パグウォッシュ会議18年の歩み(4) - 核軍縮への道、持たぬ国こそ「主役」に
* 出典:『朝日新聞』1975年8月28日付夕刊第6面掲載* Pugwash Online: Conferences on Science and World Affairs
「1975年は、人類にとって運命を左右する時になるだろう。すなわち核兵器が強大化して使われる可能性がますか、それを消すためのどちらかに向かうか、そのバランスがこの年できまるだろう。」シンポジウムに転機
京都シンポジウム事務局から37ケ国に送られた招待状にはこう書かれている。米ソ戦略兵器制限交渉(SALT)が難航、中東など未解決の紛争がつねに核戦争につながる危険をはらんでいる。いま、このシンポジウムは大きな転機に立っている。---。
戦後30年。被爆国ではじめて開かれるシンポジウムが核軍縮への具体的な展望をさぐりあてる場となり得るか。その主題も「完全核軍縮への新しい構想」。それはまた、パグウォッシュが、核兵器廃絶を目ざす「ラッセル=アインシュタイン宣言」の精神をとりもどせるかが問われていることでもある。
核問題でこれほど発言、会議があるのに、核軍縮が進まないのはなぜなのか。豊田利幸名大教授(核物理学)は、「国への忠誠と人類への忠誠の意味がまだ理解されていないことの根本原因がある。」とみる。
基本精神を共通確認
核保有国は、常に核開発の理由を正当化してきた。アメリカは「ナチへの憂慮から踏み切った」、ソ連は「核独占はアメリカの支配をほしいままにさせる。」、フランスは「核の傘はあてにならない。」・・・・。長いパグウォッシュ会議での経験は、これら核保有国からの出席者がはたして自国政府に向かって核廃絶をつきつけられるのか、という深い疑問である。むしろ核を持たぬ国が核保有国に核軍縮を迫るべき時期ではないか。
たしかに「米ソ主役、他国ワキ役」のパグウォッシュのわく組からは、いきつける先はせいぜい「軍備管理」までで、「核軍縮」まで進めない実状にある。「だからこのへんで、全面核戦争を避けるという基本精神を共通認識する場として、「核保有国」と「非核保有国」の会議を別々に平行して開いたらどうか」と豊田教授。従来の全体会議では、米ソ両国が主導権をにぎるばかりか、非核保有国をどちらかに系列化させるからだ。
坂本義和東大教授(国際政治)は、「シンポジウムを日本で開く意味は、その主役・ワキ役を逆転さすこと、主役は核を持たぬ国と第三世界であり、これらが米ソに核軍縮を具体的に説得していくべきだ。」との意見だ。それは、「軍備管理」のような思想でなく、あくまで、「全面核軍縮」を迫る新しい国際世論の形成である。
新しい実験の場に
実は、「核の脅威」がすでに煮詰めたところまで来ているのだ。これから逃れる道は、まず米ソが、「核兵器を絶対に使用しない。」と宣言すること。いまや「軍備管理」から「核軍縮」へ方向転換する瀬戸際にある。それと同時に、大量の武器輸出や核拡散が心配される第三世界との関係、「南北問題」を正面からとりあげなければならなくなっていること、米ソがここで「核軍縮」へ歩を進める姿勢を示すことは、その開発途上国における核保有、軍備競争への根拠を失わせることにもつながるのだ。
坂本教授は強調する。「政府間でできないことは、民間、非政府レベルでコミニュケーションを保ってきたところにパグウォッシュの有効性があり、これまでの米ソの直接の対話はかなり進んでいる。むしろ断絶が大きいのは、「核保有国」と「非核保有国」とのコミュニケーションであり、その対話に第一義的な意味を与えることだ。」と。
「その際、わが国が非核保有国の中心となって、核全面禁止を呼びかけ、第三世界の国々をひっぱっていくべきだ。」と日本学術会議の三宅泰雄氏が主張するように、こんどの京都シンポジウムはその意味では新しい実験の場であり、その責務もきわめて重いといえよう。(おわり)