」という趣旨の、
>数学と矛盾しない常識的な解説を行ないました。

ああ、そういうツマラナイ解説のせいで、私、その本買うの止めたんだw

最後に

>  ■問α
>  白赤2つの封筒がプレイヤーに提示される。
>  赤には白の2倍の金額が入っていることだけがわかっている。
>  つまり、(白の金額、赤の金額)=(x、2x)
>  いま、白の封筒を与えられた。赤の封筒に交換すべきだろうか?

>  モンテカルロさんはまさか、赤白ともに期待値が発散するという理由で、
> 交換の期待値変化も無意味だと、つまり交換が得であることを否定すると、
> いうことはないでしょうね?

つまりの前後がつながりませんね。

「交換の期待値変化も無意味」というのは、
損得勘定を、期待値の計算で考えることができない
という意味であって、損とか得とかいうこと自体を
否定するわけではないってことです。

まあ、上記の場合、得でしょう。
そして、それが得となるような屁理屈を考え
それが「数学における正当な理屈」となるんでしょう。

ディラックのδ関数を、シュワルツや佐藤幹夫が
それぞれのやりかたで「超関数」として根拠づけた
ようなもんですよ。

> 「交換による期待値変化を云々することは無意味」と言い続けますか?
>  もしそう言うとしたら、問αや2封筒問題の解決(および解説)にとって役に立ちません。

役に立たないものを、役に立たないというのは正しい態度ですよw
役に立ってないのに、「役に立ってます」というのは、ウソをつくことですからw

ああ、そうそう私も問題を出しますよ。

 ■問β
 白赤2つの封筒がプレイヤーに提示される。
 いま、白の封筒を与えられた。
 封筒の中には金額が入っている。が
  赤の金額が白の金額の2倍の確率は5/12
  白の金額が赤の金額の2倍の確率は7/12
 である。
 赤の封筒に交換した場合、損だろうか得だろうか。
 その度合いはいかほどか?

>  いずれにせよ、
>  2封筒問題が「無限級数の問題」だという
> モンテカルロさんの観察は間違いだったようです。

否。パラドックスだとする根拠の理由として妥当である。

>  無限級数において、交換を意味する計算で
> 期待値変化を発散させる一般的証明が
> ついにできなかったわけですから。

④が「金額確定後」なら、級数の出番はないわけで
そもそも、上記の一般的証明とやらを求める理由が
なくなるわけだが。

しかも、④では、φ氏の計算自体が完全否定されるわけだがw。

φ氏、自爆


Re: Expectation is Zero 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月24日(土)03時10分58秒

> No.3261[元記事へ]

おかめ石さんへのお返事です。

ご教示ありがとうございます。

全部プリントして読んでます。

ふまえるべき議論が多いですね……。他の雑事も多いので大変です……。

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3263 の ※注 で、おかめ石さんの意図を勝手に忖度しましたが、合ってるでしょうか……?


Re: 完全に殲滅 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月24日(土)03時06分49秒

> No.3252[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

またしても逃げですか……。
しかし今回の逃げ方は凄いなあ。

悲鳴をあげたいのはお察ししますが、見苦しい拡大文字はそろそろやめにしませんか。心配しなくてもちゃんと全文読んでますから。
 『解析教程』も、上下とも購入して今読んでますし。(御推薦ありがとうございます)

>
> つまり、期待値を表わすはずの級数が、括弧付け替えの計算によって
> 値が変化するのであれば、その級数はもはや期待値を表わさない、
> つまり、期待値は存在しない、ということなのです。
>
> 交換しようとしまいと、期待値が存在しないのだから、
> 差をとりようがない。
>

 ↑なんともなりふりかまわぬ大味な逃げっぷり……。
 まさか本当に勘違いしちゃいませんよね?

 2封筒問題で求められているのは、
 ①「交換しないときに得られる金額の期待値」や②「交換したときに得られる金額の期待値」ではありませんし、
 ましてや、③「交換したときに得られる金額の期待値-交換しないときに得られる金額の期待値」でもありません。
 でも、「差をとりようがない」の「差」って、どうみても③のことですよね?
 だから③は2封筒問題とは関係ないことは誰もが先刻承知ですって。

 2封筒問題で求められているのは、正しくは、
 ④「一試行において、交換しないときに比べ、交換したときにどれほどの獲得金額アップが見込まれるか、金額差(あるいは金額比)の期待値」
 です。試行ごとにプラスもあればマイナスもあるであろう、一回ごとの差額の期待値です。2封筒問題の趣旨をもう一度思い返してください。
 別々の試行(封筒内金額の異なる試行)における獲得金額を比べても大半は(たまたま同じペアだった場合を除いて)意味がないので、全試行をいっしょくたにする③は2封筒問題ではお呼びでありません(※注)。
 求められているのは試行ごとの期待値に関わる④です。
 ペアごと(設定A、B1)、金額ごと(設定B2、C)の区別はありますが、ともかく試行ごとの期待値に関わる④が求められているものです。

 まさか、私がhttp://8044.teacup.com/miurat/bbs/3244で「交換の期待値-非交換の期待値≠0」等々の書き方をしていたからてっきり③のことだと思った、なんて情けない弁明はモンテカルロさんはしないでしょうが、
 ともかく語の本義を見ていただいて、誤解を招く「交換の期待値-非交換の期待値」なる表現はやめにして、④を以下、便宜的に「交換-非交換の期待値」と書きましょう。あるいは単に④と。

 ①②③が値を持とうが持つまいが、④は値を持ちえます。
(あるいは少なくとも、①②③が無意味であることから、④が無意味であることは論理的に導かれません)

 現に、
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3168
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3169
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3177
↑を見てわかるとおり、モンテカルロさん自身が次のことを認めています。
 「交換の期待値および非交換の期待値が発散する場合であっても、交換-非交換の期待値=0になることがある」
   (「①②③が無意味でも、④=0は真でありうる」)

 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3244の最後、
 「ペアの金額が異なる場合での反例」(未開封バージョン)についても、モンテカルロさんは④=0(「交換-非交換の期待値=0」)を認めることでしょう。
 ∀x(3x/2=3x/2)ですから。

 いずれにせよ、モンテカルロさんは①②の期待値が発散する場合においても、④=0(交換-非交換の期待値=0)が意味を持つことは認めていますね。


今さら、「①②の期待値が存在しないのだから、③という差をとりようがない」などと寝惚けたことを言わないでください。
 わざと議論を停滞させているとしたら悪質ですよ。
 ③は現在の問題に関係ありません。

 そのうえで、
↓の問題の場合、④=0という有意味な命題が偽であること(あるいは少なくとも未解決の対立仮説に過ぎないこと)を証明してくれ、と私は前々から言っているのです。

 ■見分けのつかない二つの封筒の一方には他方の2倍の金額が入っている。胴元は、適当な額を適当な確率分布に従って入れたのだが、その確率分布がどういうものであるかは全く不明である。
 さて、プレイヤーは、一方の封筒を手に取った。
 手に取らなかった方の封筒と交換すべきだろうか。(④はゼロ以外の値だろうか)
       (http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3244の設問の表現を一般化しました)

 期待値が有限であるような確率分布であれば、④=0であるから、プレイヤーは、交換しても損得ナシである。
 期待値が発散するような確率分布だったら?

 ↑確率分布は全く不明なので、「期待値が発散するような確率分布だったら?」に答えるためには、「期待値を発散させる★任意の★確率分布」において妥当する回答を出さねばなりません。
 そして、すでに任意の確率分布について④=0(交換-非交換の期待値=0)という有意味な回答が存在します。(2封筒問題の実践に忠実な、ペア内での交換を繰り返した計算、つまり括弧付け替えをしない自然な計算によって)
 モンテカルロさんがやるべきことは、「期待値を発散させる★任意の★確率分布」において、「交換-非交換の期待値=0」とは矛盾する計算結果が存在することを証明し、「交換-非交換の期待値=0」が唯一の正解であることを否定することです。
 (ちなみに、交換を意味するとは言えない計算で期待値変化を発散させても無駄であることは、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3175後半で確認済み)

 期待値が発散する場合は答えなくてよい、などという言い逃れは通用しません。「交換-非交換の期待値=0」という「現に有る有意味な答え」を否定できる(あるいは少なくとも未解決の対立仮説へと転落させうる)、とモンテカルロさんは積極的に断定しているわけですから、答える責任があります。

 ちなみに、
 もともと2封筒問題では、
 「交換すべきかどうか」「交換が得ではなかろうか」という問いになっており、その根拠として期待値計算が用いられているだけです。
 つまり、2封筒問題は、期待値を求める数学の問題ではなく、損得判断(合理性の判断)についての問題です。
 このことは私が前々から言ってきたことです。
 数学を無視しては解けない問題ですが、杓子定規に数学を適用するとおかしなことになる、それを合理的に解決する問題です。
 つまりは、本当は数学と矛盾しないのだという解説を行なうことです。
 私はそれをやったつもりですけれどね。
 (モンテカルロさんが「数学の概念は2封筒問題において全く無力である」なんて敗北主義をとるとは意外ですね。真意でしょうか)。
 ちなみに、私は「サンクトペテルブルク」については、『論理パラドクス』で、「試行を無限回やれば、獲得金額の平均がたしかに無限大となるので、期待値計算に合致している」という趣旨の、数学と矛盾しない常識的な解説を行ないました。

 さて、
 ①②③に執着することで問題をウヤムヤにされてはいけませんから、モンテカルロさんには新たに次の質問をしておきましょう。

 ■問α
 白赤2つの封筒がプレイヤーに提示される。
 赤には白の2倍の金額が入っていることだけがわかっている。
 つまり、(白の金額、赤の金額)=(x、2x)
 いま、白の封筒を与えられた。赤の封筒に交換すべきだろうか?

 任意の有限の金額について、交換すると必ず2倍の金額が得られるわけですが、
 モンテカルロさんはまさか、赤白ともに期待値が発散するという理由で、交換の期待値変化も無意味だと、つまり交換が得であることを否定すると、いうことはないでしょうね?
 「2つの封筒内金額には期待値①②が存在しないし、各試行の期待金額差④がゼロでもないので、交換による期待値変化を云々することは無意味」と言い続けますか?
 もしそう言うとしたら、問αや2封筒問題の解決(および解説)にとって役に立ちません。

 2封筒内金額の期待値①②が存在しない場合にも④=0(交換-非交換の期待値=0)ということがあったように、④>0(交換-非交換の期待値>0)ということがありえます。


問αはそれに該当します。

 問αで「交換すると非交換のときより2倍の得」は自明ですが、
 これを数学で、全体として「交換の期待値=非交換の期待値×2」と(③の語法で)表現してよいのかどうか私は知りません。
 が、④の語法で「任意のペアについて、交換の期待値=非交換の期待値×2」と言ってよいことは数学的にも間違いないはずです。
 問題αで「交換すると得」と言えるためには、「任意のペアについて、交換の期待値=非交換の期待値×2」が言えるだけで十分です。③の語法は無視すべきでしょう。

 というわけで、
 全体としての期待値①②やその差③が存在するかどうか、にこだわるのは、問αや2封筒問題では的外れなのです。
 期待値無限大にかこつけて「期待値変化:無意味」で処理しようとするのは、実験可能ですらある2封筒問題からただ逃避した悪しき敗北主義にすぎません。

 いずれにせよ、
 2封筒問題が「無限級数の問題」だというモンテカルロさんの観察は間違いだったようです。
 無限級数において、交換を意味する計算で期待値変化を発散させる一般的証明がついにできなかったわけですから。

 ※注
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3241
 におけるおかめ石さんの
「この時(2→1)交換と(16→32)交換は互いに排反事象ではありません」
 は、このことを捉えたコメントであったと理解できます。


Re: 幕間 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月24日(土)02時18分54秒

> No.3256[元記事へ]

スターダストさんへのお返事です。

美添論文、モチーフはわかるのですが、
この種の「これこれの事前分布が正しければ金額を見たことが判断改訂の理由になるのは当然」的な解法というのは、2封筒問題の趣旨から外れているように思われます。

 特定の事前分布を仮定すれば、確かに計算問題となって、金額というデータから期待値が計算できるでしょう。
 しかし、「事前分布は一切わからない」というところに2封筒問題の本質があるのではないか。

 もちろん、無限列から一つ選ぶときに、人間にとって尤もらしい事前分布というものを考えるのは、それはそれで面白い課題だと思います。
 しかしそのために2封筒問題の設定は必要ないでしょう。
 必要ないどころか、ペアの間の比率のような余計なパラメータが入っているし、
 事前分布の問題を考えるには、もっと直截の、「封筒の中身を推測する」とか、「封筒の中身について二つの候補を出して、仮説検定する」とか、そういう問題の方が適しているのではないでしょうか。

 2封筒問題というのは、
 「一般的な事前分布」を推測するというような経験的問題ではなく、論理の問題だと思うわけです。対称性、変項・定項の関係、準拠集団の同定などの。


Expectation is Zero 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 9月23日(金)23時25分55秒

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3244 (9月21日(水)05時08分)

φさんへのコメントです。

>  ちなみに、無限級数の( )の括り毎にかかる確率をみな等しいと見なすことはできない。無限にわたる一様分布は不可能だからである(もともとのモンテカルロさんの常識的主張を引き写しただけ)。主観確率的な一様分布の仮定は、☆のように、無限列のうち有限の部分についてのみ可能である。

http://www.pitt.edu/~jdnorton/papers/Exchange_paradox.pdf
 (When the sum of our expectations fails us: the exchange paradox, by John D. Norton)
の9頁目("The Symmetry Argument : Expectation is Zero" )でも、「『ゼロに収束』・『正の無限大に発散』等の間で不定な級数」に関して言及した後、同じ観点から「ゼロに収束」するのを、解法例の一つとして挙げてますね。

E(e2-e1) = [(2-1)+(1-2)]p0 + ... + [(2^(n+1)-2^n)+(2^n-2^(n+1))]pn + ...
=[0]p0 + ... + [0]pn + ... = 0 + ... + 0 + ...
= 0

「P(2^n, 2^(n+1)) = P(2^(n+1), 2^n) = pnであり、ペア毎の確率(p0, p1, p2, …)は等しくない」として、各「得失値×確率」はペア毎に相殺されて、総和がゼロに収束する、と言うものです。

例の「ポータル」では自説以外ではチャーマーズ説の検討が主ですけど、ノートン説に対しても少し触れてますね。



再びTTT氏へ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月23日(金)17時45分38秒

> No.3242[元記事へ]

TTTさんへのお返事です。

> φさんが2封筒問題を「数学と一切関係のない問題」と捉えるなら、

確かにφ氏は一度も「2封筒問題は数学の問題だ」とはいっていないし実際そうだろう。

> 数学概念である確率や期待値を用いず、問題提起し解決(解答)すべきでしょう。

そもそも数学の概念が2封筒問題において
全く無力であることは散々示したとおりである。
φ氏が考えたがっている確率分布は数学的には設定できない。
φ氏が求めたがっている期待値は数学的には存在しない。

> または
> 「私のロジックは、数学理論(を無視、反していようがいまいが)と全く関係ない、
> アドホックなものである」
> 等と明記すれば良いです。

数学が無力なのだから、わざわざ反する必要もない、ともいえるw

φ氏はどうせ数学なんてクソだと思ってるんだろうから
数学の用語やら概念やらをひけらかして喜ぶ数学バカ
なんていまさらなりたくもないでしょう。

数学の外の議論が「アドホック」であっても
それはそれで仕方ないでしょうな。
ただし、それを新たな数学として認めろ、と
いうのであれば、話は別ですが。
数学者には数学者の
「認知バイアス」
があるからw



将軍様のつもりのおかめ石サマへ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月23日(金)17時30分45秒

おかめ石さんへのお返事です。

> 得失値をズラッと平板に並べた無限級数
>  (+1)+(-1)+(+2)+(-2)+(+4)+(-4)+(+8)+(-8)+…
> と言う捉え方は、例えば(2→1)交換と
>(16→32)交換が対等に扱われて居る訳です。
>と言う事は、これらが互いに排反事象として扱われて居る事に成りますけど、
>果して本当にプレイヤーにとっての排反事象なのでしょうか。
>
> いいえ、そういう事はありません。
> ◆◆(2→1)交換がプレイヤーに選ばれた時、
>(16→32)交換の選ばれる可能性は全く無かったのです。◆◆
>(2→1)交換と(1→2)交換との範囲内でプレイヤーは選んでいたのです。
>
> つまり、この時(2→1)交換と(16→32)交換は互いに排反事象ではありません。
> この時プレイヤーに有った選択肢は、(2→1)交換と(1→2)交換の2つだけでした。
>
> 従って、プレイヤーにとって排反事象でないもの同士を羅列した
>◆級数による手法は不可です。◆

ここは北朝鮮ではないし
おかめ石氏は将軍様ではない。
だからおかめ石氏には従わない。


TTT氏へ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月23日(金)17時23分10秒

> No.3243[元記事へ]

TTTさんへのお返事です。

> φさんは極端に特殊で限定的な立場から
> 自身の論の正当性、他の論の不当性を主張し、
> アドホックか否かの判断をしているので、
> より一般的な立場から見れば、
> φさんの論こそ恣意的でアドホックです。
> 論理の前提、仮定とした条件などを蔑ろにしているから、
> 自身がアドホックな事に気付けないのでしょう。

φ氏は
「極端に特殊で限定的な立場から、
 自論の正当性を主張しているのは
 ほかならぬ数学者どものほうだ」
と思ってるんでしょう。

要するに、今の数学に異議を申し立てたいわけだ。

> 例えば
>「~の原理より、○は正しくて、◇は誤り」
> という主張の正しさは、その原理(とその適用の仕方)を
> 認める立場(哲学主義)の人同士(仲間内)でしか通用しませんが

思うに、φ氏と同じ立場の哲学者がいるとは思えないな。

哲学者というのはみな一匹狼で、それぞれが
自分の主義を主張しているから、同じ立場で
共感するとかいうことはまずないし、そういう
「世間的な連帯」なんてクソだと思ってるでしょう。

> 「~という確率空間で、○の期待値は…である」という
> (前提が明確である)数学的主張は
> いかなる立場(哲学主義)にも依らず、
> その正しさが決まります。

「数学では正しい」という物言いは
「数学における前提のたて方がおかしい」
という人にとっては何の意味もないんでしょうな。

まあ、全体的証拠とやらについていえば、数学者のほうも
「任意の計算順序で同じ値なら、級数の値と認めてもよい」
という風に利用しているわけで、この点でいえば
「上記の条件が成り立たない場合にも、オレ様の計算方法では
 他の場合のときと同様0になるから正しいんだ」
とかいうφ氏の主張は、全体的証拠とやらの使い方が
なんかおかしいわけですよ。

だって、結局は
「特殊な設定によって出てくる
 特殊な級数に対して成り立つ
 特殊な計算を正当化するだけの
 特殊な議論に過ぎない」
わけですからね。




美添論文について 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月23日(金)16時57分46秒

> 統計学者・経済学者である青山学院大学経済学部教授、
>美添泰人氏(ヨシゾエ ヤスト)は、
>"two envelopes problem" に関連して
>ベイジアンの立場から論文を出されています。
>
> ■「効用についてのパラドックス―ベイズ統計からの解答―」
> 1990/03 『立正大学経済学季報』(東洋経済) 第39巻
>
> この論文への言及を含めた"two envelopes problem"について
>分析した資料を以下のURLにて読むことが出来ます。
>
> ■確率に関するパラドックス(その1)
> http://www.yoshizoe-stat.jp/seminar/sinf1.pdf

この論文なら、以前読んだ。

スターダスト氏はわざわざ
「効用関数として u(x) = x を採ったとき」
と書いているが、このことは特に重要でわけではない。

むしろ、連続分布の利用のほうが、
論文での結論の導出においては、より重要だろう。

スターダスト氏は、また
「連続分布を仮定することは不自然ではないだけではなく,
 問題をより意味のあるものにしている」
と書いている。

連続分布を用いるのは自然だと思うが
それで問題の意味が増した、とは思わない。

例えば、連続分布で考えた場合、一様分布における
「相手が二倍の額であるような条件つき確率」
は1/2ではなく、2/3になるというのは、
確かにその通りであるが、その結果として
パラドックスの解決に結びつくどころか
むしろパラドックスの度合いを拡大して
しまっている。
(fried_turnip氏は連続分布の"効果"を見誤り
 上記の条件つき確率が1/3になると
 思ったようだが、実際には美添氏の計算が正しい)

ちなみに、論文にもあるとおり、
連続分布で上記の条件つき確率が1/2になるような分布は、
金額xに対して反比例するようなものとなるが、
一様分布にしても、金額xに反比例する分布にしても
0<x<∞全体における積分値が1となるようには
できない「散漫な分布」である。

(追伸)

ところで、有理数は稠密ではあるが"連続"ではない。
このことは、デデキントの切断によって説明できる。
例えば、有理数を「ある数x以下のもの」と、
「xより大きいもの」で2つに分けた場合
例えばxが無理数(√2等)であれば、
前者には上限となる数がなく、
後者には下限となる数がない。

一方、連続であれば、上記の場合には
前者に上限となる数がなくてはならない。




幕間 投稿者:スターダスト 投稿日:2011年 9月23日(金)15時24分0秒

幕間です。ひといきつきましょう。

統計学者・経済学者である青山学院大学経済学部教授、美添泰人氏(ヨシゾエ ヤスト
)は、"two envelopes problem" に関連してベイジアンの立場から論文を出されています。

■「効用についてのパラドックス―ベイズ統計からの解答―」
1990/03 『立正大学経済学季報』(東洋経済) 第39巻

この論文への言及を含めた"two envelopes problem"について分析した資料を以下のURLにて読むことが出来ます。

■確率に関するパラドックス(その1)
http://www.yoshizoe-stat.jp/seminar/sinf1.pdf

※個人的には、効用関数として u(x) = x を採ったときの議論が非常に面白かったです。
たとえば、通貨ならば離散的(自然数的ないし整数的)であるのに、
『封筒の中身が現金ではなく,「この証書の所持者には毎日1001円を(永遠に)支払う』という証書であったら,」
とする工夫など、有理数的な尺度の導入に成功していること、そして、連続分布を仮定することは不自然ではないだけではなく,問題をより意味のあるものにしている工夫など、大変に興味深いものになっています。

=== 本日、体調を崩しておりまして視力が果てしなく落ちております。 皆様からのご助言につきまして、後日にお返事したく存じます。もうしわけありません。




数学の問題と、数学以外の問題 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月23日(金)09時57分57秒

> No.3251[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> 眠り姫問題はただでさえ難問なわけですが、

しかし、それはもはや数学の問題ではない。
ベルトランのパラドックスと同様に
トランス数学の問題である。

例えば、ベルトランの問題の答えが1/2となるような
直線の分布を一様とするのが都合がいい場合がある。
このような「都合」は、トランス数学によるものである。

ちなみに、下記のサイトの説明は、数学的にはなかなか面白い。

http://www.sakura.cc.tsukuba.ac.jp/~komaba/ssh/library/129.htm


損得 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月23日(金)09時39分49秒

損得を期待値ではかる必要はない、という意見があっても結構だが、
「いかなる場合にも交換により期待値は変化しない!」
という主張とは無関係であるから、何の意味もない。

もちろん、期待値が存在しない場合にまで
「いかなる場合にも交換により期待値は変化しない!」
と主張する
数学的誤り
を認めて撤回した上で、GUDを持ち出すのであれば
大変結構である。ぜひそうされたい。


Re: 銀河帝国の2封筒問題 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月23日(金)09時31分35秒

> No.3238[元記事へ]

スターダストさんへのお返事です。

> 甲設定:
>「実は…甲の小切手の通貨αは、乙よ、
> おまえが普段使っていた通貨【円】と同価値であり
> 為替レートは1:1なのだ。1α=1円」
> 乙設定:
>「実は…乙よ、お前の小切手の通貨βは、
> おまえが普段使っていた通貨【円】と同価値であり
> 為替レートは1:1なのだ。1β=1円」
> 皇帝設定:
>「実は…乙よ、二人に与える小切手の金額の合計は、
> おまえが普段使っていた通貨【円】で換算すると、丁度、3000円なのだ。
> 皇帝ってケチだろう?ふふふ。」

ついでにこんな設定も追加した。

宰相設定:
「実は…乙よ、二人に与える小切手の金額の合計は、
おまえが普段使っていた通貨【円】で換算すると、丁度、1500円なのだ。
皇帝の侵略政策のお陰で、帝国の財政は逼迫しておるのだよ。トホホ。」

甲設定をα、乙設定をβ、皇帝設定をγ、宰相設定をδ
とすると、以下のように表わせる

α: αは円と同じ
β: βは円と同じ
γ: α、βのうち、低額側のほうが円になる。
δ: α、βのうち、高額側のほうが円になる。

スターダスト氏の計算の通り、交換の期待値は

α (-500+1000)/2=250 得
β (500-1000)/2=-250 損
γ (-1000+1000)/2=0  損得無し
δ (-500+500)/2=0   損得無し

となる。

思うに、α、βは、φ氏のいう
「コイン投げゲーム」
と同じとなるだろう。

γ、δで、損得無しとなるのは、
「円と等しくなる確率もα、βとも1/2」
なり、"対称性"があるためと考えられる。

例えば、「」内の条件を保ったまま

ε: 高額側、低額側とも円と等しくなる確率は1/2

とした場合、交換の期待値は

ε (-1000+1000-500+500)/4=0 損得無し

となり、やはり損得無しとなる。

スターダスト氏のいう
観測選択効果
なるものは、α、βの貨幣単位の不変性を
指すものと思われる。

さて、

>私の・・・理解では、モンテカルロさんのご示唆は
>以下のようなものだったのではないでしょうか?
> ・設定の付加されない帝国版2封筒問題には合理的な解がない。

まず、私は、スターダスト氏のはじめの問題では
「円」についてまったく述べられていなかったので
「そもそも、貨幣単位の基準を完全に撤廃した」
と考えていた。

円なる貨幣単位の基準を持ち込む場合、
為替レートをいかような形にも設定できる
とするなら

ω: α、βと円との交換レートは、両者共通の確率分布で決まる

という設定も可能であろうし、その場合の確率分布から
甲および乙が得る金額を円に換算した場合の期待値を
表わすはずの級数が発散する場合には、やはり
計算の仕方によって値が変わってしまうだろうと
考えられる。

φ氏への最後の記事にも大々的に書いた通り、
級数が発散する場合には、期待値は存在しないから
計算の仕方による値の違いは、交換による期待値の変化
を表わすものではないし、期待値が存在しないのだから
期待値の変化を表わす筈の級数についてのある計算値
が0になるからといって交換による期待値の変化がない
といえるわけではない。

「合理的」という言葉を用いるなら
計算順序の違いによって値が変わる級数が
それでも特定の計算方法によって算出された
値によりある値を持つと考えるのは、
まったく合理的でない


完全に殲滅 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月23日(金)08時58分55秒

φさんへのお返事です。

> > B1の計算結果が発散する場合には
> > 期待値の計算が発散していると
> > わかればよい。それで終り。
>
> ↑
> 「それで終わり」なんですか?
>  逆命題を証明しなくてよいと。

ええ

> まさか。

今、ここでφ氏を完全に殲滅します。

> モンテカルロさんの計算では? 括弧付け替えの計算によって、
> 交換の期待値-非交換の期待値≠0にできる保証があるんですか?

φ氏の上記の文章が数学的に間違った
トンデモ発言
です。

つまり、期待値を表わすはずの級数が、括弧付け替えの計算によって
値が変化するのであれば、その級数はもはや期待値を表わさない、
つまり、期待値は存在しない、ということなのです。

交換しようとしまいと、期待値が存在しないのだから、
差をとりようがない。

> 「その保証がなくても、期待値が発散する場合は
> 交換による期待値変化はゼロでなく無意味」
> というトンデモをモンテカルロさんは唱えているのです。

否。
期待値を表わす級数が発散する
ということは、
期待値が存在しない
ということです。したがって
存在しない期待値に
変化もクソもない。
ということです。

私とTTT氏が共通していっているように
期待値が存在するのは
期待値を表わす筈の級数の
計算順序をいかように変えても
計算値が変化しない場合
その場合に限る
のです。

計算順序の変化によって
値が変わる級数は、もはや
期待値を表わさない
以上、

>  せめて、交換の期待値-非交換の期待値≠0にできる
> という証明をしてから、次に進んでください。

という言い方は、
全く無意味
です。

これでφ氏は完全に殲滅されました。

(追伸)

ところで、期待値が存在しない分布はザラにあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/コーシー分布

グラフの形は正規分布に似ていますが、性質は全く異なります。
正規分布には期待値としての平均値も、
ばらつき具合をしめす分散値もありますが
コーシー分布にはそのようなものはありません。
最頻値および中央値はありますが、
それは平均値ではないのです。


Re: 銀河帝国の2封筒問題 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月23日(金)03時49分21秒

> No.3250[元記事へ]

スターダストさんへのお返事です。

眠り姫問題はただでさえ難問なわけですが、
そこに2封筒問題を絡めるととてつもない超難問になってしまいますね。
ただし、その合成問題が、もとの問題を解く手掛かりになるかもしれませんね。

2封筒問題は、ほかに、チャルマーズ論文のようにサンクト・ペテルブルクパラドクスと絡められたり、
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3132で述べたように抜き打ち試験のパラドクスと絡んだり、
『論理パラドクシカ』で示唆したようにフロリダ問題と絡んだりと、
各方向への応用がありうるわけですが、
眠り姫問題とも確かに相性が良さそうですね。

 さて、以下の件ですが、

>
> φ>  封筒を選んだときに比べ、2封筒の中の金額が2:1だと知らされるタイミングが、先か後かによって、交換したくなるかどうかが決まる、と。
>
> φ>  スターダストさんの「感じ」はそれではないでしょうか。
>

 もうちょっと考えたいと思います。

 2封筒相互の中身の倍率を知るタイミングというのは、
 知る以前に封筒を選んだ場合には、選んだ封筒と他方の封筒との間に非対称性を作り出すと思われます。
 しかしそれが、封筒の中身を知ることと同じ種類の非対称性かどうかは、一考の余地がありそうです。

 また、期待値というのは損得と直接結びつかない場合がありますね。(サンクト・ペテルブルクはその好例)

 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3224
 でおかめ石氏がリンク付けしてくれた記事には、期待値と損得とを切り離す原理(GUD)というのが論じられています。

 期待値は損得の参考にはなっても、損得判断(合理的判断)を一義的に決定はしないということです。

 当たり前のことではありますが、
 ではどういう場合に期待値に従うべきなのか、従わざるべきなのか、そしてその理由は、というのはかなりの難問です。囚人のジレンマやニューカム問題の源がそれで、2封筒問題もその流れにあるのかもしれませんね。

 ただ、私の感じでは、2封筒問題は、期待値計算と損得判断とは一致する問題ではないかと思われます。
 しかし、「2封筒相互の中身の倍率を知るタイミング」が入ってくるとどうなるのか、合理的判断を期待値に直結させつづけられるのか、まだ茫漠としていますが、恐らく明晰化可能な興味深い問題です。


Re: 銀河帝国の2封筒問題 投稿者:スターダスト 投稿日:2011年 9月22日(木)13時21分56秒

> No.3249[元記事へ]

φさんへのお返事です。

φ> スターダストさんへのお返事です。

φ> ハッキリしたことはまだわかりませんが、だいたいこういうことじゃないですか。
φ>  つまり、

φ>  封筒を選んだときに比べ、2封筒の中の金額が2:1だと知らされるタイミングが、先か後かによって、交換したくなるかどうかが決まる、と。

φ>  スターダストさんの「感じ」はそれではないでしょうか。

私が *感じ* ていたこととは別の座標軸をご教示いただいたようです。なるほど、情報を得るタイミングですか。なるほど。 考え込んでしまいます。

φ>  理由は、もう少し考えを整理してから述べることにします。

楽しみにしております。是非ご教示くださいませ。

φ>    ここから、問題の構造について、新しい発見がありそうです。感謝します。

私のようなド素人の疑問に取り組んでいただいて幸いです。ありがとうございます。

===
以下、断片的な感想です。
===
・情報を仕入れるタイミングとは別に、【眠り姫問題】における、例の、コインの先投げ設定かどうかで構造が変化する・しないの分析を連想いたしました。連想しただけです。

===
・【眠り姫問題】では眠り姫=観測者がひとりでした。一人称的なテーマを論じているわけですから、ふさわしい設定です。

ですが、昨日、私は、【2人の眠り姫問題-バイト代付き】を考えていました。 とはいえ、それほど詳細な思考ではありません。 互いに家族ではないアリスとエリスを同時に、系にツッコムわけです。コインの表・裏に従って、アリスとエリスとを場合Aと場合Bとに対称的に振り分けて眠らせインタビューする実験です。一人の眠り姫は一回だけインタビューされ、もう一人は2回インタビューされます。

そしてさらに設定を追加します。インタビュー1回につき300円のバイト代を *実験終了後に* 彼女らの家族に渡すと、実験の事前に2人に説明しておきます。アリスとエリスのどちらかの家族は600円を受け取り、もう一人の家族は300円を受け取ることになります。合計支払金額は900円です。
(オリジナルの眠り姫問題に準拠して…眠り姫たちは実験後も眠ったままになりますので)
あなたはアリスです。実験が始まりました。
■「さぁ、あなたは目覚めた。そこでインタビューを受ける。あなたが稼いで家族が受け取ることになるバイト代はいくらだと思うか?期待値を計算せよ。」

目覚めたアリス=あなたは、(あなたがErgaのように1/3派ならば) バイト代の期待値は 500円 と答えるのではと、私は考えました。450円と答えるならば恐らくあなたは1/2派なのでしょう。
システムは対称ですので、仮にあなたがエリスだとしても、バイト代の期待値は 500円と答えることでしょう。
すると、2人のバイト代の合計の期待値は 1000円なのでしょうか? さきに確認したように合計支払金額は900円のはずです。

結論からいえば、2人のバイト代の合計の期待値を求めたくて 500+500 と式を立ててしまうことに問題があると言えると思います。 アリスの観測選択効果の下での500円と、エリスの観測選択効果の下での500円とは、異なる空間にあるものですから、これらを何の考慮もせずに単純に加算することに無理があるのでしょう。

インタビューの内容を差し替えてしまったらどうでしょう。
「給料袋を交換したいか?」

観測選択効果の下、アリスは自分のバイド代の期待値は500円であり、相手方エリスのそれは400円であるはず、と目算しますから、給料袋の交換は拒むことでしょう。
アリスとは別の観測選択効果の下、エリスもまた同じように判断し給料袋の交換は拒むことでしょう。

※給料を支払う代わりに、お金を取られる設定にし請求書のはいった封筒を交換するかどうか問われれば、アリスもエリスも、ともに、互いに封筒を交換したくなることでしょう。

帝国版2封筒問題の構造の一部に似ている構造がここにもあるのではと考えました。
一般に、ひとつのシステムに 2人の観測選択効果を見る場合、他者の観測選択効果の中の数値を自らの観測選択効果の中の数値と合算したり差異を計算したり、掛けたり割ったり…することは出来ないに違いありません。一般には。
この意味で、2人の観測選択効果は互いに干渉しあいませんので独立であろうと考えることができましょう。
したがって、甲によって、こっちの封筒が良さそうだ、と判断されたことと、乙によって、あっちの封筒が良さそうだ、と判断されたこととは、独立です。 客観的に見て、いっけん矛盾であるようにさえみえる「互いに封筒を交換したくなる心理」は、実は矛盾でもなんでもなく、当然なのかもしれません。




Re: 銀河帝国の2封筒問題 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月22日(木)03時17分32秒

> No.3248[元記事へ]

スターダストさんへのお返事です。


ハッキリしたことはまだわかりませんが、だいたいこういうことじゃないですか。
 つまり、

 封筒を選んだときに比べ、2封筒の中の金額が2:1だと知らされるタイミングが、先か後かによって、交換したくなるかどうかが決まる、と。

 スターダストさんの「感じ」はそれではないでしょうか。

 type0 (もとの設定)
 2封筒内の金額が2:1だと知ったうえで一方の封筒を選んだ場合、中を見なければ、とくに交換が得だとは感じない。

 type2
 一方の封筒を選んだ後で、実は2封筒内の金額が2:1だと知らされれば、交換した方が得だと感じる。

 と、そういうことではないでしょうか?

 そういうことだとして、では、なぜ「感じ」が異なるのか?
 その「感じ」は正しいのか?

 私は、その「感じ」は正しいと思います。

 そして、その理由は、実際に、type2の知識獲得のタイミングは、金額を見た場合(type3は金額を見てしかも後から金額比が知らされる設定ですが)と同等の効果を持つからではないでしょうか。

 整理すると、
    (「金額を見る/見ない」は、封筒を選ぶ前か後かを問わない)

 選ぶ前に封筒内の金額比を知り、金額を見ない…… 交換で損得ナシ
 選ぶ前に封筒内の金額比を知り、金額を見る…… 交換で損得アリ
 選んだあとで封筒内の金額比を知り、金額を見ない …… 交換で損得アリ
 選んだあとで封筒内の金額比を知り、金額を見る …… 交換で損得アリ

 とまあ、こういうふうになるのではないかと。

 理由は、もう少し考えを整理してから述べることにします。

   ここから、問題の構造について、新しい発見がありそうです。感謝します。


Re: 銀河帝国の2封筒問題 投稿者:スターダスト 投稿日:2011年 9月21日(水)11時27分38秒

> No.3246[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> スターダストさんへのお返事です。
>
> >
> > ===
> > 皇帝設定:首相がそっと乙の耳元で囁いた。
> >「実は…乙よ、二人に与える小切手の金額の合計は、
> >おまえが普段使っていた通貨【円】で換算すると、
> >丁度、3000円なのだ。皇帝ってケチだろう?ふふふ。」
> > …
>
>  皇帝設定では、主観的な対称性が破れていませんよね。
>  2封筒問題で片方の金額がわかったとき(甲設定、乙設定もそれですね)に対称性が破れたような事態が、皇帝設定では起きていないわけですね。

そのような題意を実現できていればありがたいです。


>  したがって、皇帝設定の首相の言葉が発せられる前後で、2封筒問題の論理構造は変化していないと思われます。

さきの私の投稿においては、なにかしらわけのわからないものが変化していることとなります。いったいなんなのか…頭が整理できていません。どこか間違っているからかもしれません。


>  「設定の付加されない帝国版」では、私が正解とした考え方では、合計金額が3aという定数(客観的には。主観的には変数だが)でした。
>  つまり、2封筒の合計金額は定数である、という客観的事実をもとにした推論は、ペアが確定している、という客観的事実をもとにした推論であり、
>  対称性が保たれているうちは、その推論でよいわけですね。

もしくは、換算単位が G=α + β である貨幣単位Gの導入を考えていました。Gを皇帝直轄の帝都惑星の貨幣単位と考え、たまたま、G=α + βであったとしても、問題の一般性は失われないことでしょう。 二人に支払われる小切手の総額は 1000Gで固定、このような皇帝設定では、甲も乙も当初自分に与えられた小切手と相手に与えられた小切手の額面の価値について考えると、主観的には、両者は同じであり、交換の必要を感じない、交換してもよいが利得の増減はない、そのように考えております。


>  対称性が保たれているうちは、その推論でよいわけですね。

本日投稿した先のポストでは、そうなっていないという試論を記しました。 対象性は保存されているのに、皇帝設定版と設定の付加されない版とでは、甲乙二人の行動が異なるであろうと。どうか、ご批正を乞うことをお許しください。

>
>  つまり重要なこと(期待値判断に影響する要因)は、変数が定数になったかどうかではなく、
>  主観的な対称性が破れたかどうかなのでしょう。
>
>  一方の金額について具体的金額が判明して変数が定数となると、相手との対称性が破れ、期待値が変わります。
>  ところが、合計金額について具体的金額が判明して変数が定数となっても、相手との対称性が破れないため、期待値は変わりません。
>
>  と、そういうことではないでしょうか。
>

主観的な対象性が破れていなくとも、行動の変化がありうるのではないかと *感じ* ました。

以上です。よろしくお願い申しげます。



題名の誤り:帝国版1封筒問題 投稿者:スターダスト 投稿日:2011年 9月21日(水)11時13分3秒

φさんへのお返事です。


φ>それと、「帝国版1封筒問題」というのがどういう問題なのかがよくわかりませんでした。封筒ペアの金額は始めから決まっているが、プレイヤーが二つから任意に選ぶのではなく、一つを渡されてもう一方が遠くにある、というような、「知識でなく形が非対称的な」設定ということですか?

もうしわけありません。題名がスカタンでした。一封筒というネーミングのは完全なミスです。二封筒あります。(もうひとつのボツネタの方の問題の題名を記してしまいました。)

少し手を入れて再掲します。
■あなたは皇帝からただひとり召還を受け謁見を許された。皇帝から未開封の2封筒を見せられ、どちらかを与えると言われた。片方の封筒の開封を許され、1000γの額面の小切手が入っていることを確認できた。あなたは通貨γの貨幣価値を知ってはいない。開封はしなかったが説明によれば、もう片方の封筒には、1000δの小切手がはいっており、1γ=2δ、ないし、2γ=1δの為替レートがそれぞれ1/2の確率で正しいとされた。どちらの封筒をもらったら得であろうか。


※上記、お一人様帝国版2封筒問題とでも名前付けすればよかったのでしょうか…なにか変ですけれども。本投稿に限ってtype1とさせてください。

===
type2
■あなたは皇帝からただひとり召還を受け謁見を許された。皇帝から未開封の2封筒を見せられ、どちらかを与えると言われた。片方の封筒の開封を許され、1000γの額面の小切手が入っていることを確認できた。あなたは通貨γの貨幣価値を知ってはいない。開封はしなかったが説明によれば、もう片方の封筒には、2000γの小切手がはいっているか、または、500γの小切手がはいっているか、どちらかが成立し、それぞれ1/2の確率で成立するとされた。どちらの封筒をもらったら得であろうか。


===
type3

■あなたは皇帝からただひとり召還を受け謁見を許された。皇帝から未開封の2封筒を見せられ、どちらかを与えると言われた。片方の封筒の開封を許され、1000円の額面の小切手が入っていることを確認できた。あなたは通貨、円の貨幣価値を知っている。開封はしなかったが説明によれば、もう片方の封筒には、2000円の小切手がはいっているか、または、500円の小切手がはいっているか、どちらかが成立し、それぞれ1/2の確率で成立するとされた。どちらの封筒をもらったら得であろうか。

===
・私は、type3 なら 封筒を取り替えます。開封されていない封筒を選びます。この行動選択によって1250円の期待値が目算できると *感じる* からです。

・私にとって type2 の問題と type3 の問題は (現段階の理解においては)等価です。通貨単位の価値を知らなければならない理由を見出せないからです。従って type2 の問題においても、封筒を取り替え、開封されていない封筒を選びます。この行動によるゲインの期待値は 1250γでしょう。おそらく。別の言い方をすればtype3において貨幣価値を知らない宇宙人だったらどうだったろうかという変種を考えたことになります。

・私にとって type1 の問題と type2 の問題は、(現段階の理解においては)やはり等価です。未開封の封筒の2000γないし500γの小切手の価値を別途用意した貨幣単位δで置換表現したに過ぎないからです。
※ここについては、昨晩ベッドの中で考えを改めました。今までの投稿内容と不整合が発生しておりますがお許しくださいませ。
・従って、おそらく、type1 の問題において、私の行動は、封筒を取り替え、開封されていない封筒を選ぶこととなります。

===
No.3238の記事で私は次のように述べました。

※帝国版2封筒問題は、下記の帝国版1封筒問題の重ね合わせなのか否か、私にはわかりません

誤謬が含まれていますので、これを書き直します。

※帝国版2封筒問題は、お一人様帝国版2封筒問題(実はtype1)を、二人同時に行って組み合わせた重ね合わせにすぎないのであろうか。
■あなたは皇帝からただひとり召還を受け謁見を許された。皇帝から未開封の2封筒を見せられ、どちらかを与えると言われた。片方の封筒の開封を許され、1000γの額面の小切手が入っていることを確認できた。あなたは通貨γの貨幣価値を知ってはいない。開封はしなかったが説明によれば、もう片方の封筒には、2000γの小切手がはいっているか、または、500γの小切手がはいっているか、どちらかが成立し、それぞれ1/2の確率で成立するとされた。どちらの封筒をもらったら得であろうか。

===
昨晩考えが変わりました。

・帝国版2封筒問題において、甲も乙も、互いに己の知っている情報に従って、封筒を互いに交換することが金額面で有利であると、判断するに違いない…
帝国版2封筒問題は立場を変えたtype1の組み合わせに過ぎず、甲乙の二人の最良の行動は互いに独立であり、客観視点から見たらそれは面白いことなのでしょう。互いに封筒を取替えっこしたいと言うのを見ることは確かに直感的に面白みを感じますので。

===
私が誤解してなければよいのですが、φさんの立論によれば、帝国版2封筒問題において、甲乙ふたりとも、自分にとって、封筒を取り替えることと取り替えないことは等価であり、従って無理に交換する必要もなかろう、ということなのではないかと存じます。
私の今日の立論では、問題のシステム構造は甲乙対象ですが、互いに封筒を【取り替えるべき】と考えております。否、 *感じて* おります。
いったいどこに違いがあるのか、思考を踏まえない原始的な感覚によれば、以下のようになります。

φさんがおっしゃるには皇帝設定付与の帝国版2封筒問題と、特殊設定のない帝国版2封筒問題では、問題に本質的な差異はない、従って、甲乙2名の理性的な行動には、この二つの問題において差異はなかろう・・・ということでよろしかったですよね?

私の現時点での思い付きでは…
・皇帝設定付与の帝国版2封筒問題では期待値を有限回操作で具体的に計算でき、甲乙両者の獲得するであろう額面は、交換しようとしまいと同じであろう。
・特殊設定付与のない帝国版2封筒問題では、期待値を有限回操作で具体的に計算できません。【思いつきですからあまり確かではありません。】
・皇帝設定では情報が与えられた、このことが差異を生み出すのであろうか。甲設定でも乙設定でも情報が与えられたので、特殊設定付与のない問題とは異なる解が出てきたのではないだろうか????

まったくもって不満です。 この私の考えにはいろいろほころびがありそうです。残念です。

===
観測選択効果について私が何を考えているのか、φさんからご質問がありましたが、今回の投稿では書き下すことをご勘弁くださいませ、もうしわけありません。
ただ、φさんの御著書のうち、「輪廻」という名前のついたものは、年に数回の割合で繰り返し読んでおりました。 理解しているとは言いがたいのです、申し訳ありません。


Re: 銀河帝国の2封筒問題 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月21日(水)05時23分49秒

> No.3239[元記事へ]

スターダストさんへのお返事です。

>
> ===
> 皇帝設定:首相がそっと乙の耳元で囁いた。
>「実は…乙よ、二人に与える小切手の金額の合計は、
>おまえが普段使っていた通貨【円】で換算すると、
>丁度、3000円なのだ。皇帝ってケチだろう?ふふふ。」
> …

 皇帝設定では、主観的な対称性が破れていませんよね。
 2封筒問題で片方の金額がわかったとき(甲設定、乙設定もそれですね)に対称性が破れたような事態が、皇帝設定では起きていないわけですね。

 したがって、皇帝設定の首相の言葉が発せられる前後で、2封筒問題の論理構造は変化していないと思われます。
 「設定の付加されない帝国版」では、私が正解とした考え方では、合計金額が3aという定数(客観的には。主観的には変数だが)でした。
 つまり、2封筒の合計金額は定数である、という客観的事実をもとにした推論は、ペアが確定している、という客観的事実をもとにした推論であり、
 対称性が保たれているうちは、その推論でよいわけですね。

 つまり重要なこと(期待値判断に影響する要因)は、変数が定数になったかどうかではなく、
 主観的な対称性が破れたかどうかなのでしょう。

 一方の金額について具体的金額が判明して変数が定数となると、相手との対称性が破れ、期待値が変わります。
 ところが、合計金額について具体的金額が判明して変数が定数となっても、相手との対称性が破れないため、期待値は変わりません。

 と、そういうことではないでしょうか。

 ところで2点、ちょっと不明だったのですが、

 スターダストさんは、「観測選択効果」という言葉を、どのような意味で使っているのでしょうか?

 それと、「帝国版1封筒問題」というのがどういう問題なのかがよくわかりませんでした。封筒ペアの金額は始めから決まっているが、プレイヤーが二つから任意に選ぶのではなく、一つを渡されてもう一方が遠くにある、というような、「知識でなく形が非対称的な」設定ということですか?


Re: ソシアの錯覚 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月21日(水)05時12分34秒

> No.3240[元記事へ]

ラズロさんへのお返事です。

その本、大学の研究室に送られてきてました。
著者は面識ありませんが、丁寧な私信が付いていて、拙著の書名をいくつか挙げてけっこう熱烈な謝辞が述べられており、
ただ、見たところ書物そのものには一度も拙著への言及がないので、
どう応対してよいか困ってしまいますね、こういうのは。


Re: 残敵掃討 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月21日(水)05時08分53秒

> No.3235[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。


>
> B1の計算結果が発散する場合には
> 期待値の計算が発散していると
> わかればよい。それで終り。
>


「それで終わり」なんですか?
 逆命題を証明しなくてよいと。
まさか。
 それでは、2封筒問題をこういう表現にしてみましょう。2封筒問題の同構造のバリエーションであり、別の問題ではありません。

 見分けのつかない二つの封筒の一方には他方の2倍の金額が入っている。胴元は、適当な額を適当な確率分布に従って入れたのだが、その確率分布についてわかっていることは、それぞれの封筒内に入る可能性のあった額×確率を、すべての可能性にわたって足し合わせると、無限大に発散するような確率分布だったということだけである。
 つまり胴元は、上限のない確率変数の集合について、期待値を発散させる確率分布(胴元以外の人は知らない確率分布)を設定し(もしかしたらコンピュータに設定させ)、その確率分布に従った選択手続きによって金額ペアを抽出したのである。
 さて、プレイヤーは、一方の封筒を手に取った。
 手に取らなかった方の封筒と交換すべきだろうか。

(ちなみに、モンテカルロさんによれば、2封筒問題がパラドクス的状況を生むのは期待値が発散する場合に限られるそうなので(実はそれは間違いですが)、上記の問題文は、単にパラドクス設定の暗黙の確率分布の条件を明示したものにすぎません)

 ■設定Aの場合(未開封)
 手もとの封筒内金額を見ない設定では、もちろん交換による期待値変化はありません。
 モンテカルロさんの計算でもそうでしょう。設定Aでは期待値計算は括弧を付け替えないわけでしょうから。

 ■設定B1の場合(見た金額はゲーム成立にとって非本質的)
 手もとの封筒内金額を見た設定では、交換による期待値変化は一見、1/4増となりそうですが(※注)、金額が現に見た金額でなくてもよかったと考えるならば、期待値の定義に従ってそのゲームを多数回実施すれば、交換戦略と非交換戦略の期待値に差は出ません。括弧を付け替えない計算で計算され、交換の期待値-非交換の期待値=0ですから。


で、モンテカルロさんの計算では? 括弧付け替えの計算によって、交換の期待値-非交換の期待値≠0にできる保証があるんですか?


「その保証がなくても、期待値が発散する場合は交換による期待値変化はゼロでなく無意味」というトンデモをモンテカルロさんは唱えているのです。
 せめて、交換の期待値-非交換の期待値≠0にできるという証明をしてから、次に進んでください。
 その証明ができたとしても「期待値が発散する場合は交換による期待値変化はゼロでなく無意味」などと言ってよいかどうかはまだ議論の余地はありますが、
 まずは必要条件として
 「期待値が発散する場合は、交換を意味する括弧付け替え計算で交換の期待値変化をゼロでなくすることが常に可能である」
 ことを証明してくれなきゃ困ります。
 それができなければ、交換の期待値-非交換の期待値=0 です。

 逆命題の証明の必要性がこれでおわかりでしょう。

 ■設定B2の場合(見た金額はゲーム成立にとって本質的)


 手もとの封筒内金額を見て、その金額をこのゲームにとって本質的と決めれば、手もとにその同額が来た場合のみがこのゲームの試行例となります。
 この場合、胴元の確率分布はチャラになって、現にプレイヤーに選ばれた金額とその倍額と半額の三つだけの範囲に確率分布が収縮し、事後確率は、倍額と半額との間で事前確率が分配されたものとなります。交換による期待値変化は1/4増です。そして、この計算に無限級数は現われません。

 …………


※注 1/4増となるのは、事前確率分布が未知ゆえ交換で得るのが倍額・半額それぞれ主観確率1/2ずつと見なさざるをえないため。……☆
 ちなみに、無限級数の( )の括り毎にかかる確率をみな等しいと見なすことはできない。無限にわたる一様分布は不可能だからである(もともとのモンテカルロさんの常識的主張を引き写しただけ)。主観確率的な一様分布の仮定は、☆のように、無限列のうち有限の部分についてのみ可能である。
 (ただし、べつに1/4増でなくとも、ゼロ以外であればパラドクスは発生するので、あまりこだわる必要はないが)
 …………

>
> {x円、x円}は同じ値だから交換ではない。
>

2封筒問題ではペア間の係数が2でしたが、
{x円、x円}は係数が1である特殊な場合の交換です。
{x円、ax円}のペア(a>0)を胴元が選び、aの選び方はある確率分布に従っている、というような設定でよいでしょう。2封筒問題の構造は変わりません。
 (つまり、aを最初に確率的に決定し、次にxを確率的に決定する、ということです)
 プレイヤーはaの値を知らない、ということであれば、
 たまたまa=1だからといって、封筒の交換があったのに「交換がなかった」と見なす、などというのは横暴でしょう。
 問題はできるだけ統一的に理解しなければなりません。

>
> ペアの金額が異なる場合で反例を示されたい。
>

 もうとっくに示されているのでは?
 たとえば、{x円、x円}の場合ほど直接的ではありませんが、もともとの2封筒問題の未開封バージョンそのものが反例です。
 太郎と次郎がペアの封筒{x,2x}の異なる一つずつをランダムに選びます。
 二人の選択結果は何のデータにも条件付けられていないため、二人が選んだ金額の期待値は、3x/2で等しい。
 ここで太郎は交換し、次郎は交換しないこととする。(太郎が交換するというのは次郎から奪う必要はなく、次郎と同じ金額が与えられることとする)
 太郎の交換後の金額は、次郎が選んだ金額と同じであり、期待値は二人とも3x/2で等しい。
 よって、太郎の交換による期待値変化がないことは自明である。
 しかるに、太郎の期待値変化を、交換したからといって各金額ごとに括弧付け替えをして計算すると、太郎が次郎より得していなければなりません。これは矛盾です。
 つまり、括弧付け替え計算で期待値を発散させられるということだけでは、交換の期待値変化がゼロであるという命題を反駁したことにならないのです。

 ともあれ、
 反例がないと言いたいなら、立証責任はモンテカルロさんにあります。
 お告げや預言じゃないのだから、「根拠のない計算を用いてはならない」というのは当然で、そのために「根拠のない計算が本当に間違っている」ことを示す義務などありません。
 その計算を用いたい人が、「根拠のない計算とされるものが実は根拠があった」と示さねば学問とは言えないでしょう。


Re: アドホックな理論 投稿者:TTT 投稿日:2011年 9月21日(水)04時12分57秒

> No.3209[元記事へ]

φさんへのお返事です。

以下、主に書き直しへの指摘


>  以下のAは2封筒問題前半、Bは後半に相当し、設定Sは、2封筒問題の特性を際立たせるために導入した構造的に異なる問題です。

(φさん独自理論におけるアドホックな意味での"構造"が異なるのかどうかは知りませんが)
各設定の確率分布は、☆一般の設定☆の確率分布で表せるので、その意味で同じ構造だと言えます。

>  さて、A、B1、B2、Sのそれぞれについて、期待値の計算方法を考える。
>
> ■A (封筒内金額は未知数xのまま)
>  a1 交換しない場合
>  (2^x+2^(x+1))/2
>  a2 交換する場合
>  (2^(x+1))+2^x)/2
>  交換による期待値変化(a2-a1)=0

前回の☆一般の設定☆と同様に確率空間を考え、確率変数X,Y,Nを
X(<x,y>)=x , Y(<x,y>)=y , N=(X+Y)/3と定義すると、φさんの■Aの3式は順に
E[X|N=2^x]、E[Y|N=2^x]、E[Y|N=2^x]-E[X|N=2^x]
と確率論的には表現できます。
「交換しない場合の期待値」を、E[X]でも他の何でもなく、E[X|N=2^x]で
「交換による期待値変化」を、E[Y]-E[X]でも他の何でもなく、E[Y|N=2^x]-E[X|N=2^x]で表す(決める)
ことの説明が一切ありません。

例えば、サイコロを1回振って、出目が奇数であるか偶数であるかを紙に書いて封筒に入れるとし、
サイコロは既に振られ、封筒には「奇数」か「偶数」のどちらかが書かれた紙が既に入れられています。
この時、封筒内の紙を見ない場合(見る前)の、「サイコロの目が3以下である確率」を問われたら
「封筒内の紙に「奇数」と書かれているなら2/3、「偶数」と書かれているなら1/3」と答えるのではなく
「3/6=1/2」と答えるでしょう。同様に、φさんの2封筒問題の封筒確認前(■A)の交換しない場合の期待値は
φさんのように「金額の組が{2,4}なら3、{4,8}なら6、{8,16}なら12、…、{2^x,2^(x+1)}なら(2^x + 2^(x+1))/2、…」(すなわちE[X|N])
ではなく「E[X]=2*g(1)/2 + 4*g(2)/2 + 8*g(3)/2 + … + (2^n)*g(n)/2 + …」を指すのが自然です。

既に指摘したように、φさんは各状況下の各期待値の区別がついていないので
無自覚に「期待値」という語を勝手な意味で用い、複数の意味で用いています。


> ■B1 (「このペア」が来たことも、封筒内金額2^nだったことも「このゲーム」にとって偶然と認める。
> あらゆる定数の可能性を許容。つまり封筒内金額は束縛変数x。ペア内には二つの数しかないという「全体的証拠の原理」を遵守)
>  b11 交換しない場合
>  Σg(x)((2^(x+1)+2^x)/2)
> g(1)(2+4)/2+g(2)(4+8)/2+g(3)(8+16)/2+……
>  b12 交換する場合
>  Σg(x)((2^x+2^(x+1))/2)
> g(1)(4+2)/2+g(2)(8+4)/2+g(3)(16+8)/2+……
>  交換による期待値変化(b12-b11)
> g(1)(2-2)/2+g(2)(4-4)/2+g(3)(8-8)/2+…… =0
>  Σg(x)((2^(x+1)+2^x)/2)-Σg(x)((2^x+2^(x+1))/2)=0

b11、b12は確率論的にはE[E[X|N]]、E[E[Y|N]] と(存在するならば)表現できますが
E[X],E[Y]が存在する時E[X]=E[E[X|N]]、E[Y]=E[E[Y|N]]が成立し
φさんの考える2封筒問題の設定では、E[X],E[Y]が存在する時E[X]=E[Y]となるので
E[X],E[Y]が存在する時、b12-b11=0は確かに成立します。
しかし、E[X],E[Y]が存在しない(b11、b12が絶対収束しない)場合
 b12-b11
={g(1)(4+2)/2+g(2)(8+4)/2+…}-{g(1)(2+4)/2+g(2)(4+8)/2+…}
を、勝手な括弧や項の順序の入れ替え等により
=g(1)(2-2)/2+g(2)(4-4)/2+g(3)(8-8)/2+…… =0
と計算するのは誤りです。b11、b12が絶対収束しない場合、b12-b11は計算できません。

「このペア」が来たこと、封筒内金額2^nであること等の情報が本質的・必然的か、偶然的かで区別しても無意味です。
「このペア」が来たことを偶然的と考える場合、その情報を得る前における「このペア」が来るという偶然の度合(またはその信念の度合)
「このペア」が来たことを必然的と考える場合、その情報を得る前における「このペア」が来るという信念の度合
をそれぞれ事前分布の確率として考えればいいだけで、確率の値は同じです。

確認した金額2^nが偶然(他の値だったかもしれない)であろうがそうでなかろうが、交換しない場合に得る金額は2^nで確定なのだから
このゲームにおける一方の金額確認後の交換しない場合の期待値は、「確認した金額は2^nである」という情報を無視しない期待値
E[X|X=2^n]=2^n とするのが自然でしょう。
E[X|N]やE[E[X|N]]=E[X]は、非交換の得る金額の値が確定していない場合の期待値であり
「確認した金額が2^nである」という情報を無視しています。


> ■B1のもう一つのバージョン (「このペア」が来たことだけを「このゲーム」にとって本質的とし、
> 封筒内金額2^nは偶然と認め、反対側の封筒内Yを取った場合も考慮する。ペア内には二つの数しかないという「全体的証拠の原理」を遵守)
> b13 交換しない場合
> ((g(n-1)+g(n))/2)(2^n)+((g(n-1)+g(n))/2)Y
> b14 交換する場合
> ((g(n-1)+g(n))/2)Y+((g(n-1)+g(n)/2))(2^n)
> 交換による期待値変化(b14-b13)=0
>
> ちなみに、b13、b14で確率にかかっている1/2は、無知による一様分布(確率の適用可能性の)を表わす。

> ■B2 封筒内金額2^nを「このゲーム」にとって本質的・必然的とする。(見た金額は2^n以外の可能性なし。
> 2^nの必然化により金額間の対称性が破れたので、ペア内には二つの数しかないという「全体的証拠の原理」は、
> ペアに二つの可能性があるというベイズ的推測の必要性により解除される)
>  b21 交換しない場合
>   2^n
>  b22 交換する場合
>   g(n-1)2^(n-1)+g(n)2^(n+1)
>  交換による期待値変化(b22-b21)
> g(n-1)=g(n)(=事後確率1/2)のとき、
> (2^(n-2)+2^n)-2^n=2^(n-2)=2^n/4      1/4の得

主観確率を全く理解できてませんね。
まず、g(n-1),g(n)以外のg(x)の値を0としているようですが、それは誤りです。
「確認した金額が2^nである」という情報により
金額組が{2^(n-1),2^n}{2^n,2^(n+1)}以外となる主観確率(事後確率)が0と改訂されるのであって
g(n-1),g(n)以外のg(x)の値が0となるわけではありません(分布の区別がついていないが故の誤りでしょう)。

そして、金額組が{2^(n-1),2^n}{2^n,2^(n+1)}以外となる主観確率(事後確率)を0と改訂した後に
金額組{2^(n-1),2^n}となる主観確率(事後確率)、{2^n,2^(n+1)}となる主観確率(事後確率)を
「(無知だから)1/2」とするのは駄目だということは以前指摘しました。
無差別原理は、事前分布での仮定であって、事後分布(改訂後)には適用しません。


>  最もパラドクシカルなB2は、Sに似ているというのがTTTさんの思い込みだったが、
>  ごらんの通り、B2とSとが一致するのは、h(n)=1、つまりSの確率変数が三つに限られて、
>  しかもg(n-1)=g(n)である場合に限られる。まさに大違いである。

意味不明。特に、φさんのいずれの計算の式にも確率変数らしきモノが見当たらないのですが
「Sの確率変数が三つに限られて」とは、何を意味するのか全くわかりません。
おそらく、また、「確率変数」という語をφさん独自の意味で用いているのでしょう。
確率論における確率変数とは、簡単に言えば、全事象上に定義された実数値関数です。

既存の語を、何の説明もなく勝手な独自の意味で用いたアドホックな理論で、説明した気になるなんて
正にトンデモの人がやることですね。



で、結局、前回(http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3195)の下の方に書いた
手順1(金額組が決まってから確認する方と他方の金額が決まる)以外の手順で金額を決める場合
特に手順3(確認する方の金額が決まってから他方の金額が決まる)で
[1](確認する方の金額が決まる)と[2](他方の金額が決まる)の間で、金額の確認が行われる場合では
φさんは、期待値(を表す自然な計算)が異なると思っているということでいいんですね?
期待値は分布のみに依存して決まるので、そのような態度はアドホックです。


>  かりに期待値そのものは定義できなくとも、期待値変化がどうであるか、は論じられるはずです。
>  たとえば、上記の設定Sにおいて、上限を設けなければ期待値は発散して「存在しない」かもしれないが、
>  「交換が1/4の得」と言うのは間違いではないでしょう。

期待値が存在する場合は、その期待値を表す級数の項(足す順番)を入れ替えても、値は変わりません。
期待値が存在しないならば、期待値の正負の判定や、期待値の大小の判定などできません。
得の定義が不明で、φさんが「得」を勝手に複数の意味で用いている以上
「交換が1/4の得」が間違いか否かなど論じられません。

>  たとえばTTTさんは、
>  http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3175後半で私が指摘した
>  モンテカルロさんの矛盾についてどうお考えなのでしょう?
>  (「異なる計算方法で値が異なる期待値計算では、交換による期待値変化を論ずるのは無意味」
>   と言いながら、紛れもないその一事例において「交換による期待値変化はゼロ」と彼が述べている件ですが)
>  あと、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3207の最後の問題に、数学のお二人は各々どう答えるのでしょうね?

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3207の最後の問題は、私が前回挙げた☆一般の設定☆で
Σ{p(n)}=1,Σ{q(n)}=0の場合に相当し、Y=2Xが成立しています。
E[X],E[Y]が存在するかどうかは不明で、存在する場合の具体的な値も不明ですが、封筒を開ける前の期待値は
E[X],E[Y]が存在する場合は、E[X]=2・E[Y]と計算でき、
E[X],E[Y]が存在しない場合でも(する場合でも)
金額組を固定した(基準とした)期待値E[X|N],E[Y|N]はともに存在し、常にE[X|N]=2・E[Y|N]
となりますが
自分の(交換前の)封筒の金額を固定した(基準とした)期待値E[X|X],E[Y|X]もともに存在し、常にE[X|X]=2・E[Y|X]
他方の(交換後の)封筒の金額を固定した(基準とした)期待値E[X|Y],E[Y|Y]もともに存在し、常にE[X|Y]=2・E[Y|Y]
となり、一般に任意の確率変数H=H(X,Y)に対して
E[X|H],E[Y|H]が存在するならば、常にE[X|H]=2・E[Y|H]となるので
E[X],E[Y]が存在しない場合でも、常に交換後は交換前の2倍(+100%)であると考えるのが不自然でない理由は
> 「〈左と右から成る一つのペア〉毎に得失の比率を計ると、そのパタンが〈あらゆる可能な選択肢〉に通じて作用する」と捉えるから
では、ありません。
金額組(ペア)ではなく、別のものを基準としても、期待値は(存在するならば)常に交換後は交換前の2倍(+100%)となります。

また、2封筒に同額を入れる場合でも、同様に確率空間、確率変数を考えれば
X=Yが成立するので、E[X],E[Y]が存在しない場合でも、
任意の確率変数H=H(X,Y)に対して
E[X|H],E[Y|H]が存在するならば、常にE[X|H]=2・E[Y|H]となるので
金額組(ペア)ではなく、別のものを基準としても、期待値は(存在するならば)常に交換後は交換前の1倍(±0%)となります。

これらの例では、
金額組(ペア)以外を基準としても同様に、交換後の期待値は交換前の2倍(ないし1倍)が導けるので
金額組を基準とする(φさんの計算が「説明」として通用するアドホックでない式である)ことを正当化する理由にはなりません。



φさんは極端に特殊で限定的な立場から自身の論の正当性、他の論の不当性を主張し、アドホックか否かの判断をしているので
より一般的な立場から見れば、φさんの論こそ恣意的でアドホックです。
論理の前提、仮定とした条件などを蔑ろにしているから、自身がアドホックな事に気付けないのでしょう。

例えば「~の原理より、○は正しくて、◇は誤り」という主張の正しさは、
その原理(とその適用の仕方)を認める立場(哲学主義)の人同士(仲間内)でしか通用しませんが
「~という確率空間で、○の期待値は…である」という(前提が明確である)数学的主張は
いかなる立場(哲学主義)にも依らず、その正しさが決まります。


また、φさんの主観確率論では「歪な賽を1回投げる時の各出目の主観確率」は扱えても
「歪な賽を2回投げる時に同じ面が出る主観確率」「1投目の出目が6である時の2投目(以降)の各出目の主観確率」
等の基本的な確率の具体的な計算(特に改訂)が扱えないという致命的な欠陥があります。
こんな粗末な論で、主観確率(論理的確率)を語るなんて、自惚れもいいとこです。


Re: アドホックな理論 投稿者:TTT 投稿日:2011年 9月21日(水)03時39分20秒

> No.3209[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  TTTさんは2封筒問題を「数学の問題」と捉えているようですが、私は「合理性の問題」と捉えています。
>  もし「数学の問題」と捉えたいのであれば、まずは、数学の人どうしで意見を統一してから来ていただければ有難いですね。
>  なにせ、ともに数学畑の人であるらしいTTTさんとモンテカルロさんの意見が食い違っているのではないか、と疑われるので。
>  いくら数学数学と叫ばれても、私としては、上記の私自身の解決に比べて、
>   数学的解決とやらを重んじるモチベーションなど形成しようがないわけです。

私は
φさんが数学概念に関連して論じたいなら、数学を勉強すべきだ
という当たり前のことを言っているだけですよ。

φさんが2封筒問題を「数学と一切関係のない問題」と捉えるなら、
数学概念である確率や期待値を用いず、問題提起し解決(解答)すべきでしょう。または
「私の文章における確率や期待値といった用語・概念は、
 数学の確率論における確率や期待値の概念とは全く別物のアドホックな(非数学的・反数学的な)概念である」
「私のロジックは、数学理論(を無視、反していようがいまいが)と全く関係ない、アドホックなものである」
等と明記すれば良いです。
これくらいなら、いくら無精なφさんでもできるでしょう(なんなら上の文をコピペするだけでも良いですよ)。

2封筒問題を、「確率や期待値に関連する問題」と捉え、
問題提起や解決(解答)で、アドホックでない(数学的な)意味で確率や期待値という用語・概念を用いたいならば
当然、数学の確率論をある程度は理解している(知識や技能がある)必要があります。
理解していない概念に対して、正しい/自然な解釈なんて与えられません。
「数学は勉強したくないけど、数学の用語・概念は使いたい。でも非数学的・反数学的でアドホックだと非難されるのも嫌だ」
というワガママは通りません。


以前言いましたが私も2封筒問題はある意味「合理性に関連する問題」とも考えてますよ。
数学や主観確率を理解していない者(φさん含む)が、封筒問題を逆説的に感じたり間違った説明を与えるのは
数学や主観確率を理解していない故に、正しい/自然な(合理的な)確率空間を理解できないからです。
また、例えば「どのような判断(封筒問題なら、交換か非交換かの判断)が合理的か」
等を考えるのは、数学的にはナンセンスですが、哲学的には意味のある(考えることができる)ことかもしれません。
しかし、期待値の存在やその正負、期待値同士の大小などは、数学的に決まるもの(数学の問題)であり、合理性に依存しません。
「合理性の問題だ」といくら喚いても、期待値の存在や値の大小は数学だけで決まります。

■基本方針でも述べましたが、問題を「数学的な部分」と「数学的でない部分」に分けて、
「数学的な部分」は数学で解決すべきです。φさんはその区別ができてません。
「数学的でない部分」に関して数学畑の人に訊いても、統一された意見など得られません(無視される場合が殆どでしょうね)。


>  前々から、一様分布は主観確率であって、問題設定による確率とは区別すべきだと言っているのですが。
>  一様分布であれそれ以外の分布であれ、とにかく「わからない」というのが
>  主観確率パラドクスとしての2封筒問題の本質です。わかっていれば、ただの計算問題です。

>  最もパラドクシカルなB2は、Sに似ているというのがTTTさんの思い込みだったが、

φさん個人の考える2封筒問題の本質とやらとは無関係に、☆一般の設定☆は考えることができます。
φさんの考える2封筒問題の設定は、☆一般の設定☆に条件を加えて限定した特別な場合の設定にすぎず、
φさんの考える2封筒問題の設定における確率や期待値は、☆一般の設定☆における確率や期待値と同様に決定します。
☆一般の設定☆を説明できない(☆一般の設定☆だと明らかに不自然な事を導いてしまう)φさんの論は、アドホックです。

事前分布と事後分布、自分の金額を固定した場合の分布と金額の組を固定した場合の分布
等の分布の区別ができていないのはφさんです。
設定AとC(金額未確認)の確率分布は、☆一般の設定☆の事前分布
設定BとC(金額確認後)の確率分布は、☆一般の設定☆の事後分布として表せます。
各確率や期待値は確率分布のみに依存するので、同種の確率分布に従う試行(ゲーム)は、確率論的には同様に扱えます。

確率や期待値を求めるというのは
(分布p(n),q(n)の具体的な式や特徴に関して既知であろうと無知であろうと)
ただの計算問題です。φさんは単純な計算問題ができてません。
p(n),q(n)の具体的な式が何であるか無知だからといって、
p(n),q(n)がどのような分布であっても成り立つ性質 を無視した(反した)不自然な仮定をすれば
不自然な結論が導けるのは当然であり、パラドクスでも何でもありません。


>  B2とCの違いの件は『論理パラドクシカ』から読み取れるはずなのですが、以下、全体的に書き直してみます。

>  私の2封筒問題の解決を整理させていただきます。TTTさんの問いへの回答のほとんどが以下に含まれるはずです。
>  断片的にお答えするよりは、統一的な納得が容易になるでしょう。

読み取れるも何も
私は、『論理パラドクシカ』や掲示板でのφさんの意見が、
数学的にも、(アドホックでない意味での)主観確率的にも出鱈目であると指摘しています。
そして、書き直した説明でも私の指摘を無視しています。
これでは指摘に応えた事にならないし、納得できるわけがありません。
指摘に反論できないから誤魔化したのでしょう。



Re: 具体的な数値を捨象 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 9月20日(火)22時48分31秒

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3232"
> 左右に(2^(1-1)と2^1)と…と(2^(n-1)と2^n)と…の現れ得る世界
>  ─{(1, 2), (2, 1)}
>  ‥‥‥‥
>  ─{(2^(n-1), 2^n), (2^n, 2^(n-1))}
>  ‥‥‥‥

*******
得失値をズラッと平板に並べた無限級数
 (+1)+(-1)+(+2)+(-2)+(+4)+(-4)+(+8)+(-8)+…
と言う捉え方は、例えば(2→1)交換と(16→32)交換が対等に扱われて居る訳です。と言う事は、これらが互いに排反事象として扱われて居る事に成りますけど、果して本当にプレイヤーにとっての排反事象なのでしょうか。

いいえ、そういう事はありません。
◆◆(2→1)交換がプレイヤーに選ばれた時、(16→32)交換の選ばれる可能性は全く無かったのです。◆◆(2→1)交換と(1→2)交換との範囲内でプレイヤーは選んでいたのです。

つまり、この時(2→1)交換と(16→32)交換は互いに排反事象ではありません。
この時プレイヤーに有った選択肢は、(2→1)交換と(1→2)交換の2つだけでした。

従って、プレイヤーにとって排反事象でないもの同士を羅列した◆級数による手法は不可です。◆

これ以降は、元々、その級数が発散すると言う説明の為に導入された(2^(n-1), 2^n)等の表現もやめます。

*******
「1円・2円」ペアか「2円・4円」ペアか「4円・8円」ペアか…と言う無数の排反事象から一つを選ぶのは胴元のする事。
金額に関して無知であるプレイヤーにとって、為し得る事は「n円→2n円交換」か「2n円→n円交換」かを選ぶ事、二者択一です。
つまり、
◆プレイヤーにとっての排反事象は2つ。◆

*******
プレイヤーの選択肢は二つ。
┬n→2n 交換
└2n→n 交換

例えばn=1の時
┬(1→2)交換 … 得失 2-1=+1
└(2→1)交換 … 得失 1-2=-1

n=2では
┬(2→4) … 4-2=+2
└(4→2) … 2-4=-2

一般項で
┬(n→2n) …2n-n=+n
└(2n→n) …n-2n=-n

*******
変量(得失値)の期待値 En
 =「事象1(n→2n交換)に伴う変量」×確率1/2 + 「事象2(2n→n交換)に伴う変量」×確率1/2
 =(+n)*(1/2)+(-n)*(1/2)=0

プレイヤーにとって、あらゆるn(>0)の値域で、得失値変化の期待値は±0と成ります。



ソシアの錯覚 投稿者:ラズロ 投稿日:2011年 9月20日(火)21時56分30秒

という本が出ていました。
親しい家族が別人になったように感じるという症状ですが
これについて、著者は、可能世界論・・人の このもの性が入れかわる
可能世界論が、その人の意識の中にもともとあったのでそういう錯覚が生じている
というような分析をしています(間違っていたらすいません)。
<私>論にいろいろ言及していますが、三浦さんについては、分野外ということなのか言及は無いようです。




Re: 銀河帝国の2封筒問題 投稿者:スターダスト 投稿日:2011年 9月20日(火)13時23分41秒

> No.3238[元記事へ]

φさんへのお返事の追記です。

φ>  ともあれ、問題文を素直に読む限りでは、甲も乙も、交換することによる期待値の変化はゼロ、で間違いありません。そして理由も(甲の推論の誤りも)ハッキリしています。

追記したく思ったのは、φさんの上記のお考えについて、…自信はありませんけれども…なにやら違和感を感じたからです。さきほどの私の試論では、3つの設定およびに設定なしの4問題について考えておりました。違和感について考えを述べます。 私見によれば、皇帝設定では、交換することによる期待値の変化を具体的に算出することが可能でした。地球通貨である【円】でもって、小切手の価値についてある程度推測可能になっていたからなのかもしれません。一方、これもまた私見ですけれども…設定なしの帝国版2封筒問題においては、期待値を算出できず、交換することによる期待値の変化もまた算出できず、期待値の算出が可能なはずと考えていることが甲の推論の誤りの原因ではなかろうか(ゆえに期待値の算出方法が複数発生していて小切手の交換の効果がハッキリしませんが。)と愚考する次第です。しかしながら、問題における甲乙の環境の対称性から、小切手を交換することに意味はなかろう、という結論を捨てることもできません。期待値の算出をせずとも結論が出ている、そのように考えられるのではないか、と頭の中でグールグルな自問自答を眠い頭をもつ私は繰り返しております。違和感の正体はハッキリしませんが、とりあえず、感触を言葉にしてみました。

===
追記の追記を重ねたく存じます。
帝国版2封筒問題は、下記の帝国版1封筒問題の重ね合わせなのか否か、私にはわかりません。
■皇帝から2封筒を見せられ、どちらかを与えると言われた。片方の封筒には、1000γの額面の小切手が入っていることを確認できた。通貨γの貨幣価値を知ってはいない。もう片方の封筒には、1000δの小切手がはいっており、1γ=2δ、ないし、2γ=1δの為替レートがそれぞれ1/2の確率で正しいと説明された。どちらの封筒をもらったら得であろうか。

通貨γの貨幣価値を知る必要があるのかどうか理解しかねますが、私だったらおそらく、封筒を交換してしまいます。理性的な判断かどうかは不明ですが。為替レートが100万対1ぐらいだったらなおさらです。もはや感情です。

敷衍すると帝国版2封筒問題が帝国版1封筒問題の線形な重ね合わせならば、甲も乙も、互いの封筒を交換することが得になってしまいます。そのように考える人もいるのではなかろうかと感じます。そして、これは先ほどの投稿で私なりに記した試論の結果とは異なってしまいます。
帝国版2封筒問題は甲乙にとって対称的にできていますから、ふたりが合理的に判断して、互いに封筒を交換することはあり得るのかもしれません。そのことを不思議に思うのは、観測選択効果が働いていない【神視点】からなのであって、甲乙それぞれの個々の【観測選択効果を受けている私】にとっては全く不思議ではないのかもしれません。

オリジナルの2封筒問題において、貨幣価値を知らない宇宙人2名が対象だったら、どうなるんだろうかと夢想してみたりもします。貨幣価値を知っている知らないで、問題の本質がかわってしまう?あるいは変わらない?ことが私には不思議です。



Re: 銀河帝国の2封筒問題 投稿者:スターダスト 投稿日:2011年 9月20日(火)12時43分26秒

φさんへのお返事です。

皇帝版2封筒問題へについての「正解?」は私には用意できていません。以下試論に過ぎません。ご批正を頂戴できればと存じます。

設定を新たに付加しないオリジナルの皇帝版2封筒問題およびに、皇帝設定、甲設定、乙設定をそれぞれ単独に付加した問題(合計3問題)とを全て併せて考えたく思います。全部で4問題です。皇帝設定、甲設定、乙設定については、必要に応じて後記いたします。
申し訳ありませんが記述の理解しやすさのため、皇帝版2封筒問題を以下、帝国版2封筒問題と記述させていただきます。

最初に甲設定問題について考え、次に乙設定問題について考え、また次に皇帝設定問題について考え、最後にそれらを踏まえて、設定の付加されない帝国版2封筒問題について考えます。いずれにせよ、観測者は【乙】ということにさせて頂きます。

===
甲設定:乙が悩んでいたら見かねたのか、エトー・デマーゼル首相が他の誰にも聞こえないようにそっと乙の耳元で囁いた。「実は…甲の小切手の通貨αは、乙よ、おまえが普段使っていた通貨【円】と同価値であり為替レートは1:1なのだ。1α=1円、面白がって皇帝がそのように取り計らったのだ。参考にせよ。」
…乙は自分のこれからの行動に結論が出た。「甲の小切手の価値は1000円。私=乙の小切手は500円ないし2000円だ。どちらになっているか…確率が1/2。小切手を交換した場合、500円の小切手を1000円に換えてしまって500円の得、あるいは、2000円の小切手を1000円に換えてしまって1000円の損。どちらも同じように起こりえるから、500円の得と1000円の損のバクチは打てないな。よし、【小切手の交換をしないほうが得である】これが結論だ。
===
乙設定:首相がそっと乙の耳元で囁いた。「実は…乙よ、お前の小切手の通貨βは、おまえが普段使っていた通貨【円】と同価値であり為替レートは1:1なのだ。1β=1円、参考にせよ。」
…乙は自分のこれからの行動に結論が出た。「私=乙の小切手の価値は1000円。甲の小切手は500円ないし2000円だ。どちらになっているか…確率が1/2。小切手を交換した場合、1000円の小切手を500円に換えてしまって500円の損、あるいは、1000円の小切手を2000円に換えてしまって1000円の徳。どちらも同じように起こりえるから、500円の損と1000円の徳のバクチには見込みがあるな。よし、【小切手の交換をしたほうが得である】これが結論だ。
===
皇帝設定:首相がそっと乙の耳元で囁いた。「実は…乙よ、二人に与える小切手の金額の合計は、おまえが普段使っていた通貨【円】で換算すると、丁度、3000円なのだ。皇帝ってケチだろう?ふふふ。」
…乙は自分のこれからの行動に結論が出た。「これだけの情報では、私=乙と、甲の手元にある小切手のどちらに高い価値があるかは全くわからない上…交換で得をする金額およびに交換で損をする金額は等しく1000円だ。【小切手を交換しようとしまいと損得はない】これが結論だ。」
===
設定の付加されない帝国版2封筒問題:乙がいくら悩んでいてもそれ以上情報が与えられなかった。乙は、甲設定・乙設定・皇帝設定など、別途情報が与えられた場合には自分の行動を理性的合理的に決定することができると考え付いた。一方、しかしながら、次のようにも考えた。【小切手を交換するしないに関して合理的に決定するための情報を充分に与えられていない。】帝国版2封筒問題に合理的な回答はない、これが結論だ。
===

私が思うところでは、φさんは、設定の付加されない帝国版2封筒問題について、合理的な回答はある、二つの小切手の価値は同じだ、としているように…思います。
私は…皇帝設定の状況と設定なしの状況とでは(与えられている情報が異なるために)観測選択効果に自ずと差異が出てくるように思います。それが合理的な回答を得られるか得られないかの違いとして現れるはずだ、そのようにも思われてなりません。
無論、【小切手を交換するしないに関して合理的に決定するための情報を充分に与えられていない。】のですから、どちらの小切手も同じ価値だ、あるいは、詩的に言えば、同程度に無価値だ、そのようにも言えることとは思います。

【注:上記乙が発言している文脈での*合理的*と、φさんの可能世界を意識した文脈での*合理的*とは、意味がことなります。後者は言うならばメタ的な合理判断ですよね?おそらく。甲乙に与えられた環境は対象的ですから、ほぼ万人が納得するであろう根拠が、確かにあることと存じます。】

===
ここまでのまとめ。
観測選択効果を演出するために、甲乙が普段使っている通貨【円】でもって、最初に与えられた小切手の価値を複数の各種設定において計らせることにしました。各種設定ごとに、小切手を交換するかしないかについての合理的判断が異なることを示しました。 また、これらの特殊設定を付加しない、元の、帝国版2封筒問題には、この意味での意図された観測選択効果が働いていないように工夫しました。結果として帝国版2封筒問題では、十分な情報が与えられていないために行動を確信をもって決定できていない・かもしれない・ことを示唆しました。
===

以上、φさんへのお返事でした。

===
以下、モンテカルロさんへのお返事です。

さて、失礼があるかもしれいことをあらかじめお詫びさせてください。私の朧げながらの浅薄な理解では、モンテカルロさんのご示唆は以下のようなものだったのではないでしょうか?
・設定の付加されない帝国版2封筒問題には合理的な解がない。

すなわち、皇帝版問題と追加設定なし問題とでは本質的に異なる問題であると。

…帝国版2封筒問題投稿時点において、あらかじめ、私が今回上記で考えたことが先入観念として…私の脳内に存在しておりますので、フィルターがかかってしまい、モンテカルロさんのご示唆をうまく汲み取ることができておりません、おそらく。 申し訳ありません。

以上、モンテカルロさんへのお返事でした。
===

掲示板読者の皆様に改めて申し上げます。皇帝版2封筒問題へについての「正解?」は私には用意できていません。本投稿は試論に過ぎません。ご批正を頂戴できればと存じます。
お読み頂きありがとうございました。



Re: 銀河帝国の2封筒問題 投稿者:スターダスト 投稿日:2011年 9月20日(火)11時13分47秒

> No.3227[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

モンテカルロ> 皇帝はつづけてこういわれた。
モンテカルロ> 「なお、この恩典は当面継続して行われるものとする」

モンテカルロ> 甲と乙は声をそろえてこういった
モンテカルロ> 「交換はしませんが、
モンテカルロ>  1000αをアナクレオン王国の銀行に
モンテカルロ>  1000βをコレル共和国の銀行に預金します。
モンテカルロ>  当然その日のうちに現地通貨に換えた上で。」

モンテカルロ> 皇帝はこう尋ねた「なぜじゃ?」

モンテカルロ> 両者の説明:
モンテカルロ>  預けた金を国内で使う限りにおいては、お互いに儲かる。
モンテカルロ>  相手の国では使わない。もったいないから。

モンテカルロ> 皇帝の反応「ギャフン!」

===
申し訳ございません。ご回答の趣旨がさっぱり理解できません。皇帝陛下が最後に「ギャフン!」と反応していることの意味が本当にわかりません…本当に申し訳ございません。 私の設問記述が不十分であり意図する題意が正確に表現できていなかったのではありますまいか、あるいは、この回答において、そのことを私にご指摘いただいたのではないか、即ち、私の設問がダブルミーニングになっていて私の題意とは別の題意が発生しており、私へのご教導のためにも【あえて】別のほうの題意にお答えいただいたのではありますまいか…そのようにも考えております。
いずれにせよ、ご回答を頂戴したこと、感謝しております。ご回答を基に少々考え込んでおりますがこれもまた私にとってはありがたいことです。



Re: 銀河帝国の2封筒問題 投稿者:スターダスト 投稿日:2011年 9月20日(火)10時58分49秒

> No.3226[元記事へ]

φさんへのお返事です。

φ> スターダストさんへのお返事です。
φ>  面白い問題をありがとうございます。
φ>  2封筒問題を考える視点が広がりました。感謝します。

珍問に興味を持っていただいたこと、率直に嬉しいです。こちらこそありがとうございます。
※私見では、この皇帝版2封筒問題は、オリジナルの2封筒問題の一般化にはなっていません。variantではありますけれども。難しい問題を考えるときに、その問題の一般化を考えたほうが却って理解しやすく、その検討において得られた結論から、(一般化された問題をさらに特殊化したものとしての)元の問題を捉えなおすこと…この手法が時折有効な手段であろうと…考えました。そこで工夫して問題を立ててみましたが、(私の見地では)どうやら一般化に失敗していたようです。結果的にはvariantでしかないのです。残念なことです。(皇帝版2封筒問題の投稿時にvariantとして書いたのはそのことを含意しておりました。)

φ>  ただ、スターダストさんの出された特定のその問題そのものは、もとの形の2封筒問題よりも解決が簡単です。(つまり、正解が決まりやすいです)
φ>  甲も乙も、交換することによる期待値の変化はゼロ。
φ>  ただし、特殊な条件を付ければ、甲も乙も交換することの期待値がともにプラス1/4、という解釈が可能である。
φ>  また、その特殊な条件が成立しているかどうかを確かめる経験的方法がある。
φ>  ……というのが、私の答えの枠組みになります。
φ>  (その「特殊な条件」については、今、表現方法を考えていますが……)
φ>  ともあれ、問題文を素直に読む限りでは、甲も乙も、交換することによる期待値の変化はゼロ、で間違いありません。そして理由も(甲の推論の誤りも)ハッキリしています。

上の引用でご教示頂いたことを私が正確な理解をしているかどうか現段階では自信がありません。ちょっとニュアンスが違うのかもしれませんが、その違いがたぶん大事なところですのでもう少し考えたく存じます。ありがとうございました。



Re: 残敵掃討 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月20日(火)07時18分14秒

> No.3233[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  2封筒問題では、ペアの確率分布は明示されていないことをお忘れなく。
>  それこそが主観確率問題としての2封筒問題の本質です。

明示されていないのなら「問題」ですらない。

>  したがって、次のようになります。
> ① 未知の確率分布によって、期待値が有限の値に収まる場合 …… 無限級数の出番なし
> ② 未知の確率分布によって、期待値が無限大に発散する場合 …… 確率分布は未知なのだから(明示されていないのだから)、任意の確率分布を想定できなければならない
>
>  したがって、期待値を無限大に発散させる★任意の★確率分布について、つまり{2^n,2^n+1}の確率をnを用いた一般式で書けないような確率分布も含めて、交換の期待値変化をゼロでない値にする計算法が★必ず★存在しなければなりません。

>  で、括弧の付け替えを自由にやった場合には(交換の期待値変化を意味できるかどうかは別として)そういう計算法はあるということなので、最低限の条件はクリアできていることになるでしょう。

自分で証明を理解できるまでクリアするな。

>  しかし一言ハナシを戻すと、ただ計算法が存在するというだけではまったく不十分であって、やはり、「封筒の交換による期待値変化を意味する計算」でないと困るわけですね。

「交換による期待値変化」の意味が不明。

交換の期待値変化の級数計算という意味ならOK。

「ペア固定の場合」とか「自分の金額固定の場合」とかいう
意味がつけられるかといえば、そうではないが、そもそも
「交換による期待値変化」において、勝手に「ペア固定」とか
「自分の金額固定」とかいう決めつけはできないとすれば
そのこと自体は全く問題にならない。

したがって、

>  (私が考える必要条件が必要十分条件であると)示す必要性を感じるべきでしょう。

強制される覚えはない。

>  示さないと、↓のB1の計算結果が発散する
>(あるいは少なくとも0以外にできる)ことが
>保証されないのではありませんか。

なぜ、そんな保証が必要あるのか?

頭が逆立ちしているぞ。

B1の計算結果が発散する場合には
期待値の計算が発散していると
わかればよい。それで終り。

>  ↑「期待値の発散」と、「交換の期待値の発散」とが互いの必要十分条件なのかどうか、そこがまさしく、無限級数によるパラドクス解釈が成り立ちうるかどうかのポイントではありませんか。

違いますな。
φ氏が、勝手に十分条件をわめいているだけ。

>  で、たぶん必要十分条件ではありませんね。
>  というのも、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3175後半(★以降)に見たように、
>  2封筒問題を一般的に{x円、ax円}のペア(a>0)を使った問題だと捉え直した場合、
> 交換が全く期待値を変化させない場合でも、括弧付け替えによって発散させる計算が示せてしまいますから。

{x円、x円}は同じ値だから交換ではない。

ペアの金額が異なる場合で反例を示されたい。

>  同金額の入った封筒を何回交換しても、おかめ石さんの言うように、
> 期待値変化ゼロであることは自明ですからね。
>  つまり恣意的な特定の括弧付け替え計算でどんな結果が得られても、
>「交換の場合の」期待値変化について有用な結果が導き出せた保証はないわけです。

「交換」でない例では無意味。

つまりそんな例しかしめせないφ氏の
自爆

>  ですから、
>  自分の金額固定で、交換の期待値変化を足し合わせるというのを
> 全金額について行なって、それで結果が0以外に出来るという
> 数学的保証がない状態では何を言ってもダメでしょうということなんですが。

ダメかどうかを判定するのはφ氏ではない。

> ②の任意のペアの確率分布について。
> それができるかどうかまだわからないということですよね?
>  それでは無限級数の括弧付け替え計算など、机上の空論なのでは?

ただ「任意の確率分布で同じ値」というだけで
「①の計算が正解だ!」とわめくのは、
トンデモ
ですよ。(何の疑問もない)


Re: 銀河帝国の2封筒問題 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月20日(火)03時49分39秒

> No.3230[元記事へ]

スターダストさんとモンテカルロさんへのお返事です。


 モンテカルロさんの答えは面白いんですが、
 甲と乙は、交換してもしなくても同じことが出来るわけですね。

 ということは、
 交換による期待値変化はゼロ、で私と同意見ということでやはりよろしいようですね。
 「素直に読めば、そもそも期待値が意味を失う。」という言い方は意味不明ですが。
 交換による期待値変化ゼロと言えるならばちゃんと言った方がよいですよね。

 「交換による期待値変化ゼロ」という結論そのものは、問題設定の対称性を見ただけで、ただちに導き出せます。
 2封筒問題では、金額を見ることによって封筒間に主観的非対称性が生じましたが、スターダストさんの問題では金額そのものは確定されておらず、変数のままなので、2つの封筒の間の主観的対称性が保たれています。
 よって、「ネクタイのパラドクス」(『論理パラドクシカ』問18)のバリエーションと言えるでしょう。
 ただし、皇帝の通貨レートの決定が二人へのα、βの配分に比べどれほどの優先性を持つかについて揺れが考えられそうな含みもあるため、問題が複雑化されているようですが。

 甲の推論が間違っている理由は、次の通りです。
 自分の金額が確定していないので、相手の金額との間にいかなる非対称性もない。よって、甲の主観確率においても、乙にだけ二つの可能性を押しつけることはできない。

 封筒の中身は二つの金額から成り、三つの金額から成っていないので、
 α=2β α=β/2 という二つの可能性によって三つの金額を設定するのは誤り。
 つまり、(α,α/2),(α,2α)と三つの金額を考えるのは誤り。

 正しくは、
 {α,β}を適当な定数aによって書き直し、
 α=a α=2a という二つの可能性によって二つの金額を設定し、
 (a,2a),(2a,a)と二つだけの金額を考えねばならない。

 以上のことは、「通貨レートの決定が逆である可能世界よりも、封筒の配布が逆である可能世界の方が、現実世界に近いから」として説明できる。
 皇帝が通貨レートを別様に(α=2βかα=β/2かで別様に)決めた可能世界よりも、封筒の配分を甲乙で別様に((α,β)でなく(β,α)に)決めた可能世界の方が現実世界に近いので、反実仮想はそちらで考えるべき、という理屈である。

 (a,2a)か(2a,a)ということで計算すると、当然、交換も非交換も期待値は等しくなる。

 ところで、「特殊な条件を付ければ、甲も乙も交換することの期待値がともにプラス1/4、という解釈が可能」「その特殊な条件が成立しているかどうかを確かめる経験的方法がある」
と書きましたが、
 ちゃんと条件を定めるのは意外と難しいようです。

 方針は、皇帝に「このゲームについて質問」して、どこをどう変更したら「「この同じゲーム」でなくなるか」を突き止める、というものです。

 たとえば、次のような質問に皇帝が順に「ノー」「イエス」「イエス」と答えたら、乙から見て完全に非対称なゲームとなり、交換が得になるでしょう。(甲についても同じことが言えます)
 「私に渡されるのがこの金額と同じ価値の金額でなくても、この同じゲームは成立しましたか?」
 「プレイヤーは私と甲でなく、別人の組み合わせであってもこの同じゲームは成立しましたか?」
 「コレル共和国の通貨とアナクレオン王国の通貨でなく、別の国どうしの通貨であっても、一方が他方の2倍という関係およびプレイヤーの無知さえ成り立てば、どの国の通貨でもこの同じゲームに使えたのでしょうか?」

 もっとスマートな質問もありうると思いますが、
 いずれにせよこの三つに「ノー」「イエス」「イエス」なんて設定はあまりに特殊なので、
 この問題の正解は「交換で損得ナシ」というのが妥当だと思われます。

 「ノー」「イエス」「イエス」は、
 皇帝が通貨レートを別様に(α=2βかα=β/2かで別様に)決めた可能世界の方が、封筒の配分を甲乙で別様に((α,β)でなく(β,α)に)決めた可能世界よりも現実世界に近いことを意味しますが、因果関係の順序からして(世界の分岐の具合からして)、そういう「世界の類似性の順序」はきわめて不自然です。
 ただし、「このゲーム成立に限った文脈においては」特殊な可能世界の類似関係順序が成り立つということもあってよいかもしれないので、一概に「ノー」「イエス」「イエス」の可能性を否定し去ることもできません。


Re: 残敵掃討 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月20日(火)03時40分28秒

> No.3229[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

>
> ここでは確率分布そのものは明示され決して変えられない。
> しかも明確な計算手続きが示されている。
> したがって違っているとかアルゴリズムがないとかいう
> 言い掛かりは却下される。
>

 2封筒問題では、ペアの確率分布は明示されていないことをお忘れなく。
 それこそが主観確率問題としての2封筒問題の本質です。

 したがって、次のようになります。
① 未知の確率分布によって、期待値が有限の値に収まる場合 …… 無限級数の出番なし
② 未知の確率分布によって、期待値が無限大に発散する場合 …… 確率分布は未知なのだから(明示されていないのだから)、任意の確率分布を想定できなければならない

 したがって、期待値を無限大に発散させる★任意の★確率分布について、つまり{2^n,2^n+1}の確率をnを用いた一般式で書けないような確率分布も含めて、交換の期待値変化をゼロでない値にする計算法が★必ず★存在しなければなりません。

 で、括弧の付け替えを自由にやった場合には(交換の期待値変化を意味できるかどうかは別として)そういう計算法はあるということなので、最低限の条件はクリアできていることになるでしょう。

 しかし一言ハナシを戻すと、ただ計算法が存在するというだけではまったく不十分であって、やはり、「封筒の交換による期待値変化を意味する計算」でないと困るわけですね。

>
> なお、ある特定の計算(ベイズによる事後確率の計算)において
> 期待値の発散から、交換の期待値の発散を示すのは、私にとっては、
> 簡単な問題とは思えない。
>
> 私が考える必要条件が必要十分条件である可能性もあるが
> この場合、そこまで示す必要性を感じない。
>

 示す必要性を感じるべきでしょう。
 示さないと、↓のB1の計算結果が発散する(あるいは少なくとも0以外にできる)ことが保証されないのではありませんか。

>
> B1は、B2で計算した期待値を、各金額の確率の重みをつけた上で足し合わせたもの。
>

 ↑「期待値の発散」と、「交換の期待値の発散」とが互いの必要十分条件なのかどうか、そこがまさしく、無限級数によるパラドクス解釈が成り立ちうるかどうかのポイントではありませんか。

 で、たぶん必要十分条件ではありませんね。
 というのも、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3175後半(★以降)に見たように、
 2封筒問題を一般的に{x円、ax円}のペア(a>0)を使った問題だと捉え直した場合、


交換が全く期待値を変化させない場合でも、括弧付け替えによって発散させる計算が示せてしまいますから。
 同金額の入った封筒を何回交換しても、おかめ石さんの言うように、期待値変化ゼロであることは自明ですからね。
 つまり恣意的な特定の括弧付け替え計算でどんな結果が得られても、「交換の場合の」期待値変化について有用な結果が導き出せた保証はないわけです。

>
> 言葉をいくら連ねたところで、
> 「ペア固定」と「自分の金額固定」では
> 想定範囲が重なりようがない時点で、
> パラドックスになりえないことは明白。
>

 ですから、
 自分の金額固定で、交換の期待値変化を足し合わせるというのを全金額について行なって、それで結果が0以外に出来るという数学的保証がない状態では何を言ってもダメでしょうということなんですが。②の任意のペアの確率分布について。


それができるかどうかまだわからないということですよね?
 それでは無限級数の括弧付け替え計算など、机上の空論なのでは?


Re: 具体的な数値を捨象 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 9月19日(月)23時37分48秒

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3224
> …,{4,8,8,4},…{10,20,20,10},…と言う様に、項数が必ず4つずつ増えて行かなければ成らないと言う◆制約を、第2条件が課して居る◆訳です。

> 4つずつ増えなければ成らない――それは、どの様に区切っても±0に収束してしまうと言う事ではありませんかね。

「4つずつ」と言うのをもう少し丁寧に説明すると、
現実には、
 左の2^(n-1)―例えば1円―から右の2^n―この例では2円―への交換、
 左2^nから右2^(n-1)への交換、
 右2^nから左2^(n-1)、
 右2^(n-1)から左2^nへの交換、
の4つの事象が起こり得る訳ですけど(つまり8つずつ増加)、
実質的に同じものをまとめて、
 左2^(n-1)から右2^nへの交換、
 左2^nから右2^(n-1)への交換、
の2つの場合に絞れる訳です。(つまり4つずつ増加)

*****
メモ
[ { (g(1)+g(2)) / 2 } * { g(1) / (g(1)+g(2)) } ] * (-2)

(g(1)+g(2)) / 2 は、(4, 2)と(4, 8)を合わせて起こる確率、つまり(4, _)の起こる確率。g(1) / (g(1)+g(2)) は、g(1)とg(2)を合わせた内で、g(1)つまり(2, 4)と(4, 2)の方が起こる割合。これらの二つを掛け合わせて、(4, 2)つまり-2の起こる確率を表す。
-2 (= 2-4)は、(4→2)交換に伴う得失値で、確率変数を表す。

~初項(g(1)/2)*2だけ取って付けた様で、一般項に統合されてませんね。~

*****
左に1だけの現れ得る世界 ~(1, 0.5)は除外される~
 ─(1, 2)
~~~~~
左に1と2^1だけの現れ得る世界 ~(1, 0.5)と(4, 2)は除外される~
 ─(1, 2)
 ┬(2, 1)
 └(2, 4)
~~~~~
左に1と…と2^nと…の現れ得る世界 ~(1, 0.5)は除外され、(2^(n+1), 2^n)は…次に現れる、筈~
 ─(1, 2)
 ‥‥‥‥
 ┬(2^n, 2^(n-1))
 └(2^n, 2^(n+1))
 ‥‥‥‥

*****
左右に(2^(1-1)と2^1)だけの現れ得る世界
 ─{(1, 2), (2, 1)}
~~~~~~~~~~
左右に(2^(1-1)と2^1)と(2^(2-1)と2^2)だけの現れ得る世界
 ─{(1, 2), (2, 1)}
 ─{(2, 4), (4, 2)}
~~~~~~~~~~
左右に(2^(1-1)と2^1)と…と(2^(n-1)と2^n)と…の現れ得る世界
 ─{(1, 2), (2, 1)}
 ‥‥‥‥
 ─{(2^(n-1), 2^n), (2^n, 2^(n-1))}
 ‥‥‥‥



■ョンと●ルヒのパラドックス 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月19日(月)16時12分57秒

■ョンが1mすすむ間に
0m、1/2m、2/3m、3/4m、・・・(n-1)/nm
のところで「落し物」を落とすとする。
これを1m後ろから見つけた●ルヒが、■ョンの二倍のスピードで
追いかけて落し物を拾い集め、■ョンにおいついた。

●ルヒ「ほら!あんたが落としたもの全部拾っといたわよ!」
■ョン「スゴっ!しかし、なんかおかしくないか?」
●ルヒ「おかしいって、何が?」
■ョン「●ルヒがオレのスタート地点について
    最初の落し物を拾ったとき、オレはすでに
    1/2m先にいて、次の落し物をしていたよな」
●ルヒ「そうよ。ほんとアンタってだらしないわよねぇ」
■ョン「その話はおいといて・・・で、その1/2m先の地点に
    ●ルヒがついたときには、オレはスタートから3/4m先
    の地点にいて、既に2/3m、3/4mの地点で
    二つも落し物をしていた、と」
●ルヒ「そうよ。で、それがどうしたのよ」
■ョン「つまりだな、●ルヒがオレのいた場所につくたびに
    落し物の数は倍々になって増えていくわけだ」
●ルヒ「そうね。だから?」
■ョン「それがなぜ、追いついたその瞬間には、
    キレイサッパリ拾われてるんだ?」
●ルヒ「そんなこと、知らないわよ!
    現に全部拾えちゃったんだから!
    文句いう暇があったら、これ全部捨てといてよ!」
■ョン「うわっ、全然聞いちゃいね~」

さてあなたならこのパラドックスをどう解決する?


Re: 銀河帝国の2封筒問題 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月19日(月)10時28分55秒

> No.3226[元記事へ]

>スターダストさんの出された特定のその問題そのものは、
>もとの形の2封筒問題よりも解決が簡単です。
>(つまり、正解が決まりやすいです)
>
> このことについては、たぶん、
>モンテカルロさんも私と同意見
>ではないかと思います。

私の回答は以下に示した。

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3227

αとかβとかいうのは、絶対的な金額を表わしていない
とかいう常識的な考えで、やっぱ0とかいうのは、
非常識な考えを好む私の趣味でない。

> ただ、・・・なので、モンテカルロさんがどう答えるかを拝見してから、
>私のコメントを差し上げたいと思います。

だったら先に書くなよ

>  ただ、後出しジャンケンになってはよくありませんから、
> 私の結論だけ書いておきましょう。
>
>  甲も乙も、交換することによる期待値の変化はゼロ。
>  ただし、特殊な条件を付ければ、甲も乙も交換することの期待値がともにプラス1/4、という解釈が可能である。
>  また、その特殊な条件が成立しているかどうかを確かめる経験的方法がある。
>
>  ……というのが、私の答えの枠組みになります。
>  (その「特殊な条件」については、今、表現方法を考えていますが……)

φ氏の文章を読むにつけ
「このエエカッコシイが!」
と思ってしまう。

>  ともあれ、問題文を素直に読む限りでは、
> 甲も乙も、交換することによる期待値の変化はゼロ、
> で間違いありません。
> そして理由も(甲の推論の誤りも)ハッキリしています。

私の考えでは、素直に読めば、そもそも期待値が意味を失う。

残敵掃討 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月19日(月)10時06分38秒

φさんへのお返事です。

>  http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3210で言ったことを繰り返すと、

何度繰り返しても、黒が白になることはないw

>  目撃した封筒内金額をデータとして無視する解釈も可能で、それを私はB1と名づけた。
>  B1では、無限級数を使った多数試行シミュレーションが可能だが、
>  B1の意味からして未開封設定と同様なので、交換による期待値変化はゼロ。

その決め付けが誤り。φ氏がB1の意味を誤解したから間違ったw

>  目撃した封筒内金額をデータとして生かす解釈も可能で、それを私はB2と名づけた。
>  B2では、封筒内に可能な金額は3通りだけなので、無限級数を使ったシミュレーションは不可能であり、交換による期待値変化は1/4増。

B1は、B2で計算した期待値を、各金額の確率の重みをつけた上で足し合わせたもの。
これが正しいB1の意味である。φ氏は無限級数を嫌いサボった。その瞬間間違ったw

>  ↑このロジックにより、
>  2封筒パラドクス(B1とB2の食い違い)発生に無限級数はまったく無関係であることがわかる。
> モンテカルロさんは、このロジックに反発しているだけで、全然反論できてません。

食い違いが生じるのはB1とB2の間ではなく、

A’ ペアが確定しているものとして期待値を計算し、
   その期待値計算をペア別の確率の重みをつけて
   足し合わせる

という計算

B  自分の金額が確定しているものとして期待値を計算し、
   その期待値計算を金額別の確率の重みをつけて
   足し合わせる

という計算の食い違い。

φ氏は、Aの解釈をA’だといっているが、それは摩り替えである。

> > (g(1)/2)2
> > +((g(1)+g(2))/2)*(g(1)*(-2)+g(2)*4)/(g(1)+g(2))
> > +((g(2)+g(3))/2)*(g(2)*(-4)+g(3)*8)/(g(2)+g(3))
> > +…
> > +((g(n)+g(n+1))/2)*(g(n)*(-2^n)+g(n+1)*2^(n+1))/(g(n)+g(n+1))
> > +…
> >
> > =(g(1)/2)2
> > +(g(1)*(-2)+g(2)*4)/2
> > +(g(2)*(-4)+g(3)*8)/2
> > +…
> > +(g(n)*(-2^n)+g(n+1)*2^(n+1))/2
> > +…                      …(2)
> >
> > (2)が、下の(1)の括弧の付け替えであることは明らかだろう。
> >
> > g(1)((2-2)/2)+g(2)((4-4)/2)+g(3)((8-8)/2)+…+g(n)((2^n-2^n)/2)+…=0 …(1)
>
>  (2)は(1)と違って、ペア選択の確率分布に敏感です。

その通り。

>  括弧付け替え計算において想定された確率分布が、実はあとの調査やゲーム進行、
> あるいはそもそも問題設定の含意の吟味などによって違っていたと判明して、
> 実は必ずしもアルゴリズム的でない異様な確率分布(しかし依然としてもともとの
> 期待値を発散させる確率分布)であることがわかったとします。

数学が分かっていない人は数学の用語を間違って使うので困る。

上記の「アルゴリズム的」という言葉の用法は間違っている。

アルゴリズム的(正しくはアルゴリズミック)とは
「計算の手続きが明示できる」という意味。

ここでは確率分布そのものは明示され決して変えられない。
しかも明確な計算手続きが示されている。
したがって違っているとかアルゴリズムがないとかいう
言い掛かりは却下される。

したがって、上記の発言が意味を持つには、
正しい用法とは異なる言葉の使い方がなされている
と考えざるを得ない。

>  そういういかなる改訂の可能性にも対応できるようでないと、
> 括弧付け替え計算が、常に交換による期待値変化≒0という
> 結果を生むことができるかどうか、自明でないと
> 私は言ってきたのですが。

φ氏は何も対応していないがね。

それゆえ、間違っている。

自分の計算ではいかなる確率分布でも0になるから正しい
と言い張っているが、そもそもその正当化戦略が全くの誤り。

>  じゃあ、もう面倒なので百歩譲って、すべての場合に同型の計算でなくても結構ですから(統一的な「説明」に使えなくてもいいですから)、とにかく次のことだけでも示してくれませんか。
>
>  「2封筒問題において、もともとの期待値を発散させるペア選択の確率分布であればいかなるものであっても、交換による期待値変化がゼロでないような計算を作り出すことができる」
>
>  ↑式の同型性にはもうこだわらないわけですから、これはできるんじゃないですか? 何らかの間接証明によって。

上記の「計算」とは、ベイズによる事後確率の計算ではなく、
一般に()による結合および項の交換を自由に行った場合、
という意味か?

その場合は、このあいだ示したハイラーとヴァンナーの
「解析教程 下」のp35にある、より一般的な
「絶対収束しない場合」に好き勝手な値を出す方法
(リーマンが1854年に見つけた)を見られたい。

ちなみに、交換の期待値を計算するための級数の各項は以下の通り。

g(1)*1、g(1)*-1、g(2)*2、g(2)*-2、・・・

正値の項、あるいは負値の項だけを足せば発散することは
もとの期待値の級数が発散することから簡単に示せる。

なお、ある特定の計算(ベイズによる事後確率の計算)において
期待値の発散から、交換の期待値の発散を示すのは、私にとっては、
簡単な問題とは思えない。

私が考える必要条件が必要十分条件である可能性もあるが
この場合、そこまで示す必要性を感じない。

>  結局、モンテカルロさんは、二重三重に間違っている可能性があるということです。

その間違いは全てφ氏のものである可能性のほうがはるかに高い。


φ氏の要請は論理に反する 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月19日(月)09時11分59秒

> No.3225[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> > ペアによる()づけを優先させる時点で、暗黙のうちに
> > 「自分が知らないだけで、ペアは決まっているのだ」
> > という思い込みが入ってしまっているから。
> >
>
>  「自分が知らないだけで、ペアは決まっているのだ」
> というのは事実なので仕方がないですね。
>  2封筒問題の設定では、未開封だろうが片方開封後だろうが、
> 「自分が知らないだけで、ペアは決まっている」のです。
> それは客観的事実であり、無視することはできません。

決まっているのはペアだけではない。
自分の金額も決まっている。
相手の金額も決まっている。

「決まっている」という言葉を馬鹿正直に解釈するなら確率は否定されるw

>  設定Sの場合は、目撃金額が決まった後でペアを決めるという構造なので、
> 話が別ですが。

決め方と、カッコのつけ方は無関係である。

>  せっかく得られたデータを再び変数化したんじゃ、
> 条件付き確率の問題を解いたことになりませんね。

多数回試行による自分の金額の変動を無視するのでは
確率の問題を解いたことになりませんよ。

>  封筒内金額を確率変数のままとどめるという態度は、
> 事後確率を理解していない証拠です。

変数を否定するという態度は
多数回試行を誤解し確率を誤解している証拠

> 唯一試行の期待値を計算するための多数試行では、
> 唯一試行で得られたデータを固定しなければなりません。

φ氏の舌足らずな言い方での唯一試行の期待値、すなわち
「自分の封筒の金額がある特定の値の場合の期待値」
を計算して、それが1.25倍になる、というだけでは
パラドックスになりえない。

なぜなら
「ペアが特定されている場合の期待値」
とは、自分および他人の金額の想定範囲が異なるからである。

例えばペアが10000と5000とわかっていれば、
可能性は(10000、5000)か(5000、10000)の2つである。
しかし、自分の額が10000だとわかっていれば
可能性は(10000、5000)か(10000、20000)の2つである。
両者は全く異なる。

可能性の範囲が一致している状況で
「自分が封筒を開けない場合の期待値の計算」と
「自分が封筒を開ける場合の期待値の計算」が
一致しないからパラドックスになるのである。

したがって、金額は変数とせねばならない。
これが正しい論理的要請であり、φ氏は
間違った要請をしているから論理を否定する強制となる。

>  得られたデータを固定しないのでは、データを得る前に逆戻りで、
> つまりは未開封設定への逆戻りです。
>  獲得データを固定した上で、未獲得の確率変数の頻度に注目する。
> それがシミュレーションとしての多数試行の意義です。

言葉をいくら連ねたところで、
「ペア固定」と「自分の金額固定」では
想定範囲が重なりようがない時点で、
パラドックスになりえないことは明白。

>  そんなこと2封筒問題以前に、確率問題の基本ですけれどね。
> この程度のことを理解するために、高校の数学すら必要ないと思いますけど?

残念ながら、確率を理解していないのはφ氏。
それじゃ数学でザセツして文系にいくわけだ。

数学のつまづきの石は、微分積分や三角関数ばかりじゃないってことですか。


Re: 銀河帝国の2封筒問題 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月19日(月)08時48分46秒

スターダストさんへのお返事です。

> ある日、地球人である甲乙の2名が銀河帝国の帝都惑星トランターに突然に召還され、
> 皇帝に拝謁を許されることとなった。召還の理由は甲乙2名には判らなかった。
> 皇帝は甲乙両名にそれぞれ一通ずつ封筒を渡して与えると言った。
> 中には、皇帝陛下御自ら裏書のはいった小切手が1枚ずつはいっていた。
> 甲の小切手の額面は「1000α」であり、乙の額面は「1000β」であった。
> 皇帝は言う。
>「地球人のそのほうらは、コレル共和国の通貨であるα、
> アナクレオン王国の通貨であるβについて一切なにも知らないこと、
> 事前に余の公安委員会の調査でわかっておる。」
> 甲乙ふたりにとっては確かにそうであった。続けて皇帝は言う。
>「通貨αと通貨βとの交換レートについて教えてやろう。
> 片方がもう片方の丁度2倍なのだ。
> すなわち、1α=2β、ないし2α=1βの、どちらかが成立するのだ。
> これらの通貨は、余がじきじきに新たに作成し、昨日から流通しておる。
> その方らと謁見する今日、この日の世の楽しみの為にな。
> α、βのどちらが高い価値の通貨であるかどうかは確率1/2で決定した。」
> 皇帝はニンマリと笑う。
>「余はお前たち甲乙の知恵を見てみたい。今からでも遅くない、
> 与えられた封筒を互いに交換したいと思うか?莫大な価値があるぞ?」
> 甲は考えた。
>「私に与えられた小切手の額面は1000α。
> 乙に与えられた小切手の価値を通貨αで換算してみよう。
> 確率1/2で2000α、確率1/2で500α。平均は1250αなのか!
> 乙のほうが得ではないか?【いやいやいや、ちょっと待て】
> 私に与えられた小切手の価値を通貨βで換算してみよう。
> 確率1/2で2000β、確率1/2で500βではないか?
> 私の小切手の価値は平均で1250β。
> 乙の小切手は1000βなので私のほうが得ではないか!
> いったいこれはどうしたことだろうか…」
> さぁ、あなたは乙である。あなたならどのように考えるか?

> ※多数回試行であろうと1回コッキリであろうと、結論は同じことだろうと…
> 私には直観的に思えるのですが、うまく説明できる能力はありません。
> 申し訳ありません。

皇帝はつづけてこういわれた。
「なお、この恩典は当面継続して行われるものとする」

甲と乙は声をそろえてこういった
「交換はしませんが、
 1000αをアナクレオン王国の銀行に
 1000βをコレル共和国の銀行に預金します。
 当然その日のうちに現地通貨に換えた上で。」

皇帝はこう尋ねた「なぜじゃ?」

両者の説明:
 預けた金を国内で使う限りにおいては、お互いに儲かる。
 相手の国では使わない。もったいないから。

皇帝の反応「ギャフン!」


Re: 銀河帝国の2封筒問題 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月19日(月)04時20分28秒

> No.3223[元記事へ]

スターダストさんへのお返事です。

 面白い問題をありがとうございます。

 2封筒問題を考える視点が広がりました。感謝します。

 ただ、スターダストさんの出された特定のその問題そのものは、もとの形の2封筒問題よりも解決が簡単です。(つまり、正解が決まりやすいです)

 このことについては、たぶん、モンテカルロさんも私と同意見ではないかと思います。

 なので、モンテカルロさんがどう答えるかを拝見してから、私のコメントを差し上げたいと思います。

 ただ、後出しジャンケンになってはよくありませんから、私の結論だけ書いておきましょう。

 甲も乙も、交換することによる期待値の変化はゼロ。
 ただし、特殊な条件を付ければ、甲も乙も交換することの期待値がともにプラス1/4、という解釈が可能である。
 また、その特殊な条件が成立しているかどうかを確かめる経験的方法がある。

 ……というのが、私の答えの枠組みになります。
 (その「特殊な条件」については、今、表現方法を考えていますが……)

 ともあれ、問題文を素直に読む限りでは、甲も乙も、交換することによる期待値の変化はゼロ、で間違いありません。そして理由も(甲の推論の誤りも)ハッキリしています。

 では、詳細については、後ほど。
 

命令ならぬ論理的要請 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月19日(月)04時06分13秒

> No.3215[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。


 最初にお詫びしておきますが、
 これまでの私の記述で、設定の名の表記で、「S」と「C」が混在してしまいました。
 ここではA、B、CのCとして導入した設定を、『論理パラドクシカ』での呼び名に合わせて途中から「S」としたので、ときおり書き間違えてます。
 SとCは同じ設定を指しているので、途中からお読みの方はそのつもりで理解してください。

 さて、

>
> ペアによる()づけを優先させる時点で、暗黙のうちに
> 「自分が知らないだけで、ペアは決まっているのだ」
> という思い込みが入ってしまっているから。
>

 「自分が知らないだけで、ペアは決まっているのだ」というのは事実なので仕方がないですね。
 2封筒問題の設定では、未開封だろうが片方開封後だろうが、「自分が知らないだけで、ペアは決まっている」のです。それは客観的事実であり、無視することはできません。
 設定Sの場合は、目撃金額が決まった後でペアを決めるという構造なので、話が別ですが。

>
> > nの変数扱いは、「見た金額」というデータを
> > 事後確率の推論に生かしていないことになり、
> >「(2^(n-1),2^n)や((2^(n+1),2^n)を無意味とし」
> >たことになりません。
>
> 多数回試行を考えれば、nを変数とすることに何の問題もない。
>
>
> >  ・封筒内に見た金額を特権化するのであれば、無限級数など使うな。
>
> 多数回試行においては、金額は特定されないのであるから
> 無限級数を使ってもよい。
>

 せっかく得られたデータを再び変数化したんじゃ、条件付き確率の問題を解いたことになりませんね。
 封筒内金額を確率変数のままとどめるという態度は、事後確率を理解していない証拠です。
 唯一試行の期待値を計算するための多数試行では、唯一試行で得られたデータを固定しなければなりません。
 得られたデータを固定しないのでは、データを得る前に逆戻りで、つまりは未開封設定への逆戻りです。
 獲得データを固定した上で、未獲得の確率変数の頻度に注目する。それがシミュレーションとしての多数試行の意義です。
 そんなこと2封筒問題以前に、確率問題の基本ですけれどね。この程度のことを理解するために、高校の数学すら必要ないと思いますけど?
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3210で言ったことを繰り返すと、
 目撃した封筒内金額をデータとして無視する解釈も可能で、それを私はB1と名づけた。
 B1では、無限級数を使った多数試行シミュレーションが可能だが、B1の意味からして未開封設定と同様なので、交換による期待値変化はゼロ。
 目撃した封筒内金額をデータとして生かす解釈も可能で、それを私はB2と名づけた。
 B2では、封筒内に可能な金額は3通りだけなので、無限級数を使ったシミュレーションは不可能であり、交換による期待値変化は1/4増。
 ↑このロジックにより、
 2封筒パラドクス(B1とB2の食い違い)発生に無限級数はまったく無関係であることがわかる。


モンテカルロさんは、このロジックに反発しているだけで、全然反論できてません。

>
> 別に設定Sでなければならない理由はない。
>
> 私の書いた
> http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3181
> に「自分の金額が明らかになった場合の交換の期待値変化」
> すなわち
> 「B ペアのうち一つを選び、封筒内を見た場合の交換の期待値」
> として、以下の(2)を示した。
>
> (g(1)/2)2
> +((g(1)+g(2))/2)*(g(1)*(-2)+g(2)*4)/(g(1)+g(2))
> +((g(2)+g(3))/2)*(g(2)*(-4)+g(3)*8)/(g(2)+g(3))
> +…
> +((g(n)+g(n+1))/2)*(g(n)*(-2^n)+g(n+1)*2^(n+1))/(g(n)+g(n+1))
> +…
>
> =(g(1)/2)2
> +(g(1)*(-2)+g(2)*4)/2
> +(g(2)*(-4)+g(3)*8)/2
> +…
> +(g(n)*(-2^n)+g(n+1)*2^(n+1))/2
> +…                      …(2)
>
> (2)が、下の(1)の括弧の付け替えであることは明らかだろう。
>
> g(1)((2-2)/2)+g(2)((4-4)/2)+g(3)((8-8)/2)+…+g(n)((2^n-2^n)/2)+…=0 …(1)
>

 (2)は(1)と違って、ペア選択の確率分布に敏感です。
 括弧付け替え計算において想定された確率分布が、実はあとの調査やゲーム進行、あるいはそもそも問題設定の含意の吟味などによって違っていたと判明して、実は必ずしもアルゴリズム的でない異様な確率分布(しかし依然としてもともとの期待値を発散させる確率分布)であることがわかったとします。
 そういういかなる改訂の可能性にも対応できるようでないと、括弧付け替え計算が、常に交換による期待値変化≒0という結果を生むことができるかどうか、自明でないと私は言ってきたのですが。

 じゃあ、もう面倒なので百歩譲って、すべての場合に同型の計算でなくても結構ですから(統一的な「説明」に使えなくてもいいですから)、とにかく次のことだけでも示してくれませんか。

 「2封筒問題において、もともとの期待値を発散させるペア選択の確率分布であればいかなるものであっても、交換による期待値変化がゼロでないような計算を作り出すことができる」

 ↑式の同型性にはもうこだわらないわけですから、これはできるんじゃないですか? 何らかの間接証明によって。
 以前、モンテカルロさん自身が
>http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3127
> むやみな一般化は、φ氏のごとき
> 「数学は高校卒業で終わった一般人」には
> 到底理解不能に違いないので、まず以下の確率分布
> に限定するとしよう。……
 と、いずれ任意の確率分布について私の要求に応えてみせることを暗示していたので、そろそろ一般的な証明をお願いします。
 それとも、これすらできない?
 もしできなかったら絶望ですよ。
 直観的にはなんかできそうな感じもするんで、まあ、よろしくお願いします。

 (ただ、それができても、前述のように
 「交換による期待値変動有りというケース(B2)には無限級数は無関係」
 なわけなので、証明し甲斐がないかもしれませんが……。)

 結局、モンテカルロさんは、二重三重に間違っている可能性があるということです。


Re: 具体的な数値を捨象 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 9月18日(日)23時32分36秒

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3217 (9月18日(日)01時39分)
> 「得失値の総和が有限級数だったら(最後の大逆転で)0に収束する」と言うのは、正確には(有限でも、若しも奇数の項数で止まる事を許すなら0でない数に成るから)、「(1,2)と(2,1)などの一対、つまり◆偶数の項数から成る級数だから◆0に収束する」という所に本質が在る。第2条件が課す〈項数の偶数性〉という事。

単に「偶数の項数」と言うと的確でないので補足します。

…,{4,8,8,4},…{10,20,20,10},…と言う様に、項数が必ず4つずつ増えて行かなければ成らないと言う◆制約を、第2条件が課して居る◆訳です。

4つずつ増えなければ成らない――それは、どの様に区切っても±0に収束してしまうと言う事ではありませんかね。

******
チャーマーズ説への批判も有り、ちょっとした2封筒問題のポータルにも成ってます。
http://soler7.com/IFAQ/two_envelope_paradox_solution.htm


Two Envelope Paradox Solution, by Tad Boniecki




銀河帝国の2封筒問題 投稿者:スターダスト 投稿日:2011年 9月18日(日)18時11分6秒

懲りずに2封筒問題のvariantについてです。投稿をご寛恕くださいませ。
===
ある日、地球人である甲乙の2名が銀河帝国の帝都惑星トランターに突然に召還され、皇帝に拝謁を許されることとなった。召還の理由は甲乙2名には判らなかった。皇帝は甲乙両名にそれぞれ一通ずつ封筒を渡して与えると言った。中には、皇帝陛下御自ら裏書のはいった小切手が1枚ずつはいっていた。甲の小切手の額面は「1000α」であり、乙の額面は「1000β」であった。皇帝は言う。「地球人のそのほうらは、コレル共和国の通貨であるα、アナクレオン王国の通貨であるβについて一切なにも知らないこと、事前に余の公安委員会の調査でわかっておる。」甲乙ふたりにとっては確かにそうであった。続けて皇帝は言う。「通貨αと通貨βとの交換レートについて教えてやろう。片方がもう片方の丁度2倍なのだ。すなわち、1α=2β、ないし2α=1βの、どちらかが成立するのだ。これらの通貨は、余がじきじきに新たに作成し、昨日から流通しておる。その方らと謁見する今日、この日の世の楽しみの為にな。α、βのどちらが高い価値の通貨であるかどうかは確率1/2で決定した。」皇帝はニンマリと笑う。「余はお前たち甲乙の知恵を見てみたい。今からでも遅くない、与えられた封筒を互いに交換したいと思うか?莫大な価値があるぞ?」
甲は考えた。「私に与えられた小切手の額面は1000α。乙に与えられた小切手の価値を通貨αで換算してみよう。確率1/2で2000α、確率1/2で500α。平均は1250αなのか! 乙のほうが得ではないか? 【いやいやいや、ちょっと待て】私に与えられた小切手の価値を通貨βで換算してみよう。確率1/2で2000β、確率1/2で500βではないか?私の小切手の価値は平均で1250β。乙の小切手は1000βなので私のほうが得ではないか! いったいこれはどうしたことだろうか…」
さぁ、あなたは乙である。あなたならどのように考えるか?
===
※多数回試行であろうと1回コッキリであろうと、結論は同じことだろうと…私には直観的に思えるのですが、うまく説明できる能力はありません。申し訳ありません。
===
甲乙両者のそれぞれ個別の観測選択効果( observation selection effects) が対象的になるように問題を作ってみました。
元の2封筒問題では、両者の観測選択効果が導き出す、「両者が取得する金額の合計」が一致しません。(私にはそう思えます。)上の皇帝による2封筒問題では、「両者が取得する金額の合計」は、両者にとって一致しています。
===
駄文を失礼いたしました。



Re: 二封筒問題に友人がこう答えました 投稿者:スターダスト 投稿日:2011年 9月18日(日)17時29分5秒

> No.3221[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

> スターダストさんへのお返事です。
> 友人のラスベガス君にこの話をしたら30秒大笑いした後、こういった。
>
> 「確かに1/2倍と2倍なら、相乗平均でうまくいくね。
>  しかし、√と、2乗だったらどうするんだい?
>  (√x)×x^2=x^(5/2)
>  平行根をとったらx^(5/4)だろ?」

明快ですね。私も仰られる通りに切り返す能力があればと思いました。さきほどまで考え込んでいた手法::Wikipediaに記載のある一般化平均…では処理ができそうにありません。



Re: 二封筒問題に友人がこう答えました 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月18日(日)16時53分43秒

> No.3220[元記事へ]

スターダストさんへのお返事です。

> 友人:
> 期待値の計算が間違っているよ、
> 相加平均したらダメそうだ、
> 相乗平均を使うのではないのか?
> 甲の小切手の額面をXとすると、
> 乙の金額の期待値は、相乗平均で
> 「(1/2X)×(2X)」の平方根だろう。
> すなわち、Xに等しい。
> だから、不公平などないのだ。

友人のラスベガス君にこの話をしたら30秒大笑いした後、こういった。

「確かに1/2倍と2倍なら、相乗平均でうまくいくね。
 しかし、√と、2乗だったらどうするんだい?
 (√x)×x^2=x^(5/2)
 平行根をとったらx^(5/4)だろ?」


二封筒問題に友人がこう答えました 投稿者:スターダスト 投稿日:2011年 9月18日(日)16時06分1秒

友人に二封筒問題を紹介したところ、ややあって、私には理解できない回答がかえってきました。
===
私の紹介: 人間二人(甲と乙)にそれぞれ封筒をひとつづつ与えた。封筒の中身はともに小切手である。片方の封筒の小切手の額面には、もう片方の封筒の小切手の額面の2倍の金額が書かれているのだである。確率1/2で金額の少ないほうの封筒を両者は受け取ったものとする。甲乙両者はそのことだけを知っている。甲が乙に見せずに自分の封筒を開けたら小切手の額面は6000円だった。 甲は考える。 「乙の小切手の額面はいくらだろうか? 確率1/2で3000円、同確率で12000円、すると期待値は7500円だ。私、甲は6000円である、これでは不公平なのでは?」
===
私の友人: 期待値の計算が間違っているよ、相加平均したらダメそうだ、相乗平均を使うのではないのか? 甲の小切手の額面をXとすると、乙の金額の期待値は、相乗平均で「(1/2X)×(2X)」の平方根だろう。すなわち、Xに等しい。 だから、不公平などないのだ。
===
相乗平均って…と私は二の句がつげず、その場はうやむやにしてしまいました。
以上、私的に混乱したオハナシでした。チャチャをいれてしまって申し訳ありません。




無題 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月18日(日)08時20分25秒

おかめ石さんへのお返事です。

> 「得失値の総和が有限級数だったら(最後の大逆転で)0に収束する」
> と言うのは、正確には(有限でも、若しも奇数の項数で止まる事を許すなら
> 0でない数に成るから)、
>「(1,2)と(2,1)などの一対、
> つまり◆偶数の項数から成る級数だから◆
> 0に収束する」という所に本質が在る。
>第2条件が課す〈項数の偶数性〉という事。

素人は、「0に収束する」を「最後は0になる」と間違う。

無限に最後はない。



おかめ石、9/18玉砕! 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月18日(日)08時14分32秒

おかめ石さんへのお返事です。


> > 開封は「基本的枠組み」内であり、
> > これをはずすのは問題自体の否定である。
>
> 「基本的枠組み」とは、
> 第1の設問「開封前の交換」での封筒内の状態
> という意味で使っています。
> 第2の設問「開封して一方の金額が明らかに成った後の交換」
> の話ではありません。

その意味が間違っている

第1も第2も基本。
自分の好みで基本か否かを分けるな。

> > ②③は「未開封交換」ではない
> > そもそも①の計算は「開封前」ではない。
>
> モンテカルロさんも、①②③の区切りは「未開封交換」での話、
> と承知だった筈ですけどね。

全くの大嘘

おかめ石氏も私も一度もそんなことはいっていない。


> > > 得失の総和が0に成るもの(①の所)、
> > > +∞に発散するもの(②の所)、
> > > -∞に発散するもの(③の所)が有って不定だから、
> > > 期待値は一意的に定まらず、無意味であると。
> >
> > 左様。交換の得失の期待値は定まらないから無意味。
>
> 私は9月5日以来、一貫して開封前交換(乃至、最初の選択)だけを
>問題にして来ました。

つまり
「封筒を開けるな!」
とわめいて
2封筒問題を完全否定
したわけだ。

> しかしまあ、そういう話だったと仰るなら仕方有りませんね。
> 今まで御相手どうも。それでは。

おかめ石、玉砕!


具体的な数値を捨象 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 9月18日(日)01時39分35秒

2封筒問題の“設問”の2条件(補訂版)
第1「左右とも金額不明。多額の方(y)は少額の方(x)の2倍である」 y=2x
第2「多額の方(2x)・少額の方(x)の左右配置はアトランダムである」 (x,2x)または(2x,x)

*****
「得失値の総和が有限級数だったら(最後の大逆転で)0に収束する」と言うのは、正確には(有限でも、若しも奇数の項数で止まる事を許すなら0でない数に成るから)、「(1,2)と(2,1)などの一対、つまり◆偶数の項数から成る級数だから◆0に収束する」という所に本質が在る。第2条件が課す〈項数の偶数性〉という事。

*****
 ~下を書いた後、よくよく考えてみて、この視点の重要性を更に確認。2条件を忠実に反映して居ます。~

> 開封‘前’は、左の金額が不明、且つ、左が少額の方(n)なのか倍額の方(2n)なのかも不明。
> ┌n ―右に交換→2n  (n,2n)
> └2n―右に交換→n   (2n,n)
> ◆開封‘前’交換は、「基本的枠組み」内の交換にとどまります。◆

「左がnか2nか」は第2条件のランダム性、(n,2n)又は(2n,n)という内部構造をして居る点は第1条件を、それぞれ反映して居ます。

*****
左(n)から右(2n)へ、又は左(2n)から右(n)へ交換、という2つの排反事象がここでは起る、という観点。

そして、第1条件の通り金額不明なのだから、(1,2)とかの具体的な数値を捨象して(n,2n)として捉える事の重要性。

*****
開封前の交換で問われて居るのは多額・少額◆2つの数の配置の問題◆であり、
 (n,2n)か(2n,n)か
開封後の交換という3つの数が関わる問題とは異なりますね。
 (2,1)か(2,4)か


*****
ここからは、モンテカルロさん(http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3211 9月17日(土)08時53分)へのお返事です。

> 開封は「基本的枠組み」内であり、
> これをはずすのは問題自体の否定である。

「基本的枠組み」とは、下の◆と◆の間に書いてある様に、第1の設問「開封前の交換」での封筒内の状態という意味で使っています。第2の設問「開封して一方の金額が明らかに成った後の交換」の話ではありません。

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3205 (9月16日(金)00時54分)
> 2封筒問題では、例えば2円・4円ペアを例に取れば
>   ◆「左に2円、右に4円」に成って居るか、又は、その左右を置き換えた「左に4円、右に2円」に成って居るか◆
> というのが基本的枠組みです。つまり①です。その枠組みの中で、左右どちらを選ぶと得なのか迷う訳です。

*****
> ②③は「未開封交換」ではない
> そもそも①の計算は「開封前」ではない。

モンテカルロさんも、①②③の区切りは「未開封交換」での話、と承知だった筈ですけどね。

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3190 (9月14日(水)20時31分)
> > 得失の総和が0に成るもの(①の所)、
> > +∞に発散するもの(②の所)、
> > -∞に発散するもの(③の所)が有って不定だから、
> > 期待値は一意的に定まらず、無意味であると。
>
> 左様。交換の得失の期待値は定まらないから無意味。

私は9月5日以来、一貫して開封前交換(乃至、最初の選択)だけを問題にして来ました。
しかしまあ、そういう話だったと仰るなら仕方有りませんね。
今まで御相手どうも。それでは。



φ氏の竹槍 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月17日(土)15時16分53秒

つまるところφ氏の主張は

 「ペア」に固執すれば、いくら複雑な確立分布を持ち出してもスルーできて
 数学のスの字も分からず挫折し、文学部にいった数痴のボクちゃんでもわかる
 交換しても損益「0」という、アッタリマエの結論にたどり着けるっ!」

という「竹槍一本で頑張る」ということらしい。

なんだか

「平行線は1本しかないっ!ユークリッド幾何学だけが正しいっ」

と絶叫する方々(バートランド・ラッセルは上記の件を主張する論文で
学位をとったそうであるが)と同じ状態に陥ってしまったらしい。


φ氏の大嘘 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月17日(土)15時00分53秒

φさんへのお返事です。

>  2封筒問題に、「無限列の括弧付け替え」の出番など無い・・・
>  括弧付け替え的な計算法(付け替えるというより、初めから金額定位の計算)
> がなされるのは、
>
>  設定S  ペアからプレイヤーに選ばせるのではなく、まず特定の金額を提示して、
>「この金額をとるか、それとも、これの2倍か半分かをコイン投げで得るという方がいいか」
> を選ばせる、というゲームにおいて、プレイヤーがコイン投げを選んだ場合
>
> の場合だけであり、Sは2封筒問題ではありません。
>  とくに、括弧付け替え戦略では、任意のg(x)
>(あるいはg(x)の主観的改訂)
>に応ずる柔軟な計算ができません。

よくもまあそんな
大嘘
がつけたもんだ。

別に設定Sでなければならない理由はない。

私の書いた
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3181
に「自分の金額が明らかになった場合の交換の期待値変化」
すなわち
「B ペアのうち一つを選び、封筒内を見た場合の交換の期待値」
として、以下の(2)を示した。

(g(1)/2)2
+((g(1)+g(2))/2)*(g(1)*(-2)+g(2)*4)/(g(1)+g(2))
+((g(2)+g(3))/2)*(g(2)*(-4)+g(3)*8)/(g(2)+g(3))
+…
+((g(n)+g(n+1))/2)*(g(n)*(-2^n)+g(n+1)*2^(n+1))/(g(n)+g(n+1))
+…

=(g(1)/2)2
+(g(1)*(-2)+g(2)*4)/2
+(g(2)*(-4)+g(3)*8)/2
+…
+(g(n)*(-2^n)+g(n+1)*2^(n+1))/2
+…                      …(2)

(2)が、下の(1)の括弧の付け替えであることは明らかだろう。

g(1)((2-2)/2)+g(2)((4-4)/2)+g(3)((8-8)/2)+…+g(n)((2^n-2^n)/2)+…=0 …(1)

φ氏は
  B ペアのうち一つを選び、封筒内を見た場合の交換の期待値

  B1 さまざまな初期金額がありえたと考える場合(非決定論的ゲーム)
  B2 見た金額が必然的だったかのように扱う場合(決定論的ゲーム)
と区別している。
しかし、実際は決定論か非決定論かはどうでもよくなっており、ただ、
「ペア内には二つの数しかないという「全体的証拠の原理」」
とやらに固執する(B1)か、放棄する(B2)かの違いしかない。

しかし、封筒内を見た時点で
「ペア内には二つの数しかない」
なんてことには固執しようがなくなる
のであるから意味がない。

さらにいえば、
A ペアのうち一つを選び、封筒内を見ない場合の交換の期待値
において、確率分布を無視して「ペア内には二つの数しかない」
としてよいなどと言い切ることはできない。

例えば、
「二つの封筒の金額はそれぞれ全く独立に選ばれ
 ただ両者の関係が、
 ・Aの金額:Bの金額が、1:2か2:1
 の場合のみゲームに用いられる」
とした場合には、選ばれるのはペアではなく
あくまで、両者の金額である。

このような場合においては、もはやペアに固執するのは無意味である。


脅迫? 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月17日(土)10時46分23秒

>  ~教訓~

脅迫の誤りでは?

