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「ラッセルこそ最後のほんもののウィッグ党員である。彼の偉大さの一つは、彼が身のまわりの到るところに見出したあらゆる白痴的行為(idiocy)を最後までうけ容れることを拒絶したということだ。」だとすれば、ラッセルはこの人間の世界の愚かさにとことんまで絶望して亡くなったものであろうか。彼は人類の未来について希望を失わなかったと伝えられているし、彼のどの本文でも、私はそのようなラッセルの考え方をよんだこともある。だが、ほんとうに、彼は人間に、-というよりは、20世紀の人間に希望をつなぎ信頼をもっていたのであろうか。ペシミズムと希望と、この2つの相容れ得ないものが死の直前まで彼のこころのなかでたたかっていたのではなかろうか。
「故人の希望にしたがって、葬式には、一切の花も、一切の行列も、一切の群衆も、一切の儀式(セレモニー)もおことわりする。なきがらは火葬にふせられるが、その灰をどこに撒くかについては、この平和主義哲学者の4番目の妻、レディ・ラッセルがこれを決定するであろう。」
ラッセル協会会報_第15号 |