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岩松繁俊(著)『20世紀の良心-バートランド・ラッセルの思想と行動』への「まえがき」

* 出典:岩松繁俊(著)『20世紀の良心-バートランド・ラッセルの思想と行動』(理論社,1968年7月刊。342pp. 20cm. 四六判 理論セミナーn.316/箱入)
*岩松繁俊氏略歴
* 岩松繁俊氏は執筆当時、長崎大学助教授
* 右下写真:本書の箱表紙及び本の表紙/イラストの作者名は記名なし


 まえがき

 バートランド・ラッセルが老齢であることは、だれでもご存知です。わたしがラッセルと文通をつづけ、かれの平和思想と活動の紹介や解説をおこなっていることを知って、わたしに話しかけてこられるひとはみな、ラッセルが非常に高齢であることをよくご存知なのです。
 ところが、よくご存知のはずのこれらのひとびとに、ラッセルの年齢をどれくらいだとおかんがえですかとうかがうと、符節をあわせたようにきまって、10年以上も若くおこたえになるのです。なぜ、だれもがラッセルを若く見るのでしょうか。その理由を心理学的動機づけから分析してゆくと、たいへん興味ふかい解答がえられるでしょうが、ここではそういう分析は必要がありません。
 しかし、ひとつだけははっきりいうことができるとおもいます。それは、ラッセルの平和のための活動がおどろくべく精力的献身的であるということです。そしてこれほどの精力的な献身は、かれのほんとうの年齢よりすくなくとも10年以上若くなければ、できるものではないとかんがえるのが常識だということです
 それでは、かれのほんとうの年齢はいくつなのでしょうか。これにたいする解答は、本文にのべました。
 ところで、わたしは、ラッセルの年齢のことにこだわりすぎたようですが、これはけっしてクイズめいた問題をだして喜ぼうという意図からでたことではありません。実は、年齢のことはただひとつの例にすぎないのであって、ラッセルのことはだれでも知っていながら、すこしつっこんでふりかえってみると、ラッセルのことをはたしてどれだけ知っているといえるのだろうか、という疑問がわきおこってこざるをえないといいたかったのです。このような疑問があるからこそ、
 この疑問にすこしでもお答えしたいとおもって、この本を書いたのです。
 しかし、同時に、はっきりこう付けくわえなければなりません。わたし自身も、ラッセルのことを全部知っているのではありません、と。わたしが知っているラッセル、したがってわたしが書いたラッセルは、1962年以後のラッセルであり、しかもラッセルの手紙と資料を通して知っているラッセルなのです
 イギリスからはるかに遠くはなれたわが国で、ラッセルを知るもっともオーソドックスで学問的な方法は、かれの著書を読むということでしょう。ところが、60冊もの著書を書きつづけてきたラッセルが、1963年春以後1967年初めまでの4年間は、著書を出版していないのです。そのために、この期間におけるラッセルは、わが国でいちばん知られていないということができます。それはわが国におけるラッセル研究のいわば空白期間といってもいいでしょう。この空白期間を埋めること、これがこの本の主要な目的のひとつだったのです。
 ラッセルが著書を出版しなかったのだから、この期間のラッセルは、われわれが知る必要のあるほど価値あるものは何も産出されなかったのだ、とかんがえるひとがあるかも知れません。しかし、それはたいへんな誤りなのです。むしろ、まとまった著書を出版している余裕がないほどに、きわめて価値のたかい多くの活動がつぎからつぎへと展開されたのだというべきなのです
 われわれがじゅうぶんに理解すべき、このきわめて価値たかきラッセルの精力的献身的な活動とは、いったいどういうものでしょうか。その詳細については、本文にのべましたので、ここではのべません。ただ一言でのべるとすれば、それは、人類の破滅からの解放のための活動ということができるでしょう。この期間の活動は、ラッセル自身の50年以上もの長きにわたる平和のための献身的活動のなかでも、とりわけ重要な意味をふくんでいます。
 すなわち、1954末のBBC放送と1955年のラッセル=アインシユタイン宣言のなかで明確にのべられた、いわば中立主義的非同盟主義的な核戦争反対の活動から、アメリカ帝国主義の残虐きわまりない侵略にきびしく反対する反帝国主義闘争への展開と発展、これがこのいわば空白期間になされたラッセルのきわめて重要な活動の内容なのです。
 ささやかな本書があつかっているのは、以上のような内容をもったラッセルの平和のためのたゆまざる献身についてなのです。


