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バートランド・ラッセル来日時の新聞記事

(1)「突然労働演説会へ姿を現したラ氏- 職工の感激に迎えられて一塲(場)の熱烈な所感を述ぶ-」
(2)「愛友ブラック女史の眼に映じた煙の都- 足痛で休養するラ氏に代わって工場の隅から隅を視て歩く
* 出典:『大阪毎日新聞』1921年(大正10年)7月19日付第7面掲載
第6面記事

(1)「突然労働演説会へ姿を現したラ氏-職工の感激に迎えられて一塲(場)の熱烈な所感を述ぶ-

 ラッセル氏は十八日夕刻、神戸トア・ホテルに帰り夕食後、賀川豊彦氏の案内で折柄脇の濱阿弥陀寺で開催中の神戸製鋼所各種職工団主催の労働争議批判演説会場に突然現れ、各弁士の交々起って会社の横暴無理解を鳴らして居るのを言葉は通じないが終始熱心に聞いていたが、霜降背広の痩形の姿を壇上に現し、賀川氏の通訳で、「偶々(たまたま)日本に参りまして此の労働争議が(関西辺りに? ←ヨゴレのため読みとれず)現出しているのをみまして、此の整然たる運動振りに接したのは、私として何より喜ばしい事である。」云々、との挨拶を述べたので聴衆の大喝采を博し、十時過ぎ此の偉大なる思想家はトア・ホテルに帰った。

(2)「愛友ブラック女史の眼に映じた煙の都-足痛で休養するラ氏に代わって工場の隅から隅を視て歩く


 神戸から飄然来阪したラッセル氏は夕刊諸報の如く、大阪ホテルで氏の希望により本社社員と午餐を共にした後、直ちに工場を巡視するプログラムをつくったが、足の痛みが止まないので、氏だけ暫くホテルに休み、愛友ブラック女史、随行のパワー女史並びにヤング氏が本社員の案内で市内見学に出かけた。先ず大阪市を一望の中に収むる大阪城の天守閣に導いたところブラック女史の涼しい瞳は、満都の甍よりも、淀川の流れよりも、濛々と空を蔽う工場の煙(参考:「煙の都」)に注がれ、咄嗟に、「これから何処を見なくても構いませんから是非工場に案内して下さい」と望んだ。よって直ぐ鯰江村の鐘淵紡績大阪支店の工場に案内し、三宅工場長の案内で隅から隅まで視察した。支那風の加味されたブラック女史の姿は著しく女工の眼を惹いたが、女史の優しい眼はそれよりもモット鋭く、女工の働きぶりに注がれた。右見物中、ホテルで高石本社主幹と意見を交換したラッセル氏は、午後六時女史等と共に再び神戸に帰った。十九日は奈良、二十日は京都を遊覧する筈である。