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バートランド・ラッセル『権力-その歴史と心理』への訳者(東宮隆)あとがき -

* 出典:バートランド・ラッセル(著),東宮隆(訳)『権力-その歴史と心理』(みすず書房,1959年4月。342+viii pp. ラッセル著作集 n.5)
* 原著:Power, a new social analysis, 1938)
* (故)東宮隆氏略歴

訳者あとがき(1959年3月23日)

 翻訳という仕事は、対象に密着しないとうまくいかぬものなので、ともすれば、対象を突き離してみることがむずかしくなりがちである。たとえどんなに性に合ったものの翻訳でも、対象理解という点からいえば、没入と離脱の両面が必要であろう。今回、わたくしは、旧訳の改めるべき点を改めながら、同時に、つとめて、一定のへだたりを置くようにして拙訳に対してみた。以下は、そのようなふうにして、本書を読んでみた、わたくしの感想である。
 本書が立脚している社会科学的方法は何か、それがわたくしの一ばん気にした点だが、しかし、本書には、社会科学的という意味で、特に明確な方法といえるものは、見当らぬようにおもわれた。それは、わたくしの側に、それこそ、明確な方法の持ちあわせがないからかもしれないが、しかしそうばかりでもないとおもうのである。
 ラッセルは、経済的な自利追求をもって社会科学の根本原動力であるとすることは、あやまりだとして、むしろ逆に、権力こそ社会科学の根本概念であり、権力のさまざまな変形の法則をさがしあてることが社会科学の仕事であると言い切り、歴史と人間性の研究によって、この権力という問題に近づいていっているようだが、その近づきかたは、経済学とか政治学の、特定な方法にもとづくものではなく、むしろ、ベルグソンの『笑い』のもつ洞察にちかい――とはいっても、権力という、考察対象そのものの性質からいって、『笑い』などよりもっとシーリアスな、それだけにまたプロゼイイック(松下注:prosaic 散文的)なものを、それがシーリアスであるともプロゼイイックであるとも感ずることなく、若干の戯画化さえまじえて、抽象的に、分析してゆくやりかたに終始しているようにおもわれるのである。
 ラッセルは、権力配分の不平等を、まず人間性のうちにさぐり、次に外的必然としての歴史のうちにこれをさぐる。同時に、かれは、同じく人間心理と歴史の研究のうちに、民主主義による、権力悪解消のいとぐちを見出そうとする。その人間心理の解剖は、小事に拘泥しない、大づかみな、切れあじのよさを見せ、その歴史理解は、大胆な省略としぼりが利いて、興味ある叙述になってはいるが、しかし、権力の弊害を除去するために倫理や道徳を導き入れてくることは、一種の時代錯誤のように感ぜられるし、歴史と心理についての考察も、陽気な物知りのユーモアが多すぎる点で、かえって重厚味を乏しくさせる結果になっているようにおもわれる。
 尤も、そうはいうものの、わたくしのような、社会科学の素人にとって、本書は、見ようによっては、一ばん共感を覚えやすい「方法」によるものだと、言えば言えそうな気もしてくるのである。
 1959年3月23日 東宮隆一