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バートランド・ラッセル『ラッセル結婚論』訳者(柿村峻)あとがき

* 出典:バートランド・ラッセル(著),柿村峻(訳)『結婚論』(角川書店,1963年6月刊。236pp. 角川文庫n.2197:白28-5)
* 原著:Marriage and Morals, 1929)
*(故)柿村峻氏略歴

 ラッセル(Bertrand Russell, 1872- )は、百年前、英国の宰相となった伯爵ジョン・ラッセル(John Russell)の孫である。めぐまれた環境で、周到な教育を受けた名門出の哲学者である。哲学者というより哲人といったほうがいいかもしれない。90歳になる白髪豊かなこの老哲人は、合理主義者、自由主義者、平和論者として、各方面に活躍している。彼は、ケンブリッジ大学トリニティ・コレッジで、数学、哲学を学び、卒業後は、母校で講師となったが、第1次大戦中、良心的従軍拒否者として政府に反抗したため、投獄された。1950年には、ノーベル文学賞を受けた。原子力戦反対、核軍備全廃を主張し、東西両陣営の主脳に訴え、トラファルガー広場で坐りこみしたことや、キューバ問題については、戦争回避のため、ケネディ、フルシチョフに電報で自制を要請したことは、衆知の事実である。『サンデー毎日』(昭和37年2月11日)の記事は、ラッセルの日常をこう語っている。
「ふだんは、ウェールズの片いなかにひっこんでいるが、ときどきロンドンに出てきて、ケンジントン区にあるこじんまりした中流のフラットに住み、声明を出したり、インタビューに応じたり、寄稿したり、街頭デモに参加したり、演説したり、なかなかいそがしい生活だ。高齢だから、オーバーワークにならぬようにとラッセルの健康を気づかう夫人や秘書の心労もなみたいていではないが、本人は、疲れたときなど、推理小説に気分転換を求め、アガサ・クリスティのものなどが気に入りだという
 このような活発な彼の活動を貫くおもな精神は、現実的な合理主義であろう。ここに訳出した『結婚論』(Marriage and Morals)にもそれがみられる。しかも鋭く機知にとんだ文章で綴られている。場合によっては皮肉となっている。またそのため、この書は、非難をあびた。因襲的性道徳を打破し、女性を解放し、性に関するタブーを除去し、性を罪悪視する態度を攻撃し、父性の没落を予言したので、いきおいキリスト教倫理と衝突せざるを得なかった。こうして彼は、ニューヨーク市立大学教授の職を追われたばかりでなく(松下注:結局、ニューヨーク市立大学教授になれなかったので、「追われた」という表現は不適切)、全米にわたって完全にボイコットを受けた。
 ラッセルは、3人あると、アメリカのエグナー(Robert Egner)教授は、その編著 B. Russell's Best でいう。第1のラッセルは、実験、経験を重んずる探求者、第2のラッセルは、社会批評家、第3のラッセルは、鋭い風刺家である。この第2、第3のラッセルが、この書にもよく現われているといえよう。彼は結婚や性にまつわる偏見を打破するため、はなはだしく反俗的な言をはいている。
「生物学的な父子関係の認知は、父親の労力、保護が、家族に必要がある時代に、特に重要で、国家が、家族の保護にあたるようになってくれば、父親認知の必要性は、次第にうすくなる。父親がいなくなっても、家族がこまらないのが、文明社会だ」

「パウロは、結婚は、私通をふせぐためのものだというが、これは、パンを焼くのは、菓子をぬすまないようにするためだというのに等しい。結婚は、私通をふせぐよりも、子供を生むためのものだ」

「結婚のロマンチックな幸福をあきらめると、結婚は、幸福になる」

ロマンチックラブは、結婚の動機になるが、全部ではない」

「ロマンチックラブは、異性に接する場合、ある程度の障害があるから起こる。障害がありすぎても起こらないし、障害がなくても起こらない」

人口問題は、国際政府が確立した後に解決される。国家主義的国家に人口問題をまかせるのは危険である」

「生殖と単なる性交とは区別しなければならない」

「性は、罪でない」

「性関係は、本能そのままではない」

「避妊法は、性と結婚を区別する」

夫婦関係がうまくいけば、双方とも正しく子供の世話をする。妻も夫にもとめて得られない自分の愛の反応を子供に求めて溺愛したりしない

「女性は、子供はほしいが、性はいやだと考えているとよくいわれるが、これは、偏見である」

「あまり私通をやかましくいうと離婚が起こる」

「男女が同数でない場合、一夫一婦制を原則とするのはおかしい。女の数が多すぎて、未婚の女性がふえるときに、女性に貞操を要求するのはおかしい」

優生学は、劣等のものをたやす消極的な面と、優秀なものをのばす積極面がある。この積極面は、不平等観に立っており、非民主的でもある」

「性を秘密にすべきではない。秘密にして抑圧すると、かえって性を刺激し、性に対する関心が強くなりすぎる。性が人生の全部ではない」

「ささいな結婚外の情事で、ただちに結婚を破壊解消すべきではない。結婚は生涯の仕事である」
 ラッセルは、結婚と単なる性交とを区別して考えるべきだという。性交は、結婚の内外で行なわれるのが現実である。結婚外の性交は、避妊法によって、子供を生まないようにし、結婚によってのみ子供を生み、子供を生むことによって結婚を結実させなければならないとい。もちろん、結婚外の性交をよいとするものではない。現実社会では、そういうこともあり得るから、その場合は、避妊法により不幸な産物を生み出さないようにすべきだというのであろう。さて、ラッセルは、子供のない結婚を無意味としているが、しかしこれには多くの反対があろう。(これは、訳者の誤解だと思われる →参考しかし子供は正当な夫婦の間にのみ産むべきだという意味にとれば正しい。また彼が、結婚は一つの事業で、単なるロマンチッックなものでないというのも、現実的な考えである。ロマンチックなものを自分の結婚に発見できないといって、結婚を直ちに解消するのは、軽率だという。とにかく、結婚を1つの事業とみる考えは面白いと思う。その他女性をきずつける社会の弊害を指摘しているところからみると、彼はまたフェミニストともいわれよう。
 の書には、江上照彦氏と後藤宏行氏の2つの訳書があり、大いに参考にさせていただいたが、意見の相違のあるところも少なくなかった
 なおこの訳業を訳者にすすめられ、援助をして下さった角川書店の佐藤吉之輔氏、校正などで、御苦労をおかけした市田富貴子さんなどの方々につつしんで御礼申し上げる次第である。
 昭和38年3月末日