ラッセル関係電子書籍一覧
 この本の執筆に着手して以来、1日も早く脱稿しようと努力してきましたが、それにもかかわらず、予定を何回も延期しなければなりませんでした。このようにおくれてしまったのは、どの程度まで細部を彫琢するかについて何回か試行錯誤しなければならなかったこともありますが、しかし基本的には何といっても、ラッセルがこの数年間におこなってきた活動量の蓄積が膨大であったからなのです。執筆しながら、わたしがラッセルの活動の大きさ、ひろさ、ふかさに感動をあらたにしたことは、一再にとどまりませんでした。
 本書の冒頭に、ラッセルの「序文」をかかげました。これは、わたしがはじめの予定で昨年秋には脱稿できるとおもい、ラッセルに他の用件で手紙を書いたとき、本書のことにふれ、もしできれば序文がほしいけれども、お仕事をさまたげてはいけないからおねがいもできない心境です、とのべたのにたいして、すぐに執筆しておくってくれたものです。このように、わたしからぜひ書いてほしいと要請したわけではないのに、ラッセルがこころよくすぐに執筆してくれたということ――このことは、やはりここにお知らせしておく必要があるとおもいます。
 内外の政治的・思想的・経済的あるいは軍事的情勢は、きわめて緊迫、いなますます緊迫の度をくわえており、こころの休まる余裕とてありません。本書の執筆期間中にも、重大な事件が内外ともにいくつもあいついでおこりましたし、いまもおこりつつあります。これらはいずれも、人類の存続と幸福に直接かかわりのある事件です。ラッセルが重大な関心をよせる事件は、同時に、本書が重大な関心をよせる事件です。緊迫した事件が連続し、重大な事態がつづくかぎり、本書はこの事態を追ってゆかなければならないでしょう。しかし、このようにして刻々の問題を追ってゆけば、おそらく本書はすくなくとも当分のあいだは生まれ出ることができなかったでしょう。
 本書は、このように、現在刻々に生起しつつある重大な事態に関心をもちつづけているのですが、しかし、強調しなければならないことは、これがただ刻々の問題を追い続けるだけの時事問題解説書ではないということです。もしこれが時事問題解説書であれば、本書の価値はただ処理しているデータが新しいか否かできまるというべきでしょう。しかし、本書は、いうまでもなく、ラッセルの思想と活動を、その時その時の時点に立って明らかにしてゆくものです。現在の時点に立ち、現在の価値基準から、過去の思想や活動を価値判断するという固定的・形式的(形而上学的)な方法で書かれたものではなく、また現在時点から見てもっとも新しい事実や問題をとりあげるというニュース報道的センスで書かれたものでもありません
 以上のような理由で、本書は「現在の問題」をとりあつかいながら、けっしてただ新しいデータを新しい観点からとりあげることだけに終始してはいないのです。本文中、わたしは、できるだけラッセル自身をして語らしめるという方法をとりました。歴史学の方法という堅苦しい言葉をもち出さなくても、これが真実を把握するための客観的な方法であることは明らかでしょう。

 巻末に、ラッセルが執筆した反戦・平和にかんする各種の文書75編を資料として時間的順序に配列したリストをのせました。なお、この資料リストには、ラッセル以外の個人または団体が執筆または発行した資料のなかで、ラッセルの活動に関係がふかいものをも55編収録しました。そしてこのリストには、一貫番号を付けました。本文中この資料を引用する場合には、原題をいちいち記載せず、その番号だけをしめしました。

 おわりに近くなりましたが、この本の成立にかんしてお世話になったかたがたへお礼の言葉をのべたいとおもいます。この本が成立するきっかけをつくってくださったのは新名丈夫氏でした。氏が太平洋戦争中、当時勤務しておられた『毎日新聞』に、「竹槍ではまにあわぬ」と政府批判の記事を書いて、東条首相の激怒を買い、ひどい弾圧をうけられたことは、ご承知のかたも多いとおもいます。氏はかねてよりラッセルの反戦平和活動をきわめてたかく評価しておられ、わたしに本書の執筆を熱心にすすめてくださり、理論社への仲介の労をとってくださいました。こころから感謝いたします。
 理論社社長・小宮山量平氏は、ラッセルにかんする書物の出版をかねてより熱望しておられた由で、わたしの要望をすべてこころよくうけいれてくださいました。わたしの遅筆のため、予定が延期に延期をかさねて、はじめうちあわせていた計画がほとんどだめになったにもかかわらず、辛抱づよくわたしの脱稿を待ってくださいました。あつくお礼を申しあげます。
 池田新氏は、わたしのこまごました厄介な依頼にこころよく応じてくださり、数葉の写真も貸与してくださいました。「バートランド・ラッセル平和財団日本資料センター」の仕事への終始かわらぬ積極的ご協力にたいしてとおなじく、本書成立についてのご協力にたいしても、感謝の気持をあらわさずにいられません。
 ラッセルとラッセル平和財団の関係者は長いあいだ本書の完成をいまかいまかと待ってくれました。わたしも一刻も早く書きあげねばと、'時間と競争する'気持でペンをいそがせましたが、とうとう今日におよんでしまいました。待たせること久しく、いまようやくこの拙ない書は生まれました。
 ねがわくば、この小著がほとんど1世紀を生きつづけてきた'良心'バートランド・ラッセルの真の姿を読者のかたがたにすこしでも正しくおつたえすることができますように。そして、ねがわくば、ラッセルとラッセル平和財団の関係者からわたしが久しくうけてきたかぞえきれない好意の数々にいささかでもむくいることができますように。  1968年7月 岩松繁俊