三浦俊彦による書評

デヴィッド・エドモンズ&ジョン・エーディナウ『ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い一〇分間の大激論の謎』(筑摩書房)

* 出典:『読売新聞』2003年3月16日掲載


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 「藪の中・哲学バージョン」と言うべきか。カール・ポパーとルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインという、二十世紀哲学者列伝でも超ヘビー級のユダヤ人二人が、第二次大戦直後のケンブリッジの密室で生涯ただ一度対面したとき、本当は何が起こったのだろう。
 英国デビューの招待講演者ポパーの言葉を議長ウィトゲンシュタインが遮り、激しい応酬、興奮したウィトゲンシュタインが暖炉の火かき棒を振り回し、ポパーの痛烈な皮肉を浴びて部屋を飛び出していった――約三十人の聴衆で込みあった室内の出来事を、ポパーの自伝から再現するとこうなる。だが、現場に居並んでいたウィトゲンシュタインの弟子たちは、ポパーは嘘を書いていると非難しているのだ。いったい真相は? 謎解きドラマさながら、食い違う何通りもの証言が突き合わされていく。
 ポパーが打倒ウィトゲンシュタインに燃えていたこと、ウィトゲンシュタインが火かき棒を手にし、一同が危険を感じたことは事実らしい。そして彼が出て行ったのは、ラッセルに叱られたからというのが真相のようだ。そう、二人の哲学的父と言うべきバートランド・ラッセルが同席していたことが、対決に近親憎悪的彩りを添えていたのを著者は見逃さない。ラッセル宛てのポパーの手紙にもとづく「父が弟カールに兄ルートヴィヒ殺しを命じていた」的憶測まで論議されているあたり、まったく、現代哲学ファンが泣いて喜ぶミステリー仕立てなのだ。
 しかし本書の大部分は、ナチスにウィーンを追われた二人の対照的な境遇の描写に費やされている。両者の正反対の哲学観が、ナチスに滅ぼされた論理実証主義運動を対称軸としてどんな鏡像を描きあっていたか。二重の評伝、異色の現代社会史がこれほどいきいきと描かれえたのも、ほんのひと時の火かき棒事件の閃光あってこそに違いない。
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