バートランド・ラッセル『人間の知識-その範囲と限界』への訳者(鎮目恭夫)あとがき
* 出典:バートランド・ラッセル(著),鎮目恭夫(訳)『人間の知識-その範囲と限界』(みすず書房,1960年2月(上巻)&5月(下巻)。上巻=365pp.;下巻=412pp.)* 原著:Human Knowledge, its scope and limits, 1948.
*鎮目恭夫(シズメ・ヤスオ 1925~2011.7.28)略歴<
訳者(鎮目恭夫)あとがき
本書は以下の方針に拠った。
一、傍点は原書でイタリックの個所。
二、( )は原書で同じく( )の個所。
三、「 」は原書で ' ' の個所。
四、〔 〕は訳者がいれたものであり、そのうち、9ポ活字は原書の文脈を補うための挿入、または訳語の言いかえで、6ポ2行のものは、特殊な固有名詞などのかんたんな説明である。
五、奇数頁終りに入れた注は、末尾に原注とかいてあるもの以外は訳注である。
六、索引は下巻にまとめておさめる。なお、そのさい本書にでてくる主要な哲学用語の英和対照をも示す。
七、比較的新しい哲学用語の訳語の選択には、主として、思想の科学研究会編『哲学・論理用語辞典』(三一書房刊)を参考にした。
私がこの本の翻訳を思いたったのは、思いがけないいきさつからだった。私は、たまたま、ノーバート・ウィーナーの有名な著書『サイバネティックス』(1948年)を、その出版後まもなく読む機会を得て、その思想に少なからず共感した。その後、『かつての天才児』と題するウィーナーの少年時代の自叙伝(1953年)を読んで、この共感をいっそう深くした。その本のなかで、私ははじめて、ラッセルという人物に興味をおぼえた。ちなみに、ウィーナーはハーバード大学を卒業後、19歳のとき渡英し、ケンブリッジでラッセルのもとでしばらく数理哲学を学んだ。
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だが、以上の理由だけなら、私は本書の翻訳をこころみる気にはならなかったろう。本書、そしてまたラッセル自身の現代的意義は、いわばその中途半ぱな性格にある。ラッセルの哲学ないし思想は、数学と物質科学、および非情な論理と人間の感情の奇妙なモザイクのようにみえるが、そればかりでなく、現代世界のイデオロギー的対立の仲介物をひそめている。哲学的に言えば、ライプニッツとマルクス、またはデカルトとデューイとへーゲルの折衷――かなりヒュームにかたむいているが――と言っても過言であるまい。このことは、本書の訳書下巻からもかなりよくうかがわれる。このような折衷は、ライプニッツやマルクスの時代や、第2次大戦前にさえ無意味だったかもしれない。しかし、いまでは、人類の発展――科学技術の発達と、やがては全面的に科学の領域に属すべき社会的政治的実践の発達――が、そういう思想の発展の可能性と(したがってまた)必要性を生みだしつつあるように思われる。この意味で、人生や社会や政治の問題に関するラッセルの諸著作――この邦訳著作集の大部分はこの部類に属する――は、最近しばしば新聞や雑誌にのる国際政治に対する彼の発言と補いあって、現代的意義をもっている。しかし、それらを安易な折衷と見あやまらないためには、ラッセルの分析哲学を多少体系的に学ぶことが必要である。そのためには、この『人間の知識』はもっとも手ごろである。
私はラッセルの諸著作を広く読んではいないので、この本がそれらのなかで占める地位を十分に評価することはできない。前記のウッドの意見によれば、この『人間の知識』と、それとほぼ同じ時期に書かれた『倫理と政治における人間社会』(1954年)が、ラッセル哲学の一応のまとめであるという。ともあれ、先に述べた科学のなかでの『サイバネティックス』の地位と似て、哲学のなかでのラッセルの地位は、本質的に未完成であることをまぬがれない運命にある。この『人間の知識』は、将来科学技術の発達をまって、もっと哲学的でないことばで書き改められねばなるまい。しかし、そのころには、科学自身が内面的にも社会的にも、もっと人間に親しみ深いものになっていることであろう。この過程は、政治の改造とあいともなわなければならない。
最後に、この本の翻訳について、訳者に理解と好意を示してくださった知己であるみすず書房の小尾俊人さんと、訳書の製作に関しお骨おりくださった みすず書房の方々と、訳文の口述筆記に多くの労を払って下さった北原耕太郎さんに対する感謝を記す。
1960年2月 鎮目恭夫