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飯塚浩二「序文」(ラッセル『中国の問題』第4章「現代の日本」について)
飯塚浩二(著)『比較文化論』(白日書院,1948年2月刊)pp.9-14.)

* 原著:The Problem of China, 1922.
*飯塚浩二(いいづか・こうじ:1906年-1970年12月4日)略歴:20世紀の日本を代表する地理学者の一人。1930年に東京帝国大学経済学部卒業後、ソルボンヌ大学地理学教室で学ぶ。1943年東京帝国大学教授、戦後東大の東洋文化研究所所長となる。また、平凡社より『飯塚浩二著作集』(全10巻)が刊行されている。


序文(1947年8月24日)


 バートランド・ラッセルの著『中国の問題』(The Problem of China, 1922)のなかに「現代の日本」と題する一章がある。この書物全体は、今日では'中国論'としてよりも、むしろ中国文化を鏡として映し出された西洋文化の自己批判の書として、興映深いものである。
 悪びれず、臆病にもならずに、それまでの自己の在りかたを批判することができるというのは、やはりそれだけの自己意識の烈しさ、自己の生活力ヘの信頼のあらわれというべきで、何とかして旧い方式で間に合わそうとあがく未練さなどに較べたら、まさに天地霄壌の差(注'しょうじょうのさ'/「雲泥の差」と同意)である。第一次ヨーロッパ大戦直後の時代におけるヨーロッパ文化の動きを特色づける現象としてわれわれの敬意に値するのは、ヨーロッパ文化が、あの大戦を機会に急激に推し進められた世界史的な事態の変化-少なくも政治・経済の領域におけるヨーロッパの覇権がすでに過去のものとなったということ- を率直に承認しようとしたこと、そして同時にこれをヨーロッパ文化の内省の課題として取り上げたということであろう。この点、さすがに見事だといいたいものがある。例えば、この英国のラッセルやフランスのパンジャマン・クレミゥ、ドイツのエルンスト・トレルチ等々 -われわれ門外漢の折りにふれての読書だけを頼りにしていっているのであるから、これが当然あげらるべき代表的な名前だともいえないだろうし、私が数々の大事な作品を見落としている惧れは大いにあると思う(が)- ヨーロッパの知恵と良心とを代弁する人たちの、産業革命的な Industrial Civilization (工業的文明)に対する、あるいは古典文化の直系相続人たることによってみずからの普遍性を疑わずにいた西欧的・ラテン的文明に対する、あるいはゲルマン文化の伝統に対する、直観的な、あるいは克明に分析的な、懐疑と批判の書が、一九二〇年代に相前後して公にされているのは、けっして偶然とはいえない。また本書(注:飯塚『比較文化論』のこと)の諸篇に、しばしば(まさしく、何とかの一つ覚え的に)引用するフランスのアンドレ・シーグフリードが、アメリカ文明の理解に新しい光を投ずることができたのも、ヨーロッパ文明を世界に雄飛せしめてきた中心勢力英国について二十世紀におけるその危機を指摘したのも、世界史の近代を代表してきたヨーロッパ文化が、第一次ヨーロッパ大戦後の事態において、はっきりと自己の足元を見極めようとした、冷静な、客観的な精神のあらわれとみていいと思う。
