バートランド・ラッセル 子供にとっての学校と家庭
* 出典: On Education, especially in early childhool, pt.1, chap. 2, 1926『ラッセル思想辞典』所収
何歳から学校に通うべきかは、家庭の事情と主として家庭の場所的環境によって違う。
田舎、農村の子は自然観察と農作業とに恵まれ、型にはまった学校教育が始まるまでに、幸福で適当な幼児期を送ることができるが、狭いアパート住いの都会の子はちがう。彼らには学校は自由への逃げ場である。運動し、騒ぎ、そして仲間を作る自由があって望ましい。良い保育園も子供の興味をつなぐのに必要な指導があれば十分で、小さい家でのほとんど避けられない監視と干渉とから子供を救う。
(学校は)家庭で満たされない、(1)空気と太陽光線、(2)必要で適当な食事、(3)跳んだり遊び回れる広場、(4)存分に騒げる喜び、(5)同年齢の他の子との親しい交わり、(6)親の関心から逃れること(忙しく、貧しい母親は、比較的知的で慈愛に満ちた中産階級の母親よりも、絶えず子供に干渉がましい監視ができないから、案外無害である)、(7)遊び道具が揃って安全に配慮されていることなどがあり、望ましい。六歳になるまで、これらの条件を奪われている子供は、病身で、神経質で、冒険心も忍耐心もない子になる。
家庭と学校との問題を抽象的に論ずるのはむずかしい。理想と現実との対比の仕方で一方に偏向しやすいからである。私は、少なくとも都会の理想的な家庭より、理想的な学校の方が好ましいと信じる。だが、現実の学校が現実の家庭より良いとも言えない。家庭の良さは、まず、親が子に愛情を感じているのに対して、教師は受持の子供に親愛の情など余り感じていない。公共の精神に動かされて活動している。
家庭で子供は愛情を味わえる。必要な小さな社会の体験ができる。男女の年齢の違う人々との生活経験を味わえる。成人して役立つ多種多様な仕事も体験できる。家庭は学校が人為的に単純化していくものを是正する役割を体験させるから有用である。家庭の長所は個人差を大切に保持させてくれる。
親としての感情は利他主義の主たる源泉で、子供は家庭で日常これを経験し、無意識に身につける。この価値は、子のない婦人の様子から十分うかがわれることである。(松下注:写真は、Beacon Hill School の教室風景:ドラ・ラッセルと子供たち