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間瀬啓允「ラッセルにおける宗教と神・批判」
『理想』1970年9月号、pp.50-57.

* 間瀬啓允(ませ・ひろまさ)氏は慶應大学教授を経て、現在、(平成19年3月現在)東北公益文科大学大学院公益学研究科長。
* 間瀬氏は、「ラッセルの宗教批判は、今ではすっかり説得力をなくしているところの、あの古い科学万能主義的な思想にもとづいている」とし、「ラッセルの科学主義的、批判主義的な思考の時代は過ぎ去った」と明言されています。また、ラッセルの宗教・神批判は、「感情的」なものであると言っていますが、間瀬氏の取り扱い方こそ感情的、と言って悪ければ情緒的であり、的はずれの指摘であると思われます。読者はどう思われるでしょうか?

 

 ラッセルは若い頃、非常に宗教的であった。おそらく数学を別にすれば、ほかのどんなものよりも、かれには宗教と神とに深い興味があった。十五才から十八才まで、かれは実に多くの時間を費して、宗教的信念について思索している。
 周知のごとく、かれは早く、二、三才で、両親と死にわかれ、もっぱら祖父母の手によって育てられた。しかし、祖父は英国国教会の会員であり、祖母はスコットランド長老教会の会員であった。その上、このふたりにはユニテリアン教会にたいする関心が深かった。それで若いラッセルは、日曜日ごとに交互に、英国国教会と長老教会につれていかれた。その上で、さらに家庭ではユニテリアンの教義を教えられた。しかし、間もなく祖父は死に、かれはもっぱら宗教的な影響を祖母から受けることになったのである。この祖母はラッセルが将来ユニテリアン教会の牧師になることを望んで、かたときもかれの霊的成長のために祈りを欠かさない人であった。
 ある日、祖母は青年ラッセルのために祈った。「神さま、この子がとりわけ、あなたの限りなく深い愛を知ることを学びますように。」このとき、若いラッセルは心から「アーメン」と唱えた。その祈りはまったくかれにとって必要な祈りであった。なぜなら、かれはそのとき、「神がわれわれを愛する」と想像しうるような何らの理由も見つけることができないでいたからである。祖母がそのようにかれのために祈ったとき、かれはその祖母の祈る姿に深い感銘をおぼえはした、しかし、かれはすでに祖母が望むのとはまったく逆の方向に歩みはじめていたのである。それゆえ、かれは不必要な悲しみをこの祖母にはあたえまいとして、祖母の読めないギリシア文字でつづった英語で、自己の宗教的意見を「ギリシア語の練習帳」という標題をつけたノートに書きつけていたのである。

 