>A ペアのうち一つを選び、封筒内を見ない場合の交換の期待値
>B ペアのうち一つを選び、封筒内を見た場合の交換の期待値
> (B1) さまざまな初期金額がありえたと考える場合
> (B2) 見た金額が必然的だったかのように扱う場合
>C ペアからプレイヤーに選ばせるのではなく、まず特定の金額を提示して、
>  「この金額をとるか、それとも、これの2倍か半分かを
>   コイン投げで得るという方がいいか」
>  を選ばせる、というゲームで、コイン投げを選んだ場合の期待値。


>  ・無限級数を使いたければ、AまたはB1の解釈に従って、ペア内での選択だけを考慮し、金額ごとの選択なるものを棄却し、「交換による期待値変化ゼロ」を認めよ。

そもそも、B1の解釈の仕方が間違ってる。
多数回試行において、金額ごとのゲーム集計の合算が可能であるので
ペア内での選択に限定する必要はない。
そしてその場合「交換による期待値」がゼロにならないのであれば
それを拒絶する理由は存在しないので、受け入れるしかない。

>  ・封筒内に見た金額を特権化するのであれば、無限級数など使うな。

多数回試行においては、金額は特定されないのであるから
無限級数を使ってもよい。

> ・封筒内に見た金額を特権化しながら無限級数を使うというのは、それぞれ別の初期金額を特権化した別々のゲームを一緒くたに混ぜ合わせたパッチワークであり、「ひとつのゲーム」ではない。あえてゲームとしての意味を探るなら、封筒内を見てない(金額は何でもよい、不定の)設定Aに帰着する。そのとき、交換による期待値変化は厳密にゼロと心得よ。

そもそも確率は全てパッチワークである。
サイコロを振って出る目は1から6までのいずれでもある。
1のゲームとか6のゲームとかいうものは存在しない。
パッチワークが嫌いなら確率を完全否定すればよかろうw

>  ・どうしても金額ごとでの期待値計算で統一し、かつ無限級数のモデルに執着するなら、解釈Cをとれ。
> ・解釈Cなら、ペアごとでなく金額ごとの選択確率分布によって心置きなく計算ができる。ただしそれは2封筒問題ではない。

はっきりいってB1とCは数学的には違わない。
B2は確率分布を無視する場合。

そもそもAは
「確率分布によらず、まずペアが固定されたとする」
という前提はない。

最後に、

「命令するのは勝手だが、一切従わんよ。」



「φ&おかめ石」ペアの矛盾 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月17日(土)10時24分31秒

φさんへのお返事です。

> > 私にいわせれば、 金額を見るということは
> > 「(2,4)か(4,2)か?」
> > という問いを無意味とし、代わりに
> > 「(2,4)か(2,1)か?」
> > という問いを発生させるのであるから、
> > その変化を「マチガッテル」というおかめ石氏は
> > 「そもそも問題そのものを否定している」
> > といわざるを得ない。
>
>  ↑ モンテカルロさんの矛盾がまたしても露呈しています。
>  金額を見て、「2」に認識を固定したということは、
>  (2,4)と(2,1)に可能性を限定したことになります。
>  まさしく、(1,2)や(4,2)の詮索を無意味としたことになりますね。
>  それはOKですが、
>  しかしそれならば、なぜ無限級数の期待値計算が許されるのでしょう?

許さない?それならそれで結構ですよ。

で、①が、ペアによる()づけを優先させるなら、
①でも無限級数は許されませんね。

その場合、全く不可知の場合④は、
ペアが明らかな場合①とは違うわけですよ。

「交換による損益は0」といいたがる人は
ペアの確率分布なんて正直無視してるんですよ。
そういう狭い世界に安住してるから
「無限なんて関係ない!」
とわめき散らしていられるわけで。

で、もしペアの確率分布がわからんというのなら。
ぶっちゃけ、2封筒問題なんて問題にならないわけですよ。
これこそ、
「パラドックスを嫌うあまり問題自体を否定」
という矛盾ですねw

>  一般的に、2^nを見て可能性を(2^n、Y)に限定したとき、
>  そのプレイヤーは「その同じゲーム」の期待値計算から
>(2^n、2^(n-1))と(2^n、2^(n+1))以外のペアを除去しなければなりません。
>  つまり交換による期待値の計算はこうなります。
>((2^x,2^(x+1))が選ばれる確率をg(x)とする)
>
>   g(n-1)2^(n-1)+g(n)2^(n+1)
>   g(n-1)とg(n)の事後確率をともに1/2と仮定すると(そうする以外の情報がないとすると)、交換による期待値変化は
> (2^(n-1)+2^(n+1))/2-2^n=2^(n-2)=2^n/4      1/4の得
>
>  このゲームでは金額が2^(n-1)、2^n、2^(n+1)の三種類しか出現しません。
>  つまり、期待値が発散しないゲームなので、
>  誰が見ても、期待値変化は1/4の得ということで確定します。
>  そして重要なことは、nは定数であるということ。
>  「金額を見た」「他の金額を無意味とする」とはそういうことです。
>  変数のままでは、見た金額をデータとして生かそうという意思を持っていないことになります(ゲームを封筒未開封バージョンで捉えていることになります)。

残念だが、「変数のまま」で考えさえすれば
「ゲームを封筒未開封バージョンで捉えている」
といいたいのであれば、それは誤りだ。

ペアによる()づけを優先させる時点で、暗黙のうちに
「自分が知らないだけで、ペアは決まっているのだ」
という思い込みが入ってしまっているから。

つまり「未開封の場合」を
「”ペアが明らかになっている場合”を
 全てのペアについて足し合わせたもの」
と同じとするのは、独断であり偏見である。

>  ところがまさに、
>  モンテカルロさんのように無限級数で期待値を考えるということは、
>  「見た金額」を「2^n」という特定の一つに「限定」せず、
>  2^xに一般化したことに他なりません。
>  つまり、目の前のペアを
>  (X,2X)と(X,X/2)一般、つまり全可能性に拡張しているわけです。

そもそも、期待値が有限である場合には、どう計算しようと答えは一致する。

逆に言えば、パラドックスは、期待値が発散する場合には、
上記の「幸福な状態」が破られることがある、といっている。

>  この拡張には根拠があると感じられたのでしょう。
>  根拠をあえて探ると、
>「胴元はいろんなペアを提示する可能性があったのだから、
> 2^nについて起きたこと(封筒内に目撃されたこと)は、
> 2^(n-1)、2^n、2^(n+1)以外にだって起こりえただろう。
> それらも全部列挙するのだ」
>ということでしょうな。

なんか口のききかたが偉そうだなw

>  しかしその見方を支えるのは「胴元の選択可能性」なのであるから、
> あくまでペアを単位とした確率変数で考えねばなりません。
>(中略)
>  こうして、nを変数扱いすると、金額ではなくペアそのものが先に選ばれ、
> ペア内のいずれかが次に選ばれます。括弧の付け替えは許されません。
>(ペアの選択確率ごとに計算せねばならない)
>  交換はペアの内部での交換しか起こらず、
> ペアをまたいだ金額交換などありえないので、
> 交換による期待値変化はゼロです。

本日、二度目だが・・・

それってただの
認知バイアス
だろ。

ぶっちゃけ、φ氏が自慢げに披露する、ナンタラカンタラの原理って
みんなその類の思い込みばっかりなんだよね。

哲学って、自分の認知バイアスを自慢するパフォーマンスなの?

>  他方、あくまで「見た金額」を先に固定してペアを選びたければ、
> 見た「2^n」は定数とせねばならず、2^nと他のすべての金額との間に
> 非対称性が確立し、他の金額を目撃したケースの密輸入は禁止されます。

残念だが、期待値は、多数回試行の平均値としての意味を持つし
nは毎回変わるのであるから、nの上限がないなら無限級数を排除できない。

>  いずれにせよ、nを変数扱いしてしまうと、
> 「2^n」を見たことがこのゲームにおいて瑣末化してしまい、
> 封筒未開封設定に帰着してしまいます。

未開封を
「どのペアか分からないがとにかくペアは固定されてる」
と決め付けることはできない。

上記の決め付けでパラドックスは解消されるだろうが、
そもそも、問題自体を否定していることにもなる。

※こういう言い方をすると
「じゃあ、ラッセルのパラドックスに対して
 内包公理自体を否定するのは、いいのかよ。」
というつっこみもあるだろうが、それに対しては
「別に無制限の内包公理が必要なわけじゃねーし。
 分出公理があれば数学の展開には問題ねーし。」
という回答になろうかw

> nの変数扱いは、「見た金額」というデータを
> 事後確率の推論に生かしていないことになり、
>「(2^(n-1),2^n)や((2^(n+1),2^n)を無意味とし」
>たことになりません。

多数回試行を考えれば、nを変数とすることに何の問題もない。

>  同じゲームの中に(2^(n-1),2^n)や((2^(n+1),2^n)
> その他もろもろをこっそり滑り込ませたいというのであれば、
> あくまで順序のないペアを各々の選択確率に従って導入しなければならない。
> なぜなら、そのつど「見た金額」は何でも良かったため、
> ペアのどちらを見たかという非対称性も生じないからです。

その通り。そもそも期待値において級数の順序はさしたる意味を持たない。
だ・か・ら・こ・そ、収束しない場合には、意味を持たなくなる。

>  モンテカルロさんのように nを変数扱いしておきながら、
> 「特定の金額を見た」というデータを「その同じゲーム」の期待値計算に
> 反映させようなんてのは甘すぎます。

数学嫌いのφ氏はお忘れのようだが、TTT氏も再三指摘しているように
「期待値が有限の場合には、①であろうが②であろうが③であろうが
 交換による期待値の計算値は同じ値になる」
といっている。

φ氏は
「①が確率分布によらず常に0という同じ値を示すのだから
 そんな(高校で数学を諦めたオレ様には)難しい理屈は抜きにして
 ①だけ考えりゃいいじゃん」
といいたいようだが、そもそもペアだけ考えるのなら、
ペアの確率分布なんか度外視できるのは当然なのであって、
そういうサボリ癖はよろしくない。

>  「2^n」というデータを真面目に受け止めて、
> (2^(n-1),2^n)や((2^(n+1),2^n)その他もろもろを
> 無意味とすると言いたいならば、
> 無限級数によるシミュレーションを諦めてください。
>  実際に見た金額を含む2種類のペア(事後的に可能とされるペア)だけで
> 全計算を構成してください。

多数回試行による集計が可能であるから
無限級数によるシミュレーションは意味がある。
自分に都合の悪い話を排除し、
自分に都合のいい話だけ強制する
のは、哲学者というより
独裁者
のすることですよ。

>  モンテカルロさんは、上記の件に加えて、まだ
>  http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3123
>  http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3148および
> http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3175後半
>  に全く返答していないことを付記しておきます。

1番目は正確には
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3119
ですな。
ここの質問は、この問題と無関係なので、回答は致しません。

2番目は0^0の定義ですか。
この質問も、この問題と無関係なので、回答は致しません。

3番目が
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3123
の計算云々の話ですかね。
この質問は、そもそもφ氏の
「確率分布によらないからオレ様の計算が正しい( ̄ー ̄)
という自慰発言の唯一の根拠「全体的証拠」云々の考え方が
身勝手で間違っているので、私の主張の正当性を示すために
この質問に回答する必要は全くありません。

> 期待はしてませんが。

上記の質問に回答しないことは再三に渡って述べているので
φ氏が「期待はしませんが」といいつつしつこく持ち出しても
無駄ですよ。

ああ、そうそう、全くの蛇足ですが

>  お答えいただける場合は 絶叫 に逃避せずに、
> ちゃんと理屈でお願いしたいですね。
> プロなら。

残念ながら、φ氏への数学の指導は、
ボランティア活動
なので。


数学の人w 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月17日(土)09時11分43秒

φさんへのお返事です。

>  数学の強調について。
>
>  TTTさんは2封筒問題を「数学の問題」と捉えているようですが、
> 私は「合理性の問題」と捉えています。
>  もし「数学の問題」と捉えたいのであれば、
> まずは、数学の人どうしで意見を統一してから来ていただければ有難いですね。

「数学の人」という言い方がいかにも幼稚で笑えるw。

数学の人=数学者という意味なら、私は数学の人ではない。
(数学者の定義には諸説あるだろうが、私の考えでは
 数学に関する学術誌に論文が掲載されたことのある人
 である。)

数学の人=大学の数学科で学んだ人という意味なら、当てはまるだろう。

ところで、数学の「問題」であるならば、
数学者の間で意見が一致する必要はないだろう。
なにしろ「問題」なのだからw

>  なにせ、ともに数学畑の人であるらしいTTTさんと
> モンテカルロさんの意見が食い違っているのではないか、
> と疑われるので。

私が見る限り
「期待値を示すはずの級数が発散する場合、期待値は存在しない」
という点において、TTT氏と私の考えは一致するが。

>  いくら数学数学と叫ばれても、私としては、上記の私自身の解決に比べて、
> 数学的解決とやらを重んじるモチベーションなど形成しようがないわけです。

数学を無視する態度が、
「確率分布に関わらず0になる
 計算方法が正しいに決まってる」
なんていうナイーブな主張の正当化のためなら、
ただ馬鹿馬鹿しいだけであるw

> 「数学者は間違いだらけ」らしいうえに、
> 現にここでも数学の人どうしが各々別々のことを言っている現状では、
> 数学による解決への疑念が深まるばかりです。

哲学者のN氏も論理学に関する著書でゲーデルの不完全性定理に用いる
対角化補題においてナイーブな(しかし誤った)説明をしていた。

私は数学のテクニカルな話に対する哲学者の発言については大いに疑念がある。

ただし、N氏の「無限論の教室」はなかなか面白い。


Re: モンテカルロさんへ1 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月17日(土)08時53分24秒

おかめ石さんへのお返事です。

> > ②は自分の額が明らかになった場合
> > ③は相手の額が明らかになった場合
> > の当然の計算である。何の無理もない。
>
> 「額が明らかになった場合」等と言うのは、◆見た後の交換の話◆です。
> そもそも未開封交換―見ないで交換―という状況なのだから、

大嘘だな。

私の計算はここから始まる。
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3094

>QB氏の「計算」は以下のものと推測されます。

> 支出  収入   損益
> -5000 +10000 = 5000
> -10000 +5000 = -5000
>-------------------------
> -10000 +20000 = 10000
> -20000 +10000 =-10000
>-------------------------
> -20000 +40000 = 20000
>・・・

>ペアごとに加算すれば0になるから、全体も0だ。と

>し・か・し、金額を見た後での計算はこうなりますよ。

> 支出  収入   損益
> -5000 +10000 = 5000
>-------------------------
> -10000 +5000 = -5000
> -10000 +20000 = 10000
>-------------------------
> -20000 +10000 =-10000
> -20000 +40000 = 20000
>・・・

つまり、
②③は「未開封交換」ではない
のであり、

>正当な理由付けには全く成りません。

という言い掛かり自体が不当である。

> 開封‘前’交換では、左を見る事は有りません。
> 左を2にして右を半額(1)と倍額(4)とするのは、
> 開封‘後’交換での考えであり、「基本的枠組み」外の事です。
> 2┬右に交換→1  (2,_)┬(2,1)
>  └右に交換→4       └(2,4)

開封は「基本的枠組み」内であり、
これをはずすのは問題自体の否定である。

> 開封‘前’は、左の金額が不明、且つ、
> 左が少額の方(n)なのか倍額の方(2n)なのかも不明。
> ┌n ―右に交換→2n  (n,2n)
> └2n―右に交換→n   (2n,n)
> ◆開封‘前’交換は、「基本的枠組み」内の交換にとどまります。◆

そもそも①の計算は「開封前」ではない。
なぜならペア(もしくは2つの封筒の金額の和)が
明らかになっている必要があるからだ。

> よって、開封‘前’交換の考察で、開封‘後’交換を意味する
>〈左の2(2,_)から(2,1)と(2,4)を結び付ける〉のは不可。

開封後の考察を、開封前の考察だと偽るな。

> (2)

> ~②の(2,_)に関して~
> > 例えば自分の金額が2とわかっていて、(4,2)を推測する馬鹿はいない。
> ~③の(_,4)に関して~
> > また、相手の金額が4とわかっていて、(4,2)を推測する馬鹿もいない。
>
> 左右の一方が分かって居るのなら、◆他の選択肢は全部消えており◆、
> ②では(2,1)と(2,4)、
> また③では(2,4)と(8,4)の間の期待値だけを考えればよい。
> 得失値の総和など全く不要です。

①(=ペアが分かっている場合)でも総和は不要だな。

で、問題を
「④ なんもわかってない状態」
をどう計算するか、である。

少なくとも
「① ペアが分かっている」
「② 自分の金額が分かっている」
「③ 相手の金額が分かっている」
の3つの場合について

・総額の期待値が収束する場合には、3つの計算の値は一致する
・総額の期待値が収束しない場合には、3つの計算の値が一致しないことがある。
・一致しない場合について、ある特定の計算(例えば①)が正しいとする根拠はない。
 ①についていえば「ペアが分かっている」という恣意性がある。
 また総額の期待値が収束するしないに関わらず0、というのは、
 ペアが分かっている場合には、ペアの確率分布の影響を全く受けない
 というだけのことに過ぎず、①の計算の正当性を示すものではない。

> (3)
> 「左」に実現し得る選択肢を枚挙していく
> その時、「右」に実現し得る二つの選択肢(両端は一つ)
>
> 左   1  2     4
> 交換  │  ├──┐  ├──┐
>     ↓  ↓  ↓  ↓  ↓
> 右   2  1  4  2  8
> ―――――――――――――――――
> 得失 +1 -1 +2 -2 +4
>     │  └──┤  └──┤
> 総和 +1    +1    +2
>
> しかし、こういう捉え方ではダメなんです。

ダメなのは
パラドックスに発狂するおかめ石のほう。

>まだ分岐してない状態(2,_)の2と、
>(2,1)と(2,4)に既に分岐した後の2では、
>別の意味に成っています。

おかめ石氏が勝手に意味を違えたがってるだけ。

>一旦、分岐してしまったら、1円・2円ペアでは多額y=2の方、
>2円・4円ペアでは少額x=2の方と、扱いが違ってしまいます。

そもそも分かったのは2円だということであって
ペアがわかっていなのだから当然だろう。

扱いについてはおかめ石が勝手に自分の扱い方に固執してるだけ。

> ここで話題を転じて、第2条件を外した例を取り上げてみましょう。
> 「左に少額、右にその2倍額が入って居ます。初めに左を取って下さい。取りましたね。では、右と交換しますか?」と言う設定ではどう成るでしょうか。
>
> 左   1  2  4…
> 交換  ↓  ↓  ↓
> 右   2  4  8…
> ―――――――――――
> 得失 +1 +2 +4…
>
> 得失の総和を取ると無限大に発散しますね?そして期待値そのものは不明ですけど、+100%だという事は自明ですよね。
>
> 発散級数の筈だけど、得失の比率は分かってしまう……。何故でしょう。
>
> それは、「〈左と右から成る一つのペア〉毎に得失の比率を計ると、そのパタンが〈あらゆる可能な選択肢〉に通じて作用する」と捉えるからではありませんか?

それってただの
認知バイアス
だろ。

ペアの金額の多額分、少額分を、左右の封筒に入れる確率が
左右の得失の比率になる、と思い込むのは随意だが、
期待値が発散する場合には意味がない。

面白い話をしよう。

1+2+4+・・・
から、おかめ石のいう”2倍”の値である
2+4+8+・・・
を引いてみると

になる。
 x-2x
=-x
=1

つまり

1+2+4+・・・=-1
2+4+8+・・・=-2


この屁理屈でいくと、交換するほうが「100%分損」である。


モンテカルロ氏の矛盾 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月17日(土)04時07分16秒

> No.3206[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

おかめ石さんのコメントhttp://8044.teacup.com/miurat/bbs/3207を補うようなものになりますが、
まあ、表現がかなり違うので、モンテカルロさんには無駄ではないでしょう。
よろしくお願いします。

>
> 私にいわせれば、 金額を見るということは
> 「(2,4)か(4,2)か?」
> という問いを無意味とし、代わりに
> 「(2,4)か(2,1)か?」
> という問いを発生させるのであるから、
> その変化を「マチガッテル」というおかめ石氏は
> 「そもそも問題そのものを否定している」
> といわざるを得ない。
>

 ↑ モンテカルロさんの矛盾がまたしても露呈しています。
 金額を見て、「2」に認識を固定したということは、
 (2,4)と(2,1)に可能性を限定したことになります。
 まさしく、(1,2)や(4,2)の詮索を無意味としたことになりますね。それはOKですが、
 しかしそれならば、なぜ無限級数の期待値計算が許されるのでしょう?
 (1,2)や(4,2)、その他大多数のペアは除外されたはずですよ。
 無限級数の計算では、(4,2)その他も再導入されてしまっています。なぜなら、上限がないと言えるほどの試行においては、確率ゼロでない任意の(2^x,2^(x+1))について、(2^(x+1),2^x)も必ず同じ回数だけ現われているはずだからです。

 (1,2)や(4,2)を無意味としたのであれば、「この同じゲーム」の期待値計算からは、(1,2)や(4,2)をはじめとする大多数のペアを除去しなければなりません。
 一般的に、2^nを見て可能性を(2^n、Y)に限定したとき、
 そのプレイヤーは「その同じゲーム」の期待値計算から(2^n、2^(n-1))と(2^n、2^(n+1))以外のペアを除去しなければなりません。
 つまり交換による期待値の計算はこうなります。((2^x,2^(x+1))が選ばれる確率をg(x)とする)

  g(n-1)2^(n-1)+g(n)2^(n+1)
  g(n-1)とg(n)の事後確率をともに1/2と仮定すると(そうする以外の情報がないとすると)、交換による期待値変化は
(2^(n-1)+2^(n+1))/2-2^n=2^(n-2)=2^n/4      1/4の得

 このゲームでは金額が2^(n-1)、2^n、2^(n+1)の三種類しか出現しません。
 つまり、期待値が発散しないゲームなので、
 誰が見ても、期待値変化は1/4の得ということで確定します。
 そして重要なことは、nは定数であるということ。
 「金額を見た」「他の金額を無意味とする」とはそういうことです。
 変数のままでは、見た金額をデータとして生かそうという意思を持っていないことになります(ゲームを封筒未開封バージョンで捉えていることになります)。

 ところがまさに、
 モンテカルロさんのように無限級数で期待値を考えるということは、
 「見た金額」を「2^n」という特定の一つに「限定」せず、2^xに一般化したことに他なりません。
 つまり、目の前のペアを
 (X,2X)と(X,X/2)一般、つまり全可能性に拡張しているわけです。

 この拡張には根拠があると感じられたのでしょう。
 根拠をあえて探ると、「胴元はいろんなペアを提示する可能性があったのだから、2^nについて起きたこと(封筒内に目撃されたこと)は、2^(n-1)、2^n、2^(n+1)以外にだって起こりえただろう。それらも全部列挙するのだ」ということでしょうな。
 しかしその見方を支えるのは「胴元の選択可能性」なのであるから、あくまでペアを単位とした確率変数で考えねばなりません。
 そして前述のように、上限をなくすと、確率ゼロでない任意の(x,y)(y,x)は同回数出現するので、交換による期待値変化はゼロです。

 こうして、nを変数扱いすると、金額ではなくペアそのものが先に選ばれ、ペア内のいずれかが次に選ばれます。括弧の付け替えは許されません。(ペアの選択確率ごとに計算せねばならない)
 交換はペアの内部での交換しか起こらず、ペアをまたいだ金額交換などありえないので、交換による期待値変化はゼロです。
 他方、あくまで「見た金額」を先に固定してペアを選びたければ、見た「2^n」は定数とせねばならず、2^nと他のすべての金額との間に非対称性が確立し、他の金額を目撃したケースの密輸入は禁止されます。

 いずれにせよ、nを変数扱いしてしまうと、「2^n」を見たことがこのゲームにおいて瑣末化してしまい、封筒未開封設定に帰着してしまいます。


nの変数扱いは、「見た金額」というデータを事後確率の推論に生かしていないことになり、「(2^(n-1),2^n)や((2^(n+1),2^n)を無意味とし」たことになりません。

 同じゲームの中に(2^(n-1),2^n)や((2^(n+1),2^n)その他もろもろをこっそり滑り込ませたいというのであれば、あくまで順序のないペアを各々の選択確率に従って導入しなければならない。なぜなら、そのつど「見た金額」は何でも良かったため、ペアのどちらを見たかという非対称性も生じないからです。
 モンテカルロさんのように nを変数扱いしておきながら、「特定の金額を見た」というデータを「その同じゲーム」の期待値計算に反映させようなんてのは甘すぎます。

 「2^n」というデータを真面目に受け止めて、(2^(n-1),2^n)や((2^(n+1),2^n)その他もろもろを無意味とすると言いたいならば、無限級数によるシミュレーションを諦めてください。
 実際に見た金額を含む2種類のペア(事後的に可能とされるペア)だけで全計算を構成してください。

 つまるところ、モンテカルロさんは、A、B1とB2とを混同しているのです。
 あるいは、B2とCとを混同しているのです。
 (A、B1、B2、Cについては、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3209をご覧ください)


 ~教訓~

 ・無限級数を使いたければ、AまたはB1の解釈に従って、ペア内での選択だけを考慮し、金額ごとの選択なるものを棄却し、「交換による期待値変化ゼロ」を認めよ。
 ・封筒内に見た金額を特権化するのであれば、無限級数など使うな。


・封筒内に見た金額を特権化しながら無限級数を使うというのは、それぞれ別の初期金額を特権化した別々のゲームを一緒くたに混ぜ合わせたパッチワークであり、「ひとつのゲーム」ではない。あえてゲームとしての意味を探るなら、封筒内を見てない(金額は何でもよい、不定の)設定Aに帰着する。そのとき、交換による期待値変化は厳密にゼロと心得よ。
 ・どうしても金額ごとでの期待値計算で統一し、かつ無限級数のモデルに執着するなら、解釈Cをとれ。


・解釈Cなら、ペアごとでなく金額ごとの選択確率分布によって心置きなく計算ができる。ただしそれは2封筒問題ではない。


 モンテカルロさんは、上記の件に加えて、まだ
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3123
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3148および


http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3175後半
 に全く返答していないことを付記しておきます。


期待はしてませんが。
 お答えいただける場合は 絶叫 に逃避せずに、ちゃんと理屈でお願いしたいですね。プロなら。


Re: アドホックな理論 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月17日(土)03時54分11秒

> No.3195[元記事へ]

TTTさんへのお返事です。

>
>
>1回限りの試行で分布が無知の時、一方の金額を確認した後では、
>未確認の方の金額が2倍である確率、
>半分である確率がともに1/2である(事後分布は一様分布)
>とφさんは主張しています。これは、
>未確認の方の金額を、コイン投げで確認金額の2倍か半分に決める場合と
>同じ確率分布です。
>

 前々から、一様分布は主観確率であって、問題設定による確率とは区別すべきだと言っているのですが。
 一様分布であれそれ以外の分布であれ、とにかく「わからない」というのが主観確率パラドクスとしての2封筒問題の本質です。わかっていれば、ただの計算問題です。

 ともあれ、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3159 で提示したB2とCとの確率分布の違いをお答えすればよいのですね?
 交換での期待値増がCと同じになるのはB2ですから。

 B2とCの違いの件は『論理パラドクシカ』から読み取れるはずなのですが、以下、全体的に書き直してみます。

 結論から言うと、
 一般的に、
 Cの場合は、上限のない確率変数にわたる確率分布を考えることができるが、
 B2の場合は、封筒内に見た特定金額の「半分と1/2」という二つの確率変数にわたる確率分布しか考えられない。
 したがって、CとB2の確率分布は異なる。
 Cの場合は期待値が発散しうるが、B2の場合は期待値は「封筒内に見た金額×5/4」という特定の有限値にとどまる。
 かりに、B設定で封筒内に見た金額を変数扱いして、全可能性の総和によって期待値を求めるならば、B2ではなくB1の解釈に従うこととなり、確率分布および期待値はAに一致する。

 言われてみれば当たり前の相違ではありませんか。
 以上の結論を、以下、全体的に確認しましょう。

 各ペアが選ばれる確率分布をg、各金額が選ばれる確率分布をhとして、
 以下、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3175 で述べた設定も再掲しながら、
 私の2封筒問題の解決を整理させていただきます。TTTさんの問いへの回答のほとんどが以下に含まれるはずです。断片的にお答えするよりは、統一的な納得が容易になるでしょう。

 ……………………
 以下のAは2封筒問題前半、Bは後半に相当し、設定Sは、2封筒問題の特性を際立たせるために導入した構造的に異なる問題です。

 A ペアのうち一つを選び、封筒内を見ない場合の交換の期待値
                    ◎交換で損得ナシ
 B ペアのうち一つを選び、封筒内を見た場合の交換の期待値
  B1 さまざまな初期金額がありえたと考える場合(非決定論的ゲーム)
                    ◎交換で損得ナシ
  B2 見た金額が必然的だったかのように扱う場合(決定論的ゲーム)
                    ◎交換で1/4の得
 設定S  ペアからプレイヤーに選ばせるのではなく、まず特定の金額を提示して、「この金額をとるか、それとも、これの2倍か半分かをコイン投げで得るという方がいいか」を選ばせる、というゲームにおいて、プレイヤーがコイン投げを選んだ場合の期待値
                    ◎コイン投げで1/4の得

 ペアを次のようなものとし、
{2,4}{4,8}{8,16}{16,32}……{2^x,2^(x+1)}……

交換してどれほどの期待値変化があるかを考えます。
 胴元によってペア{2^x,2^(x+1)}が選ばれる確率をg(x)とする。(A、Bの場合)
 胴元によって金額2^xが選ばれる確率をh(x)とする。(Sの場合)
ただしg(x),h(x)は、xのどんな関数でもよいし(胴元の意思や手順は不明なので)、期待値は発散してもしなくてもどちらでもよい。

 さて、A、B1、B2、Sのそれぞれについて、期待値の計算方法を考える。

■A (封筒内金額は未知数xのまま)
 a1 交換しない場合
 (2^x+2^(x+1))/2
 a2 交換する場合
 (2^(x+1))+2^x)/2
 交換による期待値変化(a2-a1)=0

■B1 (「このペア」が来たことも、封筒内金額2^nだったことも「このゲーム」にとって偶然と認める。あらゆる定数の可能性を許容。つまり封筒内金額は束縛変数x。ペア内には二つの数しかないという「全体的証拠の原理」を遵守)
 b11 交換しない場合
 Σg(x)((2^(x+1)+2^x)/2)
g(1)(2+4)/2+g(2)(4+8)/2+g(3)(8+16)/2+……
 b12 交換する場合
 Σg(x)((2^x+2^(x+1))/2)
g(1)(4+2)/2+g(2)(8+4)/2+g(3)(16+8)/2+……
 交換による期待値変化(b12-b11)
g(1)(2-2)/2+g(2)(4-4)/2+g(3)(8-8)/2+…… =0
 Σg(x)((2^(x+1)+2^x)/2)-Σg(x)((2^x+2^(x+1))/2)=0

■B1のもう一つのバージョン (「このペア」が来たことだけを「このゲーム」にとって本質的とし、封筒内金額2^nは偶然と認め、反対側の封筒内Yを取った場合も考慮する。ペア内には二つの数しかないという「全体的証拠の原理」を遵守)
 b13 交換しない場合
 ((g(n-1)+g(n))/2)(2^n)+((g(n-1)+g(n))/2)Y
 b14 交換する場合
 ((g(n-1)+g(n))/2)Y+((g(n-1)+g(n)/2))(2^n)
 交換による期待値変化(b14-b13)=0

 ちなみに、b13、b14で確率にかかっている1/2は、無知による一様分布(確率の適用可能性の)を表わす。

■B2 封筒内金額2^nを「このゲーム」にとって本質的・必然的とする。(見た金額は2^n以外の可能性なし。2^nの必然化により金額間の対称性が破れたので、ペア内には二つの数しかないという「全体的証拠の原理」は、ペアに二つの可能性があるというベイズ的推測の必要性により解除される)
 b21 交換しない場合
  2^n
 b22 交換する場合
  g(n-1)2^(n-1)+g(n)2^(n+1)
 交換による期待値変化(b22-b21)
g(n-1)=g(n)(=事後確率1/2)のとき、
(2^(n-2)+2^n)-2^n=2^(n-2)=2^n/4      1/4の得

 注意。B2では、2^n以外の金額にまで拡張した計算(以下のSで見るような計算)はできない。厳密に特定の具体的結果に拘束されるのがB2の解釈だからである。その拘束を解くと、B1となる。
 ちなみに、解釈としてはB2よりB1の方が自然に感じられるが(なぜなら、2^nという値は結果として定まったにすぎず、なんら仕組まれていなかったのだから)、あくまで唯一設定として見た場合、結果はただ一つしか成立できず、非対称性が解消されないので、B2の方が自然である。
 予測説明ではなく結果記述の観点から見れば、いかに厳格な決定論をも正当化できるという事情と同様であろう。
 この多義性が合理的推論を攪乱するところに、2封筒問題の核心があると考えられる。
 (Aの場合は、B1、B2に対応する区別ができないところも、パラドクス性醸成に一役買っていると思われる)

■S (見た金額が何であれ、それに応じたペアが後からランダムに決定される)
 s1 交換しない場合
 h(1)2+h(2)4+h(3)8+…… =Σh(x)2^x
 =h(1)4/2+h(2)8/2+h(3)16/2+……
 s2 交換する場合
 h(1)(1+4)/2+h(2)(2+8)/2+h(3)(4+16)/2+……
 交換による期待値変化(s2-s1)
 h(1)1/2+h(2)2/2+h(3)4/2+……
 = Σh(x)2^(x-1)/2 = 1/4Σh(x)2^x      1/4の得

■S ちなみに、金額を見ない設定では……、
 s3 交換しない場合
 h(x)2^x
 s4 交換する場合
 h(x)(2^(x-1) +2^(x+1) )/2
 交換による期待値変化(s4-s3)
 h(x)(2^(x-2) +2^x-2^x)=1/4h(x)2^x      1/4の得

 最もパラドクシカルなB2は、Sに似ているというのがTTTさんの思い込みだったが、
 ごらんの通り、B2とSとが一致するのは、h(n)=1、つまりSの確率変数が三つに限られて、しかもg(n-1)=g(n)である場合に限られる。まさに大違いである。

 2封筒問題に、
 「無限列の括弧付け替え」の出番など無いことがおわかりいただけたと思います。
 括弧付け替え的な計算法(付け替えるというより、初めから金額定位の計算)がなされるのは、Sの場合だけであり、Sは2封筒問題ではありません。
 とくに、括弧付け替え戦略では、任意のg(x)(あるいはg(x)の主観的改訂)に応ずる柔軟な計算ができません。

>
> 期待値を求める為の計算(級数)の値が、
> 確率分布のみに依存して一意の定数に決定しない場合
> (例えば異なる計算方法(項の入れ替えや括弧の付け替え)により
>異なる値なったり発散する場合)
>は期待値は存在しません。期待値が存在しない場合もあるのです。
>数学の確率論では期待値は、
>期待値の計算(級数)が絶対収束する場合にしか定義しません。
>

 かりに期待値そのものは定義できなくとも、期待値変化がどうであるか、は論じられるはずです。
 たとえば、上記の設定Sにおいて、上限を設けなければ期待値は発散して「存在しない」かもしれないが、「交換が1/4の得」と言うのは間違いではないでしょう。
 「いかなる有限回目の試行時においても交換戦略は非交換戦略の約5/4をマークしている」はずだから。
 なお、上限を設けない設定においては、設定B2の解釈は不可能であり、
 残りの設定A、設定B1では、「いかなる有限回目の試行時においても交換戦略は非交換戦略に比べほぼプラスマイナスゼロの獲得金額をマークしている」はず。
 設定B2では、「いかなる有限回目の試行時においても交換戦略は非交換戦略の約5/4をマークしている」けれども、期待値は発散しない。唯一試行における初期金額×5/4にとどまる。


 ……………………

 あともうひとつ、数学の強調について。

 TTTさんは2封筒問題を「数学の問題」と捉えているようですが、私は「合理性の問題」と捉えています。
 もし「数学の問題」と捉えたいのであれば、まずは、数学の人どうしで意見を統一してから来ていただければ有難いですね。
 なにせ、ともに数学畑の人であるらしいTTTさんとモンテカルロさんの意見が食い違っているのではないか、と疑われるので。
 いくら数学数学と叫ばれても、私としては、上記の私自身の解決に比べて、数学的解決とやらを重んじるモチベーションなど形成しようがないわけです。

 「数学者は間違いだらけ」らしいうえに、現にここでも数学の人どうしが各々別々のことを言っている現状では、数学による解決への疑念が深まるばかりです。

 たとえばTTTさんは、
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3175後半で私が指摘したモンテカルロさんの矛盾についてどうお考えなのでしょう?
 (「異なる計算方法で値が異なる期待値計算では、交換による期待値変化を論ずるのは無意味」と言いながら、紛れもないその一事例において「交換による期待値変化はゼロ」と彼が述べている件ですが)
 あと、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3207の最後の問題に、数学のお二人は各々どう答えるのでしょうね?


Re: モンテカルロさんへ1 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 9月17日(土)00時32分14秒

すみません。右端が欠けてましたので修正します。

左   1  2     4     8
交換  │  ├──┐  ├──┐  ├
    ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓
右   2  1  4  2  8  4
――――――――――――――――――――
得失 +1 -1 +2 -2 +4 -4
    │  └──┤  └──┤  └
総和 +1    +1    +2



Re: モンテカルロさんへ1 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 9月17日(土)00時17分0秒

モンテカルロさんへのお返事です。

2封筒問題の“設問”の2条件(改訂版)
第1「多額yは少額xの2倍である」 y=2x
第2「多額2x・少額xの左右配置はアトランダムである」 (x,2x)または(2x,x)

未開封交換の得失とは、まさにこの〈“多寡は左右いずれぞ”状況を作り出す第2条件〉を問うものです。

■ここから、「〈得失総和を求める級数〉の区切り直し」への疑問点を3つ書いて行きましょう。

(1)*******
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3190 (9月14日(水)20時31分)
> ②は自分の額が明らかになった場合
> ③は相手の額が明らかになった場合
> の当然の計算である。何の無理もない。

「額が明らかになった場合」等と言うのは、◆見た後の交換の話◆です。
そもそも未開封交換―見ないで交換―という状況なのだから、正当な理由付けには全く成りません。

開封‘前’交換では、左を見る事は有りません。左を2にして右を半額(1)と倍額(4)とするのは、開封‘後’交換での考えであり、「基本的枠組み」外の事です。
2┬右に交換→1  (2,_)┬(2,1)
 └右に交換→4       └(2,4)

開封‘前’は、左の金額が不明、且つ、左が少額の方(n)なのか倍額の方(2n)なのかも不明。
┌n ―右に交換→2n  (n,2n)
└2n―右に交換→n   (2n,n)
◆開封‘前’交換は、「基本的枠組み」内の交換にとどまります。◆

よって、開封‘前’交換の考察で、開封‘後’交換を意味する〈左の2(2,_)から(2,1)と(2,4)を結び付ける〉のは不可。

(2)*******
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3202 (9月15日(木)06時51分)
~②の(2,_)に関して~
> 例えば自分の金額が2とわかっていて、(4,2)を推測する馬鹿はいない。
~③の(_,4)に関して~
> また、相手の金額が4とわかっていて、(4,2)を推測する馬鹿もいない。

左右の一方が分かって居るのなら、◆他の選択肢は全部消えており◆、②では(2,1)と(2,4)、また③では(2,4)と(8,4)の間の期待値だけを考えればよい。得失値の総和など全く不要です。

(3)*******
「左」に実現し得る選択肢を枚挙していく
その時、「右」に実現し得る二つの選択肢(両端は一つ)

左   1  2     4
交換  │  ├──┐  ├──┐
    ↓  ↓  ↓  ↓  ↓
右   2  1  4  2  8
―――――――――――――――――
得失 +1 -1 +2 -2 +4
    │  └──┤  └──┤
総和 +1    +1    +2

しかし、こういう捉え方ではダメなんです。まだ分岐してない状態(2,_)の2と、(2,1)と(2,4)に既に分岐した後の2では、別の意味に成っています。一旦、分岐してしまったら、1円・2円ペアでは多額y=2の方、2円・4円ペアでは少額x=2の方と、扱いが違ってしまいます。

*******
ここで話題を転じて、第2条件を外した例を取り上げてみましょう。
「左に少額、右にその2倍額が入って居ます。初めに左を取って下さい。取りましたね。では、右と交換しますか?」と言う設定ではどう成るでしょうか。

左   1  2  4…
交換  ↓  ↓  ↓
右   2  4  8…
―――――――――――
得失 +1 +2 +4…

得失の総和を取ると無限大に発散しますね?そして期待値そのものは不明ですけど、+100%だという事は自明ですよね。
発散級数の筈だけど、得失の比率は分かってしまう……。何故でしょう。

それは、「〈左と右から成る一つのペア〉毎に得失の比率を計ると、そのパタンが〈あらゆる可能な選択肢〉に通じて作用する」と捉えるからではありませんか?



Re: モンテカルロさんへ1 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月16日(金)07時23分52秒

> No.3205[元記事へ]

おかめ石さんへのお返事です。

> > > {(2, 4), (4, 2)}  x=2, y=2x=4
> > xとyが何を表わすのか答えられていない。
>
> 胴元がまず、例えば{(2, _), (_, _)}と、
>左端の少額xを2円と決めたとすると、それに伴い、
>多額yなど他の3つの額が自動的に決まります。

ん?少額?多額?
はじめてきいたぞ。なぜ、何の説明もしない?
怠慢だろう。甘ったれるな!。

> ①と②③が全く異なる構造を持つ事を直観的に理解できるよう、
> 図に依って示してみましょう。
>
> ①(2,4)⇔(4,2)
>
> ②(2,_)┬(1,2)⇔(2,1)
>       ┝━━━━━━━━━━━
>       └(2,4)⇔(4,2)
>
> ③(4,_)┬(2,4)⇔(4,2)
>       ┝━━━━━━━━━━━
>       └(4,8)⇔(8,4)
>
>    ⇔は左右のアトランダムな配置(第2条件)を表す。

だから左右のアトランダムな配置ってなんだよ。
何の説明もせずに「自分語」をつかうんじゃない!。

> 2封筒問題では、例えば2円・4円ペアを例に取れば
>   ◆「左に2円、右に4円」に成って居るか、又は、その左右を置き換えた「左に4円、右に2円」に成って居るか◆
> というのが基本的枠組みです。つまり①です。その枠組みの中で、左右どちらを選ぶと得なのか迷う訳です。

なんだ、アトランダムとはそんなつまらないことか。

> これに対して、②の「(2,4)⇔(4,2)と(1,2)⇔(2,1)の関係」は、この基本的枠組みの外側の関係です。つまり、①と②等は別のレベルの話という事に成ります。

ん?おかめ石が勝手に「そんなん基本的枠組みじゃない!」とわめいてるだけだが。

> 2封筒問題の設問には2つの条件があります。
>
> 第1「一方は他方の2倍である」
> 第2「左右はアトランダムに置かれる」~胴元が多額・少額を左右どちらに置いたかプレイヤーにとっては不明で、どちらの配置も考えられるという事~

条件が足りない。だから素人はつまづく。

第3の条件「ペアの確率分布が決まっている」

> ①の(2,4)と(4,2)は2条件全て満たしますけど、
> ◆◆②の(2,4)と(2,1)、③の(2,4)と(8,4)は、第2条件を満たさない、基本的枠組み外の関係です。◆◆

そもそも、自分もしくは相手の金額を見た瞬間に
おかめ石氏のいう「アトランダム性」の一端がくずれる。

> この第2条件の持つ(2,4)と(4,2)を束ねる作用を重視せず、その拘束力を解消してしまった為、
> それぞれの得失を「(②や③を許すような)単なる横並びの数列」と解釈する事と成り、未開封交換の得失の「発散級数による不定」と言う結論が出て来てしまったのです。

そもそも拘束力を解消したのは、
自分の金額を見たプレイヤー自身

文句を私にいうのは間違ってる。プレイヤーに文句をいえ。
おかめ石氏が勝手に決め付けた問題を台無しにしたプレイヤーになw

> +1, -1, +2, -2, +4, -4, +8, -8, +16, -16, …
> (+1)+(-1)+(+2)+(-2)+(+4)+(-4)+(+8)+(-8)+(+16)+(-16)+…
> つまり、このような得失値の平板な数列(乃至、その総和としての平板な級数)という組み立て方そのものが、そもそも設問の2条件を十分に反映したものでは無かったという事です。

私にいわせれば、 金額を見るということは
「(2,4)か(4,2)か?」
という問いを無意味とし、代わりに
「(2,4)か(2,1)か?」
という問いを発生させるのであるから、
その変化を「マチガッテル」というおかめ石氏は
「そもそも問題そのものを否定している」
といわざるを得ない。

だったらここに来なければよい。
だれもあなたにここに来いとは云っていない。


Re: モンテカルロさんへ1 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 9月16日(金)00時54分9秒

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3202 (9月15日(木)06時51分)
モンテカルロさんへのお返事です。

> > {(2, 4), (4, 2)}  x=2, y=2x=4
> xとyが何を表わすのか答えられていない。

胴元がまず、例えば{(2, _), (_, _)}と、左端の少額xを2円と決めたとすると、それに伴い、多額yなど他の3つの額が自動的に決まります。
第1条件「一方は他方の2倍である」を示すのが、左右に現れ得る(2:4とか20:10とか)どのような金額パタンを見ても、共通点として一貫して存在する比例関係y=2xです。

*****
①と②③が全く異なる構造を持つ事を直観的に理解できるよう、図に依って示してみましょう。

①(2,4)⇔(4,2)

②(2,_)┬(1,2)⇔(2,1)
      ┝━━━━━━━━━━━
      └(2,4)⇔(4,2)

③(4,_)┬(2,4)⇔(4,2)
      ┝━━━━━━━━━━━
      └(4,8)⇔(8,4)

   ⇔は左右のアトランダムな配置(第2条件)を表す。

2封筒問題では、例えば2円・4円ペアを例に取れば
  ◆「左に2円、右に4円」に成って居るか、又は、その左右を置き換えた「左に4円、右に2円」に成って居るか◆
というのが基本的枠組みです。つまり①です。その枠組みの中で、左右どちらを選ぶと得なのか迷う訳です。

これに対して、②の「(2,4)⇔(4,2)と(1,2)⇔(2,1)の関係」は、この基本的枠組みの外側の関係です。つまり、①と②等は別のレベルの話という事に成ります。

*****
2封筒問題の設問には2つの条件があります。

第1「一方は他方の2倍である」
第2「左右はアトランダムに置かれる」~胴元が多額・少額を左右どちらに置いたかプレイヤーにとっては不明で、どちらの配置も考えられるという事~

①の(2,4)と(4,2)は2条件全て満たしますけど、
◆◆②の(2,4)と(2,1)、③の(2,4)と(8,4)は、第2条件を満たさない、基本的枠組み外の関係です。◆◆

*****
この第2条件の持つ(2,4)と(4,2)を束ねる作用を重視せず、その拘束力を解消してしまった為、
それぞれの得失を「(②や③を許すような)単なる横並びの数列」と解釈する事と成り、未開封交換の得失の「発散級数による不定」と言う結論が出て来てしまったのです。

+1, -1, +2, -2, +4, -4, +8, -8, +16, -16, …
(+1)+(-1)+(+2)+(-2)+(+4)+(-4)+(+8)+(-8)+(+16)+(-16)+…
つまり、このような得失値の平板な数列(乃至、その総和としての平板な級数)という組み立て方そのものが、そもそも設問の2条件を十分に反映したものでは無かったという事です。



Re: アンケート 投稿者:タップ君 投稿日:2011年 9月15日(木)09時03分26秒

> No.3200[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> 「予めnに上限が設けられている場合は交換した方が良い」というのは思いつきませんでした。
>  まだよく考えていませんが、そうなんですか?

いえ、自分が間違えておりました。
アンケートの問題設定自体も交換後の期待値が大きくなるように設定すべきでした

φさんやモンテカルロさんの期待値計算法で交換したほうが良いように変更します。

申し訳ありませんm(_”_)m


「プロだから間違えない」なんてことはない。 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月15日(木)06時59分9秒

> No.3196[元記事へ]

TTTさんへのお返事です。

> 「何で数学のプロであるはずの数学者が、確率の問題を間違えるのだろう」

数学者が数学で間違えるなんてザラにある。
しかも専門における難しいミスばかりではない。
実に初歩的なポカも沢山ある。

ちなみに。、マリリン・フォス・サヴァントは、モンティ・ホール問題ではうまくやったが
フェルマー問題に関しては、まったく見当違いのコメントを並べ立てた本を出して
物笑いの種になった。



Re: モンテカルロさんへ1 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月15日(木)06時51分53秒

> No.3198[元記事へ]

おかめ石さんへのお返事です。

> > > 又、4種類の金額と言うのは
> > >  左の金額、 右の金額、 左→右交換得失の額、
> > > 3種類のペアに応じた区切り方による総和の額、と言う事ですね。
> >
> > 意味不明。
> > なぜ単純に数えないのか?数えられないのか?
>
> (2,4)と(4,2)、(2,4)と(2,1)、(2,4)と(8,4)、
>それぞれの4種類でしたか。

排反事象について


投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 9月 6日(火)00時01分40秒
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3150
>とりあえず(0.5,1),(1,2),(2,4)の3つで考えてみると

と書いただろう。その中に現れる金額の種類をただ数えればいい。

0.5、1、2、4の4種類だろう。なぜ金額の種類を数えないのか?

> > 比例関係のxとyが何を表わすのか全く不明。
>
> {(4, 8), (8, 4)}  x=4, y=2x=8
> {(2, 4), (4, 2)}  x=2, y=2x=4
> {(1, 2), (2, 1)}  x=1, y=2x=2
>
> それぞれの組は互いに別々の可能世界だが、
> y=2xという共通の比例関係で結ばれて居るという事です。

xとyが何を表わすのか答えられていない。
おそらく自分でも何もわからず闇雲に書いているんだろう。
自分がわかっていないことをまずわかれ。
無知に無知であることは、知っていることを意味しない。

> > そもそも1:2とか2:1とかが何を表わすのか不明。
>
> {(1:2,2:1)},{(2:4,4:2)},… と言うのは、
> 例えば、「(左1円 右2円)と(左2円 右1円)の配置の2つだけ可能性のあるグループ」、「(左2円 右4円)と(左4円 右2円)の配置の2つだけ可能性のあるグループ」、これらがそれぞれ独立の世界を構成して居て互いに干渉できないという事です。

全く意味不明。
いえばいうほど言葉が意味を持たなくなるのは
自分でもなにもわからずにただもっともらしく聞こえるように
言葉を並べてその場を誤魔化しているから。
自分がわかっていないことをまずわかれ。
無知に無知であることは、知っていることを意味しない。

> > ②は自分の額が明らかになった場合
> > ③は相手の額が明らかになった場合
> > の当然の計算である。何の無理もない。
>
> > 可能世界は状況により異なる。
> >
> > 2,4のペアだと明らかになったのなら{(2, 4), (4, 2)}だし
> > 自分の金額が2と明らかになったのなら{(2,4),(2,1)}だし
> > 相手の金額が4と明らかになったのなら{(2,4),(8,4)}だ。
>
> ①と②③の違いを図らずも認めて居ますね。

そもそも①と②③が同じだと、誰がいつどこで言ったのか?

>「左右両方考慮する世界」と「一方だけ考慮する世界」と。

考慮の意味が不明。
「値が明らかになる」=「考慮する」という意味か?
もしそうならまったくおかしな日本語の使い方だ。

いかなる情報が明らかになるかによって、
不明な情報の推測の範囲が変化するのは当然。

例えば自分の金額が2とわかっていて、(4,2)を推測する馬鹿はいない。
また、相手の金額が4とわかっていて、(4,2)を推測する馬鹿もいない。

> 一方の事しか考慮しないのは、設問が課して居る条件
>「一方は他方の2倍であり、かつ、左右はアトランダムに置かれる」
>に反します。

間違っている。

(2,4)と(2,1)は、どちらも「一方は他方の2倍」である。
また「左右はアトランダムに置かれる」の意味が不明であり、
反するか否かは全く不明である。

>常に左右両方の関係の中で捉えてこそ、条件を満たすのです。

意味不明。

もし、
「可能世界中に現れる金額は2種類に限られ、3種類であってはならない」
というなら、おかめ石氏はオカシイ。

> 更には、一方の金額が2と明らかに成ったと言うのは、
>その背後に{(2,4),(4,2)}と{(1,2),(2,1)}という
>2つの組の可能性が生じて居るという事であって、
> ◆◆(2,4)と(2,1)が単独で対峙して居るのではありません◆◆。

意味不明。そもそもペアに固執するおかめ石氏がオカシイ。

> {(2,4),(2,1)}と並べた時の4と1は共存できない数値だという事はお分かりの筈です。それぞれ別世界なのです。

全然分からない。間違いを正しいと理解するおかめ石はオカシイ。

> これが、単なる数列ではなく、組毎に重み付けされた
>「組数列」として扱わなければ成らないと私が言う理由です。

おかめ石氏のその態度がオカシイ。

> 下に昨夜の投稿から再掲します。此処が最重要ポイントですので、
>再度、再々度、熟考されたい。

あなたの
「組毎に重み付けされた「組数列」」
とかいう間違った原理には一切従わない。
あなたの原理こそが間違っているからだ。

あなたは、まず
「一切、組数列として扱ってはならない」
と一万遍唱えよ。


Re: アンケート 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月15日(木)06時25分16秒

タップ君さんへのお返事です。

> モンテカルロさんへのお返事です。
>
> 期待値は確率と確率変数を掛けた総和ですが
> 確率変数が抜けていませんか?

簡単化のため、価格そのものではなく元の価格の倍率を入れています。
簡単に読みとれることを尋ねるのは間違っています。

> 期待値は35000円と言う事でしょうか?

その通り。



Re: アンケート 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月15日(木)03時35分29秒

> No.3189[元記事へ]

タップ君さんへのお返事です。


 優越原理と期待効用原理の衝突のような問題ですね。
 問1が、優越原理によってAが得、問2が、期待効用原理によって「?」という問題でしょうか。

 囚人のジレンマやニューカム問題では、上記二つの原理が相反する選択を推奨するので、
「合理性」は多義的である、というようなことになるのでしょう。

 ただ、私は、問2でも「Aが得」という結論になったので、
 この問題は優越原理vs期待効用原理の一事例とは言えないようですね?

 E……「Aに2^n万発見」というデータ
 A……Aが高額の方
 B……Aが低額の方
 として、

P(A|E)= P(A&E)/P(E)= (1/2^n×3/5)/P(E)
P(B|E)= P(B&E)/P(E)= (1/2^(n+1)×2/5)/P(E)
P(E)=P(A&E)+P(B&E)

Eの条件のもとで交換すると……、


2^(n-1)万×(1/2^n×3/5)/P(E)+2^(n+1)万×1/2^(n+1)×2/5)/P(E)
 =1万/5P(E)×(3×2^(n-1)×1/2^n+2×2^(n+1)×1/2^(n+1))
 =35000×2^(n-2)

 交換による得失は、
 35000×2^(n-2)-2^n万
 =2^(-2)×(-5000)×2^n
 =-1/8×2^n万
 常に1/8の損失。

 n=2のとき、(Aに40000円を見出したとき、)
 交換の期待値は35000円。(5000円の損)

「予めnに上限が設けられている場合は交換した方が良い」というのは思いつきませんでした。
 まだよく考えていませんが、そうなんですか?


おかめ石さんは 投稿者:タップ君 投稿日:2011年 9月15日(木)01時52分57秒

私の出したアンケート問題は
問1はAを選び、問2はBに交換しないですよね

スタンスが分かりやすいので予想してみました。
因みに予めnに上限が設けられている場合は交換した方が良いです。
nの上限の値をゲストが知らず予想出来ない場合はこの限りではありません


Re: モンテカルロさんへ1 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 9月15日(木)01時35分17秒

モンテカルロさんへのお返事です。

> > 又、4種類の金額と言うのは
> >  左の金額、 右の金額、 左→右交換得失の額、
> > 3種類のペアに応じた区切り方による総和の額、と言う事ですね。
>
> 意味不明。
> なぜ単純に数えないのか?数えられないのか?

(2,4)と(4,2)、(2,4)と(2,1)、(2,4)と(8,4)、それぞれの4種類でしたか。

> 比例関係のxとyが何を表わすのか全く不明。

{(4, 8), (8, 4)}  x=4, y=2x=8
{(2, 4), (4, 2)}  x=2, y=2x=4
{(1, 2), (2, 1)}  x=1, y=2x=2

それぞれの組は互いに別々の可能世界だが、y=2xという共通の比例関係で結ばれて居るという事です。

> そもそも1:2とか2:1とかが何を表わすのか不明。

{(1:2,2:1)},{(2:4,4:2)},… と言うのは、
例えば、「(左1円 右2円)と(左2円 右1円)の配置の2つだけ可能性のあるグループ」、「(左2円 右4円)と(左4円 右2円)の配置の2つだけ可能性のあるグループ」、これらがそれぞれ独立の世界を構成して居て互いに干渉できないという事です。


******
> ②は自分の額が明らかになった場合
> ③は相手の額が明らかになった場合
> の当然の計算である。何の無理もない。

> 可能世界は状況により異なる。
>
> 2,4のペアだと明らかになったのなら{(2, 4), (4, 2)}だし
> 自分の金額が2と明らかになったのなら{(2,4),(2,1)}だし
> 相手の金額が4と明らかになったのなら{(2,4),(8,4)}だ。

①と②③の違いを図らずも認めて居ますね。「左右両方考慮する世界」と「一方だけ考慮する世界」と。

一方の事しか考慮しないのは、設問が課して居る条件「一方は他方の2倍であり、かつ、左右はアトランダムに置かれる」に反します。常に左右両方の関係の中で捉えてこそ、条件を満たすのです。
更には、一方の金額が2と明らかに成ったと言うのは、その背後に{(2,4),(4,2)}と{(1,2),(2,1)}という2つの組の可能性が生じて居るという事であって、
◆◆(2,4)と(2,1)が単独で対峙して居るのではありません◆◆。
{(2,4),(2,1)}と並べた時の4と1は共存できない数値だという事はお分かりの筈です。それぞれ別世界なのです。
これが、単なる数列ではなく、組毎に重み付けされた「組数列」として扱わなければ成らないと私が言う理由です。

下に昨夜の投稿から再掲します。此処が最重要ポイントですので、再度、再々度、熟考されたい。
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3185 (9月14日(水)00時47分)

> (私の当初の質問の意図としては、両方の金額という意味での)ペア単位で注目してるのか、それとも一方の封筒の金額だけに注目してるのかと聞きました。なぜなら、
>
> ◆◆◆(2, _)の現れる可能世界には(2, 4)と(2, 1)の現れる可能性は有りますが、
> (2, 4)の現れる可能世界に(2, 1)と(8, 4)の現れる可能性は全く無いのです。◆◆◆
>
> 両方の金額を考慮せざるを得ない故(何故なら比例関係を欠く事は設定上許されないから)、個々の可能世界は他に対して閉じています。ただ比例関係y=2xで結ばれているのです。



Re: 例え話 投稿者:タップ君 投稿日:2011年 9月15日(木)01時25分38秒

> No.3196[元記事へ]

TTTさんへのお返事です。

TTTさんにも7つ前のアンケートに答えて頂ければありがたいです。


わりと簡単な分布で期待値計算もしやすいと思うのですが
期待値計算と書きましたが他の方法で交換、不交換を選んで頂いても結構です。

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3189

例え話 投稿者:TTT 投稿日:2011年 9月14日(水)23時22分17秒

> No.3174[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  交換の期待値の得を発散させるような計算は、確率分布ごと、または同種の確率分布群ごとにあつらえねばならない
> アドホックな計算にすぎないことになり、「説明」を兼ねることができません。
>  すると、パラドクスの解決には役立ちません。
>  パラドクスの解決は「説明」を含んでいなければならないからです。


数学に無知で、しかもそれを改善しようともしないφさんが、数式で説明することなど無理です。
数学(例えば確率論)を一切知らずに、数学概念(確率)に正しい/自然な解釈を与えることなどできません。


中国語を学習したことのない人は、いくら日本語の読み書きが出来ても、
中国語の文章を正しく読めないし、日本語←→中国語の正しい/自然な翻訳ができないのと同じで
数学を学習していない人には、数学的事実の正しさを理解できないし
自然言語で書かれた文章や、現実の現象・状態を、正しい/自然な数学概念に置き直したり
数学概念に、正しい/自然な(哲学的・論理的)解釈・意味を与えることはできません。

中国語の語句や文法を知らないのに、しかもそれを勉強しようともせず
中国語の文章(漢文)に対して、一部(例えば知っている漢字)だけ見て「この漢文の和訳は、~に違いない」
と断言するのはただただ滑稽です。さらに、中国語を知っている人に「その訳は誤りだ」と指摘されているにも関わらず
その指摘を無視して自説を唱え続けるだけなど愚かなだけでしょう(寧ろ、残念な人だというべきでしょうか)。


ところで、『論理パラドクシカ』では
「何で数学のプロであるはずの数学者が、確率の問題を間違えるのだろう」みたいな事を嘆いてましたね。
φさんの解説は数学的に全くの出鱈目ですが、封筒問題やモンティ・ホールの問題、子供の性別の問題などに対して
間違った解説をしている(orしていた)数学者が何人か居ることは事実でしょう。

その理由(特に、一般人と同様の間違いをする理由)は
彼らは数学のプロであって、翻訳のプロではないからです。
彼らが仕事で扱うのは数学概念であり、数学概念の取り扱いには長けていますが
自然言語で書かれた文章を自然な数学概念に翻訳する能力は、大部分の数学者の仕事には不要で、
これが得意でない(しかも得意でないという自覚がない)数学者も居ます。

中国語を良く知っていても日本語を知らないor翻訳の技術が未熟なら、正しい/自然な日本語訳や中国語訳はできません。



"中国語"を一切知らず"日本語"の読み書きすら覚束ないφさんが、正しい/自然な翻訳をするなど絶対に不可能です。



Re: アドホックな理論 投稿者:TTT 投稿日:2011年 9月14日(水)23時10分44秒

> No.3174[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  ともあれ、TTTさんが2封筒問題のどこにパラドクスの本質があると考えているのかが不明なので、
>  いまいち御発言が散漫な印象です。

>  TTTさんは、2封筒問題に未解決のパラドクスはあると思っているのですか、
>  それとも何も不可解なところはないと思っているのでしょうか?

私の考えは既に書きました。
2封筒問題に数学的な矛盾は一切なく、私が2封筒問題に対して不可解だと思う所はありません。
多くの人が2封筒問題を逆説的だと思う原因は、主観確率と期待値を正しく理解していないからだと思います。
例えば、無知あるいは誤解のために
期待値や損得という語を無自覚に複数の意味で使用したり不自然に使用することが錯覚の一因でしょう。

そしてφさんも数学の確率論や主観確率を誤解していると私は思っています。
私は、2封筒問題の誤解を解消する為の説明と言うより、φさんの説が適当でないことを説明をしていて、
φさんの前提とした条件が不自然である事と、φさんの前提を採用したとしてもφさんの主張する結論にはならない事
の両方を述べました。私の意見が散漫だと感じるなら、φさんはその2つの区別がつかないのか
私が2封筒問題の誤解を解消する為の説明していると誤解しているのでしょう。


例えば
φさんが数学の期待値を理解していない(数学の確率論に反する意味で「期待値」という語を用いている)という事実は
未だにφさんが以下のようなことを言っていることから、(数学の確率論を学んだ人には)わかります。
>  問われているのは、「なぜ、交換の期待値の計算の総和が計算方法によって異なるのか?」などというつまらないことではなく
> (無限に関しては反直観的ないろんなことができるというのは「無限ホテル」などで周知ですから)、
> 「異なった総和を出すような交換の期待値の計算方法は、それぞれが同等の権利を主張できるのか
> (従って結果として期待値変化は無意味だと判定してよいのか)?」です。

既に指摘もしましたが
各期待値は、確率分布以外の要素(設定やφさんの個人的信念)に関係なく、確率分布のみに依存して一意の定数に決定します。
期待値を求める為の計算(級数)の値が、確率分布のみに依存して一意の定数に決定しない場合
(例えば異なる計算方法(項の入れ替えや括弧の付け替え)により異なる値なったり発散する場合)
は期待値は存在しません。期待値が存在しない場合もあるのです。
数学の確率論では期待値は、期待値の計算(級数)が絶対収束する場合にしか定義しません。

> 「異なった総和を出すような交換の期待値の計算方法は、それぞれが同等の権利を主張できるのか
> (従って結果として期待値変化は無意味だと判定してよいのか)?」
というφさんの問いは数学的には全くナンセンスであり、
φさんの個人的信念(思い込み)から「0となる期待値計算が正しい/自然」という判断は、全くの見当外れです。



>   http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3159で私がB2と名づけた状況が唯一パラドクシカルな状況ですが、
>  B2は、封筒内に見出した金額を事後的に「必然的」と考えるがゆえに(決定論的立場と言えるでしょう)、
>  通常の多数試行でシミュレーションできません。
>   B1も、現象としてはB2と区別がつかないがゆえに、パラドクシカルです。(反実仮想の詳細な分析が必要になります)
>  ここを深く考えるのが、真の2封筒問題の解決につながるはずで、
>   多数試行で本当に交換が得になる場合があるとか、交換による期待値変化を論ずるのは無意味だとか、
>  期待値が発散する場合には交換による一見矛盾した期待値変化はともに認められてよいとか
>  (←最後のはチャルマーズ)、そんなことを言っている段階では2封筒問題はさっぱり解けないでしょう。

>  2封筒問題の本質は、あくまで唯一設定にこそあります。

>  2封筒問題は、もともと、ただ1回の試行が問題化されていることを忘れてはなりません。

>   したがって、2封筒問題が多数試行についての問題であるかのような前提で記された以下のコメントは的外れでしょう。


私は、φさんの説が適当でない事、非数学的・反数学的である事を主張しています。
「2封筒問題は多数試行についての問題」などと言っているではなく
「φさんの理論による多数回試行の説明は正しくない」と言っているのです。
「φさんの理論による多数回試行の説明は正しくない」という主張に対して
もとの問題は多数回試行ではなかっただの、(φさんの理論で)多数回ではパラドクスではないだのと
言っても何の解決・反論にもなっていません。ただの論点すり替えで、それこそ的外れ。

例えば、多数回試行において、両方の封筒を開けて金額を確認した上で交換するか否かを決める場合
戦略(交換するか否かの決め方)によって、合計金額の期待値は明らかに変化します
(他方の金額が大きい場合のみ交換する戦略で最大、他方の金額が小さい場合のみ交換する戦略で最小)。
しかしφさんの論では、
合計金額が最大になる戦略で「試行1回目は他方が大きいから交換、2回目は他方が小さいから非交換、・・・」
となったものを「試行1回目は交換、2回目は非交換、・・・」と見なすため、
全ての回で交換・非交換の期待値に差はなく全体も差がないから、交換(戦略)に関係なく得る金額の期待値は同じと判断する
という明らかに間違った結論を導き、正しく説明できません(どこが間違いの原因かは明白でしょう)。

片方の金額だけ確認した上で交換するか否かを決める場合でも
戦略により、合計金額の期待値が変化する場合も確かに存在します。


また
決定論的立場でも非決定論的立場でも、確率の哲学的解釈(主観確率であるか主観確率であるか等)が変わるだけで
同等の確率を扱うことができるので、決定論的立場か否かで確率が異なるということはありません。
(事後確率を一様分布と仮定したのが不自然だっただけです)



>  ↑金額を見た場合(http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3159で私がBと名づけたゲーム)
>  と設定S(Cと名づけたゲーム)とが同じ?
>  全然私の立場ではありませんが。

1回限りの試行で分布が無知の時、一方の金額を確認した後では、
未確認の方の金額が2倍である確率、半分である確率がともに1/2である(事後分布は一様分布)
とφさんは主張しています。これは、
未確認の方の金額を、コイン投げで確認金額の2倍か半分に決める場合と同じ確率分布です。

分布が無知だからといって、一方の金額を確認した後の分布(事後分布)を一様分布とする仮定の推論は、
自然ではない、アドホックな推論です。


>  そして設定Sは、2封筒問題ではありません。

分布が無知である等の設定と、設定Sを同一視することは自然ではありませんが
設定Sと同じ確率分布となる、2封筒問題と同様のゲームの設定は考えることができます。

2封筒問題のどこが問題(パラドクス)なのかに関係なく(つまりパラドクスが発生するか否かに拘らなければ)
一般に以下のような設定の試行を考え、色々な確率や期待値を計算することができます。

☆一般の設定☆

 金額比が1:2か2:1になるように2封筒に金額を入れ、プレイヤーは1つの封筒を受け取る。
 (プレイヤーにとって)自分が初めに受け取る封筒の金額をx、他方の封筒をyとして
 封筒を開ける前の確率(封筒を準備する段階の確率)、すなわち事前分布が

  n=0,1,2,3,・・・
  x=2^n かつ y=2^(n+1) である確率P(<x,y>=<2^n,2^(n+1)>)=p(n)
  x=2^(n+1) かつ y=2^n である確率P(<x,y>=<2^(n+1),2^n>)=q(n)

  ※p(n),q(n)は確率の定義に従う。特に総和Σ{p(n)+q(n)}=1で
   (∀ε>0)(∃N:自然数)(∀n:自然数)[n>N⇒[p(n)<ε, q(n)<ε]]が成立する。
   便宜的にp(-1)=q(-1)=0としておく。

 である(分布が無知、すなわちp(n),q(n)が具体的に何であるか無知、であってもよい)という設定の試行で
 様々な状況(封筒を開ける前、自分の封筒の金額だけ確認した時、相手の金額だけ確認した時、両方の金額を確認した時、etc.)における
 様々なモノ(自分の金額、相手の金額、2金額の差、2金額の比、2金額の相加平均、自分の金額の効用、etc.)の期待値
 を求める。

 この設定の試行を複数回行うことを考えて、複数回全体における様々な状況の様々なモノの期待値を求めることもできる。
 (各回が同じ確率分布に従い、独立である場合を考えると比較的計算が楽だが、そうでない場合を考えることもできる)

金額が(2^n)以外の値もとり得るような場合、例えば一般の自然数をとる場合に拡張することもできますが、
あまり意義のある拡張ではないので割愛します。


φさんは
> C. 二者択一の事前確率(客観確率)
>  当該の封筒のペアのうち、自分が高額の方を取るか、低額の方を取るかの確率分布です。
が一様分布であり、それが客観的に知られているとしていますが、それは☆一般の設定☆において
「各nでp(n)=q(n)であり、それが客観的に知られている」と仮定することに相当します。
そのような限定的な仮定をしない場合も考えることができます。


>  胴元によってペア(2^x,2^(x+1))が選ばれる確率をg(x)とする。
> ただしg(x)は、交換せずともプレイヤーがもともと得る金額の期待値を発散させるような確率分布であれば、
> xのどんな関数でもよい(胴元の意思や手> 順は不明なので)。

φさんに合わせると、g(n)=p(n)+q(n) となります。
一般の場合を考えるなら、期待値が発散するか否かに拘らずgは定義できて
g,p,qは確率の定義に従う限りなら、どんな関数(φさんのいう綺麗なアルゴリズム的でないもの)でも構いません。

さて
>  まず、交換の期待値変化を意味する自然な計算として、
> g(1)((2-2)/2)+g(2)((4-4)/2)+g(3)((8-8)/2)+……=0  (交換による損得ナシ)

φさん他数名が、封筒のペア(金額の組、2金額の合計)ごとの金額の差の確率平均(期待値)を
「自然な計算である」と考える原因は、もとの封筒問題の設定では
プレイヤーの目の前に2つの封筒が存在する(金額の組は主観的には無知だが客観的には決定している)
金額の組がまず決まってから、それに応じてプレイヤーの受け取る封筒の金額、他方の金額が決まる
からではないでしょうか。

何度も指摘したように、各期待値は確率分布だけに依存し、確率分布以外の設定には依存しません。
自分が初めに受け取る封筒の金額をx、他方の封筒をyとして
x=2^n かつ y=2^(n+1) である確率P(<x,y>=<2^n,2^(n+1)>)=p(n)
x=2^(n+1) かつ y=2^n である確率P(<x,y>=<2^(n+1),2^n>)=q(n)
の時の、各状況の各期待値の計算は、例えば下記のどの手順で行うとしても同じ値にならなければなりません
(どの手順も、同じ確率分布になるため)。

 手順1(金額の組を決めてから、x,yの値を決める)
  [1]p(n)+q(n)の確率で、金額の組を{2^n,2^(n+1)}に決める
  [2]p(n)/{p(n)+q(n)}の確率でx=2^n、q(n)/{p(n)+q(n)}の確率でx=2^(n+1)に決める(自動的にyも決まる)

 手順2(x,yの大小を決めてから、x,yの値を決める)
  [1]Σ{p(n)}の確率でy=2x、Σ{q(n)}の確率で2y=xと決める
  [2]y=2xの場合はp(n)/Σ{p(n)}の確率でx=2^nと決め、x=2yの場合はq(n)/Σ{q(n)}の確率でy=2^nと決める

 手順3(xの値を決めてから、yの値を決める)
  [1]{p(n)+q(n-1)}の確率でx=2^nと決める
  [2]p(n)/{p(n)+q(n-1)}の確率でy=2^(n+1)、q(n-1)/{p(n)+q(n-1)}の確率でy=2^(n-1)に決める


特に手順3では、[1]でxの値を決めてから[2]でyの値を決めるので、
xを確認するプレイヤーの金額確認、金額を確認した上での交換するか否かの判断を、[1]と[2]の間に行うこともできます。
その場合の「確認した金額がxである時の期待値」も、他の手順の場合の期待値の値と一致します
(繰り返すが、各期待値は確率分布のみに依存して決まり、上記のどの手順でも同じ確率分布になるから)。

手順1以外(特に手順3)で試行する場合(金額の組が後で決まる場合)でも
封筒のペア(金額の組、2金額の合計)ごとの計算が、「自然な計算」だとφさんは思うのでしょうかね?


しかしそもそも数学に「自然な計算」などという概念は無いので、
「φさん個人がどのようなモノを自然だと思うのか」とは別に「自然な計算」に関して論じたいなら
「自然な計算」のアドホックな定義が必要になるので、アドホックな推論しかできませんな。



φさんは、数学の確率論を無視し、さらに「φさんは数学の確率論を無視している」という私の指摘も無視しています。
このような姿勢は論理や議論としてもよろしくないし、2封筒問題を解ける解けない以前の問題です。



Re: アンケート 投稿者:タップ君 投稿日:2011年 9月14日(水)22時15分56秒

> No.3193[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

期待値は確率と確率変数を掛けた総和ですが
確率変数が抜けていませんか?
期待値は35000円と言う事でしょうか?


Re: アンケート 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月14日(水)22時00分59秒


> ホストが封筒A、封筒Bにそれぞれお金を入れる。
> 封筒に入れる金額を以下のように決定する。
> さいころを奇数が出るまで連続して振る、出目は奇数偶数どちらも1/2の確率で出るものとする。
> この時、偶数の目が出た数をn とし、このnを基に、一方の封筒に2^n万円、もう一方に2^(n+1)万円を入れる事にする。
>
> <<確率計算により、封筒に(2^n,2^(n+1))万円を入れる確率は 1/2^(n+1)となります(n=0,1,2,...)。
> つまり、2つの封筒の1方に10000円もう1方に20000円を入れる確率は1/2で、以後総額が2倍になるごとに確率が1/2倍ずつになる等比数列です。
> (20000,40000)円は1/4、(40000,80000)円は 1/8…という具合です。>>
>
> 2つの封筒に入れる金額が決まったら、1~5の数字が書かれた5つの出目のあるルーレットを回し(それぞれの目の出る確率は1/5とする)、
> 1~3までが出れば高額な方【2^(n+1)万円】を封筒Aに入れ、残りの低額な方【2^n万円】を封筒Bに入れる。
> 4~5が出れば高額な方【2^(n+1)万円】を封筒Bに入れ、残りの低額な方【2^n万円】を封筒Aに入れる。
> つまり、封筒Aは3/5の確率で高額になり、2/5の確率で低額になります、封筒Bはその逆です。
>
> ゲストはこの決定プロセスを知っているため、確率そのものは知っていますが、
> さいころを振っているところ、ルーレットを回し封筒にお金を入れるところを見ていないため、
> nの値や封筒に実際にいくら入っているかは知りません。
>
>
> (問1)ゲストは封筒Aか封筒Bどちらか片方の封筒を選びそれを得られる場合
>     どちらを選んだ方がよいでしょうか?
>
> (問2)ゲストが封筒Aを選び中身を確認すると40000円だった。
>     このときに、ゲストが封筒Bと交換してよい場合、交換し封筒Bを得た方がよいか?
>     またその理由は?


問1の答え。A

問2の答え。否。
      交換の期待値が(1/2*3/5+2*1/2*2/5)/(3/5+1/2*2/5)=7/8だから。

> 封筒の値を確認する前はAの方が期待値が高く、
> 確認した後は必ずBの方が期待値が高く感じる様な問題です。

おそらく計算間違いと思われる。

なぜなら、Aに高額なほうをいれる確率をP1として
Aの金額が明らかになり、それが最低額以外の場合、
交換の期待値を計算する公式をつくると

(1/2*P1+2*1/2*(1-P1))/(P1+1/2*(1-P1))
=(2-P1)/(P1+1)

となるが、P1>1/2の場合、必ず1より小さくなるから。


簡単な問題なので 投稿者:タップ君 投稿日:2011年 9月14日(水)21時15分6秒

モンテカルロさん

3つ前のアンケートに答えて貰えれば幸いです。

問2において、Bに交換するかしないかだけでも表明して頂ければ
2封筒問題で交換戦略を取る方か、そうでないかかが分かるのですが



φ氏の何がどう見当違いか? 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月14日(水)20時51分34秒

φさんへのお返事です。

>  すべてのケース(有限、無限含む)について、
> 一般的に(すべての確率分布について)成り立つ計算A
>(期待値変化=0の計算)がすでにあって、
> より狭いケース(無限のみ)についてAとは矛盾する
> 計算Bを構成でき、しかもBがAと同等の権利を主張
> しようとする場合(その結果として、当該特殊ケース
> については正解が定まらず「無意味」としようとする場合)、
> 計算Aと同等の一般的適用可能性(すべての確率分布
> についての適用可能性)を計算Bが求められるのは
> 当然のことです。

まず、計算Aが
「すべてのケース(有限、無限含む)について、
 一般的に(すべての確率分布について)0」
からといって「もっともらしい」と思うのが
数痴

無限個の数の和において、計算が意味を持つのは、
順序によらず値が一定であるときに限られる。

順序を変えた別の計算Bにおいて、Aとは異なる値を出すなら
無限個の数の和は値を持たない、と考えるのが数学。

計算Bにいかなる一般的適用可能性を求めたいのか知らないが
全体の期待値が収束する場合には、0となるし、
そうでない場合には、そうでない値になる例が
知られているわけであるから
『すべてのケース(有限、無限含む)について、
 一般的に(すべての確率分布について)ある特定の値となる』
とはならないのは自明であり、こんなことにも気付けないのは
論痴

>  それが「無駄」とは、まことに学問を放棄した言い分ですね。

学問を放棄したのは、φ氏、あなただ。

現にあなたは数学も論理学も放棄した。

あなたが勝手に立てた諸々の原理とやらは
論理とは全く無関係の独善だ。


Re: モンテカルロさんへ1 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月14日(水)20時31分5秒

おかめ石さんへのお返事です。

> モンテカルロさん言う所の「3種類のペア」の、
> 左右交換による得失の様子を見てみましょう。
>
> 左   1  2  2  4  4  8  8 16…
> 交換  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓
> 右   2  1  4  2  8  4 16  8…
> ―――――――――――――――――――――――――――
> 得失 +1 -1 +2 -2 +4 -4 +8 -8…
>
> ①   └――┤  └――┤  └――┤  └――┤
>       ±0    ±0    ±0    ±0 …
>
> ②   │  └─―┤  └――┤  └―─┤
>    +1    +1    +2    +4 …
>
> ③   └――┼――┼――┤  └─―┼――――─┤
>        │  └――┼―――――┤     │
>       -1    -1    -2    -4 …
>

実に美しい

> (2,4)を中心に考えると、3種類のペアと言うのは
>  (2,4)と(4,2)のペア(①の所)、
>  (2,4)と(2,1)のペア(②の所)、
>  (2,4)と(8,4)のペア(③の所)、

然り

> 又、4種類の金額と言うのは
>  左の金額、 右の金額、 左→右交換得失の額、
> 3種類のペアに応じた区切り方による総和の額、と言う事ですね。

意味不明。
なぜ単純に数えないのか?数えられないのか?
そんなわけないだろうw

> 得失の総和が0に成るもの(①の所)、
> +∞に発散するもの(②の所)、
> -∞に発散するもの(③の所)が有って不定だから、
> 期待値は一意的に定まらず、無意味であると。

左様。交換の得失の期待値は定まらないから無意味。

> しかし、実は此処にこの問題の根っ子が潜んで居る事が判明しました。
>
> 得失の総和の区切りを工夫して、
>  ② (+1)+(-1+2)+(-2+4)+(-4+8)+(-8+16)+…
>   =(+1)+(+1)+(+2)+(+4)+(+8)+…
>  ③ (-1)+(+1-2)+(+2-4)+(+4-8)+(+8-16)+…
>   =(-1)+(-1)+(-2)+(-4)+(-8)+…
> とすれば発散するのは確かですが、
>“(2,4)と(4,2)のペア”と他のペアの間には
>◆本質的な違い◆があります。
>つまり、①と②③とは同等の重要性を持つものではありません。
> ②③は「発散して期待値が不定と成る」と言う為の恣意的な導入です。
> 発散させる為の、「総和の額」から「左・右の金額」への
> 逆向きの恣意的な操作、強制的なペア化です。


②は自分の額が明らかになった場合
③は相手の額が明らかになった場合
の当然の計算である。何の無理もない。

>~φさんもアドホックと仰っていましたね。~

彼の言葉は間違ってる。それを鵜呑みにすると間違う。

> 区切り方はこれだけではありませんよ。
>(+1+2)+(-1-2)+(+4+8)+(-4-8)+…として
>得失を1つずつ飛ばして計算すれば
>総和0とする事も可能です。

その計算には今のところ特段の意味がない。

> 左右同額の場合
> 左   1  2  4  8…
> 交換  ↓  ↓  ↓  ↓…
> 右   1  2  4  8…
> 得失 ±0 ±0 ±0 ±0…
> 得失の総和が0と成りますけど、これは①と同じ位置付けに成ります。
>左右だけの関係で、閉じているからです。 ~詳細は後述。~

何の詳細もないw。

> では、何故かくも強く恣意的と断ずるのか。
> そもそも(2,4)と(2,1)の間、
> (2,4)と(8,4)の間に
> ペアとなる資格など無い、という事です。

おかめ石は
「自分の封筒の額が明らかになる」
「相手の封筒の額が明らかになる」
という言葉の意味を理解したくないらしいw

> 比例関係が無ければ、
> 自由に得失値をあっちこっち引っ付けて
> 色んな発散パタンを作ってもいいでしょう。
> しかし設問に比例関係を謳って居る以上、
> 比例関係の無い者同士をペアとして
> 強制結合させるのは誤った道のりです。

比例関係という言葉の意味が不明。
おそらく何の意味もないだろう。

> (私の当初の質問の意図としては、両方の金額という意味での)
> ペア単位で注目してるのか、それとも一方の封筒の金額だけに注目してるのか
> と聞きました。なぜなら、
>
> ◆◆◆(2, _)の現れる可能世界には(2, 4)と(2, 1)の現れる可能性は有りますが、
> (2, 4)の現れる可能世界に(2, 1)と(8, 4)の現れる可能性は全く無いのです。◆◆◆
>
> 両方の金額を考慮せざるを得ない故
>(何故なら比例関係を欠く事は設定上許されないから)、
> 個々の可能世界は他に対して閉じています。
> ただ比例関係y=2xで結ばれているのです。

比例関係のxとyが何を表わすのか全く不明。
おそらく何も表わさないだろう。

> つまり、1+2+2+4+4+8+8+16+16+32+…といった平板な級数表現は相応しくないのです。
> 本当は、(1, 2), (2, 4), (4, 8), (8, 16), (16, 32)…という
>カッコ毎の可能世界を示さねば成りません。
> ◆可能世界{(2, 4), (4, 2)}に(2, 1)が侵入する事態は生じ得ません。◆

可能世界は状況により異なる。

2,4のペアだと明らかになったのなら{(2, 4), (4, 2)}だし
自分の金額が2と明らかになったのなら{(2,4),(2,1)}だし
相手の金額が4と明らかになったのなら{(2,4),(8,4)}だ。

> この可能世界の組数列を標準的に書けば、比の値に変え、各組を|で区切った形の
> 1/2, 2/1 | 2/4, 4/2 | 4/8, 8/4 | 8/16, 16/8 | 16/32, 32/16 | …
> とするとスッキリした形に成るでしょうけど、
> 今は直感的に分かり易いように次の様に書いておきます。
> { (1:2, 2:1), (2:4, 4:2), (4:8, 8:4), (8:16, 16:8), (16:32, 32:16), … }

そもそも1:2とか2:1とかが何を表わすのか不明。
おそらく何も表わさないだろう。


アンケート 投稿者:タップ君 投稿日:2011年 9月14日(水)15時48分20秒

ホストが封筒A、封筒Bにそれぞれお金を入れる。
封筒に入れる金額を以下のように決定する。
さいころを奇数が出るまで連続して振る、出目は奇数偶数どちらも1/2の確率で出るものとする。
この時、偶数の目が出た数をn とし、このnを基に、一方の封筒に2^n万円、もう一方に2^(n+1)万円を入れる事にする。

<<確率計算により、封筒に(2^n,2^(n+1))万円を入れる確率は 1/2^(n+1)となります(n=0,1,2,...)。
つまり、2つの封筒の1方に10000円もう1方に20000円を入れる確率は1/2で、以後総額が2倍になるごとに確率が1/2倍ずつになる等比数列です。
(20000,40000)円は1/4、(40000,80000)円は 1/8…という具合です。>>

2つの封筒に入れる金額が決まったら、1~5の数字が書かれた5つの出目のあるルーレットを回し(それぞれの目の出る確率は1/5とする)、
1~3までが出れば高額な方【2^(n+1)万円】を封筒Aに入れ、残りの低額な方【2^n万円】を封筒Bに入れる。
4~5が出れば高額な方【2^(n+1)万円】を封筒Bに入れ、残りの低額な方【2^n万円】を封筒Aに入れる。
つまり、封筒Aは3/5の確率で高額になり、2/5の確率で低額になります、封筒Bはその逆です。

ゲストはこの決定プロセスを知っているため、確率そのものは知っていますが、
さいころを振っているところ、ルーレットを回し封筒にお金を入れるところを見ていないため、
nの値や封筒に実際にいくら入っているかは知りません。


(問1)ゲストは封筒Aか封筒Bどちらか片方の封筒を選びそれを得られる場合
    どちらを選んだ方がよいでしょうか?

(問2)ゲストが封筒Aを選び中身を確認すると40000円だった。
    このときに、ゲストが封筒Bと交換してよい場合、交換し封筒Bを得た方がよいか?
    またその理由は?

封筒の値を確認する前はAの方が期待値が高く、確認した後は必ずBの方が期待値が高く感じる様な問題です。

問題2に答えて頂ければ各人のスタンスが分かり有難いのですが・・・



Re: φ氏へ Ⅴ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月14日(水)07時30分27秒

> No.3187[元記事へ]

φさんへのお返事です。


> > 「絶対収束する数列はカッコをどう付け替えても収束値が変わらない」

> > 上記の件の証明については、例えばハイラー&ヴァンナーの「解析教程」の
> > 下巻p35の III.2.2 絶対収束の定理2.9の証明でも見てください。
> > ちなみにこの定理は1837にディリクレが証明したものだそうです。
>
>  「上記の件の証明」とは何でしょう?

まだ確認してないのか?

>  その直前のφからの引用文中の
>「構成的方法がなくても証明できるような間接証明法」
>を指すと解釈するのがまずは自然ではありませんか?

φ氏の意味不明な文章など全く見ていない。

>  そうでなければ、φからの引用文がそこに置かれた意味が不明ですからね。

φ氏は日本語の文章の読み方が根本から間違っている

自分の文章は一切よまず、相手の文章だけを読むのが正しい読み方。
φ氏は自分の文章だけを読んで、勝手に相手を捏造するから間違う。

>  つまり、モンテカルロさんは、対話をしてないってことですよ。

対話をしないのはφ氏。

φ氏は自分と語り合ってるだけ。



Re: φ氏へ Ⅴ 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月14日(水)05時29分54秒

> No.3181[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

>
> 一度も云っていない以上、始末をつけるのは
> 勝手に誤解したφ氏。私ではない。
>

 前回引用した部分に加えて、他にもいろいろあります。
 たとえば ↓ を見てみましょう。http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3136

> 逆に全体の期待値が収束する場合には、
> 絶対収束(各項の絶対値の和が収束)しており、
> 「絶対収束する数列はカッコをどう付け替えても収束値が変わらない」
> という証明があるから。
> つまり、カッコの付け替えで値が変わるのは、
> 全体の期待値が発散する場合とわかる。
>
φ> >  列というのは、各項(ここでは、第二項の確率)が
φ> > 綺麗なアルゴリズム的な式で書けるものばかりではなく、
φ> > 不規則であったり、パッチワーク的な変化をするものもある
φ> > だろうし、列挙は不可能だろうと思うのですが。
φ> >  もちろん、構成的方法がなくても証明できるような
φ> > 間接証明法があればOKでしょうけれどね。
>
> 上記の件の証明については、例えばハイラー&ヴァンナーの「解析教程」の
> 下巻p35の III.2.2 絶対収束の定理2.9の証明でも見てください。
> ちなみにこの定理は1837にディリクレが証明したものだそうです。
>

 「上記の件の証明」とは何でしょう?
 その直前のφからの引用文中の「構成的方法がなくても証明できるような間接証明法」を指すと解釈するのがまずは自然ではありませんか?
 そうでなければ、φからの引用文がそこに置かれた意味が不明ですからね。
 そして、φの言う「構成的方法がなくても証明できるような間接証明法」とは、その前に述べられた「期待値が無限大に発散するような任意の(ペア、確率)の無限列のどれについても、共通した形の式によって統一的に「交換の期待値の発散」が示せる」証明のことです。
 その証明がある、とモンテカルロさんが保証したようにしか読めませんよ。構文的に。
 ところが実際には、「上記の件の証明」とは、自分で【わざわざ挿入した】φからの引用をすっ飛ばして、その前の自分の言「……変わらない」という証明」を指しているわけですね。
 つまり、モンテカルロさんは、対話をしてないってことですよ。
 なんのためにφからの引用を挟んだのか、モンテカルロさんの意図がわかりませんね。

 もちろん、意図はわかってますが。
 φからの要求にモンテカルロが首尾よく答えた、と注意散漫な読者に錯覚してもらうためでしょう。
 意識的にそういう詐術を用いたのか、防衛的になるあまり自然に曖昧な書き方になったのかは追及いたしませんけれどね。
 いずれにせよ、
 お互いに必要ともしていない逆命題(当該文脈において論理的に無意義な逆命題)を勝手に出してきて、多言を費やして保証していただいても意味がないと前々から申し上げているのです。



なので、
>
> そもそも反例があるw
> g(1)=1/2、g(2)=1/4、・・・、g(n)=1/2^n
> とすれば
>

 ↑特定の確率分布を仮定して何を述べてもらっても意味がないと再三申し上げているのですが、いっこうにおわかりいただけませんか。
 そして、私の求めに論理的根拠があることは、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3123ですでに述べたはずです。
 自爆ネタでも何でもありません。
 求めの中の「発散する」の趣旨は、「0であるという計算と矛盾する」、ということだったので、
 (私はモンテカルロさんの常套の言い方に合わせて「発散する」を採用してきただけであり)その語を「0以外になる」に置き換えるのは吝かではありませんよ。「0以外になる」ことを任意の確率分布について、一般式で示してください、と申し上げるだけです。

>
> 肝心な条件が抜けてるな。
>
> 「φ氏のいう一様分布のもとでは、
>  上限がない場合にはプレイヤーがもともと得る金額の期待値が発散し、
>  交換による期待値変化は、計算の方法によって変動するため、
>  交換による期待値変化を論ずるのは無意味」
>
> φ氏は、太字部分の条件を忘れている。
> ケアレスミスなら軽率だ。意図的に削除したなら悪辣だ。
>

 また話を戻すんですか……?
 「φ氏のいう一様分布」は、問題設定の情報欠如から強制された、暫定的な一様分布にすぎませんよ。
 あらゆる客観的可能性に対処するためには、一様分布に適用できるのはもちろんとして、それ以外の確率分布にも適用できる計算でなければならない、ととっくに指摘したでしょう。
 確率分布の推測の改訂可能性に応じられないような計算が無価値である件については、すでにhttp://8044.teacup.com/miurat/bbs/3123に述べてあり、一度もまともな反論をいただいていません。
 もはや、反論の見込みはないようですね?

 多言とは裏腹に当面議論を放棄する御決意のようなので、 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3123の件はしばらく待たせていただきましょう。
 あとは、
 同様にまだ答えていただいていないhttp://8044.teacup.com/miurat/bbs/3148と、


http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3175後半について、きちんとした御回答をお願いしたいところです。
 こちらは少しは期待できそうですよね? よろしくお願いします。
 うやむやはいけませんよ。

>
> φ氏は、以前より
> ・他人の主張内の肝心な条件を書き忘れる
> ・他人の主張の結論と前提をひっくり返す
> ・無駄な一般化を求める
> などの不誠実な態度が再三見られるが
>

 無駄な一般化ですか……?
 すべてのケース(有限、無限含む)について、一般的に(すべての確率分布について)成り立つ計算A(期待値変化=0の計算)がすでにあって、
 より狭いケース(無限のみ)についてAとは矛盾する計算Bを構成でき、しかもBがAと同等の権利を主張しようとする場合(その結果として、当該特殊ケースについては正解が定まらず「無意味」としようとする場合)、
 計算Aと同等の一般的適用可能性(すべての確率分布についての適用可能性)を計算Bが求められるのは当然のことです。
 それが「無駄」とは、まことに学問を放棄した言い分ですね。

 ちなみに、
 「無限回試行の場合は事情が別だから、そのときだけ通用する計算でかまわないのだ」というのは詭弁ですよ。
 2封筒問題の場合、実無限としての無限回試行がボンと与えられているわけではありません。
 パラドクシカルな唯一試行の期待値を求めるために(あるいはそれが本当の損得を表わしているのかどうかを考えるために)任意の上限を持つ多数試行の極限を考えてシミュレーションしているわけですから。
 よって、有限の場合に一般的に成り立つ計算を放棄する理由もなければ、有限の場合に成り立たない計算をいきなり極限において蘇生させるなんて芸当の出番もありません。
 交換戦略と非交換戦略は、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3148で見たように、



∀x(P(交換戦略がx回目に得ている総額≧非交換戦略がx回目に得ている総額)=P(非交換戦略がx回目に得ている総額≧交換戦略がx回目に得ている総額)

 つまり、どの任意の時点(試行有限回目)をとっても、両戦略の獲得金額の期待値は厳密に同じなのです(いいですか、厳密に同じです。再三言わせていただくが、シーソーの振幅なるものは期待値に全く影響せず!)。
 それと矛盾する計算の出番はどこまで試行を進めても訪れません。


Re: モンテカルロさんへ1 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 9月14日(水)01時32分43秒

中カッコが抜けてました。
{(+1+2)+(-1-2)}+{(+4+8)+(-4-8)}+…



Re: モンテカルロさんへ1 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 9月14日(水)00時47分46秒

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3183
(二者択一)の方に「より得な方が2倍得(確定)。」、二択後の方に「損なら手元の半分失い、得なら手元と同額更に獲得(確定)。」を書き加えた方が良かったですね。「比率」の記述で含意されてはいますが、「損得」の性質をより明確にするため。

*****
モンテカルロさんへのお返事です。

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3184
> > こちらも了解しました。
> 何様?
「こちらの事項も、分かりました。」

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3178
> 1/2*(-1)+1/2*(+2)=1 交換でaに利益
> 1/2*(+1)+1/2*(-2)=-1 交換でaに損失
答え、1/2、-1/2ですよね。 ~単なるケアレスミスの指摘で申し訳無いですけど。~

*****
モンテカルロさん言う所の「3種類のペア」の、左右交換による得失の様子を見てみましょう。 ~カンマは見づらく成るので省略します。~

左   1  2  2  4  4  8  8 16…
交換  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓
右   2  1  4  2  8  4 16  8…
―――――――――――――――――――――――――――
得失 +1 -1 +2 -2 +4 -4 +8 -8…

①   └――┤  └――┤  └――┤  └――┤
      ±0    ±0    ±0    ±0 …

②   │  └─―┤  └――┤  └―─┤
   +1    +1    +2    +4 …

③   └――┼――┼――┤  └─―┼――――─┤
       │  └――┼―――――┤     │
      -1    -1    -2    -4 …

(2,4)を中心に考えると、3種類のペアと言うのは
 (2,4)と(4,2)のペア(①の所)、
 (2,4)と(2,1)のペア(②の所)、
 (2,4)と(8,4)のペア(③の所)、
又、4種類の金額と言うのは
 左の金額、 右の金額、 左→右交換得失の額、 3種類のペアに応じた区切り方による総和の額、と言う事ですね。

得失の総和が0に成るもの(①の所)、+∞に発散するもの(②の所)、-∞に発散するもの(③の所)が有って不定だから、期待値は一意的に定まらず、無意味であると。

*****
しかし、実は此処にこの問題の根っ子が潜んで居る事が判明しました。

得失の総和の区切りを工夫して、
 ② (+1)+(-1+2)+(-2+4)+(-4+8)+(-8+16)+…
  =(+1)+(+1)+(+2)+(+4)+(+8)+…
 ③ (-1)+(+1-2)+(+2-4)+(+4-8)+(+8-16)+…
  =(-1)+(-1)+(-2)+(-4)+(-8)+…
とすれば発散するのは確かですが、“(2,4)と(4,2)のペア”と他のペアの間には◆本質的な違い◆があります。つまり、①と②③とは同等の重要性を持つものではありません。
②③は「発散して期待値が不定と成る」と言う為の恣意的な導入です。発散させる為の、「総和の額」から「左・右の金額」への逆向きの恣意的な操作、強制的なペア化です。~φさんもアドホックと仰っていましたね。~
区切り方はこれだけではありませんよ。(+1+2)+(-1-2)+(+4+8)+(-4-8)+…として得失を1つずつ飛ばして計算すれば総和0とする事も可能です。しかし、これすら実は恣意的な区切り直しに過ぎません。

左右同額の場合
左   1  2  4  8…
交換  ↓  ↓  ↓  ↓…
右   1  2  4  8…
得失 ±0 ±0 ±0 ±0…
得失の総和が0と成りますけど、これは①と同じ位置付けに成ります。左右だけの関係で、閉じているからです。 ~詳細は後述。~

では、何故かくも強く恣意的と断ずるのか。 そもそも(2,4)と(2,1)の間、(2,4)と(8,4)の間にペアとなる資格など無い、という事です。
比例関係が無ければ、自由に得失値をあっちこっち引っ付けて色んな発散パタンを作ってもいいでしょう。しかし設問に比例関係を謳って居る以上、比例関係の無い者同士をペアとして強制結合させるのは誤った道のりです。

(私の当初の質問の意図としては、両方の金額という意味での)ペア単位で注目してるのか、それとも一方の封筒の金額だけに注目してるのかと聞きました。なぜなら、

◆◆◆(2, _)の現れる可能世界には(2, 4)と(2, 1)の現れる可能性は有りますが、
(2, 4)の現れる可能世界に(2, 1)と(8, 4)の現れる可能性は全く無いのです。◆◆◆

両方の金額を考慮せざるを得ない故(何故なら比例関係を欠く事は設定上許されないから)、個々の可能世界は他に対して閉じています。ただ比例関係y=2xで結ばれているのです。
つまり、1+2+2+4+4+8+8+16+16+32+…といった平板な級数表現は相応しくないのです。
本当は、(1, 2), (2, 4), (4, 8), (8, 16), (16, 32)…というカッコ毎の可能世界を示さねば成りません。◆可能世界{(2, 4), (4, 2)}に(2, 1)が侵入する事態は生じ得ません。◆

この可能世界の組数列を標準的に書けば、比の値に変え、各組を|で区切った形の
1/2, 2/1 | 2/4, 4/2 | 4/8, 8/4 | 8/16, 16/8 | 16/32, 32/16 | …
とするとスッキリした形に成るでしょうけど、今は直感的に分かり易いように次の様に書いておきます。
{ (1:2, 2:1), (2:4, 4:2), (4:8, 8:4), (8:16, 16:8), (16:32, 32:16), … }



Re: モンテカルロさんへ1 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月13日(火)07時56分15秒

> No.3183[元記事へ]

おかめ石さんへのお返事です。

> こちらも了解しました。

何様?


Re: モンテカルロさんへ1 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 9月12日(月)23時56分0秒

モンテカルロさんへのお返事です。

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3177
> >ペア3種類に封筒4種類ですか?
> 封筒を金額に置き換えればよく分かるだろう。

ペア3つ、金額4つと言うのは下の説明と繋がってましたね。

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3178
> 「aの額が共通のもの」では(2,1)も(2,4)も同様に考えている。
> そもそも(2,1)を交換しても(1,2)になるのであって(2,4)にはならない。

こちらも了解しました。(2,1)や(2,4)に共通する左の2を捨てて右の数値に換えるという意味でしたか。

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3179
> 0.5/2*(n+1)+(1+・・・+2^(n-1))/(n+1)+2^n/(2*(n+1))
> で真ん中の部分に掛けているのは1/(n+1)。

真ん中の(1,_)と(2,_)は2通りという事で、その2と分母の2が約分されているのですね。
お手数掛けました。


まあ、これだけでは何ですので、現状で認識してる所のまとめでも付記しましょう。

*****
2封筒問題の
比率  1:2又は2:1、左右どちらが2倍の方かは不明(五分五分)。
損得  (二者択一)両方とも貰い得。どちらがより得かは不明(五分五分)。
     いくら得かは不明(不定)。
    (二択後、更に未開封交換)手元の額と比べての損得は生じるが、
     損するか得するかは不明(五分五分)。損得の額は不明(不定)。

そして、プレイヤーへの助言
「五分の勝負だ、とにかく選べ。どちらが得かは‘親のみぞ知る’」

では。



Re: 関係ない話題だけど 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月12日(月)20時29分50秒

> No.3176[元記事へ]

シリカゲルさんへのお返事です。

> 生より死が優れる:馬鹿は死ななきゃ治らない
> 生と死が等価である:馬鹿は死んでも治らない

なんかつまらん。

前者は「悧巧より馬鹿が優れてる」
後者は「悧巧も馬鹿も同じこと」
だろう。

率直にいって、文明の発達が人をかえって破滅に近づけたわけで
悧巧になるより馬鹿のままのほうが幸せだったかもしれん。
また、悧巧というのもある意味馬鹿の一種であったともいえる。



φ氏へ Ⅴ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月12日(月)20時23分26秒

> No.3175[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>モンテカルロさんがいつまでも取りかからないので、
>私がほんの取っかかりを描いときます。

飛んで火に入る夏の虫・・・もう秋だがなw。

> 2封筒問題のペアを次のようなものとして、
>(2,4)(4,8)(8,16)(16,32)……

>交換してどれほどの期待値変化があるかを考えます。
> 胴元によってペア(2^x,2^(x+1))が選ばれる確率をg(x)とする。
> ただしg(x)は、交換せずともプレイヤーがもともと得る金額の期待値を
>発散させるような確率分布であれば、xのどんな関数でもよい
>(胴元の意思や手順は不明なので)。

> まず、交換の期待値変化を意味する自然な計算として、
>g(1)((2-2)/2)+g(2)((4-4)/2)+g(3)((8-8)/2)+…+g(n)((2^n-2^n)/2)+…=0 …(1)
>(交換による損得ナシ)

> 次に、交換による期待値変化が発散するという計算は?

その問いが間違ってる。

正しい問いは
「自分の金額が明らかになった場合の
 交換の期待値変化を意味する自然な計算は?」

答えは以下の通り。

(g(1)/2)2
+((g(1)+g(2))/2)*(g(1)*(-2)+g(2)*4)/(g(1)+g(2))
+((g(2)+g(3))/2)*(g(2)*(-4)+g(3)*8)/(g(2)+g(3))
+…
+((g(n)+g(n+1))/2)*(g(n)*(-2^n)+g(n+1)*2^(n+1))/(g(n)+g(n+1))
+…

=(g(1)/2)2
+(g(1)*(-2)+g(2)*4)/2
+(g(2)*(-4)+g(3)*8)/2
+…
+(g(n)*(-2^n)+g(n+1)*2^(n+1))/2
+…                      …(2)

> 任意のg(x)について「交換による期待値変化の発散」が示せなければ、
> 任意のg(x)について成立する計算が採択され、
> 交換による期待値変化=0 とする他はない。

その判断が、間違ってる。

φ氏の計算(1)と、私の計算(2)は
「プレイヤーがもともと得る金額の期待値」Σg(n)*2^n*3/2
が収束するなら(g(n)が必ず正の値をとることから、級数の
各項の絶対値の和が収束、つまり絶対収束するため)一致する。

しかし、そうでない場合には一致するとは限らない。
一致しない場合に、「一致する場合と同じ値になる」
というだけで、ある特定の計算方法を正当化することは
できない。

>よって、g(x)を用いた一般的な式を示し、
>それが実際に発散することを示さねばならない。

その必要はない。
(1)と(2)が一致しない状況がいかなるものか示せばよい。

そもそも反例があるw
g(1)=1/2、g(2)=1/4、・・・、g(n)=1/2^n
とすれば
 ((1/2)/2)2
+((1/2)*(-2)+(1/4)*4)/2
+((1/4)*(-4)+(1/8)*8)/2
+…
+((1/2^n)*(-2^n)+(1/2^(n+1))*2^(n+1))/2
+…
=1/2
+0
+0
・・・
=1/2
となり発散しない。

「ホレ見たことか!」とφ氏は叫ぶだろうが、
これがφ氏の息の根を止めることになる。

なぜなら、この級数は0にならないからだ。

ゴクロウサマ。

まあ、この反例に気付いたからしつこく絡んだんだろうが
まさかφ氏自身の主張を完全否定する自爆ネタとはなw

>↑この要求をクリアすることは、モンテカルロさんの
>「上限がないときは交換による期待値変化はゼロではなく、
> 交換による期待値変化を論ずるのは無意味」
>という説を維持するには必須である。

肝心な条件が抜けてるな。

「φ氏のいう一様分布のもとでは、
 上限がない場合にはプレイヤーがもともと得る金額の期待値が発散し、
 交換による期待値変化は、計算の方法によって変動するため、
 交換による期待値変化を論ずるのは無意味」

φ氏は、太字部分の条件を忘れている。
ケアレスミスなら軽率だ。意図的に削除したなら悪辣だ。

>それを前々からお願いしているだけなのですが?

φ氏は、以前より
・他人の主張内の肝心な条件を書き忘れる
・他人の主張の結論と前提をひっくり返す
・無駄な一般化を求める
などの不誠実な態度が再三見られるが
φ氏自身にとって百害あって一利もないので
是非改めていただきたいものである。

> ここを肯定的にクリアしない限り、
> モンテカルロさんは先へ進めないはずです。

私は、もう先に進む必要がない。

崖から真っ逆さまに落ちるのはφ氏一人で沢山だw


φ氏へ Ⅳ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月12日(月)20時09分52秒

> No.3175[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  私の今回のは(今回のも)モンテカルロさんへのきわめて原理的な批判ですから、

φ氏の自惚れぶりにも困ったものだが。

>  テクニカルなおかめ石さんのコメントへの応対をどうぞ優先してください。

おかめ石氏の闇雲な計算を「テクニカル」という見当違いぶりにも困ったものだ。

さて、φ氏を一気に叩き潰そうw

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3143
φ>
φ> >期待値を発散させる確率分布はもっといろんな(キレイでない)ものがあるでしょうから、
φ> >「もともとの期待値が発散する確率分布では必ず交換の期待値が発散する」
φ> >というのは簡単に示せるとは思えない、ましてや自明とは思えないわけです。
φ>
> 数学は高校で終わった人には、自明じゃないでしょう。
>

φ> ↑このように、
φ>「もともとの期待値が発散する確率分布では必ず交換の期待値が発散する」
φ> と保証したのはモンテカルロさんなんですよ。

上記の文章を見れば
「もともとの期待値が発散する確率分布では必ず交換の期待値が発散する」
といったのはφ氏だけ。

私はそんな言葉は一切言っていない。

「必ず」というのは、φ氏が勝手に思い込んだだけ。

私は

「そもそも、交換の期待値が発散する場合には
 もともとの期待値が発散している」

といっただけ

>しかも、モンテカルロさんが保証するなら
>この件はクリアしたことにして先へ進みましょう、と私が
>http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3142で言ったのに、
>「保証できるのはやっぱり逆命題だけだった」
>などと前言撤回して話を差し戻したのは
>モンテカルロさん自身です。

φ氏が勝手に結論と前提をひっくり返したので
私が「まちがってますよ」と元に戻してあげただけ。

自分の間違いを他人に押し付けるのはいかんね。

>何をやってるんだか。
>ちゃんと論理的な収拾を付けてくれないと困りますね。

その言葉は、前提と結論すら取り違えたφ氏にこそ相応しい。

>問われているのは、
>「なぜ、交換の期待値の計算の総和が計算方法によって異なるのか?」
>などというつまらないことではなく

つまらなくはない。いや、実におもしろい。
素人が必ずつまづいてスッ転ぶところがな。

>「異なった総和を出すような交換の期待値の計算方法は、
> それぞれが同等の権利を主張できるのか
>(従って結果として期待値変化は無意味だと判定してよいのか)?」
>です。

少なくとも、φ氏の計算方法が絶対の真理だと主張する根拠はない。

同等かどうかはともかく、φ氏に私の計算方法を却下することはできない。

>それぞれが正しいと言えるためには、まず、
>「異なった総和を出すような交換の期待値の計算方法」
>そのものが存在することを示さねばならないでしょう。

「計算方法」ではないな
「交換により異なった総和を出すような級数」が
「絶対収束しない級数」だといっている。

これで数学としては終わり。Q.E.D.

>> なぜ、ある特定の計算方法に固執するのか?
>> 「自分の計算方法だけが正しい」という、φ氏の主張が間違ってる。

>期待値が発散する場合には計算方法が重要になる
>と言ったのはモンテカルロさんの方です。

そんなことはいってないな。

計算方法によって値が変わりますよ、といったまで。
その発言は、ある特定の計算方法が、他よりも重要である
という意味とは全く異なる。

>ともあれ、一度「できる」といった以上、
>その後始末を付けてくださいということですよ。

一度も云っていない以上、始末をつけるのは
勝手に誤解したφ氏。私ではない。

まあ、わびの言葉なんて聞いてもツマラナイので
別にわざわざ口にしなくてもよい。

φ氏が黙りさえすれば
「ああ、バツがわるいんだな」
とおもうばかり。


おかめ石は目が悪いのか 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月12日(月)20時00分15秒

> No.3172[元記事へ]

おかめ石さんへのお返事です。

> http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3161 (9月10日(土)08時47分)
>
> この式は、(0.5, _), (1,_), (2^1, _), ・・・, (2^(n-1), _), (2^n, _)のそれぞれ左に確率を掛けていくのに、
> まず(0.5)+(1+・・・+2^(n-1))+(2^n)の3つの部分に大きく分割して、それぞれに、等しい確率1/2*(n+1)、つまり'全項数×2'の逆数を掛けたものですね。

違いますよ。

0.5/2*(n+1)+(1+・・・+2^(n-1))/(n+1)+2^n/(2*(n+1))
で真ん中の部分に掛けているのは1/(n+1)。
どこにも2などない。

目が悪いのか、それとも・・・


Re: モンテカルロさんへ2 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月12日(月)19時51分12秒

> No.3173[元記事へ]

おかめ石さんへのお返事です。

>> 例えば(a,b)の金額の配列を
>> (1,2)
>> (2,1)
>> (2、4)
>> (4,2)
>> ・・・
>> としていけばよい。
>> 総和が共通のものだけみれば、交換でaに得失なし
>> aの額が共通のものだけみれば、交換でaに利益
>> bの額が共通のものだけみれば、交換でaに損失
>> となります。

>これは、――

>(a,b)  総和が共通のもの
>(1,2) …1+2=3
> ↓ ↓交換
>(2,1) …2+1=3
> ↓ ↓得失
>(+1)+(-1)=±0 交換でaに得失なし

>(a,b)  aの額が共通のもの
>(2,1) …(2,_)
> ↓ ↓交換
>(2,4) …(2,_)
> ↓ ↓得失
>(±0)+(+3)=+3 交換でaに利益

>(a,b)  bの額が共通のもの
>(1,2) …(_,2)
> ↓ ↓交換
>(4,2) …(_,2)
> ↓ ↓得失
>(-3)+(±0)=-3 交換でaに損失

>――というような事ですね。

全く違う。

正しくは以下の通り。

★(a,b)  総和が共通の場合

(1,2) …1+2=3
 ↓   交換
(2,1) …2+1=3
 ↓   得失
(+1)
の確率が1/2

(2,1) …1+2=3
 ↓   交換
(1,2) …2+1=3
 ↓   得失
(-1)
の確率が1/2

1/2*1+1/2*(-1)=0 交換でaに得失なし

★(a,b)  aの額が共通のもの

(2,1) …(2,_)
 ↓   交換
(1,2) …(_,2)
 ↓   得失
(-1)
の確率が1/2

(2,4) …(2,_)
 ↓   交換
(4,2) …(_,2)
 ↓   得失
(+2)
の確率が1/2

1/2*(-1)+1/2*(+2)=1 交換でaに利益

★(a,b)  bの額が共通のもの

(1,2) …(_,2)
 ↓   交換
(2,1) …(2, _)
 ↓   得失
(+1)
の確率が1/2

(4,2) …(_,2)
 ↓   交換
(2,4) …(_,2)
 ↓   得失
(-2)
の確率が1/2

1/2*(+1)+1/2*(-2)=-1 交換でaに損失

つまり

>ところが、です。
>「aの額が共通のもの」では、最初に(2,4)を選んでいて、
>交換で(2,1)に成る方向の可能性も全く同等に有る訳です。
>つまり、
>(a,b)  aの額が共通のもの
>(2,4) …(2,_)
> ↓ ↓交換
>(2,1) …(2,_)
> ↓ ↓得失
>(±0)+(-3)=-3 交換でaに損失
>このように、+3に成る可能性と同時に-3に成る可能性も、実は同等に有る訳です。
>これでは「交換でaに利益」があるとは言えませんね。
>~モンテカルロさんはこの可能性を落していませんか。~

という言いがかりは全く見当違いである。

「aの額が共通のもの」では(2,1)も(2,4)も同様に考えている。
そもそも(2,1)を交換しても(1,2)になるのであって(2,4)にはならない。
つまり、おかめ石氏の「交換」は、間違ってる。

したがって

>他の場合も同様です。
>つまり、3つの場合のどれであっても得失は相殺されるのです。

という主張は、交換でないものを交換としたが故の誤り。


Re: モンテカルロさんへ1 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月12日(月)19時49分6秒

> No.3172[元記事へ]

おかめ石さんへのお返事です。

>>>「ペアの中の一つの封筒を選ぶ」時の排反性をどこに見てるのか、
>>>「ペア」か、それとも「(一方の)封筒」かという点を
>>>ハッキリさせたかったという事です。

>> 封筒の種類は、ペアの種類と同数ではない。
>> 前者は、後者より1個多い。

>封筒に注目、という事でいいですか?

ああ、はじめのおかめ石氏の言葉の使い方が間違ってる。
「封筒」ではなく「金額」が正しい。

>ペア3種類に封筒4種類ですか?
>どういった封筒?――よく分からない説明ですね。

封筒を金額に置き換えればよく分かるだろう。

>>> モンテカルロさんの方法では、「2封筒に同額入れます」
>>> という設定ではどう成りますか。判断できますか。

>> この場合そもそも交換の有無は何の金額的変化をもたらさないから0

>「0(である)」の主語は期待値?

それ以外ない。

関係ない話題だけど 投稿者:シリカゲル 投稿日:2011年 9月12日(月)15時57分9秒

輪廻転生完全版

生より死が優れる:馬鹿は死ななきゃ治らない
  例)自然宗教(1)
選択的に生より死が優れる:虎は死して皮を残し人は死して名を残す
 名を言葉ととらえる
  例)キリスト教
 名を血統ととらえる
  例)儒教
 名を精神ととらえる
  例)輪廻転生(動物転生無し)
生より死が劣る:死人に口無し
  例)無神論
生と死が等価である:馬鹿は死んでも治らない
  例)自然宗教(2)
選択的だが生と死が等価である:虎は死して名を残し人は死して名を残す?
 名を精神ととらえる
  例)輪廻転生(動物転生有り)
 名を知識ととらえる
  例)不可知論
 名をDNAととらえる
  例)科学的思考
※ 自然宗教(1):死を超自然的なものとして崇めるもの
※ 自然宗教(2):死後の世界が山の向こう、海の向こうといった連続性のあるもの
http://sirikageru.seesaa.net/archives/20110820-1.html


Re: 無限ホテル 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月12日(月)02時05分20秒

> No.3170[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

レスが集中してすみません。
 (まあ私もずっと似たような状態にいたわけで)

 私の今回のは(今回のも)モンテカルロさんへのきわめて原理的な批判ですから、
 テクニカルなおかめ石さんのコメントへの応対をどうぞ優先してください。

>
> 自分が
> 「A円を見た場合」
> として一くくりにされるものが、相手にとってば
> 「A/2円を見た場合」と「2A円を見た場合」
> の2つに分かれているのだから、
> 「自分と相手は全く同一条件」
> というナイーブな前提は全く誤っていることがわかる。
>

 ↑金額を見るやいなや非対称になると強調してきた私が、「全く同一条件」なんてこと言いましたっけ?
 そういうナイーブなことを言ってるのは、むしろチャルマーズですよ。

 モンテカルロさんは、御自分の説の正否を確認するためにも、まず自説と同じと認識されるチャルマーズ論文を吟味したらいかがでしょう? おかめ石さんがリンクを付けてくれてましたから。

 さて、本題に入りますが、

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3127
>
> むやみな一般化は、φ氏のごとき
> 「数学は高校卒業で終わった一般人」には
> 到底理解不能に違いないので、まず以下の確率分布
> に限定するとしよう。
> ……
> (上記の性質は、実は一般の確率分布で成り立つのだが
>  いきなりこの話をしてもどうせ理解できないだろうから
>  例示するために、上記の確率分布を設定してみせた。)
>
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3143
φ>
φ> >期待値を発散させる確率分布はもっといろんな(キレイでない)ものがあるでしょうから、
φ> >「もともとの期待値が発散する確率分布では必ず交換の期待値が発散する」
φ> >というのは簡単に示せるとは思えない、ましてや自明とは思えないわけです。
φ>
> 数学は高校で終わった人には、自明じゃないでしょう。
>

 ↑このように、
「もともとの期待値が発散する確率分布では必ず交換の期待値が発散する」と保証したのはモンテカルロさんなんですよ。
 しかも、モンテカルロさんが保証するならこの件はクリアしたことにして先へ進みましょう、と私がhttp://8044.teacup.com/miurat/bbs/3142で言ったのに、「保証できるのはやっぱり逆命題だけだった」などと前言撤回して話を差し戻したのはモンテカルロさん自身です。
 何をやってるんだか。
 ちゃんと論理的な収拾を付けてくれないと困りますね。

>
> > 「もともとの期待値が発散する任意の確率分布について、
> > 交換の期待値の得が発散するという計算、しかも統一的な一般式を示せ」
>
> 上記は説明として全く必要ない。
>
> 問われているのは、
>
> 「なぜ、交換の期待値の計算の総和が計算方法によって異なるのか?」
> であり、解答としての説明は
>
> 「上記の状況では、そもそも元々の期待値が発散しているから」
>
> で十分である。
>

 十分ではありません。
 「もともとの期待値が発散する確率分布では必ず交換の期待値が発散する」の証明が必要です。
 問われているのは、「なぜ、交換の期待値の計算の総和が計算方法によって異なるのか?」などというつまらないことではなく(無限に関しては反直観的ないろんなことができるというのは「無限ホテル」などで周知ですから)、「異なった総和を出すような交換の期待値の計算方法は、それぞれが同等の権利を主張できるのか(従って結果として期待値変化は無意味だと判定してよいのか)?」です。
 それぞれが正しいと言えるためには、まず、「異なった総和を出すような交換の期待値の計算方法」そのものが存在することを示さねばならないでしょう。
 かつ、どの計算方法も、胴元の任意な封筒選択の確率分布において成り立つようなものでなければなりません。

>
> >  交換による期待値の変化ゼロ、という計算の統一性・汎用性に匹敵する計算
>
> なぜ、ある特定の計算方法に固執するのか?
> 「自分の計算方法だけが正しい」という、φ氏の主張が間違ってる。
>

 期待値が発散する場合には計算方法が重要になると言ったのはモンテカルロさんの方です。
 封筒の交換を意味しないような恣意的な計算によって、交換の期待値を発散させることができたとしても、「もともとの期待値が発散する確率分布では必ず交換の期待値が発散する」の保証にはならないでしょう。(これについては後述)

 ともあれ、一度「できる」といった以上、その後始末を付けてくださいということですよ。

 モンテカルロさんがいつまでも取りかからないので、私がほんの取っかかりを描いときます。

 2封筒問題のペアを次のようなものとして、
(2,4)(4,8)(8,16)(16,32)……

交換してどれほどの期待値変化があるかを考えます。
 胴元によってペア(2^x,2^(x+1))が選ばれる確率をg(x)とする。
ただしg(x)は、交換せずともプレイヤーがもともと得る金額の期待値を発散させるような確率分布であれば、xのどんな関数でもよい(胴元の意思や手順は不明なので)。

 まず、交換の期待値変化を意味する自然な計算として、
g(1)((2-2)/2)+g(2)((4-4)/2)+g(3)((8-8)/2)+……=0  (交換による損得ナシ)

 次に、交換による期待値変化が発散するという計算は?
 任意のg(x)について「交換による期待値変化の発散」が示せなければ、任意のg(x)について成立する計算が採択され、交換による期待値変化=0 とする他はない。
よって、
g(x)を用いた一般的な式を示し、
それが実際に発散することを示さねばならない。

 ↑この要求をクリアすることは、モンテカルロさんの「上限がないときは交換による期待値変化はゼロではなく、交換による期待値変化を論ずるのは無意味」という説を維持するには必須である。
 それを前々からお願いしているだけなのですが?



ここを肯定的にクリアしない限り、モンテカルロさんは先へ進めないはずです。
 よろしくお願いします。


 さて、
 おかめ石さんが提示したケース(「2封筒に同額入れます」という設定ではどう成りますか)は、なかなか興味深く、「暇つぶし」と片づけるモンテカルロさんのセンスが疑われます。
 とにかくそれなりの計算をやってみるべきでしょう。

 たとえば、
 2封筒のペアを次のようなものとし、
 (4,4)(16,16)(64,64)……(2^(2n),2^(2n))……
    (2^(2k),2^(2k)) が提示される確率は 1/2^kとする。
 太郎と次郎は相談して同じ封筒を選び、金額を見たあとで、太郎は封筒を交換し、次郎は交換しない。

 おかめ石さんが言うように、このゲームでの交換による期待値変化がゼロであることは自明です。モンテカルロさんもそれは認めましたね。
 ところが、おっしゃるような「無限ホテル」の要領で計算してみると、
 交換したときの期待値を 2+4+8+16+……
 もともとの期待値を   0+2+4+8+16+…… と考えれば、
 (2-0)+(4-2)+(8-4)+……=∞
 あるいはもともとの期待値を   1+1+4+8+16+…… と考えれば、
 (2-1)+(4-1)+(8-4)+……=∞

 こうやって、交換による期待値変化(太郎と次郎にとっての期待値の差)を無限大にできますね。
 もちろんマイナス無限大にもできるし。
 すると、モンテカルロさん流に言えば、このゲームでの交換による期待値変化を論ずることは、無意味であるはずです。
 「上限がないときは交換による期待値変化はゼロではなく、交換による期待値変化を論ずるのは無意味」というモンテカルロ説に整合して、めでたしめでたしです。
 ところが、「この場合そもそも交換の有無は何の金額的変化をもたらさないから0」というモンテカルロさん自身の言明とは矛盾しています。
 モンテカルロさんが矛盾に陥っていることが確認できました。

 もちろん、モンテカルロさんは、
 (2-0)+(4-2)+……=∞ や (2-1)+(4-1)+……=∞
のたぐいは「インチキな計算だ」と言いたいでしょう。

 しかし何故にインチキ?

 そう、それらの計算は「交換の期待値変化」を「説明する」計算だとは認められないから、でしょう?
 たしかに、これらアドホックな計算が「交換したときの期待値変化」を説明しているとは思えません。
 だからこそ、私は求めてきたのですよ。
 単に「もともとの期待値が発散する確率分布では必ず交換の期待値が発散する」を示すだけでなく、「説明」として通用するような統一的な一般式によって示せ、と。

>
φ> >交換の期待値の得を発散させるような計算は、
φ> >確率分布ごと、または同種の確率分布群ごとに
φ> >あつらえねばならないアドホックな計算にすぎない
>
> そのことは何ら問題ではない。
>
> なぜなら、もともとの期待値が収束するような確率分布であれば、
> どう計算したって、値を変えることは不可能だから。
> (注:小切手の額はつねに非負とする)
>

 期待値が収束しない場合の「アドホックな計算」がモンテカルロさん自身を矛盾に追い込むことをいま見たばかりですね。

>
φ> > (アドホックな計算は)「説明」を兼ねることができません。
φ> >  すると、パラドクスの解決には役立ちません。
φ> >  パラドクスの解決は「説明」を含んでいなければならないからです。
>
> 計算は説明ではない。数学につまづくのは、計算が説明だと思い込むからだ。
> 残念ながら、計算と証明は全く別である。
>

 ↑こういう姿勢は学問的には(広義の哲学的には)ダメなんです。
 いかに正しい数学のテクであれ、論理を無視したらなんにもなりません。
 説明を兼ねられない計算もしばしば役立つことは私も認めますが、そういう計算はしばしば誤謬の源にもなります。とくにパラドクス的状況の把捉法としては空虚であり、屁理屈の道具になりがちなことは、(2-1)+(4-1)+……=∞ で見たとおり。
 とくに、対称性を非対称にのみ扱う計算は、「全体的証拠の原理」に反しており、説明としては無価値です。
 前に述べたとおり、2封筒問題の多数試行で、途中から「交換戦略」を「非交換戦略」に変更したからといって、将来の損得の見込み(すなわち期待値)を変化させるような何事も想像できようがないのです。

 というわけで、さあそろそろ、
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3148および
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3123 にまともに答えてくださいな。
 この基本線について答えずにいる限り、枝葉末節で何を発言されてもムダです。(むろん、どんな発言にもそのつどなるべくお相手させていただきますが)


Re: アドホックな理論 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月12日(月)01時39分44秒

> No.3166[元記事へ]

TTTさんへのお返事です。

>
> で、何故「(1回でも多数回でも)交換だと期待値が+25%」という反直観的な事が導かれたかというと
> φさんは、一方の封筒を開けると期待値は
> 「設定S」
> >  C ペアからプレイヤーに選ばせるのではなく、まず特定の金額を提示して、
> >  「この金額をとるか、それとも、これの2倍か半分かをコイン投げで得るという方がいいか」を選ばせる、
> >  というゲームで、コイン投げを選んだ場合の期待値。
>
> と同じになるという不自然な仮定しているから、と説明できます。
> 複数回の時はこれが不自然であるのと同様に、1回限りや1回毎で考えてもこの仮定はやはり不自然です。
>

 ↑金額を見た場合(http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3159で私がBと名づけたゲーム)と設定S(Cと名づけたゲーム)とが同じ?
 全然私の立場ではありませんが。
 それを言っているのはモンテカルロさんですよ。
 (チャルマーズもその気味があります)
 TTTさんはまず、モンテカルロさんの考え(あるいはチャルマーズの考え)を叩いた方が話が早い(有意義な議論ができる)のでは?

>
> 「1回毎での交換する場合の期待値は、交換しない場合の期待値と比べて+α%以上(α>0)になったり
>  全ての回のそれぞれで交換の期待値が+α%以上ならば、試行全体でも交換の期待値が+α%以上」
> となることや
> 「どんな金額を確認したとしても交換の期待値(存在する)が+α%以上になる(故に複数回全体でも交換の期待値が+α%以上)」
> ことがあるという真のパラドクシカルな状況の説明や
> 確認後の期待値として、交換する場合としない場合の期待値とを比べて大きい方を選ぶという戦略
> が有効である(金額の合計の期待値に差がある)場合の説明を、φさんは放棄しています。
>



設定S以外には、複数回設定で交換が得になる状況などありません。
 そして設定Sは、2封筒問題ではありません。
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3159で私がB2と名づけた状況が唯一パラドクシカルな状況ですが、B2は、封筒内に見出した金額を事後的に「必然的」と考えるがゆえに(決定論的立場と言えるでしょう)、通常の多数試行でシミュレーションできません。
 B1も、現象としてはB2と区別がつかないがゆえに、パラドクシカルです。(反実仮想の詳細な分析が必要になります)
 ここを深く考えるのが、真の2封筒問題の解決につながるはずで、
 多数試行で本当に交換が得になる場合があるとか、交換による期待値変化を論ずるのは無意味だとか、期待値が発散する場合には交換による一見矛盾した期待値変化はともに認められてよいとか(←最後のはチャルマーズ)、そんなことを言っている段階では2封筒問題はさっぱり解けないでしょう。

 2封筒問題の本質は、あくまで唯一設定にこそあります。(Aのような多数試行でシミュレーションできる唯一設定ではなく、Bのようなシミュレーション不可能な(正常な多数試行に対応しない)非対称的状況について、合理的説明が求められている)

 2封筒問題は、もともと、ただ1回の試行が問題化されていることを忘れてはなりません。
 「唯一試行の期待値は、多数試行で定義できるはずなのに、それができないorしがたい唯一試行がある」ところに2封筒問題後半の本質があります。(2封筒問題前半の本質は「定項のパラドクス」ですが、これは「全体的証拠の原理」でおおかた対処できると思われます)
 したがって、2封筒問題が多数試行についての問題であるかのような前提で記された以下のコメントは的外れでしょう。
 ↓

>
> ゲームのルールには「両方の封筒を開けた(両金額を知った)時点で1回の試行(またはゲーム)の終了とする」
> なんてものはなかった(つまり未確認の方の金額を、未確認のままで次の試行に移っても良い)し、なんなら
> 「全ての試行(ゲーム)が終わるまで、未確認の方の封筒を開けてはならない(金額を知っている人に訊くのも駄目)」
> 等のルールを付け加えた別のゲームを考えることもできるので
>
> > 「自分の封筒内金額だけを見て、その後交換して、新たな封筒内金額も確かめた結果、わかった状態」
> >   ←これが多数試行の中の個々の試行です。
> などという一般性のない定義は有害無益。
> > 「自分の封筒内だけを見て、むこうは見ていない状態」
> と
> > 「自分の封筒内金額だけを見て、その後交換して、新たな封筒内金額も確かめた結果、わかった状態」
> を区別して、両方(そして他の色々な状態も)扱えば良いだけです。
>

 ともあれ、TTTさんが2封筒問題のどこにパラドクスの本質があると考えているのかが不明なので、いまいち御発言が散漫な印象です。(いや、重宝ではありますよ、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3167なども。ありがとうございます)
 TTTさんは、2封筒問題に未解決のパラドクスはあると思っているのですか、それとも何も不可解なところはないと思っているのでしょうか?


モンテカルロさんへ2 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 9月11日(日)23時43分8秒

モンテカルロさんへのコメントです。

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3028 (8月17日(水)15時36分)

> 例えば(a,b)の金額の配列を
> (1,2)
> (2,1)
> (2、4)
> (4,2)
> ・・・
> としていけばよい。
> 総和が共通のものだけみれば、交換でaに得失なし
> aの額が共通のものだけみれば、交換でaに利益
> bの額が共通のものだけみれば、交換でaに損失
> となります。

これは、――

(a,b)  総和が共通のもの
(1,2) …1+2=3
 ↓ ↓交換
(2,1) …2+1=3
 ↓ ↓得失
(+1)+(-1)=±0 交換でaに得失なし

(a,b)  aの額が共通のもの
(2,1) …(2,_)
 ↓ ↓交換
(2,4) …(2,_)
 ↓ ↓得失
(±0)+(+3)=+3 交換でaに利益

(a,b)  bの額が共通のもの
(1,2) …(_,2)
 ↓ ↓交換
(4,2) …(_,2)
 ↓ ↓得失
(-3)+(±0)=-3 交換でaに損失

――というような事ですね。

ところが、です。
「aの額が共通のもの」では、最初に(2,4)を選んでいて、交換で(2,1)に成る方向の可能性も全く同等に有る訳です。つまり、

(a,b)  aの額が共通のもの
(2,4) …(2,_)
 ↓ ↓交換
(2,1) …(2,_)
 ↓ ↓得失
(±0)+(-3)=-3 交換でaに損失

このように、+3に成る可能性と同時に-3に成る可能性も、実は同等に有る訳です。これでは「交換でaに利益」があるとは言えませんね。~モンテカルロさんはこの可能性を落していませんか。~

他の場合も同様です。
つまり、3つの場合のどれであっても得失は相殺されるのです。



モンテカルロさんへ1 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 9月11日(日)23時39分44秒

モンテカルロさんへのお返事です。

> >「ペアの中の一つの封筒を選ぶ」時の排反性をどこに見てるのか、
> >「ペア」か、それとも「(一方の)封筒」かという点を
> >ハッキリさせたかったという事です。
>
> 後者でも、3つではなく4つ。
>
> 封筒の種類は、ペアの種類と同数ではない。
> 前者は、後者より1個多い。

封筒に注目、という事でいいですか? ~後でこの事に又、触れます。~
ペア3種類に封筒4種類ですか? どういった封筒?――よく分からない説明ですね。できればもう少し詳しく。

> > モンテカルロさんの方法では、「2封筒に同額入れます」
> > という設定ではどう成りますか。判断できますか。
>
> この場合そもそも交換の有無は何の金額的変化をもたらさないから0

「0(である)」の主語は期待値?


******
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3161 (9月10日(土)08時47分)

期待値の計算式を検算しました。
0.5/2*(n+1)の2*(n+1)をカッコで囲んだ方が、(意図の通り)分母に付くのか、それとも分数と別なのか紛れが無くてよかったかも、という点を除いては、計算合っていました。
それで仰りたいのは、「元の結果と同じじゃないか」という事でしょうね。

ですが、ちょっと待ってください。
この式は、(0.5, _), (1,_), (2^1, _), ・・・, (2^(n-1), _), (2^n, _)のそれぞれ左に確率を掛けていくのに、
まず(0.5)+(1+・・・+2^(n-1))+(2^n)の3つの部分に大きく分割して、それぞれに、等しい確率1/2*(n+1)、つまり'全項数×2'の逆数を掛けたものですね。

で、この「×2」で、右封筒の2つの選択肢を顧慮してる事に成りますよね。(1, _)と言っても、結局はペア単位で排反事象を捉えてるという事に成りませんか。

ペア単位なら当然、左右両者の間の比例関係も顧慮すべきでしょう。
2封筒問題の選択期待値の一意的に定まらない発散級数を検討の第一候補から外し、まず設問に唯一明確に示されている数値、つまり◆比例定数2◆を最重要の手掛かりにして考えを推し進めて行くのが筋だと思いますけどね。



意味不明 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月11日(日)14時34分20秒

タップ君さんへのお返事です。

> 一方の封筒を確認(選択)してしまうと他方の値は決定されてしまい、
> 正確な期待値は求められなくなるのにね

意味不明。独立でなければ正確でない?

> 下記のアドレスにも封筒問題の解決策の一つが記されています。
>
> http://www2.hamajima.co.jp/~mathenet/wiki/index.php?%5B%5B%A4%A4%A4%AF%A4%E9%A4%E2%A4%E9%A4%A8%A4%EB%A1%A9%A1%A1%A1%DD%A1%A1%B3%CE%CE%A8%A4%F2%B2%F2%BC%E1%A4%B9%A4%EB%5D%5D(←URLが長すぎて、ブラウザによっては横幅がおかしくなるなど、正しく表示できないので、コピー&ペーストで閲覧してください!)