 これに較べると、ヨーロッパ文化がヨーロッパ文化を超えるもの、ヨーロッパの近代性より出でて、ヨーロッパ的近代を超えるものの登場を、不可抗の脅威として思い知らされるにいたっていなかった段階においてのこととはいえ、これも本書にしばしば引用したイタリアのアンドレア・マヨッキやギュッリェルモ・フェレロの議論の如きは、戦前あるいは戦時中の同本のみならず、東洋的文化にくみする人々に共通の西洋「物質」文明論同様、自分の流儀に甘えすぎていて、自分の旧さも新しいものの新しさにも見さかいがない。時代の推進ということについて、したがってまた時代錯誤ということについて、感覚が欠けているために、本人は泰然として自己流で万事を押し切ろうとし、新しい議題は頭から受けつけまいとするという自信のもちかたは、ご近所の物笑いはまだいいとしても、結局は誰より本人のためにならない。
 社会的秩序において、精神的秩序において、内外とも、旧来のままのものでは間に合わないことだけが確かな、この歴史上未曽有の転換期に直面しながら、ひとのことはとにかく、わが日本文化が、取り乱しもせず、取り残されもせずに、自信のある将来をもつためには、ここで冷静に、客観的に、これまでの日本文化のありかたを省察してみる勇気をもつことが、何より必要であろう。旧さを甘やかすことが、日本文化を将来に活かす途だとは思えない。
 前置きがすでに長くなりすぎたようであるが、右のラッセルの『中国の問題』を読んでみて一番わが身にこたえたのは、なかんずく、さきにいった日本論の一節であった
 それは「現代の日本国民は、今の時代においてだけでなしに、世界の歴史において、ユニークな〔つまり古今東西に比類をみぬ〕ものである、それはたいていのヨーロッパ人が全く両立し難いと考えたろうと思われる諸要素を結合させている」という言葉で始まり、次の頁にはまたこう書いてある。「科学は合理主義への傾向を有するものと考えられている。しかも日本における科学的知識の普及は、いちじるしいミカド崇拝(天皇崇拝)の強化と時間的に並行(シンクロナイズ)している。ここに日本文明における最大の時代錯誤な特色がある、社会学にとって、そしてまた攻治理論にとって、日本は絶大の興味ある国である。成しとげられた東洋〔イースト〕と西洋〔ウェスト〕との総合は、最も風変りな種類のものである。そこには表面にあらわれているより遥かに多くの東洋的なものが存するのであるが、しかし国家的な能率を目指す西洋的なものは何一つ欠けていない。それがどの程度まで東洋的諸要素と西洋的諸要素との本当の融合であるかは、疑いなきを得ない。」
 こんどの戦争中、いわばこの和洋「折衷」的文化の自己分裂の現象に悩み抜いて -本書(『比較文化論』)第二編は、戦争中によくこんなものが出せたなと言ってくれた人があるけれども、まさにこの悩みのために書いた- ようやくわれわれが身にしみて体得することのできた本質的な問題が、すでに一九二二年、いみじくも哲学者ラッセルによって指摘されていたわけである。同じ頃アメリカのソールスタイン・ヴェブレンが日本について指摘したのも、戦前にI.P.Rの叢書でハーバート・ノーマン氏が指摘しているのも、同じ趣旨のことであった。
 国を傾けた大変な実験のデータは、ことごとく彼らに名を成さしめる結果に終わったわけであるが、今日のわれわれとしてはせめて、高価この上もない実験からわれわれの学び取るべき点が何であるかだけは、見誤らぬように努めたいものである。そうした努力を経てはじめて、従来とかく借りものの嫌いのあった学問なり、近代的教養なりが、本当に日本人のものになる途も拓かれるのではないであろうか。私はこの点にせめてもの希望をかけたい。


