(本館) (トップ)  (分館)
バートランド・ラッセルのポータルサイト用の日本語看板画像

バートランド・ラッセル 私の哲学の発展 第3章(松下 訳)- My Philosophical Development, 1959, by Bertrand Russell

Back(前ページ) 第3章_イントロ累積索引 Next(次ページ) Contents(総目次)

第3章 最初の努力 n.9 - 理性を第一とする決意

(ラッセルの15~16歳の時の鍵付き日記帳から)
<1888年4月29日>
 私は,あらゆることにおいて - 一部は自分の祖先から(遺伝で)受け継ぎ,また自然陶汰によって徐々に獲得した本能ではなく,部分的に教育のおかげであるところの- 理性に従うという決意を(これまで)立ててきた。(みすず書房版の野田訳では「一部は祖先から遺伝されかつ淘汰によって漸次獲得されたものであり、一部は教育に由来するところの、本能なるものをしりぞけて、もっぱら理性に従おうという誓いを立てた」と訳出されている。「一部は教育に由来するところの、本能なるもの」と訳しておかしいと思わなかったのだろうか?) 正,不正の問題において,(こういった)本能に従うことは何と,不合理なこと(馬鹿げたことであろうか? というのは,前によく見たように(観察したように),遺伝によって受け継いだ部分は、種の保存あるいは私が所属する種(注:人類)の特定の属(注:section (ヒト属)の保存に導く原理にすぎないからである。教育に起因する(due to)部分は、個々の教育(の内容)によって良くなったり悪くなったりする。それにもかかわらず(Yet)、この内なる声 -あの「ブラッディー・メアリー」(注:Bloody Mary :イングランドとアイルランドの女王,在位1553年7月19日 - 1558年11月17日。プロテスタントに対する過酷な迫害からブラッディ・メアリー(血まみれのメアリー)と呼ばれた)をして新教徒を焼き殺させたところの神から授かった良心- この良心に我々は従うべきとされるのである(従うべきとされるのである)。こういった考えは狂気の沙汰だと私は考える。そうして,私は,理性に従って行けるところまで行こうと努力する。私が自分の理想として掲げるものは、最大多数の最大幸福を究極において生み出すものである。そうして,私は,この理想に最も助けになる道(コース)を発見するために理性を用いることができる。また,そうであるけれども(however)、私という個人の場合には受けた教育が立派なものであったので、(理性だけでなく)多少とも,良心に従って進むこともできる。しかし,人々が、理性に従うために,動物的な(野蛮な)衝動を捨てることを嫌がりるのは奇妙なことである。・・・(=本書では引用がここで切られている)。

Chapter : First Efforts, n.9

(From Russell's Diaries]
Eighteen eighty-eight. Apr. 29th

In all things I have made the vow to follow reason, not the instincts inherited partly from my ancestors and gained gradually by selection and partly due to my education. How absurd it would be to follow these in the questions of right and wrong. For as I observed before, the inherited part can only be principles leading to the preservation of the species, or of that particular section of the species to which I belong. The part due to education is good or bad according to the individual education. Yet this inner voice, this God-given conscience which made Bloody Mary burn the Protestants, this is what we reasonable beings are to follow. I think this idea mad, and I endeavour to go by reason as far as possible. What I take as my ideal is that which ultimately produces greatest happiness of greatest number. Then I can apply reason to find out the course most conducive to this, and in my individual case however I can also go more or less by conscience owing to the excellence of my education. But it is curious how people dislike the abandonment of brutish impulse for reason. . . .
(掲載日:2019.05.23/更新日: )