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(語学テキスト)菅原清治(編注) Bertrand Russell's America, v.1
(南雲堂, 1977年3月刊。95pp.)

編者はしがき(菅原,1976年12月)

 Bertrand Russe11(1872-1970)は,一時自分の墓碑銘に 'He lived for six years in America, and did not write a book about it' と書き入れることを希望していたとのことであるが、彼の専門とする数学,論理学,哲学に関するもののみならず,政治,経済,社会問題など広範囲にわたって約60冊の本を書き残し,1950年にはノーベル文学賞を受賞している彼でありながら,アメリカに関しての本(単行本)は1冊も書き残していない。しかしこのことは,彼がアメリカに関心がなかったことを意味しているものではなく,彼のこのことばは,本来ならばアメリカについての本を書くべきであり,また書きたくもあったという悔恨の気持が暗示されているものである。
 というのは,彼自らがアメリカの一通信員に 'My first lectures in your country were in 1896, and my last in1951, so I have had a fairly long experience of the United States.' とのべているが、前後9回にわたってアメリカを訪問し,第2次世界大戦に際しては6ケ年の長きにわたって滞在してたが,その間 Harvard の他,数多くの大学における講義を担当するかたわら,講演,新聞雑誌への寄稿やアメリカにおける知識階級との交友など幅広い活躍をつづけることによってアメリカについて豊富な知識を得ていた彼であり,世界平和の確立ということに挺身している後年の彼にとって、アメリカの果たす役割は期待されるところ大きなものがあったからである。
 反米的であるとして非難されると、彼は好んで 'Anti-American? Half my wives have been American.' と言ったとのことであるが、彼にとってアメリカは単なる異国ではなく,ある種の親近感を抱かされている国だったのである。彼のアメリカに対する態度には愛憎相半ばするものがあり,時には、甚だきびしいものがあるが,それというのも愛すればこそのしもと(松下注:罪人を打つに用いる細い木の枝で作ったむちまたは杖)でもあったのであろう。彼は4度結婚しているが,2度の相手はアメリカ人であった。
 Russell のアメリカヘの関心は,当時世界改造の熱意に燃えていた英国の若者達が如何にしてその抱負を達成し得るかについて学ぶためにアメリカに赴いていた, 彼の少年時にさかのぼる。ビクトリア朝時代の急進的な人たちであった彼の両親は,アメリカの民主主義政治と自由にあごがれ、南北戦争後まもなく1867年にアメリカに渡り,この地の指導的な立場にある自由主義者達と交わっている。自由主義的なホイッグ党の伝統によってはぐくまれ, John Stuart Mill の思想に魅惑されていた若き日の Russell は,Jefferson や Paine の書き残しているものの中に具体化されている理想に魅惑され,アメリカを世界の代表的民主主義国家とみなし, 'a romantic land of freedom' としてあこがれていた。しかしその後彼が親しく見聞したアメリカの現実は,'From my impression, I have come to feel that many things in America are very different from what they are supposed to be' と言っているごとく, 彼の期待を裏切るものが多くあったことは,その後彼が講演・新聞・雑誌などによって発表したアメリカに関しての見解や彼の行動がよく物語っている。
 すでにふれたごとく,1896年に初めてアメリカを訪れた Russell は,アメリカにおける選挙戦を目撃する機会を得たが,理想的な民主主義国家を夢見ていた彼はすでに幻滅させられるものがあり、'On the whole tho' I have met many Americans who are as nice as any English people, I think this would be a depressing country to live in, if only on account of the politics.' と言い,後年当時を回想して, 'One of the things that struck me most frocibly in 1896, and that subsequent experience has confirmed, is that America is much more monarchical than England. In every direction there is more one-man power and less government by committees.' と言っている。
