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牧野力(編)『ラッセル思想辞典』より

政治的懐疑主義の必要性

(From: Sceptical Essays, 1928, chap.11.


 英語を話す国の特質の一つは,政党への無限の興味と信念である。国民の大部分は,ある政党が権力の座につくと,苦しめられてきた害悪が改められると心から信じ,投票する。これは政権交代が起る一つの理由である。だが改められないので,やがてすべての政党への迷信の夢がさめる。その時,彼は老人になっている。息子が親の二の舞をふむ。
 この事実に対し,国民の大半が政治上何か貢献できることは,政治問題に対して全くちがった見方をすることにある。
 政党政治とか別の政治機関とかに依らねばならないとすれば,この政党か機関と民主主義とをどう結びつけるかが最も差し迫った問題となる。
 政治家に,高邁さが欲しいと主張しても無駄である。高遭さを主張する政治家は多分当選を他人に奪われるからだ。政治家への道徳的勧告は,賄賂をとるな,と露骨に言う以外には何の役にも立たない。
 政治問題の専門家には,(イ)政党の実際政治家,(ロ)主として公務員,学者などの専門家がいて,それぞれ特殊な技術をもっている。大抵の専門家は,行政上の権力があれば,暴政を揮う衝動に駆られやすい。権力が役人の手に渡っても同様である。ますます複雑になる社会で,専門家が今後大きな影響力を持つことになる。
 工業主義は,世界的規模の協力が新しく必要なのに,人間の本能も思考慣習も旧態依然で,敵対行為で互いに傷つけ合っている。政党政治も本能的反応から敵対感情に訴えている。
 教育が一世代の間に新しい方向に向けられるまでは,従来の行動様式による外ない。期待できる最上の行動は,できるだけ多くの人々が政治的懐疑論者になり,魅力的に提示される政党綱領を軽信せず,厳しく検討することである。有能で公共精神に富む人も,政治で成功するには偽善者にならなければならない。 (写真:1923年,ロンドンのチェルシー選挙区に労働党候補として立候補したラッセル;2歳の息子ジョンと。From R. Clark's The Life of B. Russell.)