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バートランド・ラッセル 権力 第4章 - Power, 1938, by Bertrand Russell

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第4章 聖職者(僧侶)の権力 n.23 - カトリック教会の道徳上の影響力の低下

 十五世紀の教皇権は,イタリアにはあっていた一方,あまりにもあけっぴろげで非道徳的であると同時に,あまりにも世俗的かつ非宗教的なものであったために,(ヨーロッパの)北方諸国の人々の信仰心を満足させなかった。終にゲルマン民族の国々で道徳的反感が強くなり,その結果,経済的動機に対し自由に振る舞うことを認める(許す)ほどとなった。つまり,ローマ(教皇)に貢物を捧げること(pay tribute to Rome)を拒否することが一般的なものとなり,王侯貴族たちカトリック教会の土地を押収した。しかし,こうしたことは,プロテスタンティズム(清教徒主義)という教義上の反逆がなければ可能ではなかったであろう。(そうして)この反逆は〔ローマカトリック教会の)「大分裂」及びルネッサンス期の教皇職のスキャンダルがなければ決して起こらなかったであろう。もし,カトリック教会の道徳上の影響力が内部から弱まっているのでなかったならば,カトリック教会を攻撃する者たちは,道徳的な影響力を味方につけることはできなかったであろうし,フリードリッヒ二世が敗北したように,敗北させられたことであろう。

Chapter IV: Priestly Power, n.23

The fifteenth-century Papacy, while it suited Italy, was too worldly and secular, as well as too openly immoral, to satisfy the piety of Northern countries. At last, in Teutonic countries, the moral revolt became strong enough to allow free play to economic motives : there was a general refusal to pay tribute to Rome, and princes and nobles seized the lands of the Church. But this would not have been possible without the doctrinal revolt of Protestantism, which could never have taken place but for the Great Schism and the scandals of the Renaissance Papacy. If the moral force of the Church had not been weakened from within, its assailants could not have had moral force on their side, and would have been defeated as Frederick II was defeated.

(掲載日:2017.06.02/更新日: )