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(アドホック・エッセイ)目次

アドホック・エッセイ & 備忘録(2007年11月17日)

「福田恆存氏によるラッセル批判について」

 私が知る限り、福田恆存氏(福田恒存/ふくだ・つねあり/通称:ふくだ・こうそん:1912~1983/翻訳家、劇作家、評論家)は、ラッセルを批判する評論を2つ書いている。一つは『紳士読本』(1961年6月創刊)の1961年11月号に掲載された「現代の悪魔-B.ラッセルの反核運動について」であり、もう1つは『自由』1962年2月号に掲載された「自由と平和(ラッセル批判)」である。こんなに旧い論文(評論)をいまさらとりあげることもないように思われるかもしれないが、福田氏には一部熱心なファンがいて、福田氏に関するホームページもあることから、紹介しておきたい。
 https://www4.zero.ad.jp/doi/ (福田恆存記念会)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E7%94%B0%E6%81%86%E5%AD%98


 理論的に突っ込んだラッセル批判は「自由と平和」のほうであり、「現代の悪魔」の方は理論的には余りみるべきものはない。ただし、「現代の悪魔」から見ていくほうが、福田氏によるラッセル批判を理解しやすいと思われるので、順番に紹介しよう。

1.「現代の悪魔-B.ラッセルの反核運動について」
  (単行本で8ページほどの分量)

 福田恆存氏は、このエッセイを書いた時には、ラッセルの著書は余り読んでいなかったと想像される。福田氏のラッセルに関する情報源は、内外の新聞に掲載されたラッセル関係記事、総合雑誌に掲載されたラッセルの論文の邦訳やラッセルに関する論文、(ラッセルの平和運動や反核デモなどに関する)テレビのニュース報道、D.H.ロレンスによるラッセル批判(注:福田氏はD.H.ロレンスの強い影響を受けており、邦訳もある。)が主なものだと思われる。そう思われるのは、以下のような発言(記述)である。(ページ数は、『現代の悪魔』(新潮社、1962年5月刊)より/旧かなづかいは新かなづかいにしてあります。)

(p.34)私は前々からラッセルの合理主義哲学とそのユートピア思想を好まなかったが、それにしても右の声明(松下注:1961年10月に反核デモのために1週間の禁固刑を受けた時のラッセルの声明)に窺える最近の彼の言動は、全く理解に苦しむというほかない。科学者や労働者に核兵器製造に関する仕事を拒否するように呼びかけるというが、どうしてそのような事ができるのか。なるほど呼びかける事は自由であり可能である。・・・。しかしそういう自由は、欧米自由主義陣営特有のものであって、ソ連を中心とする全体主義陣営の諸国には許されていない。ラッセルはその事実を忘れているか、それとも故意に見逃しているか、どちらかであろう。
 ラッセルは反共主義者として有名であるが、核時代における戦争と平和の問題に関しては西も東もなく是々非々主義にたっている。そのことを理解していればこのような言い方はしないであろう。

(p.35)ラッセルに限らない、核爆発というものを「現代の悪魔」と見なし、その実験、製造、使用に反対する人たちは、何を考えているのか。どうしようというのか。
(p.38)ラッセルの声明の中で、もう一つ解らない事がある。「ほんの一寸した誤算からでも核戦争は起こりうる」と彼は言う。そのとおりだと思う。だが、彼もまたその合理主義のゆえに人間の精神というものを誤算している。地上の核兵器をすべて廃棄し、対立する両陣営が今後その製造を行いさえしなければ、それで彼の言う「誤算」が生じないと考えるところに、彼の犯している「誤算」がある。彼はあたかも局地戦争として始めた戦争はその約束どおり進行して、世界戦争にならぬものと考えているかのようである。
 このあたりの批判を読むと、ラッセルの社会思想や平和論関係の著書を福田氏はほとんど読んでいないということがわかる。ラッセルは第二次世界大戦終戦直後から世界政府運動を開始しており、世界(連邦)政府による主要兵器の独占は世界平和に必要不可欠の条件だと主張している(また世界史の教科書も各国で作るのではなく、国際編纂委員会で作るべきだと主張) また、核兵器が世界中に拡散した世界においては、局地戦争が核戦争に発展する可能性があるから、戦争そのものをこの地上からなくさないといけないとラッセルは何度も主張しており、ラッセルの平和思想に関心を持っている者にとっては周知のことである。

