バートランド・ラッセルのポータルサイト

ギュスターヴ・ハーリング(著)『死の収容所』(創美社,1963年7月。278 pp.)

* ポーランド語からの英訳 Gustav Herling: A World Apart, 1951.
* Gustav Herling (Gustaw Herling, 1919-2000):ポーランドの作家。
* 花崎淳, 1921 - ?: 本書出版当時、国際英語学校教授。現在不詳

バートランド・ラッセルによる序文(花崎淳・訳)

Preface by Bertrand Russell

* 英語版初版に掲載もの

 フランシスコ会士 バ-トランド・ラッセル

 私が読んだ数多くのソ連収容所或ひは労働キャンプに於る被害の体験記の中では、ギュスターヴ・ハーリング氏の『死の収容所』は最も印象的な好著である。
 彼は実際に1940年から1942年にかけて、捕虜として強制労働キャンプの生活を送った最初の人であった。内容の大部分はかかるキャンプは存在しないという著名なコミュニストの言葉で終っている。然しそれらの文章を書く人や、事実を見ながら自らをあざむく旅行者は、この数え切れない程の惨めな男女に加えられた信じられぬ恐怖や、極北の寒気の中で過度の労働と飢餓により多数の人が生命を蝕まれていることに対して共同の責任をとるべきである。ハーリング氏の書物は、必ずや人間性を欠いた事実の証拠を拒否しようとする旅行者に対して、例え彼等が何らかの人間性を持っていたとしても、これら非惨な生活の一端を容認しない無恥を意識させ、これら収容所の存在に直面させて何らかの困惑を感じさせることであろう。
 コミュニストやナチスは、人類と云う大きな分野に亘つて、本能は苦しむ為に存在するのであるという事、赤裸及な恐怖の中にあっては本能を満すため現実を楽観せざるを得ないという事の両者を同様な悲劇的方法によって証明したのである。けれども私は、これらのコミュニストやナチスが行った悪が、その加害者への盲目的な僧悪によって癒されるとは思はない。これは我々をただ同じような結果に導くだけであろう。このような書物を読んでいる間に我々は悪魔を理解し、叉かかる悪は防止出来るであろうという漠然とした熱望を抱かねばならぬのであるが、書物の上でこの実感を表現する企図は容易ならぬ努力である。私は理解する事は恕すことであるとはいはない、というのは私としては恕し得ないものがあるからである。然し似たような悪の波及が全世界に渡って担止(たんし)されている現在、それを理解するという事は絶対に心要なことである。
 私は一つの決断を望むのである。即ち、ハーリング氏の書物がもっと広く読まれることによって著者と同様な被害者は大きな憐れみをもって、有益な復讐心に目覚め、更に悪しき社会体系に依って歪められて来た人間本性の残忍さの根源を理解し廃棄するという目的にかなうことを願うのである。然もこれらの一般的な反省から離れても、読者は此の書物に魅惑され、最も深い心理学的興味を味わう事であろう。

(注)左の欄最上部にあるように、花崎氏の訳書には、(キリスト教に生涯厳しい批判を行なってきた)ラッセルに「フランシスコ会士」という肩書きがつけられている。下記の序文(1ページ目)にはそのような肩書きはない(O.M: Order of Meritのみあり)ので、これは花崎氏が勝手につけたものと想像されるが理解に苦しむ行為である。あえて類推すれば、ラッセルが1950年にコロンビア大学で行なった講演における Chiristian Love についての発言を誤解し、花崎氏はラッセルを自分たちキリスト教徒の「仲間」だと勘違いしたのかも知れない。


拡大する