何の解決もされていないがw

まず、云っておこう。

推定問題という逃げ道は、真っ先にφ氏が塞いでしまった。

つまり、
「二封筒問題は一様分布もしくは交換により利益が出る確率分布で考える」
と宣言してしまった。

φ氏の目的は、パラドックスを抹殺することだから、当然そうなるわなw

で、これに対して私は以下のことを指摘した。

「上記の確率分布では、そもそも期待値が求まりませんが」

ところで、2封筒問題で、素人を狂わせる原因の一つとして
「自分と相手の対称性」がある。
対称だから、無限回試行した場合の結果も、"常に"対称であるはずで
そのような結果は、損得ナシしかない、と。

残念だが、誰もそんなことは保証していない。

パラドックスが起きる状況下では、
どんどん損得の振れ幅が増大してしまうから
損得がある額に落ち着くなんてことは到底期待できない。
つまり、対称性は、最終結果を拘束するものではない。


無限ホテル 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月11日(日)13時57分46秒

> No.3157[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  一般の多数試行を人為的に仕切り直して、
> 自分の手もとに来る金額を固定したゲームの総和
> として解釈できれば、一般の多数試行においても
> 交換による期待値の変動を25%増にできるでしょう。
> つまり、こちらが2の34乗円であるすべての場合を列記すれば、
> 向こう側には2の33乗円と2の35乗円が(主観的には)
> 半々で現われてくるはずです。
(中略)
> その解釈がもし許されるなら、唯一試行の封筒内を見ない設定でも
> 交換の期待値25%増と考えることが許されてしまいます。
> これは常識に反するとともに、説明原理としての「全体的証拠の原理」
>(『論理パラドクシカ』問016およびp.49)に違反します。

それじゃ、φ氏が勝手に立てた原理が間違ってるんでしょうw

「無限ホテル」って知ってますか?無限個の部屋があるホテル。

無限ホテルでは、満杯の状態でも、お客を今いる部屋から
2倍の番号の部屋に移動させるだけで、無限個の部屋を
あけることができる、という非常識なことができてしまいます。

つまり期待値が無限の場合には、倍率など何の意味もないのです。


Re: おかめ石氏へ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月11日(日)08時52分35秒

おかめ石さんへのお返事です。

> http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3161
> > おかめ石氏の考え方では
> > ・排反事象は(0.5,_)、(1,_)、(2,_)、(4,_)の4個

>「ペアの中の一つの封筒を選ぶ」時の排反性をどこに見てるのか、
>「ペア」か、それとも「(一方の)封筒」かという点を
>ハッキリさせたかったという事です。

後者でも、3つではなく4つ。

封筒の種類は、ペアの種類と同数ではない。
前者は、後者より1個多い。
植木算かどうかは知らないが。

> > 私の主張、つまり
> > 「期待値を示す無限級数が発散する場合には>  比率で損得の割合は判断できない」
>
> モンテカルロさんの方法では、「2封筒に同額入れます」
> という設定ではどう成りますか。判断できますか。

この場合そもそも交換の有無は何の金額的変化をもたらさないから0

> 発散して期待値が定まらなくても、この場合、
> 損得の無い事は自明に思われるのですけど。

2封筒に異なる額が入ってる場合には何の影響もない。

つまり、上記のおかめ石氏の発言は、単なる暇つぶしであった。





Re: おかめ石氏へ 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 9月11日(日)00時05分41秒

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3161
モンテカルロさんへのお返事です。

> >6パタンが排反事象という理解だと思いますが、
> >疑問なのは、(1,0.5)と(1,2)の2事象で、
> >左が(1, ),(1, )と両方1に成りますよね。
> >これは、「ペアの中の一つの封筒を選ぶ場合」の
> >排反事象と言えるのでしょうか。

> おかめ石氏の考え方では
> ・排反事象は(0.5,_)、(1,_)、(2,_)、(4,_)の4個

「6パタンが排反事象という理解だと思います」と書いてあるようにモンテカルロさんは6個だとしていると思いますよ。その上で「ペアの中の一つの封筒を選ぶ」時の排反性をどこに見てるのか、「ペア」か、それとも「(一方の)封筒」かという点をハッキリさせたかったという事です。

> 「期待値を示す無限級数が発散する場合には>  期待値は求まらない」> である。
> 絶対収束する無限級数による期待値の計算を否定してはいない。

> 私の主張、つまり
> 「期待値を示す無限級数が発散する場合には>  比率で損得の割合は判断できない」

モンテカルロさんの方法では、「2封筒に同額入れます」という設定ではどう成りますか。判断できますか。
発散して期待値が定まらなくても、この場合、損得の無い事は自明に思われるのですけど。




アドホックでない理論 投稿者:TTT 投稿日:2011年 9月10日(土)23時35分31秒

> No.3157[元記事へ]

φさんへのお返事です。

数学的には、試行というのは確率変数と確率分布で表現されます。

封筒問題の場合
1回(1回限り or 1回ごと)の試行では2つの封筒の金額(確率的に決まる値)があるので、
それぞれの金額を表す2つの確率変数(X,Y)を考えて
(例えば、プレイヤーから見て自分の(自分が最初に受け取る)封筒の金額はX,他方(交換後)の金額をYとする)
その2つの確率変数に対する、1つの確率分布(同時分布)を考えます
(http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3156の場合は4つの確率変数を考えればよい)。
具体的な確率分布が既知な場合は、それをそのまま仮定すれば良いですが
具体的な確率分布が未知の場合でも、分布の既知の特徴(例えば金額比X:Yが1:2か2:1であること)は考慮できます。
また、未知な部分は(取りあえずは)未知のままで扱います。

 「未知なら一様」という主義はアドホックで非数学的だし、
 例えその主義に従うとしても、未知と遭遇する度に無差別原理を適応するという無計画(行き当たりばったり)な態度
 は駄目です(何度も言ったように、複数のことに無差別原理を適応すると矛盾することがあるから)。
 無差別原理を用いたいなら使い処をよく考えて、実質1度だけ適用すればよい(複数回適用しても矛盾しないのは特定の条件下のみ)
 ので"未知な部分"の整理が終わるまで(どんな事が無知であるのか把握するまで)、無差別原理の適用は保留にします。
 (有意義なものを前提とすべし、というのが基本方針でしたから)

そしてここでまず考えるべき(基準にすべき)確率分布は、封筒を開ける前における分布(封筒を準備する段階の分布)です。
封筒を開ける前の状況というものが確かにあり、後々この状況における判断(期待値)を論ずる為にはこの分布が必要です。

 「ゲームが始まった時点で封筒に入った金額(組)は既に決定している」等の反発は主観確率的にナンセンスです。
 既に投げられ面が決定した硬貨や賽の確率を論じることができるのと同様に、決定した金額(組)の確率も扱えます。

 また、他の(事後の)状況の事後分布は、封筒を開ける前の分布(事前分布)と独立ではなく、(封筒を開ける前の分布に)従属します。
 例えば一方の金額のみ確認する状況(の事後分布)で考えると
 事前分布 と 確認した金額 (この2つのみ)に依存して事後分布は決定します(つまり、この2つを知れば事後分布がわかる)が
 事後分布 と 確認した金額 から事前分布を知ることはできません。
 事後分布に関して無差別原理の適用して一様分布とすることは基本方針に反します。
 (全ての事後分布に依存して事前分布を決めることもできますが、全ての事後分布をそれぞれ一様分布とすると矛盾します)



数学的には色々な期待値を考えることができて、何の期待値であるかは確率変数で表現されます。

例えば、自分の(自分が最初に受け取る/確認する)封筒の金額はX,他方(交換後)の金額をYとしたので
自分の封筒の金額の期待値は、Xの期待値
他方の金額と自分の金額の差の期待値は、(Y-X)の期待値
等と表せ、同様にして
もう一つの差 (X-Y)、和 (X+Y)、相加平均(X+Y)/2、積 XY、相乗平均√(XY)
自分の額と他方の額の比率Y/X、 他方の額と自分の額の比率X/Y、 自分の金額の効用 log(X)
のそれぞれの期待値を考えることができます。
一般に、XとYのみから決まる値g(X,Y)の期待値を考えることができます(gは2変数関数)。

 ただし、期待値は、期待値を求める級数(総和)が絶対収束する場合しか存在しません。
 特に、級数の項の並び替えや括弧の付け替えにより異なる値に収束する(または発散する)ときは
 条件収束であって、絶対収束ではないので期待値は存在しません。

 一般に
 自分の金額の効用の期待値 と 自分の金額期待値の効用
 金額の積XYの期待値 と Xの期待値とYの期待値の積
 等はそれぞれ異なる値になります


数学的には、(それぞれの期待値に関して)色々な状況を考えることができます。

例えば、
封筒を開ける前における期待値
自分の封筒の金額の額Xが明らかになった時の期待値(自分の封筒の金額だけ確認した時の期待値)
他方の封筒の金額の額Yが明らかになった時の期待値
自分の金額と他方の金額の組{X,Y}が明らかになった時の期待値
自分の金額と他方の金額の大小(X>Y or X<Y)が明らかになった時の期待値
自分の金額の額と他方の金額の額の両方X,Yが明らかになった時の期待値(両方の金額を開けた時の期待値)

を考えることができて、それぞれの状況は一般には2変数関数を用いて表すことができます。
「それぞれの状況における期待値」の期待値(確率平均)は、(存在すれば)「封筒を開ける前における期待値」と一致します。



複数回の試行でも同様に表現できます。

n回の試行全体は、
X1, ・・・ ,Xn,Y1, ・・・ ,Yn の2n個の確率変数と、それらが従う1つの確率分布(同時分布)
で表現できます(i回目の試行における、自分が最初に受け取る封筒の金額をXi,他方(交換後)の金額をYiとする)。

様々な期待値を考えることができて
X1, ・・・ ,Xnの相加平均(これをXとおく、Yも同様に定義)の期待値
X1, ・・・ ,Xnの相乗平均の期待値
X1, ・・・ ,Xnの合計(総和)nXの期待値
合計金額の差 nY-nX の期待値
差の平均Y-X の期待値
XとYの比率 Y/X の期待値
YとXの比率 X/Y の期待値

一般には X1, ・・・ ,Xn,Y1, ・・・ ,Ynにより定まる値(2n変数関数を用いて表せる)の期待値
を考えることができます。

また、様々な状況を考えることができて
全ての封筒を開ける前における期待値
各試行における自分の封筒の金額の額Xiが明らかになった時の期待値(自分の封筒の金額だけ確認した時の期待値)
各試行における自分の金額と他方の金額の組{Xi,Yi}が明らかになった時の期待値
各試行における自分の金額と他方の金額の大小(Xi>Yi or Xi<Yi)が明らかになった時の期待値
各試行における自分の金額の額と他方の金額の額の両方Xi,Yiが明らかになった時の期待値(両方の金額を開けた時の期待値)
自分の封筒の額の相加平均Xが明らかになった時の期待値(個々の金額は知らないが、平均は知っている時の期待値)

を考えることができ、それぞれの状況は一般には2n変数関数を用いて表すことができます。
「それぞれの状況における期待値」の期待値(確率平均)は、(存在すれば)「全ての封筒を開ける前における期待値」と一致します。


>  ↑これは意味がわかりません。
>  e1でもe2でもe3でもなく、つまり「他方の金額の期待値」ではなく、「多数試行の期待値」について私は言っているのですが?

>  つまり、多数試行の期待値を考えるとき、その中の個々の試行というのは、
>  「自分の封筒内だけを見て、むこうは見ていない状態」のことではありません。
>  「自分の封筒内金額だけを見て、その後交換して、新たな封筒内金額も確かめた結果、わかった状態」
>   ←これが多数試行の中の個々の試行です。

>  私が言っているのは、多数試行そのものの期待値です。個々の試行の結果にその相対頻度を掛けて、足し合わせたものです。


複数回の試行では、色々な状況下での様々な期待値がたくさんあるにも関わらず
φさんは「多数試行の期待値」なるものを

各試行における自分の金額の額と他方の金額の額の両方Xi,Yiが明らかになった時の
nXやXや(Y-X)の期待値(または、その期待値の期待値)

と恣意的に定義しています。
φさんは期待値の区別ができていないので、色々な状況下での様々な期待値が存在する事が理解できず
「多数試行の期待値」なんてモノがあると思い込み、勝手な定義を与えているのでしょう。


> 1回ごとの期待値がすべて「交換で25%の得」ではあっても、百回全体では損得ナシとなるのである。

1回ごとの期待値として
自分の封筒の金額の額Xiが明らかになった時のXiの期待値とYiの期待値(の差の比率)を考えているのだから
百回全体の期待値としては
各試行における自分の封筒の金額の額Xiが明らかになった時のXの期待値とYの期待値(やnXの期待値とnYの期待値)(の差の比率)
を考えて、比較するのが自然です。そのように比較する場合、φさんの仮定では
各試行の交換の期待値が+25%ならば、試行全体の交換の期待値も+25%となります。

百回全体の期待値として、他の全然別物の期待値を考えて比較するなら
「各試行の交換の期待値が+25%でも、全体の期待値では+25%ではない」
となるのは矛盾でも不思議でもなんでもありません(実は、全然別の意味で期待値という語を用いていただけ)。
φさんはこのような不自然な比較をしただけで、自然な比較
「各試行の交換の期待値が+25%で、試行全体の交換の期待値も+25%」の説明は放棄しています。


両方の封筒を開けて結果が明らかになった場合の、確率平均を考えるということは
両方の封筒が未開封の場合を考えるのと同じなので

> 多数回試行は封筒未開封バージョンと論理的に同型である
とは
「封筒未開封の多数回試行の場合しか考えないのなら、多数回試行は封筒未開封バージョンと論理的に同型である」
と言っているだけです。


で、何故「(1回でも多数回でも)交換だと期待値が+25%」という反直観的な事が導かれたかというと
φさんは、一方の封筒を開けると期待値は
「設定S」
>  C ペアからプレイヤーに選ばせるのではなく、まず特定の金額を提示して、
>  「この金額をとるか、それとも、これの2倍か半分かをコイン投げで得るという方がいいか」を選ばせる、
>  というゲームで、コイン投げを選んだ場合の期待値。

と同じになるという不自然な仮定しているから、と説明できます。
複数回の時はこれが不自然であるのと同様に、1回限りや1回毎で考えてもこの仮定はやはり不自然です。


自然な仮定(名目種で考える為の仮定として一般性である/自然種的に自然でなくてもよい)で、
一方の金額を確認した時の期待値に関する自然な比較
「1回毎での交換する場合の期待値は、交換しない場合の期待値と比べて+α%以上(α>0)になったり
 全ての回のそれぞれで交換の期待値が+α%以上ならば、試行全体でも交換の期待値が+α%以上」
となることや
「どんな金額を確認したとしても交換の期待値(存在する)が+α%以上になる(故に複数回全体でも交換の期待値が+α%以上)」
ことがあるという真のパラドクシカルな状況の説明や
確認後の期待値として、交換する場合としない場合の期待値とを比べて大きい方を選ぶという戦略
が有効である(金額の合計の期待値に差がある)場合の説明を、φさんは放棄しています。
(もっとも、φさんは独自の恣意的でアドホックな理論がそうである自覚がないので、放棄した自覚もないのでしょう)


ちなみに『論理パラドクシカ』では、
確率分布説(確率分布を用いて、事後分布は一様分布でないと主張する説)では「設定S」は説明できない
というようなことを言っていますが、適切な確率分布を考えれば当然、そのような場合も説明できます。

φさんは確率分布がよくわかっていないから、正しい確率分布を考えることもできないし
自身の説にも確率分布の概念が用いられているにも関わらず、自身が間違っていると思う主張に対して
「確率分布説」と名付けてしまうというセンスのないことをしてしまったのだと思います。



>  多数試行の期待値というのは、唯一試行の期待値を定義するためのもの、あるいはその定義に使えるものですよね。

>  換言すれば、多数試行の中の個々の試行というのは、両方の封筒内の金額がともにわかったものであり、
>  それらの結果の頻度によって、多数試行全体の期待値が定義され、唯一試行の期待値が定義されるわけです。

複数回試行の金額や差の平均 Yや(Y-X)は
nが大きくなるにつれて、1回ごと試行でのYiや(Yi-Xi)の期待値に収束する
という大数の法則のことが言いたい(その結果を流用したい)のでしょうが、大数の法則には
「各試行は同じ確率分布に従い、独立で、期待値が存在する」という前提条件があるので、これを満たす場合しか適用できません。

今はφさんの意向を尊重して、胴元の選択肢の母集団(事前確率分布)が試行ごとに異なるかもしれない場合
を考えているので、大数の法則は適用できません。
各試行の期待値は存在するが、各試行は同じ確率分布に従わない or 独立でない場合
Xや(Y-X)は収束しないこともあるし、収束したとしても
(各iに対する)Yiや(Yi-Xi)の期待値 のどれかと一致するとは限りません。


各試行が同じ事前確率分布に従い、独立とする場合

事前分布で、X1とY1の期待値が存在するならば、(Y1-X1)の期待値も存在して
複数回試行の金額や差の平均 Yや(Y-X)は Y1や(Y1-X1)の期待値に収束します。

また、確認した金額がGである試行<Xj,Yj>は全て同じ事後分布に従い独立で、事後分布の期待値Xj,Yjは存在するので
それらの試行の金額や差の平均 Yや(Y-X)は Yjや(Yj-Xj)の期待値に収束します。
事前分布で(Y-X)が0に収束したとしても、事後分布で(Y-X)が0以外に収束することもありえます。


アドホックな理論 投稿者:TTT 投稿日:2011年 9月10日(土)23時19分23秒

> No.3157[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  多数試行の期待値というのは、唯一試行の期待値を定義するためのもの、あるいはその定義に使えるものですよね。

やっぱり数学の話ではないんですね。
数学を無視したいなら、ちゃんと「ここでの期待値は、数学の定義とは全く関係ない、φさん独自の定義に依る」
等のことを断ってくれないと、(私だけでなく)φさん以外の人(特に数学学習経験者)には意味が通じません。
もっとも、2封筒問題に興味がある(解が知りたい、語りたい)人の殆どは
一般的な理論(数学の理論や主観確率の理論)による説明に興味があるのであって
φさん個人がどう思うか、φさんの(非数学的・反数学的な)独自理論がどう説明するかについては関心が低い or 無い
どうでもいいことです。そのことを念頭に置いておいた方がいいと思いますよ。


> ↑これは意味がわかりません。
>  e1でもe2でもe3でもなく、つまり「他方の金額の期待値」ではなく、「多数試行の期待値」について私は言っているのですが?

私が言った通り、φさんは各期待値を区別できないようです。
非数学的・反数学的な態度を取り続け、数学を勉強してない(する気もなさそう)にも関わらず
「意味がわからない」なんて、私に言われても困ります。
不真面目であることを諦めて真面目に数学を勉強するか、
非数学的・反数学的なφさんの論とは相容れないモノだから分からなくても仕方がないと割り切れば良い
くらいの助言しか思い浮かびません。


>  つまり、多数試行の期待値を考えるとき、その中の個々の試行というのは、
> 「自分の封筒内だけを見て、むこうは見ていない状態」のことではありません。
> 「自分の封筒内金額だけを見て、その後交換して、新たな封筒内金額も確かめた結果、わかった状態」
>   ←これが多数試行の中の個々の試行です。

これまた恣意的で不自然な定義。しかもその定義では(φさんの特殊論理ではどうかわかりませんが)
> 1回ごとの期待値がすべて「交換で25%の得」ではあっても、百回全体では損得ナシとなるのである。
との整合性が取れてません("1回ごと"は結果がわかった状態なので、交換は100%増か50%減のどちらか)。

ゲームのルールには「両方の封筒を開けた(両金額を知った)時点で1回の試行(またはゲーム)の終了とする」
なんてものはなかった(つまり未確認の方の金額を、未確認のままで次の試行に移っても良い)し、なんなら
「全ての試行(ゲーム)が終わるまで、未確認の方の封筒を開けてはならない(金額を知っている人に訊くのも駄目)」
等のルールを付け加えた別のゲームを考えることもできるので

> 「自分の封筒内金額だけを見て、その後交換して、新たな封筒内金額も確かめた結果、わかった状態」
>   ←これが多数試行の中の個々の試行です。
などという一般性のない定義は有害無益。
> 「自分の封筒内だけを見て、むこうは見ていない状態」

> 「自分の封筒内金額だけを見て、その後交換して、新たな封筒内金額も確かめた結果、わかった状態」
を区別して、両方(そして他の色々な状態も)扱えば良いだけです。


>  換言すれば、多数試行の中の個々の試行というのは、両方の封筒内の金額がともにわかったものであり、
>  それらの結果の頻度によって、多数試行全体の期待値が定義され、唯一試行の期待値が定義されるわけです。

「頻度」という言葉が出てきましたが、いつの間にか客観確率の話になっていたようです。
無知であるプレイヤーには客観的な「頻度」なんてものは分かりません。φさん専用理論では
プレイヤーには「多数試行全体の期待値」も「唯一試行の期待値」も知り得ないことになるはずです。


>  だからこそ、2のn乗円のすべての場合について金額ごとに揃えて総和をとる、
>  というやり方で一般の多数試行を再構成できるかどうかが疑問なわけです。
>  同頻度で現われることが客観的に保証されているのは2倍差のペアだけなので、アドホックでない仕方で
>  (ペアごとでなく金額ごとの)再構成ができるかどうかは自明ではないし(http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3123を参照)

金額の差の期待値で、モンテカルロさんの計算で「全体で0円」となり、φさんの計算の「全体で0円」と一致したのは
数学的には必然です(金額の差の期待値が存在する全ての確率分布で成立します)。
それを否定した(アドホックであると判断した)φさんの理論は非数学的・反数学的であること
φさんの論では、確率分布Cが客観的に(しかも一様であると)保証されている場合しか説明できないので一般性がないこと等から
(φさんの理論からではなく) 全体(もっと大きな括り)から見ると、φさんの理論はアドホックな理論ということになります。


Re: 現状の理解 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月10日(土)14時38分48秒

> No.3159[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  A ペアのうち一つを選び、封筒内を見ない場合の交換の期待値
>  B ペアのうち一つを選び、封筒内を見た場合の交換の期待値
>  C ペアからプレイヤーに選ばせるのではなく、まず特定の金額を提示して、
> 「この金額をとるか、それとも、これの2倍か半分かを
> コイン投げで得るという方がいいか」を選ばせる、というゲームで、
> コイン投げを選んだ場合の期待値。

> (中略)

>  ・・・モンテカルロさんがやっていた金額ごとの仕切り直し
>  1+(-1+2)+(-2+4)+(-4+8)+・・・
>   =1+1+2+4+・・・
>   =∞
>  という計算は、ゲームC の期待値計算に相当し、
>  意味論的に言っても、ゲームB の計算とするのは
>  見当違いであることが確認できます。
>  AとBはあくまでペアごとの選択、Cは金額ごとの選択。
> (胴元の選択の事前確率がペアを確率変数として分布しているのがAとB、
>  金額を確率変数として分布しているのがC)

φ氏の文章は、数学的には無意味。

金額を見た後、その金額毎に期待値を集計する、というのが私の計算。
したがって、Bの場合である。

そもそも、φが求める”一様分布”の場合には
BとCは数学的には異ならない。
また、私が想定した確率分布では、
Cにおいて、2倍か半分かの確率の
重み付けを変えればいいだけである。
この場合にもBとCは数学的に異ならない。

>  Cは、『論理パラドクシカ』p.48の「設定S」に相当します。
>  Cも、封筒内を見ずに選ぶのか見てから選ぶのかによって二通りありますが、
> その二つの間には、AとBの違いのような論理的違いは生じません。
>
>  それぞれ、交換による期待値変化は
>  A 損得ナシ
>  B(B1) さまざまな初期金額がありえたと考える場合 損得ナシ
>  B(B2) 見た金額が必然的だったかのように扱う場合 1/4の得
>  C 1/4の得
>
>  となりますが、・・・

φ氏がBとCが違うと考える理由は、相手の有無だけだろう。

ところで、Bの場合において、相手もまた封筒の中身を見たとしよう。

自分が
「A円を見た場合」
として一くくりにされるものが、相手にとってば
「A/2円を見た場合」と「2A円を見た場合」
の2つに分かれているのだから、
「自分と相手は全く同一条件」
というナイーブな前提は全く誤っていることがわかる。

φ氏はなぜ、この実に自明な違いに気付けないのであろうか?


φ氏へ Ⅲ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月10日(土)09時33分21秒

> No.3148[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> >
> >  (1-1)+(2-2)+(4-4)+・・・
> > =0+0+0+・・・
> > =0
> > が正解であって、
> >  1+(-1+2)+(-2+4)+(-4+8)+・・・
> > =1+1+2+4+・・・
> > =∞
> > は誤りだと断じる理由を聞きたいものです。
> >
>
>  逆に「(期待値(の変化)を論ずるのは)無意味」を採用する理由を聞きたいですね。
>  そもそも交換による期待値の変化ゼロ(つまり発散しない)とわかっているときに
>  わざわざ 1+(-1+2)+(-2+4)+(-4+8)+・・・ などという
>  発散する計算を出してきても何の役にも立たないので、
>  0+0+0+・・・=0 が正解に決まっている、というわけです。

φ氏の主張は
「交換による期待値の変化ゼロ(つまり発散しない)とわかっているから
 0+0+0+・・・=0 が正解に決まっている」
という同語反復である。

これに対する私の反論は
「現に、順序を変えただけで1+(-1+2)+(-2+4)+(-4+8)+・・・
 と発散するのだから、交換による期待値の変化がゼロだ、などとはいえない。
 そしてそのようなナイーブな直観を裏切ることが起きるのは、実は、
 期待値そのものが発散していて存在しないからである。」
というものである。

>  余談ですが、
>  数学者の間でも意見の分かれる問題がいくつかあるようですが、

そもそも、数学は「学界内不一致」など求められていないが。

例えば
1+2+4+8+・・・=1/(1-2)=-1
と主張する人がいる。

「ある場合」には、この主張は正しい。
このある場合とは、
1+x+x^2+・・・
という級数が、解析関数1/(1-x)の
断片であると認識する場合を指す。


φ氏へ Ⅱ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月10日(土)09時18分40秒

φさんへのお返事です。

>  あの頃、モンテカルロさんは
>「交換によって全体の期待値が増えるように見える
>http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3084
>と不可解なことを言っていたのです。
>  私にはいまだに見えませんが。

なぜ、自分が見た金額別に期待値を集計する計算を実行しないのでしょう
「交換によって全体の期待値が増えるように見える」とは、そういうことです。
小学生でもできる計算に目をつぶり「私には見えない」というのはみっともない。

>  未来について決定論を採ろうが非決定論を採ろうが、
> 主観確率の立場では期待値の変化はありえません。
>  つまり交換による期待値の変化(得失)はゼロです。
>
>  しかしそれをモンテカルロさんは
>  「期待値を論ずるのは無意味」
>(正確には、「期待値の変化を論ずるのは無意味」)
> と表現するわけですね。

数学では、級数が絶対収束しない場合には
計算順序を交換することで、いかなる数にも
収束させることができます。つまり、順序を
交換することで変化が生じます。

このような場合、そもそも
「計算順序に依存しない級数の値」
を考えることが無意味なのです。

>  前にも述べましたが、
>  上限アリの場合に「交換による期待値の変化はゼロ」と
> 紛れもなく言えるのであるから、上限ナシの場合も
> それに合わせられるかぎりは合わせるべきでしょう。

なぜ?そんな義務は全くありませんよ。

>  「無意味」などという選択肢は、よほどの理由がない限り
> 採用すべきではありません。

発散する無限級数において、加法順序の交換が成立しない
というのは、加法順序に依存しない級数の値を無意味とする
正当な理由となる。

>  現に「ゼロ」で辻褄が合っているのだから。

いつから、「辻褄が合う」という言葉は
「(φ氏の)ナイーブな感覚に合致する」
という意味になったのでしょうか?


φ氏へ Ⅰ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月10日(土)09時04分28秒

φさんへのお返事です。

> > 「交換の期待値の得が発散する状況では
> >  もともとの期待値が発散している」
>
>  ↑「説明」の要件として求められていたことは逆ですよ。

求めているのはφ氏のみ。そしてその要求が間違っている。

> 「もともとの期待値が発散する任意の確率分布について、
> 交換の期待値の得が発散するという計算、しかも統一的な一般式を示せ」

上記は説明として全く必要ない。

問われているのは、

「なぜ、交換の期待値の計算の総和が計算方法によって異なるのか?」
であり、解答としての説明は

「上記の状況では、そもそも元々の期待値が発散しているから」

で十分である。

>  交換による期待値の変化ゼロ、という計算の統一性・汎用性に匹敵する計算

なぜ、ある特定の計算方法に固執するのか?
「自分の計算方法だけが正しい」という、φ氏の主張が間違ってる。

>交換の期待値の得を発散させるような計算は、
>確率分布ごと、または同種の確率分布群ごとに
>あつらえねばならないアドホックな計算にすぎない

そのことは何ら問題ではない。

なぜなら、もともとの期待値が収束するような確率分布であれば、
どう計算したって、値を変えることは不可能だから。
(注:小切手の額はつねに非負とする)

> (アドホックな計算は)「説明」を兼ねることができません。
>  すると、パラドクスの解決には役立ちません。
>  パラドクスの解決は「説明」を含んでいなければならないからです。

計算は説明ではない。数学につまづくのは、計算が説明だと思い込むからだ。
残念ながら、計算と証明は全く別である。

>  ならば、モンテカルロさんは、私の
>http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3123
>にまだ一言も答えていないことになりますね。

答えでないものを答えだとするφ氏が間違っている。

>  答えられるようになった時点で、改めてお答えいただければ幸いです。

φ氏は、何が問われており、何を答える必要があるのか、を理解したほうがよい。

本を出すのはそれからでも遅くはない。


おかめ石氏へ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月10日(土)08時47分10秒

> No.3150[元記事へ]

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3150

>モンテカルロさんの計算を追ってみました。
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3127/ (9月 3日(土)00時48分)は、
>無限等比級数の公式1+p+p^2+…=1/(1-p)から(1-p)(1+p+p^2+…)=1を導き、
>この1で全体の確率1を表し、また各確率を(1-p)*1などと表す手法ですね。
>中々エレガントな形に収まりますね。

高校の数学の範囲内ですけどね。

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3076 (8月26日(金)23時16分)、
> (0.5,1),(1,2),(2,4),・・・,(2^(n-1),2^n)の(n+1)組の封筒のペアがあるとして
> 自分がその中の一つのペアの中の一つの封筒を選ぶ場合、その期待値Enは
> (3/2)*(1+・・・+2^n)/(2*(n+1))=(3*(2^(n+1)-1))/(4*(n+1))
> となる。

>ここに、モンテカルロさんの考える期待値の姿が明示されてますね。
>とりあえず(0.5,1),(1,2),(2,4)の3つで考えてみると、
>左右比の(1/2):1を使った((1/2)+1)=3/2を
>排反事象のそれぞれから括り出して(3/2)*(1+2+4)とまとめ、
>各確率の和を1/(2*3)で示してるのですね。

>ところで、各確率が1/6ということは、
>「一つの封筒」に(0.5,1),(1,2),(2,4)とそれぞれを左右置き換えた
>6パタンが排反事象という理解だと思いますが、
>疑問なのは、(1,0.5)と(1,2)の2事象で、
>左が(1, ),(1, )と両方1に成りますよね。
>これは、「ペアの中の一つの封筒を選ぶ場合」の
>排反事象と言えるのでしょうか。
>同一の事象と呼ぶべきではありませんか。
>ペアの一部としての別物だという事であれば、
>排反事象は6個ではなく3個と成り、
>各確率も1/3と成りませんでしょうか。

おかめ石氏の考え方では
・排反事象は(0.5,_)、(1,_)、(2,_)、(4,_)の4個
・上記事象の各確率はそれぞれ1/6,1/3,1/3,1/6
・期待値の計算式は



0.5/2*(n+1)+(1+・・・+2^(n-1))/(n+1)+2^n/(2*(n+1))


=1/(4*(n+1))+(2^n-1)/(n+1)+2^(n-1)/(n+1)


=(3*(2^(n+1))-4+1)/(4*(n+1))


=(3*(2^(n+1)-1))/(4*(n+1))
となると思われます。

如何でしょうか?

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3153

>ある意味、φさんとモンテカルロさんはどちらも正しい、
>つまり、お互いの主張している命題は矛盾していない、
>――「(具体的な)期待値(の数値)は無限級数で求まらない」
>「期待値の具体額が不明のまま、比率で損得の割合は判断できる」

前者については、正しくは、
「期待値を示す無限級数が発散する場合には
 期待値は求まらない」
である。
絶対収束する無限級数による期待値の計算を否定してはいない。

後者、つまり
「期待値の具体額が不明のまま、
 比率で損得の割合は判断できる」
は私の主張、つまり
「期待値を示す無限級数が発散する場合には
 比率で損得の割合は判断できない」
と真っ向から矛盾する。

つまり、おかめ石のいう「ある意味」は存在しない。

>~具体的な金額が求まらない限り、
>損得の割合が判断できないかどうか、
>では意見が割れるかも知れませんが。~

かも知れない、ではなく
まさにそこで意見が割れている。


2つの封筒問題スレが 投稿者:タップ君 投稿日:2011年 9月10日(土)03時05分57秒

2chから無くなったと思ったら、こちらに移動していたのですね。

TTTさんは交換しても損得無しにどんな論理破綻があると思うんでしょうね?
もしかして損得無しと考えても論理的な破綻は無い
主観的に考えた損得と客観的に考えた損得は違っても問題無いと言う事でしょうか?

一方の封筒を確認(選択)してしまうと他方の値は決定されてしまい、正確な期待値は求められなくなるのにね

損得の指標と呼べる物は、交換による「多数試行の期待値変化」であると言う論考を私も支持します。

下記のアドレスにも封筒問題の解決策の一つが記されています。
あまり検索にヒットしないので、参考までに

http://www2.hamajima.co.jp/~mathenet/wiki/index.php?%5B%5B%A4%A4%A4%AF%A4%E9%A4%E2%A4%E9%A4%A8%A4%EB%A1%A9%A1%A1%A1%DD%A1%A1%B3%CE%CE%A8%A4%F2%B2%F2%BC%E1%A4%B9%A4%EB%5D%5D (←URLが長すぎて、ブラウザによっては横幅がおかしくなるなど、正しく表示できないので、コピー&ペーストで閲覧してください!)





Re: 現状の理解 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月 9日(金)23時55分11秒

> No.3158[元記事へ]

おかめ石さんへのお返事です。

チャルマーズの論文情報、ありがとうございました。

読んでみたところでは、あのチャルマーズにしてはスタンスがどうも危なげですね。

チャルマーズ論文では、期待値が有限か無限かによって交換が損得ナシか損得アリかが決まる、という区別が骨子になってますが、
2封筒問題の場合、論理的により重要なのは、自分の封筒を見てない設定か、見た設定かの区別でしょう。
チャルマーズは、封筒内を見た場合も見てない場合もいっしょにして、期待値の無限・有限によって「交換すべきか否か」を判定できると考えているようです。

 しかしそれは根本的に間違っているように思われます。

 そもそも、チャルマーズの分析では、次の3つが区別できないのではないか。

 A ペアのうち一つを選び、封筒内を見ない場合の交換の期待値
 B ペアのうち一つを選び、封筒内を見た場合の交換の期待値
 C ペアからプレイヤーに選ばせるのではなく、まず特定の金額を提示して、「この金額をとるか、それとも、これの2倍か半分かをコイン投げで得るという方がいいか」を選ばせる、というゲームで、コイン投げを選んだ場合の期待値。

 Cは、『論理パラドクシカ』p.48の「設定S」に相当します。
 Cも、封筒内を見ずに選ぶのか見てから選ぶのかによって二通りありますが、その二つの間には、AとBの違いのような論理的違いは生じません。

 それぞれ、交換による期待値変化は
 A 損得ナシ
 B(B1) さまざまな初期金額がありえたと考える場合 損得ナシ
 B(B2) 見た金額が必然的だったかのように扱う場合 1/4の得
 C 1/4の得

 となりますが、
 A、B1、B2、Cの区別がチャルマーズの分析では不可能でしょう。

 ちなみに、モンテカルロさんがやっていた金額ごとの仕切り直し
 1+(-1+2)+(-2+4)+(-4+8)+・・・
  =1+1+2+4+・・・
  =∞
 という計算は、ゲームC の期待値計算に相当し、
 意味論的に言っても、ゲームB の計算とするのは見当違いであることが確認できます。
 AとBはあくまでペアごとの選択、Cは金額ごとの選択。


(胴元の選択の事前確率がペアを確率変数として分布しているのがAとB、金額を確率変数として分布しているのがC)

 チャルマーズもまた、この区別を見過ごした上で、
 「期待値が無限大のときは、直観に反することが起きてもパラドクスではない」という安易な解決で事足れりとしているようですね。(チャルマーズ自身、最終解決ではない、という自覚を示唆しているので、その後も考察を続けているのでしょうが)

 AやB1の場合に交換が得だったり、B2やCの場合に交換が得でなかったりするような計算は、
 いかに期待値が無限大である場合であっても、誤りと言う他ありません。
 期待値無限大ならどんな反直観的結論も許そう、的なチャルマーズの解決は、解決とは言えないでしょう。
 有限回やってみたその傾向が極限まで続くわけなので、有限回の傾向が期待値無限大においてガラッと変更されるような計算は失格です。

 今回見たチャルマーズの2論文の後も2封筒関連の論考はいろいろ出ているでしょうから、
 まあちょっと探ってみようと思います。


Re: 現状の理解 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 9月 9日(金)00時47分24秒

φさんへのお返事です。

>  これははっきり矛盾ですが、
>  期待値変化をゼロにする自然な計算があるのに従わなかったからそうなったので、やはり従うべきだという背理法を構成していることになり、
>  「多数試行では、交換による期待値変化がゼロ以外の答えは誤りである」ことが、これで決定的に証明されます。(たぶん)

私の方でも
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3153 (9月 7日(水)00時46分)
の比例関係を中心に据えた方法で更に推し進めてみまして、この路線で行き着くべき所には達せたかなと思っております。 ~最後にまとめておきました。~
φさんがパラドクシカで仰った事を敷衍すると結局このような事だったのではないか、と考えております。

~チャーマーズの関連論文2つ、ネット上にありました。
http://consc.net/papers/envelope.html
http://consc.net/papers/stpete.html
ざっと斜め読みなので再読したいと思いますけど、要するに、<両方の期待値を直接求めて、それらを比較する事に依って、損得を推定する方法>を採用している諸説の不備を論証指摘したのかな、と読みました。~

********
《比例関係と組数列を利用した、封筒二者択一の損得判断》

n(>0)と2nの比n:2nとその逆比2n:nから、各組が1対1対応する2つの組数列を作る。それぞれの組数列は同じ比例関係の組から成る。

…,(n,2n),…
:   ↓↑   :
…,(2n,n),…

左右の封筒に小切手額面の(n,2n)組が封入される時、(2n,n)組が封入される事は無いように、これらは互いに排反である。
(n,2n)組が封入されているか、それとも(2n,n)組が封入されているかに関して全く手掛かりの無いプレイヤーにとって、それらは‘同様に確からしい’とするしか無い。
結果、左右どちらの封筒を選択した場合でも、(n+2n)×(1/2)、つまりペア総額の半分で損得ナシと判断される。
********

では。



Re: 訂正 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月 8日(木)02時19分5秒

> No.3155[元記事へ]

TTTさんへのお返事です。

>
> φさんは、e1,e2を根拠にe3に関する判断を下しているので
> >> φさんは、多数回の場合の「封筒を開けた後の期待値」を、
> >> 「封筒を開ける前の期待値」で誤って計算している
> が正しいことを裏付けています
>

 ↑これは意味がわかりません。
 e1でもe2でもe3でもなく、つまり「他方の金額の期待値」ではなく、「多数試行の期待値」について私は言っているのですが?
 交換による「多数試行の期待値変化」は「唯一試行・封筒未開封バージョンでの期待値変化」に相当するのであると。

 もしかしてTTTさんは、「多数試行の期待値」について勘違いしてませんか?
 多数試行の期待値というのは、唯一試行の期待値を定義するためのもの、あるいはその定義に使えるものですよね。
 つまり、多数試行というのは、結果が決まった試行の列です。
 換言すれば、多数試行の中の個々の試行というのは、両方の封筒内の金額がともにわかったものであり、それらの結果の頻度によって、多数試行全体の期待値が定義され、唯一試行の期待値が定義されるわけです。

 つまり、多数試行の期待値を考えるとき、その中の個々の試行というのは、
 「自分の封筒内だけを見て、むこうは見ていない状態」のことではありません。
 「自分の封筒内金額だけを見て、その後交換して、新たな封筒内金額も確かめた結果、わかった状態」←これが多数試行の中の個々の試行です。

 自分とむこうと両方の封筒内金額が揃ったペアの状態が、多数試行における個々の試行なのです。

 そして私が言っているのは、多数試行における個々の試行の期待値ではありません。(多数回試行の中から選んだある特定の1回の試行における、取ってない方の封筒内金額の期待値というのは、唯一試行で言えば、自分の封筒内金額だけを見た状態の期待値に相当します)
 私が言っているのは、多数試行そのものの期待値です。個々の試行の結果にその相対頻度を掛けて、足し合わせたものです。

 そして、2封筒問題では、交換が得かどうかを考えねばならないため、
 多数回の試行において、交換戦略は非交換戦略に比べて全体の期待値はどうなるか(多いか少ないか)を考えねばなりません。
 毎回交換戦略をとった場合(各試行におけるペアはそのつど確認される)と、毎回非交換戦略をとった場合(各試行におけるペアはそのつど確認される)とで、全体の期待値にどういう差があるか、ということです。
 それこそが、唯一試行における「封筒内を見ない設定」での、交換が非交換に対してどれだけ得か、と同じことを意味します。

 なぜ同じかというと、期待値の定義によるわけです。
 封筒内の金額が(自分のもむこうのも)わからない状態で、あえて交換したときの期待値の変化(交換しないときに比べての増減)というのは、
 封筒内の金額がさまざまであるような(可能な確率変数をすべて網羅したような)状態のもとで、すべて交換したときの、確率変数×確率の総和の変化(交換しないときに比べての増減)のことでしょう。

 つまり、期待値の定義からして、
 「繰り返し設定は、封筒内を見ていない状況での2封筒問題に相当する」と私は言ったのです。
 いずれも、交換による期待値の変動はプラスマイナスゼロです。

 唯一試行で、自分の封筒を見た場合においては、非対称性が生じます。
 たとえば2の34乗円だったとすると、多数試行のうち、自分の手もとに2の34乗円が与えられた場合に限っての交換の期待値を計算していることになります。
 この場合、交換による期待値の変動は25%増です。

 一般の多数試行は、自分の手もとに来る金額を固定することはできないため、自分の封筒内の金額を固定しないバージョン、つまり封筒内を見ていない状態での唯一試行に相当するわけです。

 一般の多数試行を人為的に仕切り直して、自分の手もとに来る金額を固定したゲームの総和として解釈できれば、一般の多数試行においても交換による期待値の変動を25%増にできるでしょう。つまり、こちらが2の34乗円であるすべての場合を列記すれば、向こう側には2の33乗円と2の35乗円が(主観的には)半々で現われてくるはずです。
 しかし、客観的にはそうはいかないかもしれません。

 だからこそ、2のn乗円のすべての場合について金額ごとに揃えて総和をとる、というやり方で一般の多数試行を再構成できるかどうかが疑問なわけです。同頻度で現われることが客観的に保証されているのは2倍差のペアだけなので、アドホックでない仕方で(ペアごとでなく金額ごとの)再構成ができるかどうかは自明ではないし(を参照)、しかもその解釈がもし許されるなら、唯一試行の封筒内を見ない設定でも交換の期待値25%増と考えることが許されてしまいます。これは常識に反するとともに、説明原理としての「全体的証拠の原理」(『論理パラドクシカ』問016およびp.49)に違反します。

 こうして、期待値の定義(唯一事象の期待値を多数事象の結果で定義する)と、統一的説明の要請とに合致した唯一の説明は、
 「唯一試行で金額を見た場合(封筒開封バージョン)以外のいかなる場合においても、交換による期待値変動はゼロであり、多数回試行は封筒未開封バージョンと論理的に同型である」ということになります。

 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/post/index/comm_id/3156/
 の思考実験もご参照ください。


Re: 現状の理解 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月 8日(木)02時13分30秒

> No.3153[元記事へ]

おかめ石さんへのお返事です。

>
> 勿論、一方の金額が開示された後の封筒交換の局面では、開示された金額を手掛かりにして期待値そのものを計算する事は可能ですね。
>

 こういう状況も想定できますよ。
 金額で色を変えた色違いの2ペア(封筒4枚)を使って、全試行で二人のプレイヤーに同じ色(同じ金額)の選択をさせる例のバージョンです。

 ひとりには、自分の封筒内の金額だけを見せます。
 もう一人には、取らなかった方の金額だけを見せます。
 そのうえで、二人とも、交換させます。
 結果として二人は放棄する金額もゲットする金額も同じなので、期待値の損得も同じはずなのに、
 自分の封筒内を見た方は1/4得し、むこうの封筒内を見た方は1/5損することになります。
 唯一試行では、それで矛盾はありません。

 これで多数試行をやると、(素朴に考えると)平均して一人はトクしていき、もう一人はソンしてゆくはず。
 ふたりは毎回、放棄する金額・ゲットする金額がいっしょなのに。

 これははっきり矛盾ですが、
 期待値変化をゼロにする自然な計算があるのに従わなかったからそうなったので、やはり従うべきだという背理法を構成していることになり、
 「多数試行では、交換による期待値変化がゼロ以外の答えは誤りである」ことが、これで決定的に証明されます。(たぶん)


訂正 投稿者:TTT 投稿日:2011年 9月 7日(水)01時56分12秒

> No.3154[元記事へ]

TTTさんへのお返事です。

>φさんは、e1,e2を根拠にe3に関する判断を下しているので
>>> φさんは、多数回の場合の「封筒を開けた後の期待値」を、
>>> 「封筒を開ける前の期待値」で誤って計算している
>(e3とe0を混同している)と言いました

これは嘘ですね。

φさんの
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3152
を受けて、e1,e2の話が出てきたのであって、

>>> φさんは、多数回の場合の「封筒を開けた後の期待値」を、
>>> 「封筒を開ける前の期待値」で誤って計算している

と言った時点では、e1,e2は意味不明扱いでしたから。すみません。
以下のように訂正します。

φさんは、e1,e2を根拠にe3に関する判断を下しているので
>> φさんは、多数回の場合の「封筒を開けた後の期待値」を、
>> 「封筒を開ける前の期待値」で誤って計算している
が正しいことを裏付けています




なんにしても
「…が明らかになった時の~の期待値」の期待値

「~の期待値」
と(各期待値がそれぞれ存在するならば)一致する
は数学的な必然的事実(定理)なので

φさんは、何らかの期待値
例えば、「自分の封筒と金額が他方の金額の組が明らかになった時の、他方の金額の期待値」の期待値(=e0)
を根拠に、e3に関する判断を下しているのだろうと思ったので
e3とe0を混同していると言いました。


Re: 「なぜなら」の謎 投稿者:TTT 投稿日:2011年 9月 7日(水)01時09分47秒

> No.3152[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  まず、コンピュータによるサンクトペテルブルクの準備について。

>  実際には、プレイヤーが、自分の払った金をかなり超えたとわかった時点で、
> 「そのへんで結構です」とコンピュータを止めさせるでしょうが。

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3110 の私の設定とは異なる設定の話をしているようですね。
私の設定では
コンピュータを使うのは、胴元ではなく「第三者」であり
プレイヤーが胴元に支払う(支払う額が決定する)のは、胴元がプレイヤーに与える金額が決定したあとです。

サンクトペテルブルクのパラドクスは
 賞金金額を表す確率変数をXとして、任意のn=0,1,2,3,…に対して(P(X=2^(n+1))/P(X=2^n))=2
 であるなら、Xの期待値は存在しない(発散する)ので、
 「公平な参加費=期待値」とできない
という話であって、φさんの言うところの「名目種」の話ですから
「本当にこのようになる設定は物理的にできない(物理的に経験できないことが起こり得てしまう)」
というような「自然種」的な指摘は的外れです。
サンクトペテルブルクのパラドクスに関する何らかの実験を繰り返して、賞金金額の平均が10円となったなら
この問題は「参加費=10円」とするのが正しい、と結論するのですか?
実験が永久に終わらなくなってしまうような事態になったら、パラドクスの説明は永久に始められないのですか?
それは馬鹿げていますよね。我々は歴史的探究をしているのではないのです。

数学的には、値域に上限がないような確率変数の確率分布を考えることができて「期待値は存在しない」と導けます。
また、何度も言っていますが、値域に上限がないような確率変数の確率分布であっても
期待値が存在することがあり、そのような時にはパラドクスは発生しなません。

例えば、値域に上限がなくても期待値が10であるなら、参加費=10円とすれば
試行回数を増やすにつれて「賞金-参加費」の平均が0に近づく(大数の法則)ので、パラドクスはありません。
「上限ない分布は、物理的にありえない」という論では、この辺りの事情が説明できていません。
ちなみに大数の法則は「各試行の従う確率分布が同じで、期待値が存在する」が前提条件なので、
これを満たす場合のみ適用できます。


>  2封筒問題で、同様の方法で上限を決めてみましょう。
>  上限がない場合というのは、いつまでも計算が終わらない場合に相当するんでしょうね。
>  計算が終わったとしたら、必ず有限の値が上限となるので、私の言う
>  「未知だが特定の大きな数を上限とした範囲での一様分布」が認められるはずです。

コンピュータの止め方(の決め方)により、上限をいくらでも上げる(任意の自然数を上限として考える)ことができますが
しかしコンピュータの元の方法は「金額が大きくなるにつれて確率は小さくなる」という分布であるので
コンピュータを途中で止めたしても、その性質を考慮せねばなりません。
確率の定義から、上限のない確率分布は全て「殆ど至る所で、金額が大きくなるにつれて確率は小さくなる」ので
その基本的な性質を無視して、一般性の低い「任意の一様分布のみ考える」という方法を採るということは、
(一様分布が恣意的でないとしても)恣意的な選択です。
φさんはこのような性質をよく知らないために、無視した自覚もなく、恣意的である自覚がないのでしょう。

> 2封筒では、上限を決めるというのは「ペア選択の母集団」を決めているだけですから、
> 金額ペアそのものについては、胴元は、すでにカバーされた範囲から、
> 適当に(意図的にでもサイコロか何かででも)選べばよいわけです。

そのように選ぶ場合を考えてもよいですが、そうでない場合も存在するのに、それを無視し
「前者の場合だけ考えれば良い」とするのは恣意的です。
場合分けして、特定の場合だけ調べて満足してはいけません。十分条件だけ確かめて満足してはいけません。

そもそも封筒問題も「名目種」の話なので、
「上限ない分布は、物理的にありえない(実験できない・数えられない)」等の「自然種」的な指摘は的外れです。
数学上の計算が可能か否かは物理的常識と関係ありません。
φさんは数学をよく知らないから、(定義的特徴のみを扱う学問である)数学の論証を無視して、
自身の経験的知識を優先しさせようとしていることに自覚がないのでしょう。

もっとも統計学では、一様分布以外の分布、上限や下限のない分布など珍しくも何ともない
ありふれた分布なので、学習経験が少しでもあるなら、恣意的に「一様分布に拘る」ということも無いはずです。


というわけで、φさんの
私に対する「一様分布の否定」の反論は、奇しくも(ご自身が説明した概念である)自然種と名目種を区別できていない
という点で誤りであり、数学に関して無知あるいは誤解しているというφさんの弱点に起因しているのです。



> さて、
>  ↓以下の御疑問については、ヒントがこの掲示板ですでに何度か出てきていますね。

>  ↑「交換によって一回ごとの期待値は増えるが、毎回交換戦略を続けても非交換戦略に比べて全体として金額の得はない」
>  というのが誤りだというのですか?
>  誤りではありません。理由は簡単ですから、改めてお考えいただければと思います。
>  すでに『論理パラドクシカ』に答えは書きましたし。引用部の前後も合わせてじっくり立ち読みしてきてください。
>  文脈を無視して引用部だけ見て「意味不明」と言われても、対応のしようがありません。


さて何でしょうか。既に言いましたが、E[Xi],E[Yi]が存在する場合は
X1, ・・・ ,Xn が同じ確率分布に従わなくても、独立でなかったとしても(Yiに関しても同様)
 E[Xi] < E[Yi] = 1.25 * E[Xi] (∀i)
 ならば
 E[X1 + ・・・ + Xn] < E[Y1 + ・・・ + Yn] = 1.25 * E[X1 + ・・・ + Xn]
 E[(X1 + ・・・ + Xn)/n] < E[(Y1 + ・・・ + Yn)/n] = 1.25 * E[(X1 + ・・・ + Xn)/n]
は成立するので、
φさんの仮定している分布は必ず期待値が存在するし
胴元の選択肢の母集団(確率分布)が試行ごとに異なるかもしれない場合でも上の式は成立し、
もちろん(同じ確率分布に従うか否かに関わらず)それぞれの封筒に入っていた金額が異なっていても
それぞれに関して、E[Xi] < E[Yi] = 1.25 * E[Xi]が本当に成立しているならば、成立するのです。
さらに、「定項の変項性」「定数の変数性」というこれまた数学的にはナンセンスな拘りがあるようですが
取りあえず今の話は、「封筒を開けた後」の金額の期待値同士を比べているので、これも問題ありません
(各確認済み金額が既知の定数なので、確認済み金額の合計や平均も既知の定数となる)。

 φさんの主観確率の仮定では、1回だろうが複数回(の全体や平均)だろうが、封筒を開けた後の期待値に関して
 交換しない場合の金額の(主観)期待値に対する、交換する場合の金額の(主観)期待値の比率は
 常に存在して1.25である・・・(*)
というのは数学的事実です。
数学を無視して「誤りではありません」と言ったのなら、対応のしようがありません。
自覚なしに数学を蔑ろにしている文章を読むことは、私にとって苦痛なのであまり気が進みませんが
しかしもう一度くらいは立ち読みしてみようと思います。


もちろん本当に複数回試行した場合(期待値が発散しないような分布のみで試行するならば)
常に交換した場合の合計金額の期待値 と、常に交換しない場合の合計金額の期待値 は等しくなる
と統計的・客観的に確かめられるかもしれません。しかしそのことは上の封筒を開けた後に関する期待値の大小
「交換しない場合の金額の(主観)期待値に対する、交換する場合の金額の(主観)期待値の比率は常に1.25である」
を反証するものではありません。
なぜなら実際に多数回試行して統計的に確かめられるのは、
客観確率における期待値であって、主観確率における期待値とは異なるからです(前提とする数学の条件が異なるからです)。
1回毎の主観期待値の正しさは、1回または多数回の実際の試行では反証されない(φさんも同意してますね)のと同様に
複数回の主観期待値の正しさも、実際の試行では反証されません。


(*)の「交換する場合の(主観)期待値の方が常に大きい」というのは、反直観的かもしれませんが
それはφさんの仮定した主観確率の決め方が、(再三述べたように)恣意的で不自然だからです。

 より自然な仮定では、1回毎や複数回(の全体や平均)の封筒を開けた後の期待値に関して
 交換しない場合の金額の(主観)期待値に対する、交換する場合の金額の(主観)期待値の比率は
 常に存在はするが、1.25とは限らない。
 1回毎の期待値の比率が1.25である試行だけの合計の期待値の比率は1.25となる。
 「交換する場合の(主観)期待値の方が常に大きい」となるのは、封筒を開ける前の期待値が存在しない時だけである。

等となり、φさんの仮定の場合よりも、いくらか反直観的な部分が減ります。


> 封筒を交換して
> 「得る金額が大きい」場合 2→4 4→8 8→16 初期金額の平均 14/3
> 「得る金額が小さい」場合 4→2 8→4 16→8 初期金額の平均 28/3
>
>  14/3は28/3の半額、ということです。
>  つまり、交換で得したラッキーな場合というのは、もともとほんとはアンラッキーだった場合。
> 交換で損したアンラッキーな場合というのは、もともとほんとはラッキーだった場合。

それらはそれぞれ、
自分の封筒の金額が他方の金額より大きい時の、他方の金額の期待値e1
自分の封筒の金額が他方の金額より小さい時の、他方の金額の期待値e2
であって、今考えるべき
自分の封筒の金額が明らかになった時の、他方の金額の期待値e3
とは異なり、これらの期待値e1,e2からe3を求めることもできません。
e1,e2から求めることができる期待値は、(自分の封筒の金額が明らかになる前、単なる)他方の金額の期待値e0
です。φさんは、e1,e2を根拠にe3に関する判断を下しているので
>> φさんは、多数回の場合の「封筒を開けた後の期待値」を、
>> 「封筒を開ける前の期待値」で誤って計算している
(e3とe0を混同している)と言いました(さらにそれ以外の期待値に関しても混同してるのではないかと思っています)。

「自分の封筒と金額が他方の金額の大小が明らかになった時の、他方の金額の期待値」の期待値

e1 * 1/2 + e2 * 1/2 = 7
となり、(自分の封筒の金額が明らかになる前、単なる)他方の金額の期待値
e0 = 2 * 1/6 + 4 * 1/3 + 8 * 1/3 + 16 * 1/6 = 7
と一致します。これは数学的な必然であり、同様に
「自分の封筒と金額が他方の金額の組が明らかになった時の、他方の金額の期待値」の期待値
「自分の封筒の金額が明らかになった時の、他方の金額の期待値」の期待値
も、他方の金額の期待値e0=7と一致します。

("他方の金額の期待値"の部分を"他方の金額と自分の金額の差の期待値"に置き換えたものを
 以前、φさんとモンテカルロさんがそれぞれ計算していましたね。)


現状の理解 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 9月 7日(水)00時46分22秒

私が現状、理解する所を整理してみました。

初めに昨夜の記述で訂正を一つ。「各確率の和を1/(2*3)で示して」の「の和」は余分でしたね。「各排反事象とそれらの確率の積の和」という文の趣旨はお分かりになると思いますが。
~まあ、無限級数にした場合、各排反事象の確率というもの自体が一体、求まるのでしょうかね。~

>   毎回交換する戦略と毎回非交換の戦略とを直接比べるために、毎回、金額ペアの同じものを二つ用意し(封筒四つ)、二人に同じ選択をさせ(つまり二人の取る封筒には同額が入っているように選択させる。色分けなどで設定すれば簡単)、そのうえで一人は常に交換し、もう一人は常に非交換とさせるとしましょう。

色で比例関係を強調してしまうというのは、言われてみれば実にいいアイデアでした。
これで、「胴元に選定された具体的金額(実現値)」が何円であろうとも、2封筒の金額は「常に同じ比率(1:2)である」、という事実がより鮮明に成ります。
~勿論、左右入れ換えの可能性も重要ですね。~

これをキッカケに考え直してみた所、むしろ、これから書くように表現した方がより適切かも知れない、と思いました。~と言っても元々の「期待値」という表現をより詳しく「比率に基づいて表した期待値」と表現するという程度の変更で、内実は変わりません。~

つまり、「◆期待値の数値そのもの◆を直接割り出そうとする方法では、期待値は不定で求まらない」という道ではなく、封筒選択の局面でどちらを選ぶと有利かを「◆あらゆる実現値のペアに必ず常に同一の比率が付随してくるという性質を利用して◆」判断する、と。

少額の方の実現値:多額の方の実現値=1:2  多額の方の実現値=少額の方の実現値×2
 ここで、あらゆる可能性のある「少額の方の実現値」をNで、同じく「多額の方の実現値」を2Nで表すことにする
左にNが来ているのか、それとも2Nが来ているのか全く分からないギャンブラーにとって、◆左にNが現れるのと2Nが現れるの◆は‘同様に確からしい’とするしか無い
 N×(1/2)+2N×(1/2)=(N+2N)×(1/2)=3N×(1/2)
右も同様にして結果は、3N×(1/2)
以上、結論は左右どちらを選んでも結果はイーブン

勿論、一方の金額が開示された後の封筒交換の局面では、開示された金額を手掛かりにして期待値そのものを計算する事は可能ですね。

*****
ある意味、φさんとモンテカルロさんはどちらも正しい、つまり、お互いの主張している命題は矛盾していない、という事かも知れません(もっとクリアになるまで確言は避けますけど)。
――「(具体的な)期待値(の数値)は無限級数で求まらない」「期待値の具体額が不明のまま、比率で損得の割合は判断できる」
~具体的な金額が求まらない限り、損得の割合が判断できないかどうか、では意見が割れるかも知れませんが。~

胴元でさえ、金額選定の前に期待値を計算しようとしても不可能です。可能性が無限にある訳ですから。これはギャンブラーが選択する局面と同じ状況です。
この時、胴元は左右の金額を知ってる訳ですから、勿論、期待値の計算は可能です。ギャンブラーは比率を利用して有利・不利を判断するしかありません。

こんな所です。では。



Re: 「なぜなら」の謎 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月 6日(火)05時41分42秒

> No.3151[元記事へ]

TTTさんへのお返事です。


TTTさんへのお返事です。

>
> φさんは、多数回の場合の「封筒を開けた後の期待値」を、
> 「封筒を開ける前の期待値」で誤って計算しているだけなので
> 「複数回試行の場合は、封筒を開けない場合と同じ」というのは勘違いです。
>

  ↑
  これ、もう少し詳しく説明してください。


 さて、
 まず、コンピュータによるサンクトペテルブルクの準備について。
 TTTさんのその設定では、たしかに、永久に賞金金額が決定できない確率はゼロでしょう。
 そして、ほとんどの場合、計算は一瞬にして終わるでしょう。
 しかし、何度も繰り返しやってみましょう。(期待値は無数の繰り返しのシミュレーションによって求められるので)
 たまたま9がいつまでも続いて、コンピュータをもってしても「かなり長い時間計算が続いてしまう」可能性はあるので、いつかは、かなりの時間が費やされることになるはずです。
 いずれは、宇宙の歴史を超える時間がかかる場合も出現するでしょう。確率はごく小さいが、有限の確率でしょう。実際そうでないと、期待値が発散しないので。

 こうして、いつまでも賞金金額が決定できない(いつかは決定できるのだろうが、それがいつまでたってもわからない)場合というのが必ず起こってきます。
 胴元は、そういう場合に備えて、賞金を用意しなければなりません。
 つまり、9がどのくらい続いたかはモニターできるでしょうが、金額は胴元の意思と無関係にどんどん膨れあがっていきます。こうして、「あらかじめ、いかなる自然数よりも大きな金額を調達しておかねばならない」という理不尽が生ずるのです。
 実際には、プレイヤーが、自分の払った金をかなり超えたとわかった時点で、「そのへんで結構です」とコンピュータを止めさせるでしょうが。

 2封筒問題で、同様の方法で上限を決めてみましょう。
 上限がない場合というのは、いつまでも計算が終わらない場合に相当するんでしょうね。
 計算が終わったとしたら、必ず有限の値が上限となるので、私の言う「未知だが特定の大きな数を上限とした範囲での一様分布」が認められるはずです。



もし計算がいつまでも止まる気配がなかったら?
 この場合、ゲームが始まらなくなるので、胴元は、コンピュータを無視する権利があります。コンピュータに付き合わざるをえないのでいつまでも勝負が始まらない、という可能性は、サンクトペテルブルクの場合は強制力を持ちますが、2封筒では違います(二つのゲームの違いがここにあります)。2封筒では、上限を決めるというのは「ペア選択の母集団」を決めているだけですから、金額ペアそのものについては、胴元は、すでにカバーされた範囲から、適当に(意図的にでもサイコロか何かででも)選べばよいわけです。
 その場合、コンピュータがいずれ定める上限までの範囲から、胴元は客観的に非一様分布の選択確率に従って(とりわけ、ある値から上は確率ゼロとして)選ぶことになります。
 このとき、プレイヤーの主観確率では、未知の上限の範囲内の一様分布で考えるしかありません。

 もともと、胴元自身が無限の中から選べているはずがない(必ず有限の範囲から選んでいるに決まっている)ため、無知なプレイヤーとしては事前確率の推定は一様分布で支障ないわけです。

 ↑雑なコメントだったかもしれませんが、いかがでしょう?
  勘違いもあるかもしれませんから、御指摘ください。

> >> 封筒を交換して「得る金額が大きい」場合と「得る金額が小さい」場合とを比べると、
> >> あなたの封筒内に見出す初期金額は、平均して、交換が「得る金額が大きい」場合には「得る金額が小さい」場合の半額であるはず。
>
> 例えば、(2,4)(4,8)(8,16)だけの場合、
> 何(何の平均)をどう比べると、何が半額となるのですか?
>

封筒を交換して
「得る金額が大きい」場合 2→4 4→8 8→16 初期金額の平均 14/3
「得る金額が小さい」場合 4→2 8→4 16→8 初期金額の平均 28/3

 14/3は28/3の半額、ということです。
 つまり、交換で得したラッキーな場合というのは、もともとほんとはアンラッキーだった場合。
 交換で損したアンラッキーな場合というのは、もともとほんとはラッキーだった場合。

 したがって、交換戦略というのは、
 たまたまラッキーだったときをアンラッキーに変え、アンラッキーだったときをラッキーに変えるだけ。

 初期金額においてアンラッキーなときとラッキーなときはそれぞれ頻度1/2なので、
 任意の (X,2X)について、交換してもしなくても期待値は3X/2ということです。

 これは、繰り返し設定で、Xにさまざまな値が入りうるとき(多様であるがゆえ未定の状態)の交換の期待値です。それとともに、封筒内の金額を見ないとき(無知であるがゆえ未定の状態)の交換の期待値でもあります。
 つまり、繰り返し設定は、封筒内を見ていない状況での2封筒問題に相当します。
 なので、パラドクスは発生しません。

 ところで冒頭に見たように、TTTさんは、繰り返し設定と金額を見ない設定とは違うという御意見ですが、たしかに私もそこは十分確信を持っているわけではないので、違うという理由を詳しく聞かせてください。

さて、
 ↓以下の御疑問については、ヒントがこの掲示板ですでに何度か出てきていますね。

>
> i回目の交換しない場合の金額を意味する確率変数Xi
> i回目の交換する場合の金額を意味する確率変数Yi
> の初期金額を確認した場合における期待値をそれぞれ、E[Xi],E[Yi](これらは収束する)として
> 各回ごとで、交換する場合の金額の期待値は、交換しない場合の金額の期待値の1.25倍
>  E[Xi] < E[Yi] = 1.25 * E[Xi] (∀i)
> ならば、任意のnに対して
> n回の試行で、交換する場合の金額の合計や平均の期待値、は交換しない場合の金額の合計や平均の期待値の1.25倍
>  E[X1 + ・・・ + Xn] < E[Y1 + ・・・ + Yn] < 1.25 * E[X1 + ・・・ + Xn]
>  E[(X1 + ・・・ + Xn)/n] < E[(Y1 + ・・・ + Yn)/n] < 1.25 * E[(X1 + ・・・ + Xn)/n]
> が証明できるので、φさんの主張・直観が誤りだとわかります。
>

 ↑「交換によって一回ごとの期待値は増えるが、毎回交換戦略を続けても非交換戦略に比べて全体として金額の得はない」というのが誤りだというのですか?
 誤りではありません。理由は簡単ですから、改めてお考えいただければと思います。すでに『論理パラドクシカ』に答えは書きましたし。引用部の前後も合わせてじっくり立ち読みしてきてください。文脈を無視して引用部だけ見て「意味不明」と言われても、対応のしようがありません。

>
> そもそも(他の著書などもいくつか見た限り)φさんが以前から、
> 「上限下限のない集合に一様分布には仮定できない」と知っていたとは思えないのですが・・・。
> 『論理パラドクシカ』で上限の話が出てこないのは、そのような理由もあるんじゃないんでしょうかね。
>

 ●第一には、上限がないとは思っていませんでしたから。
 前述のとおり、胴元自身が、人間である限り、上限のない集合から選べるはずがないので、プレイヤーとしては、有限の集合における一様分布で考えて問題ないはずです。
 ●第二には、
 胴元による封筒選択の確率分布は、2封筒問題の問題設定からして未知なので、考える必要がありませんでした。(徹底的に情報が乏しいというのが2封筒問題の眼目です)
 プレイヤーが封筒を選んだ時点で2封筒問題前半が始まり、金額を見た時点で、2封筒問題後半が始まります。
 事前確率分布が重要なのは、事後確率分布を無知の一様分布から別の確率分布へと改訂する手掛かりになる限りにおいてです。
 2封筒問題には、前半、後半とも、その手掛かりが全くありません。
 よって、事前確率分布は、単に、わからない、というだけで十分です。一様分布を想定する必要すらありません。
 つまり、事後確率分布を(1/2,1/2)から修正する手掛かりを与えないがゆえに、事前確率分布は出番がなかった、ということです。

 ↑この二つの前提に対しては、TTTさんは異論が大ありでしょう。
 もちろん傾聴する用意はありますよ。
 ただし、上記二つのどちらか一方でも正しければ、事前確率分布もしくは上限の無視は正当化されます。(あくまで論理的には、ですね。本を書く姿勢としては、親切でなかったかもしれません)


Re: 「なぜなら」の謎 投稿者:TTT 投稿日:2011年 9月 6日(火)04時25分21秒

φさんへのお返事です。

> 「もともとの期待値が発散する任意の確率分布について、交換の期待値の得が発散するという計算、
>  しかも統一的な一般式を示せ」です。

数学の話ですよね?数学に関係する話がしたいなら、自分で数学を勉強するのが一番の近道だと思いますよ。
そうすれば、そのような数学的に無意味な問いを持つことも減るでしょう。
逆に「数学なんか絶対勉強しない!」という意思を貫かれるのでしたら
自身の意見が非数学的・反数学的である自覚を持つべきです。


数学の確率論では
・期待値は確率分布のみに依存して一意に決まる
・確率分布によっては、期待値が存在しないことがある
なので、
φさんは確率分布以外の設定から「期待値が0であるのが正しい/自然」と考えている点
期待値が存在しないにも関わらず、期待値が存在するかのように思い込んでる点
が数学的に正しくありません。
「期待値が0と計算できて、∞とも計算できるなら、どっちの計算の期待値が正しいのか」
というφさんの疑問は見当外れで
「そもそも期待値が存在しないから、(計算だけ見ると)0とも∞ともなってしまった」
というのが正しい認識です。


>  *
>  余談ですが、
>  数学者の間でも意見の分かれる問題がいくつかあるようですが、
>  たとえば ゼロのゼロ乗 について、

これも、数学に関して無知あるいは誤解しているだけでしょう。
例えば、(前にモンテカルロさんが挙げていた例)
「平行線は1本しかない」「平行線は2本ある」「平行線はない」
という異なる主張がありますが、意見が分かれているのではなく
単にそれぞれ別の条件を前提としているだけです。



前回の訂正


 E[X1 + ・・・ + Xn] < E[Y1 + ・・・ + Yn] < 1.25 * E[X1 + ・・・ + Xn]
 E[(X1 + ・・・ + Xn)/n] < E[(Y1 + ・・・ + Yn)/n] < 1.25 * E[(X1 + ・・・ + Xn)/n]


 E[X1 + ・・・ + Xn] < E[Y1 + ・・・ + Yn] = 1.25 * E[X1 + ・・・ + Xn]
 E[(X1 + ・・・ + Xn)/n] < E[(Y1 + ・・・ + Yn)/n] = 1.25 * E[(X1 + ・・・ + Xn)/n]

φさんは、多数回の場合の「封筒を開けた後の期待値」を、
「封筒を開ける前の期待値」で誤って計算しているだけなので
「複数回試行の場合は、封筒を開けない場合と同じ」というのは勘違いです。


ところで、封筒を開ける前の期待値に関して
交換する場合の金額の周辺分布と、交換しない場合の金額の周辺分布が等しいならば
「交換する場合の金額の期待値」に対する「交換しない場合の金額の期待値」の比率は
(もし期待値が存在するならば)1ですが
交換する場合の金額 に対する 交換しない場合の金額 の比率の期待値
交換しない場合の金額 に対する 交換する場合の金額 の比率の期待値
は必ず存在して、ともに1.25となります。

φさんがこれをパラドクシカルに感じるかどうかはわかりませんが
私はこれも封筒問題をパラドクシカルに感じる原因に関係すると思います。


排反事象について 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 9月 6日(火)00時01分40秒

モンテカルロさんへのコメントです。

モンテカルロさんの計算を追ってみました。 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3127 (9月 3日(土)00時48分)は、
無限等比級数の公式1+p+p^2+…=1/(1-p)から(1-p)(1+p+p^2+…)=1を導き、この1で全体の確率1を表し、また各確率を(1-p)*1などと表す手法ですね。中々エレガントな形に収まりますね。

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3076 (8月26日(金)23時16分)、
> (0.5,1),(1,2),(2,4),・・・,(2^(n-1),2^n)の(n+1)組の封筒のペアがあるとして
> 自分がその中の一つのペアの中の一つの封筒を選ぶ場合、その期待値Enは
> (3/2)*(1+・・・+2^n)/(2*(n+1))=(3*(2^(n+1)-1))/(4*(n+1))
> となる。> > Enは封筒の中の金額とは等しくならない。
> > Enはnが大きくなればなるほど大きくなる。> つまり発散する。

ここに、モンテカルロさんの考える期待値の姿が明示されてますね。
とりあえず(0.5,1),(1,2),(2,4)の3つで考えてみると、左右比の(1/2):1を使った((1/2)+1)=3/2を排反事象のそれぞれから括り出して(3/2)*(1+2+4)とまとめ、各確率の和を1/(2*3)で示してるのですね。

ところで、各確率が1/6ということは、「一つの封筒」に(0.5,1),(1,2),(2,4)とそれぞれを左右置き換えた6パタンが排反事象という理解だと思いますが、疑問なのは、(1,0.5)と(1,2)の2事象で、左が(1, ),(1, )と両方1に成りますよね。これは、「ペアの中の一つの封筒を選ぶ場合」の排反事象と言えるのでしょうか。同一の事象と呼ぶべきではありませんか。
ペアの一部としての別物だという事であれば、排反事象は6個ではなく3個と成り、各確率も1/3と成りませんでしょうか。



Re: 訂正です 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 9月 5日(月)23時38分47秒

φさんへのお返事です。

「定項のパラドクス」読みました。――物語の枠組みの内部では「定項」扱いのものが、枠の外側から読者はそれを「変項」的に様々に想い描いて読む。胴元には「定数」であるものが、ギャンブラーにとっては「変数」性を示す、という事ですね。
「合理性のパラドクス」関連箇所はまた追々読み進めてみます。

>  あの頃、モンテカルロさんは「交換によって全体の期待値が増えるように見えるhttp://8044.teacup.com/miurat/bbs/3084」と不可解なことを言っていたのです。
>  私にはいまだに見えませんが。

金額を見た上での交換の期待値についてはモンテカルロさんも、φさん(私もですが)と同意見のようです。
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3027 (8月17日(水)13時19分)
> 相手の封筒の中身がa円だったら、交換によって
> a/2円得するか、a円損するか、なので、それぞれ
> 等確率だとすれば、交換による期待値は
> a/2*1/2-a*1/2=-a/4円
> ということになります。つまり損するってことです。
>
> 自分の金額を見れば得、相手の金額を見れば損。

モンテカルロさんも「一見非常に奇妙」と書かれていて確かに一見奇妙なのですが、考えてみれば相手方がa円という事は、自分の2a円を交換で失う可能性があるので理の当然ですね。

今後の争点は、ギャンブラーによる封筒二者択一の期待値を、
可能なペア全部の総和だから無限大に発散してしまい期待値は不定と見るか、胴元の選定したペアの中の比例関係だけを使って期待値は出せる、と見るかという事でしょうか。

個人的には、ここでの排反事象は、左の封筒を取るかそれとも右か、の二つだと考えます。その上で、設問上、左右の比例関係がy=2xというように比例定数2で◆いかなる場合でも◆固定してますので、この比例関係だけを使って、可能性のあるペアの具体的金額に一切触れること無く、計算できると考える訳です。



Re: 「なぜなら」の謎 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月 5日(月)05時15分26秒

> No.3143[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

>
> 私がいっているのは
> 「交換の期待値の得が発散する状況では
>  もともとの期待値が発散している」
> ということ。
>

 ↑「説明」の要件として求められていたことは逆ですよ。
「もともとの期待値が発散する任意の確率分布について、交換の期待値の得が発散するという計算、しかも統一的な一般式を示せ」です。
 交換による期待値の変化ゼロ、という計算の統一性・汎用性に匹敵する計算を。
 それはできないということでしょうか。

 だとすると、
 交換の期待値の得を発散させるような計算は、確率分布ごと、または同種の確率分布群ごとにあつらえねばならないアドホックな計算にすぎないことになり、「説明」を兼ねることができません。
 すると、パラドクスの解決には役立ちません。
 パラドクスの解決は「説明」を含んでいなければならないからです。

 ならば、モンテカルロさんは、私のhttp://8044.teacup.com/miurat/bbs/3123にまだ一言も答えていないことになりますね。
 答えられるようになった時点で、改めてお答えいただければ幸いです。

 さて、

>
> 任意多数回試行した場合の損得の変化という意味なら、
> 次第に振れ幅が大きくなるシーソーのようになるでしょうな。
>

 シーソーゲームですね。
 それは当然です。自明ですね。
 しかもそんなことは私が前から言ってることです。


たとえばhttp://8044.teacup.com/miurat/bbs/3113
>
>  そもそも上限ナシの場合に「全体の期待値が増えるように」なんて見えませんけど?
>  上限なしで実際に多数試行を始めてみればわかります。
>  損がまさったり得がまさったりを繰り返し、全体として期待値は損得ナシのまま推移することでしょう。上限アリの場合と基本は変わりません。
>  多数試行である限り、「全体の期待値が増えるように見える」ことはありません。(一時的にそう見えるかもしれないが、「減るように見える」場合と同頻度です!)
>

 あの頃、モンテカルロさんは「交換によって全体の期待値が増えるように見えるhttp://8044.teacup.com/miurat/bbs/3084」と不可解なことを言っていたのです。
 私にはいまだに見えませんが。

 さて、シーソーゲームについてですが、
 2封筒問題の場合、いろいろな表わし方ができますが、
  毎回交換する戦略と毎回非交換の戦略とを直接比べるために、毎回、金額ペアの同じものを二つ用意し(封筒四つ)、二人に同じ選択をさせ(つまり二人の取る封筒には同額が入っているように選択させる。色分けなどで設定すれば簡単)、そのうえで一人は常に交換し、もう一人は常に非交換とさせるとしましょう。
 次のようにいろいろシーソーゲーム(2封筒ゲームの実態)の表わし方ができるでしょう。

■    xは獲得総額、y、zは過去の試行回数累計として

 ∀x∃y∃z(交換戦略がy回目にx円以上を得る≡非交換戦略がz回目にx円以上を得る)

  あるいは
■    x、yは獲得総額、zは過去の試行回数累計として

 ∀x∀y∃z(交換戦略がz回目にx円以上を得る≡非交換戦略がz回目にy円以上を得る)

 あるいは、
■  xを過去の試行回数累計、≧を金額の大小関係、Pをゲーム開始前の事前確率として、

  ∀x(P(交換戦略がx回目に得ている総額≧非交換戦略がx回目に得ている総額)=P(非交換戦略がx回目に得ている総額≧交換戦略がx回目に得ている総額))

 どのように表わそうとも、それらは、交換戦略と非交換戦略について対称的な命題です。
 つまり、自分(プレイヤー)がどちらかの立場を選べるとしても、どちらが有利という根拠(とくに主観的根拠)はないことが含意されています。
 シーソーの振れ幅は、この対称性に全く影響を及ぼしません。

 ずっと交換戦略をとってきた人が、ゲームの途中で、非交換戦略に変えることを求められたとしましょう。
 「いや、そうするとこれこれの試行時にこれこれの金額で逆転を喰らうから……」などという理由で辞退するとしたら笑止千万でしょう。
 そもそも未来にどういう金額がどういう順序で提示されるかわからないのだし、いつの試行のことを言っているのか、自分でもわからないはずだからです。
 つまり、途中から交換戦略を非交換戦略に変えようが、その逆の変え方をしようが、ずっと同じ戦略をとろうが、期待値に差は出ません。

 未来について決定論を採ろうが非決定論を採ろうが、主観確率の立場では期待値の変化はありえません。
 つまり交換による期待値の変化(得失)はゼロです。

 しかしそれをモンテカルロさんは
 「期待値を論ずるのは無意味」(正確には、「期待値の変化を論ずるのは無意味」)と表現するわけですね。

 前にも述べましたが、
 上限アリの場合に「交換による期待値の変化はゼロ」と紛れもなく言えるのであるから、上限ナシの場合もそれに合わせられるかぎりは合わせるべきでしょう。
 「無意味」などという選択肢は、よほどの理由がない限り採用すべきではありません。
 現に「ゼロ」で辻褄が合っているのだから。

 こうして、
 いつぞやのモンテカルロさんの質問に戻りますが、

>
>  (1-1)+(2-2)+(4-4)+・・・
> =0+0+0+・・・
> =0
> が正解であって、
>  1+(-1+2)+(-2+4)+(-4+8)+・・・
> =1+1+2+4+・・・
> =∞
> は誤りだと断じる理由を聞きたいものです。
>

 逆に「無意味」を採用する理由を聞きたいですね。
 そもそも交換による期待値の変化ゼロ(つまり発散しない)とわかっているときに
 わざわざ 1+(-1+2)+(-2+4)+(-4+8)+・・・ などという発散する計算を出してきても何の役にも立たないので、
 0+0+0+・・・=0 が正解に決まっている、というわけです。

 *
 余談ですが、
 数学者の間でも意見の分かれる問題がいくつかあるようですが、
 たとえば ゼロのゼロ乗 について、
 もしかしてモンテカルロさんは「無意味」派か「定義不能」派だったりしますか?


(話をそらしたくなければ無視で結構です)


Re: 訂正です 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月 5日(月)04時54分26秒

> No.3145[元記事へ]

おかめ石さんへのお返事です。

>
> 個人的には、モンテカルロさんのいわゆる「全体の期待値」と封筒選択の関係(若しくは無関係)の事情がもっとクリアになれば、と期待しております。
>

 実は私もそうです。
 2封筒パラドクスは、封筒ペアが選ばれてしまったあとで始まるのであり、ペアそのものの選択の事前確率分布は、事後確率を改訂する手掛かりとなる場合に限って考慮すればよいと思っていたので。

 まあ、そのへんもおいおい探ってみます。


Re: 「なぜなら」の謎 投稿者:TTT 投稿日:2011年 9月 5日(月)01時57分40秒

> No.3131[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> ■基本方針
>  については、もっともなことばかりですね。

ええ。当たり前の事を述べたつもりです。つまり
φさんはその当たり前の事ができていないのだと私は思っています。


>  胴元の選択肢の母集団における上限そのものも、選択肢の一つであるわけだから、必ず有限の数(小切手に書ける数)
> でないといけません(胴元が小切手に書ける金額で止まる必要のない「サンクト・ペテルブルク」とはそこが決定的に違う)。
> つまり、どの試行においても母集団は必ず有限部分集合であり、そのつど必ず一様分布は存在するはずです。
>  このことはもう話が済んでいると思いましたが、
>  まだ決着がついてないというなら、また後日、改めて論ずることにしましょう。

φさんは「構造が違う」等と言い続けてますが
それに関する(無知の意味とは別の)私の指摘、例えば以下の指摘に、
φさんは答えてません。思案中で答えを待って欲しいというなら了承しますが
質問するでもなく、妥協案を挙げるわけでもない、確率ゼロは何だのと瑣末な言いがかり(藁人形論法?)
を付けただけで、主要な部分に関する返答はなし(無視した)にも関わらず
勝手に自分の主張が通ったものとして「済んだ話」にしてしまったんですか?(やれやれ)

 サンクト・ペテルブルクのパラドクスの原因は、
 胴元の支払う金額のとり得る値が無限であることや値の範囲に上限がないことではなく
 胴元の支払う金額の期待値が無限である(発散する)ことであること
 (金額のとり得る値が無限であっても、期待値が有限ならパラドクスは起こらない)

 サンクト・ペテルブルクのパラドクスで、金額が既に決定している(つまり金額が有限である)とわかっていても
 パラドクスが起こる設定の例と、その設定において、
 ゲームの準備やゲーム自体に要する時間が無限である(終わらない)確率は0
 ゲームの準備やゲーム自体に要する時間の期待値が有限であること

 封筒問題において、金額のとり得る値の範囲に上限がない設定も考えることができること


また、意図的に、どの試行においても母集団は必ず有限部分集合である場合の限定や
さらに恣意的に、確率分布が特定の(極大や上限に関する)条件を満たす一様分布の場合に限定して考えたとして
「そのつど必ず(条件を満たす)一様分布は存在する」から何なんだ、という指摘にも答えてませんね。
酷すぎる。


> >  無知のとき、ベイズ的な推論の出発点に1/40以外を設定することはできません。

> TTTさんの完璧主義はわかるのですが、それでは、「そこから大したことが導けない」という理由で、
> 1/40を否定するのでしょうか?

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3124で書いた通りです。
主観確率が1/40として問題ない事は認めるし、それを議論の出発点とする事も否定はしてません。
「それしか議論の出発点できない」というφさんの勝手な断言を否定しています。


>  http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3101 ですでに但し書きを付けましたが、

> *付きの一文と注を削除するつもりです。
の*付きの一文とは
> つまり、試行全体の平均に照らして初期金額が大きいときに損しやすく、初期金額が小さいときに得しやすい*。
注とは[ ]内の
> *確率分布説はこの事情を捉えているつもりなのだろうが、
>  一度限りの試行において初期金額の相対的大小の傾向を判定できるはずがないため、間違っているのである。
のことでしょうか?
但し書きは既に読んでましたが、後者を「*付きの一文」だと思って除去して読んでました。
この*の付いた2文を除去して読めばいいのですね?


>> 恣意的な設定抜きで百回行なえば毎回初期金額は変動するので、
>> 封筒を交換して「得る金額が大きい」場合と「得る金額が小さい」場合とを比べると、
>> あなたの封筒内に見出す初期金額は、平均して、交換が「得る金額が大きい」場合には「得る金額が小さい」場合の半額であるはず。

> 上限、下限がある場合は、これは自明ですよね。
> たとえば(2,4)(4,8)(8,16)で実際に何度も試行をやってみればそうなりますし。

前回の私の
> 今度は文章の意味はだいたいわかりますが
は撤回します。全く意味不明です。

例えば、(2,4)(4,8)(8,16)だけの場合、
何(何の平均)をどう比べると、何が半額となるのですか?


> 1回ごとの期待値がすべて「交換で25%の得」ではあっても、百回全体では損得ナシとなるのである

に関して、数学の確率論では
i回目の交換しない場合の金額を意味する確率変数Xi
i回目の交換する場合の金額を意味する確率変数Yi
の初期金額を確認した場合における期待値をそれぞれ、E[Xi],E[Yi](これらは収束する)として
各回ごとで、交換する場合の金額の期待値は、交換しない場合の金額の期待値の1.25倍
 E[Xi] < E[Yi] = 1.25 * E[Xi] (∀i)
ならば、任意のnに対して
n回の試行で、交換する場合の金額の合計や平均の期待値、は交換しない場合の金額の合計や平均の期待値の1.25倍
 E[X1 + ・・・ + Xn] < E[Y1 + ・・・ + Yn] < 1.25 * E[X1 + ・・・ + Xn]
 E[(X1 + ・・・ + Xn)/n] < E[(Y1 + ・・・ + Yn)/n] < 1.25 * E[(X1 + ・・・ + Xn)/n]
が証明できるので、φさんの主張・直観が誤りだとわかります。



> 次に、上限がない場合ですが、
> 私の立場は再三述べているように、「上限は選択肢の一つであるがゆえに、実際に小切手に書ける金額でなければならず、
> したがって常に有限であり、上限は不特定ではあっても存在せざるをえない」というものです。
>  『論理パラドクシカ』ではそれを自明と考えていたために上限に関しては触れませんでしたが、
> 上限にこだわる人がこれほどいるとわかっていたら、上限について論ずるべきでしたかね。… …

そもそも(他の著書などもいくつか見た限り)φさんが以前から、
「上限下限のない集合に一様分布には仮定できない」と知っていたとは思えないのですが・・・。
『論理パラドクシカ』で上限の話が出てこないのは、そのような理由もあるんじゃないんでしょうかね。


>  もちろん主観確率でも1/2とされるが、「傾向性解釈でも」1/2とされるように問題文に明示してある、
> という意味で、客観確率と言ったのです。設定に明示してあるかないかの違いですね。

だから、どの問題文のことを言っているのですか?
封筒の選び方や並び方、渡し方等の傾向の度合が1/2ずつであると明記されていないのなら
> 「傾向性解釈でも」1/2とされるように問題文に明示してある
とは言えません。もちろん、そのような問題を考え、明記することはできますが
(既に書かれたものでないなら)それを「明示してある」とは言いませんよ。



>> 「得」の意味が違いますよね?
>> 前者は「得る金額の期待値が大きいこと/大きくなること」で
>> 後者は「実際に得る金額が大きいこと/大きくなること」の意味でしょうか?

>  おっしゃるとおり、前者は期待値の損得。後者は、交換してみて実際に利益があるか損失があるか。
>  普通に読んでわからないことはないと思いますが……、(でも実際わかりづらかったのであればお詫びします)

期待値の大小や正負も「損得」で表すんですか。「損得」の意味がまた1つ増えましたね。
ところで、正確に言うならここでの「期待値」とは「(一方の)封筒を開けた後の(事後)期待値」で
それ以外にも「封筒を開ける前の(事前)期待値」「金額組を固定して考える場合の期待値」
等の「期待値」も考えられます


さて、今まで私は、殆どφさんの主張が誤りであることに関して述べているだけで、
封筒問題自体に関しては「要点は別にある」等と言ってきただけで、具体的にその「要点」とは何か
については述べてきませんでした。が、ここらでその件についても述べておこうと思います。

φさん他、数学に疎い人は自覚なしに複数の意味で「損得」や「期待値」という語を用いている(区別がつかない)為に
矛盾が起きた等と錯覚する(パラドクスだと考える)。
そしてφさんはその錯覚に気付かないまま(数学に疎いが故)間違った認識を持ち、間違った論証を与え解決したと思い込んでる。
というのが私の、封筒問題とφさんの誤りに関する見解(の一部)です。


Re: 訂正です 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 9月 5日(月)00時35分51秒

φさんへのお返事です。

>  たとえばモンテカルロさんはあくまで無限級数のパラドクスだと主張する気配ですが、
>  私には、2封筒問題は無限級数のパラドクスではないという確信があるので、ちょっと説得に時間がかかりそうですが、まあ順を追ってやってみたいと思います。

頑張って下さい。個人的には、モンテカルロさんのいわゆる「全体の期待値」と封筒選択の関係(若しくは無関係)の事情がもっとクリアになれば、と期待しております。

私は、下限値問題の検討をもう少し続けてみようと思います。
1セントでやはり交換のメリットが明白になってしまうことは免れませんし、或いは下限値をギャンブラーに知らせないと言うのも設定に一貫性が無いし、とか、その辺りを。

では。



Re: 訂正です 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月 4日(日)10時20分12秒

φさんへのお返事です。

>  2封筒パラドクスの本質は、・・・「定項の変項性」「定数の変数性」にこそあると私は考えています。
>  つまり、どのみち一通りに決定した金額なのだから、わからないなりに、もう見たことにして「N」と文字定数で名づけて、交換が得だ、と期待値計算して交換する。しかしそれはダメなのですね。期待値は得にならない。
>  ところが、金額を本当に見れば、交換の期待値は本当に得である。未知の定数が、本物の具体的な数になったからです。
>  どうせ交換するのだから同じことなのに、ただの文字定数のままでは本当の定数にはならなくて、既知の数になるまで待たなきゃダメ。変数ではダメなのはわかるが、定数に違いないのにどうしてダメなんだろう? これをちゃんと説明するのが、2封筒問題の解決でしょう。
>  2封筒問題は、定項のパラドクスと、合理性(合理的判断の基準)のパラドクスであると考えられます。

φ氏は、事後確率の基本的なことが分かってない。

φ氏は「交換は全然得じゃない!」といってるが、その場合の想定は、
ペアを固定した上での、高い方か低い方か、である。つまり
(5000、10000)か、(10000、5000)か
である。

で、金額を見た場合の想定というのは、
自分の金額を固定した上で、自分の金額が低位のペアか高位のペアか、である。つまり
(10000、20000)か、(10000、5000)か
である。

両者の想定範囲は全く異なる。だから両者の計算値が異なってもおかしくない。

例えば、
(5000、10000)、(10000、5000)
(10000、20000)、(20000、10000)
の4つの場合がある2封筒問題を多数回実行し

・(5000、10000)、(10000、5000)の場合の交換の損益
・(10000、20000)、(20000、10000)の場合の交換の損益

を観察すれば、そりゃあ0に近づくだろう。

し・か・し

・(5000、10000)の場合の交換の損益
・(10000、5000)、(10000、20000)の場合の交換の損益
・(20000、10000)の場合の交換の損益

を観察した場合には、

・(5000、10000)の場合、交換で得
・(10000、5000)、(10000、20000)の場合、交換で得
・(20000、10000)の場合、交換で損

となり、全体では交換で0となるだろう。

その意味では、全く理に適っている。

但し、この計算は全体の期待値が有限の値に収束する場合には正しいが
そうでない場合には、そうならない。だからパラドックスだというわけだ。

「なぜ」そうなるか、についてはもちろん数学でも説明できない
そもそも、数学も科学も人が思う「なぜ」に直接回答しているわけではないし
実際はそんなことに回答する必要もない。
いかに直観を裏切るものであっても、それに慣れて新たな直観を会得すればよい。
それが学習というものである。
非ユークリッド幾何学然り、相対論然り、量子論然り。

>  たとえばモンテカルロさんはあくまで無限級数のパラドクスだと主張する気配ですが、

いや、ここに来て、
「そもそも、φ氏は、事後確率が全然分かってなくて
 自分勝手な誤解で、ただ騒いでるだけじゃないの?」
という疑惑が急浮上しましたw。

>  私には、2封筒問題は無限級数のパラドクスではないという確信があるので、
>ちょっと説得に時間がかかりそうですが、まあ順を追ってやってみたいと思います。

理由もなく確信するのは・・・いや、よしましょう。

当人にはその意識がないから、いっても無駄
というのは常識ですから。

ちなみに、私は、私一人で考えてみた到達した結論が
たまたまあのチャーマーズが到達したのと同じだったことに
満足しております。

まあ、φ氏の中の人が、
「チャーマーズの解決の仕方は間違っている!」
という論文を出して、チャーマーズ本人とケンカ論争すれば
哲学者らしくてよろしいんじゃないかと思いますね。


Re: 「なぜなら」の謎 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月 4日(日)09時51分16秒

φさんへのお返事です。

> カッコの付け替えが「一般的な」証明になってるとは思えませんが。
> つまり、モンテカルロさんが出した一様分布の一般形のような綺麗な列だったら、
> どういう種類のものでも交換の期待値を発散させる級数になってることが
> すべてに共通の計算で示せるのだろうとは思いますが、

まちがってますが。

pが1/2以上の場合に全体の期待値も交換の期待値も発散すると述べてますが。
したがってp<1/2ならば、そうなりませんが。

>期待値を発散させる確率分布はもっといろんな(キレイでない)ものがあるでしょうから、
>「もともとの期待値が発散する確率分布では必ず交換の期待値が発散する」
>というのは簡単に示せるとは思えない、ましてや自明とは思えないわけです。

数学は高校で終わった人には、自明じゃないでしょう。

証明されているのは
「いかなる場合にも損失がない状況で
 (つまり級数の各項が非負の実数値)
 もともとの期待値が収束する確率分布では
 いかなる順序交換でもその値は変わらないので、
 順序を交換した上で差を求める交換の期待値は
 0に収束する」
ということ。

そして、そうでない場合には反例があり、
2つの封筒問題はその反例にあたるということ。

>  しかしまあ、モンテカルロさんが書名まで出して保証してくれたことであるし、
> それはクリアされたことにしたいと思います。

必ず読めよ!

>  交換の期待値を得ゼロにする単純な計算と同じくらい
> 統一的な(アドホックでない)計算によって、
> 交換の期待値の得を発散させる計算ができるのだ、と。

φ氏の理解が間違ってます。

私がいっているのは
「交換の期待値の得が発散する状況では
 もともとの期待値が発散している」
ということ。

>  さて、問題はここからですが、
>  そういう確率分布のもとでは、2封筒問題において、金額を見たうえで毎回交換戦略をとったときの期待値変化が、実際はゼロなのか、発散なのかということです。

>  (モンテカルロ氏の主張は)上限額ナシの場合、「論じる意味がない」とのことでした。

>  かと思うと、
> >2円、4円、8円の場合の利益を、
> >16円の場合で、全て吐き出すということです。
>
>  ということは、上限ナシだといつまでも相殺する機会が訪れないから、
> 無限大の得ということ?

そこが素人のあさはかなところです。

そもそも発散する場合には値がないのですよ。

>  「期待値を論ずるのは無意味」なのか、
>「「発散する」というのが正しい」のか、
>どっちなんでしょう?

前者です。
「期待値を論ずるのは無意味」
です。

さあこれで終わったので、あとはゲリラを焼き尽くすだけだなw

>  (絶対値の大きさは2封筒問題のロジックに無関係だと思うので、
> 19729桁なんてのを出しても無意味だと思うのだが、)

数学を知らないからそう思うだけでしょう。
一発逆転の話をしたでしょう?

つまり簡単に勝ち負けがひっくり返されるから
ちょうど引き分けの状況なんてまず起きない
ってことですよ。

>  モンテカルロさんが一時期一様分布を
>(不本意に?)仮定したりして
> 話が錯綜したので

そういう言い草はありませんな。

まあ、φ氏は自分の土俵で相手に
力だけで押し出されたんですよ。
ほんとあっけないくらい簡単に。

>ここで整理させていただくとして、

どうぞ、ご随意に。

>  2封筒問題において、(一様分布とは限らず)
> 交換の期待値を発散させる計算ができる適当な確率分布のもとで、
>  モンテカルロさんは、
>  実際に交換戦略をとり続けたときの期待値が、無限大の得になる、
> と考えているのか、それとも
>  「期待値を論ずるのは無意味」と考えているのか。

また同じ質問ですか。

ここは、後者です。
「期待値を論ずるのは無意味」
です。

選択肢の順序を入れ替えて
錯誤を起こそうったって無駄ですよ。

>  今までのモンテカルロさんの発言を追っていくと、
> どっちなのかわからないのですが?

「無限大の得」という解釈は、φ氏が
無限級数の恐ろしさも知らず、勝手に
有限和と同じつもりで勘違いしてるだけ
ですよ。

>  ★交換の期待値を発散させる計算ができる適当な確率分布において、
> 金額を見たうえで実際に交換し続けたときの期待値の変化
>(交換しない場合に比べて)は、どのようになるんですかね???★

ん?いつから名目種が自然種になったんですかw

任意多数回試行した場合の損得の変化という意味なら、
次第に振れ幅が大きくなるシーソーのようになるでしょうな。

>  私の考えを再度明言しておきますと、
>  2封筒問題多数試行では、上限ナシ設定でも上限アリ設定と同じく、
> そしていかなる確率分布においても、交換による期待値変化は
> 短期的には損得揺れるにせよ長期的に見れば必ずプラスマイナスゼロ、
> というものです。そして、それは自明であると考えています。

次第に勝ち負けの振れ幅が大きくなるシーソーゲームを
「長期的に見れば必ずプラスマイナスゼロ」と言い切るのは
「自明」ですかね?全然違うでしょうw

数学における計算力もなく、したがって数学における想像力もない
素人の憶測が、いかに当てにならないかよく分かるってもんだ。
2chの数学板の評判は確かに当たっているな。


Re: 「なぜなら」の謎 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月 4日(日)04時43分46秒

> No.3136[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。


φ> >  ポイントは、それを、すべてに共通した
φ> >「同型のシェーマ」で統一的に「説明」
φ> >して見せてほしい、ということなのです。
>
> いわゆるカッコの付け替えの話なら、
> φ氏がベイズの事後確率の計算を
> 正しく理解しているのであれば、
> 自明ですがね。
>



カッコの付け替えが「一般的な」証明になってるとは思えませんが。


つまり、
 モンテカルロさんが出した一様分布の一般形のような綺麗な列だったら、どういう種類のものでも交換の期待値を発散させる級数になってることがすべてに共通の計算で示せるのだろうとは思いますが、期待値を発散させる確率分布はもっといろんな(キレイでない)ものがあるでしょうから、「もともとの期待値が発散する確率分布では必ず交換の期待値が発散する」というのは簡単に示せるとは思えない、ましてや自明とは思えないわけです。

 しかしまあ、
 モンテカルロさんが書名まで出して保証してくれたことであるし、それはクリアされたことにしたいと思います。
 交換の期待値を得ゼロにする単純な計算と同じくらい統一的な(アドホックでない)計算によって、交換の期待値の得を発散させる計算ができるのだ、と。

 さて、問題はここからですが、
 そういう確率分布のもとでは、2封筒問題において、金額を見たうえで毎回交換戦略をとったときの期待値変化が、実際はゼロなのか、発散なのかということです。

 以前のモンテカルロさんの

> もとの2封筒問題で公開するのが常に自分の封筒だとする場合、
> 上限額を設定するなら、上限額の場合には交換により膨大な損失が生じるので
> それ以外での金額の場合の、交換における利益が相殺され、全体の期待値は変動しない。
>
> 上限額を設定しないなら、上記の膨大な損失が生じなくなるため
> 交換によって全体の期待値が増えるように見えるが、実際は
> そもそも全体の期待値が∞だから、そもそも変動したかどうか
> 論じる意味がない。
>

 を見ると、上限額ナシの場合、「論じる意味がない」とのことでした。
 かと思うと、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3121ではモンテカルロさんは


φ> 上限額は孤立しておらずペアでセットになっているのであり、
φ> 16円→8円と8円→16円とが同頻度で起きるために損得が相殺するのであって、
>
>違いますよ。
>つ・ま・り、2円、4円、8円の場合の利益を、
>16円の場合で、全て吐き出すということです。
>

 ということは、上限ナシだといつまでも相殺する機会が訪れないから、無限大の得ということ?

 「期待値を論ずるのは無意味」なのか、「「発散する」というのが正しい」のか、どっちなんでしょう?

 私がhttp://8044.teacup.com/miurat/bbs/3113で次のように述べたのに対し――

φ そもそも上限ナシの場合に「全体の期待値が増えるように」なんて見えませんけど?
φ 上限なしで実際に多数試行を始めてみればわかります。

 これに対してモンテカルロさんは、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3121

>
> 目が悪いんでしょう。
>
> 「期待値は損得ナシのまま推移」という言葉は具体的には
> 「多くの回数で、期待値ゼロになる」という意味ですか?
>
> もしそうなら、そんなに都合よく行きませんよ。
>
> 言っときますが、2^2でも2^(2^2)=2^4でも
> 2^(2^(2^2))=2^16でも
> 2^(2^(2^(2^2)))=2^65536でも、
> 現れるんですよ。
>
> 2^65536というのは10進法なら19729桁ですよ。
>
φ> >>>上限アリの場合と基本は変わりません。
>
> それは無限級数を有限和と全く変わらないといい切る点で暴挙ですね。
>
> 実際そうではないのだから。
>

 ということですが、
 (絶対値の大きさは2封筒問題のロジックに無関係だと思うので、19729桁なんてのを出しても無意味だと思うのだが、それはここでは措いといて)
 モンテカルロさんが一時期一様分布を(不本意に?)仮定したりして話が錯綜したのでここで整理させていただくとして、
 2封筒問題において、(一様分布とは限らず)交換の期待値を発散させる計算ができる適当な確率分布のもとで、
 モンテカルロさんは、
 実際に交換戦略をとり続けたときの期待値が、無限大の得になる、と考えているのか、それとも
 「期待値を論ずるのは無意味」と考えているのか。

 今までのモンテカルロさんの発言を追っていくと、どっちなのかわからないのですが?

 ★交換の期待値を発散させる計算ができる適当な確率分布において、金額を見たうえで実際に交換し続けたときの期待値の変化(交換しない場合に比べて)は、どのようになるんですかね???★

 私の考えを再度明言しておきますと、
 2封筒問題多数試行では、上限ナシ設定でも上限アリ設定と同じく、そしていかなる確率分布においても、交換による期待値変化は短期的には損得揺れるにせよ長期的に見れば必ずプラスマイナスゼロ、というものです。そして、それは自明であると考えています。



さて?


Re: 訂正です 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月 4日(日)04時38分36秒

> No.3140[元記事へ]

おかめ石さんへのお返事です。

>
> いま変数性と書きましたが、よくよくNの性質を考えてみると、二面性がありますね。
>  ギャンブラーが、具体的な金額を知らない、という面、つまり、ギャンブラーにとってN=600などといった或る特定の(particular)数値を表してはいないこと。いわば変数性
>  しかし、胴元が或る金額を選定したことをギャンブラーは情報として持っていること。話の途中で変動しない、一定の(fixed)数値をとるということ。定数性
>

 そうですね。
 その二面性は、『論理サバイバル』の第73問で「定項のパラドクス」として論じたことがあります(そのパラドクスは、自前のオリジナルパラドクスでした)。

 2封筒パラドクスの本質は、この「定項の変項性」「定数の変数性」にこそあると私は考えています。
 つまり、どのみち一通りに決定した金額なのだから、わからないなりに、もう見たことにして「N」と文字定数で名づけて、交換が得だ、と期待値計算して交換する。しかしそれはダメなのですね。期待値は得にならない。
 ところが、金額を本当に見れば、交換の期待値は本当に得である。未知の定数が、本物の具体的な数になったからです。
 どうせ交換するのだから同じことなのに、ただの文字定数のままでは本当の定数にはならなくて、既知の数になるまで待たなきゃダメ。変数ではダメなのはわかるが、定数に違いないのにどうしてダメなんだろう? これをちゃんと説明するのが、2封筒問題の解決でしょう。
 2封筒問題は、定項のパラドクスと、合理性(合理的判断の基準)のパラドクスであると考えられます。

 たとえばモンテカルロさんはあくまで無限級数のパラドクスだと主張する気配ですが、
 私には、2封筒問題は無限級数のパラドクスではないという確信があるので、ちょっと説得に時間がかかりそうですが、まあ順を追ってやってみたいと思います。


Re: 訂正です 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 9月 4日(日)00時21分4秒

φさんへのお返事です。

>  たとえば、現実の貨幣を使ってプレイする場合、手もとに10円が来ることはありえません。
>  なぜなら、問題が成立しなくなるからです。(5、10)(10、20)のうち、(5、10)は除外されるからです。
>  なぜ除外されるかというと、もし5円の方を選んだとしたら、2.5円は存在しないので、ただちに「交換が得」とわかってしまったからです。

砂金の重さを記した目録が入っている、等とするのも一案ですが、本来の問題設定を損なわないように、重量のような連続量に対象を広げず、一貫性を持たせるため50銭や50セントを許すというのが結局、現実的という事ですかね。

*****
ここで、昨夜の記事への補訂を記しておきます。訂正2箇所と少し補足もあります。「神の視点」というのもちょっと大げさでしたね。「胴元の視点」で十分でした。

訂正の一つ目は、封筒選択時に、左右の場合分けの他に①②の場合分けまでやるのは不要でした。書いてる時に異和感あったんですが、そのまま書き進めてしまいました。

左を選ぶ場合から検討を始めると、倍額の方が左右どちらに成ってるのか全く分からない状況だから、
ギャンブラーの主観としては、左にペアの中の少額の方とその倍額の方が現れることは‘同様に確からしい’と考えるしか無く、確率1/2ずつで起こるとせざるを得ない、という訳で、
 期待値=少額×(1/2)+倍額×(1/2)=(少額+倍額)×(1/2)
右を選ぶ場合も事情は同じで、結局、左右どちらの期待値も合計の半額、という事ですね。だいぶ簡潔になりました。

訂正その2は、Nを定義する場所に関して、
「これは、一般化して、(N,2N) N=1,2,3,…と書くことができます。」と「Nは任意の自然数です。」は書き加えなくてもよかった、という事です。
前の文は、あそこでNを出すと胴元の視点からNを選定したと解釈できてしまい、Nの本来担うべきギャンブラーの視点から見た変数性を失う恐れがありますね。
後の文は、選択の段階でも数値が変動するようにも読めてしまうので、無い方がよかったです。

いま変数性と書きましたが、よくよくNの性質を考えてみると、二面性がありますね。
 ギャンブラーが、具体的な金額を知らない、という面、つまり、ギャンブラーにとってN=600などといった或る特定の(particular)数値を表してはいないこと。いわば変数性
 しかし、胴元が或る金額を選定したことをギャンブラーは情報として持っていること。話の途中で変動しない、一定の(fixed)数値をとるということ。定数性

それでは。



とあるお方の書評より 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月 3日(土)10時02分33秒

「数学が嫌われる最大の理由は、「直観を愚弄する」ことだろう。
 親から授かった感性を尊ぶ人ほど、数学の暴力性に反発したくなるはずだ。
 でも、自然な情緒を追認する文学や芸術ですら、
 親譲りのぬくもりを混ぜ返す折々の狼藉に満ちている。
 文明のそうした否定ダイナミズムの、最もピュアな形態が数学なのだ。」

直観が裏切られることを不愉快と感じる人もいれば愉快と感じる人もいる。
ちなみに私の父親は非常識なことを面白がる人だったので
直観が裏切られることに関して爽快感は感じるが、
別にアイデンティティが崩壊したとは思わない。

というより、そもそもアイデンティティという言葉の意味が今だに分からない。


本掲示板の記事の部分削除に関する案 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月 3日(土)09時45分40秒

No.3121
言葉をむやみに大げさにするのは詐欺師のすることですよ。

異なる思想の弾圧であり粛清ですね。
いつから哲学はファシズムになったのでしょうか?

No.3127
いやー、あるんだかどうだかわからない効能で
健康食品売りつける企業と大して変わらないじゃん!

No.3135の全文

上記4箇所の、ログからの削除については、
下記箇所のログからの削除を同時に行う限り
において認める。

No.3133
 さて、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3127についてですが、
 後半はよいのですが、前半はなんとかなりませんか?
 内容がなく、ほとんど罵倒の羅列に近い。
 前回も、ファシズムとか詐欺師とか。必要なコトバですか?

 この掲示板を見た人が、「ああ、ここは、たちの悪い掲示板だ」「議論じゃなく喧嘩のようだな、やめとこ」と避けてしまう可能性がありますね。真面目で優秀な人ほど、避けるでしょう。
 それは私にとって損失だし、モンテカルロさんにとっても不本意なはずです。

 乏しい時間をやりくりしてここに書き込んでいる私としても、どうせなら愉快にやりたいですからね。

なお、その際、本記事はログから削除するものとする。


Re: 「なぜなら」の謎 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月 3日(土)09時05分3秒

> No.3133[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  まず、そのチャルマーズの解法なるもの、そのうち読んでみようと思います。
>  ただし、2封筒はサンクトペテルブルクとは全く論理構造が異なるので、
>  チャルマーズの前提そのものに議論の余地有りという予感がしますけれどね。

「前提」じゃないですよ。「結論」ですよ。

「全体の期待値が発散」という現象がサンクトペテルブルクと同様だ、
というだけで、論理構造が同じなんて話は一切していませんよ。



Re: 「なぜなら」の謎 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月 3日(土)08時59分20秒

> No.3133[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  さて、そこで本題ですが、
>  残念ながら、実例を出してもらっただけでは
> 私への応答になっているとは言えません。

真面目に読んでます?
数式が出た瞬間、すっ飛ばしてるでしょ。
それじゃあ、わかるわけないじゃないですか。
どんだけ、数学嫌いなんですかw

> まあ私に理解できなくて結構ですから、
> 一般化の方針だけでも示していただけると幸いです。

誠に残念ですが、数式ヌキの方針なんて
エビの入ってないエビ天ですよw。

>  「交換の期待値が無限大に発散する」
> ような計算が常に構成できる、ということには
> 私はあまり疑いを持ってはいないわけです。

本当ですか?そもそも二封筒問題のパラドックスは
そんな数学的なトリックとは全く関係がない!と
絶叫してませんでしたっけ?

まあ、「君子豹変す」といいますからね。
私としては豹変は大歓迎ですよ。

>  ポイントは、それを、すべてに共通した
>「同型のシェーマ」で統一的に「説明」
>して見せてほしい、ということなのです。

いわゆるカッコの付け替えの話なら、
φ氏がベイズの事後確率の計算を
正しく理解しているのであれば、
自明ですがね。

無限級数におけるおかしな振る舞いの件なら
そうなるということがわかってるだけであって
「なぜ」と問われても答えようがない。
そこを哲学的に考えたいというのは自由ですが
それは二封筒問題よりも大きな話ですよ。

>  交換の期待値が得失ゼロ、という計算は、
> いかなる確率分布に対しても
> 全く同じ形をした計算ができますよね。
> ゼロをどこまでも足し合わせるという形の。
>  最終的にはペアの間で選択が為されるので、
> 計算としては最初にペアを組み合わせて
> 級数を作るのが自然に決まっています。

ええ。
で、「同型のシェーマ」とか
もったいぶった表現でいいたいのは
そんなチャチなこと?

>  もう一方の、交換の期待値が発散する、
>という計算についても、同じくらい自然
>とまでいわずとも、少なくとも「一般的な形」
>があるのかどうか。
>  つまり、期待値が無限大に発散するような
>任意の(ペア、確率)の無限列のどれについても、
>共通した形の式によって統一的に
>「交換の期待値の発散」が示せるのかどうか。

「交換の期待値が発散する状況」と
「交換により常に利益が生じる状況」が
論理的に同値であることは示しましたがね。
それでは正しいと認められない。
つまり、論理は全く信頼できない、
目でみて同じだとわかる形で示せ、と?

まあ、全体の期待値のところで、
7500(1-p)/(1-2p)
という式が導かれ、各金額別の交換の期待値のところで
10000*2^(n-1)(2p-1)/(1+p)
が導かれたわけですが、ボールド体のところを見れば
前者の式の一部に-1をかけたものが後者の式に現れてるわけで
その程度の「同型のシェーマ」とやらはありますね。

>  「期待値が無限大に発散するような(確率変数、確率)の列の級数」
> のパターンを網羅的に挙げる方法があるのかどうか自体が興味深いわけです。

別に網羅しなくてもいいけど。

なぜなら、逆に全体の期待値が収束する場合には、
絶対収束(各項の絶対値の和が収束)しており、
「絶対収束する数列はカッコをどう付け替えても収束値が変わらない」
という証明があるから。

つまり、カッコの付け替えで値が変わるのは、
全体の期待値が発散する場合とわかる。

>  列というのは、各項(ここでは、第二項の確率)が
> 綺麗なアルゴリズム的な式で書けるものばかりではなく、
> 不規則であったり、パッチワーク的な変化をするものもある
> だろうし、列挙は不可能だろうと思うのですが。
>  もちろん、構成的方法がなくても証明できるような
> 間接証明法があればOKでしょうけれどね。

上記の件の証明については、例えばハイラー&ヴァンナーの「解析教程」の
下巻p35の III.2.2 絶対収束の定理2.9の証明でも見てください。
ちなみにこの定理は1837にディリクレが証明したものだそうです。

>  それから、各ペアへの確率の割り当てが試行ごとに異なる場合も
> フォローしなければなりません。胴元は、毎回同じ確率分布に従った
> 選択をするとは限りませんから。むしろ変えるのが普通でしょう。

その話は意味がありませんね。

自然種ではなく名目種ですから

>  ともあれ、「交換の期待値が得失ゼロという計算」の統一性に匹敵する
>統一的な計算(あらゆる可能なバリエーションに対応できる計算)を、
>「交換の期待値が発散するという計算」について示していただく必要があるのです。

その枠組みが間違ってます。

「ペア固定による計算」(結果は得失ゼロ)と
「自分の金額固定による計算」の関係について
「一致するときもあれば、しないときもある。
 全体の期待値の金額が収束するときには一致するが
 そうでない場合には一致しない場合がある」
ということですよ。

>  あまり膨大になるようだとなんですので、
> 書物かウェブサイトの紹介でも結構ですが。

φ氏のナイーブな戦略があまりにも
数学的に筋が悪いので無理でしょう。

φ氏が数学にあわせる以外に方法がありませんね。

>  ↑これがクリアされた段階で、次なる論題
>(「それでははたして、2封筒問題とは、無限級数の問題に尽きるのか?」)
>に行こうと思います。

いや、行かなくていいよ。それ今の論題だから

φ氏一人が勝手にずっこけてるだけでw。


どうでもいい話 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月 3日(土)08時10分2秒

> No.3133[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  さて、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3127についてですが、
>  後半はよいのですが、前半はなんとかなりませんか?
>  内容がなく、ほとんど罵倒の羅列に近い。
>  前回も、ファシズムとか詐欺師とか。必要なコトバですか?

今度は「言葉狩り」ですか。

お望みとあらば、気に入らない箇所を
管理者の権力で削除なさったらいかがですか?

いっときますが、数学について述べている箇所を
削除すれば、あなたの評判は一気に下落しますよ。

>  この掲示板を見た人が、
>「ああ、ここは、たちの悪い掲示板だ」
>「議論じゃなく喧嘩のようだな、やめとこ」
>と避けてしまう可能性がありますね。
>真面目で優秀な人ほど、避けるでしょう。

そんなことはないでしょう。
真面目で優秀な私が来たのですからw
というのは、冗談ですが。

例えば2chには、真面目で優秀な人は来ませんか?
そんなことはありませんよ。ああいうところほど
真面目で優秀な人間が来る。しかも呆れるほど口が悪い。
世間的な意味での「人格」と能力は無関係です。

>  それは私にとって損失だし、モンテカルロさんにとっても不本意なはずです。

φ氏にとっての一番の損失は、自分の誤りを指摘してくれる
多分にオセッカイだが実は親切な人々を撃退することで
誤りに気付く機会を失うことでしょう。

はっきりいえば、私にとっては大した利益は何もありませんよ。

>  乏しい時間をやりくりしてここに書き込んでいる私としても、
> どうせなら愉快にやりたいですからね。

「愉快」というのは、貴方の主張を皆に押し付けることではありませんよ。
あなたひとりが愉快でも、まわりはちっとも愉快じゃないってことですよ。




但書き 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月 3日(土)07時38分31秒

> No.3133[元記事へ]

φさんへのお返事です。

 一箇所、注釈させてください。

>
>  それから、各ペアへの確率の割り当てが試行ごとに異なる場合もフォローしなければなりません。
> 胴元は、毎回同じ確率分布に従った選択をするとは限りませんから。
>

 ↑わかりづらい変な書き方だったかとあとで思いましたので、
 具体的には次のようなことを考えてください。

 期待値の発散する2封筒ゲーム多数試行が複数種類同時進行していて(各々の胴元は別々の確率分布に従う)、プレイヤーは一回ごとに異なるゲームに入ってプレイする、というような、そういう場合です。
 一つのゲームで毎回胴元が選択のアルゴリズムを変える、というのをもともと意図していましたが、もっと現実的な設定としては、(2スリット実験でよく為されるような)別々のゲームから試行を取り出してきて合併し、新たなゲームを構成する、というやり方の方がイメージしやすいかと。


Re: 「なぜなら」の謎 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月 3日(土)06時05分20秒

> No.3127[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

 まず、そのチャルマーズの解法なるもの、そのうち読んでみようと思います。
 ただし、2封筒はサンクトペテルブルクとは全く論理構造が異なるので、チャルマーズの前提そのものに議論の余地有りという予感がしますけれどね。

 さて、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3127についてですが、
 後半はよいのですが、前半はなんとかなりませんか?
 内容がなく、ほとんど罵倒の羅列に近い。
 前回も、ファシズムとか詐欺師とか。必要なコトバですか?

 この掲示板を見た人が、「ああ、ここは、たちの悪い掲示板だ」「議論じゃなく喧嘩のようだな、やめとこ」と避けてしまう可能性がありますね。真面目で優秀な人ほど、避けるでしょう。
 それは私にとって損失だし、モンテカルロさんにとっても不本意なはずです。

 乏しい時間をやりくりしてここに書き込んでいる私としても、どうせなら愉快にやりたいですからね。

 さて、そこで本題ですが、
 残念ながら、実例を出してもらっただけでは私への応答になっているとは言えません。

>
> (上記の性質は、実は一般の確率分布で成り立つのだが
>  いきなりこの話をしてもどうせ理解できないだろうから
>  例示するために、上記の確率分布を設定してみせた。)
>

 ということなので、まあ私に理解できなくて結構ですから、一般化の方針だけでも示していただけると幸いです。

 「交換の期待値が無限大に発散する」ような計算が常に構成できる、ということには私はあまり疑いを持ってはいないわけです。
 ポイントは、それを、すべてに共通した「同型のシェーマ」で統一的に「説明」して見せてほしい、ということなのです。

 交換の期待値が得失ゼロ、という計算は、いかなる確率分布に対しても全く同じ形をした計算ができますよね。ゼロをどこまでも足し合わせるという形の。
 最終的にはペアの間で選択が為されるので、計算としては最初にペアを組み合わせて級数を作るのが自然に決まっています。

 もう一方の、交換の期待値が発散する、という計算についても、同じくらい自然とまでいわずとも、少なくとも「一般的な形」があるのかどうか。
 つまり、期待値が無限大に発散するような任意の(ペア、確率)の無限列のどれについても、共通した形の式によって統一的に「交換の期待値の発散」が示せるのかどうか。

 「期待値が無限大に発散するような(確率変数、確率)の列の級数」のパターンを網羅的に挙げる方法があるのかどうか自体が興味深いわけです。
 列というのは、各項(ここでは、第二項の確率)が綺麗なアルゴリズム的な式で書けるものばかりではなく、不規則であったり、パッチワーク的な変化をするものもあるだろうし、列挙は不可能だろうと思うのですが。
 もちろん、構成的方法がなくても証明できるような間接証明法があればOKでしょうけれどね。

 それから、各ペアへの確率の割り当てが試行ごとに異なる場合もフォローしなければなりません。胴元は、毎回同じ確率分布に従った選択をするとは限りませんから。むしろ変えるのが普通でしょう。

 ともあれ、「交換の期待値が得失ゼロという計算」の統一性に匹敵する統一的な計算(あらゆる可能なバリエーションに対応できる計算)を、「交換の期待値が発散するという計算」について示していただく必要があるのです。

 あまり膨大になるようだとなんですので、書物かウェブサイトの紹介でも結構ですが。

 ↑これがクリアされた段階で、次なる論題(「それでははたして、2封筒問題とは、無限級数の問題に尽きるのか?」)に行こうと思います。


Re: 訂正です 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月 3日(土)05時44分1秒

> No.3126[元記事へ]

おかめ石さんへのお返事です。


>
> 最初に掲げた組数列を見て頂ければお分かりの通り、
> 1,3,5,7,…など奇数の金額を引き当てた場合は、交換した方が必ず得に成りますね。
> 同じ奇数は他に決して現れず、ペアの中で少額の方に必ず成りますから。
> ドルに対するセントのように、円に対して銭の使用を許せば問題とはなりませんけど
>(小切手の額面に使えるかどうか、という問題はありますが)。
> このことは改訂版を出されるとき、一筆加えておかれてもいいかも知れませんね。
>

 ↑これに関連して、
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3055 で述べたように、「抜き打ち試験のパラドクス」と「2封筒問題」の合成版みたいパラドクスが構成できそうです。
 再掲すると、

 ◎◎◎◎◎◎
 たとえば、現実の貨幣を使ってプレイする場合、手もとに10円が来ることはありえません。
 なぜなら、問題が成立しなくなるからです。(5、10)(10、20)のうち、(5、10)は除外されるからです。
 なぜ除外されるかというと、もし5円の方を選んだとしたら、2.5円は存在しないので、ただちに「交換が得」とわかってしまったからです。
 他方、全世界の資産をS円とすると、手もとにS/4円が来ることはありえません。なぜなら、(S/8、S/4)(S/4、S/2)のうち、(S/4、S/2)は除外されるからです。もしS/2が来ていたら、ただちに「交換が損」とわかってしまうので。

 ここから、抜き打ち試験パラドクスのような逆向き推論によって、胴元はいかなる金額も選べなくなって2封筒ゲームは不成立、という別口のパラドクスも構成できますが……
 ……
 ……プレイヤーが選ばずに胴元が渡す設定では、5円とS/2円だけが除外されて、逆向き推論は始動しません)
 ◎◎◎◎◎◎

 ただし、その合成版は、実質的に「抜き打ち試験のパラドクス」単体と変わらず、「2封筒問題」の特性を活かすのは至難かもしれませんが……。


Re: 「なぜなら」の謎 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月 3日(土)05時42分49秒

> No.3125[元記事へ]

TTTさんへのお返事です。

>
> 数学の確率論っぽい用語や記号を用いて定義しようとしてますが、全然定義になってません。
>

 ポイントは定義として成功しているかどうかではなく、内容をどう思われるかを聞きたかったので。
 「定義」と書いたのは確かにいい加減だったので、タイトルは、「主観確率による「無知」の説明」くらいにしておきましょう。

>
> 上限や下限のない無限集合に対して、一様分布は存在しません。
> φさんはこれを、任意の有限部分集合の一様分布により対処(誤魔化し)しようとしてるようですが、
> できてません(理由は既出)。
>

 胴元の選択肢の母集団における上限そのものも、選択肢の一つであるわけだから、必ず有限の数(小切手に書ける数)でないといけません(胴元が小切手に書ける金額で止まる必要のない「サンクト・ペテルブルク」とはそこが決定的に違う)。つまり、どの試行においても母集団は必ず有限部分集合であり、そのつど必ず一様分布は存在するはずです。
 このことはもう話が済んでいると思いましたが、
 まだ決着がついてないというなら、また後日、改めて論ずることにしましょう。

>
> >  無知のとき、ベイズ的な推論の出発点に1/40以外を設定することはできません。
>
> その前提を出発点として、いったい何が導けるのですか?
>



TTTさんの完璧主義はわかるのですが、それでは、「そこから大したことが導けない」という理由で、1/40を否定するのでしょうか?

 なお、


■基本方針
 については、もっともなことばかりですね。
 参考にさせていただきます。

 さて、そこで、御質問の方ですが、

 その前に、申し訳ありません、
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3101 ですでに但し書きを付けましたが、
引用部の「つまり、試行全体の平均に照らして初期金額が大きいときに損しやすく、初期金額が小さいときに得しやすい」は除去して読んでください。上限、下限の存在を考慮に入れるとこの文そのものは完全に間違いとは言えませんが、もともとその前の一文「封筒を交換して得する場合と損する場合とを比べると、あなたの封筒内に見出す初期金額は、平均して、交換が得な場合には損な場合の半額であるはず。」を言い換えるつもりで書いたので、表現ミスです。不用意な一文でした。削除しても全体の意味には差し障りありません。

>
> 「得」の意味が違いますよね?
> 前者は「得る金額の期待値が大きいこと/大きくなること」で
> 後者は「実際に得る金額が大きいこと/大きくなること」の意味でしょうか?(この文章、私には全く意味がわかりません)
>

 おっしゃるとおり、前者は期待値の損得。後者は、交換してみて実際に利益があるか損失があるか。
 普通に読んでわからないことはないと思いますが……、(でも実際わかりづらかったのであればお詫びします)

>
> なぜ「初期金額は変動すると、~~の半額であるはず。」なのかわかりません。
>

上限、下限がある場合は、これは自明ですよね。
たとえば(2,4)(4,8)(8,16)で実際に何度も試行をやってみればそうなりますし。

次に、上限がない場合ですが、
私の立場は再三述べているように、「上限は選択肢の一つであるがゆえに、実際に小切手に書ける金額でなければならず、したがって常に有限であり、上限は不特定ではあっても存在せざるをえない」というものです。
 『論理パラドクシカ』ではそれを自明と考えていたために上限に関しては触れませんでしたが、上限にこだわる人がこれほどいるとわかっていたら、上限について論ずるべきでしたかね。… …

 というわけで、
 全試行で、交換して実際得した場合と実際損した場合のそれぞれについてあとから調べて平均すると、2倍の差が出るだろう、というのは統計的事実だというわけですが。

>
> 封筒の見分けがつかないことが理由なら、各々1/2としたのは主観確率でしょう。
>

 もちろん主観確率でも1/2とされるが、「傾向性解釈でも」1/2とされるように問題文に明示してある、という意味で、客観確率と言ったのです。設定に明示してあるかないかの違いですね。

>
> Cが一様分布か否かは本質ではありません。
>

 もちろんそのような新たな問題を作ることはできるでしょう。
 ただしその場合も、設問に明示されたとたんに客観確率となり、計算の中の1/2を他の値に置き換えればよいだけで、A、Bの一様分布とはわけが違います。つまり、A.の各ペアの選択確率をすべての係数として括り出せないことに変わりありません。私がhttp://8044.teacup.com/miurat/bbs/3123で述べたことに修正は要しないと思います。


ところで 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月 3日(土)01時48分31秒

どうも私の説明は、「意識の哲学」で有名な
D.チャーマーズのものと同じらしい。

http://d.hatena.ne.jp/catsnrats/20081005/1223224908

チャーマーズは数学オリンピックのメダリストで、
学生時代は数学を専攻していたそうである。
もっとも、そこまで賢くなくてもこの程度のことは
気付けるだろう。


Re: 「なぜなら」の謎 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月 3日(土)01時30分44秒

> No.3125[元記事へ]

TTTさんへのお返事です。

> > C. 二者択一の事前確率(客観確率)
> >  当該の封筒のペアのうち、自分が高額の方を取るか、低額の方を取るかの確率分布です。

> 実は封筒を渡す時や並べる時、選ぶ時に偏りがあった(傾向の度合が1/2でなかった)
>から客観確率は各々1/2ではなかった等、客観確率が各々1/2でない問題設定は
>いくらでも作れるし、この(主観or客観)確率が各々1/2でなくても、同様のパラドクス
> (プレイヤーAは受け取った封筒の金額が高額である確率が大きかった(期待値が
>大きかった)とわかっていたのに、金額確認後は他方の封筒の期待値の方が大きくなった)
> は構成できるので、Cが一様分布か否かは本質ではありません。

ごもっとも。例えば、封筒が2つである必要はなく
N個の封筒の中に1つだけ金額が高額なものがある
としてもよいだろう。


つまらん指摘 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月 3日(土)01時16分19秒

> No.3126[元記事へ]

おかめ石さんへのお返事です。

> ここに、
>  (1,2),(2,4),(3,6),(4,8),(5,10),(6,12),(7,14),(8,16),(9,18),(10,20),…
> という数値ペアからできている組数列があります。
(中略)
> 最初に掲げた組数列を見て頂ければお分かりの通り、
>1,3,5,7,…など奇数の金額を引き当てた場合は、
>交換した方が必ず得に成りますね。
>同じ奇数は他に決して現れず、ペアの中で少額の方に必ず成りますから。
>このことは改訂版を出されるとき、一筆加えておかれてもいいかも知れませんね。

そもそも、組数列を(N、2N)と考えるのが無意味。
例えば(2^N、2^(N+1))と考えればいい。(Nは0以上)

つまり、(1,2),(2,4),(4,8),(8,16),(16,32),(32,64),(64,128),(128,256),・・・
とすればいい。

この場合、必ず得になる場合は1の場合だけに制限できる。


Re: 「なぜなら」の謎 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月 3日(土)00時48分14秒

> No.3123[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> 問題の条件明示のなるべく広い範囲において
> 同型の説明が成り立つというのが、
> 説明の良し悪しの基準となります。
> よって、正しい計算はこうなるでしょう。

> 2円、4円の場合(確率a)
> 交換で(2-2)/2=0円得
> 4円、8円の場合(確率b)
> 交換で(4-4)/2=0円得
> 8円、16円の場合(確率c)
> 交換で(8-8)/2=0円得
> 全体では
> 0×a+0×b+0×c=0

単にベイズの定理を否定しただけじゃん
こんなん、説明でもなんでもないよ。

こんないい加減な文章を「パラドックスの解決」だといって、
本だして、一般大衆から金巻き上げてるの?

いやー、あるんだかどうだかわからない効能で
健康食品売りつける企業と大して変わらないじゃん!

