日高一輝(著)『人間バートランド・ラッセル - 素顔の人間像』へのまえがき
* 出典:日高一輝『人間バートランド・ラッセル-素顔の人間像』(講談社,1970年5月 201p. 20cm.)* 日高一輝氏略歴
わたくしとバートランド・ラッセル卿との出会いは,わたくしが英国に渡った1959年にさかのぼる。それから1962年3月,ロンドンを離れてアフリカに赴くまでの2年有余の間,卿と行を共にして,その謦咳に接し,その後もたびたび,ロンドンを訪れるごとにお会いした。その人間ラッセル――わたくしがじかに触れ,語りあい,学び,感じた人間ラッセル――について書きたいとおもう。
1人の人間をあるがままに知るということは,なかなかむずかしい。ましてやバートランド・ラッセルほどの巨人を理解するとなるとなおさらのことである。
かつてラッセルを書いたことのあるアラン・ウッドも,「ラッセルを語るのに,その生涯に便利な区切りをつけようと思っても,それはむずかしいし,ヴィクトリア王朝時代の小説家と同じ苦労を味わわなければならない。ヴィクトリア王朝時代の小説家は,1つの小説の中に何10人ものさまざまな人物を登場させ,3つ,または4つもの筋を同時に展開させた。ラッセルは,いつでも1度に10人分ぐらいの活動をしていたから,講師,旅行者,政治家,平和運動家としてのラッセルについての話を展開したかと思うと,すぐに話をもどして,今度は哲学者,数学者,科学者としてのラッセルを語らなければならなくなる」といっているが,ほんとうにそのとおりである。
P.マーティン,M.コーンフォース,W.デュラント,J.ルイス,E.C.リンドマン,V.J.マックギル等の思想家たちが,「2人のラッセル」説をとなえたほどである。それほど,ラッセルという1人の人間の全貌はつかみがたく,非凡で,複雑で,スケールが大きかったかということを証し(あかし)ている。
ラッセル自身が,シェークスピアのすばらしさについて話してくれたとき,「あらゆる偉大なものがそうなんだが,シェークスピアという人間の全体を理解することはとてもむずかしい。それがまた彼の大きな魅力である。自分は彼のうちにいろいろな特徴を発見する。それが始終ぼくの胸を打つ」と語っておられたが,それがそのままラッセル自身にあてはまるのかもしれない。
わたくしは,かつて1954年から1955年にかけて,修道のためヒマラヤ山中にこもったことがあるが,そのときに触れたヒマラヤ連峰の神秘と悠大さが,ラッセルという人間の大きさと深さをおもうごとに連想されるのである。高く聳える巨峰群が,東西900キロにわたって競い立っているかとおもうと,その底しれぬ谷間には,千古の湖が静寂をたもっている。天を摩して切り立つ氷壁があるかとおもうと,路傍に咲く可憐な草花がある。
そのように,人間ラッセルもまた端倪(たんげい)をゆるさない。哲学,数学,論理学に偉大な業績を遺したかとおもうと,恋愛論,結婚論,道徳論,教育論,宗教論,政治論,社会主義論,民主主義論等,60余種に上る厖大な著書を世に出しては,人間解放と新しいモラルを提唱した。政治に奔走して,国会の選挙に出馬したかとおもうと,『郊外の悪魔』や『著名人の悪夢』等の好評を博した小説を書いた。人類存亡の危機を警告しては,ラッセル=アインシュタイン声明を発し,パグウォッシュ世界科学者会議,世界連邦運動,核兵器撤廃運動,ヴェトナム戦犯国際裁判等,世界平和の運動に挺身して,一世にその名声を響き渡らせた。ノーベル文学賞と,英国最高の栄誉であるメリット勲章に輝いた。
その半面,恋あり,悩みあり,3度の離婚歴にも苦吟する。友に裏切られ,同志に背かれ,投獄され,家族をかかえて生活に窮するほどの悲運に泣く。しばしば自殺を思い立つまでに追い詰められる。英国貴族の名門に生まれながら,つねに弱者の味方となって苦闘する。
世紀に輝く栄光のかげに,義憤と哀愁にみちた孤独の生涯を送ったラッセルでもあった。その彼も,この(1970年)2月2日,ついに波乱に富んだ97歳の人生の幕を閉じた。北ウェールズの,ペンリンダイドレスのプラス・ペンリン丘にある山荘を襲った今冬の記録的な寒波は,百歳になんなんとする老齢のラッセルには,あまりにも厳し過ぎた。
死んでもラッセルは,その意志を貫こうとした。遺言して,葬儀,告別式,その他の行事いっさいを禁じた。遺体は,ウェールズのコルウィン湾の沿岸の火葬場で荼毘(だび)にふされた。そこのチャペルまでついて行ったのは,エディス夫人(右写真:本書p.8より)と息子コンラッドと近親3人の合わせて5人だけだった。5人は,1分間の黙祷をささげただけで火葬場を立ち去った。
ラッセルは,つねづね,人と語る時も,またトラファルガー広場の演壇に立って絶叫する時も,「自分は,英国人としてではなく,また哲学者としてでもなく,1人の人間として人間に訴えるのだ」といっていたが,その人間ラッセルをわたくしはここで見つめていくことにしたい。