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ラッセルの哲学 概観と手引 11関係している事柄(そこに含まれるもの)は、美的な優雅さ(簡潔さ)への愛とか、統一への愛とか、体系への愛とか深遠さ(profundity 奥深さ)とか(「深遠さ」 という語にはいろいろな意味があるが、私が考える唯一の意味において=真の意味での「深遠さ」?) 、多様に(様々に)記述可能であろう。それは彼の非人間的かつ確実な真理へ情熱と、部分的には結びつき、部分的には敵対するものであった。そうして、まったく同様に(just as)達成不可能なものであることがわかった(のである)。(訳注:数学などで「elegant な解答と言う場合、「優雅」というよりも、「簡潔で、洗練された」解答と言う意味になります。) 初期の論文の中で、彼は、最も偉大な数学の著作において「統一と必然性は、一つの劇の展開において感じられるのと同様に、感じられる(訳注:ひとつのドラマは全体的に統一性があり、起承転結の必然性が与えられている?)。体系への愛、即ち相互連関への愛は(訳注:関連のないものの集まりではないこと)、恐らく、知的衝動の最も奥深いところにある本質であろう」*1と述べている。しかし、後になって、彼は体系への愛は哲学における誠実な思考に対する最大の障害であるという結論にいたらざるをえなかった。(それは)丁度、「確実性への要求は人間にとっては自然なものであるが、それにもかかわらずそれはやはり一つの知的悪徳である」という結論をくだしたのと、同じである。(訳注:真摯な真理の探究においては、人間の都合のよい結論を前提にしてはいけない、ということ)*2 彼は1931年に、(この)結論を、次のように最も極端な形で述べている。 「アカデミックな哲学者達は、パルメニデスの時代以来、(この)世界は一つの統合体だと信じて来た。 私の知的信念の最も根本的なものは、それ(注:世界は一つの統合体であるという信念)は馬鹿げたもの(rubbish)だということである。この宇宙は、飛び飛びの世界(?)(spots and jumps)であって、統一もなく(注:一般相対性理論)、連続性もなく(注:量子力学的世界像)、整合性その他の女教師が愛するような全ての特性をもたないものだと私は考える(訳注:ラッセルは幼い頃、女性の家庭教師達 governesses をつけられていたことに注意)。まったく、一つの世界があるという見解に賛成して言われることは、ほとんど全ては(little but)偏見か(思考)習慣にすぎない・・・*3」 こういった(文の)一節の真価を認める(理解する)ためには(to appreciate)、それを、単純に、大多数の「アカデミックな哲学者」に対する全般的な攻撃であると見なしてはならない。それは、ラッセル自身がかつて抱いた立場(主張)に対する攻撃であった(のである)。そして、その立場は、知的に可能なものとして抱きたいと常に思っていたもの(立場)なのである。 *1 『神秘主義と論理』p.66, 『外界の知識』p.238参照 *2 『不評判なエッセイ集(反俗評論集)』p.42 *3 『科学の眼(科学的見方)』p.98 *4 『科学の眼(科学的見方)』p.101
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Summary and Introduction n.11What is involved might variously be described as love of aesthetic elegance, love of unity, love of system, or profundity. (In the only sense of the word 'profundity' which I think has any meaning.) It was a passion partly connected with, and partly at variance with, his passion for impersonal and certain truth. And it proved just as impossible to attain.In an early article he described how, in the greatest mathematical works, 'unity and inevitability are felt as in the unfolding of a drama.... The love of system, of interconnection ... is perhaps the inmost essence of the intellectual impulse'.*1 He was later forced to the conclusion that the love of system was the greatest barrier to honest thinking in philosophy; just as he decided that 'the demand for certainty is one which is natural to man, but is nevertheless an intellectual vice'.*2 He put his conclusions in their most extreme form when he wrote in 1931: 'Academic philosophers, ever since the time of Parmenides, have believed that the world is a unity. . . . The most fundamental of my intellectual beliefs is that this is rubbish. I think the universe is all spots and jumps, without unity, without continuity, without coherence or orderliness or any of the other properties that governesses love. Indeed, there is little but prejudice and habit to be said for the view that there is a world at all. *3To appreciate the force of such a passage, it must not be regarded as simply a sweeping attack on most 'academic philosophers'. It was an attack on a position which Russell held himself; and one which he always, in a sense, wanted to hold as intellectually possible. *1 Mysticism and Logic, p.66, cf. Our Knowledge of the External World, p.238 *2 Unppoular Essays, p.42 *3 Scientific Outlook, 98 *4 ibid., p.101 |