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池谷裕二「ラッセルのパラドックス - リカージョンは矛盾を生む

出典:池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』(講談社、2013年9月刊 ブルーバックスB1830 - イケ13)

* 松下注:リカージョン(recursion 再帰,回帰)という表現はあまり適切ではないように思われる。「リカージョンは矛盾を生む」のではなく、通常は、「自己言及は論理的矛盾を生む」という表現がされる。



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ー(生徒) 研究者は脳を科学的に見ているんですよね。つまり、ニューロンなどを調べて、こう活動 しているからこれが知覚できているんだ、というようなこと。だとすると科学の目から見て、今こうやった考えている自分というのは、どういうことなのかな。脳科学を通じて脳を見ているんだけど、脳科学自体も脳がつくった産物ですよね。なんか変・・・。

(池谷) あはは(笑)・・・おもしろいね。結局、脳料学という学間それ自体が入れ子構造。リカージョ ンだよね、 今いいことを言ってくれたから、後にリカージョンについて、さらに深く考えてみようか、リカージョンという行為は,実は、危険なんだ。
 なぜなら、リカージョンは矛盾(論理的矛盾)を生むからだ。「ラッセルのパラドックス」を知ってるかな ラッセルはイギリスの数学者かつ哲学者だけど、なぜかノーベル文学賞までもらっているから、 なんとも多彩な人だ。 このバラドックスはリカージョンを許すと生じる。高校生のときにこのバラドックスを知っ て、僕はびっくりしたんだ
 これを説明するために、カタログ(注:目録)を例にとってみようか。カタログって「集合」だよね。とえば「靴のカタログ」だったら「靴の集合」だ。
 世の中には、クルマのカタログ、文具類のカタログ、などいろいろある。
 そこで、ある人が新しいタイプのカタログを考えついた。世の中にはカタログが溢れてきたから、どんなカタログがあるのかをすぐに調べられるように、全カタログを 網羅した「カタログの カタログ」をつくろうと。
 「カタログのカタログ」ということは、この「カタログのカタログ」には自分自身も載せないといけないよね。だって、すべてのカタログを網羅しているわけだからね。となると、「カタログのカタログ」は自分を自分の中に持つという入れ子構造になる。 リカージョンだ。
 そこで、別のある人が、さらに考えた。世の中には2種類のカタグがあるのではないかと。(即ち)①「自分自身が載っていないカタログ」、つまり、靴とかクルマとか、 そういった具体的なモノを扱ったカタログ。そして、②「自分自身もそこに載っているカタログ」、つまりカタログのカタログ、の2種類だ。
 だったら、①のタイプ、つまり自分自身が載っていないカタログだけを集めて、改めて、新しいタイプのカタログ③をつくりましょう、と。
 こうしてたなカタログが完成した。いいね!  ③「自分自身がっていないカタログをすべて載せたカタログ」だ。さて、ここで質問をしよう。この新型カタログ③には自分自身は載っているだろうか。

-(生徒) 自分自身が載っていないカタログを集めてきて・・・。

(池谷) そう、いわゆる普通のカタログを、世の中からすべて集めてきてカタログをつくった。そのカタログの中には自分自身は載っているだろうか、という質問。

- (生徒)うーん・・・。

(池谷) 直感的にはどっち?

- (生徒)載っていない。

(池谷)そうだよね。だって、自分自身が載っていないものだけを集めてきたつくったカタログだから、載ってないはずだよね。つまり、「載ってない」。載ってないすべてのものを集めてきたわけだね。
 でも、もうこの仕掛けがわかったね。一歩引いて考えると不思議だ。(自分自身は)載ってないカタログをすべて集めてきたカタログなんだから、もし、そこに自分自身が載っていなかったら、そのカタログ自身もそこに載っけなくてはならない。
 だって、そういうものをすべて集めてきたんだもんね。わかるよね。だから、実は、そのカタログのルール上、載せる必要があるの。
 でももし載せてしまったら、今度は自分自身が載ってるんだから、定義上、そこに載せては いけないカタログになってしまうよね。そのカタログは、自分自身が載っていないカタログを集めたカタログなんだから。
 つまり、載せても載せなくても、どちらにしても矛盾してしまうんだ。パラドックスだ。
 何がいけなかったかというと、リカージョンだね。リカージョンしたからマズいことになってしまったわけ。リカージョンをする集合体は必ず矛盾をはらんでしまう。どこかで論理破綻が生じる。ラッセルは、「リカージョンの矛盾からは絶対に逃れられない」という認めたくない運命を数学的に証明してしまった。

 ★脳研究は、答えに行き着けないことを運命づけられた学問