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江戸川乱歩「バートランド・ラッセル」

* 出典:『宝石』1951年6月号掲載
* 再録:『幻影城通信』(講談社,1988年6月刊/江戸川乱歩推理文庫n.62)pp.319-320.

* 江戸川乱歩(本名:平井太郎 1894.10.21~1965.07.28):三重県生れ、3歳より名古屋に移る。早稲田大学政経学部在学中より習作・翻訳を試みる。1923年、『新青年』に掲載された「二銭銅貨」でデビュー。日本推理作家協会初代理事長。昭和29年江戸川乱歩賞制定。
* 江戸川乱歩「哲学者ラッセルと探偵小説」


 哲学者バートランド・ラッセルの有名な近著 Authority and the Individual(1949)の中に、探偵小説への言及がある。『クイーン雑誌』はいち早くこれを発見して、昨年以来毎号広告頁の余白にその部分を引用している。私はそのことを読者諸君にお知らせしたいと思いながら、ついおくれていたのだが、丁度ここに余白があるので、それを転記しておく。
「いつかは戦争というものが絶滅されるであろうという希望を抱く者は、原始時代の長い世代を経て遺伝されて来た人類の残虐本能を、如何にすれば無害なものに転換させることが出来るかということを、真剣に考えなければならぬ。私の場合を云うと、私はその'はけ口'を探偵小説に求めている。探偵小説を読むことによって、私は一方では殺人者の気持ちになり、又一方では人間狩りの探偵の気持ちにもなり、それによって、残虐本能を排除し得るのである。
 これがラッセルの文章である。『クイーン雑誌』は、その引用のあとに、次の言葉をつけ加えている。

「よきかな、我らの偉大なる同好者バートランド・ラッセル先生。…科学者にも、政治家にも、僧侶にも、大学教授にも、その他あらゆる尊敬すべき階層に、いかに探偵小説の愛好家、我らの友が多いことであろう」


江戸川乱歩「論理性を」

「名古屋タイムズ」1946年6月9日掲載


 今度の敗戦は神がかり的なもの、直感的東洋哲学的なものが、合理主義的なもの、論理的西洋科学的なものに敗れたのだといえる。われわれはこの弱点を反省し、合理主義、論理主義の理解と克服につとむべきであり、また今後の一般傾向がその方向をとることは想像に難くない。
 私は日本的な直感芸術、余白の美、「間」の美などを愛すること人後に落ちぬものであるが、しかし日本人全部が茶人になってしまっても困るのであって、そういう日本的長所を保存しながら、一方では論理性の一般化が行われなければならない。能楽の伝統は亡ぼしたくない。しかしそれと並んで映画芸術は進歩しなければならない。
 探偵小説も例外ではなく、日本ではその本来の論理性が無視されすぎていた。戦後旧作家の間にも本来の推理小説に立ち帰ろうとする努力が既に見えはじめているが、さらに論理文学の新人の台頭こそ望ましい。
 アメリカの探偵評論家ヘイクラフトは、探偵小説は万人の首肯する証拠と論理によって裁判を行う国家、即ち民主国家に於てのみ発達するものであり、その証拠には戦争中も民主国に於ては探偵小説が盛んに制作、愛読されたのに反し、独裁国家(独、伊)に於いてはこれが禁止されたといっている。こういう意味からも、今後論理性の重要度は増してくるのだと思う。