私は、人間の営みにおいて理性が果たす役割を過大評価していると、繰り返し言われる。これは、私が「人間は、批評家たちが考えているよりも実際には理性的である」と思っているか、あるいは「そうあるべきだ」と考えている、という意味に受け取られているのかもしれない。
しかし私の考えでは、先に誤りを犯している(前提の段階で誤っている)のは批評家たちのほうである。すなわち、理性が果たしうる役割を、非合理にも、私ではなく彼らこそ過大評価しているのである。そしてこのことは、彼らが「理性(reason)」という言葉の意味について、完全に混乱しているという事実に由来しているのだと、私は考えている。
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I am told over and over again that I over-estimate the part of reason in human affairs. This may mean that I think either that people are, or that they ought to be, more rational than my critics believe them to be. But I think there is a prior error on the part of my critics, which is that they, not I, irrationally over-estimate the part which reason is capable of playing, and this comes I think from the fact that they are in complete confusion as to what the word "reason’’ means.
Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, (1954), preface.
More info.:https://russell-j.com/cool/47T-preface-02.htm
<寸言>
幼い子供は大人のやることに余り疑問を抱きません。それどころか、大人のように自分もいろいろできるように早くなりたいと思い、大人のやることをいろいろ真似します。よい大人を見習えば急速に成長していきますが、教え方が上手でない大人であれば知的・精神的成長速度は遅く、あまりよくない大人に日々接するような環境に育てばあまり好ましくない大人へと成長する可能性が大となります。
したがって、学校教育(特に義務教育)は誰にとっても重要であり、教師の影響力は甚大です。学校教育は国によって性格がかなり異なっており、創造性を育むというのは万国共通の目標だと言ってよいと思われますが、物質的な生活に対する見方は国によって異なっており、それは国民性にも反映されています。アメリカにおいては所有衝動は肯定的にとらえられますが、日本においてはお金への執着はあまりよく思われません。
ラッセルの基本的な考え方は、「人間の欲求には私有(所有)できるもの(共有できないもの)と共有(シェア)できるものがあり、可能な限り、私有(所有)衝動を抑制し、共有可能な衝動を助長する生活スタイルが望ましい。最良の生活(人生)とは、創造的衝動が最大限に発揮され、所有衝動が最小限に現れる生活(人生)である。」( There are possessive impulses, which aim at acquiring or retaining private goods that cannot be shared; these centre in the impulse of property. And there are creative or constructive impulses, which aim at bringing into the world or making available for use the kind of good in which there is no privacy and no possession. The best life is the one in which the creative impulses play the largest part and the possessive imuplses the smallest.)というものです。
ラッセルの次の発言について、あなたはどのように思われるでしょうか?
教育、結婚、宗教は本来創造的なものであるにもかかわらず、所有的な動機の侵入によって、3つとも全て傷つけられてきている。... 創造的な衝動は本質的に調和的なものである。ある人が創造するものが、別の人が創造しようとするものの妨げになることはありえないからである。対立を伴うのは所有欲の衝動である。... 教育や社会制度は、異なる人間の中で調和する衝動を強化し、対立を引き起こす衝動を弱めるようなものにしなければならない。
(Education, marriage, and religion are essentially creative, yet all three have been vitiated by the intrusion of possessive motives. ... The creative impulses in different men are essentially harmonious, since what one man creates cannot be a hindrance to what another is wishing to create. It is the possessive impulses that involve conflict. ... Education and social institutions ought to be made such as to strengthen the impulses which harmonize in different men, and to weaken those that involve conflict.) Source: Bertrand Russell
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自分から見て、論理の飛躍をしていると思う人は「感情的だ」「思考力がない」と映り、自分が理解できない理屈を淡々と述べる人は「理屈っぽい」「感性に問題がある」と映りがち・考えがちです。
ラッセルのように多方面の能力を持っている人は少ないせいか、ラッセルの言うことを理解できずに、うわっつらの批判をする人がけっこういます。
論理学や数学などの分野では、(最初から理解をあきらめているので)そんな誤解をする人はほとんどいません。しかし、政治や宗教、その他、誰でもが自分の意見をもっている領域においては、相手の言っている言葉を自分が理解できる言葉に翻訳(誤訳)してしまいますので、どうしても誤解が生じてしまいます。
それについては、次のラッセルの言葉はとても有名です。
https://russell-j.com/cool/38T-1101.HTM
「賢い人間が言ったことを愚かな人間が伝えるととき、正確であったためしがない。なぜなら,愚かな人間は,自分が聞いたことを自分が理解できる内容(もの)に無意識に翻訳(誤変換)してしまうからである。」(A stupid man's report of what a clever man says is never accurate, because he unconsciously translates what he hears into something that he can understand.)
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