> 一様分布の場合も、たまたまa=b=cだからといって例外扱いせず、
> 0×1/3+0×1/3+0×1/3=0
> というふうに律儀に考えるべきであり、
> 1/3×(0+0+0)
> と考えてはいけません。(便宜的計算はともかく「説明」としては)
> たまたま主観的にa、b、cを等しいと置かざるをえないだけであり、
> 理論的には各ペアの確率の共通項ではないからです。

なんか、掛け算の順序を変えると×をつける小学校の先生みたいな言い草だなw

くくり出しに関して言えば、そもそも
「無限個の対象に対する一様分布」
の確率が数学的には無意味だから
これを回避しただけである。

> あれほど一様分布に「固執」したφが
> 一様分布特有の計算を放棄するのは矛盾だ、
> などと言わないでくださいよ。
> 今は「説明する」とはどういうことか、を論じています。
> 一様分布専用の計算ではなく、他の確率分布のときと共通する
> 一般的計算を示すのが「本当の説明」だと言っているのです。

事後確率による計算を全否定するだけで
「本当の説明」だといわれても
「縁なき衆生は度し難し」と
いうしかないよな。

> いずれにせよ、
> 今回の私の説明で、理由は明らかになったと思われます。
> 上限をどこに置こうが、その極限を考えようが、理屈は変わりません。
> 無限級数はこのパラドクスに無関係ということです。
> 繰り返し設定は、上限の有無にかかわらず、
> 封筒内を見てない状態での2封筒問題となんら変わらず、
> 交換戦略によってハッキリ損得ナシです。

残念だが、あなたは間違ってる。

さて、

> 説明とは、当該問題だけにアドホックに適用できればよいというものではありません。
> 同種の他の問題にも応用できるのが、正しい説明です。
> 無知が解除されるというような、もとの問題設定と矛盾しない変更をも
> 包括できなければ「説明」ではありません。
> 2封筒問題の原形は、無知という初期設定により
> A、Bとも一様分布で考えるべきであることに変わりありませんが、
> 微修正により別バージョン問題も当然可能で、
> そのときに同型の説明が適用できないようでは、
> その説明は失格だということです。

ほう、自分の数学的能力の欠如は全く棚に上げて
特殊な場合に限定した説明による「ポツダム宣言」を
φ氏は黙殺する、と。

よろしい。それでは、次の手段に出るとしよう。

といっても、むやみな一般化は、φ氏のごとき
「数学は高校卒業で終わった一般人」には
到底理解不能に違いないので、まず以下の確率分布
に限定するとしよう。

ペア     確率
(5000,10000) (1-p)
(10000,20000) (1-p)p
(20000,40000) (1-p)p^2

(2^(n-1)*10000,2^n*10000) (1-p)p^n


(0
計算すればわかるが、確率の総和は1になる。
(このことは高校の数学で習う
 1+x+x^2+…=1/(1-x)
 から明らかである。)

また、期待値については


(5000/2+10000/2)(1-p)
+(10000/2+20000/2)(1-p)p
+…
=7500Σ(1-p)(2p)^n
となり、2p<1の場合は、
7500(1-p)/(1-2p)
に収束する。

さて、封筒の金額が最低額の5000円でないとき、つまり
2^n*10000円(nは0以上)であるとき、可能性があるのは

・(2^(n-1)*10000,2^n*10000)の高額の場合 確率(1-p)p^(n-1)/2
・(2^n*10000,2^(n+1)*10000)の低額の場合 確率(1-p)p^n/2

のいずれかであり、確率の比は、金額によらず、
(2^(n-1)*10000,2^n*10000):(2^n*10000,2^(n+1)*10000)=1:p
となっている。
(したがって、先の確率分布は1:1となる一様分布の
 自然な拡張となっている。)

そしてその場合の交換による損益の期待値は
2^n*10000*p/(1+p)-2^(n-1)*10000/(1+p)
=10000*2^(n-1)(2p-1)/(1-p)
となる。

式から明らかなように、2p>1であれば、交換により、利益が生じる。
しかし、この場合、先に述べたように全体の期待値は無限大に発散する。

さて、各々の金額の選択確率と各金額別の損益の期待値の積は

5000円の場合  10000(1-p)/2
2^n*10000の場合 -10000*2^n(1-p)p^n/2+10000*2^(n+1)(1-p)p^(n+1)/2

となり、全金額における加算値は

 10000(1-p)/2+(-10000(1-p)/2+10000*2(1-p)p/2)+(-100002(1-p)p/2+10000*2^2(1-p)p^2/2)+…

となる。

一方、ペア毎の交換の損益については
(2^(n-1)*10000,2^n*10000)のペアの場合

10000*2^n(1-p)p^n/2-10000*2^n(1-p)p^n/2

となり、全金額における加算値は

(10000(1-p)/2-10000(1-p)/2)+(10000*2(1-p)p/2-100002(1-p)p/2)+(10000*2^2(1-p)p^2/2-…

となる。

よく見れば分かるが、
自分の金額毎の損益の全体和と、ペア毎の損益の全体和は
実は無限級数のカッコを付け替えたにすぎない。

理由は簡単である。事後確率の計算というのは、
「情報の開示により絞り込まれた選択肢の全確率を
 1と置き直し各選択肢の確率を比例配分すること」
だから、元の選択肢の全確率を掛けて足し合わせれば
元に戻るのである。
(上記の性質は、実は一般の確率分布で成り立つのだが
 いきなりこの話をしてもどうせ理解できないだろうから
 例示するために、上記の確率分布を設定してみせた。)

そして、パラドックスの原因は、
「本来等しいと思われる筈のものが、
 一方では0になり、もう一方では発散する。」
ためであり、そのようなことが起きるのは
元々の期待値が無限大に発散する場合に
限られるのである。


訂正です 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 9月 2日(金)23時38分34秒

まず一昨夜の文中「確率変数」は「確率」に訂正します。

● φさんへのコメントです。

隠れたものの無いいわゆる「神の視点」と言うものから選択者の視点へ降りて、もう一度検討してみたところ、Nが定数とする縛りは不要と気づきましたので、それを訂正がてら、図解を付けてまとめてみました。

この問題の核心は、自然数の無限性に抵触しないで、つまり、◆具体的にいくらであるか割り出そうとしないままでも、Nを扱える◆、という所に在るのかな、などと考えてみました。

********
ここに、
 (1,2),(2,4),(3,6),(4,8),(5,10),(6,12),(7,14),(8,16),(9,18),(10,20),…
という数値ペアからできている組数列があります。これは、一般化して、
 (N,2N) N=1,2,3,…
と書くことができます。

胴元は、この中からひと組みの数値ペアを選びます。選んだペアの中の2つの数値を2枚の小切手にそれぞれ記入し、それらの小切手を2枚の封筒に1枚ずつ入れて封をします。

 ┏━━┓┏━━┓
 ┃ ?┃┃ ?┃
 ┗━━┛┗━━┛
上図のように、左の封筒と右の封筒にそれぞれ小切手が1枚ずつ入っています。ギャンブラーには、それらの額面は分かりません。(これから、太線の図は見えるもの、細線の図は見えない想像したものを表します)

しかし、一方の金額が他方の金額の2倍であることは分かっています。そこで、少額の方をN円、多額の方を2N円と表しましょう。(Nは任意の自然数です。)

そうすると、封筒の中の2枚の小切手の様子は、下図のように、①か、その左右を置き換えた②か、のどちらかになっています。
 ┌──┐┌──┐
①│ N││2N│
 └──┘└──┘
 ┌──┐┌──┐
②│2N││ N│
 └──┘└──┘

もちろん、ギャンブラーには、①の(N,2N)と②の(2N,N)のどちらの状態に置かれているのかは、まったく分かりません。
これは、ギャンブラーにとっては、左にNがあるのと左に2Nがあるのは、同様に確からしい、ということになります。そうすると、左がNである確率と2Nである確率はどちらも1/2になります。
右に関しても事情は同じです。

◎ ここで、ギャンブラーは、左を選ぶときにはいくらの金額が期待できるかを計算します。

封筒の中身が①だった場合
 期待値 E=N×(1/2)+2N×(1/2)=3N×(1/2)
同じく②だった場合
 期待値 E=2N×(1/2)+N×(1/2)=3N×(1/2)

右を選ぶときにも、①と②の両方の場合で、同じ3N×(1/2)という計算結果になります。

つまり、ギャンブラーの視点に立って、左右どちらの封筒を選んでも、また小切手の配置がどちらであっても、期待できる金額はペア総額の半分ということになって、計算上はどちらを選んでも損得なし、ということになります。

◎ さて、ギャンブラーは左を選んだとしましょう。中身を開けると、はたして「L円」と書いてありました。
┏━━┓┏━━┓
┃ L┃┃ ?┃
┗━━┛┗━━┛

ここで、L円を捨てて右の封筒と交換してみると、いくらの金額が期待できるでしょうか。

まず、左の金額はL円と判明しましたが、実は、これがNなのか、それとも2Nなのかは、ギャンブラーにはまだ分かっていません。
つまり、①の配置なのか、それとも②なのかは、まったく分かりません。

右に関しても事情は同じであり、右が2Nであるか、Nであるかは、どちらも同様に確からしい、ということになります。
ですから、右が2N(=2L)である確率とN(=L/2)である確率はどちらも1/2になります。

今までに分かった情報を図に書き加えましょう。
 ┌──┐┌──┐
①│ N││2N│
 ┃ L┃│2L│
 ┗━━┛└──┘

 ┌──┐┌───┐
②│2N││  N│
 ┃ L┃│L/2│
 ┗━━┛└───┘

ここで、ギャンブラーが右と交換するときにはいくらの金額が期待できるか、右が①の2N(=2L)である可能性と②のN(=L/2)である可能性にもとづいて計算しましょう。

 期待値 E=2L×(1/2)+(L/2)×(1/2)=L×(5/4)

つまり、右と交換すると、計算上、期待できる金額はLの(5/4)倍となり、25%の得、ということになります。
********

最初に掲げた組数列を見て頂ければお分かりの通り、1,3,5,7,…など奇数の金額を引き当てた場合は、交換した方が必ず得に成りますね。同じ奇数は他に決して現れず、ペアの中で少額の方に必ず成りますから。
ドルに対するセントのように、円に対して銭の使用を許せば問題とはなりませんけど(小切手の額面に使えるかどうか、という問題はありますが)。このことは改訂版を出されるとき、一筆加えておかれてもいいかも知れませんね。

では。



Re: 「なぜなら」の謎 投稿者:TTT 投稿日:2011年 9月 2日(金)20時01分0秒

> No.3123[元記事へ]

φさんへのお返事です。

『論理パラドクシカ』の引用に関して

>1回ごとの期待値がすべて「交換で25%の得」ではあっても

> 交換ゲームをするのが1回限りのつもりであれば、手もとの金額を見た場合、交換するのが得である

>  恣意的な設定抜きで百回行なえば毎回初期金額は変動するので、封筒を交換して得する場合と損する場合とを比べると、
>  あなたの封筒内に見出す初期金額は、平均して、交換が得な場合には損な場合の半額であるはず。
>  つまり、試行全体の平均に照らして初期金額が大きいときに損しやすく、初期金額が小さいときに得しやすい。

で、「得」の意味が違いますよね?
前者は「得る金額の期待値が大きいこと/大きくなること」で
後者は「実際に得る金額が大きいこと/大きくなること」の意味でしょうか?(この文章、私には全く意味がわかりません)
後者の直後の文章
>  この偏りのため、1回ごとの期待値がすべて「交換で25%の得」ではあっても、百回全体では損得ナシとなるのである。
の「25%の得」は「得る金額の期待値が25%大きいこと」の意味で、1回ごとは全て「得」だったから
> 封筒を交換して得する場合と損する場合
> 交換が得な場合には損な場合の半額であるはず。
の「損する場合」「損な場合」など存在しないはずなので、この「得(損)」は
「得る金額の期待値が大きい(小さい)こと」以外の意味であることは間違いないのですが・・・。


一応、その文章の"得"を「実際に得る金額が大きい/大きくなる」に置き換えてみました("損"も同様)。

> 恣意的な設定抜きで百回行なえば毎回初期金額は変動するので、
> 封筒を交換して「得る金額が大きい」場合と「得る金額が小さい」場合とを比べると、
> あなたの封筒内に見出す初期金額は、平均して、交換が「得る金額が大きい」場合には「得る金額が小さい」場合の半額であるはず。
> つまり、試行全体の平均に照らして初期金額が大きいときに「得る金額が小さくなり」やすく、
> 初期金額が小さいときに「得る金額が小さくなり」やすい。

今度は文章の意味はだいたいわかりますが、なぜ「初期金額は変動すると、~~の半額であるはず。」なのかわかりません。
というかこの主張、fried_turnipさんや『図解雑学 パラドクス』の主張と似てますね。
「多数回の場合は期待値は等しい」と導きたいから、「そうなるはずだ」と言っているように見えます。

ちなみに
数学の確率論において、確率変数X,Y,Z,Wが期待値を持つ(つまり期待値が収束する)時
E[X] > E[Y]、E[Z] > E[W]ならば
XとZ、YとWがそれぞれ同じ確率分布に従わなくても、それぞれ独立であってもなくても
E[X +Z] = E[X] + E[Z] > E[Y] + E[W] = E[Y + W]
が成立するので、
各回ごとの期待値で一方が大きいならば、多数回の(合計や平均の)期待値も一方が大きくなります。



>  まず、次の3つの確率分布を区別してください。
>
> A. ペア選択の事前確率分布(主観確率)
>  胴元がどのような封筒ペアを用意したのか、についての確率分布です。
>
> B. ペア選択の事後確率分布(主観確率)
>  封筒内の金額を見た上で、どのようなペアが用意されていたと推測すべきか(取らなかった封筒内の金額はいくらか)、
>  という条件付きの確率分布です。
>
> C. 二者択一の事前確率(客観確率)
>  当該の封筒のペアのうち、自分が高額の方を取るか、低額の方を取るかの確率分布です。

> Cは、封筒の見分けがつかないという物理的設定により傾向性解釈によっても支持される客観確率で、
> 各々1/2であることがわかっているがゆえの一様分布です。

どの問題設定での話なのかわかりませんが
封筒の見分けがつかないことが理由なら、各々1/2としたのは主観確率でしょう。

実は封筒を渡す時や並べる時、選ぶ時に偏りがあった(傾向の度合が1/2でなかった)から客観確率は各々1/2ではなかった
等、客観確率が各々1/2でない問題設定はいくらでも作れるし
この(主観or客観)確率が各々1/2でなくても、同様のパラドクス
(プレイヤーAは受け取った封筒の金額が高額である確率が大きかった(期待値が大きかった)とわかっていたのに、
 金額確認後は他方の封筒の期待値の方が大きくなった)
は構成できるので、Cが一様分布か否かは本質ではありません。

封筒を開ける前の、2封筒が非対称でも同様のパラドクスは構成できるので
『論理パラドクシカ』の説明における「開ける前は対称だったけど、開けた後は非対称」の部分は
オッカムの剃刀で剃り落とされます。

> 適用範囲の狭い「説明」は、悪い説明です。
というわけですな。


>  TTTさんがあくまで無知という設定を拒絶するのなら、好きな知識を仮定して一様分布以外を採用すればよい、
> ということにすぎません。それでも同じパラドクスが生じるので、一様分布を拒んでも意味ありませんよと。

私がいつ、無知の設定を拒絶しましたか?一様分布を拒みましたか?
私は、φさんが無自覚なまま勝手に好きな知識、つまり特殊で恣意的な一様分布(一様分布全体の中の特別な分布)を
仮定していること、さらにその後の論証が出鱈目であることを問題視して指摘しているのですよ。


Re: 論理的確率の前提 投稿者:TTT 投稿日:2011年 9月 2日(金)19時21分2秒

> No.3119[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  基礎的な確認として、
> http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3104 で提起した設問にそろそろコメントいただけますでしょうか。

ではまずφさんの説の駄目なところ


> ■主観確率の定義……
>  対立仮説A、Bの信憑性について「完全に無知」であるとは、次のことを意味する。(Pは主観確率)
>   P(A)>P(B)とも P(A)<P(B) とも判断できない。つまり
>          P(A)=P(B)

数学の確率論っぽい用語や記号を用いて定義しようとしてますが、全然定義になってません。
AやBの属する集合(対象とする範囲)が不明だし、
> (Pは主観確率)
と書いただけでは、何の定義(数学的な定義付け)にも説明(意味付け)にもなってません。


>  A、Bは任意なので、起こりやすさについて無知である事象x、yについて
>  ∀x∀y(P(x)=P(y))  これを一般化すると一様分布です。

上限や下限のない無限集合に対して、一様分布は存在しません。
φさんはこれを、任意の有限部分集合の一様分布により対処(誤魔化し)しようとしてるようですが、
できてません(理由は既出)。


>  無知のとき、ベイズ的な推論の出発点に1/40以外を設定することはできません。

その前提を出発点として、いったい何が導けるのですか?
例えば既に挙げたインチキサイコロを複数回投げる話で
「(投げる前の)各回における各出目の主観確率は1/6である」というのは正しそうですが
これを前提としても
これからN回投げる時、1がN1回、2がN2回、・・・、6がN6回出る主観確率(N=N1+N2+…+N6)
既にN回投げて1がN1回、2がN2回、・・・、6がN6回出た時における出目の主観確率(証拠を加味した改訂後の確率)
等を求められないので、ベイズ的な推論の出発点としては不適(無価値・無益)です。
(各回における各出目の同時分布を一様分布と前提するのは有害無益であるので論外)

ベイズ的な推論がしたいなら、それらを導けるような条件を前提にした方が、より良いでしょう。
もしそのような前提条件を出発点としたなら「(投げる前の)各出目の主観確率」は、
「これから1回投げる時の各出目の主観確率」「既に0回投げた時の各出目の主観確率」等として導けます。
そして、実際にそのような条件はあります。

他にも良い前提条件があるかもしれないので「~以外を推論の出発点にすることはない」等と
断言すべきではありません。「(φさんは)~以外に有用な推論の出発点を見付けられなかった」だけです。




そもそもφさんのいう主観確率は、(確率の哲学的な解釈の中の)論理的確率(論理説)を指していますね。

論理的確率(論理説)も、ある意味主観的な確率と言えるでしょうが
論理的確率(論理説)は客観確率の一(古典確率)であって主観確率とは別であるとする考え方もあるし
(どちらかというとそちらの方が多数派?)、
もっと別な信念の度合(で確率論の公理を満たすもの)を主観確率として考えることもできるので

> 無知は、一様分布の想定を強要します。

> 一様分布とは、積極的に【固執する】ものではなく、
> いかなる恣意性へのコミットメントをも控えた結果
> 自ずと【強制される】論理なのです。

というのは一般的には正しくありません。
頻度主義者らは当然として、主観確率を許容する立場でも意見は分かれるでしょう
(逆に言えば、一部の立場(仲間内)でしか、その正しさは認められず、通じないということです)。

また、例え「一様分布は恣意的でない」を認める立場であったとしても
論理的確率は、何に関して一様分布を想定するか、に依存してしまうので
その"何か"の選択も考慮すると
> いかなる恣意性へのコミットメントをも控えた
とは言えません。

さらにさらに、何に関して一様分布を仮定したのか蔑ろにしていると
同時に、別のものに一様分布を仮定してしまう誤りが起こります。
水とワインの比率を一様分布としても矛盾はないし、ワインと水の比率を一様分布としても矛盾はないが
水とワインの比率とワインと水の比率がともに一様分布とするのは誤りであることは有名ですね。

「水とワインの比率を一様分布(恣意的でない分布)とした時に、
 他(ワインと水の比率)も一様分布に違いない or そうしてもよい」が偽であるのと同様に
「封筒を開ける前(後)の分布を一様分布とした時に、
 封筒を開ける後(前)の分布も一様分布に違いない or そうしてもよい」という考えも誤りです
(具体的にどのような矛盾が起きているのかは、既に説明しました)。
「ワインと水」の話から、何の反省もしてない、何も学ばなかったんですか?


以上を踏まえて、以下の方針に従い考え直す、主張し直すことを提案します
(論理的確率の扱い限定ではなく、より一般に、従うべき方針です)。

■基本方針

 「恣意的でない」ということはないと自覚する(具体的には、何を前提としたのか明確にする)。
 (恣意的だろうが何だろうが)推論の出発点として価値のあるものを前提条件にする。
 数学で解決できる(数学概念として扱える)部分と、それ以外の部分とを意識的に区別する。


論理的確率は、何に対して無差別原理を適用したのかが重要になるので
「~に対して無差別原理を適用すると、(確率や期待値は)・・・である」等と書くべきです。
しかしこれは「~に対して一様分布を仮定すると・・・である」とほぼ同じ意味で
「~に対してある確率分布Dを仮定すると・・・である」といった主張の特殊な場合(Dが一様分布の場合)ですね。

また後者の書き方は、その意味や正しさが哲学的な主義に依存する(仲間内でしか通じない)概念・術語が
哲学的な主義に依らない(数学)概念・術語に置き換わっているので、一般性があります。
つまり、(無知から一様分布の導出の是非は、それぞれ主義で判断するとして)
一様分布と仮定した後の推論は無差別原理を許容しない立場でも行えます。


ところで「A⇒B」は
Aが正しい、Aを仮定することが正しい、A以外を仮定してはならない、非Aならば非B
等の意味は無いので
「~を仮定すると・・・である」という主張は(哲学的な主義に依らない推論規則で証明できたなら)
恣意性へのコミットメントを最も控えていることになるでしょう。


Re: 「なぜなら」の謎 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月 2日(金)05時09分13秒

> No.3121[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

>
> φ氏が前進(?)したのは、主題が
> 「パラドックスの原因が、無限級数の加算順序の違いに尽きるか否か?」
> に変わったので、自説を主張するのに、一様分布に固執しなくてもよくなったからでしょう。
>

 私が言ったのは、
 TTTさんがあくまで無知という設定を拒絶するのなら、好きな知識を仮定して一様分布以外を採用すればよい、ということにすぎません。それでも同じパラドクスが生じるので、一様分布を拒んでも意味ありませんよと。
 「無知のもとでは一様分布」という原則に変更はありませんよ。しかもあくまで主観確率としての、強制された一様分布。
 TTTさんとともにモンテカルロさんも、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3119の2項目に異論あるかどうか考えてそのうちコメントいただければ幸いです。

 さて、

>
> せめて二元論というからには、
> 「客観確率と、主観確率では利益の生じる箇所が違う」
> とか、「客観確率と主観確率の違い」とかそういう話で
> お願いしますよ。
>

 なんだ、御自分でわかってるじゃないですか。
 それでは主観確率と客観確率の区別から説き起こすことにしましょう。



モンテカルロさんは、皮肉にも、主観確率と客観確率の区別を蔑ろにしているために、つまり間違った一元論をとっているために、
 上限の有無による二元論というおかしな考えに陥ってしまったのです。

 まず、次の3つの確率分布を区別してください。

A. ペア選択の事前確率分布(主観確率)
 胴元がどのような封筒ペアを用意したのか、についての確率分布です。

B. ペア選択の事後確率分布(主観確率)
 封筒内の金額を見た上で、どのようなペアが用意されていたと推測すべきか(取らなかった封筒内の金額はいくらか)、という条件付きの確率分布です。

C. 二者択一の事前確率(客観確率)
 当該の封筒のペアのうち、自分が高額の方を取るか、低額の方を取るかの確率分布です。

 この3つともに我々は一様分布を適用してきたわけですが、その意味は異なります。
 A、Bは、無知(詳しい設定の欠如)によりしぶしぶ仮定せざるをえない一様分布ですが、Cは、封筒の見分けがつかないという物理的設定により傾向性解釈によっても支持される客観確率で、各々1/2であることがわかっているがゆえの一様分布です。
 A、Bは、設問内の明示的条件の欠如ゆえの一様分布であり、Cは、明示的条件から帰結する一様分布です。

 2封筒問題の設定では、「任意の上限を置いて」あるいは「未知だが特定の上限を置いて」胴元が選択した状況しか想定できないために、無知のもとでA、Bには一様分布が強制されました。
 しかし、問題設定の違いに応じて、A、Bが一様分布でないとわかっているような場合も考える必要があります。胴元のクセが判明して、プレイヤーが無知状態から脱し、一様分布が修正されたというような枝問が提示されるかもしれません。
 そのときに、同じ形をした計算で説明できた方が、すぐれた解答となります。
 説明というものは、一般性が求められます。なるべく広い範囲で同じ説明が適用できなければなりません。適用範囲の狭い「説明」は、悪い説明です。
 というわけで、

>
> ・2円の場合(確率1/6)
> 交換で2円得
> ・4円の場合(確率1/3)
> 交換で-2円×1/2+4円×1/2=1円得
> ・8円の場合(確率1/3)
> 交換で-4円×1/2+8円×1/2=2円得
> ・16円の場合(確率1/6)
> 交換で8円損
>
> 全体では
>  2×1/6+1×1/3+2×1/3-8×1/6
> =1/6(2+2+4-8)
> =0円
>
> ということです。
>
> つ・ま・り、2円、4円、8円の場合の利益を、
> 16円の場合で、全て吐き出すということです。



↑この説明がダメであることは一目瞭然でしょう。
 各々の封筒ペアの選択確率(の半分)を共通の係数として外側にくくり出していますが、そのくくり出しは、各ペアの確率が一様分布に従う場合にしか許されません。
 私の「一様分布」の仮定を採用してくれたところまではよかったんですが、モンテカルロさんは過剰に迎合してしまいましたね。
 2封筒問題の明示的設定によって同確率で選ばれると保証されているのは、常にCの場合のみ、つまりXと2Xのどちらかという、ペアの中での選択についてだけです。Bの場合、つまり異なるペアどうしは客観的に同確率とは見なせません。金額を一つずつ孤立させて4倍差の金額の双方に一様分布を適用する確率計算は、汎用性がないのです。
 問題の条件明示のなるべく広い範囲において同型の説明が成り立つというのが、説明の良し悪しの基準となります。
 よって、正しい計算はこうなるでしょう。



2円、4円の場合(確率a)
 交換で(2-2)/2=0円得
 4円、8円の場合(確率b)
 交換で(4-4)/2=0円得
 8円、16円の場合(確率c)
 交換で(8-8)/2=0円得

 全体では
 0×a+0×b+0×c=0

 一様分布の場合も、たまたまa=b=cだからといって例外扱いせず、
 0×1/3+0×1/3+0×1/3=0
 というふうに律儀に考えるべきであり、
 1/3×(0+0+0)
 と考えてはいけません。(便宜的計算はともかく「説明」としては)
 たまたま主観的にa、b、cを等しいと置かざるをえないだけであり、理論的には各ペアの確率の共通項ではないからです。

 あれほど一様分布に「固執」したφが一様分布特有の計算を放棄するのは矛盾だ、などと言わないでくださいよ。
 今は「説明する」とはどういうことか、を論じています。一様分布専用の計算ではなく、他の確率分布のときと共通する一般的計算を示すのが「本当の説明」だと言っているのです。
 説明とは、当該問題だけにアドホックに適用できればよいというものではありません。同種の他の問題にも応用できるのが、正しい説明です。無知が解除されるというような、もとの問題設定と矛盾しない変更をも包括できなければ「説明」ではありません。

 2封筒問題の原形は、無知という初期設定によりA、Bとも一様分布で考えるべきであることに変わりありませんが、微修正により別バージョン問題も当然可能で、そのときに同型の説明が適用できないようでは、その説明は失格だということです。

 いずれにせよ、

>  (1-1)+(2-2)+(4-4)+・・・
> =0+0+0+・・・
> =0
> が正解であって、
>  1+(-1+2)+(-2+4)+(-4+8)+・・・
> =1+1+2+4+・・・
> =∞
> は誤りだと断じる理由を聞きたいものです。
>

 今回の私の説明で、理由は明らかになったと思われます。
 上限をどこに置こうが、その極限を考えようが、理屈は変わりません。無限級数はこのパラドクスに無関係ということです。
 繰り返し設定は、上限の有無にかかわらず、封筒内を見てない状態での2封筒問題となんら変わらず、交換戦略によってハッキリ損得ナシです。
 

TTT氏へ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月 1日(木)21時02分48秒

TTTさんへのお返事です。

> >  わかりやすいから一様分布で考えているだけで、1.05でも、1.28でも、0.76でも、
> >  とにかく金額を見ないと交換で損得ナシなのに金額を見ると期待値が変化する、というのが2封筒問題の本質です。
> >  どうしても一様分布がイヤであれば、好きな確率分布に置き換えてください。
> 一様分布に拘らない点は前進ですね。

φ氏が前進(?)したのは、主題が

「パラドックスの原因が、無限級数の加算順序の違いに尽きるか否か?」

に変わったので、自説を主張するのに、一様分布に固執しなくてもよくなったからでしょう。


Re: 「なぜなら」の謎 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月 1日(木)06時33分54秒

> No.3113[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>モンテカルロさんの錯覚に戻りましょう。

>  ↓下の「なぜなら」はナンセンスです。
>   何が「なぜなら」なのでしょうか。

>>  http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3088
>> 上限額を設定し、なおかつ、いかなる金額でも交換を実施する
>> という場合には、期待値は全く変動しません。
>> なぜなら、上限額で莫大な損失があるからです。

> たとえば、(2円、4円)(4円、8円)(8円、16円)でゲームするとします。
> 何度もやれば交換戦略は期待値プラスマイナスゼロですが、その理由を説明するのに、
>「16円が来たときに交換する損失が、他の場合の利益を相殺するから」
>という説明で納得できますか?

なぜ、納得できないのですか?

> 上限額は孤立しておらずペアでセットになっているのであり、
> 16円→8円と8円→16円とが同頻度で起きるために損得が相殺するのであって、

違いますよ。

・2円の場合(確率1/6)
交換で2円得
・4円の場合(確率1/3)
交換で-2円×1/2+4円×1/2=1円得
・8円の場合(確率1/3)
交換で-4円×1/2+8円×1/2=2円得
・16円の場合(確率1/6)
交換で8円損

全体では
 2×1/6+1×1/3+2×1/3-8×1/6
=1/6(2+2+4-8)
=0円

ということです。

つ・ま・り、2円、4円、8円の場合の利益を、
16円の場合で、全て吐き出すということです。

>16円→8円の場合だけを他の全体から恣意的に切り離すべき理論的根拠はありません。

事後確率で計算した場合には、損失が生じるのは16円の場合だけです。

> むろん数の上での計算は合いますが、
>あくまでゲリマンダー的な辻褄合わせであり、
>「説明」にはなっていませんね。

φ氏が事後確率の計算を不快に感じるからといって
それを拒絶する理由にはならない。

> この理由づけがなぜ悪いかというと、
> 恣意的であるがゆえに他の場合への応用が乏しいと同時に、
> 上限の分離によって、説明が上限アリの場合と上限ナシの場合とで
> 二元論的になってしまうからです。

条件の二分を「二元論」という人ははじめてみました。

せめて二元論というからには、
「客観確率と、主観確率では利益の生じる箇所が違う」
とか、「客観確率と主観確率の違い」とかそういう話で
お願いしますよ。

ちなみに私のモンティ・ホール風2つの箱問題なら
主観確率では、すべての金額で利益が生じるのに
客観確率では、最小額のペアと最高額のペアでのみ
利益が生じるという違いが生じます。

> 無駄な二元論に陥ることなく、一元論で済ませられるときは済ませるべきです。
> オッカムの剃刀ですね。

素人は剃刀の扱いがヘタクソで、
切ってはいけないものを平気で切るので
困りますね。

> さらに元の文はこうでした。↓

>> http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3084
>> もとの2封筒問題で公開するのが常に自分の封筒だとする場合、
>> 上限額を設定するなら、上限額の場合には交換により膨大な損失が生じるので
>> それ以外での金額の場合の、交換における利益が相殺され、
>>全体の期待値は変動しない。
>> 上限額を設定しないなら、上記の膨大な損失が生じなくなるため
>> 交換によって全体の期待値が増えるように見えるが、実際は
>> そもそも全体の期待値が∞だから、そもそも変動したかどうか
>> 論じる意味がない。

> 醜いまでの二元論ですね。

私はそうは思いませんね。美意識の違いでしょう。

>「論じる意味がない」という結論に至る説明は、
>たいてい間違っているものですよ。

φ氏がそう思いたがってるだけでしょう。

> そもそも上限ナシの場合に「全体の期待値が増えるように」なんて見えませんけど?

目が悪いんでしょう。

> 上限なしで実際に多数試行を始めてみればわかります。

やってみてください。

> 損がまさったり得がまさったりを繰り返し、
> 全体として期待値は損得ナシのまま推移することでしょう。

実際には、やってませんね。

「期待値は損得ナシのまま推移」という言葉は具体的には
「多くの回数で、期待値ゼロになる」という意味ですか?

もしそうなら、そんなに都合よく行きませんよ。

言っときますが、2^2でも2^(2^2)=2^4でも
2^(2^(2^2))=2^16でも
2^(2^(2^(2^2)))=2^65536でも、
現れるんですよ。

2^65536というのは10進法なら19729桁ですよ。

>上限アリの場合と基本は変わりません。

それは無限級数を有限和と全く変わらないといい切る点で暴挙ですね。

実際そうではないのだから。

> 多数試行である限り、「全体の期待値が増えるように見える」ことはありません。
>(一時的にそう見えるかもしれないが、「減るように見える」場合と同頻度です!)

言っておきますが、事後確率で計算する場合には、
一様分布のままだというなら、それぞれの金額では
当然増えますよ。
増えないのなら、一様分布でなくなってしまいますよ。

> 恣意的な二元論ではなく、一元論的に説明すべきでしょう。

上記の文章は「上限の有無は無関係でしょう。」という意味ですね。
言葉をむやみに大げさにするのは詐欺師のすることですよ。

> 上限アリの場合もナシの場合も、封筒を開けて金額を見る前の状態
>(中身の金額の可能性は不特定)に相当するのであり、
>任意のAについてA→2Aと2A→Aの場合が半々だから交換戦略は損得ナシ、
>で説明は一挙に済んでしまいます。

それは事後確率の考え方を単に全面否定しただけであって無意味ですね。
説明でもなんでもありません。異なる思想の弾圧であり粛清ですね。
いつから哲学はファシズムになったのでしょうか?

> 一元論的説明が容易にできるのに、あえて二元論をとる理由を聞きたいものです。

 (1-1)+(2-2)+(4-4)+・・・
=0+0+0+・・・
=0
が正解であって、
 1+(-1+2)+(-2+4)+(-4+8)+・・・
=1+1+2+4+・・・
=∞
は誤りだと断じる理由を聞きたいものです。

> 無限をそんなに導入したいんですか? 「論じる意味」を捨ててまで?

計算の仕方によって、答えが違う場合に、
特定の仕方による計算が正解だとして
意味をデッチあげたいんですか?


Re: モンテカルロさんへ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 9月 1日(木)06時28分32秒

> No.3116[元記事へ]

おかめ石さんへのお返事です。

> 完全にすれ違っているようですね。

あなたがすれちがったのであって
私がすれちがったのではありません。
あなたが私の前に立てばよいことです。

> 最初の(0.5円,1円)というペアは、
>1円に満たない額なので排除されなければなりません。

読み間違ってます。

0.5円ではなく0.5万円
つまり、5000円ですよ。

それとも、万の字が読めなかったということでしょうか?

> 入れるべき(3円,6円)のペアなどの候補も漏れているようだし…。

なぜ、入れるべきなのでしょうか?

2のベキだけでもおかしなことになることは明白です。
さらに余計なものをいれれば誤魔化せるとでも?無駄ですよ。

> 設定条件を満たす額面ペアの候補は、
> (1,2),(2,4),(3,6),(4,8),(5,10),…
> であり、ペア総額の候補は、3,6,9,12,15,…
> という無限数列であり、無限大に発散します。{3n}[n=1から∞]と書けますね。

> ここまでは意見は割れてないと思うんですが、

いいえ。割れてます。2のベキ以外のものを持ち出したのはあなただけです。
そしてそれは物事を複雑にするだけで何の意味も持ちません。

> モンテカルロさんは、この数列から1つのペアだけ残して他のペア候補はすべて消えた段階である事、もはや無限数列は存在していない事を見過ごしていると私には思われます。

おやおや、
「3もある!5もある!!7もある!!!」
とわめいていたのは何のためだったんでしょう。
ただいいがかりをつけたいだけ?
どこぞの国のとある野党やら、とある政治家みたいだ。

>このあたりの事は『論理パラドクシカ』の「ネクタイのパラドクス」を読まれるといいんですが…。

関係ありませんね。

> くどいようですが、選択の期待金額というのは、
>(1+2)/2+(2+4)/2+…のような可能性のある期待金額の総和を求めているんではなく、

くどいですが、選択の期待金額とは総和です。

>(1+2)/2つまり(1円/2)+(2円/2)など、どれか一つのペアの、
>そのまた中の一方(ここでは1円か2円かの一方)を選ぶ時の
>期待金額だと考えています。

だから、あなたは間違っています。

> > ペア毎の期待値が増大するのだから、総和は発散する。
> > (0.5+1)/2+(1+2)/2+(2+4)/2+・・・
> ここにモンテカルロさんが問題をどう捉えているかの鍵があると思うんですが、
> この所を一遍、詳細に解説してもらえると、モンテカルロさんの思考過程が
> よりハッキリすると思うんですがね。

もう詳細に解説し切りました。あなたが私の解説を読んだ上で
一度、自分の手で私がやった計算をやり直すことでのみ
私の思考過程が貴方の中で明確化するのです。

私はあなたではありません。
あなたの頭の中は、あなたのものです。
私のものではありません。

> なぜペアの期待値(と捉える部分にも違和感ありますが)の総和を言うのに
> 確率変数が1/2なのでしょうか。それこそ無限大の項数じゃないんですか。

そこは実際には、共通の係数として、外にくくりだしています。
この値が実際には求まらないのは、実数のアルキメデス性から明らかですが
この件は、無限級数の問題とは別なので、今回は除外しています。
そういうことです。

>もっとも無限大の項数の逆数を確率変数と考えるというのは、
>足立先生の仰る「無意味または不定」という事になってしまうのでダメですが。

ええ。私もφ氏にはそういいましたがね。

もっとも、一様分布でなくても、期待値の計算で無限級数が発散する分布は
かんがえられるので、その意味では一様分布を避けただけではこの問題は
解決しませんが。

> 考えていることのあらましはあらかた書けたと思うので、
>これでまた眺める状態に戻ります。

眺める暇があったら、自分で私の計算をやりなおしたらどうですか?

自分の手を一切動かさないから数学が理解できないのですよ。

> 最後に私の想定する事態の推移を要約しておきます。
>1.総額決定の期待金額…無意味または不定
>1’.総額決定 3N
>2.封筒選択の期待金額…3N×(1/2) 損得なし
>2’.封筒選択 金額O(=Nまたは2N)と判明
>3.封筒交換の期待金額…O×(5/4) 25%得

何をどう示したいのか全く明らかでない無意味な要約ですね。


Re: 論理的確率の前提 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月 1日(木)03時26分44秒

> No.3117[元記事へ]

TTTさんへのお返事です。

 まだ御主張が続くようなのでコメントは控えますが、
 基礎的な確認として、


http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3104 で提起した設問にそろそろコメントいただけますでしょうか。
 そのうち二つを、語を補足して再掲します。

 ■主観確率の定義…… 対立仮説A、Bの信憑性について「完全に無知」であるとは、次のことを意味する。(Pは主観確率)
  P(A)>P(B)とも P(A)<P(B) とも判断できない。つまり
         P(A)=P(B)
 A、Bは任意なので、起こりやすさについて無知である事象x、yについて
 ∀x∀y(P(x)=P(y))  これを一般化すると一様分布です。
  ↑そこからの帰結の一例として↓

 ■予備知識ゼロで初めて訪れた小学校のあるクラス名簿(40人)をいきなり見せられて、
 「この40人のうち、父親の現在の身長が一番高いのは誰?」と問われた。
 あなたが適当に「出席番号12番の子」と答えて正解である確率は?  当然、1/40。
 無知のとき、ベイズ的な推論の出発点に1/40以外を設定することはできません。無知は、一様分布の想定を強要します。


Re: 「なぜなら」の謎 投稿者:φ 投稿日:2011年 9月 1日(木)03時25分10秒

> No.3115[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

>
> その言い方が間違っている。
> 10万円の場合の期待値を計算する際に選ぶのは当然だが、
> それだけが「ゲーム成立」だとするあなたの考え方がおかしい。
>

 私の考え方?
 譬え話として「恣意的な」ルール設定をしただけですが?
すぐあとに、「しかし、現実はそのようにあなた本位には運ばない。恣意的な設定抜きで百回行なえば……」と書いてあります。

>
> ある条件下における事後確率の計算に対して、
> 「その条件以外ではゲーム不成立」とかいう
> おかしな言い方をするから、受け入れられなくなる
> のである。
>

 だから
 「最初に10万円を取った場合だけを選んでゲーム成立として」というのは、非現実的な、ありえないゲーム設定の例として出しているのですが? 繰り返し設定の場合、そんな計算をしても無駄だという例として。

>
> つまり、φ氏は
> 「「どんな場合でも25%の得なんだ」と思うナイーブな人」
> であるというなら、その通りであるが、それはφ氏のナイーブさが
> 正しいと私が認めた、という意味ではない。むしろ逆である。
>

 私の主張は「繰り返し設定では交換が「25%の得」にはなりえない」であることは御存じのはずですが? 「「どんな場合でも25%の得なんだ」と思うナイーブな人」って誰ですか?

 ともあれ、本題へのお答えをお待ちしましょう。


Re: 論理的確率の前提 投稿者:TTT 投稿日:2011年 9月 1日(木)00時51分59秒

> No.3112[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> > > プレイヤーが一プレイで無限に勝ち続けることが可能です
> > 無限に裏が出続ける確率は0です。
> >
>
>  確率ゼロというのは、存在しないということではないでしょう。
>  実数の中で自然数は測度ゼロですが、自然数が存在しないことにはなりません。
>  まあ、「無限に」というのがどうしてもイヤであれば、別の表現でいくらでも替えられるでしょうが。論理式でもいいし。

???
「確率0は存在しない」とか「無限という表現が嫌」なんて言ってないし、そんな話はしてませんけど?
数学の確率論 (わざわざ「数学の」なんて付けなければならないなんて情けないですね・・・)
で「無限回起こる」は上極限を用いて{An, i.o.}=limsup(n→∞){An}と定義されるので、
今回の場合、無限に裏が出続ける確率は確率論的に間違いなく0、ゲームが始まらないor終わらない確率は0です。
その事実を言っただけなのに、なんで
>  確率ゼロというのは、存在しないということではないでしょう。
なんて話になってるんでしょうか?
それに、物理(?)の常識を重視するφさんの方が「確率0なら存在しない」「無限に勝ち続けることはない」とか言いそうです。
どちらかといえば、φさんの方が「無限」を持て余してるように思います。


>  事後分布が発散しないというだけでパラドクス構成には十分だと思いますよ。
>  すると事後分布が一様分布であるかどうか、にまた話が戻ってしまいそうですが、

話が進んでなかった or 話が脱線から戻ってきただけです。
私の主張をまとめます。

封筒を開ける前の期待値、確認金額が毎回異なる試行を多数回行う場合の期待値を考察するなら、封筒を開ける前の確率分布が必要。
封筒を開ける前の確率分布は、確認する金額Gに依存してはいけない。
そもそも、事前分布(証拠・情報を知る前の分布)は、証拠・情報に依存してはいけない。

封筒を開ける前の分布、封筒を開けた後の分布に関して、(金額比が1:2であること以外)全く無知である時
 封筒を開ける前の分布(事前分布)を、情報「確認した金額がGであった」に依存しない一様分布だとすると
  (事前分布と情報から求める)封筒を開けた後の分布(事後分布)は、一様分布とは限らなくなる(一様分布だと断定できない)。
 ∵封筒を開ける前の分布を一様分布とした事で、封筒を開けた後の分布は「全く無知」ではなくなってしまった為
  「無差別原理より封筒を開けた後の分布は一様分布」とはできなくなった。開けた後の分布が一様分布であるか否かは
  開ける前の分布(がGが極大や極小である一様分布なのかGが極大でも極小でもない一様分布なのか)に依存する。

 一方「確認した金額がGであった」を前提とし、封筒を開けた後の分布を(Gに依存する)一様分布だとすると
  封筒を開ける前の分布は一様分布とは限らなくなる(一様分布だと断定できない)。
 ∵封筒を開けた後の分布を一様分布とした事で、封筒を開ける前の分布は「全く無知」ではなくなってしまった為
  「無差別原理より封筒を開ける前の分布は一様分布」とはできなくなった。また、開ける前の分布は、開けた後の分布
  つまり確認する金額Gに依存してしまう。これでは封筒を開ける前や確認金額が毎回異なる多数試行を考慮できない。

全く無知である時、封筒を開ける前の分布と、開けた後の分布の両方を同時に一様分布とすることはできない。
また、封筒を開ける前や確認金額が毎回異なる多数試行を考慮するなら開けた後の分布を一様分布とすべきではない。

φさんの論証(http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3067等)は、この上の2行に反するので正しくない(合理的でない)。
よって、φさんの論証のパラドクス(問題提起)やその説明(解決)は正しくない。


ところで、私は「φさんの論証(問題提起、解説)は正しくない」と主張し、その説明をしてきただけで、
「その説明でもって2封筒問題は解決した」「それが2封筒問題の本質だ」等とは言ってませんし思ってません。
寧ろ、2封筒問題の要点は別にあり、もっとまともな論証で解決すべき(そしてできる)と思っています
(だからこそ、「一様分布に拘るな」「(一様分布を含めた)一般の確率分布を前提とせよ」と言い続けているのですよ)。

(封筒問題の説明ではなく)「φさんの論証は正しくない」の説明をしているので、
「その説明は封筒問題の本質の説明になってない。はぐらかしだ」と非難する方がはぐらかしです。
私の説明の正しい部分(φさんの論証の正しくない部分)は、ちゃんと認めて下さい。でないと話が進みません。


>  わかりやすいから一様分布で考えているだけで、1.05でも、1.28でも、0.76でも、
>  とにかく金額を見ないと交換で損得ナシなのに金額を見ると期待値が変化する、というのが2封筒問題の本質です。
>  どうしても一様分布がイヤであれば、好きな確率分布に置き換えてください。

以前の
>  一様分布以外を想定すると、設定が恣意的になってしまい、「期待値が変化する」と言われても
>  「そんなおかしな確率分布を前提したから当たり前だ」と言われかねません。
>  パラドクスは、自然な前提から奇妙な結論が導かれるところに成立するので、
>  「一様分布のときだって交換が得になるんだぞ」と言う必要があるのです。
>  それに伴い、無限の変域は排除されます。
等を見る限り、とても
>  わかりやすいから一様分布で考えているだけ
とは思えない(むしろ態度が一転していて一貫性がないように思う)ですが、一様分布に拘らない点は前進ですね。

私宛のコメントではないですが、
>  恣意的であるがゆえに他の場合への応用が乏しいと同時に、上限の分離によって、
>  説明が上限アリの場合と上限ナシの場合とで二元論的になってしまうからです。
>  無駄な二元論に陥ることなく、一元論で済ませられるときは済ませるべきです。
>  オッカムの剃刀ですね。
と正にφさんが言ったように、2封筒問題の本質は一様分布ではないのですから
より一般的な確率分布で説明した方が良いのです。



>  何度か振って出た目を確かめたあとは、6の出る確率についていくつか仮説を構成し、
>  その仮説検定をすることになるのではないでしょうか。試行錯誤で。
>  たとえば、
> 「6の出る確率は1/6」という仮説をA
> 「6の出る確率はb」という仮説をB   として、
>  6が2回出たというデータを見たあとでは、BとAの真実性の比率はもとの36(b^2)倍に改訂される、というような。
> 私が思いつくのはその程度ですが、
> 統計学的にはたぶんもっとダイレクトな求め方もあるのでしょうかね。TTTさんの腹案を伺いましょう。

φさんは随分前からインチキコインの(主観確率は1/2となる)話を知っていたんですよね?
今まで一度も「1回投げてみたら表だった時、確率はどう改訂されるか」等を考えたことがなかったんですか?
今までのことはどうしようもないのでしょうがないですが、もう少し、真面目に、よく考えてみて下さい。
即答は求めませんから。

例えば、φさんの案ではBとAのもとの真実性の比率はどうやって計算するのか考えてます?
以前の発言
>  確率解釈としての主観確率とは「無知の度合」ですから、
>  かりに客観的には一様分布でないとわかっている場合であっても、どの確率分布なのかさっぱり選びようがない時には、
>  すべての分布を平均して(という表現が妥当かどうかわかりませんが、上のサイコロや扉の場合はそれです)、
>  一様分布という前提に従うのが主観確率の立場でしょう。
等はどうします?修正します?


サイコロの主観確率の答えは、しばらく書くつもりはありません。
無知に関する修正案の方は、無差別原理に関する注意事項・使う上での心構えみたいなものを述べるだけで
大したことではないですが、次回以降に引っ張ります。
「ワインと水のパラドクス」を例に説明するかもしれないのですが、
もしよかったら、このパラドクスのφさんの現在の認識を教えて下さい(『論理サバイバル』は以前立ち読みしました)。

モンテカルロさんへ 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 8月31日(水)23時06分2秒

モンテカルロさんへのお返事です。

完全にすれ違っているようですね。原点に戻りこれまでの経緯をおさらいしてみました。
モンテカルロさんは次のように書いています。

8月25日(木)07時20分
> それは一つのペアが選択された後の話
>
> ペアを選択するところまでふくめれば期待値は無限。
> 無限にペアがあり、ペアの金額の総額が増えれば
> ペア毎の期待値が増大するのだから、総和は発散する。

8月26日(金)02時36分
> (0.5+1)/2+(1+2)/2+(2+4)/2+・・・
> は発散級数だ、というだけの話

8月26日(金)02時55分
> それより、2つの封筒のパラドックスは、
> 実は確率のパラドックスじゃなく
> 発散級数のパラドックスだったと
> 気付きました。
>
> (0.5+1)+(1+2)+(2+4)+・・・=0.5+(1+1)+(2+2)+・・・
> =(1+0.5)+(2+1)+(4+2)+・・・=1+(0.5+2)+(1+4)+・・・
>
> つまり
> x=(1+1)+(2+2)+・・・
> とおけば、順序の交換とカッコのくくりなおしで
> 0.5+x=1+1.25x
> とできてしまうということ。

最初の(0.5円,1円)というペアは、1円に満たない額なので排除されなければなりません。~それとも比例という事でしょうか。比例を期待金額計算に使ってよいものかどうかは検討してませんが。~
入れるべき(3円,6円)のペアなどの候補も漏れているようだし…。

設定条件を満たす額面ペアの候補は、
(1,2),(2,4),(3,6),(4,8),(5,10),…
であり、ペア総額の候補は、3,6,9,12,15,…
という無限数列であり、無限大に発散します。{3n}[n=1から∞]と書けますね。

ここまでは意見は割れてないと思うんですが、
モンテカルロさんは、この数列から1つのペアだけ残して他のペア候補はすべて消えた段階である事、もはや無限数列は存在していない事を見過ごしていると私には思われます。このあたりの事は『論理パラドクシカ』の「ネクタイのパラドクス」を読まれるといいんですが…。

くどいようですが、選択の期待金額というのは、(1+2)/2+(2+4)/2+…のような可能性のある期待金額の総和を求めているんではなく、(1+2)/2つまり(1円/2)+(2円/2)など、どれか一つのペアの、そのまた中の一方(ここでは1円か2円かの一方)を選ぶ時の期待金額だと考えています。

> ペア毎の期待値が増大するのだから、総和は発散する。
> (0.5+1)/2+(1+2)/2+(2+4)/2+・・・
ここにモンテカルロさんが問題をどう捉えているかの鍵があると思うんですが、この所を一遍、詳細に解説してもらえると、モンテカルロさんの思考過程がよりハッキリすると思うんですがね。
なぜペアの期待値(と捉える部分にも違和感ありますが)の総和を言うのに確率変数が1/2なのでしょうか。それこそ無限大の項数じゃないんですか。もっとも無限大の項数の逆数を確率変数と考えるというのは、足立先生の仰る「無意味または不定」という事になってしまうのでダメですが。

考えていることのあらましはあらかた書けたと思うので、これでまた眺める状態に戻ります。
最後に私の想定する事態の推移を要約しておきます。
1.総額決定の期待金額…無意味または不定
1’.総額決定 3N
2.封筒選択の期待金額…3N×(1/2) 損得なし
2’.封筒選択 金額O(=Nまたは2N)と判明
3.封筒交換の期待金額…O×(5/4) 25%得



Re: 「なぜなら」の謎 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月31日(水)07時27分29秒

> No.3113[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> 「φ氏の錯覚」とは羊頭狗肉で、なんだ、
> 錯覚はモンテカルロさんの方じゃないですか。
> だから即答の必要はないと言ったのに……。

私の回答がφ氏のお気に召さないというだけで
「即答」だと思うのはおやめになったらいかがですか?

はっきり申し上げてφ氏の著書の主張のほうが
私などよりもはるかに即断ですよ。

> > まず、「1回限りの期待値」なるものは存在しない。
>
>  瑣末な言いがかりですね。
> そんなことしか批判すべき点がなかったということですね。

そもそも、φ氏の主張が瑣末だから仕方ありません。
そんな基本的なところで、数学から脱線してる、ということですよ。

>  実際に「一回限りの試行」についてその期待値を計算できます。

φ氏が勝手に「一回限り」と思いたがってるだけであって、
期待値が計算できる、ということは、一回限りではない、
ということですよ。

>  当該試行と同じ条件で無数の試行を想定(もしくはシミュレーション)したときの、
> 可能な確率変数×確率の総和を期待値と呼ぶわけで、
> 一回限りの期待値は紛れもなく存在します。

「当該試行と同じ条件で無数の試行」が想定できるんでしょう?
それは一回限りとはいいませんよ。

この件に関して、φ氏の言葉の使い方はあのSumioBabaソックリです。

>  「一回限り」を、「同種の多数試行を想定できない試行」と定義すれば
> 期待値は論じられませんが、

ええ。「一回限り」とはそのような意味でのみ用いられます。

>そもそも同種の多数試行を想定(もしくはシミュレーション)できない試行など
>論理的にありえないでしょう。

なんともいえません、φ氏の論理というのは
「φ氏が勝手に立てた原理原則のジャングル」
なので、私には全然わかりません。

>この話は以前すでにいっぺん済んでますよね。

なら、φさん、あなたが自分の言葉の用法の誤りを正したらどうですか?

>  ともあれ、2封筒問題の場合は、多数試行だと期待値変化が生じないことが
>簡単に計算できてしまい「パラドクス」にならないため、一度限りの試行という
>設定になっています。その設定で期待値を云々するのが2封筒問題です。

誤り。

簡単に計算できない。交換の期待値を表わす無限級数が発散するから。

ある計算方法では交換の期待値は0になる。
しかし、別のある計算方法では発散する。
このことは何ら矛盾ではない。
無限級数が絶対収束しない場合にはこのような現象が生じうるし、
別に無限級数に関して、無制限に加法の結合法則や交換法則を
前提してはいない。

> > さらに、ベイズ理論による期待値の計算において
> >「無限回の試行でその同じ10万円が常に続く」という仮定は必要ない。
>
>  私の文章にも「あなたが最初に10万円を取った場合だけを選んで
> ゲーム成立として、それを百回続けよう」と書いてありますよ。

その言い方が間違っている。
10万円の場合の期待値を計算する際に選ぶのは当然だが、
それだけが「ゲーム成立」だとするあなたの考え方がおかしい。

>  その前々段落の「同じ10万円が常に続くと仮定し」については、
>「自己本位な計算」だとことわっています。

あなたの「ゲーム成立」の考え方が自己本位なだけ。
そんな考え方は必要ない。

>  私の文章をよく読んでからコメントいただきたいものですねぇ。

あなたは自分の文章をよく読んだほうがいい。
数学とは無関係の、自分勝手な原理原則で物事を自己本位に見ていないか。
あなたが当然と思っていることをいちいち否定して読んだほうがいい。

>  実際の多数試行では自己本位な選択は胴元に却下されるに決まっているから、
>「現実はそのようにあなた本位には運ばない」と書いたのです。

ある条件下における事後確率の計算に対して、
「その条件以外ではゲーム不成立」とかいう
おかしな言い方をするから、受け入れられなくなる
のである。

>  あと、
>  「ここで、重要なのは」以降、後半にモンテカルロさんが述べていることは、
> 私の論旨を追認していますね。少なくとも反駁していない。
>
>  というわけで、結局、モンテカルロさんは、私の2封筒問題解決編には
> 異論なしということですね。
> 数学の玄人に同意していただけてホッとしました。

「ここで、重要なのは」以降の何行分についてですか?最後まで?

私が読むに、すくなくとも三行分、つまり

ここで、重要なのは、どの金額(正確には下限以外の金額)においても、金額別に集計すれば、「交換すると25%の得」という結果が得られる、ということである。
ナイーブな人は、これだけで、「ああ、じゃあ、どんな場合でも25%の得なんだ」と思うわけである。

しかないと思われる。つまり、φ氏は
「「どんな場合でも25%の得なんだ」と思うナイーブな人」
であるというなら、その通りであるが、それはφ氏のナイーブさが
正しいと私が認めた、という意味ではない。むしろ逆である。

>  さて、
>  私の基本的立場に問題ないことが確認されたところで、

残念ながら、問題があることはそれ以降の文章で書かれている。
つまり、φ氏がまったく解析学をご存じなく、有限項の加算のつもりで
無限項の場合をかんがえて大失敗したことが示されている

「しかしながら、ここに無限級数の悪魔が潜んでいるわけである。

つまり 期待値0という計算は

 1つのペアの選択確率
×((5000-5000)+(10000-10000)+(20000-20000)+…)
=1つのペアの選択確率
×(0+0+0+…)
=0

であり、期待値が25%増加という計算は

 1つのペアの選択確率
×(5000+(-5000+10000)+(-10000+20000)+(-20000+…)
=1つのペアの選択確率
×(5000+5000+10000+…)
=∞

である。

つまり、無限級数の場合
「ある加算順序で0なら、どんな加算順序でも0」
とはならないのである。」

さて、私の錯覚とやらについては、のちほど改めて書くといたしましょう。


おかめ石氏へ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月31日(水)06時59分40秒

おかめ石さんへのお返事です。

> > そもそもNは定数でない。
>
> そう捉えるのは、小切手を切る人がいくらにしようか
> 迷っている段階の事を想定しているからじゃないでしょうかね。

いいえ。

> 私がNと言うのは既に記入済み、金額確定済みの段階の表現なんですが。

その言葉には意味がない。

> たとえば一次方程式2x-3=0とかx+5=0とかを
> 一般的な形でax+b=0(a≠0)と書くとき、
> 既知数をa,bで一般化させているのと同じ意味です。

既知ではないという意味。

> 本当は既知数だが封筒で隠されているだけ。
> 銀色の箔をコインでこすって剥がすクジと同じで、
> 数字は確定している段階の事です。

既知ではない。確定していない。ペアは一つではない。
φ氏がそういいきった。あなたはφ氏の設定を否定した。
その瞬間、あなたは土俵の外に出た。

こまったことにφ氏自身、土俵の外で
場外乱闘を要求してるわけだがw

> > Nの範囲を、1,2,4,8,・・・,2^n,・・・と2のベキに限定する。
>
> ここでのNが少額の方の小切手を意味しているなら、
> 3円などの可能性が抜けているし、

Nは少額のほうだといったのは、貴方。
率直にいえば、3円の可能性は必要ない。
あなたが勝手に3円といってるだけ。

>多額の方だったら1円や4円などの可能性は排除されなければ
>設問の条件を満たしていないですし、
>一体何を指してNと言っているんでしょうね。

あなたは自分がいったことも記憶できないんですかね?
あなたが少額のほうだといいきったんですよ。
言い切った瞬間忘れたんですか?どうしようもないな。

> > 一つの封筒が選ばれる確率をPとしたとき
> >
> > P×(1+2+2+4+4+8+・・・) ・・・(1)
> > となる。()内は当然発散する。
>
> ここも小切手を切る人が迷っている段階の事を想定しているように読めますが、
>どうなんでしょう。

「小切手を切る人が迷っている段階」とやらを
想定しない時点で、あなたは土俵の外に出た。

> ◆現実の◆2通の、封筒でマスクされた小切手から1通を選択する段階で、
>なぜ2個の項を超えた項数の確率が登場するのでしょうか。

あなたの現実には選択がないが、
それはあなたが見ていないだけであって
現実でないということにはならない。

>もう既に、迷ってた段階にはあった無限の可能性は、
>閉じてしまっているのではないですか。

閉じていない。何度でも実行可能な時点で閉じようがない。

> 以下、同じ前提に基づく展開のようですのでコメント略します。

あなたは自分には理解できない無限を目の前からのけて
なかったことにしただけだ。φ氏とまったくそっくりの対応。

> ~無限とパラドクスの関係自体には関心あります。足立恒雄[のりお http://www.adachi.sci.waseda.ac.jp/]先生の『無限のパラドクス』(講談社ブルーバックス)という、そのままのタイトルの本がありますね。~

で、あなたはその本を読んだのかい?


「なぜなら」の謎 投稿者:φ 投稿日:2011年 8月31日(水)02時28分59秒

> No.3106[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。



「φ氏の錯覚」とは羊頭狗肉で、なんだ、錯覚はモンテカルロさんの方じゃないですか。
 だから即答の必要はないと言ったのに……。

>
> まず、「1回限りの期待値」なるものは存在しない。
>

 瑣末な言いがかりですね。そんなことしか批判すべき点がなかったということですね。
 実際に「一回限りの試行」についてその期待値を計算できます。
 当該試行と同じ条件で無数の試行を想定(もしくはシミュレーション)したときの、可能な確率変数×確率の総和を期待値と呼ぶわけで、一回限りの期待値は紛れもなく存在します。
 「一回限り」を、「同種の多数試行を想定できない試行」と定義すれば期待値は論じられませんが、そもそも同種の多数試行を想定(もしくはシミュレーション)できない試行など論理的にありえないでしょう。この話は以前すでにいっぺん済んでますよね。
 ともあれ、2封筒問題の場合は、多数試行だと期待値変化が生じないことが簡単に計算できてしまい「パラドクス」にならないため、一度限りの試行という設定になっています。その設定で期待値を云々するのが2封筒問題です。

>
> さらに、ベイズ理論による期待値の計算において
>「無限回の試行でその同じ10万円が常に続く」という仮定は必要ない。
>

 私の文章にも「あなたが最初に10万円を取った場合だけを選んでゲーム成立として、それを百回続けよう」と書いてありますよ。
 その前々段落の「同じ10万円が常に続くと仮定し」については、「自己本位な計算」だとことわっています。
 私の文章をよく読んでからコメントいただきたいものですねぇ。
 実際の多数試行では自己本位な選択は胴元に却下されるに決まっているから、「現実はそのようにあなた本位には運ばない」と書いたのです。

 あと、
 「ここで、重要なのは」以降、後半にモンテカルロさんが述べていることは、私の論旨を追認していますね。少なくとも反駁していない。

 というわけで、結局、モンテカルロさんは、私の2封筒問題解決編には異論なしということですね。


数学の玄人に同意していただけてホッとしました。

 さて、
 私の基本的立場に問題ないことが確認されたところで、
 モンテカルロさんの錯覚に戻りましょう。

  ↓下の「なぜなら」はナンセンスです。
   何が「なぜなら」なのでしょうか。

>  http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3088
> 上限額を設定し、なおかつ、いかなる金額でも交換を実施する
> という場合には、期待値は全く変動しません。
>
> なぜなら、上限額で莫大な損失があるからです。
>

 たとえば、(2円、4円)(4円、8円)(8円、16円)でゲームするとします。
 何度もやれば交換戦略は期待値プラスマイナスゼロですが、その理由を説明するのに、
「16円が来たときに交換する損失が、他の場合の利益を相殺するから」という説明で納得できますか?
 上限額は孤立しておらずペアでセットになっているのであり、16円→8円と8円→16円とが同頻度で起きるために損得が相殺するのであって、16円→8円の場合だけを他の全体から恣意的に切り離すべき理論的根拠はありません。
 むろん数の上での計算は合いますが、あくまでゲリマンダー的な辻褄合わせであり、「説明」にはなっていませんね。
 この理由づけがなぜ悪いかというと、
 恣意的であるがゆえに他の場合への応用が乏しいと同時に、上限の分離によって、説明が上限アリの場合と上限ナシの場合とで二元論的になってしまうからです。
 無駄な二元論に陥ることなく、一元論で済ませられるときは済ませるべきです。
 オッカムの剃刀ですね。

 さらに元の文はこうでした。↓

> http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3084
> もとの2封筒問題で公開するのが常に自分の封筒だとする場合、
> 上限額を設定するなら、上限額の場合には交換により膨大な損失が生じるので
> それ以外での金額の場合の、交換における利益が相殺され、全体の期待値は変動しない。
>
> 上限額を設定しないなら、上記の膨大な損失が生じなくなるため
> 交換によって全体の期待値が増えるように見えるが、実際は
> そもそも全体の期待値が∞だから、そもそも変動したかどうか
> 論じる意味がない。
>

 醜いまでの二元論ですね。
 「論じる意味がない」という結論に至る説明は、たいてい間違っているものですよ。

 そもそも上限ナシの場合に「全体の期待値が増えるように」なんて見えませんけど?
 上限なしで実際に多数試行を始めてみればわかります。
 損がまさったり得がまさったりを繰り返し、全体として期待値は損得ナシのまま推移することでしょう。上限アリの場合と基本は変わりません。
 多数試行である限り、「全体の期待値が増えるように見える」ことはありません。(一時的にそう見えるかもしれないが、「減るように見える」場合と同頻度です!)

 恣意的な二元論ではなく、一元論的に説明すべきでしょう。
 上限アリの場合もナシの場合も、封筒を開けて金額を見る前の状態(中身の金額の可能性は不特定)に相当するのであり、任意のAについてA→2Aと2A→Aの場合が半々だから交換戦略は損得ナシ、で説明は一挙に済んでしまいます。
 一元論的説明が容易にできるのに、あえて二元論をとる理由を聞きたいものです。
 無限をそんなに導入したいんですか? 「論じる意味」を捨ててまで?


Re: 論理的確率の前提 投稿者:φ 投稿日:2011年 8月31日(水)02時21分27秒

> No.3110[元記事へ]

TTTさんへのお返事です。

>
> > プレイヤーの勝ち数
> とは、表が出るまでに投げたコインの回数のことですか?
> > プレイヤーが一プレイで無限に勝ち続けることが可能です
> 無限に裏が出続ける確率は0です。
>

 確率ゼロというのは、存在しないということではないでしょう。
 実数の中で自然数は測度ゼロですが、自然数が存在しないことにはなりません。
 まあ、「無限に」というのがどうしてもイヤであれば、別の表現でいくらでも替えられるでしょうが。論理式でもいいし。

>
> 2封筒問題でも同様の方法で金額を決めるなら、一方の封筒の金額を見る前(事前分布)において、
> 金額のとり得る範囲が上限のない場合や金額の期待値が発散する場合も有り得ます。
> 2封筒問題の胴元が、どのような方法で金額を決めるのか無知であるなら
> 勝手に「このような方法で金額を決めてはいない」と決め付けてはいけません。
>
> 一方の封筒の金額確認後(事後分布)の期待値は必ず収束しますが、そのことは
> 事前分布で金額のとり得る範囲に上限があるかどうかと一切関係ないのです。
>

 事後分布が発散しないというだけでパラドクス構成には十分だと思いますよ。
 すると事後分布が一様分布であるかどうか、にまた話が戻ってしまいそうですが、
 どうしても一様分布に納得できないというなら、仕方ない、
 ここは、モンテカルロさんのhttp://8044.teacup.com/miurat/bbs/3108をお借りしましょう。
 確率が金額に反比例するという特殊な場合を除けば、2封筒問題を構成できるのです。
 つまり、1.25という特定の係数に格別の意味はありません。
 わかりやすいから一様分布で考えているだけで、1.05でも、1.28でも、0.76でも、とにかく金額を見ないと交換で損得ナシなのに金額を見ると期待値が変化する、というのが2封筒問題の本質です。
 どうしても一様分布がイヤであれば、好きな確率分布に置き換えてください。

>
> どの目がどれだけ出やすいのか分からないサイコロ(同一のもの)に関して
> 連続して3回投げる場合の主観確率や
> 2回投げて2回とも6の目が出た場合の、3回目(以降)の出目の主観確率は
> どのように求めるのですか?
> 万一この程度の主観確率の求め方も説明できない(1回の場合しか計算できない)ようなら、ベイズ的とは言えません。
>

 何度か振って出た目を確かめたあとは、6の出る確率についていくつか仮説を構成し、その仮説検定をすることになるのではないでしょうか。試行錯誤で。
 たとえば、
「6の出る確率は1/6」という仮説をA
「6の出る確率はb」という仮説をB   として、
 6が2回出たというデータを見たあとでは、BとAの真実性の比率はもとの36(b^2)倍に改訂される、というような。
 私が思いつくのはその程度ですが、
 統計学的にはたぶんもっとダイレクトな求め方もあるのでしょうかね。TTTさんの腹案を伺いましょう。


モンテカルロさんへ 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 8月31日(水)00時02分4秒

初めにおことわりしておきます。昨日、終わりの方に書いたE=5×(1/2)+20×(1/2)などの5,20は5万,20万のことでした。

◎No.3107 モンテカルロさんへのお返事です。

> そもそもNは定数でない。

そう捉えるのは、小切手を切る人がいくらにしようか迷っている段階の事を想定しているからじゃないでしょうかね。

私がNと言うのは既に記入済み、金額確定済みの段階の表現なんですが。
たとえば一次方程式2x-3=0とかx+5=0とかを一般的な形でax+b=0(a≠0)と書くとき、既知数をa,bで一般化させているのと同じ意味です。
本当は既知数だが封筒で隠されているだけ。銀色の箔をコインでこすって剥がすクジと同じで、数字は確定している段階の事です。

> Nの範囲を、1,2,4,8,・・・,2^n,・・・と2のベキに限定する。

ここでのNが少額の方の小切手を意味しているなら、3円などの可能性が抜けているし、多額の方だったら1円や4円などの可能性は排除されなければ設問の条件を満たしていないですし、一体何を指してNと言っているんでしょうね。

~そもそも記入金額確定段階でのペアの金額は、総額は3の倍数(つまり3Nという事)、多額の方は2で余りなく割り切れなければならない、という制約がありますね。~

> 一つの封筒が選ばれる確率をPとしたとき
>
> P×(1+2+2+4+4+8+・・・) ・・・(1)
> となる。()内は当然発散する。

ここも小切手を切る人が迷っている段階の事を想定しているように読めますが、どうなんでしょう。
◆現実の◆2通の、封筒でマスクされた小切手から1通を選択する段階で、なぜ2個の項を超えた項数の確率が登場するのでしょうか。もう既に、迷ってた段階にはあった無限の可能性は、閉じてしまっているのではないですか。
以下、同じ前提に基づく展開のようですのでコメント略します。

~無限とパラドクスの関係自体には関心あります。足立恒雄[のりお http://www.adachi.sci.waseda.ac.jp/]先生の『無限のパラドクス』(講談社ブルーバックス)という、そのままのタイトルの本がありますね。~



論理的確率の前提 投稿者:TTT 投稿日:2011年 8月30日(火)22時31分48秒

> No.3104[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  べつに「任意の」「すべての」という語形にこだわりはしませんが、概して、
> 「任意の」は単数についての量化子で、個々のどれについてもそれぞれ、という意味でしょう。
> 「すべての」は複数についての量化子で、総体について一括して、といった意味になるのではないでしょうか。
>
>  たとえば、
>  自然数x、yについて、
>
>  ∃x∀y(x≧y) …… すべての自然数から成る集合について、その中のどの要素よりも小さくない自然数がある。
>  ∀y∃x(x≧y) …… 任意の自然数をとったとき、どれをとっても、その自然数よりも小さくない自然数がある。

 ∃x∀y(x≧y) …… 任意の自然数よりも小さくない自然数がある。
 ∀y∃x(x≧y) …… すべての自然数から成る集合の中から要素をとったとき、どれをとっても、その要素よりも小さくない自然数がある。

等と読んでもいいはずです。
∃x∀yの場合の∀は複数についての量化子「すべての」、∀y∃xの場合の∀は単数についての量化子「任意の」
などということはありません。それにhttp://8044.teacup.com/miurat/bbs/3063
> 物理的に言って、Gの変域は無限ではありえない、ということがあるからです。
> 文字や数字や日常言語による表現可能性には限界があります。「人間または機械が物理的に書くことのできる数の上限」は、
> 未知ですが、ある範囲内にあるはずです。(「ベリーのパラドクス」ぽくなってきますが)
> 封筒の中身が、それ以上の数である可能性はありません。
> したがって、Gの変域は自然数全体ではありえません。
の反論(http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3066)に対するφさんのコメント(http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3067)
> かりに物理学を無視して、任意の大きさの数を封筒内の小切手に書けるとしてもよいでしょう。
> しかしそれはあくまで「任意の自然数」であって、「すべての自然数」ではありませんよね。
の意味も不明のままです。封筒内の小切手に書かれる数は1つであって、複数(自然数全部)ではありません。


>  プレイヤーが考えるのはβです。

> β  (∀胴元の選択肢の上限) (∃一様分布)[Gは2封筒問題を成立させる数である⇒相手の金額の期待値はGより25%大きい]

>  βは、「任意の上限をとったとき、その上限についてそのつど、交換が25%得となる一様分布がある」ですから、真です。

えっと、だから何なんでしょうか?
各上限に対してそのような一様分布が存在するからといって、
プレイヤーにとっての現試行の一様分布が、そのような一様分布である保証はありません。各上限に対して
確認した金額Gは一目で極大や極小だとわかる金額でないけれどGが極大や極小である一様分布 も存在します。


>  2封筒問題は、胴元が金額の選択をいつまでも引き延ばしていたらゲームが始まりません。
> 選ばれるのは必ず一プレイにつき一つの上限ですから、βです。金額を見たあと(ゲームが始まってから)の期待値は発散しません。

>  対して、サンクト・ペテルブルクは、プレイヤーが一プレイで無限に勝ち続けることが可能ですから、

>  (∃胴元の用意すべき金)(∀プレイヤーの勝ち数)[ゲームが成立する(結果に応じた金が支払い可能である)]

>  が真とならねばなりません。期待値は発散します。
>  問題の構造が全然違うということです。


> プレイヤーの勝ち数
とは、表が出るまでに投げたコインの回数のことですか?
> プレイヤーが一プレイで無限に勝ち続けることが可能です
無限に裏が出続ける確率は0です。

サンクト・ペテルブルクのパラドクスは、期待値が発散することが本質であって
コインを投げることや、プレイヤーに与える金額がいつ決まるのか等は本質ではありません。

例えば、以下のようなものも、サンクト・ペテルブルクのパラドクスです。
 0以上1未満の一様乱数を発生させ、その値Rに応じて、
 1-(1/2^n)<R<1-(1/2^(n+1))なら、胴元がプレイヤーに与える賞金金額を2^(n+1) (n=0,1,2,3,…)と決めるとします。
 胴元やプレイヤーに見せないようにして、公平な第三者が発生させた乱数から賞金金額を求め、
 その額を書いた紙を封筒にでも入れて置くとしましょう(ゲームの準備)。
 プレイヤーが胴元に参加費を支払ったら(ゲーム開始)、胴元はプレイヤーに封筒に書かれた額を賞金として与えます(ゲーム終了)。
 プレイヤーが胴元に支払う参加費はいくらであれば公平でしょうか?


コンピュータを用いれば、ゲームの準備はほぼ一瞬で終わります
(いつまでもゲームの準備が終わらない確率は0で、準備にかかる時間の期待値は有限に収束します)。
ゲーム開始後、賞金金額は既に(客観的には)決定していてその値は必ず有限の定数ですが、
胴元やプレイヤーにとって(主観的には)賞金金額は期待値は発散します。封筒を開けさえすれば、
主観的にも賞金金額は決定するので、胴元が支払うべき金額の選択がいつまでも引き延ばされることはありません。

2封筒問題でも同様の方法で金額を決めるなら、一方の封筒の金額を見る前(事前分布)において、
金額のとり得る範囲が上限のない場合や金額の期待値が発散する場合も有り得ます。
2封筒問題の胴元が、どのような方法で金額を決めるのか無知であるなら
勝手に「このような方法で金額を決めてはいない」と決め付けてはいけません。

一方の封筒の金額確認後(事後分布)の期待値は必ず収束しますが、そのことは
事前分布で金額のとり得る範囲に上限があるかどうかと一切関係ないのです。



>  では、次のことにしかるべく異議を唱え、代案を示してください。

具体的な修正案を与える前に、そのヒントとしてφさんに以下の質問(問題)です。

φさんは
どの目がどれだけ出やすいのか分からない6面サイコロを1回投げた時
(6面には、それぞれ1~6の目が割り振られている点などは、通常のサイコロと同じであるとします)
出目がK(:1~6)である主観確率は、1/6である
と求めることができるようですが

どの目がどれだけ出やすいのか分からないサイコロ(同一のもの)に関して
連続して3回投げる場合の主観確率や
2回投げて2回とも6の目が出た場合の、3回目(以降)の出目の主観確率は
どのように求めるのですか?
万一この程度の主観確率の求め方も説明できない(1回の場合しか計算できない)ようなら、ベイズ的とは言えません。

何も情報がない(無知である)時
1投目の出目X1が各K(:1~6)である主観確率はP(X1=K)=1/6 であり
2投目の出目X2、3投目の出目X3に関しても同様に
 (∀L:1~6)[P(X2=L)=1/6]、(∀M:1~6)[P(X3=M)=1/6] である、つまり
各出目を表す確率変数X1,X2,X3がそれぞれ一様分布に従う(周辺分布は一様分布である)となるのが自然でしょうが、
X1,X2,X3の同時分布が一様分布である
 P(X1=K,X2=L,X3=M)=1/6^3=1/216 (∀K∀L∀M:1~6)
つまり、X1,X2,X3は確率変数として独立であるとするのは不自然です。


Re: 2封筒問題でφ氏に1票 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月30日(火)07時16分12秒

φさんへのお返事です。

>私の解答は正しいはずなのです。

なぜ?
まさかとは思いますが、φ氏が東大卒だから?

> http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3101 にモンテカルロさんがどう答えてくれるのか楽しみです。

結局、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3044の問いの答えは無かったんですね。


Re: 封筒問題に関して 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月30日(火)07時09分36秒

> No.3102[元記事へ]

TTTさんへのお返事です。

> 数学的に、一般性を考えれば、一様分布に拘るべきではありません。
> (一様分布も含む)一般の確率分布を前提とした場合のパラドキシカルな部分を調べて
> それを解決できれば一様分布でも解決したことになるし、
> 全く無知である場合のヒントにもなり得ます。

そもそも、パラドックスは、一様分布でなくとも
ペアの金額の和が2倍となるときの選択確率が
もとのペアの選択確率の1/2よりも大きくなる分布
であれば生じる。

そして、なぜそのようなことが生じるかといえば
全体の期待値が発散するからであって、
その場合、無限級数の操作によって、
おかしなことが起きるわけである。

2封筒問題が狡猾なのは、無限が直接表面に現れない点。
ペアが確定した後しか考えない素人は確実に間違う。


おかめ石氏の誤り 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月30日(火)06時59分16秒

> No.3103[元記事へ]

おかめ石さんへのお返事です。

> ◎最初に封筒1通を◆選択◆するとき
>
> 封筒に入っている小切手2枚の総額を
>(選択者には具体的な額は不明だがあくまで一定の金額としての)
>3Nと置く。Nは定数。

誤り。

そもそもNは定数でない。

まず、自分のところに来る金額の期待値を計算する必要がある。

Nの範囲を、1,2,4,8,・・・,2^n,・・・と2のベキに限定する。

φ氏が固執する一様分布によるなら、Nの期待値は
一つの封筒が選ばれる確率をPとしたとき

P×(1+2+2+4+4+8+・・・) ・・・(1)

となる。()内は当然発散する。

> ◎選択した封筒の中身を見た後で他方の封筒と◆交換◆するかどうか決めるとき

上記の期待値の式に対して、封筒の中身を交換した場合の
各々の金額に置き換えた新たな期待値の式を求めると

P×(2+1+4+2+8+4+・・・) ・・・(2)

となる。()内も当然発散する。

「(2)は(1)の(およそ)1.25倍」という主張は
(1)(2)を以下のようにくくりなおしたもの

P×(1+(2+2)+(4+4)+・・・) ・・・(3)
P×(2+(1+4)+(2+8)+・・・) ・・・(4)

を比較して、(4)内の各々の()でくくられた項が
(3)内各々の()でくくられた項の1.25倍
という計算結果によるものである。

ところで、もともとの(1)~(4)の式は
ある特定の期待値を表わすかといえばそうではない。
発散するからである。

発散級数に対して、項の順序を変えたり、()を付け替えたりする操作が
もとの値?を不変にするというようなことは言えない。

発散級数を避け続けるかぎり愚かしい誤りに気付くことは一生ないだろう。
しかし、自らの愚かしさに気付かぬことを、賢さとは云わない。


φ氏の錯覚 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月30日(火)06時38分12秒

φさんへのお返事です。

> ■『論理パラドクシカ』pp.50-53 引用開始■
> (問4の解答部より)
>  手もとの具体的中身を確認しただけで「交換した方が得」に変わる、というのはいかにも不思議である。しかし、ある意味で実際そのとおりなのである。
>  問2の場合と違って今や、こちらの封筒とむこうの封筒との間に非対称性が生じた。あなたがむこうの封筒を手にしている可能世界は消えた。現に見た10万円は変更できないため、基準はこちらに一方的に固定された。ベイズ主義(主観確率論)の出番である。こちらの封筒にあるのが「Nか2Nか」は、それぞれむこうが「20万円か5万円か」。すると今度こそ、交換すると25%の得なのだ。
>  ただし、「交換すると25%の得」という期待値は、1回限りの期待値であることに注意しよう。「この試行」においては、期待値計算は、封筒の中に発見した10万円という初期金額を固定して、無限回の試行でその同じ10万円が常に続くと仮定し、自己本位に計算する(これが、封筒の中身を見たことの効果である)。1回限りのゲームなら、そうした理想化された計算も許される。
>  しかし実際にこのゲームを百回もやったとしてみよう。問題設定からして、封筒に入れられる金額はランダムのはずだから、こちらの封筒を開けてみて発見する金額は毎回同じではない。常に初期金額が10万円などという偶然はありえないのだ。
>  あなたが最初に10万円を取った場合だけを選んでゲーム成立として、それを百回続けよう。特別な情報がなければむこうの封筒は20万円と5万円が半々と期待するべきなので(繰り返すが確率分布説は誤りだから)、すべての試行で交換することにより、百回終えたときあなたは250万円ほどの儲けが期待できるだろう。しかし、現実はそのようにあなた本位には運ばない。恣意的な設定抜きで百回行なえば毎回初期金額は変動するので、封筒を交換して得する場合と損する場合とを比べると、あなたの封筒内に見出す初期金額は、平均して、交換が得な場合には損な場合の半額であるはず。つまり、試行全体の平均に照らして初期金額が大きいときに損しやすく、初期金額が小さいときに得しやすい*。この偏りのため、1回ごとの期待値がすべて「交換で25%の得」ではあっても、百回全体では損得ナシとなるのである。
>(中略)
>  よって、正解はこうなる。交換ゲームをするのが1回限りのつもりであれば、手もとの金額を見た場合、交換するのが得である(むこうの封筒の金額だけを見た場合は、交換しないのが得である)。しかし何度も行なう場合は、毎回金額が異なることを計算に入れて補正し、交換してもしなくても期待値は同じに収束する、と結論せねばならない。
>

まず、「1回限りの期待値」なるものは存在しない。
さらに、ベイズ理論による期待値の計算において「無限回の試行でその同じ10万円が常に続く」という仮定は必要ない。

実際に、このゲームを多数回実行すれば、初期金額が10万円になる場合は複数回生じるのであるから、その場合だけ抜き出して計算すればよい。
その場合において「交換すると25%の得」という結果が得られる、というのは事後確率によるベイズ理論の考え方である。

ここで、重要なのは、どの金額(正確には下限以外の金額)においても、金額別に集計すれば、「交換すると25%の得」という結果が得られる、ということである。
ナイーブな人は、これだけで、「ああ、じゃあ、どんな場合でも25%の得なんだ」と思うわけである。

しかしながら、ここに無限級数の悪魔が潜んでいるわけである。

つまり 期待値0という計算は

 1つのペアの選択確率
×((5000-5000)+(10000-10000)+(20000-20000)+…)
=1つのペアの選択確率
×(0+0+0+…)
=0

であり、期待値が25%増加という計算は

 1つのペアの選択確率
×(5000+(-5000+10000)+(-10000+20000)+(-20000+…)
=1つのペアの選択確率
×(5000+5000+10000+…)
=∞

である。

つまり、無限級数の場合
「ある加算順序で0なら、どんな加算順序でも0」
とはならないのである。


Re: 2封筒問題でφ氏に1票 投稿者:φ 投稿日:2011年 8月30日(火)04時24分46秒

> No.3103[元記事へ]

おかめ石さんへのお返事です。

>
> やりとり眺めてましたけど、どれが正しいのかいっぺん詰めてみようと
>『論理パラドクシカ』を週末に精読しました。
> 結果、そこに正答が示されていると判断つきました。
> 読み取れたところに多少アレンジ加えて書いてみます。
>

 お読みいただき、ありがとうございます。
 おっしゃるとおり、私の解答は正しいはずなのです。

 アレンジしていただいた部分は、前提として一様分布が想定されており、
 その一様分布をここで認めてもらうだけでも大変なすったもんだでした。

 ともあれ、(かりに)一様分布を認めてもらったあとの議論でも何やら異議が残っているようで、
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3101 にモンテカルロさんがどう答えてくれるのか楽しみです。


Re: 封筒問題に関して 投稿者:φ 投稿日:2011年 8月30日(火)04時18分21秒

> No.3102[元記事へ]

TTTさんへのお返事です。

>
> φさんが問題の成立に必要等と考えるなら
> 「2封筒問題を成立させる数」とは書かずに、意味を書いて下さい。
>

すでに前回書きましたが、
 「交換が損か得かが一目でわかる場合は除く」で十分ではないですか。損得が一目でわかる金額の場合は問題の趣旨に反しますから。

>
> 可能な限り(特にお互いに合意してない部分は)省略しない形で書いて下さい
> (例えば∀x∃yなのか∃y∀xなのかで意味が全然違ってしまいます)。
>

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3053
でTTTさんも、
(∃事前確率分布)(∀G:自分の封筒の金額)[相手の金額の期待値はGより大きい]
というふうに、二つの束縛変項を命題関数から省略して書いてましたよね。
 そのことに私は不満はありませんよ。
 今回のような副詞句の場合、どのように命題関数に入るかは自明ですから。∀と∃の順序さえハッキリしていれば十分です。

 むろん、束縛変項が副詞句ではなく主語として現れる場合、たとえば次のような場合は、束縛変項を命題の表記から省略できません。

 ∃x∀y(x>y)

 そこでTTTさんの次の部分へのお返事になりますが、

>
> 数学では、(∀n)を「全てのnに対して」「任意のnに対して」「各nに対して」等と読み、
> 「全て」と「任意」の意味は同じです。
> φさんの言う、その(意味が異なるらしい)「任意の自然数」と「すべての自然数」が何を意味してるのかわかりません。
>

 べつに「任意の」「すべての」という語形にこだわりはしませんが、概して、「任意の」は単数についての量化子で、個々のどれについてもそれぞれ、という意味でしょう。「すべての」は複数についての量化子で、総体について一括して、といった意味になるのではないでしょうか。

 たとえば、
 自然数x、yについて、

 ∃x∀y(x≧y) …… すべての自然数から成る集合について、その中のどの要素よりも小さくない自然数がある。
 ∀y∃x(x≧y) …… 任意の自然数をとったとき、どれをとっても、その自然数よりも小さくない自然数がある。

 前者は偽で、後者は真です。

α  (∃一様分布)(∀胴元の選択肢の上限)[Gは2封筒問題を成立させる数である⇒相手の金額の期待値はGより25%大きい]

β  (∀胴元の選択肢の上限) (∃一様分布)[Gは2封筒問題を成立させる数である⇒相手の金額の期待値はGより25%大きい]



αは、「すべての上限の集合について、その中のどの上限についても交換が25%得となる一様分布がある」ですから、偽です。
 βは、「任意の上限をとったとき、その上限についてそのつど、交換が25%得となる一様分布がある」ですから、真です。
 2封筒問題は、胴元が金額の選択をいつまでも引き延ばしていたらゲームが始まりません。選ばれるのは必ず一プレイにつき一つの上限ですから、βです。金額を見たあと(ゲームが始まってから)の期待値は発散しません。

 対して、サンクト・ペテルブルクは、プレイヤーが一プレイで無限に勝ち続けることが可能ですから、

 (∃胴元の用意すべき金)(∀プレイヤーの勝ち数)[ゲームが成立する(結果に応じた金が支払い可能である)]

 が真とならねばなりません。期待値は発散します。
 問題の構造が全然違うということです。

>
> 全く無知であることか、一様分布に拘ることのどちらかを諦めて下さい。
>
> 数学的に、一般性を考えれば、一様分布に拘るべきではありません。
>

 話が戻ってしまいましたね。
 では、次のことにしかるべく異議を唱え、代案を示してください。

 ■主観確率の定義…… 対立仮説A、Bの信憑性について「完全に無知」であるとは、次のことを意味する。(Pは主観確率)
         P(A)=P(B)
 A、Bは任意なので、起こりやすさについて無知である事象x、yについて
 ∀x∀y(P(x)=P(y))  これを一般化すると一様分布です。

 ■予備知識ゼロで初めて訪れた小学校のあるクラス名簿(40人)をいきなり見せられて、
 「この40人のうち、父親の現在の身長が一番高いのは誰?」と問われた。
 あなたが適当に「出席番号12番の子」と答えて正解である確率は?  当然、1/40。
 無知のとき、ベイズ的な推論の出発点に1/40以外を設定することはできません。無知は、一様分布の想定を強要します。

 ■無知を、「一様分布という知識」に置き換えてもかまいません。
 「胴元が一定の金額ペアの母集団から、コインかサイコロによってペアを選んだ」ということをプレイヤーが知っているという設定にすればよいのです。
 このように、主観確率の一様分布を明示しても2封筒問題の構造は変わりません。
 このときハッキリと、事前確率分布も(プレイヤーが金額を見たあとの)事後確率分布も、ともに一様分布です。


2封筒問題でφ氏に1票 投稿者:おかめ石 投稿日:2011年 8月29日(月)23時18分56秒

やりとり眺めてましたけど、どれが正しいのかいっぺん詰めてみようと『論理パラドクシカ』を週末に精読しました。結果、そこに正答が示されていると判断つきました。読み取れたところに多少アレンジ加えて書いてみます。

◎最初に封筒1通を◆選択◆するとき

封筒に入っている小切手2枚の総額を(選択者には具体的な額は不明だがあくまで一定の金額としての)3Nと置く。Nは定数。
~(3.5,7),(7.5,15)など多額の方が2で割り切れない金額のペアは排除されますね。~

封筒は2通なので、期待金額Eを求める式は、E=C1P1+C2P2。
~右辺は2個の項から成る有限級数Σ[i=1から2]CiPiだとも言える。~
但し、Cは封筒(及びその中に入っている小切手の~選択者にとっては金額不明の~額面)を指すものとする。確率P1,P2は共に1/2。

C1=2N,C2=Nだった場合[E=2N×(1/2)+N×(1/2)]と、C1=N,C2=2Nだった場合[E=N×(1/2)+2N×(1/2)]のどちらも、期待金額は総額3Nの1/2に成る。

◎選択した封筒の中身を見た後で他方の封筒と◆交換◆するかどうか決めるとき

選択しなかった方の封筒の中身は見られないので、選択した方の額面の半分なのか2倍なのかは依然不明のまま。
そこで選択した封筒が10万円だったと置いてみる。すると、他方の封筒には5万と20万の両方の可能性がある。

この状況は、2通の封筒D1とD2があって、一方に5万、他方に20万が入っている事までは分かるが、どちらが5万なのかは不明、というのと同じである。確率は双方1/2。

この想像上の2通の封筒から1通を選択する状況での期待金額は、
D1(内の小切手)が5万,D2が20万だった場合[E=5×(1/2)+20×(1/2)]も、D1が20万,D2が5万だった場合[E=20×(1/2)+5×(1/2)]も、どちらも12.5万と成る。つまり手元の10万と比較したら25%の得。



Re: 封筒問題に関して 投稿者:TTT 投稿日:2011年 8月29日(月)22時36分17秒

> No.3067[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  いずれにせよ、「Gは2封筒問題を成立させる数である」という句は今回も用いることにさせてください。
> 問題が成立しないと困るし、どうせその句は推論の中で無害ですから(形式的には省略可能ですから)。

φさんが無害だと思っていても、私にとっては大変有害です(混乱します)。
封筒問題がどのような問題で何を前提とするかを議論すべきでない、φさんが何が必要だと思うのか書くべきでない
等と言ってるわけではありませんよ。φさんが問題の成立に必要等と考えるなら
「2封筒問題を成立させる数」とは書かずに、意味を書いて下さい。
例えば
> 一様分布と上限は、副詞句の束縛変数として[ ]内の命題関数に含まれているものとします
とあり、変数「上限」は「Gは2封筒問題を成立させる数である」の部分にも関係すると思いますが、
このような書き方と前にφさんが書いた定義では、どのような形で命題関数に含まれているのか不明です。

> 形式的には省略可能ですから
私はφさんがどのような主張をしているのかわからないから、論理式で表そうとしているので
可能な限り(特にお互いに合意してない部分は)省略しない形で書いて下さい
(例えば∀x∃yなのか∃y∀xなのかで意味が全然違ってしまいます)。


> しかしそれはあくまで「任意の自然数」であって、「すべての自然数」ではありませんよね。

>  αの場合、(∀胴元の選択肢の上限)は、「すべての自然数につき」を意味するものとして読めるかもしれません。
>  しかしβの場合は、(∀胴元の選択肢の上限)は、「任意の自然数につき」を意味することしかできません。

数学では、(∀n)を「全てのnに対して」「任意のnに対して」「各nに対して」等と読み、
「全て」と「任意」の意味は同じです。
φさんの言う、その(意味が異なるらしい)「任意の自然数」と「すべての自然数」が何を意味してるのかわかりません。


>  QBさんが言うように、∞と書くことはできません。無限大は自然数ではありませんから。
>  何が書かれようが、有限の自然数です。

金額のとり得る値の全体を自然数全体とすると
金額は必ず自然数で、有限になる(∵どんな自然数も有限である)ので
金額が∞であることはないが、金額の期待値は無限大に発散し得る(サンクトペテルブルクが正にそれ)。
「確認する金額は有限だから、確認する金額のとり得る範囲は上限がある集合(または、確認する金額の期待値は有限)である」
とするのは誤りです。


>  それをふまえて、私の考えを順を追って論証を書き出してみますので、
>  どのステップに難点が見出せるのか、指摘していただければさいわいです。

プレイヤーは、2封筒の金額比を1:2であると知っているという事は大事な前提なので、明記した方が良いでしょう。

■暫定的結論1で
事前分布をそのように仮定する(無差別原理を適用する)ならば
「2封筒問題成立の条件を満たす自然数」全体は、(後に知る情報)Gに依存しない必要がある
(後で、この前提(事前分布)と、金額がGであるという証拠から、事後分布を求める為)。

封筒を開ける前は、封筒の金額が「2封筒問題成立の条件を満たす自然数」でないとプレイヤーには確信できない
ので、プレイヤーは自分の置かれた状況が(φさんの言う意味での)「2封筒問題」であるかどうか断定できない。

■前提2以降
封筒の金額Gに対し、(Gがどんな数であったとしても)GやG/2が「2封筒問題成立の条件を満たす自然数」でないと
プレイヤーには確信できない(故にプレイヤーは自分の置かれた状況が「2封筒問題」であるかどうか断定できない)
ので、暫定的結論1のx,yにG,G/2を代入することはできない。よって
■暫定的結論2と■結論は正しくない。


金額比が1:2であること以外に関して全く無知である時に
金額確認前の封筒に入る金額と、金額確認後の交換後の金額(2倍か半分か)
がそれぞれ一様分布に従う、とするのは無理です。
全く無知であることか、一様分布に拘ることのどちらかを諦めて下さい。

数学的に、一般性を考えれば、一様分布に拘るべきではありません。
(一様分布も含む)一般の確率分布を前提とした場合のパラドキシカルな部分を調べて
それを解決できれば一様分布でも解決したことになるし、全く無知である場合のヒントにもなり得ます。


Re: モンテカルロ氏の錯覚 投稿者:φ 投稿日:2011年 8月29日(月)21時09分32秒

> No.3100[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

 まず些細な訂正。
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3099での引用部は、
『論理パラドクシカ』pp.50-53 ではなく、pp.51-53 でした。

>
> さて引用に対するコメントは後ほど行うとして
>

 お互いの基本的立場の確認が先ですから、
 まず『論理パラドクシカ』で私が公にした2封筒問題解決編(前回の引用部)について、正しいとかどこが間違っているとか、最低限で結構ですからコメントを伺いたく思います。

 なお、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3099の引用の前に
「一文だけ、不用意な書き方をしてあるところがありますが……」
 と但し書きをしましたが、それは*の付いた一文です。
 そこは直前の文を言い換えたつもりでありながら表現を誤ったので、増刷時には、*付きの一文と注を削除するつもりです。(なので、申し訳ありませんがそこはさしあたり飛ばして読んでください。論旨に影響ありません。)

 引用部へのコメントは、(とくに「誤り」を指摘される場合)、
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3100 のような漫然とした気分的書き込みではなく、
 議論のステップになるような論証的な投稿でお願いできれば幸いです。

 そのあとで、モンテカルロさんの錯覚に戻り、
 ↓まったく意味不明の「なぜなら」の意味をじっくり伺うことに致しましょう。

>  http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3088
>
> 上限額を設定し、なおかつ、いかなる金額でも交換を実施する
> という場合には、期待値は全く変動しません。
>
> なぜなら、上限額で莫大な損失があるからです。
>


Re: モンテカルロ氏の錯覚 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月29日(月)07時36分29秒

> No.3099[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> 「上限額など設定しなくても、期待値の変動は論じる意味があります。」
> という私の言を、
> 「上限額を設定しない場合は、期待値が変動する」
> と読んだらしいですが、
>  私の趣旨は真逆です。
>  「上限額など設定しなくても、期待値の変動は論じる意味がある。
>  『変動しない』と断定できるのだから」という意味です。
>  落ち着いて読んでいただければ分かったはずですが……。

φさん、あなたこそ、落ち着いたらどうですか?

私は、こういったのですよ。

「上限額を設定しない場合、そもそも期待値が発散するのだから
 「変動しない」ということはできない。そもそも値がないのだから。」

∞は値ではありません。

>  つまり、【上限の有無によって】期待値変動の論理が
> 変化するかのように述べているモンテカルロさんの錯覚を
> 私は否定したのです。そんな変化はありえませんと。

その錯覚は、私の錯覚ではなく、φ氏の錯覚でしょう。

もっとも、私が考えたモンティ・ホール風の問題では
本当に期待値が変動しますがね。

>  私の立場を誤解されているようですが、私は、
>  「2封筒ゲームの多数試行では全体の期待値は変化しない」
>  と断定しているのですよ。そこにパラドクスなどない、と。

私の主張を全く理解できていないようですが、私は

「期待値が発散する場合には、
 そもそも変化があるとかないとか論じられない
 そもそも値がないのだから」

といっているのですよ。その意味でパラドクスではないと。

>  「アキレスと亀」などをネタに延々と空論を続けている一部の哲学者たちと違って、
> 私の立場は「パラドクスを温存しようとするべからず!」です。

残念ですが、φ氏のやってることは、φ氏が「空論を続けている」と避難する
哲学者たちと全く同じですよ。つまり結局空論になってしまった、と。

>  『論理パラドクシカ』を読んでから来てくれ、
>  などと厚かましい要求をするつもりはないので、

この間、立ち読みしました。
買うほどでないとおもって買いませんでした。

さて引用に対するコメントは後ほど行うとして

>  ↓のモンテカルロさんの発言に対する私の批判★はこうなります。
>
> >
> > いかなる状況での"期待値"も増えるのなら、
> > 全体の期待値も増えるはず、というのが
> > パラドックスだというわけでしょう。
> >
>
>  ↑★それは一見してパラドクスであるにすぎません。
> 全体の期待値が増えないのは当たり前の統計的事実です。

無限級数に関しては、加法の結合法則および交換法則は成立しません。
つまり「当たり前」ではありません。統計は数学に基づいているので
統計的にも当たり前ではないということです。

> > しかし、全体の期待値が、有限値に収束しない場合
> > そもそも、全体の期待値が増えたかどうか考えるのが
> > 無意味というわけです。
>
>  ↑★無意味ではありません。だって全体の期待値が増えるはずないのだから。

それは無限級数の問題を知らぬφ氏のナイーブな思い込みに過ぎません。

>  「無意味だから論じられない」という消極的なパラドクス回避は、
> 哲学的には無価値です。数学的にも無価値でしょう。

数学的には価値があります。数学は事実を隠蔽することはしません。

>  パラドクスは回避するのではなく、ちゃんと解決しましょう。

無理矢理「解決」したことにするのは、哲学的にも無意味でしょう。

>  一回ごとの期待値が増えても全体の期待値が増えないのは、
>  「全体の期待値が、有限値に収束しない」からではありません。
>  無限は無関係です。

なぜ無関係だといいきるのでしょう。無限が嫌いだからですか?

>  単に、交換して得するときと損するときの初期金額の平均に
> 2倍の差があるという統計的事実から、「全体で損得ナシ」が帰結します。
> 上限があろうとなかろうと。

それはφ氏のナイーブな思い込みですね。
まったく、この件に関してはSumioBaba氏にソックリですよ。

>  上限ナシのとき、損得を論ずるのが「無意味」というのは誤りです。
> ハッキリ「損得ナシ」と言えるのだから。

口にだせる、という意味では言えますね。
しかし、数学に基づいて言えるかといえば、それはウソでしょう。

>  モンテカルロさんの言う「上限額で莫大な損失」http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3088「一発大逆転」http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3097、そんなものは繰り返し思考実験の中では有意義な役割を演じません。「多数回(理念的には無限回)」やれば、交換によって上限を失う場合と、上限をゲットする場合とが必ず半々で起こるのだから。
>  大逆転による不安定なシーソーゲームによってではなく、一回一回の損得の構造(初期金額の平均の差異)によって、【交換による全体の期待値損得ナシ】が統計的に保証されているにすぎません。上限があろうがなかろうが。
>  この構造を見逃して「上限」「一発大逆転」などで辻褄を合わせねばならぬと思い込んだのがモンテカルロさんの錯覚なのです。

残念ですが、統計学は確率論に基づいており、確率論は測度論に基づいています。

つまり安定して損得無しの状態にいたる状況がみられるのでないかぎり、
【全体の期待値損得ナシ】が統計的に保証されている、とはいえません。
統計学は哲学ではなく数学です。

>  なお、いつぞやのSumioBaba氏と同様、モンテカルロさんの応答が
> 最近、拙速気味になっているのが気になります。

φ氏が7月のSumioBaba氏と同様、
だんだん出現回数が減っているのは何故でしょう。

>  即答の必要はありませんから、よく考えたレスをいただければ有難いです。

ナイーブな思い込みに対して熟慮の必要はありません。
数学について考えるのは、φ氏、あなたであって、私ではありませんよ。


モンテカルロ氏の錯覚 投稿者:φ 投稿日:2011年 8月29日(月)01時12分8秒

モンテカルロさんへのお返事です。

>
> パラドックスを実現したいφ氏にとって、この事実は不愉快でしょう。
> しかし他に方策が思いつかないφ氏は、結局のところ
> 「上限額は存在しない」することしかないわけです。
>

 論点を一点に絞ったのに、はぐらかされてしまいましたねぇ。
 最近のモンテカルロさんはちょっと防衛的になりすぎてませんか? それとも本当に誤解されたのか……。
 いずれにせよモンテカルロさんは
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3087 での私の指摘を正反対の意味にとっています。

「上限額など設定しなくても、期待値の変動は論じる意味があります。」という私の言を、
「上限額を設定しない場合は、期待値が変動する」と読んだらしいですが、
 私の趣旨は真逆です。
 「上限額など設定しなくても、期待値の変動は論じる意味がある。『変動しない』と断定できるのだから」という意味です。
 落ち着いて読んでいただければ分かったはずですが……。

 つまり、【上限の有無によって】期待値変動の論理が変化するかのように述べているモンテカルロさんの錯覚を私は否定したのです。そんな変化はありえませんと。

 私の立場を誤解されているようですが、私は、
 「2封筒ゲームの多数試行では全体の期待値は変化しない」
 と断定しているのですよ。そこにパラドクスなどない、と。
 「アキレスと亀」などをネタに延々と空論を続けている一部の哲学者たちと違って、私の立場は「パラドクスを温存しようとするべからず!」です。

 『論理パラドクシカ』を読んでから来てくれ、
 などと厚かましい要求をするつもりはないので、
 ここで、『論理パラドクシカ』pp.50-53を引用しましょう。
 2封筒問題の議論はpp.46-53ですが、そこからの一部抜粋です。(一文だけ、不用意な書き方をしてあるところがありますが、論旨に影響ないのでそのまま引用します)



■『論理パラドクシカ』pp.50-53 引用開始■
(問4の解答部より)
 手もとの具体的中身を確認しただけで「交換した方が得」に変わる、というのはいかにも不思議である。しかし、ある意味で実際そのとおりなのである。
 問2の場合と違って今や、こちらの封筒とむこうの封筒との間に非対称性が生じた。あなたがむこうの封筒を手にしている可能世界は消えた。現に見た10万円は変更できないため、基準はこちらに一方的に固定された。ベイズ主義(主観確率論)の出番である。こちらの封筒にあるのが「Nか2Nか」は、それぞれむこうが「20万円か5万円か」。すると今度こそ、交換すると25%の得なのだ。
 ただし、「交換すると25%の得」という期待値は、1回限りの期待値であることに注意しよう。「この試行」においては、期待値計算は、封筒の中に発見した10万円という初期金額を固定して、無限回の試行でその同じ10万円が常に続くと仮定し、自己本位に計算する(これが、封筒の中身を見たことの効果である)。1回限りのゲームなら、そうした理想化された計算も許される。
 しかし実際にこのゲームを百回もやったとしてみよう。問題設定からして、封筒に入れられる金額はランダムのはずだから、こちらの封筒を開けてみて発見する金額は毎回同じではない。常に初期金額が10万円などという偶然はありえないのだ。
 あなたが最初に10万円を取った場合だけを選んでゲーム成立として、それを百回続けよう。特別な情報がなければむこうの封筒は20万円と5万円が半々と期待するべきなので(繰り返すが確率分布説は誤りだから)、すべての試行で交換することにより、百回終えたときあなたは250万円ほどの儲けが期待できるだろう。しかし、現実はそのようにあなた本位には運ばない。恣意的な設定抜きで百回行なえば毎回初期金額は変動するので、封筒を交換して得する場合と損する場合とを比べると、あなたの封筒内に見出す初期金額は、平均して、交換が得な場合には損な場合の半額であるはず。つまり、試行全体の平均に照らして初期金額が大きいときに損しやすく、初期金額が小さいときに得しやすい*。この偏りのため、1回ごとの期待値がすべて「交換で25%の得」ではあっても、百回全体では損得ナシとなるのである。
  [*確率分布説はこの事情を捉えているつもりなのだろうが、一度限りの試行において初期金額の相対的大小の傾向を判定できるはずがないため、間違っているのである。]
 よって、正解はこうなる。交換ゲームをするのが1回限りのつもりであれば、手もとの金額を見た場合、交換するのが得である(むこうの封筒の金額だけを見た場合は、交換しないのが得である)。しかし何度も行なう場合は、毎回金額が異なることを計算に入れて補正し、交換してもしなくても期待値は同じに収束する、と結論せねばならない。

 問5 確認のための追加問題。あなたがA氏と相対する形でこのゲームをし、あなたは自分の封筒の中を確かめ、A氏も同様にした。2人とも、自分の観点から「交換するのが得」と判断する。2人ともこのゲームは生涯に一度きりしかできないと信じている。すると問4の答えによれば、いずれの判断も正しいことになる。
 2人とも交換するのが得だなんて、不合理ではないか?

 答え 不合理ではない。手もとの封筒の中に、あなたは6万円を見出し、A氏は3万円を見出したとしよう。あなたは、初期金額が毎回6万円のゲームに限って期待値を計算したのだし、A氏は初期金額が毎回3万円のゲームに限って期待値を計算した。2人は別々のゲームの中に自分を置いているので、期待値計算が食い違っても矛盾はない。もちろん、初期金額がそのつど違うという現実的な同じゲームの中に自分を置いてみれば、交換の期待値は2人とも損得ナシである。しかし1回限りの場合は、どのようなゲーム(の無限試行)の中の一回として現在の試行を捉えるかは各自の自由なのである。
 「交換が得」という判断は、結果としてA氏が正しく、あなたが間違っているわけだが、ただ一度の試行については、結果によって期待値判断を反証することはできないのだ。
 (後略)



■pp.50-53 引用終わり■

 以上の引用部に疑問点があれば、ぜひ御指摘ください。
 (ちなみに、
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3094でモンテカルロさんが不可能と言っている封筒配布法は、【ただ一度限りのプレイ】ではトリビアルな意味で実現している、というのが、上記引用部での一つの解になっています。)

 上記引用部に対し疑問点の指摘がなければ、私の基本的立場そのものに誤りはないものと判断させていただきましょう。
 そのうえで、
 ↓のモンテカルロさんの発言に対する私の批判★はこうなります。

>
> いかなる状況での"期待値"も増えるのなら、
> 全体の期待値も増えるはず、というのが
> パラドックスだというわけでしょう。
>

 ↑★それは一見してパラドクスであるにすぎません。全体の期待値が増えないのは当たり前の統計的事実です。

>
> しかし、全体の期待値が、有限値に収束しない場合
> そもそも、全体の期待値が増えたかどうか考えるのが
> 無意味というわけです。
>

 ↑★無意味ではありません。だって全体の期待値が増えるはずないのだから。
 「無意味だから論じられない」という消極的なパラドクス回避は、哲学的には無価値です。数学的にも無価値でしょう。
 パラドクスは回避するのではなく、ちゃんと解決しましょう。

 一回ごとの期待値が増えても全体の期待値が増えないのは、
 「全体の期待値が、有限値に収束しない」からではありません。
 無限は無関係です。
 単に、交換して得するときと損するときの初期金額の平均に2倍の差があるという統計的事実から、「全体で損得ナシ」が帰結します。上限があろうとなかろうと。
 上限ナシのとき、損得を論ずるのが「無意味」というのは誤りです。ハッキリ「損得ナシ」と言えるのだから。

 モンテカルロさんの言う「上限額で莫大な損失」http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3088「一発大逆転」http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3097、そんなものは繰り返し思考実験の中では有意義な役割を演じません。「多数回(理念的には無限回)」やれば、交換によって上限を失う場合と、上限をゲットする場合とが必ず半々で起こるのだから。
 大逆転による不安定なシーソーゲームによってではなく、一回一回の損得の構造(初期金額の平均の差異)によって、【交換による全体の期待値損得ナシ】が統計的に保証されているにすぎません。上限があろうがなかろうが。
 この構造を見逃して「上限」「一発大逆転」などで辻褄を合わせねばならぬと思い込んだのがモンテカルロさんの錯覚なのです。

 …………


 モンテカルロさんの他の諸々の錯覚については、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3062の後半やhttp://8044.teacup.com/miurat/bbs/3067ですでに指摘していますが、どうも伝わっていないようなので、必要に応じ投稿を改めて。

 なお、いつぞやのSumioBaba氏と同様、モンテカルロさんの応答が最近、拙速気味になっているのが気になります。
 即答の必要はありませんから、よく考えたレスをいただければ有難いです。


Re: まちがってますよ 投稿者:QB 投稿日:2011年 8月28日(日)17時13分40秒

> No.3096[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

> いっときますが、どちらも儲かる、とはいっていませんよ。
> プレイヤーAとBの損得の確率は独立じゃないんですから。

まあ、
「交換した方が1.25倍も得」と100万回言われ続けて負けたプレイヤーは納得しないでしょうな。(笑)



悪魔のささやき 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月28日(日)16時24分26秒

> No.3095[元記事へ]

QBさんへのお返事です。

> 「「交換した方が1.25倍も得に見えるけど、これっておかしくない?」と聞いたら
> あなたは、100万回とも「おかしくありません。」と答えましたよね。」
> モンテカルロ氏:「ええ」
> 「では、私は何で100万回もトライして大損したの?」

悪魔ならこういうでしょうな。
「もう100万回やれば大勝しますよw」

なぜ、不安定になるのかといえば、勝負は結局
トライした回数の中での一番高額のペアにおいて
どちらが高い額を引いたか、で決まるからです。
この場合、高い額を引いたほうが負けるわけです。

しかし、回数を重ねれば重ねるほど、一番高額のペアは、
どんどん跳ね上がってくるから、勝負は一発大逆転で
ひっくり返し合う状況が続くわけです。



Re: まちがってますよ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月28日(日)16時14分37秒

> No.3095[元記事へ]

QBさんへのお返事です。

> じゃあ、こう変更します。
> ↓
> 一人は大金を得、もう一人は同じ金額を失った。

これは当たり前でしょう。

> 大損したほうがモンテカルロ氏に言った。
>
> 「「交換した方が1.25倍も得に見えるけど、これっておかしくない?」
> と聞いたら、あなたは、100万回とも「おかしくありません。」と
> 答えましたよね。」
> モンテカルロ氏:「ええ」
> 「では、私は何で100万回もトライして大損したの?」

いっときますが、どちらも儲かる、とはいっていませんよ。

プレイヤーAとBの損得の確率は独立じゃないんですから。


Re: まちがってますよ 投稿者:QB 投稿日:2011年 8月28日(日)14時05分15秒

> No.3094[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

じゃあ、こう変更します。

>> 二人の持ち金は全く増減がなかった。
>> 二人は言った。
>> 「さっぱり儲かってないんですが。」

一人は大金を得、もう一人は同じ金額を失った。
大損したほうがモンテカルロ氏に言った。

「「交換した方が1.25倍も得に見えるけど、これっておかしくない?」と聞いたら
あなたは、100万回とも「おかしくありません。」と答えましたよね。」
モンテカルロ氏:「ええ」
「では、私は何で100万回もトライして大損したの?」

モンテカルロ氏:
>実際には、上記の状況を引き起こす封筒の配布ができません。
>また、上記の状況を近似する条件下でも、損益のない状態に
>収束することはなく、非常に不安定な状況となるでしょう。

これでいいですか?



Re: まちがってますよ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月28日(日)12時54分42秒

> No.3093[元記事へ]

QBさんへのお返事です。

> >「自分が見た金額と同額を●●に払えば
> > 相手からも相手の封筒の金額が貰えるとする。」
> >となりますから。
>
> >●●は、自分と相手以外の第三者である胴元ですか?
>
> これは失礼しました。
> 支払先は、互いにゲームの相手です。
> 胴元?は、2つの封筒を出すだけで、金は1円も出しません。
>
> 物語の続きですが
> 封筒を開けた2人は「毎回」「各々」、モンテカルロ氏に聞いた。
> 「交換した方が1.25倍も得に見えるけど、これっておかしくない?」
> モンテカルロ氏:「おかしくありません。」
>
> それで2人は100万回ほどゲームを繰り返した。
> 終わってみると、二人の持ち金は全く増減がなかった。
>
> 二人は言った。
> 「さっぱり儲かってないんですが。」
>
> モンテカルロ氏は言った。
> >全体の期待値は増えませんよ。
>
> これでいいですか?

ここが良くないですね。

> 二人の持ち金は全く増減がなかった。
> 二人は言った。
> 「さっぱり儲かってないんですが。」

QB氏の「計算」は以下のものと推測されます。

 支出  収入   損益


-5000 +10000 = 5000
-10000 +5000 = -5000
-------------------------
-10000 +20000 = 10000
-20000 +10000 =-10000
-------------------------
-20000 +40000 = 20000
・・・

ペアごとに加算すれば0になるから、全体も0だ。と

し・か・し、金額を見た後での計算はこうなりますよ。

 支出  収入   損益


-5000 +10000 = 5000
-------------------------
-10000 +5000 = -5000
-10000 +20000 = 10000
-------------------------
-20000 +10000 =-10000
-20000 +40000 = 20000
・・・

自分の額が同じ場合の組合せで計算すると
損益の平均値は自分のところの額面の1/4になります。
単純にいえば、1/4倍儲かるってことです。
-1/2*1/2+1*1/2=-1/4+1/2=1/4
全体では合計値は発散します。

上記の計算の違いは、はっきりいって、区画線を変えただけです。
こんなことで、計算値は全然変わります。

で、「実際」はどうなのか?
実際には、上記の状況を引き起こす封筒の配布ができません。
また、上記の状況を近似する条件下でも、損益のない状態に
収束することはなく、非常に不安定な状況となるでしょう。


Re: まちがってますよ 投稿者:QB 投稿日:2011年 8月28日(日)10時32分55秒

モンテカルロさんへのお返事です。

>日本語であれば

>「自分が見た金額と同額を●●に払えば
> 相手からも相手の封筒の金額が貰えるとする。」
>となりますから。

>●●は、自分と相手以外の第三者である胴元ですか?

これは失礼しました。
支払先は、互いにゲームの相手です。
胴元?は、2つの封筒を出すだけで、金は1円も出しません。

物語の続きですが
封筒を開けた2人は「毎回」「各々」、モンテカルロ氏に聞いた。
「交換した方が1.25倍も得に見えるけど、これっておかしくない?」
モンテカルロ氏:「おかしくありません。」

それで2人は100万回ほどゲームを繰り返した。
終わってみると、二人の持ち金は全く増減がなかった。

二人は言った。
「さっぱり儲かってないんですが。」

モンテカルロ氏は言った。
>全体の期待値は増えませんよ。

これでいいですか?



Re: まちがってますよ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月28日(日)09時59分21秒

QBさんへのお返事です。

> 「お互いに期待額が増えるのはおかしい」ことはないのですよね。
> お互いに期待額が増えるんですよね。

QB氏のいう意味での期待値とやらは増えますが
全体の期待値は増えませんよ。

QB氏のいう意味での期待値とやらが
お互いに増えてもおかしくないのは
両者の想定範囲が等しくないから
ということですよ。

> するとこの場合どうなるんでしょ。
> 実質的にルールは変わりませんが。
> 2封筒には(小切手じゃなくて)単に金額(もちろん有限値)を書いた紙が入ってる。
> 一方が他方の倍であることは同じ。
> 2封筒を2人が各々開けた。
> 自分が見た金額と同額を払えば、相手からも相手の封筒の金額が貰えるとする。

最後の行は日本語ではないですね。
二つあるべき目的語の一つがありませんから。

日本語であれば

「自分が見た金額と同額を●●に払えば
 相手からも相手の封筒の金額が貰えるとする。」

となりますから。

●●は、自分と相手以外の第三者である胴元ですか?

> 2人は、モンテカルロ氏の言葉を信じ
> 互いに金を払うことを常にOKしたとして、
>このゲームを無限に続けると、
> (2封筒は次々に用意される。)
> 互いに無限に儲かるわけですな?
> 何か、落語の「花見酒」みたいだけど。

自分が胴元に払う額の期待値も無限ですから、
そこのところでは無限に損しますよ。

無限の損失と無限の利益の相殺?
それは、有限の場合のようには行きませんね。



Re: まちがってますよ 投稿者:QB 投稿日:2011年 8月28日(日)08時58分37秒

> No.3089[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

>例えば、「お互いに期待額が増えるのはおかしい」という主張がありますね。
>一見もっともらしく聞こえますが、期待値が全体の額ではなく
>あくまで上記の値のことだというのであれば、全然パラドックス
>でもなんでもありません。

>なぜなら、プレイヤーAとBとでは、想定している範囲が違うからです。

>例えばプレイヤーAが見た金額はαだとしましょう。
>プレイヤーAが想定する範囲は、(Aの金額、Bの金額)が
>(α、α/2)か(α、2α)か、の2つしかありません。

>一方Bが見た金額をβとしましょう。
>プレイヤーBが想定する範囲も、(Aの金額、Bの金額)が
>(β/2、β)か(2β、β)か、の2つしかありません。

>で、βがα/2ならば、
>・(α、α/2)=(2β、β)だが
> (α、2α)と(β/2、β)=(α/4、α/2)は一致しない。
>となり、βが2αなら
>・(α、2α)=(β/2、β)だが
> (α、α/2)と(2β、β)=(4α、2α)は一致しない。
>となります。どちらにしても範囲が一致しません。

>したがって、QB氏のいう額が、どちらからみても増えていても
>別に問題はありません。

>全体の期待値がないのに、何がどうパラドックスだというつもりでしょうか?
>いってごらんなさい。いえないはずですよ。


「お互いに期待額が増えるのはおかしい」ことはないのですよね。
お互いに期待額が増えるんですよね。

するとこの場合どうなるんでしょ。実質的にルールは変わりませんが。
2封筒には(小切手じゃなくて)単に金額(もちろん有限値)を書いた紙が入ってる。
一方が他方の倍であることは同じ。
2封筒を2人が各々開けた。
自分が見た金額と同額を払えば、相手からも相手の封筒の金額が貰えるとする。

2人は、モンテカルロ氏の言葉を信じ
互いに金を払うことを常にOKしたとして、このゲームを無限に続けると、
(2封筒は次々に用意される。)
互いに無限に儲かるわけですな?
何か、落語の「花見酒」みたいだけど。



私がこの掲示板を訪れた経緯の説明 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月28日(日)08時13分1秒

モンテカルロさんへのお返事です。

> QBさんへのお返事です。
>
> > もし、モンテカルロ風2封筒問題を議論したいのであれば、
> >場を移したほうがいいと思いますよ。
>
> 例えば、2chの数学板とかですか?w
>
> ぶっちゃけた話をすれば、実はそこで
> この板の話を目にしたのでやって来た
> わけなんですが。

具体的には、数学板のスレッド
「【数学】■■■■数理科学入門【物理】」
で2011/06/23(木) 10:31:49.31に書き込まれた
No.40の以下の書き込みを見ました。
(なお、一部私の判断で伏字としました)

「分析哲学者φ□□□□

 氏の掲示板や著書で、数学、特に確率に関する考察や解説を行っているが
 その考察・解説は非数学的、数学的には■■■■。
 哲学者が哲学的(?)な考察や解説を行うことは別に構わないが
 氏には"非数学的な考察である"という自覚がなさそうなので問題アリ。

 数学板では、
 氏の掲示板で書かれたものとほぼ同じ書き込みや
 名前欄がφ(本当に本人かどうかは不明だが)で
 著書を読むよう勧めてくる書き込みもあった。」

個人的には、今の数学とは異なる前提を立てること自体を
否定するつもりはありませんが、そのような前提に基づいて
今の数学自体を否定する主張を行うのであれば、それ相応の
理屈がない限り容認できないと考えています。


Re: まちがってますよ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月28日(日)07時52分9秒

> No.3086[元記事へ]

QBさんへのお返事です。

> どうも話が噛み合わないですね。

QB氏が↓のような間違った前提を立ててるからですね。

> あのう、中の金は期待値じゃなくて
> 中の金(有限値)をすでに知ってしまった参加者が
> これからどうするかというところから始まる問題なんですが。

そもそも、中の金がいくらか、というところから始まるんです。
そこを無視するから、QB氏は間違ったんです。

> 出題者の問題をひっくり返してどうするんですか。

出題者の問題を誤解したのは、QB氏です。

> モンテカルロさんが自分の問題に引っ張りたいというお気持ちはわかるんですが

私の問題ではありません。むしろQB氏が別の問題を立てたのです。
もっとも、その場合、何がどうパラドックスなのか全く不明確ですがね。

> ここは、普通の2封筒問題の話をしてる場だと思いますので

普通の2封筒問題の話だから、全体の期待値計算が必要です。

全体の期待値がないのに、何がどうパラドックスだというつもりでしょうか?

いってごらんなさい。いえないはずですよ。

> もし、モンテカルロ風2封筒問題を議論したいのであれば、
>場を移したほうがいいと思いますよ。

例えば、2chの数学板とかですか?w

ぶっちゃけた話をすれば、実はそこで
この板の話を目にしたのでやって来た
わけなんですが。

> >何の平均値ですか?全くはっきりしないですね。
>
> 封筒を開けて、ある金額(有限値)を見た参加者が  (ここ前提)
> 交換して得られるであろう2通りの金額(有限値)の平均値
> ということでご理解いただけないでしょうか。
> この「平均値」は常に有限です。

ほう。ところで、その値が変動するとなぜパラドックスなんですか?

例えば、「お互いに期待額が増えるのはおかしい」という主張がありますね。
一見もっともらしく聞こえますが、期待値が全体の額ではなく
あくまで上記の値のことだというのであれば、全然パラドックス
でもなんでもありません。

なぜなら、プレイヤーAとBとでは、想定している範囲が違うからです。

例えばプレイヤーAが見た金額はαだとしましょう。
プレイヤーAが想定する範囲は、(Aの金額、Bの金額)が
(α、α/2)か(α、2α)か、の2つしかありません。

一方Bが見た金額をβとしましょう。
プレイヤーBが想定する範囲も、(Aの金額、Bの金額)が
(β/2、β)か(2β、β)か、の2つしかありません。

で、βがα/2ならば、
・(α、α/2)=(2β、β)だが
 (α、2α)と(β/2、β)=(α/4、α/2)は一致しない。
となり、βが2αなら
・(α、2α)=(β/2、β)だが
 (α、α/2)と(2β、β)=(4α、2α)は一致しない。
となります。どちらにしても範囲が一致しません。

したがって、QB氏のいう額が、どちらからみても増えていても
別に問題はありません。
この場合、プレイヤーAとプレイヤーBは、確率的に独立ではないから、
「一方が儲かる場合、他方が損する」という関係が存在しても
何の問題もありません、

> >「いかなる場合も交換によって、全体の期待値が増えるのがおかしい」
> >といいたいんでしょう?
>
> 別に損なことはいえそんなことは言ってません。

では、何がいいたいんでしょうか?

あなたはまだ何がどうおかしいのか言えていませんよ。

> >ところで、なぜ、無限は関係ない、と思うのですか?
>
> この2封筒問題では、上に書いたように無限を持ち込む必要がないと思うからです。

「持ち込む必要がないと思う」んじゃないでしょう?
「持ち込みたくないと思う」んでしょうw

あなたは「無限恐怖症」ですよ。


Re: まちがってますよ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月28日(日)07時26分51秒」

> No.3087[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  上限額など設定しなくても、期待値の変動は論じる意味があります。
>  上限額を設定した場合と正確に同じことが成り立つのですから。
>(上限額などというものの存否は2封筒問題にとって無関係だということです。)

全くの誤りです。

上限額を設定し、なおかつ、いかなる金額でも交換を実施する
という場合には、期待値は全く変動しません。

なぜなら、上限額で莫大な損失があるからです。

パラドックスを実現したいφ氏にとって、この事実は不愉快でしょう。
しかし他に方策が思いつかないφ氏は、結局のところ
「上限額は存在しない」することしかないわけです。

そして、その場合、期待値は有限額にならなくなって、
そもそも変動とか論じられなくなるというわけです。

>  「交換によって全体の期待値が増えるように見えるが、
>  実際はそもそも全体の期待値が∞だから、
>  そもそも変動したかどうか論じる意味がない。」
>  というモンテカルロさんの認識は錯覚です。

手元の金額確定後の"期待値"とやらの変動だけなら
パラドックスでもなんでもありません。

いかなる状況での"期待値"も増えるのなら、
全体の期待値も増えるはず、というのが
パラドックスだというわけでしょう。

しかし、全体の期待値が、有限値に収束しない場合
そもそも、全体の期待値が増えたかどうか考えるのが
無意味というわけです。

>  2封筒ゲームの多数試行というのは、
> 結局、手もとの金額に多数の可能性が認められる
> ということですから、論理的には、封筒を開けない
> 問題設定と同じでしょう。

「多数試行だから」、封筒を開けても開けなくても同じ
という主張は間違っています。

例えば、モンティ・ホール風に改変した場合では、
金額を見た後の戦略によって、プレイヤーが得る
金額の分布自体が変化します。

したがって、多数試行の場合、封筒を開けない場合と
同じだとする結論は誤りです。

もとの2封筒問題で、封筒を開けても開けなくても
同じだというのは、いかなる場合にも交換しており、
その場合、自分と交換相手の金額の分布に違いがない
と考えられるからです。

>  封筒を開けない状態では、
> 交換してもしなくても期待値は同じであることが
> 文字定項を使った単純計算からわかるのであって、
> 無限やら上限やらを考慮する余地はありません。

期待値が同じ、というためには、期待値が有限額
である必要があります。

しかしもとの2封筒問題ではパラドクスが起きるように
条件を設定しようとすると、期待値が発散します。

>  説明すべきパラドクスは、一回限りの試行で、
> しかも金額を見た場合に起こるのです。

「一回限り」は無関係です。
金額を見る、という設定は、全体の期待値計算を
サボる口実にはなりません。

>  モンテカルロさんが想定している繰り返し設定では、
> 交換による期待値の変動は論理的に起こりえません。

なぜ、それが不満なのですか?
本にのせるパラドクスのネタが減るからですか?

減りませんよ。このパラドクスのかわりに
無限級数に関するパラドクスをのせればいいだけですよ。
いくらでもありますよ。

>  いっぺんに多くを言うとはぐらかされてしまいかねないので、

残念ですが、はぐらかしてるのはφさん、あなたです。

例の問題の解答とやらを公表するのが恥ずかしいので
なんやかやといいがかりをつけて先延ばししたいだけでしょう。

そんなことをする必要はありませんよ。
「例の問題の解答については、
 もっと考える必要があると気付いたので
 出題はなかったことにしてください」
といえばいいだけです。

私はそもそもそうなるだろうと思っていたので
別に何も異議を申し立てませんよ。
安心してください。


Re: まちがってますよ 投稿者:φ 投稿日:2011年 8月28日(日)05時41分55秒

> No.3084[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

 いっぺんに多くを言うとはぐらかされてしまいかねないので、
 今回は次の一点だけ確認させていただきますよ。

>
> もとの2封筒問題で公開するのが常に自分の封筒だとする場合、
> 上限額を設定するなら、上限額の場合には交換により膨大な損失が生じるので
> それ以外での金額の場合の、交換における利益が相殺され、全体の期待値は変動しない。
>
> 上限額を設定しないなら、上記の膨大な損失が生じなくなるため
> 交換によって全体の期待値が増えるように見えるが、実際は
> そもそも全体の期待値が∞だから、そもそも変動したかどうか
> 論じる意味がない。
>

 上限額など設定しなくても、期待値の変動は論じる意味があります。
 上限額を設定した場合と正確に同じことが成り立つのですから。(上限額などというものの存否は2封筒問題にとって無関係だということです。)

 「交換によって全体の期待値が増えるように見えるが、実際はそもそも全体の期待値が∞だから、そもそも変動したかどうか論じる意味がない。」
 というモンテカルロさんの認識は錯覚です。

 2封筒ゲームの多数試行というのは、結局、手もとの金額に多数の可能性が認められるということですから、論理的には、封筒を開けない問題設定と同じでしょう。

 封筒を開けない状態では、交換してもしなくても期待値は同じであることが文字定項を使った単純計算からわかるのであって、無限やら上限やらを考慮する余地はありません。

 説明すべきパラドクスは、一回限りの試行で、しかも金額を見た場合に起こるのです。
 モンテカルロさんが想定している繰り返し設定では、交換による期待値の変動は論理的に起こりえません。


Re: まちがってますよ 投稿者:QB 投稿日:2011年 8月27日(土)22時57分43秒

モンテカルロさんへのお返事です。

どうも話が噛み合わないですね。

>> 2封筒問題って、封筒を開けて中の金を見たところから始まるんですよ。

>だから、中の金がいくらか?という期待値が必要。

あのう、中の金は期待値じゃなくて
中の金(有限値)をすでに知ってしまった参加者がこれからどうするかというところから始まる問題なんですが。

>> もう一度言いますが
>> そもそも、封筒を開けて中の金を見たときから2封筒問題が始まるんですよ。

>なぜ、封筒の額面の期待値の計算から始めないんですか?
>計算できないんですか?

出題者の問題をひっくり返してどうするんですか。
モンテカルロさんが自分の問題に引っ張りたいというお気持ちはわかるんですが
ここは、普通の2封筒問題の話をしてる場だと思いますので
もし、モンテカルロ風2封筒問題を議論したいのであれば、場を移したほうがいいと思いますよ。

>何の平均値ですか?全くはっきりしないですね。

封筒を開けて、ある金額(有限値)を見た参加者が  (ここ前提)
交換して得られるであろう2通りの金額(有限値)の平均値ということでご理解いただけないでしょうか。
この「平均値」は常に有限です。

>「いかなる場合も交換によって、全体の期待値が増えるのがおかしい」
>といいたいんでしょう?

別に損なことはいえそんなことは言ってません。


>ところで、なぜ、無限は関係ない、と思うのですか?

この2封筒問題では、上に書いたように無限を持ち込む必要がないと思うからです。




無限級数のパラドックス? 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月27日(土)22時19分16秒

おそらく三浦俊彦氏のパラドクス三部作にはないと思いますが
(まったくの数学の話なので)

1-1/2+1/3-1/4+1/5-1/6+・・・
という無限級数を考えます。

順序を変えずに計算した場合、ln(2)に収束しますが、
もし、計算の順序を変えた場合には、任意のいかなる実数値に
収束させることができる、というものです。

やり方は実に簡単です。
簡単のためAを正の値とします。
まずAを超えるまで正の項を足します。
次にAより小さくなるまで負の項を足します。
以下同様に繰り返せば、足す項は0に近づくので
いずれAに収束します。

いっときますが、考えたのは私じゃありません。
数学者のリーマンの1854年の論文で発表されてます。


Re: まちがってますよ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月27日(土)22時04分30秒

> No.3083[元記事へ]

QBさんへのお返事です。

> 何となくわかってきました。
> モンテカルロ氏は、「2封筒問題」に対して、
> 無限が絡むからパラドクスになるんだと思い込んでる(思い込みたい?)わけですね。

いいえ。
思い込みたいというのは間違ってます。
思い込んでるというのも間違ってます。

> φ氏の、有限でもパラドクスになるというセリフがどうしても許せない(笑)。

そもそも、何がどうパラドクスだというのか、明らかでない。

なぜなら、私が考えた、モンティ・ホール風の2つの箱の問題では
公開された箱が自分の選択した箱なら交換し、そうでない場合には交換しない
という戦略で本当に期待値が増えるからである。

しかし、もとの2封筒問題で公開するのが常に自分の封筒だとする場合、
上限額を設定するなら、上限額の場合には交換により膨大な損失が生じるので
それ以外での金額の場合の、交換における利益が相殺され、全体の期待値は変動しない。

上限額を設定しないなら、上記の膨大な損失が生じなくなるため
交換によって全体の期待値が増えるように見えるが、実際は
そもそも全体の期待値が∞だから、そもそも変動したかどうか
論じる意味がない。

> 前置きはそのくらいにして
>
> >期待値は、封筒を開ける前から計算する。
>
> 2封筒問題って、封筒を開けて中の金を見たところから始まるんですよ。

だから、中の金がいくらか?という期待値が必要。

> (封筒を開けない場合は、パラドクスでも何でもないでしょ。)
> 話題を変えてるのはそちらですよ。

期待値の話題をさけてるのは、QB氏、あなたですよ。

> >> 例1 封筒内に1万円を見た。交換して得られる期待値は?
> >> 例2 封筒内に1兆円を見た。交換して得られる期待値は?
> >> 例3 封筒内にa円を見た。交換して得られる期待値は?
>
> >間違っている。それは期待値ではない。
>
> じゃあ、何と言えばいいんですかね?
> 平均値でも何でも適当にネーミングしてください。

何の平均値ですか?全くはっきりしないですね。

> >誰も「交換によって∞の期待値を得る」とはいっていない。
> >封筒を開けることによって得る金の期待値が∞だといっている。
>
> もう一度言いますが
> そもそも、封筒を開けて中の金を見たときから2封筒問題が始まるんですよ。

なぜ、封筒の額面の期待値の計算から始めないんですか?
計算できないんですか?

> >交換によって1.25倍に増えるように見えるのは
> >実は、期待値が∞だからであって、無限級数のトリック。
>
> 無限を持ち込まないと気が済まないんですね。

いいえ。

「いかなる場合も交換によって、全体の期待値が増えるのがおかしい」
といいたいんでしょう?

しかし、そうなる、という状況では、必ず全体の期待値が発散してるんですよ。
逆にそうならない場合には、全体の期待値が有限で収まる。

そうなる理由をつきつめれば、収束列の順序交換にいきつくということですよ。

>無限病ですよやっぱり。

ところで、なぜ、無限は関係ない、と思うのですか?

> >読み間違ったQB氏が、「交換によって」という読み間違いを
> >自ら否定すれば理解できる。それだけの全くつまらない話。
>
> 困りましたね。

なぜ 困るのですか?

> 2封筒問題って、私が作った訳じゃないんですが。

ええ。

> 「封筒を開けて中を見た人は、封筒を交換した方が期待値的に得か否か?」
> つー問題なだけなんですよ。

ええ。で、あなたはその期待値の定義を間違った、というだけのことですよ。
単に交換するだけで、全体の期待値が増えるように見えるから
パラドックスだといってるんですよ。

しかし、実際には全体の期待値は∞、つまり発散するといってるんですよ。
(∞というのは数ではありません。いかなる値にも収束しない、という意味です)


Re: まちがってますよ 投稿者:QB 投稿日:2011年 8月27日(土)18時49分2秒

> No.3082[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

何となくわかってきました。
モンテカルロ氏は、「2封筒問題」に対して、
無限が絡むからパラドクスになるんだと思い込んでる(思い込みたい?)わけですね。
φ氏の、有限でもパラドクスになるというセリフがどうしても許せない(笑)。

前置きはそのくらいにして

>期待値は、封筒を開ける前から計算する。

2封筒問題って、封筒を開けて中の金を見たところから始まるんですよ。
(封筒を開けない場合は、パラドクスでも何でもないでしょ。)
話題を変えてるのはそちらですよ。

>> 例1 封筒内に1万円を見た。交換して得られる期待値は?
>> 例2 封筒内に1兆円を見た。交換して得られる期待値は?
>> 例3 封筒内にa円を見た。交換して得られる期待値は?

>間違っている。それは期待値ではない。

じゃあ、何と言えばいいんですかね?
平均値でも何でも適当にネーミングしてください。


>誰も「交換によって∞の期待値を得る」とはいっていない。
>封筒を開けることによって得る金の期待値が∞だといっている。

もう一度言いますが
そもそも、封筒を開けて中の金を見たときから2封筒問題が始まるんですよ。

>交換によって1.25倍に増えるように見えるのは
>実は、期待値が∞だからであって、無限級数のトリック。

無限を持ち込まないと気が済まないんですね。無限病ですよやっぱり。

>読み間違ったQB氏が、「交換によって」という読み間違いを
>自ら否定すれば理解できる。それだけの全くつまらない話。

困りましたね。
2封筒問題って、私が作った訳じゃないんですが。
「封筒を開けて中を見た人は、封筒を交換した方が期待値的に得か否か?」
つー問題なだけなんですよ。



Re: まちがってますよ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月27日(土)17時58分42秒

> No.3081[元記事へ]

QBさんへのお返事です。

> 勝手にサンクトペテルブルクのパラドクスに
> 出てくるような級数を作って遊ぶのは自由ですが、
> 2封筒問題を作り替えないで欲しいですね。

> 話題をそらさないでと何度言えばわかっていただけるんでしょうか。

問題を作り変えているのはQB氏
話題をそらしているのはQB氏

> >>封筒を開けたときに見た金額は題意より必ず有限。
>
> >ええ
>
> はっきり、「ええ」とおっしゃいましたね。
> ここを同意したんですよね。
> もう一度言います。
> ここを同意したんですよね。

期待値は、封筒を開ける前から計算する。

> そうすると
> 「封筒内に特定の金額(有限値)を見た人」が封筒を交換した。
> 当然、交換して得た封筒に入ってるお金も有限でしょ。(ここ大事)

2封筒問題における期待値は、封筒を開ける前から計算する。
封筒を開けた後に計算するのは、問題を変え、話題を変えている。

> 例1 封筒内に1万円を見た。交換して得られる期待値は?
> 例2 封筒内に1兆円を見た。交換して得られる期待値は?
> 例3 封筒内にa円を見た。交換して得られる期待値は?
> ・・・・・・・・

間違っている。それは期待値ではない。

> 封筒内に一体いくらの金額(あくまで有限値)を見つければ
>交換によって∞の期待値を得ることができるんですかね?

QB氏が勝手に読み違って大騒ぎしているだけ。

誰も「交換によって∞の期待値を得る」とはいっていない。

封筒を開けることによって得る金の期待値が∞だといっている。

交換によって1.25倍に増えるように見えるのは
実は、期待値が∞だからであって、無限級数のトリック。

> 逆に言えば、交換によって∞の期待値を得るためには、
> 封筒内に一体いくらの金額(あくまで有限値)を見つければいいんですかね?

「交換によって」がQB氏の勝手な読み間違いなので無意味。

> >>だったら、封筒の交換による期待値も当然有限にならなければおかしいでしょ。
>
> >いいえw
>
> この論理が全く理解不能ですね。

読み間違ったQB氏が、「交換によって」という読み間違いを
自ら否定すれば理解できる。それだけの全くつまらない話。

別にQB氏一人が己の軽率さで騒げばいい。
QB氏一人が笑われるだけ。


Re: まちがってますよ 投稿者:QB 投稿日:2011年 8月27日(土)16時25分51秒

> No.3080[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

>無数にある封筒に1円,2円,4円,8円、・・・、2^n円、・・・
>の額面の小切手が入ってるとします。

>その封筒を引く確率は、
>1円の場合、1/2
>2円の場合、1/4
>4円の場合、1/8
>・・・
>2^n円の場合、1/2^(n+1)
>・・・
>とします。

>その場合、期待値は
> 1*1/2+2*1/4+4*1/8+・・・+2^n/2^(n+1)+・・・
>=1/2+1/2+1/2+・・・+
>=∞
>ですよ。

勝手にサンクトペテルブルクのパラドクスに出てくるような級数を作って遊ぶのは自由ですが、2封筒問題を作り替えないで欲しいですね。

話題をそらさないでと何度言えばわかっていただけるんでしょうか。

>>封筒を開けたときに見た金額は題意より必ず有限。

>ええ

はっきり、「ええ」とおっしゃいましたね。
ここを同意したんですよね。
もう一度言います。
ここを同意したんですよね。

そうすると
「封筒内に特定の金額(有限値)を見た人」が封筒を交換した。
当然、交換して得た封筒に入ってるお金も有限でしょ。(ここ大事)

例1 封筒内に1万円を見た。交換して得られる期待値は?
例2 封筒内に1兆円を見た。交換して得られる期待値は?
例3 封筒内にa円を見た。交換して得られる期待値は?
・・・・・・・・

封筒内に一体いくらの金額(あくまで有限値)を見つければ交換によって∞の期待値を得ることができるんですかね?
逆に言えば、交換によって∞の期待値を得るためには、封筒内に一体いくらの金額(あくまで有限値)を見つければいいんですかね?

>>だったら、封筒の交換による期待値も当然有限にならなければおかしいでしょ。

>いいえw

この論理が全く理解不能ですね。




まちがってますよ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月27日(土)15時11分18秒

確率論の期待値の定義を知らずに、勝手に定義してます?無意味ですよ。

>封筒を開けたときに見た金額は題意より必ず有限。

ええ

>(中に「∞」と書かれた小切手が入ってる可能性が
> ないことにはまさか同意するんですよね。ここ大事)

ええ、だれも「∞」なんてものを数とはいっていませんよ。

>だったら、封筒の交換による期待値も当然有限にならなければおかしいでしょ。

いいえw

無数にある封筒に1円,2円,4円,8円、・・・、2^n円、・・・
の額面の小切手が入ってるとします。

その封筒を引く確率は、
1円の場合、1/2
2円の場合、1/4
4円の場合、1/8
・・・
2^n円の場合、1/2^(n+1)
・・・
とします。

その場合、期待値は
 1*1/2+2*1/4+4*1/8+・・・+2^n/2^(n+1)+・・・
=1/2+1/2+1/2+・・・+
=∞
ですよ。


2封筒問題ですよ 投稿者:QB 投稿日:2011年 8月27日(土)09時46分37秒

> No.3078[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

話が2封筒問題からずれてるように思いますけど、わざと?
話を2封筒問題に戻しますよ。

2封筒問題というのは、
「2つの封筒があり、一方の封筒の中のお金が他方の封筒の中のお金の倍額になっている。今、2封筒のうち1つの封筒を選んだ。
その封筒を開けたときに、ある金額を書いた小切手(でいいよね)があった。
では、封筒を交換したときに得られる金額の期待値はいくらか?」
というものでしょ?

ここからどんどんはずれていくのは何故?

封筒を開けたときに見た金額は題意より必ず有限。
(中に「∞」と書かれた小切手が入ってる可能性がないことにはまさか同意するんですよね。ここ大事)
だったら、封筒の交換による期待値も当然有限にならなければおかしいでしょ。



QB氏、期待値を誤解 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月27日(土)08時47分6秒

> No.3077[元記事へ]

QBさんへのお返事です。

> 「期待値が無限」のときのペアって
> 「いくらといくら」のペアなの?

