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バートランド・ラッセル(著),中村秀吉(訳)『数理哲学入門』 - 訳者解題

* 出典:バートランド・ラッセル(著)『,中村秀吉(訳)『数理哲学入門』(河出書房新社,1966年。415pp.)pp.375-376.
* 原著:An Introduction to Mathematical Philosophy, 1919.
* 中村秀吉氏略歴

解題 (中村秀吉)

 ラッセルの『数理哲学入門』は、第一次大戦中の一九一八年の五月から九月までの四ヵ月半の間、かれが反戦運動のかどで投獄されているあいだに書かれたものである。この辺の事情をラッセル自身つぎのように回想している。
「一九一八年に私は平和主義宣伝をやったかどで四カ月半投獄された。しかし、アーサー・バルフォア(松下注:Arthur J. Balfour,1848 - 1930:英国の保守党政治家。1902年7月11日~1905年12月5日まで英国首相)の仲介で、第一部門にいれられ、そのため牢獄にいる間、平和宜伝でなければすきなだけ読んだり書いたりはできた。私には牢獄が多くの点でまったく快適なことがわかった。というのはきまった用事もなく、むずかしい決定をすることもなく、訪問者や自分の仕事の邪魔物もなかったから。私は沢山読んだし、『数理哲学入門』という本も書き、『精神の分析』(「精神分析」の本ではないので、邦訳書名は『心の分析』の方がよいと思われる。)という本のための仕事も始めた。」(ラッセル『自伝的回想』邦訳、三六ぺージ)

 ラッセルの伝記作家A.ウッドによれば、かれが獄中で不便に思ったのは煙草と友人だけだったという。かれは几帳面に日課を組み、毎日四時間の哲学著述、四時間の哲学読書、四時間の一般読書をおこなった。典獄は獄中から外へ出る原稿を残らず検閲しなければならなかったが、この『数理哲学入門』にはまったく手を焼き、ついに冑(かぶと)をぬいで、この本には破壊的なことは何も書いてないことをラッセル自身で保証してくれたらよいことにしたという。(アラン・ウッド「バートランド・ラッセル』邦訳一七一、一七三ぺージ)
 ラッセルはモニュメンタルな労作『数学原理(プリンキピア・マテマティカ)』三巻を師のホワイトヘッドと一諸に仕上げてから間もなく、第一次大戦の勃発を経験し、これから一切の努力を反戦運動に傾けて、ついに投獄の憂き目をみたわけである。本書はその大作『数学原理』の一般向きの解説書として書かれている。しかし世に多い大作・労作の解説書とちがって、内容において薄められたところはほとんどない。ここには演繹の計算的部分こそないが、ラッセルの論理的基本思想は納得がゆくように、しかも流麗・簡潔に説明されている。したがって数学的論理学の入門書としても用いうるものである。しかし本書の説明の意図する目標は当時最高度の学的達成のところまでに及んでいるので、これだけの説明では十分理解しかねるところも多いであろう。関数の極限や連続性の説明、あるいは集合論に関して問題になる乗法公理や無限公理に関連した議論は程度の低いものではない。むしろ一般の人にはきわめて抽象的でつかまえにくいものと感ぜられよう。主としてかれ自身の寄与になる論理的パラドクスとその解決策、つまり命題関数とその値とに関するタイプ理論、これに関連した還元公理も、これだけの説明ではわかりにくいであろう。本書は一読してこの方面に関する知識が一通りえられる完結した著作としてよりも、これから刺激を受けてさらにくわしい論著を勉強する刺激剤として利用すべきものであろう。

 本訳書の底本としては一九一九年に出版された初版本を用いた。その後、版を重ねているが内容にわたる訂正はなく、若干のミスプリントの訂正があるだけである。訳文は原意に忠実であることに努めて、意訳は避けるようにした。本書の邦訳は存外古く、すでに一九二二年、宮木鉄之助氏の全訳が改造社から出版されている。その後、平野智治氏による邦訳が一九四一年弘文堂から『数理哲学序説』として出版されたが、これは現在、訂正を経て岩波文庫に入っている。本訳者は平野氏の翻訳を参照し、教えられることが実に多かった。ここに記して感謝の意を表する次第である。合わせて、訳者の口述を筆耕された藤田晋吾氏の厚意に感謝したい。