(p.40)一体、人類の滅亡などという事は、私達人類の思考の対象になりうるものかどうか考えてみるがよい。民衆が原水爆の恐ろしさに反応を示さないのは、科学的無知のためにそれを知らぬからではない。ひょっとすると明日にも全人類が死滅するかもしれない、彼らはそのくらいの事は考えるであろう。が、全人類の滅亡という事は私達の経験を超えるものであり、私達はそれを想像しえぬのみか、たとえそれについて一片の白日夢を描きえたにしても、それは私達をいかなる行動にも駆りやらぬ。これほど不毛の思想はない。
 現代(2007年)においてはこのような批判をする人は多くはないだろう。ラッセルの優れたところの一つは、異なる時代や異なる文化・人種に対する感情移入能力(共感能力)であり、そのラッセルの資質・能力は、アインシュタインも賞賛を惜しまなかったものである。第二次世界大戦後に一般の人々の考え方が激変したものがいろいろあるが、宇宙や地球に対する考え方や感じ方も大きく変わってきている。ラッセルは時代を先取りをしており、何十年後もたってから時代がラッセルに追いついてきたと言える。
 「現代の悪魔」についてはこれぐらいでいいだろう。多分、これを書いた後、批判を受けたり、シドニー・フックのラッセル批判を読んで勉強したのであろう。「自由と平和-ラッセル批判」では、もう少し理論武装をして、ラッセル批判を行っている。

2.「自由と平和-ラッセル批判」」
  (単行本で24ページほどの長い論文)

 福田氏は、ラッセル批判を次の言葉で始めている。少し長いが以下引用する。

「私は、バートランド・ラッセル及びその核武装反対運動に対する批判を行おうと思うのだが、私の「攻撃」目標はラッセルその人にもなければ、平和運動そのものにもない。この場合、「攻撃」という言葉さえ適当ではあるまい。なぜなら、彼のうちには何にせよ「攻撃」しなければならなぬ実体は何もないからである。その事実だけは明らかにしておかねばならない。問題はさらにその先にある。つまり、虚無であるのに、というより、虚無なるがゆえに、それが人の心を引き付けるという事だ。しかも、それは虚無思想として人の前に現れはしない。虚無思想が素面で知識階級を誘惑した時代は第一次大戦後の事であり、あるいは今世紀の始め頃の事である。が、ラッセルの虚無思想は輝かしい希望と叡智の仮面を被って現れるばかりでなく、ラッセル自身、その倒錯に気づいていない。ラッセルその人はいなくなっても、希望の合理化希望の見取り図に見えるという精神的倒錯は、容易に止むものと思われぬ。それこそ現代の病理であるからだ。」
 この論文(24ページの長文)も、福田氏がラッセルの著書や論文をいろいろ読んだ上でまとめたものではないようである。
 福田氏は、ラッセルの平和思想・運動に疑念を持つ人が時々とりあげる(福田氏が言うところの)ラッセルの戦争観の「変節」について述べている。理論的な部分はシドニー・フックの論文等からの受け売りの可能性が大きいが、福田氏は、ラッセルは以下のように4度戦争観を変えたと指摘している。
(第1次大戦前までは論理学や哲学の研究者・真理の探求者としての性格が強かった。)
第1回目の変節回心を経て、第一次世界大戦における反戦運動に全身全霊をつくす。
(参考:梅「ラッセル思想紹介漫画」

第2回目の変節:1946年に「原爆と戦争防止」という論文を発表して、今度(世界)大戦が起これば、全人類の危険は避けられぬと説き、生き残る唯一の手段は、見せかけの贋物に過ぎぬ現在の国連を廃し、真の「国際政府」を樹立して、原爆、その製造機構、空軍、戦艦等の所有をそれ(国際政府)にのみ許す事によって世界平和を守らねばならぬと主張

第3回目の変節:1948年ソ連に予防戦争を仕掛け、原子兵器を用いて叩けと叫んでいる。(→ラッセルの弁明

第4回目の変節:1957年に西側(あるいは英国)の一方的軍縮を主張、その後急進化し、CND(核武装反対同盟)や百人委員会が結成され、さかんに反核デモを行う。

 ラッセルは長生きし、様々な発言をしており、自分が間違っていると思った時にはすぐに公言し、自分の考え方を躊躇なく変えているので、外から眺めると思想をめまぐるしく変えた(変節)したように見える。だが、基本的な考え方は余り変わっておらず、戦争と平和に対する考え方も変わっていない。ラッセルは自分は(理論上の)絶対平和主義者であったことはないと何度か言っている。しかし、1953年のビキニ環礁における水爆実験の後は、「実質的な」絶対平和主義者であるかのごとく、行動している。
 1957年のラッセルによる西側に一方的軍縮の主張を受けて、翌年、シドニー・フックは、New Leader 誌に、ラッセルの主張は西側を共産主義に対する全面的降伏あるいは戦争かの二者択一に追い込んでしまう、とラッセルを批判している。これに対し、ラッセルも反論を載せている。(ラッセル「平和?そして自由?」:『自由』1961年11月号)
 また、E.テラーとB.ラッセルとのテレビ討論に触発されて、シドニー・フックはまたラッセルの批判を再び行っている。
 ここでは紹介だけであるので、これ以上深入りしないが、福田氏の「ラッセルの思想と行動との致命的な断絶」という誤解について最後にふれておきたい。
 (p.16)(注:ここで執筆をやめてしまいました。また別の機会にします。)