QB氏のいう期待値は、数学における定義とは異なっている。
ゆえに、間違っている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/期待値

「確率論において、確率変数の期待値(きたいち)とは
  確率と確率変数を掛けた総和を取ったものである。」

QBは、ある特定の選択肢の確率と確率変数を掛けたものを「期待値」と誤解している。
しかし、正しい定義は、あらゆる選択の確率と確率変数を掛けたものの総和である。

たとえば、サイコロの目の期待値について、QB氏は
「"1"がでるときの期待値は、1/6
 "2"がでるときの期待値は、2/6=1/3
 "3"がでるときの期待値は、3/6=1/2
 "4"がでるときの期待値は、4/6=2/3
 "5"がでるときの期待値は、5/6
 "6"がでるときの期待値は、6/6=1」
と思っているようだが、期待値の意味を全く誤解しており
正しくは、
「サイコロの目の期待値は
 (1+2+3+4+5+6)/6=3.5」
となる。


Re: 封筒問題に関して 投稿者:QB 投稿日:2011年 8月27日(土)00時19分9秒

> No.3076[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

返信は不要と言いましたが一つだけお聞きします。

あなたが言った
>ペアを選択するところまでふくめれば期待値は無限。
ですけど
この「期待値が無限」のときのペアって
「いくらといくら」のペアなの?




Re: 封筒問題に関して 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月26日(金)23時16分59秒

> No.3075[元記事へ]

QBさんへのお返事です。

> >(0.5+1)/2+(1+2)/2+(2+4)/2+・・・
> >は発散級数だ、というだけの話
>
> それと、封筒の中の金額とは何も関係ありませんよ。

(0.5,1),(1,2),(2,4),・・・,(2^(n-1),2^n)の(n+1)組の封筒のペアがあるとして
自分がその中の一つのペアの中の一つの封筒を選ぶ場合、その期待値Enは
(3/2)*(1+・・・+2^n)/(2*(n+1))=(3*(2^(n+1)-1))/(4*(n+1))
となる。

Enは封筒の中の金額とは等しくならない。

Enはnが大きくなればなるほど大きくなる。
つまり発散する。

したがって

> それとも、封筒を頭の上に載せて念ずると、
>中の小切手の金額が「∞」に化けると思ってるのですかね。(心配顔)

は、まったく見当違い。


Re: 封筒問題に関して 投稿者:QB 投稿日:2011年 8月26日(金)09時45分22秒

> No.3072[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

>(0.5+1)/2+(1+2)/2+(2+4)/2+・・・
>は発散級数だ、というだけの話

それと、封筒の中の金額とは何も関係ありませんよ。
それとも、封筒を頭の上に載せて念ずると、中の小切手の金額が「∞」に化けると思ってるのですかね。(心配顔)
そういえば、きつねが頭の上に木の葉を載せて念ずると小判になるという話は子供の頃読んだ絵本に描いてあったような。

いえ、もう返信は不要ですよ。




余談ですが 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月26日(金)03時17分1秒

発散級数のパラドックスは、絶対収束する級数では起きません。

http://ja.wikipedia.org/wiki/絶対収束


Re: 封筒問題に関して 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月26日(金)02時55分32秒

> No.3071[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> 私はQBさんと同感です。

φ氏はQB氏と同じ初歩的誤りに陥ってます。

>  2封筒問題では、胴元が金額の選択をいつまでも引き延ばしていたらゲームが始まりません。必ず有限値の選択を迫られます。したがって、期待値は無限に発散しません。

いかなる金額が選択されるかの期待値は有限ではありません。
なぜなら、1+2+4+8+・・・が発散級数だからです。

>  そもそも、2封筒問題でプレイヤーが得る期待値は無限ではありえないのだから

では、具体的に何円ですか? 10000円ですか? 違うでしょう?

>  ところで、
>  そろそろ、期待値操作問題の「正解」を申し上げますが、
>  その前に大ヒントです。
>  科学史上の具体例はいろいろあるのですが、たとえばメンデルです。
>  一般相対性理論を確証したエディントンの観測も同様だったようです。

φ氏の問題にもその解答にも、大した興味はありませんよ。

それより、2つの封筒のパラドックスは、
実は確率のパラドックスじゃなく
発散級数のパラドックスだったと
気付きました。

もったいつけるほど面白い話じゃないので、
さっさと答えを書きますが

 (0.5+1)+(1+2)+(2+4)+・・・=0.5+(1+1)+(2+2)+・・・
=(1+0.5)+(2+1)+(4+2)+・・・=1+(0.5+2)+(1+4)+・・・

つまり
x=(1+1)+(2+2)+・・・
とおけば、順序の交換とカッコのくくりなおしで
0.5+x=1+1.25x
とできてしまうということ。

ちなみに上記の方程式を解くとx=-2となります(笑)

1=(1-x)(1+x+x^2+・・・)
としてxに2を入れれば、
1+2+2^2+・・・=-1
となりますから、複素解析の解析接続と考えればもっともらしい(笑)



Re: 封筒問題に関して 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月26日(金)02時36分26秒

> No.3070[元記事へ]

QBさんへのお返事です。

> 一方の封筒の中には「∞」と書かれた小切手が入っている可能性があり、
> 他方の封筒の中には「2×∞」と書かれた小切手が入っている可能性がある。(笑)
> <∞,2×∞>のペアですか。(爆笑)

全く見当違い。

(0.5+1)/2+(1+2)/2+(2+4)/2+・・・

は発散級数だ、というだけの話

> もしかして「無限大病」ですか。

もしかして、「無限恐怖症」ですか?(真顔)


Re: 封筒問題に関して 投稿者:φ 投稿日:2011年 8月26日(金)01時38分31秒

モンテカルロさんへのお返事です。




私はQBさんと同感です。

■2封筒問題……
  (∀胴元が選択しうる金) (∃一様分布(プレイヤーの無知))[期待値ゲームが成立する]

■サンクトペテルブルク……
  (∃胴元が用意すべき金) (∀プレイヤーの勝ち数)[期待値ゲームが成立する]

 ↑
 2封筒問題では、胴元が金額の選択をいつまでも引き延ばしていたらゲームが始まりません。必ず有限値の選択を迫られます。したがって、期待値は無限に発散しません。
 対して、サンクトペテルブルクでは、ゲーム開始後、プレイヤーがいつまでも勝ち続けて、金額の決定がどこまでも引き延ばされることが可能です。したがって、期待値は無限に発散します。

 両者は、論理構造が全然違うのです。
 そもそも、2封筒問題でプレイヤーが得る期待値は無限ではありえないのだから、当然のことです。
 数学が得意なモンテカルロさんにしては初歩的な混同でしたね。


 ………………………………… ……
 ところで、
 そろそろ、期待値操作問題の「正解」を申し上げますが、
 その前に大ヒントです。
 科学史上の具体例はいろいろあるのですが、たとえばメンデルです。
 一般相対性理論を確証したエディントンの観測も同様だったようです。


Re: 封筒問題に関して 投稿者:QB 投稿日:2011年 8月25日(木)10時41分1秒

> No.3068[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

>ペアを選択するところまでふくめれば期待値は無限。
>無限にペアがあり、ペアの金額の総額が増えれば
>ペア毎の期待値が増大するのだから、総和は発散する。

一方の封筒の中には「∞」と書かれた小切手が入っている可能性があり、
他方の封筒の中には「2×∞」と書かれた小切手が入っている可能性がある。(笑)
<∞,2×∞>のペアですか。(爆笑)

もしかして「無限大病」ですか。

結局、同じ答えを返す以外にありません。

あなたは期待値の計算を誤った。あなたの主張はその時点で全く無意味になった。



Re: 封筒問題に関して 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月25日(木)07時22分45秒

> No.3062[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> > 私がいっているのは、
> > 「(開いてない箱の中身が)5千円か2万円か」
> > 「選んだのが開いている箱(1万)か、
> >  開いてない箱(5千円or2万円)か」
> > 上記の2つの確率の独立性ですよ。
> >

>「独立性」を、結果として
>「確率が二つの事象の確率の積にならないかぎり、独立ではない」
>と定義するのであれば、私の考える正解は、
>独立性を満たしていないことになりますね。
>それは当然です。期待値の上限・下限を超えないと正解でないので。

その点は承知していますよ。

> 最初に設定したのは、
> 「一回だけ、箱の選択の変更を許します。箱の選択を変更しますか?」
> という指示に従って変更するかしないか決める、というゲームを
> 丸ごと反復する、ということだけなので、
> 箱の中身(A1、A2)と変更の有無(B1,B2)との独立性は、
> その一回一回において成り立ってさえいればよいはずです。
> つまり、どの回においても、AnとBmの組み合わせが起こる確率は、
> その回におけるAnの確率とBmの確率との積になっていさえすれば
> よいはずです。
> その条件は私の正解において満たされています。

それは何の条件にもなっていませんよ。

「箱の中身(A1、A2)と変更の有無(B1,B2)との独立性は、
 その一回一回において成り立ってさえいればよい」

といいますが、具体的には一回の試行においていかなる方法で確認できるのですか?
一回の試行では、A1とA2、B1とB2のどちらかが選ばれるだけでしょう。

φ氏は頻度を理解したくないようですね。

> 箱の中身を知る必要はありません。知ることはできないという設定だし。
> そして、簡単に実現可能な戦略です。実際に、科学史でも頻繁に見られる戦略です。
> 小学生でも知っている超有名科学者が、私の正解と同じ論理構造を持つ
> 反復試行を行なって大発見を為し遂げていますよ。

答えを書かずにそんなこと書いても無意味ですよ。

> 胴元の選択基準についての情報が皆無としてください。
> すると、2封筒問題成立の条件を満たす任意の異なる自然数A、Bについて、
> 封筒の中身が(A、2A)である主観確率と、
>(B、2B)である主観確率は厳密に同じです。
> それが無知の定義ですから。
> どのように違うか特定の判断をする根拠がないわけですし。
>(無差別原理、充足理由率)
> つまり、
>  ∀x∀y(P(x、2x)=P(y、2y))  ……①
> 「全くの無知」ということは、①を論理的に含意します。
> (ただし、前回述べたように、x、yの変域は自然数の未知の有限部分集合です)
> ①は確率の一様分布を意味しますから、
> 一様分布は完全な無知から論理的に帰結することがわかります。

確率の独立性も、φ氏のいう無差別原理、充足理由率から出ますよ。
偏りが出る根拠がないのだから、偏りは出ないとせねばならない。

むしろ、φ氏は
「モンテカルロ氏は、無差別原理、充足理由率も認めてないんだから
 今更、ここで確率の独立性を盾に私の解答を却下することはできません。」
とでもいえばいいw

もっとも、私は別に解答を「却下」するつもりはありませんが。

> したがって、
> http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3046 でのモンテカルロさんの
> (コメント)は、主観確率を理解していないと言われても仕方ないでしょう。

主観確率と、「無知であれば主観確率は一様分布でなければならない」
という話は全然別の話ですよ。

>むろん、少しでも関連情報を知っていれば、
>一様分布を仮定するのは恣意的になるでしょう。
>しかし、「完全な無知」のもとでは、
>(以前言ったことの繰り返しになりますが)
>一様分布とは、積極的に【固執する】ものではなく、
>いかなる恣意性へのコミットメントをも控えた結果
>自ずと【強制される】論理なのです。

「完全な無知のもとでは、無差別原理、充足理由率が【強制される】」
というのであれば、私のいう意味での確率の独立性は保たれる筈ですがね。

つまり、φ氏が考えている解答は、「完全な無知」とはいえない、
ということになりますね。

いくら主体が恣意性へのコミットメントをも控えた"つもり"になっていても
実際にはそうならないというのであれば、こういうしかないですね。

「そんなことは、いわずもがなでしょう」


Re: 封筒問題に関して 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月25日(木)07時20分17秒

> No.3065[元記事へ]

QBさんへのお返事です。

> いくら大きくなろうが、所詮、期待値は有限です。
> 自分の封筒の中身も、相手の封筒の中身も決して∞ではないのですから。

それは一つのペアが選択された後の話

ペアを選択するところまでふくめれば期待値は無限。
無限にペアがあり、ペアの金額の総額が増えれば
ペア毎の期待値が増大するのだから、総和は発散する。

> 2封筒問題を、期待値が∞になるパラドクスとごっちゃにするのはいかがなものでしょうか。

あなたは期待値の計算を誤った。あなたの主張はその時点で全く無意味になった。


Re: 封筒問題に関して 投稿者:φ 投稿日:2011年 8月25日(木)05時50分16秒

> No.3066[元記事へ]

TTTさんへのお返事です。


 量化命題で表わせば議論しやすくなることに気づかせてくれたことで、TTTさんには感謝しております。
 ありがとうございます。

 さてそこで今回は、量化命題の区別によって、論点を整理してみましょう。

 その前に、まずは根本的なところから。

>
> 勝手に「2封筒問題を成立させる数」「問題成立のための必要条件」などという語を
> 定義・使用しないで下さい。
> 私からすればφさんの封筒問題成立の必要条件は不必要ですが、
> そのような事を書いていたら議論が混乱するし、詭弁の温床になりかねません。
>

 2封筒問題の設定では、暗黙にですが、プレイヤーが(読者とともに)考え込むことになっています。
 よって、上限(下限)だとわかってしまうような場合は試行から除外されているというのは2封筒問題の最低条件ではないでしょうか?

 プレイヤーは無知という前提なので、上限だとわかってしまう場合は存在しないのでしょうが、下限だとわかる場合は除外する必要があります。
 いずれにせよ、「Gは2封筒問題を成立させる数である」という句は今回も用いることにさせてください。問題が成立しないと困るし、どうせその句は推論の中で無害ですから(形式的には省略可能ですから)。

>
> そのような数Mがあったとして、その表現の右に「+1」と書いたり、単に「M+1」と書くだけで
> Mが「人間または機械が物理的に書くことのできる数の上限」でないことが否定されます。
> これはパラドクスでも何でもなくて、背理法で証明できる誤りの1つです。
>

 かりに物理学を無視して、任意の大きさの数を封筒内の小切手に書けるとしてもよいでしょう。
 しかしそれはあくまで「任意の自然数」であって、「すべての自然数」ではありませんよね。
 QBさんが言うように、∞と書くことはできません。無限大は自然数ではありませんから。
 何が書かれようが、有限の自然数です。
 そこで、次のα、βという区別をするべきなのです。

α  (∃一様分布)(∀胴元の選択肢の上限)[Gは2封筒問題を成立させる数である⇒相手の金額の期待値はGより25%大きい]

β  (∀胴元の選択肢の上限) (∃一様分布)[Gは2封筒問題を成立させる数である⇒相手の金額の期待値はGより25%大きい]




(Gはプレイヤーが見出した金額とし、一様分布と上限は、副詞句の束縛変数として[ ]内の命題関数に含まれているものとします)

 先ほどのTTTさんの主張を認めたとして、
 αの場合、(∀胴元の選択肢の上限)は、「すべての自然数につき」を意味するものとして読めるかもしれません。
 確かにαでは、プレイヤーまたは胴元が事前に関わる一様分布は各確率変数が確率ゼロになっておかしなことになりますね。
 しかしβの場合は、(∀胴元の選択肢の上限)は、「任意の自然数につき」を意味することしかできません。
 βでは、プレイヤーまたは胴元が事前に関わる一様分布は、それぞれの上限(必ず有限)によって決まる有限の確率を各確率変数に割り当てるので、不合理は生じません。
 そして実際、プレイヤーが考えるのはβです。

>
> 一様分布を仮定することが恣意的であるか否かは(少なくとも今は私は)問題にしてませんよ。
> 複数ある一様分布の中から特定の一様分布を仮定することが恣意的だと私は言っているのです。
>

 特定の一様分布を仮定する必要はありません。
 βの場合、そもそもプレイヤーは特定の一様分布を想定できません。ただ一様分布という前提でゲームに臨むだけです。完全な無知なので、一様分布は当然であり、それ以上の性質を特定できないのも当然です。
 ちょうど、胴元がサイコロを何回投げるかわからないゲームにおいて、出目の各順列の確率をプレイヤーが考えるとき、単に一様分布を想定します。回数が未知なので、どのような一様分布かはわかりません。でも、合理的判断のためにはそれで十分でしょう。

 2封筒ゲームの場合も、事前にはプレイヤーにとって単に一様分布ということ以外は未知です。
 それが、封筒内にGを見たとたんに、{G/2、G}か{G、2G}かの二者択一(1/2ずつ)という一様分布に収縮したわけです。

 それをふまえて、私の考えを順を追って論証を書き出してみますので、
 どのステップに難点が見出せるのか、指摘していただければさいわいです。

■前提1  プレイヤーにとって、胴元の選択基準についての情報は皆無である。
                       (2封筒問題の前提条件)
■暫定的結論1  ∀x∀y(P({x、2x})=P({y、2y}))
  x,yは2封筒問題成立の条件を満たす自然数、{a、b}はそれぞれの封筒の中身、Pはプレイヤーの主観確率。
               (前提1と、無知の定義による。…… 一様分布の帰結)
■前提2  プレイヤーは、自分の封筒内にあるのが金額Gであると知った。
■前提3  プレイヤーは、金額G以外の情報を獲得していない。
                        (無知の継続)
■暫定的結論2   P({G、2G})=P({G/2、G}))=1/2
               暫定的結論1のx,yにG,G/2を代入、前提2、3による
■結論……  プレイヤーにとって、交換したときの期待値は5G/4である。
                        (暫定的結論2からの期待値計算)
 ●パラドクス1(このゲームがプレイヤーにとって一回限りのとき)
 Gが単に仮想的な文字定数であれば、以上の計算は誤りであり、具体的な数字であれば、以上の計算は正しい。
 ●パラドクス2(Gが具体的な数字であるとき)
 このゲームがプレイヤーにとって一回限りであれば、以上の計算はプレイヤーにとっての得を意味し、多数回繰り返すのであれば、以上の計算はプレイヤーにとっての得を意味しない。

 パラドクス1、2ともに、『論理パラドクシカ』では解決済み(説明済み)です。

…………
 TTTさんの中盤部分は、私がhttp://8044.teacup.com/miurat/bbs/3064で修正(撤回)した部分にあたるので、ここではお答えしません。
 後半部分については、TTTさんの言が煮え切らない印象があるので、
 今回はとりあえず、
 先の論証のどのステップにどのような難点を見出されるのかをお聞かせいただければと思います。


Re: 封筒問題に関して 投稿者:TTT 投稿日:2011年 8月24日(水)21時11分29秒

> No.3063[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  「人間または機械が物理的に書くことのできる数の上限」は、
>  未知ですが、ある範囲内にあるはずです。
そのような数Mがあったとして、その表現の右に「+1」と書いたり、単に「M+1」と書くだけで
Mが「人間または機械が物理的に書くことのできる数の上限」でないことが否定されます。
これはパラドクスでも何でもなくて、背理法で証明できる誤りの1つです。

自然数全体を変域とする確率変数Xで、X=n(自然数)である確率P(X=n)に対し
P(X=n) → 0 (n→∞)
が成立するというのは数学的事実(定理)です。先の間違った「物理的常識」とやらは
この数学的事実を間違って解釈したものではないでしょうか?

サンクト・ペテルブルクのパラドクスの原因は、とり得る賞金金額の個数が無限個であることではなく、
賞金金額の期待値が無限大であることであり、とり得る賞金金額の個数が無限個でも期待値が発散しない場合は
パラドクスは起きないと私は思います。φさんは
「とり得る賞金金額の個数が無限個という非常識的な前提から、常識的or非常識的な結論を得るのはおかしくない」
というような⇒の性質と常識観に依る説明だけで済ませてしまうのですか?
(その説明で納得するのは、確率変数の変域が無限集合であることが非常識であると強く信じている人だけでしょう)


>  よって、一様分布以外を想定すると、設定が恣意的になってしまい、「期待値が変化する」と言われても
>  「そんなおかしな確率分布を前提したから当たり前だ」と言われかねません。
そのような事を言う人からしたら、一様分布でない設定の確率のいかなるパラドキシカルな事柄に対しても
「設定が恣意的だ」「そんなおかしな確率分布を前提したから当たり前だ」と一蹴されかねませんね。
ところでφさんの説明も、恣意的に特定の一様分布の仮定するというおかしな条件を前提としたから
奇妙な結論が導かれていたとしても当たり前、と言えます。
一様分布を仮定することが恣意的であるか否かは(少なくとも今は私は)問題にしてませんよ。
複数ある一様分布の中から特定の一様分布を仮定することが恣意的だと私は言っているのです。


> しかし、胴元の選択の母集団が大きいと想定できる場合、
>  主観確率的に言って、Gが実際に極大、極小にあたる確率はきわめて小さいので
> (そもそも胴元が毎回同じ母集団から金額を選んでいるという保証もないので)、一度限りのゲームでは、
> 今がそのときだという場合は無視してよい(無視するのが合理的)ということです。

その主張は正しくありません。
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3060の下の方に書いた事がなぜか無視されているので、一部内容を繰り返して説明します。
自分の封筒の金額がG=2^30だったとします。
例えば、胴元がある自然数(0含む)の(十分大きい)有限部分集合の中から等確率に一つ(k)を選んで、その選んだ自然数kに対して
金額の組を{(2K+1)×2^29 , (2K+1)×2^30}と決めるとしたら、選ぶ金額は必ず(確率1で)極大か極小になるので
選んだG=2^30も必ず(確率1で)極大か極小です(実際、この時G=2^30は極大です)。
「胴元の選択の母集団が大きい⇒Gが実際に極大、極小にあたる確率はきわめて小さい」は間違いです。

このような「選んだGが必ず(確率1で)極大か極小となる一様分布」は
「自分の封筒の金額がGである確率が正数である一様分布」全体の2/3を占めます。
「Gが極大でも極小でもない一様分布」は全体の1/3です。
金額を確認したらG=2^30であったということだけから
(全体の2/3を無視して)「事前確率分布はGが極大でも極小でもない一様分布だった」とするのは非合理的で恣意的です。



> Gは2封筒問題を成立させる数である ≡ ~(Gが極大であるとわかる∨Gが極小であるとわかる)
2封筒問題の捉え方が私とφさんとで異なるようなので
勝手に「2封筒問題を成立させる数」「問題成立のための必要条件」などという語を定義・使用しないで下さい。
私からすればφさんの封筒問題成立の必要条件は不必要ですが、そのような事を書いていたら議論が混乱するし、詭弁の温床になりかねません。


> いや、パラドクシカルでしょう。(つまり、常識人に対して説明が必要でしょう)
>  「殆ど同値」どころではないからです。
> なぜなら、2封筒問題のもともとの要点は、
>  「金額を見る前は、交換の期待値は変化なし。しかるに、金額を見た場合は、
>  それが(2封筒問題の成立と整合するような)いくらであると判明しても、交換の期待値はプラスとなる。なぜだろうか?」
>  という問いだからです。

[金額を見る前は、自分の期待値=相手の期待値]∧[金額を見た後は、自分の期待値>相手の期待値] ・・・(※)
の真偽が自明でない(真でも偽でも、一般人に対して説明が必要)で、2封筒問題の要点の1つであることは同意しますよ。
それと、私が「殆ど同値」と言った事とを私は区別しています。

>  2封筒問題が、無限や上限のパラドクスではなく、合理的判断というものの本性にまつわるパラドクスであるゆえんです。
ええ、φさんは勘違いされてますが、私もそう思いますよ。ただし
事前分布を勝手に特殊な一様分布と仮定するのは間違い(一様分布を仮定するなら一般の一様分布を考えるべき)である。
事前分布に一般の確率分布を考えることで、より一般的な封筒問題を考えることができる
(オリジナルの問題は、単に分布が未知であるという特殊な場合に過ぎない)。
封筒を開ける前に本当に「どんな金額を確認したとしても、自分の期待値>相手の期待値となる」と思えるような
真にパラドキシカルな事が起こるのは、期待値が無限大となる分布を仮定した場合だけである。
というのが、ここまでの私の主な主張(とその根本)です。

>  実は一様分布ではなかったからだとか、無限や上限が悪さをするからだとかいう説明は全くのはぐらかしです。
> そんな説明では、金額を見たときと見ないときの期待値変化が納得ゆくように説明できません。

私は期待値が無限大となる分布を仮定した場合も考えますが、そうでない場合も考えるので
(※)の原因が無限の分布を仮定した事や期待値が発散する事であるなどと説明する気はありません
(私の説明で、φさんが納得するかどうかはわかりませんが)。

> パラドクスは、自然な前提から奇妙な結論が導かれるところに成立するので
> 「一様分布のときだって交換が得になるんだぞ」と言う必要があるのです。

私は期待値が無限大となる確率分布も自然な分布だと思いますが、そう思わない人が居るのもわかる気がします。
しかし、一様分布だけが自然な分布だという思想は全く理解できません。
しかも一様分布に拘るあまり、初歩的な(有限でも何でもいいので一様でない分布を考えれば、直ちに気付くはずの)誤りを犯しています。
主観確率的に自然な確率分布するために一様分布を採用することを
一様分布であることが主観確率的に自然であると勘違いする点は「水とワイン」と同型の誤りだと言えるでしょう。


Re: 封筒問題に関して 投稿者:QB 投稿日:2011年 8月24日(水)09時38分15秒

> No.3061[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

>単に最大値がないからOKだと考えるのは安易である。
>ペアの2つの金額の和が大きくなるにしたがい
>「金額の和×確率」であらわされる期待値が
>大きくなるのであれば、影響から完全に脱した
>とはいえない。

いくら大きくなろうが、所詮、期待値は有限です。
自分の封筒の中身も、相手の封筒の中身も決して∞ではないのですから。

>QB氏の言い方ならセント・ペテルスブルクのパラドックスも
>全く無限を考える必要がないということになる。

2封筒問題を、期待値が∞になるパラドクスとごっちゃにするのはいかがなものでしょうか。



Re: 封筒問題に関して 投稿者:φ 投稿日:2011年 8月24日(水)05時31分31秒

> No.3063[元記事へ]

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3063 の次の箇所だけ修正させてください。
 極大を考慮する必要性について、過度に譲歩してしまったので。

>
>  むろん、客観的には、Gが極大や極小である場合もあるでしょう。しかし、胴元の選択の母集団が大きいと想定できる場合、
>  主観確率的に言って、Gが実際に極大、極小にあたる確率はきわめて小さいので(そもそも胴元が毎回同じ母集団から金額を選んでいるという保証もないので)、一度限りのゲームでは、今がそのときだという場合は無視してよい(無視するのが合理的)ということです。
>
>  むろん、完全に無視はできません。
>  とくにゲームを何度も繰り返せば、極大に当たる場合も出てくるでしょう。
>  だからこそ、『論理パラドクシカ』では、
>  繰り返し設定では
>   (∃事前確率分布)(∀G:自分の封筒の金額)[Gは2封筒問題を成立させる数である⇒相手の金額の期待値はGより25%大きい]
>  は間違いである、という趣旨のことを書いたわけです。
>

『論理パラドクシカ』pp.51-52あたりがそこに該当しますが、
そこでは「上限」「極大」に言及しませんでした。
実際、繰り返し設定では、
 封筒の中身が胴元の選択肢の上限に一度もヒットしなかったとしても、
  (∃事前確率分布)(∀G:自分の封筒の金額)[Gは2封筒問題を成立させる数である⇒相手の金額の期待値はGより25%大きい]
 は誤りとなります。
 その理由は、上限とは関係なく、損得の場合それぞれの初期金額の平均値に2倍の差があるからにすぎません。


Re: 封筒問題に関して 投稿者:φ 投稿日:2011年 8月24日(水)03時27分10秒

> No.3060[元記事へ]

TTTさんへのお返事です。

>
> 自分の封筒の金額Gの変域を、事前確率分布でとり得る金額全体Sから
> Gが極大,極小ではない集合に制限するなら、φさんの主張は
>
> (∃事前確率分布)(∀G:自分の封筒の金額)[Gが極大,極小ではない⇒相手の金額の期待値はGより25%大きい]
>

 「Gが極大,極小ではない集合に制限するなら」は違います。

 正しくは、



(∃事前確率分布)(∀G:自分の封筒の金額)[Gは2封筒問題を成立させる数である⇒相手の金額の期待値はGより25%大きい]
 であり、
 Gは2封筒問題を成立させる数である ≡ ~(Gが極大であるとわかる∨Gが極小であるとわかる)

 ということです。
 主観確率的には、この推論は「合理的」です。

 むろん、客観的には、Gが極大や極小である場合もあるでしょう。しかし、胴元の選択の母集団が大きいと想定できる場合、
 主観確率的に言って、Gが実際に極大、極小にあたる確率はきわめて小さいので(そもそも胴元が毎回同じ母集団から金額を選んでいるという保証もないので)、一度限りのゲームでは、今がそのときだという場合は無視してよい(無視するのが合理的)ということです。

 むろん、完全に無視はできません。
 とくにゲームを何度も繰り返せば、極大に当たる場合も出てくるでしょう。
 だからこそ、『論理パラドクシカ』では、
 繰り返し設定では
  (∃事前確率分布)(∀G:自分の封筒の金額)[Gは2封筒問題を成立させる数である⇒相手の金額の期待値はGより25%大きい]
 は間違いである、という趣旨のことを書いたわけです。

 しかし、一度限りのゲームでは、
  (∃事前確率分布)(∀G:自分の封筒の金額)[Gは2封筒問題を成立させる数である⇒相手の金額の期待値はGより25%大きい]
 が合理的になってしまう。
 そこがパラドクスなのです。
 2封筒問題が、無限や上限のパラドクスではなく、合理的判断というものの本性にまつわるパラドクスであるゆえんです。
 (この点は、QBさんが同意してくれているようですね)

 さらに、
 TTTさんの↓の言も、2封筒問題の趣旨を取り違えています。

>
> 事前確率分布として一様分布を仮定するなら
> Gが極大,極小ではない事と相手の金額の期待値はGより25%大きい事は殆ど同値なので
> この主張は誤りではないですが、当たり前の事を述べているだけでパラドキシカルではないと私は思います。
>

 いや、パラドクシカルでしょう。(つまり、常識人に対して説明が必要でしょう)
 「殆ど同値」どころではないからです。


なぜなら、2封筒問題のもともとの要点は、
 「金額を見る前は、交換の期待値は変化なし。しかるに、金額を見た場合は、それが(2封筒問題の成立と整合するような)いくらであると判明しても、交換の期待値はプラスとなる。なぜだろうか?」
 という問いだからです。

 金額を見ない前も、封筒内の金額に「G」という文字定数(2封筒問題の成立と整合するようなある数)をあてがって、具体的な金額(たとえば2の17乗円)を見たときとまったく同じ計算ができるはずです。交換が25%得だと。
 しかしそれが間違いであることは簡単に示せます。
 なのに、金額を見たとたんに、期待値が本当に変化してしまいます。なぜなのか?
 確率は一様分布とされているし、封筒内が「2封筒問題の成立と整合するような特定の金額」であることは封筒を開ける前からわかっていたはずなのに。

 プレイヤーの立場からこれをきちんと説明することが必要で、『論理パラドクシカ』ではそこに力点を置いたわけです。

 実は一様分布ではなかったからだとか、無限や上限が悪さをするからだとかいう説明は全くのはぐらかしです。そんな説明では、金額を見たときと見ないときの期待値変化が納得ゆくように説明できません。
 「正しい合理的判断」とは何かについてちゃんとした説明を求められており、『論理パラドクシカ』ではそれを試みたというわけです。

>
> 例えば、Gの変域(事前確率分布でとり得る金額全体)Sを自然数全体とした場合でも
>
> (∃事前確率分布)(∀G:自分の封筒の金額)[相手の金額の期待値はGより大きい]
>
> は成立します。φさんはこのパラドクスを軽視しているようですが、
> このような事前確率分布を仮定することは
> 主観確率論に試練を与える思考実験にならない(無意味である)のでしょうか?
>

 ひとつは、物理的に言って、Gの変域は無限ではありえない、ということがあるからです。
 文字や数字や日常言語による表現可能性には限界があります。「人間または機械が物理的に書くことのできる数の上限」は、未知ですが、ある範囲内にあるはずです。(「ベリーのパラドクス」ぽくなってきますが)
 封筒の中身が、それ以上の数である可能性はありません。
 したがって、Gの変域は自然数全体ではありえません。

 そのような「物理的常識」に訴えるのは論理問題としてオカシイ、とも言われそうですが、もう一つ理由があります。
 金額に伴う確率低下率が1/2以外であれば、金額を見ただけで期待値が変化しますよね。それもパラドクスといえばパラドクスでしょう。
 しかし、胴元の選択についてプレイヤーは無知、という前提がありますから、
 確率低下率1/2以外の確率分布のうち、主観確率的に合理的なものは一様分布しかありません。
 理由は、一つ前のモンテカルロさんへのレスに述べたとおりです。(無差別原理、充足理由率)

 よって、一様分布以外を想定すると、設定が恣意的になってしまい、「期待値が変化する」と言われても「そんなおかしな確率分布を前提したから当たり前だ」と言われかねません。
 パラドクスは、自然な前提から奇妙な結論が導かれるところに成立するので、
 「一様分布のときだって交換が得になるんだぞ」と言う必要があるのです。
 それに伴い、無限の変域は排除されます。


Re: 封筒問題に関して 投稿者:φ 投稿日:2011年 8月24日(水)03時18分42秒

> No.3057[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。


> > 私がいっているのは、
> > 「(開いてない箱の中身が)5千円か2万円か」
> > 「選んだのが開いている箱(1万)か、
> >  開いてない箱(5千円or2万円)か」
> > 上記の2つの確率の独立性ですよ。
> >

 「独立性」を、結果として「確率が二つの事象の確率の積にならないかぎり、独立ではない」と定義するのであれば、私の考える正解は、独立性を満たしていないことになりますね。
 それは当然です。期待値の上限・下限を超えないと正解でないので。

 最初に設定したのは、


「一回だけ、箱の選択の変更を許します。箱の選択を変更しますか?」
 という指示に従って変更するかしないか決める、というゲームを丸ごと反復する、
 ということだけなので、
 箱の中身(A1、A2)と変更の有無(B1,B2)との独立性は、その一回一回において成り立ってさえいればよいはずです。
 つまり、どの回においても、AnとBmの組み合わせが起こる確率は、その回におけるAnの確率とBmの確率との積になっていさえすればよいはずです。
 その条件は私の正解において満たされています。

>
> いかような方法で箱の中身を知るのかは興味があるが、
> それが実現可能なものでなければ、その興味は
> 一気に失われるでしょうね。
>

 箱の中身を知る必要はありません。知ることはできないという設定だし。
 そして、簡単に実現可能な戦略です。実際に、科学史でも頻繁に見られる戦略です。
 小学生でも知っている超有名科学者が、私の正解と同じ論理構造を持つ反復試行を行なって大発見を為し遂げていますよ。

>
> 「真の確率分布が分からないにせよ
>  何らかの確率分布を主観的に推測せざるを得ない。
>  もしくは、何らかの確率分布を示さざるを得ない。」
>
> というのが正しい。
>

 ↑これは違いますね。
 少なくとも主観確率の立場では。

 胴元の選択基準についての情報が皆無としてください。
 すると、2封筒問題成立の条件を満たす任意の異なる自然数A、Bについて、封筒の中身が(A、2A)である主観確率と、(B、2B)である主観確率は厳密に同じです。それが無知の定義ですから。
 どのように違うか特定の判断をする根拠がないわけですし。(無差別原理、充足理由率)
 つまり、

  ∀x∀y(P(x、2x)=P(y、2y))  ……①

 「全くの無知」ということは、①を論理的に含意します。
 (ただし、前回述べたように、x、yの変域は自然数の未知の有限部分集合です)

 ①は確率の一様分布を意味しますから、一様分布は完全な無知から論理的に帰結することがわかります。

 したがって、
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3046 でのモンテカルロさんの
>
> なぜ「えこひいきなし」でなければならないんですか。
> なぜ「えこひいきなし」が「恣意性へのコミットメントを控えた」
> といえるんですか。
> 「えこひいきなし」が「恣意的」だといわれたら
> どう反論するんですか?
>

 は、主観確率を理解していないと言われても仕方ないでしょう。

 むろん、少しでも関連情報を知っていれば、一様分布を仮定するのは恣意的になるでしょう。
 しかし、「完全な無知」のもとでは、(以前言ったことの繰り返しになりますが)
一様分布とは、積極的に【固執する】ものではなく、
いかなる恣意性へのコミットメントをも控えた結果自ずと【強制される】論理なのです。


Re: 封筒問題に関して 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月23日(火)20時41分15秒

> No.3059[元記事へ]

QBさんへのお返事です。

>>  2封筒問題というものの本質からして、封筒の中身を見た時点で、
>> 自分の金額が極大であるとわかる場合と、極小であるとわかる場合は
>> 排除されているはずです。
> 封筒を開けたときに、中の小切手に「∞」という記号が書いてある場合は
> 排除されてると思いますよ。(笑)

簡単に笑うのは、思慮がない。

単に最大値がないからOKだと考えるのは安易である。
ペアの2つの金額の和が大きくなるにしたがい
「金額の和×確率」であらわされる期待値が
大きくなるのであれば、影響から完全に脱した
とはいえない。

> 2封筒問題で無限を考える必要など全くないと思います。
> それでもパラドックスを生じるから面白いのではありませんか。

QB氏の言い方ならセント・ペテルスブルクのパラドックスも
全く無限を考える必要がないということになる。



Re: モンテカルロさんの弱点 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月19日(金)09時51分46秒

> No.3038[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> (モンテカルロは)すごくナイーブなところがあって、

いやー、φさんもなかなかナイーブですよ。

>哲学的には隙だらけで、

数学的にはボロボロで、

>だからモンテカルロさんは面白いんですよね。

私はφ氏に同情はしても嘲笑はしませんが。

>  頻度主義者は、
>「それは一回限りのことなのか、それとも何度も繰り返せるのか?」
>と問いかけるのが好きです。

要するに
「頻度として確認できるのか、できないのか」
ということですよ。

>  そして、
>「一回限りなら確率は論じられない。
> 何度も繰り返せるうちの一例というなら、
> 確率を考えようじゃないか」
>という態度をとります。

確認できないのであれば、何をいっても
正しいか誤りか分からないのだから
意味がないと考えるわけです。

>  モンテカルロさんはその典型例で、わかりやすい事例ですね。

ああ、ナイーブとはそういう意味ですか。
なら、ナイーブであることは「正しい」わけですね。
小利口は悪だと考えている私にとっては最大の褒め言葉です。

> 「頻度確率を目の前に出されてもBayesianは「だから何なの?」 と言いかねない」
>    ↑この態度、Bayesianは正しいとφも思いますよ。

そうですか。

>
>  これに対しモンテカルロさんは
> >
> > いいですか、主観確率は所詮仮説です。
> > 仮説の正しさを経験で検証するんです。
> > おわかりですか?
> >
>
>  モンティホール・ジレンマに対して、経験による頻度の観察は無意味なんです。

いかなる意味で?

>(ちなみに、司会者のクセを頻度で確かめるという話をされていたようですが、
> クセは問題設定の中に含めるのが普通ですから(書いてなければ一様分布!)、
> 頻度による観察が無意味というのは、最終的な解答の正しさの検証としてです)

問題設定どおりに司会者が振舞うかどうかはわかりませんよ。
その意味で頻度の観察は意味があります。

人間は、01のランダムな数列をつくれ、というと、
真のランダムな数列よりも01の交替を多くする
という傾向があるのは御存知ですか?

これも頻度の観察によって露見したことです。
「人間は云ったとおりのことをやるだろう」
というナイーブな立場に立つと失敗するわけです。

>  モンティホール・ジレンマで、なぜ「経験」による頻度実験が
> 無意味であるかは、哲学徒には自明のことです。

その昔、ヘーゲルとかいう哲学者は
「太陽系には地球のほかに
 水星・金星・火星・木星・土星
 の5つの惑星しかない。
 これは哲学的には自明だ」
とかいったそうですが、
数学者のガウスが小惑星を発見して
見事にひっくり返されました。

だから私は哲学の正しさを全く信頼していません。

>  「自然種」と「名目種」の区別ができていれば。

ほう。

>  繰り返しの観察や頻度実験が意味をなすのは、自然種の確率についてだけなのです。
>  名目種の確率については、繰り返しの観察や頻度実験は無意味です。
> というか、勝手に頭の中でやればいいのです(それすら必要ではありません)。

肝心の自然種が何か、名目種が何かについては説明ナシですか。

そもそもその区別が意味をもつかどうかが重要な場合に、
その区別の基準も示さないのは、無意味でしょう。

>  順を追って説明しましょう。

>  2封筒問題やモンティホール・ジレンマのような論理的な問題については、
>  「一回限りのことなのか、それとも何度も繰り返せるのか」
>  という問いはナンセンスでした。

分布がはっきりしていればね。
もっとも、私にいわせれば、分布を示すことは
暗に何度も繰り返せることを主張するのと同じ
ですがね。

>  実際に繰り返してみる必要などないからです。
>(繰り返さなくてもモンテカルロさん「得でしょう」と答えていたし)

私は
「何度も繰り返せる & 必ずその頻度が確認できる」
という条件下で得をするといったので、φ氏の思惑とは
まったくかけはなれていますよ。

>  どうしても繰り返したければ、頭の中で繰り返せばよいのです。

なぜ、実際に繰り返さないのですかw。
別に結果がひっくり返されることはありませんよw

>  もっと簡単な例でいうと、
>  本当に偏りのないサイコロを振って、「6が出る確率」を求めるのは、
> 一度もサイコロを振らなくとも可能であり、検証は不要ですね。

それは同語反復ですからね。

>  実験で1/6以外の結果が出たら、実験の条件が間違っていただけのことです。

その通りですね。

>  それともモンテカルロさんは、実験の欠陥が見破れなければ
> 実験結果を信じるのでしょうか。

少なくとも、疑う正当な根拠はないといわざるを得ませんね。

例えば、マイケルソン・モーリーの実験について
ニュートン力学と相容れないのが気に入らない
という理由だけで実験結果を疑いますか?

>  もしかしてモンテカルロさんは、超常現象など信じやすい方なのでは?

エスパーとやらが、”超常現象”を起こしてくれる、という点に関しては疑いませんね。
ただし、その説明に関しては全く信用しませんが。
手品師が手品を成功させることを信じるのと、手品にトリックがないと信じるのは
まったく別のことですよ。

>  実験で数秘的な言霊のパワーが実証されるかもしれない
>(「数霊パワーゆえ6の目は出やすかった!)、とか。

まあ、実験するからには何らかの違いが出るようにやってくれるんでしょうw
その仕掛けについては、私はエスパー本人ではないから興味はありませんが。

>  ともあれ、
>  「主観確率を頻度で検証」というところで、
> モンテカルロさんの確率観、というか
> 世界観の欠陥がはっきりしました。

上記の、数学とは無関係の御託を並べるところで
φ氏が、高校程度の数学の確率にも全く自信がない
ことが読み取れます。

>  以前も言ったことですが、
>「予在する対象の記述(本性の発見)」と、
>「特定の定義的特徴を持つ対象の創造」とを混同しています。
> だから、「一様分布である、という保証はありません」
>といった懸念に囚われ続ける。

そもそも、無限個の対象に対する一様分布が実現できる
と考えるのは、数学的にはナイーブだと言わざるを得ない
んですよ。

もし、「無限は無関係だ」というのであれば
無限が入り込む余地が一切ない形で、
パラドックスをつくりあげるしかありません。

そういうことですよ。

> 「本性をこれから経験的に発見して記述すべき対象」は、「自然種」に属します。
> 「特定の定義的特徴によって指定された対象」は、「名目種」に属します。

要は物理学と数学の違いでしょうな。

私が嫌がっているのは
「無限個の対象に対する一様分布」
という、確率論では扱えないものを
平気で持ち込むことであって、
そこを読み取らずして、
「自然種と名目種の区別が分かってない」
とかいう話として理解しようとするのは
数学的には間違った態度ですね。

>  モンティホール・ジレンマや2封筒問題で作られた状況は、典型的な名目種です。

つまり、数学の問題だと。

>問題文によって指定された定義的特徴以外は、
>そして定義的特徴が含意する性質以外は、任意です。
>コトバによって徹頭徹尾定義されている。

つまり、数学の問題だと。

>  「二等辺三角形」は典型的な名目種です。
>「形・大きさの異なる二等辺三角形の事例はたくさんあるだろうが、
> どれも2辺が等しいと言うけれど、
> 本当は等しくないかもしれないじゃないか」などと言っても無意味です。
>2辺が等しいというのは定義あるいは定義から帰結する性質ですから、
>反論の余地はありません。

三角形として考えられるのは
「三つの角、α、β、γのいずれも0でないという場合」
という条件を度外視して、勝手に一つの角が0という場合を考え
「上記の場合、2辺の長さはどちらも∞だから等しいよね。」
という主張をされても困るわけです。
数学はそんなところまでカバーしてないから。

「無限個の対象に対する一様分布」は上記のごとき問題を孕むわけです。

>  対して、自然種については、「太陽は核融合で燃え続けているというけれど、もしかしたら化学的な燃焼がかなりの割合を占めているかもしれないじゃないか」と問うのは十分意味があります。実在としての太陽は私たちが勝手に定義することはできず、自然種に属するので、一見定義的特徴と思われていた性質が反証されたり、私たちの知らない本性が解明されたりする余地がいくらでもあるからです。

物理学の問題というわけですね。

>  モンティホール・ジレンマの確率計算の正しさを、
> 頻度で検証するというのがナンセンスであることが
> これでおわかりでしょう。

なぜ、頻度を避けるのでしょうか? 何を恐れているのでしょうか?

>  たとえば、世界中でモンティホール実験をやった結果
>(標準的な、司会者の開け方に特定の偏りがない設定で)、
>選択を変えると当たる頻度が1/2だったとしましょう。
>  これをもって、モンティホール・ジレンマではマリリンが間違っており、
>ポール・エルデシュが正しかったことになるのでしょうか?

そもそも設定どおりである限りそのような結果にはならないと思いますが。

>  あるいはもっと簡単に、「偏りのないコインを投げて表裏の出る確率は1/2ずつ」という無差別原理を検証するために、世界中で精密な「偏りのないコイン」が大量に作成され、多数回投げる綿密な実験をしたとします。その結果、表が出る確率が2/3であることが判明したら、「大発見! なんと、表と定義された方が上になる確率が高いことが判明!」と報道されるでしょうか。

その場合「偏りのないコイン」を作ったつもりが、偏ったということになりましょうか。
それはそれで工学的には面白いですがねw。

>  それは馬鹿げていますね。
>  何か間違いがあった(世界的に手の込んだ謀略が行われたなど)
> と疑うのが正常というものです。

まず、モンティ・ホールの話でいえば、
・当たりのドアの偏りのなさ
・開けたドアの偏りのなさ
・プレイヤーの選択の偏りのなさ
から検証は可能でしょう。

コインの話は、「偏りがない」とする理論の設定の誤りを疑うべきでしょう。

そういうことです。

>  経験的実験ではなく、計算によって検証しなければなりません。

モンティ・ホールの例でいえば、多数回思考はやはり数学の範囲内だと
いわざるを得ません。したがって「数学/物理学」の違いとするのは
あたりません。

>  このことからわかるように、
>  モンティホール・ジレンマやサイコロ投げのような名目種の設定での
>確率問題については、実験や観察による頻度は、主観確率や論理確率、
>傾向性解釈などで計算された確率の値を「検証」できません。
>計算による値の方が優先されます。

計算は、理論の枠組みの範囲内でのみ意味を持ちます。

角度0の角がある「三角形」で辺の長さを論じるのは意味がないように
無限個の対象に対する一様分布の前提で確率を論じるのは意味がありません。

>  ↑は、名目種についてです。

要するに数学の話でしょう?
だったら、数学で容認される範囲内で考えないと意味ないですよ。

>  自然種については、実験や観察による頻度は、
> 主観確率や論理確率、傾向性解釈などで計算された
> 確率の値を「検証」できます。
>  計算による値は経験によって改訂されます。
> モンテカルロさんが言っているのはこちらの方ですね。

残念ながら、私の批判の要点はそこにはありません。
要点とは異なる点をいくら叩いても、そこに私はいませんよw

> 特定の元素が一定時間内に崩壊する確率、
> 特定の状態の癌が患者を1年以内に殺す確率などがこれに該当し、
> モンティホール・ジレンマや2封筒問題は該当しません。

物理学あるいは医学の問題だからね。

>  一様分布についても同様です。
> 「この土地の面積を求める問題では、土地は二等辺三角形というけれど、
>  厳密に2辺が等しいなんてありえない」とイチャモンを付ける人は、
> 問題の主旨を理解していませんよね。

φ氏は私の批判を理解していませんよ。

φ氏がいうのは、例えばα、βが0でない角度で、等しくないものとして
γが角度0だとした場合、
「γを挟む二つの辺は長さ∞で等しいからいいよね。
 だってαとβを結ぶ辺の長さを0にすれば
 ぴったり一致するし」
という主張に対しては、多くの人が
「いやいや、そんなもの、数学としては三角形と認めてないし」
といって反論するでしょう。

そういうことですよ。

> 「2封筒問題では金額のペアをランダムに選んだというけれど、
> 全自然数にわたって一様分布なんてありえないから」というのも、
> 同様のイチャモンです。

全然違いますよ。

なんで数学を理解せずに頭から否定した前提をするんですか?w

>  問題に書いてあれば、問題に出てくる数値の範囲では一様分布で考えて下さい。

問題が数学の枠外であれば、悪い問題として諦めてください。

> ランダムと書かれていれば、ランダムなのです。

設定できないといったら、出来ないのです。

>  どこかの歴史的実験の詳細を調べているのだったら、
>「一様分布だった保証はない」と疑うことができるでしょう。
>しかし歴史的探究をしているのではなく、名目種の事例として、
>設定の中でゲームを考えているのです。

理論の枠内で考えるのであれば、枠内におさまる設定で考えてください。
なんで頑迷に枠外に出たがるのでしょう。場外乱闘の好きなプロレスラーみたいにw

>  http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3024
>  での私の設問で、十分に選択の一様分布は確保できているはずです。

素人の「筈」は、全然アテになりませんよ。

大体が何が問題か分かってないので、全然関係ないところばかり
細かく定義してるだけで肝心のところは知りぬけなのです。

無限個の対象に対する一様分布の問題点は
特定の1個を選ぶ確率が0になってしまい。
何を掛けても0になってしまうからです。

>  もちろん、どんなに巧みな設定をしても無限や上限が悪さをする、
> と言い張ることはできるでしょう。

数学的には事実です。

>  しかし、2封筒問題の趣旨はそこにはないと私は考えます。

φ氏が間違ってると私は考えます。

>  一様分布の上限が2の百乗をはるかに超えているとわかっている設定において、
>手もとの金額が2の五十乗だったら、「その一回の試行での2封筒問題」は、
>一様分布の前提で考察せざるをえません。

そこは否定していませんよ。

>無限や上限の影響は無視できます。その場合も、2封筒問題は成立するのです
>(交換についての誤った「合理的判断」に固執する人への「説明」、
>つまりパラドクスの解決が必要となります)。

それなら、極端な話、ペアが2つあればいい。
そして、中間の値の場合についてのみ考えればいい。

エッセンスはそこだけです。そこしかありません。

>  ちょうど、二等辺三角形の土地の辺の長さの誤差を無視して面積問題を考えざるをえないように、
>  2封筒問題における無限の影響は無視しなければなりません。

残念ながら両者は同じではありません。
喩え話のナイーブな点は、喩えの同等性について
言った本人だけがそう思ってることにあります。

>  というわけで、
>  モンテカルロさんの
>  私に対する「一様分布の否定」(説明の初期段階での一様分布の否定)と、
>  eggmanさんに対する「頻度実験による検証の強調」とは、
>  奇しくも、自然種と名目種を区別できていない、
> というモンテカルロさんの弱点に起因しているのです。

残念ながら、区別の境を間違いましたね。

φ氏の弱点はもちろん分かってます。数学が苦手なことです。
おそらく、数学は高校で終わりにしたのではないですか?

大学で数学を学んでいればここまでナイーブなことはいいません。


Re: モンテカルロさんの弱点 投稿者:φ 投稿日:2011年 8月18日(木)18時48分4秒

> No.3038[元記事へ]

φさんへのお返事です。

但し書きです。


前投稿で
「モンティホール・ジレンマ」は名目種、と言いましたが、

特定の司会者がいる実在のゲームについて、
司会者のクセも考慮に入れて正解を出せ、という設問になっている場合は、
論理ではなく経験科学の問題となり、
「モンティホール・ジレンマ」は自然種となります。

その場合もちろん、主観確率や論理確率を頻度観察で検証することは有意義です。


モンテカルロさんの弱点 投稿者:φ 投稿日:2011年 8月18日(木)17時27分43秒

> No.3027[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

モンテカルロさんはいつも的確なコメントを下さって勉強になり、大変ありがたいです。

 その反面、すごくナイーブなところがあって、哲学的には隙だらけで、だからモンテカルロさんは面白いんですよね。

 頻度主義者は、「それは一回限りのことなのか、それとも何度も繰り返せるのか?」と問いかけるのが好きです。
 そして、「一回限りなら確率は論じられない。何度も繰り返せるうちの一例というなら、確率を考えようじゃないか」という態度をとります。
 モンテカルロさんはその典型例で、わかりやすい事例ですね。

そこで、
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3026 の大声での
 「なぜそう思うんですか?」
 にお答えするところからはじめましょう。
「頻度確率を目の前に出されてもBayesianは「だから何なの?」 と言いかねない」
   ↑この態度、Bayesianは正しいとφも思いますよ。

 これに対しモンテカルロさんは
>
> いいですか、主観確率は所詮仮説です。
> 仮説の正しさを経験で検証するんです。
> おわかりですか?
>

 モンティホール・ジレンマに対して、経験による頻度の観察は無意味なんです。(ちなみに、司会者のクセを頻度で確かめるという話をされていたようですが、クセは問題設定の中に含めるのが普通ですから(書いてなければ一様分布!)、頻度による観察が無意味というのは、最終的な解答の正しさの検証としてです)
 モンティホール・ジレンマで、なぜ「経験」による頻度実験が無意味であるかは、哲学徒には自明のことです。
 「自然種」と「名目種」の区別ができていれば。

 繰り返しの観察や頻度実験が意味をなすのは、自然種の確率についてだけなのです。
 名目種の確率については、繰り返しの観察や頻度実験は無意味です。というか、勝手に頭の中でやればいいのです(それすら必要ではありません)。

 順を追って説明しましょう。
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3024 をお読みいただいたモンテカルロさんにはもうおわかりの通り、
 2封筒問題やモンティホール・ジレンマのような論理的な問題については、
 「一回限りのことなのか、それとも何度も繰り返せるのか」
 という問いはナンセンスでした。
 実際に繰り返してみる必要などないからです。(繰り返さなくてもモンテカルロさん「得でしょう」と答えていたし)
 どうしても繰り返したければ、頭の中で繰り返せばよいのです。(書かれてない部分はパラメータとしていくらでも変更して下さい。封筒の色、胴元の身長、金額の選択の嗜好など)

 もっと簡単な例でいうと、
 本当に偏りのないサイコロを振って、「6が出る確率」を求めるのは、一度もサイコロを振らなくとも可能であり、検証は不要ですね。
 実験で1/6以外の結果が出たら、実験の条件が間違っていただけのことです。
 それともモンテカルロさんは、実験の欠陥が見破れなければ実験結果を信じるのでしょうか。
 もしかしてモンテカルロさんは、超常現象など信じやすい方なのでは?
 実験で数秘的な言霊のパワーが実証されるかもしれない(「数霊パワーゆえ6の目は出やすかった!)、とか。

 ともあれ、
 「主観確率を頻度で検証」というところで、モンテカルロさんの確率観、というか世界観の欠陥がはっきりしました。
 以前も言ったことですが、
「予在する対象の記述(本性の発見)」と、「特定の定義的特徴を持つ対象の創造」とを混同しています。


だから、「一様分布である、という保証はありません」といった懸念に囚われ続ける。

「本性をこれから経験的に発見して記述すべき対象」は、「自然種」に属します。
「特定の定義的特徴によって指定された対象」は、「名目種」に属します。

 モンティホール・ジレンマや2封筒問題で作られた状況は、典型的な名目種です。問題文によって指定された定義的特徴以外は、そして定義的特徴が含意する性質以外は、任意です。コトバによって徹頭徹尾定義されている。
 「二等辺三角形」は典型的な名目種です。「形・大きさの異なる二等辺三角形の事例はたくさんあるだろうが、どれも2辺が等しいと言うけれど、本当は等しくないかもしれないじゃないか」などと言っても無意味です。2辺が等しいというのは定義あるいは定義から帰結する性質ですから、反論の余地はありません。
 対して、自然種については、「太陽は核融合で燃え続けているというけれど、もしかしたら化学的な燃焼がかなりの割合を占めているかもしれないじゃないか」と問うのは十分意味があります。実在としての太陽は私たちが勝手に定義することはできず、自然種に属するので、一見定義的特徴と思われていた性質が反証されたり、私たちの知らない本性が解明されたりする余地がいくらでもあるからです。

 モンティホール・ジレンマの確率計算の正しさを、頻度で検証するというのがナンセンスであることがこれでおわかりでしょう。
 たとえば、世界中でモンティホール実験をやった結果(標準的な、司会者の開け方に特定の偏りがない設定で)、選択を変えると当たる頻度が1/2だったとしましょう。
 これをもって、モンティホール・ジレンマではマリリンが間違っており、ポール・エルデシュが正しかったことになるのでしょうか?
 あるいはもっと簡単に、「偏りのないコインを投げて表裏の出る確率は1/2ずつ」という無差別原理を検証するために、世界中で精密な「偏りのないコイン」が大量に作成され、多数回投げる綿密な実験をしたとします。その結果、表が出る確率が2/3であることが判明したら、「大発見! なんと、表と定義された方が上になる確率が高いことが判明!」と報道されるでしょうか。
 それは馬鹿げていますね。
 何か間違いがあった(世界的に手の込んだ謀略が行われたなど)と疑うのが正常というものです。
 経験的実験ではなく、計算によって検証しなければなりません。

 このことからわかるように、
 モンティホール・ジレンマやサイコロ投げのような名目種の設定での確率問題については、実験や観察による頻度は、主観確率や論理確率、傾向性解釈などで計算された確率の値を「検証」できません。計算による値の方が優先されます。

 ↑は、名目種についてです。

 自然種については、実験や観察による頻度は、主観確率や論理確率、傾向性解釈などで計算された確率の値を「検証」できます。
 計算による値は経験によって改訂されます。モンテカルロさんが言っているのはこちらの方ですね。
 特定の元素が一定時間内に崩壊する確率、特定の状態の癌が患者を1年以内に殺す確率などがこれに該当し、モンティホール・ジレンマや2封筒問題は該当しません。

 一様分布についても同様です。


「この土地の面積を求める問題では、土地は二等辺三角形というけれど、厳密に2辺が等しいなんてありえない」とイチャモンを付ける人は、問題の主旨を理解していませんよね。
 「2封筒問題では金額のペアをランダムに選んだというけれど、全自然数にわたって一様分布なんてありえないから」というのも、同様のイチャモンです。
 問題に書いてあれば、問題に出てくる数値の範囲では一様分布で考えて下さい。ランダムと書かれていれば、ランダムなのです。
 どこかの歴史的実験の詳細を調べているのだったら、「一様分布だった保証はない」と疑うことができるでしょう。しかし歴史的探究をしているのではなく、名目種の事例として、設定の中でゲームを考えているのです。
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3024
 での私の設問で、十分に選択の一様分布は確保できているはずです。

 もちろん、どんなに巧みな設定をしても無限や上限が悪さをする、と言い張ることはできるでしょう。
 しかし、2封筒問題の趣旨はそこにはないと私は考えます。
 一様分布の上限が2の百乗をはるかに超えているとわかっている設定において、手もとの金額が2の五十乗だったら、「その一回の試行での2封筒問題」は、一様分布の前提で考察せざるをえません。無限や上限の影響は無視できます。その場合も、2封筒問題は成立するのです(交換についての誤った「合理的判断」に固執する人への「説明」、つまりパラドクスの解決が必要となります)。

 ちょうど、二等辺三角形の土地の辺の長さの誤差を無視して面積問題を考えざるをえないように、
 2封筒問題における無限の影響は無視しなければなりません。(むろん、あくまで初期設定においてです。説明の経過の中で必然的に無限に言及せねばならないことがわかったら、その段階で無限を持ち出すべきです)

 というわけで、
 モンテカルロさんの
 私に対する「一様分布の否定」(説明の初期段階での一様分布の否定)と、
 eggmanさんに対する「頻度実験による検証の強調」とは、
 奇しくも、自然種と名目種を区別できていない、というモンテカルロさんの弱点に起因しているのです。


Re: (無題) 投稿者:eggman 投稿日:2011年 8月18日(木)08時15分14秒

> No.3036[元記事へ]

補足です。

>eggman氏が、
>「「司会者の選択の偏り」は決して実際のドア選択の結果の頻度によって察知できない」
>といったので、そんなことはないといったんですがね。

いえ、私は

>あ、いえ、頻度確率は司会者の選択の偏りに影響を受けないと思うのですが

と言ったのですよ。
そりゃ、ショーを見続けていれば、司会者の癖はわかるかもしれませんが w



Re: (無題) 投稿者:eggman 投稿日:2011年 8月18日(木)07時41分53秒

> No.3034[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

>>では、モンティホール問題でモンテカルロさんの言われる「頻度」って何ですか?

>私が云ったんじゃないですよ。eggmanさん、あなたが云ったんですよ。

は?

>eggman氏が、
>「「司会者の選択の偏り」は決して実際のドア選択の結果の頻度によって察知できない」
>といったので、そんなことはないといったんですがね。

>で、頻度確率の考え方に立つなら、ドア選択の偏りによる
>確率分布を当然利用するでしょう。

モンティーホール問題をご存じなので、多少省略したかもしれませんが
「「司会者の選択に偏りがない」というのは、
プレイヤーが仮に当たりを選んだ場合に、司会者が残るドアのどちらを開けるかについて "癖がない(ランダムに選ぶ)"ということです。

この点はよろしいですか?



備忘録 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月18日(木)06時30分59秒

φ氏へ最新の返信
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3027 Re: φ氏がパラドックスの真の原因に迫れなかったわけ
蛇足


(無題) 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月18日(木)06時27分48秒

>では、モンティホール問題でモンテカルロさんの言われる「頻度」って何ですか?

私が云ったんじゃないですよ。eggmanさん、あなたが云ったんですよ。

eggman氏が、
「「司会者の選択の偏り」は決して実際のドア選択の結果の頻度によって察知できない」
といったので、そんなことはないといったんですがね。

で、頻度確率の考え方に立つなら、ドア選択の偏りによる
確率分布を当然利用するでしょう。
で、自分勝手な主観確率に頑迷に固執するほうが、
ドア選択の偏りの影響を受けないと思いますがね。
実際、eggman氏の説明はそのことを主張しているしw


Re: (無題) 投稿者:eggman 投稿日:2011年 8月17日(水)21時15分34秒

> No.3032[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

>> 「選んだドアが当たりだった回数/ゲーム回数」は当然1/3に収束しますよね。
>> これが頻度確率でしょ。

>間違ってます。貴方は勝手に早合点するから間違うのです。

間違って済みません。

> 早合点は思考嫌いの人の悪い癖です。

それは失礼しました。

> 誰が頻度を「当たりのドアを開く頻度」に限定しましたか?

では、モンティホール問題でモンテカルロさんの言われる「頻度」って何ですか?
モンティホール問題で頻度確率を計算するとどのようになります?

(改訂と検証が同じか違うか、どうも、同じ日本語の世界で生きてるとは思えなくなってきました。)




(無題) 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月17日(水)20時12分23秒

誰が頻度を「当たりのドアを開く頻度」に限定しましたか?
早合点は思考嫌いの人の悪い癖です。


Re: そろそろ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月17日(水)20時08分16秒

> No.3029[元記事へ]

eggmanさんへのお返事です。

> 「選んだドアが当たりだった回数/ゲーム回数」は当然1/3に収束しますよね。
> これが頻度確率でしょ。

間違ってます。貴方は勝手に早合点するから間違うのです。




Re: そろそろ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月17日(水)20時06分51秒

> No.3029[元記事へ]

eggmanさんへのお返事です。

> >なぜ、そう思うんですか?
> きっとBayesianだからでしょうね。w
> (私のことではありません)

ん?誰がBayesianなんですか?
貴方ではない誰かが貴方に乗り移ってる?

悪いことはいいません。病院にいったほうがいいですよ。

> ベイズ確率というのは、その時点における情報をもとに計算される確率であって、
> 新たに情報が手に入れば単に「改訂」されていくだけでは。
> それは、「検証」とは意味が違うと思いますが。

間違ってます。意味は違ってません。改訂は検証の結果です。

> >偏りがあれば、頻度でバレますけどね。
> >そういうことですよ。
>
> あ、いえ、頻度確率は司会者の選択の偏りに影響を受けないと思うのですが

間違ってます。影響を受けるどころか結果として露見します。



Re: そろそろ 投稿者:eggman 投稿日:2011年 8月17日(水)18時43分29秒

> No.3026[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

邪魔してすみません。

>なぜ、そう思うんですか?

きっとBayesianだからでしょうね。w
(私のことではありません)

>ベイズ確率の"誤り"を頻度で検証できましたね。
>いいですか、主観確率は所詮仮説です。
>仮説の正しさを経験で検証するんです。
>おわかりですか?

ベイズ確率というのは、その時点における情報をもとに計算される確率であって、
新たに情報が手に入れば単に「改訂」されていくだけでは。
それは、「検証」とは意味が違うと思いますが。

>> 蛇足(モンティホール問題)
>>ベイズ確率であれば、司会者の選択の偏りに影響を受けますね。
>偏りがあれば、頻度でバレますけどね。
>そういうことですよ。

あ、いえ、頻度確率は司会者の選択の偏りに影響を受けないと思うのですが

まず、3つのドアのうち一つを選ぶ。
この時点では当たる確率は1/3
(ここまでは、Bayesianであろうとなかろうと変わりはないでしょう。)

<最初に選んだドアを変更しないと決めた場合>
ならば、選んだドアをすぐ開けても事情は変わりませんよね。
(司会者が他の2つのドアのうち一つを開ける前であろうと後であろうと)
すると、無限回試行すれば
「選んだドアが当たりだった回数/ゲーム回数」は当然1/3に収束しますよね。
これが頻度確率でしょ。
司会者の選択の偏りには全く影響を受けませんよね。

<最初に選んだドアを常に変更すると決めた場合>
頻度確率は1-1/3=2/3ですよね。
司会者の選択の偏りには全く影響を受けませんよね。




蛇足 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月17日(水)15時36分38秒

>Aはランダムに自然数を特定します。
>(自然数全体からのランダムな選択は不可能、という反論は無効です。
>結果として選ばれる自然数どうしの範囲で一様分布が成り立てばよいので。
>ともあれ、自分の意思でなく偶然の力で自然数を一つ選ぶことは、
>私たちが日常的に行ないうることです)

まず、自然数を一つ選ぶことは可能ですし、日常的に行い得ることです。

し・か・し、それが一様分布である、という保証はありません。

もっとも、結果として一様分布と解釈せざるを得ない数列はありますがね。
例えば、1,2,3,4,5・・・と自然数を1から順番に並べる操作。
これは確率分布としては一様分布だと見なさざるを得ないでしょうね。

この観点からいけば、規則性の有無を度外視して単に「一様」である配列を
つくってしまえばよいことになる。例えば(a,b)の金額の配列を
(1,2)
(2,1)
(2、4)
(4,2)
・・・
としていけばよい。
総和が共通のものだけみれば、交換でaに得失なし
aの額が共通のものだけみれば、交換でaに利益
bの額が共通のものだけみれば、交換でaに損失
となります。

で、総和が同じもののペアが有限個とすれば、
aの額が同じとかbの額が同じというのは
上と下で必ず不揃いになるわけです。

しかし、無限個ではそういうことは生じない。
そこが実は隠れたカラクリですね。

一見無限とは関係ないようにみえて
実は無限が悪さしている。だから無限は怖いw


Re: φ氏がパラドックスの真の原因に迫れなかったわけ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月17日(水)13時19分25秒

> No.3024[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> > パラドックスの原因は、主観確率論にあるわけではなく、単に、
> > 胴元が一回の試行で金を払う期待値が無限になること
> > にあります。
>
> ↑は「サンクト・ペテルブルク」の場合はそのとおりでしょうね。
>  効用よりも確率がはるかに優先されるべき状況となって、
> 理屈では顧客はいくら払っても得なのに、現実にはそうならないという。

サンクト・ペテルブルクを御存知なら話が早い。

>  しかし、2封筒問題の根っこは違うと思いますけれどね。
>  「無限の効用」が関係するとは思えません。

φ氏がどう思おうとご随意ですが、
数学による分析では、そう考えざるを得ないということです。

>  実際、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3012 の私の設問では無限大になっていないはずです。

しかし、上限を故意に無視していますね。
だからおかしな分析になる。

>  無限大を避ける上限設定に対して、「上限の察知」に訴えて
> 非パラドクス化しようとしても、スッキリしないはずです。

私はスッキリしたいわけでも非パラドックス化したいわけでもありませんよ。
あくまで事実を述べているに過ぎませんよ。

>  上限がわからなければ、当て推量になるだけですから
>(それこそ主観確率ならぬ心理的確率)。
>数学的に定式化して解決できるとは思えません。

私はそれこそが主観確率だと思いますがね。
ただし、その場合、各人各様なので、
人によらない分析が意味をもたなくなる。
そういうことですよ。

>  では、何がこのパラドクスの原因(本質)なのか?

何でしょう。

>  私の考えでは、
>  「単に金額を見ただけで、それがどんな金額であろうと、
>  交換の損得が変わってしまう。どんな金額でもよいなら、
>  金額を見ても見なくても同じはずじゃないか?」
>  という、合理的判断の基準の不可解さによるものです。

ところで、その判断、どこが「合理的」なんですか?
合理的という言葉の意味を誤解してませんか?

さて、二つの封筒で、中身を見るのが自分の封筒でなく
相手の封筒だったら面白いことが起きますよ。

相手の封筒の中身がa円だったら、交換によって
a/2円得するか、a円損するか、なので、それぞれ
等確率だとすれば、交換による期待値は
a/2*1/2-a*1/2=-a/4円
ということになります。つまり損するってことです。

自分の金額を見れば得、相手の金額を見れば損。

一見非常に奇妙ですが、
(5000円、10000円)と(10000円、20000円)の
2つのペアで何百回、何千回も試行してみれば、
自分が10000円の時の交換では得をし
相手が10000円の時の交換では損する
とわかりますよ。



Re: そろそろ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月17日(水)13時04分23秒

> No.3025[元記事へ]

eggmanさんへのお返事です。

> 頻度確率を目の前に出されてもBayesianにとっては
> 「だから何なの?」
> ということになりませんかということです。

なぜ、そう思うんですか?

> 繰り返しますが、頻度確率を目の前に出されてもBayesianは
> 「だから何なの?」
> と言いかねないということです。

なぜ、そう思うんですか?

> たまたま結果が一致しても、それだけのことであり、
> 別にベイズ解の正しさを頻度によって検証した
> ということには必ずしもならないでしょう。

なぜ、そう思うんですか?

> そうそう、φさんのインチキコインの話。
> 表の出る確率は
> ベイズ確率なら1/2。
> 頻度確率なら1/2以外。
>
> ベイズ解の正しさを頻度で検証できますかね?

ベイズ確率の"誤り"を頻度で検証できましたね。

いいですか、主観確率は所詮仮説です。
仮説の正しさを経験で検証するんです。
おわかりですか?

> モンテカルロさんだったら、胴元に
> 「まず100回ほどそのコインを投げてみろ。そうしたら賭けてやる。」
> というところですな w

まあ、そこまでいいませんよ。
あたるときはあたるんですから。
そうでなきゃだれがBIGとか買うんですかw

> 蛇足(モンティホール問題)

>ベイズ確率であれば、司会者の選択の偏りに影響を受けますね。

偏りがあれば、頻度でバレますけどね。

そういうことですよ。


そろそろ 投稿者:eggman 投稿日:2011年 8月17日(水)12時46分30秒

モンテカルロさんへのお返事です。

>例ではありませんよ。一般的な計算式ですから。
>例という言葉の意味を御存知ですか?

モンテカルロさんにかかるとすべて一般的な計算式になってしまい、例などなくなってしまいますね。

>> >確率の正しさを検証する場合には
>> >頻度によらざるを得ませんよ。

>> これはどうなんでしょうね。

>>どうなんでしょう、とは、どういう意味でしょうか?

頻度確率を目の前に出されてもBayesianにとっては
「だから何なの?」
ということになりませんかということです。

>> 例えば、モンティホール問題等におけるベイズ解の正しさを
>> シミュレーションで検証した例がありますが、

>モンティホール問題では確率分布が決まってますよ。

そりゃあ、決めれば決まってますが w

>> シミュレーションで求まるのは頻度確率であり、Bayesianは納得しますかね?

>なぜ、Bayesianが、自分の主張と合致する結果を否定すると考えるのですか?

繰り返しますが、頻度確率を目の前に出されてもBayesianは
「だから何なの?」
と言いかねないということです。
たまたま結果が一致しても、それだけのことであり、別にベイズ解の正しさを頻度によって検証したということには必ずしもならないでしょう。

そうそう、φさんのインチキコインの話。
表の出る確率は
ベイズ確率なら1/2。
頻度確率なら1/2以外。

ベイズ解の正しさを頻度で検証できますかね?

モンテカルロさんだったら、胴元に
「まず100回ほどそのコインを投げてみろ。そうしたら賭けてやる。」
というところですな w

蛇足(モンティホール問題)
この問題は結構設定があいまいですね。特に、参加者が偶然当たりのドアを選んだときに司会者がどちらのはずれのドアを開けるのかとか。頻度確率で計算すれば、司会者の選択の偏りの影響は受けませんが、ベイズ確率であれば、司会者の選択の偏りに影響を受けますね。 もっとも、このモンティホール問題で確率を計算するとしたらどちらがふさわしいのかという根本的な疑問はあるでしょう。 モンティホールショーに参加したユーザーの立場であれば、司会者の選択の偏りなど知りませんから、理由不十分の原理で司会者の選択に偏りはないとしてベイズ確率を計算するのかな。 その場合は、頻度確率と同じ結果になるでしょう。



Re: φ氏がパラドックスの真の原因に迫れなかったわけ 投稿者:φ 投稿日:2011年 8月17日(水)11時14分26秒

> No.3019[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

>
> パラドックスの原因は、主観確率論にあるわけではなく、単に、
> 胴元が一回の試行で金を払う期待値が無限になること
> にあります。
>

↑は「サンクト・ペテルブルク」の場合はそのとおりでしょうね。
 効用よりも確率がはるかに優先されるべき状況となって、理屈では顧客はいくら払っても得なのに、現実にはそうならないという。

 しかし、2封筒問題の根っこは違うと思いますけれどね。
 「無限の効用」が関係するとは思えません。
 実際、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3012 の私の設問では無限大になっていないはずです。(それを言えば「サンクト・ペテルブルク」も無限を避ける設定にはできるでしょうが……)

 無限大を避ける上限設定に対して、「上限の察知」に訴えて非パラドクス化しようとしても、スッキリしないはずです。
 上限がわからなければ、当て推量になるだけですから(それこそ主観確率ならぬ心理的確率)。数学的に定式化して解決できるとは思えません。

 では、何がこのパラドクスの原因(本質)なのか?
 私の考えでは、
 「単に金額を見ただけで、それがどんな金額であろうと、交換の損得が変わってしまう。どんな金額でもよいなら、金額を見ても見なくても同じはずじゃないか?」
 という、合理的判断の基準の不可解さによるものです。(フロリダ問題や誕生日問題と同種のパラドクスというわけ)

 このように、モンテカルロさんと私との間に根本的なパラドクス観の相違があるために、
 以下の記述はモンテカルロさんにとって的外れとなるかもしれませんが、
いちおう本題に入ります。

…………
 まず、
 モンテカルロさんの立場は一貫していないと思われるのですが。
 たとえば、

>
> >  息子Bは、中に2の50乗円が入っているのを見ます。これをG円と書きましょう。
> >  さて、Bから見て、交換は得か?
>
> 上限じゃないから得でしょうw
>

 得なんですね?
 どうやって計算したんでしょう?
 モンテカルロさんにとって、


http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2981「父親の財産の総額について、3a/2と3aの2つの”可能性”は存在しない」 はずだったのでは?
          ↑……というツッコミは、実は有効なのですが、表層的な反駁が容易なので(http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3012とは問題設定が違うからだとか)、ここでは予示するだけで突っ込まずにおきます。(機会があればあとで)

 もう一つのツッコミです。
>
> 上限じゃないから得でしょうw
>
 得なんですね?
 どうやって計算したんでしょう?
 実際に為された試行をおそらく一つも見ていないのに。

>
> で、この件については、お金持ちが沢山いて、何百回何千回と試行できるんですか?
> 期待値というからには、そうでないと意味がないんですが。
>

 というモンテカルロさん自身の言と
 「得でしょうw」とが、辻褄が合っていないのです。
 どっちですか、何百回もやっていないコトバだけの仮想的な試行(つまり、ただ1回かゼロ回に終わるかもしれない試行)について期待値を判断できるのか、できないのか。

>
> あくまで事象の同等性をどう考えるかの問題であって
> いったん同等だと認めてしまえば、客観確率でも0、1以外の場合はありえます。
> コインの確率はそういうものです。コインを投げる動作のいちいちを区別しますか?w
>

 「この一回の投げ」(現時点の温度、湿度、風向き、体調による投げでどの目が出るか)はあくまで唯一のはずです。
 すべての投げは、そのとき「物理的に他では代用できないこの一回の投げ」でした。
 それでもそこに同等性を見て、確率が云々できると認めるわけですね?
 「このコイン投げ」も「きのうのコイン投げ」も「生涯に一度しかコインを投げなかった人のあの投げ」も同種のものとして頻度解釈を適用できると?
 だったら
   「この唯一の2封筒遺産分配」についても諦めることはありませんよ。


http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3012 での私の設問は、
 コイン投げで総額を決め、二人の封筒選びで分配を決める、というありふれた動作から成っていますから、反復可能であり、頻度解釈でも扱うことができるでしょう。
 私に「何百回何千回と試行できるんですか?」と訊ねるまでもなく、
 実際に同種の試行が多数回なされたと仮定すればいい。頭の中の思考実験、フィクションの多数試行でいい。実際にモンテカルロさんがやったように。

>
> で、この件については、お金持ちが沢山いて、何百回何千回と試行できるんですか?
> 期待値というからには、そうでないと意味がないんですが。
>

 「これ以外に」世界中でこの種のゲームが物理的に為されているかどうかを確認することが「これの」確率や期待値に影響する、ということ自体が奇妙です。
 確かめに聞き回る必要はなく、思考実験で十分のはずです。問題に必要な条件は述べられているので。 物理学や歴史学ではなく、論理なので。

「上限じゃないから得でしょうw」
 と答えた時点でモンテカルロさんは、
 総額の異なる仮想的なふたつの2封筒ゲーム(G円・2G円ゲームとG円・G/2円ゲーム)を、頻度解釈の母集団に含めてよいと主観的に認めていますよね。
 「一回限り」のどんな試行についてもそれができるはずです。

 いずれにしても、
 「父親の遺産分けだから本番と呼べるのは一度だけ」という意味づけは、その一度に対して確率を認定できるかどうかにとって無関係で、その一度は現実のあるいは仮想的な多数試行の一つにすぎません。
 つまり、「一度しか出来ないゲーム」と私が言ったからといって、モンテカルロさんが
>
> 期待値という発想自体が無意味ですね。
> いや、そもそも確率という発想自体が無意味。
> それじゃ、主観確率論どころかいわゆる確率論の問題点も見出せませんよw
>

 と諦めるのは早すぎるということです。

 さて、
 2封筒問題についてモンテカルロさんは、
「上限じゃないから」得でしょう、と答えましたね。
 つまり、
 頻度解釈に従って実際に多数回試行すれば、上限だった場合にはゲームが成立しないから(交換するはずないから、損失回避できて、他の回に交換した全体の期待値はプラス)、それで辻褄が合う、と。

 しかし、 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3012での私の設問は、上限がプレイヤーに知られていません。
 むろん、何度も何度もやっていれば、「この数より上はどうやら出ないらしい。よし、これが上限だ」とほぼ判断できて、以後はそれが来た時に交換拒否すればよい、とモンテカルロさんは言うのでしょう。
 そうすれば上限でない時の期待値はプラスで当然だと。
 逆に言えば、上限の時も含めて毎回マジメに交換すればプラスマイナスゼロで、常識との辻褄も合うと。

 しかし、その考えは(「上限」に訴えるすべての考えは)、この2封筒問題の趣旨から外れていると思われます。
 上限の推測自体があやふやであるし、
 そもそも「上限」や「確率分布」に訴える解法は、「こういう設定なら損得は生じない、こういう設定なら損得は生じる」と、条件を付けているだけで、解決とは言えないのです。
 むしろ損得を生じる場合と生じない場合との関係が真の問題なのです。
 つまり、
 2封筒問題の不思議さは、冒頭に書いたように、合理的判断の本性に関わるものでしょう。
 「どんな金額を見ようとも、交換の損得が変わるって? どんな金額でもよかったなら、見なくたって事情は同じだろ?」
 という、合理的判断の基準の不可解さによるものです。
 この不可解さがじつは不可解でないことを、常識人にわかるように「説明」しなければならないでしょう。それがパラドクスを解くということだと思います。

 そこで、「上限がわかりそう」だとか瑣末な議論の余地を消すために、
 手もとに来たのが上限かどうか原理的にわからない設定として、設問を次のようにしてみましょう。(もともとの形の2封筒問題が「ランダムな金額ペア」でしたから、上限の推測なんかできるはずがないのですが、そこをハッキリさせる設問です)。

 ◆
 父親Aは大富豪であり、銀行が永遠に続いて利子が増え続けるという前提のもとに、いかなる自然数を指定されても、その額の金を供給する用意があります。
 ただし、無限円は用意できないので、有限の選択肢に限定します。


サイコロとコインと電卓やら新聞記事やらを組み合わせて、Aはランダムに自然数を特定します。(自然数全体からのランダムな選択は不可能、という反論は無効です。結果として選ばれる自然数どうしの範囲で一様分布が成り立てばよいので。ともあれ、自分の意思でなく偶然の力で自然数を一つ選ぶことは、私たちが日常的に行ないうることです)
 特定した数をXとして、2のX乗円、2のX+1乗円の小切手を各々見分けのつかない封筒に入れます。
 (金額が大きすぎると非現実的だという懸念は的外れですが、気になる場合は、実際に受け取る金額は封筒の中身の数字そのままではなく、比率(2:1)は変えずにそのつど規格化を施した金額にする、とでも考えて下さい)
 息子B、Cは、選ばれた金額は知りませんが、選択の仕組みは知らされています(つまり、一定の上限がなかったということを知っています)。
 息子Bが右の封筒を選び、息子Cが左の封筒を取りました。
 Bは、自分の封筒の中にG円が入っているのを見ました。
 さて、Bから見て、交換は得か?
 Cから見て、交換は得か?
 ◆

 このゲームは、何度繰り返しても上限は推測できません(自然数のランダム生成の方法さえも毎回変えるとしてもよいでしょう)。
 総額が一定範囲に限定されていませんから、何回やっても上限は推測不能です。

 このゲームでは、上限はないが、無限大は現われません。
 このゲームを、B、Cは実際には一度だけプレイしたとします。
 あるいは何度もやってよいが、「本番」は一度だけだとします。

 すると、Bにとって、
 金額を見ない時には交換は損得ナシ
 なぜなら、(X円、2X円)と(2X円、X円)が各1/2だから。
 金額を見たとたん、それがいくらであろうと、交換が得になる。
 なぜなら、(G円、2G円)と(G円、G/2円)が各1/2だから。
 Cにとっても同様。(Gを他の金額に変えて)……

 ……というのが主観確率の立場からは正当化されるように「思われる」が、
 ① この判断は主観確率的に本当に正当化されるのか?
 ② 正当化されるとしたら、「金額を見ても見なくても同じ」という直観との対立をどう説明するのか?
 ③ それとも主観確率という確率解釈に問題があるのか?

……
 今度の問題は、「上限の推測」によって期待値を調整できる可能性がありません。
 よって、一回ごとの「交換が得」という判断が全回交換を帰結し、期待値は損得ナシになるはずです。
 ただし、何度試行してもよいが、交換の損得が問われているのは特定のただ1回の試行についてです。

 ……依然として単純なゲームとはいえ、
 モンテカルロさんはパラドクスが嫌いのようですから、
 あえて回答を要求はしません。気が向いたら御教示下さい。


Re: eggman氏の論理の誤り 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月17日(水)08時33分26秒

> No.3021[元記事へ]

eggmanさんへのお返事です。

> >確率の正しさを検証する場合には
> >頻度によらざるを得ませんよ。
>
> これはどうなんでしょうね。

どうなんでしょう、とは、どういう意味でしょうか?

> 例えば、モンティホール問題等におけるベイズ解の正しさを
> シミュレーションで検証した例がありますが、

モンティホール問題では確率分布が決まってますよ。

> シミュレーションで求まるのは頻度確率であり、Bayesianは納得しますかね?

なぜ、Bayesianが、自分の主張と合致する結果を否定すると考えるのですか?



Re: eggman氏の論理の誤り 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月17日(水)08時24分46秒

> No.3020[元記事へ]

eggmanさんへのお返事です。

> 例としてjoushikijinz氏の以下の結論を繰り返したようなものですな。

例ではありませんよ。一般的な計算式ですから。

例という言葉の意味を御存知ですか?

> >オイラーには、現在の高校生の物理の知識はなかったんでしょうw
>
> いえあの、当時すでに知られていたニュートンの万有引力の法則の知識があれば
> ということです。

ニュートンは知ってたでしょうが、オイラーは知らなかったんでしょう。

別に珍しくないですよ。今の数学者も物理には疎い人多いですし。

> まあ、オイラーは万有引力の法則を信じなかったんでしょうね。

知らなかったんでしょう。

> でも、地殻の内側に人が立ったり建物があったりというと、
>どんな引力を想定していたのかは気になりますが。

物理学者じゃないから、考えてなかったんでしょう。

まあ、ガウスなら物理も理解してたし計算したでしょうが。
彼は、ヘーゲルの「惑星は地球以外には5つしかない」とかいう
珍奇な証明を、新しい小惑星の発見でブッ潰したそうですから。


Re: eggman氏の論理の誤り 投稿者:eggman 投稿日:2011年 8月17日(水)07時40分30秒

> No.3020[元記事へ]

そうそうもう一つ

>というよりも、確率の正しさを検証する場合には
>頻度によらざるを得ませんよ。

これはどうなんでしょうね。
例えば、モンティホール問題等におけるベイズ解の正しさを
シミュレーションで検証した例がありますが、
シミュレーションで求まるのは頻度確率であり、Bayesianは納得しますかね?




Re: eggman氏の論理の誤り 投稿者:eggman 投稿日:2011年 8月17日(水)07時32分24秒

> No.3018[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

>私に課された問いは
>「確率分布が分かっている場合には、
> 多数回繰り返した場合、
> 封筒内の数によって損得が生じる
> 可能性はもちろんあります。」
>の理由の説明ですから、これで回答になっています。

例としてjoushikijinz氏の以下の結論を繰り返したようなものですな。
まあ、了解しました。

>結局、の組み合わせで2封筒に入れた確率y(a)(場合1)がの組み合わせで2封筒に入れた確率y(a/n)(場合2)のn分の一よりも大きいならば封筒を交換したほうが得ということになる。



>オイラーには、現在の高校生の物理の知識はなかったんでしょうw

いえあの、当時すでに知られていたニュートンの万有引力の法則の知識があれば
ということです。
まあ、オイラーは万有引力の法則を信じなかったんでしょうね。
でも、地殻の内側に人が立ったり建物があったりというと、どんな引力を想定していたのかは気になりますが。

あ、別に言い掛かりでも何でもないです。あまり被害妄想にならないでくださいね。ww




φ氏がパラドックスの真の原因に迫れなかったわけ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月17日(水)06時43分31秒

率直にいえば、
「一様分布に固執し、他の分布による計算を一切行わなかった為」
でしょう。

他の分布による計算を行わなかった理由が、単に怠慢のためなのか
それとも数学が苦手で計算できなかったためなのかは追及しませんが。

パラドックスの原因は、主観確率論にあるわけではなく、単に、
胴元が一回の試行で金を払う期待値が無限になること
にあります。

プレイヤーが胴元の支払額を推測する際、
上記のような不適切な性質をもつ(主観)確率分布
を設定した場合にはおかしくなるということです。


Re: eggman氏の論理の誤り 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月17日(水)06時34分45秒

> No.3017[元記事へ]

eggmanさんへのお返事です。

> >(a*p(a) - a/2*p(a/2))/(p(a) + p(a/2))
>
> なるほど。
> え、それじゃjoushikijinz氏と同じで、
> 何も答えになっていないような・・・

問いが違います。

私に課された問いは
「確率分布が分かっている場合には、
 多数回繰り返した場合、
 封筒内の数によって損得が生じる
 可能性はもちろんあります。」
の理由の説明ですから、これで回答になっています。
答えの内容が常識人Zと同じでも構いません。
彼はこの点では数学的に正しいことをいっていますよ。
少なくともわけもわからず幾何平均とか言い出す人よりは
全然マシでしょう。

> >見た目で分からなくても、多数回振ってみれば
> >確率分布を推測することはできます。
> >仕方ないということはありませんよ。
>
> なるほど、モンテカルロ さんて、純粋なFrequentistだったんですね。

というよりも、確率の正しさを検証する場合には
頻度によらざるを得ませんよ。
他に検証の方法がありますか?ないでしょう。

> それで、Bayesian的な考えを忌み嫌うわけですな。

別に忌み嫌ってないですよ。
水を向けてあげたじゃないですか。
財産分布の確率分布を定義したらどうですか、と

あのとき私は一切「客観確率」とはいいませんでしたよ。
つまり全く主観的な「こんなんじゃないか?」という
推測でいいというつもりだったわけです。

しかし、あなたはそうしなかった。
あなたは主観確率を避けたわけです。

つまり、「Bayesian的な考えを忌み嫌う」のは
eggman氏、あなたなんですよ。

> しかし、「多数回振ってみれば」と言われたBayesianはたまりませんな。

そもそもBayesianの立場に立ってるというのなら、
「いくら得するか損するか」という客観的な結果を問うのではなく
「いくら得するか損するか、とプレイヤーは考えるか」という
主観的な結果を問うべきでしょう。

> なお、どうでもいいことですが
>
> >正しい答えを出したのは、オイラーでした。
>
> オイラーって、地球空洞説を信じていたんですよね。

だから?数学者が恒に正しいというのは全くの誤りですよ。

> 現在の高校生程度の物理・数学の知識があれば
> 仮に、地球の内部に空洞があれば、そこはどこをとっても
> 無重力だということが計算でわかります。

オイラーには、現在の高校生の物理の知識はなかったんでしょうw

> ましてや、中心に小太陽なんてあれば、皆そこに落ちてしまいます。
> オイラーのような数学の天才なら、瞬時に計算できるはずなのに
> 何ででしょうね?

数学の天才だからといって物理の天才とは限りませんよ。

なんかとってもつまらない言い掛かりですね。


Re: eggman氏の論理の誤り 投稿者:eggman 投稿日:2011年 8月16日(火)21時53分22秒

> No.3015[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

>確かに、分母を書くのを忘れてたな。

>で、交換による損得の期待値は
>元のa円からのプラスマイナスで計算するから、
>正しくは

>(a*p(a) - a/2*p(a/2))/(p(a) + p(a/2))

>のはず。


なるほど。
え、それじゃjoushikijinz氏と同じで、
何も答えになっていないような・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以下、蛇足です。

>見た目で分からなくても、多数回振ってみれば
>確率分布を推測することはできます。
>仕方ないということはありませんよ。

なるほど、モンテカルロ さんて、純粋なFrequentistだったんですね。
それで、Bayesian的な考えを忌み嫌うわけですな。
しかし、「多数回振ってみれば」と言われたBayesianはたまりませんな。

なお、どうでもいいことですが

>正しい答えを出したのは、オイラーでした。

オイラーって、地球空洞説を信じていたんですよね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E7%A9%BA%E6%B4%9E%E8%AA%AC

現在の高校生程度の物理・数学の知識があれば
仮に、地球の内部に空洞があれば、そこはどこをとっても無重力だということが計算でわかります。
ましてや、中心に小太陽なんてあれば、皆そこに落ちてしまいます。
オイラーのような数学の天才なら、瞬時に計算できるはずなのに
何ででしょうね?



Re: φ氏へ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月16日(火)20時47分10秒

> No.3012[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> モンテカルロさんの立場は、主観確率という確率解釈に沿っていないようですね。

いいえ。沿っていないのはφさんの立場ですよ。

>  確率分布がわかっていない場合には主観確率は適用できない、というのは初耳です。
>  そのことは、たとえばどの文献に書かれていますか?

逆にお尋ねします。
主観確率の計算式は御存知ですか?
確率分布を使わずに計算できますか?
できるとしてどの文献にその公式が書かれていますか。

> たとえば、デコボコでどう見ても目の出方が一様とは思えない
> サイコロがあったとして、見た目では確率分布が全くわからない場合、
> 仕方なくそれぞれの目が1/6とすべきです。

見た目で分からなくても、多数回振ってみれば
確率分布を推測することはできます。
仕方ないということはありませんよ。

> 3つの扉のうちただひとつにすでに賞金が置かれてしまった
> (つまり大いに偏っている)が、確率分布が不明な場合、
> 各扉が当たりである確率は1/3とすべきです。

扉の裏に書かれているのなら表からは見えません。
実際、どの扉の裏に書かれているか多数回聞いてみれば
確率分布を推測することはできます。
仕方ないということはありませんよ。

> ↑それとも、このような場合は
>「確率分布がわかっている場合」
>にあたるのでしょうか?

今私が申した方法で確率分布は大体わかります。
したがって分かっていないというのは誤りです。

>  医療などに関わる問題では「判断保留」(主観確率は適用しない)もありでしょうが、
>  パラドクスを論ずる場合(とくに主観確率論に試練を与える思考実験の場合は)、
>「判断を下せない」という選択肢はないものとするので、
>とにかく主観確率を適用しなければなりません。

「とにかく」という態度が間違っています。
判断を下せないものは下せないのです。
特に、数学的にありえない確率分布を前提するならなおさらです。

>  確率解釈としての主観確率とは「無知の度合」ですから、
>  かりに客観的には一様分布でないとわかっている場合であっても、
> どの確率分布なのかさっぱり選びようがない時には、すべての分布を平均して
>(という表現が妥当かどうかわかりませんが、上のサイコロや扉の場合はそれです)
>、一様分布という前提に従うのが主観確率の立場でしょう。

全く違います。
そもそも全ての分布を平均することなどできませんし、
その意味で一様分布を選択するなど言語道断ですよ。

>  たとえばラプラスは、
>「裏表の出方に偏りがあるとだけわかっているコイン」
>を一度だけ投げて表が出る確率は、1/2だと断定しています。

ラプラスは間違ってます。
数学者が数学で間違うことなどザラにありますよ。
昔、-1の対数についてライプニッツとヨハン・ベルヌーイが
論争したことがありましたが、どちらも間違ってました。
正しい答えを出したのは、オイラーでした。

>  ちなみに、ラプラスの決定論的世界観では、
>  コインが偏っていようとフェアであろうと、
> 客観確率はどの出来事についても1と0しかないので、
> 仮説を立てて予測をするさいに使い物にならない
> という動機は理解しやすいですが、
>  非決定論的世界でも、過去の出来事については
> 同様のことが言えるし、未来の出来事も、
> 結果としては一義的に決まるのだから
> 結局は客観確率は0か1だろう、
> という言い分が合理的に成り立ちえます。

確率というのは多数の同様の事象についての結果の割合ですから、
決定的であろうが非決定的であろうが、同様の事象が多数あるなら
0でも1でもない客観確率はありえます。

もちろん、2つの事象に対してなんら共通性を認めないのであれば
全ての事象は1つきりですから確率は0か1かしかありませんが。

>  そこで、過去・未来どんな出来事についても
> 1と0以外の確率を許容する(最も自然な)確率解釈といえば、
> 主観確率ということになるわけです。

それは誤りでしょう。あくまで事象の同等性をどう考えるかの問題であって
いったん同等だと認めてしまえば、客観確率でも0、1以外の場合はありえます。
コインの確率はそういうものです。コインを投げる動作のいちいちを区別しますか?w

> (主観解釈といってももちろんいわゆる「心理的確率」のことではなく、
> 確率論の公理を満たすような、数学的に無矛盾な概念であることは
> 言うまでもありません)

数学を分かってない人に限って、「数学的に無矛盾」という言葉を
まるでそれさえ唱えれば何の問題もなくなるおまじないのように
考えているようですが、全然そんなことはありませんよ。

>  というわけで、
>
> > 1.一様分布を前提する理由がない。
> > 2.正の自然数全体に対して一様分布を設定できない。
>
>  1.については、「客観的に一様分布は無理だろう」と言い続ける
> モンテカルロさんの本当の立場は「確率を無知の度合と捉える主観確率論に反対」
> ということのようですね。

いいえ。
「客観的に一様分布は無理だろう」というのは2.の話ですから。

単に一様分布を特別なものと見なす理由がない、という意味です。
もちろん、認知バイアスとして何でもかんでも一様分布と考えたがる
傾向があるのは知っていますよ。しかしそれは主観確率じゃないでしょうw

>  http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2981 付近からもそれは読み取れます。
>  つまりモンテカルロさんは、主観確率という概念装置が世界を理解する枠組みにはなりえない、とし、2封筒問題に対して「主観確率の枠組みに問題アリ」という解決法をとっているのだと思われます。

全然ちがいますよ。

財産の総額に関して、何回も試行できるのであれば、構いませんよ。
しかし、そうではないんでしょう?一回こっきりなんでしょう?
だったら、可能性がどうこういう話はないってことですよ。

>  しかし、そんな簡単なことでは面白くないので、
>(主観確率の整合性を探ることを最初から諦めた最も安易な解決法ですし)
>  もうちょっと議論していただくために、「客観的に」一様分布であると
> わかっている設定を私は提示したのです。

「客観的に」一様分布だというなら、φ氏のいう
「全く客観性のない」という意味の主観確率じゃない
じゃないですか。

客観的には分からないことに対して、
勝手に「客観的に」一様分布だと
言い切るのは誤りなんですよ。

>  そこで2.ですが、

> > 確率評価をサボるために「一様分布」というんでしょうが
> > その範囲が0から無限大までというんじゃ、数学的にはダメなんですよ。
>
>  無限大まで、などとは誰も想定していません。

なら上限が存在しますね?しなければおかしいでしょう。

>  選択肢は有限でかまいません。有限でも、「完全な無知」は設定できますから。

それでは分布を完全に明らかにしたことにはならないでしょう。
つまり、上限の確率分布、という新たな問題が発生します。

> > 範囲を限定すれば、必ず上限が生じますよ。
> > 範囲を知っているということは、上限を知っているということです。
> > 当然2Gはないと分かれば交換はしないわけです。
> > そこで多大な損失を免れるというわけですよ。
>
>  どうして「上限を知っている」という設定にするのでしょう?

どうして上限を教えずに、全ての情報を明らかにしたというんですか?

>  その設定ならパラドクスは生じにくくなるかもしれませんが、

というより、生じませんが。

>そんな設定にする必要はないでしょう。

パラドックスではない、というには、その必要があります。
別に私はパラドックスを無闇に発生させて喜ぶ趣味はないので。

むしろ、φ氏がパラドックスを発生させたいために
上限を隠す必要があるのでしょう?

>  やはりモンテカルロさんは、パラドクスを生じる設定を避けて、
> 考察を逃れようとしているとしか考えられません。

避けているわけではありませんよ。

上限を設定すれば問題ないだろう、といったのはφ氏です。
だから、その場合、当然上限を推測する問題が出るだろうと
いったまでです。

φ氏はいったい何をどう考察したいのでしょうか?
何が何でもパラドックスを守りたがってるとしか思えません。

>  では、改めて、 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2994 で提示した2封筒問題を、
>  暗黙の了解の余地をすべて明示的にして、問題をもう一度書いてみましょう。
>  (この問題に対して、まだモンテカルロさんはまだきちんと答えてくれていないので)

答えないのが正解という場合もありますが。
(何が何でも然りか否で答えなければいけないという人は
 強迫神経症に罹っていると思ったほうがいい)

>  上限がわかっていても同じことなのですが
>(手もとに来た金額が上限から離れていて、
>一様分布の範囲内に入っていれば十分です)、

つねに上限から離れているという保証はないでしょう。
一様分布なんだから上限に近づく場合もある。

>  念のため、上限がわからない設定にしてみましょう。

というより、φ氏のパラドックス死守の立場からは
そうせざるを得ないと思いますが。
(なんでそんなにパラドックスを守りたいのかわかりませんが)

>  ◆
>  父親Aは大富豪であり、遺産がいくらであるかはわかりません。少なくとも2の100乗円を超えていることはわかっています。

2^64くらいでも相当な額ですけどね。

>  その遺産のうちから、1円と2円、2円と4円、4円と8円、……、2のN-1乗円と2のN乗円というN個の組み合わせを父親は床に並べて、コインやサイコロを投げて全くランダムにペアを決定しました。(父親が息子には知られざる思惑で意図的にひとつ選んだというのでもOKですが、まあ、ランダム性を客観的にみせるためにサイコロか何かで決めたとしておきましょう)。そのペアの各々が各一つの封筒に入れられます。
>  息子B、Cもそれを知らされています。Nの値は有限であるということしか知らされていません。つまり上限を知りません。
>  見分けのつかない封筒からひとつ選ぶように言われ、Bは右の封筒、Cは左の封筒を選びました。
>  息子Bは、中に2の50乗円が入っているのを見ます。これをG円と書きましょう。
>  さて、Bから見て、交換は得か?

上限じゃないから得でしょうw

もっとも、2^100乗だったらなんともいえませんがね。上限だったら得しないし。

で、この件については、お金持ちが沢山いて、何百回何千回と試行できるんですか?
期待値というからには、そうでないと意味がないんですが。

>  ともあれ、ただ一人の父親からの遺産相続ですから、一度しか出来ないゲームです。
>  一度しかできないということはこのゲームの定義(ルール)としておきましょう。

なら期待値という発想自体が無意味ですね。
いや、そもそも確率という発想自体が無意味。

それじゃ、主観確率論どころかいわゆる確率論の問題点も見出せませんよw

>  すると、
>  金額を見ない時には交換は損得ナシ
>  なぜなら、(X円、2X円)と(2X円、X円)だから。
>  金額を見たとたん、それがいくらであろうと、交換が得になる。
>  なぜなら、(G円、2G円)と(G円、1/2G円)だから。……
>
>  ……というのが主観確率の立場からは正当化されるように「思われる」が、
>  この判断は主観確率的に本当に正当化されるのか?
>  正当化されるとしたら、直観との対立をどう説明するのか?
>  それとも主観確率という確率解釈に問題があるのか?

そもそも、1回こっきりでは期待値という考えが正当化されません。

なぜなら、期待値というのはそれこそ何回でも試行でき
得失の平均がとれるという考えの上でのものだからです。

こんなことは高校で確率を学んだら誰でも理解してると思っていたんですが

>  モンテカルロさんのアンチ主観確率の立場では
>
> > もし繰り返せるのであれば、当然財産総額についての確率分布が明らかになる
> > でしょう。
> > もし繰り返せない、一回のみのものだというのであれば、
> > 財産総額についての確率分布を云々するのはおかしなことです。
>
>  ということなので、

いや、上ではもっと強いことを言いましたよ。
そもそも一回こっきりなら期待値が意味がないといいました。
よく覚えておいてください。

>  主観確率という確率解釈がおかしい、で終わってしまいそうですね。

そもそも確率論自体が無意味になる、で終わるでしょうね。

>このゲームでは確率は論じてはいけない、と。

論じてはいけない、というより論じる意味がない、というのが正しいですね。

>  しかし一度限りのことにも期待値が計算でき、
>行動の指針にできるのは事実です。
>(それができない人は人生損するでしょう)

計算するのは勝手ですが、正しいという保証はありませんよ。
だから得をするとか損をするとか論じることもできない。

得をするとか損をするとかいえるのは、同様の場合が多数あって
確率論による評価が可能だからです。

>  「一回限りの出来事(確定した出来事)についても確率分布は考えられる」
>という立場でお考えいただき、お答えいただければ幸いです。

考えるのは勝手ですが、正しいとも間違ってるとも検証できませんよ。

なぜそんなことに血眼になってるんですか?暇なんですか?


Re: eggman氏の論理の誤り 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月16日(火)19時48分36秒

> No.3014[元記事へ]

eggmanさんへのお返事です。

> p(a)を、(a,2a)が選ばれる確率
> p(a/2)を、(a/2,a)が選ばれる確率
> とすると、
> 封筒の中身がaであった場合に、封筒を取り替えて得られる期待値は、
> a(2p(a) + p(a/2)/2)/(p(a) + p(a/2))
> になると思っていたのですが。

確かに、分母を書くのを忘れてたな。

で、交換による損得の期待値は
元のa円からのプラスマイナスで計算するから、
正しくは

(a*p(a) - a/2*p(a/2))/(p(a) + p(a/2))

のはず。


Re: eggman氏の論理の誤り 投稿者:eggman 投稿日:2011年 8月16日(火)18時44分13秒

> No.3011[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

お取り込み中失礼します。

> > 本来最初にすべきだった私の質問は、
> > 「確率分布が分かっている場合」
> > であれば、
> > 何故、「多数回繰り返した場合、封筒内の数によって損得が生じる可能性はもちろんあります。」
> > なのでしょうか?というものです。
>
>  損得の期待値は
>  a*p(a)-a/2*p(a/2)
>  (p(a):(a,2a)が選ばれる確率
>   p(a/2):(a/2,a)が選ばれる確率)
>  となるからです。


その期待値計算はどのような根拠に基づくものでしょうか?
p(a)を、(a,2a)が選ばれる確率
p(a/2)を、(a/2,a)が選ばれる確率
とすると、
封筒の中身がaであった場合に、封筒を取り替えて得られる期待値は、
a(2p(a) + p(a/2)/2)/(p(a) + p(a/2))
になると思っていたのですが。



Re: φ氏へ 投稿者:φ 投稿日:2011年 8月16日(火)18時37分34秒

先ほどの2封筒問題、
上限だけでなく下限もわからない設定にした方が完璧でしたね。

でもまあ、趣旨に影響ないので、先ほどの問題でお願いします。


Re: φ氏へ 投稿者:φ 投稿日:2011年 8月16日(火)18時25分14秒

> No.3010[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。



モンテカルロさんの立場は、主観確率という確率解釈に沿っていないようですね。

>
>   ベイズ的な主観確率は、財産やらカードのペアやらの確率分布が
>   分かっている場合にのみ通用するのであって、不明の場合には
>   適用のしようがない。これは主観確率論の欠陥ではない。
>

 確率分布がわかっていない場合には主観確率は適用できない、というのは初耳です。
 そのことは、たとえばどの文献に書かれていますか?

 たとえば、デコボコでどう見ても目の出方が一様とは思えないサイコロがあったとして、見た目では確率分布が全くわからない場合、仕方なくそれぞれの目が1/6とすべきです。


3つの扉のうちただひとつにすでに賞金が置かれてしまった(つまり大いに偏っている)が、確率分布が不明な場合、各扉が当たりである確率は1/3とすべきです。
  ↑それとも、このような場合は「確率分布がわかっている場合」にあたるのでしょうか?

 医療などに関わる問題では「判断保留」(主観確率は適用しない)もありでしょうが、
 パラドクスを論ずる場合(とくに主観確率論に試練を与える思考実験の場合は)、「判断を下せない」という選択肢はないものとするので、とにかく主観確率を適用しなければなりません。

 確率解釈としての主観確率とは「無知の度合」ですから、
 かりに客観的には一様分布でないとわかっている場合であっても、どの確率分布なのかさっぱり選びようがない時には、すべての分布を平均して(という表現が妥当かどうかわかりませんが、上のサイコロや扉の場合はそれです)、一様分布という前提に従うのが主観確率の立場でしょう。
 たとえばラプラスは、「裏表の出方に偏りがあるとだけわかっているコイン」を一度だけ投げて表が出る確率は、1/2だと断定しています。

 ちなみに、ラプラスの決定論的世界観では、
 コインが偏っていようとフェアであろうと、客観確率はどの出来事についても1と0しかないので、仮説を立てて予測をするさいに使い物にならないという動機は理解しやすいですが、
 非決定論的世界でも、過去の出来事については同様のことが言えるし、未来の出来事も、結果としては一義的に決まるのだから結局は客観確率は0か1だろう、という言い分が合理的に成り立ちえます。

 そこで、過去・未来どんな出来事についても1と0以外の確率を許容する(最も自然な)確率解釈といえば、主観確率ということになるわけです。
 (主観解釈といってももちろんいわゆる「心理的確率」のことではなく、確率論の公理を満たすような、数学的に無矛盾な概念であることは言うまでもありません)

 というわけで、

>
> 1.一様分布を前提する理由がない。
> 2.正の自然数全体に対して一様分布を設定できない。
>

 1.については、「客観的に一様分布は無理だろう」と言い続けるモンテカルロさんの本当の立場は「確率を無知の度合と捉える主観確率論に反対」ということのようですね。
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2981 付近からもそれは読み取れます。
 つまりモンテカルロさんは、主観確率という概念装置が世界を理解する枠組みにはなりえない、とし、2封筒問題に対して「主観確率の枠組みに問題アリ」という解決法をとっているのだと思われます。
 しかし、そんな簡単なことでは面白くないので、(主観確率の整合性を探ることを最初から諦めた最も安易な解決法ですし)
 もうちょっと議論していただくために、「客観的に」一様分布であるとわかっている設定を私は提示したのです。

 そこで2.ですが、

>
> 確率評価をサボるために「一様分布」というんでしょうが
> その範囲が0から無限大までというんじゃ、数学的にはダメなんですよ。
>

 無限大まで、などとは誰も想定していません。
 選択肢は有限でかまいません。有限でも、「完全な無知」は設定できますから。

>
> 範囲を限定すれば、必ず上限が生じますよ。
> 範囲を知っているということは、上限を知っているということです。
> 当然2Gはないと分かれば交換はしないわけです。
> そこで多大な損失を免れるというわけですよ。
>

 どうして「上限を知っている」という設定にするのでしょう?
 その設定ならパラドクスは生じにくくなるかもしれませんが、そんな設定にする必要はないでしょう。
 やはりモンテカルロさんは、パラドクスを生じる設定を避けて、考察を逃れようとしているとしか考えられません。

 では、改めて、 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2994 で提示した2封筒問題を、
 暗黙の了解の余地をすべて明示的にして、問題をもう一度書いてみましょう。
 (この問題に対して、まだモンテカルロさんはまだきちんと答えてくれていないので)

 上限がわかっていても同じことなのですが(手もとに来た金額が上限から離れていて、一様分布の範囲内に入っていれば十分です)、
 念のため、上限がわからない設定にしてみましょう。

 ◆
 父親Aは大富豪であり、遺産がいくらであるかはわかりません。少なくとも2の100乗円を超えていることはわかっています。
 その遺産のうちから、1円と2円、2円と4円、4円と8円、……、2のN-1乗円と2のN乗円というN個の組み合わせを父親は床に並べて、コインやサイコロを投げて全くランダムにペアを決定しました。(父親が息子には知られざる思惑で意図的にひとつ選んだというのでもOKですが、まあ、ランダム性を客観的にみせるためにサイコロか何かで決めたとしておきましょう)。そのペアの各々が各一つの封筒に入れられます。
 息子B、Cもそれを知らされています。Nの値は有限であるということしか知らされていません。つまり上限を知りません。
 見分けのつかない封筒からひとつ選ぶように言われ、Bは右の封筒、Cは左の封筒を選びました。
 息子Bは、中に2の50乗円が入っているのを見ます。これをG円と書きましょう。
 さて、Bから見て、交換は得か?

 ………………
 瑣末な注釈を二つ。
 残りの遺産が気になるなら、息子以外のどこかへ寄附するとして下さい。


2の50乗円は莫大だから交換せずとも得、というような考えはもちろんここでは的外れです。
 ………………
 ◆

 ともあれ、ただ一人の父親からの遺産相続ですから、一度しか出来ないゲームです。
 一度しかできないということはこのゲームの定義(ルール)としておきましょう。
 すると、
 金額を見ない時には交換は損得ナシ
 なぜなら、(X円、2X円)と(2X円、X円)だから。
 金額を見たとたん、それがいくらであろうと、交換が得になる。
 なぜなら、(G円、2G円)と(G円、1/2G円)だから。……

 ……というのが主観確率の立場からは正当化されるように「思われる」が、
 この判断は主観確率的に本当に正当化されるのか?
 正当化されるとしたら、直観との対立をどう説明するのか?
 それとも主観確率という確率解釈に問題があるのか?

……
 モンテカルロさんのアンチ主観確率の立場では

>
> もし繰り返せるのであれば、当然財産総額についての確率分布が明らかになる
> でしょう。
> もし繰り返せない、一回のみのものだというのであれば、
> 財産総額についての確率分布を云々するのはおかしなことです。
>

 ということなので、
 主観確率という確率解釈がおかしい、で終わってしまいそうですね。このゲームでは確率は論じてはいけない、と。
 しかし一度限りのことにも期待値が計算でき、行動の指針にできるのは事実です。(それができない人は人生損するでしょう)
 「一回限りの出来事(確定した出来事)についても確率分布は考えられる」という立場でお考えいただき、お答えいただければ幸いです。

Re: eggman氏の論理の誤り 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月16日(火)09時40分24秒

> No.3004[元記事へ]

eggmanさんへのお返事です。

> 本来最初にすべきだった私の質問は、
> 「確率分布が分かっている場合」
> であれば、
> 何故、「多数回繰り返した場合、封筒内の数によって損得が生じる可能性はもちろんあります。」
> なのでしょうか?というものです。

 損得の期待値は
 a*p(a)-a/2*p(a/2)
 (p(a):(a,2a)が選ばれる確率
  p(a/2):(a/2,a)が選ばれる確率)
 となるからです。

> これに対して、モンテカルロさんは当然以下のように答えると思い込んでしまいました。
> 『もちろんいくらでもありますよ。例えば・・・や・・・・や・・・・という確率分布を仮定すれば、多数回繰り返した場合、封筒内の数によって損得が生じますよ。』
> 上の私の質問に対しては違う答えが返ってきたのでしょうか?

 ええ。




φ氏へ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月16日(火)09時27分6秒

> > 選んだのは封筒であって、財産総額ではありません。
> > 封筒の中身の金額を見ただけで、選んだものが財産総額に変わる
> > という発想が間違っているのです。
>
>  ↑ちょっと意味が不明ですが……。

それは自らベイズ確率の計算をしていないからではないですか?
一度でいいから自分で計算してみてください。

> > そもそも、確率が半々だといえるのは、総額が不変だからであって
> > 総額が変化してしまうのであればその前提は崩れるわけです。
> >
>
>  ではモンテカルロさんにお聞きします。
>  「総額が不変」と言われますが、そもそも中身を見る前、
> (X円、2X円)と(2X円、X円)の二通りの場合からして、
> 総額を不変に保っていませんね。Xは変数でしたから。

えっ?何言ってるんですか!
総額は不変でしょう。Xが幾つであれどちらも3Xなんですから。

「高い方か低い方かは半々だ」という主張は
すでにペアを1つ選んだ後の話ですよ。
ペアを選んだ時点でXは決まってるでしょう。

なんで順番を考えないんですか?

>  始めから総額が不変でなかった推定が、
> 中身を見てこちらの手もと(G)だけでも決定したわけですから、
> そのぶんだけ総額はより不変に近づいたのではありませんか?

いいえ。総額は3Gと3/2Gの二通り考えられますよね。

つまり、そのままでは
「総額が決まったとして、高い方か低い方かは半々だ」
とはいえない。当然
「3Gか3/2Gか」
という確率評価の問題がおきる。

ここで、確率評価をサボるために「一様分布」というんでしょうが
その範囲が0から無限大までというんじゃ、数学的にはダメなんですよ。

ベイズ確率を扱うなら、そこをサボるのは諦めるしかない。
逆にサボるのなら、ベイズ確率云々の話は諦めてほしい。
そういうことですよ。

>  (X円、2X円)と(2X円、X円)の二通りにおいて、
> Xもしくは2X(確率それぞれ1/2)がGだとわかったとき、
> 相手の金額は2GもしくはG/2(確率それぞれ1/2)というのは、
> ごく自然な計算だと思われます。

ごく自然な”間違い”ですけどね。

>  相手の金額が2XもしくはX(確率それぞれ1/2)→2GもしくはG/2(確率それぞれ1/2)。
>
>  ↑確かに、こう考えることからパラドクスが生じてしまうわけですが、
>  ↑こう考えてはいけない数学的理由は何なのでしょうか? それを知りたいのです。

1.一様分布を前提する理由がない。
2.正の自然数全体に対して一様分布を設定できない。

2は
「いかなる正の実数pも、ある自然数nによってnp>1となる」
という”アルキメデス性”によるものです。

>  ただし、(G円、2G円)と(G円、1/2G円)
>  は、どちらも、胴元が選ぶ一様分布の選択の範囲内にあるとして下さい。
>  そして、プレイヤーはそのことを知らされているとします。

範囲を限定すれば、必ず上限が生じますよ。
範囲を知っているということは、上限を知っているということです。
当然2Gはないと分かれば交換はしないわけです。
そこで多大な損失を免れるというわけですよ。

>  ↑「そんなことは知らないはずだ」などと言わず、
> パラドクスを論ずるための設定ですから、
> この条件のもとでよろしくお願いします。

上記の通り、プレイヤーが上限を知っているのなら、
交換によって確実に損失する唯一の危険を避けられるので
何回もやれば当然儲けられます。
パラドックスでもなんでもないでしょう。
こんな自明な条件でいいんですか?w


パラドックスの考察において、一様分布への固執は無用 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月16日(火)09時07分56秒

> No.3008[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> 「何もわからない」というのを勘違いされている節があります。
>  単に「ランダム」という意味なんですけれどね。

またしても、SumioBaba氏の"ユニタリ性"の定義のような発言ですね。

「何も分からない」と「ランダム」は異なります。
ランダムであるならはっきりそういえばいい

>  「ランダム」であれば、一様分布ですよね。
>  ランダム性は、標準的な2封筒問題の骨子を成しています。

そもそも、一様分布だと決め付ける根拠が皆無ですが・・・

ちなみに、正の自然数全体に対する一様分布は数学的には不可能です。

つまり、任意の正の自然数に同じある確率pを与え
全体を足し合わせた場合に1となるようにはできません。

なぜなら、いかなる確率pも0でない限り
ある自然数nが存在してnp>1となるからです。

> (ちなみに、一回限りのゲームと定められていれば、
> 一様分布はトリビアルな意味で自動的に満たされますね)

いいえ。それこそ認知バイアスでしょう。

>  論理的パラドクスは、物理学のパラドクスや犯罪捜査などと違います。
>  「論者とは独立に生じている事態の奇妙な本性を探究・発見し、記述する」
> のではなく、
>  「奇妙な結果を生み出してしまう事態をいまここで作り出す」
> のです。
>  つまり、可能な事態のうち、
> おかしな帰結をもたらす事態をシミュレーションして、
> 理論の整合性を調べるのが論理的パラドクスの趣旨です。
> 確率のパラドクスもそうですね。

そこは否定していませんよ。

>  「一様分布かどうかわからないから保留にしておけ」というモンテカルロさんや、
>  「父親の意図など息子にわからないはずだから」というeggmanさんは、
>  パラドクス考察を、科学実験や犯罪捜査であるかのように誤解してはいないでしょうか?

そもそも科学実験や犯罪捜査の喩えが理解できないので答えようがありません。

「一様分布かどうかわからない」というのはその通りです。

もし、
「財産の確率分布がいかなる設定である場合にパラドックスとなるか?」
という問いなら、意味があるでしょう。

これについては以前に特殊な状況においては、回答を示しました。

「”父親の意図”云々はこのパラドックスの本質ではないだろう、」
というeggman氏の主張については全く同意します。
この件に関してのみだろうとは思いますが。

> どこかで実際行なわれた特定のゲームについて
> 歴史研究をしているのではありません。

誰も現実の話だとはいっていませんよ。

ところで、φ氏はこの状況が何度でも繰り返せるものだと考えていますか?
もし繰り返せるのであれば、当然財産総額についての確率分布が明らかになる
でしょう。

もし繰り返せない、一回のみのものだというのであれば、
財産総額についての確率分布を云々するのはおかしなことです。

>  主観確率の議論のために
> 最もパラドクス的な可能的状況をこしらえて、
> 同意すればよいだけなのです。

パラドックスが起きる状況を設定するのは構いません。
なしくずし的に「何もわからんから一様分布」とするのは
いただけないといってるだけで、大した話じゃありませんよ。

>  2封筒問題では、パラドクスを論ずる以上、パラドクスを生みやすい設定、
> つまり各金額の確率(少なくとも胴元の選び方)はランダムつまり一様分布
> とすべきであり、問題成立に必要な事柄は息子は知っているとすべきです。

パラドックスを生み出すだけなら別に一様分布に固執する必要はありませんよ。

財産が2倍になった場合の、確率の低下率が1/2より大きくなるような確率分布
なら同様の状況は引き起こせます。

ただし、そのような状況では、財産の期待値は無限大になるので現実的でありませんが。

>  2封筒問題の趣旨はこういうことです。
>  「ベイズ的な主観確率の仮説検定(一番上、★★で挟んだ趣旨、つまり「自己本位の考え」)が、
>  直観に反する結果をもたらしてしまうが、
>  これは主観確率論の欠陥だろうか、それとも合理的な解決があるのだろうか」を探ること。
>  この目的に合うようにシミュレーションしなければなりません。

私の回答は以下の通りです。

1.ベイズ的な主観確率は、財産やらカードのペアやらの確率分布が
  分かっている場合にのみ通用するのであって、不明の場合には
  適用のしようがない。これは主観確率論の欠陥ではない。
  (ちなみに、財産総額もしくはカードのペアが1通りしかなく
   それが分かっているなら、もはや自明な問題である。
   低い方なら交換するといい、高いなら交換しないといえばいい。
   もっとも、相手は必ず逆のことをいうので交換は成立しないが)

2.パラドックスは 財産やらカードのペアやらの確率分布に基づく
  期待値が無限となる場合に起きる。
  逆に有限となる場合には、そのような結果にはならない。
  現実問題として、期待値が無限になるような状況は設定しない
  であろうから、その場合にはパラドックスは起きない。

>  直観に反する結果とは、
> 「封筒の中身を見なくても、かりに◆円というように値を与えることが出来る。
>  だから、中身を見たというだけで期待値が変わるのはおかしい」
> というものです。

φ氏は中身を見たときに、場合わけの確率が変化しないと云っていますが
それは財産の額の確率分布を一様分布としたからであって、そうでない分布
では確率に変化が生じます。

ぶっちゃけていえば、財産の確率分布が不明確な状況において
「確率に変化はない」と思い込みが先にあって、その思い込みを
正当化するために後から「元の財産額の確率分布は一様分布だ」
としているのではないかと、勘ぐっていますが。
(それ故、私としては、そんな後づけの理屈はダメだろうといいたい。)

>  一様分布でないことがわかっているとすると
>(とくに、特定の偏った確率分布がわかっていたりすると)
> 中の金額を見たことによって、期待値が変わるのは当たり前です。
> 情報が増えたので。

一様分布だとわかっている場合と比較するなら情報は増えていませんよ。

「確率が分かっていない」状況を「一様分布だ」とするのは
SumioBaba氏と全く同じ独断である、と私は思いますよ。

>  考察に値するパラドクスにするためには、
>「中身を見ても情報が増えてはいない」
>と感じられる設定にしなければなりません。

>  一様分布にしておけば、封筒の中身を見ようが見まいが、
> 確率は変わらず、従って交換が損得ナシだったのが
> 交換が得となるのは奇妙だ、ということになります。

>  このような「奇妙な設定」に取り組まないと、
> パラドクスを論じたことにならないのです。

正の自然数(あるいは実数)全体に対する一様分布は
数学的には定義できません。これを数学の欠陥という
のであれば、致し方ありませんが、上でも述べたように
パラドックスの真の原因は「期待値が無限になること」
にあると思われます。

>  「一様分布だという決めつけはおかしい」
> と言って議論を避けるのは怠慢でしょう。

議論は避けていませんよ。

むしろ、確率分布を一般化して、パラドックスが起きる場合と
そうでない場合を区別したのだから、そのような言い掛かりは
不当でしょう。

私が異議を唱えるのは
「額面を見ようが見まいが確率に変化はない」
という勝手な思い込みが先にあって、それを正当化する
一様分布をあとから導く方法です。

>一様分布は、議論をするために必要な設定なのです。
>(少なくとも初期設定としては。論証の結果、
>一様分布を否定せざるをえない論理が働けば、
>それはそれで発見となります)

そもそも
「額面を見ようが見まいが確率に変化はない」
というのが正しいとはいえないので、
一様分布が必要だとはいえません。

>  我々が作る設定なのですから、一番奇妙な帰結をもたらす設定にして、
> 主観確率による標準的な推定方法に欠陥があるのかないのか、
> 探らねばなりません。

ぶっちゃけていえば、正の自然数(あるいは実数)全体に対する一様分布が
数学的には定義できないので、数学では扱えないというのも、ありますよ。

そのためにわざわざ苦労して
「減少率を限りなく1に近づけることにより一様分布に近づく確率分布」
を設定して、その上で
「パラドックスが起きる境界点は減少率1/2である」
ということを明らかにしたわけです。
φ氏は全く理解せずに全てドブに投げ捨てたようですが・・・OTL

>  ともあれ、一様分布であることがわかっている設定を作るのは簡単ですから、

選択肢が有限個なら簡単ですが、ナイーブに
「だから、無限個でもOKだよね」
といわれても困りますよ。

>  (手もとに来た金額が一様分布の範囲内に入っていさえすればよいのです。
> 胴元がランダムに選んだというのでもいいし、試行をしてみたらどのペアも
> 同じ頻度で配られたことが確かめられているというのでもいいでしょう)

上限の取り扱いがありますがね。
いかに確率が低くとも、そこでの損失が絶大なので
全体としては無視ができません。

>  一様分布のパラドクス的設定を試みようとしないのは、
> パラドクス解決に興味がないのだと思われてもしかたありませんね。

一様分布以外の確率分布による設定を試みようとしないのは、
パラドクス解決に興味がないのだと、私は思っていますよ。

>  ですから、
>
>  胴元はランダムにペアを決定したと想定して下さい。
>  プレイヤーもそれを知っていると。

φ氏は全くナイーブにそういいますが、
ペアの候補が無限個あるのであれば、
その想定が"数学的には"できません。

つまり、話がそこで終わってしまうのでつまりませんw

>  くどいようですが、どこかで為されたゲームの詳細を発見しようとしているのではないのですから。
>  パラドクスを作って、主観確率論に試練を与えようとしているのですから。

くどいようですが、そもそも主観確率論以前の数学の段階で、不可能な設定を与えても
数学(正確に言えば積分論)の試練にはなっても、主観確率論の試練にはならないですよ。

>  このことがおわかりいただけたら、

残念ながら、今の数学では入口でシャットアウトされるので
その場合には主観確率論につながる「別の数学理論」を
φ氏自ら構築していただくしかありません。

>  次の段階、つまり
>
>  胴元がランダムに中身を選んだ一様分布の2封筒交換ゲームにおいて、
>  プレイヤーが金額を見ない時には交換に損得ナシは当然なのに、
>  金額を見ると交換が得になってしまうのはなぜか?
>  この反直観的帰結は、主観確率という概念の不合理を示すのか、
> それとも主観確率の枠組みのもとで合理的な説明ができるのか?
>  という議論に進むことができます。

上記の段階に進むのに、数学的に実現不可能な
「正の自然数全体の一様分布」
に固執する必要は全くありませんよ。

結論もある程度明確には出ています。つまり
「パラドックスは、封筒の額面全体の期待値が無限になる状況でおきる」
ということです。私はこれは理論の不備ではなく、
設定の不備にあると考えています。

とりあえずここまでで、一旦終りにします。
つづきは別の投稿で


Re: 常識がダメなら超常識で 投稿者:φ 投稿日:2011年 8月16日(火)04時43分12秒

> No.3003[元記事へ]

koto_bazuさんへのお返事です。

> >φ説……父親が注意深く封筒を配布した場合は、交換が得。
>
> これは例えば、
> Bに渡す金額G円を決めたあと、Cに渡す金額はコイン投げで1/2の確率で、2G円かG/2円に決め、
> BとCに その金額の入った封筒を渡して、二人に対して、どうやって金額を決めたかを教えた。
> この場合、
> Bから見れば交換することが25%の得。Cから見れば25%の損。
> こう考えてよろしいでしょうか?
>

 そうとは限りません。

 BとC両者に対して対称的に、「各人にふさわしい額が入っている。たまたま、一方は他方の2倍になっているが」と告げた場合でもいいでしょう。

 この場合、B、Cそれぞれから見て、自分の金額は固定されており、相手は自分の金額の2倍もしくは半分です。
 (★自己本位の考えですが、主観確率というのはそういうもので、自分にわかっているデータ以外は変数にしてしまいます。それでうまくゆくのです★)
 ちなみに、言わずもがなの設定ですが、ふたりとも、相手にふさわしい金額なるものを推定する手掛かりとなる情報は全く持たず、互いに見ず知らずであるとでもしておきます。

 この場合、二人とも、交換が得と推論するのが合理的でしょう。
 パラドクシカルですが、理由は以下のとおりです。

>
>  一回限りのゲームと考え、発見した金額を固定しての無限回試行として期待値を出せば交換が25%得という考え方が可能だと書かれていると思います。
>  そして、二人のプレイヤーとも自分の封筒の中身を見た場合、双方とも交換が得だと。
>

 二人の見た金額が違うので、二人は別々のゲームの中に身を置いています。
 つまり、試行の準拠集団が異なるのです。
 なので、「毎回この金額が来るような無限試行の一回」と考えた時、二人ともが交換が得と考えるのは合理的なのです。この一回はたまたま同じゲームですが、本来は別々のゲームの一試行ですから、矛盾ではありません。


 ……………………
 以下はモンテカルロさんへ


>
> 「何も分からなければ一様分布」という態度は
> 認知バイアスの一種のようですが、もちろん、
> 正しくはありません。
>
> なにも分からないなら、その問題に関する確率は
> 一切論じないのが理性的態度です。
>

「何もわからない」というのを勘違いされている節があります。
 単に「ランダム」という意味なんですけれどね。
 「ランダム」であれば、一様分布ですよね。ランダム性は、標準的な2封筒問題の骨子を成しています。
 (ちなみに、一回限りのゲームと定められていれば、一様分布はトリビアルな意味で自動的に満たされますね)

 論理的パラドクスは、物理学のパラドクスや犯罪捜査などと違います。
 「論者とは独立に生じている事態の奇妙な本性を探究・発見し、記述する」のではなく、
 「奇妙な結果を生み出してしまう事態をいまここで作り出す」のです。
 つまり、可能な事態のうち、おかしな帰結をもたらす事態をシミュレーションして、理論の整合性を調べるのが論理的パラドクスの趣旨です。確率のパラドクスもそうですね。

 「一様分布かどうかわからないから保留にしておけ」というモンテカルロさんや、
 「父親の意図など息子にわからないはずだから」というeggmanさんは、
 パラドクス考察を、科学実験や犯罪捜査であるかのように誤解してはいないでしょうか?
 どこかで実際行なわれた特定のゲームについて歴史研究をしているのではありません。
 主観確率の議論のために最もパラドクス的な可能的状況をこしらえて、同意すればよいだけなのです。

 2封筒問題では、パラドクスを論ずる以上、パラドクスを生みやすい設定、つまり各金額の確率(少なくとも胴元の選び方)はランダムつまり一様分布とすべきであり、問題成立に必要な事柄は息子は知っているとすべきです。

 2封筒問題の趣旨はこういうことです。
 「ベイズ的な主観確率の仮説検定(一番上、★★で挟んだ趣旨、つまり「自己本位の考え」)が、
 直観に反する結果をもたらしてしまうが、
 これは主観確率論の欠陥だろうか、それとも合理的な解決があるのだろうか」を探ること。
 この目的に合うようにシミュレーションしなければなりません。

 直観に反する結果とは、「封筒の中身を見なくても、かりに◆円というように値を与えることが出来る。だから、中身を見たというだけで期待値が変わるのはおかしい」というものです。
 フロリダ問題の、「何月何日生まれだろうがかりに◎月▲日と日付を与えることが出来る。だから、誕生日を知ったからといって二人とも女である確率が変わるはずがない」というのと似ていますね。

 一様分布でないことがわかっているとすると(とくに、特定の偏った確率分布がわかっていたりすると)、中の金額を見たことによって、期待値が変わるのは当たり前です。情報が増えたので。
 ちょうどフロリダ問題で、生まれやすい日や生まれにくい日にデコボコがあるようなものです。そんな設定にしたら誕生日を知ったことが情報増加になるのは当たり前で、パラドクスにならないでしょう。2封筒も同じことです。

 考察に値するパラドクスにするためには、「中身を見ても情報が増えてはいない」と感じられる設定にしなければなりません。
 一様分布にしておけば、封筒の中身を見ようが見まいが、確率は変わらず、従って交換が損得ナシだったのが交換が得となるのは奇妙だ、ということになります。

 このような「奇妙な設定」に取り組まないと、パラドクスを論じたことにならないのです。

 「一様分布だという決めつけはおかしい」と言って議論を避けるのは怠慢でしょう。一様分布は、議論をするために必要な設定なのです。(少なくとも初期設定としては。論証の結果、一様分布を否定せざるをえない論理が働けば、それはそれで発見となります)
 我々が作る設定なのですから、一番奇妙な帰結をもたらす設定にして、主観確率による標準的な推定方法に欠陥があるのかないのか、探らねばなりません。

 ともあれ、一様分布であることがわかっている設定を作るのは簡単ですから、
 (手もとに来た金額が一様分布の範囲内に入っていさえすればよいのです。胴元がランダムに選んだというのでもいいし、試行をしてみたらどのペアも同じ頻度で配られたことが確かめられているというのでもいいでしょう)
 一様分布のパラドクス的設定を試みようとしないのは、パラドクス解決に興味がないのだと思われてもしかたありませんね。

 ですから、

>
> 「そもそも、総額そのものは選べない」
> ということなのです。つまり
> 「1円と2円、2円と4円、4円と8円、……、2の99乗円と2の100乗円という百個の組み合わせを父親は床に並べて、コインやサイコロを投げて全くランダムにペアを決定」
> なんてことはしていないのです。
>

 胴元はランダムにペアを決定したと想定して下さい。プレイヤーもそれを知っていると。
 くどいようですが、どこかで為されたゲームの詳細を発見しようとしているのではないのですから。
 パラドクスを作って、主観確率論に試練を与えようとしているのですから。

 このことがおわかりいただけたら、
 次の段階、つまり

 胴元がランダムに中身を選んだ一様分布の2封筒交換ゲームにおいて、
 プレイヤーが金額を見ない時には交換に損得ナシは当然なのに、
 金額を見ると交換が得になってしまうのはなぜか?
 この反直観的帰結は、主観確率という概念の不合理を示すのか、それとも主観確率の枠組みのもとで合理的な説明ができるのか?
 という議論に進むことができます。

>
> 選んだのは封筒であって、財産総額ではありません。
> 封筒の中身の金額を見ただけで、選んだものが財産総額に変わる
> という発想が間違っているのです。
>

 ↑ちょっと意味が不明ですが……。

>
> もちろん、間違っているのは、
> 「金額を見ただけで
>  (X円、2X円)と(2X円、X円)の二通りが
>  (G円、2G円)と(G円、1/2G円)の二通りに
>  確率が同じのまま変化する。」
> という考え方です。
>
> そもそも、確率が半々だといえるのは、総額が不変だからであって
> 総額が変化してしまうのであればその前提は崩れるわけです。
>

 ではモンテカルロさんにお聞きします。
 「総額が不変」と言われますが、そもそも中身を見る前、(X円、2X円)と(2X円、X円)の二通りの場合からして、総額を不変に保っていませんね。Xは変数でしたから。
 始めから総額が不変でなかった推定が、中身を見てこちらの手もと(G)だけでも決定したわけですから、そのぶんだけ総額はより不変に近づいたのではありませんか?

 (X円、2X円)と(2X円、X円)の二通りにおいて、Xもしくは2X(確率それぞれ1/2)がGだとわかったとき、相手の金額は2GもしくはG/2(確率それぞれ1/2)というのは、ごく自然な計算だと思われます。

 相手の金額が2XもしくはX(確率それぞれ1/2)→2GもしくはG/2(確率それぞれ1/2)。

 ↑確かに、こう考えることからパラドクスが生じてしまうわけですが、
 ↑こう考えてはいけない数学的理由は何なのでしょうか? それを知りたいのです。
 ただし、(G円、2G円)と(G円、1/2G円)
 は、どちらも、胴元が選ぶ一様分布の選択の範囲内にあるとして下さい。
 そして、プレイヤーはそのことを知らされているとします。

 ↑「そんなことは知らないはずだ」などと言わず、パラドクスを論ずるための設定ですから、この条件のもとでよろしくお願いします。

訂正します。 投稿者:koto_bazu 投稿日:2011年 8月15日(月)22時46分13秒

> No.3006[元記事へ]

Bが交換を25%得と見なせる場合に、

> Cから見れば25%の損

> 相手側は交換を25%損と認識

と書いてしまいましたが
これはBの初期金額の25%、G/4を交換でBが得すると見なせるときに
相手側のCは、同金額 G/4だけ損と見なせるので、収支が合う
ということでした。
相手側Cの初期金額はGではありませんので その25%損というのは間違いでした。
(Cから見れば交換は20%の損になると思われます)


Re: 父親の意図とは? 投稿者:koto_bazu 投稿日:2011年 8月15日(月)22時06分43秒

> No.2994[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  一回限りの試行である場合は、設定1の場合も、結果としてわかったG円を固定して考えることに不合理はないかもしれません。(ここは私は確信が持てません。だから難問なのです)
>  毎回手もとに来る金額が変わる準拠集団ではなく、毎回G円が来る準拠集団に位置づけるのです。
>  すると、交換が得になります。
>  が……、

さっき私が書いた後半は この件に当たるかなと・・。

G円に固定できるのは たまたまG円が来たからで、他の金額が来たら それが固定対象になったのだから
G円はなんでも有り得る金額と考えて期待値を出すべきではないかと・・。
(額が決定できていても、大きさの相対的な位置は分からない。)

そして それとは違い、G円が必ず特定の金額で、相手側がその倍か半分というように配り手が作為したことが分かる場合には
G円を固定して、交換は25%得と考えていい、
そして 相手側も配り手の事情を知っているなら 相手側は交換を25%損と認識できるので、パラドクス性(不思議さ)はないですし。


急に参加してトンチンカンなことを書いていたらすいません


Re: 常識がダメなら超常識で 投稿者:koto_bazu 投稿日:2011年 8月15日(月)21時10分31秒

> No.3003[元記事へ]

前の投稿で、あて名の部分を消してしまいまして、失礼しました。
φさんへのお返事でした。



Re: eggman氏の論理の誤り 投稿者:eggman 投稿日:2011年 8月15日(月)21時09分29秒

> No.3002[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

>なぜ確率分布の前に余計な言葉を入れるのですか?
>必要ないでしょう。

これは大変失礼しました。
先走ってしまいました。

本当は、以下の質問に対するモンテカルロさんの答えを聞いてから書くべきだったのですが、先走って暗に想定してしまいました。すみません。

本来最初にすべきだった私の質問は、
「確率分布が分かっている場合」
であれば、
何故、「多数回繰り返した場合、封筒内の数によって損得が生じる可能性はもちろんあります。」
なのでしょうか?というものです。

これに対して、モンテカルロさんは当然以下のように答えると思い込んでしまいました。
『もちろんいくらでもありますよ。例えば・・・や・・・・や・・・・という確率分布を仮定すれば、多数回繰り返した場合、封筒内の数によって損得が生じますよ。』

その想定した答えをもとに、
>これは、「多数回繰り返した場合、封筒内の数によって損得が生じる可能性」
>がある確率分布を仮定すれば
>「多数回繰り返した場合、封筒内の数によって損得が生じる可能性」がある
>と言ってるだけで単なる論点先取にすぎないように思います。
とつい書いてしまったのです。

上の私の質問に対しては違う答えが返ってきたのでしょうか?


