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バートランド・ラッセル 権力 第18章 (松下彰良 訳)- Power, 1938, by Bertrand Russell

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第18章 権力を手懐けること, n.30 - 民主主義を育む教育

 


ラッセルの言葉366
 教育がこの事柄(問題)でなさなければならないことは,二つの見出し(heads)のもとに考察できる。第一は、(人間の)性格と感情とに関連してであり、第二は、教育的指導(instruction)に関連してである。前者から始めよう。

 民主主義機能できるものであるべきだとすれば、人々(the population 国民/住民)は,できるだけ,憎悪や破壊性(destructiveness 破壊したい気持ち)を持たない(囚われていない)とともに,恐怖(心)や卑屈さも持たない(囚われていない)ということでなければならない。こうした感情は政治的あるいは経済的状況によって引き起こされるかも知れない。しかし,私は(ここでは),人々(人間)をそのような感情に多少なりともなりがちになることにおいて教育が果たしている役割について考察したい。

 なかには、まず、子供完全な服従を教える試みや奴隷あるいは反逆者のいずれかをほぼ生む運命にある試みから始める親や学校があるが,そのような試みはどちらも民主主義において望まれるものではない。厳しい訓練中心の教育(disciplinary education 躾が中心で厳しく指導する教育)の効果に関しては、私の懐いている見解は、ヨーロッパの全ての独裁者によって懐かれている見解である(と同じである)。戦後(第一次大戦後),ほぼ全てのヨーロッパ諸国は多数のフリー・スクール(自由学校)を創設しており、それらの学校は,訓練が多すぎることも、教師に対する過剰な敬意を示すこともない。しかし,一つまた一つというふうに(徐々に)、軍事的独裁制は -ソヴュト(連邦)共和国もそのうちの一つであるが- 学校におけるあらゆる自由はすぺてこれを抑圧し、古い(旧式の)訓練にもどり、また、教師を小型フューラーあるいは小型ドゥーチェ(注:フューラ(総統)はヒトラーを,ドゥーチェ(国家指導者/首領)はムッソリーニのこと)として扱う慣行に後戻りしてしまっている。全ての独裁者は、学校におけるある程度の自由は民主主義のための訓練として適切なものであり、学校における独裁制は国家における独裁制の当然の前奏(序曲 prelude)をなすものと見なしている、と我々は推測してよいだろう(注:つまり,独裁政権にとっては学校における自由は不適切だと独裁者は考えているということ)

Chapter 18: The taming of Power, n.30

IV

What education has to do in this matter may be considered under two heads : first, in relation to character and the emotions ; secondly, in relation to instruction. Let us begin with the former.

If democracy is to be workable, the population must be as far as possible free from hatred and destructiveness, and also from fear and subservience. These feelings may be caused by political or economic circumstances, but what I want to consider is the part that education plays in making men more or less prone to them.

Some parents and some schools begin with the attempt to teach children complete obedience, an attempt which is almost bound to produce either a slave or a rebel, neither of which is what is wanted in a democracy. As to the effects of a severely disciplinary education, the view that I hold is held by all the dictators of Europe. After the war, almost all the countries of Europe had a number of free schools, without too much discipline or too much show of respect for the teachers; but one by one, the military autocracies, including the Soviet Republic, have suppressed all freedom in schools and have gone back to the old drill, and to the practice of treating the teacher as a miniature Führer or Duce. The dictators, we may infer, all regard a certain degree of freedom in school as the proper training for democracy, and autocracy in school as the natural prelude to autocracy in the State.
(掲載日:2018.06.13/更新日: )