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藤田省三「情熱的懐疑家 (バートランド・ラッセル)」(『みすず』1970年3月号所収

* 再録:藤田省三著作集第8卷『戦後精神の経験 II』(みすず書房、1998年刊)
* 藤田省三氏(ふじた・しょうぞう,1927~2003年5月28日):1953年東大法学部政治学科卒。1953年法政大学法学部講師。1966年同教授。1993年名誉教授。専攻は日本思想史、政治文化論。丸山真男の学問的系譜を継ぎ、リベラル派の思想史家として活躍。
* 堀秀彦「ラッセルの死を知って」

バートランド・ラッセルの死に際して

 はすべての個人にとって確実に来るものであり同時にいついかにして来るかはまったく不確かなものである。もしすべての人に対して同時に死がやって来たら人類は滅ぶ。人類が生存しつづけられるのはこの確実な死がばらばらにやって来ることによる。個々の死の間の時間的ずれが生存を支えている。「死者の時」の不確実性が人類生存の基礎的条件である。その点で、不確かさへの確信をもっていつもファナティシズムと戦ったラッセルはやはり人類にとって大切な人だったように思う。彼にとっては、水爆は「死者の時」の不確実性を取払って万人に平等な「死者の時」を与えるからこそ人類の敵なのではなかったろうか?
 彼にとって、死は「人格」という「事件」集合体の「解散」だった。彼が何回も経験した「いまはの際(きわ)」においていつも示した死の観方はそれであったという。「人格というものは、クリケットのクラブのような集合体あるいは組織なんです。私はMCCといった特定のクリケットクラブの解散を受入れることができます。」
 こうして死が「事柄チーム」の解散だとすると、生は逆に「事柄チーム」の編成であるはずである。そして事柄を組織化していくことこそはあらゆる「仕事」に共通な特徴だろうと思われる。だから人生は一つの仕事だ。ラッセルが「私は仕事をしながら死にたい」と言ったのもむべなるかなだと思う。けれども宇宙に内在してはたらいているアプリオリな正義の原理などというものはなく、むしろ「宇宙はほんとに不当なんです」から、当然、人生という仕事のなかではいろいろな突拍子もない「事」が起ってくる。そこでこれらを含めてもろもろの「事柄」を「意味の世界」へと編成していくためにはある基本信条が必要になる。「多少ともまともな生活信条は、まず苛酷で不愉快な真実を認識するということから始まらねばならぬ」という彼の信念が生れる所以であろう。「秘訣はこの世の中がつらい、つらい、つらい、という事実を直視することだ。この事実を深く感得しなければならぬので、それを払い除けてはだめだ。ここのところで感じとらねばだめだ」と彼は語ったという。その「感得」が深ければそこから快活さが逆に生れてくる、と彼は考え、そういうふうに事実生き抜いたようだ。波瀾万丈の生涯にあって彼が勇気と快活さを失わなかったのはひとえに「自分自身を憐まなかった」からだといわれる。そして「宇宙に内在するアプリオリな正義」のないことの自覚が深かったがゆえに、そこから人間にとっての正義が追求され、そのための闘いが生まれた。
 不確かさに対する注目がかえって人類の生存や自由の確保のための果敢な戦いを支えているという点、そしてまた「この世のつらさへの直面」から積極的な生を帰結するという点、などはいずれも、アラン・ウッドの名付けた「消極的な方法によって積極的な成果に達するラッセル的手法」を示しているように思う。残念ながら、この手法こそわが日本の一般的状態が最も不得意とするものである。「積極的な姿勢と方法によって消極的な成果に到達する」ことなら私たちはそんなに下手ではない。しかしその逆はあまり上手でない。
 九七歳の、しかも世界中の尊敬を集めた「老偉人」が亡くなったからといって、「記念」の一文を書いたりすることは、必ずしもよい趣味ではない。ラッセルも「偉人というのはみんな悪漢だと自分は思っていたから、この頃は鏡を見るたびに自分に悪相が現れてきてやしないかと思ってしげしげのぞき込むんだぜ(松下注:もちろんラッセルはこのような言葉遣いはしない)」ともちろん冗談に言っていたらしい。けれども彼の死はやはり何かを象徴している。3日(松下注:1970年2月2日死亡、このエッセイは『みすず』の1970年3月号掲載)ではとうてい言えないが、世界中の政治権力を相手どって世界人民のために渡り合うことのできる世界的知的権威がなくなったということだろうか。ラッセル=アインシュタイン声明、さらにキューバの危機やベトナム戦争やチェコ侵略の折の彼を思い起せば誰しもそう思うだろう。まことに彼は科学技術時代の「望ましい法皇」のような感じだ。儀式も宗教ももったいぶりもすべて拒否したが、それなるがゆえにかえって現代の護民教皇のようになった。そうして、技術のレベルで「世界が一つ」となってこようとするときにあたって世界規模で統一的にはたらく知的・精神的権威がなくなったということは今日の世界の一つの逆説である。技術上の「輸出入」が多くなるにしたがってさまざまの「世界」--とりわけ技術的大国の諸権力や諸ドグマは衝突・混乱を巻き起すであろうが、それらに同時に対抗する精神的権威は、ひとりの人格に象徴される形においては、ここに終りを告げたのかもしれない。しかしラッセルの死が「貴族的義務の精神」の終焉を意味するからといって、それがただちに自動的に人民の権利の上昇をもたらすなどともし思うとしたら、それはとんでもないドグマである。では問題はなんだろうか?
 ラッセルがかつて書いた警句の一つは示唆的である。「人々に考えることを止めさせようと企てては決してなりません--なぜなら、この企ては成功するにきまっているから。」
 現に私たちの内部と周辺で成功している。