来日したバートランド・ラッセルの足跡を訪ねて(2) - 大阪 (2002年11月04日、松下彰良記)
前回ご紹介したように,ラッセルは大正10年(1921)7月17日神戸に上陸し,その夜は神戸北野のトア・ホテルに1泊している。翌日(7月18日)ラッセルは(ドラ・ブラック及びパワー女史とともに),大阪に出かけ,大阪ホテル(右の写真)で毎日新聞副主幹・高石眞五郎と昼食をともにしながら懇談(インタビューではなく雑談)をしている。翌19日発行の『大阪毎日新聞』夕刊?第2面に,2000字ほどの高石署名記事「ラッセル君と食卓を共にして」が掲載されており,また,『大阪毎日新聞』7月19日朝刊第2面には,「ラッセル氏来阪」という記事がのっている。なお,18日の夜は,神戸にもどってトア・ホテルにもう1泊している。
そこで,昨日(11月3日)は,昔大阪ホテルがあった大阪中之島にいってみた。
大阪ホテルは,大阪最古のホテルとのことであり,現在の中之島公会堂のとなりの(大阪市立)東洋陶磁美術館があるところに建っていたとのことである。
関連のホームページをいくつかみたところ,その歴史は大体以下のようである。
★「大阪の外国人用ホテル「自由亭」は,明治元年(1868年),外国人止宿所の司長に,長崎で洋食店「自由亭」を開業していて土佐商会の料理係をしていた草野丈吉を当てたことに端を発している。(参照:https://www.lb.nagasaki-u.ac.jp/old_pic/exp/60.html)
・明治14年,「自由亭ホテル」は,この年,新しいホテルを中之島に開業
・明治28年,純洋風建築の完成により,大阪ホテルと改称
・明治34年,改装工事中に焼失。明治36年に再建(上の写真参照)
・大正13年に焼失
・公園のなかということで再建許可がおりず,その後,支店「今橋ホテル」を大阪ホテルと改称して営業を継続したが,昭和16年戦争激化のため,ホテルは廃業となる。
ということで,ラッセルが来日(大正10年)した後3年位で写真の建物は焼失してしまっている。
しかし,ホテル廃業後も(大阪ホテル経営の)「中之島公会堂地下食堂」の方は営業が継続されたということで,中之島公会堂の地下食堂にもいってみた。中之島公会堂は4年近くの歳月をかけて修復工事が行われ,ちょうどタイミングよく,昨日(11月2日)リニューアル・オープンされたばかりということであった。ただし,地下食堂は満員(待ち時間40分以上)ということで,「名物のオムレツ」を食べるのは断念せざるをえなかった。(関連写真)