 青年ラッセルが系統的に検討していった宗教の基本的な問題は、「神の存在」と「霊魂の不滅」と「自由意思(=自由意志)」の三つであった。この三つのものが宗教(とくに、キリスト教的宗教の場合)に基本的なものであるという所見は、かれの長い生涯の間に、少しも変わることのないものであった。かれは、かれ自身しばしば語っているように、まず「自由意志」からはじめて、一つ一つ逆に検討していった。そしてその結果、これらのものを信じる理由はまったくないという結論に到達したのであった。そこでわれわれは、いまラッセルの所説を論じながら、その一つ一つを批判的に検討してみたいのである。
 まず「自由意志」についてであるが、かれはこの教義を論破するために、素朴な人間機械論の立場にたった(松下注:ラッセルは当時15〜18歳の少年であることに注意)。人間の身体は機械である。生きていようと死んでいようと、物体の運動は完全に力学の法則に従って進行する。したがって、意志は身体のうえに何らの影響もおよぼしえない(松下注:力学の法則にさからうことはできない)、と考えた。しかし、このような唯物論的発想において、かれは決して知的満足を見つけていたのではなかった。かれはデカルトとほぼ同じ根拠から、人間にとって意識が否定しえない事実であることを感知していた。したがって、純粋の唯物論は不可能であるという結論に到達していたのである。けれども、もしそうであるならば、かれの論点はけっして強固な、知的な砦であることはできないだろう。なぜなら、もしかれのいうように、人間は機械である―意識をあたえられている賢い機械である―とするならば、そのようにいわれる意識そのものが、すでに人間を機械からは峻別していることになるからである。
 さてわれわれは、この点から、従来「自由意思と決定論」という表題のもとでつづけられてきた哲学的議論を想起することができるであろう。そこでの問題点は、人間の頭脳や身体の働きをも含めたすべての物理的できごとが、どのような場合にも、すべて因果法則のもとに含められうるかどうか、ということである。なるほど、物理法則や化学法則にたいするわれわれの一般的知識は、自由意志にたいする決定論の勝ちをつねに保証しているかのようである。しかし、本当にわれわれの行為には自由なものがなく、すべてが決定されているであろうか。この問いにたいするわれわれのすすんだ良識は、疑いもなく、自由意思の側に立つ。なぜなら、「われわれ人間は自由で、責任を負う存在である」という確信は、ただキリスト教的宗教における基本であるばかりか、われわれ人間の社会生活にたいする真正な考え方の基礎でもあるからである。したがって、ラッセルが論破しようとした自由意志について、われわれはかれの所論には知的満足を見つけることができないのである。(松下注:「人間は自由で責任を負う存在である」という確信は、知的なものというより、情的なものではないか。/ラッセルは自由意志を「論破したくて」人間機械論を押し進めようとしているのではないことに注意)
 次に「霊魂の不滅」であるが、かれは普通、キリスト教的信念において考えられるよりも、霊魂と肉体とはもっと密接な関係にあると考えた。そこで、かれは問うのである。このわたしは、死ねば完全に無くなってしまうではないか。肉体が分解しても、なお霊魂は存続すると想像すべき理由が、一体どこにあるだろうか。われわれが思考し、記憶し、感覚するといった精神的な諸活動は、すべてわれわれの頭脳によっている。しかし、いまこの構成体である頭脳が衰えはじめたとしよう。あるいは、死によって解消されたとしてみよう。すると、われわれの思考や記憶や感覚は衰えはじめ、あるいは解消されるであろう。ところが、このような場合にも、なおわれわれは精神が存続するというであろうか。それゆえ、死に臨んで起こる頭脳の構成の完全な破壊のあとに、なおも精神が残っていると考える理由が、一体どこにあるだろうか。
 死後の存続という考えによって提起される哲学的問題は、従来、この「存続」というものにたいする信念を正当づけるような何か十分な論証があるかどうか、という問題であった。ところが今日では、「存続」ということばのもつ意味の問題として提起されている。周知のように、霊魂の不滅を最初に証明したのはプラトンであった。かれは霊魂のほうが肉体よりも先に存在しえたとするならば、その場合には、肉体が滅びるときに霊魂もまたともに滅びるであろうと信じる理由はどこにもない、と考えた。今日、霊魂の本性が不滅であり、あるいは、現世における生命の本性が死後の生命を仮定しなくては考えられないとするひとびとは、みなこのプラトンの所説を受け継いでいる。しかし、この所説にたいしては、さきにラッセルによってもいわれたように、そのような事態は起こりそうにない、ということがいわれる。そこでわれわれは、「存続」ということばによって意味されることがらを、いまここで、多少なりとも明らかにしておく必要があるであろう。
 普通のわれわれの人間観は、ラッセルの分析をまつまでもなく、頭脳が衰えないかぎり精神は存続する。つまり、身体の存続という考えから切り離しては考えられない、ということである。したがって、「人間は死滅する身体に仮に付着した永遠の霊魂である」というプラトンの霊魂不滅説は否定される。しかし、「われわれは死んでも生きる」というキリスト教的信念の断定は、現世には肉のからだがあるのだから、霊の世界には霊のからだがあるはずである、という期待を意味している。そしてこの期待は、キリストの約束というものの文脈のなかにおかれている(松下注:従って、キリスト教の立場からいえば、キリスト教を信じない人間は、死後の生命はないことになる)それゆえ、「存続」あるいは「よみがえり」にたいするキリスト教的信念にたいしては、明証をあたえるということはできないのである。したがって、この信念が結果としていわれるような信念体系を別にしては、それに意味をもたせるということはどうしてもできないのである。ただし、この困難をまえにして、いま「死後の存続」という信念を放棄すべきであるとするならば、キリスト教的信念の純粋性は危険にさらされることになるであろう。
