バートランド・ラッセル「社会改造と教育」
* 原著: Principles of Social Reconstruction, 1916, chap.5.* 出典:牧野力(編)『ラッセル思想辞典』より
どんな社会改造の願望にも、政治制度としての教育が介在する。どんな政治理論も、成人男女と同様に、子供にも適切でなければならないが、理論家には子供がないか、いても子供のざわめきから注意深く自分を静かな所におき、執筆中すっかり子供を忘れている。
(また)幼稚園の創始者で、知恵ある児童教育を実践したモンテッソリ女史の方式を支持する人達は、豊かな児童知識をもつが、高学年の教育や教育の究極目標への意識は不十分である。
教育は、原則的には現状肯定派の味方で、根本的変革には最強の力で対抗する。それは、子供の心情や意見が、幼時から両親と学校とに影響されているので、それが危機に臨むと甦る(蘇る)からである。
子供の権利を尊重するならば、子供に自主的に考えさせ、対立する党派を知的に選ぶ力を養成し、教育を'政治的武器'に使う考えなど起きないはずである。しかし政治制度としての教育は、子供が一連の考えを当然心に抱くように仕向ける習慣の形成を狙い、子供の知識と思考を制限する。正義と自由は社会改造の基盤的原則だが、教育面だけでは不十分である。
教育は本質的には建設的なものだから、何が「良い生活」かを、積極的に考えさせる必要がある。優れた教育を行える人は子供の個性をのばす人で、徹頭徹尾、若い生命や個性への畏敬の念に溢れる人である。子供を型にはめようとする人はその逆である。豊かな想像力も活気も暖かな人情もない教師もいる。文部官僚は粘土いじりの職人にすぎない。国家や教会やそれらに奉仕する巨大な制度が教育を行うのは、畏敬の念からではなく、青少年少女自身のためではなく、常に、社会的には現存秩序維持のため、個人的には世俗的成功のためである。
どの文明国の児童も必ず読み・書き・算数(ソロバン)を、一部の者には医学・法律・技師たる職業に必要な知識を、さらに、適性ある資質の者には科学・文芸に必要な高等教育を学ばせるべきだ。
積極的できわめて有害な授業の特徴は、歴史と宗教など論争の種になる科目において、特定の見解を信奉させる点にある。どの国も、自国を他国よりも優れた国だと子供に信じ込ませようとする。国民的誇りを心に植えつけ、それを土台にうぬぼれと侵略への下地を作る点にある。そして頑迷な国家主義の存続に奉仕させる。
世界平和のためには、まず歴史の教え方を国際的な委員会に委託し、愛国的偏見のない中立的教科書を作らせる必要がある。
歴史教育と同じことが宗教教育についても言える。真理と確証できない事柄に、特定の信念だけを注入してはならない。教育は真理への探求心を培うことで、特定の信条を真理と確信させることではない。教会、政党、国家などの戦闘的組織は特殊な信条で人々を団結させる。
現代において実際的事柄は非常に多くの知性を必要とするが、軽信性を植え付ける教育は知性の衰退を招くだけである。懐疑だけが唯一の合理的態度であるような事柄や場合がある。服従と規律の代りに独立心と知的衝動を育て、建設的懐疑を刺激し、知的冒険を愛すること、進取の気性、思考の大胆さを培うべきである。 (写真:ラッセルと次男コンラッド)
Every State wishes to promote national pride, and is conscious that this cannot be done by unbiased history. The defenceless children are taught by distortions and suppressions and suggestions. ...
If good relations between States were desired , one of the first steps ought to be to submit all teaching of history to an international commission, which should produce neutral textbooks free from the patriotic bias which is now demanded everywhere