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野村博「『ラッセルの社会思想』へのあとがき」

* 出典:野村博(著)『ラッセルの社会思想』(法律文化社,1974.9. 206p. 22cm. 箱入)
* 野村博氏略歴

あとがき(1974.4.29)

 哲学が事物の根底を問う無前提の学として徹底的な懐疑精神の顕現であり、思想が「いかに生きるべきか」に答えようとする知的体系として当然実践活動に具体化されるべきものであるならば、バートランド・ラッセルこそまさに哲学者・思想家の名にふさわしい人である。
 徹底的な懐疑精神は、いっさいの信条や権威を拒否する。証拠を見つけだすことができない事物に対する信念は、迷信として人類の福祉を阻害する障害物であるが、証拠の存在する信念にしても新たな証拠の発見によってたえず変容されつづける相対物なのである。絶対確実性と人類の福祉を求めたラッセルがこのように絶対確実性を否認したのは、科学的知性・実験的精神・自由主義的寛容に対する彼の情熱的な賛美と奨励を示すものにほかならない。
 しかし、絶対確実性の否認が人をしていたずらに行動を躊躇逡巡させるような机上の知性人やニヒリストの正当性の根拠になってはならない。自由主義的な科学的知性による思索が、よりよき人生を生きる活力素であるべきならば、絶対確実性の否認は何かによって揚棄されなければならないだろう。それがラッセルにおいて人間の有限性・宇宙塵(宇宙人)的存在性の自覚にほかならない。宇宙における人間の地位の自覚が、ラッセルをして共存可能の創造的な欲望や衝動を充足させるべく1回限りの人生を力づよく勇敢に生きさせる発条となっていたのである。
 相対性の自覚(絶対性の拒否)だけでは人を空虚にするし、有限性の自覚だけでは人を恣意に駆りたてる。相対性と有限性の調和のとれた自覚こそ、人を謙虚にしかも勇敢に行動する知性人とするものであろう。このような意味において、ラッセルこそ真実の行動の知性人にほかならない。私はラッセルの偉大さをここに見いだすのである。

 ささやかなこの小著の第1章から第3章の論文は、もともと仏教大学の人文学論集第6号・第7号および研究紀要第58号にそれぞれ別個の独立した論文として発表したものであり、また、「付論」として付け加えた『ハロルド・ラスキにおける法と倫理』は、同じく仏教大学の研究紀要第56号に、『D.G.リッチーの自然権論』は第57号に、それぞれ掲載されたものであるが、一書にまとめるにあたって字句や表現および内容の一部分に少々手を加えた。
 本書を出版するに際しては、法律文化社編集部の工藤孝司氏にひとかたならぬお世話になった。ここに記して厚く御礼を申しあげる。
 1974年4月29日