 さて、最後に「神の存在」の問題であるが、これは青年ラッセルにとっても、容易に解消することのできない難問題であった。事実、かれ自身、死後の生命はないと確信できても、「創造者」存在論は論破できそうにないとして、しばらくの間は、なおも神信心を保持せざるをえなかったのである。ところが、ケンブリッジに行く少し前のころ、かれはミルの自伝を読んだ。そして、その自伝のなかで、ミルの父親がミルにむかって、「わたしを創造したのはだれか」という問いは、かならずつづいて、「神を創造したのはだれか」という問いを生むから、この問いに答えることはけっしてできないと教えた、という一文を読んだ。若いラッセルは、どうしたものか、このきわめて簡潔な一文にすっかり心を奪われて、以後きっぱりと、「創造者」問題を放棄したのであった。これは神というものが「存在する」とも「存在しない」とも確実には言明することのできない、いわば、原理的に検証不可能な、それゆえ、無意味なものという事態を直観しての、かれの感情的な問題処理の仕方であったのだろう。かれは後に、第一原因による神の存在証明の誤謬を指摘したときにも、同じような感情的な問題処理の仕方をおこなっている。すなわち、第一原因による論証が、たわいもないヒンズー教徒のおしゃべりにも似たものである、ときめつけることによって、この論証を無為にとりさげようとするのである。このようなかれの「神の存在」にたいする問題処理の仕方というものは、どこまでも感情的であり、またしばしば、印象で語るという性格を残している。たとえば、かれの晩年におけるテレビ放送を考えてみよう。かれは「神は存在しない」という考えが確実な考えであるかどうか、とたずねられて、こう答える。――「神は存在しないと確実にはいうことができないと思います。いや、とてもわたしにはいえませんね。」かれは、周知のように、神の存在にたいする古典的な論証を一つ一つ批判して、「わたしはなぜキリスト者ではないか」の論点を明らかにした。(松下注:参考「神の存在証明」)しかし、かれはそれ以上にすすんで、神は存在しないということを論証してみせるような、そういう神の非存在証明を試みるまでには至らなかった。これはかれがコプレストン神父との対談において明らかにしたように、かれにはできそうに思えない難題であったからである。それゆえ、かれはかれ自身の立場を不可知論的と呼んだ。けれども、かれはこうも思うのである――『「キリスト教の神は、オリンポスの神々や、ノルウェイの神々とまったく同じように、ありそうにないものだと思う。かれらはみな一つのわずかな可能性にしかすぎないと思う。」これがラッセルの、神にたいする感情であり、印象なのである。神の存在についての論証は、かれにとっては、その結論を信じたくないと思えば信じなくてもいいような、そういう種類のものでしかなかったのである。もっとも、神の存在証明というものは、無神論者や不可知論者を信仰者に変えるためのものではない。それは信仰者をしてなお一層かれの信仰の対象を理解させるためのものである。そうだとするならば、不可知論を標榜するラッセルにとっては、どのような神の存在証明も意味を持ちえなかったわけである。(松下注:ここまでくるときめつけとしか言いようがない。)けれども、かれはかれの若い日の誓約を忘れたのであろうか。かれは神を信じる根拠を見つけるために、ただ科学的な論拠をのみ考慮しようと思った。かれは神を信じるにせよ、信じないにせよ、その信、あるいは不信のための根拠を見つけようとする場合には、自己の感情的な判断や、印象からするおしゃべりは、厳にいましめなければならない、という誓約をたてたのであった。ところが、はじめ「自由意思」を、次に「霊魂不滅」を検討したあと、最後に「神の存在」の問題に至って、かれは不本意にもその誓約をやぶり、自己のはげしい感情にのまれてしまったのである。(松下注:間瀬氏は、「はげしい感情」と言っているが、何に対する「はげしい感情」というのか?)なぜであろうか。それはもともと「神の存在」の問題はかれが誓約をたてた方法的熟慮によってはアプローチすることのできない問題だからである。われわれが「神は存在する」とか、「存在しない」とか述べる場合の意味の問題は、「それが神の存在するしるしである」とか、「これが神の存在しないしるしである」とか述べる場合の意味の問題になるからである。つまり、「これが神の存在する(あるいは、存在しない)しるしである」と取るものを信頼する以外に、われわれは神の存在(あるいは、神の非存在)を知る方法はないのであるから、この「信頼する」ということをすすんでしないかぎり、われわれには当の問題を積極的におしすすめるということはできないのである。
(松下注:「青年」ラッセルは、神を信じることのできる「知的根拠」を発見したいと思い、苦闘した。ミル自伝にある、「「わたしを創造したのはだれか」という問いは、かならずつづいて、「神を創造したのはだれか」という問いを生むから、この問いに答えることはけっしてできない」と言う記述を読み、それは原理的にできないという結論に達した。即ち、「もしあらゆるものが原因をもたねばならないなら、神にも原因がなければならない。もし原因なしに、何かが存在できるならば、その何かは、神でも世界でも(悪魔でも)よいことになる。・・・。物事には必ず初めが必要だという考え方は、実際には、人間の想像力の貧困によるものである。」という結論に達したのである。間瀬氏のように、神の存在の証拠を求めても得られないので、「これが神の存在する(あるいは、存在しない)しるしである」と取るものを信頼する以外に、われわれは神の存在(あるいは、神の非存在)を知る方法はないのであるから、この「信頼する」ということをすすんでしないかぎり、われわれには当の問題を積極的におしすすめるということはできない」という主張は、何の解決にもならない。間瀬氏の言うとおりであれば、それこそ感情の問題だけになってしまい、神の存在の「しるし」を信じられる人と信じられない人との間の優劣はなく、両者の対話もなくなる。また、間瀬氏上記の記述を精確に読むと、間瀬氏の言う2つの選択肢のうちの1つ、即ち「神の存在しない「しるし」を信頼することによっても、当の問題を積極的にすすめる」ことができるということになるが、これは間瀬氏のラッセルに対する批判と矛盾しているか、あるいは意味不明なものとなる。)

