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「ラッセル氏来阪」

* 出典:『大阪毎日新聞』1921年(大正10年)7月19日付掲載<

(1)「ラッセル氏来阪-本社員の案内で大阪の各工場を巡視-」

 十七日、神戸に着くとすぐ自動車で波静かな塩屋海岸のヤング氏邸に入ったラッセル氏は、親しい友達や愛する人達と心おきない楽しい語らいに旅の疲れも病の苦しみも忘れたようであったが、十時というに再び自動車の人となって神戸に引き返し、北野トアホテル(右写真参照)に入って、日本における最初の夢を結んだ。(参考:来日したラッセルの足跡を訪ねて(1)神戸
 十八日は午前八時、係のボーイがノックした時既に眼を覚まして居たが、朝の食事が終わるとすぐ大阪駅までの青切符を買って、ブラック、パワー両女史と共に三宮駅まで自動車を走らせた。其後へ改造社の山本氏と通訳の橋口氏とがオリエンタル・ホテルから自動車を飛ばして来たが、既に大阪に向かったと聞いて両氏は驚いて其後を追い、午前十一時二分三宮発の上り列車の中に辛うじて一行を発見する事が出来た。外には、誰一人見送る人はなかった。勿論尾行の刑事らしい者も見られなかった。斯くて来阪したラッセル氏は、直ちに大阪ホテルに入り、同氏の希望で本社の高石副主幹、河野外国通信部長と午餐を共にし更に大阪における各工場を主とし、大阪城其他を巡覧する筈になって居る。 (参考:来日したラッセルの足跡を訪ねて(2)大阪

(2)「ラッセル氏に出演を依頼-友愛会の「活動写真と演説会」

 友愛会大阪連合会では、十九日午後六時から中之島中央公会堂に於いて、神戸争議批判演説会並びに活動写真(映写会)を開催する。活動写真は本月十日、神戸市で行われた阪神労働団無慮五萬人の一大示威行列を全部撮ったものである。又演説会には、賀川豊彦、木村錠吉氏等を始め、保釈出獄中の西尾、藤尾、東の三氏も出演し、来朝中のラッセル氏にも一場の講演を請うべく、賀川氏を通じて交渉中だと。右につき大阪連合会では、十八日午後一時、自動車五台に「活動写真と演説会」と大書した大ビラを掲げ、十数名の会員分乗して威勢よく乗りだし、市内の電車路をほとんど漏れなく駆けずり廻って、車上演説を為し、四萬枚の宣伝ビラを配布した。