土田杏村「ラッセル氏はギルヅメンか」
* 出典:『文化』v.3,n.2(1921年2月号)pp.52-54+* 土田杏村(つちだ・きょうそん:1891~1934): 評論家/1918年、京大文卒。
(6)北窓抄録-読書雑感-
バアトランド・ラッセル氏をギルヅメン(Guildsman: ギルド社会主義の信奉者)の一人であると言ってもよいだろうか。ギルド社会主義(用語解説)の名称は,可成りに生硬なものである。単に学問的に見ないで,実際運動上の一主張として考えてさえそうであるから,況や(いわんや)学問的には其の語は非常に生硬に聞えて居る。コール氏(松下注:G.D.H.コール,1889-1959)の如きでさえ,ホブソン氏の所説に賛成する様になってからも,其の名を嫌って長い間自らをギルヅマンとは呼ばなかったといって居る。*1 ラッセル氏が自らをギルヅマンと読んだかどうかは大分疑問になろう。
併しラッセル氏は単に其れだけの関係を此の主義に持って居るものでは無い。ラッセル氏は正しくギルヅマンである。--其の事は,公然とラッセル氏によって公言せられて居る。
国民的ギルヅ連盟の宣伝機関(誌)として刊行せられて居る雑誌『ギルヅマン』*2の一九一九年九月号(The Guildsman, n33: Sep 1919)を見ると,其れにはラッセル氏が『何故に余はギルヅマンであるか』(Why I am a Guildman.)という題で書いて居る。即ち彼は,全くギルヅマンなのである。彼はギルド社会が資本主義に反対し戦争を拒否し,集中国家と解体的無政府状態との両極端を避けて居り,各人の自由と其の発言権とを増大するなどの理由を挙げて,其の「何故に」の疑問に答えて居る。
*1 コールが自らをギルヅマンと呼んだのには一九一四年の始めの事である。這般の消息は,彼の著『産業に於ける混沌と秩序』に明らかにせられて居る。『文化』第2巻第4号p.146に其の事を詳記して置いた。(参考:服部平治「ラッセルとコールの場合」)
*2 雑誌『ギルヅマン』は,今や国民的ギルヅ連盟の機関誌であるが,一九一六年創刊の時は,此の連盟のグラスゴー支社によって創められたものである。今では倫敦(ロンドン)の同連盟から刊行せられて居る。
以下はレーニンに関するものなので割愛。