 

 ラッセルが宗教に基本的なものとして取りあげたこれら三つの問題に関連して、われわれはカントの批判哲学を想起することができるであろう。カントは「純粋理性批判」において、判断のカテゴリーはただ世界内のものにたいしてのみ適用できるのであって、これを越えては適用できないことを明らかにしたのであった。そこでわれわれは、この世界の事実にもとづいて神を論証しようとすることは原理上、不可能であることを学び知るのである。なぜなら、われわれの経験はただこの世界にのみ関係するのであって、それを越えた神についてのわれわれの経験は、まったく成立しないはずだからである。しかし、カントはこうして純粋理性批判において否定したものを、「実践理性批判」において肯定したのである。すなわち、さきに純粋理性批判において理論的な根拠を奪われた神は、こんどは実践理性批判において必然的な要請、つまり、われわれの道徳生活を可能にするための道徳的諸価値の源泉であり、根底であるところの、実在としての要請とされるのである。こうして実践理性の要請とされたものが、「神の存在」であり、「自由意思」であり、「霊魂の不滅」であった。これらのものは、もしわれわれが無条件的な要求を自己に正しく課することが義務の意であると取るならば、必然的に、われわれの道徳生活の前提として受けいれなくてはならないものである。しかし、道徳的諸価値を自己の人生に求められた至上命令として受けいれなくてはならないとする道徳的責務の至上権威ということについては、われわれは疑問をいだかざるをえない。また、われわれが人格として、われわれ自身の隠された能力をこの世において実現するために、「あたかも神が存在するかのように」、「あたかも自由意思があるかのように」、「あたかも霊魂は不滅であるかのように」生きなくてならないとするならば、カントが道徳生活の要請として取りあげたものは、ただ人間の可能性について語るためだけの、単なる方法的な手段でしかないことになるであろう。したがって、われわれはこの道徳的、宗教的な動機に根ざしたカントの要請説にたいして、問題を感じざるをえないのである。
 では、ラッセルならば、以上のカントの所論にたいして何というであろうか。想像するまでもなく、ラッセルのカント批判はけっしてあまくはないであろう。というのは、哲学的真理を発見しようとする者は、道徳的、宗教的な動機を意識的に自己の体系のなかから取り除くべきである、というのがラッセルの信念だからである。かれがつねづね語っていたことは、科学から哲学は霊感を受けるべきであって、けっして倫理や宗教からであってはならない、ということであった。したがって、この点からするならば、カントが実践理性批判においてすくいあげたものを、ラッセルは断じて投げすてたであろう、ということは想像しがたいことではない。ラッセルはいう――「人間の倫理的諸観念は、本質的に人間中心主義的である。それを形而上学に導入すると、いかに隠蔽しようとも人間の当面の欲望にもとづいて、宇宙に法則を押しつけようとすることになる。したがって、倫理的諸観念は世界にたいする科学的態度の核心であるところの、事実をそのまま受けいれる態度をみだすものである。……それゆえ、倫理的諸観念から引きだされた哲学の世界観はけっして公平ではなく、また、けっして科学ではありえない。