>今後一切そういうウソをつかないでいただきたい。

私は、無知誤解勘違い思い違い思い込み早とちりは多々ありますが「嘘」はつきません。



Re: 常識がダメなら超常識で 投稿者:koto_bazu 投稿日:2011年 8月15日(月)21時07分50秒

> No.2974[元記事へ]

>φ説……父親が注意深く封筒を配布した場合は、交換が得。

これは例えば、
Bに渡す金額G円を決めたあと、Cに渡す金額はコイン投げで1/2の確率で、2G円かG/2円に決め、
BとCに その金額の入った封筒を渡して、二人に対して、どうやって金額を決めたかを教えた。
この場合、
Bから見れば交換することが25%の得。Cから見れば25%の損。
こう考えてよろしいでしょうか?


あと、

○ ランダムに金額決定(一方が他方の倍という条件は守り)して無作為に渡した場合で、
プレイヤーが中身を見た場合、「論理パラドクシカ」 P.51

 一回限りのゲームと考え、発見した金額を固定しての無限回試行として期待値を出せば交換が25%得という考え方が可能だと書かれていると思います。
 そして、二人のプレイヤーとも自分の封筒の中身を見た場合、双方とも交換が得だと。

これについて自分は、

封筒を見てたまたま発見された金額をG円とすると、
金額を固定しない無限回試行の中でのG円の大きさの相対的な位置により、G円の場合のみゲームする場合の損確率・得確率が変わる。
G円が(例え10万円と具体的に分かっても)、相対的にどういう大きさであるかは、プレイヤーには分からない。
 その場合に、G円について情報がないから、平均の金額であって相手の額は半分か倍かが五分五分だと考えて無限回試行で期待値を考えるのではなく、
 無作為に初期金額の発見を繰り返し、そしてそのそれぞれの初期金額毎に無限回交換をする、その結果の期待値という考え方はできないかと。
つまりそれは、金額固定なしで無限回試行を考える場合の期待値=損得ナシ に一致するのではないでしょうか?

発見されたG円の偏りを無くすためには、G円の発見について夥しい回数の試行により平均化するだけではなく、その各々のG円についての夥しい回数の交換まで考えて期待値を出してしまえばいいのではないかと。
そう考えたのですが、いかがでしょうか?

G円のときだけゲームする というその決定は、たまたまG円を見た ということの結果なのですから、
たまたま見るのが 他の金額であっても同等なわけなので
従って、たまたま発見されるであろう全ての初期金額での無限回試行 そこからの期待値の割り出し。
これがいいのではないかと考えました。
しかも、そう考えれば、両者とも25%得という 常識で考えにくい結論にならないのですし。


 勘違いしていますでしょうか・・。


eggman氏の論理の誤り 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月15日(月)19時44分10秒

eggman氏は「AならばB」について
「AのときBが成り立つんだから、
 前提のAを、AかつBとしてもいい。
 ”AかつB、ならばB”は、
 ”BならばB”の前提Bに
 Aという条件をつけただけ
 なんだから同語反復で論点先取だ」
というおかしな屁理屈を主張しているが
そもそもAを”AかつB”におきかえられるのは、
”AならばB”だからであるから、これこそ論点先取。


Re: eggman氏の問題の解答について 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月15日(月)19時34分49秒

> No.3000[元記事へ]

eggmanさんへのお返事です。

> では、こうしましょう。

なぜ確率分布の前に余計な言葉を入れるのですか?
必要ないでしょう。

> お気にさわる点がございましたら直しますのでご指摘ください。

では、今後一切書かないでください。
論点先取ではないのですから
今後一切そういうウソをつかないでいただきたい。




Re: eggman氏の問題の解答について 投稿者:eggman 投稿日:2011年 8月15日(月)18時28分35秒

> No.2999[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

>いいえ。eggman氏が勝手に確率分布の前に
>「交換によって損得が生じる」という言葉を
>入れたのです。

では、こうしましょう。

>確率分布が分かっている場合には、
>多数回繰り返した場合、
>封筒内の数によって損得が生じる
>可能性はもちろんあります。

これは、「多数回繰り返した場合、封筒内の数によって損得が生じる可能性」
がある確率分布を仮定すれば
「多数回繰り返した場合、封筒内の数によって損得が生じる可能性」がある
と言ってるだけで単なる論点先取にすぎないように思います。

お気にさわる点がございましたら直しますのでご指摘ください。

>素人の「適当」ほど、悪いことはありませんよ。
>eggman氏の「幾何平均」はその典型です。

それは失礼しました。
でも「適当」なことって面白いんですよね。
へたな鉄砲も数打ちゃ当たるとか。
別に当たらなくてもかまいませんよ。ただの遊びですから。




Re: eggman氏の問題の解答について 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月15日(月)14時15分37秒

> No.2993[元記事へ]

eggmanさんへのお返事です。

> >確率分布が分かっている場合には、
> >多数回繰り返した場合、
> >封筒内の数によって損得が生じる
> >可能性はもちろんあります。
>
> これは、交換によって損得が生じる確率分布を仮定すれば
> 交換によって損得が生じると言ってるだけで
> 単なる論点先取にすぎないように思います。

いいえ。eggman氏が勝手に確率分布の前に
「交換によって損得が生じる」という言葉を
入れたのです。

その言葉がない限り、論点先取という言い掛かりは却下されます。

> >あなたは理論を全く理解せずにただ闇雲に式を計算する人ということですね。
>
> まあ、半分は当たってます。
> どうしても理論・理屈がわからないとき、適当に計算してみて
> それまでの知見・常識と合致しているものを選択すれば、
> もしかして仮説とできるかもしれないというだけですが。

素人の「適当」ほど、悪いことはありませんよ。
eggman氏の「幾何平均」はその典型です。



Re: 父親の意図とは? 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月15日(月)07時58分30秒

> No.2994[元記事へ]

φさんへのお返事です。

ところで、φ氏の設定1はともかく、設定2は”父親の意図”なる
「本質的でないノイズで気をそらす」
もので、話としては面白いが、考察としては無意味でしょう。

私としては、ここでは設定1のみ考えます。
もちろん、設定2以外の他の設定の案があるなら受け付けます。

>  さて、
>  Bから見て、交換すると期待値は 5G/4 ですから、得となりそうです。
>
>  しかしそうではありません。
>  先ほどの設定では、自らで封筒を選んでいます。
>  すると、この試行は、
>「そのつど初期配分がランダムに変動する無限回のゲームのうち1試行」
> と見なすべきです。
>  中身がG円というのは、単なる偶然なのです。
>  すると、2G円が来たかもしれないし(確率1/4)、G円が来たかもしれないし(確率1/2)、G/2円が来たかもしれない(確率1/4)というゲームと捉えるべきです。
>  この設定では、期待値計算は、前に私やモンテカルロさんがやったように、損得ナシとなります。
>  (しかしあとで述べるように、本当に損得ナシと言い切れるかどうかは疑問ですが)

「初期配分」というのが総額を指すのであれば、無限回云々とは無関係に
当然、(G、2G)か(G、1/2G)かの確率分布に影響します。

ただし、私がこの件を難しくしているのは
「そもそも、総額そのものは選べない」
ということなのです。つまり
「1円と2円、2円と4円、4円と8円、……、2の99乗円と2の100乗円という百個の組み合わせを父親は床に並べて、コインやサイコロを投げて全くランダムにペアを決定」
なんてことはしていないのです。
あくまで、
「ある一定の額Tがあって、それを1/3Tと、2/3Tに分けて封筒に入れた」
ということなのです。
これを設定0とします。

設定0の場合、そもそもTの確率分布を考えること自体がそぐわない。
もちろん、B,Cそれぞれが「だいたいコレくらいなんじゃないか?」
といって想像するのは自由だし、その想像の確率分布から損得を
計算することはできるかもしれないが、当然のことながら、BとC
の想定は違うわけで、その場合BとCとを比較して儲かったとか損したとか
いう評価ができないのではないかということなのです。

>  「モンティホールジレンマ」と同様、
>データそのものだけでなくデータの選ばれ方が重要でしょう

その場合、データの選ばれ方を決めるのはズバリ金額の確率分布です。

それがない場合は、ベイズ確率による評価はできないでしょう。


認知バイアス 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月15日(月)07時44分43秒

> No.2994[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> 中を確かめなければ、B、Cの初期配分は
> (X円、2X円)と(2X円、X円)の二通り
> で、それぞれ同確率ですから、交換は損得ありません。
>
> しかし、Bが中を見てしまうと、Bの視点からは、先ほどの二つの可能性が、
> X=Gと、2X=Gとの二つの可能性となります。変数が定数となりました。
> つまり、Bから見てCが持っているのは、2X=2G円か、X=G/2円か、
> いずれかです。
> この可能性はそれぞれ相変わらず1/2です。
>
> ↑中を見ると確率変数がこうなる、という点では、
> モンテカルロさんよりもeggmanさんの方が正しいです。

それはφ氏がそう思ってるだけで、私は
「φ氏もeggman氏と同様の誤りに陥っている」
と思っていますよ。

もちろん、間違っているのは、
「金額を見ただけで
 (X円、2X円)と(2X円、X円)の二通りが
 (G円、2G円)と(G円、1/2G円)の二通りに
 確率が同じのまま変化する。」
という考え方です。

そもそも、確率が半々だといえるのは、総額が不変だからであって
総額が変化してしまうのであればその前提は崩れるわけです。

この件に関して、φ氏にもeggman氏にも反駁の余地はないでしょう。


暗黙の設定 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月15日(月)07時34分43秒

> No.2994[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  たとえば次のような設定が、2封筒パラドクスの暗黙の設定だと思われます。

お聞きしましょう。

>  父親Aは大富豪であり、遺産がいくらであるかはわかりません。
>  ともかく、1円と2円、2円と4円、4円と8円、……、2の99乗円と2の100乗円という百個の組み合わせを父親は床に並べて、コインやサイコロを投げて全くランダムにペアを決定したとします。
>  どれが選ばれたかという確率はすべて均等ですね。
>  これで、金額は単なる名前(ラベル)になりました。
>  金額が確率に影響するという、問題の趣旨から外れたタワゴトはこれで排除されます。

完全には排除されません。

なぜなら2の100乗円が上限だからです。

また、ベイズ確率を考えるのであれば、上記の設定は
関係者には周知されなくてはなりません。
そうできないのであれば、そもそもその設定自体
意味がないということです。

>  さて、息子B、Cが呼ばれます。
>  見分けのつかない封筒からひとつ選ぶように言われ、
>  Bは右の封筒、Cは左の封筒を選びました。
>  息子Bは、中に2の50乗円が入っているのを見ます。これをG円と書きましょう。
>  さて、交換は得か、という問題です。
>  これでパラドクスが生ずる、というのが2封筒問題の趣旨です。

もし、上記の設定がB,Cに知られているのであれば、
封筒の中身が2の100乗円でない限り、交換したほうが
得になる場合がある、といってよいでしょう。

ただし、期待値というのはそれこそ同様の状況が
何百回、何千回とあった場合に、その勝負の結果を
平均した場合の話なので、一回の試行について、
得か、損かを論じられるようなものでないことは
思い出したほうがいいでしょう。

例えば私なら2^50乗円もらったら即銀行に貯金します。
2^50≒10^15=100兆円
ですからね。ほぼ日本の国家予算と同額ですから。




なぜ一様分布? 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月15日(月)07時23分46秒

> No.2994[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> モンテカルロさんが
> 配分の事前確率(2封筒の総額の確率分布)を
> 重視したいのはわかりますが、

いいえ。配分の事前確率を重視したがってるのはeggman氏ですよ。

>  2封筒問題では、総額の確率分布は、瑣末な事柄です。

というよりも、それこそ別の方向への脱線だと思いますよ。
ただ、eggman氏が自らそのことに気付くには
一度自分から計算してみるのが一番なので
「やってごらんなさい」と促したのです。
彼が正しいといってるわけではないのですよ。

>  「封筒内の選択については何もわからない」が初期設定でしたから、
> 一様分布とすべきです。
>  よって、金額A円を見たあとでも、
> むこうが2A円、A/2円という二つの可能性は
> 五分五分と考えるべきでしょう。
>  なぜなら、その設定でこそパラドクスが生じるからです。

なんか、量子力学のSumioBaba氏のような発言ですね。

「何も分からなければ一様分布」という態度は
認知バイアスの一種のようですが、もちろん、
正しくはありません。

なにも分からないなら、その問題に関する確率は
一切論じないのが理性的態度です。

いっておきますが
「自分の側が総額の1/3」
「自分の側が総額の2/3」
という二つの可能性は五分五分だと
私も思いますが、このことと、
φ氏のいう2A、A/2とは
全く異なります。

> 事前の確率分布で調整してよいのであれば、
> 期待値のパラドクスが生じないのは当たり前です。
> 事前の確率分布の調整で「損得なし」と解決したとしても、
> そんなのはまことにつまらない解決であり、
> このパラドクスの解決にはなっていません。

事前の確率分布を勝手に決め付けたために
期待値のパラドックスが生じたのは当たり前です。

選んだのは封筒であって、財産総額ではありません。
封筒の中身の金額を見ただけで、選んだものが財産総額に変わる
という発想が間違っているのです。

>  一様分布のときに交換が得だと言われて
> 不思議を感ずる人に対して説明しなければならないのです。
>  2封筒問題を、一様分布で考えねばならないゆえんです。

そもそも「分からない場合には一様分布」という
独断に対してその理由を説明しなければならない
と考えます。

認知バイアスとして脳の機構から説明することは可能かもしれませんが
実際にそうなるという説明は不可能でしょう。

>  事前の確率分布を一様分布以外で考えるのは、
> 本質的でないノイズで気をそらすことになるのです。

そもそも、この問題において事前の確率分布を
何らもっともらしい理由なく設定するという行為は、
解決方法としては不適切だというなら同意します。

その場合、確率分布が一様分布であっても
他の分布と全く同様に却下されます。
そういうことです。
「分からない」とはそういうことです。
「一様分布であると分かっている」とは
全く異なるということです。

>  というわけで、純粋なパラドクスとして、一様分布で考えましょう。

残念ですが
『「封筒内の選択については何もわからない」
 が初期設定でしたから、一様分布とすべきです。』

という発言の根拠が示せない限り、

「一様分布だとすべき」

という主張を却下します。

私はこのパラドックスについては

「一様分布でないものを、認知バイアスによって
 一様分布だと思い込んだがための、擬似パラドクス」

と考えています。


Re: 父親の意図とは? 投稿者:φ 投稿日:2011年 8月15日(月)03時02分44秒

> No.2977[元記事へ]

eggmanさんへのお返事です。

 いろいろ考えはあるでしょうが、

 そもそも2封筒問題を考える場合、この問題をパラドクスたらしめている本質的特徴に関わるべきであり、他の事情は捨象して考えるべきだと思います。

 モンテカルロさんが配分の事前確率(2封筒の総額の確率分布)を重視したいのはわかりますが、
 2封筒問題では、総額の確率分布は、瑣末な事柄です。
 ちょうど、足し算の問題で、「五つのミカンと四つのミカンを合わせるというけれど、その間に、他の人がいくつか取っていったり、付け加えたりする可能性はいくらだろうか?」と気にするようなものです。

 「封筒内の選択については何もわからない」が初期設定でしたから、一様分布とすべきです。
 よって、金額A円を見たあとでも、むこうが2A円、A/2円という二つの可能性は五分五分と考えるべきでしょう。
 なぜなら、その設定でこそパラドクスが生じるからです。
 事前の確率分布で調整してよいのであれば、期待値のパラドクスが生じないのは当たり前です。事前の確率分布の調整で「損得なし」と解決したとしても、そんなのはまことにつまらない解決であり、このパラドクスの解決にはなっていません。
 一様分布のときに交換が得だと言われて不思議を感ずる人に対して説明しなければならないのです。
 2封筒問題を、一様分布で考えねばならないゆえんです。

 事前の確率分布を一様分布以外で考えるのは、本質的でないノイズで気をそらすことになるのです。

 というわけで、純粋なパラドクスとして、一様分布で考えましょう。
 たとえば次のような設定が、2封筒パラドクスの暗黙の設定だと思われます。

 父親Aは大富豪であり、遺産がいくらであるかはわかりません。
 ともかく、1円と2円、2円と4円、4円と8円、……、2の99乗円と2の100乗円という百個の組み合わせを父親は床に並べて、コインやサイコロを投げて全くランダムにペアを決定したとします。
 どれが選ばれたかという確率はすべて均等ですね。
 これで、金額は単なる名前(ラベル)になりました。
 金額が確率に影響するという、問題の趣旨から外れたタワゴトはこれで排除されます。

 さて、息子B、Cが呼ばれます。
 見分けのつかない封筒からひとつ選ぶように言われ、Bは右の封筒、Cは左の封筒を選びました。
 息子Bは、中に2の50乗円が入っているのを見ます。これをG円と書きましょう。
 さて、交換は得か、という問題です。
 これでパラドクスが生ずる、というのが2封筒問題の趣旨です。

 中を確かめなければ、B、Cの初期配分は(X円、2X円)と(2X円、X円)の二通りで、それぞれ同確率ですから、交換は損得ありません。

 しかし、Bが中を見てしまうと、Bの視点からは、先ほどの二つの可能性が、X=Gと、2X=Gとの二つの可能性となります。変数が定数となりました。
 つまり、Bから見てCが持っているのは、2X=2G円か、X=G/2円か、いずれかです。
 この可能性はそれぞれ相変わらず1/2です。

 ↑中を見ると確率変数がこうなる、という点では、モンテカルロさんよりもeggmanさんの方が正しいです。

 さて、
 Bから見て、交換すると期待値は 5G/4 ですから、得となりそうです。

 しかしそうではありません。
 先ほどの設定では、自らで封筒を選んでいます。
 すると、この試行は、「そのつど初期配分がランダムに変動する無限回のゲームのうち1試行」と見なすべきです。
 中身がG円というのは、単なる偶然なのです。
 すると、2G円が来たかもしれないし(確率1/4)、G円が来たかもしれないし(確率1/2)、G/2円が来たかもしれない(確率1/4)というゲームと捉えるべきです。
 この設定では、期待値計算は、前に私やモンテカルロさんがやったように、損得ナシとなります。
 (しかしあとで述べるように、本当に損得ナシと言い切れるかどうかは疑問ですが)

 以上を設定1としましょう。

 しかし次のような設定ならどうでしょうか。
 設定2。
 Bが自発的に封筒を選ぶのではない設定です。
 兄弟B、Cは、互いのことをほとんど知りません。
 Bは父親に呼ばれて、こう言われます。
 「おまえにはこの金額がふさわしい。他の金額ではおまえはダメだ。そこでおまえの金額は決定し、Cの金額はそれに合わせて2倍か半分かを決めた」と。

 この設定なら、Bは、交換が得です。
 期待値は 5G/4 です。
 さらに言えば、Gという金額を確かめなくても(上限でないことさえ保証されれば)、交換が得になるでしょう。

 ただし、『論理パラドクシカ』で述べたように、
 一回限りの試行である場合は、設定1の場合も、結果としてわかったG円を固定して考えることに不合理はないかもしれません。(ここは私は確信が持てません。だから難問なのです)
 毎回手もとに来る金額が変わる準拠集団ではなく、毎回G円が来る準拠集団に位置づけるのです。
 すると、交換が得になります。
 が……、

 「モンティホールジレンマ」と同様、データそのものだけでなくデータの選ばれ方が重要でしょうから、
 設定1の場合は概して交換は損得ナシ、
 設定2の場合は交換が得、ということになるでしょう。

 ですから、

>
> いずれにしても、父親の意図という設定は奇妙な感じがします。
>

 決して奇妙ではないことがおわかりいただけるでしょうか。

 もともとの2封筒問題は、胴元+プレイヤーひとりですから、設定1・設定2、どちらの設定も自然なのです。


Re: eggman氏の問題の解答について 投稿者:eggman 投稿日:2011年 8月14日(日)21時21分9秒

> No.2992[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

モンテカルロさんて
何かものすごく面白い人ですね。


>> なお、私個人としては、封筒を開けようと開けまいと、
>> 交換による損得が生じるなんてあり得ないと思ってます。

>ではベイズ理論は全然理解できないでしょう。

そう言われても反論できないのは確かですね。
ベイズ確率と頻度確率は異なるという程度しか知りません。

>確率分布が分かっている場合には、
>多数回繰り返した場合、
>封筒内の数によって損得が生じる
>可能性はもちろんあります。

これは、交換によって損得が生じる確率分布を仮定すれば
交換によって損得が生じると言ってるだけで
単なる論点先取にすぎないように思います。
確率分布が全くわからなければ・・・どうなんでしょうね。


>あなたは理論を全く理解せずにただ闇雲に式を計算する人ということですね。

まあ、半分は当たってます。
どうしても理論・理屈がわからないとき、適当に計算してみて
それまでの知見・常識と合致しているものを選択すれば、
もしかして仮説とできるかもしれないというだけですが。

>それじゃ、いままでの人生、つまらないでしょう。
>でも、あなたの人生が楽しくない理由は、他の誰のせいでもなく
>あなた自身の処世術によるものです。
>勉強一つせず、ただ他人に文句をいうだけでは、面白いわけがない。
>文句をいうな、という意味ではありませんよ。
>楽せず、勉強したほうがよほど面白いってことです。

すごいですね。
ここで私だけが聞くのはもったいない。
是非、人生相談のブログでも開設してください。



Re: eggman氏の問題の解答について 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月14日(日)20時32分11秒

> No.2991[元記事へ]

eggmanさんへのお返事です。

>私にとっては益々理解不能の領域

それは貴方が思い込みに固執しているからでしょう。

> なお、私個人としては、封筒を開けようと開けまいと、
> 交換による損得が生じるなんてあり得ないと思ってます。

ではベイズ理論は全然理解できないでしょう。

確率分布が分かっている場合には、
多数回繰り返した場合、
封筒内の数によって損得が生じる
可能性はもちろんあります。

> 封筒を開けたときに見た金額がaのとき、
> 他方の封筒の中身は(1/2)aか2aですが、
> 例えば、交換による期待値を相加平均ではなく
> 幾何平均で求めればaとなり損得はありません。

幾何平均?無意味でしょう。

> 何で幾何平均を使うのかと問われても答えられませんが。

あなたは理論を全く理解せずにただ闇雲に式を計算する人ということですね。

それじゃ、いままでの人生、つまらないでしょう。
でも、あなたの人生が楽しくない理由は、他の誰のせいでもなく
あなた自身の処世術によるものです。
勉強一つせず、ただ他人に文句をいうだけでは、面白いわけがない。
文句をいうな、という意味ではありませんよ。
楽せず、勉強したほうがよほど面白いってことです。


Re: eggman氏の問題の解答について 投稿者:eggman 投稿日:2011年 8月14日(日)20時05分0秒

> No.2990[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

>私はこの件について、父親の財産総額の確率分布を考えることが適切でない
>と考えたので、そう答えたのです。

そうでしたか。
いずれにしろ私にとっては益々理解不能の領域に入っていきますのでこれ以上はお聞きしません。

なお、私個人としては、封筒を開けようと開けまいと、交換による損得が生じるなんてあり得ないと思ってます。

封筒を開けたときに見た金額がaのとき、他方の封筒の中身は(1/2)aか2aですが、
例えば、交換による期待値を相加平均ではなく幾何平均で求めればaとなり損得はありません。
何で幾何平均を使うのかと問われても答えられませんが。



Re: eggman氏の問題の解答について 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月14日(日)19時44分18秒

> No.2989[元記事へ]

eggmanさんへのお返事です。

> >父親の財産の総額について、3a/2と3aの2つの”可能性”は存在しない。
>
> これは単に、「2封筒の金額の総和は決定されている。」という意味で
> おっしゃったんですよね。

いいえ。

私はこの件について、父親の財産総額の確率分布を考えることが適切でない
と考えたので、そう答えたのです。

しかし、あなたは父親の財産総額の確率分布から考えたいのでしょう。
だったら正規分布でも対数正規分布でもなんでも好きな分布を想定したらいいでしょう。
しかし、あなたがはじめに述べたような
「高いか低いかは半々」というナイーブな結果が
出るとは限りませんよ。



Re: eggman氏の問題の解答について 投稿者:eggman 投稿日:2011年 8月14日(日)19時32分13秒

> No.2988[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

>父親の財産の総額について、3a/2と3aの2つの”可能性”は存在しない。

これは単に、「2封筒の金額の総和は決定されている。」という意味でおっしゃったんですよね。
確かに、2封筒を開けようと開けまいと「2封筒の金額の総和は決定されている。」のでその通りです。

>私はそうしなかった時点で、ズレたのですから
>私の存在は忘れるのが一番です。

了解しました。
私としてはφさんへの質問の答えを待っているだけですので。



Re: eggman氏の問題の解答について 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月14日(日)19時21分54秒

> No.2987[元記事へ]

> 話がどんどんズレていきますので戻します。

なら、私に質問するのではなく、eggman氏自ら、
父親の財産総額の確率分布を示し
そこからベイズ確率を計算してみせるのが
唯一の方法でしょう。

私はそうしなかった時点で、ズレたのですから
私の存在は忘れるのが一番です。


Re: eggman氏の問題の解答について 投稿者:eggman 投稿日:2011年 8月14日(日)18時56分43秒

モンテカルロさんへのお返事です。

話がどんどんズレていきますので戻します。

投稿日:2011年 8月14日(日)11時24分35秒
でモンテカルロさんは
>父親の財産の総額について、3a/2と3aの2つの”可能性”は存在しない。
とおっしゃいました。

投稿日:2011年 8月14日(日)14時20分47秒
で私は
>あくまで、父親の財産総額を知らない息子の立場での損得(期待値)の話ですよ。
と言いました。

つまり、封筒にaを見た息子の立場です。
その息子の立場では、父親の財産総額が3a/2と3aの2つの”可能性”が存在するはずです。

何故、「父親の財産の総額について、3a/2と3aの2つの”可能性”は存在しない。」
とおっしゃったのか、その点からお聞きしたいのですが。



Re: eggman氏の問題の解答について 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月14日(日)17時45分56秒

> No.2985[元記事へ]

eggmanさんへのお返事です。
> 世の中には、真実は決まっていても
> 確率を設定(計算?)するしかないことが
> 山ほどあるかと思いますが。

そこまでいうのであれば、貴方はまず
「父親の財産総額はいくらか」
についてその確率を設定するだろう。

そうしない時点であなたはやり方を間違っている。

上記の設定によって
「自分が見た価格がペアの高いほうか低いほうかの確率分布」
は当然違ってくる。

> ベイズ確率のテーマは皆そうではありませんか?

ベイズの名前を口にするのであれば、なぜ
「父親の財産総額はいくらか」の
確率分布の設定をしないのか?

そこまでやれば、通常の設定では
利益率の期待値は、書かれている値が
高額になればなるほど下がるという
「至極当然の結果」になることが
わかるだろう。

あなたはベイズ確率の計算を誤解している。




Re: eggman氏の問題の解答について 投稿者:eggman 投稿日:2011年 8月14日(日)14時56分16秒

> No.2983[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

> eggmanさんへのお返事です。
>
> > そりゃあ、父親の財産総額は「決まってる」でしょう。
>
> なら話はこれで終りである。
>
> 父親の財産総額は1つしかない。
>
> 父親の財産総額を知らないからといって
> 勝手に確率を設定するのは誤っている。
>

世の中には、真実は決まっていても確率を設定(計算?)するしかないことが山ほどあるかと思いますが。
・犯人は誰か決まっているが、どの容疑者が犯人か。
・検査結果は陽性だが、この人がエイズに真に感染してるかどうか。
等々ベイズ確率のテーマは皆そうではありませんか?




話のオチ 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月14日(日)14時38分37秒

父親がいまわの際に、病室に二人の息子を呼んだ。
息子達にそれぞれ1通の封筒を渡して言った。
「封筒の中の小切手が私の全財産だ。一方が他方の倍額になってる。お前たちは交換するもよし、しないもよし、折半するのもよし。」
そう言った直後に父親は臨終。

息子達は、それぞれ封筒を開けた
その結果・・・

兄「はぁ?¥10000?これじゃ倍でも¥20000じゃねえか!」
弟「アニキ、そんな期待は無駄だぜ。こっちは¥5000だ」

要するに父親はスカンピンだったのだ!

兄弟は激しく落胆した。父親がなくなったからではない。
放蕩三昧でどうせロクな財産もないだろうとはおもっていたが
まさかここまで酷いとは思っていなかったからである。


Re: eggman氏の問題の解答について 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月14日(日)14時29分49秒

> No.2982[元記事へ]

eggmanさんへのお返事です。

> そりゃあ、父親の財産総額は「決まってる」でしょう。

なら話はこれで終りである。

父親の財産総額は1つしかない。

父親の財産総額を知らないからといって
勝手に確率を設定するのは誤っている。



Re: eggman氏の問題の解答について 投稿者:eggman 投稿日:2011年 8月14日(日)14時20分47秒

> No.2981[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

>財産総額は確定した額であって、”可能性”はあくまで推測である。

そりゃあ、父親の財産総額は「決まってる」でしょう。
でも、父親の財産総額を「知らない」息子の立場からは父親の財産総額には2通りの可能性があります。
あくまで、父親の財産総額を知らない息子の立場での損得(期待値)の話ですよ。

ですので
>父親の財産の総額について、3a/2と3aの2つの”可能性”は存在しない。
これは誤りですよね。



Re: eggman氏の問題の解答について 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月14日(日)11時24分35秒

> No.2980[元記事へ]

eggmanさんへのお返事です。

> これって、封筒を開ける前の話ではありませんか?
> 封筒を開けて目の前にaという金額を見た場合は、
> の2つの可能性が生じる
> と思うのですが。

父親の財産の総額について、3a/2と3aの2つの”可能性”は存在しない。
財産総額は確定した額であって、”可能性”はあくまで推測である。

推測に基づいて儲かっただの損しただのいっても無意味である。


Re: eggman氏の問題の解答について 投稿者:eggman 投稿日:2011年 8月14日(日)10時51分9秒

> No.2979[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

> まず、選ぶべきペアはの一つしかありません。
> 要はどちらがくるかだけです。
>
> したがって交換の期待値は
> ・aが手元にある場合、交換で2aを手に入れ、a円儲ける場合 1/2
> ・2aが手元にある場合、交換でaを手に入れ、a円損する場合 1/2
> から
> a*1/2-a*1/2=0
> となります。
>
> 全然パラドキシカルではありません。


これって、封筒を開ける前の話ではありませんか?
封筒を開けて目の前にaという金額を見た場合は、の2つの可能性が生じると思うのですが。




eggman氏の問題の解答について 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月14日(日)10時18分12秒

> No.2968[元記事へ]

eggmanさんへのお返事です。

> 父親がいまわの際に、病室に二人の息子を呼んだ。
> 息子達にそれぞれ1通の封筒を渡して言った。
> 「封筒の中の小切手が私の全財産だ。一方が他方の倍額になってる。お前たちは交換するもよし、しないもよし、折半するのもよし。」
> そう言った直後に父親は臨終。
>
> 息子達は、それぞれ封筒を開けた。
> 息子達にとって期待値的に有利なのはどれか?
>
> 1.φさん説
>  子供達は互いに交換した方が有利。
> 2.fried_turnipさん説
>  交換してもしなくても同じ
> 3.joushikijinzさん説
>  父親が、の組み合わせで2封筒に入れた確率y(a)(場合1)がの組み合わせで2封筒に入れた確率y(a/n)(場合2)の2分の一よりも大きいならば封筒を交換したほうが得。父親の財産を想定して判断すべき。

この場合、結論としては2ですが、理由はfried_turnipの説明とは異なります。

まず、選ぶべきペアはの一つしかありません。
要はどちらがくるかだけです。

したがって交換の期待値は
・aが手元にある場合、交換で2aを手に入れ、a円儲ける場合 1/2
・2aが手元にある場合、交換でaを手に入れ、a円損する場合 1/2
から
a*1/2-a*1/2=0
となります。

全然パラドキシカルではありません。


Re: 常識がダメなら超常識で 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月14日(日)10時06分10秒

> No.2976[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> 結局、最大値を放棄することの大損失にシワ寄せが行って、
> その極端な効用によって全体の期待値のバランスが取れている
> わけでしょうが、その事情を、胴元が選択する可能なペアすべてへと
> 均等に分配し、しかも効用を確率に換算しているのが
> fried_turnip氏の説明ですね。

そういうことになるんですかね。

>  単なる辻褄合わせですね。

確かに、fried_turnip氏の言い方だと強弁に聞こえますね。

上限をとっぱらう、というナイーブな形での均等分布の実現はできませんが、
交換による利益の期待値がつねに正になるような確率密度は確かに存在するわけで。
その場合、胴元の損害の期待値は無限大になっているわけで。

>  サンクト・ペテルブルク・パラドクスなどもそうでしたが、

「胴元の損害の期待値が無限大」という状況で、
まず連想したのが、このパラドックスでした。

>「あまりに確率の低い事象は無視してよい」と現実的に考えるならば、
>  有限だが膨大な2倍ペアの集合から胴元が均等の確率でペアを選んだ場合
>(あるいは選び方が全く不明な場合)は、
>  最大値の含まれるペアにあたる確率がきわめて低いがゆえに、
> 無視することが合理的となり、
> とくに一度限りゲームを行なう場合、交換が得となるでしょう。

ああ、なるほど。そういう考え方は確かにあるでしょうね。

ただ、その無視した事象が実際に起きた場合は大損害、というわけですが。

>  「交換が得」というのは直観に反するため
>(プレイヤーの立場は対称的だと考えられているから)
> 説明が必要です。

ごもっともです。
私としては、「胴元の損失の期待値が無限大」という状況が
「交換で得する」という非常識を生み出す理由になっている
と思っていますが、まだ、自明というほど明快ではないですね。

> 手もとの金額を見ない場合はたしかに対称的なので交換は損得ナシだが、
> 金額を見た場合は対称性が破れるので、両者ともに交換が得になりうる
>(常にではないが、場合によって得になりうる)。

ええ、その場合には、何回もやっていればどちらも得をしますね。

> fried_turnip流の説明は、手もとの金額を見ない場合と見た場合とを
> 区別しておらず、その点でも間違っていると思われます。

ええ、その点でも、他の点でも、説明としては、
常識人Z氏のほうがまだしもまし、と私も思います。


父親の意図とは? 投稿者:eggman 投稿日:2011年 8月14日(日)08時15分40秒

> No.2974[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>主観確率の話ですから、「父親の封筒の渡し方を見て、父親の意図が息子にわかる場合は」ということです。
> 息子の前で、父親が意図的にある金額を割り当てた様子の場合と、そうでない場合とがあるでしょう。

父親の意図とは具体的に何でしょうか? 息子が何をわかるのでしょうか?
問題設定からすれば金額の大小とそれを息子のどちらに渡すかということかと思いました。

そうすると
自分に渡された封筒のほうが高そうだと感じた息子は、(中身を見ようと見まいと)決して交換しようと思わないでしょうし、逆に自分に渡された封筒のほうが安そうだと思った息子は(中身を見ようと見まいと)必ず交換しようとするでしょう。

交換が成立しません。

もっとも
息子達がともに「自分のほうが高そう」と感じれば、交換しないことに合意する。
息子達がともに「自分のほうが低そう」と感じれば、交換することに合意する。
となりますが。
あとは、自分の判断が正しかったか間違っていたかだけの話です。


いずれにしても、父親の意図という設定は奇妙な感じがします。

何か勘違いしてましたらご指摘ください。



Re: 常識がダメなら超常識で 投稿者:φ 投稿日:2011年 8月14日(日)02時28分47秒

> No.2975[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

>
> 有限個なら、上限となるペアがあるから、
> そこで、交換による大損失が生じる。
>
> 金額に上限および下限
> がある場合には、上限、下限では期待値が変化するから、
> 当然考慮する必要があるだろう。
>

 結局、最大値を放棄することの大損失にシワ寄せが行って、その極端な効用によって全体の期待値のバランスが取れているわけでしょうが、
 その事情を、胴元が選択する可能なペアすべてへと均等に分配し、しかも効用を確率に換算しているのがfried_turnip氏の説明ですね。

 単なる辻褄合わせですね。
 ときおりこの種の説明を見かけるのですが(一番ひどいのが、『論理パラドクシカ』でも挙げましたが『図解雑学 パラドクス』(ナツメ社)です)、どうしてこの説明が流通しているのか、どうも納得がいかないわけです。

 ちょうど、コペンハーゲン解釈で辻褄が合っているからと物理学者が満足しているのに対し、「何が起きているかが納得いくように説明されてない。解釈になってない」と哲学者が苦情を述べる、そんな心境です。

 サンクト・ペテルブルク・パラドクスなどもそうでしたが、「あまりに確率の低い事象は無視してよい」と現実的に考えるならば、
 有限だが膨大な2倍ペアの集合から胴元が均等の確率でペアを選んだ場合(あるいは選び方が全く不明な場合)は、
 最大値の含まれるペアにあたる確率がきわめて低いがゆえに、無視することが合理的となり、
 とくに一度限りゲームを行なう場合、交換が得となるでしょう。

 「交換が得」というのは直観に反するため(プレイヤーの立場は対称的だと考えられているから)、説明が必要です。

 したがって、
 手もとの金額を見ない場合はたしかに対称的なので交換は損得ナシだが、金額を見た場合は対称性が破れるので、両者ともに交換が得になりうる(常にではないが、場合によって得になりうる)。

 そのような説明でなければならないと思われます。
 (手もとの金額が変数なのか定数なのかという準拠集団の違いによる説明)

 fried_turnip流の説明は、手もとの金額を見ない場合と見た場合とを区別しておらず、
 その点でも間違っていると思われます。


Re: 常識がダメなら超常識で 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月13日(土)09時11分22秒

φさんへのお返事です。

> fried_turnip氏の、
> 額面と確率が正確に反比例する
> かのような理屈はやはり変ですよね?

fried_turnip氏の言い方は明らかにおかしいが、
額面が2倍になる毎に、確率がn倍になるような
確率分布において、n=1/2が胴元の平均金銭的損失
を示す期待値が無限になる状況の下限、となっている
のは確かである。

> 額面は、金額のペアをざっと並べておいて、
> そこから胴元はサイコロでも振って
> 選ぶこともできるわけですから。

ざっと並べる場合、有限個ならOKだが、無限個ならNG。
つまり、無限個の物の中から1個を選ぶという状況で
どの1個も等確率になる確率分布は存在しない。

有限個なら、上限となるペアがあるから、
そこで、交換による大損失が生じる。

無限個なら上限がないからおかしな状況がおきると考えられる。

> そのような場合に、金額は選択肢が持つ
> ただの「名前」(ラベル)にすぎず、
> 名前が確率に影響するということは
> ありえないはずです。

それは交換による利益の割合の期待値が、名前の変化によらないような
確率分布で考えているからであって、例えば金額に上限および下限
がある場合には、上限、下限では期待値が変化するから、
当然考慮する必要があるだろう。

例えば金額のペアが
5000円と10000円
10000円と20000円
の2つしかないとしよう。

自分の手元にくる金額の確率は
5000円の場合 1/2*1/2=1/4
10000円の場合 1/2*1/2+1/2*1/2=1/2
20000円の場合 1/2*1/2=1/4
となる。

それぞれの場合の交換による利益(およびその割合)の期待値は
5000円の場合 5000円 (2倍)
10000円の場合 -5000*1/2+10000*1/2=2500円 (1.25倍)
20000円の場合 -10000円 (0.5倍)

しかし、全体での交換による利益(およびその割合)の期待値は
5000*1/4+2500*1/2-10000*1/4=0円 (1倍)

金額のペアをいくら増やしても、有限である限りは
・下限、中間、上限での利益率
・全体での交換による利益の期待値
は変化がない。

(追伸)

>  「人の名前がたまたま数字だからといって、
> 名前で資産や知能指数を判断してはならない」
>(『論理パラドクシカ』p.256)

このコメントは、今回の議論とは関係がないと思われる。



Re: 常識がダメなら超常識で 投稿者:φ 投稿日:2011年 8月13日(土)02時58分36秒

> No.2971[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

しかし、
fried_turnip氏の、額面と確率が正確に反比例するかのような理屈はやはり変ですよね?

額面は、金額のペアをざっと並べておいて、そこから胴元はサイコロでも振って選ぶこともできるわけですから。
 そのような場合に、金額は選択肢が持つただの「名前」(ラベル)にすぎず、名前が確率に影響するということはありえないはずです。

 「人の名前がたまたま数字だからといって、名前で資産や知能指数を判断してはならない」(『論理パラドクシカ』p.256)

 ……
 eggmanさんへ

> >φ説……父親が注意深く封筒を配布した場合は、交換が得。コイン投げで決めたり、息子に選ばせたりした場合は、交換は損得ナシ。
>
> そこがわかりません。
> 息子の立場からすれば、父親が注意深く封筒を配布したかどうかなんて知りませんし、
> そもそも何をどう注意深く配布したのでしょう?
>

 主観確率の話ですから、「父親の封筒の渡し方を見て、父親の意図が息子にわかる場合は」ということです。
 息子の前で、父親が意図的にある金額を割り当てた様子の場合と、そうでない場合とがあるでしょう。
 様子ではわからない場合は、「意図的1/2、ランダム1/2」となって、(5/4+1)/2=9/8
 交換したときの期待値が交換しないときの9/8となり、やはり交換が得。
    (この計算は合理的でしょうか?)
 割り当てがランダムだとわかる場合は、交換は損得ナシです。

 ともあれ、何度やり直しても父親は自分に同じ金額を割り当てそうだという場合と、そのつどランダムに割り当てそうだという場合と、そのどちらともわからない場合とは、父親の様子を見て区別できるでしょう。
 それによって、場合分けをしています。
 常に同金額っぽければ、交換が5/4の得。ランダムっぽければ、損得ナシ。
 (どちらともわからない場合は交換が9/8の得、という第三の場合はここで初めて述べましたが)

 ……
 koto_bazuさんへ

 あの節は、双子という但し書きについてお世話になりました。

 難問「2封筒」についてもアイディアいただければ幸いです。


こんばんは 投稿者:koto_bazu 投稿日:2011年 8月12日(金)23時28分24秒

2人の息子にとって全く同じ条件なのにも関わらず、交換で損得が生じるということが、凡人の自分には分からず、
まして、「双方とも交換によって得になる」というのがいかなる事態なのか理解できず、
通常の設定なら損得ナシ。というφさんの記述で安心しましたが・・
損得が生じ、まして2人とも得になる「注意深く封筒を配布」って、どういうケースなのでしょうか?
ということで、「論理パラドクシカ」を注文しました。以前少し参加させてもらった2人の子供問題も入っているようで楽しみです。
eggmanさんとかぶる投稿で失礼しました。


名前を少し変えました。 (元 kotobazu)
注意深く封筒を配布とは? 投稿者:eggman
投稿日:2011年 8月12日(金)21時40分9秒

> No.2970[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>φ説……父親が注意深く封筒を配布した場合は、交換が得。コイン投げで決めたり、息子に選ばせたりした場合は、交換は損得ナシ。

そこがわかりません。
息子の立場からすれば、父親が注意深く封筒を配布したかどうかなんて知りませんし、
そもそも何をどう注意深く配布したのでしょう?

息子の立場からすれば、今目の前に封筒があり、中に小切手が入ってる。
兄(弟)の封筒も同様。
そして、封筒内の金額は一方が他方の倍額であるというただ一つの事実があるだけです。

何故、2つの場合に分かれるのでしょうか?
φさんの2つの場合って、当の息子達には区別がつくのでしょうか?



常識がダメなら超常識で 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月12日(金)07時26分4秒

常識人Z氏の

>父親が、の組み合わせで2封筒に入れた確率y(a)(場合1)が
>
の組み合わせで2封筒に入れた確率y(a/n)(場合2)の
>2分の一よりも大きいならば封筒を交換したほうが得。

は、これだけなら実はfried_turnip氏と同じことをいっている。

で、fried_turnip氏はさらに踏み込んで
「場合1の確率が場合2の確率の1/2より大きくなることはない」
といいたいようだが、その理由として挙げた「濃度」を確率密度と
考えた場合、
「場合1の確率>場合2の確率」
でありさえすれば、数学的には定義できるので問題ない。
つまり「確率の常識」だけでは、
「場合1の確率が場合2の確率の1/2より大きくなる」
という場合を排除できない。

ただ、排除する理由が全くつけられないわけではない。

例えば

【ギャンブルの超常識】
胴元の損失額の期待値は有限。

を前提すれば、
金額xのときの確率p1
金額2xのときの確率p2
に対して
x*p1>2x*p2
といえる。
(そうでないと、上記の期待値が発散する。)

常識人Z氏の

>父親の財産を想定して判断すべき。

を数学的に解釈すれば上記のように
表わせるのではないだろうか?


Re: fried_turnip氏の解答について 投稿者:φ 投稿日:2011年 8月12日(金)04時22分21秒

> No.2969[元記事へ]

φさんへのお返事です。

 すみません、前回の修正です。

 初期金額が変動するときの計算。

>
>  全ゲームで交換し続けるとしましょう。(このただ一回で交換するとはそういうことです)。
> A/2円とA円のときは、交換し続けると(A+A/2)/2=3A/4ゲット。
>  A円と2A円のときは、交換し続けると(A+2A)/2=3A/2ゲット。
>  これを平均すると、9A/8ゲット。
>  可能性が3つに限定されたというデータに条件付けて「交換」としたときの期待値は、9A/8円となり、交換が得です。
>
 ↑これはミスでした。
 Aではなく、初期金額の期待値と比べねばなりませんでした。
 初期金額の期待値は、2A/4+A/2+A/2/4=9A/8ですから、交換した結果と同じ、損得ナシでした。うっかりしてました。
 やはり、初期金額の変動を許す場合は、3つの可能性に限定しても、交換は損得ナシ。

 よって、結論、こうなります。

 φ説……父親が注意深く封筒を配布した場合は、交換が得。コイン投げで決めたり、息子に選ばせたりした場合は、交換は損得ナシ。

 fried_turnip説……交換は損得ナシ。金額が高い方を取っている確率が2倍なのだから。(ナンセンス!)

 joushikijinz説……損得についてアイディアなし。


Re: fried_turnip氏の解答について 投稿者:φ 投稿日:2011年 8月12日(金)03時44分6秒

> No.2968[元記事へ]

eggmanさんへのお返事です。


 まず
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2967 の修正です。

「ゲームが終わってみれば、必ずや、初期金額が相対的に高額だった場合に、低額だった場合に比べて、負ける(交換が損だった)ことが2倍も多かったとわかる」
というのは不正確な言い方でしたか。
『論理パラドクシカ』に書いた線での、
「ゲームが終わってみれば、必ずや、交換が得だった場合は、交換が損だった場合に比べて、初期金額の平均が半額だったとわかる」
というのが正確ですね。

 (2封筒ゲームはなかなかイメージが難しいです。実際にシミュレーションでもしてみないと――)

 さて、

>
> 父親がいまわの際に、病室に二人の息子を呼んだ。
> 息子達にそれぞれ1通の封筒を渡して言った。
> 「封筒の中の小切手が私の全財産だ。一方が他方の倍額になってる。お前たちは交換するもよし、しないもよし、折半するのもよし。」
>

 このような具体的な設定だと、2封筒問題の抽象性が失われるので、一般的な答えからは離れるかもしれませんね。
 知られている父親の経済状況、父親と息子それぞれとの関係が平等かどうか、父親が封筒を混ぜてランダムに渡したか中身を区別して二人に渡したか、等々によって違います。

そこでまず、
> 1.φさん説
>  子供達は互いに交換した方が有利。

 手もとに来た金額をA円として、
 まず、初期金額が毎回異なる無限回の試行のうちのランダムな一回と考えてみましょう。


(父親が封筒を区別せずに渡した場合(息子らに自発的にとらせたような場合)にあたります)

 ただし問題設定からして、純粋なゲームではなく財産の分与なので、総額はわからないながらも決まっているはず。よってその1/3と2/3の額も決定しています。(どのみち父親からこの形で財産を受けることはただ一度しかないでしょうから、その一度の可能的反復ということになります)
 いま手もとにA円が来ているとすると、始めにA/2円、A円、2A円という3つの可能性しかないことが確定です。(本当は二つの可能性ですが、むこうの封筒の中身がわからないので、主観的に3つです)
 2Aと4A、10Aと20Aのような試行は無限試行から除外され、試行はA/2とA、Aと2Aの2種類に限定です。

 全ゲームで交換し続けるとしましょう。(このただ一回で交換するとはそういうことです)。


A/2円とA円のときは、交換し続けると(A+A/2)/2=3A/4ゲット。
 A円と2A円のときは、交換し続けると(A+2A)/2=3A/2ゲット。
 これを平均すると、9A/8ゲット。
 可能性が3つに限定されたというデータに条件付けて「交換」としたときの期待値は、9A/8円となり、交換が得です。

 ちなみに、もしも「A円があった」という記憶を保ったまま反復するとしたら「A円以外が来たときに交換が損か得か」がこの時点で判明してしまいます。損なときに交換する手はありません。
 よって、「初期金額が毎回異なる無限回の試行」がゲームとして成り立たなくなります。

 次に、
 「毎回同じ金額A円が手もとに来た無限回の試行のうちのランダムな一回と考える」場合。
 (父親が封筒を区別して渡した場合にあたります)

 父親の財産は決まっているので、むこうの封筒の金額は毎回同じなのですが、主観的には財産総額がわからないので、A/2円、2A円という2つの可能性に固定されます。
 すると、それぞれの確率が1/2ですから、期待値5/4A円で、交換が得です。

 いずれにしても、父親の封筒の渡し方にかかわらず、「A円」を見て金額の可能性が3つに限定されたあとでは、息子としては交換が得なようです。

> 2.fried_turnipさん説
>  交換してもしなくても同じ

 客観的視点では可能性は2種類の金額しかありませんから交換しても損得ナシなのは当然です。しかしここでは主観的視点で、3つの可能性が考えられるので、客観的視点では解決できません。
 いずれにせよfried_turnip説では主観的視点でも交換損得ナシということですが、
 その理由が、驚いたことに、
 「手もとの金額がいくらであると判明しようとも、その金額が高額の方である確率が2/3であり、低額の方である確率が1/3であるから」
 というものです。
 そんなバカな話はありません。
 そんな推理が正しいなら、封筒の交換はさておいて「自分の手もとに来ているのは高額の方か低額の方か」について別個の賭けをして、「高額の方」に賭け続ければ確実に儲かることになります。
 この場合、二人とも儲かるということですね。
 ペアを2倍差ではなく10倍差にでも設定すれば二人ともあっというまに億万長者ですな。
 fried_turnip説はこのようにバカゲた含意を持っているのです。
 (あまりに見えすいたバカさ加減なので、もしかして私が誤解している?)

> 3.joushikijinzさん説

 は、当たり前の期待値計算しか述べておらず、立場不明です。
 joushikijinz氏が


φに賛成するなら「交換が得」
 fried_turnip氏に賛成するなら「交換は損得ナシ」
 ということになるでしょう。


Re: fried_turnip氏の解答について 投稿者:eggman 投稿日:2011年 8月11日(木)07時53分54秒

> No.2967[元記事へ]

φさんへのお返事です。

父親がいまわの際に、病室に二人の息子を呼んだ。
息子達にそれぞれ1通の封筒を渡して言った。
「封筒の中の小切手が私の全財産だ。一方が他方の倍額になってる。お前たちは交換するもよし、しないもよし、折半するのもよし。」
そう言った直後に父親は臨終。

息子達は、それぞれ封筒を開けた。
息子達にとって期待値的に有利なのはどれか?

1.φさん説
 子供達は互いに交換した方が有利。
2.fried_turnipさん説
 交換してもしなくても同じ
3.joushikijinzさん説
 父親が、の組み合わせで2封筒に入れた確率y(a)(場合1)がの組み合わせで2封筒に入れた確率y(a/n)(場合2)の2分の一よりも大きいならば封筒を交換したほうが得。父親の財産を想定して判断すべき。


こういうことでしょうか?



Re: fried_turnip氏の解答について 投稿者:φ 投稿日:2011年 8月11日(木)02時06分16秒

> No.2966[元記事へ]

モンテカルロさんへのお返事です。

>
> おそらく、真にいいたかったことは
> 「xとなる確率:2xとなる確率=1:1
>  となる分布は存在しない」
> ということだったのでしょうが、この場合も
> 「xとなる確率:2xとなる確率=n:1 (n>1)」
> となる分布は存在し、2>n>1の場合には、
> やはり期待値が1より大きくなるので、
> これだけでは期待値が1より大きくなる場合を
> 排除することはできません。
>



まったくで、
 2>n>1どころか逆にn<1、
 自分が選ばなかった封筒が高額である確率の方が高い場合もありうるのですから。

 たとえばこちらが2円であれば、むこうが1円ということはないだろう、もしむこうを選んでいたらゲーム不成立だったのだから胴元はそんなことはするまい、と推測できるような場合です。
 そうすると、2円が入れられているともう一つが4円だとわかってしまうので、2円が選ばれる可能性を排除して胴元は2円を入れないだろう。とすると、2円がないとわかるのだから4円も入れられない(むこうが8円だとわかってしまうから)。すると8円も……

 ……というふうに、抜き打ち試験パラドクスのような逆向き推論をすると、
 少額の方が「推理の限界」に近いため避けられる傾向にある、という理屈も成り立ちます。
 つまり、fried_turnip氏の理屈とは逆に、
 高額の組み合わせの方が確率が高いことにもなりかねません。

 いずれにしても、
 fried_turnip氏の理屈は、2封筒問題について数学者が好んで行なう説明なのですが、私には全く理解不能です。

 ただし、『論理パラドクシカ』でも触れたように、
 「ゲームが終わってみれば、必ずや、初期金額が相対的に高額だった場合に、低額だった場合に比べて、負ける(交換が損だった)ことが2倍も多かったとわかる」
 という正しい統計と何か関係があるような気がします。

 ゲーム中は(とくにただ一度行なう場合は)、どれが高額でどれが低額かを見分ける基準がないので、交換の損得の主観確率1/2なのですが(高額であれば損多し、低額であれば得多しで、頻度そのものは1/2)、結果的には高額の場合に限れば交換が得だったのは1/2未満になっているでしょう。
 逆に、低額の場合に限れば交換が得だったのは1/2より大でしょう。

 この正しい統計的理屈を別の仕方で適切に述べ直すとfried_turnip氏の確率密度の理論になる、
 のでしょうか?
 一体どう変換すれば「任意の初期金額のときに他方の金額の確率が低額寄りに偏っていると見なせる」ことになりうるのか、どうにもわかりません。
 損得自体の確率は1/2に決まっているのだから……。


fried_turnip氏の解答について 投稿者:モンテカルロ 投稿日:2011年 8月10日(水)04時57分19秒

どうも、モノクローム改めモンテカルロです。

fried_turnip氏のいう「濃度」ですが、
これはいわゆる集合の濃度とは異なります。
おそらく、確率密度を指すのだろうと思われますが。

で、結局fried_turnip氏のいってるのは
「2封筒のうち、低いほうの金額をxとしたとき
 xとなる確率:2xとなる確率=2:1
 となる確率分布を入れた場合には期待値が1となる」
というだけです。

おそらく、真にいいたかったことは
「xとなる確率:2xとなる確率=1:1
 となる分布は存在しない」
ということだったのでしょうが、この場合も
「xとなる確率:2xとなる確率=n:1 (n>1)」
となる分布は存在し、2>n>1の場合には、
やはり期待値が1より大きくなるので、
これだけでは期待値が1より大きくなる場合を
排除することはできません。


Re: 2封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2011年 8月10日(水)04時32分23秒

> No.2964[元記事へ]

eggmanさんへのお返事です。

>
> わからないのは、
> ・封筒内に見出す初期金額は、平均して、交換が得な場合には損な場合の半額である。
> ・試行全体の平均に照らして初期金額が大きいときに損しやすく、初期金額が小さいときに得しやすい。
>
> という箇所です。
> 何故、こう言えるのでしょうか?
> 1回ごとの期待値がすべて「交換で25%の得」ならば、初期金額の如何にかかわらず100回全体では損得ナシとなるのはおかしいように思うのですが。
>

 『論理パラドクシカ』該当箇所(p.51)では、「ただ1回の試行」のときは、毎回その同じ金額であるような無限試行のうちの一回というふうに「自己本位」に見なすことができる、と書きました。
 つまりその見方は、不合理でないまでも、自己本位なのです。
 あくまで見なすことができるということであり(p.53では「一理ある」としておきました)、見なすことが本当に合理的であるかどうかは保留です(文脈によるでしょう)。

 なので、私の基本的立場は、p.53あたりで読み取れるであろうように、
 一回限りの試行では交換しても損得ナシ、
 というものです。
 それはあくまで基本的立場で、場合によっては金額固定の場合のひとつと見なせる(このときは交換が得)ことを否定しない、という程度のものです。
 たとえば胴元が、私がどちらの封筒をとったかを見極めてから交換ゲームを提案してきたような場合(私が反対側をとったとしたら提案はなかったと疑われる場合)などは、「金額固定のゲーム」と見なす余地が出てきます。(B、C対称的なプレーヤーがいる場合はこの設定は無理があるが)

 もちろん、本当に初期金額を固定したゲームでは(ある金額が来たときだけを選んでゲーム成立とする場合では)、見なしとは独立に、客観的に交換が得となります。

 さて、
 1回ごとの期待値がすべて「交換で25%の得」
 と見なせるのは、毎回、「この一回の試行だけ自分はやる」と決めている場合です。
 記憶を保った同一人物についてはこれは無理があると思われるのなら、各々違う人間が一回ずつ試行するとしましょう。
 各人が見出した金額と同一に初期金額を固定した多数試行のうちの一回と「見なせば」、交換が得になります。
 「試行全体の平均に照らして初期金額が大きいときに損しやすく、初期金額が小さいときに得しやすい」ことは確かですが、各人は試行全体を見渡せませんから、自分が封筒内に見出した初期金額が全体の中で大きい方か小さい方か、などわかりません。よって、交換の損得が主観確率1/2ずつであり、期待値は25%の得となります。

 しかしもちろん、全体が終わったあとで見渡せば、交換して損だったのは試行全体の平均に照らして初期金額が大きいときに多く、得だったのは初期金額が小さいときに多いことがわかります。よって、損得ナシです。

 以上の、「25%の得」というのは、各人が唯一試行の準拠集団を「初期金額が同一である場合」としています。
 「損得ナシ」というのは、すべての人について、さまざまな初期金額のときに交換した結果をすべて総合しています。

 準拠集団が異なるので、期待値が異なっても不思議ではありません。
 ただ一度の試行は、どういう準拠集団に位置づけるかについて自由度が高いので、こういう齟齬が起こりえます。

 ただし、前述のように、
 唯一試行を「たまたま手もとに来た初期金額」と同じ金額が来たときに限定してこのゲームをやり続けるとしてみよう。いまはそのうちの一回だ」と見なすことが合理的でない文脈では、そのつどランダムな初期金額についてゲームをやり続けたときの期待値が真の期待値となりますから、一回ごとの交換の期待値も±ゼロです。


Re: 2封筒問題について 投稿者:eggman 投稿日:2011年 8月 9日(火)23時42分19秒

> No.2963[元記事へ]

φさんへのお返事です。

すみません。
最初に戻って

・無限試行ならば「損得無し」
・ただ一度の試行ならば交換した方が「25%の得」

ですが、その理由として、論理パラドクシカ52頁3~9行目には、「恣意的な設定抜きで100回行えば、毎回初期金額は変動するので、封筒を交換して得する場合と損する場合とを比べると、あなたの封筒内に見出す初期金額は、平均して、交換が得な場合には損な場合の半額であるはず。つまり、試行全体の平均に照らして初期金額が大きいときに損しやすく、初期金額が小さいときに得しやすい。この偏りのため、1回ごとの期待値がすべて「交換で25%の得」ではあっても、100回全体では損得ナシとなるのである。」と書いてあります。

わからないのは、
・封筒内に見出す初期金額は、平均して、交換が得な場合には損な場合の半額である。
・試行全体の平均に照らして初期金額が大きいときに損しやすく、初期金額が小さいときに得しやすい。

という箇所です。
何故、こう言えるのでしょうか?
1回ごとの期待値がすべて「交換で25%の得」ならば、初期金額の如何にかかわらず100回全体では損得ナシとなるのはおかしいように思うのですが。



Re: 2封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2011年 8月 9日(火)04時45分56秒

> No.2962[元記事へ]

φさんへのお返事です。

前の私の投稿の前半は、ちょっと混乱がありました。

 金額を固定しない場合ですら、交換が得と言えるかもしれない条件を述べてしまいました。
 有限回行なえば、という条件です。
 (これは別途、吟味の必要有りですが――)

 eggmanさんの質問では、「無限回」やるのでしたね。
 「無限に多くの人が、各々金額を厳密に固定して交換ゲームを無限試行するとどうなるか」でしたね。

 固定した場合は、誰もが交換が得になるはずです。普通の期待値計算によって。
 無限回であってもです。(むしろ、無限回であればこそ計算どおりになります)

 「これら無限に多くの人がただ一度だけゲームをしたら、全員が交換したほうが得となるか」
 についてはどうでしょうか?

 この場合は、
 無限回試行と趣旨を一致させて、各人にとって「私」の準拠集団を無限人そのものとするなら、母集団の金額が全種類をとってしまう(上限がない)ので、
 固定しない場合と同じになりそうです。
 よって、得にならないでしょう。
 理由は、前々回に述べたとおり、「平均して「交換が得」である場合と「交換が損」である場合とでは初期金額に2倍の差があるから」です。

 現実的に各人の準拠集団を有限人としてよいなら、前回述べたとおり、全員が必ずではないが、概して、交換が得になるでしょう。(交換すると上限が突破されるため)

 …………

 前の投稿の後半については、変更なしです。

 よく考えたつもりですが、風呂の中とか、隙間で考えていたため、やや混乱した応答をしてしまいました。
 なんでも御指摘下さい。


Re: 2封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2011年 8月 9日(火)04時06分49秒

> No.2961[元記事へ]

eggmanさんへのお返事です。

>
> それでは、無限に多くの人が、各々金額を厳密に固定して交換ゲームを無限試行するとどうなるのでしょうか?
> 封筒の中にa円があった人
> 封筒の中にb円があった人
> ・・・・・・・・
> 封筒の中にz円があった人
>
> どの人も、交換が得になるのでしょうか?
> あるいは、これら無限に多くの人がただ一度だけゲームをしたら、全員が交換したほうが得となるのでしょうか?
>

 得になるでしょう。
 なぜなら、無限に多くの人が試行する中で、「私」ができる試行は有限回だからです。(このような「有限仮定」を認めるのが問題の趣旨に合っているかどうかは別途議論が必要ですが、ともかく現実的には「私」が行なう試行は有限回です)

 すると、「私」の選んだ封筒の初期金額には最大値があります。それをNとします。
 交換しない場合は、私の得られる最大値はNです。
 しかし、交換する場合は、私の得られる最大値は2Nです。

 よって、交換した方が得なのは明らかです。
 同様に最小値の方も、交換しない場合に比べて交換する場合は1/2となりますが、その差は最大値の差に比べて取るに足りません。

 無限人の試行(初期金額に最大値なし)の中にいる「私」の準拠集団は常に有限人の部分集合である(初期金額に最大値あり)、というところがミソですね。
 初期金額の最大値において、交換後の金額に2倍の差が出るのだから、トクに決まっています。

 ただ一度だけゲームをする場合も、各人にとって「私」が得ることのできる初期金額は有限種類しかない(ゲームそのものの中では無限種類だが)ため、理屈は同じことになります。総じて、交換した方が得です。

 以上はいちおう、さっき風呂の中で私が編み出した考えですが、たぶん正しいと思います。


>
> joushikijinz氏は、y(a) >y(a/n)/nを導いて
> 「の組み合わせで2封筒に入れた確率y(a)(場合1)が
の組み合わせで2封筒に入れた確率y(a/n)(場合2)のn分の一よりも大きいならば封筒を交換したほうが得ということになる。」
> と言ってます。
>
> この式の導出が間違いでなければ、交換しても損得無し、期待値は変わらずとなるのは
> y(a) =y(a/n)/n
> の場合になります。
>

 joushikijinz氏の計算は大袈裟ではないでしょうか。
 a円がデータとして得られたところから出発すればよいので、
 y(a)=x、y(a/n)=1-xとして、
 交換しないときの期待値<交換したときの期待値
 a<(1-x)a/n+nax
 というふうに素直に計算すれば x>1/(n+1) が求められますから。(あるいはこんな簡単な計算じゃダメな理由があるのかな?)

 ともあれ、joushikijinz氏の回答は、質問者への答えになっていないのです。
 質問者は、常識的に y(a) =y(a/n)=1/2 だと思っているのですから、
 それを否定しなければ、joushikijinz氏は「交換が得」と保証しただけとなり、質問者の「不思議だ」という疑問に答えていません。


>
> あるaについて、y(a) =y(a/n)となる(場合1と場合2の確率が等しい)のは、上の不等式を満たす一例(唯1点)ですので、その意味で特殊な場合ということではありませんか?
>

↑この御疑問の意味がわかりませんが……、
 eggmanさんは、「コインを投げて表が出るのは1/2というのはただ1点なので特殊だ」と言っているようなものではないでしょうか?

 なんの情報もなければ、コインがかりに物理的に偏っていて裏表の出やすさに偏りがある可能性があろうとも、全くわからないのだから、主観確率は1/2とせざるをえません。
 1/2以上の場合も以下の場合も考慮しつつ、総じて1/2以外の判断は恣意的でしょう。

 2封筒問題でも、胴元の選択が全くわからないのだから、y(a) =y(a/n)=1/2とする以外にありません。

 joushikijinz氏は、y(a) <y(a/n)かもしれないしy(a) >y(a/n)かもしれないと言ってるだけです。これでは質問者への答えになっていません。

 他方、驚くべきことに y(a) <y(a/n) である、と主張しているのがfried_turnip氏ですが(だからこそfried_turnip氏の解答のほうが格段に面白いのですが)、fried_turnip氏が正しいことはありえない、というのが私の考えです。
 fried_turnip氏が正しければ、BとCのそれぞれが相手より少額である確率を足して1より小さくなってしまうのですから。

 いずれにせよ、fried_turnip氏の説明がベストアンサーだというのはありえないでしょう。


Re: 2封筒問題について 投稿者:eggman 投稿日:2011年 8月 8日(月)20時57分7秒

> No.2960[元記事へ]

φさんへのお返事です。

ご回答ありがとうございます。
混乱してますが、とりあえず2点ほど教えてください。

(1)
> ●金額を見た場合は、B、Cどちらの視点に立っても、確率は対称的だが金額が非対称なので、交換による期待値は非交換の期待値より高い。
> ただし、その根拠は、金額が厳密に固定された場合に限る。
> 封筒の中にa円があった場合、この試行を、「自分に同じa円がきた」という無限回の試行のうちのランダムな一つと見なすことができる。そのような準拠集団に自らを位置づけた場合、交換が得になる。
> そのような位置づけが可能になるのは、交換ゲームをただ一度だけやる場合か、または、a円という同じ金額が来た場合にのみ交換ゲームが成立する、と決める場合か、いずれかである。
> 金額を固定せずに、
> 今回はa円だったが次回はそうでないかもしれない、しかし何円であれこのゲームをしよう、という場合、平均して「交換が得」である場合と「交換が損」である場合とでは初期金額に2倍の差があるので、平均して、全回通じて交換した場合と全回通じて非交換である場合とを比べると、期待値に損得はない。


それでは、無限に多くの人が、各々金額を厳密に固定して交換ゲームを無限試行するとどうなるのでしょうか?
封筒の中にa円があった人
封筒の中にb円があった人
・・・・・・・・
封筒の中にz円があった人

どの人も、交換が得になるのでしょうか?
あるいは、これら無限に多くの人がただ一度だけゲームをしたら、全員が交換したほうが得となるのでしょうか?


(2)
> BとCは確率について対称的なので、「この特殊な場合」が成り立つと考えるのは当たり前でしょう。とくに但し書きがない場合には各事象の確率を一様分布と考えざるをえないのは、コイン投げやサイコロ投げの場合と同様です。
> つまり、「この特殊な場合」が通常は成り立たないと考えるべきだと言いたければ、その根拠を述べねばなりません。

joushikijinz氏は、y(a) >y(a/n)/nを導いて
の組み合わせで2封筒に入れた確率y(a)(場合1)が
の組み合わせで2封筒に入れた確率y(a/n)(場合2)のn分の一よりも大きいならば封筒を交換したほうが得ということになる。」
と言ってます。

この式の導出が間違いでなければ、交換しても損得無し、期待値は変わらずとなるのは
y(a) =y(a/n)/n
の場合になります。

あるaについて、y(a) =y(a/n)となる(場合1と場合2の確率が等しい)のは、上の不等式を満たす一例(唯1点)ですので、その意味で特殊な場合ということではありませんか?
それとも、y(a) >y(a/n)/nの導出が間違いなのでしょうか?




Re: 2封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2011年 8月 8日(月)01時59分46秒

> No.2959[元記事へ]

eggmanさんへのお返事です。

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2462
でしたね。

 あの節は、フロリダ問題を教えていただいたおかげで、
 『論理パラドクシカ』の確率・期待値編を充実させることができました。
 改めて、ありがとうございます。

 2封筒問題について『論理パラドクシカ』で提示した解答は、フロリダ問題などとの整合性を考えても、正しいはずだと考えています。
 ただし名うての難問ですから、私が勘違いしていないという確信はありません。
 以下、私の現在の確信的考えを述べましょう。

>
> 1.φさんの、無限試行を前提とした解答は、「fried_turnip」氏の解答と同じ意味なのでしょうか?
> 2.「joushikijinz」氏の解答は誤りなのでしょうか?
>

1.同じ意味ではないと思います。
 fried_turnip氏の意図はともかく、「相手は0.5X円である場合と2X円である場合の2通りですが、それぞれの確率は1/2ではありません」というfried_turnip氏の表現は、そのままでは正しくありえませんから。
 『パラドクシカ』p.52の注で、fried_turnip氏のような確率分布説の「意図」を好意的に忖度しましたが、fried_turnip氏の説明は不完全すぎて、Xという変数的な文字を使っているために、文字通りにとると矛盾します。
 なぜなら、
 確率はBとCについて対称的なので、「相手が0.5X円である確率は2/3、2X円である確率は1/3となります」という説明は双方に当てはまらねばならないからです。
 fried_turnip氏の説明どおりだと、「BとCについて二人とも相手の方が少額である確率が高い」ということになり、二人の「相手の方が少額である確率」を足して1より小さくなってしまい、不合理です。
 非対称的なのは確率ではなく金額の方なので、交換してもしなくても期待値が損得ナシになる根拠は、確率ではなく効用の再解釈の方に求められねばなりません。

2.joushikijinz氏の解答も誤りであり、また、それ以前に的外れです。
 「場合1の確率と場合2の確率が等しいとした特殊な場合(y(a)=y(a/2))、交換による期待値は、a(n^2+1)/2nとなる。 …… ちまたの多くのブログでは、この特殊な場合が常に成り立つと勘違いしている」
 と言っていますが、
 BとCは確率について対称的なので、「この特殊な場合」が成り立つと考えるのは当たり前でしょう。とくに但し書きがない場合には各事象の確率を一様分布と考えざるをえないのは、コイン投げやサイコロ投げの場合と同様です。
 つまり、「この特殊な場合」が通常は成り立たないと考えるべきだと言いたければ、その根拠を述べねばなりません。それを述べている点では、fried_turnip氏の説明の方がjoushikijinz氏の説明よりマトモです(ただし説明が矛盾を孕んでいますが)。
 しかもjoushikijinz氏の説明だと、「この特殊な場合」には常に交換が得だということになってしまいますが、それこそがパラドクスなのであり、なぜ得なのかを説明しなければなりませんね。
 交換が得であるのは、joushikijinz氏のいう「場合1の確率と場合2の確率が等しい場合」よりももっと限定されるべきだというのが私の考えです。

 私の考えは、『論理パラドクシカ』で述べたように、以下のとおりです。(yahoo知恵袋のとおり、胴元をA、交換当事者をB、Cとします)

 …………………………………………
 ●金額を見ない場合は、確率、金額ともにB、Cについて対称的なので、交換による期待値の変化は損得ナシ。

 ●金額を見た場合は、B、Cどちらの視点に立っても、確率は対称的だが金額が非対称なので、交換による期待値は非交換の期待値より高い。
 ただし、その根拠は、金額が厳密に固定された場合に限る。
 封筒の中にa円があった場合、この試行を、「自分に同じa円がきた」という無限回の試行のうちのランダムな一つと見なすことができる。そのような準拠集団に自らを位置づけた場合、交換が得になる。
 そのような位置づけが可能になるのは、交換ゲームをただ一度だけやる場合か、または、a円という同じ金額が来た場合にのみ交換ゲームが成立する、と決める場合か、いずれかである。
 金額を固定せずに、
 今回はa円だったが次回はそうでないかもしれない、しかし何円であれこのゲームをしよう、という場合、平均して「交換が得」である場合と「交換が損」である場合とでは初期金額に2倍の差があるので、平均して、全回通じて交換した場合と全回通じて非交換である場合とを比べると、期待値に損得はない。
 …………………………………………

 ちなみに、joushikijinz氏が気にしている胴元Aの性格のような事情は、問題に書いてない以上、全く不明として(問題に本質的でないものとして)扱うべきです。

 「交換ゲームでa円が来た」という外形が同じ試行であっても、どのような試行群の一つとして位置づけるかによって意味が異なるのは当然です。私の解答はそのことを利用しています。

 以上です。
 いかがでしょう? eggmanさんは誰に同意ですか?

 fried_turnip氏の説明に比べて、「交換が得である場合と得でない場合があるのはなぜか」を説明しているぶん、私の説明がまさっていることは明らかではないでしょうか?

 fried_turnip氏の説明では、初期金額a円限定のゲームであっても、交換は得ではないことになってしまいます。
 しかし、初期金額a円のゲームに限れば、p.48の設定Sと同じであり、交換は得になります。fried_turnip氏の説明にはこれを否定する含意があり、間違っているのです。(「a円限定ゲームは設定Sと同じ」というのをfried_turnip氏は否定するかもしれませんが、論理的根拠は不明です)

 fried_turnip氏の確率分布説は、
 矛盾をなくすもっと明確な説明法に変えれば、私の説明と同一になるような気もします。
 ただし、どのような言い回しでそれが可能になるのか、私にはちょっとわかりません。


2封筒問題について 投稿者:eggman 投稿日:2011年 8月 7日(日)08時20分16秒

こんにちは
φさんの論理パラドクシカ買いました。
面白いのですが、正直言って難しいです。
それはともかく、2封筒問題について結論を出しておられましたがわからないところがあります。

結論として、以下のように書いておられました。
・無限試行ならば「損得無し」
・ただ一度の試行ならば交換した方が「25%の得」

以前書いたことがあるのですが、
(2010年 8月15日(日)11時24分36秒)

yahoo知恵袋に2封筒問題についての質問と回答があります。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1441439719

濃度を使った「fried_turnip」氏の回答と、ベイズの定理を使った「joushikijinz」氏の回答の違いが気になったのですが、さらにφさんの本を読んでますます分からなくなりました。

ここでお聞きしたいことは、以下の2点です。
1.φさんの、無限試行を前提とした解答は、「fried_turnip」氏の解答と同じ意味なのでしょうか?
2.「joushikijinz」氏の解答は誤りなのでしょうか?

よろしくお願いします。




お詫び 投稿者:まだら 投稿日:2011年 8月 3日(水)02時33分22秒

> No.2957[元記事へ]

議論が途中だったと思いますが、中断する形になって申し訳ありません。

とりあえず謝罪だけ。今は余裕がないので、時間ができてから掲示板を読ませて頂きます。


SumioBabaの布教活動は、SumioBabaを幸福にするか? 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月30日(土)15時18分42秒

> No.2956[元記事へ]

φへの返事。

φ> http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2952
φ> でのモノクロームさんの発言は、まあほぼ全面的に正しいことを言っているので、
φ>「荒らし」にはあたらないでしょう。

当然といえば当然であるが、正直安堵している。

φ>  モノクロームさんがなぜあんな苛立たしげな口調になっているかというと、
φ>馬場さんの http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2951
φ>があまりにいい加減で、ちゃんと議論しようという姿勢が感じられないからです。

SumioBabaは「真理の追究」ではなく「自己の教えの布教」を目標としているからだろう。

φ> せいぜい、「検出器の有無の混同」を批判されたから、
φ> それをやめて「スリットふさぎの有無の混同」に取り替えてみましたと。
φ> ちょっとそれは安易かつ不真面目すぎです。

SumioBabaに限ったことではないが、上記のごとき安直な行動に対して
「不真面目」という言葉を投げかけても、相手は自分のことだとは
思わないようである。

当人にとってみれば
「自分は自説を貴方に認めさせるのに必死なんだ。
 どこがふざけているというんだ?」
と思うらしい。

不真面目=ふざけている、
真面目=必死(あるいは切羽詰っている)
と思っているようだが、言葉の使い方を間違っている。

φ>  難解なことを言われてるわけではないのに、
φ> 初歩的な誤りを認めず、同レベルの誤りを堅持する態度が、
φ> モノクロームさんにマナー違反と映ったのでしょう。
φ> モノクロームさんの苛立ちは当然だと思います。

私自身は「マナー違反」という言葉を使わない。

この言葉を用いる人は、暗に
「オレ様は機嫌を損ねたぞ」
といいたがってるように思えるからだ。

別に私の機嫌など大したことではないからどうでもいい。

SumioBabaが数学を誤解するのはSumioBaba自身にとって不利益である。
SumioBabaが物理を誤解するのはSumioBaba自身にとって不利益である。
人の不幸を見過ごせないから言っているわけである。

SumioBabaが、数学や物理を正しく理解したところで
SumioBabaの考えを正当化するものではないかもしれない
しかし、それゆえに、数学や物理が何の役にも立たないと
SumioBabaが考えるのであれば、それこそ最大の不利益である。


Re: 科学論争は神聖なもの 投稿者:φ 投稿日:2011年 7月30日(土)02時42分24秒

> No.2953[元記事へ]

SumioBabaさんへのお返事です。


 まず、馬場さんに対して結論から述べます。

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2952
でのモノクロームさんの発言は、まあほぼ全面的に正しいことを言っているので、「荒らし」にはあたらないでしょう。

 モノクロームさんがなぜあんな苛立たしげな口調になっているかというと、馬場さんの http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2951 があまりにいい加減で、ちゃんと議論しようという姿勢が感じられないからです。

 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2951 は、私が http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2937http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2950 で指摘した事柄を全くふまえていないでしょう。
 あるいはせいぜい、「検出器の有無の混同」を批判されたから、それをやめて「スリットふさぎの有無の混同」に取り替えてみましたと。ちょっとそれは安易かつ不真面目すぎです。

 難解なことを言われてるわけではないのに、初歩的な誤りを認めず、同レベルの誤りを堅持する態度が、モノクロームさんにマナー違反と映ったのでしょう。モノクロームさんの苛立ちは当然だと思います。


 で、現時点ではいろいろ詳しく述べても無駄っぽいので、
 今回はごく簡潔に、馬場さんに一つだけ反問させていただきましょう。

>
> > 重ね合わせの必要条件をエベレットからの引用で確認してくださ
> >い。馬場さんのMLとMRの測度を足して、Mの測度になっていま
> >すか?
>
>  はい、もちろんです。(2)において、素粒子がスリットを通るまでは
> 1つだったM(t)が、スリットを通った後、確率1/2ずつで、ML(t)とMR(t)
> とに分岐したのですから、当然です。
>
> > WLとWRの測度を足して、Wの測度になっていますか?
>
>  はい、もちろんです。(1)において、素粒子がスリットを通るまでは
> 1つだったW(t)が、スリットを通った後、確率1/2ずつで、WL(t)とWR(t)
> とに分岐したのですから、当然です。
>

 MもWも基本同じことなので、Wバージョン、
 WとWL,WRで考えましょう。
  特定の場所・時刻での特定の実験について、
  それが2スリット実験である世界がWです。
         (Wはスリットふさぎが為されなかった世界です)
  それが1スリット実験である世界がWL,WRです。
         (WL,WRはスリットふさぎの為された世界です)

 この違いがある時点で、Wが実現したのならWL,WRは実現できない。WL,WRが実現したのならWは実現できないという関係になっています。
 (様相論理学の「可能世界」としては両立しますが、ここでは量子効果による分岐に対応する多世界のみが準拠集団を構成しますから、可能世界はいくつあっても無関係です)

 実際行なわれたのが2スリット実験なら、その時点でWが測度1だとすると、WL,WRは測度ゼロとなりますね。
 実際行なわれたのが1スリット実験なら、その時点でWL+WRが測度1だとすると、Wは測度ゼロとなりますね。

 よって、WLとWRの測度を足して、Wの測度になることはありえません。
 つまり、WはWLとWRの重ね合わせではありません。線形だろうが非線形だろうが、そもそも重ね合わせの関係になってないのです。

 さあ、これにどう答えるのですか?


 (馬場さんが答えそうな屁理屈は幾通りか予想がつきますが、今度こそ真面目に考えて答えてくださいよ、「科学論争は神聖なもの」と銘打ったからには。即答する必要はないと前からお伝えしています。拙速不誠実な語列へ一々応答するのは私もそろそろ面倒になってきたので)


さて 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月29日(金)21時15分1秒

その昔「東日流外三郡誌」なる古文書が偽書であると指摘した記者に対してある歴史家が
「あなたのせいで偽書の作者とされている人の親族がイジメにあっている。」
などといいがかりをつけてきたそうである。

SumioBabaの書き込みを見て、ついこのことを思い出した。
反論できないからといって、全く無関係なことをいいだすのは、
己の人間性を己自身完全に否定する自傷行為といわざるを得ない。


何様のつもり? 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月29日(金)21時03分37秒

SB> モノクロームさんの書き込みは、この神聖な議論の場を、
SB> 2ch風に土足で踏みにじる内容になっています。

本当はこう書きたかったのでは

「モノクロームは、この神聖なボクを、
 2chねらーの如く土足で踏みにじった。」

そしてこの書き込みにはこう答えたい。

「君、何様のつもり?」

SB> かつてNIFTYのサイエンスフォーラムで、全く同じ状況を経験しています。
SB> 私に誤りを指摘され、逆ギレし逆恨みしたのか、私への誹謗中傷・罵詈雑言が
SB> 毎日掲示板に書き込まれ、非常に迷惑でした。

そこなら検索で見つかったので読ませてもらったが
SumioBabaは、やはり同様の初歩的な誤りを指摘されており
しかも、やはり相手の指摘に対して感情的に怒り狂って
最終的には議論を放棄する幼稚な振る舞いに終始していた。

SB> こういう場で議論するとき、社会人としてのモラル、マナー
SB> といったものが有ります。たとえ相手が間違っていると感じても、
SB> 確認するまでは結論を出すべきではありません。

誰が「確認するまで」なのか?相手か?

もし相手が間違いを認めなかったら永遠に結論がでないといいたいのか?
残念だが、そんな考え方は間違っている。

SB> もし自分の誤解であったなら、相手に失礼になってしまいます。

ならないだろう。言い掛かりをつけたほうが間違っているなら
いかなる言い掛かりをつけられようとも全く痛痒を感じない。

SB> ところがモノクロームさんは、いきなり「お前は間違っている!!」と
SB> 独断で結論を出し、相手を侮辱するところから議論を始めています。

そもそも間違いの指摘を「侮辱」と感じるのが間違っている。
別に感謝してほしいとは思わないが。

SB> 相手が「それは誤解だ」と説明しても、モノクロームさんは
SB> 自分が誤解していたことは認めず、相手の説明をさらに曲解し、
SB> 「いや、お前の間違いだ!!」と言い続けるだけ。
SB> それが延々と続きます。

実際に数学における定義に則しているのは私であって
SumioBabaの定義は、数学のそれとは無関係である。

数学で用いられる言葉の定義の正しさを決めるのは、
定義を認める数学者のコミュニティのであって
SumioBaba個人ではない。

SB> モノクロームさんの書き込みは、一方的に相手に喧嘩を売り、
SB> 相手を不愉快にさせることを楽しんでいるだけの、いわゆる
SB> 「荒らし」行為に見えます。

SumioBabaの自慢の主張に対する、私の指摘が
SumioBabaの反駁の余地を完全に潰したことで
SumioBabaを激怒させたことは想像に難くないが
そもそもそんな些細な間違いの指摘で
まるで全人格を否定されたかのごとく
激怒するのは「私は小人物だ!」と
絶叫しているようで大変みっともない。

SB> まともな議論のできる相手じゃないんですね。

「まともな議論」とはSumioBabaにとって
「反駁の余地のある議論」という意味らしい。

しかし、そもそもSumioBabaの主張が数学に反するという点で
「まともでない」のだから、数学的な誤りの指摘に対して
反駁の余地がなくとも致し方ない。

SB> 恐らく今後も、私に対する誹謗中傷・罵詈雑言が延々と続くと予想されますが、

SumioBabaにとって「反駁の余地のない誤りの指摘」は
「誹謗中傷・罵詈雑言」であるらしいが、私が思うに
自分の誤りに気づくことは自分にとって利益でありこそ
すれ、決して損失ではない。

SB> 私はもう無視するだけにしようと思います。

間違いを語り続ける限り、間違いを指摘させていただく。
間違いを真実と思い込む貴方の不幸を見過ごすわけにはいかない。

SB> 私は科学論争を、剣道や柔道のような格闘技だと考えます。

格闘技が好きなら、掲示板にわけのわからんことを書くより
ボクシングでもレスリングでもやってみたほうがいいだろう。

私は議論を格闘技とは考えない。勝ち負けなどはない。
真実を知ることは誰にとっても利益になる。

>戦っている時は全力で相手を打ち負かそうとしますが、

戦う?負かす?そんなことは一度も考えたことがない。
私が正しくあなたが間違ってるからといって私が快感を感じることはない。
私はそのような変態的な性癖を有しない。

SB> 基本は「礼に始まり、礼に終わる」です。

私は「礼」には興味がない。
人と人のつきあいに、そのようなウソは必要ない。

SB> 相手を侮辱したり、勝ち誇るのが目的ではなく、
SB> お互いに成長し合うのが目的です。

SumioBabaは、単に自分の考えを相手におしつけ
それが「お互いの成長だ」といってるに過ぎない。

SB> 試合前後にみんなが「礼」をしているのに自分だけせず、
SB> 試合中に相手をののしる言葉を叫び続けるような人とは、
SB> 議論を続けたくありません。

私はSumioBabaに礼を求めない。
また反駁の余地がないなら黙ればいい。
面目を保とうとして見当違いのことをいうのは随意だが
そんなことをしてもSumioBabaにとっては何の得るところも
ないだろう。

SB> その点、三浦さんは、こちらの書き込みをじっくり理解した上で
SB> 紳士的に答えて下さっているのは事実なので、これからも議論を
SB> 続けさせて頂きたいと希望します。

φが数学をロクに知らないと思ってなめているのだろうが、
私が見る限り、SumioBabaがφよりも数学を分かってるとは思えない。
せいぜい同レベルか、下手をするとφよりも分かってない可能性がある。


科学論争は神聖なもの 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月29日(金)17時18分0秒

三浦俊彦様(74)/SumioBaba(馬場純雄)

 モノクロームさんの書き込みは、この神聖な議論の場を、2ch風に
土足で踏みにじる内容になっています。
 かつてNIFTYのサイエンスフォーラムで、全く同じ状況を経験してい
ます。私に誤りを指摘され、逆ギレし逆恨みしたのか、私への誹謗
中傷・罵詈雑言が毎日掲示板に書き込まれ、非常に迷惑でした。

 こういう場で議論するとき、社会人としてのモラル、マナーといった
ものが有ります。たとえ相手が間違っていると感じても、確認するま
では結論を出すべきではありません。もし自分の誤解であったなら、
相手に失礼になってしまいます。ところがモノクロームさんは、いきな
り「お前は間違っている!!」と独断で結論を出し、相手を侮辱するとこ
ろから議論を始めています。相手が「それは誤解だ」と説明しても、
モノクロームさんは自分が誤解していたことは認めず、相手の説明を
さらに曲解し、「いや、お前の間違いだ!!」と言い続けるだけ。それが
延々と続きます。モノクロームさんの書き込みは、一方的に相手に
喧嘩を売り、相手を不愉快にさせることを楽しんでいるだけの、いわ
ゆる「荒らし」行為に見えます。

>SB> モノクロームさんが言う「時間推進演算子」とは、
>SB> 私が説明した標準的な量子力学で用いる、
>SB>     「時間推進演算子」U^=exp{-(i/(h/2π))tH^}
>SB> とは全く異なり、好き勝手に作った時間tを含む演算子(?)に、
>SB>「時間推進演算子」という名前を付けているだけなのですね。

>SumioBabaは、スピンを理解していないことが明らかになった。

 モノクロームさんは、上の5行から「SumioBabaは、スピンを理解し
ていないことが明らかになった。」を結論する人らしいです。もし私が
「なぜ上の5行から、そんな結論が出せるのか?」と反論しても、また
モノクロームさんは、「SumioBabaは、○○○も理解していないこと
が明らかになった。」みたいな事を言い続けるだけです。まともな議
論のできる相手じゃないんですね。恐らく今後も、私に対する誹謗
中傷・罵詈雑言が延々と続くと予想されますが、私はもう無視する
だけにしようと思います。

 私は科学論争を、剣道や柔道のような格闘技だと考えます。戦って
いる時は全力で相手を打ち負かそうとしますが、基本は「礼に始ま
り、礼に終わる」です。相手を侮辱したり、勝ち誇るのが目的ではな
く、お互いに成長し合うのが目的です。試合前後にみんなが「礼」を
しているのに自分だけせず、試合中に相手をののしる言葉を叫び続
けるような人とは、議論を続けたくありません。
 その点、三浦さんは、こちらの書き込みをじっくり理解した上で紳士
的に答えて下さっているのは事実なので、これからも議論を続けさせ
て頂きたいと希望します。

以上


SumioBaba、退場! 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月29日(金)07時10分13秒

SumioBabaさんへのお返事です。

SB>  二重スリット実験の話です。

SB>  まず、右のスリットはふさぎ、
SB> 確率1で左のスリットだけを通る条件で
SB> 素粒子を通す実験を考えます。

イエローカード!

ふさいだ瞬間、二重スリットではなくなる

SB>  次に、左のスリットはふさぎ、
SB> 確率1で右のスリットだけを通る条件で
SB> 素粒子を通す実験を考えます。

レッドカード!

ふさいだ瞬間、二重スリットではなくなる

SumioBabaの、「スリット塞ぎ」は
某国政府の事故車両"埋葬"と同質の
極めて悪質な行為である。

SB>  最後に、左右両方のスリットを開け、
SB> 確率1/2ずつで素粒子が両方を通る
SB> 実験を考えます。

上記の正しい「二重スリット実験」に対してφ氏は、
「意識体験としては違いはないが
 左のスリットを通った場合と
 右のスリットを通った場合の
 2つの世界に分かれてるのではないか?」
といっている。

今の物理学ではこの発言を肯定も否定もできない。
なぜなら実際に確認したわけではないし
確認しようとすれば干渉が起きなくなるから。

非可換(もしくは同じ意味だが同時対角化不能)な
作用素として表わされる二つの物理量について、
量子力学におけるハイゼンベルク描像からいえば
”今現在の物理量だけが存在する”と考える
のであろうが、それだけが唯一の解釈だと
決め付けることはできない。

>   M(t)=ML(t)+MR(t)  ・・・(2)
>   【規格化すれば、M(t)=ML(t)/√2+MR(t)/√2】

>  でも、(2)は変です。

あたりまえだ。
1つのスリットしかない実験を2つ重ね合わせても
二重スリットの実験の結論にはならない。

> > 重ね合わせの必要条件をエベレットからの引用で確認してください。
> >馬場さんのMLとMRの測度を足して、Mの測度になっていますか?
>
>  はい、もちろんです。(2)において、素粒子がスリットを通るまでは
> 1つだったM(t)が、スリットを通った後、確率1/2ずつで、ML(t)とMR(t)
> とに分岐したのですから、当然です。
>
> > WLとWRの測度を足して、Wの測度になっていますか?
>
>  はい、もちろんです。(1)において、素粒子がスリットを通るまでは
> 1つだったW(t)が、スリットを通った後、確率1/2ずつで、WL(t)とWR(t)
> とに分岐したのですから、当然です。

SumioBabaの誤りは、
「電子が一方のスリットしか通らないのだから
 もう一方は埋めてしまってよい」
と考えた点にある。

実際には、埋めた場合と埋めない場合が結果が違うのだから
埋めるのは誤りである。

> > なっていないでしょう。
>
> なっていますけど?

なっていない。

SB>  MLとMRとが同時に起きて、その重ね合わせがMなんだけどなあ。

それが間違っている。

例えば、左のスリットが開いてるだけでの実験結果と
右のスリットが開いてるだけでの実験結果を重ねても
干渉縞は見つからない。

左右のスリットが同時に開いてる場合での実験結果のみで
干渉縞は見つかる。

> > 馬場さんは意味に引きずられて歴史の異なる分岐をごっちゃに
> >しており、馬場さんの発言は量子力学とは何の関係もありません。
>
>  これじゃあ、いくら説明しても、理解してはもらえなさそうですね。

間違った前提による説明は何回やっても間違ってる。

SumioBabaは自分が間違ってることに気づけ。

自分は常に正しい、とする公理を真っ先に否定しろ。

SB>  「重ね合わせ」からして理解が違ってるんですね。

重ね合わせ以前の、スリットの扱いの誤りに気づけ。

SB>  量子力学の一般論を説明しているだけなのに。

量子力学以前の、スリットの扱いの誤りに気づけ。

スリットを埋めるな!


Re: 補足 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月28日(木)18時25分21秒

> No.2950[元記事へ]

φさんへのお返事です。

三浦俊彦様(72)/SumioBaba(馬場純雄)

 二重スリット実験の話です。
                   【左】
 まず、右のスリットはふさぎ、確率1で左のスリットだけを通る条件
で素粒子を通す実験を考えます。左のスリットだけを通った状態で、
世界の物理状態が時間発展するという意味で、これを、
  WL(t)・・・素粒子が左のスリットだけを通った世界の時間発展
と表現します。この場合、干渉はしません。世界WL(t)にいる自分の
心は、
  ML(t)・・・「干渉なし」と言語表現している心。
になります。
                   【右】
 次に、左のスリットはふさぎ、確率1で右のスリットだけを通る条件
で素粒子を通す実験を考えます。右のスリットだけを通った状態で、
世界の物理状態が時間発展するという意味で、これを、
  WR(t)・・・素粒子が右のスリットだけを通った世界の時間発展
と表現します。この場合も、干渉しません。世界WR(t)にいる自分の
心は、
  MR(t)・・・「干渉なし」と言語表現している心。
になります。
                  【両方】
 最後に、左右両方のスリットを開け、確率1/2ずつで素粒子が両方
を通る実験を考えます。今度は干渉が起きます。自分の心は、
  M(t)・・・「干渉あり」と言語表現している心
であり、この時の世界W(t)は、WL(t)とWR(t)の重ね合わせ、
  W(t)=WL(t)+WR(t)  ・・・(1)
  【規格化すれば、W(t)=WL(t)/√2+WR(t)/√2】
で表されます。自分の脳や心も世界の一部であり、量子力学に従う
とするなら、当然、
  M(t)=ML(t)+MR(t)  ・・・(2)
  【規格化すれば、M(t)=ML(t)/√2+MR(t)/√2】
が成立します。
                  【結論】
 でも、(2)は変です。「干渉なし」と言語表現しているML(t)とMR(t)と
を線形に重ね合わせても、「干渉あり」と言語表現しているM(t)になる
はずが有りません。つまり、
  M(t)≠ML(t)+MR(t)  ・・・(3)
M(t)はML(t)とMR(t)の線形の重ね合わせではなく、ML(t)とMR(t)が
非線形に融合したものです。//以上


> 重ね合わせの必要条件をエベレットからの引用で確認してくださ
>い。馬場さんのMLとMRの測度を足して、Mの測度になっていま
>すか?

 はい、もちろんです。(2)において、素粒子がスリットを通るまでは
1つだったM(t)が、スリットを通った後、確率1/2ずつで、ML(t)とMR(t)
とに分岐したのですから、当然です。

> WLとWRの測度を足して、Wの測度になっていますか?

 はい、もちろんです。(1)において、素粒子がスリットを通るまでは
1つだったW(t)が、スリットを通った後、確率1/2ずつで、WL(t)とWR(t)
とに分岐したのですから、当然です。

> なっていないでしょう。

なっていますけど?

以上

三浦俊彦様(73)/SumioBaba(馬場純雄)

> ともかく、
> 思ったより初歩的なレベルで馬場さんがつまずいていることが
>判明したので、
> 今回は、丁寧かつ簡潔な解説を心がけましょう。

 三浦さんとSumioBabaのどちらが初歩的なレベルでつまずいてい
るか、読者の皆さん、楽しんで読んで下さい。

> というわけで、
> ① 一人称的心の重ね合わせの場合と、
> ② 三人称的心の重ね合わせの場合
> とに分けて論じることにしましょうか。

> ①と②に共通する前提として、まず、馬場さんが初歩レベルを
>クリアしてない点について確認せねばなりません。
> http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2884 で引用したヒュー・
>エベレットⅢ世の文章(観測者の重ね合わせについて述べた部分
>の一部)が使えるので、もう一度掲げます。(拙訳)

> ……………
> 観測者の「軌道」について何か言明したいと我々は思う。しかし
>ながら、我々にとって一つの軌道は、次々になされる測定のたびに
>たえず分岐し続けている(状態から重ね合わせへと変化し続けて
>いる)。古典的ケースにおいて「確率の保存」に類比的な要請を満
>たすために、我々は、ある時刻に一つの軌道に割り当てられる測度
>は、後の一時刻におけるその軌道の別々の分岐の測度の合計に
>等しい、ということを要求する。
> ("Theory of the Universal Wave Function" Many-worlds
>Interpretation of Quantum Mechanics (ed. by Bryce S DeWitt ,
>Neill Graham, Princeton University Press)p.73)
> ……………

> ↑ここに言われているように、AがBとCの「重ね合わせ」である
>ためには、Aの測度が、Bの測度とCの測度の合計でなければなり
>ません。
> そして、「Aの測度=Bの測度+Cの測度」が保証されるために
>は、A、B、Cの各分岐の発生が同時でなければなりません(しかも
>BとCが網羅的でなければなりません)。

 三浦さんが説明しておられるのは、「古典的ケースにおいて「確率
の保存」に類比的な要請を満たすために、」という条件を満たす場合
の「重ね合わせ」についての話でしょう?
 量子力学では、様々な状態|A>、|B>、|C>、・・・が与えられた時、こ
れらに任意の複素数の重みを付けた線形結合a|A>+b|B>+c|C>・・・
が、「重ね合わせ」の一般形です。

> それ以外の場合は、AがBとCの重ね合わせである、とは言えま
>せん。
> 馬場さんはこの基本をまず理解して下さい。

 それはちょっと違うんだけど・・・。

> 多くの場合、ML、MRが実現したら、Mは実現しません(2スリット
>実験と1スリット実験のどちらを行うかの決定に量子効果が関与し
>ないならば)。Mが実現したら、ML、MRは実現しません。こういう
>場合、MがMLとMRの「重ね合わせ」になることは決してありませ
>ん。

 MLとMRとが同時に起きて、その重ね合わせがMなんだけどなあ。

> つまり馬場さんの「重ね合わせ」の用法は、
> 「広島・長崎に原爆投下された現実世界は、広島だけに原爆投
>下された世界と、長崎だけに原爆投下された世界との重ね合わ
>せだ」というのと同様、ナンセンスなのです。
> 「第二次大戦でただひとりだけが殺された世界を約六千万個重
>ね合わせた世界が現実世界だ」というのと同様、ナンセンスなの
>です。

 全然関係無いんだけど・・・。

> 馬場さんは意味に引きずられて歴史の異なる分岐をごっちゃに
>しており、馬場さんの発言は量子力学とは何の関係もありません。

 これじゃあ、いくら説明しても、理解してはもらえなさそうですね。

> というわけで、馬場さんの定義におけるML、MR、Mにおいて、
>「Mの時間発展は、MLとMRの線形の重ね合わせでは表現できま
>せん」というのは当たり前のことで、
> しかしその理由は、「非線形の重ね合わせだから(第5の力が働
>いているから)」ではなく、「そもそも重ね合わせではないから」なの
>です。

 「重ね合わせ」からして理解が違ってるんですね。

> 連想で何でもかんでも「重ね合わせ」て物理的意義が確定できる
>と思ったら大間違いです。

 量子力学の一般論を説明しているだけなのに。

> いずれにしても、馬場さんが「重ね合わせ」という言葉を理解して
>いないというだけのことです。
> 第5の力などというオカルトを想定する必要はありません。

 「重ね合わせ」という言葉を、SumioBabaが理解していないのか、
三浦さんが理解していないのか、読者の方の判断に任せます。

以上


Re: 補足 投稿者:φ 投稿日:2011年 7月28日(木)14時33分22秒

> No.2947[元記事へ]

SumioBabaさんへのお返事です。

馬場さんにとってはチャンスなんですけれどね。
 私が哲学パートのレスを担当して、
 私の手に負えない形式的な演算をモノクロームさんに補っていただければ(形式言語の部分が主に、哲学的考察が補足になる文脈もあるでしょう)、
 馬場さんが量子力学観をレベルアップさせる(というより正常化する)チャンスですよ。
 ただし、馬場さんが謙虚だったら、の話ですが。

 ともかく、
 思ったより初歩的なレベルで馬場さんがつまずいていることが判明したので、
 今回は、丁寧かつ簡潔な解説を心がけましょう。

 まずその前に、単純な誤解を一つ解いておきます。

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2945 で馬場さんが挙げているのは、三人称的心の場合ですね。私は http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2943 で「一人称的心の場合のみ」と但し書きを付けてあります。Re:とした以上、私の原文をふまえて下さい。

 というわけで、
 ① 一人称的心の重ね合わせの場合と、
 ② 三人称的心の重ね合わせの場合
 とに分けて論じることにしましょうか。

 ①と②に共通する前提として、まず、馬場さんが初歩レベルをクリアしてない点について確認せねばなりません。
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2884 で引用したヒュー・エベレットⅢ世の文章(観測者の重ね合わせについて述べた部分の一部)が使えるので、もう一度掲げます。(拙訳)

 ……………
 観測者の「軌道」について何か言明したいと我々は思う。しかしながら、我々にとって一つの軌道は、次々になされる測定のたびにたえず分岐し続けている(状態から重ね合わせへと変化し続けている)。古典的ケースにおいて「確率の保存」に類比的な要請を満たすために、我々は、ある時刻に一つの軌道に割り当てられる測度は、後の一時刻におけるその軌道の別々の分岐の測度の合計に等しい、ということを要求する。
 ("Theory of the Universal Wave Function" Many-worlds Interpretation of Quantum Mechanics (ed. by Bryce S DeWitt , Neill Graham, Princeton University Press)p.73)
 ……………

 ↑ここに言われているように、AがBとCの「重ね合わせ」であるためには、Aの測度が、Bの測度とCの測度の合計でなければなりません。
 そして、「Aの測度=Bの測度+Cの測度」が保証されるためには、A、B、Cの各分岐の発生が同時でなければなりません(しかもBとCが網羅的でなければなりません)。
 それ以外の場合は、AがBとCの重ね合わせである、とは言えません。
 馬場さんはこの基本をまず理解して下さい。

 では、まず
 ① 一人称的心の場合

 さて、馬場さんの定義では相変わらず
 ML「右のスリットをふさぎ、左のスリットだけを確率1で通した場合の心」
 MR「左のスリットをふさぎ、右のスリットだけを確率1で通した場合の心」
 M「左右両方のスリットを通した場合の、干渉を観察する心」
 なのですね。
 残念ながら、
 ML「右のスリットをふさぎ、左のスリットだけを確率1で通した場合の心」とMR「左のスリットをふさぎ、右のスリットだけを確率1で通した場合の心」とを「重ね合わせる」とM「左右両方のスリットを通した場合の心」になるはずだ(そしてそれは線形の重ね合わせではないから非線形の重ね合わせだ)なんてのは、言葉遊びにすぎません。

 重ね合わせの必要条件をエベレットからの引用で確認してください。馬場さんのMLとMRの測度を足して、Mの測度になっていますか? WLとWRの測度を足して、Wの測度になっていますか? なっていないでしょう。モノクロームさんの言うように、MとML・MRとは異なる実験をしているのだから、そもそも重ね合わせの関係になりえません。
 MLとMRとの分岐が、その2つがMから分岐したときと同時ではないのです。
 「非線形の重ね合わせ」ではなく、そもそも重ね合わせの定義に反するのです。

 だいたい、右のスリットをふさいだ場合と左のスリットをふさいだ場合を「重ね合わせ」たら両方のスリットを開いた状態になる、という決めつけが変だと思いませんか?
 両方ともふさいだ状態の方が「重ね合わせ」にふさわしくありませんか?

 「意味」の捉え方は記述のしかたによって無数にあるので、重ね方も無数にあります。
 一方だけを開けたと解釈するのか、一方だけをふさいだと解釈するのかは自由で、馬場さんが「右のスリットをふさいだ場合と左のスリットをふさいだ場合を「重ね合わせ」たら両方のスリットを開いた場合になる」というのなら、同等の資格で「両方ふさいだ場合」になるとも言えてしまうし、スリット付きのついたてを2つ重ねた場合(結果として両方ふさがれる場合)になるとも言えるし、実験員の数が二倍に増えた場合になるとも言えるし、全く恣意的でしょう。
 多くの場合、ML、MRが実現したら、Mは実現しません(2スリット実験と1スリット実験のどちらを行うかの決定に量子効果が関与しないならば)。Mが実現したら、ML、MRは実現しません。こういう場合、MがMLとMRの「重ね合わせ」になることは決してありません。

 つまり馬場さんの「重ね合わせ」の用法は、
 「広島・長崎に原爆投下された現実世界は、広島だけに原爆投下された世界と、長崎だけに原爆投下された世界との重ね合わせだ」というのと同様、ナンセンスなのです。
 「第二次大戦でただひとりだけが殺された世界を約六千万個重ね合わせた世界が現実世界だ」というのと同様、ナンセンスなのです。

 馬場さんは意味に引きずられて歴史の異なる分岐をごっちゃにしており、馬場さんの発言は量子力学とは何の関係もありません。

 というわけで、馬場さんの定義におけるML、MR、Mにおいて、「Mの時間発展は、MLとMRの線形の重ね合わせでは表現できません」というのは当たり前のことで、
 しかしその理由は、「非線形の重ね合わせだから(第5の力が働いているから)」ではなく、「そもそも重ね合わせではないから」なのです。
 連想で何でもかんでも「重ね合わせ」て物理的意義が確定できると思ったら大間違いです。

 以上は、Mが一人称的な心である場合。
 次に、
 ②Mが三人称的な心の場合。
 これは別の設定となるので、MをMaと書きましょう。

 次のような設定です。
 時間内に1/2の確率で崩壊する原子の量子効果によって、右のスリットだけを開けるか左のスリットだけを開けるかを決める実験をします。
 「私」は、その決定がなされる前に実験室外に出ており、右スリットだけ開けた実験か、左スリットだけを開けた実験か、どちらが実現したかは知りません。
 そうして、「右スリット実験」か「左スリット実験」かいずれかが実行され、「私」はそのどちらが実現したかを知りません。
 そして、実験室内の出来事の影響が室外に一切洩れることはないほどに、密閉されています。

 こういう設定なら、実験室内の実験者の心Maは、「私」の観点からして、馬場さんの言うML、MRの重ね合わせです(MaとML、MRの分岐発生が同時であり、測度が保存されていることを確認してください)。つまりMaはMLとMRを単純に合わせたものであり、線形の重ね合わせです。ただしそれは「私」の観点からして実在するML+MRにすぎず、実験者本人の一人称において実在する心ではありません。一人称的にはMLとMRしか存在せず、Maなる意識はありません。主観的Maを実現するような脳状態がどの世界にも実在しないのだから当然です。

 ちなみに、右スリット実験か左スリット実験かの選択を量子効果ではなくコイン投げや議論などマクロな出来事で決めた場合は、その結果をいずれかに決める過去の歴史を「私」は実験室内と共有しているため(共通原因を知覚済みのため)、「私」にとってはじめからML+MRの重ね合わせは起こりません。(シュレーディンガーの猫の思考実験が、単なるコイン投げでなく原子崩壊を使っているのはそのためです)
 また、量子効果で右スリット実験か左スリット実験かの選択をした場合も、実験実行後に実験室からわずかでも音や光が漏れて「私」の知覚に触れたら、その時点で「私」にとってML+MRの重ね合わせは消え、どちらかに収縮します(いずれであるかは知りえなくとも)。
 それまではマクロレベルの重ね合わせが実現しています。これが、私が尤もらしいと思う「量子観念論仮説」です。
 音や光が漏れてもML+MRの重ね合わせが持続するという(そして、量子効果によらない左右実験選択の場合も重ね合わせが実現するという)馬場さんの量子観念論仮説は、量子とは無関係の単なる素朴観念論であり、だいぶ前に論点先取を露呈しているので、今さらここでは論じませんが。

 いずれにしても、馬場さんが「重ね合わせ」という言葉を理解していないというだけのことです。
 第5の力などというオカルトを想定する必要はありません。


SumioBabaの勝手な思い込み 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月28日(木)07時44分8秒

SB>「【量子観念論仮説】の主張」は正しいと合意した上で

それ、SumioBabaの勝手な思い込みだろ。

φは「その仮説はもっともらしい」とはいっただろうが
その仮説を公理とした上で、議論する、とはいっていない。

むしろ、その仮説が正しいなら、その仮説に反する前提を
公理とした場合、そこから矛盾が導けるだろうといっている。

背理法を理解していないのはSumioBaba一人だけ。
背理法が失敗したら面目が潰れて困るなんて
科学とは全く無関係のちっちゃいエゴイズムに
固執する小人物になりたいのか?SumioBaba!



SumioBaba、アタマを冷やせ! 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月28日(木)07時37分26秒


SB> 右のスリットをふさぎ、左のスリットだけを確率1で通した場合の心がML(t)です。
SB> 左のスリットをふさぎ、右のスリットだけを確率1で通した場合の心がMR(t)です。

冗談もほどほどにしろよ。SumioBaba

スリットふさいだら、もはや二重スリットじゃないだろ。

そんなこともわからないほど頭に血が上ったか?

頭を冷やせ。アタマを。


Re: 補足 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月27日(水)20時38分28秒

> No.2946[元記事へ]

SumioBabaさんへのお返事です。

三浦俊彦様(71)/SumioBaba(馬場純雄)

 結論をまとめておきます。
 もし自分の心が、世界WLに住む心MLの視点に立っているならば、
素粒子は左のスリットを通ってくるだけなので、「干渉なし」です。
 もし自分の心が、世界WRに住む心MRの視点に立っているならば、
素粒子は右のスリットを通ってくるだけなので、「干渉なし」です。
 仮にMLとMRとが、ML+MRと線形に重ね合わせられているとして
も、線形の重ね合わせの場合、どちらか一方の視点にしか立てない
ので、どちらの視点に立ってもやはり「干渉なし」です。
 でも実際には、左右両方のスリットを開けた状態で素粒子を通す
と、自分の心Mは「干渉あり」と知覚・認識します。このMは、MLとMR
とが非線形に融合したがゆえに、両方の視点に同時に立てているの
です。ゆえにMの時間発展は、MLとMRの線形の重ね合わせでは
表現できません。これが答です。

以上


Re: 補足 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月27日(水)18時29分26秒

> No.2945[元記事へ]

SumioBabaさんへのお返事です。

三浦俊彦様(70)/SumioBaba(馬場純雄)

 もし、世界WLに心ML、世界WRに心MRが存在し、MLとMRとが独立
していれば、WLとWRは、線形の重ね合わせにはなれても相互作用
は無い、ということになるでしょう。
 しかし、MLとMRとが融合して「1つの心」Mになり、世界W=WL+WR
全体にMが存在している場合は、MにとってWLもWRも自分の世界で
す。世界WLで発生した粒子と世界WRで発生した粒子と、Mは、自分
が住む世界Wの中の2個の粒子と見なします。つまり、この2個の粒
子が相互作用することで、世界WLと世界WRとが相互作用したことに
なるはずです。
 だから心Mにとって自分が住む世界W=WL+WRは、WLとWRが相互
作用し、もはやWはWLとWRの線形の重ね合わせではなくなる、と言
えるのかもしれません。心Mという「場」を通して、WLとWRとが相互
作用している、という意味です。

以上


Re: 補足 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月27日(水)16時32分50秒

> No.2943[元記事へ]

φさんへのお返事です。

三浦俊彦様(69)/SumioBaba(馬場純雄)

> 一般に、心Aが心Bと心Cの重ね合わせである場合、意識内容
>としてはA=B=Cです。
> これは当然でしょう。

 さっぱり意味が解りません。
   A=「自分の心」+「友人の心」
   B=「自分の心」
   C=「友人の心」
であるとき、
   「自分の心」+「友人の心」=「自分の心」=「友人の心」
ですか?
   A=「生きた猫を見ている心」+「死んだ猫を見ている心」
   B=「生きた猫を見ている心」
   C=「死んだ猫を見ている心」
であるとき、
   「生きた猫を見ている心」+「死んだ猫を見ている心」
      =「生きた猫を見ている心」
      =「死んだ猫を見ている心」
ですか?

以上

^
Re: 波動関数の適用された世界 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月27日(水)14時53分44秒

> No.2942[元記事へ]

φさんへのお返事です。

三浦俊彦様(68)/SumioBaba(馬場純雄)

> まず確認ですが、
> ??http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2929 における馬場さんの
> WLにいる自分の心MLは
>     ML(t)・・・「左だけを通っているのを観測したから、自分は
>       WLだけに居る」と言語表現している心。
> WRにいる自分の心MRは、
>    MR(t)・・・「右だけを通っているのを観測したから、自分は
>       WRだけに居る」と言語表現している心。

> という定義★は、撤回されるわけですね?

> つまり、そんな異なる実験(検出器を付けた実験)における心は
>ここでは無関係だ、ということには馬場さんも一応気づいたと。
> つまりは、もともとの馬場さんの疑問は無意味だったということ
>は認めましたね。

 全くそうじゃありませんけど。ML(t)とMR(t)とを線形に重ね合わせ
ても、M(t)=「「干渉を観測したから、自分はWL+WRという重ね合わ
せの中に居る」と言語表現している心」にならない、という私の主張
に対して、三浦さんは何も反論していませんよ。M(t)の定義を変え、
M(t)=ML(t)+MR(t)(単に2つの心が合わさった総和(メレオロジカル・
サム)です。)と定義すれば、M(t)はML(t)とMR(t)の線形の重ね合わ
せである、と論点先取して問題をすり替えただけでしたよ。

> 馬場さんの場合、これまでもそうでしたが、都合が悪くなるとどん
>どん言葉を修正して別の話へ変えてゆくので、どうも正常な議論が
>成立しにくいです。なんとかマナーを改めていただけませんかね。
>【(今回以外の顕著な例として
>は、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2748前後の馬場さん
>の無断修正ぶりを思い出してください。そこでも馬場さんは、検出
>器を付けた場合と付けない場合をいっしょくたにしていましたよね。
>今回も同じです。そのつどはっきり誤りを認めることをしないから、
>同じ誤りを繰り返すことになるのです)】

> これからは、そういう自説修正をする場合、「自分の前回の○○
>は間違いだった。今度は▽▽という考えでいくがどうだろう」という
>形で明示的に段階を進めていただけると助かります。そうでないと、
>馬場さんがまだ誤りに囚われているのではないかと疑いつつ応え
>ねばならないので、このように口数が増えてしまうのですよ。

 それはこちらの台詞です。「【量子観念論仮説】の主張」は正しい
と合意した上で、「情報は入り易いか?否か?」の議論をしている真っ
最中に、三浦さんは、「マクロではニュートン力学を支持する」だの、
「実在論の公理からスタートする」などと言い出し、議論を台無しに
してしまったのですよ。まあ、こういう事で言い争ってもムダなので、
話を先に進めますが。

>>  ML(t)、MR(t)って、どんな心なのですか?と聞いているので
す。
>> M(t)=ML(t)+MR(t)という線形の重ね合わせに分解できる訳
>> が無いので、答えられないでしょう?

> モノクロームさんの言うように、
> 「ML(t)、MR(t)って、どんな心なのですか?」の質問の意図がわ
>かりませんね。つまり、馬場さんは本当にわからなくて訊ねている
>のかどうか。

 ML(t)は、右のスリットをふさぎ、左のスリットだけに素粒子を確率
1で通した場合の自分の心です。MR(t)は、左のスリットをふさぎ、
右のスリットだけに素粒子を確率1で通した場合の自分の心です。

> 本当にわからないのですか?

 状況設定が不十分なので、正確にどんな心かは判りませんが、
ML(t)もMR(t)も、素粒子が片方のスリットだけを通った世界にい
る心なので、M(t)=「「干渉を観測したから、自分はWL+WRという重
ね合わせの中に居る」と言語表現している心。」でないことだけは
確実です。

> 主観的意識内容としては、ML(t)とMR(t)は、M(t)とまったく
>同じです。同一の心と言ってよいでしょう。だからこそ、M(t)は
>ML(t)とMR(t)の重ね合わせなのです。

 冗談もほどほどにして下さい。
 右のスリットをふさぎ、左のスリットだけを確率1で通した場合の心
がML(t)です。左のスリットだけしか通っていない世界WL(t)にいる
のに、「「干渉を観測したから、自分はWL+WRという重ね合わせの
中に居る」と言語表現している心。」な訳がないでしょ。
 左のスリットをふさぎ、右のスリットだけを確率1で通した場合の心
がMR(t)です。右のスリットだけしか通っていない世界WR(t)にいる
のに、「「干渉を観測したから、自分はWL+WRという重ね合わせの
中に居る」と言語表現している心。」な訳がないでしょ。
 左のスリットだけ通したML(t)も、右のスリットだけ通したMR(t)も、
さらに、左右両方のスリットを通した場合のM(t)も、3つとも等しくて、
ML(t)=MR(t)=M(t)=「「干渉を観測したから、自分はWL+WRという重
ね合わせの中に居る」と言語表現している心。」だと言っていること
になりますよ。それは絶対に有り得ません。

 解り易くするため、ML(t)、MR(t)、M(t)の3つはどれも、干渉の有無
だけは観測し、「干渉なし」または「干渉あり」と言語表現する、として
みましょう。素粒子1個では判断しにくいというのなら、多数の素粒子
を用いてもOKです。
 ML(t)が住む世界WL(t)では、1個の(または多数の)素粒子が左の
スリットだけを通っているので、もちろんML(t)は「干渉なし」と言語
表現します。右のスリットをふさぎ、左のスリットだけに1個(または
多数の)素粒子を通し、干渉が生じない状況ですね。
 MR(t)が住む世界WR(t)では、1個の(または多数の)素粒子が右の
スリットだけを通っているので、もちろんMR(t)は「干渉なし」と言語
表現します。左のスリットをふさぎ、右のスリットだけに1個(または
多数の)素粒子を通し、干渉が生じない状況ですね。
 M(t)が住む世界W(t)=WL(t)+WR(t)では、左右両方のスリットを通り、
両者が干渉を起こすので、もちろんM(t)は「干渉あり」と言語表現し
ます。
 私が主張している事はこうです。
    「干渉なし」と言語表現しているML(t)と、「干渉なし」と
    言語表現しているMR(t)とを線形に重ね合わせても、
    「干渉あり」と言語表現しているM(t)にはならない。
    標準的な量子力学によれば、世界は、
        W(t)=WL(t)+WR(t)
    という線形の重ね合わせのまま時間発展していくはず
    だが、心はそれに従わず、
        M(t)≠ML(t)+MR(t)
    のようだ。
以上


補足 投稿者:φ 投稿日:2011年 7月25日(月)04時01分57秒

> No.2942[元記事へ]

>
>  一般に、心Aが心Bと心Cの重ね合わせである場合、意識内容としてはA=B=Cです。
>

↑これはあくまで「一人称的心」の場合です。


Re: 波動関数の適用された世界 投稿者:φ 投稿日:2011年 7月25日(月)02時13分6秒

> No.2941[元記事へ]

SumioBabaさんへのお返事です。

 まず確認ですが、


http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2929 における馬場さんの

WLにいる自分の心MLは
    ML(t)・・・「左だけを通っているのを観測したから、自分は
       WLだけに居る」と言語表現している心。
WRにいる自分の心MRは、
    MR(t)・・・「右だけを通っているのを観測したから、自分は
       WRだけに居る」と言語表現している心。

 という定義★は、撤回されるわけですね?

 つまり、そんな異なる実験(検出器を付けた実験)における心はここでは無関係だ、ということには馬場さんも一応気づいたと。
 つまりは、もともとの馬場さんの疑問は無意味だったということは認めましたね。

 それでもなお、その無意味な疑問に類する「何か」が疑問に値するものとして残っている、と言い張りたいわけですね。

 馬場さんの場合、これまでもそうでしたが、都合が悪くなるとどんどん言葉を修正して別の話へ変えてゆくので、どうも正常な議論が成立しにくいです。なんとかマナーを改めていただけませんかね。
 【(今回以外の顕著な例としては、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2748前後の馬場さんの無断修正ぶりを思い出してください。そこでも馬場さんは、検出器を付けた場合と付けない場合をいっしょくたにしていましたよね。今回も同じです。そのつどはっきり誤りを認めることをしないから、同じ誤りを繰り返すことになるのです)】

 これからは、そういう自説修正をする場合、「自分の前回の○○は間違いだった。今度は▽▽という考えでいくがどうだろう」という形で明示的に段階を進めていただけると助かります。そうでないと、馬場さんがまだ誤りに囚われているのではないかと疑いつつ応えねばならないので、このように口数が増えてしまうのですよ。

 本題に戻しましょう。
 ともあれ、
 馬場さんにおけるMLとMRは、定義★をやめて、あえて言うなら次の定義◆へと変更するということですね?

 定義◆ (前回の私の推測定義を用いて書きます)

 ML …… 「干渉を観測したから、自分はWL+WRという重ね合わせの中に居る」と言語表現している心Mが住む諸世界のうち、素粒子が左のスリットを通った諸世界にいる心
 MR …… 「干渉を観測したから、自分はWL+WRという重ね合わせの中に居る」と言語表現している心Mが住む諸世界のうち、素粒子が右のスリットを通った諸世界にいる心

 ↑これを見るだけで「ああわかった」といってもらえればいいのですが、(だって定義◆において、Mを宿す諸肉体がMLを宿す諸肉体とMRを宿す諸肉体との単純総和であることは一目瞭然でしょう)
 念のため続けましょう。

>
>  ML(t)、MR(t)って、どんな心なのですか?と聞いているのです。
> M(t)=ML(t)+MR(t)という線形の重ね合わせに分解できる訳
> が無いので、答えられないでしょう?
>

 モノクロームさんの言うように、
 「ML(t)、MR(t)って、どんな心なのですか?」の質問の意図がわかりませんね。つまり、馬場さんは本当にわからなくて訊ねているのかどうか。
 本当にわからないのですか?
 モノクロームさんの推測のうち2.だと仮定して馬場さんにお答えします。

 主観的意識内容としては、ML(t)とMR(t)は、M(t)とまったく同じです。同一の心と言ってよいでしょう。だからこそ、M(t)はML(t)とMR(t)の重ね合わせなのです。
 一般に、心Aが心Bと心Cの重ね合わせである場合、意識内容としてはA=B=Cです。
 これは当然でしょう。
 二重スリット実験で検出器を付けない場合、観測者のいるWはWLとWRの重ね合わせであり、したがってMはWLとWRの両方にいる多重存在なのですから。
 そして、検出器を付けていないのだから、LやRを観測した心など存在しないことに注意してください。
 つまり、検出器を付けないスリット実験において、LやRおよび重ね合わせは間接的に推測されるだけで、その「推測」という経験はML(t)、MR(t)、M(t)に共通です。

 よって、WLに属する心MLだけを分離しても(物理的には分離などできないので数学的にのみ分離したと仮定して)、主観的には何も変わりません。
 WRに属する心MRだけを分離しても同様です。
 もちろん、Mは(量子力学を知っているので)自分は多世界にまたがって存在する多数のMLとMRの集合であると思っており、MのうちMLの部分、MRの部分も同じことを思っています。

 >
>  世界W=WL+WR全体に存在する自分の心M(t)が、世界WL(t)に存在
> する自分の心ML(t)と、世界WR(t)に存在する自分の心MR(t)の、
>     M(t)=ML(t)+MR(t)  ・・・(2)
> という線形の重ね合わせ状態にある場合は、ML(t)とMR(t)のどちら
> か一方の視点に立てるだけです。ML(t)が単独で存在する場合と、
> ML(t)+MR(t)という線形の重ね合わせで存在する場合とで、ML(t)の
> 時間発展は同じですから、ML(t)はMR(t)の存否すら知り得ません。
> MR(t)の方も同様です。つまり、ML(t)とMR(t)とを線形の重ね合わせ
> (2)にしても、ML(t)とMR(t)のどちらか一方の視点に立てるだけで、
> 両者は独立したままです。
>

 独立したままですよ、時空的には。MLの脳とMRの脳は異なる世界にいますからね。
 しかし「ML(t)とMR(t)のどちらか一方の視点に立てるだけ」という馬場さんの考えが間違っているのです。

 「視点」を「世界」という意味にとるなら、MはMLとMRの両方の視点をとると言うべきです。……A
 「視点」を「意識内容」という意味にとるなら、MはML、MRと同一の視点をとると言うべきです。……B

 Aは、M、ML、MRそれぞれの脳の存在範囲を考えればわかりやすいでしょう。しかもBをふまえると「同一の意識内容の両方の視点に立つということは、何も変わらないということ」ですから、さらにわかりやすいでしょう。
 Bも、わかりやすいはずです。検出器を付けない実験において、主観的にM(t)=ML(t)=MR(t)ですから、「M(t)はML(t)とMR(t)のどちらか一方の視点に立てるだけ」ではありません。「一方の視点に立てるだけ」と言えるためには、「ML(t)の視点≠MR(t)の視点」が前提されていますが、実際は「ML(t)の視点=MR(t)の視点」なのです。
 よって、正しくは「M(t)はML(t)とMR(t)の両方と同一の視点に立てるだけ」です。
 視点(意識内容)が3つとも同じなのだから当然です。
 だから馬場さんの「ML(t)はMR(t)の存否すら知り得ません」も間違いです。Mが量子力学を知らなければ別ですが、知っていれば、M(t)=ML(t)=MR(t)はML(t)とMR(t)の存在を知っています。

 定義◆を思い出してください。
 Mが居るWはWLとWRの線形の重ね合わせです。
 よって、Mは、MLとMRの線形の重ね合わせです。

 ただし、主観的意識内容としてはM=ML=MRです。なので、自分が重ね合わせかどうかについては、Mが量子力学を知らない限り、意識されません。
 「心」を同一意識内容の集合と考えるなら、要素を等しくする集合はみな同一ですから、MとMLとMRとは同一の心です。

 何の問題もないでしょう。

 ちなみに主観的意識内容でなく客観的物理的事実としては、M(t)は、時空的にMR(t)、ML(t)各々の2倍の範囲に存在していますが(それぞれを担う脳の存在範囲ですね)、主観的には自分が3つのうちどれなのかは問題になりません。ちなみにそれぞれの脳も、認識に関わる物理的状態は同一です(認識に影響しないところでは物理的差異があるでしょう)。

 以上で、馬場さんの↓がナンセンスであることは了解していただけたと思います。

>
>  もし、心M(t)=「「干渉を観測したから、自分はWL+WRという重ね合
> わせの中に居る」と言語表現している心」が(2)のようにML(t)+MR(t)
> という線形の重ね合わせであるなら、ML(t)かMR(t)かどちらか一方
> の視点に立てるだけで、M(t)の視点には立てなくなります。
>  実際には心M(t)の視点だけに立つことができ、ML(t)単独の視点や
> MR(t)単独の視点には立てないし、ML(t)単独やMR(t)単独がどんな
> 心なのか、表現もできません。つまりM(t)は、ML(t)とMR(t)の線形の
> 重ね合わせで表現できない心です。
>

 意識内容は M(t)=ML(t)=MR(t)で、分離しているのは各世界に属する脳だけ、というのがポイントです。
 以上は多世界解釈の基本を忠実に解説しただけで、私自身の独創は含まれていないはずです。

 馬場さんがまた問題を新たに作りたくて定義◆をさらに変更したいというのならご自由ですが、その場合ははっきりそう発言してからにしてくださいよ。


Re: 波動関数の適用された世界 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月24日(日)18時34分55秒

> No.2937[元記事へ]

φさんへのお返事です。

三浦俊彦様(67)/SumioBaba(馬場純雄)

 世界WLにいる自分の脳をBL、世界WRにいる自分の脳をBRとしま
す。世界W=WL+WRにいる自分の心M(t)=「「干渉を観測したから、自
分はWL+WRという重ね合わせの中に居る」と言語表現している心」
は、BL+BR全体に随伴する心であり、BLだけに随伴する心ML(t)と、
BRだけに随伴する心MR(t)との独立した和に分解できない(線形の
重ね合わせに分解できない)ということですね。

 脳Bと個々のニューロンB1-Bn(nは約140億?)でも同様です。脳B全
体に随伴する心M(t)=「「干渉を観測したから、自分はWL+WRという
重ね合わせの中に居る」と言語表現している心」を、個々のニューロ
ンB1-Bnに随伴するn個の独立した心M1-Mnで表現することなど、で
きません。心M(t)は、脳B全体に随伴する心であり、個々のニューロ
ンB1-Bnに随伴する心M1-Mnの独立した総和(線形の重ね合わせ)
では表現できないからです。

以上


Re: 波動関数の適用された世界 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月24日(日)17時58分28秒

> No.2937[元記事へ]

φさんへのお返事です。

三浦俊彦様(66)/SumioBaba(馬場純雄)

              【質問2011/07/23】
    三浦さんは、世界W=WL+WRにいる自分の心M(t)=
    「「干渉を観測したから、自分はWL+WRという重ね合
    わせの中に居る」と言語表現している心。」が、
    世界WLにいる自分の心ML(t)と、世界WRにいる自分
    の心MR(t)との線形の重ね合わせだと主張されている
    ようですが、ML(t)とMR(t)って、一体どんな状態の心
    ですか?
 もちろん私の答はこうです。
              【SumioBabaの答】
    ML(t)とMR(t)が非線形に融合したものがM(t)であるた
    め、M(t)をML(t)とMR(t)の線形の重ね合わせに分解
    などできない。

 世界W=WL+WR全体に存在する自分の心M(t)が、世界WL(t)に存在
する自分の心ML(t)と、世界WR(t)に存在する自分の心MR(t)の、
    M(t)=ML(t)+MR(t)  ・・・(2)
という線形の重ね合わせ状態にある場合は、ML(t)とMR(t)のどちら
か一方の視点に立てるだけです。ML(t)が単独で存在する場合と、
ML(t)+MR(t)という線形の重ね合わせで存在する場合とで、ML(t)の
時間発展は同じですから、ML(t)はMR(t)の存否すら知り得ません。
MR(t)の方も同様です。つまり、ML(t)とMR(t)とを線形の重ね合わせ
(2)にしても、ML(t)とMR(t)のどちらか一方の視点に立てるだけで、
両者は独立したままです。
 もし、心M(t)=「「干渉を観測したから、自分はWL+WRという重ね合
わせの中に居る」と言語表現している心」が(2)のようにML(t)+MR(t)
という線形の重ね合わせであるなら、ML(t)かMR(t)かどちらか一方
の視点に立てるだけで、M(t)の視点には立てなくなります。
 実際には心M(t)の視点だけに立つことができ、ML(t)単独の視点や
MR(t)単独の視点には立てないし、ML(t)単独やMR(t)単独がどんな
心なのか、表現もできません。つまりM(t)は、ML(t)とMR(t)の線形の
重ね合わせで表現できない心です。

 要するに、
    ・M(t)が、ML(t)とMR(t)の独立した和である場合(あるいは、
     線形の重ね合わせである場合)。
と、
    ・M(t)が、ML(t)とMR(t)の独立した和でない場合(あるいは、
     線形の重ね合わせでない場合)。
の両方が有る訳です。三浦さんは、まだこの区別ができていない、と
いうことです。

以上


Re: 波動関数の適用された世界 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月24日(日)15時27分41秒
> No.2938[元記事へ]

φ> WL …… 「干渉を観測したから、自分はWL+WRという重ね合わせの中に居る」
φ>と言語表現している心Mが住む諸世界のうち、素粒子が左のスリットを通った諸世界
φ> WR …… 「干渉を観測したから、自分はWL+WRという重ね合わせの中に居る」
φ>と言語表現している心Mが住む諸世界のうち、素粒子が右のスリットを通った諸世界
φ> そういう意味で言っているのなら、
φ> M(t)=ML(t)+MR(t)
φ>で何の問題もありません。……②

SB>  ML(t)、MR(t)って、どんな心なのですか?と聞いているのです。

φはSumioBabaが「観測器は設置してない!」と反論する場合
「いいたかったであろうこと」を推測して書いてるんだが。

で、これに対してSumioBabaが何を問いたいのか分からん。

具体的には
1.観測なしに「通った」とするのは無意味、という発想で
  「ありもしない世界の心ってどんなんだよ?」という皮肉。
2.「通った」という現象は観測とは無関係、という発想で
  世界WL、WRとその中の心ML、MRの存在を認めた上で
  「どんなもんかわからんので教えてくれる?」という質問。
のどちらなのかはっきりしない。

SB> M(t)=ML(t)+MR(t)という線形の重ね合わせ
SB>に分解できる訳が無いので、答えられないでしょう?

このコメント、激しく見当違いだな。


Re: 波動関数の適用された世界 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月24日(日)13時56分13秒

> No.2937[元記事へ]

φさんへのお返事です。

三浦俊彦様(65)/SumioBaba(馬場純雄)

> WL …… 「干渉を観測したから、自分はWL+WRという重ね合わ
>せの中に居る」と言語表現している心Mが住む諸世界のうち、素粒
>子が左のスリットを通った諸世界
> WR …… 「干渉を観測したから、自分はWL+WRという重ね合わ
>せの中に居る」と言語表現している心Mが住む諸世界のうち、素粒
>子が右のスリットを通った諸世界

> そういう意味で言っているのなら、
> M(t)=ML(t)+MR(t)
>で何の問題もありません。……②

 ML(t)、MR(t)って、どんな心なのですか?と聞いているのです。
M(t)=ML(t)+MR(t)という線形の重ね合わせに分解できる訳
が無いので、答えられないでしょう?

以上


Re: 波動関数の適用された世界 投稿者:φ 投稿日:2011年 7月24日(日)02時28分55秒

> No.2934[元記事へ]

SumioBabaさんへのお返事です。

>
>
WLにいる自分の心MLは
    ML(t)・・・「左だけを通っているのを観測したから、自分は
       WLだけに居る」と言語表現している心。
WRにいる自分の心MRは、
    MR(t)・・・「右だけを通っているのを観測したから、自分は
       WRだけに居る」と言語表現している心。
そして、W=WL+WRにいる自分の心Mは、
    M(t)・・・「干渉を観測したから、自分はWL+WRという重ね
       合わせの中に居る」と言語表現している心。
です。
>
>

 ↑まず、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2929における馬場さんのこの記述が間違いであることについてはOKですね?
 WL+WRに住んでいる心は、「干渉を観測したから、自分はWL+WRという重ね合わせの中に居る」と言語表現などしません。
 そう言語表現する心の居場所は、WLとWRが分かれる以前に、Wの根本から分かれてしまっています。実験開始時に検出器を付けずにおくというマクロな分岐によって。

 この基本的な誤りを認めてもらわないと話が進みません。とにかく検出器の有無について、実験設定をちゃんとイメージしてくださるようお願いします。

 それで、今回の馬場さんの言い分は?

>
>     M(t)≠ML(t)+MR(t)  ・・・(3)
> これが私の一番言いたい事です。
>
>  (3)の主張の仕方として、2種類有ります。
>     ・どちらのスリットを通ったか観測した状況のML(t)とMR(t)
>     とを考え、両者を線形に重ね合わせてもM(t)にはならな
>     い、と主張する。・・・<<前者>>
>     ・どちらのスリットを通ったかを観測しなかった状況のM(t)
>     を考え、これをML(t)とMR(t)の線形の重ね合わせに分解
>     することは不可能、と主張する。・・・<<後者>>
> 私は<<前者>>の説明をしました。三浦さんは<<後者>>の立場で反
> 論されているようですが、<<前者>>と<<後者>>が混じり合ってしまっ
> てます。
>

 馬場さんが前者の記述をしたから、前者の批判をしたまでです。「混じり合ってる」というウヤムヤ化は感心しませんね。

 ともあれ、「前者」の批判は甘受していただけたと。
 それで、今度は「後者」の記述を批判すればよいのですね?

