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パグウォッシュ会議18年の歩み (2):京都に日本の頭脳集結

* 出典:『朝日新聞』1975年8月26日付夕刊第6面掲載
* Pugwash Online: Conferences on Science and World Affairs (第1回)科学者京都会議声明

「パグウォッシュ会議18年の歩み(3)」へ

 戦後日本の知識人の思想のひとつの核心は、「平和の原理」の追求にある。これにパグウォッシュ会議が与えた影響も大きい。1962年に結成され、「国内版パグウォッシュ」といわれた科学者京都会議は、そのひとつのあらわれだった。

 「平和の原理」追求
アインシュタインの原則:全体的破滅を避けるという目標は他のあらゆる目標に優位せねばならぬ
「パグウォッシュが次第に政府レベルの会議に傾斜していったので、日本では、ラッセル=アインシュタイン宣言の初心に帰って、もっと平和について原理的追求をする会議をつくろうと考えたのが、京都会議のきっかけだったと思います。」
 とこの会に第1回から参加している地球化学者の三宅泰雄博士はいう。
全体的破滅を避けるという目標は、他のあらゆる目標に優先せねばならぬ。
(右写真出典:湯川秀樹他編著『平和時代を創造するために-科学者は訴える』(岩波新書n.476、1963年刊))
 という「アインシュタインの原則」だけを合意として、平和の論理を創造するため、湯川秀樹、朝永振一郎、坂田昌一氏の3物理学者がよびかけ人となった。
パグウォッシュは自然科学者中心だったが、国内版の場合は、社会科学者、人文科学者に協力してもらおうということになりました。会則もないし、会長もいませんでした。声明をだす場合も、多数決という方法をとらず、不満の方は署名しないということにしました。
 と、同会議事務局長、豊田利幸名大教授は話す。

 手弁当の21人

 第1回は、京都・天竜寺の慈済院で開かれた。参加者21人。さきの3物理学者のほか、大内兵衛、桑原武夫、宮沢俊義、我妻栄、南原繁、谷川徹三、都留重人、田中慎次郎、福島要一、三村剛昴、三宅泰雄、平塚らいてう、江上不二夫、茅誠司、菊池正司、田島英三、大佛次郎、川端康成という、そうそうたるメンバーだった。
「このときの目玉商品は、軍縮の経済学でした。当時の俗説は、軍拡をやっているとき、軍縮をしたら社会的混乱がおきるというものでしたが、都留先生が、資本主義社会でも経済学的に軍縮は可能であると述べたのが記憶に残っています。」
 と豊田教授。
 この科学者京都会議は、「不浄のカネはもらわない」という原則で、政党はもちろん、個人のカンパももらわず、まったくの手弁当であつた。
「作家の大佛次郎さんは、会合ではあまり発言はしませんでしたが、裏でこっそりと財政援助をしてくれました。一度この会議が鎌倉で開かれたとき、みんなを大佛邸に招待して、晩のパーティまで開いてくれたものです。戦争廃絶には熱心な方でしたよ。」
 と三宅博士は思い出を語る。
 この会は、1966年7月、第3回声明をだして以来、大会議は中断しているが、勉強会は続いている。この会の思想をまとめてみると次のようになる。

 まず「平和の公理系」の追求がある。公理系とは、証明は不能であっても、誰もが否定できない真理をいう。戦争廃絶と核全面軍縮をうたい、人類の平和を望むラッセル=アインシュタイン宣言を「公理」とみなし、深く理論づけようとした。勉強会で、哲学者の久野収氏や政治学者の丸山真男氏が、この問題を追求した。当然これと関連する日本国憲法第9条の思想がこの会の思想形成に大きな武器となる。

1966年の第3回科学者京都会議で声明を発表する学者達の写真  「核抑止論」を批判

 そうした平和の原理的追求というこの会議の大前提のため、この会は、最初から一貫して「核抑止論」を批判する立場をとり続ける。科学者京都会議第3回声明(1966年)でこう述べる。
「国家の安全を'力の均衡'によって保障しようとする考えは、必然的に無制限の軍備競争をひきおこし、従って、平和をうち立てることを不可能にします。永続する平和をつくり出し、新しい世界秩序をうち立てるためには、諸国家の利益や価値体系の共通点を見いだし、その増大を目指すという相互信頼の立場にたつことが不可欠であります。」