 

 ラッセルが科学的というとき、かれの口調は熱っぽくなる。科学にたいするかれのコミットメントは絶大だからである。科学というものは、いつになっても完全に正しいということはないが、しかし、また完全に間違っているということもめったにない。そして概していえば、科学以外の領域の諸理論よりも、科学のほうが正しくあるという見込みは大きい。それで、科学を仮説的に受けいれるということは、ラッセルにとってはきわめて合理的なことのように思えるのである。また、真に科学的な態度をとるひとは、今この瞬間に科学的知識として認められていることであっても、次の瞬間にはまた新たな知識の発見によって修正されなくてはならなくなるかもしれない、ということをすすんで認めるものである。それゆえ、かれの態度はつねに実験的であり、また懐疑的である。このような態度をこそ、真に開かれた科学的な態度であると推賞するラッセルは、ジェイムズが「信じる意思」(Will to believe)を説いたと知ったとき、かれは「疑う意思」(Will to doubt)を説きたいと思った。というのは、迷信や軽信におぼれる意思ではなく、どこまでも開かれた、批判的、非ドグマ的な意思を、かれのいう、いわゆる「科学的態度」のなかに位置づけたいと望んだからである。このような科学的態度ということについて、かれが好んであげる例証は、アインシュタインである。アインシュタインは、周知のように、それまでの伝統的な物理学の理論体系をくつがえしたひとであった。しかし、それにもかかわらず、アインシュタイン自身は、かれの新しい理論が永遠の絶対確実なドグマであるとはみなさなかった。かれはかれの理論がニュートン物理学を修正したように、またかれの理論も、やがてだれかの手によって修正されなくてはならなくなるかもしれないと考えたからである。このようなアインシュタインの示した批判的、非ドグマ的な態度こそが、真に科学的な、開かれた態度であるとラッセルは思うのである――「われわれはひとびとの討議によって、われわれ自身の偏りを抑制し、不適当とわかった仮説はどのようなものであれ、これを廃棄するだけの心を養わなくてはならない。」


 

の画像  ラッセルのいう、この科学的態度というものを学び知るならば、われわれは宗教にたいするかれの所見を正しくとらえることができるであろう。かれによれば、宗教は閉じられたドグマであり、ひとびとをして保守的なやり方と古くからの習慣を忠実に守る態度とをよしとさせる。また、不寛容や憎しみを助長させ、科学の進歩や科学的知識の普及をさまたげる。宗教はこのようなゆゆしい弊害をいくつももたらすのであるから、われわれは断じてそれを認めるべきではない、とラッセルはいうのである。宗教にたいするかれの所見のなかで中心的な問題点は、宗教のドグマが間違っているということではなくて、もっと一層根本的に、上のような数々の弊害をもたらすドグマが存在するということ自体が間違っている、ということである。それゆえ、かれはどのような宗教にたいしても反対であり、また、どのような宗教的信念にたいしても異議をとなえる。しかし、信仰者はだれでも、かれのいうように、霊感を求めて過去にむかい、閉じられた古いドグマに知識を求めていくものであろうか。また、閉じられた古いドグマのもたらす弊害を黙認して、なおも信仰者は古い律法に固定的に結びつけられ、それが変えられることを不可能と考え、あるいは、それが現代において影響の深い自由な思想とふれ合うことを罪なことと考えているであろうか。ラッセルは思う――「ギリシア・ラテンの古典の研究、初期の教会の歴史、コペルニクスの天文学、物理学、ダーウィンの生物学、比較人類学などは、宗教のドグマの体系をうちこわしていくために有効に働いた。」しかし、事実はそうであっただろうか。答えは端的に「否」である。これら諸科学における研究の成果は、かえって宗教にとっては祝福であった。われわれはホワイトとともに、これら近代における科学的研究の成果は、宗教の思想を高め、宗教の方法を改善していくために有効に働いた、というべきである。今日、宗教は――少くとも、キリスト教的宗教の場合には――他の分野との対話を重要なものと考えている。それは人間が科学において何を知りつつあり、芸術において何を語り、何を表現しつつあるかを知るためである。また、他に聞き、他に語るためである。そしてさらに、対話から学び、対話に寄与するためである。宗教が科学や芸術とともに、人間の大事な社会生活の一部であるならば、宗教は当然、相互に刺激し合う仲間にかぞえられるべきである。