 1914年に,Russell の2度目のアメリカ訪問が行われたのは,Harvard における講義を受け持つためだったが、彼は請われるままに、Princeton, Johns Hopkins, Chicago, Michigan, Wisconsin など、数多くの大学で講義をしている。彼の講義が大成功であり,異常なまでに学生間に人気のあったことは,Harvard における彼の講義を聞いた学生の1人が 'To the students, Mr. Russell was an almost superman person. I can not adequately describe the respect, adoration, and even awe which he inspired' と言っていることによってもうかがい得るであろう。当時 Harvard の学生だった T. S. Eliot は Mr. Apollinax と題する詩をつづって Russell のアメリカ来訪を祝っている。しかし,'What is 1acking here is the non-social side of the good life ― the blind instinctive devotion to ideals dimly seen, regardless of whetheer they are useful or appreciated by others. This is what makes me feel loneIy here. It is rare enough in Europe, but not so rare as her' と言っている彼のアメリカに対する批判は相変わりなくきびしいものがあり,アメリカの学生達については、'One of my pupils, named Eliot, wa there too, ..., very capable of a certain esquisiteness of appreciation, ... However, he is the only pupi1 of that sort that I have; all the others are vigorous intelligent barbarians, と言っている。
 度重なるアメリカ訪問によって,アメリカ国民が直面している問題をよりよく知るにつれ,彼のアメリカ批判は辛辣なものとなった。アメリカにおける資本主義の威力を批判して, 'Oil and Morgan rule you' と言い,あるいは、'I am speakingto you in order to explain how your govemment has abused your rights.' と言っているが,社会主義者であることを誇りとし,社会主義下においてのみ現実としての民主主義が可能であると信じている彼にとって,アメリカ文明のあらゆる面を毒しているこの国の資本主義体制はゆるしがたきものであった。ベトナムにおけるアメリカの戦争犯罪を裁くために,「国際法廷(ラッセル法廷)」を設立することを提唱した晩年における反米的態度は,異常なものがあり,彼のこれまでの業績を汚すものであるとして非難された。1922年に New Republic 誌に発表した論文の中で, 'The hopes and fears of the world, probably for the next fifty years at least, depend upon the use which America makes of her vast power.' と言っている彼は,世界一を誇り得る富と軍備を持つアメリカの将来における世界的役割に期待するところ大きなものがあったであろうが,その後のアメリカにおける資本主義体制の現実は,世界平和と人類福祉のために挺身している彼の期待を裏切るものが余りに大きかったのであろう。
 すでに述べたごとく,Russell はアメリカに関しての本は1冊も書き残していないが,彼のアメリカに対する心境には愛憎相半ばするものがあって,確然たる視点を確立し得なかったことによるもののごとく思われる。しかし彼が1896年に初めてアメリカを訪れて以来,手紙,新聞,雑誌への寄稿,講演,会談,未発表の原稿などによって,彼がアメリカについての見解を述べているものがおびただしい数量にのぼり,その内容も政治,経済,教育,社会,人種などに関するかたいものから,さらに映画,禁酒,精神分析,友愛結婚,性道徳,電話,鉄道,拳闘などと,広範囲にわたっている。
 これらはいずれも再び接することのできないものだったが,1974年に Barry Feinberg, Ronald Kasrils の両氏によってそれらの一部が集められ, Barry Feinberg & Ronald Kasrils, Bertrand Russell's America として出版されたのである。本書は第1部と第2部とからなり,第1部は両氏によるアメリカにおける RusseIl についての解説であるが,第2部はRussell によるものの選集となっている。本教科書は第2部の選集からさらに選んで編んだものなので,あえて原著の著者名を無視して Russell 著としたのである。
   Barry Feinberg と Ronald Kasrils は,両氏とも1938年に南阿に生まれ,1960年代の初めからロンドンに居住し,1966年から Rusell 関係の仕事にたずさわっている。2人は,1969年に,Russell の一般社会への公開状を集めた Dear Bertrand Russell を公にしている。この本は9か国語に翻訳されている。Feinberg には,この他にもRussell 関係の著が2、3ある。
 注釈については最善をつくしたつもりであるが、思い違いがあるやも知れないので、ご教示いただければ幸いとするところである。