バートランド・ラッセル『ヒューマン・ソサエティ-倫理学から政治学へ』- Human Society in Ethics and Politics, 1954
* 原著:Human Society in Ethics and Politics, 1954* 邦訳書:バートランド・ラッセル(著),勝部真長・長谷川鑛平(共訳)『ヒューマン・ソサエティ-倫理学から政治学へ』(玉川大学出版部,1981年7月刊。268+x pp.)
第1章 n.18 |
Human Society in Ethics and Politics, 1954, chapter 1, n.18 |
倫理的感情及び倫理的戒律には、最初から、まったく別の源泉が存在していた。つまり、ギブ・アンド・テイク、言い換えれば(or)社会的妥協という源泉である。これは、私達がこれまで考察してきた類(種類)の道徳のように、迷信や宗教に依存するものではない。それ(社会的妥協)は、大ざっぱに言って、静かな生活をしたいという願望から生じている。 (たとえば)私は、ジャガイモがほしいとき、夜に(夜になってから)、隣人のジャガイモを掘り起してくることも可能である。(訳注:「by nitht」は、ここでは、「夜になるまでに(時間指定)」の意味の「by」ではなく、「夜に/夜になってから(時間及び手段)」の意味での「by night」)しかし、隣人は、 仕返しに私のリンゴの木からリンゴを盗みとることも可能である。(そうなれば)私達はどちらも、そのような略奪行為から守るために、誰かに一晩中、監視させなければならないだろう。これでは不便なことであり、面倒であろう。 そこで結局、私たちのどちらも餓死にしそうな状態にないと仮定するとどんな場合でも、互いの財産を尊重し合う方が面倒がないことに気づくはずである。(訳注:「always」の訳し方に注意/「常に」と訳さないほうがよい))このような道徳は、人間の歴史の初期段階においては、タブーや宗教的制裁に助けられるかもしれないが、タブーや宗教的制裁の滅び去った後に生き残ることができる。というのは、少なくともその意図においては、それは全員に利益を提供するものだからである。文明の進歩と共に、このような道徳は立法、行政、また個人道徳においても、ますます大きな役割を演じるようになってきてはいるが、それでもなお、それは、宗教ないしタブーと結びついているあの強烈な、 恐怖や畏敬の感情をかき立てることには成功していない。 |
There has been from the first a quite different source of ethical feeling and ethical precept, namely give-and-take, or social compromise. This is not dependent, like the kinds of morality that we have been considering hitherto, either upon superstition or upon religion; it arises, broadly speaking, from the desire for a quiet life. When I want potatoes, I might go by night and dig up those of my neighbour, but he might retaliate by stealing the fruit off my apple trees. Each of us would then have to keep somebody on the watch all night to guard against such depredations. This would be inconvenient and tiresome; in the end, we should find it less trouble to respect each other's property -- always supposing that neither of us was dying of starvation. A morality of this sort, though it may in early stages be helped by tabus or religious sanctions, can survive their decay, since, at least in intention, it offers advantages to every one. With the progress of civilization, it has come to play a larger and larger part in legislation, government, and private morality, and yet it has never succeeded in inspiring the intense emotions of horror or veneration that are connected with religion or tabu. |