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『バートランド・ラッセル自叙伝』第1巻への訳者(日高一輝)あとがき

* 出典:バートランド・ラッセル(著),日高一輝(訳)『ラッセル自叙伝』全3巻(理想社刊、1968-1973)
* 第1巻(1872-1914):1968年9月刊, 298 + 6pp.
* 第2巻(1914-1944):1971年8月刊, 358+44pp.
* 第3巻(1944-1969):1973年2月刊, 282+19pp.
* 原著:The Autobiography of B. Russell, 3 vols., 1967-1969.
* 日高一輝氏略歴

『バートランド・ラッセル自叙伝』第1巻への訳者(日高一輝)あとがき


ラッセル英単語・熟語1500
 ラッセルが自叙伝を書きつづっていることを知ったのは、1959年の夏から1962年の春にかけて、ロンドンでラッセルの声咳(松下注:普通は、「謦咳」に接している時であったが、そのときは、自分の生きている間は世に出さないのだと語っておられた。ところが一昨年(1966年)お目にかかったときは、やはり発表することになったと言って、せっせと筆をはこんでおられた。それも、第1巻だけで、あとは死後に出してもらうよ、というお話であったのが、昨年の春に訪れた時は、第2巻も出すことになったとのことであった。どうしてそういうふうに決心されたのか、内心訝り(いぶかり)もしたが、しかしともかくも、赤裸裸なラッセルの全貌にふれられるという喜びで胸がいっぱいになるのをおぼえた。予想にたがわず、ひとたびこれが出版されると、欧米においては非常な反響をもって迎えられたのであるが、特にアメリカにおいては、権威ある書評によって絶大な賛辞があたえられ、たちまちのうちにベスト・セラーになる成績をしめした。
 やはり、ラッセルのもつ非凡な人間性がそうさせるのであろう。

 ラッセルは、1872年5月18日生まれ、今年(1968年)>96歳。おおよそ1世紀にわたるその生涯。哲学者であり、数学者であり、社会思想家であり、文明批評家である。しかも今日なお、人類の存続、世界平和のために発言し、その実践運動の陣頭に立って指導的役割をはたしている。
 アインシュタインは、「われわれは、ラッセルを理解し得るようになるところまで、自分の知性を高めなければならない。彼は、それほど偉大な人間である」と語り、またロンドン・タイムズ紙は、「ラッセルは、何世紀に1人出るか出ないかの偉人であろう。もし彼を貶す(けなす)ものがあれば、それは彼を知っていないからである」と評した。(右写真出典:R. Clark's B. Russell and His World, 1981)
 まさにラッセルの残した業績は輝かしいものがある。プリンキピア・マテマティカの大著、記号論理学の創始、その他、学者としても他に比肩をゆるさないほどの内容をもつ膨大な労作。さらには、新しいモラルを提唱して人間の解放と自由を理念とする結婚観、恋愛観。ドグマと狂熱と迷信を排して、知性と理性と経験に基づくことを説く宗教論、教育論。政治、自由主義、社会主義、民主主義の評論。その論叢は、数え上げれば枚挙にいとまなく、その及ぶ範囲とその量、とても超人としか思えぬほどである。しかも、世界平和のためには、あの有名なラッセル=アインシュタイン声明をはじめ、ノーベル賞級の科学者たちを動員しての世界科学者大会(パグウォッシュ会議)の運動、ワールド・オーソリティと世界政府の呼びかけ、「人類に未来はあるか」の書を提(ひっさげて核兵器の禁止を叫ぶ。ヴェトナムの問題に直面しては、各民族に生存と独立の権利があるとし、白人の植民地政策に反対して、有色人種の解放を説き、米国の行動は、かつてナチス・ドイツの行為を文明の敵として論告したあのニュルンベルク法廷と全く同じ精神において、「ヴェトナムにおけるアメリカの戦争犯罪」を論告しなければならないと訴える。ジョンソンの和平会談声明は、世界の正論というものが持つ無視し得ない力を証明したともうけとれるのであるが、その世論指導の上にはたしたラッセルの影響力の決して小さくなかったことを、あらためて考えさせられるのである。
 ラッセルという存在は、たとえて言えば、一大巨峰にも似ている。あるいは、悠大なあのヒマラヤ連峰の雄姿をすら偲ばせる。巨峰は、ただ高く聾え立っているだけでなく、その内奥には、崖あり森あり河あり谷がある。きり立った氷壁があるかと思えば、路傍に咲く小さな可憐な草花もある。それと同じようにラッセルは、人類に仰がれる文明と平和のための功績という思想と実践のピークがあるかと思えば、恋あり、悩みあり、離婚あり、幾たびか自殺を思い立つほどの苦吟がある。ノーベル文学賞を受賞し、英国最高の名誉メリット勲章に輝いて、アメリカ、欧州、オーストラリア各大学への講演旅行に招かれたかと思う(1950年)、核兵器の禁止を叫んで青年たちとスクラムを組み、ロンドンの大通りを街頭行進し、国防省の玄関に坐り込みをして逮捕される(1959年)(松下注:逮捕されたのは1961年)。80歳にして、現在のエディス夫人と結婚し、はじめて小説を書き始め、「X嬢のコルシカ(島)での冒険」、つづいて短篇集「著名人の夢魔」を発表して世を驚かす。
 ラッセルは、伝統を重んずる英国の貴族に生まれながら、すこしもそれを意とするところなく、自由奔放、直情径行、思いの通りに発言し、行動する。世の思惑にとらわれることなく、権力の圧迫を恐れない。
 そのラッセルの気性と姿勢が、率直に表明されているのがこの自叙伝である。普通の人には、とうていにすることも出来ないような恥ずかしいことでも、すこしも隠しだてすることなく、そのまま語られている。それがまたラッセル自叙伝の魅力である。それだけにかえってラッセルの人間性の偉大さを思わされるのである。
 ラッセルの思想と人物にたいする賛否や評価はそれぞれ各人に属するとして、この1世紀を生きぬいた「人間ラッセル」を研究することの意義を、あらためて思わないでおられない。