 

 以上の事実からするたらば、宗教にたいするラッセルの所見は、多く宗教の古い姿にのみ拘泥しているように思われるのである。しばしばラッセルが語ったように、もし宗教が科学の発展に、あるいは、文化の推進に害毒であったとするならば、それは大方ずっと古い昔に起こったことであった。もし宗教が、ラッセルのいうように、たいていまともな考え方に水をさして、あまり大事でないことを大事なことのように扱いすぎる――というのは、人類が没落しかけているというのに、宗教指導者たちは世界戦争を防止することより、人工受精を防止することのほうが大事なことのように考えているからである――というならば、それは今、この瞬間において、世界平和のために全身全霊をささげ、あるいは、平和運動への熱意をこめて反戦運動に参与している幾多の宗教指導者たちを無視した、いわゆる、感情論であり、印象論である(松下注:間瀬氏は、主にラッセルの『なぜ私はキリスト教徒ではないか(1927年)及び『宗教と科学(1935年)(邦訳書名:『宗教から科学へ』の記述に対して反論しているのであろうが、現代=1970年において、「平和運動への熱意をこめて反戦運動に参与している幾多の宗教指導者たちを無視した」という指摘は、書かれた時代を無視した、あるいは混同した、それこそ「感情論」といえなくもない。)。このように、あまりに強い自己の感情や印象でものを語ることのほうが、よほどかれのいう「均衡感の欠如を示した」ことになる。
の画像  また、ラッセルの宗教批判は、今ではすっかり説得力をなくしているところの、あの古い科学万能主義的な思想にもとづいている。われわれはわれわれの生活をより充実したものに変えてくれるものは科学以外にないと教えられた。われわれはわれわれの問題がただ科学の進歩によってのみ解きほぐされ、やがて科学の知性によってことごとく解消されるであろうと教えられた。しかし、事実はそうであっただろうか。二度にわたる、あのいまわしい大戦の教えは、われわれに自滅の手段をもたらしたものが科学であり、われわれになお一層多くの問題をなげかけたのが科学である、ということであった。科学の進歩によって核爆弾がうみ出され、われわれの世界は恐ろしい放射能によって荒らされた。われわれは核爆弾のもたらす災難と破壊の脅威におびやかされた。われわれ日本人は、とくに世界中のだれよりも先に、その恐怖と悲惨とをなめさせられたのではなかったか。さらに今日、われわれは産業化のすすんだ社会において、数多くの公害問題に苦慮させられている。われわれはこの公害問題が、やがて日常の良識と科学の知性との闘争にまで進展するのではないか、とおそれるものである。(松下注:科学的なものの見方の重要性と個々の科学的知識や科学技術の重要性との混同、「日常の良識」というものへの過度の信頼)
 なるほど科学は、ラッセルが考えたように、人間の知識を増進させ、気まぐれな自然力にたいする人間の支配を促進させ、ひいては人間に幸福をもたらすべきものであった。それゆえ科学は、ラッセルのいうように、宗教にとってかわるべきものであった。しかし、このような科学本来の目的は、ラッセルの考えたようには実現されなかった。それではわれわれは、いまこのラッセルの科学の思想を何と見るべきであろうか。答えは単純である。ラッセルの科学主義的、批判主義的な思考の時代は過ぎ去った、ということである。われわれにはいま、負いきれないほど多くの、しかも困難な問題が残されてしまった。しかし、その一つ一つがすべてわれわれの世界において、われわれの生活にたいして、深くかかわりをもっている。それゆえ、われわれはそれらと積極的に対していかなくてはならない。しかし、対する場合のわれわれの生のモラルは何であろうか。それはかつてラッセルが疑っていたもの、よく吟味もしないで批判していたもの――生きるための信仰――である。今日、それは何であろうか。稿を改めて論じなくてならないであろう。(松下注:ラッセルは、理論哲学と社会哲学を峻別した。ラッセルは、科学というより、「科学的な物の見方」の重要性を強調したが、それは間瀬氏のいう「科学(技術)」とは随分ちがったものであるといわなければならない。)