(その2)

 本書の諸編のうち、終戦前に定期刊行物に発表することができたのは第二篇だけであるが、第一篇と第一三、一四、一五篇とは、(印刷中戦火で焼失した)『東洋文化研究』第二号のために、「旧大陸文化と新大陸文化-伝統的文化と歴史なき文化」と題して、一九四四年の末にまとめた旧稿を踏襲したものであリ、問題の扱い方としては、さらにその前年(一九四三年)の夏、ローマ爆撃の報を聞いた直後の時期に執筆して、雑誌『思想』に連載した旧稿「アメリカ文化とヨーロッパ文化-その類似と相違について」(後に、『ヨーロッパ対非ヨーロッパ』に収録、本著作集第3巻所収)のそれを継承している。比較文化論的というか、文化論的というか、文化形態論的な意図を、活字にして、公にした拙稿としては、これが最初のものといってもいい関係にあるために、本書に収めた文章でも何か名残り惜しそうに言及したりしているし、本書に再録してもよかったのであるが、相当にページ数を要するするのと、もう一つは、同稿の掲載誌は、他の雑誌とちがって、割合にひろく図書館や学校の研究室などにも備えつけられているので、興味をもっていただける読者には、ご面倒でもその便宜を利用していただくようお願いすることにして、今回は割愛した。以上にお断りした五篇の外は、終戦後に起草したものである。一番新しい第一〇篇は、この圧縮された形では予報的な役割しか果たし得ないかも知れない。いわば、いま仮に比較文化論的といっている立場からインテリゲンチァ論を取り扱う場合の見取図の如きものにすぎないのであるが、わが国インテリゲンチァの「来しかた、行くさき」を、殊に今日の如き転換期におけるインテリゲンチアの在りかたと担うべき任務とを「ひとごと」でなく考えていて下さるにちがいない読者諸兄に、ご示教を乞うよすがにもと、あえてここに収めた
 本書の諸篇いずれも、終局的な結論を提示した学術論文の如き性質のものではなく、さればといって、わかっていながら思うことの六、七しかいわず、大いに余韻をのこしたつもりの随筆の如きものとも性質を異にしている。この点、皮肉にも『随筆』と名づける京都の雑誌から頼まれて、終戦の翌春にものした本書第三篇の如き、いかにも十の十まで speak out しようとした魂胆が露骨で、いま読みかえしても、我ながら全文中一息する暇もない。その他いずれも、'若気のいたりの作品'で、けだし、老成した君子人のとらざるところ、と戒められてしまいそうな代物ばかりをよくも書きつづけたものである。
 しかし、円熟した君子、士大夫たちがいかに認めるのを潔しとしなかろうとも、民主主義は、社会秩序としても、イデオロギーとしても、封建的なるすべてと--もちろん、君子人に親しい儒教的倫理とも--直接的に対立し、敵対する関係にある。この厳然たる真理を、アンシァン・レジームヘの未練のゆえに、蔽いかくすことは許されない。民主革命の過程から生れ出るのもまた罪多き子供であるかも知れない。しかし少なくとも、彼は基本的人権の蹂躙すべからざることを知っており、人間が人間を隷属せしめるような社会関係の存続ないし再生を、「これが世の中というものだ」として是認し、人々にも諦めさせる老獪さを身につける代わりに、人間性の解放をあくまで守りとおそうとする善き意志だけは、しっかりと胸にたたみ込んでいるはずである。単にこの点のみをもってしても、人間性の上に大きな光明をもたらすものであることは、疑うべくもないのである。
 明治の維新の場合にきざした人間性解放の運動も、絶対主義の確立によって中道に挫折してしまった。今日といえども、パール・バック女史のいう「自由で独立的で自治的」な人間、自分で自分を規律してゆくことのできる人間を育ててゆくには、日本人ひとりひとりのおかれている生活環境は、けっして有利であり、好意的であるとはいえない。ともすれば他力依存の気持を許し、いわゆる「東洋的宿命論」の雰囲気に坐りこんでしまおうとするわれわれの弱さを清算して立ち直るためには、過去の因縁がまだあまりにもわずらわしくわれわれの身に付きまとっている。しかし明治における近代性をいち早く畸型化した、封建制最後の形態としての絶対主義だけは、もはや政治権力的な外からの桎梏たることをやめた。残る問題でわれわれが素通りしてしまうことができないのは、われわれの倫理の構造、思惟の形式、そして生活感情の隅々に、執拗に膠着して、進歩的な人々にさえ大事なときに理非の判断を誤らせがちな、骨身に滲みこんだわれわれの旧さ、近代以前的なレジームのあらゆる残滓をどう始末をつけるかである。
 画期的な民主主義的な新憲法は、幸いにして作られた。新しい酒を旧い革袋にもることはできない、という諺があるけれども、今日のわが国の場合では、ことの順序がどうやら逆立ちして、新しい酒の醸造が間に合わない。間に合わねば、その程度に正比例して、旧い革袋にのみふさわしい分子がいつまでも名残りの春を謳いつづけるだけの話である。そしてまたしても、バートランド・ラッセルあたりから「現代の日本国民は・・・世界の歴史においてユニークなものである」といわれたり、「時代錯誤な特色」を珍重がられてみたりしてもはじまらないであろう。
 民主政体にふさわしい「新しい酒」、民主的な自覚がしっかりと身についた新しい分子が、家庭で職場で、農村で工場で、ふつふつと音を立てて醸し出されつつあるような実情にあるかどうか。ともあれこの時代にペンをもつ人間のはしくれとして、自分一個の力はわずかなものでも、これを新しい秩序への酵母として役立てたい。心からの願いをここにこめて、ささやきながら、以下の一群のエッセイを世におくりたいと思う。何分にも、一足ごとに今までの自分の迂闊さ、自分の勉強不足を思い知らされながら、問題の所在を手探りしてきた、たとたどしい過程の産物に外ならないのであるから、問題を取りちがえしている点、分析を誤っている点、言い及び得ないでいる点などについて、忌憚なきご叱正を賜るならば、この上ない仕合せである。
 一九四七年八月二十四日  著 者 識