>
>  <<後者>>だけでやってみます。1個の素粒子を二重スリットに通し
> ました。どちらを通ったか観測しないので、私が住む世界W(t)は、左
> のスリットを通った世界WL(t)と、右のスリットを通った世界WR(t)の重
> ね合わせのままで、時間発展していきます。
>     W(t)=WL(t)+WR(t)  ・・・(1)
> W(t)にいる私の心M(t)は、干渉を観測しました。つまり心M(t)は、
>     M(t)・・・「干渉を観測したから、自分はWL+WRという重ね
>        合わせの中に居る」と言語表現している心。
> です。
>  三浦さんはこのM(t)が相変わらず、WLにいる自分の心ML(t)と、WR
> にいる自分の心MR(t)の線形の重ね合わせになっていて、
>     M(t)=ML(t)+MR(t)  ・・・(2)
> が成立している、と主張されている訳ですね。
>

 ↑なんだか支離滅裂ですよ。
 私が主張していないことを主張したことにされては困ります。

 「W(t)にいる私の心M(t)は、干渉を観測しました。」
 「W(t)=WL(t)+WR(t)  ・・・(1)」
 ↑ここからして変です。
 前回のWLとWRの定義では、WLでもWRでも検出器が付けられていたはずですから、W(t)=WL(t)+WR(t)にいるM(t)が、干渉を観測できるはずがないでしょう。
 それともWLとWRを、検出器を付けない世界の意味に変えたんですか? 断りなしに変えられると困るんですが、
 ともかく、順を追って馬場さんの勘違いを摘出していきましょう。

 ①まずは、WLとWRを前回と同じ意味で理解してみます。
  実験において検出器を付ける措置をした世界です。

 馬場さんが今回Mと言っている「「干渉を観測したから、自分はWL+WRという重ね合わせの中に居る」と言語表現している心」★注★ は、前回と違って、W(t)=WL(t)+WR(t) なるWに住んでいるのではなく、私がWSと名づけた「検出器を付けなかった世界」に住んでいる心(干渉を観測した心)を指していますね。つまり、前回私がMSと呼ぶべきだと言った心ですね。
 前回のラストで私はこう言っています。

  だから、MS(t)≠ML(t)+MR(t) となるのは当たり前ですね。
  (ただし、 M(t)≠ML(t)+MR(t) とは決してならないでしょう。)

 ↑でのMSは、今回の馬場さんの「後半」の記述においてはMです。
 ↑でのMは、前回の馬場さんの記述「W=WL+WRにいる自分の心M」のことです。
 つまり、今度の馬場さんの表記では、私の主張は、
  M(t)≠ML(t)+MR(t) です。

 私の主張というより、多世界解釈の基本では、ですが。

 ★注★ 馬場さんの表記ですからそのまま使っていますが、WLとWRを前回と同じ意味で理解した場合、干渉を観測する心は、WLとWRの重ね合わせにいるのではなく、WSLとWSRの重ね合わせにいます。
 ただし、WSLとWSRは、それぞれ、前回私がWSと呼んだ諸世界(検出器を付けなかった諸世界)のうち、素粒子が左を通った諸世界、右を通った諸世界です。



――――
 さて、ここまでは、WLとWRを前回と同じ意味にとってきました。つまり、

 WL …… 「左だけを通っているのを観測したから、自分はWLだけに居る」と言語表現している心MLが住む世界
 WR …… 「右だけを通っているのを観測したから、自分はWRだけに居る」と言語表現している心MRが住む世界

 と理解してきました。……①
 この場合、前回と同じく、 MS(t)≠ML(t)+MR(t) は当たり前です。
 MS(今回の馬場さんのM)が住む世界では検出器が付けられておらず、MLとMRが住む世界では検出器が付けられているのですから。(実験開始以前に歴史が違っているのですから)

 ② WLとWRは前回と違う意味なのだ、と馬場さんは抗弁するでしょうか。
   つまりこうだと。

 WL …… 「干渉を観測したから、自分はWL+WRという重ね合わせの中に居る」と言語表現している心Mが住む諸世界のうち、素粒子が左のスリットを通った諸世界
 WR …… 「干渉を観測したから、自分はWL+WRという重ね合わせの中に居る」と言語表現している心Mが住む諸世界のうち、素粒子が右のスリットを通った諸世界

 そういう意味で言っているのなら、



M(t)=ML(t)+MR(t)
 で何の問題もありません。……②

 ①②ともに、なんの問題もありませんね。

 馬場さんは何を不思議がるべきなのか、御自分でもわかっていないのでは?
 ①においては、馬場さんの言う世界Wでは検出器が付けられておらず、WLとWRでは検出器が付けられた。その実験準備において(+それの前提となるさまざまな原因や付随する影響において)、WとWL・WRとはとっくに分かれてしまっている。
 つまり、W(t)≠WL(t)+WR(t)である。
 この事実を馬場さんはうっかり見逃したために、M(t)≠ML(t)+MR(t)が不思議に見えるだけです。

 ②においては、馬場さんの言う世界W、WL、WRではどこでも検出器が付けられていません。その場合は、W(t)=WL(t)+WR(t)であり、
 M(t)=ML(t)+MR(t)で全く問題ありません。

 念のため、馬場さんの表記W、Mに合わせるのをやめて、
 前回の私のWS(検出器を付けない世界)MS(WSに居る心)の表記で書き直しておきます。
 (W,Mともに、Sが付いたときは検出器ナシの状態を指し、Sが付かないときは検出器有りの状態を指す)

 ① …… W(t)=WL(t)+WR(t)
      WS(t)≠WL(t)+WR(t)
      MS(t)≠ML(t)+MR(t)

 ② …… W(t)=WL(t)+WR(t)
      WS(t)=WSL(t)+WSR(t)
      MS(t)=MSL(t)+MSR(t)


 馬場さんは表記で混乱を招いています。
 検出器を付けた世界なのか付けなかった世界なのかを表記上まず分けてから、その中の心にも同じ類別を適用し、なにとなにが重ね合わせになっているのか、表を書いてみてください。この件については多世界解釈に何の謎もないことがわかるはずです。


Re: 波動関数の適用された世界 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月23日(土)14時26分48秒

> No.2933[元記事へ]

φへの返事。

φ>  馬場さんの言う
φ>  「干渉を観測したから、自分はWL+WRという重ね合わせの中に居る」
φ> と言語表現している心とは何かというと、
φ> 二重スリット実験で検出器を付けないという選択を
φ> (自分または他の実験員が)した世界WSにいる自分の心です。
φ> よって上記引用のMではなく、MSとでも書くべきでしょう。
φ>  WSは、検出器を付けるのを控えるという、
φ> 素粒子発射以前のマクロな出来事においてWとは分岐していますから、
φ> その時点でWL,WRとは遠く離れてしまっています。
φ>  MLとMRは検出器が付いていることを知っており、
φ> MSは付いていないことを知っています。
φ> MLとMRが分岐する以前の全く別の世界にMSは住んでいるわけです。
φ>
φ>  だから、MS(t)≠ML(t)+MR(t) となるのは当たり前ですね。

ごもっとも。

結局、同時に計れない2つの物理量のどちらを計るかという決断で
世界が分岐してる、というわけだ。




非可換性 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月23日(土)14時20分2秒

> No.2934[元記事へ]

SumioBabaへの返事。

SB>               【質問2011/07/23】
SB>     三浦さんは、世界W=WL+WRにいる自分の心M(t)=
SB>     「「干渉を観測したから、自分はWL+WRという
SB> 重ね合わせの中に居る」と言語表現している心。」が、
SB>     世界WLにいる自分の心ML(t)と、世界WRにいる自分
SB>     の心MR(t)との線形の重ね合わせだと主張されている
SB>     ようですが、ML(t)とMR(t)って、一体どんな状態の
SB> 心ですか?
SB>  もちろん私の答はこうです。
SB>               【SumioBabaの答】
SB>     ML(t)とMR(t)が非線形に融合したものがM(t)であるため、
SB> M(t)をML(t)とMR(t)の線形の重ね合わせに分解などできない。

W=WL+WRのかわりに|↑x>=1/√2|↑z>+1/√2|↓z>で考えよう。

SumioBabaは

「M|↑x>(x方向の上向きスピンを観測した心)は
 M|↑z>(z方向の上向きスピンを観測した心)と
 M|↓z>(z方向の上向きスピンを観測した心)の
 線形の重ね合わせ1/√2M|↑z>+1/√2M|↓z>ではない。
 M|↑x>は、M|↑z>とM|↓z>の線形の重ね合わせとして
 表わすことはできない。」

と主張したいようだ。

私ならこういう。

「x方向のスピンとz方向のスピンは同時に計れないのだから当然だろう」

SumioBabaは、結局非可換な関係にある演算子A,Bで表わされる
2つの物理量は同時に測定できない、という量子力学の基本的な
考えを、独特な口調で語っているにすぎない。


Re: 波動関数の適用された世界 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月23日(土)13時32分53秒

> No.2933[元記事へ]

φさんへのお返事です。

三浦俊彦様(64)/SumioBaba(馬場純雄)

 私が主張しているのはこういう事です。

 二重スリット実験で、1個の素粒子が左のスリットを通った世界を
WL、右のスリットを通った世界をWRとします。もし、WLとWRとの間に
相互作用が無く、単に線形の重ね合わせによる干渉が存在するだけ
なら、WLの時間発展WL(t)とWRの時間発展WR(t)とを足し合わせ
たものが、WLとWRとを線形に重ね合わせた世界Wの時間発展W(t)に
なります。つまり、
    W(t)=WL(t)+WR(t)  ・・・(1)
が任意の時刻tにおいて成立するはずです。
 しかし、世界W=WL+WRにいる自分の心M(t)は、WLにいる自分の心
ML(t)と、WRにいる自分の心MR(t)の線形の重ね合わせにはなって
いません。つまり、
    M(t)≠ML(t)+MR(t)  ・・・(3)
これが私の一番言いたい事です。

 (3)の主張の仕方として、2種類有ります。
    ・どちらのスリットを通ったか観測した状況のML(t)とMR(t)
    とを考え、両者を線形に重ね合わせてもM(t)にはならな
    い、と主張する。・・・<<前者>>
    ・どちらのスリットを通ったかを観測しなかった状況のM(t)
    を考え、これをML(t)とMR(t)の線形の重ね合わせに分解
    することは不可能、と主張する。・・・<<後者>>
私は<<前者>>の説明をしました。三浦さんは<<後者>>の立場で反
論されているようですが、<<前者>>と<<後者>>が混じり合ってしまっ
てます。

 <<後者>>だけでやってみます。1個の素粒子を二重スリットに通し
ました。どちらを通ったか観測しないので、私が住む世界W(t)は、左
のスリットを通った世界WL(t)と、右のスリットを通った世界WR(t)の重
ね合わせのままで、時間発展していきます。
    W(t)=WL(t)+WR(t)  ・・・(1)
W(t)にいる私の心M(t)は、干渉を観測しました。つまり心M(t)は、
    M(t)・・・「干渉を観測したから、自分はWL+WRという重ね
       合わせの中に居る」と言語表現している心。
です。
 三浦さんはこのM(t)が相変わらず、WLにいる自分の心ML(t)と、WR
にいる自分の心MR(t)の線形の重ね合わせになっていて、
    M(t)=ML(t)+MR(t)  ・・・(2)
が成立している、と主張されている訳ですね。
              【質問2011/07/23】
    三浦さんは、世界W=WL+WRにいる自分の心M(t)=
    「「干渉を観測したから、自分はWL+WRという重ね合
    わせの中に居る」と言語表現している心。」が、
    世界WLにいる自分の心ML(t)と、世界WRにいる自分
    の心MR(t)との線形の重ね合わせだと主張されている
    ようですが、ML(t)とMR(t)って、一体どんな状態の心
    ですか?
 もちろん私の答はこうです。
              【SumioBabaの答】
    ML(t)とMR(t)が非線形に融合したものがM(t)であるた
    め、M(t)をML(t)とMR(t)の線形の重ね合わせに分解
    などできない。

以上


Re: 波動関数の適用された世界 投稿者:φ 投稿日:2011年 7月23日(土)03時25分16秒

> No.2929[元記事へ]

SumioBabaさんへのお返事です。

馬場さんの譬え話はここでもズレているようですよ。
まだらさんもこれには応じようがないでしょう。

>
> W=WL+WRにいる自分の心Mは、
>    M(t)・・・「干渉を観測したから、自分はWL+WRという重ね
>       合わせの中に居る」と言語表現している心。
>です。
>

 ↑
 まさか。
 MはWにいるということなら、
 Mは「左だけを通っているのを観測したから、自分はWLだけに居る」と言語表現している心+「右だけを通っているのを観測したから、自分はWRだけに居る」と言語表現している心
 であるはずです。
 単に2つの心が合わさった総和(メレオロジカル・サム)です。


 馬場さんの言う
 「干渉を観測したから、自分はWL+WRという重ね合わせの中に居る」と言語表現している心

 とは何かというと、二重スリット実験で検出器を付けないという選択を(自分または他の実験員が)した世界WSにいる自分の心です。よって上記引用のMではなく、MSとでも書くべきでしょう。
 WSは、検出器を付けるのを控えるという、素粒子発射以前のマクロな出来事においてWとは分岐していますから、その時点でWL,WRとは遠く離れてしまっています。
 MLとMRは検出器が付いていることを知っており、MSは付いていないことを知っています。MLとMRが分岐する以前の全く別の世界にMSは住んでいるわけです。

 だから、MS(t)≠ML(t)+MR(t) となるのは当たり前ですね。
  (ただし、 M(t)≠ML(t)+MR(t) とは決してならないでしょう。)

 Re:モノクローム
>
>SumioBabaのいう第5の力とは、ズバリ
>「(2つの物理量の)同時対角化不能な、つまり、非可換な関係」
>を指すのかね?
>

 いやいや、
 W=WS  M=MS  と勘違いした馬場さんの心が「第5の力」なのでした。

第5の力=非可換性? 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月23日(土)01時37分18秒

SumioBabaへの返事。

SB>     ML(t)・・・「左だけを通っているのを観測したから、
SB>        自分はWLだけに居る」と言語表現している心。
SB>     MR(t)・・・「右だけを通っているのを観測したから、
SB>        自分はWRだけに居る」と言語表現している心。
SB>     M(t)・・・「干渉を観測したから、自分はWL+WRという
SB>       重ね合わせの中に居る」と言語表現している心。

SB> ・・・もし世界WLとWRとの間に相互作用が無く、単に
SB> ML(t)とMR(t)とが線形に重ね合わせられているだけなら、
SB>     M(t)=ML(t)+MR(t)  ・・・(2)
SB> が成立したはずです。でも実際には、ML(t)とMR(t)とを
SB> 線形に重ね合わせても、M(t)になる訳がありません。つまり、
SB>     M(t)≠ML(t)+MR(t)  ・・・(3)
SB> これはM(t)が、ML(t)とMR(t)の単なる線形の重ね合わせでなく、
SB> 第5の力でML(t)とMR(t)が融合している事実
SB> を示しているのではないでしょうか?

SumioBabaのいう第5の力とは、ズバリ
「(2つの物理量の)同時対角化不能な、つまり、非可換な関係」
を指すのかね?

2重スリットの場合、
・電子が左右のスリットのどちらを通ったか?
・電子がスクリーンのどこにあたったか?
の双方を知ることは出来ない。
おそらく両者は位置と運動量、時間とエネルギーと同様の
非可換な関係にある、と思われる。


「EMANの量子力学」より 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月23日(土)01時24分34秒

> No.2910[元記事へ]

SumioBabaへの返事。

SB> 量子力学では、
SB>     H^ψ=Eψ ・・・(1)
SB> において、多数の解ψ1、ψ2、ψ3、・・・が存在し、
SB> それぞれのEの値がE1、E2、E3、・・・という異なる場合でも、
SB> それらすべてを同一のシュレディンガー方程式の解と見なし、
SB> それらすべての重ね合わせを一般解として扱うのです。

「EMANの量子力学」の
時間に依存しない方程式
http://homepage2.nifty.com/eman/quantum/separate.html
にこんな文章がある。

「さて、特別に許されたエネルギーがE1、E2、・・・のように幾つかあったとして、
 それに属する解をそれぞれf1(x)、f2(x)、・・・と表すとしよう。
 これらの線形和を取ったもの、つまり波の重ね合わせをしたものを作る。
 φ=∑Anfn(x)
 さて、これはシュレーディンガー方程式の解になっているだろうか?
 なっているはずが無い。
 しかし「重ね合わせの原理」があるのだからこのことは言えるのではないか、
 と漠然と信じてしまっている学生が時々いる。
 小さな誤解が大きな誤解にならないように丁寧に説明しておこう。

 fn(x)は「時間に依存しないシュレーディンガー方程式」の解であって、
 元の「時間を含む」方程式の解ではない。
 また、時間に依存しない方程式の方には固有値Eが含まれており、
 その値が特別な値を取る時に、それに合った解だけが許されるのである。
 異なるEに属する関数を足し合わせたところで、解として認められるはずが無い。
 …」

上記は私が以下で書いたことと同じである。
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2889

SB> 量子力学では極めて基礎的な事ですが、

SumioBabaの誤りは、極めて基本的なものであるということだ。


現象報告のパラドックスで物理主義を否定する 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月22日(金)17時27分51秒

まだら様(8)/SumioBaba(馬場純雄)

 世界WLにいる自分の脳をBL、世界WRにいる自分の脳をBRとする
時、BLに随伴する自分の心MLとBRに随伴する自分の心MRとが融
合し、B=BL+BR全体に随伴する「1つの心」Mになるためには、BLと
BRとを第5の力で結び付けることが必要なのではないか?と書きまし
た。→まだら様(7)。
 全く同じことが、左脳B1と右脳B2においても言えます。左脳B1に
随伴する心M1と、右脳B2に随伴する心M2とが融合し、脳B=B1+B2
全体に随伴する「1つの心」Mになるためには、B1とB2とを第5の力
(非局所的相互作用)で結び付ける必要があり、この時Bの物理状態
の時間発展は、既存の物理法則に従っていない、という証明をしま
す。
 いわゆる「現象報告のパラドックス」に対し、「物理主義」を否定する
結論を出します。
                  参考文献
◇会議室 :【挑戦】定説への挑戦
 トピック:クオリア統一理論
 http://folomy.jp/heart/?m=pc&a=page_c_topic_detail&target_c_commu_topic_id=21734
<<クオリア統一理論(49)>>ー 現象報告のパラドックス(2) ー

               「局所的相互作用」
    光速以下で空間を伝わり、距離ゼロまで接近して初めて
    及ぼし合える相互作用。現代物理学では、すべての物理
    的相互作用は「局所的相互作用」であると考える。

               「非局所的相互作用」
    空間的距離を飛び越えて及ぼし合う相互作用。量子力学
    で言う「非局所性」とは異なり、空間的距離をとび超えて
    情報を伝え、物理状態に影響を及ぼせる作用。
    これが存在すると、1個の素粒子の運動が全宇宙の物質
    に影響を受けて計算不可能になり、また、相対性理論に
    反して因果律を破壊するなどの問題が生じるため、現代
    物理学では認められていない。

              ****************


                  【結論】

    脳B=B1+B2全体にクオリアの複合体である心Mが随伴し、
    Mが、B1だけに随伴する心M1でもなければ、B2だけに
    随伴する心M2でもなく、そのようなM1とM2の独立した和
    でもない状態で、自分の心Mの状態を現象報告する時、
    脳Bの物理状態の時間発展が既存の物理法則に従って
    いないことの証明。

                   【証明】

 まず初めに、全宇宙をB、私の脳をB1、残りの部分をB2、B1をすっ
ぽり包み込む微小厚さe(→0)の外部表面膜領域をBe、B2からBeを
除いた部分をB2-Beとしてみます。そして、
   [A]=物質や光に「非局所的相互作用」は無い。
   [B]=非物質的実体「霊魂」は存在しない。
の2点を仮定します。すると、B2-Be内部の点Pの物理状態がPaか
Pbか(Pa≠Pb)という違いが有っても、さらに、Pa→Be→B1、または、
Pb→Be→B1という「局所的相互作用」の連鎖が有ったとしても、B1
の「初期状態」(時刻t0)と、B1がBeから受ける「局所的相互作用」
(時刻t0からt1まで)さえ同じなら、B1の物理状態の時間発展(時刻
t0からt1まで)は同じものになります。従って、B1に随伴する私の心
M1の心理状態(時刻t0からt1まで)もまた、B1の「初期状態」(時刻t0)
と、B1がBeから受ける「局所的相互作用」(時刻t0からt1まで)の2つ
だけで決定し、B2-Be内部の点Pの物理状態には依存しません。た
とえ、Pa→Be→B1、または、Pb→Be→B1という「局所的相互作用」
の連鎖が有ったとしても、です。

 逆に、B1に随伴する私の心M1の心理状態(時刻t0からt1まで)が、
B1の「初期状態」(時刻t0)と、B1がBeから受ける「局所的相互作用」
(時刻t0からt1まで)の2つだけで決定せず、B2-Be内部の点Pの物理
状態がPaかPbかにも依存するというのなら、B1またはM1は、点Pか
ら、現在の物理学では認められていない、Beを飛び越えて及ぼされ
る「非局所的相互作用」を受けていることになります。
 この「非局所的相互作用」は、物理的に検出可能な場合だけ意味
を持ちます。物理的に検出不可能な「非局所的相互作用」は、他人
も検出できないし、私自身、自分の心M1が、点PがPaかPbかの違い
に何の影響も受けていないと感じるので、誰1人検証できないという
意味で、考えるだけムダです。
 もし、物理的に検出可能な「非局所的相互作用」が点PからB1や
M1に及ぼされたなら、M1はB1の物理状態だけでなく、点Pすなわち
B2-Beの物理状態にも依存する心Mに変わり、自分でM1とMの違い
を識別でき、「自分の心はMであって、M1ではない」と言語表現でき
る可能性が出てきます。この時、B1の物理状態の時間発展(時刻t0
からt1まで)は、B1の「初期状態」(時刻t0)と、B1がBeから受ける「局
所的相互作用」(時刻t0からt1まで)の2つだけで決定する、という既
存の物理法則に従っておらず、B1がB2-Beから受ける「非局所的
相互作用」にも依存していることになります。

 次に、私の左脳をB1、右脳をB2とします。B1をすっぽり包み込む
微小厚さe(→0)の外部表面膜領域をBe、B2からBeを除いた部分を
B2-Beとする点は同じです。
 左腕に針を刺され、B2が左腕の痛みを感じる状態になり、B1が
「左腕が痛い」と言語表現している時、自分の心は、
    M1・・・B1だけに随伴し、左腕の痛みを感じていない
        のに「左腕が痛い」と言語表現している心
ではなく、
    M・・・B=B1+B2全体に随伴し、左腕の痛みを感じながら
        「左腕が痛い」と言語表現している心
だと感じています。「自分の心はMであって、M1ではない」と現象報
告している訳です。これは、B1の物理状態の時間発展(時刻t0から
t1まで)が、B1の「初期状態」(時刻t0)と、B1がBeから受ける「局所
的相互作用」(時刻t0からt1まで)の2つだけで決定せず、B2-Beから
B1へと及ぼされる物理的に検出可能な「非局所的相互作用」にも
依存して、初めて可能になる事です。つまり、こうです。
    正常な脳B=B1+B2の状態で左腕に針を刺され、「左腕
    が痛い」と言語表現する時のB1の物理状態の時間発展
    (時刻t0からt1まで)は、
       B1の「初期状態」(時刻t0)と、B1がBeから受け
       る「局所的相互作用」(時刻t0からt1まで)の2つ
       だけで決定する。
    という既存の物理法則に従っておらず、B1がB2-Beから
    受ける「非局所的相互作用」にも(すなわち、脳B全体に
    随伴する心Mの状態にも)依存している。
 [霊魂説](相互作用説)が理解し易いでしょう。B=B1+B2全体に宿っ
ている「霊魂」が、B2で左腕の痛みを感じ、B1に物理的作用を及ぼ
して「左腕が痛い」と現象報告している、と考えます。B1の物理状態
の時間発展(時刻t0からt1まで)は、B1の「初期状態」(時刻t0)と、B1
がBeから受ける「局所的相互作用」(時刻t0からt1まで)の2つだけで
は決定せず、B2で左腕の痛みを感じている「霊魂」から受ける「非局
所的相互作用」にも依存していることになります。

 逆に、こう考えてみましょう。
    正常な脳B=B1+B2の状態で左腕に針を刺され、「左腕
    が痛い」と言語表現する時のB1の物理状態の時間発展
    (時刻t0からt1まで)も、
       B1の「初期状態」(時刻t0)と、B1がBeから受け
       る「局所的相互作用」(時刻t0からt1まで)の2つ
       だけで決定する。
    という既存の物理法則に従っている。
もしこうだとすると、正常な脳B=B1+B2の状態でも、M1は、B1の「初
期状態」(時刻t0)と、B1がBeから受ける「局所的相互作用」(時刻t0
からt1まで)の2つだけで決定し、B2-Beの物理状態には無関係とな
り、左腕の痛みは錯覚だということになります。実際、B2-Beを人工
的装置D1-Beで置き換えたB1+D1という状態にしても、B1の「初期
状態」(時刻t0)と、B1がBeから受ける「局所的相互作用」(時刻t0か
らt1まで)をB1+B2の場合と同じにしてやると、B1に随伴する心M1
は左腕の痛みなど感じていないのに、「左腕が痛い」と言語表現す
ることになります。B1の物理状態の時間発展が既存の物理法則に
従っているとすると、M1は左腕の痛みなど感じていないのに「左腕
が痛い」と言語表現してしまい、正しい現象報告ができないことに
なります。

                   まとめ
    脳B=B1+B2全体に統合された「1つの心」Mが発生し、
    Mが、B1だけに随伴する心M1でもなければ、B2だけに
    随伴する心M2でもなく、そのようなM1とM2の独立した
    和でもない状態で、B1がMの状態を現象報告するとき、
    B1の物理状態の時間発展(時刻t0からt1まで)は、
        B1の「初期状態」(時刻t0)と、B1がBeから受
        ける「局所的相互作用」(時刻t0からt1まで)の
        2つだけで決定する。
    という既存の物理法則に従っておらず、B1がB2-Beか
    ら受ける「非局所的相互作用」にも(すなわち、脳B全体
    に随伴する心Mの状態にも)依存している。

    B1の物理状態の時間発展(時刻t0からt1まで)が
        B1の「初期状態」(時刻t0)と、B1がBeから受
        ける「局所的相互作用」(時刻t0からt1まで)の
        2つだけで決定する。
    という既存の物理法則に従っているなら、B1に随伴する
    心M1は、B1とBeの範囲内で決まってしまい、B=B1+B2
    全体に随伴する「1つの心」Mになれない。

 なお、以上の考察において量子力学は一切考慮されておらず、古
典物理学的近似での話です。そして、量子力学で出てくる「量子ゼノ
ン効果」や「逆量子ゼノン効果」こそ、心から物質世界に及ぼされる
「第5の力」の現れではないか?と思われます。//


Re: 波動関数の適用された世界 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月21日(木)14時30分6秒

> No.2908[元記事へ]

まだらさんへのお返事です。

まだら様(7)/SumioBaba(馬場純雄)

 こういう論法はどうでしょうか?

 二重スリット実験で、1個の素粒子が左のスリットを通った世界を
WL、右のスリットを通った世界をWRとします。もし、WLとWRとの間に
相互作用が無く、単に線形の重ね合わせによる干渉が存在するだけ
なら、WLの時間発展WL(t)とWRの時間発展WR(t)とを足し合わせ
たものが、WLとWRとを線形に重ね合わせた世界Wの時間発展W(t)に
なります。つまり、
    W(t)=WL(t)+WR(t)  ・・・(1)
が任意の時刻tにおいて成立するはずです。
 この場合、「森」=「木の集合」の例えがぴったしです。「森」W(t)を
「木の集合」WL(t)+WR(t)と見なしても良いし、逆に、「木の集合」
WL(t)+WR(t)を「森」W(t)と見なすこともできます。要するに、同一の
状態を、「全体」と見るか「部分の総和」と見るか、見る側の姿勢の
違いであって、見られているW(t)とWL(t)+WR(t)とは同一の状態だと
いう訳です。

 ところが、心の方はそれが言えません。WLにいる自分の心MLは、
    ML(t)・・・「左だけを通っているのを観測したから、自分は
       WLだけに居る」と言語表現している心。
WRにいる自分の心MRは、
    MR(t)・・・「右だけを通っているのを観測したから、自分は
       WRだけに居る」と言語表現している心。
そして、W=WL+WRにいる自分の心Mは、
    M(t)・・・「干渉を観測したから、自分はWL+WRという重ね
       合わせの中に居る」と言語表現している心。
です。この場合も、もし世界WLとWRとの間に相互作用が無く、単に
ML(t)とMR(t)とが線形に重ね合わせられているだけなら、
    M(t)=ML(t)+MR(t)  ・・・(2)
が成立したはずです。でも実際には、ML(t)とMR(t)とを線形に重ね
合わせても、M(t)になる訳がありません。つまり、
    M(t)≠ML(t)+MR(t)  ・・・(3)
これはM(t)が、ML(t)とMR(t)の単なる線形の重ね合わせでなく、第5
の力でML(t)とMR(t)が融合している事実を示しているのではないで
しょうか?

以上


繰り返し 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月20日(水)21時50分25秒

すでに
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2893
に示したが、線形写像の固有ベクトルは線形独立、すなわち、
互いに、他の固有ベクトルの線形結合では表せない。

SumioBabaは、上記の記事の計算を正しいと認めたにも関わらず
いまだに、固有ベクトルの重ね合わせ(つまり線形結合)が
固有ベクトルになるという「誤り」に固執しつづけている。

計算をないがしろにするのは数学をないがしろにするということだ。


SumioBaba 自爆! 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月20日(水)21時27分9秒

> No.2926[元記事へ]

SumioBabaへの返事。

>>「「ψ1とψ2がハミルトニアンH^の固有ベクトルでないかもしれない」
>>ということなら、
SB>  なぜ? なぜスピン状態の違いでH^の固有ベクトルに
SB> なったりならなかったりするんですか?

SumioBabaは文章を読み間違っている。

私は

SB> 「b1|↑x>+b2|↓x>[b1、b2は複素数]  ・・・(1)
SB> は、Sx、Sy、Szどれの固有ベクトルなのか?」
SB> という質問は無意味です。
SB>「b1とb2の値の取り方次第でどれにもなり得る」
SB> が答です。

に対して

「Sx、Sy、Szの三つしか考えないのなら、
「どの行列の固有ベクトルにもならない」
という回答がありえる。」

と述べた。つまり(1)に関してH^の話はしていない。

(1)がある行列Sの固有ベクトルとなる可能性はもちろんある。
しかしそれは一般にSx,Sy,Szのどれとも一致しない、と述べている。

SB>  ψ1とψ2がH^の固有ベクトルであることは、
SB> シュレディンガー方程式を解いて、
SB> ψ1とψ2が解になっていることを、
SB> まず確認しているはず。

文章の前後が繋がらない。

単に
「ψ1とψ2はシュレディンガー方程式H^ψ=Eψの解だから
 当然H^の固有ベクトルであるはず」
と書けばいい。

SB> だからその線形結合で(1)と表現したはず。

残念だが、(1)は単にある関数ψ1とψ2の重ね合わせとしか読めない。
ψ1とψ2がシュレディンガー方程式H^ψ=Eψの解だとは読めない。
したがってH^の固有ベクトルとも読めない。

SB>  ハミルトニアンH^は、ψ1とψ2がH^ψ=Eψの解になり得るかどうかを、
SB> ψ1とψ2の力学的エネルギーE(運動エネルギーと位置エネルギーの和)で判断し、
SB> ψ1とψ2がどんなスピン状態かは何も条件を課しません。
SB> だから、ψ1とψ2が特定のスピン状態を含んでいたとしても、
SB> それとは無関係に、ψ1とψ2がH^ψ=Eψを満たしていれば、
SB> ψ1とψ2はH^ψ=Eψの解になり、時間推進演算子U^も作用させることができます。

H^によって不変に保たれるのは、エネルギーEの値の分布に関する重みであって
他の物理量に関して、同様の性質が保たれるとはいえない。

つまりある物理量を表す自己共役演算子A^の固有ベクトルが、
ハミルトニアンH^の固有ベクトルの重ね合わせで表される
のであれば、SzとSxの例と同じく、H^を不変とする
時間推進演算子U^は、A^の固有ベクトルに関する重みを
変化させる。

SB>  モノクロームさんの決定的な誤解は、
SB>      ψのスピンがどういう状態にあるかが、
SB>     H^ψ=Eψの解であるかないかを左右する。
SB> と考えてしまっている点です。

話を見当違いの方向にもっていって有耶無耶にするのはよくないな。
スピンSzとSxの話は、同時対角化不能な場合の例として持ち出したまで
H^と同時対角化できない物理量A^を持ち出せば
同じことが成り立つことを説明するためのものだ。

SB>  ψ1とψ2とがスピンのどんな状態を含んでいようと、
SB> H^ψ=Eψは力学的エネルギーの条件だけから、
SB> ψ1とψ2が解であるか否かを判断し、解であれば、
SB> つまりψ1とψ2がH^の固有ベクトルであれば、
SB> ψ1とψ2は時間推進演算子U^の固有ベクトルでもあり、
SB> ψ1とψ2にU^を作用させて良い訳です。
SB>  ψ1とψ2が持つスピンの状態は、
SB> 任意のb1|↑x>+b2|↓x>[b1とb2は複素数]でOKです。
SB> H^はスピンの選り好みをしません。

最後の三行は、

SumioBabaの2011年 5月21日(土)14時43分9秒の投稿
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2695
の中の文章中のWLとWRを|z↑>と|z↓>に置き換えた文章

「量子力学における物理状態の時間発展は「ユニタリ」であることが、
 一応常識となっています。1個の素粒子が一度確率1/2ずつで、
 上向きスピン状態|z↑>と、下向きスピン状態|z↓>との重ね合わせ状態
 a・|z↑>+b・|z↓> [|a|^2=|b|^2=1/2]になると、
 この素粒子が他の物体とどんな相互作用をしようと、
 |a|^2=|b|^2=1/2は保たれる、という性質です。」

を自ら否定したものだな。

結構ケッコウw。


Re: 「SumioBaba 夏バテはなおったかい」の修正 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月20日(水)18時43分0秒

> No.2924[元記事へ]

モノクロームさんへのお返事です。

三浦俊彦様(63)/SumioBaba(馬場純雄)
モノクローム様(20)/SumioBaba(馬場純雄)

>SB> b1ψ1+b2ψ2[b1、b2は複素数、ψ1、ψ2はベクトル] ・・・(1)

>ここのψ1とψ2を|↑x>、|↓x>に戻す。

>でその場合
>「「ψ1とψ2がハミルトニアンH^の固有ベクトルでないかもしれな
>い」ということなら、

 なぜ? なぜスピン状態の違いでH^の固有ベクトルになったりなら
なかったりするんですか?

> 「ゆえに時間発展によって|b1|と|b2|が変化しないとはいえない」
> ということになる。」

 ψ1とψ2がH^の固有ベクトルであることは、シュレディンガー方程
式を解いて、ψ1とψ2が解になっていることを、まず確認しているは
ず。だからその線形結合で(1)と表現したはず。
 ハミルトニアンH^は、ψ1とψ2がH^ψ=Eψの解になり得るかどうか
を、ψ1とψ2の力学的エネルギーE(運動エネルギーと位置エネルギ
ーの和)で判断し、ψ1とψ2がどんなスピン状態かは何も条件を課し
ません。だから、ψ1とψ2が特定のスピン状態を含んでいたとして
も、それとは無関係に、ψ1とψ2がH^ψ=Eψを満たしていれば、ψ1
とψ2はH^ψ=Eψの解になり、時間推進演算子U^も作用させること
ができます。

 モノクロームさんの決定的な誤解は、
           【モノクロームさんの決定的誤解】
    ψのスピンがどういう状態にあるかが、H^ψ=Eψの解
    であるかないかを左右する。
と考えてしまっている点です。そうではありません。
 ψ1とψ2とがスピンのどんな状態を含んでいようと、H^ψ=Eψは
力学的エネルギーの条件だけから、ψ1とψ2が解であるか否かを
判断し、解であれば、つまりψ1とψ2がH^の固有ベクトルであれば、
ψ1とψ2は時間推進演算子U^の固有ベクトルでもあり、ψ1とψ2
にU^を作用させて良い訳です。
 ψ1とψ2が持つスピンの状態は、任意のb1|↑x>+b2|↓x>[b1とb2
は複素数]でOKです。H^はスピンの選り好みをしません。

以上


「量子自殺の可能性」 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月19日(火)20時36分57秒

φへの返事。

φ>  ほとんど 天然ウケ狙い状態 になってきた SumioBabaさん をいじって
φ> モノクロームさん が楽しんでいる合間に、

「楽しんでいない」といえばウソになるなw

φ>  以下のご案内をさせてください↓。
φ>
φ>  http://green.ap.teacup.com/miurat/2780.html
φ>
φ>  ↑私のトピックはこの板で一つ前に論じられていた「量子自殺」です。
φ>  「2つの封筒のパラドクス」と組み合わせると
φ> 面白い思考実験が出来そうな気がしているのですが……。

なにやら面白そうだな。



「SumioBaba 夏バテはなおったかい」の修正 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月19日(火)20時31分58秒

> No.2923[元記事へ]

SB>     b1ψ1+b2ψ2[b1、b2は複素数、ψ1、ψ2はベクトル]  ・・・(1)

ここのψ1とψ2を|↑x>、|↓x>に戻す。

でその場合
「「ψ1とψ2がハミルトニアンH^の固有ベクトルでないかもしれない」
 ということなら、
 「ゆえに時間発展によって|b1|と|b2|が変化しないとはいえない」
 ということになる。」
は、主張としては正しいが、前の文章とつながらなくなるので削除

あとは元の通り。


SumioBaba 夏バテはなおったかい 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月19日(火)19時48分31秒

> No.2922[元記事へ]

SumioBabaへの返事。

SB> ・・・今の場合、
SB>     b1ψ1+b2ψ2[b1、b2は複素数、ψ1、ψ2はベクトル]  ・・・(1)
SB> という形で、|↑x>、|↓x>、|↑y>、|↓y>、|↑z>、|↓z>はもちろん、
SB> これらの中間をも含むすべての状態を一般化して表現しているのです。

ψ1とψ2がハミルトニアンH^の固有ベクトルでないかもしれない」
ということなら、
「ゆえに時間発展によって|b1|と|b2|が変化しないとはいえない」
ということになる。

SB> だから、
SB> 「(1)は、Sx、Sy、Szどれの固有ベクトルなのか?」
SB> という質問は無意味です。
SB>「b1とb2の値の取り方次第でどれにもなり得る」
SB> が答です。

Sx、Sy、Szの三つしか考えないのなら、
「どの行列の固有ベクトルにもならない」
という回答がありえる。

ψ1とψ2が直交している場合
ψ1とψ2を固有ベクトルとするある行列Sがある。
しかし、行列Sは一般にはSx、Sy、Szのどれとも異なる。

SB>  もし「|↑x>か?|↓x>か?」「|↑y>か?|↓y>か?」「|↑z>か?|↓z>か?」の
SB> どれか1つ、例えば「|↑x>か?|↓x>か?」を観測したなら、
SB>|↑x>または|↓x>に確定し、これはSxだけの固有ベクトルであって、
SB> SyやSzの固有ベクトルではないため、|↑y>と|↓y>は重ね合わせのまま、
SB>|↑z>と|↓z>は重ね合わせのままになります。

いわずもがな。
残念ながら何の反論にもなっていない。

SB> >No.2861【解答】SumioBabaの誤解を高卒レベルで証明!

SB>  あちゃあ。どう考えてもモノクロームさんの書き込みの方が、
SB> 中卒レベルなんですけど・・・。

SumioBabaが、線形代数を知らない状態で
いくら考えても無意味だろう。

なぜ、線形代数を勉強しないのか?
もしかして、自分は何の勉強もしなくても
いきなり正しい思考ができると自惚れているのか?


Re: SumioBaba 自分で固有値計算してごらん 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月19日(火)16時57分10秒

> No.2920[元記事へ]

モノクロームさんへのお返事です。

三浦俊彦様(62)/SumioBaba(馬場純雄)
モノクローム様(19)/SumioBaba(馬場純雄)

            【モノクロームさんの誤解】
>>>【解答】SumioBabaの誤解を高卒レベルで証明!
>>> |↑x>、|↓x> と
>>> |↑y>、|↓y> は
>>> 一方がH^に関するシュレディンガー方程式の解なら
>>> もう一方はそうはなりえないのである。

 そもそもハミルトニアンH^は、シュレディンガー方程式H^ψ=Eψに
おいて、ψという状態が持つ力学的エネルギーE(運動エネルギーと
位置エネルギーの和)を演算子で表したものであり、スピンについて
は何の条件も課していません。
 スピンについて、ある状態がある演算子の固有ベクトルになるか
どうかを議論するなら、スピン演算子Sx、Sy、Szを考える必要が有り
ます。
    |↑x>と|↓x>はSxの固有ベクトルであるが、|↑y>と|↓y>
    はSxの固有ベクトルではない。
なら正しいです。Sxの固有ベクトルは|↑x>と|↓x>、Syの固有ベクト
ルは|↑y>と|↓y>、Szの固有ベクトルは|↑z>と|↓z>だけですから。
そして、
    Sx|↑x>=+((h/2π)/2)|↑x>、Sx|↓x>=-((h/2π)/2)|↓x>
    Sy|↑y>=+((h/2π)/2)|↑y>、Sy|↓y>=-((h/2π)/2)|↓y>
    Sz|↑z>=+((h/2π)/2)|↑z>、Sz|↓z>=-((h/2π)/2)|↓z>
が成立しますから、|↑x>、|↑y>、|↑z>の固有値は+((h/2π)/2)であ
り、|↓x>、|↓y>、|↓z>の固有値は-((h/2π)/2)です。

 ただし今の場合、
    b1|↑x>+b2|↓x>[b1、b2は複素数]  ・・・(1)
という形で、|↑x>、|↓x>、|↑y>、|↓y>、|↑z>、|↓z>はもちろん、これ
らの中間をも含むすべての状態を一般化して表現しているのです。
だから、「(1)は、Sx、Sy、Szどれの固有ベクトルなのか?」という質問
は無意味です。「b1とb2の値の取り方次第でどれにもなり得る」が答
です。もちろん、
    a1|↑z>+a2|↓z>[a1、a2は複素数]  ・・・(2)
でも良いし、
    c1|↑y>+c2|↓y>[c1、c2は複素数]  ・・・(3)
でも構いません。

 もし「|↑x>か?|↓x>か?」「|↑y>か?|↓y>か?」「|↑z>か?|↓z>か?」の
どれか1つ、例えば「|↑x>か?|↓x>か?」を観測したなら、|↑x>または
|↓x>に確定し、これはSxだけの固有ベクトルであって、SyやSzの固
有ベクトルではないため、|↑y>と|↓y>は重ね合わせのまま、|↑z>と
|↓z>は重ね合わせのままになります。

>No.2861【解答】SumioBabaの誤解を高卒レベルで証明!

 あちゃあ。どう考えてもモノクロームさんの書き込みの方が、中卒レ
ベルなんですけど・・・。

以上


Re: 論点 投稿者:φ 投稿日:2011年 7月19日(火)02時16分10秒

> No.2906[元記事へ]

まだらさんへのお返事です。

>
> 我々の世界が影響を受けることのない異なる世界は観察できないので、あるのかどうかについては言及不可能です。
>

観察できないならば、あるいは因果関係がないならば、言及不可能である(あるいは反証不能である)、というのは、よくなされる多世界解釈や多宇宙説への批判ですが、誤解ですね。
 私たちとは因果関係がないものについて、確率的に存否を確証できる場合はあります。多宇宙説に関しては、『論理サバイバル』問102などをご覧いただければ幸いです。

>
> 論点は多世界解釈における「相対状態」がパラレルワールドなのかどうかと考えて頂ければ良いと思います。
>

 エベレットの言う「相対状態」は、パラレルワールドです。「世界」という言葉を使っていないだけですね。


 ………………………

 ほとんど 天然ウケ狙い状態 になってきた SumioBabaさん をいじって モノクロームさん が楽しんでいる合間に、
 以下のご案内をさせてください↓。

 http://green.ap.teacup.com/miurat/2780.html

 ↑私のトピックはこの板で一つ前に論じられていた「量子自殺」です。
 「2つの封筒のパラドクス」と組み合わせると面白い思考実験が出来そうな気がしているのですが……。


SuumioBaba 自分で固有値計算してごらん 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月18日(月)17時00分23秒

モノクロームへの返事。

> 基底変換で固有値は変化しないから
> 絶対値1の複素数のままである。
>
> ウソだと思うなら、固有値を計算してみればいい
> 固有値の計算の仕方は線形代数の本にあるから試してみればいい。
> いい加減、自分の手と目で、自分の誤りを確認したらどうだ?

残念ながら、SumioBabaは線形代数の本は一冊も持っておらず
したがって固有値の計算の仕方も全く御存知ないようだ。

致し方ない。私が
SumioBabaに線形代数の基本を教える
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2870
で求めた行列A

(cos(t) i*sin(t))
(i*sin(t) cos(t))

の固有値を求めてみよう。

まず固有多項式det(xI-A)を計算する

|(x-cos(t) -i*sin(t))|
|(-i*sin(t) x-cos(t))|
=(x-cos(t))^2-(-i*sin(t))^2
=x^2-2cos(t)+cos(t)^2+sin(t)^2
=x^2-2cos(t)+1

行列Aの固有値は上記の固有多項式の根である。
2次方程式の根の公式を適用すれば根xは

x
=(2cos(t)±√(4cos(t)^2-4))/2
=cos(t)±√(cos(t)^2-1)
=cos(t)±√(-sin(t)^2)
=cos(t)±(sin(t)*i)

と求められる。

上記の解が、絶対値1の複素数であることは、いわずもがなだろう。


SumioBabaに線形代数の基本を教える 3 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月18日(月)10時01分3秒

> No.2913[元記事へ]

SumioBabaへの返事。

> >|x+>と|x->がH^の固有ベクトルなら
> >時間進展で保存されるのは
> >|b1|と|b2|であって、
> >a1|z+>+a2|z->の
> >|a1|と|a2|ではない。
> >トンチンカンな言い訳は見苦しい。
> >線形代数を学ぶのが嫌なほど勉強嫌いなら
> >量子力学なんか分かるわけがないから
> >やめたがいいだろう。

SB>  そうではありません。
SB>     |z+>と|z->を基底に選び、a1|z+>+a2|z->と線形結合に表した上で
SB>     時間推進演算子を作用させると、|a1|と|a2|とが保存する
SB>     ユニタリ時間発展になる。
SB>     |x+>と|x->を基底に選び、b1|x+>+b2|x->と線形結合に表した上で
SB>     時間推進演算子を作用させると、|b1|と|b2|とが保存する
SB>     ユニタリ時間発展になる。
SB> です。すでに何度も説明しています。

何度説明しても、間違っているものは間違っている。

つまり
「|z+>と|z->を基底に選び、a1|z+>+a2|z->と線形結合に表した上で
 |a1|と|a2|とが保存するユニタリ時間発展」と
「|x+>と|x->を基底に選び、b1|x+>+b2|x->と線形結合に表した上で
 |b1|と|b2|とが保存するユニタリ時間発展」は
全く別のものであって、決して一致しない。だから、間違っている。

SumioBabaのいう「時間推進演算子を作用させる」とは
具体的には「exp(-iEnt/(h/2π))を掛ける」ということらしいが
これはψnが固有ベクトルで、しかも(H^における)その固有値がEnである
という条件を満足した上で、そう表現できるのである。
そうでない場合には、上記のような簡単な表現はできない。

例えばある自己共役演算子Hz^において
|z+>の固有値が1/2、|z->の固有値が-1/2
だったとしよう。(Hzをあるスピン行列とすればそうなる)
この場合、|x+>と|x->はHz^の固有ベクトルではない。

もちろん、|x+>と|x->を固有ベクトルとする
自己共役演算子Hx^も存在する。
しかし、それはHz^とは別の行列である。

したがって、時間発展も異なることになる。
両者を同じ基底で比べた場合に異なる行列になるからだ。


SumioBaba 歴史を書き換える 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月18日(月)09時42分59秒

> No.2913[元記事へ]

SumioBabaへの返事。

SB> 今議論しているのは、t=0における初期状態を、
SB>     ψ(0)=a|L>+b|R>
SB> とし、時間推進演算子U^を作用させて任意の時刻tにおける状態を、
SB>     ψ(t)=aU^|L>+bU^|R>
SB>       =a・{exp(-i・Elt/(h/2π))}|L>
SB>        +b・{exp(-i・Ert/(h/2π))}|R>
SB>       =a(t)|L>+b(t)|R>
SB> で表した時の話です。私は、
SB>     |a(t)|と|b(t)|が保存する。
SB> と主張しました。

SumioBabaは自分の主張を改竄している。

SumioBabaがいっていたのは以下の話

「t=0における初期状態を、
    ψ(0)=a|L>+b|R> (1)
 とすれば、時間推進演算子U^を作用させた時任意の時刻tにおける状態は、
      ψ(t)=aU^|L>+bU^|R>
         =a・{exp(-i・Elt/(h/2π))}|L>
         +b・{exp(-i・Ert/(h/2π))}|R>
         =a(t)|L>+b(t)|R> (2)
 と表せる。したがって
      |a(t)|と|b(t)|が保存される。 (3)」

SB>  そこへモノクロームさんが・・・
SB>     残念だが、ユニタリ性を誤解しているのは
SB>    SumioBabaの方だと言わざるを得ない。
SB>     |a(t)|^2+|b(t)|^2=1だけが保存し、|a(t)|と|b(t)|は保存しない。
SB>  と割り込んで来たのです。

私は上記の
「初期状態を(1)とすれば
 時間推進演算子U^を作用させた時任意の時刻tにおける状態は(2)と表せる。」
という主張に対して

「(2)を導くためには、(1)だけでなく
 |L>と|R>が、ハミルトニアンH^そして時間発展演算子U^の固有ベクトル
 だという必要があるが、SumioBabaは全くそのことを述べていないから誤り」

と指摘した。

SB> そして正しいのは、
SB>     |a(t)|と|b(t)|が保存する。
SB> の方でした。

SumioBabaは、(1)だけで(2)を導くことはできないと諦め
その代わり、
「(1)から(2)が導けると言ったんじゃない!
 (1)と(2)から(3)が導けるといったんだ!」
と自分の発言を改竄することで自己の正当化をはかることにしたらしい。

SB> そうしたらモノクロームさんは、謝罪しようともせず、
SB> 「自分は数学の説明をしている」と話をそらし、
SB> 自分の誤りを認めようともしない、・・・これが現状です。

実際には、SumioBabaが自分の主張の誤りを認める苦痛を避けるために
「私はそもそもそんなことはいっていない!私がいったのは・・・だ」
と自分の発言を「正しいがいわずもがな」のものに改竄している

(2)から(3)がいえるのは当たり前である。
しかし、SumioBabaのそもそもの主張は
「(1)の形で表わせさえすれば”ユニタリ性”によって(3)がいえる」
だったのだから
「(1)だけじゃなく(2)もいえれば(つまり(1)だけじゃ(2)はいえない)」
というのであれば、SumioBabaは、自分の主張を実質的に撤回したわけだ。

もちろん、間違った主張は撤回したほうがいい。
間違い続けるのは愚かだ。
撤回の仕方は人それぞれだろう。
私はSumioBabaがやりたいようにやればいいと思う。

肝心なことは、SumioBabaは過去の自分の首を掻き切った、ということ。
私はそのことに満足している。


ユニタリ性とスミババ・ユニタリ性 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月18日(月)09時16分24秒

ユニタリ性という言葉は数学で定義されたものである
http://ja.wikipedia.org/wiki/ユニタリ作用素

しかし、SumioBabaは定義を一切確認せず、
ただ特定の状況での式の形だけを見て
「絶対値1の複素数による対角行列!
 これこそユニタリ行列の一般形だ!」
と勝手に思い込んだ。

上記の
「絶対値1の複素数による対角行列」
という性質を、スミババ・ユニタリ性と呼ぶ。

ユニタリ行列の固有値は「絶対値1の複素数」であるから
固有ベクトルを基底とするよう基底変換すれば
「絶対値1の複素数による対角行列」となる。

当然のことながら、この場合、対角行列となるのは
固有ベクトルが基底の場合に限られ、その他の基底では
対角行列にはならない。

残念ながら、SumioBabaはこんな基本的なことがわかっておらず
「スミババ・ユニタリ性はいかなる基底でも成立する!」
と間違ったことを平然と主張する。

#n行n列のユニタリ行列U(n)はn^2次元の空間である。
#一方n行n列のスミババ・ユニタリ行列は
#U(1)×・・・(n個)・・・×U(1)
#であるから、n次元の空間である。つまり全然違う。


SumioBaba 解と初期条件を混同 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月17日(日)22時36分10秒

SumioBabaさんへのお返事です。

> >|↑x>、|↓x>が、シュレディンガー方程式の解なら
> >|↑y>、|↓y>は、解ではない、ということだ。

SB> |↑x>と|↓x>とがシュレディンガー方程式の解なら、
SB> その線形結合a|↑x>+b|↓x>[a、bは複素数]である
SB> |↑y>、|↓y>、|↑z>、|↓z>もすべて同一の
SB> シュレディンガー方程式の解です。

残念だが、シュレディンガー方程式
Hψ=i(h/2π)(dψ/dt)
の初期条件ψ(0)は、方程式の解ではないが。

初期条件ψ(0)を、方程式
Hψ=Eψ
の異なるEの解の線形結合で表わしているだけのこと。

しかも複数の異なるEの解の重ね合わせの係数が0でないなら、
いかなる実数Eにおいても、方程式
Hψ=Eψ
の解とはならない。

私は君の誤解を笑わないよ。
線形代数といえども、独学では難しい。


SumioBaba Eだけでいいの? 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月17日(日)22時25分17秒

> No.2913[元記事へ]

SumioBabaへの返事。

SB>  時間推進演算子の場合、エネルギーEだけ考えれば十分。
SB>  時間推進演算子の場合、エネルギーEだけ考えれば良い・・・
SB>  時間推進演算子はエネルギーEだけ考えれば良いのに、・・・

その場合エネルギー以外の物理量に関しては、その重みは変化するが。

例えば、SumioBabaの2011年 5月21日(土)14時43分9秒の投稿
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2695
の中の

「量子力学における物理状態の時間発展は「ユニタリ」であることが、
 一応常識となっています。1個の素粒子が一度確率1/2ずつで、左の
 穴を通った世界WLと、右の穴を通った世界WRとの重ね合わせ状態
 a・WL(t)+b・WR(t) [|a|^2=|b|^2=1/2]になると、この素粒子が
 他の物体とどんな相互作用をし、WL(t)とWR(t)とがどれほど異なる
 状態になろうと、|a|^2=|b|^2=1/2は保たれる、という性質です。」

にあるWL、WRはエネルギーEから出てくるものなのかね?


SumioBaba 自分で固有値計算してごらん 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月17日(日)22時15分31秒

> No.2913[元記事へ]

SumioBabaへの返事。

SB> 正しくはこうです。まず、新しい基底|x+>と|x->を用い、
SB>     ψ(0)=b1・|x+>+b2・|x->  ・・・(3)
SB> と線形結合で表します。こうしておいて、
SB> 時間推進演算子U^を作用させ、
SB>     ψ(t)=b1・U^|x+>+b2・U^|x->  ・・・(4)
SB>        =b1(t)|x+>+b2(t)|x->  ・・・(5)
SB> となります。
SB> そうすると、|b1(t)|と|b2(t)|は保存され、
SB> ユニタリ時間発展になります。

それでは|z+>と|z->のときと、H^もU^も異なるが。
同じH^、同じU^で、|z+>と|z->の重みも|x+>と|x->の重みも
不変にできる、というのがSumioBabaの主張だろう

SB>  モノクロームさんの失敗は、
SB> (b1cos(t)+b2sin(t)i)|x+>+(b2cos(t)+b1sin(t)i)|x-> ((9)で書き換え)
SB> において、|x+>の重みである(b1cos(t)+b2sin(t)i)と、|x->の重みである
SB> (b2cos(t)+b1sin(t)i)とが、「ユニタリ性」(固有値が絶対値1の複素数)
SB> を満たす「時間推進演算子」U^になっていない点です。

時間推進演算子U^は、重みの関数ではないが。

固有ベクトルを基底とすればU^は対角行列となり、
各固有ベクトルに固有値を掛ければいいだけだが
そうでない場合は、そうならない。

もちろん基底変換で固有値は変化しないから
絶対値1の複素数のままである。

ウソだと思うなら、固有値を計算してみればいい
固有値の計算の仕方は線形代数の本にあるから試してみればいい。
いい加減、自分の手と目で、自分の誤りを確認したらどうだ?

SB> 例えば、
SB> b1=1、b2=0の場合、|x+>の重みはcos(t)、|x->の重みはsin(t)iであり、
SB> 時間tの経過により、|cos(t)|と|sin(t)i|は変化してしまいます。
SB> だから、|x+>と|x->の重みが保存されないのは当たり前。

だからいってるだろう。
どんな物理量に関してもその重みが維持される
というSumioBabaの主張は全くの誤りだ、と。


Re: SumioBabaに線形代数の基本を教える 2 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月17日(日)20時06分34秒

> No.2910[元記事へ]

SumioBabaさんへのお返事です。

三浦俊彦様(61)/SumioBaba(馬場純雄)
モノクローム様(18)/SumioBaba(馬場純雄)

>   一般のユニタリ行列Uの場合
>      ψ(t)=(aU11+bU12)・ψ1
>        ??+(aU21+bU22)・ψ2
>   であって、|aU11+bU12|,|aU21+bU22|は、
>   もはや|a|,|b|に等しいとは言えない。

 時間推進演算子の話をしているのに、何の関係も無い話になって
います。モノクロームさんの話って、いつの間にか、a1|z+>+a2|z->を
基底変換してb1|x+>+b2|x->にする場合の、
    |a1|^2+|a2|^2=|b1|^2+|b2|^2=1
という確率保存の話にすり変わってるんですよ。

>初期ベクトルを(1,0)とすれば、回転による演算子によって
>(cos(t),sin(t))となるようにできるのであるから、当然
>SumioBabaの主張に対する決定的な反例となる。

 これなんかも同じですね。時間推進演算子とは何も関係のない話
になってます。

>「測定したい物理量のベクトルが、
> 時間推進演算子の固有ベクトルと違っていたら
> SumioBabaが期待するようなことは言えない」
> という指摘に対して、・・・SumioBabaの発言は
> 何の反論にもなっていない。

 時間推進演算子の場合、エネルギーEだけ考えれば十分。

>SB>  ψrが「時間推進演算子」U^=exp{-(i/(h/2π))tH^}の固有ベクトル
>SB> であることは、
>SB>     H^ψr=Eψr 【H^は演算子、Eは定数】  ・・・(1)
>SB>が保証している訳ですね。

>ψrが、必ず「測定したい物理量」と一致する、
>というのがSumioBabaの初歩的誤解であった。

 時間推進演算子の場合、エネルギーEだけ考えれば良いことを知
らないのが、モノクロームさんの初歩的誤解。

>固有ベクトルを基底とすれば、
>SB>     「時間推進演算子」U^=exp{-(i/(h/2π))tH^}
>が
>SB>     U^ψr=exp{-(i/(h/2π))tH^}ψr  ・・・(2)
>SB>        =exp{-(i/(h/2π))tE}ψr  ・・・(3)
>のように表わせる。

>しかし、問題は、「測定したい物理量」のベクトルが
>一般的には固有ベクトルではない、という点にある。

 まだ同じ事言ってます。

>SumioBabaは、固有ベクトルの場合にしか成り立たないことを
>全てのベクトルに対して言えると何の考えもなく
>誤って言い切ったことにある。

 時間推進演算子はエネルギーEだけ考えれば良いのに、モノクロー
ムさんはそれを知らず、「測定したい物理量」「全てのベクトル」なん
て的外れなことを言ってるだけ。

>大学の理系学部において一年時に履修すべき線形代数を
>確実に理解しているなら、このような初歩的な誤りは
>犯し得ない。

>はっきりいわせてもらえば、SumioBabaは
>理系の人としての基礎を全く有していない。
           ↑
 モノクロームさん自身の事を言っちゃってるのが笑えます。

>SB> モノクロームさんが言う「時間推進演算子」とは、
>SB> 私が説明した標準的な量子力学で用いる、
>SB>     「時間推進演算子」U^=exp{-(i/(h/2π))tH^}
>SB> とは全く異なり、好き勝手に作った時間tを含む演算子(?)に、
>SB>「時間推進演算子」という名前を付けているだけなのですね。

>SumioBabaは、スピンを理解していないことが明らかになった。

 モノクロームさんは、上の5行から「SumioBabaは、スピンを理解し
ていないことが明らかになった。」を結論する人なんですよね。

>|↑x>、|↓x>が、シュレディンガー方程式の解なら
>|↑y>、|↓y>は、解ではない、ということだ。

 これが今までのモノクロームさんの書き込みの中で、一番笑えまし
た。|↑x>と|↓x>とがシュレディンガー方程式の解なら、その線形結
合a|↑x>+b|↓x>[a、bは複素数]である|↑y>、|↓y>、|↑z>、|↓z>も
すべて同一のシュレディンガー方程式の解です。これを知らないの
だから、私が何を説明しても、モノクロームさんに理解できる訳が無
いし、「SumioBabaは、スピンを理解していないことが明らかになっ
た。」を結論してしまうのですね。

>|x+>と|x->がH^の固有ベクトルなら
>時間進展で保存されるのは
>|b1|と|b2|であって、
>a1|z+>+a2|z->の
>|a1|と|a2|ではない。
>トンチンカンな言い訳は見苦しい。
>線形代数を学ぶのが嫌なほど勉強嫌いなら
>量子力学なんか分かるわけがないから
>やめたがいいだろう。

 そうではありません。
    |z+>と|z->を基底に選び、a1|z+>+a2|z->と線形結合に表
    した上で時間推進演算子を作用させると、|a1|と|a2|とが
    保存するユニタリ時間発展になる。
    |x+>と|x->を基底に選び、b1|x+>+b2|x->と線形結合に表
    した上で時間推進演算子を作用させると、|b1|と|b2|とが
    保存するユニタリ時間発展になる。
です。すでに何度も説明しています。

> そして、真相は
> 「SumioBabaのいう「ユニタリ性」は
>  数学で定義された「ユニタリ性」よりも
>  制限されている」
> ということ。

 今議論しているのは、t=0における初期状態を、
    ψ(0)=a|L>+b|R>
とし、時間推進演算子U^を作用させて任意の時刻tにおける状態を、
    ψ(t)=aU^|L>+bU^|R>
      =a・{exp(-i・Elt/(h/2π))}|L>
       +b・{exp(-i・Ert/(h/2π))}|R>
      =a(t)|L>+b(t)|R>
で表した時の話です。私は、
    |a(t)|と|b(t)|が保存する。
と主張しました。
 そこへモノクロームさんが、無礼千万な書き込みで、
    残念だが、ユニタリ性を誤解しているのはSumioBaba
    の方だと言わざるを得ない。
    |a(t)|^2+|b(t)|^2=1だけが保存し、|a(t)|と|b(t)|は保存しない。
と割り込んで来たのです。そして正しいのは、
    |a(t)|と|b(t)|が保存する。
の方でした。そうしたらモノクロームさんは、謝罪しようともせず、「自
分は数学の説明をしている」と話をそらし、自分の誤りを認めようと
もしない、・・・これが現状です。

>a1e^it|z+>+a2e^-it|z->
>=a1e^it/√2(|x+>+|x->)+a2/√2e^-it(|x+>-|x->) ((5)で書き換え)
>=(a1e^it+a2e^-it)/√2|x+>+(a1e^it-a2e^-it)/√2|x->               >(項を整理)
>=((b1+b2)e^it+(b1-b2)e^-it)/2|x+>+((b1+b2)e^it-(b1-b2)e^-it)/2|x->  ((7)で書き換え)
>=(b1(e^it+e^-it)+b2(e^it-e^-it))/2|x+>+(b2(e^it+e^-it)+b1(e^it-e^-it))/2|x-> (項を整理)
>=(b1cos(t)+b2sin(t)i)|x+>+(b2cos(t)+b1sin(t)i)|x-> ((9)で書き換え)

> 実に当たり前のことだが行列計算と同じ答えになった。

>SB> 量子力学では、基底変換するときは、必ず(1)を(3)に変形し、
>SB> ψ(0)を新しい基底|x+>と|x->の線形結合で表し、その上で
>SB> 時間推進演算子U^を作用させることが必要です。…
>SB> きちんと(3)を通して(4)に至れば、必ずユニタリ性
>SB> (注:変換による重みの絶対値の保存)は満たされます。

>私は既に行列でも、SumioBabaの誤りを示し
>さらに、SumioBabaの認める等式による書き換えのみでも
>SumioBabaの誤りを示した。

>SumioBabaが、もし仮に納得できないのであれば
>SumioBabaがいう上記の方法を実際に遂行していただきたい。
>そうすれば、私は、SumioBabaの「かりそめの成功」が
>実は、大失敗であることをSumioBabaに示そう。

 正しくはこうです。まず、新しい基底|x+>と|x->を用い、
    ψ(0)=b1・|x+>+b2・|x->  ・・・(3)
と線形結合で表します。こうしておいて、時間推進演算子U^を作用
させ、
    ψ(t)=b1・U^|x+>+b2・U^|x->  ・・・(4)
       =b1(t)|x+>+b2(t)|x->  ・・・(5)
となります。そうすると、|b1(t)|と|b2(t)|は保存され、ユニタリ時間発展
になります。
 モノクロームさんの失敗は、
>=(b1cos(t)+b2sin(t)i)|x+>+(b2cos(t)+b1sin(t)i)|x-> ((9)で書き換え)
において、|x+>の重みである(b1cos(t)+b2sin(t)i)と、|x->の重みであ
る(b2cos(t)+b1sin(t)i)とが、「ユニタリ性」(固有値が絶対値1の複素
数)を満たす「時間推進演算子」U^になっていない点です。例えば、
b1=1、b2=0の場合、|x+>の重みはcos(t)、|x->の重みはsin(t)iであり、
時間tの経過により、|cos(t)|と|sin(t)i|は変化してしまいます。だから、
|x+>と|x->の重みが保存されないのは当たり前。

以上


重要な補足 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月17日(日)08時29分9秒

> No.2911[元記事へ]

そもそも、求めたいのは
Hψ=i(h/2π)(dψ/dt)
の解であって、Hが時間に依存しない場合
Hψ=Eψ
の解を利用して、上記の解を構築しているに過ぎない。


SumioBaba 一週間何やってたの? 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月17日(日)08時21分50秒

> No.2910[元記事へ]

SumioBabaへの返事。

SB>  久しぶりです。夏バテしてました。

本当か?

SB>  上の証明、数学的にはOKです。

当然だ。

SB> にも拘わらず量子力学では、
SB>     H^ψ=Eψ ・・・(1)
SB> において、多数の解ψ1、ψ2、ψ3、・・・が存在し、
SB> それぞれのEの値がE1、E2、E3、・・・という異なる場合でも、
SB> それらすべてを同一のシュレディンガー方程式の解と見なし、
SB> それらすべての重ね合わせを一般解として扱うのです。

また、間違ってる。

SumioBabaが言っているのは、初期条件
ψ(0)=c1ψ1+c2ψ2+c3ψ3+・・・
の場合の解が
ψ(t)=c1exp(-iE1t/(h/2π))ψ1+c2exp(-iE2t/(h/2π))ψ2+c3exp(-iE3t/(h/2π))ψ3+・・・
となる、という話だろう。

cnψnに対してexp(-iEnt/(h/2π))を掛けた上で足し合わせる
という操作は数学では何に当たるか?重ね合わせではない。

実はこれは
exp(-iE1t/(h/2π))、exp(-iE2t/(h/2π))、exp(-iE3t/(h/2π))、・・・
による対角行列を、
ベクトル
ψ(0)=c1ψ1+c2ψ2+c3ψ3+・・・
に作用させ、新たなベクトル
ψ(t)=c1exp(-iE1t/(h/2π))ψ1+c2exp(-iE2t/(h/2π))ψ2+c3exp(-iE3t/(h/2π))ψ3+・・・
を求めているわけだ。

SB> 量子力学では極めて基礎的な事ですが、
SB> モノクロームさん、知らなかったようですね。

上記は、これまた線形代数の基本だが
SumioBabaは不勉強故、全く知らなかったと。

SB>  どうせ判らない人ばかりでしょうから、文献を挙げます。
SB>         『量子力学のききどころ』
SB>         岩波書店/和田純夫 著/1995
SB>              【P31からの引用です。】

では、以下の引用に沿って説明しよう。

SB> [2] まずある時刻t0での波動関数の形ψ(x、t0)がわかっているとする。

これが初期値となるベクトル。

SB> それが時間の経過とともにどのような変化をするかを計算せよ、という問題である。

上記の「変化」は、tをパラメータとする(ユニタリ)行列として求められる。

SB> もしψ(x、t0)がエネルギー一定(E)の状態であるのなら、答は簡単で
SB>    ψ(x、t)=exp{-iE(t-t0)/(h/2π)}ψ(x、t0)  ・・・(4)
SB> となる。

この場合、exp{-iE(t-t0)/(h/2π)}だけからなる対角行列だから
単位行列にexp{-iE(t-t0)/(h/2π)}を掛けると見なせる。

SB> しかし一般には、ψ(x、t0)はいろいろなエネルギーの状態の重ね合わせである。
SB>  そこでまず、ψ(x、t0)が
SB>     ψ(x、t0)=C1f1+C2f2+・・・  ・・・(5)
SB>          =ΣCnfn
SB> というように重ね合わさっているとしよう。

上記は、
「初期値のベクトルを、ハミルトニアンHの固有ベクトルを
 基底とする重ね合わせとして表わせるとする」
と前提しているわけだ。

SB> 1つ1つのfnがどう変化するかはわかっているのだから、
SB> 一般の時刻tではそれを足し合わせて
SB>     ψ(x、t)=ΣCnexp{-iEn(t-t0)/(h/2π)}fn
SB> であることがわかる。

これは、先に言ったように
exp{-iE1(t-t0)/(h/2π)}、
exp{-iE2(t-t0)/(h/2π)}、
exp{-iE3(t-t0)/(h/2π)}、
・・・による対角行列を、
ベクトルψ(t0)=c1ψ1+c2ψ2+c3ψ3+・・・に作用させ、
新たなベクトルψ(t)を求めているわけだ。

SB> 結局、展開式(5)を求めることが問題になる。//

要は、初期値のベクトルが、固有ベクトルの重ね合わせとして表わせば
変化を対角行列とすることができる、ということ。

し、か、し、基底を固有ベクトルとしなければ、行列は対角にならない。
それだけのこと。線形代数を学んだ大学一年生なら皆知ってる。

SB>  量子力学は数学を使ってはいますが、
SB> 都合の良い部分だけ使い、都合の悪い部分は
SB> 無視したりする場面がたくさん有ります。

SumioBabaよ。一週間掛けて考えたのは
まさかそんなつまらない言い訳だけじゃ
ないだろうね?

私は、SumioBabaが「数学ではない」と誤解した箇所こそ
実は立派な数学の基本中の基本であること示した。

SB> 量子力学と数学とでは、扱いが微妙に異なるので、
SB> きちんと使い分けることが必要です。

残念だが、こんな基本的な部分で「物理」は顔を出さない。
線形代数を学んでいれば、言わずもがなだ。

SB>「ユニタリ性」もそうでしたが、モノクロームさんの場合、
SB> 数学の知識が量子力学の正しい理解を妨げているようです。

ユニタリ性にせよ固有ベクトルにせよ今回の対角化にせよ。
SumioBabaは、線形代数を知らず、式を勝手読みする
素人の独学のせいで、次から次へと誤解しているらしい。

実は数学が嫌いなのか。なら物理も諦めたほうがいい。


Re: SumioBabaに線形代数の基本を教える 2 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月17日(日)03時33分56秒

> No.2893[元記事へ]

モノクロームさんへのお返事です。

三浦俊彦様(60)/SumioBaba(馬場純雄)
モノクローム様(17)/SumioBaba(馬場純雄)

 久しぶりです。夏バテしてました。

>H^ψ1=λ1ψ1
>H^ψ2=λ2ψ2
>ψ1とψ2は一次独立、すなわち
>c1ψ1+c2ψ2=0 ⇔ c1=0&c2=0
>とする。

>ψ1とψ2の重ね合わせ
>ψ=c1ψ1+c2ψ2 (c1、c2ともに0でない)
>が、0でないλについて
>H^ψ=λψ
>になるとすると矛盾することを示す。

>H^ψ
>=H^(c1ψ1+c2ψ2)
>=λ1c1ψ1+λ2c2ψ2

>一方

>H^ψ
>=λψ
>=λc1ψ1+λ2c2ψ2

>したがって

>(λ-λ1)c1ψ1+(λ-λ2)c2ψ2=0

>しかしλ1とλ2が異なるなら、
>(λ-λ1)、(λ-λ2)の
>どちらかは0でない。

>しかし、ψ1とψ2は一次独立であるはずだから矛盾

>したがって、H^ψ=λψとなることはない。

 上の証明、数学的にはOKです。にも拘わらず量子力学では、
    H^ψ=Eψ ・・・(1)
において、多数の解ψ1、ψ2、ψ3、・・・が存在し、それぞれのEの
値がE1、E2、E3、・・・という異なる場合でも、それらすべてを同一の
シュレディンガー方程式の解と見なし、それらすべての重ね合わせ
を一般解として扱うのです。量子力学では極めて基礎的な事です
が、モノクロームさん、知らなかったようですね。

 どうせ判らない人ばかりでしょうから、文献を挙げます。
        『量子力学のききどころ』
        岩波書店/和田純夫 著/1995
             【P31からの引用です。】
[2] まずある時刻t0での波動関数の形ψ(x、t0)がわかっていると
する。それが時間の経過とともにどのような変化をするかを計算せ
よ、という問題である。もしψ(x、t0)がエネルギー一定(E)の状態で
あるのなら、答は簡単で
    ψ(x、t)=exp{-iE(t-t0)/(h/2π)}ψ(x、t0)  ・・・(4)
となる。しかし一般には、ψ(x、t0)はいろいろなエネルギーの状態の
重ね合わせである。
 そこでまず、ψ(x、t0)が
    ψ(x、t0)=C1f1+C2f2+・・・  ・・・(5)
         =ΣCnfn
というように重ね合わさっているとしよう。1つ1つのfnがどう変化する
かはわかっているのだから、一般の時刻tではそれを足し合わせて
    ψ(x、t)=ΣCnexp{-iEn(t-t0)/(h/2π)}fn
であることがわかる。結局、展開式(5)を求めることが問題になる。//

 量子力学は数学を使ってはいますが、都合の良い部分だけ使い、
都合の悪い部分は無視したりする場面がたくさん有ります。量子力
学と数学とでは、扱いが微妙に異なるので、きちんと使い分けること
が必要です。「ユニタリ性」もそうでしたが、モノクロームさんの場合、
数学の知識が量子力学の正しい理解を妨げているようです。

以上


干渉 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月16日(土)17時29分4秒

> No.2908[元記事へ]

まだらへの返事。

> マクロレベルでは波動関数同士の干渉は観察されていません。

http://ja.wikipedia.org/wiki/二重スリット実験

「1999年には、電子や光子のような極微の粒子の替わりに、
 フラーレンという大きな分子を使って同様の実験を行った場合にも、
 同様の干渉縞が生じることが確認されている。
 このフラーレンによる干渉実験を行ったザイリンガーは、
 次はウイルスによって干渉縞を生み出すことを目標としている。」

http://ja.wikipedia.org/wiki/フラーレン

「フラーレン (fullerene) は、最小の構造が多数の炭素原子で
 構成されるクラスターの総称である。(中略)
 1985年に最初に発見されたのは、炭素原子60個で構成される
 サッカーボール状の構造を持ったC60フラーレンである。」

すくなくとも炭素原子60個レベルでは観測されている。
ウイルスでも観測できたらマクロレベルといってもいい。


波動関数の適用された世界 投稿者:まだら 投稿日:2011年 7月16日(土)16時45分56秒

> No.2906[元記事へ]

マクロレベルでは波動関数同士の干渉は観察されていません。


とすれば、考えられるのは次の二つです。

1.マクロレベルには波動関数は適用されない。

2.マクロレベルでも波動関数は適用されるが、相互干渉は観察できない。


ミクロでもマクロでも波動関数が実在しているのであれば、その性質は同じはずです。

ミクロでは二重スリット実験のような干渉縞の形成が起こるのに、マクロでは起きない理由は何でしょうか。


ここでも二つ考えられます。

1.相互干渉は起きているが、我々は観察しない。

2.相互干渉は起きない。(波は独立できない)

私の言っていることは、マクロレベルでは波は独立できないということです。

何故独立できないかというと、波動関数は世界に対して適用されているのではないからです。



Re: ・・・ 投稿者:まだら 投稿日:2011年 7月16日(土)16時23分40秒

> No.2905[元記事へ]

モノクロームさんへのお返事です。

> おそらくまだらは
> 1.この世界は一つだ!なぜならオレが認識する世界が一つだからだ!
> 2.なにもかも確定してる!なぜならオレの認識は確定してるからだ!
> というナイーブな感想だけに基づいて、多世界も不確定性原理も
> 否定したいだけなのだろう。

何故世界が一つだと私が言っていることになっているのでしょう。

私とあなたの認識する世界は別であるというのが私の言っていることですが。


論点 投稿者:まだら 投稿日:2011年 7月16日(土)16時20分43秒

> No.2903[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> まだらさんへのお返事です。
>
> >
> > 私とφ様のどこに意見の違いがあるのかだんだんわからなくなってきたので、話を戻すことにしたいと思います。
> >
>
>  前回書いたように、まだらさんの大筋は多世界解釈の本道ですから、とくに異論はありません。
>
>  ただし、次の2点をまだらさんが認めているのだかいないのだか定かでないところがネックです。
>
>  ①「多世界の影響」は物理的相互作用のことではありえないということ(異なる世界どうしの間に因果関係はないということ)

これに答えるのは難しいですね。「異なる世界同士の間に因果関係はない」というのは、パラレルワールドの定義そのものでしょう。

我々の世界が影響を受けることのない異なる世界は観察できないので、あるのかどうかについては言及不可能です。

φ様の言っていることは、「他世界はパラレルワールドのことなのだから物理的相互作用はないはずだ」ということではありませんか?

私の言っていることはパラレルワールドについての話ではないし、単一の世界である「相対状態」が他世界の影響を受けないなどということはありえないということです。

>  ②不確定性原理は、どの世界においても成り立つということ(不確定性原理は、波束の収縮と違って、量子力学における例外的事態ではなく、量子力学そのものであること)

φ様の言っている「世界」がパラレルワールドのことであれば、それは正しいと言うしかないですね。


>  量子力学が成り立たない他世界まで視野に入れるのであれば話は別ですが、その場合は、私たちの知覚経験的世界とは何の関係もない話になってきますね。

私の言っている「他世界」というのは、パラレルワールドではありません。


論点は多世界解釈における「相対状態」がパラレルワールドなのかどうかと考えて頂ければ良いと思います。






・・・ 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月16日(土)14時05分6秒

> No.2903[元記事へ]

φへの返事。

φ>次の2点をまだらさんが認めているのだかいないのだか定かでない
φ>  ①「多世界の影響」は物理的相互作用のことではありえないということ(異なる世界どうしの間に因果関係はないということ)
φ>  ②不確定性原理は、どの世界においても成り立つということ(不確定性原理は、波束の収縮と違って、量子力学における例外的事態ではなく、量子力学そのものであること)

おそらくまだらは
1.この世界は一つだ!なぜならオレが認識する世界が一つだからだ!
2.なにもかも確定してる!なぜならオレの認識は確定してるからだ!
というナイーブな感想だけに基づいて、多世界も不確定性原理も
否定したいだけなのだろう。

φ> まだらさんが
φ>何らかの数学を背景に話しているのか(理系的に)、
φ>文献を根拠に話しているのか(文系的に)
φ>が不明なので、漫然とした応答に終始せざるをえない

おそらくまだらは
0.物理を知らない。おそらく実験などしたこと無い。
1.数学を知らない。例えば、不確定性原理が
  フーリエ変換における時刻と周波数の不確定性
  と同様だという認識は彼には無い。
2.文献は読んでいない。はじめからおわりまで
  自分の感覚による好き嫌いだけで語っている。
と思われる。


感想 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月15日(金)06時37分47秒

> No.2903[元記事へ]

φへの返事。

φ>  モノクロームさんへ
φ> 前の投稿に遡ってご覧いただければわかりますが、
φ> 馬場さんは間違いを認めない人のようですからね。

SumioBabaが、火曜以来、ここに現れないのは、
自説の防衛が不可能だと悟ったからだとすれば
「自説の誤りに気づいた」とも受け取れる。

それなら、彼にとっては良いことだろう。

φ>  最初に御訪問いただいた印象では、
φ> SumioBabaはもうちょっと議論を大切に考える方
φ> なのかと思いましたが……、

言葉だけ丁寧な人は何か魂胆があると考えたほうがいい。


Re: 観察者の結合状態 投稿者:φ 投稿日:2011年 7月15日(金)02時22分4秒

> No.2901[元記事へ]

まだらさんへのお返事です。

>
> 私とφ様のどこに意見の違いがあるのかだんだんわからなくなってきたので、話を戻すことにしたいと思います。
>

 前回書いたように、まだらさんの大筋は多世界解釈の本道ですから、とくに異論はありません。

 ただし、次の2点をまだらさんが認めているのだかいないのだか定かでないところがネックです。

 ①「多世界の影響」は物理的相互作用のことではありえないということ(異なる世界どうしの間に因果関係はないということ)

 ②不確定性原理は、どの世界においても成り立つということ(不確定性原理は、波束の収縮と違って、量子力学における例外的事態ではなく、量子力学そのものであること)

 量子力学が成り立たない他世界まで視野に入れるのであれば話は別ですが、その場合は、私たちの知覚経験的世界とは何の関係もない話になってきますね。

 いずれにせよ、まだらさんが何らかの数学を背景に話しているのか(理系的に)、文献を根拠に話しているのか(文系的に)が不明なので、漫然とした応答に終始せざるをえないというのが現状です。

 ……………………
 モノクロームさんへ

 前の投稿に遡ってご覧いただければわかりますが、馬場さんは間違いを認めない人のようですからね。
 ともあれ、
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2838
 で私が予測したとおりの展開に落ち着いたようです。
 最初に御訪問いただいた印象では、SumioBabaはもうちょっと議論を大切に考える方なのかと思いましたが……、


SumioBaba 三日連続沈黙中 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月14日(木)20時30分19秒

SumioBabaに線形代数の基本を教える
SumioBabaに線形代数の基本を教える 2

世間には「三日坊主」という言葉もあるが・・・


観察者の結合状態 投稿者:まだら 投稿日:2011年 7月14日(木)10時03分17秒

> No.2736[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>
> 「知的生命全体の意識の成立条件」=「私の意識の成立条件」=「我々が観測する世界の状態」
> これは認めます。

私とφ様のどこに意見の違いがあるのかだんだんわからなくなってきたので、話を戻すことにしたいと思います。

私は、相対状態というのは観察者毎に設定されるべきだと考えています。

つまり、知的生命体全体の意識の成立条件に対して「相対状態=古典力学的世界」があるのではなく、「私の意識の成立条件」に対して相対状態を設定しなければいけないということです。


古典力学的世界=独我論的世界ということになります。

相対状態というのは、観察者と観察対象の相対状態なのですから、観察者毎に設定しなければならないのは当然です。

ただし、独我論的世界同士の干渉があるということになるわけですね。私とφ様に対する情報への同調圧力があるというわけではなくて、同調している世界同士が融合しているとみなすだけです。


知的生命全体の意識の成立条件に対しての相対状態を考えるということであれば、知的生命全体の結合状態があると考えなければなりません。

観察者としての役割を知的生命全体にだけ与える方がわかりやすいのは確かですが、それは観察者を特別視し過ぎだというのが私の意見です。


むしろ観察者毎の相対状態を認めた方が観察者に特権的立場を与えずに済みます。

「観察者は世界に対して何の影響も与えない」のであれば、「私とφ様が自分の意思で立場を共有する」こともできないのです。

私とφ様が同じ世界を観察しているとしたら、それは我々の意思ではなく我々が観察している世界が偶然同じだっただけです。違う世界を観察しているのであれば接触することはなかったというだけのことです。


それに知的生命全体にだけ観察者としての地位を与えるというのは、相対性理論によるウラシマ効果を考えると難しいのではないかと思います。

光速に近い速度のロケットに乗っている観測者と地球にいる観測者が観察対象に対して相対状態にある(同じ影響を受けている)と考えることができるかどうかです。

つまり、ウラシマと我々は異なる相対状態にあると考えているということです。



観察者(意識)の世界間移動 投稿者:まだら 投稿日:2011年 7月14日(木)08時24分0秒

φさんへのお返事です。

> モノクロームさんへのお返事です。
>
> >
> > 「分岐」があるのは確かだが、逆に「統合」はないんだろうか?
> >
> > 過去の記憶がある限りは、統合は想像できないだろうが、
> > 観測した情報が際限なく記憶できるわけでもないから
> > 忘却した際には、世界の統合もありえるだろう。
> >
>
>  そのあたりに関わるエベレットの言葉。
>  ↓(拙訳)
>
>  …………
>  測定プロセスの不可逆性は、我々の枠組みでは、観測プロセスにおいて観測者の状態が観測者の諸状態の重ね合わせへ変化するという事実を反映した主観的顕現にすぎない。その重ね合わせの各々の要素は、他の諸要素から回復不能に切り離されている一観測者を記述している。何らかの外部の作用が全体の波動関数を逆転させるというのは考えうることだが、そのような変化は、重ね合わせの単一要素で表現されるいかなる観測者によっても引き起こされることはありえない。なぜなら、観測者は、他のいかなる諸要素に対しても影響を及ぼせないほど徹底的に無力だからである。
>  ("Theory of the Universal Wave Function" Many-worlds Interpretation of Quantum Mechanics p.98)
>
> マクロ的に不可逆な現象は、古典力学と量子力学に共通のものである。というのも、マクロ的に不可逆な現象とは、システムのいかなる内在的な振る舞いから生ずるものでもなく、システムについての我々の不完全な情報から生ずるものだからである。(p.99)
>  …………
>
>  というわけで、
>  可逆的実在である「波動関数」の中で、それぞれ一つの相対状態に閉じこめられた諸観測者が不完全な認識を営むことが分岐の不可逆性を生むにすぎず、不可逆性は心の中だけにあり、実在の中には不可逆性はない、と読むことができます。


統合はあるが、そこに理性的な意識は存在しない。理性的な意識は統合を観察しない。

逆に言うと、理性的な意識を持たない下等動物は統合を観察しているかもしれません。

悟りを啓いたと自称する人は多世界にまたがる観察対象をマクロレベルでも観察しているかもしれません。

そのような意識が生存に有利とは思えないので排除される可能性が高いですが。

不可逆性が心の中だけにある理由は、その方が外部に対処しやすいからということになりますね。




SumioBaba 今日も沈黙中 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月13日(水)20時42分44秒

SumioBaba 大丈夫?
SumioBaba 大丈夫?2
撤回?やなこった!
SumioBabaに線形代数の基本を教える 2


可能性の波同士の干渉 投稿者:まだら 投稿日:2011年 7月13日(水)12時49分26秒

φさんへのお返事です。


「多世界の影響」に違和感があるとφ様は言いました。

この多世界の影響とは何なのかと言えば、「波動関数同士の干渉」のことです。

「可能性の波と可能性の波が干渉しあう」=「多世界の影響」です。


二重スリット実験において干渉縞が形成されるように、マクロレベルでも同じことが起きているとしたらどのようなことになるかという話です。

分離した粒子と結合した粒子で結果が異なるはずだというのが私の言っていることです。

分離した(観察者と独立して動いている)粒子では、軌道が変化しますが、結合した(観察者と観察対象が結びついている)粒子は観察結果が変化しません。

ただし、何の影響も受けていないわけではなく相対的な位置が変化しています。


Re: 根拠 投稿者:まだら 投稿日:2011年 7月13日(水)12時20分31秒

> No.2885[元記事へ]

モノクロームさんへのお返事です。

> まだらへの返事。
>
> > あなたが私の意見に対して反論してきたのであって
>
> まだらの文章は「意見」ではなく「感想」だろう。

感想に反論することは不可能であるということに同意してもらえれば十分です。

つまりあなたは私の意見に反論できていません。

私に意見と呼べるものがあるのかどうかについて議論したいのあればそれは自由です。



SumioBaba 只今沈黙中 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月12日(火)19時56分36秒

SumioBaba 大丈夫?
SumioBaba 大丈夫?2
撤回?やなこった!

「ネットのルイセンコ」も、もう御仕舞だろう。


Re: 多粒子解釈 投稿者:φ 投稿日:2011年 7月12日(火)03時05分39秒

> No.2894[元記事へ]

モノクロームさんへのお返事です。

>
> 「分岐」があるのは確かだが、逆に「統合」はないんだろうか?
>
> 過去の記憶がある限りは、統合は想像できないだろうが、
> 観測した情報が際限なく記憶できるわけでもないから
> 忘却した際には、世界の統合もありえるだろう。
>

 そのあたりに関わるエベレットの言葉。
 ↓(拙訳)

 …………
 測定プロセスの不可逆性は、我々の枠組みでは、観測プロセスにおいて観測者の状態が観測者の諸状態の重ね合わせへ変化するという事実を反映した主観的顕現にすぎない。その重ね合わせの各々の要素は、他の諸要素から回復不能に切り離されている一観測者を記述している。何らかの外部の作用が全体の波動関数を逆転させるというのは考えうることだが、そのような変化は、重ね合わせの単一要素で表現されるいかなる観測者によっても引き起こされることはありえない。なぜなら、観測者は、他のいかなる諸要素に対しても影響を及ぼせないほど徹底的に無力だからである。
 ("Theory of the Universal Wave Function" Many-worlds Interpretation of Quantum Mechanics p.98)

マクロ的に不可逆な現象は、古典力学と量子力学に共通のものである。というのも、マクロ的に不可逆な現象とは、システムのいかなる内在的な振る舞いから生ずるものでもなく、システムについての我々の不完全な情報から生ずるものだからである。(p.99)
 …………

 というわけで、
 可逆的実在である「波動関数」の中で、それぞれ一つの相対状態に閉じこめられた諸観測者が不完全な認識を営むことが分岐の不可逆性を生むにすぎず、不可逆性は心の中だけにあり、実在の中には不可逆性はない、と読むことができます。
 しかし――――

>
> 多世界と呼ぶことを否定するつもりは無いが、
> そこでいう「世界」がいかようなものであるかは
> よく考えたほうがいいと思う。
>

 各々の「世界」は、単に観測者と呼べるような認識系が波動関数のあちこちに灯した幻のようなもの、と解することはできるものの、
 我々の現実世界(を生み出している我々の心、意識、クオリア)がここに存在していることは紛れもない事実であり、それらが物理的実在の反映であるならば、他の諸分岐(相対状態)も全く同等の意味で物理的実在だというわけです。
 そう考えないと、「波動の収縮」を消去するという多世界解釈の趣旨が無に帰してしまうので。


Re: 多粒子解釈 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月11日(月)21時14分11秒

> No.2884[元記事へ]

φへの返事。

φ>  エベレット自身は「多世界」を文字通りには受け取っていなかったということですか?
φ>  だとしたら違います。エベレットの「相対状態(複数)」とは、それぞれが正真正銘、物理的な古典力学的世界を意味しています。

「古典力学的」とは思わない。位置と運動量は同時に確定することはないから。

φ>  たしかにエベレットは原論文で「多世界」という言葉は一度も使っていませんが、
φ> あの論文を読むかぎりでは、通常イメージされる「パラレルワールド」のことを
φ> 述べています。それ以外の解釈はできません。

パラレルであることは確かだ。

φ> ドウィットは、エベレットの精神に忠実に、より率直な「多世界」という言葉を導入したまでで、エベレットの原典を歪めていません。

多世界と呼ぶことを否定するつもりは無いが、
そこでいう「世界」がいかようなものであるかは
よく考えたほうがいいと思う。

φ>  エベレットは、「古典力学的マクロ世界の分岐」としか読めない
φ>「分岐」という言葉を何度も使っています。

「分岐」があるのは確かだが、逆に「統合」はないんだろうか?

過去の記憶がある限りは、統合は想像できないだろうが、
観測した情報が際限なく記憶できるわけでもないから
忘却した際には、世界の統合もありえるだろう。

φ>  エベレットはパイオニアとして慎重を期して「世界」という言葉を避けただけで
φ>(互いに行き来できるバック・トゥ・ザ・フューチャー的多世界と誤解されたらたまらないですからね!)、
φ>実はまったく普通の意味でのパラレルワールド(ただし互いに因果関係ナシ)のことを述べています。

古典力学云々を抜きにして、単に、異なる観測結果を持つ世界がパラレルに存在すると理解している。


SumioBabaに線形代数の基本を教える 2 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月11日(月)20時57分17秒

H^ψ1=λ1ψ1
H^ψ2=λ2ψ2
ψ1とψ2は一次独立、すなわち
c1ψ1+c2ψ2=0 ⇔ c1=0&c2=0
とする。

ψ1とψ2の重ね合わせ
ψ=c1ψ1+c2ψ2 (c1、c2ともに0でない)
が、0でないλについて
H^ψ=λψ
になるとすると矛盾することを示す。

H^ψ
=H^(c1ψ1+c2ψ2)
=λ1c1ψ1+λ2c2ψ2

一方

H^ψ
=λψ
=λc1ψ1+λ2c2ψ2

したがって

(λ-λ1)c1ψ1+(λ-λ2)c2ψ2=0

しかしλ1とλ2が異なるなら、
(λ-λ1)、(λ-λ2)の
どちらかは0でない。

しかし、ψ1とψ2は一次独立であるはずだから矛盾

したがって、H^ψ=λψとなることはない。


ルイセンコ論争 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月11日(月)20時45分51秒

 ルイセンコ論争(ルイセンコろんそう)とは、環境因子が形質の変化を引き起こし、その獲得形質が遺伝するというルイセンコの学説に関する論争。及びそれに伴ったソ連邦における反遺伝学キャンペーン。ミチューリンが先鞭をつけたといわれるミチューリンの名を冠したミチューリン主義農法、またこれを応用したヤロビ農法(春化処理のロシア語: Яровизация ヤロヴィザーツィヤから)などと共に議論される場合が多い。

 ルイセンコの学説は1934年に発表され、スターリン政権下で「マルクス・レーニン主義の弁証法的唯物論を証明するものだ」とされ、メンデルの遺伝学はブルジョア理論として否定された。

 ルイセンコは低温処理によって春まき小麦が秋まきに、秋まき小麦が春まきに変わることを発見したとされている。これはいわゆる春化処理であるが、ルイセンコはこれを遺伝的性質がこのような操作によって変化するものと見なし、これまでのメンデル遺伝学や自然選択説を否定した。後天的に獲得した性質が遺伝されるというルイセンコの学説は努力すれば必ず報われるという共産主義国家には都合のよい理論であり、スターリンは強く支持した。
 当時のソ連の生物学会ではルイセンコの学説に反対する生物学者は処刑されたり、強制収容所に送られるなど粛清されていた。日本の学界にも1947年に導入されルイセンコの学説を擁護する学者があらわれ、ルイセンコの提唱した低温処理を利用するヤロビ農法が寒冷地の農家に広まった。また中国でも毛沢東が大躍進政策の中でルイセンコの学説を採用し、数多くの餓死者を出した。朝鮮民主主義人民共和国でも、金日成の指導の下にルイセンコ学説を利用した主体農法が実施されたが、土地の急速な栄養不足におちいり、これに天候不良が重なることで1990年代の食糧不足につながった。スターリンの死後はスターリン批判に伴いルイセンコも批判され論争で得た地位を一旦は失ったものの、フルシチョフの知遇を得たルイセンコ派は再び巻き返すことに成功する。この結果、ソ連の農業生産は著しいダメージを受けることになる。
 DNAの構造や機能が解明されていくにつれ、ルイセンコ学説の支持者はいなくなっていった。


撤回?やなこった! 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月11日(月)20時39分41秒

> No.2888[元記事へ]

SumioBabaへの返事。

SB> 結論は極めて簡単で、
SB>   基底|z↑>と|z↓>と、基底|x↑>と|x↓>とは、
SB>   同時に対角化できない。
SB> でしょう? 当たり前の事です。

その通りだ。その当たり前のことがどういうことか
SumioBabaはいまだによく分かっていないということだ。

SB> ハミルトニアンH^も、時間推進演算子U^も、
SB> |z↑>、|z↓>、|x↑>、|x↓>の4つを
SB> 固有ベクトルとする場合を考えて良いし、

ほら!ほら!!ほら!!!
やっぱ、全然わかってな~い。

対角化できないんでしょ。
だったら基底|z↑>と|z↓>が固有ベクトルなら
基底|x↑>、|x↓>は固有ベクトルにはならない
んだよ。

SB> 基底|z↑>と|z↓>と、基底|x↑>と|x↓>のどちらを選ぶかも自由です。

どちらを固有ベクトルとするハミルトニアンを選ぶのも自由だよ。
しかし両方は選べない。そういうこと。

位置と運動量の場合と同じ。

SB> あとは、モノクロームさんが、
SB>
SB>  【モノクロームさんの誤解】
SB>  >>> |↑x>、|↓x> と
SB>  >>> |↑y>、|↓y> は
SB>  >>> 一方がH^に関するシュレディンガー方程式の解なら
SB>  >>> もう一方はそうはなりえないのである。
SB>
SB> を撤回するだけでOK。撤回しますか?

なんで、わざわざSumioBaba一人のご機嫌をとるために
線形代数の基本を否定せにゃならんのかい。

まあ、ここがスターリン統治下のソ連で、
SumioBabaがルイセンコだというなら、
話は別だが。命は惜しいからねw

ところで、スターリンが失脚した後
ルイセンコがどうなったかは知ってるよな?


SumioBaba 大丈夫?2 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月11日(月)20時29分12秒

> No.2887[元記事へ]

SumioBabaへの返事。

SB>  このへんに、不確定性原理に対する
SB> モノクロームさんの根本的な誤解が有るのです。

このへんとはどのへんw

SB>  不確定性原理が主張しているのは、こうです。

聞かせてもらおうか。

SB>           【不確定性原理の主張している事】
SB>     「|↑x>か? |↓x>か?」と「|↑y>か? |↓y>か?」とが、
SB>     同時に確定することはない。

然り。

SB>     「|↑x>か? |↓x>か?」が確定しているときは、
SB>      |↑y>と|↓y>とは重ね合わせのまま。

然り。上と同じことだ。

SB>     「|↑y>か? |↓y>か?」が確定しているときは、
SB>      |↑x>と|↓x>とは重ね合わせのまま。

然り。これまた上と同じことだ。

SB> それをモノクロームさんは、こう誤解している訳です。

どう誤解していると思ってるんだい?

SB>             【モノクロームさんの誤解】
SB>  >>> |↑x>、|↓x> と
SB>  >>> |↑y>、|↓y> は
SB>  >>> 一方がH^に関するシュレディンガー方程式の解なら
SB>  >>> もう一方はそうはなりえないのである。

然り。全く正しいじゃないか。何の誤解もない。

SB>  それに、今になって、
SB> >H^|↑x>=Eu|↑x> と
SB> >H^|↓x>=Ed|↓x> の
SB> >EuとEdが異なる。
SB> なんて言い出したら、せっかく誉めてあげた
SB> モノクロームさんの計算が、すべてパーですよ。

誉めるということは、SumioBabaが自分の主張の
誤りを全面的に認めるということだが。

真実よりも自分が可愛い君にそんなことができるのかい?

SB> (1/√2 1/√2)(e^it 0)(1/√2 1/√2)
SB> (1/√2 -1/√2)(0 e^-it)(1/√2 -1/√2)
SB> を、
SB> (1/√2 1/√2)(e^itEu 0)(1/√2 1/√2)
SB> (1/√2 -1/√2)(0 e^-itEd)(1/√2 -1/√2)
SB> と書き直す必要が有りますから。もう一度、やり直します?

SumioBaba、間違ってるぞ。

書きなおすのなら

(1/√2 1/√2)(e^itEu 0)(1/√2 1/√2)
(1/√2 -1/√2)(0 e^itEd)(1/√2 -1/√2)

だろう。

そしてその場合、Eu=1、Ed=-1 だ。
(実際にはスピンの固有値は1/2と-1/2だが)

つまり、なんら書き換える必要なく
EuとEdが異なる場合の例になっている。


SumioBaba 大丈夫? 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月11日(月)19時58分41秒

> No.2887[元記事へ]

SumioBabaへの返事。


> >>SB>  ・・・|↑x>と|↓x>がシュレディンガー方程式の解なら、
> >>SB> その線形結合である|↑y>と|↓y>の方も、
> >>SB> シュレディンガー方程式の解になるのでは?
>
> >|↑x>と|↓x>の固有値の違いを無視している。
>
> >H^|↑x>=Eu|↑x> と
> >H^|↓x>=Ed|↓x> は
> >EuとEdが異なるならば
> >異なる方程式である。
>
> >|↑x>と|↓x>の線形結合は、
> >H^|↑x>=Eu|↑x> と
> >H^|↓x>=Ed|↓x> の
> >どちらの方程式の解になるのか?
>
> >答えられないはずだ。
>
SB>  時間を含まないシュレディンガー方程式は、
SB>     H^ψ=Eψ
SB> と書かれ、解ψは一般に多数存在し、
SB> 解によってEの値も異なります。
SB> H^さえ共通なのであれば、同じシュレディンガー方程式です。

Eが違えば、異なるシュレディンガー方程式である。

SB> Eの値はEu、Edと異なっても、|↑x>と|↓x>はともにH^ψ=Eψの解です。

Eは実数だろう。
その値はEuか?Edか?どちらでもないのか?
どう答えても間違っている。

SB> というか、H^ψ=Eψを解いたら、|↑x>と|↓x>がともに解になった、
SB> という設定です。

というかw、あるEについてH^ψ=Eψとなるψを求めたところ
Euのとき|↑x>、Edのとき|↓x>、となったというのが正しい。

SB> そして、|↑x>と|↓x>とがH^ψ=Eψの解であれば、
SB> その線形結合である、a|↑x>+b|↓x>もまた、H^ψ=Eψの解です。

|↑x>と|↓x>の線形結合は、重みがどちらも0でない場合
いかなるEについてもH^ψ=Eψとはならない。

SB> こういう性質を「線形」と呼びます。初めて聞きましたか?

ええ。そりゃ、SumioBabaの誤解だからね。

SB>  もう一度尋ねます。
SB>                   【質問】
SB>      |↑x>と|↓x>がシュレディンガー方程式H^ψ=Eψの解
SB>     であるのなら、その線形結合である|↑y>と|↓y>の方も、
SB>     H^ψ=Eψの解になるのではありませんか?

何度尋ねても答えはNOだよ。
SumioBabaは、大学で線形代数を勉強したほうがいいね。


Re: SumioBabaへの実に親切な補足 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月11日(月)18時37分2秒

> No.2873[元記事へ]

モノクロームさんへのお返事です。

モノクローム様(16)/SumioBaba(馬場純雄)

 結論は極めて簡単で、
    基底|z↑>と|z↓>と、基底|x↑>と|x↓>とは、同時に対角化
    できない。
でしょう? 当たり前の事です。ハミルトニアンH^も、時間推進演算子
U^も、|z↑>、|z↓>、|x↑>、|x↓>の4つを固有ベクトルとする場合を
考えて良いし、基底|z↑>と|z↓>と、基底|x↑>と|x↓>のどちらを選ぶ
かも自由です。あとは、モノクロームさんが、

            【モノクロームさんの誤解】
 >>> |↑x>、|↓x> と
 >>> |↑y>、|↓y> は
 >>> 一方がH^に関するシュレディンガー方程式の解なら
 >>> もう一方はそうはなりえないのである。

を撤回するだけでOK。撤回しますか?

以上


Re: SumioBabaに線形代数の基本を教える 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月11日(月)17時41分57秒

> No.2870[元記事へ]

モノクロームさんへのお返事です。

モノクローム様(15)/SumioBaba(馬場純雄)

>>> |↑x>、|↓x> と
>>> |↑y>、|↓y> は
>>> 同じ空間の、異なる基底であり、
>>> 一方が空間の線形変換の固有ベクトルになるなら、
>>> もう一方はそうはなりえないから、
>>> 一方がH^に関するシュレディンガー方程式の解なら
>>> もう一方はそうはなりえないのである。

>>SB>  意味が解りません。|↑x>と|↓x>がシュレディンガー方程式の解なら、
>>SB> その線形結合である|↑y>と|↓y>の方も、シュレディンガー方程式の解
>>SB> になるのでは?

>|↑x>と|↓x>の固有値の違いを無視している。

>H^|↑x>=Eu|↑x> と
>H^|↓x>=Ed|↓x> は
>EuとEdが異なるならば
>異なる方程式である。

>|↑x>と|↓x>の線形結合は、
>H^|↑x>=Eu|↑x> と
>H^|↓x>=Ed|↓x> の
>どちらの方程式の解になるのか?

>答えられないはずだ。

 時間を含まないシュレディンガー方程式は、
    H^ψ=Eψ
と書かれ、解ψは一般に多数存在し、解によってEの値も異なりま
す。H^さえ共通なのであれば、同じシュレディンガー方程式です。Eの
値はEu、Edと異なっても、|↑x>と|↓x>はともにH^ψ=Eψの解です。
というか、H^ψ=Eψを解いたら、|↑x>と|↓x>がともに解になった、と
いう設定です。そして、|↑x>と|↓x>とがH^ψ=Eψの解であれば、そ
の線形結合である、a|↑x>+b|↓x>もまた、H^ψ=Eψの解です。こう
いう性質を「線形」と呼びます。初めて聞きましたか?
 もう一度尋ねます。
                  【質問】
     |↑x>と|↓x>がシュレディンガー方程式H^ψ=Eψの解
    であるのなら、その線形結合である|↑y>と|↓y>の方も、
    H^ψ=Eψの解になるのではありませんか?

 このへんに、不確定性原理に対するモノクロームさんの根本的な
誤解が有るのです。
 不確定性原理が主張しているのは、こうです。
          【不確定性原理の主張している事】
    「|↑x>か? |↓x>か?」と「|↑y>か? |↓y>か?」とが、同時
    に確定することはない。
    「|↑x>か? |↓x>か?」が確定しているときは、|↑y>と|↓y>
    とは重ね合わせのまま。
    「|↑y>か? |↓y>か?」が確定しているときは、|↑x>と|↓x>
    とは重ね合わせのまま。
それをモノクロームさんは、こう誤解している訳です。
            【モノクロームさんの誤解】
 >>> |↑x>、|↓x> と
 >>> |↑y>、|↓y> は
 >>> 一方がH^に関するシュレディンガー方程式の解なら
 >>> もう一方はそうはなりえないのである。

 それに、今になって、
>H^|↑x>=Eu|↑x> と
>H^|↓x>=Ed|↓x> の
>EuとEdが異なる。
なんて言い出したら、せっかく誉めてあげたモノクロームさんの計算
が、すべてパーですよ。
(1/√2 1/√2)(e^it 0)(1/√2 1/√2)
(1/√2 -1/√2)(0 e^-it)(1/√2 -1/√2)
を、
(1/√2 1/√2)(e^itEu 0)(1/√2 1/√2)
(1/√2 -1/√2)(0 e^-itEd)(1/√2 -1/√2)
と書き直す必要が有りますから。もう一度、やり直します?

以上


SumioBabaへ 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月11日(月)06時20分49秒

以下の記事を必ず熟読されたし
SumioBabaに線形代数の基本を教える
SumioBabaへの実に親切な補足
さてさて


Re: 根拠 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月11日(月)06時15分10秒

> No.2881[元記事へ]

まだらへの返事。

> あなたが私の意見に対して反論してきたのであって

まだらの文章は「意見」ではなく「感想」だろう。


Re: 多粒子解釈 投稿者:φ 投稿日:2011年 7月11日(月)05時07分24秒

> No.2880[元記事へ]

モノクロームさんへのお返事です。

>
> そもそもエヴェレットは「多世界」と言う言葉を使ってないらしい。
>
> エヴェレットは多世界という時に想定される単一の世界を
> 相対状態(relative state)と呼んでいるそうだ。
> 真に実在しているのは波動関数その物であり、多世界解釈
> という時、単一世界と見做されるものは、どのバージョン
> の私を観測者に置くかに依存する相対状態にすぎない、
> というのがエヴェレットの考え方だそうだ。
>

 エベレット自身は「多世界」を文字通りには受け取っていなかったということですか?

 だとしたら違います。エベレットの「相対状態(複数)」とは、それぞれが正真正銘、物理的な古典力学的世界を意味しています。

 たしかにエベレットは原論文で「多世界」という言葉は一度も使っていませんが、あの論文を読むかぎりでは、通常イメージされる「パラレルワールド」のことを述べています。それ以外の解釈はできません。ドウィットは、エベレットの精神に忠実に、より率直な「多世界」という言葉を導入したまでで、エベレットの原典を歪めていません。

 エベレットは、「古典力学的マクロ世界の分岐」としか読めない「分岐」という言葉を何度も使っています。
 たとえば↓(拙訳)

 ……………
 観測者の「軌道」について何か言明したいと我々は思う。しかしながら、我々にとって一つの軌道は、次々になされる測定のたびにたえず分岐し続けている(状態から重ね合わせへと変化し続けている)。古典的ケースにおいて「確率の保存」に類比的な要請を満たすために、我々は、ある時刻に一つの軌道に割り当てられる測度は、後の一時刻におけるその軌道の別々の分岐の測度の合計に等しい、ということを要求する。
 ("Theory of the Universal Wave Function" Many-worlds Interpretation of Quantum Mechanics (ed. by Bryce S DeWitt , Neill Graham, Princeton University Press)p.73)
 ……………

 すべての分岐が同等の「実在性」を持ち、「同時に実在している」とエベレットが述べている部分は、訳すのも書き写すのも面倒なのでページだけ記しておきますが、同書のたとえばp,87第1・第2段落、p.105第3段落、p.107第一段落をご覧下さい。
 エベレットはパイオニアとして慎重を期して「世界」という言葉を避けただけで(互いに行き来できるバック・トゥ・ザ・フューチャー的多世界と誤解されたらたまらないですからね!)、実はまったく普通の意味でのパラレルワールド(ただし互いに因果関係ナシ)のことを述べています。


Re: 多粒子解釈 投稿者:φ 投稿日:2011年 7月11日(月)05時05分50秒

> No.2878[元記事へ]

まだらさんへのお返事です。

>
> φ様の説は、コペンハーゲン解釈を採用するならば妥当なところだろうというのが私の理解するところです。
>

↑「私の説」と言えるものはここではまだ提示していないので……、
 いずれにしても、コペンハーゲン解釈は私が最も嫌う種類の世界観です。(世界観ですらない)

 エベレット三世によるコペンハーゲン解釈批判には、全く私も同意なのです。

 以下は、エベレットの原論文からの引用。(拙訳)

 …………
 コペンハーゲン解釈が持つもう一つの不愉快な特徴は、はじめから古典的レベルに強く依存していることである。その依存によって、基底的な量子理論にもとづいて古典的レベルを説明する一切の可能性が排除されてしまう。(準拠枠として働く古典的装置があらかじめ存在することなしにはいかなる有意味な言明も為しえないと考えるがゆえに、量子理論から古典的現象を演繹することが不可能となってしまうのである)。コペンハーゲン解釈は、古典的レベルに関する「実在」概念(すなわち、客観的記述の可能性)に固執しながら量子的領域における実在は拒絶するという二元論に毒されているのだ。("Theory of the Universal Wave Function" Many-worlds Interpretation of Quantum Mechanics (ed. by Bryce S DeWitt , Neill Graham, Princeton University Press)p.111)
……………

>
> コペンハーゲン解釈では、「ひとつの粒子が波であり、観察者(意識)はひとつ」でしたが、多粒子解釈では「粒子はひとつで、観察者(意識)は多世界にまたがるひとつの存在」なのです。
>
> 一つの世界でひとつの意識が成り立つのであれば、粒子の不確定性は観察されなかったでしょう。
>
> 意識(選択肢)が成り立つためには複数の世界の範囲を必要とするということです。
>
> 観察者の意識が実験結果に影響するように見えるのは、意識が多世界をまたがった存在だからです。
>

 まだらさんが何を言っているのか、モノクロームさんの指摘どおり非形式的な書き方ばかりでいまいち不明でしたが、↑でまだらさんが言うことは全面的に正しいですよ。とくに異論の余地はありません。多世界解釈ではごく普通の、必然的に採るべき立場でしょう。(1番目の引用で「粒子はひとつ」がいまいち意味不明なのと、2番目の引用で、「不確定性原理」のことを言ってるとしたら間違っている、という2点を除いてですが)

 私たち一人一人の意識が多世界にまたがっていることは、多世界解釈の本質です。(ただし、肉体は多世界に一個一個分離して並存していますが)

 ↓↓以前に、別の人との議論で私が投稿した発言をご覧下さい↓↓
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2654


Re: 多粒子解釈 投稿者:まだら 投稿日:2011年 7月11日(月)03時06分37秒

> No.2880[元記事へ]

モノクロームさんへのお返事です。

> まだらへの返事。
>
> > 多世界解釈を採用するならば多世界に多粒子が存在していることになる
>
> そもそもエヴェレットは「多世界」と言う言葉を使ってないらしい。
>
> エヴェレットは多世界という時に想定される単一の世界を
> 相対状態(relative state)と呼んでいるそうだ。
> 真に実在しているのは波動関数その物であり、多世界解釈
> という時、単一世界と見做されるものは、どのバージョン
> の私を観測者に置くかに依存する相対状態にすぎない、
> というのがエヴェレットの考え方だそうだ。


多世界解釈の本質は、観察者にも波動関数を適用することです。

私も相対状態とみなしていますよ。過去ログを読めばわかることです。



Re: 根拠 投稿者:まだら 投稿日:2011年 7月11日(月)03時03分50秒

> No.2879[元記事へ]

モノクロームさんへのお返事です。

> まだらへの返事。
>
> > > なぜ複数だと思い込む?
> >
> > 根拠は既に書いてあります。
>
> なぜ二度書けない?
>
> 二度と書けないほど恥ずかしい文章なのか?

あなたが私の意見に対して反論してきたのであって、逆ではありません。





Re: 多粒子解釈 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月10日(日)20時07分8秒

> No.2878[元記事へ]

まだらへの返事。

> 多世界解釈を採用するならば多世界に多粒子が存在していることになる

そもそもエヴェレットは「多世界」と言う言葉を使ってないらしい。

エヴェレットは多世界という時に想定される単一の世界を
相対状態(relative state)と呼んでいるそうだ。
真に実在しているのは波動関数その物であり、多世界解釈
という時、単一世界と見做されるものは、どのバージョン
の私を観測者に置くかに依存する相対状態にすぎない、
というのがエヴェレットの考え方だそうだ。




Re: 根拠 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月10日(日)19時59分26秒

> No.2876[元記事へ]

まだらへの返事。

> > なぜ複数だと思い込む?
>
> 根拠は既に書いてあります。

なぜ二度書けない?

二度と書けないほど恥ずかしい文章なのか?




多粒子解釈 投稿者:まだら 投稿日:2011年 7月10日(日)16時44分7秒

> No.2877[元記事へ]

多世界解釈を採用するならば多世界に多粒子が存在していることになる(と私が主張している)というのがここまでの話でした。

この先は「多粒子解釈」という名前を使うことにします。いちいち多世界解釈と同じなのかどうかを議論するのは面倒だからです。(まあ結局議論するはめになるような気はしますが)

まず、多粒子解釈における不確定性原理の意味を考えることにします。

コペンハーゲン解釈においては、「不確定の状態を観察している(不確定性原理)」と解釈されることになりますが、多粒子解釈においては、「多世界の状態を観察している(多世界原理)」と解釈されることになります。

二重スリット実験の結果を受けて、ひとつの粒子が複数の位置を占めていることを認めざるを得なくなったわけですが、多世界が存在しているのであれば、「ひとつの粒子の不確定な状態」ではなく「複数の粒子が多世界に存在している状態」として説明することができるのです。

コペンハーゲン解釈では観察者が特権的な地位にありました。「観察者が物理的な状態を決定する」と表現される状態です。

多粒子解釈では観察対象が特権的な地位にあります。「観察対象が物理的な状態を決定する」と考えて良いです。不確定性原理は捨てられ、代わりに多世界原理(観察者は多世界の状態を観察している)が取って変わることになります。

「我々が観察する世界」は「大量の世界の融合したもの」です。マクロレベルにおいてもこれは変わりません。

観察者は「大量の世界にひとつ」存在していることになります。

コペンハーゲン解釈では、「ひとつの粒子が波であり、観察者(意識)はひとつ」でしたが、多粒子解釈では「粒子はひとつで、観察者(意識)は多世界にまたがるひとつの存在」なのです。

一つの世界でひとつの意識が成り立つのであれば、粒子の不確定性は観察されなかったでしょう。

意識(選択肢)が成り立つためには複数の世界の範囲を必要とするということです。

我々の観察する世界ではマクロレベルにおいて観察者と観察対象が同じ量の他世界の影響を受けています。

例えば海に浮かんだ船のようなものです。(海中がミクロレベルで船がマクロレベル)

船の中では常に相対的な位置が確定(波束の収縮が起きている)していますが、船底から海の中を覗くと揺れて見えることになります。海の中では揺らぎであっても、船に対しては浮力として船全体に作用するということです。

観察者の位置が変わっても船の中を移動するだけであれば波束の収縮の範囲が変わることはありません。

船の中のどこに立つかは観察者の自由です。(船は多世界にまたがっている)

観察者の意識が実験結果に影響するように見えるのは、意識が多世界をまたがった存在だからです。

意識は世界A→世界B→世界Aという時間の流れを選択することができるということです。
世界B→世界A→世界Bには、我々が知るような形での意識は存在しないかもしれません。


代案との比較 投稿者:まだら 投稿日:2011年 7月10日(日)16時43分26秒

> No.2857[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> まだらさんへのお返事です。
>
> >
> > 波動の収縮は、私の説では観察者と観察対象が他世界から同じだけの影響を受けているということを意味します。
> >
>
> やっぱりどうも「影響」が気になるんですよね。
>  他世界から影響を受けるとは?
>
>  しかし言わんとすることはわかります。現在の経験内容と両立するどのような世界がどのくらい存在するかということによって「私」と「観察対象」がこれからどのような世界に移行するかが確率的に左右される、という意味でなら、「同じだけの影響を受けている」と言えるでしょうね。
> > 観察者と観察対象に対する他世界の影響が「物理的に同じである」時に
> > 位置が確定しているように見える(相対的な位置が確定している)のです。
> >
>
>  さっきの「観察者と観察対象が他世界から同じだけの影響を受けているとき、収縮して見える(古典力学的に確定した様子に見える)」を単に言い換えたのであれば、理解可能ですね。

基本的なアイディアには同意してもらえたようなので、話を進めることにします。


> > この「最頻値」の意味は、「熱力学的な不可逆性を生み出すのに十分な確率」ということになるはずです。
> >
> > 「波動の収縮」は、熱力学の不可逆性により消極的に肯定されるということでしょう。
> >
>
>  以前に「設定F」と名づけた、シュレーディンガーの猫のようにミクロな揺らぎを一挙にマクロに拡大するような特殊な人為的装置を例外として、一つの収縮だけでマクロな出来事の様相が決定する場合というのは稀でしょうから(つまり、いくつもの相互作用が重なって統計的にマクロな出来事が創発するというのが通例でしょうから)、最頻値の確率はゼロまたは1にきわめて近くなるはずだ、というのが私の考え。
>  これは別に無理な考えではなく、マクロレベルでは決定論的な古典力学が成り立つ、というおおかたの物理学者の認める立場を追認しているだけです。
>  波束の収縮はそのものは非決定論的だが、多数の収縮の統計的創発である知覚的出来事は決定論的になると認めるべきでしょう。与えるエネルギーを決定すれば、温度計の目盛りの上がり方が決定するように。(だからエアコンや給湯器の温度設定が可能なわけですが)
>
>  ともあれ、もともと問題になっていたのは、RかLかが決定したあとの話ですから、収縮そのもの(設定Fの有無)は実は関係なく、古典力学の因果律の解釈にすぎなかったわけです。

φ様の説は、コペンハーゲン解釈を採用するならば妥当なところだろうというのが私の理解するところです。

現実問題としてマクロレベルではほぼ例外なく波束の収縮が起きているわけで、これを確率の問題として解釈するのであれば熱力学的な不可逆性を持ち出す以外にはないでしょう。

マクロレベルでは不思議なことが起きていないのだから、何かが起きているとしたらミクロとマクロの境界に違いないと解釈したことになるでしょう。

これを否定するのに例外的なデータを持ち出しても意味がないのでより整合性のある代案を出すのが妥当な態度でしょう。


根拠が書いてあるかどうか 投稿者:まだら 投稿日:2011年 7月10日(日)16時39分59秒

> No.2874[元記事へ]

モノクロームさんへのお返事です。

> まだらへの返事。
>
> まだら> 複数の粒子を一つの粒子とみなして
> まだら> 運動量やスピンの方向を解釈するのは
> まだら> 無意味だと言っているのですよ。
>
> なぜ複数だと思い込む?

根拠は既に書いてあります。根拠を書いた部分を読まずに根拠がないと言われても、議論に参加していないと解釈するしかありません。

例えば、「光は波であるとともに粒子でもある。理由はこれこれである。」と言っているのに、「何故そのように思い込む?」と言われても困るだけです。

そもそも、根拠が書いていないのであれば議論することは不可能でしょう。

あなたは「根拠が書いていないからまだらとは議論できない」と主張すればいいのですよ。

そうすれば根拠が書いてあるかどうかを他の人が判断することでしょう。



さてさて 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月10日(日)14時17分21秒

> No.2869[元記事へ]

SumioBabaへの返事。

SB>  もしモノクロームさんの「ユニタリ性」が正しいとすると、
SB> 保存されるのは|a|^2+|b|^2=1だけで、|a|や|b|は時間の経過とともに
SB> 変わり得ることになります。

然り。

SB> 初期状態でa=1/√2、b=1/√2、つまり|L>と|R>とが確率1/2ずつで
SB> 重ね合わせられた状態であっても、やがてa=1、b=0になれば、
SB>「ユニタリ性」を満たした時間発展だけで、|L>+|R>→|L>という
SB> 波動関数の収縮が起きてしまいます。

a=1、b=0となる場合があるのは確かだ。
それを「波動関数の収縮」とはいわないと思うが。

SB>  「ユニタリ性」を満たした時間発展では決して波動関数は収縮しない、
SB>というのが量子力学の常識です。

残念だが、その「常識」は数学的には非常識である。

つまり、各々の時刻では、つねに何らかの物理量を表わしており、ただ
その物理量の意味が時間とともに変化する、と解釈することもできる。
("ハイゼンベルク描像"というらしいが)


まだらへ 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月10日(日)14時04分56秒

> No.2871[元記事へ]

まだらへの返事。

まだら> 複数の粒子を一つの粒子とみなして
まだら> 運動量やスピンの方向を解釈するのは
まだら> 無意味だと言っているのですよ。

なぜ複数だと思い込む?

ぶっちゃけていえば、まだらは全く数学を用いないので主張が面白くない。
数学が嫌いなのだろうが、私はそういう人間のいうことには興味がない。

SumioBabaは、数学を理解してるとは思わないが、
数学を嫌わず数学を用いようとする点では、
まだ面白い。
もっとも、彼の数学の学び方にはいかにも独学的で
大きな欠陥があるといわざるを得ないが。




SumioBabaへの実に親切な補足 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月10日(日)13時56分12秒

> No.2868[元記事へ]

SumioBabaさんへのお返事です。

SB> モノクロームさんは何をやったかというと、
SB>     |z+>=(|x+>+|x->)/√2、|z->=(|x+>-|x->)/√2 ・・・(5)
SB> をいきなり(2)に代入して、|z+>と|z->を|x+>と|x->に置き換えて
SB> しまいました。・・・(2)で、基底だけを|z+>と|z->から|x+>と|x->に
SB> 置き換えたものの、重みをa1、a2、から、b1、b2に置き換えることを
SB> 忘れてしまう、という失敗です。

上記のいいがかりが正しくないことを示すために
a1e^it|z+>+a2e^-it|z->を、SumioBabaも認める
以下の等式で書き換えてみよう。

    |z+>=(|x+>+|x->)/√2、|z->=(|x+>-|x->)/√2 ・・・(5)
    a1=(b1+b2)/√2、a2=(b1-b2)/√2 ・・・(7)



cos(t)=(e^it+e^-it)/2、sin(t)=(e^it-e^-it))/2i ・・・(9)

(5)だけなく(7)ももちろん用いている。

a1e^it|z+>+a2e^-it|z->
=a1e^it/√2(|x+>+|x->)+a2/√2e^-it(|x+>-|x->)                 ((5)で書き換え)
=(a1e^it+a2e^-it)/√2|x+>+(a1e^it-a2e^-it)/√2|x->               (項を整理)
=((b1+b2)e^it+(b1-b2)e^-it)/2|x+>+((b1+b2)e^it-(b1-b2)e^-it)/2|x->       ((7)で書き換え)
=(b1(e^it+e^-it)+b2(e^it-e^-it))/2|x+>+(b2(e^it+e^-it)+b1(e^it-e^-it))/2|x-> (項を整理)
=(b1cos(t)+b2sin(t)i)|x+>+(b2cos(t)+b1sin(t)i)|x->               ((9)で書き換え)

実に当たり前のことだが行列計算と同じ答えになった。

SB> 量子力学では、基底変換するときは、必ず(1)を(3)に変形し、
SB> ψ(0)を新しい基底|x+>と|x->の線形結合で表し、その上で
SB> 時間推進演算子U^を作用させることが必要です。…
SB> きちんと(3)を通して(4)に至れば、必ずユニタリ性
SB> (注:変換による重みの絶対値の保存)は満たされます。

私は既に行列でも、SumioBabaの誤りを示し
さらに、SumioBabaの認める等式による書き換えのみでも
SumioBabaの誤りを示した。

SumioBabaが、もし仮に納得できないのであれば
SumioBabaがいう上記の方法を実際に遂行していただきたい。
そうすれば、私は、SumioBabaの「かりそめの成功」が
実は、大失敗であることをSumioBabaに示そう。

しかし、なぜSumioBabaは線形代数を学ぼうとせず
「私は線形代数も分からんのに
 量子力学を分かったといいきる
 無謀な人間です」
と大声で宣言したがるのか。

もしかして・・・真性のマゾなのか?


観測者の存在の仕方 投稿者:まだら 投稿日:2011年 7月10日(日)13時54分46秒

> No.2853[元記事へ]

SumioBabaさんへのお返事です。

> >観察者と観察対象に対する他世界の影響が「物理的に同じである」
> >時に位置が確定しているように見える(相対的な位置が確定して
> >いる)のです。
> >太陽系のモデルで言うと、同じ地球で起きた出来事では外部の影
> >響は相対的に無視できるということです。
>
>  もし、観測者がW1だけに住み、観測対象もW1だけに存在するな
> ら、両者にとっての他世界は共にW2、W3、・・・であり、他世界から
> 受ける影響が同じなので、観測者にとって観測対象の状態は確定
> (波動関数が収縮)しているように見える。
>  もし、観測者がW1だけに住み、観測対象の方はW1+W2の中に存
> 在するなら、観測者にとっての他世界はW2、W3、・・・、観測対象に
> とっての他世界はW3、・・・、と異なるので、両者が受ける他世界から
> の影響も異なり、観測者にとって観測対象の物理状態にはブレが
> 生じ、状態は確定(波動関数が収縮)していないように見える。
>     ・・・といったところでしょうか?

馬場様の理解は間違っていませんが、現実にはそうなっていないと思います。

何故かというと、要素世界が全てW1に影響を与えているわけではないからです。


> >私は太陽の周りを公転していますけれども、私の家も太陽の周りを
> >公転しているのでそれに気づくことができません。これが波動の収
> >縮の意味です。(火星を観察した場合には外部の影響を無視でき
> >なくなりますが)
>
> >観察対象だけではなく、観察者の状態を変えるだけで波動の収縮
> >状態は失われます。他の世界の自分はこの世界の観察対象を波
> >動が収縮した状態で観察することはできない可能性があります。日
> >食や月食のようなもので、特定の範囲でしか観察することはできな
> >いのです。他の世界の私は異なる波動の収縮の状態を観察してい
> >るかもしれないし、同じ波動の収縮を観察しているのかもしれませ
> >ん。
>
>  観測者がW1だけに住み、観測対象もW1だけに存在する状態か
> ら、観測者の方がW1+W2に住むように変化した場合も、観測者に
> とっての他世界はW3、・・・、観測対象にとっての他世界はW2、W3、
> ・・・、と異なるので、両者が受ける他世界からの影響も異なり、観
> 測者にとって観測対象の物理状態にはブレが復活し、状態は確定
> (波動関数が収縮)していないように見える。
>     ・・・でどうでしょう?

これも、馬場様の設定した条件の元では確かにそうなります。

でも、現実にはそうなっていないと思います。

どのようになっているのかということについては、少し説明に準備が必要だと思います。

問題点を簡単に述べると、「観測者は複数の世界にまたがって存在しているが、観察対象はそうではない」ことが原因です。

順番に説明しますので、お待ち下さい。




位置だけが特別な理由 投稿者:まだら 投稿日:2011年 7月10日(日)13時36分23秒

> No.2851[元記事へ]

モノクロームさんへのお返事です。

> まだらへの返事。
>
> まだら> 私は「波には複数の粒子のデータが含まれている」と主張しています。
>
> 何の根拠もなく、自分の「好き嫌い」を主張されてもこまる。

根拠は既に述べています。反論があるのであればどうぞ。


> > この立場では、スピンの方向が確定しないのは当たり前です。
> > 複数の粒子のデータをひとつの粒子のデータとみなすことに意味はない
> > と答えるしかありません。粒子の運動量と同じことです。
>
> まだらは
> 「位置が、位置だけが「ホンモノの物理量」だ!

そんなこと言ってませんが。

>  他は、位置と共存しない限り「ニセモノの物理量」だ!」
> といいたいようだが、それこそまだらの好き嫌いでしかない。

「位置と共存」の意味が理解しかねます。

そもそも「ニセモノの物理量」って何でしょう。

複数の粒子を一つの粒子とみなして運動量やスピンの方向を解釈するのは無意味だと言っているのですよ。

「何故位置だけは正しい物理量とみなすのか」がわからないと言っているのでしょうか。

一応確認させて下さい。



SumioBabaに線形代数の基本を教える 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月10日(日)10時54分48秒

> No.2868[元記事へ]

SumioBabaへの返事。

SB>  モノクロームさんがNo2861に書いておられる、
SB> 一見「ユニタリ性」が満たされていないように見える、
SB> スピンの基底変換について、考えてみました。

二行目の
「一見「ユニタリ性」が満たされていないように見える」
は、正しくは
「SumioBabaのいう「ユニタリ性」が満たされていない」
である。

そして、真相は
「SumioBabaのいう「ユニタリ性」は
 数学で定義された「ユニタリ性」よりも
 制限されている」
ということ。

SB>  量子力学の考え方はこうです。

正しくは
「私の理解はこうです。」

SB> |z+>と|z->を基底とするなら、まず、
SB>     ψ(0)=a1・|z+>+a2・|z->  ・・・(1)
SB> と線形結合で表します。
SB> こうしておいて、時間推進演算子U^を作用させ、
SB>     ψ(t)=a1・U^|z+>+a2・U^|z->  ・・・(2)
SB> となります。

まず、|z+>と|z->が基底でありかつU^の固有ベクトルだった場合、
U^は、No.2861で示したように、例えば
(e^it 0)
(0 e^-it)
と対角行列で表わせる。

したがって

SB> そうすると、|z+>と|z->の重みは保存され、
SB> ユニタリ時間発展になります。

といえる。

SB>  |x+>と|x->を基底とするなら、同じく、
SB>     ψ(0)=b1・|x+>+b2・|x->  ・・・(3)
SB> と線形結合で表します。こうしておいて、時間推進演算子U^を作用させ、
SB>     ψ(t)=b1・U^|x+>+b2・U^|x->  ・・・(4)
SB> となります。

さて、|x+>および|x->が、|z+>と|z->の0でない重みをもつ線形結合である場合
|x+>、|x->は、基底であるが、|z+>、|z->と違って、U^の固有ベクトルではない。

この場合のU^はこれまた、No2861で示したように

(1/√2 1/√2)(e^it 0)(1/√2 1/√2)
(1/√2 -1/√2)(0 e^-it)(1/√2 -1/√2)

(cos(t) i*sin(t))
(i*sin(t) cos(t))

と対角行列でない行列として表わせる。

したがって

SB> そうすると、|x+>と|x->の重みは保存され、

とはいえず、|x+>と|x->の重みは変化する。

し・か・し・な・が・ら

SB> ユニタリ時間発展になります。

は正しい。

なぜなら
http://ja.wikipedia.org/wiki/ユニタリ性
の定義にある通り

(U(t)*)U(t)

(cos(t) -i*sin(t))(cos(t) i*sin(t))
(-i*sin(t) cos(t))(i*sin(t) cos(t))

(1 0)
(0 1)

となるからだ。

SB>  一方、モノクロームさんは何をやったかというと、
SB>     |z+>=(|x+>+|x->)/√2、|z->=(|x+>-|x->)/√2 ・・・(5)
SB> をいきなり(2)に代入して、|z+>と|z->を|x+>と|x->に置き換えてしまいました。

事実は全く異なる。

私は

1)|x+>と|x->の重み付けによる表現から
  |z+>と|z->の重み付けによる表現への
  変換(行列)
2)時間発展変換(行列)(|z+>と|z->を基底とする対角行列)
3)|z+>と|z->の重み付けによる表現から
  |x+>と|x->の重み付けによる表現への
  変換(行列)

という手続きの連鎖によって、

「時間発展変換(行列)(|x+>と|x->を基底とする行列)」

を求めた。

SB> そうしたら、ユニタリ性に反し、
SB> |x+>と|x->の重みが不変でなくなってしまいました。

確かに、重みが不変でなくなった。
しかし、ユニタリ性には反しないことは、
(U*)Uが単位行列になることで示した。

SB> なぜか?
SB>     基底変換に失敗したから。
SB> です。

上記のSumioBabaの指摘は間違っている。

SB> 量子力学では、

正しくは「線形代数では」だ。
量子力学は線形代数を用いているにすぎない。

SB>  ・・・基底変換するときは、必ず(1)を(3)に変形し、
SB>  ψ(0)を新しい基底|x+>と|x->の線形結合で表し、
SB> その上で時間推進演算子U^を作用させることが必要です。

その場合、

「|z+>と|z->の重み付けを不変とする時間推進演算子」と
「|x+>と|x->の重み付けを不変とする時間推進演算子」が、
異なるってしまうのだが、それでいいのかね?

数学では、それは「間違い」だというのだが。

SB> モノクロームさんはそれをしないまま、
SB> 間違った方法で基底を入れ換えてしまったので、
SB> ユニタリ性が保存されないという事態が生じてしまったのです。

「(U*)U=I」というユニタリ性は保存されている。
SumioBabaの「間違った」性質が保存される必要はない。

逆にSumioBabaのいう「基底変換」では、
同じであるべき行列が、異なってしまう。

保存されるべきは、SumioBabaのいう「重み付けの不変性」ではなく
同じ基底で表わした場合、行列が同一になることだろう。

SB> (2)で、基底だけを|z+>と|z->から|x+>と|x->に置き換えたものの、
SB> 重みをa1、a2、から、b1、b2に置き換えることを忘れてしまう、
SB> という失敗です。
SB> きちんと(3)を通して(4)に至れば、
SB> 必ずユニタリ性は満たされます。

残念だが、b1、b2の絶対値を不変とするUを、
a1、a2を基底する行列で表した場合、もとの

(e^it 0)
(0 e^-it)

とは一致しなくなる。
計算すれば分かる。
やってごらん。

SB>  なお、私が言う「ユニタリ性」とは、
SB> ψ=a|L>+b|R>の時間発展において、
SB> |a|と|b|が保存されることを意味します。

それは数学でいう「ユニタリ性」とは異なる。

|L>と|R>が線形変換の固有ベクトルである場合のみに成り立つことである。
しかし、一般には、基底として固有ベクトルでないものも取れる。
したがって、一般の基底において成り立つというならそれは誤りである。

SB> モノクロームさんが主張される「ユニタリ性」
SB> |a|^2+|b|^2=1を満たすこと
SB> ではありません。

「ユニタリ性」という言葉は、数学で定義されたものである。
使う限りは、数学の定義に従うのが当然である。

SB>  どう考えても、量子力学の「ユニタリ性」を誤解し、
SB> 線形代数を理解していないのは、モノクロームさん
SB> の方なんですけど・・・。

線形代数を知らないのに、知ったつもりになってる人は
そう思いがちだが、線形代数の教科書を読めば正しいのは
私だということを認めざるを得なくなる。

こんなことは理工系の学部にいけば大学1年で必ず習うことだ。
SumioBabaがいかなる経歴の持ち主かはどうでもいいことだが
少なくとも理工系の大学1年生が習うことを全く知らない
というのは今までのSumioBabaの文章からは明らかである。

> > |↑x>、|↓x> と
> > |↑y>、|↓y> は
> > 同じ空間の、異なる基底であり、
> > 一方が空間の線形変換の固有ベクトルになるなら、
> > もう一方はそうはなりえないから、
> > 一方がH^に関するシュレディンガー方程式の解なら
> > もう一方はそうはなりえないのである。
>
SB>  意味が解りません。|↑x>と|↓x>がシュレディンガー方程式の解なら、
SB> その線形結合である|↑y>と|↓y>の方も、シュレディンガー方程式の解
SB> になるのでは?

|↑x>と|↓x>の固有値の違いを無視している。

H^|↑x>=Eu|↑x> と
H^|↓x>=Ed|↓x> は
EuとEdが異なるならば
異なる方程式である。

|↑x>と|↓x>の線形結合は、
H^|↑x>=Eu|↑x> と
H^|↓x>=Ed|↓x> の
どちらの方程式の解になるのか?

