第18章 権力を手懐けること, n.35 - 真に価値があるものは個人的なものⅣけれども,私は純粋に消極的な(否定的な))情緒的態度(をとること))を説きたい(preach 伝導する)とは望んでいない。(即ち)私は強い感情(emotions (複数形の場合) 喜怒哀楽の感情)は(よくないので)全て打ち壊すような分析(注:desctructive analysis 建設的な意図のない破壊主義的な分析)にさらすべきだ,と示唆しているわけではない。私はただこのような態度を集団ヒステリーの基礎(土台)となる(種々の)感情との関係においてのみ主張している(擁護している)のである。というのは,戦争や独裁制を助長(促進)するのは集団ヒステリーだからである。しかし,知恵は「単に」知的なものであるだけではない。(つまり,)知性は,行動(行為)に導く力(強制力)を導き,指示するかもしれないが,しかし,(その力を)生み出すことはない(注:みすず書房版の東宮訳では、「知性は指針となり指導役となるかもしれないが,しかし,行動に導く力(強制力)を生み出さない(Intellect may guide and direct, but does not generate the force that leads to action)」と guide と direct を自動詞であるかのように訳している。しかし,自動詞はなく他動詞であることから,目的語があるはずである。即ち,目的語である "the force (that leads to action)"を明示的に約すべきであろう)。その力は(喜怒哀楽の)感情から出てくるものであるに違いない。望ましい社会的な結果をもたらすような感情は,憎悪や激怒や恐怖のような感情ほどに,そう簡単に生み出されるものではない(注:憎悪や激怒や恐怖といった感情を生み出すのは容易だということ)。そういった感情を創造するにあたっては,多くのことが(人間の)幼児期に依存している(かかっている)。経済的な状況もまた大いに依存している。けれども,通常の教育課程において(も),より良い(喜怒哀楽の)感情を育むことができる養分を供給し,そうして人生を価値あるものにしてくれるものの実現をもたらす,何らかの物事を行うことができる(はずである)。これは(このことは),過去においては,宗教の目的の一つであった。けれども,(カトリック)教会には他にもまた種々の目的があったし,それらの目的の独断的な基礎(土台)は種々の困難(な問題)の原因となっている(独断的な基礎から困難がもたらされている)。伝統的な宗教をもはや信ずることのできなくなっている人々に対しては,(宗教以外の)他の方法が(いろいろ)ある。自分に必要なものを音楽に見出すものもいるし,詩に見出す者もいる。それ以外に、天文学が同様の目的として役立っている人たちもいる。われわれが宇宙(この世 universe ではなく,星宇宙 stellar universe)の規模(の大きさ)や(人間にとってとてつもない)古さを静かに思う時(沈思黙考する時),[★このどちらかというとあまり重要でない惑星(注:地球)についてのいろいろな論争(controversies 長談義)はその重要性はいくらか失われ,論争(disputes 口論)の激しさはばかばかしいつまらないことに思われる,また,我々は,そうした消極的な(否定的な)情緒から自由になると(解放されると)★],音楽や詩を通して,歴史や科学を通して,美あるいは苦痛を通して,人間にとって真に価値があるものは(社会的なものではなく)個人的なものであって、戦場や政治の衝突や外部から押し付けられた目標に向かう人間集団の連隊行進において起こるようなものではない,ということをより十全に理解することができるのである。(注:みすず書房版の東宮訳では,どういうわけか,[★~★]で囲まれた部分が訳出されていない)。 社会の組織化された生活は必要であるが,それはメカニズム(機構)として必要なのであって,それ自体が価値あるものとしてではない。人生において最も価値あるものは,偉大なる宗教家たちが語ってきたものにより似ている。「全体主義国家」(注:corporate state 法人国家;経済の大部分を政府が統制管理する国家のこと)を信ずる人々は,我々の最高の活動は集団的なものであると主張するが,私としては,我々は各自異なった方法で最上のものに到達するし,また,群衆の情緒的な統一はより低い水準でのみ達成できる(レベルを下げないと達成できない)ということを主張したい。 |
Chapter 18: The taming of Power, n.35IV
This has been, in the past, one of the purposes of religion. The Churches, however, have also had other purposes, and their dogmatic basis causes difficulties. For those to whom traditional religion is no longer possible, there are other ways. Some find what they need in music, some in poetry. For some others, astronomy serves the same purpose. When we reflect upon the size and antiquity of the stellar universe, the controversies on this rather insignificant planet lose some of their importance, and the acerbity of our disputes seems a trifle ridiculous. And when we are liberated by this negative emotion, we are able to realize more fully, through music or poetry, through history or science, through beauty or through pain, that the really valuable things in human life are individual, not such things as happen on a battlefield or in the clash of politics or in the regimented march of masses of men towards an externally imposed goal. The organized life of the community is necessary, but it is necessary as mechanism, not something to be valued on its own account. What is of most value in human life is more analogous to what all the great religious teachers have spoken of. Those who believe in the Corporate State maintain that our highest activities are collective, whereas I should maintain that we all reach our best in different ways, and that the emotional unity of a crowd can only be achieved on a lower level. |