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バートランド・ラッセル(著),生松敬三(訳)『哲学入門』(角川書店,1965年/角川文庫,n.2342) - The Problems of Philsophy, 1912

* 生松敬三(Ikumatsu Keizou: 1928~1984)は、東大文学部哲学科卒。同大学院修了。1971~1984の間、中央大学教授。思想史・文化史・哲学専攻。

訳者解説(1965.3.10)

 この『哲学入門』は、Bertrand Russell: The Problems of Philosophy, Oxford University Press, 1912(Home University Library Series) を翻訳したものである。原著名どおりに訳せば、当然「哲学の諸問題」であるが、いちおうわが国での先行諸訳書の例にしたがい、「哲学入門」とした。事実、この本は数多いラッセルの著作のなかでも、一般向きの「哲学入門」書として、もっとも広く長く読まれている本である。
 ただ、原著名が「哲学の諸問題」であることは念頭においておいてほしい。目次をみただけでもわかるとおり、ここで扱われているのは、もっぱら知識論上のさまざまな諸問題であって、それについてのラッセルの見解がきわめて簡明に述べられているわけなのである。もっとも、簡明といっても、問題が問題であるだけに、ところによってはかなり煩瑣な議論にも立ち入っているが。そしてまた、全体として、ラッセルの論述の進め方は、ある章から次の章への関連づけがいちおうはなされていても、その章での議論の展開によって導き出された、あるいは導き出されるはずの問題のすべてが、次の章で受けとめられ、さらに展開されるというふうにはなっていない。一章、一章の問題が必ずしもじゅうぶんに完結されないままに、読切連載的につながってゆく。その意味でもやはり、この本は『哲学の諸問題』である。だが、おそらくこの点も、最後の2章(「哲学的知識の限界」と「哲学の価値」)まで読み進められれば、哲学をあくまで「知識の批判」としてとらえ、しかも確定的な解答のために哲学的思索がなされるのではないというラッセル自身の基本的な態度からする、ひとつの必然の帰結でもあることが納得されるであろう。そういうものとして、これはまた独自の「哲学入門」で、とくに論理的思索、論理的分析の訓練に、大いに有用なものといってよい。

 ラッセルの著作のなかでは比較的初期のものであるこの本が、その後のラッセルの哲学の展開からみてどういう位置を占めるか、という問題については、いろいろのことが言われねばならないが(1948年にラッセルの知識論は『人間の知識』(Human Knowledge; its scope and limits: 邦訳「ラッセル著作集」第9・10巻にまとめられている)、ここでは、ラッセル自身が『私の哲学の発展』(My Philosophical Development, 1959)「ラッセル著作集」別巻)中に述べているところを記すにとどめよう。
「いま読み返してみるとその中で述べた多くのことを、いまでも私は真だと信じているのを見出す。「知識」は精確な概念でなく、「蓋然的意見」とはきっぱり分たれないものであるということに私はいまでも同意する。自明性は程度をもつということ、またひとつの一般的命題を、それの真理を示す,ただひとつの例をも知ることなしに知りうる……ということに、私はいまでも同意する。しかしながら、他の点では、私の見解はそれ以後重要な変化を蒙っている。私はもはや論理の法則が事物の法則であるとは考えない。反対に私はいまで論理の法則を単に言語的なものと見ている。私はもはや、点や瞬間や粒子を世界を作る原料の一部とは考えない。またこの小さな本で私が帰納について述べたことは、まことに粗雑であるといまでは思われる。またこの本では普遍と、普遍についてのわれわれの知識とについて、強い確信をもって述べたが・そういう確信をいまではもはやもっていない。もっとも私は、同じくらいの確信をもっていま主張できると思う何か新たな意見をその問題についてもっているわけではない。云々。」

 ラッセルの著作は、ホワイトヘッドとの協力になる主著『数学原理』(Principia Mathematica, 1910-1913 を別として、主要なものはほとんどといってよいくらい「ラッセル著作集」その他のかたちで翻訳されており、すぐれた研究書として碧海純一『ラッセル』(勁草書房)、興味不快伝記としてアラン・ウッド『バートランド・ラッセル-情熱の懐疑家』(みすず書房)なども出されている。

 なお、この『哲学入門』の翻訳は山崎正一先生のおすすめによって完成したものである。私にとってはこの翻訳はたいへん勉強になったので、こういう機会を与えていただいた先生に改めて感謝する次第である。
 また新井慶、柿村峻、中村秀吉の先学諸氏によるこれまでの訳業はつねに参照させていただき、見解を異にした点はたくさんあるが、得たところも多大であった。この場所を借りて深い謝意を表する。
 それから、終始お世話になり迷惑をかけた角川書店編集部の佐藤吉之輔氏にもお詫びとお礼をここで申し上げておかなければならない。
 1965年3月10日 訳者