答えられないはずだ。


Re: やれやれ 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月10日(日)08時19分36秒

> No.2867[元記事へ]

モノクロームさんへのお返事です。

モノクローム様(14)/SumioBaba(馬場純雄)

 ψ=a|L>+b|R>の時間発展を考える時、
   モノクロームさんの「ユニタリ性」・・・|a|^2+|b|^2=1の保存
   SumioBabaの「ユニタリ性」・・・|a|と|b|の保存
という訳で、「ユニタリ性」の定義からして違っている訳ですね。

 もしモノクロームさんの「ユニタリ性」が正しいとすると、保存される
のは|a|^2+|b|^2=1だけで、|a|や|b|は時間の経過とともに変わり得る
ことになります。初期状態でa=1/√2、b=1/√2、つまり|L>と|R>とが
確率1/2ずつで重ね合わせられた状態であっても、やがてa=1、b=0
になれば、「ユニタリ性」を満たした時間発展だけで、|L>+|R>→|L>と
いう波動関数の収縮が起きてしまいます。
 「ユニタリ性」を満たした時間発展では決して波動関数は収縮しな
い、というのが量子力学の常識です。SumioBabaの「ユニタリ性」は、
初期状態でa=1/√2、b=1/√2、ならずっと|a|=1/√2、|b|=1/√2が
保存し、|L>と|R>が確率1/2ずつで重ね合わせられた状態が保たれ
るので、「ユニタリ性」を満たした時間発展では決して波動関数は収
縮しません。

以上


Re: 【解答】SumioBabaの誤解を高卒レベルで証明! 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月10日(日)07時14分59秒

> No.2861[元記事へ]

モノクロームさんへのお返事です。

モノクローム様(13)/SumioBaba(馬場純雄)

 モノクロームさんがNo2861に書いておられる、一見「ユニタリ性」が
満たされていないように見える、スピンの基底変換について、考えて
みました。

 量子力学の考え方はこうです。|z+>と|z->を基底とするなら、まず、
    ψ(0)=a1・|z+>+a2・|z->  ・・・(1)
と線形結合で表します。こうしておいて、時間推進演算子U^を作用
させ、
    ψ(t)=a1・U^|z+>+a2・U^|z->  ・・・(2)
となります。そうすると、|z+>と|z->の重みは保存され、ユニタリ時間
発展になります。
 |x+>と|x->を基底とするなら、同じく、
    ψ(0)=b1・|x+>+b2・|x->  ・・・(3)
と線形結合で表します。こうしておいて、時間推進演算子U^を作用
させ、
    ψ(t)=b1・U^|x+>+b2・U^|x->  ・・・(4)
となります。そうすると、|x+>と|x->の重みは保存され、ユニタリ時間
発展になります。なお、
    |z+>=(|x+>+|x->)/√2、|z->=(|x+>-|x->)/√2 ・・・(5)
    |x+>=(|z+>+|z->)/√2、|x->=(|z+>-|z->)/√2 ・・・(6)
    a1=(b1+b2)/√2、a2=(b1-b2)/√2 ・・・(7)
    b1=(a1+a2)/√2、b2=(a1-a2)/√2 ・・・(8)
の関係があります。

 一方、モノクロームさんは何をやったかというと、
    |z+>=(|x+>+|x->)/√2、|z->=(|x+>-|x->)/√2 ・・・(5)
をいきなり(2)に代入して、|z+>と|z->を|x+>と|x->に置き換えてしまい
ました。そうしたら、ユニタリ性に反し、|x+>と|x->の重みが不変でな
くなってしまいました。なぜか?
    基底変換に失敗したから。
です。量子力学では、基底変換するときは、必ず(1)を(3)に変形し、
ψ(0)を新しい基底|x+>と|x->の線形結合で表し、その上で時間推進
演算子U^を作用させることが必要です。モノクロームさんはそれを
しないまま、間違った方法で基底を入れ換えてしまったので、ユニタ
リ性が保存されないという事態が生じてしまったのです。(2)で、基底
だけを|z+>と|z->から|x+>と|x->に置き換えたものの、重みをa1、a2、
から、b1、b2に置き換えることを忘れてしまう、という失敗です。きち
んと(3)を通して(4)に至れば、必ずユニタリ性は満たされます。

 なお、私が言う「ユニタリ性」とは、ψ=a|L>+b|R>の時間発展にお
いて、|a|と|b|が保存されることを意味します。モノクロームさんが主張
される「ユニタリ性」|a|^2+|b|^2=1を満たすことではありません。
 どう考えても、量子力学の「ユニタリ性」を誤解し、線形代数を理解
していないのは、モノクロームさんの方なんですけど・・・。


>つまり、
>【解答】SumioBabaの誤解を高卒レベルで証明!
>http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2861
>で既に明確に示したように。
> |↑x>、|↓x> と
> |↑y>、|↓y> は
> 同じ空間の、異なる基底であり、
> 一方が空間の線形変換の固有ベクトルになるなら、
> もう一方はそうはなりえないから、
> 一方がH^に関するシュレディンガー方程式の解なら
> もう一方はそうはなりえないのである。

 意味が解りません。|↑x>と|↓x>がシュレディンガー方程式の解
なら、その線形結合である|↑y>と|↓y>の方も、シュレディンガー方
程式の解になるのでは?

以上


やれやれ 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月 9日(土)19時20分2秒

SumioBabaへの返事。

SB> モノクロームさんのユニタリ性の定義は
SB> |a|^2+|b|^2=1の保存をいうんでしたっけ?
SB> 私のユニタリ性の定義は|a|と|b|の保存を言います。
SB> 定義からして異なるんじゃ、議論は交わらないでしょうね。

数学で用いられてる「ユニタリ性」の言葉の定義を誤解し
それを指摘されても間違いだと認めたくない一心で
「ボクのユニタリ性の定義は、別なんだもん!」
と言い張るんじゃ、誰とも交われないな。

SB> スピンの話、面白い部分も有りましたが、
SB> 単に表現の失敗例に過ぎないようにも思われます。
SB> 最初から|z+>と|z->とを基底に選んで、
SB> a1|z+>+a2|z->と表現しておけば、
SB> |a1|と|a2|とが保存するユニタリ時間発展が記述できます。
SB> 最初から|x+>と|x->とを基底に選んで、
SB>  b1|x+>+b2|x->と表現しておけば、
SB> |b1|と|b2|とが保存するユニタリ時間発展が記述できます。

上記の「・・・を基底に選ぶ」は
「・・・を固有ベクトルとする演算子H^を選ぶ」
という意味かね。そうしないと重みは不変にできないからね。

しかし、基底という言葉はそういう意味ではないが。
線形代数の本を見てくれたまえ。

ユニタリ性にしても基底にしても既に定義があるので
SumioBabaがこれとは違う独自の定義をすることは
混乱を招くだけの独善でしかない。

SB>  モノクロームさんがやったのは、
SB> 一度、a1|z+>+a2|z->と表現しておきながら、
SB> 基底を|x+>と|x->に置き換えたくせに、
SB> 重みをb1とb2に変えるのを忘れてしまった、
SB> だから|x+>と|x->の重みが保存されなくなった、
SB> というだけの話でしょう?

|x+>と|x->がH^の固有ベクトルなら
時間進展で保存されるのは
|b1|と|b2|であって、
a1|z+>+a2|z->の
|a1|と|a2|ではない。

トンチンカンな言い訳は見苦しい。
線形代数を学ぶのが嫌なほど勉強嫌いなら
量子力学なんか分かるわけがないから
やめたがいいだろう。


Re: SumioBabaも大変だな 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月 9日(土)18時29分10秒

> No.2865[元記事へ]

モノクロームさんへのお返事です。

モノクローム様(12)/SumioBaba(馬場純雄)

 ψ=a|L>+b|R>の時間発展を考える時、
 モノクロームさんのユニタリ性の定義は|a|^2+|b|^2=1の保存をいう
んでしたっけ? 私のユニタリ性の定義は|a|と|b|の保存を言います。
定義からして異なるんじゃ、議論は交わらないでしょうね。

 スピンの話、面白い部分も有りましたが、単に表現の失敗例に過
ぎないようにも思われます。最初から|z+>と|z->とを基底に選んで、
a1|z+>+a2|z->と表現しておけば、|a1|と|a2|とが保存するユニタリ時
間発展が記述できます。最初から|x+>と|x->とを基底に選んで、
b1|x+>+b2|x->と表現しておけば、|b1|と|b2|とが保存するユニタリ時
間発展が記述できます。
 モノクロームさんがやったのは、一度、a1|z+>+a2|z->と表現してお
きながら、基底を|x+>と|x->に置き換えたくせに、重みをb1とb2に変
えるのを忘れてしまった、だから|x+>と|x->の重みが保存されなくな
った、というだけの話でしょう?

以上


SumioBabaも大変だな 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月 9日(土)15時08分14秒

SumioBabaへの返事。

SB> やっと、仰る意味が理解できました。

それはよかった

SB> 完全にナメてましたが、
SB> 結構深い指摘であることは解りました。

いや、大した話じゃない。
大学2年生なら誰でも分かる話。
こんなことをエラソウに語ってる私は
大2病といわないかとヒヤヒヤしている。

SB>  要するに、こういう事ですね。
SB>     |z+>と|z->とを基底に選び、ユニタリ時間発展を記述できるが、
SB> その式に|z+>=(|x+>+|x->)/√2、|z->=(|x+>-|x->)/√2を
SB> 代入して基底変換すると、|x+>と|x->とはユニタリ時間発展せず、
SB> 重みがsinとcosで振動しているように見える。

いや、ユニタリ時間発展してるが。

君が、「ユニタリ時間発展」という言葉を勝手に
「重みが不変の時間進展」と誤解しただけのこと。

したがって「|x+>と|x->とはユニタリ時間発展せず、」は間違ってる。
ああ、それから最後の「ように見える。」も不要。
実際重みは振動している。

SB> でも、逆も言えます。
SB>     |x+>と|x->とを基底に選び、ユニタリ時間発展を記述できるが、
SB>     その式に|x+>=(|z+>+|z->)/√2、|x->=(|z+>-|z->)/√2を
SB>     代入して基底変換すると、・・・
SB>     重みがsinとcosで振動している・・・。

ああ。
(間違った箇所は削除した)

SB> どちらも、「ユニタリ時間発展」そのものを
SB> 否定している訳ではありませんね。

私は「ユニタリ時間発展していない」とは一言も言っていない。
君の「ユニタリ時間発展によっていかなる重み付けも不変となる」
という主張の誤りだと示した。

ユニタリ変換で、適切な基底を取れば
重みを不変にすることはできる。

し・か・し、君は「いかなる基底を取っても」
重みを不変にできる、といったはず。

そうではない、ということを示した。

SB>  「基底変換」は「座標変換」と似ているので、
SB> モノサシが変わると、見え方も変わる、ということです。

君は、「重み付け」という見え方は変わらないといった。
今、その見え方が変わる、というなら、君は間違ったということだ。

SB> 相対性理論に例えると、
SB> 座標系Aでは時間成分だけを持つベクトルでも、
SB> 座標系Bで見ると時間成分と空間成分を持つようにみえる。
SB> 座標系Bでは時間成分だけを持つベクトルでも、
SB> 座標系Aで見ると時間成分と空間成分を持つようにみえる。
SB> 似たようなものじゃないでしょうか?

意味不明。

ああ、そうそう

SB> スピンにおける「基底変換」の例は、
SB> |L>か|R>かの話とは何の無関も有りません。

「|L>か|R>かの話」以前だ。

君が
「”いかなる”重ね合わせの重み付けも不変となるのが、ユニタリ時間発展だ」
と間違ったことをいうから。
「”ある特定の”重ね合わせの重み付けが不変となるのが、ユニタリ時間発展だ」
と正しく訂正したまでのことだ。

> >【解答】SumioBabaの誤解を高卒レベルで証明!
> >http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2861
> >で既に明確に示したように。
> > |↑x>、|↓x> と
> > |↑y>、|↓y> は
> > 同じ空間の、異なる基底であり、
> > 一方が空間の線形変換の固有ベクトルになるなら、
> > もう一方はそうはなりえないから、
> > 一方がH^に関するシュレディンガー方程式の解なら
> > もう一方はそうはなりえないのである。

SB>  は?

なんだ、また歯が欠けたのか?
だから、梅干の種は歯で割るなと
あれほどいっているだろうw

SB> またまた根本から勘違いしてませんか?
SB>  「|L>と|R>の一方がシュレディンガー方程式の解なら
SB>   もう一方はそうはなりえない」ってことですか?

SumioBabaの読み間違い。

|↑x>、|↓x>が、シュレディンガー方程式の解なら
|↑y>、|↓y>は、解ではない、ということだ。

SB> なぜ? |L>と|R>は |↑x>と|↓x>に対応しているのであって、
SB>「 |↑x>、|↓x> 」と「 |↑y>、|↓y> 」に対応してる
SB> 訳じゃないんですけど・・・。

「なぜ」とは私がSumioBabaに言いたい。

私の文章の「一方」と「もう一方」は
「 |↑x>、|↓x> 」と「 |↑y>、|↓y> 」に対応してる
のであって、|↑x>と|↓x>に対応してるわけじゃない。

SB> 完全に空振りしてますよ。

それは、SumioBabaの読解だ。
量子力学のテキストもそんな独りよがりな読み方をするから
すぐ誤解して私に指摘されるハメになるのだ。

> >したがって
>
> >SB> 時刻t=0における初期状態ψ(0)が|L>と|R>の重ね合わせ、
> >SB>    ψ(0)=a|L>+b|R>
> >SB> である・・・
>
> >というだけでは
>
> >SB> ・・・一般の時刻tにおけるψ(t)は、
> >SB> ψ(0)にU^を作用させるだけで求められ、
> >SB>    ψ(t)=U^ψ(0)
> >SB>      =aU^|L>+bU^|R>
> >SB>      =a・exp{-(i/(h/2π))tEl}|L>
> >SB>      +b・exp{-(i/(h/2π))tEr}|R>
>
> >とはできないのである。

SB>  全然違うと思います。
SB> 1個の素粒子が、左のスリットを通れば確実に|L>になるし、
SB> 右のスリットを通れば確実に|R>となる条件を備えた実験
SB> をしているのです。

全然違うのはSumioBabaだ。

そもそも、私は二重スリット実験の話をしていない。
SumioBabaの「ユニタリ」の説明の誤りを指摘したまでだ。

SB> 実際、右のスリットをふさいで左だけを通すと、確率1で|L>になり、
SB>     H^|L>=El|L>   ・・・(2)
SB> が成立しています。
SB> 左のスリットをふさいで右だけを通すと、確率1で|R>になり、
SB>     H^|R>=Er|R>   ・・・(3)
SB> が成立しています。
SB> つまり、|L>と|R>は単独でH^の固有ベクトルになり得ることが保証されています。

どうやら、SumioBabaは、

「任意の基底による重み付けが不変となるのがユニタリ変換だ。」

という自分の主張が、誤りであることが明らかになったので
何も語らぬことで「黙殺」し、その代わりに

「実は|L>と|R>が、重み付けが不変となる特別な基底なのだ。
 だから、私の本来言いたかったことは相変わらず正しい。」

ということにしたいらしい。

私はSumioBaba個人の面目の維持には爪の垢ほどの興味もない。
「黙殺」が、誤りを認めたがための行動であるなら、そうすればよい。

とはいえ、SumioBabaの
「右のスリットをふさいで左だけを通すと、確率1で|L>になり、
 左のスリットをふさいで右だけを通すと、確率1で|R>になり、」
とかいう"説明"は
「二つのスリットがあいてる場合は、|L>と|R>の重ね合わせとなる」
ということを示しはしても、
「|L>と|R>がシュレディンガー方程式の解となる」
ということを示すとは思えないが。


Re: SumioBabaへ 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月 9日(土)14時13分43秒

> No.2863[元記事へ]

モノクロームさんへのお返事です。

モノクローム様(11)/SumioBaba(馬場純雄)

 やっと、仰る意味が理解できました。完全にナメてましたが、結構
深い指摘であることは解りました。でもスピンにおける「基底変換」の
例は、|L>か|R>かの話とは何の無関も有りません。

 要するに、こういう事ですね。
    |z+>と|z->とを基底に選び、ユニタリ時間発展を記述できる
    が、その式に|z+>=(|x+>+|x->)/√2、|z->=(|x+>-|x->)/√2
    を代入して基底変換すると、|x+>と|x->とはユニタリ時間発
    展せず、重みがsinとcosで振動しているように見える。
でも、逆も言えます。
    |x+>と|x->とを基底に選び、ユニタリ時間発展を記述できる
    が、その式に|x+>=(|z+>+|z->)/√2、|x->=(|z+>-|z->)/√2
    を代入して基底変換すると、|z+>と|z->とはユニタリ時間発
    展せず、重みがsinとcosで振動しているように見える。
どちらも、「ユニタリ時間発展」そのものを否定している訳ではありま
せんね。
 「基底変換」は「座標変換」と似ているので、モノサシが変わると、
見え方も変わる、ということです。相対性理論に例えると、
    座標系Aでは時間成分だけを持つベクトルでも、座標系B
    で見ると時間成分と空間成分を持つようにみえる。
    座標系Bでは時間成分だけを持つベクトルでも、座標系A
    で見ると時間成分と空間成分を持つようにみえる。
似たようなものじゃないでしょうか?

>SB> 「|L>と|R>が確率1/2ずつで重ね合わせ状態になる」
>SB> ということは、
>SB> 「時間を含まないシュレディンガー方程式」
>SB>    H^ψr=Eψr 【H^は演算子、Eは定数】  ・・・(1)
>SB> において、
>SB> ψr=|L>(エネルギー値はElとする)と
>SB> ψr=|R>(エネルギー値はErとする)の
>SB> 両方が解になっていることを意味します。
>SB> つまり、
>SB>   H^|L>=El|L>   ・・・(2)
>SB>   H^|R>=Er|R>   ・・・(3)
>SB> が成立しています。

>残念ながらここから間違ってる。

>「|L>と|R>の重ね合わせ状態である」という条件を満たすのに
>「|L>と|R>がH^に関するシュレディンガー方程式の解である」
>という条件は必要でない。

>例えば「EMANの物理学」の量子力学の
>スピンの振る舞い
> http://homepage2.nifty.com/eman/quantum/spin2.html
>によれば
>|↑z>
>=1/√2|↑x>+1/√2|↓x>
>=1/√2|↑y>+1/√2|↓y>
>である。

>しかし、演算子H^が

>H^|↑x>=Eu|↑x>
>H^|↓x>=Ed|↓x>

>かつ

>H^|↑y>=Eu|↑y>
>H^|↓y>=Ed|↓y>

>を満たすことはない。

>なぜか?それは以下から簡単に導かれる。

>SB> (1)(2)(3)により、H^の固有ベクトルが|L>と|R>であり、
>SB> かつ、「時間推進演算子」U^=exp{-(i/(h/2π))tH^}は
>SB> H^のべき級数に展開できるので、
>SB> |L>と|R>はU^の固有ベクトルでもあります。

>つまり、
>【解答】SumioBabaの誤解を高卒レベルで証明!
>http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2861
>で既に明確に示したように。
> |↑x>、|↓x> と
> |↑y>、|↓y> は
> 同じ空間の、異なる基底であり、
> 一方が空間の線形変換の固有ベクトルになるなら、
> もう一方はそうはなりえないから、
> 一方がH^に関するシュレディンガー方程式の解なら
> もう一方はそうはなりえないのである。

 は? またまた根本から勘違いしてませんか?
 「|L>と|R>の一方がシュレディンガー方程式の解ならもう一方はそう
はなりえない」ってことですか? なぜ? |L>と|R>は |↑x>と|↓x>に
対応しているのであって、「 |↑x>、|↓x> 」と「 |↑y>、|↓y> 」に対応してる
訳じゃないんですけど・・・。完全に空振りしてますよ。

>したがって

>SB> 時刻t=0における初期状態ψ(0)が|L>と|R>の重ね合わせ、
>SB>    ψ(0)=a|L>+b|R>
>SB> である・・・

>というだけでは

>SB> ・・・一般の時刻tにおけるψ(t)は、
>SB> ψ(0)にU^を作用させるだけで求められ、
>SB>    ψ(t)=U^ψ(0)
>SB>      =aU^|L>+bU^|R>
>SB>      =a・exp{-(i/(h/2π))tEl}|L>
>SB>      +b・exp{-(i/(h/2π))tEr}|R>

>とはできないのである。

>つまり、

>SB> |exp{-(i/(h/2π))tEl}|=1、|exp{-(i/(h/2π))tEr}|=1だから、
>SB> |a|=|a・exp{-(i/(h/2π))tEl}|、|b|=|b・exp{-(i/(h/2π))tEr}|

>となるのは、|L>と|R>が"幸運にも"H^に関する固有ベクトルである
>場合に限られる。
>しかし、一般には「|L>と|R>の重ね合わせ状態である」というだけ
>では上記の"幸運"は訪れない。

 全然違うと思います。1個の素粒子が、左のスリットを通れば確実
に|L>になるし、右のスリットを通れば確実に|R>となる条件を備えた
実験をしているのです。
 実際、右のスリットをふさいで左だけを通すと、確率1で|L>になり、
    H^|L>=El|L>   ・・・(2)
が成立しています。左のスリットをふさいで右だけを通すと、確率1
で|R>になり、
    H^|R>=Er|R>   ・・・(3)
が成立しています。つまり、|L>と|R>は単独でH^の固有ベクトルにな
り得ることが保証されています。

以上


SumioBabaへ 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月 9日(土)10時33分8秒

No.2861
No.2862

SumioBabaへの返事。

この記事を読む前に、既に
No.2861【解答】SumioBabaの誤解を高卒レベルで証明!
No.2862【探求】SumioBabaの誤解の発端
を読んで十二分に理解されたことと思うが・・・

ナヌ?まだ読んでない。
さっさと読まんか!

こんなこともあろうかとご丁寧にもリンクをつけてやったぞ。
ああ、私はなんと親切ないい人なんだろうか。

・・・読んだかな?
では、本題にはいろう。

SB> モノクロームさんとの物理学の議論が続き

議論の内容は、物理学以前の数学だがな。

SB> 量子力学は哲学ではなく物理学なので、
SB> きちんと数式を使うべきところは使って、
SB> どちらの言い分が正しいのか、はっきりさせるべきです。

「ユニタリ性」は数学の話だから、数学として語っているまで。

物理学の理論を、数学を用いて構築するのは物理学者の勝手だが
物理学はあくまで物理現象を研究しているのであるから、
いくら理論によって計算したところで、実際の現象が、
理論と相違するのであれば、その理論はお払い箱である。
(古典力学の運命はよく御存知だろう)

SB> モノクロームさんとSumioBabaと、
SB> どちらの言い分が正しいのか、
SB> 自力で見極めなきゃ。

線形代数の初歩の誤りも自力で見つけられない
人のいうセリフではない。

SumioBabaの大学での専攻には興味がある。
物理系でこんな誤りを平然とやらかすようでは
日本の大学での数学教育は根本から見直す必要がある。

SB> もう少し、物理学の議論を続けさせて下さい。

私がSumioBabaなら、量子力学について議論するに足るだけの
数学の理解が無いことを認めて、大学の線形代数を一から学び直す。

そうせねば、私と同様の人に、実に基本的なことで
間違いを指摘され、その都度面目を失うことになる。

まあ、SumioBabaが、面目を失うことで
オルガスムスを感じるマゾヒスト
であるなら、話は別だが。

[探求] SumioBabaの誤解の発端 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月 9日(土)10時08分2秒

> No.2860[元記事へ]

SumioBabaへの返事。

SB> 「|L>と|R>が確率1/2ずつで重ね合わせ状態になる」
SB> ということは、
SB> 「時間を含まないシュレディンガー方程式」
SB>    H^ψr=Eψr 【H^は演算子、Eは定数】  ・・・(1)
SB> において、
SB> ψr=|L>(エネルギー値はElとする)と
SB> ψr=|R>(エネルギー値はErとする)の
SB> 両方が解になっていることを意味します。
SB> つまり、
SB>   H^|L>=El|L>   ・・・(2)
SB>   H^|R>=Er|R>   ・・・(3)
SB> が成立しています。

残念ながらここから間違ってる。

「|L>と|R>の重ね合わせ状態である」という条件を満たすのに
「|L>と|R>がH^に関するシュレディンガー方程式の解である」
という条件は必要でない。

例えば「EMANの物理学」の量子力学の
スピンの振る舞い
http://homepage2.nifty.com/eman/quantum/spin2.html
によれば
|↑z>
=1/√2|↑x>+1/√2|↓x>
=1/√2|↑y>+1/√2|↓y>
である。

しかし、演算子H^が

H^|↑x>=Eu|↑x>
H^|↓x>=Ed|↓x>

かつ

H^|↑y>=Eu|↑y>
H^|↓y>=Ed|↓y>

を満たすことはない。

なぜか?それは以下から簡単に導かれる。

SB> (1)(2)(3)により、H^の固有ベクトルが|L>と|R>であり、
SB> かつ、「時間推進演算子」U^=exp{-(i/(h/2π))tH^}は
SB> H^のべき級数に展開できるので、
SB> |L>と|R>はU^の固有ベクトルでもあります。

つまり、
【解答】SumioBabaの誤解を高卒レベルで証明!
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2861
で既に明確に示したように。
|↑x>、|↓x> と
|↑y>、|↓y> は
同じ空間の、異なる基底であり、
一方が空間の線形変換の固有ベクトルになるなら、
もう一方はそうはなりえないから、
一方がH^に関するシュレディンガー方程式の解なら
もう一方はそうはなりえないのである。

したがって

SB> 時刻t=0における初期状態ψ(0)が|L>と|R>の重ね合わせ、
SB>    ψ(0)=a|L>+b|R>
SB> である・・・

というだけでは

SB> ・・・一般の時刻tにおけるψ(t)は、
SB> ψ(0)にU^を作用させるだけで求められ、
SB>    ψ(t)=U^ψ(0)
SB>      =aU^|L>+bU^|R>
SB>      =a・exp{-(i/(h/2π))tEl}|L>
SB>      +b・exp{-(i/(h/2π))tEr}|R>

とはできないのである。

つまり、

SB> |exp{-(i/(h/2π))tEl}|=1、|exp{-(i/(h/2π))tEr}|=1だから、
SB> |a|=|a・exp{-(i/(h/2π))tEl}|、|b|=|b・exp{-(i/(h/2π))tEr}|

となるのは、|L>と|R>が"幸運にも"H^に関する固有ベクトルである場合に限られる。
しかし、一般には「|L>と|R>の重ね合わせ状態である」というだけでは
上記の"幸運"は訪れない。こんなことは量子力学云々以前に線形代数の基本である。
(ちなみに線形代数では"重ね合わせ"とはいわず、"線形結合"という)

SB> (↑これ)が「ユニタリ時間発展」(の性質)です。

基底が固有ベクトルという特殊な場合にのみ成立する特殊な性質を、
さも一般の基底で成り立つ一般の性質だと思い込んでしまったところに
SumioBabaの不幸がある。

テキストの式だけみて、論理を勝手に想像するのは"素人"の悪い癖である。


【解答】SumioBabaの誤解を高卒レベルで証明! 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月 8日(金)18時35分1秒

> No.2860[元記事へ]

SumioBabaへの返事。

>>スピンについて考えた場合、波動関数ψは
>>ψ=a1↑z+a2↓z
>> =b1↑x+b2↓x
>>と2つの形で書き表せる。

SB> はい、その通りです。
SB>    a1=(b1+b2)/√2
SB>    a2=(b1-b2)/√2
SB>    b1=(a1+a2)/√2
SB>    b2=(a1-a2)/√2
SB> の関係が有ります。

行列で表すと

(b1)
(b2)

(1/√2 1/√2)(a1)
(1/√2 -1/√2)(a2)

(a1)
(a2)

(1/√2 1/√2)(b1)
(1/√2 -1/√2)(b2)

(1/√2 1/√2)(1/√2 1/√2)
(1/√2 -1/√2)(1/√2 -1/√2)

(1 0)
(0 1)

となる。

2×2行列は高校で習っただろう。

>>SumioBabaの書き方では、基底は
>>↑z、↓z
>>↑x、↓x
>>のどちらをとっても、時間発展によって重み
>>|a1|、|a2|
>>|b1|、|b2|
>>のどちらも不変となる、と読める。

>>しかしながら実際には
>>|a1|、|a2|が不変なら|b1|、|b2|は変化する
>>|b1|、|b2|が不変なら|a1|、|a2|は変化する
>>ということであり、どちらも不変ということはありえない。

SB> は?

歯がどうかしたか?
固いモノ噛んで欠けたか?
私も、昔梅干の種を噛んで歯を欠いたよ。

閑話休題。

では本題にはいろうか。

SB> a1とa2が不変なら、
SB> b1=(a1+a2)/√2とb2=(a1-a2)/√2も不変
SB> ですけど・・・。

ほう?( ̄ー ̄)

行列計算で確かめよう。

(e^it 0)(a1)
(0 e^-it)(a2)

(a1e^it)
(a2e^-it)

|a1|=|a1e^it|
|a2|=|a2e^-it|

さて、b1、b2については、
 x系からz系に基底変換
→対角行列で変換
→z系からx系に基底変換
という3つの変換を経るので
3つの行列をかけ合わせる
ことになる。

まずその行列を計算しよう。

(1/√2 1/√2)(e^it 0)(1/√2 1/√2)
(1/√2 -1/√2)(0 e^-it)(1/√2 -1/√2)

(1/√2 1/√2)( e^it/√2  e^it/√2)
(1/√2 -1/√2)(e^-it/√2 -e^-it/√2)

((e^it+e^-it)/2 (e^it-e^-it)/2)
((e^it-e^-it)/2 (e^it+e^-it)/2)

(cos(t) i*sin(t))
(i*sin(t) cos(t))

これで行列が求まった。
計算してみよう。

(cos(t) i*sin(t))(b1)
(i*sin(t) cos(t))(b2)

(b1cos(t)+b2sin(t)i)
(b2cos(t)+b1sin(t)i)

例えば
a1=1/√2、a2=1/√2
とすれば
b1=1、b2=0
となる。したがって

(cos(t) i*sin(t))(1)
(i*sin(t) cos(t))(0)

(cos(t) )
(sin(t)*i)

SumioBaba。君は
|1|=|cos(t)|、|0|=|sin(t)*i|
というのかね?

高校で三角関数を習っただろう?
cos(t)やsin(t)が定数じゃない
ってことは明らかだな。

ということで

SB>初歩的な誤解をされているのは…、

…SumioBaba、君だ。

私が今ここで証明した。

Q.E.D.

やはり↓の言葉は君に進呈しよう。

#>間違うことは恥ずかしくない。
#>しかし、間違いを認めないことは恥ずかしい。
#>それは学問を否定する行為だからだ。
#>学問を否定しないでいただきたい。


Re: SumioBabaの初歩的誤解 完 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月 8日(金)16時01分2秒

> No.2855[元記事へ]

モノクロームさんへのお返事です。

三浦俊彦様(59)/SumioBaba(馬場純雄)

 モノクロームさんとの物理学の議論が続き、三浦さんには興ざめ
かもしれませんが、やはりこういう議論は重要です。量子力学は哲
学ではなく物理学なので、きちんと数式を使うべきところは使って、
どちらの言い分が正しいのか、はっきりさせるべきです。
 それに、こんな事↓言っててはダメです。

> ド素人の哲学徒としては、テクニカルなところで不正直な発言を
>されると、どっちを信じてよいのか混乱するので。

モノクロームさんとSumioBabaと、どちらの言い分が正しいのか、自
力で見極めなきゃ。もう少し、物理学の議論を続けさせて下さい。


モノクローム様(10)/SumioBaba(馬場純雄)

>SB>「波動方程式の因果関係」とは、
>SB>「一度|L>と|R>が確率1/2ずつで重ね合わせ状態になると、
>SB>それが周囲とどんな相互作用をしても、
>SB>|L>と|R>が1/2の確率で重ね合わせのまま時間発展していく」
>SB>ということですよ。いわゆる「ユニタリ性」です。

>SumioBabaの上記の発言は、量子力学的には正しくない。
>なぜなら、
>「|L>と|R>が確率1/2ずつで重ね合わせ状態になる」
>というだけでは
>「時間発展演算子の固有ベクトルが|L>と|R>になる」
>とはいえないからだ。

 言えますよ。ただし「時間発展演算子」ではなく「時間推進演算子」
です。
 「|L>と|R>が確率1/2ずつで重ね合わせ状態になる」ということは、
「時間を含まないシュレディンガー方程式」
    H^ψr=Eψr 【H^は演算子、Eは定数】  ・・・(1)
において、ψr=|L>(エネルギー値はElとする)とψr=|R>(エネルギー
値はErとする)の両方が解になっていることを意味します。つまり、
    H^|L>=El|L>   ・・・(2)
    H^|R>=Er|R>   ・・・(3)
が成立しています。
 (1)(2)(3)により、H^の固有ベクトルが|L>と|R>であり、かつ、「時間
推進演算子」U^=exp{-(i/(h/2π))tH^}はH^のべき級数に展開できる
ので、|L>と|R>はU^の固有ベクトルでもあります。
 時刻t=0における初期状態ψ(0)が|L>と|R>の重ね合わせ、
    ψ(0)=a|L>+b|R>
であるなら、一般の時刻tにおけるψ(t)は、ψ(0)にU^を作用させる
だけで求められ、
    ψ(t)=U^ψ(0)
      =aU^|L>+bU^|R>
      =a・exp{-(i/(h/2π))tH^}|L>
       +b・exp{-(i/(h/2π))tH^}|R>
(2)によりH^|L>はEl|L>で、(3)によりH^|R>はEr|R>で置き換えられる
ので、
      =a・exp{-(i/(h/2π))tEl}|L>
       +b・exp{-(i/(h/2π))tEr}|R>
      =c|L>+d|R>
ここで、|exp{-(i/(h/2π))tEl}|=1、|exp{-(i/(h/2π))tEr}|=1だから、
    |a|=|c|、|b|=|d|
これが「ユニタリ時間発展」です。

>スピンについて考えた場合、波動関数ψは
>ψ=a1↑z+a2↓z
> =b1↑x+b2↓x
>と2つの形で書き表せる。

 はい、その通りです。
    a1=(b1+b2)/√2
    a2=(b1-b2)/√2
    b1=(a1+a2)/√2
    b2=(a1-a2)/√2
の関係が有ります。

>SumioBabaの書き方では、基底は
>↑z、↓z
>↑x、↓x
>のどちらをとっても、時間発展によって重み
>|a1|、|a2|
>|b1|、|b2|
>のどちらも不変となる、と読める。

>しかしながら実際には
>|a1|、|a2|が不変なら|b1|、|b2|は変化する
>|b1|、|b2|が不変なら|a1|、|a2|は変化する
>ということであり、どちらも不変ということはありえない。

 は? a1とa2が不変なら、b1=(a1+a2)/√2とb2=(a1-a2)/√2も不変
ですけど・・・。
 初歩的な誤解をされているのは、モノクロームさんの方みたいです
ね。

>SB> それ以外は、モノクロームさんが勝手に
>SB> 無関係な話を持ち出しただけですので。

>ベクトルの基底のとり方は1つではない。

>「時間発展演算子により、特定の基底の重みが不変となる」というのと
>「時間発展演算子により、任意の基底の重みが不変となる」というのは
>全然別の話である。

>両者を区別できなかったSumioBabaは、
>線形代数が全く分かっていない。
>そういわざるを得ない。

 以下の言葉、そのままお返しします。
           ↓
#>間違うことは恥ずかしくない。
#>しかし、間違いを認めないことは恥ずかしい。
#>それは学問を否定する行為だからだ。
#>学問を否定しないでいただきたい。

以上


蛇足 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月 8日(金)07時30分0秒

> No.2857[元記事へ]

φへの返事。

φ> 馬場さんの言う「ユニタリ性」は、
φ> 単に因果律の否定に過ぎず、
φ> 我々の議論の筋とは関係ない・・・

そもそも何を議論していたのか分からないが
量子力学の時間発展が「波動関数に関して」は
「決定論」であることは確かである。

ここで「波動関数に関して」といったのは
波動関数は、実際に観測される現象とは
直接対応しないからである。



修正 投稿者:φ 投稿日:2011年 7月 8日(金)02時48分34秒

> No.2857[元記事へ]

↓誤記の修正です。

 誤
>
> 最頻値の確率はゼロまたは1にきわめて近くなるはずだ、というのが私の考え。
>
   ↓
   ↓
 正
>
> 最頻値の確率は1にきわめて近くなるはずだ、というのが私の考え。
>

 「ゼロまたは」が入ったとて論理的には誤りではありませんが。


Re: 波動の収縮の意味 投稿者:φ 投稿日:2011年 7月 8日(金)01時03分40秒

> No.2849[元記事へ]

まだらさんへのお返事です。

>
> 波動の収縮は、私の説では観察者と観察対象が他世界から同じだけの影響を受けているということを意味します。
>

やっぱりどうも「影響」が気になるんですよね。
 他世界から影響を受けるとは?

 しかし言わんとすることはわかります。現在の経験内容と両立するどのような世界がどのくらい存在するかということによって「私」と「観察対象」がこれからどのような世界に移行するかが確率的に左右される、という意味でなら、「同じだけの影響を受けている」と言えるでしょうね。

>
> 観察者と観察対象に対する他世界の影響が「物理的に同じである」時に
> 位置が確定しているように見える(相対的な位置が確定している)のです。
>

 さっきの「観察者と観察対象が他世界から同じだけの影響を受けているとき、収縮して見える(古典力学的に確定した様子に見える)」を単に言い換えたのであれば、理解可能ですね。

>
> この「最頻値」の意味は、「熱力学的な不可逆性を生み出すのに十分な確率」ということになるはずです。
>
> 「波動の収縮」は、熱力学の不可逆性により消極的に肯定されるということでしょう。
>

 以前に「設定F」と名づけた、シュレーディンガーの猫のようにミクロな揺らぎを一挙にマクロに拡大するような特殊な人為的装置を例外として、一つの収縮だけでマクロな出来事の様相が決定する場合というのは稀でしょうから(つまり、いくつもの相互作用が重なって統計的にマクロな出来事が創発するというのが通例でしょうから)、最頻値の確率はゼロまたは1にきわめて近くなるはずだ、というのが私の考え。
 これは別に無理な考えではなく、マクロレベルでは決定論的な古典力学が成り立つ、というおおかたの物理学者の認める立場を追認しているだけです。
 波束の収縮はそのものは非決定論的だが、多数の収縮の統計的創発である知覚的出来事は決定論的になると認めるべきでしょう。与えるエネルギーを決定すれば、温度計の目盛りの上がり方が決定するように。(だからエアコンや給湯器の温度設定が可能なわけですが)

 ともあれ、もともと問題になっていたのは、RかLかが決定したあとの話ですから、収縮そのもの(設定Fの有無)は実は関係なく、古典力学の因果律の解釈にすぎなかったわけです。


 …………………………………………

 以下は馬場さんへ

 以前の私の問いへの不整合な応答も似たような感じでそのままでしたが、まあそれは面倒だからもういいとして、モノクロームさんとのやりとりは一応何らかの率直な応答で締めくくってくれませんかね?
 ド素人の哲学徒としては、テクニカルなところで不正直な発言をされると、どっちを信じてよいのか混乱するので。

 いずれにせよ、
 馬場さんの言う「ユニタリ性」は、単に因果律の否定に過ぎず、我々の議論の筋とは関係ない旨、すでに何通りかの言い方で申し上げたつもりですが、
 ペンローズのその本は面白そうなので読んでみます。
 というか、うちの書棚にあったので、すでに読んだかもしれません。が、記憶にないのでもう一度読んでみます。


線形代数の説明 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月 7日(木)21時38分15秒

行列Hがエルミート行列Hであった場合、
-iHは歪エルミート行列となり
EXP(-iH)はユニタリ行列となる。

シュレディンガー方程式はぶっちゃけて言えば、
時間発展の微分が、歪エルミート行列なら
時間発展はユニタリ行列になる、ということ。

基底として、歪エルミートの固有ベクトルをとるのは
行列を対角行列にできるから
しかし、それは特定の基底であって、任意の基底について
対角行列になるわけではない。

この程度のことは例えば
佐武一郎「線形代数学」(裳華房)
とかには書いてあるだろう。


SumioBabaの初歩的誤解 完 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月 7日(木)21時28分31秒

> No.2852[元記事へ]

SumioBabaへの返事。

>固有ベクトルを基底とすれば、
>SB>     「時間推進演算子」U^=exp{-(i/(h/2π))tH^}で
>SB>     U^ψr=exp{-(i/(h/2π))tH^}ψr  ・・・(2)
>SB>        =exp{-(i/(h/2π))tE}ψr  ・・・(3)
>のように表わせる。
>
SB> この点は合意ですね。これだけで十分です。
SB> 私が説明した内容はこれだけであり、

まず、SumioBabaは、10日前の6/27の
以下の発言を思い出していただこう。


投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 6月27日(月)15時16分38秒

SB>「波動方程式の因果関係」とは、
SB>「一度|L>と|R>が確率1/2ずつで重ね合わせ状態になると、
SB>それが周囲とどんな相互作用をしても、
SB>|L>と|R>が1/2の確率で重ね合わせのまま時間発展していく」
SB>ということですよ。いわゆる「ユニタリ性」です。

SumioBabaの上記の発言は、量子力学的には正しくない。
なぜなら、
「|L>と|R>が確率1/2ずつで重ね合わせ状態になる」
というだけでは
「時間発展演算子の固有ベクトルが|L>と|R>になる」
とはいえないからだ。

スピンについて考えた場合、波動関数ψは
ψ=a1↑z+a2↓z
 =b1↑x+b2↓x
と2つの形で書き表せる。

SumioBabaの書き方では、基底は
↑z、↓z
↑x、↓x
のどちらをとっても、時間発展によって重み
|a1|、|a2|
|b1|、|b2|
のどちらも不変となる、と読める。

しかしながら実際には
|a1|、|a2|が不変なら|b1|、|b2|は変化する
|b1|、|b2|が不変なら|a1|、|a2|は変化する
ということであり、どちらも不変ということはありえない。

SB> それ以外は、モノクロームさんが勝手に
SB> 無関係な話を持ち出しただけですので。

ベクトルの基底のとり方は1つではない。

「時間発展演算子により、特定の基底の重みが不変となる」というのと
「時間発展演算子により、任意の基底の重みが不変となる」というのは
全然別の話である。

両者を区別できなかったSumioBabaは、
線形代数が全く分かっていない。
そういわざるを得ない。

間違うことは恥ずかしくない。
しかし、間違いを認めないことは恥ずかしい。
それは学問を否定する行為だからだ。

学問を否定しないでいただきたい。


Re: 一つの世界で粒子の位置が確定しているということ 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月 7日(木)20時16分41秒

> No.2846[元記事へ]

φさんへのお返事です。

三浦俊彦様(58)/SumioBaba(馬場純雄)

 三浦さんも、↓ご存じでなかったのでしょうか? 三浦俊彦様(54)から
再掲します。

 「ユニタリ性」について説明してある文献を挙げておきます。
            「心は量子で語れるか」
     著者=ロジャー・ペンローズ/訳者=中村和幸
     講談社/1998
 ペンローズは、「U過程」と「R過程」という言葉を使い分けます。
 「U過程」とは、波動関数がシュレディンガー方程式に従って時間
発展する過程で、「ユニタリ性」を満たし「決定論的」で、波動関数
の収縮が起こらない時間発展です。
 「R過程」とは、波動関数が収縮を起こす過程で、多数の可能性の
中のどれに収縮するかは、確率が波動関数の重みの2乗に比例す
ることだけは判っても、実際にどれになるのかは観測してみるまで
判らず、「非決定論的」な時間発展です。

           【P94~95からの引用です】
 ここまでは、私がUと呼んでいる法則があてはまる、量子レベルの
話であった。量子レベルでは、システムの状態は、とりうる全選択肢
を複素数で重み付けした重ね合わせで与えられる。量子状態の時間
(的)発展は、"ユニタリ発展(またはシュレディンガー発展)"と呼ばれ、
それが実際にUの表す内容なのである。
 Uの重要な特性は、それが線形だという点である。このことは、二つ
の状態がそれぞれ個々に変化すると、それに応じて二つの状態の
重ね合わせも同じように変化するが、重ね合わせに用いた複素数の
重み付け係数は時間に関して一定である、ということである。この線
形性が、シュレディンガー方程式の基本的な特徴であり、量子レベル
では、このような複素数で重み付けされた重ね合わせが、いつでも
保持される。
 しかしながら、何かを古典レベルへ拡大しようとすると、"法則"が
変化する。・・・。それは"波動関数の崩壊"とか"状態ベクトルの収
縮"と呼ばれている。この過程に対して、私はR(Reduction)という文
字を使用したい。Rは、ユニタリ発展とは全く異なるものである。二つ
の選択肢の重ね合わせにおいて、二つの複素数に着目し、それらを
2乗すると、・・・、これら2乗された係数のおのおのは、二つの選択肢
に対する確率の比となる。だがこのことは、”測定する”または”観測
する”ときにのみ起こり、・・・、この過程で法則は変化し、あの線形的
な重ね合わせは維持されなくなる。・・・。この非決定論はRと共に登
場する。Uレベルではすべてが決定論的であり、"測定"という行為を
するときにのみ、量子力学は非決定論的になる。//

以上


Re: 波動の収縮の意味 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月 7日(木)18時20分19秒

> No.2849[元記事へ]

まだらさんへのお返事です。

まだら様(6)/SumioBaba(馬場純雄)

>波動の収縮は、私の説では観察者と観察対象が他世界から同じ
>だけの影響を受けているということを意味します。

 なるほど、おおまかに解ったように感じます。なかなか面白い考え
方で、私の考えにも似ているかもしれません。
 多世界すべての集合を{W}とし、その要素世界をW1、W2、W3、・・・
とします。

>観察者と観察対象に対する他世界の影響が「物理的に同じである」
>時に位置が確定しているように見える(相対的な位置が確定して
>いる)のです。
>太陽系のモデルで言うと、同じ地球で起きた出来事では外部の影
>響は相対的に無視できるということです。

 もし、観測者がW1だけに住み、観測対象もW1だけに存在するな
ら、両者にとっての他世界は共にW2、W3、・・・であり、他世界から
受ける影響が同じなので、観測者にとって観測対象の状態は確定
(波動関数が収縮)しているように見える。
 もし、観測者がW1だけに住み、観測対象の方はW1+W2の中に存
在するなら、観測者にとっての他世界はW2、W3、・・・、観測対象に
とっての他世界はW3、・・・、と異なるので、両者が受ける他世界から
の影響も異なり、観測者にとって観測対象の物理状態にはブレが
生じ、状態は確定(波動関数が収縮)していないように見える。
    ・・・といったところでしょうか?

>私は太陽の周りを公転していますけれども、私の家も太陽の周りを
>公転しているのでそれに気づくことができません。これが波動の収
>縮の意味です。(火星を観察した場合には外部の影響を無視でき
>なくなりますが)

>観察対象だけではなく、観察者の状態を変えるだけで波動の収縮
>状態は失われます。他の世界の自分はこの世界の観察対象を波
>動が収縮した状態で観察することはできない可能性があります。日
>食や月食のようなもので、特定の範囲でしか観察することはできな
>いのです。他の世界の私は異なる波動の収縮の状態を観察してい
>るかもしれないし、同じ波動の収縮を観察しているのかもしれませ
>ん。

 観測者がW1だけに住み、観測対象もW1だけに存在する状態か
ら、観測者の方がW1+W2に住むように変化した場合も、観測者に
とっての他世界はW3、・・・、観測対象にとっての他世界はW2、W3、
・・・、と異なるので、両者が受ける他世界からの影響も異なり、観
測者にとって観測対象の物理状態にはブレが復活し、状態は確定
(波動関数が収縮)していないように見える。
    ・・・でどうでしょう?

>ミクロで働いている力がマクロでは働いていないと考えるのではな
>く、同じように働いているがマクロでは観察者も一緒に動いている
>ので狭い範囲では観察できないということですね。地球に対する火
>星のような、「一緒の動きではない」対象があれば影響を観察する
>ことができます。

以上


Re: SumioBabaの初歩的誤解 5 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月 7日(木)17時31分52秒

> No.2850[元記事へ]

モノクロームさんへのお返事です。

モノクローム様(9)/SumioBaba(馬場純雄)

>固有ベクトルを基底とすれば、
>SB>     「時間推進演算子」U^=exp{-(i/(h/2π))tH^}で
>SB>     U^ψr=exp{-(i/(h/2π))tH^}ψr  ・・・(2)
>SB>        =exp{-(i/(h/2π))tE}ψr  ・・・(3)
>のように表わせる。

 この点は合意ですね。これだけで十分です。私が説明した内容は
これだけであり、それ以外は、モノクロームさんが勝手に無関係な
話を持ち出しただけですので。

以上


Re: スピンの方向は確定し得ない 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月 7日(木)07時41分17秒

> No.2847[元記事へ]

まだらへの返事。

まだら> 私は「波には複数の粒子のデータが含まれている」と主張しています。

何の根拠もなく、自分の「好き嫌い」を主張されてもこまる。

> この立場では、スピンの方向が確定しないのは当たり前です。
> 複数の粒子のデータをひとつの粒子のデータとみなすことに意味はない
> と答えるしかありません。粒子の運動量と同じことです。

まだらは
「位置が、位置だけが「ホンモノの物理量」だ!
 他は、位置と共存しない限り「ニセモノの物理量」だ!」
といいたいようだが、それこそまだらの好き嫌いでしかない。


SumioBabaの初歩的誤解 5 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月 7日(木)07時37分11秒

SumioBabaへの返事。

>「測定したい物理量のベクトルが、
> 時間推進演算子の固有ベクトルと違っていたら
> SumioBabaが期待するようなことは言えない」
> という指摘に対して、・・・SumioBabaの発言は
> 何の反論にもなっていない。

SB>  ψrが「時間推進演算子」U^=exp{-(i/(h/2π))tH^}の固有ベクトル
SB> であることは、
SB>     H^ψr=Eψr 【H^は演算子、Eは定数】  ・・・(1)
SB>が保証している訳ですね。

ψrが、必ず「測定したい物理量」と一致する、
というのがSumioBabaの初歩的誤解であった。

固有ベクトルを基底とすれば、

SB>     「時間推進演算子」U^=exp{-(i/(h/2π))tH^}



SB>     U^ψr=exp{-(i/(h/2π))tH^}ψr  ・・・(2)
SB>        =exp{-(i/(h/2π))tE}ψr  ・・・(3)

のように表わせる。

しかし、問題は、「測定したい物理量」のベクトルが
一般的には固有ベクトルではない、という点にある。

SumioBabaは、固有ベクトルの場合にしか成り立たないことを
全てのベクトルに対して言えると何の考えもなく
誤って言い切ったことにある。

大学の理系学部において一年時に履修すべき線形代数を
確実に理解しているなら、このような初歩的な誤りは
犯し得ない。

はっきりいわせてもらえば、SumioBabaは
理系の人としての基礎を全く有していない。

SB> モノクロームさんが言う「時間推進演算子」とは、
SB> 私が説明した標準的な量子力学で用いる、
SB>     「時間推進演算子」U^=exp{-(i/(h/2π))tH^}
SB> とは全く異なり、好き勝手に作った時間tを含む演算子(?)に、
SB>「時間推進演算子」という名前を付けているだけなのですね。

SumioBabaは、スピンを理解していないことが明らかになった。

スピンとは何か
http://homepage2.nifty.com/eman/quantum/spin.html

を見れば、スピン行列がエルミート行列(自己共役行列)
であることは線形代数を理解していれば疑いようもない
ことが分かる。

SB> だからナンデモアリな訳だ。

SumioBabaが、いかなる結論を主張しようとも
前提が線形代数に反するから、ナンニモナシな訳だ。

SumioBabaは、線形代数の教科書で、
「ユニタリ行列」「エルミート行列」
「固有ベクトル」「固有値」
等の定義を確認し、かつ、これらに関する
基本的な定理を理解していただきたい。


波動の収縮の意味 投稿者:まだら 投稿日:2011年 7月 7日(木)07時06分29秒

> No.2848[元記事へ]

波動の収縮についてのφ様の説を確認するところから始めたいと思います。

φ様は、確率論的決定論という言葉を使っていますが、波動の収縮の不可逆性が熱力学の不可逆性と同じものであると主張されているのではないでしょうか。

このように考えると

馬場さんの文章を引用
> 三浦さんの「最頻値」という言葉は、いかにも99%以上の確率で
>どれか1つに確定するかのように聞こえ、だから実際上「決定論」で
>あり、他の可能性は無視できる、と言っているかのようですが、今の
>場合全くそういう状況じゃないんですよね。

この「最頻値」の意味は、「熱力学的な不可逆性を生み出すのに十分な確率」ということになるはずです。

「波動の収縮」は、熱力学の不可逆性により消極的に肯定されるということでしょう。


波動の収縮は、私の説では観察者と観察対象が他世界から同じだけの影響を受けているということを意味します。

不確定性原理の時間ゼロの時に他世界の状態を無視できるという場合、絶対的な条件を満たしていますが、波動の収縮の時には相対的な条件しか満たしていないと考えます。

観察者と観察対象に対する他世界の影響が「物理的に同じである」時に位置が確定しているように見える(相対的な位置が確定している)のです。


太陽系のモデルで言うと、同じ地球で起きた出来事では外部の影響は相対的に無視できるということです。

私は太陽の周りを公転していますけれども、私の家も太陽の周りを公転しているのでそれに気づくことができません。これが波動の収縮の意味です。(火星を観察した場合には外部の影響を無視できなくなりますが)

観察対象だけではなく、観察者の状態を変えるだけで波動の収縮状態は失われます。他の世界の自分はこの世界の観察対象を波動が収縮した状態で観察することはできない可能性があります。日食や月食のようなもので、特定の範囲でしか観察することはできないのです。他の世界の私は異なる波動の収縮の状態を観察しているかもしれないし、同じ波動の収縮を観察しているのかもしれません。

ミクロで働いている力がマクロでは働いていないと考えるのではなく、同じように働いているがマクロでは観察者も一緒に動いているので狭い範囲では観察できないということですね。地球に対する火星のような、「一緒の動きではない」対象があれば影響を観察することができます。




不確定性原理の意味 投稿者:まだら 投稿日:2011年 7月 7日(木)06時40分23秒

> No.2846[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> > 「ひとつの世界」で不確定性原理が成り立たないということは、そこには波ではなく粒子が存在するということになるからです。ということは、多世界に多粒子が存在するということです。
> >
>
>  一見ひとつの粒子に見えるものの正体は「多世界に多粒子」の束だということですね。「多世界にまたがる一粒子(波)」ではなく。

その解釈は間違ってはいませんが、正確に言うと波の正体は「多世界に多粒子」の統計的現象だということです。「一見ひとつの粒子には見えない」というのが前提になっているのですから。


>  その考えを「私」にあてはめると、「私」は多世界にまたがるひとつの自意識ではなく、多世界にまたがる多数の自意識ということになります。
>  どちらの捉え方をするかによって、「私はなぜ世界の分岐を経験しないか」「なぜ波束の収縮はただひとつの可能性だけに収まって私に経験されるのか」という問いに、異なる答え方をしなければならなくなるでしょう。

「波束の収縮とは何か」の答え次第で決まることだと思います。次はこれについて議論しましょうか。


>  しかし、まだらさんが言っているのはあくまで波束の収縮に対応する解釈であって、不確定性原理とは関係ないと思うのですけれどね。
>  ひとつの粒子の位置の確定だけを考えれば、広く広がった範囲で検出される可能性があるわけで、その可能性の分だけ(波束の収縮の仕方の数だけ)「多世界に多粒子」があると解釈できるでしょう。しかし不確定性原理の意味での揺らぎは、検出されたときにも検出前と変わることなく成り立っている揺らぎですから。
>  波という考えを忘れて粒子だけで考えるとしても、位置と運動量がともに確定する、ということに意味を与えられるんでしょうかね?

波動の収縮と不確定性原理は両方とも観察データと一致しています。「他世界の状態を無視できる状況では一つの世界では粒子の位置が確定している」ということを認めるならば、ひとつの世界で不確定性原理が成り立っていないということは明らかでしょう。

>  もちろん、位置と運動量がともに確定した最小レベルの組み合わせで不確定性関係を導ければよいと私も思いますが、
>  16年前に雑誌『文芸』の可能世界特集で和田純夫さんに私がインタビューしたとき、
>  「不確定性原理が成り立たないような、完全に確定した世界の集合として多世界解釈を考えてよいか?」と質問したところ、「それはダメ。不確定性関係が成り立たないような世界に分割することはできない」という答えだったことを記憶しています。

無根拠に断言されても反論しようがないですが、コペンハーゲン解釈ではできないということを、多世界に拡張してしまっているのでしょう。というか、不確定性原理の意味をそのまま多世界に拡張すれば、「不確定性関係が成り立たないような世界に分割することはできない」ということになるのは当然です。

論点は、不確定性原理を多世界に拡張したとき何か変化があるかどうかということになるでしょう。違いはないという前提で考察すれば和田純夫さんの言っていることは正しいです。不確定性原理をひとつの粒子の波と解釈するのであれば、コペンハーゲン解釈と多世界解釈の違いはないと判断したことになります。私のように多粒子と解釈するのであれば、違いがあると判断したことになります。

「不確定性原理を多世界に拡張しても違いがない」という結論からスタートしているので違いがないという結論になるというだけのことです。


> > >  波動の収縮と不確定性原理とでは事情が全然違う、ということをまだらさんは認めますか?
> >
> > もちろん違いますが、上で出している例では関係ありません。「ひとつの世界の粒子の位置が確定するときは、他の世界の状態を無視できる状態にある」と言っているだけなのですから。
> >
> > 「時間が経過しても一つの世界の粒子の位置が確定し得る」の実例として波動の収縮を出しただけです。
> >
>
>  どうもまだハッキリしないのですけれどね。
>  不確定性原理すら成り立たないような完全確定世界の集合にバラすことができたらそりゃ私も面白いとは思いますけれどね。

次は波動の収縮の話をしましょう。そうすれば私の言っていることの意味がわかるはずです。


Re: スピンの方向は確定し得ない 投稿者:まだら 投稿日:2011年 7月 7日(木)06時00分52秒

> No.2843[元記事へ]

モノクロームさんへのお返事です。

> まだらへの返事。
>
> まだら> ・・・粒子の位置が確定しています。
>
> スピンの方向は確定し得ないが。
>
> つまり、x、y、zの各方向のスピンの値を同時に確定することは出来ないが。
>
> 例えばz方向で重ね合わせがない状態は、x、y方向で重ね合わせがある状態。

私は「波には複数の粒子のデータが含まれている」と主張しています。

この立場では、スピンの方向が確定しないのは当たり前です。 複数の粒子のデータをひとつの粒子のデータとみなすことに意味はないと答えるしかありません。粒子の運動量と同じことです。


Re: 一つの世界で粒子の位置が確定しているということ 投稿者:φ 投稿日:2011年 7月 7日(木)05時15分22秒

> No.2841[元記事へ]

まだらさんへのお返事です。

>
> どちらでも一緒なので、統計的結果であるということで話を進めましょう。
>
> φ様はその二つに違いがあると考えているようですが、私は同じことだと考えています。
>

 因果関係でありうるのか、単なる統計関係(相対頻度の関係)でしかありえないのかは、多世界(各々の相対状態)間に物理的相互作用というものがあるのかないのか(互いにspace-likeなのかtime-likeなのか)といったことに関係して、宇宙論的モデルを考えるときに大違いだと思いますが、さしあたり同じことと考えても大過ないでしょう。あくまで「さしあたり」ですが。

>
> 「ひとつの世界」で不確定性原理が成り立たないということは、そこには波ではなく粒子が存在するということになるからです。ということは、多世界に多粒子が存在するということです。
>

 一見ひとつの粒子に見えるものの正体は「多世界に多粒子」の束だということですね。「多世界にまたがる一粒子(波)」ではなく。
 その考えを「私」にあてはめると、「私」は多世界にまたがるひとつの自意識ではなく、多世界にまたがる多数の自意識ということになります。
 どちらの捉え方をするかによって、「私はなぜ世界の分岐を経験しないか」「なぜ波束の収縮はただひとつの可能性だけに収まって私に経験されるのか」という問いに、異なる答え方をしなければならなくなるでしょう。

 しかし、まだらさんが言っているのはあくまで波束の収縮に対応する解釈であって、不確定性原理とは関係ないと思うのですけれどね。
 ひとつの粒子の位置の確定だけを考えれば、広く広がった範囲で検出される可能性があるわけで、その可能性の分だけ(波束の収縮の仕方の数だけ)「多世界に多粒子」があると解釈できるでしょう。しかし不確定性原理の意味での揺らぎは、検出されたときにも検出前と変わることなく成り立っている揺らぎですから。
 波という考えを忘れて粒子だけで考えるとしても、位置と運動量がともに確定する、ということに意味を与えられるんでしょうかね?
 もちろん、位置と運動量がともに確定した最小レベルの組み合わせで不確定性関係を導ければよいと私も思いますが、
 16年前に雑誌『文芸』の可能世界特集で和田純夫さんに私がインタビューしたとき、
 「不確定性原理が成り立たないような、完全に確定した世界の集合として多世界解釈を考えてよいか?」と質問したところ、「それはダメ。不確定性関係が成り立たないような世界に分割することはできない」という答えだったことを記憶しています。

>
> >  波動の収縮と不確定性原理とでは事情が全然違う、ということをまだらさんは認めますか?
>
> もちろん違いますが、上で出している例では関係ありません。「ひとつの世界の粒子の位置が確定するときは、他の世界の状態を無視できる状態にある」と言っているだけなのですから。
>
> 「時間が経過しても一つの世界の粒子の位置が確定し得る」の実例として波動の収縮を出しただけです。
>

 どうもまだハッキリしないのですけれどね。
 不確定性原理すら成り立たないような完全確定世界の集合にバラすことができたらそりゃ私も面白いとは思いますけれどね。
 『論理パラドクシカ』に書いた言葉を引用させていただくと、

 …………
 位置と運動量の関係を数学的に解析すると、きわめて小さなスケールにおいてはその両者が確定した値を持つということが意味をなさなくなる。不確定性原理は、電子の温度のように、マクロ世界を扱う古典物理学の概念をミクロスケールに強引にあてはめたことからくる〈見かけの不確定性〉を定式化していることになる。
 意味をなさない事柄について不確定と判定する不確定性原理は、まさに実在そのものの姿を正確に記述していることになろう。因果性の法則の述べるとおり「現在を正確に知り、それによって未来も正確に知る」ことを、不確定性原理は禁じてなどいないのである。(p.58-59)
 …………

 もっともそのあと、
 「ただし不確定性原理には、「電子の温度」にはない難解さがある。……」(p.59)
 と続いて、EPRパラドクスへ解決を先送りしたのですが。


Re: SumioBabaの初歩的誤解 4 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月 6日(水)19時02分25秒

> No.2840[元記事へ]

モノクロームさんへのお返事です。

モノクローム様(8)/SumioBaba(馬場純雄)

 まず波動関数ψを、r=(x、y、z)だけの関数ψrと、時間tだけの関数
ψtとの積に変数分離してψ=ψt・ψrとし、ψrの方だけを解きます。
この時、「時間を含まないシュレディンガー方程式」を使います。
    H^ψr=Eψr 【H^は演算子、Eは定数】  ・・・(1)
がその方程式です。これを解くと、r=(x、y、z)だけの関数であるψrが
求まります。このψr=ψr(x、y、z)を、時刻t=0における初期状態と見
なし、これに、
    「時間推進演算子」U^=exp{-(i/(h/2π))tH^}
を作用させると、
    U^ψr=exp{-(i/(h/2π))tH^}ψr  ・・・(2)
       =exp{-(i/(h/2π))tE}ψr  ・・・(3)
ですね。時間tだけの関数ψtの方も自ずと定まり、
    ψt=exp{-(i/(h/2π))tE}   ・・・(4)
だったことになります。(3)こそが4次元時空内のψ(t、x、y、z)です。
    ψ(t、x、y、z)=exp{-(i/(h/2π))tE}ψr  ・・・(5)
 U^は「eの{-(i/(h/2π))tH^}乗」という、指数の中に虚数あり、演算子
ありで、文科系の人には意味不明かもしれませんが、形式的な表現
ですね。(2)から(3)を説明するには、exp{x}=1+x/1!+xx/2!+xxx/3!+・・・
を使い、H、HH、HHH、・・・にべき展開した上で、結局これらは、ψrに
作用すると、E、EE、EEE、・・・に置き換わる、を使います。

>>測定したい物理量のベクトルが、
>>時間推進演算子の固有ベクトルと違っていたら
>>SumioBabaが期待するようなことは言えない

>という指摘に対して、上記のSumioBabaの発言は何の反論にも
>なっていない。

 ψrが「時間推進演算子」U^=exp{-(i/(h/2π))tH^}の固有ベクトル
であることは、(1)が保証している訳ですね。H、HH、HHH、・・・がす
べて、E、EE、EEE、・・・に置き換わり、演算子exp{-(i/(h/2π))tH^}の
固有値がexp{-(i/(h/2π))tE}になります。

>さて、電子にはスピンというものがある。
>スピンはx方向、y方向、z方向と分けて考えられるが
>実はこれは同時には分かりようが無い。

>で、例えばz方向のスピンが不変となるような時間推進演算子を
>考える。
>つまりz方向の↑、↓のスピンが時間推進演算子の固有ベクトル
>になってると考える。

>さて、ベクトルの分解は、何もz方向の↑と↓に限る必要はない。
>なんとなればx方向の↑と↓での分解も可能だからである。
>そして上記の時間推進演算子でx方向での↑と↓スピンの確率
>の変化を見ると、実はcos^2、sin^2で変化する!。
>(以下のHPでは、状況は異なるがほぼ同様の計算をやっている
>ので見られたい)

 モノクロームさんが言う「時間推進演算子」とは、私が説明した標準
的な量子力学で用いる、
    「時間推進演算子」U^=exp{-(i/(h/2π))tH^}
とは全く異なり、好き勝手に作った時間tを含む演算子(?)に、「時間推
進演算子」という名前を付けているだけなのですね。だからナンデモ
アリな訳だ。

以上

スピンの方向は確定し得ない 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月 6日(水)06時20分56秒

> No.2841[元記事へ]

まだらへの返事。

まだら> ・・・粒子の位置が確定しています。

スピンの方向は確定し得ないが。

つまり、x、y、zの各方向のスピンの値を同時に確定することは出来ないが。

例えばz方向で重ね合わせがない状態は、x、y方向で重ね合わせがある状態。




多世界にまたがる波がひとつの粒子であるということ 投稿者:まだら 投稿日:2011年 7月 6日(水)06時17分36秒

> No.2841[元記事へ]

ところで確認ですが、多世界にまたがる波がひとつの粒子であるということは、例えば光粒子が世界Aと世界Bで正反対の方向に移動したとすると、100億年後には100億光年離れた場所で観察できるはずですが、これもひとつの粒子の波であるということでいいでしょうか。

ひとつの粒子が世界Aと世界Bで100億光年離れた場所で観察されるということを肯定するのか、世界の差異には制限があると考えているのか。


一つ一つの粒子が世界の差異を反映していると考えた上で、一つの粒子の波が相互に干渉するということになると、一体どうやって世界の差異などというものが成り立つのか想像できないのですが。


100億光年にまたがる一つの粒子の波などというものを考えるより、別の粒子だと解釈した方がわかりやすいと思いますけどね。

それに多世界にまたがる波がひとつの粒子であるということは実証不可能なはずです。多世界の観察データなど存在しないのですから。

複数の粒子からなる波なのか、一つの粒子の波なのかということは推測するしかありません。

波のような統計的現象は複数の粒子の振る舞いであると解釈した方が経済的です。

多世界にまたがる多粒子と解釈することができるのに、例外を認める必要はないでしょう。

> 5.一個の粒子が波の特性を併せ持っているということについては長年論争の的になっていたが、事実と一致するので認めざるを得ないと考えられるようになった。

5は既に認めて頂いているはずなので、後は多世界解釈では、一個の粒子が波の特性を併せ持っていると仮定する必要はないということを認めてもらえれば十分です。



一つの世界で粒子の位置が確定しているということ 投稿者:まだら 投稿日:2011年 7月 6日(水)06時03分46秒

φさんへのお返事です。

> まだらさんへのお返事です。
>
> >
> > 1.1個の分子では熱(統計的現象)が現われることはない。
> >
> > 2.量子力学では一個の粒子が波(統計的現象)であることを認めている。
> >
> > 3.波動の収縮が起きた時、多世界の影響はゼロになっている。
> >
> > 4.時間の経過がゼロの時、多世界の影響はゼロになっている。
> >
> > 5.一個の粒子が波の特性を併せ持っているということについては長年論争の的になっていたが、事実と一致するので認めざるを得ないと考えられるようになった。
> >
> >
>
>  1.2.5.は問題ありません。
>  が、3.4.における「影響」って何なのでしょうか?
>  それが前々からの問題なのですが。
>
>  「第5の力」なんですか? しかしそれは、見かけの力であり、本当は四つの力に基づいた統計的結果に過ぎない、ということをまだらさんは認めますか?
>  認めるならば、賛成します。そしてその場合、「影響」という言葉は不適切ですよね。「影響」は物理的因果関係を指しますから。
>  認めないというならば、その理由が知りたいですね。「力」をむやみに増やすのは不経済で、非科学的ですから。


どちらでも一緒なので、統計的結果であるということで話を進めましょう。

φ様はその二つに違いがあると考えているようですが、私は同じことだと考えています。

「他の世界の状態が粒子の位置に関係しないときに、ひとつの世界の状態だけがそこに現われる」ということを認めてもらえれば十分です。

その時時間が経過しても粒子の位置が確定しています。


>  あと、不確定性原理が「ひとつの世界」で成り立たないことにしたい理由って何なんでしょう?


「ひとつの世界」で不確定性原理が成り立たないということは、そこには波ではなく粒子が存在するということになるからです。ということは、多世界に多粒子が存在するということです。


> > >  「時間がゼロで位置の確定している世界」を単位にしてしまったら、
> > >  そこでは動きがないわけですから、運動量は全く確定しなくなります。
> > >  というより、無意味になります。
> >
> > だからそうですよ。実際に無意味になっているじゃないですか。
> >
>
>  「無意味になる」というのは、「確定するということが無意味になる」という意味ですよ。
>  つまり、位置が確定すれば、必然的に、運動量は一切確定できなくなります。

確定することが無意味な理由は波に複数の粒子が含まれるからですよ。複数の粒子の運動量を一つの粒子とみなして運動量を確定することに意味などありません。
私が「波=大量の粒子の振る舞い」と言っていることを忘れないで下さい。

粒子Aの位置から粒子Bの位置に移動したとみなすから、速度が無限大の値を取り得るのです。

粒子が一つだと考えれば不可解なことでも、複数の粒子を考えれば不思議でも何でもありません。


>  それぞれの物理量の概念からして論理的にそうなるのだから、不確定性原理は必然的に成り立ちますよね。
>  成り立たなくしたい論理的理由でもあるのでしょうか。


上にも書きましたが、「ひとつの世界で粒子の位置が確定している=不確定性原理が成り立たない」だからですよ。

一つの世界で粒子の位置が確定しているならば、多世界では大量の粒子の位置が確定していることになります。


>  波動の収縮と不確定性原理とでは事情が全然違う、ということをまだらさんは認めますか?

もちろん違いますが、上で出している例では関係ありません。「ひとつの世界の粒子の位置が確定するときは、他の世界の状態を無視できる状態にある」と言っているだけなのですから。

「時間が経過しても一つの世界の粒子の位置が確定し得る」の実例として波動の収縮を出しただけです。

波動の収縮は観察できないとφ様が主張されるのであれば話は別ですが。

我々の世界ではそのような状態が存在し得るということを認めてもらえば十分です。



SumioBabaの初歩的誤解 4 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月 5日(火)20時56分9秒

SumioBabaへの返事。

SB>  量子力学では、シュレディンガー方程式を解く時、
SB> 波動関数ψを、空間座標r=(x、y、z)の関数である
SB> ψr(x、y、z)と、時間tだけの関数であるψt(t)
SB> との積に変数分離できる、と仮定してしまうんですよね。
SB> つまり、ψ=ψt(t)・ψr(x、y、z)と分解して、
SB> ψr(x、y、z)とψt(t)とを別々に解くのです。

SB> ・・・「定常解」とは、ψr(x、y、z)を意味していて、
SB> これは・・・時間を含まないシュレディンガー方程式
SB>     Hψr=Eψr                       ・・・(1)
SB> の解、という意味です。
SB> Hは演算子のハミルトニアンでx、y、z、の2階微分を含み、
SB> Eは定数のエネルギーですから、これを微分方程式として解けば、
SB> x、y、zだけの関数としてψr(x、y、z))が得られます。

上記は、単に、Hの固有ベクトルψを求めただけのことである。

>>測定したい物理量のベクトルが、
>>時間推進演算子の固有ベクトルと違っていたら
>>SumioBabaが期待するようなことは言えない

という指摘に対して、上記のSumioBabaの発言は何の反論にもなっていない。

さて、電子にはスピンというものがある。
スピンはx方向、y方向、z方向と分けて考えられるが
実はこれは同時には分かりようが無い。

で、例えばz方向のスピンが不変となるような時間推進演算子を考える。
つまりz方向の↑、↓のスピンが時間推進演算子の固有ベクトルに
なってると考える。

さて、ベクトルの分解は、何もz方向の↑と↓に限る必要はない。
なんとなればx方向の↑と↓での分解も可能だからである。
そして上記の時間推進演算子でx方向での↑と↓スピンの確率の変化
を見ると、実はcos^2、sin^2で変化する!。
(以下のHPでは、状況は異なるがほぼ同様の計算をやっているので見られたい)

スピノル(イメージ重視)
http://homepage2.nifty.com/eman/quantum/spinor.html



Re: SumioBabaの初歩的誤解 3 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月 5日(火)17時34分18秒

> No.2836[元記事へ]

モノクロームさんへのお返事です。

モノクローム様(7)/SumioBaba(馬場純雄)

>もし、ψ1、ψ2が、時間推進演算子の固有ベクトルならば
>ψ(t0)=a・ψ1+b・ψ2
>ψ(t) =a・{exp(-i・E1(t-t0)/(h/2π))}・ψ1
>  +b・{exp(-i・E2(t-t0)/(h/2π))}・ψ2
>  =c・ψ1+d・ψ2
>となり、複素平面内で単位長さ1のベクトルが回転しているだけなの
>で、aやbの位相(複素数の偏角)だけを変え、大きさを保つ。つまり、
>    |a|=|c|、|b|=|d|
>(そしてこのようなψ1、ψ2が時間に影響されない
> ハミルトニアンHにおける定常解というわけだ)

 「定常解」じゃありません。
 例えば、左の方r=r1の付近に存在した粒子が、右の方のr=r2の
付近まで移動する場合です。r1付近に存在する粒子を、様々な運
動量を持つ波の重ね合わせで表現し、それらの波に時間推進演算
子を作用させて、個々の波の複素数の位相をくるくる回転させると、
それらの波をすべて重ね合わせて見た時、r1付近に存在した粒子
がr2付近まで移動していくように見えるはずです。でんじろう先生が
よくやっている、煙のボールを大砲で撃つような、もやもやしたボー
ルが直進しながら、次第にぼやけて大きくなっていくような、あんな
感じでしょう。
 時間的に変化しているのだから、「定常解」ではありません。

>SumioBabaが、目を輝かせて
>「それみたことか!オレ様は正しい!」
>と絶叫する様が目に見えるようだ。

 それみたことか!オレ様は正しい!

>しかし、栄光の時はここまでだ。
>そもそも任意の時間推進演算子で、例えば|L>,|R>が必ず固有ベク
>トルになる
>といいきれるか?そんなことはいいきれるわけがない。

>もし、測定したい物理量のベクトルが、
>時間推進演算子の固有ベクトルと違っていたら
>SumioBabaが期待するようなことは言えないのだ。

 量子力学では、シュレディンガー方程式を解く時、波動関数ψを、
空間座標r=(x、y、z)の関数であるψr(x、y、z)と、時間tだけの関数
であるψt(t)との積に変数分離できる、と仮定してしまうんですよね。
つまり、ψ=ψt(t)・ψr(x、y、z)と分解して、ψr(x、y、z)とψt(t)とを
別々に解くのです。
 モノクロームさんが言う「定常解」とは、ψr(x、y、z)を意味していて、
これは「定常=時間変化が無い」という意味ではなくて、「時間を含ま
ないシュレディンガー方程式の解」という意味です。
    Hψr=Eψr                       ・・・(1)
が「時間を含まないシュレディンガー方程式」です。Hは演算子の
ハミルトニアンでx、y、z、の2階微分を含み、Eは定数のエネルギー
ですから、これを微分方程式として解けば、x、y、zだけの関数として
ψr(x、y、z))が得られます。
 一方、「時間を含むシュレディンガー方程式」の方は、(1)の定数で
あったエネルギーEを、
    E→i(h/2π)d/dt=E^                ・・・(2)
で置き換えたものです。Eは定数ですが、E^は演算子です。ψt(t)の
方の固有値問題は、(2)より、
    E^ψt(t)=Eψt(t)                  ・・・(3)
を解けば良いだけの話で、
    ψt(t)=exp(-i・Et/(h/2π))            ・・・(4)
です。(4)の両辺に(2)のE^を作用させると、(3)になるのが解ります。
従って求めるψ=ψt(t)・ψr(x、y、z)は、
    ψ=exp(-i・Et/(h/2π))・ψr(x、y、z)       ・・・(5)
です。

 要するに、時間推進部分ψt(t)はエネルギーEの大きさだけで決ま
り、ψr(x、y、z)がどんな状態かとは無関係ということです。「運動量p
の物体は、その形状を問わず、波長λ=h/pの波である」と見なせる
ように、「エネルギーEの物体は、その形状を問わず、振動数ν=E/h
の波である」と見なせる訳です。おわかりですか?

以上


Re: 確認事項 投稿者:φ 投稿日:2011年 7月 5日(火)03時55分23秒

> No.2831[元記事へ]

まだらさんへのお返事です。

>
> 1.1個の分子では熱(統計的現象)が現われることはない。
>
> 2.量子力学では一個の粒子が波(統計的現象)であることを認めている。
>
> 3.波動の収縮が起きた時、多世界の影響はゼロになっている。
>
> 4.時間の経過がゼロの時、多世界の影響はゼロになっている。
>
> 5.一個の粒子が波の特性を併せ持っているということについては長年論争の的になっていたが、事実と一致するので認めざるを得ないと考えられるようになった。
>
>

 1.2.5.は問題ありません。
 が、3.4.における「影響」って何なのでしょうか?
 それが前々からの問題なのですが。

 「第5の力」なんですか? しかしそれは、見かけの力であり、本当は四つの力に基づいた統計的結果に過ぎない、ということをまだらさんは認めますか?
 認めるならば、賛成します。そしてその場合、「影響」という言葉は不適切ですよね。「影響」は物理的因果関係を指しますから。
 認めないというならば、その理由が知りたいですね。「力」をむやみに増やすのは不経済で、非科学的ですから。

 あと、不確定性原理が「ひとつの世界」で成り立たないことにしたい理由って何なんでしょう?

>
> >
> >  「時間がゼロで位置の確定している世界」を単位にしてしまったら、
> >  そこでは動きがないわけですから、運動量は全く確定しなくなります。
> >  というより、無意味になります。
>
> だからそうですよ。実際に無意味になっているじゃないですか。
>

 「無意味になる」というのは、「確定するということが無意味になる」という意味ですよ。
 つまり、位置が確定すれば、必然的に、運動量は一切確定できなくなります。

 それぞれの物理量の概念からして論理的にそうなるのだから、不確定性原理は必然的に成り立ちますよね。
 成り立たなくしたい論理的理由でもあるのでしょうか。
 波動の収縮と不確定性原理とでは事情が全然違う、ということをまだらさんは認めますか?


……………………

 以下は馬場さんへ

 モノクロームさんとのやりとりはちゃんと続けますよね?
 ずっと拝見していて、 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2805 で前歴があるように、馬場さんが最後に「何か勘違いしてませんか? 私が言っているのは量子力学のユニタリ性ではなく、[量子観念論仮説]におけるユニタリ性のことですよ」と言って逃げるような予感がしていましたが……、
 どうかそういう終わらせ方もしくはそれに近い終わらせ方だけはしないでください。

 ともあれ、
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2817
での馬場さんの言をそのままにとると、
②も③も、つまりすべての話は[量子観念論仮説]を最初に認めてこその話だったようですね。
それ以外の場合は前提として受け付けないのだと。
それなら始めから議論が成り立つはずがなかったのです。

 何度も言ってきたことで相済みませんが、
 そもそも[量子観念論仮説]は証明すべき説であって、前提すべき根拠じゃないでしょう。
 議論の根拠は、誰もが認める常識や定説とすべきです。
 少なくとも科学者の多数が認める事柄にすべきです。
 そうでないと、議論はおろか、対話すらできません。
 「それが量子力学です」「それが波動方程式です」とさんざん言い放っておいて、「実は〈俺の説における〉を省略していたんだよ」というのでは(文献的根拠を催促されるたびに「このへんで議論は終わりにしましょうかhttp://8044.teacup.com/miurat/bbs/2762」「あまりにも常識的すぎて文献が見つからないhttp://8044.teacup.com/miurat/bbs/2781」とはぐらかしたあげくさらに問い質されてやっと〈単に俺の説〉という告白 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2805 が出てくるというのでは)、対話のマナーおよびルールを破っていると言わざるをえません。

 マナー以後の議論の形式のことを言うと、
 自ら証明したい世界観を先に強固に前提したのでは、ただのイデオロギーの提示です。
 とくに多世界解釈を尊重するというのであれば、多世界の頻度解釈に基づいた実在論的世界観から出発し、背理法的に実在論を論理的または確率的に否定することで、観念論を導くようにしてください。
 私は馬場さんのマナーを責めて議論を拒否しているわけでは決してなく、最低限議論する姿勢をとっていただきたいとお願いしているだけなので。
 馬場さんがよそでどのような議論をされてきたか知りませんが、議論はうまくいってましたか?
 こういうマナーや手順の基礎的苦情を受けたのはここが初めてでしょうか?

 あと、久しぶりなのでもう一つ付け加えておくと、
 これも以前と同じことで済みませんが、
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2783
で馬場さんが自説修正(言葉の追加)して書いている「どれを知覚するかは波動関数の重みの2乗に比例することまでしか判らず、どれが選ばれるかはランダムです」がそもそも矛盾しているので、話が噛み合わないのです。
 重みづけされている時点で、ランダムではありません。
 なぜなら、根源事象はγのように知覚で識別可能な出来事とされてきたはずだからです。
 「私」の経験しうる知覚的出来事が根元事象です。
 いやそうではない、根元事象は個々の世界だ、と反発するかもしれませんが、それでも同じことです。
 たとえば、サイコロにおもりが仕込まれて6の目が出やすくなっており、(1,2,3,4,5,6)という各事象の確率がそれぞれ(1/50,6/50,6/50,6/50,6/50,25/50)となっていれば、そのサイコロの出る目はランダムではありません。1~6という目を根元事象にとれば、ランダムならざるサイコロです。
 各世界を根元事象にとっても同じことです。そのサイコロを一回振って、「私」が自らを観測することになる世界は、6の目が出た諸世界がどれも優遇され、1の出た諸世界がどれも冷遇されるため、一個一個の世界の選ばれ方もやはりランダムではありません。
 以上は不偏性条件。ランダム性にはもう一つ独立性条件もありますが省略します。

 ともあれ、

 「ランダム」をはじめ単語を普通の意味で使うように約束していただくこと、
 暗黙の前提は日常的常識と大多数の科学者が認める事柄に限定したうえで議論を進めること、
 モノクロームさんの批判に答えて問題の元凶を明確化すること、

 この3つをクリアしてから、馬場さんの要望「干渉する場合と干渉しない場合と、何が違うのか?」に話を進めたいと思います。話題としては興味深い話題ですね。


Re: 来生への配慮と枯渇政策 投稿者:hirschkalb 投稿日:2011年 7月 4日(月)20時30分53秒

> No.2827[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> 『確率の理解を探る』は良書ですね。
>  同じ著者の『考えることの科学』(中公新書)を先に読んでおくとさらに効果的でしょう。
>
>  確率の中で最も難しいのが、観測選択効果を含む場合で、観測選択効果をめぐるいろいろな理屈を学ぶには
>  ジョン・レスリー『世界の終焉』(青土社)
> がお薦めです。この本は、いくつか怪しい説明が入っているために、読みながら考える余地が大きく、いっそう教訓的になっています。

ブックガイド、どうもありがとうございます!
さっそく『考えることの科学』を買い求めました。
順に読み進めていきたいと思います。
http://d.hatena.ne.jp/hirschkalb/


SumioBabaの初歩的誤解 3 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月 4日(月)20時12分36秒

> No.2834[元記事へ]

SumioBabaへの返事。

>>初期ベクトルを(1,0)とすれば、回転による演算子によって
>>(cos(t),sin(t))となるようにできるのであるから、当然
>>SumioBabaの主張に対する決定的な反例となる。
>
SB> モノクロームさんの量子力学では、
SB> 時間推進演算子は(cos(t),sin(t))だったのですか。
SB> もういいです。議論する気力を無くしました。

諦めるのはまだ早い。

もし、ψ1、ψ2が、時間推進演算子の固有ベクトルならば
ψ(t0)=a・ψ1+b・ψ2
ψ(t) =a・{exp(-i・E1(t-t0)/(h/2π))}・ψ1
   +b・{exp(-i・E2(t-t0)/(h/2π))}・ψ2
   =c・ψ1+d・ψ2
となり、複素平面内で単位長さ1のベクトルが回転しているだけなので、
aやbの位相(複素数の偏角)だけを変え、大きさを保つ。つまり、
    |a|=|c|、|b|=|d|
(そしてこのようなψ1、ψ2が時間に影響されない
 ハミルトニアンHにおける定常解というわけだ)

SumioBabaが、目を輝かせて
「それみたことか!オレ様は正しい!」
と絶叫する様が目に見えるようだ。

しかし、栄光の時はここまでだ。
そもそも任意の時間推進演算子で、例えば|L>,|R>が必ず固有ベクトルになる
といいきれるか?そんなことはいいきれるわけがない。

もし、測定したい物理量のベクトルが、
時間推進演算子の固有ベクトルと違っていたら
SumioBabaが期待するようなことは言えないのだ。


Re: 波=大量の粒子の振る舞い=統計的現象 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月 4日(月)18時54分59秒

> No.2829[元記事へ]

まだらさんへのお返事です。

まだら様(5)/SumioBaba(馬場純雄)

 まだらさんが、多世界相互間に作用する第5の力を考えるのであ
れば、例え話の段階を越え、具体的に多世界相互間にどういう形で
第5の力が作用し、なぜ二重スリット実験で干渉が起きたり起きなか
ったりするように見えるのか?、また、不確定性原理がどうして発生す
るのか?を、解り易く説明して欲しいと思います。
 私の問題提起「干渉する場合と干渉しない場合と、何が違うのか?」
について、三浦さんもモノクロームさんも無視したまま何も答えてお
られません。まだらさんが第5の力を使ってうまく説明してくれれば、
私はまだらさんの方がこの問題について一歩先に進んでおられると
評価したいですけどね。
 量子力学では、1個の素粒子の状態を表す時、位置r=(x、y、z)が
不確定性ゼロで確定し運動量p=(px、py、pz)の不確定性が無限大と
なった「粒子」状態|r1>、|r2>、|r3>、・・・を基底としても良いし、逆に
運動量p=(px、py、pz)が不確定性ゼロで確定し位置r=(x、y、z)の不確
定性が無限大となった「波」状態|p1>、|p2>、|p3>、・・・を基底としても
構いません。まだらさんは「前者を選ぶ」と宣言した上で、第5の力を
使い、不確定性原理を導き、干渉の有無という違いがどうして生じる
かを説明すれば良いと思います。

以上


Re: SumioBabaの初歩的誤解 2 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月 4日(月)17時34分27秒

> No.2832[元記事へ]

モノクロームさんへのお返事です。

三浦俊彦様(57)/SumioBaba(馬場純雄)
モノクローム様(6)/SumioBaba(馬場純雄)

>例えば回転行列はこのような性質を持つ。

>初期ベクトルを(1,0)とすれば、回転による演算子によって
>(cos(t),sin(t))となるようにできるのであるから、当然
>SumioBabaの主張に対する決定的な反例となる。

 モノクロームさんの量子力学では、時間推進演算子は(cos(t),sin(t))
だったのですか。もういいです。議論する気力を無くしました。

以上


まだらへ 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月 4日(月)07時19分53秒

> No.2829[元記事へ]

まだらへの返事。

Φ> 「物理的な力を想定することなしに、ただの統計によって説明できるならば、
Φ>  その方が経済的であり、オッカムの剃刀に合致しており、望ましい」

少なくとも「知らない情報」による決定論という
「一見気持ちいいが、実はなにもできない理論」
よりは全然マシだろう、という意味で賛同する。

まだら> モノクロームさんが「多世界にまたがった波」という表現をしているので
まだら> これを採用させて頂きましょう。

そもそも多世界理論はそういうものだが。

まだら> 「一個の分子の運動エネルギーの統計的現象」を認めろと
まだら>φ様は言っているのですか?

一回サイコロを振るのに、確率は不必要かね?

まだら> 量子力学における波動関数と熱を同一視するのは間違っています。

あなたが非決定性を嫌ってるだけとしか思えないが。


SumioBabaの初歩的誤解 2 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月 4日(月)07時06分54秒

> No.2828[元記事へ]

SumioBabaへの返事。

> >時刻0の初期状態をψとし、Eをエネルギー値としたとき
> >   ψ(t)=exp(-i・Et/(h/2π))ψ
> >となるというのは、ψがシュレディンガー方程式の"定常解"
> >の場合だろう。
> >しかし、定常解だけ考えればOKと思ってるなら大間違いである。
>
SB>  「定常解」って何ですか?

量子力学のテキストをみられたい。

SB> 時間推進演算子U=exp(-i・Ht/(h/2π))は、
SB> 波動関数の形が時間とともにどう変わっていくか、
SB> を求めるためのものですよ。

そして、上記の式中のHは、実数ではなく
自己共役演算子であり、行列として考えるなら
エルミート行列である。

SB> どんな初期状態でも、時間推進演算子を用いれば、
SB> 任意の時刻における波動関数の形が求められます。
SB> これこそが、シュレディンガー方程式に従う
SB> 「ユニタリ発展」であり、「波動方程式の因果法則」です。

その通り。

SB> まさに、物理状態の時間発展を求めるのが
SB> 時間推進演算子Uであるのに、「定常解」???

SumioBabaは、対角行列となっているような特殊なHしか考えていない。
しかし、一般のエルミート行列は対角行列ではない。

> > しかも、一般の時間推進演算子はこのような定常的なもの
> >だけではないので無意味である。
>
SB>  「定常的」でない時間推進演算子って何なのか、教えて下さい。

すでに、教えている。対角行列でないエルミート行列をHとしたとき
exp(-i・Ht/(h/2π))で表わせる行列だ、と。

例えば回転行列はこのような性質を持つ。

初期ベクトルを(1,0)とすれば、回転による演算子によって
(cos(t),sin(t))となるようにできるのであるから、当然
SumioBabaの主張に対する決定的な反例となる。


確認事項 投稿者:まだら 投稿日:2011年 7月 4日(月)06時11分55秒

> No.2830[元記事へ]

反論する場合には以下の質問に答えて頂くと対処しやすいです。

1.1個の分子では熱(統計的現象)が現われることはない。

2.量子力学では一個の粒子が波(統計的現象)であることを認めている。

3.波動の収縮が起きた時、多世界の影響はゼロになっている。

4.時間の経過がゼロの時、多世界の影響はゼロになっている。

5.一個の粒子が波の特性を併せ持っているということについては長年論争の的になっていたが、事実と一致するので認めざるを得ないと考えられるようになった。

否定する場合には教えて下さい。


多世界の影響がゼロであること 投稿者:まだら 投稿日:2011年 7月 4日(月)06時02分10秒

以下に意見を整理して提示します。

熱が統計的現象であるように、波も統計的現象です。

量子力学は、「一個の粒子に現われる統計的現象」という不思議な概念を肯定しています。

多世界にまたがる波とは、多世界にまたがる統計的現象です。

「多世界にまたがる統計的現象」がどのような意味を持つかというと、我々に見えているのは全体の一部であるということです。

我々には一個の粒子しか見ることができませんが、だから一個しかないと判断することは妥当ではありません。

コペンハーゲン解釈においては「時間がゼロの時位置が確定する」ということは特別な意味を持ちません。

多世界解釈においては「時間がゼロの時位置が確定する」ということは、多世界の影響がゼロであるという意味を持ちます。

時間がゼロの時多世界の影響がゼロであるということは確認するまでもないでしょう。

問題なのはどちらが本質的なことなのかです。

時間の経過がゼロだから位置が確定するのか、多世界の影響がゼロだから位置が確定するのか。

時間の経過がゼロであるということは位置が確定することに対して必要条件なのかどうかです。

別の言い方をすると、「時間が経過しても他世界の影響がなければ位置が確定する」と言えるのかということになります。

波動の収縮は、時間が経過しても位置が確定している例であると言えるでしょう。

波動の収縮=多世界の影響がゼロ(多世界にまたがった波が現世界に収縮する)であることは確認するまでもないでしょう。

つまり多世界の影響がゼロである時は時間が経過しても位置が確定しているのです。

何故マクロでは「波動の収縮=多世界の影響がゼロになる」のかということはまた別の話なのでここでは出さないことにします。


波=大量の粒子の振る舞い=統計的現象 投稿者:まだら 投稿日:2011年 7月 4日(月)05時59分58秒

> No.2827[元記事へ]

φさんへのお返事です。

>  ……………………
>  以下はまだらさんへ
>
>  私の次の見解(幸いにもモノクロームさんの賛意を得た見解)
>
> 「物理的な力を想定することなしに、ただの統計によって説明できるならば、その方が経済的であり、オッカムの剃刀に合致しており、望ましい」
>
>  をまだらさんはどう考えているのか、
>  現実に統計的な波として解釈できている「粒子の波」をあえて「第5の力の(?)相互作用の産物」と考えるメリットがどこにあるのか、まだらさんはまだ説明してくれていません。
>  科学史に範を求めるなら、
>  「熱」という未知の力が分子の運動エネルギーの統計的現象として解釈できたり、
>  「進化の生命力」という未知の生物エネルギーが自然選択の統計的プロセスとして解釈できたりと、
>  「新しい力」を消去する経済思考の勝利が顕著です。
>
> 粒子の波は、位置で言うならば、各々の体積要素内に当の粒子が位置することになる諸世界の相対頻度の統計によって説明できます。

私は波を否定していないですよ。波を別の言葉に置き換えると「大量の粒子の振る舞い」になると言っているだけです。

モノクロームさんが「多世界にまたがった波」という表現をしているのでこれを採用させて頂きましょう。

私が言っているのは「多世界にまたがった波」=「多世界にまたがった粒子」です。

φ様が熱の例を出してくれたので、熱の例で説明することにしましょう。

熱というのは大量の分子の統計的現象です。

同じように波というのは大量の粒子の統計的現象だと言っているのです。

「一個の分子の運動エネルギーの統計的現象」を認めろとφ様は言っているのですか?

量子力学における波動関数と熱を同一視するのは間違っています。


> > わかりづらければ、「時間がゼロで位置の確定している世界」
> > を単位にしても構いません。
> > 世界を一つにまで分割すれば、不確定性原理は成り立たなくなるということです。
> >
>
>  これはますます意味がわかりませんね。
>  「時間がゼロで位置の確定している世界」を単位にしてしまったら、そこでは動きがないわけですから、運動量は全く確定しなくなります。というより、無意味になります。

だからそうですよ。実際に無意味になっているじゃないですか。

>  あえて言えば、他のどの「単位世界」と組み合わせて考えるかを変えることによって運動量を任意に定めることができてしまい、やはり不確定性原理は成り立ちます。

他の世界と組み合わせたときに不確定性原理が成り立つのは当たり前です。単独の世界では不確定性原理は成り立たないと言っているじゃないですか。

>  不確定性原理と、波動の収縮とは、根本的に意味合いが異なるのです。
>  後者は、文字通りに認めてしまうと量子力学の法則を破ることになるので、なんとか説明あるいは再解釈の必要があります。

波動の収縮=時間ゼロと言っているだけです。

時間ゼロという言葉をφ様は時間の経過ゼロと解釈しているのだと思いますが、私は同時性が成り立っている(時間のずれがゼロ)と解釈しているのです。

観察者と観察対象の時間のずれがゼロであるならば、位置は確定します。波動の収縮の意味はこれです。


> 前者は、量子力学の法則そのものに組み込まれており、しかも「位置」「運動量」といった概念の論理にも整合しているので、あえて再解釈する必要がありません。

多世界解釈を持ち出さないのであればその通りです。


個別の反論だけでは意味がわからないと思うので私の意見を整理して提示することにします。





Re: SumioBabaの初歩的誤解 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月 4日(月)03時03分15秒

> No.2825[元記事へ]

モノクロームさんへのお返事です。

三浦俊彦様(56)/SumioBaba(馬場純雄)
モノクローム様(5)/SumioBaba(馬場純雄)

>SB>  時刻t0の初期状態としてψ(t0)が、
>SB>     ψ(t0)=a・ψ1+b・ψ2 [aとbは複素数、|a|^2+|b|^2=1]
>SB> という重ね合わせであるとし、ψ1とψ2のエネルギー値を
>SB> E1、E2とすると、
>SB> 量子力学では、任意の時刻tにおける状態はこう表されます。
>SB>     ψ(t)=a・{exp(-i・E1(t-t0)/(h/2π))}・ψ1
>SB>        +b・{exp(-i・E2(t-t0)/(h/2π))}・ψ2
>SB>        =c・ψ1+d・ψ2

>時刻0の初期状態をψとし、Eをエネルギー値としたとき
>   ψ(t)=exp(-i・Et/(h/2π))ψ
>となるというのは、ψがシュレディンガー方程式の"定常解"
>の場合だろう。
>しかし、定常解だけ考えればOKと思ってるなら大間違いである。

 「定常解」って何ですか? 時間推進演算子U=exp(-i・Ht/(h/2π))
は、波動関数の形が時間とともにどう変わっていくか、を求めるため
のものですよ。どんな初期状態でも、時間推進演算子を用いれば、
任意の時刻における波動関数の形が求められます。これこそが、
シュレディンガー方程式に従う「ユニタリ発展」であり、「波動方程式
の因果法則」です。
 まさに、物理状態の時間発展を求めるのが時間推進演算子Uで
あるのに、「定常解」???

> しかも、一般の時間推進演算子はこのような定常的なもの
>だけではないので無意味である。

 「定常的」でない時間推進演算子って何なのか、教えて下さい。

以上


Re: 来生への配慮と枯渇政策 投稿者:φ 投稿日:2011年 7月 3日(日)19時21分5秒

> No.2820[元記事へ]

hirschkalbさんへのお返事です。

>
> 「的確な確率的直感」を養うためのブックガイドがあれば教えていただけますか?
> 『確率の理解を探る』(市川伸一著)あたりがよろしいんでしょうか。
>

『確率の理解を探る』は良書ですね。
 同じ著者の『考えることの科学』(中公新書)を先に読んでおくとさらに効果的でしょう。

 確率の中で最も難しいのが、観測選択効果を含む場合で、観測選択効果をめぐるいろいろな理屈を学ぶには
 ジョン・レスリー『世界の終焉』(青土社)
がお薦めです。この本は、いくつか怪しい説明が入っているために、読みながら考える余地が大きく、いっそう教訓的になっています。


 ……………………
 以下はまだらさんへ

 私の次の見解(幸いにもモノクロームさんの賛意を得た見解)

「物理的な力を想定することなしに、ただの統計によって説明できるならば、その方が経済的であり、オッカムの剃刀に合致しており、望ましい」

 をまだらさんはどう考えているのか、
 現実に統計的な波として解釈できている「粒子の波」をあえて「第5の力の(?)相互作用の産物」と考えるメリットがどこにあるのか、まだらさんはまだ説明してくれていません。
 科学史に範を求めるなら、
 「熱」という未知の力が分子の運動エネルギーの統計的現象として解釈できたり、
 「進化の生命力」という未知の生物エネルギーが自然選択の統計的プロセスとして解釈できたりと、
 「新しい力」を消去する経済思考の勝利が顕著です。



粒子の波は、位置で言うならば、各々の体積要素内に当の粒子が位置することになる諸世界の相対頻度の統計によって説明できます。

>
> わかりづらければ、「時間がゼロで位置の確定している世界」
> を単位にしても構いません。
> 世界を一つにまで分割すれば、不確定性原理は成り立たなくなるということです。
>

 これはますます意味がわかりませんね。
 「時間がゼロで位置の確定している世界」を単位にしてしまったら、そこでは動きがないわけですから、運動量は全く確定しなくなります。というより、無意味になります。
 あえて言えば、他のどの「単位世界」と組み合わせて考えるかを変えることによって運動量を任意に定めることができてしまい、やはり不確定性原理は成り立ちます。

 不確定性原理と、波動の収縮とは、根本的に意味合いが異なるのです。
 後者は、文字通りに認めてしまうと量子力学の法則を破ることになるので、なんとか説明あるいは再解釈の必要があります。


前者は、量子力学の法則そのものに組み込まれており、しかも「位置」「運動量」といった概念の論理にも整合しているので、あえて再解釈する必要がありません。


ところで 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月 3日(日)17時01分37秒

一般の時間発展U(t)をEXP(-iHt)という形で表わそうと思ったら
Hをエルミート行列、EXPを行列の指数関数とする必要がある。

Hの非対角成分が0という特殊な場合にのみ
SumioBabaの書いた表現が可能である。


SumioBabaの初歩的誤解 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月 3日(日)16時43分25秒

SumioBabaへの返事。

SB>  時刻t0の初期状態としてψ(t0)が、
SB>     ψ(t0)=a・ψ1+b・ψ2 [aとbは複素数、|a|^2+|b|^2=1]
SB> という重ね合わせであるとし、ψ1とψ2のエネルギー値をE1、E2とすると、
SB> 量子力学では、任意の時刻tにおける状態はこう表されます。
SB>     ψ(t)=a・{exp(-i・E1(t-t0)/(h/2π))}・ψ1
SB>        +b・{exp(-i・E2(t-t0)/(h/2π))}・ψ2
SB>        =c・ψ1+d・ψ2

   時刻0の初期状態をψとし、Eをエネルギー値としたとき
      ψ(t)=exp(-i・Et/(h/2π))ψ
   となるというのは、ψがシュレディンガー方程式の"定常解"
   の場合だろう。

   しかし、定常解だけ考えればOKと思ってるなら大間違いである。

SB> { }{ }の部分が時間推進演算子に対応しますが、これは複素平面内で
SB> 単位長さ1のベクトルがくるくる回転しているだけなので、aやbの位相
SB> (複素数の偏角)だけを変え、大きさを保ちます。つまり、
SB>     |a|=|c|、|b|=|d|

   それは「ユニタリだから」ではないが。
   ユニタリ変換のなかでも特殊なものにおいてしか成り立たない。
   しかも、一般の時間推進演算子はこのような定常的なもの
   だけではないので無意味である。

   一般のユニタリ行列Uの場合
      ψ(t)=(aU11+bU12)・ψ1
         +(aU21+bU22)・ψ2
   であって、|aU11+bU12|,|aU21+bU22|は、
   もはや|a|,|b|に等しいとは言えない。

SB> 従って、こう言えます。(以下略)
SB> 以上

そもそも
     ψ(t)=a・{exp(-i・E1(t-t0)/(h/2π))}・ψ1
        +b・{exp(-i・E2(t-t0)/(h/2π))}・ψ2
しかない、としたのが誤りなので、結論は誤っている。


Re: SumioBabaへ 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月 3日(日)13時20分9秒

> No.2823[元記事へ]

モノクロームさんへのお返事です。

三浦俊彦様(55)/SumioBaba(馬場純雄)
モノクローム様(4)/SumioBaba(馬場純雄)

 時刻t0の初期状態としてψ(t0)が、
    ψ(t0)=a・ψ1+b・ψ2 [aとbは複素数、|a|^2+|b|^2=1]
という重ね合わせであるとし、ψ1とψ2のエネルギー値をE1、E2とす
ると、量子力学では、任意の時刻tにおける状態はこう表されます。
    ψ(t)=a・{exp(-i・E1(t-t0)/(h/2π))}・ψ1
       +b・{exp(-i・E2(t-t0)/(h/2π))}・ψ2
       =c・ψ1+d・ψ2
{ }{ }の部分が時間推進演算子に対応しますが、これは複素平面内で
単位長さ1のベクトルがくるくる回転しているだけなので、aやbの位相
(複素数の偏角)だけを変え、大きさを保ちます。つまり、
    |a|=|c|、|b|=|d|
従って、こう言えます。
    時刻t0の初期状態ψ(t0)において、ψ1が確率|a|^2で、
    ψ2が確率|b|^2で重ね合わせられた、
        ψ(t0)=a・ψ1+b・ψ2 [|a|^2+|b|^2=1]
    であるなら、「ユニタリ性」を満たした時間発展後の任意
    の時刻tにおいて、ψ(t)は、ψ1が確率|a|^2で、ψ2が
    確率|b|^2で重ね合わられたままである。
        ψ(t)=c・ψ1+d・ψ2 [|c|^2+|d|^2=1]
    とするなら、
        |a|=|c|、|b|=|d|
    であり、もちろん、
        |a|^2=|c|^2、|b|^2=|d|^2
    が成り立つ。

以上

SumioBabaへ 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月 3日(日)09時37分59秒

> No.2822[元記事へ]

SumioBabaへ。

SB>  「ユニタリ性」について説明してある文献を挙げておきます。
SB>             「心は量子で語れるか」
SB>      著者=ロジャー・ペンローズ/訳者=中村和幸
SB>      講談社/1998
SB>  ペンローズは、「U過程」と「R過程」という言葉を使い分けます。
SB>  「U過程」とは、波動関数がシュレディンガー方程式に従って時間
SB> 発展する過程で、「ユニタリ性」を満たし「決定論的」で、波動関数
SB> の収縮が起こらない時間発展です。
SB>  「R過程」とは、波動関数が収縮を起こす過程で、多数の可能性の
SB> 中のどれに収縮するかは、確率が波動関数の重みの2乗に比例する
SB> ことだけは判っても、実際にどれになるのかは観測してみるまで
SB> 判らず、「非決定論的」な時間発展です。

数学では

U過程 関数vのノルム|v|が1なら、変換後の関数Uvのノルム|Uv|は1。
R過程 関数vが測定値を表わす基底v1,・・・,vnによってa1v1+・・・+anvnと
    表わされるとき、v1,・・・vnに対応する測定値が観測される確率
   はそれぞれ|a1|^2,・・・,|an|^2である。

と記述される。

SB>            【P94~95からの引用】
SB>  Uの重要な特性は、それが線形だという点である。このことは、
SB> 二つの状態がそれぞれ個々に変化すると、それに応じて二つの状態の
SB> 重ね合わせも同じように変化するが、重ね合わせに用いた複素数の
SB> 重み付け係数は時間に関して一定である、ということである。

ああ、なるほど。

「v=a1v1+・・・+anvn ならば、Uv=a1Uv1+・・・+anUvn」

といいたいわけか。

確かによく見れば、以前の文章も

SB> 時刻t0における初期状態がa|L>(t0)+b|R>(t0)であった場合[|a|^2+|b|^2=1]、
SB> その後の任意の時刻tにおける状態をc|L>(t)+d|R>(t)とすると[|c|^2+|d|^2=1]、

と書いてあって

「 時刻t0における初期状態がa|L>+b|R>であった場合[|a|^2+|b|^2=1]、
  その後の任意の時刻tにおける状態をc|L>+d|R>とすると[|c|^2+|d|^2=1]、」

とは書いてないから
(なぜ|L>、|R>ではなく|L>(t)、|R>(t)なのか全く説明がないが)

SB> |L>(t0)と|R>(t0)のミクロな差異が、
SB> |L>(t)と|R>(t)ではマクロな差異に拡大していても、
SB> |c|^2=|a|^2、|d|^2=|b|^2が成立します。

となるわけだ。
もちろん
「時間発展で、a|L>+b|R>がc|L>+d|R>となる」
とした場合には
「|c|^2=|a|^2、|d|^2=|b|^2 となる」
とは言えない。

し・か・し、これはユニタリ性ではなく線形性である。
ユニタリ変換は線形変換だが、逆は真ではない。

つまり、これを「ユニタリ性」というのは正しくない。

極端にいえば、R過程を、射影と考えた場合、線形変換だから

「v=a1v1+・・・+anvn ならば、Rv=a1Rv1+・・・+anRvn」

は保持される。
ただし、Rは、v1が観測される場合
Rv1=v1,Rv2=0,・・・,Rvn=0
となる、というだけのことだが。

つまり、

SB> この(R)過程で法則は変化し、あの線形的な重ね合わせは維持されなくなる。

という文中の「法則」が

「v=a1v1+・・・+anvn ならば、Rv=a1Rv1+・・・+anRvn」

を指すのなら、正しくない。

ユニタリ性の重要な点は
「v1,・・・,vnの変換後の像Uv1,・・・,Uvnが0ベクトルに潰れない」
だろう。

少なくとも引用した箇所だけでは、
ペンローズの説明はどこかおかしい
といわざるを得ない。


Re: SumioBabaへ(追伸) 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月 3日(日)08時45分45秒

> No.2821[元記事へ]

モノクロームさんへのお返事です。

三浦俊彦様(54)/SumioBaba(馬場純雄)
モノクローム様(3)/SumioBaba(馬場純雄)

 「ユニタリ性」について説明してある文献を挙げておきます。
            「心は量子で語れるか」
     著者=ロジャー・ペンローズ/訳者=中村和幸
     講談社/1998
 ペンローズは、「U過程」と「R過程」という言葉を使い分けます。
 「U過程」とは、波動関数がシュレディンガー方程式に従って時間
発展する過程で、「ユニタリ性」を満たし「決定論的」で、波動関数
の収縮が起こらない時間発展です。
 「R過程」とは、波動関数が収縮を起こす過程で、多数の可能性の
中のどれに収縮するかは、確率が波動関数の重みの2乗に比例す
ることだけは判っても、実際にどれになるのかは観測してみるまで
判らず、「非決定論的」な時間発展です。

           【P94~95からの引用です】
 ここまでは、私がUと呼んでいる法則があてはまる、量子レベルの
話であった。量子レベルでは、システムの状態は、とりうる全選択肢
を複素数で重み付けした重ね合わせで与えられる。量子状態の時間
(的)発展は、"ユニタリ発展(またはシュレディンガー発展)"と呼ばれ、
それが実際にUの表す内容なのである。
 Uの重要な特性は、それが線形だという点である。このことは、二つ
の状態がそれぞれ個々に変化すると、それに応じて二つの状態の
重ね合わせも同じように変化するが、重ね合わせに用いた複素数の
重み付け係数は時間に関して一定である、ということである。この線
形性が、シュレディンガー方程式の基本的な特徴であり、量子レベル
では、このような複素数で重み付けされた重ね合わせが、いつでも
保持される。
 しかしながら、何かを古典レベルへ拡大しようとすると、"法則"が
変化する。・・・。それは"波動関数の崩壊"とか"状態ベクトルの収
縮"と呼ばれている。この過程に対して、私はR(Reduction)という文
字を使用したい。Rは、ユニタリ発展とは全く異なるものである。二つ
の選択肢の重ね合わせにおいて、二つの複素数に着目し、それらを
2乗すると、・・・、これら2乗された係数のおのおのは、二つの選択肢
に対する確率の比となる。だがこのことは、”測定する”または”観測
する”ときにのみ起こり、・・・、この過程で法則は変化し、あの線形的
な重ね合わせは維持されなくなる。・・・。この非決定論はRと共に登
場する。Uレベルではすべてが決定論的であり、"測定"という行為を
するときにのみ、量子力学は非決定論的になる。//

以上


SumioBabaへ(追伸) 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月 2日(土)15時35分47秒

SB> 三浦さんは、「ユニタリ性」を理解されていないように感じます。
SB> ・・・「ユニタリ性」を正しく考慮すると、ミクロな差異として
SB> |L>と|R>が確率1/2ずつで重ね合わせになったのであれば、
SB> その差異がマクロに拡大しても、やはり|L>と|R>が確率1/2ずつの
SB> 重ね合わせです。

残念だが、ユニタリ性を誤解しているのはSumioBabaの方だといわざるを得ない。
ユニタリ性だけでは
「ミクロな差異として|L>と|R>が確率1/2ずつで重ね合わせになったのであれば、
 その差異がマクロに拡大しても、やはり|L>と|R>が確率1/2ずつの重ね合わせです。」
という結論が導けない。


Re: 来生への配慮と枯渇政策 投稿者:hirschkalb 投稿日:2011年 7月 2日(土)15時35分9秒

φさんへのお返事です。

ご回答いただきありがとうございます。
お返事と本とを注意深く読み直すことで、もやもやが晴れたように感じます。

(これまた読み違いだと冷や汗ものですけども、)こんな風に読み直しました。

a' 「来生への配慮をした自殺(p. 328)」
「私はとにかく自殺したいから他人の迷惑なんて頓着せずサッサと死にます」といった中途半端な利己主義風の態度は、実のところ横着しきれていない。本当に徹底的に利己主義に走りたい(横着したい)なら、むしろ他人に対する迷惑を考慮して 、自分の来生が良くなるように配慮するのが賢い。


b'「枯渇政策による生命の誕生(p. 320)」
枯渇政策を採ろうが節約政策を採ろうが、どのみちいずれの歴史においても、私たちはその政策によって生じる地球環境を経験することになるので(未来世代は他人ではなく私たちなので)、本当に徹底的に利己主義に走りたい(横着したい)なら、むしろ未来世代に対する迷惑を考慮して 、自分の来生が良くなるように配慮する(つまりは節約政策を採る)のが賢い。


>  というわけで、bについては常識的な節約政策支持、
> aについては「よほどひどい現生の場合は自殺が賢明」というのが私の述べたことなので、
> 互いに矛盾はしないと思うのですが、どうでしょう。

互いに矛盾はしていないと思いました。
はずかしながら、私はbの一節を「SIA的な人格同一性論を是とする立場ならば、」という括弧をはずして誤読してしまい、勝手に混乱していたようです。

胸のつかえがとれました!

p.339にあるような、「半端な納得」によって悪しき影響──ダークサイド──に堕ちないよう、本をもう一度おさらいしたいと思います。

※※※上とはぜんぜん関係ありませんが……もし「的確な確率的直感」を養うためのブックガイドがあれば教えていただけますか……? 『確率の理解を探る』(市川伸一著)あたりがよろしいんでしょうか。
http://d.hatena.ne.jp/hirschkalb/




SumioBabaへ 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月 2日(土)15時15分1秒

SB>Wikipediaの「ユニタリ作用素」「量子デコヒーレンス」あたりでも読んでみて下さい。
SB>1. U(U*)=(U*)U=Id
SB>2. 複素ヒルベルト空間上の線形作用素で、全単射かつ計量を変えないものをさす。
SB>3. ユニタリ演算子の固有値はすべて、絶対値が1の複素数となる。
SB>相互の関係を説明してあります。

それは知っているが、それらと肝心の

4.「波動方程式の因果関係」とは、「一度|L>と|R>が確率1/2ずつで
  重ね合わせ状態になると、それが周囲とどんな相互作用をしても、
  |L>と|R>が1/2の確率で重ね合わせのまま時間発展していく」

との関係はwikiでは書かれていないし、SumioBabaも全く説明していない。

SB> 量子力学では、時間推進演算子Uはユニタリ演算子です。
SB> 1個の素粒子が左のスリットを通った状態を|L>、
SB> 右のスリットを通った状態を|R>、ただし、周囲の環境も
SB> 含めるものとします。
SB> 時刻t0における初期状態がa|L>(t0)+b|R>(t0)であった場合[|a|^2+|b|^2=1]、
SB> その後の任意の時刻tにおける状態をc|L>(t)+d|R>(t)とすると[|c|^2+|d|^2=1]、
SB> |L>(t0)と|R>(t0)のミクロな差異が、
SB> |L>(t)と|R>(t)ではマクロな差異に拡大していても、
SB> |c|^2=|a|^2、|d|^2=|b|^2が成立します。

ユニタリ性は|a|^2+|b|^2=1、|c|^2+|d|^2=1というだけであって、
それだけでは |c|^2=|a|^2、|d|^2=|b|^2 とはいえないが。

ベクトルの回転変換は、単位ベクトルを単位ベクトルに変換するが、
ある単位ベクトルのx,y成分が1/2,1/2だということから、
回転変換後の単位ベクトルのx,y成分も1/2,1/2だといったら
高校の数学では確実に×がつけられる。
ユニタリ変換は、回転変換の一般化であり、
その結果が回転変換より制限されることは
論理的にありえない。


φへ 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月 2日(土)15時00分31秒

φ>まだらさんはどうも、「相互作用」にこだわっているようですが、

確かに、まだらのいう「相互作用」は全く無意味であり不必要である、と私も思う。

φ>粒子の「波」は、統計的な波であり、物理的な波ではありません。

φのいう「物理的」の意味が不明だが、量子論では波動関数は実体である。
観測結果を統計で説明する解釈のほうが、理論の外、という意味では
物理的ではないだろう。

φ>物理的な力を想定することなしに、ただの統計によって説明できるならば、
φ>その方が経済的であり、オッカムの剃刀に合致しており、望ましい考えとなります。

この件に関しては同意する。
つまり、
・理論と観測のギャップが、統計で埋められる。
・逆にギャップを埋めるのに、観測できない量を持ち出さざるを得ない。
限り、無意味な力を想定する必要はない。

つまり、(期待される)「決定論」が実際の予測に使えない限り必要ない。


Re: 実在全体では粒子の状態が確定している 投稿者:SumioBaba 投稿日:2011年 7月 2日(土)14時57分48秒

> No.2813[元記事へ]

φさんへのお返事です。

三浦俊彦様(53)/SumioBaba(馬場純雄)

>①
>http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2805
> 何か勘違いしてませんか?
>     私の心M1が住む世界W1において、LとRとを確率1/2
>     ずつで重ね合わせにし、私が「メタ情報」=「γと「Lか?
>     Rか?」の相関」を持たずにγだけ知覚しても、世界W1
>     においてLとRは、確率1/2ずつで重ね合わせのまま
>     である。
> と主張しているのは、「量子力学」ではなく[量子観念論仮説]ですよ。

> ↑
> どうも支離滅裂になってきましたね……。大丈夫ですか?
> 上の文章①と、以下の文章②③との関係を教えてください。
> 同じことを言っているのか、べつのことを言っているのか。
> ↓
>②
>http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2757
>私の心M1が住む世界W1における因果律は、
>M1がW1について持っている情報に物理法則を適用した範囲
>だけで成立するものです。M1がW1について情報を持たない領域の
>情報を得ようとする時、どれに決まるかは全くランダムです。それが
>量子力学です。
>③
>http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2803
>「波動方程式の因果関係」とは、「一度|L>と|R>が確率1/2ずつで
>重ね合わせ状態になると、それが周囲とどんな相互作用をしても、
>|L>と|R>が1/2の確率で重ね合わせのまま時間発展していく」
>ということですよ。いわゆる「ユニタリ性」です。つまり、「P(L|x)=
>P(R|x)=P(L)=P(R)=1/2」が保たれるというのが、「波動
>方程式の因果関係」ですよ。解ってますか? γは「Lか?Rか?」とは
>無
>相関なので、γを見ても、LとRは確率1/2ずつの重ね合わせのまま
>です。

①は、[量子観念論仮説]が主張している事の説明。
②は、[量子観念論仮説]が主張する私の心M1が住む世界W1に
  おける因果律について、量子力学を適用する場合の説明。
③は、[量子観念論仮説]が主張する私の心M1が住む世界W1に
  おける因果律について、量子力学による「波動方程式の因果
  関係」(ユニタリ性)を適用する場合の説明。
です。

 やはり三浦さんは、「ユニタリ性」を理解されていないように感じま
す。三浦さんのこれまでの説明は、こんな感じでした。
               【三浦さんの説明】
    自分が住む世界において、ミクロな差異であれば、多数
    の状態の重ね合わせになったり、それらが干渉すること
    も有る。しかし、ミクロな差異がマクロな差異に拡大する
    時、多数の状態の中の1つだけが統計的に「最頻値」と
    いう形で、ほぼ確率1で実現し、それ以外の状態は実質
    的に無視できる。だからマクロな物理現象は「決定論的」
    であり、ニュートン力学で十分に間に合う。
 私が反発しているのは、「最頻値」という表現に対してです。波動
関数がシュレディンガー方程式に従って時間発展する過程は、「ユニ
タリ性」を満たし、「決定論的」であって、波動関数の収縮は起こりま
せん(←これは、「量子力学」の内容です)。「ユニタリ性」を正しく考慮
すると、ミクロな差異として|L>と|R>が確率1/2ずつで重ね合わせに
なったのであれば、その差異がマクロに拡大しても、やはり|L>と|R>
が確率1/2ずつの重ね合わせです。だからこそ、観測した時になぜ、
(|L>+|R>)/√2→|L>、または、(|L>+|R>)/√2→|R>という波動関数の
収縮が起きるのか?という大問題が残っている訳です。
 三浦さんは、「最頻値」という言葉を使うことで、この決定的に重要
な謎を隠蔽してしまっているように感じます。

> 波動関数の収縮は、連続的な波動方程式が突如不連続的に
>特定値を取るという、量子力学にはないトッピング現象が起きてし
>まっているため、説明する必要があり、多世界解釈がそれをうまく
>やってのけるのです。収縮など起きていない、他の値も見えない
>だけでどこかで実現しているのだ、と。

 でもそれじゃ、
    (1)|生きた猫>
    (2)|死んだ猫>
は知覚できても、
    (3)(|生きた猫>+|死んだ猫>)/√2
    (4)(|生きた猫>-|死んだ猫>)/√2
を知覚できない理由が全く説明できません、って。


モノクローム様(2)/SumioBaba(馬場純雄)

>SB>「波動方程式の因果関係」とは、
>SB>「一度|L>と|R>が確率1/2ずつで重ね合わせ状態になると、
>SB> それが周囲とどんな相互作用をしても、
>SB> |L>と|R>が1/2の確率で重ね合わせのまま
>SB> 時間発展していく」
>SB>ということですよ。いわゆる「ユニタリ性」です。

>ユニタリ性を誤解しているのではないか?

>作用素Uがユニタリとは
>U(U*)=(U*)U=Id
>という意味だが、御存知か?
>(U*はUの共役作用素、Idは恒等作用素)

 Wikipediaの「ユニタリ作用素」「量子デコヒーレンス」あたりでも読ん
でみて下さい。
    U(U*)=(U*)U=Id
と、
    複素ヒルベルト空間上の線形作用素で、全単射かつ計量
    を変えないものをさす。
と、
    ユニタリ演算子の固有値はすべて、絶対値が1の複素数
    となる。
との関係を説明してあります。
 量子力学では、時間推進演算子Uはユニタリ演算子です。1個の素
粒子が左のスリットを通った状態を|L>、右のスリットを通った状態を|R>、
ただし、周囲の環境も含めるものとします。時刻t0における初期状態が
a|L>(t0)+b|R>(t0)であった場合[|a|^2+|b|^2=1]、その後の任意の時刻
tにおける状態をc|L>(t)+d|R>(t)とすると[|c|^2+|d|^2=1]、|L>(t0)と
|R>(t0)のミクロな差異が、|L>(t)と|R>(t)ではマクロな差異に拡大して
いても、|c|^2=|a|^2、|d|^2=|b|^2が成立します。

以上


「まだら発言」のφ解釈について 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月 2日(土)14時49分35秒

φ>まだらさんが言っているのはこういうことではないでしょうか。

φ>われわれの観測する一個の粒子は、実は多世界にまたがる多数の粒子であり、
φ>それらが相互にぶつかり合って波になっている。
φ>したがって、収縮したときには波の中の任意の位置に観測され、
φ>したがって、一個ずつの実験を総合していっても干渉縞が出来るのだ。

上記の解釈中「多世界にまたがる多数の粒子」は誤り。
正しくは「多世界にまたがる"一個"の粒子」である。

世界が変われば、粒子も別だ、と考えるのは多世界理論の誤解

多世界理論における世界の分岐は収縮によらない。
波としての性質は分岐によっても失われず干渉縞は損なわれない。

φ>これがまだらさんの言ってることだとすると、
φ>モノクロームさんのこの答えではまだらさんは納得しなさそうですね。

私はまだらの勝手な誤解そのものに納得しない。

φ>あるいは、モノクロームさんも一個の粒子が
φ>「多世界にまたがって「相互作用」することによる波」
φ>だ、と考えたりする?

多世界理論では、一個の粒子は「多世界にまたがった波」である。

「相互作用」?無意味な言葉は必要ない。


世界の同時性・異なる時間を持つ他世界 投稿者:まだら 投稿日:2011年 7月 2日(土)05時53分0秒

> No.2813[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> > 波というのはそもそも大量の粒子の振る舞いのことを指すと解釈するべきです。
> >
> > 大量の世界に大量の粒子が存在して影響し合っているのですから、そこに波の特性が顕れるのは何ら不思議なことではありません。
> >
> >
>
>  まだらさんはどうも、「相互作用」にこだわっているようですが、
>  粒子の「波」は、統計的な波であり、物理的な波ではありません。
>  物理的な力を想定することなしに、ただの統計によって説明できるならば、その方が経済的であり、オッカムの剃刀に合致しており、望ましい考えとなります。

粒子の波などというものは存在しないと解釈する方が経済的です。

そもそも光が粒子なのか波なのかで論争になった経緯を知っていれば、粒子の波などという特殊な解釈は無い方が好ましいとわかるはずです。

粒子の波が何故問題なのかと言えば、それは「波」の常識に外れているからです。

昔はエーテルが存在すると考えられていました。もしそうだったら何の問題もなかったのです。

ところがエーテルはなかった。にもかかわらず光には波の性質が現われる。

それで仕方なく光は波でもあり粒子でもあるなどという不思議な説明が付けられることになったのです。

多くの粒子が関与しているのであれば、波の性質が現われることは何の不思議もありません。


>  私の解釈と言うより、物理学者はほぼ全員そう考えていると思います。不確定性原理の「不確定」は、多世界にバラして確定の集合にすることは出来ない、と。
>
>  波動関数の収縮は、連続的な波動方程式が突如不連続的に特定値を取るという、量子力学にはないトッピング現象が起きてしまっているため、説明する必要があり、多世界解釈がそれをうまくやってのけるのです。収縮など起きていない、他の値も見えないだけでどこかで実現しているのだ、と。
>
>  他方、不確定性原理の方は、量子力学の中で定量化されており、それに反した現象が観測されるわけではありません。
>  しかも、位置を確定するためには時間をゼロにしなければならないが、運動量を確定するにはゼロでない有限の時間をとってその間の移動距離・方向を確定させねばならない。しかし前者の条件を満たすと、後者の距離/時間が0/0となってしまい不定となる。
>  素人的に言うとこんな感じですが、この理屈は必然的であり、「位置」「運動量」の論理そのものに食い込んでおり、よって、不確定性関係とは、ただひとつの世界をとっても成り立たざるをえない両立不能関係であると言えます。

それは一つの世界まで分割されていないからです。

φ様は「私の観察する世界」と「友人の観察する世界」の分離(異なる世界である)を認めていません。

「我々の住む世界」にまで分割したところで、それは多世界の融合したものであり、一つの世界ではないのです。


多世界という場合、世界とはどのような単位なのかを考えなければいけません。

φ様が自分で言っているように「時間をゼロにしなければ位置を確定させることができない」のです。
何故時間をゼロにしないと位置を確定させることができないのかと言えば、他の世界(時間)と干渉してしまうからです。

この場合世界というのは、「同時性が成り立つ範囲」のことです。同時性が成り立つ範囲では、不確定性原理は成り立ちません。異なる時間と影響しあうことによって確定しなくなっているだけです。

位置と運動量の双方を確定させることができないのは、我々が観察している世界が「複数の世界の融合したもの」(複数の時間が干渉した結果)だからです。


わかりづらければ、「時間がゼロで位置の確定している世界」を単位にしても構いません。

世界を一つにまで分割すれば、不確定性原理は成り立たなくなるということです。


Re: 来生への配慮と枯渇政策 投稿者:φ 投稿日:2011年 7月 2日(土)01時43分31秒

> No.2807[元記事へ]

hirschkalbさんへのお返事です。


『多宇宙と輪廻転生』、楽しんでいただけてうれしいです。

>
> 「来生への配慮をした自殺(p. 328──a)と
> 枯渇政策による生命の誕生(p. 320──b)」についてです。
>

>
> どうもaとbが同時に正しいと言えない
> ような気がしているのですが、
> もし読み違いをご指摘いただければうれしいです。
>

 「来生への配慮をした自殺(p. 328)」については、私がその周辺で述べた考えは、「よい自殺もあれば、悪い自殺もある」ということでした。
 安易な自殺が増えては他人に迷惑がかかりうるし、社会はおそらく悪くなり、よって自分の来生も悪くなる可能性が高いでしょう。
 しかし、熟慮の上での自殺だけになれば、自殺増には繋がらず、自分の来生も(現生より)良くなる可能性が高いと思われます。

 「枯渇政策による生命の誕生(p. 320)」については、私がその周辺で述べた考えは、「非同一性問題」は輪廻転生観のもとでは問題にならない、ということでした。
 つまりこういうことでした。「どの人も繰り返し生まれてくる、すなわち、具体的個人は異なっても、主体そのものはみな同じメンバーが生まれてくるので、未来世代を幸福にする政策の方が、わが身のためになる」ということでした。
 普通の功利主義が、利己主義と矛盾せずに、回復できるわけです。利己的な人は、来生を快適に過ごしたければ、節約政策を採るべきなのです。

 というわけで、bについては常識的な節約政策支持、aについては「よほどひどい現生の場合は自殺が賢明」というのが私の述べたことなので、互いに矛盾はしないと思うのですが、どうでしょう。


Re: 実在全体では粒子の状態が確定している 投稿者:φ 投稿日:2011年 7月 2日(土)01時40分58秒

> No.2806[元記事へ]

まだらさんへのお返事です。

>
> 波というのはそもそも大量の粒子の振る舞いのことを指すと解釈するべきです。
>
> 大量の世界に大量の粒子が存在して影響し合っているのですから、そこに波の特性が顕れるのは何ら不思議なことではありません。
>
>

 まだらさんはどうも、「相互作用」にこだわっているようですが、
 粒子の「波」は、統計的な波であり、物理的な波ではありません。
 物理的な力を想定することなしに、ただの統計によって説明できるならば、その方が経済的であり、オッカムの剃刀に合致しており、望ましい考えとなります。

>
> φ様の解釈だと、多世界解釈であるにも関わらず不確定性原理が適用されるのですね。
>
> 多世界解釈であれば、個別の粒子の状態は確定していると解釈することが可能なはずですが、その利点を捨てる理由がよくわかりません。
>

 私の解釈と言うより、物理学者はほぼ全員そう考えていると思います。不確定性原理の「不確定」は、多世界にバラして確定の集合にすることは出来ない、と。

 波動関数の収縮は、連続的な波動方程式が突如不連続的に特定値を取るという、量子力学にはないトッピング現象が起きてしまっているため、説明する必要があり、多世界解釈がそれをうまくやってのけるのです。収縮など起きていない、他の値も見えないだけでどこかで実現しているのだ、と。

 他方、不確定性原理の方は、量子力学の中で定量化されており、それに反した現象が観測されるわけではありません。
 しかも、位置を確定するためには時間をゼロにしなければならないが、運動量を確定するにはゼロでない有限の時間をとってその間の移動距離・方向を確定させねばならない。しかし前者の条件を満たすと、後者の距離/時間が0/0となってしまい不定となる。
 素人的に言うとこんな感じですが、この理屈は必然的であり、「位置」「運動量」の論理そのものに食い込んでおり、よって、不確定性関係とは、ただひとつの世界をとっても成り立たざるをえない両立不能関係であると言えます。

 よって、べつに「波」を一切消去することが多世界解釈の目的であるわけではなく、量子力学の論理が理論どおりに実現されるようにすることが目的なので、それができる世界の集合を考えればよいのではないでしょうか。
 つまり、波動関数の収縮は多世界ごとにバラして消去し、不確定性原理はそのまま認めるという形で。

 …………

 以下は馬場さんへ



http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2805
>  何か勘違いしてませんか?
>     私の心M1が住む世界W1において、LとRとを確率1/2
>     ずつで重ね合わせにし、私が「メタ情報」=「γと「Lか?
>     Rか?」の相関」を持たずにγだけ知覚しても、世界W1
>     においてLとRは、確率1/2ずつで重ね合わせのまま
>     である。
> と主張しているのは、「量子力学」ではなく[量子観念論仮説]ですよ。
>

 ↑
 どうも支離滅裂になってきましたね……。大丈夫ですか?
 上の文章①と、以下の文章②③との関係を教えてください。
 同じことを言っているのか、べつのことを言っているのか。




http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2757
私の心M1が住む世界W1における因果律は、
M1がW1について持っている情報に物理法則を適用した範囲
だけで成立するものです。M1がW1について情報を持たない領域の
情報を得ようとする時、どれに決まるかは全くランダムです。それが
量子力学です。

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2803
「波動方程式の因果関係」とは、「一度|L>と|R>が確率1/2
ずつで重ね合わせ状態になると、それが周囲とどんな相互作用をし
ても、|L>と|R>が1/2の確率で重ね合わせのまま時間発展していく」
ということですよ。いわゆる「ユニタリ性」です。つまり、「P(L|x)=
P(R|x)=P(L)=P(R)=1/2」が保たれるというのが、「波動方
程式の因果関係」ですよ。解ってますか? γは「Lか?Rか?」とは無
相関なので、γを見ても、LとRは確率1/2ずつの重ね合わせのまま
です。


Re: まだらへ 投稿者:φ 投稿日:2011年 7月 2日(土)01時34分27秒

> No.2810[元記事へ]

モノクロームさんへのお返事です。

>
> まだらの説は、量子力学とはおそらく相容れない。
>
> 二重スリットの干渉縞は、1個の粒子による実験の結果から生じる。
> 多数だから、ではない。1個に波の特性がなければ干渉縞はできない。
>

 まだらさんが言っているのはこういうことではないでしょうか。
 われわれの観測する一個の粒子は、実は多世界にまたがる多数の粒子であり、それらが相互にぶつかり合って波になっている。したがって、収縮したときには波の中の任意の位置に観測され、したがって、一個ずつの実験を総合していっても干渉縞が出来るのだ。

 これがまだらさんの言ってることだとすると、モノクロームさんのこの答えではまだらさんは納得しなさそうですね。
 あるいは、モノクロームさんも一個の粒子が「多世界にまたがって「相互作用」することによる波」だ、と考えたりする?


位置と運動量が同時に確定できない理由 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月 1日(金)16時44分39秒

φ> 位置と運動量を同時に確定した形で有する「粒子」は、
φ> 世界を究極まで分岐させてひとつだけにしても、
φ> そういうどの世界にも存在できません。

ぶっちゃけていえば、
位置の固有ベクトルを(1)(2)
運動量の固有ベクトルを(3)(4)
としたとき
    (1)=((3)+(4))/√2
    (2)=((3)-(4))/√2
    (3)=((1)+(2))/√2
    (4)=((1)-(2))/√2
のような関係になっているから、だな。


まだらへ 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月 1日(金)16時39分30秒

まだら>波というのはそもそも大量の粒子の振る舞いのことを指すと解釈するべきです。
まだら>私の説では、「単独の粒子には波の特性は存在しない」という解釈になっています。
まだら>多世界における大量の粒子だから波の特性が存在するということです。

まだらの説は、量子力学とはおそらく相容れない。

二重スリットの干渉縞は、1個の粒子による実験の結果から生じる。

多数だから、ではない。1個に波の特性がなければ干渉縞はできない。


SumioBabaへ 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月 1日(金)16時31分36秒

SB>「波動方程式の因果関係」とは、
SB>「一度|L>と|R>が確率1/2ずつで重ね合わせ状態になると、
SB> それが周囲とどんな相互作用をしても、
SB> |L>と|R>が1/2の確率で重ね合わせのまま
SB> 時間発展していく」
SB>ということですよ。いわゆる「ユニタリ性」です。

ユニタリ性を誤解しているのではないか?

作用素Uがユニタリとは
U(U*)=(U*)U=Id
という意味だが、御存知か?
(U*はUの共役作用素、Idは恒等作用素)


φへ 投稿者:モノクローム 投稿日:2011年 7月 1日(金)16時22分46秒

>> 「最頻値」の確率がいかほど1に近づいても1には一致しないのであれば、
>> 「決定」とは異なるというのが、私の考えである。

φ> もちろんそのとおりです。
φ> が、あまりに確率(世界の頻度の比率)が0、1に偏っている場合は、
φ> 実質、重ね合わせは消えたと言いますね。

φのいう「実質」は、意識上での観測結果の一意的な選択とは無関係かと思われる。

量子力学だけでは、観測結果が一意的に選択されることを説明しない。

しかし、SumioBabaやまだらのように
「量子力学+αによって、観測結果の一意的な選択を説明する必要がある」
とは私は考えないが。
(説明できたほうが嬉しい、とは思うが)


来生への配慮と枯渇政策 投稿者:hirschkalb 投稿日:2011年 7月 1日(金)15時53分4秒

※ 以下は最初、訪問帳に書いていたのですが「訪問帳にしては長すぎたかな」と反省していたところちょうどよく(?)訪問帳には反映されていなかったので、こちらの掲示板に書くことにしました。

※※ 現行の話題の腰をポッキリ折るかのように関連のない話題かもですが、ご容赦ください。

はじめまして。『多宇宙と輪廻転生』を読みました。

勿体をつけず序章で早々に輪廻転生を証明してしまうタメのなさに、思わずニヤニヤしながら読み進めてしまいました。ひさびさに読書の愉しさを実感できました。

とはいっても、いまひとつ胸のつかえが取れない部分もありました。ひとつだけ、もやもやした箇所を提示させてください。
「来生への配慮をした自殺(p. 328──a)と枯渇政策による生命の誕生(p. 320──b)」についてです。私は、

aを「いい加減な理由でxが自殺すれば、他者の不利益が増し、その悪影響はやがて自身xの来生に及ぶ」
bを「枯渇政策を採ったがゆえにxは生まれた。だからxは『なぜ節約政策を採らなかった!』などといった文句は言えない」

と読みました。

しかし、b.xにとって、潜伏期のようなものは存在しない前提(p. 304)なので、どうしたって──枯渇政策を採ろうが節約政策を採ろうが別の政策を採ろうが──b.xは生まれていたはず……。だから、xの「どうせ生まれるならいい環境に転生したかったもんだ」という文句はあってよいと思われました。

一方で、bを正しいとすると、a.xはことさら他者の不利益など鑑みることなく、思い立ったが命日で直ちに自殺してかまわないように思えてしまいます。というのは、bに照らし合わせれば、a.xが適当な理由で自殺し、そのことにより他者の不利益が増し、やがて環境eに悪影響が及んだところで、それゆえにこそxはeの下に再び生を受けられたのだから文句は言えない。

といった感じで、どうもaとbが同時に正しいと言えないような気がしているのですが、もし読み違いをご指摘いただければうれしいです。
http://d.hatena.ne.jp/hirschkalb/