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日高一輝(著)『人間バートランド・ラッセル-素顔の人間像』へのあとがき

* 出典:日高一輝(著)『人間バートランド・ラッセル-素顔の人間像』(講談社、1970年5月 201p. 20cm.)
* 日高一輝氏略歴
* 写真2枚:本書p.54及びp.55より

 あとがき-孤独の生涯
わたしの心の最も深い底にある感情はいつも孤独のままだった。そして、ついぞ人間の世界に仲間を見いだすことができなかった。海、星、荒涼たる広野の夜風――そこに友を見いだそうとしてさまよった。
とラッセルが言ったように、彼の生涯は寂しいものだった。華やかな栄光のかげに、ひとり悲嘆の涙にくれたラッセルでもあった。幼にしては、ものごころがつかないうちに両親を失って、孤独感にうちひしがれたし、後には、愛をそそいだ同胞に失望せざるをえないという、やるせない気持ちを、どうすることもできなかった。
 しかし彼は、孤独の極においても、ニヒルの深淵におのれを没することをしなかった。人生を捨てはしなかった。彼は、創造の世界をみつめで、未来への希望を青年につなごうとした。それが、純粋をつらぬき、真理を生きぬこうとした彼の知性の道ゆきであった。彼は、茶の間で語りあう友としても、また、人類の運命を託する使命の同志としても、青年を求め、青年を心の支えとした。
青年は純潔だ。偽善がない。生命をかけることができる。青年は生きる力そのものだ。世界も、文明も、その未来は青年のものだ。
 こう語ってラッセルは、すべてを青年に託した。
はたして人類に未来があるのか――あるいは破滅をまぬがれないのか。その解答が出ないまま自分は死んでいく。この世は絶望というしかないのか――それとも、世界に希望があるといい遺したらいいのか。このこどちらを、自分の最後の言葉として遺すべきか――わたくしにはわからない。人類存亡の鍵は、これからの時代の人々の手にある――青年たちの手にある。
 バートランド・ラッセルは、1世紀にもおよぶ波乱の生涯をかえりみ、孤独の魂をさらに未来なへとつなぎ、
自分の時代に為しおおせなかったことを、ネクスト・ジェネレーションがやりおおせてくれるよう(に)
と、あとのすべてを青年に託して、北ウェールズのプラスペンリン丘から永遠の世界へと旅立っていった。