< 三浦俊彦による書評:大江健三郎『二百年の子供』(三浦俊彦の時空)
      

三浦俊彦による書評

★ 大江健三郎『二百年の子供』(中央公論新社)

* 出典:『読売新聞』2003年12月21日掲載 <


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 大人に負けないという自信はなかなか持てないでしょう? ところが、心からねがうということなら、子供は大人よりすぐれているわ。あなたたちも子供である以上、その能力を活用しない手はないよ!
 ちょうど中央の頁で語られるアサ叔母さんのこの素晴らしい科白に励まされるまでもなく、夏休み中の「三人組」は、江戸末期の農民の逃散に立会い、明治初期の女子留学生をアメリカに訪れ、近未来の管理社会で知事と会見する。四国の森のシイの木のうろ=タイムマシンに寝泊りして、心からねがう時空へ移動するのだ。
 ねがいの原動力は、土地の言い伝えと、三人それぞれの「好きな言葉」。「あんぜん」「けなげ」「むいみ」ときには「すてご」「元気をだして死んでください!」といった異言語へ変形され断片化される「好きな言葉」の輝かしい飛沫が、三人の冒険と自意識を縁取ってゆく。
 細かなモチーフの反復が楽しい。森全体を包む海鳴りのような音、生まれながら異世界に住む長兄と犬との交感、末弟の「にらむ目」、視点をになう長女の、弟への微妙なコンプレックス、過去を変えるべからずという「タイムマシンの約束」、共通の夢を見ただけという解釈への覚醒の予感、石笛とクラシック音楽、これらすべてが「新しい人」のイメージへ流れ込む。いささか不穏な小事件がこの流れを促しあるいはせき止める干渉ぶりも妙味だ。地元高校生相手の流血沙汰と地元教師の猥褻疑惑が交錯し、長兄のてんかん発作とアメリカ滞在中の父のうつ病が共鳴する。「タイムマシンの約束」はいつしか「歴史を変えてもかまわない、言い伝えが新たに発見されるだけだから」という形に自由に変化し、「人生の計画」へ膨らんでゆく。
 「夢を見る人」らの「一族再会」を描くこの叙事詩はまた同時に、大きな著者の名と背景をひととき忘れて無心に味わわれるべき、すがすがしい小ファンタジーである。

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