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池谷裕二「脳研究は、答えに行き着けないことを運命づけられた学問」

* 出典:池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』(講談社、2013年9月刊 ブルーバックスB1830 - イケ13)



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(池谷)さっき君が言いたかったのはそこでしょ。脳を使って脳を考えることは、その行為自体が矛盾を季む(はらむ)。リカージョンというスパイラルの悪魔に、どうしようもなくハマってしまう。脳を駆使して脳を解明するのは、まさに自己言及であって、ラッセルのパラドックスが避けられない。
 僕ら脳科学者のやってることは、そんな必然的に矛盾をはらんだ行為だ。だから、脳科学は絶対に答えに行き着けないことを運命づけられた学問なのかもしれない。一歩外に出て眺めると、滑稽な茶番劇を演じているような、そういう部分が少なからずあるのではないかなと僕は思うんだ。
 科学は何のためにあるのかなと考えると、おそらく世界のからくり、世界の理屈を解明する、できれば、解明し尽くしてしまうこと。世の中のことをすべて知ろうということを使命としてるよね。
 僕たちには強い好奇心があるから、もし解明されたら「おっ、こうなつているんだ……」と感動もするし、知的好奇心も満足させられるだろう。あるいは新たな発見が社会に応用されたり、新技術が医療現場に活用されたりして、人の役にも立つだろうね。
 人の役に立ったらうれしいし、自分も満足だしということで、だから科学はおもしろいんだ
……そんなふうに普通の人は考えているかもしれない。
 でも、科学の現場にいる人にとっては、そうではない。科学の醍醐味は、それだけに尽きるのではない。むしろ本当におもしろいところは、事実や真実を解明して知ること自体よりも、解明していくプロセスにある。
 仮説を検証して新しい発見が生まれたら、その発見を、過去に蓄積された知識を通じて解釈して、そして、また新しい発見に挑む。高尚な推理小説を読み進めるようなワクワク感だ。難解なパズルのピースを少しずつ露礁させていくかのような、この謎解きのプロセスが一番おもしろいということは、こんな逆説的な言い方もできるよね。「脳」を扱う科学は、そのリカージョンの性質上、もしかしたら "ゴールがない″ものかもしれない。だって脳を脳で考える学問だから、その論理構造上、そもそも「解けない謎」に挑んでいみ可能性があるってわけ。
 だとしたらさ、脳科学者にとって一番おいしい部分、「解明していくプロセス」は永遠に残り続けるという意味になるよね。これは科学者にとって幸せなことだ。
 脳科学は幸せが未来永劫に続くことが保証された学問じゃないかなと・・・うーん、自虐的かな(笑)。でも僕は最近そう前向きに考えるようになっているの。
 さて、これで3日間の講義をおしまいにしようか。長い講義に付き合ってくれて、どうもありがとう。

ー(生徒一同)ありがとうございました!